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越境チャレンジSTORY:日本電気株式会社 田代秀浩氏 大企業の部長が金沢の老舗企業へ越境。経営者の右腕として磨いた「現場から変える力」

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
大企業の部長職として6つの事業領域を統括する田代秀浩さんが、協働日本の「越境チャレンジ」で飛び込んだのは、石川県金沢市で150年以上の歴史を持つ発酵食品メーカー、株式会社四十萬谷本舗。経営者の右腕として売上拡大に取り組むはずが、最初の3か月は得意なITによる課題解決に偏り、経営課題そのものに踏み込めずにいました。転機となったのは、メンターからの「御用聞きになっていないか」という指摘。経営者と本音で議論する姿勢へと切り替え、点在していた売上データを一元化し、前年比や商品別の動きを分析できる仕組みを構築しました。さらに、現場を歩き、自ら判断する経営者の姿に触れたことで、田代さん自身の働き方にも変化が生まれます。越境期間中から本業の会議に現場メンバーを加え、終了翌月には事業の見直しにも着手。「部長という役割」にとらわれていた自分を見つめ直し、「自分で会社を変える」という新たな挑戦へ。その約半年間の経験と変化を伺いました。

今回は、協働日本の「越境チャレンジ」に参加した、日本電気株式会社(NEC)の田代秀浩さんにお話を伺いました。

田代さんは、越境当時、NECソリューションイノベータ株式会社でディレクターを務め、イベント管理システムやウェルビーイング、感情推定技術など、6つの事業領域を統括していました。複数のチームリーダーとともに事業の方向性を考え、判断を下す立場にありながら、大企業ならではの意思決定のスピードや、現場との距離感に課題意識を持っていました。

そんな田代さんが越境先として飛び込んだのが、石川県金沢市の株式会社四十萬谷本舗です。1875年創業、金沢の伝統的な発酵食品であるかぶら寿しや漬物などを製造・販売する老舗企業。伝統の味を守りながら、新商品の開発やライブコマースなど、新たな販路づくりにも挑戦を続けています。

田代さんに求められたのは、同社の売上拡大に向け、経営者の右腕として課題を整理し、改善策をともに考えること。できるだけコストをかけず、既存の業務を大きく変えないという条件のもと、約半年間の協働が始まりました。

事業面での相談にメンターとして伴走したのは、協働日本CSOの藤村さん。さらに、キャリアコーチとの対話を通じて、田代さん自身の組織マネジメントや仕事への向き合い方も見つめ直していきました。

最初の3か月間、なぜ田代さんは「経営者の右腕」になれていなかったと振り返るのか。金沢の老舗企業での経験が、どのように本業での行動や意思決定を変えていったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

1,000人規模の組織から新たな挑戦へ。「経営者の意思決定の速さを体感したかった」

ーーまず、田代さんの普段のお仕事について教えてください。

田代:
私はディレクターという、一般的には部長職にあたる立場で、6つほどの事業領域を統括しています。

例えば、医療系の学会などで使われるイベント管理システムの提供や、働く人のウェルビーイングを支えるサービス、感情推定技術を活用した事業などですね。

イベント管理システムでは、参加申込や決済、当日の受付、入退場管理などを提供しています。感情推定の領域では、映像やスマートウォッチから得られる情報を使い、働く人の状態を把握して、生産性の向上や業務の改善につなげる取り組みなどを進めています。

それぞれ異なる市場の事業を束ねているので、私自身がすべての業務を直接担当するというよりも、各チームのリーダーと話をしながら、事業をどう進めるべきか、どこでどんな判断をするべきかを考えることが主な役割です。

ーー越境チャレンジには、どのようなきっかけで参加されたのでしょうか。

田代:
当時の役員から声をかけていただいたことがきっかけです。

私が所属していた組織は、役員一人が管掌する範囲だけでも1,000人ほどの規模があり、その中から一人が参加するという形でした。ありがたいことに私に声をかけていただいて、せっかくの機会なので、ぜひ挑戦してみたいと思いました。

それまでは越境チャレンジというプログラムを知らなかったのですが、内容を聞いて、純粋に面白そうだなと感じたんです。

普段の仕事ではなかなか経験できないことに挑戦できる。しかも、異なる環境に飛び込んで、経営者と一緒に仕事ができるというのは、とても貴重な機会だと思いました。

自分自身の視野を広げるきっかけにもなるんじゃないかという期待があって、ぜひ参加させてほしいと伝えました。

ーー特に、どのような経験に期待していましたか。

田代:
一番は、中小企業の経営者がどのくらいのスピード感で意思決定しているのかを知りたかったんです。

私が普段働いている大企業では、何かを決めようと思っても時間がかかります。組織が大きいので、どうしてもフットワークが重くなる部分があるんですよね。

それに対して、中小企業の社長は、どんなことを考えて、どれくらいのスピードで判断しているのか。経営者の右腕として一緒に動くことで、それを肌で感じてみたかったんです。

自分が今後さらに大きな役割を担うときにも、そういう意思決定の仕方を知っているのと知らないのとでは、動き方が違ってくると思いました。

金沢の伝統的な発酵文化を守りながら、新たな挑戦を続ける四十萬谷本舗

今回、田代さんが越境先として携わった株式会社四十萬谷本舗は、石川県金沢市に本社を構える、1875年(明治8年)創業の老舗食品メーカーです。

金沢の冬の味覚として親しまれる「かぶら寿し」をはじめ、漬物や発酵食品の製造・販売を手がけ、150年以上にわたって地域の食文化を受け継いできました。

現在は六代目の四十万谷正和さんが代表を務め、伝統の味を守りながら、新商品開発やライブコマースなど、新たな顧客層や販路の開拓にも積極的に取り組んでいます。

協働日本とは以前から複数のプロジェクトを通じて事業の発展に取り組んでおり、今回の越境チャレンジでは、田代さんを経営者の右腕として迎え、売上拡大に向けた経営課題の整理と、データを活用した経営判断の仕組みづくりに取り組みました。

創業150年の四十萬谷本舗へ。売上拡大に向け、まずは現場を知ることから

ーー越境先となった四十萬谷本舗では、どのような取り組みから始めたのでしょうか。

田代:
10月頃にプログラムが始まって、私はすぐに石川県へ行きました。

四十萬谷本舗さんは石川県内に複数の店舗を持っています。まずはそれぞれのお店を回って、どういう場所で、どんなお客様に、どういう形で商品を販売しているのかを、自分の目で見て理解したいと思ったんです。

その後は四十万谷社長と毎週のようにお話ししながら、今どんな課題を感じているのか、将来どんな会社にしていきたいのかを伺いました。

現状と目指したい姿の間に、どんなギャップがあるのか。そこを埋めるために何ができるか、一緒に考えていくところからスタートしました。

ーー当初は、どのような経営課題に向き合っていたのでしょうか。

田代:
大きなテーマは、売上を拡大していきたいということでした。

四十萬谷本舗さんは、それまでもライブコマースなど、いろいろな取り組みに挑戦されていました。ですから、すでにやっていることと同じような施策を提案しても仕方がないですよね。

今までの取り組みを踏まえて、さらに売上を伸ばすためには何ができるのか。事業のことだけでなく、社内の仕組みや業務の進め方も理解しながら、一緒に考えていました。

もう一つ、前提としてあったのが、できるだけコストをかけないということです。

新しいシステムを大きく導入したり、現場の仕事のやり方を一から変えたりするのではなく、今ある仕組みを活かして改善できることを探していました。

ーー初めて関わる業界ということで、難しさもあったのではないでしょうか。

田代:
そこはかなり難しかったです。

私は食品業界の仕事に関わったことがなかったので、まず四十萬谷本舗さんのことを理解するところに苦労しました。

かぶら寿しをはじめ、どういう商品を扱っているのか。どうやって商品をつくって、どのように販売しているのか。そもそも業界のことを知らないので、何から聞けばいいのかも分からないところがありました。

週に1回、基本的にはオンラインでミーティングをしていましたが、その時間だけでは足りません。実際には半年間で3〜4回ほど石川県へ行きましたし、ミーティング以外の時間にも市場のことを調べたり、施策を考えたりしていました。

最初は週に2〜3時間くらいの活動だと聞いていたのですが、実際には週10時間くらい使っていたと思います。

ただ、私はそれを苦だとは思いませんでした。社長と一緒に経営課題に向き合うという、なかなか得られない経験をさせてもらっているわけですから。

むしろ、そのくらい真剣に取り組まないと、受け入れてくださっている経営者の方に失礼だと思います。

「最初の3か月は右腕になれていなかった」。得意なITが、かえって壁になった

ーー経営者の右腕として活動する中で、最も難しかったことは何でしょうか。

田代:
実は、最初の3か月間は、経営者の右腕になれていなかったと思っています。

今振り返ると、自分の役割を履き違えていたんですよね。

私はこれまでITの仕事をしてきましたから、何か課題を聞くと、どうしても「それならITでこう解決できますよ」という考え方になってしまうんです。

四十万谷社長から課題を聞いて、それを解決するための仕組みを考える。ITのコーディネーターやアーキテクトのような立場で、目の前の課題を解決することに時間を使っていました。

でも、それは普段の仕事の延長でしかなかったんです。

経営者が課題だと思っていることに対して、「そうですよね、こうやって解決しましょうか」と応える。そこから先に、なかなか踏み込めていませんでした。

ーーそのことに気づいたきっかけは、何だったのでしょうか。

田代:
メンターの藤村さんとの会話ですね。

「御用聞きになっていないか?」

そんな指摘をいただいたんです。

それを聞いて、確かにそのとおりだなと思いました。結局、自分が得意なことをやっているだけだったんですよね。

経営者の右腕というのは、言われた課題を解決することではなくて、経営課題そのものを捉えるところから一緒に考える役割なんだと。

今の会社にとって何が重要なのか。本当に取り組むべき課題は何なのか。それを自分でも考えて、こちらから提案していかなければいけない。

年末頃にそのことに気づいて、年明けからは四十万谷社長との話し方を変えました。

それまでは聞かれたことに応えるような会話が多かったのですが、「こういう課題があるのではないですか」「こういう取り組みをするべきではないですか」と、自分の考えを本音でぶつけるようにしました。

四十万谷社長からも、1月頃に「何か変わったね。どうしたの?」と言われたんです。

そのときに、藤村さんからの指摘があったことをお話ししました。

正直、最初の3か月を少し無駄にしてしまったなという思いもあります。でも、あの指摘がなかったら、最後まで自分の得意な範囲で仕事をして終わっていたかもしれません。

ーー藤村さんからは、かなり厳しいフィードバックを受けたそうですね。

田代:
そうですね。でも、私はすごくありがたかったです。

社会人になって17〜18年ほど経っていますが、最近は上司から厳しいことを言われる機会って、あまりないんです。

自分が何かやりたいと言っても、「いいんじゃない」と言ってもらえることが多い。もちろん、それはありがたいことでもあるんですが、そこから先に踏み込んで指摘してもらう機会は減っていました。

藤村さんは、そこをかなりストレートに言ってくださるんです。

「それは全然だめでしょう」「こういう視点が抜けているんじゃないですか」と。

入社して2〜3年目くらいの頃は、先輩や上司から指導を受けることもありましたが、年次を重ねると、そういう経験は少なくなります。

だからこそ新鮮でしたし、心に響きました。

藤村さんは、ご自身の経験に加えて、他社の事例なども交えながら、私が思いつかなかった考え方を示してくれました。自分の中にはなかった引き出しを、たくさん見せていただいたと思います。

売上データを一元化。経営者の「肌感覚」を数字で確かめられる仕組みに

ーー実際の取り組みでは、どのような成果が生まれたのでしょうか。

田代:
正直に言うと、私自身はまだ十分に満足できる成果ではないと思っています。

ただ、一つ形にできたのが、売上データを整理して分析できる仕組みをつくったことです。

四十萬谷本舗さんでは、ECサイトや各店舗など、それぞれの場所で売上データを管理していました。複数のソフトを使っていたので、会社全体の数字をまとめて確認することが難しかったんです。

もちろん、データ自体はあるんですよ。でも、それを経営判断に使える形に整理する土台が十分に整っていませんでした。

そこで、各所に分かれていた売上データを一か所に集められるよう、Excelのマクロを使った仕組みをつくりました。

これによって、今の売上がどうなっているのか、前年と比べてどう変化しているのか、どの商品が伸びていて、どの商品が落ち込んでいるのかといったことを確認できるようになりました。

例えば、「この時期に売上が下がっているのはなぜだろう」「セット商品の売上が落ちているのではないか」といったことも、数字から考えられるようになったんです。

売上がすぐに伸びるような施策ではありませんが、今後の経営判断に使える土台を整えられたことは、一つの成果だったと思っています。

ーーその仕組みができたことで、四十万谷社長にとってはどのような変化があったのでしょうか。

田代:
四十万谷社長は、とにかく現場のことをよく分かっていらっしゃる方なんです。

今、何が売れているのか。どんなお客様が来ているのか。店舗で何が起きているのか。そういうことを、現場に足を運んで肌感覚で把握されています。

一方で、その肌感覚が実際の数字と合っているかを確認するには、いろいろなデータを見なければならなかったんですね。

今回つくった仕組みがあれば、経営者が現場で感じていることを、数字でも確認できるようになります。

「この商品が売れている気がする」という感覚に対して、実際に前年と比べてどうなのか、ほかの商品と比べてどうなのかを確認できる。

経営者が持っている現場の感覚と、データから読み取れる実態を組み合わせられるようになったことに、意味があったのかなと思います。

会議室ではなく、いつも現場にいる社長。その背中から学んだ経営の姿勢

ーー四十万谷社長と一緒に仕事をする中で、特に印象に残っていることは何ですか。

田代:
現場との距離の近さですね。

最初に石川県へ行ったときから、四十万谷社長が従業員の方々と直接話をしている場面を、何度も見かけました。

店舗に行けば、従業員の方と話をしながら売場を見ている。駅ビルに入っている店舗では、自分のお店だけでなく、ほかのお店にどんなお客様が来ているのかまで観察されていました。

数字だけでは分からないことを、自分の目で見て、肌で感じようとしているんです。

実際、半年間で3〜4回ほど現地に伺ったのですが、四十万谷社長とお話しする場所は、ほとんどいつも現場でした。

どこかの会議室でじっくり打ち合わせをするというより、店舗だったり、現場の休憩スペースだったり。「今ここにいるから、ここで話しましょう」という感じです。

私は経営者というと、もっとデスクワークをしているイメージがありました。でも、四十万谷社長が机に向かって仕事をしている姿は、ほとんど見なかったですね。

それだけ現場に出て、そこで起きていることを直接把握している。

経営者としての現場との距離の取り方は、すごく勉強になりました。

ーー参加前に期待していた、意思決定のスピードについてはいかがでしたか。

田代:
そこも印象的でした。

四十万谷社長は、新しい施策を試して、うまくいかなければやめる。その判断がすごく速いんです。

やってみて、違うと思ったら切り替える。また別の方法を試す。

私が提案したことに対しても、内容を理解していただくと、すぐに判断して次の動きにつなげてくださいました。

大企業にいると、何か一つを決めるのにもいろいろな手順がありますから、その違いは大きかったですね。

単に動くのが速いということではなく、現場を知った上で、実行するか、続けるか、やめるかを判断する。そのスピード感こそ、私が参加前に知りたいと思っていたものでした。

「部長だから現場に入らない」。自分でつくっていた役割の殻に気づいた

ーー四十万谷社長の姿を見て、ご自身の仕事への向き合い方にも変化はありましたか。

田代:
すごくありました。

実は私、もともと現場が好きなんです。

でも、ディレクターという部長職になると、現場で何が起きているかは、課長やチームリーダーからの報告で把握することが多くなります。

私自身も、現場のメンバーに直接指示を出すことは、できるだけ避けていました。

間にいる管理職の役割を飛び越えてしまうと、その人たちの仕事を奪うことになるんじゃないかと思っていたんです。

だから、現場にはあまり入らず、報告を受けて判断する。そういう仕事の仕方になっていました。

でも、四十万谷社長の姿を見て、必ずしもそうではないんだなと感じました。

社長自身が現場に入って、従業員の方と話をして、それでも現場の責任者の方々とうまく関係をつくっている。

自分も、もっと現場を知っていいんじゃないかと思うようになったんです。

ーーその気づきには、コーチングでの対話も関係していたのでしょうか。

田代:
そうですね。コーチングでの気づきも大きかったと思います。

私は30人ほどの組織を見ているのですが、年上の部下もたくさんいます。そういう方々とどうコミュニケーションを取ればいいのか、どうすればモチベーションを持って仕事に取り組んでもらえるのか、といったことも相談していました。

そうした対話の中で気づかされたのが、自分は「部長」という役割を演じていたんじゃないか、ということです。

本当は現場に入って、自分で見て、考えて、動くことが好きなのに、部長になったからにはそうしてはいけないと思っていた。

「これは課長の仕事だから」「自分が入るべきではないから」と、自分で役割を区切っていたんですね。

でも、それは自分自身がつくっていた殻でもあったんだと思います。

コーチとの対話を通じて、奥の方にしまっていた「現場が好きだ」という気持ちを、もう一度見つけてもらったような感覚がありました。

四十万谷社長からは、現場で判断する経営者の姿を見せてもらった。そしてコーチングでは、そんな働き方を本当は自分もしたかったんだと気づかされた。

この二つが重なったことが、自分の行動を変えるきっかけになったと思います。

越境先では、自分の役職や部下との関係を気にせず、思ったように動くことができました。それが本当に楽しかったんですよね。

現場メンバーを会議に招く。報告だけでは見えなかった事業の実態

ーー本業に戻って、実際に変えたことはありますか。

田代:
まず、会議のやり方を変えました。

それまでは、各事業のチームリーダーと私が話をする形が中心だったんです。

でも、そのチームリーダーの下には、実際に現場で動いているメンバーがいます。3人、4人とメンバーがいる中で、私はリーダーからの報告だけを聞いて判断していました。

それを変えて、現場のメンバーにも同じ会議に出てもらうようにしたんです。

もちろん、チームリーダーを飛び越えて現場に直接指示をすることには、以前は抵抗がありました。でも、リーダーも同席している場で、みんなで話をするならいいんじゃないかと考えるようになりました。

実際にやってみると、これまで見えていなかったことが、いろいろ分かってきたんです。

ーー具体的には、どのような違いがありましたか。

田代:
例えば、チームリーダーとしては、その事業を続けたいという思いがありますよね。

だから、報告するときにも、どうしても前向きな情報が中心になることがあります。

でも、実際に現場で働いているメンバーに聞いてみると、「現場ではこういう問題があります」「実際にはそんなにうまくいっていません」という話が出てくるんです。

間に人が入ることで、情報が薄まっていたり、少し違う形で伝わっていたりすることがあるんだと分かりました。

現場のメンバーから直接話を聞くことで、それまでよりも多くの情報をもとに判断できるようになりました。

もちろん、話を聞く人が増えるので、会議の時間も長くなります。正直、面倒くさいこともありますよ(笑)。

でも、やっぱり必要なことだったんだと思います。

四十万谷社長が現場に足を運んで、自分の目で確かめていたのと同じように、私も現場を知った上で判断することが大事なんだと、あらためて感じています。

越境終了の翌月、事業の見直しを決断。「続ける」だけが経営判断ではない

ーー現場の声を直接聞くようになったことで、事業の意思決定にも変化はありましたか。

田代:
ありました。大きかったのは、担当している事業の見直しです。

私が見ている6つほどの事業のうち、もともと自分が担当していたのはイベント関連の事業でした。

それ以外の事業は、組織再編などのタイミングで引き継いだものが多かったんです。

中には、以前から「もうこの事業はやめるべきなんじゃないか」と思っていたものもありました。

でも、それぞれの事業には担当している人がいます。みんな頑張って取り組んでいますし、なかなか「やめよう」とは言えなかったんですよね。

結果として、何となく継続してしまっているところがありました。

ただ、四十万谷社長の意思決定を間近で見て、うまくいかないことを続けるだけではいけないんだと感じました。

越境チャレンジは3月に終わったのですが、翌4月には、ある事業について「もうやめよう」と提案しました。

ーーその判断に至るまでには、どのような変化があったのでしょうか。

田代:
以前だったら、チームリーダーから上がってくる報告をもとに判断していたと思います。

でも、越境中に会議のやり方を変えて、現場のメンバーとも直接話をするようになりました。

そこで何か月かかけて、現場で何が起きているのか、その事業が今どういう状況なのかを、自分なりに理解することができたんです。

そうすると、「この状況だったら、もう方向転換するしかないよね」と判断できるようになりました。

それまでは、事業をやめることに対して、どこかでためらいがあったんだと思います。

でも、現場を知って、いろいろな情報を聞いて、自分で考えることで、判断できるようになった。

現場に関わる時間は増えましたし、簡単なことばかりではありません。でも、そうしたプロセスを踏むことで、以前よりも納得感を持って事業の方向性を決められるようになったと思います。

「現状に不満がある人にこそ、越境してほしい」。変化を待つ側から、起こす側へ

ーー約半年間の越境チャレンジを振り返って、どのような方に参加してほしいと思いますか。

田代:
私は、現状に不満を持っている人にこそ、参加してほしいと思います。

もっとこういうふうにしたい、ああいうふうにしたいと思っていても、実際にはなかなか変えられないことってありますよね。

何か新しいことを始めようとしても時間がかかったり、提案してもなかなか動かなかったり。

やるべきことがあると分かっているのに、組織の中で先送りになってしまう。そういう状況にもんもんとしている人は、ぜひ経験してみてほしいです。

私自身も、会社に対して変えたいと思っていることがたくさんありました。

でも、普段の組織の中にいると、どうしても「会社がこうだから」「今の仕組みでは難しいから」と考えてしまうんです。

越境して、別の会社の経営者と一緒に仕事をすると、それまで当たり前だと思っていたことが、必ずしも当たり前ではないと気づけます。

自分で考えて、判断して、実行する。うまくいかなければ、また変える。

そういう経験をすることで、「会社が変わらない」と思っていた人も、「自分で変えていこう」という意識になれるんじゃないかと思います。

ーー最後に、田代さんご自身が今後挑戦していきたいことを教えてください。

田代:
これからは、社内の仕組みそのものを変える仕事に挑戦したいと思っています。

私は今の会社に対して、もっとこうした方がいいのに、と思うことがたくさんあります。

これまでは、自分の担当している事業の中で、できることを変えていくという立場でした。でも、今はもっと会社全体の仕組みを変えるところに関わりたいと考えています。

私自身、ディレクターという部長職の中では、まだ比較的若い方だと思います。

だからこそ、現場との距離も近いですし、現場で働いている人たちの声も聞きやすい。その立場だからこそできることがあるんじゃないかと思っています。

今後は、全社の業務プロセスなど、会社の仕組みを変えていく仕事に挑戦したいです。

今回の越境で、四十万谷社長が現場に入り、そこで起きていることを自分の目で見て判断する姿を学びました。

一方で、コーチングを通じて、自分自身が本当は現場に入って仕事をすることが好きだったんだと、あらためて気づくこともできました。

これまでは、部長だからこうしなければならない、という考え方にとらわれていたのかもしれません。

でも、自分の役割を自分で狭める必要はないんですよね。

これからは、現場の声をしっかり聞きながら、自分自身が変える側として動いていきたいと思っています。

ーー田代さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

田代:
ありがとうございました。


田代 秀浩/Hidehiro Tashiro

日本電気株式会社(NEC) ディレクター
※越境チャレンジ参加当時:NECソリューションイノベータ株式会社

2008年に入社。フィーチャーフォン・スマートフォン向けアプリケーション開発を経て、Webアプリケーション開発に従事。2013年には官庁向け大規模基幹システムのプロジェクトリーダーを経験。2016年に新規事業創出部門へ異動し、5つの商材の企画から提供、運用までを担当。2020年にはNECの大型イベントのDX化にITアーキテクトとして参画。2021年からは、DX化の経験を活かし、顧客向けのITコンサルティングや共創事業を推進している。

越境チャレンジについては こちら

マーケティングSTORY:株式会社四十萬谷本舗 四十万谷 正和氏 -課題に合わせた戦略的人材活用。老舗企業の考える「生き残り戦略」とは- | KYODO NIPPON
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人と組織STORY:有限会社大倉菓機 大倉崇史氏 製造部門売上1.5倍。「個人力で売る」から「組織で回す」体制へ、老舗メーカーが挑む“第二創業”

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
1911年創業、大分県別府市で製菓・製パン機械の製造・販売・修理を手がける有限会社大倉菓機。顧客の現場に合わせた機械づくりを110年以上続けてきた一方、自社製品を全国へ広げるための「売る仕組み」や、少人数で仕事を回すための「組織の仕組み」には課題を抱えていました。協働日本との取り組みは、自社製造機器の販売促進からスタート。しかし伴走を進める中で、社長に集中していた情報や業務を可視化し、社員全員で会社の未来を考える組織づくりへとテーマが広がっていきます。1年間で問い合わせは2倍になり、受注率は3割増加し、製造部門の売上は2,400万円から3,600万円へ伸長。ワークショップをきっかけに朝のミーティングも復活し、「社長が一人で回す会社」から「みんなで考え、動く会社」へ。代表取締役の大倉崇史さんに、その変化を伺いました。

今回は、大分県別府市で製菓・製パン機械などを手がける有限会社大倉菓機の5代目代表取締役、大倉崇史さんにお話を伺いました。

大倉菓機は1911年、煎餅型などを製造する「大倉菓子型製作所」として創業。現在は食品機械の販売に加え、自社工場でのオリジナル機械の製造、修理・メンテナンスまで幅広く手がけています。近年は、省スペースで職人の手焼きに近い仕上がりを目指したロータリーどら焼き機など、自社製品の開発にも力を入れています。

協働日本とのプロジェクトは、そんな自社製品をもっと広く届けるための販売促進から始まりました。しかし、取り組みを進める中で見えてきたのは、「売り方」だけではない社内の課題でした。

伴走したのは、販売促進や事業・組織課題の整理をともに進めた協働プロの相川さんと、システムや情報整理の視点からプロジェクトを支えた加藤奏さん。異なる専門性を持つ2人がチームとなり、商品の見せ方から受注管理、社内の情報共有、社員を巻き込んだ組織づくりまで、7か月にわたって大倉菓機のこれからをともに考えてきました。

販売促進から始まったプロジェクトは、なぜ会社の仕組みや組織そのものを見直す取り組みへと広がっていったのか。その過程で何が見え、何が変わったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

110年以上続くものづくり。「お客様の味に、機械を合わせる」

ーーまず、大倉菓機について教えてください。

大倉:
もともとは別府駅の近くで、煎餅型などをつくる「大倉菓子型製作所」として始まった会社です。

今は、製菓・製パン機械や食品加工機械の販売、自社での機械製造、それから修理やメンテナンスまで幅広くやっています。

自社工場を持っていますので、既製品を販売するだけではなく、お客様の現場に合わせて機械をつくったり、調整したりできることが私たちの強みですね。

どら焼きひとつとっても、お店によって生地も違いますし、ずっと守ってきた味があります。機械を入れたことで、その味が変わってしまってはいけません。

昔から使われてきた道具や、理にかなったやり方を生かしながら、お客様の商品に機械の方を合わせていく。そこは昔から変わっていないと思います。

ーー大倉さんご自身は、現在どのような仕事をされているのでしょうか。

大倉:
代表取締役ではありますが、主には技術営業です。

自分でお客様のところに営業に行きますし、メンテナンスにも行きます。

会社は全体で8名ほどなので、社長だから経営だけをやる、という規模ではありません。自分自身も現場で動きながら仕事をしています。

その中で、日々の仕事を回すこと以外の「会社の仕組みをつくる」というところに、今回ようやく着手できたという感じですね。

「この人たちなら相談できそう」。一人で抱えていた経営の悩み

ーー協働日本とは、どのように出会ったのでしょうか。

大倉:
別府のB-biz LINKさんと、大分みらい信用金庫さんからご紹介いただいたのがきっかけです。

B-biz LINKさんは、別府を拠点に地域の事業者の事業づくりや新しい挑戦を支援されている組織で、以前から相談する機会がありました。

そのご縁で、協働日本代表の村松さんと、同じ別府で会社を経営しながら協働日本にも関わっている服部さんに、会社まで来ていただきました。

実際に話を聞いて、その場で「やってみよう」と思って、申込書を書きました。

ーー実際に話してみて、どんなところに惹かれたのでしょうか。

大倉:
当時、経営について一人で悩んでいる部分が結構あったんです。

私たちのような仕事をしている会社自体が少ないですし、同業者だからこそ相談しにくいこともあります。

でも、村松さんは食品メーカーで働いた経験があって、食品の現場を知っていた。話をしていて、こちらが抱えていることをかなり具体的に理解してもらえる感覚がありました。

私自身も横浜森永乳業の子会社や、大阪のオーブンメーカーで働いた経験がありますから、話が通じるところもありましたね。

「この人たちなら、自分が抱えていることを相談できそうだ」と思えた。それが大きかったです。

当初は「販売促進が8割」。進めるうちに、組織づくりの比重が高まった

ーー取り組みを始めた当初は、どんな課題を解決したいと考えていましたか。

大倉:
一番は、自社でつくっている製造機器をもっと売っていきたい、ということでした。

感覚としては、最初は販売促進が8割、受注管理や社内の仕組みづくりが2割くらいだったと思います。

それが進めていくうちに逆転して、後半は受注管理や社内の仕組みづくりの方に、より力を入れるようになりました。

ーー取り組みを進める中で、どんなことが見えてきたのでしょうか。

大倉:
商品をどう売るかを考えていくと、その前後の仕事も全部つながっていることが見えてきたんです。

お客様から引き合いをいただく。見積もりを出す。確認して、受注して、製造して、納品する。

そこがきちんと仕組みになっていなければ、せっかくいただいた案件を取りこぼしてしまうかもしれない。少人数で仕事をしているので、なおさらです。

「もっと売ろう」と言って販売促進だけを強くしても、受注した後に会社の中が回らなければ意味がないですよね。

社員のみんなとも話をしていく中で、「やりたい方向は分かるけれど、その前に社内を整えないと」という話が出てきました。

自分がやっていることも周りから十分見えていなかったので、まずは社内の情報を見えるようにして、誰が何をやっているのか、どこまで進んでいるのかを共有できるようにしようと。

製品をつくり続けられる状態をつくってから、しっかり販売を伸ばしていこうという順番に変わっていきました。

「自分自身がボトルネックだった」と気づいた

ーーご自身や会社の仕事の進め方について、どんな気づきがありましたか。

大倉:
一番大きかったのは、自分自身のどこがボトルネックになっているのかが分かったことですね。

それまでは、私自身がいろいろな情報を持っていたんです。

私に直接来る引き合いもありますし、部長に直接来る案件もある。それぞれが分かっていても、会社全体には十分に出せていませんでした。

受注や製造の状況もそうです。

自分では頭の中に入っていますし、スマートフォンのメモを見れば分かる。でも、社員からすると見えないですよね。

取り組みを進める中で、自分が情報を持ちすぎていること自体が、会社が次へ進むときのボトルネックになっているんだと気づきました。

ーーそこから、実際にどんなことに取り組んだのでしょうか。

大倉:
まずは、自分が持っている情報を会社のみんなと共有できるようにしようとしました。

案件や引き合い、見積もり、受注、担当、期限といった情報を、みんなが確認できる形にしていく。

今後はさらに、引き合いから受注、納品までの流れを整理して、AIも使いながら営業や情報共有を効率化していこうと考えています。

自分だけが分かっている状態から、会社のみんなが分かる状態にしていきたいですね。

普段は話せなかったことを、社員みんなでホワイトボードに出した

ーー社員の皆さんとは、どのような話し合いをされたのでしょうか。

大倉:
ホワイトボードを使って、今の会社の状況だったり、これから改善したいことだったりを、みんなで出していきました。

例えば、自社製造の機械を累計50台販売しようとしたときに、今の会社に何が足りないのか。

人材なのか、設備なのか、仕事のやり方なのか。

普段からそれぞれ思っていることはあっても、わざわざ時間を取ってみんなで話す機会はなかなかありませんでした。

それを一度、きちんとテーブルの上に出せたことは大きかったと思います。

ーー印象に残っている出来事はありますか。

大倉:
ちょうど、機械を納品したお客様から感謝のお手紙をいただいていたんです。

それも、みんなで読みました。

目標台数や売上だけを見ていると、「何台売る」「いくら売る」という話になりますよね。

でも、自分たちがつくった機械が実際にお客様のところで使われて、喜んでもらっている。

そういうこともみんなで共有することで、「何のためにこの仕事をしているのか」を改めて感じられたと思います。

朝のミーティングが復活。「思っているだけ」の改善が、動き始めた

ーーその後、日々の仕事の進め方にはどんな変化がありましたか。

大倉:
ワークショップをきっかけに、以前はやらなくなっていた朝のミーティングをもう一度始めました。

それまでは、私が持っている引き合いもあれば、部長が持っている引き合いもある。それが見えにくかったんです。

朝に話すようになって、「今こういう案件がある」「ここまで進んでいる」ということが分かるようになりました。

そうすると、「では、この仕事はこちらでやろう」と分担もしやすくなります。

ーー日々の改善という点では、何か変わりましたか。

大倉:
変わりましたね。

今までも、日々仕事をしながら「これは直した方がいいな」「いつかやらないといけないな」と思っていることはたくさんありました。

でも、日々の仕事に追われて、そのままになってしまう。

今は、それがちゃんと議題に上がるようになりました。

問題が見えれば、「では、いつまでにやろう」「どうやって解決しよう」とみんなで話せます。

自分一人が問題を抱えているのではなく、会社として課題を共有して、一緒に改善していく形になってきた。それはかなり大きな変化だと思います。

製造部門は2,400万円から3,600万円へ。問い合わせも2倍に

ーー取り組みを経て、数字として表れた成果について教えてください。

大倉:
一番分かりやすいのは、自社で機械をつくっている製造部門です。

1年間で売上が2,400万円から3,600万円になりました。1.5倍です。

これまで商社として他社の商品を販売する仕事も大きかったのですが、自社製品の売上が伸びれば、会社全体の利益率にも良い影響があります。

ですから、製造部門が実際に伸びてきたことには手応えを感じていますし、ここはこれからさらに伸ばしていきたいと思っています。

ーーお客様からの反応には、どんな変化がありましたか。

大倉:
ロータリーどら焼き機については、月の問い合わせが2倍になりました。

単に問い合わせ件数が増えただけではなく、「実際に機械をテストしてみたい」というお客様からのご相談も増えています。

受注率も約3割改善しました。

もともとメーカー側としては、「性能が良い」「価格が安い」といったところに目が向きがちだったんです。

でも、お客様が本当に知りたいのは、それだけではありません。

「洗浄はどうするのか」「操作は難しくないのか」「今のお店の味を再現できるのか」「導入した後に困らないか」といった不安があります。

そうした情報をWebなどで事前に伝えるようにしたことで、こちらのことをしっかり理解した上で問い合わせてくださる、検討度の高いお客様が増えたと感じています。

ーー数字が伸びていく中で、新しく見えてきたことはありましたか。

大倉:
ありました。

問い合わせが増えた一方で、納期が間に合わなくて受注できなかった案件もあったんです。

これは悔しいですけれど、一方ではすごく分かりやすい課題ですよね。

商品を知ってもらって、問い合わせが来るところまでは進んだ。でも、その先で、きちんと製造して届けられる体制が必要になった。

だからこそ、最初は販売促進から始まった取り組みが、受注管理や情報共有、組織づくりへと広がっていったんだと思います。

売る仕組みと、売れた後にきちんと回せる仕組み。その両方が必要だということを、実際の数字からも感じています。

ーー製造以外の仕事には、どんな変化がありますか。

大倉:
商社部門は、売上そのものが大きく伸びたというわけではありません。

ただ、商社の仕事は、引き合いをいただいてから早く見積もりをつくり、次へ進めることが大事です。

そこを効率化することで、一つひとつの案件を以前よりスムーズに進められるようになってきました。

メンテナンスも同じです。機械が止まったお客様には、できるだけ早く駆けつけなければいけません。

毎日の動き方をどうすれば無駄なくできるかを考えることで、より多くの案件に対応できるようになってきました。

製造部門の売上という分かりやすい成果だけでなく、会社全体で「どうすれば少人数でもきちんと仕事を回せるか」を考えるようになったことも、大きな変化だと思っています。

「楽どら」。良い機械を、伝わる商品へ

ーー販売促進では、具体的にどんなことに取り組んだのでしょうか。

大倉:
その一つが、ロータリーどら焼き機のネーミングです。

いろいろな候補を考えました。私が案を出して、協働プロの相川さんや加藤さんにも見てもらいながら検討していきました。

その中で、「楽にどら焼きを焼ける」という商品の特徴が伝わる名前として、「楽どら」がいいのではないかということになりました。

今は、商標として使えるかどうかも含めて、知的財産の専門家の方と確認を進めているところです。

ーー商品に名前を付けることについて、どのように考えていますか。

大倉:
まだこれから定着させていく段階ですが、名前があることは大事だと思っています。

単に「どら焼き機」と呼ぶだけではなくて、「楽どら」と呼べる。

ニックネームがあることで、お客様にも覚えてもらいやすいですし、こちらも商品の特徴や価値を伝えやすくなると思っています。

機械として良いものをつくるだけではなくて、「どういう商品なのか」をきちんと伝えることにも、これからもっと力を入れていきたいですね。

ーー商品の魅力を伝えるという点では、ほかにどんなことを見直しましたか。

大倉:
LPやパンフレットですね。

LP自体は、もともと地元のホームページ会社さんにつくっていただいていました。

そこからさらに、「お客様は何を知りたいのか」を考えるようになりました。

価格や製造能力だけではなくて、洗浄はどうするのか、操作は難しくないのか、今のお店の味を再現できるのか。

メーカー側が伝えたい情報だけではなく、お客様が不安に思うことを先に伝える。

そこは今回、かなり意識が変わったところですね。

「別府から日本全国・世界へ」。メーカーとして挑む“第二創業”

ーー会社のこれからについては、どんな方向を目指していきたいと考えるようになりましたか。

大倉:
別府から、日本全国、そして世界へ届けていきたいという思いがあります。

別府は温泉や観光のイメージが強い町ですよね。製造業のイメージはあまりないと思います。

だからこそ、別府から自分たちがつくった機械を、日本全国、そして世界へ届けていきたいと思っています。

今回みんなで会社の未来を考えたことで、その目標を改めて共有できたことも大きかったです。

ーー自社でつくる製品や、メーカーとしての立ち位置については、今後どのようにしていきたいですか。

大倉:
「OKURA MADE」というブランドを、これからもっと広げていきたいと思っています。

これまでは、他社の商品を扱う商社としての仕事も大きかった。

もちろんそこも大切ですが、これからは自社で製品をつくるメーカーとしての立ち位置をもっと強くしていきたいんです。

「大倉菓機がつくった機械」として、自分たちのものづくりを外へ届けていく。

会社としても、今は“第二創業”のような時期だと思っています。

ーー別府という場所だからこそ、どんな価値をつくっていきたいですか。

大倉:
東京や大阪とは違って、お客様にはわざわざ別府まで来ていただくことになります。

だからこそ、来てもらったら内容の濃い時間にしたいと思っています。

自社にはテストルームがありますから、実際にお客様の生地を持ってきてもらって、機械を試していただくこともできます。

「わざわざ別府まで来てよかった」と思ってもらえる場所にしていきたいですね。

専門性だけではない。会社の中に入り、ともに考えてくれた協働プロ

ーー今回、相川さんと加藤奏さんのお二人と一緒にプロジェクトを進めました。相川さんとの取り組みで、印象に残っていることを教えてください。

大倉:
相川さんは、人情味のある人ですね。

こちらの気持ちをすごく汲んでくれる方です。

会社に来てもらったときに、急きょ別の仕事が入ったことがあったんですが、その仕事まで一緒に手伝ってくれたんですよ。

外から来て「こうした方がいい」と言うだけではなくて、実際に会社の中に入って、うちの雰囲気を見ながらアドバイスしてくれる。

一緒にやっていて、とてもやりやすかったですね。

ーー加藤さんとの取り組みでは、どんなところが印象に残っていますか。

大倉:
加藤さんはSEとして、やはり専門性を持っている方ですね。

相川さんと一緒にプロジェクトを進めながら、それまでの話や議事録もしっかり整理してくれました。

何を話して、どこまで進んで、次に何をするのか。

そういうことを整理して、次につなげてくれたのはとても助かりました。

ーー外部のプロ人材と一緒に取り組んでみて、どのように感じましたか。

大倉:
もともと外部のプロ人材と一緒に仕事をすることには、薄々興味がありました。

ただ、実際にどう進めればいいのかまでは分かっていなくて、なかなか動き出せていなかったですね。

今回やってみて感じたのは、「やっぱりプロ集団だな」ということです。

専門的な知識があるだけではなくて、こちらの状況を見ながら一緒に進んでくれる。

身近な飲食店さんなどにも、「こういう取り組みがありますよ」と紹介したいと思うようになりました。

社長一人で回す会社から、みんなで考える会社へ

ーー7か月の取り組みを振り返って、一番大きな変化は何だったと思いますか。

大倉:
会社のみんなで、先のことを話せるようになったことですね。

以前も「これを改善しないと」「こうした方がいい」と自分の中では思っていました。

でも、日々の仕事がありますから、なかなか手をつけられない。

今回、自分がボトルネックになっているところも分かって、それを社員のみんなに共有できました。

そこから朝のミーティングが始まって、案件を共有するようになって、改善点もみんなで話せるようになった。

自分一人で会社を回すのではなく、会社のみんなで解決していこうという方向に少しずつ変わってきたと思います。

ーーこの先、どんな大倉菓機をつくっていきたいですか。

大倉:
まずは、自分たちの機械をもっと全国へ届けたいです。

そして、そのために会社の仕組みをもっと強くしていく。

これからはAIも使いながら、営業や受注から納品までの情報共有をさらに効率化していきたいと思っています。

自社製品が増えて、利益率も上がって、その利益を社員にもきちんと還元できる。

そういう会社にしていきたいですね。

「OKURA MADE」を、別府から全国へ、そしてその先へ。

メーカーとして、次の大倉菓機をみんなでつくっていきたいと思っています。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

大倉:
これから、協働日本さんの取り組みはもっと各地域に広がっていくと思っています。

オンラインでつながるだけではなくて、実際に地域に入って、街のイベントやお祭りなども含めて、人と人が集まる場所をつくっていく。

地域のいろいろな人が集まって、新しいことが始まるようなプラットフォームになっていくんじゃないかなと思っています。

そういう存在になっていってほしいですね。

ーー大倉さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

大倉:
ありがとうございました。


大倉 崇史/Takafumi Okura

有限会社大倉菓機 代表取締役

大分県別府市の有限会社大倉菓機 5代目代表取締役。横浜森永乳業の子会社や大阪のオーブンメーカーでの勤務を経て家業に入り、現在は技術営業やメンテナンスにも携わりながら、自社製品の拡大と組織づくりを進めている。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい – | KYODO NIPPON
https://kyodonippon.work/post-2726/


VOICE:宮嵜 慎太郎 氏 -大切にしたいのは“現場感”。協働の形だからこそ、地域の面白さと経済活性が加速する-

協働日本で活躍するプロフェッショナルたちに、事業への想いや仕事の原動力を伺うインタビュー企画「VOICE」。

今回は、事業開発支援のプロとして地域企業の伴走支援に取り組む宮嵜慎太郎さんにお話を伺いました。
鉄道会社でのベンチャー事業経営やスタートアップとの連携をはじめ、地域活性化や中小企業支援など多岐にわたるキャリアを持つ宮嵜さん。父親支援のNPO活動にも積極的に参加されており、地域、組織、そして人に向き合い続けてきました。現在は協働日本の協働プロとして、より本質的な地域活性に取り組んでいます。

支援先での変化やご自身の価値観の変遷、そしてこれからの展望について伺いました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)


地域経済の本質的な活性へ。新しいアプローチとの出会い

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、現在のお仕事やこれまでのご経歴について教えてください。

宮嵜慎太郎氏(以下、宮嵜):はい、よろしくお願いいたします。

現在、鉄道会社のベンチャーキャピタル部門で、スタートアップとの連携や新規事業の立ち上げ・経営を担当しています。社外では、父親支援をテーマにしたNPOでも活動しており、講演やイベントの企画、行政委員なども務めています。これまで経営企画や人事、病院事業経営など幅広い業務に携わってきました。

ーー幅広いご経験をお持ちですね。そんな宮嵜さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについても教えていただけますか?

宮嵜:ある海外ファンドの会合で、協働日本CSOの藤村昌平さんにお会いしたのが最初のきっかけです。

私が勤める鉄道会社にとっても、地域経済の活性化は鉄道利用促進に直結する重要なテーマ。個人としても長らく関心を持っていました。

しかし、地方創生という文脈では、どうしてもボランティア的な色が強くなりがちで、ビジネスとしての持続性に欠けるケースも少なくありません。本質的な地域経済の活性化に繋がりにくいという課題感を抱いていたところ、藤村さんとお話しする中で、協働日本は地域に根差しながらもビジネスとしてしっかりと機能する活動を展開しており、その点に非常に興味を持ちました。

協働日本のことをさらに詳しく知りたいと思い、代表の村松さんをご紹介いただきました。村松さんのお話から伝わってきた熱い想いや、事業に対する理念に強く共感し、その場で二つ返事で「ぜひ共に活動したい」と、協働プロとしての参画を決めました。

社員が主役になっていく。現場インサイトと戦略の掛け合わせが組織を強くする


ーーこれまでどのような協働プロジェクトに携わられたのでしょうか?

宮嵜:これまでに鹿児島県内の2社、株式会社イズミダさんと株式会社ワカマツ自動車さんのプロジェクトに関わりました。いずれも私のこれまでの事業運営や組織マネジメントの経験を活かし、顧客視点に立った事業開発や組織開発に取り組みました。

ーーそれぞれ、どのようなプロジェクトだったのですか?

宮嵜:イズミダさんでは、「新しい魚屋の形をつくる」というテーマのもと、鮮魚店に併設された食堂「出水田食堂」のプロジェクトに携わりました。鮮魚店未経験の2名のスタッフによるSNSでのプロモーションや店舗運営を中心に、伴走支援を行いました。

私にとっては初めての協働プロジェクトでしたが、最も驚いたのは協働日本の支援スタイルです。プロジェクト開始直後にまず取り組んだのは、会社の価値や課題、社員自身のキャリアを見つめ直すためのワークショップでした。本業でもコンサルティング会社と関わることはありますが、私の中にあった「コンサルティングの進め方」のイメージとはまったく異なる手法で、とても新鮮でした。

そして実際に伴走を進めていく中で、最初は口数が少なかった社員の方々が、自分の想いや考えを徐々に言葉にし、事業を動かしていくようになっていった。まさに“主役になっていく”という感覚でした。今振り返ると、最初の段階で社員の方々の想いを丁寧に言語化したことが、その後の行動の原動力になっていたのだと感じます。

継続的なビジネスに育てていくためには、社員が自分の意志と想いをもって行動する主役になることが、とても重要なのだと改めて実感しました。

ーー“社員が主役になっていく”という言葉、とても印象的です。ワカマツ自動車さんでの取り組みはいかがでしたか?

宮嵜:ワカマツ自動車さんでは、マーケティング戦略とブランディング戦略の策定を支援しました。ここでも、「私たちはどんな会社でありたいのか」「自社の強みとは何か?」といった問いを出発点に、内外の環境分析や顧客との接点形成の検討を進めました。

プロマネとして入られていた富田慎司さんが専門的な論点に問いを立て、私は社員の皆さんから意見やアイデアを引き出す役割で進めていました。やがて、社員の皆さんが提出する課題(宿題)のクオリティも打率も向上し、期待を超えるアウトプットが生まれるようになっていきました。

社員の変化を見て、社長も「皆が考えたように進めていいよ」と、現場に大きな裁量を委ねてくださいました。

協働プロジェクトは、まず経営者や代表者とのキックオフから始まることが多いですが、徐々に社員が主体的に動き出し、最終的にはプロジェクトの中心に立っていく。その変化を目の当たりにできることは、この活動の大きなやりがいです。

AI時代だからこそ、問い・選択・体験が人間の役割に

ーー社員の方々の変化が、プロジェクト全体に良い影響を及ぼしたのですね。ご自身にも何か変化はありましたか?

宮嵜:そうですね。大きな変化がありました。特に実感しているのは、AI時代において人間に求められる役割が明確になったということです。

私はもともと仮説検証やデータ分析が得意で、戦略的に物事を進めるのが好きなタイプでした。しかし今では、データ分析やアイデア出しといった作業は、AIがいくらでも代替してくれる時代です。

一方で、「問いを立てること」「選択すること」「実行して体験すること」は、人間にしかできません。私はそれを「問い=願い」「選択=覚悟」「実行=体験」と捉えています。問いは、AIに指示を出すプロンプト(指示文)となるものであり、そこに人間の願いが宿ります。そして、出てきた多数のアイデアの中から何を選ぶかには覚悟が必要です。最後に、それを実行して体験に変えていくのは人間の役割です。

これはまさに、協働プロジェクトの中で私たちが行っていることと同じだと感じています。


地域の多様性と文化を活かし、「面白い日本」をつくる

ーー今後、協働日本で実現していきたいことはありますか?

宮嵜:日本全体が人口減少や市場縮小に向かう中で、地域の多様性や文化資産を活かす地方創生は非常に重要です。都市の均質化ではなく、「地方だからこそ面白い」という世界観を広げていきたいと思っています。

たとえばコロナ禍においても、鹿児島では経済の落ち込みが比較的抑えられていました。食を中心とした域内経済が活発であったことが大きな要因であり、それは地域独自の文化や資産が根付いているからこそだと思います。

昨年には、鹿児島の焼酎や日本酒といった伝統的な酒造文化が世界遺産に登録されました。これは、グローバル化やデジタル化が進む現代において、地域独自の価値が逆に際立つことを象徴している出来事だと感じます。

だからこそ、地域で生き生きと活動する主役たちを支え、面白く多様な日本をつくる。その延長線上に、世界を面白くしていく未来があると思っています。


ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

宮嵜:はい。協働日本には、実践者だからこそ提供できる価値があります。現場で泥臭く伴走し、経営者や社員と共に悩み、笑い、変化を生む。そうしたリアルな手応えのある支援が、この時代にこそ必要とされていると感じます。

また、地方の活性化は、国の戦略としてもますます重要になっていくはずです。だからこそ、もっと多くの地域で活動を広げていけるようにしていきたい。そのためにも、自身のスキルを高め続けながら、協働日本に関わる仲間がもっと増えてほしいと思っています。

ぜひ皆さんも一緒に、日本をもっと面白くしていきましょう。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

宮嵜:ありがとうございました!

宮嵜 慎太郎 / Shintaro Miyazaki

JR西日本イノベーションズ
イノベーションイニシアティブ室長

神戸大学経営学部卒業後、2005年にJR西日本へ入社。
鉄道や医療事業の経営企画、医療法人設立などを経てグループのベンチャーキャピタルに出向し、
不動産事業等を社内起業・経営。
そのほか、父親支援のNPO法人理事、行政の審議会委員などを兼任し、現在は男性管理職として
1年間育休中(出向会社では初)。神戸大学MBA、保育士。

協働日本事業については こちら

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NEWS:セミナー開催のお知らせ「石川県 中小企業経営変革サミット」(2025年3月4日開催)

セミナー開催のお知らせ 令和6年度 「石川県 中小企業経営変革サミット」

この度、石川県・ILAC主催のもと、石川県内の中小企業経営者を対象に、経営変革を支える人材活用のノウハウを共有するセミナー「中小企業経営変革サミット」を下記の通り開催いたします。

柔軟な人材戦略を通じて新たな価値を創造し、次の成長を目指すための機会をご提供いたします。ご関心のある、石川県内の中小企業経営者はぜひご参加ください。

お申し込みはこちらから

主催:石川県・ILAC
運営:株式会社協働日本


【日時】
2025年3月4日(火) 16:00~18:30

【会場】
金沢 未来のまち創造館
(石川県金沢市野町3丁目11-1)

【対象】
石川県内の中小企業経営者


【プログラム】
■ 第一部 基調講演
  - 山岸製作所/ぶどうの木各社より講演

■ 第二部 成果発表会
  - 今年度協働日本支援企業による成果発表ピッチ(石川メッキ工業株式会社・株式会社越山商店・株式会社白山)
  - 登壇者を交えたパネルディスカッション

■ 第三部 交流タイム
  - 登壇者と参加者との意見交換

────────────────────────────

【基調講演 登壇者】

・山岸 晋作(株式会社山岸製作所 代表取締役社長)
・折坂 啓介(株式会社ぶどうの木 食品事業部 事業部長)
・加藤 高聖(株式会社ぶどうの木 品質保証部 部長)

セミナー参加条件

複業・副業人材との協働に関心のある石川県内の企業様
※参加費は無料です

セミナー開催にあたって

石川県内の中小企業経営者を対象に、経営変革を支える人材活用を学ぶセミナーを開催します。成功事例を共有し、プロ人材(副業・外部人材)の活用法を具体的に紹介します。成果発表会では進行中のプロジェクト成果も共有し、外部人材活用の第一歩を支援します。柔軟な人材戦略で新たな成長を目指すためのヒントをご提供いたします。

お申し込み方法

申し込みフォームに情報を記入してください。

後日スタッフから案内メールをお送りします。記載内容をご確認の上、当日ご参加をお願いします。

皆様のご参加を心よりお待ちしております。


セミナー案内

お申し込みはこちらから

お問い合わせ・連絡先
ippo@kyodonippon.work

VOICE:四元 亮平 氏 -想いを持つ方を支える「名脇役」として。マーケティングを通じた地域企業の価値の再発掘と成長を目指す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でブランディング・マーケティング支援のプロとして地域企業の伴走支援を行う四元亮平氏のインタビューをお届けします。

四元氏は、リアル店舗を活用したマーケティング支援の専門家として、これまで様々な企業の成長を支えてきました。協働日本への参画を通じて、地域企業の課題解決に取り組みながら、新たな価値創造に挑戦しています。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の成長、そして今後の展望について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自然と”商売”に触れていた幼少期の環境。経験を活かして地域企業のポテンシャルを引き出す支援をしたい

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、四元さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

四元 亮平氏(以下、四元):はい、よろしくお願いいたします。現在、私はPLAY Inc.の代表として、小売業界を中心にブランディングやマーケティング戦略の支援を行っています。PLAYは「心が豊かになる買い物体験の創出」をビジョンに、小売業界で店舗開発からセールスにDXまでのワンストップ支援に取り組んでいます。

ーー小売を中心としたご支援ということですが、これまでのキャリアでも小売業に携わられる機会が多かったのでしょうか?

四元:そうですね、10歳で中古のゲームソフトを販売することを通じて商売の面白さに気付き、21歳からポールスミスで販売職を8年、30歳で独立し企画製造業と店舗代行業を8年展開して今に至っています。

ーー幼少期のそういった体験が四元さんの今のキャリアの原点になっているのですね。

四元:地元神戸の三宮で、親戚が露天商を営んでいました。週末や長期休みになるとゲームソフトの中古カセットを仕入れてワゴンに積み、スペースを借りて大人を相手に販売するという経験をさせてもらっていました。

そういった環境があったので、自然と商売の世界に触れるようになり、今に至るまで小売業に関わっています。

ーーありがとうございます。続いて、四元さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

四元:もともとアパレル業界や自動車業界のクライアントを多く支援していたのですが、2〜3年前からローカル企業の可能性に魅力を感じるようになりました。特に、地方の企業が持つ独自の価値や文化に興味を持ち、それらを引き出すことで市場を広げられるのではないかと考えたんです。そこで、そういった活動をやってみたいという発信や、情報収集をするようになっていました。

そんな折、知人を通じて協働日本を紹介してもらったのがきっかけです。面白い取り組みをしている会社があるということで興味が湧き、私自身も地域企業の支援をしていきたいと思っていたところだったので、代表の村松さんと実際にお会いしてお話しを伺い、ビジョンに共感し、プロジェクトに参画することを決めました。

価値を再認識したことで気付いた新たなニーズと、事業を成長させる道筋

ーー四元さんが参画されたプロジェクトの内容について、詳しくお聞きしたいと思います。

四元:現在は、鹿児島県内の2事業者様の伴走支援を行っています。その中の1社である株式会社第一塗料商会さんにはプロジェクトマネジメントの役割で参画しています。

第一塗料商会さんは、これまで自動車塗料、建築用塗料、工業用塗料をはじめとするBtoBを中心に事業を展開する塗料の会社です。新たにBtoC市場に進出し、より多くの一般消費者にサービスを提供したいという課題を持たれていました。今回の協働プロジェクトでも、この課題をテーマにして、戦略策定を支援しています。

ーー具体的にはどのようなプロジェクトの進め方をされたのでしょうか?

四元:最初に取り掛かったのは、事業のビジョンやターゲット層の定義を行い、toC向けに展開しているブランド「塗屋本舗」の価値を明確にすることでした。これまでの「塗屋本舗」の顧客データを整理していくと、誰がどんなものを求めているのか?塗ってほしい商品やニーズもバラバラで、ターゲットが定まっていないことが明らかになってきたので、依頼が入るごとにヒアリングをしてニーズを明確にしていくという取り組みを進めました。

そこからわかってきたのは、「塗装をしてほしい」というニーズには大きく2種類、「古くなったものを綺麗にして使い続けたい」というマイナスを戻す価値と、「今あるものを塗り替えてさらに良いものにしたい」という、プラスを生む価値がそれぞれ見出されていることでした。

ニーズの掘り下げをしていく中で特に意外だったのは、「推し活」のお客様が一定数いらっしゃったことです。ペンライトを塗りたいという依頼や、推しの色とぴったりの色がない!という方が多くいらっしゃったんです。

これまでは漠然と30〜40代以降の年齢層をターゲットにしていた塗屋本舗でしたが、20代にも“気軽に塗装を楽しむ”体験を提供できるとわかったことも大きかったと思います。

ーーなるほど。徐々に塗屋本舗の価値やターゲットが言語化できていったのがわかります。

四元:そうですね。見えてきた顧客像やニーズに合わせて、この2軸のコンテンツをアップグレードしながら継続的に発信していくため、SNSによるプロモーション戦略も開始しました。特に「古くなったものを綺麗にして使い続けたい」というニーズは、第一塗料商会さんの強みである「色を通じたライフスタイル提案」との相性もよく、単なる塗装から「長く使い続けるための塗装サービス」というコンセプトを再構築しました。

小学生の頃使っていた勉強机をリペイントして、大人になっても使い続けられるというイメージビデオを作成、ライフスタイルに合わせて塗り直すことで、物がアップグレードされても、思い出や記憶は残り続けるというサステナブルな価値も伝わるようになっています。

このように、顧客戦略を明確化した上で、顧客ターゲットに合わせたフォロワー獲得施策を展開し、ブランド認知を強化。CRM導入の検討と、継続的な顧客接点の構築をサポートしていきました。

ーーありがとうございます。伴走支援を通じて特に感じられたプロジェクトの成果や変化についても教えていただけますか?

四元:先日の鹿児島新産業創出ネットワーク事業 最終報告会2025でもお伝えしたところではありますが、7か月の短期間でも、新規顧客の獲得や大きな請負工事に繋がるなど、大きな成果が生まれてきています。

その中でもやはりプロジェクトを通じて誰がこの価値を欲しがっているのか?ということが明確になり、第一塗料商会の皆さんにとっても自分達の価値の再認識ができた部分が最も大きな成果ではないかと感じます。

SNSなどオンラインで間口を広げて新規顧客を獲得していきましたが、次は来てくれたお客様にどのように継続してアプローチしていくか?という課題も議論できるようになりました。当初は新しいお客様をどんどん取っていこうという意識が強かったのですが、やはり小物の塗装だけで事業規模を拡大していくのは難しいです。

そこで、「一度塗ってもらった後」のお客様が、家の外壁塗装など本当に困った時の第一想起、信頼を獲得していくことを次の目標に置くようになりました。

ーー確かに、家の外壁塗装はどのタイミングで誰に相談すれば良いのかあまりイメージできない分野ですよね。

四元:そうなんです。実は、外壁塗装では訪問販売が多く、「そろそろ外壁を塗り直した方がいいですよ」という営業を受けて、即決で決めてくださる方もいらっしゃるんだそうです。第一塗料商会さんとしても、自社で受ければ同じ価格でもっと良いものができると感じていたそうで、推し活などをきっかけにできた若いお客様とのリレーションを継続して築くことで、口コミや紹介でアップセル・クロスセルを狙っていければと思っています。

今回のこの成果がでたことについても、私は枠組みを作っただけだと思っているんです。一緒にチームを組んでいた協働プロの和地大地さんや、協働サポーターの田中友惟さんが、その枠組みをしっかり掘り下げながら動き方を丁寧にサポートしてくれて、何より第一塗料商会さんが、新しい取り組みや考え方にアレルギー反応を出さず進めてくれたことによる変化と成果です。

わからないなりにも、自分達でやろう、と取り組んでくださったことが嬉しく、それを協働プロが引っ張っていってくれた、そんな良いプロジェクトだったと思います。7ヶ月間の伴走支援を経て次に取り組みたいことも見えてきたので、ここからさらに1年間プロジェクトを継続していくことになっています。

地域企業が持つ本来の強みを引き出し、成長させる、そんな名脇役でありたい

ーー協働の中で四元さんご自身の変化を感じることはありますか?

四元:今回のプロジェクトを通じて、より現場目線でのブランディングやマーケティングの重要性を再認識しました。今までの私自身のスタイルは、新しいことに取り組む前に今まで企業がやってきたことを見直すということに重点を当てていたんです。
今の状態がある=ここまで成長してきたことには価値がある、ということなので、この価値の再構築をするスタイルでした。今回も同じようなやり方ではありましたが、「鹿児島」という地域で協働を始めたことで、地域に根付いた文化や、そこで生活する人々の価値観をより強く意識するようになりました。

ーーなるほど。地域文化の重要性について、ぜひ具体的なエピソードを教えてください。

四元:鹿児島での伴走支援の中で、地域の方達とのコミュニケーション機会がたくさんありました。例えば、第一塗料商会さんのSNSプロモーションでは、地域で食レポをされているインフルエンサーの方を起用したのですが、やはり地域密着のインフルエンサーの方が地域のお客さまの理解度が高いんです。実際に塗装を依頼しに来られる方も地元の方が多いので、顧客の理解度も高く、解像度の高い戦略を立てやすい。一言でインフルエンサーの起用と言っても、影響力がある人を探すだけでなく、地元の人に愛され、応援され、文化への理解度が高い、地域愛のある人と組むと成功しやすいだろうという気づきがありました。

また、「地域で愛されるブランド」という視点も新たに学んだものの1つです。例えば、鹿児島の焼酎文化では、「全国での知名度や販売数」よりも、「地域でどれだけ親しまれ、日常酒として根付くか」が重要視されるという話を聞き、地元市場への深い理解も、ブランドの成長に不可欠だと実感したことがありました。

また、こうやって伴走支援を通じて、いろんな企業の事業、いろんな人の人生に関わり、これまでの自分の人生だけでは知らなかったことを知れる機会ができるということもとても面白く感じています。横についてるからこそ見える、知れることがある、追体験ができる。この経験自体も本当に楽しいですね。

ーーありがとうございます。四元さんはこれから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

四元:地域企業が持つ本来の強みを引き出し、マーケティングを通じて成長させることを目指したいです。
第一塗料商会さんの事例では、「塗装を通じた新たな価値創造」というコンセプトを打ち出し、マーケティング施策によって認知度を向上させました。また、企業が「ブランディングとは何か」を理解し、継続的に実践できる体制づくりも進めています。

「良いもの」は世の中にたくさんあるんです。埋もれてしまっている「良いもの」を多くの人に知ってほしいですし、自分自身がそういったものを発掘していく面白さを感じています。この“良いもの”を生み出す人や、「これを広めたい」と強い想いを持つ方々を支える“名脇役”でありたいです。主役ではないけれども、いなければ物足りない存在───そんな関わり方で地域企業が持つ本来の強みを引き出し、成長させることが私のミッションです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

四元:協働日本の「専門家がチームで伴走支援する」というスタイルは、地域企業にとって非常に有益な仕組みだと思います。
また、協働プロにとっても大きな成長の場になると考えています。例えば私自身は過去に大企業で働いた経験はありませんでしたが、協働プロジェクトでチームを組んでいる協働プロの中には、大手企業で活躍される方もたくさんいらっしゃいます。同じテーマについて、同じマーケティングという角度で物を考えても、大手でしかできない事業構想や物の見方があってとても面白いですし、勉強になっています。
日本中にこのモデルを広げ、多くの地域企業が協働を経験することで、地方発の新たなビジネスモデルが次々と生まれることを期待しています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

四元:ありがとうございました!

四元 亮平 / Ryohei Yotsumoto

マーケに強いToCセールス戦略コンサルタント。

UGG、BURTON、Leeなど現在まで数多くのブランド支援の実績を持ち、アパレル業界だけでなくBMW japanやTOYOPETなど他業界でも「マーケで強くするセールス戦略」を提供しながら、企業やブランドの売上を向上させる重要な「ヒト.モノ.ウツワ」の価値を最大化し、売上向上と同時に顧客の心が豊かになる買い物体験の提供を支援する。

また有力商業施設でのスタッフ研修や、ビッグサイトで開催されるアパレル最大級の展示会「FaW TOKYO」でのセミナー登壇、メディアでの執筆や文化服装学院の非常勤講師も務める。

2020/9にデジタルセールス入門書「スマホ1つで最高の売上をつくる接客術」をKADOKAWAから出版。webメディア「Eczine」アパレル業界誌「ファッション販売」など連載実績も多数。

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-VOICE:富田 慎司氏 -複業人材と地域企業の「協働」を起爆剤として、世界に挑戦する日本企業を増やしたい-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。今回は、協働日本でマーケティングのプロとして地域企業の伴走支援を行う富田 慎司氏のインタビューをお届けします。

これまで、外資系の消費材メーカー、日系の飲料メーカーでそれぞれ活躍し、主力ブランドのマーケティング戦略を担ってきた富田氏。通っているMBAの授業や自身の体験をきっかけに、これから先も日本の企業が世界に伍し続けていくため、その事業の成長を自ら支援していきたいという想いを抱いたことが、協働日本に参画したきっかけと話す富田氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

マーケティングの力で、世界でもっと勝負できる日本企業を増やしていきたい。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、富田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

富田 慎司氏(以下、富田):よろしくお願いいたします。大学卒業後、外資系消費財メーカーでキャリアをスタートし、現在は日系の飲料メーカーでブランドマーケティングに携わっています。

ブランド戦略からマーケティングコミュニケーション開発、ブランド財務管理など、ブランドマーケティング業務の全てを担っています。

ーーずっとブランドマーケティングに携わっているのですね。学生時代からご興味がおありだったのでしょうか?

富田:そうですね、ブランドというよりはマーケティングに興味があったんです。

私は、オーケストラやオペラが好きなんですが、その趣味を通じて「アートマネジメント」という概念に出会ったんです。芸術文化を広げ、利益を上げていくことに大きな課題を抱えているケースが多いんです。でも、そういった芸術団体も自分たちで稼ぐ力をつけないと、政府や公共団体に頼ってばっかりじゃダメだということも同時に言われていて。

そんな、芸術できちんと稼ぐ「アートマネジメント」の存在と、その一つの手法として「アートマーケティング」という考え方があることを知ったんです。「オーケストラも、チケットをどう売っていくのかを考える時代なんだ」とびっくりしたんです。

それがきっかけで、自分の好きなものを人に届けて、好きになってもらう、幸せになってもらう仕組み作りって、面白そうだな、ワクワクするな、と思ったのが始まりですね。

ーー外資系企業から日系企業へ転職されていますが、何か転機があったのですか?

富田:はい。現在MBAに通っているのですが、授業の中である教授が「日本企業の競争力は海外に比べて著しく低下している」と話していたんです。

株価の低迷や、グローバル市場でのシェア減少なども事実としてあります。最近では海外からの移住者や労働者も増えていますが、それによって日本の良い文化が薄れていってしまっているのではないかと懸念も持っていて、「日本企業にもっと頑張ってほしいな」と思うようになっていきました。

実際に外資系企業でずっとマーケティングに携わってきた中で、日本企業の多くはマーケティングに課題があると思うことも多かったんです。USJを立て直した森岡毅さんも「マーケティングで日本の企業を強くしていく」とおっしゃっており、マーケティングにより日本企業のポテンシャルをもっと引き出せるのではないかという肌感もあったので、自身の強みであるマーケティングの力を日本企業に還元していきたいと思ったことが転職の背景にあります。

ーー続いて、富田さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについても教えていただけますか?

富田:今お話しした通り、「マーケティングの力で、日本企業を世界に伍する企業に成長させていくお手伝いがしたい」と、日本企業の未来について真剣に考えるようになっていたところ、協働日本代表の村松さんが、中小企業に伴走できるマーケティング人材を探していると、共通の知人から紹介を受けたんです。

最初はオンラインでのミーティングで、協働日本代表の村松さんとCSOの藤村さんとお話しさせていただいたんですが、大企業での豊富な経験を持つお二人が、目を輝かせながら中小企業支援についてお話しされていることがとても印象的で。こんなに夢中になれる仕事ってあるんだ、面白そうだなと感じたのが第一印象でしたね。

日本企業の成長を支援したいと考えた時に、日本企業の99.7%は中小企業なわけです。でも、じゃあ私が地方の中小企業に転職するのか?と言われれば、それはやっぱり容易ではないですよね。

なので、そういうところに伴走支援という形で入っていくビジネススキームも面白いなと感じましたし、自分のマーケティングスキルでどれだけ中小企業のお役に立てるのか、武者修行じゃないですけど知りたいなと思うところもあって、参画を決めました。

プロジェクトが徐々に自分事になる。その閾値を超えた瞬間、チームが動き出す。

ーー続いて、富田さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

富田:これまで、鹿児島県の企業、株式会社オキスさんとワカマツ自動車さんのプロジェクトマネジメント、株式会社栄電社さんのプロジェクトに協働プロとして伴走に入らせていただいています。最近は石川県の企業のプロジェクトもキックオフしたところです。

ーーそれぞれのプロジェクトについて詳しく教えていただけますか?

富田:はい。まず1社目の株式会社オキスさんは、農産物の生産、加工、販売、物流等を一貫した商品として提案流通を行っている農事組合法人です。「ベジブロスムージー」という健康食品事業の立ち上げのプロジェクトを支援していて、もう2年になりますね。

もともと「ベジブロスムージー」の構想はあったのですが、製品開発や販売戦略など具体的なプロジェクトはスタートしていない段階だったので、伴走支援に入らせていただくことになりました。

初年度はアイディアのブラッシュアップからスタートし、商品開発やブランディングも行いました。
実際に消費者インタビューを実施してターゲット層のニーズを掘り下げたり、ニーズに合わせたパッケージデザインを作るために複数のクリエイティブブティックにデザインブリーフを作っていただいて比較検討したりと、本当にいわゆる「マーケティング体験」と「事業開発」を一通り実践した形ですね。

今年度は完成した製品をどのように販売していくか、マーケティングのコミュニケーションアセットを作って、どこでどうやって展開していくのかなど、マーケティング戦略の具体化に注力しているところです。ここまでやっている中小企業は多くはないんじゃないかなと思えるほど本格的なブランド戦略を描いています。

ーー本格的な販売フェーズに入っているのですね。楽しみです。次にワカマツ自動車さんはいかがですか?

富田:ワカマツ自動車さんは今年度からの新しいプロジェクトで、現在進行中です。

マーケティング戦略とブランディング戦略の策定に取り組んでおり、まずは「自分たちはどのような会社になりたいのか」「強みは何か?」を考えることからスタートしました。内外環境の分析も同時に始めたのですが、外部環境に関してはリサーチを行いながら、自分たちがどういうサービス設計をするのか、マーケティングとしてはどこをタッチポイントとして顧客とコミュニケーションをしていくのかということを検討しています。

ーー伴走支援を通じて、協働先にはどのような成果や変化が見られましたか?

富田:特に印象的だったのは、オキスさんでの変化です。当初、リーダーである営業部長が主導する形で進んでいましたが、他のメンバー3人はどちらかというと受け身で、なかなか意見を言えない状態でした。ある時、たまたま営業部長が出張で不在のミーティングがあり、せっかくなので「皆はこのプロジェクトをどうしたいのか」腹を割って話し合う機会を作ったんです。すると、実は自分たちも色々思うことはあったんだけど、それをチーム内で共有しきれてなかったという話が出てきました。

こちらからは、その課題を解決するための手法について、アイディア出しや提案はせずに、「どうすれば解決できると思いますか?と問いを投げかけてみました。プロジェクトチームのメンバー同士でちゃんと納得しながら進めたいみたいなことをおっしゃっていただいて。

そこからは実際に、2日に1回くらい、30分〜1時間くらいの時間このプロジェクトについて話をする時間を取るようになり、今日はこういう話をみんなでして、納得しきれていない人やところがないか、意見を出しあうように変わっていったんです。 しかもその会議でこういう話をしたという結果も協働チームのLINEグループで送ってくれるようになりました。

ーーまさにチームの文化そのものが変わった瞬間ですね。

富田:はい。こうして何回かミーティングを重ねていって、ある閾値を超えると協働先の社員のみなさまが突然「覚醒」される瞬間というのを何度も目の当たりにしているのですが、その時に成長していただいている実感を得られるのは本当に嬉しい瞬間です。

私の感覚として、プロジェクトが「やらされ仕事」から、「自分がやりたいこと」になった時に閾値を超えていく印象があるなと思っていて。

協働プロジェクトでは支援先の部長や、経営人の方と話すことはたくさんあるのですが、その人1人とやっているわけではなく、伴走先にもちゃんとプロジェクトチームがあるんです。ただ、そのチームも「社長から言われたから」「部長からの指示通りにする」といったような感じで、メンバー一人一人が自分事として動いていないと思う時は、プロジェクトの進捗自体も遅い印象を受けるんです。

そういう時にはメンバーの方達にも「そもそもなんでこのプロジェクトをやろうと思ったんですか?」など、本当に根本的な部分をきちんと問いかけ直すようにしています。「今って本当にこの方向でプロジェクト進んでいるけれどいいのかな?」みたいな、原点を ずっと問いかけ直し続けると、徐々に「私ってこういうことがやりたかったんです」というインサイトがポロっと出てくるようになります。

例えばオキスさんのチームメンバーからは「本当は野菜の力で、女性の活躍を応援・推進したい」という本音が見えてきて、グッと前に進むようになってきました。それまでは、社長の方針や、健康食品についてアドバイスをいただいていた外部の方の意見に従っているといった雰囲気がどこかにあったのですが、やっぱり自分たちがこの商品にどういう思いを込めているのかというところを問いかけ直して、自分事化できた時に、「私はこうしたい」「こうだと思う」というような主体的な発言や議論が増えていきました。

自発的なミーティングが増え、同時にプロジェクトに対して自分の気持ちを言語化するようにもなり、どんどんチームとして動きが良くなって行ったことを実感しています。その結果が、製品化であり、ブランディング、販路の拡大と今の進捗に繋がっていっています。

協働日本は能動的な企業を増やす「触媒」。


ーー協働プロとして活動されるようになってから、富田さんご自身の変化はありましたか?

富田:そうですね。本業での仕事の仕方に影響があったこととしては、色んな人にちゃんと話を聞くようになったことかもしれません。これまでは、チームメンバーにブリーフィングをして、「いつまでにこれをやってね」と頼みながら、自分で判断して仕事を進めていたんですが、他の人の目線、客観的視点を聞くことがかなり増えました。

というのも、プロジェクトにコミットしていない人に意見を聞いても、専門性や背景の認識があまりない方のフィードバックは「個人の感想」でしかないと思っていたところがあったからなんです。

でも、オキスさんとのプロジェクトの中で、普段マーケティングの業務をしていない方と試行錯誤しながら進めていると、自分だけではカバーできなかった新たな視点がある───視点の多さが武器になるといったことに気づくことができたんです。

多角的な視点から見落としなくすることでプロジェクトを強くしていくことができることに気づきました。

一人だけで取り組むよりも、みんなで同じ方向を向いて船を進めていく方が、船は強く早く進む。協働を通じて一人一人の強い思いがビジネスを加速させていくことの重要性を改めて実感しています。

ーー富田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

富田:私の目標は最初にお話しした通り、「日本企業が世界で戦える存在になること」です。国内市場が縮小する中、海外展開は避けられないけれど、いきなり海外に挑戦するのは難しい。まずは国内で基盤を作り、脚力を鍛えることが重要です。協働日本の伴走支援がその助けになればと思っています。

私は今、MBAでも「日本ブランドが海外市場でどのように受け入れられるか」を研究しています。例えば、ターゲット国ごとに異なる消費者行動を分析し、企業がどの市場でどう勝負すべきかを具体的に示せるような指針を作りたいと思っています。

個人としても協働プロとしても日本企業を支援することで、関わった企業の皆さんが飛躍的な成長を遂げ、世界に誇る企業として活躍していけるようにしたいです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

富田:協働日本は、地域企業で働く社員皆が力をさらに発揮できる環境を共に創り、自立した企業に成長するための「触媒」だと考えています。そして、協働日本の支援を受けた企業が成功し、その成長を見た他の企業が「自分たちも挑戦してみよう」と能動的に動く未来につながるといいなと思うんです。

複業人材と地域の中小企業が混ざり合う「協働」が起爆剤となって、日本の中小企業ももっと頑張れるんだ、と、自分達で奮起して成長していけるようになったらいいですよね。

そういった風潮が広がれば広がるほど、日本全体が活性化し、世界に挑戦できる企業が増えていく。能動的な企業を作る触媒として協働日本がある。そんな未来に繋げられたらと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

富田:こちらこそ、ありがとうございました!

富田 慎司 / Shinji Tomita

慶應義塾大学法学部卒業後、2015年、ユニリーバ・ジャパンへ入社。
入社後、一貫してマーケティング部門に従事し、ヘアケア、スキンクレンジング、ホームケアなど多くのカテゴリのマーケティング責任者を歴任。
ユニリーバ・ジャパンにおけるブランドマネジャーとして、新製品開発・企画立案、ブランディングを通した事業の成長を牽引。

現在は日系飲料メーカーにて引き続きブランドマーケティングに携わる。

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VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(後編)『協働を広げ、大きな「循環」へ。私たちが協働プロを続ける理由』 –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本CSOの藤村昌平氏、同CMOの若山幹晴氏の対談をお送りいたします。
協働日本の創業時から参画しているお二人に、創業当初から現在までの5年間を通して見た協働を通じて生まれた支援先やご自身の変化、協働日本の未来について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

※本インタビューは前後編にてお送りいたします。前編はこちら

自分では気付いていないだけで、目に見えない「価値」は既にそこにある。

ーー前回に続いてのインタビューとなります。今回はまず、5年間の協働プロジェクトを振り返って印象的だったことについて伺いたいと思います。

若山:そもそも、協働日本でご支援させていただいたサービスはどれも素晴らしいものばかりだったことが印象的です。ものとしては良かったり、素晴らしいノウハウをお持ちだったりというケースばかりでした。その1つ1つが印象に残っています。

ではどうして、そんなサービスや商品をお持ちの企業が支援を求めているのか?と紐解いていくと、お客さんとのアンマッチが発生していたり、サービスの広げ方を変えなくてはいけなかったりするパターンがとても多い。ものやサービスがいいというだけではビジネスはうまくいかない、ということが改めてよくわかります。

藤村:特に、時代を跨ぐ無形資産は、作ろうと思って作れるものではないですからね。私も印象に残っているプロジェクトの1つに、奄美大島の伝統工芸品でもある大島紬のプロジェクトがあります。伴走支援に入って初めて、こういった伝統工芸を取り巻く状況やビジネス環境を知りました。

協働先の一社である、大島紬の織元「はじめ商事」さんでは、長く続いた大島紬という無形資産をどうやったら後世に継いでいけるのかをテーマに、事業のアップデートに真剣に取り組まれていました。大島紬は世界三大織物に数えられる絹織物で、自然の力を借りて30〜40もの行程を経て長期間をかけ作られていて、それが100年以上続いている。この脈々と続く歴史を目の当たりにして、消費財メーカーの中で生まれるプロダクトを日々アップデートし直していくことと、かくも違うのかと驚くばかりでした。

始まった協働プロジェクトの中では、作り手の伝統を残したい気持ちと、顧客の欲しいと思う気持ちが重なる部分はどこかを徹底的に探していきました。

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若山:人々の強い想いが込められたものは、AIではやっぱりまだ作れない。かけがえのない、素晴らしいものですよね。逆にその素晴らしさにご自身が気づいていないというパターンも多かったように感じます。

私は、経営者の事業そのものへの想いも、ひとつの無形資産だと思っています。たとえば想いの強さで言えば、鹿児島で伴走支援に入らせていただいたAKR Food Companyさんも印象的でした。

AKR Food Companyさんは、黒豚の食肉加工・販売を行う企業でしたが、とにかく黒豚に対する想い、育ててきた豚を余すことなく美味しいと言ってもらいたい想いが強かったです。この想いを軸に新規事業を考えていった時、今までの工程上破棄していたものを、ペットフードにしていこうというアイディアが生まれました。誰にも負けない強い想いを持っているからこそ生まれた事業なんです。

協働の中、ポジティブ会話や空気の中で様々なアイディアが出て、やがてそれが事業の形になり、自分達の想い自体にも価値があるんだと気付いていただけました。それから改めてポジティブな空気づくりを意識してやってきてよかったとも思いました。ポジティブな空気感は、やっぱりプロジェクトの進み具合や成功確率を左右しますから。

STORY:AKR Food Company株式会社 松元 亜香里 氏 -黒豚への強い想いを形にし、付加価値をつけた商品開発の挑戦-

自己認識のアップデートが成長の鍵。その一歩を踏み出す実行力が何よりも重要。

ーー伴走先へのインタビュー「STORY」では、プロジェクトに参加した社員の皆さんの変化もよく話題に上がりますが、お二人から見た協働先の「人の変化」はいかがですか?

藤村:それでいうと、伴走先の皆さんだけでなく、自分自身も成長・変化させてもらっていますね。

直近では、山岸製作所さんの次世代リーダー育成プロジェクトは特に印象的です。次世代リーダープロジェクトは、経営幹部の育成に悩む地域企業様にむけたプログラムで、協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成、意識の変革を目指していくというもの。

このインタビューの中でも「事業を作る人を作る」というミッションの中で、人との関わり方が変わってきたという話をしました。まさに、こういった変化のきっかけをくれたプロジェクトが、山岸製作所さんの次世代リーダー育成プロジェクトだったんです。

メンタリングの伴走をする中で、幹部の方が「自分と会社の存在意義」「自分が本当にここでやりたいこと」の意識を持つことができた瞬間を見ることができました。その意識が生まれたことで、会社の中で仕事・チームに対する全体の振る舞いも変わっていく……こういった変化を一緒に体験させてもらったのは大きな経験になりました。

ーーなるほど。一般的に、若い人のほうが柔軟性があって変化しやすいとも言われますが、経営幹部や中堅のマネジメント層の変化を実際に見て、必要だと思ったことポイントはありますか?

藤村:経験豊富になってきた中堅ならではだと思いますが、どのように情報を捉え直して、目線を合わせていくかが重要なことだと思っています。「境目」の話とも似ていますが、壁を誤解して捉えていることが多いんです。見えている壁は自分が作り出したものであって、実は周りは壁だと思っていないかもしれない。

そもそも、自己認識と現状認識を俯瞰して把握することは誰にとっても難しいことです。もちろん私にとっても難しい。

たとえば同じものを見ていても、人によって見え方は違うじゃないですか。それぞれの背景や感情の違いがあるので、違うものが見えること自体は当然なんです。そこで、あらためて他人のことを慮るように意識すると、最終的には他人からは自分がどう見えているのか見えるようになってくるんです。

他人の眼鏡を借りて自分を見ることで初めて自己認識がアップデートされる。先ほどの例でいえば、自分の周りに壁なんてなかった、ということに気づくことができるということですね。

プログラムを受けてくださった山岸製作所の奥永さんも、まずは自分自身に向き合うところから始めました。

自分は何者で、何がやれて、何がやりたいのかを整理して、次に仕事でのメンバーとのコミュニケーションの中で、相手が奥永さんの言葉に対してどういう風に感じると思うか?どんな反応、どんな質問が返ってくると思うか?ということを私が質問する形で考えていただきました。

そうすると、自分の言葉に対して他人がどうリアクションするか、徐々に傾向を掴めてくるんですね。つまり、「奥永さんってこういうこと言いがちな人」と思われている、であったり、自分の意見はこう受け止められがちだなみたいなことに気づかされるわけです。そうしていくうちに自己認識も変わっていって、振る舞いやコミュニケーションの取り方もそれに合わせて変えていくことができるんですよね。

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私自身も同じように、協働を通じて「人から見える藤村」を認識することができるようになっていて、藤村ってこういう特性があって、こういうところに得意領域があるよねということが自分自身で分かるようになってきています。

自己認識と現状認識、誰の眼鏡で誰を見るのか、きちんと焦点を当てられるようになることが、その人の成長につながる重要なポイントになると思います。

ーー若山さんから見た「人の変化」についてはいかがですか?

若山:色んなことの境目・垣根がなくなって、働き方も柔軟になったからこそ、最後にものをいうのは実行力だと思っています。例えば、私が担当させていただいていた協働先の大島屋さん。こちらも大島紬の織元さんですが、代表の佐藤邦弘さんが大島紬を織って、奥様の佐藤ゆかりさんが事業を支えるという、ご夫婦で二人三脚の経営をされていました。

品物自体はすごく素晴らしいものを作られているので、あとはどうやってお客様に魅力を知っていただくかという議論をしていました。

魅力を知ってもらう方法の1つとして、写真の撮り方を変えようという案が上がりました。 どうしてもインターネットでのEC販売になってくると、見せ方一つで魅力の伝わり方が変わって、売上にも影響が出ますから。

ゆかりさんは、専門家でもなければ写真の経験もなかったので、魅力的な商品の見せ方をしなきゃいけないことはわかっていても、どうやって改善すればいいかもわからないわけです。そこで、魅力的に見える競合他社を中心に、EC上の写真を色々見て、「これはすごくいいよね」「こっちは安っぽく見えるよね」をいう仕分けををしていきました。その中での傾向を分析して、真似して写真を撮ってみたんです。それに対してさらに具体的に、もう少しシワ感があった方がいいんじゃないか、光の加減はこっちの方がいい、もっと寄った写真がいいんじゃないですか、みたいに相談しながら修正していった結果、今ものすごく写真が上手いんですよ。

これは実行こそがものをいう、のすごくいい例だと思っていて。自分には経験がないから、できないものだと思って行動しない人には多分一生できない。分からないなりにも手探りで、1個1個比較して傾向を見つけて、実際に撮ってみたら光の加減の重要性に気付いて……と、取り組むからこそそこから学びが得られるんです。

大島屋さんの反物の写真

藤村:初めは、ゆかりさんも「どうしたらいいですか?」というところからスタートでしたよね。それに対して協働プロから「もっとこうした方がいいのでは」「ここのシワが気になるね」だとか、「この布は光の反射で色味が変わるから、こっち向きの方がいいんじゃないか」みたいに色々意見を出しながら試行錯誤していったんですが、最後にはゆかりさんの方から「こう思うんだけどどう思いますか?」と自発的に意見が出てくる形に変わっていったんです。やり続けることによって意識も変わっていく。協働先の変化をすごく感じたエピソードの一つですね。

協働日本と壁を越えて「ワンチーム」へ。共に良い循環づくりをする仲間になりたい。

ーー事例を元に具体的なお話をたくさん聞かせていただきました。最後に、協働日本のこれからについて教えてください!今後一緒にプロジェクトをしたい企業の方、協働プロとして参画したい……そんな方達へのメッセージをかねて、一言お願いします。

藤村:これから取り組みをスタートするクライアントの方々によくお伝えしているのは、協働プロジェクトは「ワンチーム」でというキーワードなんです。言うのは簡単なんですが、実際ワンチームでプロジェクトに当たることはとても難しいんです。相当意識しないと、フラットでイーブンな形のワンチームにならないんですよね。 

私もプロジェクトマネージャーとしてプロジェクトに入るが多いので、貴方と私とか、御社と弊社、みたいな形にせず、できる限り「我々」を主語にプロジェクトに当たっています。我々の取り組むものであり、我々の課題であり、我々の商品であり、我々のアウトプットだ、と一貫してプロジェクトに当たることで最終的にワンチームの状態になるんです。 

これって、私たちが今日ずっと言ってきた、「壁」の話なんですよ。発注元と発注先、中の人と外の人、というように、自らが勝手に壁を作りあう関係性だと、自ずと「これはそっちの仕事」という考え方になって、ワンチームの概念から離れていってしまう。

我々は自ら壁を作りやすい生き物である、という自己認識を持つと、だんだん壁も溶けてなくなっていくんですね。協働日本との関わりの中で、「壁なんてなかったんだ」と気付く人が増えていく。壁のないワンチームでは、自然とネガティブ・利己的・他責ばかりの環境もなくなっていきます。

そうやって勝手に生まれた、作られた壁を越えていった先にある「ワンチーム」を体験してみたい方、それが自分や自分の会社に足りないと感じた方はぜひご一緒させていただきたいですね。自ら変わろうとする企業の皆さんとの協働を私たちも楽しみにしています。

私たち協働日本も、様々な伴走支援実績の中で、どうやったらワンチームになって「We」の概念を会社の中に生み出せるかというノウハウが蓄積出来てきています。協働を通じて、ぜひ体感いただければと思います。

若山:経営をする上でも組織づくりをする上でも、あらゆる観点から選択肢が多いことはやっぱり有利だと思っています。

個人・組織・会社で色んな状況を見て柔軟に、迅速に判断して行動できる人が勝っていくという話にも似ているんですが、私の大事にしている協働日本の「良い循環」の内側に少しでも早く入っていくことが組織の発展にもつながるのではないかと考えています。最初は学ぶ立場でも、徐々に自分達が還元していく側にも成長していく。情けは人の為ならずじゃないですが、それが更にまた自分達に還ってくる。

協働日本の作る良い循環を作り出していく、その一員になることはすごく面白いと思います。協働日本の循環には、協働先の企業や協働プロ───仲間が日々増えていっています。協働から生まれた循環も大きくなって、目の前に広がる選択肢も増えていく。そしてやがて循環が循環を産んでいく構図になります。

いま企業を経営している方も、協働プロに興味がある人も、自分がその循環の一員になってみるとどう変わるのかを考えても面白いかもしれません。今まで思ってもみなかったような、選択肢や戦略が出てくる可能性があるし、「これって自分の強みだったんだ」とか、「うちの会社の本当に重要な無形資産だったんだ」みたいな気づきが生まれたりもします。

協働日本が、そういう場であり続けたいなと思って日々活動していますし、それこそが私たちが協働プロを続ける理由と言えますね。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

藤村・若山:ありがとうございました!

藤村 昌平 / Shohei Fujimura

(株)協働日本 CSO(Chief Strategy Officer)

大学院卒業後、ライオン(株) に入社。R&D部門で新規技術開発、新製品開発、新ブランド開発を経て、新規事業創出業務に従事。
2023年に独立し、株式会社fucanを創業。

(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

若山 幹晴 / Masaharu Wakayama

(株)協働日本 CMO(Chief Marketing Officer)

大学大学院卒業後、P&Gに入社。ブランドマネージャーとして日本・シンガポールにて従事後、ファーストリテイリンググループブランドのジーユーにて、最年少でマーケティング部長に就任。

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今回は、協働日本CSOの藤村昌平氏、同CMOの若山幹晴氏の対談をお送りいたします。
協働日本の創業時から参画しているお二人に、創業当初から現在までの5年間を通して見た協働を通じて生まれた支援先やご自身の変化、協働日本の未来について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

※本インタビューは前後編にてお送りいたします。後編はこちら

物事への解像度を高めることで出てくる「本当にやりたいこと」が、人を動かす。

ーー本日は、協働日本創業時から参画しているお二人にお越しいただきました。よろしくお願いいたします!

藤村 昌平氏(以下、藤村):よろしくお願いします!

若山 幹晴氏(以下、若山):はい、よろしくお願いします。

ーー立ち上げからの5年間でお二人の本業のキャリアも変化してきたと思いますが、まずは当初から現在までの協働日本との関わりや変化についてお聞きしていきたいと思います。

藤村:僕は、協働日本の立ち上げ当初はライオン株式会社に勤めていて、去年独立しているのですが「事業を作る人を作る」というミッションを掲げてプロジェクトに関わっている点はずっと変わっていません。

変化があるとすれば、人との関わり方かもしれないですね。当初は、協働プロジェクトにおいて「売上の数字を上げるためには」「顧客を獲得するためには」「効率を上げるためには」…など、何かしらの目的を通じて、人の成長を支えるようなことが多かったのですが、現在では直接的に人と対話しながらお互いに成長する・させてもらう関係を作ることが増えてきています。

目的や成果を通じてではなく、直接的にその人のやりたいことそのものに対してアプローチする機会を頂けるようになっているのはここ数年で変わってきたことですね。

若山:世界と戦っていく企業がどんどん生まれていく中で、ライオンのように大きな会社は藤村さんみたいな人がさらに中枢になっていくと思っていたから、辞めると聞いたときはびっくりしました。

藤村:ライオンでは新卒から勤めて部長職まで経験させていただいたんですが、さらにその上に上がって組織のマネジメントをすると考えた時に、もう一つ壁があるように感じたんですよね。それをどうやって突破しようかと考えても、道筋がクリアに見えなかったというのもあって、「一旦組織を離れてみよう」くらいの温度感で退職を選んだんです。

だから今でもライオンの仲間たちとも話すし、状況も気になる。でも少し離れて別の経験を積んでみた方がいいなって。

伴走支援先の沼津三菱自動車販売株式会社のショールームにて

ーー若山さんもこの5年間の間で独立もご経験されていますが、ご自身の変化についてはいかがですか?

若山:先ほど少し触れた通り、僕自身も消費財、アパレルと色々経験してきました。2022年2月にポケトーク株式会社が創立されたタイミングで同年3月より同社にジョインしています。

個人としても2021年に独立し、協働日本でも創業期から多くの案件に関わらせていただきながら、様々な業種業態の事業者様と経験を積ませていただいているところです。

藤村:若山さんはずっとマーケティングのプロとしてキャリアを歩まれてきていますが、会社経営も経験している。会社の経営自体も、マーケティングの概念の中に入ってくる部分があるじゃないですか。

いちマーケティング担当・ブランドマネージャーとして働いていた時と、経営者として働くようになってからとでは、マーケティングに対する感覚や考え方がアップデートされたところはありますか?

若山:経営の視点で言うと、組織の話やミッション・ビジョンなど、すごく多角的に見なければいけない中で、おっしゃる通りマーケティング的な考えを持たなきゃいけないエリアが広いなというのはすごく実感しています。

いい人材にミッション・ビジョンに共感してもらって、 組織として強くしていく上でも、やっぱりその人の考えやニーズを捉えながら、どうすり合わせていくかという考え方もまさにマーケティングですし。コストカットの方針を決めること一つとっても、納得感をもってどう伝えていくか。これもマーケティング的な思考がないとうまく実行できない場合があると思います。

どういう角度から見ても、マーケティング的な思考は重要なんだなと思う一方、最近では、もう「マーケティング」っていう言葉を使わなくてもいいのかなと思っていて。

藤村:型すらもう捨てようとしているんだ。(笑)

若山:マーケティングって、語源的には「マーケットを作る」という発想から「マーケティング」と呼ばれているのかなって。でも、これって究極的には「顧客志向」とか「人の気持ち」に根付いてるんだろうなと思うんです。特にAI時代と言われている中で、やっぱり人間じゃなきゃできないことって何なのか立ち返ってみると、「人の気持ち」が全てなんじゃないかなと。

消費行動は突き詰めると人の気持ちを理解することだし、組織作りも人の気持ちを理解することだし……とすると、なんだかそういった人の気持ちに紐つくことを「マーケティング」って、一括りにするのは”便利な言葉”すぎないかなと。

なんだか、もっと具体的に響く言葉を使っていかないと、人も動かないようになってきてるなと思うことがあるんですよね。

ーー若山さんは、「マーケティングのプロ」として協働日本の伴走支援に入られていると思いますが、そういった部分もプロジェクトの中で実感されているのでしょうか?

若山:そうですね。「マーケティング」という言葉を使わず、「お客さんの理解を深めましょう」という言い方でもなんとなくやるべきことは理解はできるじゃないですか。このような表現の方が今は効果が出やすいと感じるんですよね。一言で「マーケティング戦略」と言うのではなく、「これから考えるのは顧客戦略で、まずは顧客を理解して、どういう人たちを狙うのか」というような言葉に置き換えるんです。

そもそも僕にとって、協働日本での伴走支援は「循環」だと思っていて。自分がもらったもののバトンを渡していきたいという考えがあるんです。「マーケティング」という言葉に対して、なんだかすごそうだけどよくわからないものという印象を持っている方が実際にいらっしゃるので、「こういうところから始めれば良いんだ」と気づきを持ってもらえるように発信することを心がけています。だから、協働日本のセミナーなどをきっかけにマーケティングの考え方に興味を持って仕事のやり方を変えていったと言っていただけることがあると嬉しいですね。

この「循環」ってポジティブなものでなければいけないと思うんです。利己的・ネガティブな感じになると回らなくなる。やってみたら結果が出た、人が変わっていった、いい方向に動いた、というようなポジティブサイクルをどんどん作りたいと思っています。

ーー理想的な考え方である反面、わかっていても実践が難しいという方も多そうですが、意識してポジティブにしていくために使っている言葉や振る舞いはありますか?

若山:そうですね。常に自分がポジティブでいることを心がけています。協働日本に相談してくださる方は、現状に対しなんとなく不安や心配を抱えていることもあるので「大丈夫です、こういったところから始めていきましょう」と僕側がポジティブに振る舞うことでまず安心してもらって、前向きに取り組んでいく基盤作りをするイメージですね。

伴走支援先の企業は、業種的にも、機会的にもどうしてもお客様と直接相対して来られなかった方が多いんです。なので、伴走支援に入って一緒にプロジェクトを進めることで、お客様なくしてビジネスは成り立たないことを常に考えていけるようになる、ということを僕の提供価値にしていきたいと思っています。

ーー藤村さんも、伴走支援の中で意識されていることはありますか?

藤村:協働日本の中では顧客企業毎に協働チームを組成して進めていくわけですが、チームにアサインされた顧客企業側のメンバーが持ちやすい、”やらされている”という感覚をいかに排除するかには気を遣っていますね。

この「やらされている感」が生まれてしまった瞬間に、全部なし崩し的に、「もう上の方で決めてください」とか、「協働プロの皆さんが決めてください」みたいな……なんだろう、「誰かに決めてほしい」という空気が出てくるのが良くないと思っていて。

プロジェクト単位でもそうなのだから、組織や会社などの単位でもこういった空気が出てきてしまうとすると、すごくネガティブなループに入っていくと思うんです。 

でも、過去自分の仕事を振り返ってみた時に「やらされてる」っていう感覚がなかったかと言うと、”あった”ケースもあるので、いたしかない部分があることも理解できますが。

若山:人って多分、わからないことに対しては恐怖を感じて、能動性を持てないところがあると思うんです。それがやらされてる感にも繋がるんじゃないかな。

伴走支援の中で、「こういうことやっていきましょう」という話になった時に、「なんでこれをやるんだろう」とか「これをするとこんな良いことがある」という理解がないと、やっぱりやらされている……ただのtodoタスクになってしまう。

だから「こういうことをやっていきましょう」の後に僕たち協働プロは「なぜそれをするのか」という意義をきちんと解いていくための対話をするんですね。「こうですかね?ああですかね?」「でもこういう視点もありますよね」「なるほど、じゃあこれをやるっていうことはこういう意味があるのか」───という風に、プロジェクトメンバーそれぞれの腑に落ちた瞬間に、やらされ仕事じゃなく、自分の仕事になっていくように感じています。

藤村:そうですね。これって若山さんがさっき話してくれた「便利すぎる言葉じゃ人は動かない」にも繋がるんじゃないかと思っていて。

色んなものが便利になって、色んなことをやらなくて済む、AIがやってくれるって世界になればなるほど、人は自分で考えることをしなくなっていく部分があると思うんです。

でも、「やりたい仕事」って誰かに与えられるものではなくて、自分で作らなくてはいけないものだから、自分の気持ちに素直になって自分がどう考えているのかを表現して「やりたいこと」を明確にして作り上げていくことが重要です。だとすると、プロジェクトマネジメントする側からも、「これを聞いてどう思う?」など相手に話を聞いて、本心を引き出す必要もあるんじゃないかなと思います。

ひたすらに深掘りしていって、リアクションを読んで……ということを積み上げていくことで、伴走先の皆さんの本当にやりたいことが見えてくる。小さいところから、この「やりたいこと」を繋げて作り上げていくことで、最終的に商品やサービスを届ける先のお客様や、協力を仰ぎたいパートナーにも「いいじゃんそれ、面白いじゃん」って共感していただけるようになると思うんです。

境目が溶けてなくなった世界で求められる対応力。どう補い、高めるか?

ーー協働日本に参画した当初に見えていた景色と、今見えている景色についてお伺いします。当時思い描いていた5年後の世界に、今たどり着いた的な感覚があるのか、あるいは変わってきたという感覚があるのか、お二人の思うギャップを教えていただけますか?

若山:大きなギャップはないかなと思います。ただやはり、プロジェクト型で進む仕事、土地が離れていても同じ目的に向かって歩む人たちの在り方や働き方は当初よりも自然になってきているので、協働日本のプロジェクトについての説明コストが低くなっている感覚がありますね。今どき当たり前という感覚で、抵抗感がなくなってきている。

5年前は協働日本のプロジェクトを説明するときに、働き方や頻度など、プロジェクトや事業と直接関係ないところでの疑問を持つ方も多かった。前提条件が変わってきている印象を受けます。

藤村:元々勤めていた会社の中での働き方も大きく変わったタイミングでしたしね。境を越える───「越境」という考え方が日本の中で根付いてきていると思います。やはりコロナ禍を経て変わってきているという印象ですが、僕の中では、「越境」というよりは「境目がなくなってきている」と考えています。

業界の境目、距離の境目、全て溶けてなくなってきている。誰かが溶かしているのではなく必然的に溶けていっているんです。それこそ、距離的な壁はオンライン会議の普及でほとんど問題にならなくなりましたよね。コロナ禍で今まで「当たり前」だと思っていた動き方ができなくなって、違う方法を模索してみると案外これまでより便利なことに気づいたことって皆さん大なり小なりあると思うんです。消費者の消費行動も、企業の働き方やアプローチの仕方にも同じことが言えます。

つまり、そもそもコロナ前にあった壁や境目自体、実は自分が勝手に思い浮かべていただけのものだったんです。壁があると思いながら近づいていったら、実は壁なんてなかったという経験が現場でもう4〜5年続いていて、これまでいかに自分がバイアスの壁に縛られていたかに気づかされました。

若山:「境目がなくなる」というのはまさにその通りですね。境目がなくなってきたことで、これまでの「ここからここまでできれば良い」という範囲もなくなって、どういう状況下でも最大のパフォーマンスを出せないと生き残れなくなってきているように思います。個人も、経営者も、状況への対応力が問われていて、的確・迅速にできる人が生き残っていく。

先ほど藤村さんが、壁を破るための経験をもっと積みたいという話をされていましたが、これもやっぱり「境目がなくなった」ことにも関係するのかなと思っていて。僕ももともと消費財メーカー出身で、その後アパレルで小売や製造を経験して、今はIT系の分野でも仕事をしていますが、思い返すと「その時には思いつかなかったけれど、今の知識や経験を持っていたらもっとこうしていたな」と思うことがたくさんあるんです。経験の中で選択肢が増えているんですよね。 
一社に留まっているだけでは出てこない判断ができるようになっている実感があるわけです。

そこで湧く疑問が、例えば新卒から1つの業種や業態を極めつつ、副業的に引き出しを増やしていくことができれば、業種業態を超えた横の経験が蓄積されて経営判断にも活かせるようになっていくのか?ということです。それともやはり転職や企業など、働く場自体を変える必要があるのか……。

藤村:「時間のシェアとマインドのシェアが1番大きい」組織に、思考パターンが引っ張られやすくなる部分はどうしてもあると思いますね。

例えば、消費財分野のマーケティングって、やっぱり商品があって、競合がいて……と、コミュニティ化されてしまっているから、その中においては対エンドユーザーの戦略よりも対競合の戦略勝負になりがちです。そうやって競合のことばかり分析したり考えたりと、必然的に視野が狭まってしまう。

良い悪いということではなく、一つの組織に留まり続けると、どうしても狭い視野のままになってしまう部分はあるかもしれない。

若山:競合と自社を比較分析して戦略を立てる中でも、市場で勝っていくためには市場破壊するようなイノベーションを起こすか、もしくは他社に起こされた時に一歩でも遅れを取らないことが必要です。

同じ業界だけで新卒から上がってきた人たちだけでは気付くことができないような新たな視点を取り入れてイノベーションを起こしていかないと、企業の成長戦略は描きにくくなっているんじゃないかなと思います。

そういった視点を獲得するために必要なのは転職か?副業か?という疑問を改めて考えても答えはないと思うんですが、少なくとも企業の発展のためには人材や考え方の交流を増やしていかなきゃいけないし、コロナ後の市場の変化によって必須になってきている感じがありますよね。

藤村:そういった部分を鑑みても、複業人材を活用することは効果的かもしれませんね。企業にとっては、色んなバックグラウンド、専門性を持つ人材を適材適所で活用していくことができる。複業人材側はこれまで触れることのなかった分野についても経験を積むことができるので、対応力が上がっていく。それをまた自社に持ち帰ったり、別の複業先に還元したりしていくことで、実際に若山さんの仰るようなポジティブな循環が生まれていきます。

後編へ続く

藤村 昌平 / Shohei Fujimura

(株)協働日本 CSO(Chief Strategy Officer)

大学院卒業後、ライオン(株) に入社。R&D部門で新規技術開発、新製品開発、新ブランド開発を経て、新規事業創出業務に従事。
2023年に独立し、株式会社fucanを創業。

(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

若山 幹晴 / Masaharu Wakayama

(株)協働日本 CMO(Chief Marketing Officer)

大学大学院卒業後、P&Gに入社。ブランドマネージャーとして日本・シンガポールにて従事後、ファーストリテイリンググループブランドのジーユーにて、最年少でマーケティング部長に就任。

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人と組織STORY:有限会社いやタクシー 森山 雄宇氏 -社員の声から作り上げたパーパスで、組織が自ずと動き出した。次世代の育成・組織の成長のための第一歩-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社いやタクシー  代表取締役の森山 雄宇氏にお越しいただきました。

有限会社いやタクシーは、1961年創業のタクシー事業を中心とした交通インフラ企業。車が今ほどあまり普及していない頃から、地域の”足”として地域に貢献してきた、いやタクシー。

自家用車が普及して需要が右肩下がりになる中で、2000年頃からは貸切バスや路線など複合的に交通インフラに対応。どうしてもドライバーに負荷のかかってしまう従来のビジネスモデルから脱却し、生産的に無理なく、待遇や働く環境を良くするために自社独自のビジネスモデルを作っていきたいと考えるようになった森山氏。そんな中で協働日本と出会い、協働プロジェクトを通じて、社内改革を進めています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

【本事例のまとめ】

幹部がおらず、経営者一人に集まり続ける判断と業務。島根県で地域の交通インフラを担ってきた有限会社いやタクシー。次世代に向けた組織づくりに挑みました。協働プロチームの伴走を通じて、ミッション・バリュー・パーパスを社員と対話しながら言語化。

「先輩の思いを自分たちの代で成し遂げたい」という若手の言葉がベテラン社員を動かし、創業60年以上の歴史を持つ組織が初めて全員で未来を語り合う場を生み出しました。社員が腹落ちした言葉が生まれたことで、組織が自ずと動き出すための土台が整いました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「幹部育成」の悩みのテーマの背景を整理して行き着いた、組織改革の最初の一歩。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働をスタートしたきっかけについて教えてください。

森山 雄宇氏(以下、森山):はい、よろしくお願いいたします。

協働日本を知ったきっかけは、商工会の指導員をしていた知人からの紹介です。以前から、実態として幹部・管理職がいないことが自社の課題としてあったため、育成していきたいということを相談していたんです。その方がスタートアップ系のコミュニティ事務局をしていることもあり、協働日本の取り組みについてご存知で紹介を受けました。

協働日本の伴走支援は、伴走する中で企業に本質的に必要な考え方をインストールするようなイメージだとお聞きし、今この瞬間も、先を見据えた時にもリソースが足りない課題を抱えている弊社にはぴったりの取り組みではないかと思い、詳しくお話を伺いたいとお返事しました。

その後すぐに協働日本代表の村松さんをご紹介いただいて、メッセンジャーやお電話で丁寧にお話しをしてくださり、疑問点が解消されたことで協働を決めました。

ーー実際に伴走支援がスタートしてからはどのようなプロジェクトを進めているのでしょうか?

森山:プロジェクトとしては、組織改革全般に取り組んでいます。協働プロとして協働日本CSOの藤村昌平さん、芹沢亜衣子さん、そして協働サポーターとして山本さんに入っていただいています。最初の段階ではまず、自社の課題を整理していったのですが、管理人材・幹部・管理職というポストの人材がいないこと以外にも、そもそも社内でのキャリアアップの流れも作れていないことなどが可視化されていきました。

例えば、私が受け持っているミドルマネジメント的な業務も属人化してきており、人に渡せるように仕組み化するべきという課題が見えてきたんです。いわゆる文鎮型で成り立ってしまっている組織なので、このままでは将来的な発展が難しく、改めて適切なポストや人材育成を行う重要性を言語化することができました。

また、社員側の業務についても、生産的にリソースを使えているかを改めて整理したところ、現状の給与体系は歩合の割合も大きく、新しいことに自発的に挑戦しにくい環境であることがわかってきました。

元々将来的には固定給を取り入れていきたいと思っていたので、モチベーション高く仕事をしてもらうために給与体系の変化や、評価制度の策定も必要だという話が持ち上がったんです。

段階を追って1つ1つ着手することになり、まずは人材育成からという方針で進めていく中で、自社の考え方を整理し、評価の軸となるものが必要ということで、パーパスや、ミッション・バリューを言語化していって社内に共有することになりました。

こういった組織改革については、これまでも試行錯誤していた部分ではあったんですが、打ち合わせを重ねる中で「やはり必要なんだ、ここに行き着くんだ」と思いましたね。
自分でも10年くらい前に経営理念を考えて提示したこともありましたが、社員の腹落ちしない言葉を掲げてもあまり浸透せず……自分の中で熱が落ち着いてしまっていた部分だったので、根本的なことから改めて取り組むことができてよかったと思っています。

パーパスやミッション・バリューなど、会社の軸となる部分が出来上がってきてからは、評価制度の中身を詰めていくことや、業務の切り分け──属人化してしまっている私の仕事の中で、誰かに渡せるものはないかという整理を進めていっています。

社員と作り上げたパーパス。全体の理解度・腹落ち感が向上することで組織が進み始めた。

ーー実際にプロジェクトの中でできたパーパスやミッションなど、成果としてはどのようなものが出来上がったのでしょうか?

森山:まず着手したのはミッションからでした。タクシー事業や観光事業など今までやってきたことを軸に、自社の使命とは何かを言語化したものが「移動や交流を通じて人々の日常を豊かにする」です。

このミッションが出来上がった時、社員に向けてプレゼンをしてフィードバックをもらうようにしました。社員にとって腹落ちしない言葉では浸透しないので、協働プロとの壁打ちの中でどうやったら社員の皆に想いが伝わるか、言葉選びや説明の仕方もサポートして頂きました。

次にできたバリューは「地域社会にとって不可欠な企業として、人々の日常生活をさらに豊かにするために持続可能なサービスを提供し続ける」です。

こちらも同じように社員に向けたプレゼンとフィードバックをもらいました。

結果的に、これまでで一番丁寧に社員に向けた説明ができたという手応えがありましたし、実際社員の反応もよかったんです。フィードバックの中でそれぞれの想いを言葉にしてくれていたので、それをヒントにパーパスを策定していきました。

ーー社員の皆さんの声も取り入れながら作り上げていったのですね。

森山:そうですね。これまでは、私が作ってから社員に伝えようと考えていたのですが、社員に伝えながら段階的に作っていけたことがよかったです。

フィードバックをもらうことで、私の説明からきちんと伝わったこと・伝わりにくかったことだけでなく、社員のこだわりやそれぞれが大事にしているものなど、インサイトが次々と見えてきたんです。

例えば、10年後どうなりたいか?という質問を投げかけたところ、若手の意見として「この業界で働いている先輩の描く未来図が気になる。先輩たちがやりたいことを、自分達の代で成し遂げたい」という言葉が出てきたんです。ベテラン達に10年後を問うても、引退しているかもしれないし……と消極的になりがちなのですが、この若手の言葉を聞いたベテランの皆さんも「自分達の思いを継いでくれる存在がいるなら」と自分ごととして10年後の未来を捉えて意見を出してくれたんですね。

創業から60年以上、事業をつないできた先輩達がいるから今があり、未来がある。その感覚を社員たちで共有することができて、ベテランも含めて改めて未来の話をすることができたのは大きな成果だったと思います。

そんな社員の想いを落とし込んでできたパーパスは「営みを繋ぎ豊かさを支える」です。

ーー素敵なパーパスですね。

森山:ありがとうございます。いやタクシーは元々まちのタクシー屋さんなので、この地域に自社しかいない存在──住民にとってのインフラを担っているのだという揺るぎない自負が私達にはあります。

もし我々がタクシーをやめてしまったら、ここはタクシーのない地域になってしまう。今後新たなタクシーの参入もおそらくないと思われ、民間の事業者の努力だけで保たれていた地域の利便性が下がってしまう。そうすると、地域の衰退につながるのは自然な流れです。

今では収益性の高い、バス事業や観光事業など様々な事業を持っていますが、やっぱり私達の事業は、地域の活性化や、このまちが元気な状態でずっと続いていく前提として必要なインフラだと思っています。こういった、社員が共通して持っている自負、地域への想いが「豊かさを支える」という言葉に繋がったのではないかなと思います。

このように社員の理解度・腹落ち度などは確実に上がってきていることが目に見えるようになりましたし、指針ができたことで次にすべきことも明確になって、組織として進み始めた実感を持つことができています。

ーーこういった経営理念の策定や幹部育成は、元々試行錯誤されていたテーマでもあったと思います。伴走支援が入ったことによる変化や学びはどのようなところにありましたか?

森山:そうですね。一番大きな学びとしては、アプローチの仕方が変わってきたことかなと思います。先ほどの、ミッションやパーパスを段階的に説明してフィードバックをもらっていくという手法もそうです。

幹部育成のテーマにおいても、これまでも幹部候補を育成しなくてはと思って、「右腕」として人材を配置したことはあったんです。ところが、これがなかなか上手くいきませんでした。
協働プロと話をしている中でわかってきたのは「右腕」のポストであると社内に周知されていると、ポストに就いた方にはプレッシャーなど見えない負荷がかかってきやすいんですよね。そうすると、どれだけ能力の高い人であっても伸び悩んでしまったり、折れてしまうことがあってもおかしくありません。
その人が元々持つ能力に注目するだけでなく、「育っていく仕組み」「環境」も伴わないとうまく育たないんだ、というご指摘をいただきハッとしました。

逆に言うと、現時点での能力の高さよりも、仕組みや環境の方が大事なのではないかという気づきがありました。「右腕」を育成したいとしても、一人だけに負荷のかかるようなことがないように進めないと、人材も育たないという発想に変わったんです。

こういった、仕組み次第で育成できるのではないか?ということに気づくことができたのは自分の中での大きな変化だったと思います。

そんな気づきもあって、現在はポストや役職にこだわるのではなく、業務ごとに私の仕事を整理して社員に任せていくように変わってきました。
現在は、将来的なリクルート面も見据えて、人事制度の策定について伴走支援をしていただいています。


現在は、私と妻とでプロジェクトに参加させていただいているのですが、先々には幹部候補のメンバーも同じようにプロジェクトに入ってもらい、協働プロの皆さんにメンタリングしてもらうことができれば、グッと経営意識が伸びてくる人もいるんじゃないかと感じ始めています。やっぱり外部の人の声の響き方は違うと思うので、活用させていただきたいですし、早くそこに到達できるように進めていきたいと思っています。

協働の中で長期的視点での人材育成のためにも、複業人材の活用で経験を自社にインストールしたい。

ーー複業人材の取り組みについて、これまでもご興味はおありだったのでしょうか?

森山:はい。前に他社の複業人材のマッチングサービスも使ったことがありました。自社で新たに人材を獲得したり育成したりすることは難しいので、外注でサポートを得るしか選択肢がありませんでした。

1年間の契約の中で新しい考え方を取り入れることもできましたし、複業人材の活用により、もっと本質的な変革のための知識・経験のインストールやリソース作りができたらいいなと思うようになりました。

ーーなるほど。それで協働日本の伴走支援にもご期待いただいたのですね。今後このような取り組みは広がっていくと思われますか?

森山:そうですね。特にこれから生産性を高めたい、事業をスケールさせたいと考えた時、弊社と同じように、中小企業でいきなりスキルを持った人材を獲得することは難しいと思うので、協働日本のような複業人材のサポートで得た経験や知識を将来的な人材育成や獲得に活かすしか思いつかないくらいです。

同じような悩みを持つ経営者の方が身近にいれば、ぜひ協働日本さんとの取り組みの輪に入っていただくことをおすすめしたいと思います。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

森山:非常に信頼できるサポートをしていただいていると思っています。約1年間のスケジュールを流れの中で組んでいただき取り組んできましたが、いよいよ来月には来社いただけるということで、実際にお会いできることをとても楽しみにしています。

オンラインで毎週1回という部分もとても良いですが、それ以外にもこうやってお互い負担のない範囲で対面できる機会を作っていただくこともできるのは嬉しいですね。これからもよろしくお願いいたします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

森山:ありがとうございました!


森山 雄宇 / Yu Moriyama

有限会社いやタクシー 代表取締役社長

島根県松江市出身、在住。大阪で輸入小売販売業に従事し、マーケティングや顧客対応、マネジメントのスキルを磨く。2009年に家業であるいやタクシーに入社し、地域交通を支える多角的な事業展開を推進。創業事業であるタクシー事業を軸に、地域のコミュニティバス、貸切バス、旅行業といった多様な業種・業態で、地域における持続可能なビジネスモデルを模索。業界に先んじて最新型リフト付き車両を導入し、「地域交通のユニバーサルデザイン化」を目指したインフラ整備に注力する。

時代の変化に伴い、従来の待ちの営業から脱却し、自社独自の企画やコンテンツの開発を通じて、新たな挑戦を続ける。地域と共に歩み、交通を通じた日常の豊かさを追求する。


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VOICE:和地 大和 氏 -まずは一歩でも進んでいる実感を持ってもらいたい。協働先の「やりたい」に寄り添い、モチベーション高く変化を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でWEBプロモーションのプロとして地域企業の伴走支援を行う和地 大和氏のインタビューをお届けします。
商社やスタートアップで、営業・人事・経理・総務・マーケティングや広告など、様々なキャリアを積んだのちにフリーランスとして独立した和地氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化や、今後実現していきたいことについて語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

どん底も経験しながらチャンスを掴んだ、幅広いキャリアを活かして顧客の支援をする「Web実務のプロ」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、和地さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

和地 大和氏(以下、和地):はい、よろしくお願いいたします。

現在は【1社に1人は欲しい右腕人材】と名乗って、フリーランスとして活動しています!

メインは、Web広告の代理店ですが、コピーライティングや、各種プロモーションのお手伝いなど、Web関連の仕事を幅広くお受けしています。最近は、企業の人事コンサルなども始めたところです。

ーーありがとうございます。和地さんは幅広く活躍されているようですが、どういった経緯で独立されたのでしょうか?

和地:住宅建材の商社の営業からスタートして、その後本社の人事を経験しました。

その後、実は一度起業して失敗しているんです。まだ20代で若かったこともあり、とにかく生活のために派遣社員として働き始め、携帯ショップで2年間販売員を勤めていました。もちろん「あのまま商社にいれば…」と思うこともありましたが、自分を省みる良い期間にもなったと思っています。

今はこの仕事を真っ当に頑張るしかない!と心を奮い立たせて仕事にあたり、人材派遣会社の営業に転職しました。その後は約半年ごとに役職が変わっていき、最終的にはグループ会社のスタートアップの役員に就任するに至りました。

ーーひたむきに努力されたことで、チャンスを掴まれたんですね!

和地:人材不足だったこともあって、チャンスにも恵まれていたんです。一度失敗した経験があったからこそ僕も必死でした。おかげさまで、このキャリアの中で、営業・人事・経理・総務・マーケティングなど一通り経験することができて、独立して今に至ります。

商社時代の最初の3年間は皆さんが想像するような「the 商社の営業」的な激務を経験していて、僕を形成しているのはその3年間の圧倒的な仕事量でもあります。1つのミスが命取りという世界線でしたし、今振り返っても、一番辛い経験でした。(笑)

自社商品を取り扱っていたわけではないので、商品の優位性もない中で僕から買ってもらう「理由」は「お付き合い」がベースにあることも大きかったんですね。この経験から1つのミス・不誠実で仕事がなくなるという意識が醸成されました。だからこそ現在フリーランスで働く中で仕事が来ることをありがたく感じています。

ーー続いて、和地さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

和地:実は、最初はスポットでWeb広告のサポートの依頼をいただいていたのですが、気がつけばレギュラーメンバーとして複数の案件を持つようになっていた、という経緯があります。

静岡県にあるジュエリーメーカーの株式会社キラガさんで、当時協働プロとして入っていた方と元々繋がりがあったんです。キラガさんがWeb広告やWeb戦略を広げていきたいということで、その方から相談があり、1ヶ月間のスポットでのサポートという形で打ち合わせに参加したのが最初です。

段々とあれもこれもと話すことが増えてきて、気づけば本格的に協働プロとして関わらせていただくようになっていき、もう2年半のお付き合いになります。

現在は、キラガさんの他にも2社の伴走支援にも入らせていただいていて「それってどうやるの?」を叶えるWeb実務の専門家として、活動しています。

例えば、一括りに「Web媒体でプロモーションをしたい!」と言っても、広告を打つのか、SNSで集客するのかなど、いろんな手法があります。そこで、お客様の目的を達成するためには、「現状何が1番良いか」「中長期ではどうか?短期ではどうか?」という視点で壁打ちをさせて頂いています。

経営者・担当者の方は、大体すでにやることが沢山ある状態なので、思考や行動が散らばってしまうことがあります。そんな時には、「今1番集中してやること」に意識を向けられるよう、一緒に軌道修正することも大切にしています。

優先順位やモチベーションをサポートしながら協働先の「やりたい」に寄り添うことで、組織の変化と成果を産んでいく。

ーー和地さんが参画されたプロジェクトの内容について、もう少し詳しくお聞きしたいと思います。

和地:はい。基本的には、協働先の「やりたい」を優先しながら、手法について壁打ちしながら方針を決め、チャレンジしていくという流れでプロジェクトを進めています。

最初「Web広告を出したい」という相談からスタートしたキラガさんは、結局広告は出さずにEC販売とSNSでのプロモーションを厚くしていくことになりました。

現在のキラガさんの戦略の軸でもあるライブコマースは、当時すでにインスタライブで行っていて、売上もそれなりに好調でした。ですが、現在とは違い、他社のアカウントにゲストとしてお邪魔してライブを行うという形式だったので手数料の負担も大きかったため、協働プロジェクトの中で自社で完結できるように相談しながら進めていきました。

しかし、いざ自社のアカウントでのライブコマースに切り替えると、これまでに比べ売上が伸びなかったんですね。Instagramではどうしてもフォロワーに向けた配信になってしまうので、新規顧客の獲得や拡販には向かなかったんです。これまではゲストとして配信していた先のアカウントのフォロワーがメイン顧客になっていたので、新たにフォロワーを獲得する必要が出てきました。

そこで、ライブ配信が新規ユーザーにも届きやすいプラットフォームとしてTiktokを活用することになったんです。フォロワー数をある程度獲得する必要があるということで、運用代行など色々試行錯誤していったんです。

ーーなるほど。その試行錯誤の結果、Tiktokで成果が出て「売上12倍」という結果に繋がっているんですね。

和地:そうですね。キラガさんの場合は特に、ここまで結果を出すことができているのは、やっぱり太田さんの圧倒的な行動量があったからだと僕はずっと思っているんです。太田さんがこれだけやってきたから結果が出ていると思っているからこそ、太田さんの「やりたいこと」を最大限尊重したいという背景もあります。

気を付けていることは、優先順位付けのお手伝いをすることですね。太田さんに限らず、経営者の皆さんはあれもこれもとやりたいことが沢山あるので、全部手をつけてしまうと結果的に散らかってしまって成果に繋がりにくい。だからこそ、結局どれを最優先にやるべきなのか?を絞っていく。

事業を進める上で、「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」がそれぞれありますが、僕はこのバランスが大事だと思っているんです。やらなければいけないことばかりやってると、モチベーションが上がらなくなったり、心が荒んでいってしまうこともあります。とはいえ、やりたいことだけでは会社は成り立たない。だからこそ、一番やっておきたいことと、やらなきゃいけないことを整理して、まずはここにちょっと焦点を当ててやりませんか?と適宜お話ししていました

実は途中で失敗も経験したんですよ。初めにお願いしたTiktokの運用代行は上手くいかず……以前太田さんもご自身のインタビューで語られていたのですが、採用の面でも大手求人サイトへの広告出稿でも期待する成果が出なかったこともありました。

僕は基本的に、期待値に対して本当に成果が出るだろうか?と懐疑的な時ははっきりお伝えしていて、かけた費用はどのくらいで回収できるのか?本当にこの手法を取るべきか?ということも議論してきました。その上で「それでもやりたい」ことについては寄り添って進めるように心がけていて、やってダメなら次の手をどうするか提案しながら最終的に求める結果に近づけるようにしたいと思っています。そうやって失敗も共にしてきたからこそ、今は「どうしてもやってみたい!」が飛び出した時、「あの時の広告のことを思い出してください!」と半分笑い話のように言いながら、議論できる関係性を築くことができたのではないかなと思います。

ーーなるほど。特にキラガさんとのお取り組みは2年以上と長く続いていますが、ここまでに実感された変化などはいかがでしょうか?

和地:成果という意味で言えば、先日の太田さんのインタビュー(STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-)をぜひご覧いただきたいなと思っています。

それ以外の、僕の視点から見た変化でいうと、太田さん一人で売上を作っていた当初に比べ、新しく入社した方が売上を作れるようになったという変化はとても大きいと思います。ライブや売上貢献意識も強い方ばかりで、組織改善につながっているように見えます。

当初、キラガさんのライブコマース事業では、太田さん一人でライブ配信をして売上を作っていたのですが、現在では半分以上は社員の皆さんで配信して売上を作られているんです。もちろん太田さんとしては、まだまだと思っている部分はあるかもしれませんが、僕はこの協働プロジェクトの中でプロモーションだけでなく新規採用や組織改革にも着手して、意欲的に社員の方が売上を作ることができるようになった、というのは本当に素晴らしい変化だと思っています。

ーー社員が自発的に意見を出して売上と作れるようになった、というボトムアップの行動や組織自体の変化が見られるようになったのはどんなことが理由だったのでしょうか。思い当たるきっかけはありますか?

和地:何よりも「太田さんが任せた」ことがきっかけじゃないかなと思います。やっぱり、ライブの回数と売上は比例してくるので、太田さん以外にもライブができる人材を増やしたいということで、新規採用についてもプロジェクトの中で進めていったんです。

初めは大学生の女性の方に配信を手伝ってもらったりしたこともあって……でも、商品がジュエリーということもあるので、配信の中で太田さん以外に若い女性がいるだけで画面も華やかになって、ポイントさえ抑えていけば誰でも配信の中で販売をしていけるという気づきを得てからは、太田さんは「売り方を教える」ことにシフトしていき、採用がうまくはまって人も増え、結果的に販売の仕事を手放すことができて上手く回るようになりました。

経営者の方は皆さんそうだと思いますが、結果として売上は12倍になっているものの、太田さんは常に「次はどうしよう」という不安を持たれているんですね。進んでいることを実感されていないことがあると言いますか。だから、日々動かれているのに「最近動けていないんです」とおっしゃるので、しっかりと「進んでいる」実感を持っていただくように心がけています。配信は少し休んで、その間に社内の整理をしましょう、などと声をかけて、組織変革のための時間を取るなど、これまでの行動や成果を褒め、休憩のタイミングを作り、優先順位を絞る、というサポートをしていく中で、やりたいこと・やるべきことが噛み合って、今があるのかなと思います。

協働の中でインパクトを出せる実感が、自分の自信と成長につながる。

ーー営業・人事・Webマーケティングなど和地さんの強みを最大限活かしてご活躍いただいていますが、協働の中で得た気づきなどはありますか?

和地:一緒にプロジェクトに入っている協働プロから受ける刺激や学びは本当に大きいですね。皆さん違う業界の第一線で活躍されている方ばかりなので、同じマーケティングをしてるはずなのに、考え方・視点が全然違うんです。僕自身はこれまでミクロな視点で戦略を考えることが多かったんですが、大衆向けの大手メーカーで活躍されている他のメンバーの視点はもっと大きく考えておられて。日本だけでなく世界も視野に入っているなど、僕にとっては新しい視点がたくさんありました。

僕のミクロな視点自体は、「明日の売上のことを考えてもらえる」と評価いただくこともあるのですが、そこに加えて先を見据えた視点、考え方も取り入れてプロジェクトの提案をしていく重要性は学びになりました。

そんな、日頃から広い視野を持って動かれている方達と同じプロジェクト、同じポジションで働けること自体が自分にとっての自信に繋がっているように思いますし、一般的な副業や、僕のようなフリーランスでプロジェクトにスポットで入るだけでは得られない体験だと思っています。

ーーなるほど。これからもプロジェクトは進んでいくと思いますが、和地さんが協働の中でこれから成し遂げていきたいことはありますか?

和地:そうですね。自分の仕事のスタンスでもありますが、多くの中小企業様の悩みとして、「やりたいこと」「解決したいこと」はたくさんあるけど、「何をすれば良いかわからない」「時間がない」などで足踏みすることがあると思うんです。

「進んでない状態」ってもどかしかったり、不甲斐なさを感じたりと、ある意味「失敗」よりきついこともあるんじゃないかなと。そんな状態から、一歩でも前に進むためのお手伝いをしていきたいですね。

少しでも進めば、何が良くて、何が悪いかわかるので、その結果を元に、「じゃあ次は何をしようか?」という会話ができるようになります。それを繰り返し、一緒に進めることが、僕の仕事だと思ってます。この小さな積み重ねの上に、企業の発展、従業員の皆さんの満足度アップ、果ては社会や地域貢献につながるんじゃないかなと。

キラガさんのプロジェクトでも、地味なPDCAを回し続け、失敗もあって苦しい時もありました。

でも、蓋を開けたら「しっかり前に進んでいた」という感じなんです。

多くの方は、ずっと次の目標、次の目標と追ってしまうので、「前に進んでいること」を忘れがちです。そこを実感してもらうことも、僕は大切にしています。苦難や困難があれど、必ず前に進めるということをこれからも実現していきたいなと思っています!

ーーフリーランスの和地さんも大きな刺激を受けられると言っていただいた「協働」ですが、こういった複業人材との協働は今後広まっていくと思いますか?

和地:はい、どんどん広まっていくと思いますし、広まって欲しいとも思っています。

参加しているからこそ実感しますが、スキルや経験を持った人材が地方中小企業に入ることで与える影響はやはり大きいです。

僕自身、会社員時代はずっと都市圏で働いていましたが、大企業にいると、自分の生み出す成果のインパクトは相対的に小さいんですよね。特に僕は1つずつコツコツ丁寧に、量をこなすというタイプだったので。

一方、中小企業では「役に立てる実感、手触り」があるんです。自分の役割が会社・成果にインパクトを与えられるという実感を得られたことは大きな経験になりました。

都市圏には、かつての僕のように、スキルや経験があってもなかなか活躍の実感を持てない人も少なくないと思います。そんな人が地方中小企業のプロジェクトに参画することで、一気に活躍の場を広げられることが成長の機会につながる。複業人材の活用は、地方中小企業だけでなく、複業人材として参画する側のスキルを持つすべての人にとってもメリットがあると思うんです。

僕も人事をやっていたので採用の難しさは理解しているつもりです。だからこそ、直接雇用をせずに会社を強くする仕組み自体も、今後どんどん広がっていくと思います。むしろ、こういう新しい形態に取り組んでいかないと、今後の発展は難しい部分があるかもしれません。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

和地:協働日本のコンセプトにはとても共感していて、僕たちがやっていることの意義・意味はすでに十分にあると思っていますし、僕自身も楽しく仕事させてもらっています。

「一つの会社に属する」という、これまでの常識は今後どんどん変わるのでは?とも思っていて、実際、「都心に住んで、たくさん稼いで、成功する」という価値観から「自分らしく働く、キャリアを作る」という傾向が年々強くなっているように思います。

そのことを考えると、社会的に見ても協働日本さんのような取り組みは、自然と拡大していくようにも思います。そうやってクライアントになる地方中小企業や協働プロとして入る複業人材の量も増えるといいのかなと思っていて。自分が働く案件が欲しいというよりも、協働日本への賛同者、いいと思ってくれる「ファン」が増えて広がってほしいというのが理由です。

協働日本のファンが増えることは、僕自身にとってのチャンスや活躍に繋がっていくと思いますし、同じ想いで仕事をされている方達にとってのチャンスにも同じように繋がるので、そうやってどんどん輪が広がっていったらいいなと思います。

僕自身そういう企業のサポートをしていきたいので、自分のキャリアもしっかり作り、貢献度を上げる一角を担っていけたらと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

和地:ありがとうございました!

和地 大和 / Yamato Wachi

上場企業での商社営業・人事を経験し、スタートアップの起業を経て、派遣社員としてショップ店員を経験。
その後人材会社に正社員登用され、子会社役員となり、独立。
現在はフリーランスで、WEBマーケティングや広告代理業務を中心に、【1社に1人は欲しい右腕人材】として企業様の価値や魅力を武器に変えるお手伝い中。

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