STORY:株式会社山岸製作所 山岸晋作氏 – 協働日本は中小企業にとっての「最強の人事部」。変化に勝ち抜く地域企業の組織戦略とは –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社山岸製作所 代表取締役社長の山岸 晋作氏にお越しいただきました。

株式会社山岸製作所は1936年創業の金沢の家具販売会社で、輸入家具やインテリアの販売、内装工事設計・施工のほか、オフィスのトータルプロデュースも手がけ、家具・インテリアの販売だけではなく新しい「暮らし方」「働き方」を売る会社としても注目を集めています。

また、社員の自主性を育む企業でありたいと柔軟な働き方や、協働日本との協働を通じて次世代経営者の育成にも力を入れている山岸製作所。

今年10月には、テレワークを活用した柔軟な働き方を体現し、優秀な取り組みを実施している企業に送られる賞「テレワークトップランナー2024 総務大臣賞」を受賞されるなど、注目を集めています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

▼過去のインタビュー記事も合わせてご覧ください

STORY:山岸製作所 山岸晋作社長 -挑戦する経営者にとって、協働日本は心強い伴走相手になる-
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STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-
https://kyodonippon.work/post-3610/

企業の課題や、事業のフェーズに合わせて「人材育成」に伴走。

ーー本日はよろしくお願いいたします。協働日本とのお取り組みも3年目になりました。協働をスタートしたきっかけから、ここまでの歩みについて、改めてお聞きできますでしょうか?

山岸 晋作氏(以下、山岸):はい、よろしくお願いいたします。

協働日本との出会いは、金沢で事業を展開している発酵食品の老舗、四十萬谷本舗の四十万谷専務からのご紹介でした。

当時、事業について悩んでいた際に四十万谷さんとの会話の中で「相談相手として、良い人がいるよ」と紹介していただいたのが協働日本代表の村松さんでした。

かねてより四十万谷さんが都市圏の複業人材と協働型のプロジェクトに取り組んでおり、成果を挙げられいると聞いていたので興味を持ち、何度かお話を重ねるうちに弊社でも協働をスタートさせるに至りました。

ーー最初に取り組まれたのは、売上向上のための社員教育だったのですね。

山岸:はい。暮らし方を提案する、弊社のインテリアショールーム「リンテルノ」 での売上を向上させるため、社員教育の支援をお願いしたのがはじめのプロジェクトでした。

背景には当時、取り扱う様々なブランドを代理販売するこれまでのビジネスモデルの見直し、いつしか単に物売りになってしまっていることへの危機感を感じていたことがありました。

今、山岸製作所は、これから売っていくべきものを「暮らし方」そのものと定義しています。
そのためには山岸製作所の存在意義や、なぜこのブランドを取り扱うのか、自社の中で明確な言語化を進めておかなければ、いずれ行き詰ってしまうだろうと考えました。

さっそく社員教育として、協働日本に所属する協働プロの方々と、弊社のショップリーダー3名とでチームを組んで取り組みがスタートしました。

私たち一人ひとりが売っているものはすなわち何なのか、提案する「より良い暮らし」とは何か。
これからの山岸製作所にとって重要な価値観を、メンバーそれぞれで悩み時に意見をぶつけながら考えていきました。そうしていくうちに、それぞれが納得感を持って日々の販売や新たな戦略に携わっていけるようになりました。

とはいえ、この頃はまだ事業の回復に向けて必死だった時期。
社員教育そのものの捉え方も、未来への投資という考え方よりも、目先の売上向上のための販売力強化という意識が強かったかもしれません。

山岸製作所のショールームで協働プロと議論を重ねた

ーーなるほど。更なる取り組みとして、翌年の2023年には協働日本の提供する『経営リーダー育成プログラム』へ企業幹部が参加し、経営人材としての視座向上に取り組まれていましたね。

山岸:これをきっかけに、組織を蘇らせようという危機対応フェーズから、中長期的な成長を意識した組織の成長フェーズに舵を切りました。私の意識も、未来のためここで変わっていこう、変えていこうという方向に向いていました。

そこで必要になるのが組織の中核になる存在です。組織の成長に向き合った時、社長である私自身と幹部たちの間に見えない距離があることを課題に感じはじめていました。

その正体は何かというと、経営をしていく上での根っこの部分、価値観のすり合わせができていないことです。
どうやって、両者の価値観のすり合わせればいいのか。どのように幹部候補の成長をサポートすればいいのか。社長ひとりの頭の中では解決策が浮かばず、悩んでいました。そんな時、協働日本代表の村松さんから「協働日本では企業の幹部育成にも取り組んでいる」という話を伺いました。

リンテルノの販売力を、人を育てることで向上させてきた協働日本さんに、今度はより長い目で見た時に必要となる人材育成をお願いしたいと思うようになりました。
それが『経営リーダー育成プログラム』をお願いしようと決めた経緯です。

この時は、幹部候補の2名──初年度から伴走支援を受けているリンテルノのリーダー西島と、営業・オフィス戦略マネージャーの奥永の両名に挑戦してもらうことにしました。

『経営リーダー育成プログラム』は、協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、企業幹部を経営者リーダーとして育成するものです。
ワークショップのセッション、事業開発のメンタリングと、コーチングからなるプログラムで、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成・意識の変革を目指すという内容でした。

結論から申し上げて、このプログラムは非常に効果が大きかったと感じています。
その理由は、当初の狙い通り、私の価値観───例えば未来に向かってのビジョンや、会社をどうしていきたいかということに対して幹部候補たちと相互理解できただけでなく、彼ら自身の中に燻っていた熱い想いを、彼らの言葉で言語化できたことにあります。


山岸:プログラムに参加した幹部のひとり、奥永の振り返りでは、「協働日本の提供するプログラムを受け、自分自身や会社のことにあらためて向き合い、それらの存在意義について徹底的に、そして絶え間なく考え続ける時間を持てたことによって、頭の中のピースがつながるようになった。確固たる判断軸ができた」と話してくれました。

仕事のこと、経営のこと、会社の理念なども、実際に経営者のお客様と話しているときなどに話がすっと入ってくる・何を言っているかわかるようになったと。

私から見ても、私と彼との間でも交わす言葉がのチョイスも重なってきたと感じました。

そんな時、彼自身の変化に気づいた時、「どうしてそうなった?」と質問すると「自分の中の存在意義と会社の存在意義が重なった部分に気づいてから、前に進み出した気がする」という答えが帰ってきたんです。とても印象的でしたね。

また、主語が「会社」から「自分」になる場面が増えたとも言っていて。それまで「会社のためにこうすべき」で思考が止まっていたことが、徐々に「会社がこうなったらいいなと思っているから、自分がこうやって進めたい」という主体的な言葉に変わっていったんです。この頃には実務の中でも「自分がやります」という言動が増えてきていました。

外からの刺激や圧力よりも、内なる声を聞くことのほうが、より人を強く動かす。行動する背中を押す力になるんだと、私にとっても学びになりました。

社長という立場ゆえに感じることですが、内部の人間だけで価値観をすり合わせ、会社の未来を自分事化させて内なる声を引き出すことはとても難しいことです。

いつも一緒に仕事をしている社員同士や、取引先とのやり取りというのは、いわば安全地帯、「コンフォートゾーン」です。同一的な環境にずっと身を置いていると、自分にとってそれがコンフォートゾーンであるということにすら気づくことができません。

外からの刺激があって初めてそれに気づき、コンフォートゾーンを意識することができます。そうしてはじめて、そこに身を置くべきか、そこから飛び出してチャレンジした方が良いのかという選択ができるようになります。

プログラムに参加すれば誰でも同じように結果が出るかといえばそうでもありません。変革のための「意識の種」が必要で、今自分がやっていることに何かしら違和感や「このままでいいのか?」という想いを抱いていたメンバーだったからこそ、コンフォートゾーンを飛び出すことができたのだと思います。

協働日本には、事業開発のメンターと、自分自身と向き合うためのコーチングの両軸が揃っています。内なる自分の声を引き出す、『経営リーダー育成プログラム』はそういった変化を生み出してくれました。


ーーありがとうございます。2024年の現在は、どのようなテーマに取り組まれているのでしょうか?

山岸:お話しした、昨年の成功体験があったので、引き続き『経営リーダー育成プログラム』に取り組むことを決めました。今年は、幹部候補の次の役職レイヤーから3名が参加しています。

ーー継続的なプログラムになったんですね!山岸さんの想いを受けて、3名の方も西島さんと奥永さんに続いて大きく変化してくれそうですね。

山岸:実は、今年の取り組みをスタートさせる時に背中を押してくれたのは昨年の参加者の西島と奥永だったんですよ。

協働日本の伴走支援を受けた2人がその価値を理解して、後輩達にも受けてみてほしいと。越境学習の効果を語り、社内への説得を後押ししてくれました。今では、プログラムを受けながら日々成長している3人の姿を、皆で見守っています。

ーー1年間のプログラムを受け終えた時の姿が今からとても楽しみですね。

山岸:そうですね。前半のワークショップと毎週のセッションを終え、今は2週に1回の実装フェーズに入っています。

でも、実を言うと今年のプログラムで一番学ばせてもらっているのは私かもしれないと思っているくらい、彼らのセッションの中には気づきが多いです。

セッションの録画を毎回見ているのですが、協働プロと3人のやり取りの中で見えてくる課題こそが、驚くことに山岸製作所の課題そのものなんですね。

それは、彼らがより現場レイヤーに近いからこその視点ということもありますが、今、山岸製作所にとって必要なことは何か?がリアルに見えてくるので、実際に経営会議で議題としてあげたものもあります。

毎週の朝礼で私の考えを話しているんですが、伝えたいことが伝わっていない、こんな伝わり方をしているんだという発見もありました。
例えば、山岸製作所では個々の自主性を引き出していくことを大切にしていますが、それを「個人商店」のように捉えら大きなプレッシャーを感じている社員もいるということも、彼らの視点から見えてきたことの1つです。

それぞれに違う切り口ではありましたが、3人とも共通して「どうやってメンバー同士助け合えるか、孤立しない組織にできるか?」を本質的にやりたいことと考えて、取り組んでいたんです。

山岸製作所では、自主性を引き出すために働く時間も場所も自由で、裁量権多く仕事をしていける環境を整えています。
しかし、現場レイヤーの視点で考えると、自由な環境ゆえに、メンバー同士が団結して助け合っていく意識がないとかえって個々の仕事や責任を全うすることが難しいと感じていた。3人のセッションから出てくるそういった投げかけは経営課題の本質に迫るものでした。

自由な環境だからこそ、社員を孤立させてはいけない、メンバー同士が繋がってプレッシャーを補いあって、個の集団でありつつも、より強固なワンチームになっていく。これをどう具現化していくか、経営レイヤーでも取り組んでいきたいと思っています。

「彼らの見ている山岸製作所」から一番学びを得ているのは紛れもない私自身で、経営者として方向を修正することが出来ているのは、繰り返しになりますが、やはり貴重な機会ですよね。

社員の学びを支援する、柔軟な働き方が評価され、総務大臣賞を受賞。

ーー今年のお取り組みといえば、10月には、テレワークを活用した柔軟な働き方を体現し、優秀な取り組みを実施している企業に送られる賞「テレワークトップランナー2024 総務大臣賞」も受賞されています。受賞に至る背景についてもお話お伺いできますか?

山岸:はい。きっかけは2023年の秋に北陸総合通信局(総務省の地方支分部局)主催のイベントに登壇したことです。

そこで山岸製作所の働く環境、テレワークの取り組みについて紹介したことが北陸総合通信局の中で話題になったようで、今年のテレワークトップランナーへの応募を勧められ、山岸製作所では長くテレワークの取り組みを進めていあこともあり、折角の機会だからと応募したところ、全国で3社しか選ばれない総務大臣賞をいただくことに。

山岸製作所にとってのテレワークは、売上向上や業務の効率化を目的としているというよりは、社員の自主性を育む組織であるための手段だと考えています。

管理や制約などの枠組みを取り払って、自分がやりたいことに向かっていく方が、絶対成果が出てくると思っていますし、それを実践している会社であり続けようと取り組んできました。

テレワークというと自社の社員がどこで仕事をするか?ということや再現性、効果についてフォーカスされがちです。

私はそれだけでなく、山岸製作所が社外の方と一緒に仕事をする、コミュニケーションをとることのハードルを下げることができることにこそ、「テレワーク」を推進していくメリットがあると考えています。

テレワーク環境・理解が整えていくことで、時間的・距離的なボーダーをなくすことができるので、山岸製作所に関わってくれる全ての人にとってもコミュニケーションがとりやすくなる。私たちをサポートしてくれる人たちの力を最大限活用できる仕組みづくりに繋がると思うんです。

実際、早くからそういった取り組みを進めていたからこそ、物理的な距離があっても、協働日本の協働プロの皆さんとの取り組みもすぐに始められましたし、リモートで行なっている協働プロジェクトから多くの成果が生まれました。

総務大臣賞を受賞。受賞3社の中で唯一の地方企業となった。
引用元 「テレワークトップランナー2024 総務大臣賞」等の公表


ーー山岸社長が大切にされてきた、自主性や個の成長を育むための環境整備が受賞に繋がったのですね。この賞は山岸さんが大切にしている、「山岸製作所らしさ」が体現されていますね。

山岸:「社員、スタッフ皆を信頼して自主性を引き出した方が成果は出る」ということを信じられないとテレワークを推進することは難しいと思うんです。

遠距離恋愛と同じで、一度疑い始めたらきりがないし、うまくいかなくなってしまう。やっぱり山岸製作所では社員全員を尊重し、時に協働日本のような社外の力も借り、信頼しあってそれぞれが成長をしていける、そんな組織でありたいと思います。その形が生んだ成果と取り組みを評価いただけたことは、とても嬉しいことです。

こうやって改めて協働日本との取り組みを振り返ってみると、初年度はまだまだ利益偏重主義、目先のことで必死でしたね。一緒に取り組みを進めていく中で徐々に売上も体制もようやく整い出し、ようやく未来を考えられるようになってきている今、あらためて変化を実感します。

私自身も月に1度、代表の村松さんにメンタリングをお願いしています。
村松さんからいただいた課題や問いに対して、自分はどうありたいか、どうあるべきか、どう取り組むか徹底的に考え、言語化していく。その時間を通して、自分で自分の視座を上げていく貴重な時間です。

私のそういった取り組みを見て、社員のみんなも頑張らなくちゃと思ってくれる。
「これをやりなさい」と上から与えるのではなく「一緒に頑張ろう」という姿を見せることで、共に成長していける手応えを感じます。

社員を信じて働き方を柔軟にし、学びや成長の機会をどんどん作ることで、それを企業の成長につなげていく。この文化を守っていきたいと思います。

協働日本は中小企業にとっての「最強の人事部」ではないか

ーー最後に、これから取り組まれたいことや、協働日本に期待されていることがあれば教えてください。

山岸:協働日本は、私たち中小企業にとっての、「最強の人事部」だと思っています。

これからの時代に対応するためには、柔軟に生きていく必要がありますが、一方で私たち中小企業には、その都度、人を採用して内製化するだけの時間も余力もなかなか持ち合わせていません。

そこで、協働日本にいる多くの協働プロたちに、その時のテーマに合わせて協力いただけることこそ意義があると思っているんです。

売上向上のため、人材育成のため、採用のため……その時々の自社の課題や事業テーマに対応してもらえるプロがすぐそばにいてくれる。そんな私たちの「最強の人事部」を活用しない手はありませんよね。

例えば具体的にこれからの取り組みについてもお話しすると、実は来年、福井県への事業進出を決めています。

事業拡大のためのマーケティング支援はもちろん、新しい店舗で働くメンバーたちの教育や心のケアなど、協働日本に引き続きお手伝いいただきたいことがたくさんあります。

福井県の第一号店には、まさに今プログラムを受けているメンバーの1人がリーダーとして赴任することが決まっています。協働日本の伴走支援や育成プログラムは、本人にとっても組織にとっても、既に「実践」の場になってきています。

私はこうして折角、山岸製作所に関わっていただけるのであれば、協働日本や協働プロの皆さんに金銭的なメリット以外の価値も感じていただきたいと思っています。
大手企業に勤めている協働プロの皆さんも多い。地方の中小企業経営のダイナミズムやスピード感は、大企業にはないものがたくさんあります。そこにはきっと、逆に彼らの学びに繋がるものもたくさんあると思っています。

山岸製作所と、伴走してくださる協働日本の皆さんで、win-winの関係で成長しあえる……そんなお付き合いを続けていければと思っています。

これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

山岸:ありがとうございました!

山岸 晋作 / Shinsaku Yamagishi

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。

協働日本事業については こちら

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STORY:有限会社いやタクシー 森山 雄宇氏 -社員の声から作り上げたパーパスで、組織が自ずと動き出した。次世代の育成・組織の成長のための第一歩-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社いやタクシー  代表取締役の森山 雄宇氏にお越しいただきました。

有限会社いやタクシーは、1961年創業のタクシー事業を中心とした交通インフラ企業。車が今ほどあまり普及していない頃から、地域の”足”として地域に貢献してきた、いやタクシー。

自家用車が普及して需要が右肩下がりになる中で、2000年頃からは貸切バスや路線など複合的に交通インフラに対応。どうしてもドライバーに負荷のかかってしまう従来のビジネスモデルから脱却し、生産的に無理なく、待遇や働く環境を良くするために自社独自のビジネスモデルを作っていきたいと考えるようになった森山氏。そんな中で協働日本と出会い、協働プロジェクトを通じて、社内改革を進めています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「幹部育成」の悩みのテーマの背景を整理して行き着いた、組織改革の最初の一歩。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働をスタートしたきっかけについて教えてください。

森山 雄宇氏(以下、森山):はい、よろしくお願いいたします。

協働日本を知ったきっかけは、商工会の指導員をしていた知人からの紹介です。以前から、実態として幹部・管理職がいないことが自社の課題としてあったため、育成していきたいということを相談していたんです。その方がスタートアップ系のコミュニティ事務局をしていることもあり、協働日本の取り組みについてご存知で紹介を受けました。

協働日本の伴走支援は、伴走する中で企業に本質的に必要な考え方をインストールするようなイメージだとお聞きし、今この瞬間も、先を見据えた時にもリソースが足りない課題を抱えている弊社にはぴったりの取り組みではないかと思い、詳しくお話を伺いたいとお返事しました。

その後すぐに協働日本代表の村松さんをご紹介いただいて、メッセンジャーやお電話で丁寧にお話しをしてくださり、疑問点が解消されたことで協働を決めました。

ーー実際に伴走支援がスタートしてからはどのようなプロジェクトを進めているのでしょうか?

森山:プロジェクトとしては、組織改革全般に取り組んでいます。協働プロとして協働日本CSOの藤村昌平さん芹沢亜衣子さん、そして協働サポーターとして山本さんに入っていただいています。最初の段階ではまず、自社の課題を整理していったのですが、管理人材・幹部・管理職というポストの人材がいないこと以外にも、そもそも社内でのキャリアアップの流れも作れていないことなどが可視化されていきました。

例えば、私が受け持っているミドルマネジメント的な業務も属人化してきており、人に渡せるように仕組み化するべきという課題が見えてきたんです。いわゆる文鎮型で成り立ってしまっている組織なので、このままでは将来的な発展が難しく、改めて適切なポストや人材育成を行う重要性を言語化することができました。

また、社員側の業務についても、生産的にリソースを使えているかを改めて整理したところ、現状の給与体系は歩合の割合も大きく、新しいことに自発的に挑戦しにくい環境であることがわかってきました。

元々将来的には固定給を取り入れていきたいと思っていたので、モチベーション高く仕事をしてもらうために給与体系の変化や、評価制度の策定も必要だという話が持ち上がったんです。

段階を追って1つ1つ着手することになり、まずは人材育成からという方針で進めていく中で、自社の考え方を整理し、評価の軸となるものが必要ということで、パーパスや、ミッション・バリューを言語化していって社内に共有することになりました。

こういった組織改革については、これまでも試行錯誤していた部分ではあったんですが、打ち合わせを重ねる中で「やはり必要なんだ、ここに行き着くんだ」と思いましたね。
自分でも10年くらい前に経営理念を考えて提示したこともありましたが、社員の腹落ちしない言葉を掲げてもあまり浸透せず……自分の中で熱が落ち着いてしまっていた部分だったので、根本的なことから改めて取り組むことができてよかったと思っています。

パーパスやミッション・バリューなど、会社の軸となる部分が出来上がってきてからは、評価制度の中身を詰めていくことや、業務の切り分け──属人化してしまっている私の仕事の中で、誰かに渡せるものはないかという整理を進めていっています。

社員と作り上げたパーパス。全体の理解度・腹落ち感が向上することで組織が進み始めた。

ーー実際にプロジェクトの中でできたパーパスやミッションなど、成果としてはどのようなものが出来上がったのでしょうか?

森山:まず着手したのはミッションからでした。タクシー事業や観光事業など今までやってきたことを軸に、自社の使命とは何かを言語化したものが「移動や交流を通じて人々の日常を豊かにする」です。

このミッションが出来上がった時、社員に向けてプレゼンをしてフィードバックをもらうようにしました。社員にとって腹落ちしない言葉では浸透しないので、協働プロとの壁打ちの中でどうやったら社員の皆に想いが伝わるか、言葉選びや説明の仕方もサポートして頂きました。

次にできたバリューは「地域社会にとって不可欠な企業として、人々の日常生活をさらに豊かにするために持続可能なサービスを提供し続ける」です。

こちらも同じように社員に向けたプレゼンとフィードバックをもらいました。

結果的に、これまでで一番丁寧に社員に向けた説明ができたという手応えがありましたし、実際社員の反応もよかったんです。フィードバックの中でそれぞれの想いを言葉にしてくれていたので、それをヒントにパーパスを策定していきました。

ーー社員の皆さんの声も取り入れながら作り上げていったのですね。

森山:そうですね。これまでは、私が作ってから社員に伝えようと考えていたのですが、社員に伝えながら段階的に作っていけたことがよかったです。

フィードバックをもらうことで、私の説明からきちんと伝わったこと・伝わりにくかったことだけでなく、社員のこだわりやそれぞれが大事にしているものなど、インサイトが次々と見えてきたんです。

例えば、10年後どうなりたいか?という質問を投げかけたところ、若手の意見として「この業界で働いている先輩の描く未来図が気になる。先輩たちがやりたいことを、自分達の代で成し遂げたい」という言葉が出てきたんです。ベテラン達に10年後を問うても、引退しているかもしれないし……と消極的になりがちなのですが、この若手の言葉を聞いたベテランの皆さんも「自分達の思いを継いでくれる存在がいるなら」と自分ごととして10年後の未来を捉えて意見を出してくれたんですね。

創業から60年以上、事業をつないできた先輩達がいるから今があり、未来がある。その感覚を社員たちで共有することができて、ベテランも含めて改めて未来の話をすることができたのは大きな成果だったと思います。

そんな社員の想いを落とし込んでできたパーパスは「営みを繋ぎ豊かさを支える」です。

ーー素敵なパーパスですね。

森山:ありがとうございます。いやタクシーは元々まちのタクシー屋さんなので、この地域に自社しかいない存在──住民にとってのインフラを担っているのだという揺るぎない自負が私達にはあります。

もし我々がタクシーをやめてしまったら、ここはタクシーのない地域になってしまう。今後新たなタクシーの参入もおそらくないと思われ、民間の事業者の努力だけで保たれていた地域の利便性が下がってしまう。そうすると、地域の衰退につながるのは自然な流れです。

今では収益性の高い、バス事業や観光事業など様々な事業を持っていますが、やっぱり私達の事業は、地域の活性化や、このまちが元気な状態でずっと続いていく前提として必要なインフラだと思っています。こういった、社員が共通して持っている自負、地域への想いが「豊かさを支える」という言葉に繋がったのではないかなと思います。

このように社員の理解度・腹落ち度などは確実に上がってきていることが目に見えるようになりましたし、指針ができたことで次にすべきことも明確になって、組織として進み始めた実感を持つことができています。

ーーこういった経営理念の策定や幹部育成は、元々試行錯誤されていたテーマでもあったと思います。伴走支援が入ったことによる変化や学びはどのようなところにありましたか?

森山:そうですね。一番大きな学びとしては、アプローチの仕方が変わってきたことかなと思います。先ほどの、ミッションやパーパスを段階的に説明してフィードバックをもらっていくという手法もそうです。

幹部育成のテーマにおいても、これまでも幹部候補を育成しなくてはと思って、「右腕」として人材を配置したことはあったんです。ところが、これがなかなか上手くいきませんでした。
協働プロと話をしている中でわかってきたのは「右腕」のポストであると社内に周知されていると、ポストに就いた方にはプレッシャーなど見えない負荷がかかってきやすいんですよね。そうすると、どれだけ能力の高い人であっても伸び悩んでしまったり、折れてしまうことがあってもおかしくありません。
その人が元々持つ能力に注目するだけでなく、「育っていく仕組み」「環境」も伴わないとうまく育たないんだ、というご指摘をいただきハッとしました。

逆に言うと、現時点での能力の高さよりも、仕組みや環境の方が大事なのではないかという気づきがありました。「右腕」を育成したいとしても、一人だけに負荷のかかるようなことがないように進めないと、人材も育たないという発想に変わったんです。

こういった、仕組み次第で育成できるのではないか?ということに気づくことができたのは自分の中での大きな変化だったと思います。

そんな気づきもあって、現在はポストや役職にこだわるのではなく、業務ごとに私の仕事を整理して社員に任せていくように変わってきました。
現在は、将来的なリクルート面も見据えて、人事制度の策定について伴走支援をしていただいています。


現在は、私と妻とでプロジェクトに参加させていただいているのですが、先々には幹部候補のメンバーも同じようにプロジェクトに入ってもらい、協働プロの皆さんにメンタリングしてもらうことができれば、グッと経営意識が伸びてくる人もいるんじゃないかと感じ始めています。やっぱり外部の人の声の響き方は違うと思うので、活用させていただきたいですし、早くそこに到達できるように進めていきたいと思っています。

協働の中で長期的視点での人材育成のためにも、複業人材の活用で経験を自社にインストールしたい。

ーー複業人材の取り組みについて、これまでもご興味はおありだったのでしょうか?

森山:はい。前に他社の複業人材のマッチングサービスも使ったことがありました。自社で新たに人材を獲得したり育成したりすることは難しいので、外注でサポートを得るしか選択肢がありませんでした。

1年間の契約の中で新しい考え方を取り入れることもできましたし、複業人材の活用により、もっと本質的な変革のための知識・経験のインストールやリソース作りができたらいいなと思うようになりました。

ーーなるほど。それで協働日本の伴走支援にもご期待いただいたのですね。今後このような取り組みは広がっていくと思われますか?

森山:そうですね。特にこれから生産性を高めたい、事業をスケールさせたいと考えた時、弊社と同じように、中小企業でいきなりスキルを持った人材を獲得することは難しいと思うので、協働日本のような複業人材のサポートで得た経験や知識を将来的な人材育成や獲得に活かすしか思いつかないくらいです。

同じような悩みを持つ経営者の方が身近にいれば、ぜひ協働日本さんとの取り組みの輪に入っていただくことをおすすめしたいと思います。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

森山:非常に信頼できるサポートをしていただいていると思っています。約1年間のスケジュールを流れの中で組んでいただき取り組んできましたが、いよいよ来月には来社いただけるということで、実際にお会いできることをとても楽しみにしています。

オンラインで毎週1回という部分もとても良いですが、それ以外にもこうやってお互い負担のない範囲で対面できる機会を作っていただくこともできるのは嬉しいですね。これからもよろしくお願いいたします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

森山:ありがとうございました!


森山 雄宇 / Yu Moriyama

有限会社いやタクシー 代表取締役社長

島根県松江市出身、在住。大阪で輸入小売販売業に従事し、マーケティングや顧客対応、マネジメントのスキルを磨く。2009年に家業であるいやタクシーに入社し、地域交通を支える多角的な事業展開を推進。創業事業であるタクシー事業を軸に、地域のコミュニティバス、貸切バス、旅行業といった多様な業種・業態で、地域における持続可能なビジネスモデルを模索。業界に先んじて最新型リフト付き車両を導入し、「地域交通のユニバーサルデザイン化」を目指したインフラ整備に注力する。

時代の変化に伴い、従来の待ちの営業から脱却し、自社独自の企画やコンテンツの開発を通じて、新たな挑戦を続ける。地域と共に歩み、交通を通じた日常の豊かさを追求する。


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協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社こみんぐる  取締役の林 俊伍 氏にお越しいただきました。

株式会社こみんぐるは、「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」をテーマに、石川県金沢市で宿泊業をはじめ、さまざまな事業を展開している「地域総合商社」です。

コロナ禍で大打撃を受けた宿泊業。こみんぐるも例外ではなく、事業の立て直しと並行して新たな事業を創造する必要性に迫られていました。

そんな中、協働日本との出会いから、共同で新規事業開発をスタート。そうして人材育成を通じた企業のコンサルティングプログラム『Workit』が誕生し、現在は参加まで半年待ちの大人気のプログラムになっています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを通じた成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

既存事業のブラッシュアップだけでなく、「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」の思いを叶える新規事業立ち上げにも伴走

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

林 俊伍氏(以下、林):はい。協働日本と出会う前からずっと、こみんぐるは金沢市で「旅音」という貸切宿の運営を中心にした、宿泊業・イベント運営などを行なっていました。

そんな中2020年にコロナ禍に突入してしまい、同年の4月には通常は月1,500万円あった売上が0円になるような状況に。この経験を経て、これはまずいと。

これを機に、一度立ち止まって考えてみることにしました。目の前の宿泊業のブラッシュアップも重要だけれども、そもそもこみんぐるは「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」をテーマにしている会社。

そのためにすべきことはいまの宿泊業だけではないよな、という思いもあって。以前から大切にしていたこのテーマに向き合える事業を作りたいと考えるきっかけにもなりました。

実現に向けたアイディアは色々あったものの、それを実際に事業の形にするに当たっては、いろいろと悩む部分がありました。そんな時に、同じ金沢市の事業者である四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介で協働日本と出会いました。

さっそく協働日本代表の村松さん、CSOの藤村さんとZoomで話をしてみたところ、「こみんぐるの大切にしているテーマの、本質を捉えた事業を一緒に作れる人だ」と直感的に感じすぐに協働を決めました。

ーーなるほど、経緯もよく分かりました。協働の取り組みはどんなことからスタートしたのでしょうか?

林:まずは、こみんぐるの主事業である宿泊業の「旅音」のブラッシュアップからスタートしました。オンラインを中心に、ときには金沢にもお越しいただきながら、議論を深めていきました。

他にも、2021年から石川県珠洲市で始めた「現代集落」のプロジェクトについても、協働日本に伴走していただきながら作っていきました。

「100年後の豊かな暮らしを実験する自給自足の村作り」と題して、水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を、先人の知恵とテクノロジーで実現できないか、様々な取り組みをしています。

こちらは、株式会社こみんぐるとは別に「株式会社ゲンダイシュウラク」という会社組織を立てて引き続きプロジェクトを進めています。

そうして並行し、先ほどお伝えしたような思い「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」を実現する新規事業のアイディア、異業種交流型の2泊3日課題解決ワークショップ「Workit」の立ち上げについても伴走していただきました。


ーーこれまでも様々な企業や協働プロからも話に上がっていた、協働日本との共同事業『Workit』もこうした取り組みの中で生まれたのですね。

林:そうです。Workitは、実際の地元企業の経営課題をテーマに、地元企業の社員とプログラムに参加する都市圏の大手企業の社員が、知らない人同士でチームを組み、その地元企業の社長が毎日悩んでいる抽象的な経営課題について2泊3日で向き合って、時にフィールドワークをしたり講師と壁打ちしたりしながら、最終日には練り上げたアイディアを社長に対してプレゼンするというプログラムです。

協働が始まった当時、藤村さんはライオン株式会社の新規事業創出を担当されていたのですが、大企業の中では経営者に直接アイディアのプレゼンをしてフィードバックをもらう機会を作りにくかったり、直接現場に出向いて顧客の声を聞いて情報を集めることの重要性が伝わりにくかったり、という実感があったようです。

どちらも新規事業を企画するにあたって重要な経験になりうる一方、机上の空論・言葉だけでは伝わりにくかったり、体験できるワークショップなども質の良いものがなかなかなく、その機会として”模擬経営”の機会を作りたいというアイディアをもたれていました。

そのアイディアも、こみんぐるのフィールドを使えば実現可能ではないかと考え、一度一緒にやってみることにしたんです。

振り返ってみると実はこの時、僕自身も、こみんぐるの代表である僕の妻も、Workitのコンセプトにあまりピンときていませんでした(笑)それでもまずは一度やってみようと。

こみんぐるの運営する貸切宿「Kanazawa旅音」を拠点に開催される『Workit』。24時間貸切だからこそ、集中して取り組める。
ーーそうだったのですね!ピンときていなかったのにも関わらず、まずやってみようと思えた理由はなんだったのでしょうか。

林:単純に、協働日本の皆さんが絶対にニーズがあるという確信を持っているように見えたからです。

まずはじめに講師役として、協働日本の藤村さんに協力していただきました。

参加者を集め迎えた初回の『Workit』ですが、蓋を開けてみるとものすごく盛り上がり、地元企業の方にも参加者の方にもとても喜んでいただけたんです。この盛り上がりを見て「これはやっていける」と感じて、本格的に事業をスタートすることにしました。

Workitでは、地元の企業と、都市圏の大手企業のそれぞれから参加費用をいただいてプログラムを実施しています。地元企業にとってのメリットは、次世代経営者の育成ができるという点。

地域企業の社長たちは、皆常に抽象的な課題と向き合って悩んでいるんですが、Workitの間は、地域企業の社員たちが同じように自社の課題について本気で悩むのがポイント。

2泊3日という短期間とはいえ、社長と同じように悩み、自社の課題に本気で向き合う経験をすることで視座がグッと上がるんです。加えて、プログラムを通じて本当にいいアイディアが出てくるかもしれない点も、魅力に感じていただいています。

一方で、大手企業側にとっても大きなメリットを感じていただけました。

新規事業を任されたものの、これまで営業や研究といった業務領域にしか詳しくない方たちや、マネージャーになったばかりの方が参加。「事業を作る」という実体験を踏まえて、視座を高めて帰っていきます。

プログラムのテーマとなる経営課題を提供してくれる地元企業の社長さんは、お金を払ってでも会社の未来をこの人たちと作りたい!という想いで社員を送り込んでくれるんですよね。この本気の熱量は、まず大手企業側の参加者に伝播するんです。

すると、今度はそれを見た地域企業側の参加者、社員の方々に火がつく。「うちの会社のことを、俺以上に真剣に考えている」と感じて、自分も負けていられないと本気になっていくんです。相乗効果ですね。

やっぱり、自分の会社の社長に「こういうことをした方がいい」と提案することって、勇気がいるじゃないですか。本当にやりたいのなら、言った本人がやらなくてはいけなくなりますからね。だからこそ、社長の前で「やりたい、やります」と宣言することには責任が伴い、本気の思いでそれを宣言することで魂が震える。

この一連の熱意の伝播こそが、『Workit』の盛り上がる理由であり、短期間でも参加者に多くの気づきが生まれる秘訣だと思います。

参加者がプログラム参加中2泊3日で宿泊するのも、こみんぐるの運営するホテル「Crasco旅音」。個室でとても過ごしやすく、コワーキングスペースも併設。マスコットキャラの「旅猫」がお出迎え。

半年待ちの人気プログラムへ。共同開発した『Workit』のさらなる進化

ーー協働を通じて誕生した『Workit』ですが、プログラムの内容などは少しずつ変わっているのでしょうか?

林:そうですね。開始当初に比べると、随分変わりました。先ほどお話ししていた、プログラムの軸となる立て付け自体は変わりませんが、フィードバックの仕方や、講師役が話をするタイミングなどを少しずつブラッシュアップしています。

初期は「本気の経営会議」という雰囲気でしたが、参加者が増えるに連れ、今は熱量はそのままに「カリキュラム」としてブラッシュアップし、進化し続けています。

ーーなるほど。『Workit』を続けていく中での新たな気づきや工夫ついてもお聞きできますか?

林:はい。まず『Workit』を事業化してしばらくは提供価値の言語化ができておらず、営業に苦戦していたんです。お客さんは皆すごく喜んでくれるけど、それがなぜなのか。先ほど話したような価値が明確になるまでに時間がかかりました。

地元企業、そして大手企業にとってそれぞれどんなメリットがあるのか、『Workit』の魅力を伝えられるようになってからは営業の際の反応も変わり、事業自体がどんどん進んでいったように思います。

当初は、地元企業・大手企業のどちらも自分達で営業開拓をしていたので、苦戦することも多かった。

それが、現在では金沢信用金庫とアライアンスを組み、そこから地元企業を紹介してもらう座組みになりましたし、おかげさまで大手企業のリピーターも増えてきたことで、月1回の開催ができるようになっています。

地元企業も、大手企業も、半年先まで参加枠が埋まっている状態です。

ーー半年待ちとは、大人気のプログラムですね!協働日本とはどんな取り組みが継続していますか?

林:はい。現在でも、年12回のプログラムの半分は協働日本から、 足立紀章さんをはじめとした協働プロの方々に講師としてご参加いただいています。

「共同事業」という形で協働日本と協力しながら、進化を続けていっています。

おかげさまで、売上自体も順調に上がってきていて、メイン事業である宿泊施設「旅音」の営業利益と同じくらいの規模になってきています。
現在、「旅音」の事業も大きく成長していく中においても、今期全体の営業利益のうちの30%くらいを『Workit』が生み出しています。まだまだこれからではありますが、確実に事業一つの柱になりつつあります。

ーーぜひ多くの方に知っていただきたいですね。

林:はい。これからは、地域の事業承継を考えている経営者の方に、もっと参加してほしいと考えています。どうしても、会社を経営していれば次の世代にバトンを渡していくことは避けて通れません。それを見据えて何かしたい、動き始めているという方にこそ『Workit』を知ってほしい。

加えて、同じくらい大手企業側にももっと関心を持ってもらえたら嬉しいですね。いま会社において「問題解決できる」ことは当たり前で、これからは「問題発見できる」人の存在の方が重要だと思います。

言い方を変えれば、与えられた問いを解ける人ではなく、自分で問いを立てられる人を育成していかないと、どこかで立ち行かなくなってしまいます。

だからこそ、会社の未来を担うマネージャー層や、新規事業に携わる層に、『Workit』を通じて「問いを立てる」経験を積んでもらいたいと考えています。

講師役を勤めるのは、新規事業開発のプロたち。経験者との壁打ちでアイディアの精度を高めていくことができるのも、好評。

組織を変えるのは「よそ者、若者、ばか者」?──複業人材の関わりよって変わる地域と会社の共通点。

ーー『Workit』も、地域企業と都市圏の大企業の接点を作ることに寄与していると思いますが、協働日本のような複業人材との関わりが増えることによる、地域企業の発展について、林さんはどのようにお考えですか?

林:その回答には、なぜ『Workit』というプログラムには、大手企業の参加者が重要なのかという理由にも通じますね。

こみんぐるは「100年後にも家族で暮らしたい地域」を作るために事業を行っている企業です。なぜその活動の中に、地域から見たらまったくよそ者の大手企業の参加者が必要なのか。

それは、地域の中だけで閉じるのではなく、外から人が入ってくる入り口──いわゆる関係人口になる人たちの入り口が非常に重要で、金沢において自分達がそれを担っているという認識と自負があるからです。

地域を良くしていくために必要な人材は3もの、「よそ者・若者・馬鹿者」だとよく言われますが、能登半島地震後に再構築が必要になったまちをみると、その必要性を感じるようになりました。何かを変える、革新するためには、いい意味で異質な人を活用することがとても重要なんです。

僕は、地域づくりと会社づくりは、「人」が重要という意味では同じだと思っていて。同じところに住んでいる人が集まった組織が地域、同じ目的に向かう人の集まった組織が会社。

組織を変える、という側面では、地域と会社の構造はとても似ています。だからこそ、地域企業に良い意味で異質な「よそもの」が複業人材として関わってくるようになると、組織が変わっていく。その変化がまた、地域の変化に寄与していく。

協働日本の活動や、僕たちの『Workit』を通じて、関わった複業人材が関係人口となり、地域企業やその地域が進化していくサイクルをもっと生み出していければと思っています。

「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」ため、宿運営=「金沢のトモダチ業」をやっているという。いつでも人との繋がりを大切にしている。
ーー地震の影響があった中でも躍進するこみんぐるですが、今後の展望についてもお聞かせください。

林:僕たちは、「100年後も家族で暮らしたい地域」を作るために、地域が持続可能になっていくための事業をたくさん作って、地域の中でキャリアを描けるような仕組みを作るということをやっていきたいと思っています。

宿泊業に始まり、イベントや人材育成に通じるプログラムに挑戦していきましたが、これからはもっと地元の企業の再生に真正面から取り組んでいきたいと考えています。

やっぱり、地域の持続可能性を高めるためには、地元の企業がもっともっと強くならなくてはいけません。『Workit』は人材育成の側面がありつつも企業成長をサポートしてきたプログラム。この事業を通じて感じたのは、今後はもっと僕たちこみんぐる自身も地域企業の中に踏み込んで、伴走していきたいです。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

林:「人を育てる」ということには確実にニーズがあります。

これまでも様々な地域に、その地域に根ざした副業人材の活用や伴走支援をする、協働日本のような支援をしていた会社はありました。

一方で、協働日本は地域を跨いでいるのが大きな特徴だと感じています。

協働日本がいてくれることで、どこか特定の地域だけが良くなるのではなく、さまざまな地域でノウハウを横展開することができるのではないでしょうか。

地域企業にとって、潤滑油のような存在となって、積極的に新しいことに取り組めるように支援してもらい、こみんぐるのように事業を創る力を高めていく企業が増えていくことは、それぞれの地域にとってもとてもありがたいことです。

ーーぜひ今後とも協働パートナーとして協働の輪を広げていければと思います!本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

林:ありがとうございました!

林 俊伍 / Shungo Hayashi

株式会社こみんぐる 取締役
株式会社ゲンダイシュウラク 代表取締役社長

石川県出身。金沢大学卒業後、豊田通商株式会社に新卒入社、東京・名古屋での勤務ののち退職。愛知県の私立高校で非常勤講師を勤めた後、2016年3月に金沢へ帰郷。2016年5月、妻の佳奈とこみんぐるを創業。

地域社会の持続可能な発展に貢献し、100年後も家族で暮らしたい地域を作る」ため、『こみんぐる』を経営。金沢市内に貸切宿『旅音』を23棟経営。

2020年夏、石川県珠洲市の真浦集落で空き家になっていた古民家を購入したことをきっかけに、現代集落プロジェクトを始動。株式会社ゲンダイシュウラクを設立し、過疎化対策の施策としてではなく「限界集落」を「現代集落」に変えることを目指し、「100年後の豊かな暮らし」の在り方を模索、実験している。

趣味は柔道と美味しいものを食べること。

協働日本事業については こちら

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STORY:チャンピオンカレー 南恵太社長 -自社経営幹部の伴走相手として経験豊かな複業人材を活用。実感した大きな「変化」とは-
VOICE:足立 紀章 氏 -「変化したい経営者」を支えたい。地方の垣根を越えた人材交流で成長の芽を生み出す。-


STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社キラガ  常務取締役の太田 喜貴氏にお越しいただきました。

株式会社キラガは、創業40年・宝飾品の製造、加工、卸売、小売を行っている総合宝飾品メーカーです。静岡県の富士山の麓にある豊かな自然に囲まれたエリアに、こだわりのジュエリーと開放的な庭を備えた宝石工房を構えています。

コロナ禍で苦境に立たされ、現状打破と改革を目指し始めた頃に参加した講演会をきっかけに、協働日本がマーケティング戦略から人事戦略まで幅広く伴走させていただき早3年目。数々の取り組みを経てキラガの組織が大きく変わってきたといいます。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

強みの言語化と、卸売から小売への業態転換、ライブコマースへの挑戦に2年間取り組んだ。

ーー本日はよろしくお願いいたします。御社は協働日本とのお取り組みも3年目になるということで、協働をスタートしたきっかけからここまでの歩みについてお聞きできますでしょうか?

太田 喜貴氏(以下、太田):はい、よろしくお願いいたします。

元々は長く商社に勤めていたのですが、コロナ禍で宝飾品業界全体が業績不信に苦しんでいる状況を両親から聞いたことで、2021年に父が創業した株式会社キラガへ戻り常務に就任しました。

当時、売上もコロナ前と比較して3〜4割減という状況が続いており、どうにか現状を打破しなければという危機感を抱えていました。そんな中、地元の中小企業家同友会の会合で協働日本さんの講演を拝見したことが最初の出会いでした。

ぜひ協働日本さんと取り組みをしたいと考え、2022年4月から自社の理解とマーケティング面での課題を整理するための取り組みをスタートさせました。

初年度はマーケティング戦略、ブランディング戦略を丁寧に言語化。2年目はマーケティング戦略だけでなく、事業全体の方向性、人事戦略まで含めてかなり広いテーマの相談をさせていただくようになりました。

ーーありがとうございます。1〜2年目のお取り組みでの成果や変化についてもお聞きできますか?

太田:はい。宝飾品の卸売りを主業としていたのですが、それだけでは粗利率が上がりづらく、コロナ禍の状況も鑑みて、エンドユーザーへの直販に販路を広げていく方針転換を図ることにしたんです。そこで、協働の初めには「直販の売上を上げるため」の壁打ちをしていただきました。約半年間をかけて、自社の強みの理解、コンセプトの策定、店づくりの強化など、協働プロの皆さんと一緒に議論を重ねたことで、当社にしかない強み「お友達と来てジュエリーで遊ぶことができる空間」を言語化することができました。

そもそもうちのお店では、お客様がいらっしゃったらまず靴を脱いでスリッパに履き替えて頂く。そうやってリラックスした状態で、商品に自由に触って、好きなだけ試着をして頂けるようにしていました。
お買い求めいただく際にもし価格についてのご希望があれば、お客様には「お値段についてもぜひ、ご相談ください」と伝えています。こちらからそのようにお伝えすることで、お客様にとっても安心して商品をお買い求めいただける環境をつくっています。無理なときは無理ですと率直にお伝えしますので(笑)、ぜひお気軽にご相談いただけると嬉しいです。

こうした自由な空間、「ジュエリーで遊ぶ」という体験自体に価値があるのだという気づきは、振り返ると1つの軸になったように思います。

店頭でのコミュニケーションを改善したことも成果に繋がっていますが、改めて言語化できたキラガの強みである「リラックスした状態でお友達とジュエリーを楽しむ」をWeb上でも展開しています。SNS経由でのライブコマースでの販売に力を入れるようになり、高額商品もライブで購入していただけるような機会が増えたんです。

富士山の麓に構えた店舗。リラックスしてジュエリーを楽しめる空間づくりを心がけているという
ーーなるほど。卸中心の業態から、直販、そしてSNSとライブコマースへと変わっていったのですね。

太田:はい。そして協働3年目の今年は、採用や組織づくり、システム面、売上につながるマーケティング施策やSNS施策など、さらに幅広い内容で壁打ちをしていただいています。すべきことややりたいことがたくさんあるので、優先順位決めからどう進めていけばいいかまで協働プロの皆さんと相談して進めていっています。現在伴走支援に入ってくださっている協働プロは、向縄一太さん(花王(株)シニアマネージャー)、和地大和さん、田中紋子さんの3名です。途中メンバーの入れ替えもありましたが、継続して取り組みを進めてきたからこそ、壁打ちはとてもスムーズになってきたように感じています。過去の状況や、変化も把握していただいているので、今何が起こっていて何が課題なのかという部分も皆さんの理解が早く、とても助かっています。

強みである「ジュエリーを楽しむ」エンターテイメント性を追求する配信チームが発足。ライブコマースの躍進で小売部門の売上12倍に

ーー長くお取り組みさせていただいているからこその阿吽の呼吸なのかもしれませんね!そレだけ長期的にお取り組みいただいて、実際の事業としての成果はいかがでしょうか?

太田:おかげさまで、小売部門におけるライブコマース分野の売上が非常に順調です。協働がスタートする前は小売部門の月の売上が約200万円ほどだったのですが、現在では約2,400万円と12倍までに大きくなっているんです。

ーー一部門の売上とはいえ、12倍というのはインパクトが大きいですね!

もちろん、当初主業であった卸売を縮小しているものの、会社全体の売上でいうと当初は2億2,000万円ほど、昨年度は2億8,000万円、今期は3億円の着地見込みと増加しており、次のフェーズとしては年商5億円規模を描いて成長していけるようになりました。

ーーなぜそこまでライブコマース分野が成長したのかについても具体的にお伺いできますか?

太田:はい。初めはInstagramのLIVE配信(インスタライブ)からスタートし、視聴者がリアルタイムにコメントで見たい宝石やジュエリーの種類をリクエスト、それに応える形で商品を紹介していくスタイルでライブコマースを行っています。

協働プロの皆さんと相談する中で、InstagramだけでなくTikTokにも裾野を広げたことも功を奏しました。TikTokでのライブコマースは、上手くハマるか予測できなかったのですが、費用感的にもやってみて良いのでは?と協働プロに後押ししていただいたことで結果的に成果がでた取り組みです。インスタライブでは視聴者がフォロワーに限られてしまうのですが、TikTokでは配信中にもどんどん新規のお客様も入って来られるという違いがあったんです。今ではTikTokでは同時接続数も100名を超え、1ヶ月の売上も1,500万円オーバーという勢いです。

キラガのTikTok。配信の度、新規の視聴者が増えている
ーーすごいですね!先ほども「ジュエリーで遊ぶ・楽しむ」というキラガならではの強みをWebでも体験できるようにとおっしゃられていましたが、ライブ配信を楽しむという点とも相性がいいのかもしれませんね。

太田:そうですね。昨年度までは私自身が配信を担当していたのですが、今年度はライブ配信に携わる人員について採用を強化し、ライブ体制のためにチームを作るようになったんです。私が配信すると、どうしても普段の接客の延長のような形になってしまっていたのですが、個人での配信経験のある方を新たに採用することで、配信の中でお客様を飽きさせない構成、エンターテイメント性のあるやりとりなど、ライブ配信としてのクオリティも追求できるようになってきました。

メンバー主体の配信形態に変わってから配信頻度が上がり長時間配信が可能になった点も、売上に大きく貢献していると思います。

お客様からも、「ライブで見るよりも実物の方が綺麗」「もっと早くキラガと出会いたかった」というような嬉しいお声をいただいています。一方、販売数が増えたことにより、商品到着時のトラブルが出てきているのも事実です。配送トラブルなどコントロールできないものもありますが、検品強化やサポート体制を手厚く行っていきたいと考えています。

どうしても、ジュエリーは使っていくうちに不具合が出てくるものです。販売数が急激に増えたことでサポートに対する課題も出てきてはいますが、当社でご購入いただいたお客様には、時にメンテナンスをしながらもジュエリーを長く使ってもらいたいという想いで日々改善を続けています。

ーーぴったりの採用も売上貢献に繋がっているのですね。人事戦略の面も協働プロと壁打ちを続けているとのことでした。

太田:はい。まず、採用面においては、初め大手の求人サイトで大型の広告を打つなど試していましたが、なかなか上手くいかなかったんです。そこで、協働プロと相談して求人サイトの運用についても方針を見直し、運用を外注化することができました。それにより広告に頼るのではなく、募集記事を細やかに回しながら求人募集をかける方針に変えたんです。

求人サイトでの広告は月額50万程度かかっていたのに対し、後者の運用では1/5の10万円ほどに抑えられています。大手求人サイトでは、当然大手企業も同様に広告費を掛けていて競合になってしまうため、多くの人にみていただくことが難しい面がありましたが、募集記事を細かく更新するのは、SNSの運用やSEO対策に似ており、運用を続けるほど多くの人にみていただけるようになるため当社にとっては費用対効果が高い結果になりました。

ーー効率的な採用戦略が取れるようになったんですね。

太田:採用だけでなく、社内のリソースの活用や評価制度についても相談に乗っていただいています。例えば、バックオフィス業務の一部の外注化も進めていったことで負担を最低限に抑え、急に増えた受注に対してもパンクせずに対応することができています。

また、ライブ配信の回数が増え配信時間も長くなっている中でも、メンバーは「もっと働きたい」と言ってくれているんです。自分の成長機会だと捉え、前向きに挑戦しようというメンバーが多くなってきている実感があり、それに伴って待遇面のアップデートも意識しており、残業代はもちろん、実績を出せば手当も出るし、休みの取りやすさなど常に工夫していっています。一所懸命やって成果出した人がきちんと評価されるようになるよう、評価制度なども改めて見直しています。

私がキラガに戻ってからほとんどのスタッフが入れ替わり、新しい会社、第二創業期のような活気ある雰囲気になりました。今のキラガは、新しいことに挑戦したい方にぴったりの会社になっていると思います。

さらに次のステップへの挑戦。課題や優先度の整理に、プロ人材との壁打ちは有用。

ーーありがとうございます。長く協働を続けてくださっているからこそ、売上の変化など数字で見える成果だけでなく、組織自体の変革も実を結んでいっているようでとても嬉しく思います。次に挑戦したいことについても教えていただけますか?

太田:はい。今後やりたいことは3つあります。1つはライブの規模をもっと大きくしていきたいということです。人をもっと増やし、複数アカウントの運用やクオリティの更なる向上を目指したいです。

2つ目は提携パートナーとのライブ配信の実施です。これまでは卸売で、宝石の小売店など店舗にジュエリーを卸していましたが、今後は異業種や個人の方にも卸し販売を行い、その方達とライブ配信でエンドユーザーとなるお客様に商品をみていただけるようにできたらと考えています。

3つ目は海外のお客様への直販取引の開始です。すでに中国のSNSを使い始めるなど、反応を探っている状況ですが、新しいチャレンジとして向き合っていっています。まだまだやりたいことがたくさんあるので、協働プロの皆さんと相談しながら進めていけたらと思っています。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

太田:大手企業で成果を出しているプロ人材と壁打ちができて、自分がどう動けばいいか、優先度に迷う時にアドバイスをいただけることに本当に感謝しています。

新しいことに挑戦したいが、迷っているような人には本当におすすめできるサービスだと思っています。協働日本のクライアントの多くはプロジェクトごとに伴走支援が入られていると伺っていますが、私のように広い範囲に悩みがある、課題が多くて整理したいという方にもおすすめできると思っています。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

太田:ありがとうございました!

太田 喜貴 / Yoshiki Ota

株式会社キラガ 常務取締役

2012年、北海道大学工学部を卒業後、豊田通商株式会社に入社。主に自動車業界を担当し、オフィスITシステムの全世界展開や、中国駐在を経験し中国自動車製造ラインのシステム立ち上げなどのプロジェクトに従事。
2021年より、父が創業者である株式会社キラガに入社。常務取締役に就任。管理部門、小売部門の統括を行う。

株式会社キラガ
https://rings-kiraga.com/

協働日本事業については こちら

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STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -「お友達とジュエリーで遊べる宝石店」協働日本との壁打ちで気づいた強みを活かして売上200%に増加–


STORY:税理士法人のむら会計 野村篤史氏 -ビジネスの第一線で活躍するIPPOコーチだからこそ、経営者の悩みに寄り添ってもらえる-

協働日本で生まれた事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本のコーチングプログラム「IPPO」を受講された方・企業の方をお招きし、コーチングを受けたことによる変化についてインタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、税理士法人のむら会計の代表 野村 篤史氏にお越しいただきました。
税理士法人のむら会計は石川県金沢市玉川町で 50年以上続く会計事務所です。

前身である「野村清会計事務所」、「株式会社 野村経営センター」、「田丸会計事務所」を経て平成26年に現在の代表である野村氏が事業承継のためにジョインされ、2社を統合する形で税理士法人を設立されました。

野村氏は23歳で公認会計士の資格を取り、大手の監査法人に入社。30歳の頃、奥様のご実家の会計事務所を事業承継されることになりました。事務所の立て直しと並行して組織をマネジメントしていくことが求められる中で、IPPOのコーチングの受講を開始。

インタビューを通じて、コーチングを受けたことにより生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自己分析だけでなく、組織変革も同時に相談できるIPPOのコーチング。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、IPPOのコーチング受講を決めたきっかけを教えていただけますか?

野村 篤史氏(以下、野村):よろしくお願いいたします。

税理士法人のむら会計の前身である「野村清会計事務所」は、妻の祖父が創業者で、名前や体制を何度か変えながらも、金沢で50年続く会計事務所になりました。2代目はお弟子さんが継いでおり、私で3代目になります。

私は23歳で公認会計士の資格を取ってからずっと東京の大手監査法人で上場企業向けの会計監査に携わっていたのですが、30歳頃に事業承継の打診を受けたことで思い切って妻の故郷である金沢に移住し、入所、その後代表に就任したんです。


自分で事務所を経営していくことになり、売上を作るための営業やマーケティング面、組織作りなど、全体の整理を始めました。前者はなんとか上手く進められて、顧客も少しずつ増えていったのですが、組織のマネジメント面では非常に苦労しまして……長く勤めている職員も多いですし、歴史のある会社だからこその難しさに直面しました。

そこで、組織の立て直しやマネジメントのために、自分自身もコーチングの勉強をするようになったのですが、その中で自分自身のことを客観的に理解する重要性に気づきました。

ちょうどその頃、同じ金沢で老舗の発酵食品会社を経営されている、四十萬谷本舗の四十万谷正和さんからのご紹介で、協働日本代表の村松さんと知り合いました。村松さんは元々のキャリア的にも人事のプロですし、相談に乗っていただく中でIPPOのコーチングのことを知り、自分のことを理解するきっかけを貰えるのではないかと思い、受講することを決めました。

ーーなるほど。実際にIPPOのコーチングではどのようなことをされているのか教えていただけますか?

野村:基本的には月に1度のセッションを通じて、自分の中の振り返りをしています。コーチとしては協働日本代表の村松さんに担当していただいていて、2020年から受講をはじめて今年でもう5年目になります。
これまでのセッションでは、壁打ちのように話を聞いてもらうだけではなく、キャリアアンカーやライフラインチャート(※)を作成して自己分析を行ったり、人事制度についての相談を受けてもらったりすることもありました。

IPPOのコーチングでは純粋なコーチングというよりも、メンタリングのように新しい視点を示唆するように、アイディアや考え方のヒントを貰えるところが魅力だと思っています。
私自身は、結構自分だけでも考えを整理できるタイプではあるのですが、村松さんのコーチングを受けることで自分の中になかった知識や視点が増えていきましたし、仕事で一番悩んでいた人事のことについて人事の専門家としてのアイディアをいただけたことがありがたかったです。

ーー思考の整理やモチベーションを高めるような一般的なコーチングだけでなく、事業の相談にも乗っていただいていたんですね。

野村:はい。村松さん自身が経営者ということもあり、私自身の個の成長と、事業の成長の両輪を支援、伴走してくださいました。

のむら会計は元々、文鎮型組織のように私がトップにいて、部下は横並び、全員私が直接マネジメントをするような構造になっていました。IPPOのコーチングを受けるようになって、タイミングを合わせるように組織構造化を図っていったんです。なので、組織構造をどのようにすればよいかであったり、評価制度の在り方であったりという人事の悩みについてご相談することがありました。

自分の中で整理をした上で「このような制度にしようと思っている」、という話をセッションの中ですると、その考えに至った私自身の思考、理由や背景を深掘りするような質問をしていただけるんです。

深掘りする中で、新しい視点のヒントや、自分でも気づかなかったような本質的な部分への気づきなどがあり、絶対的な答えがない中でも納得感を持って意思決定をできるようになっていきました。

事業への単なるアドバイスだけでなく、意思決定者である私自身に向けたコーチングを並走してくださったことで、納得感がある決断を後押ししていただいてるように感じます。


まるでルービックキューブの裏面を想像するようにに、コーチの質問で新たな視点に気づけた。

ーーご自身を理解することをきっかけの1つとして受講されたとのことでしたが、組織変革など幅広い整理をされたようにお見受けします。IPPOのコーチングを受けてみて感じた変化や、成果と感じられることがあれば教えていただけますか?

野村:そういったアドバイスをうけて~~気持ちが整理~~課題が明確になりました。

課題だった組織の構造化を進めたことが1つの大きな変化であり、成果だと思います。

文鎮型組織時代は、私が1人で14人の部下と1on1を実施していました。自身もコーチングを学んでいたこともあり、1on1や部下との対話自体に大きな問題はなかったのですが、リソース面での厳しさがありました。

相談しながら構造化を進めた結果、部長を3名置き、約5人で1チームの体制で各職員との1on1を任せることにしました。私と職員との直接の接点は減ってしまうものの、私自身は細かいところに惑わされず、経営者がすべきことに集中できるようになりました。

部長たちもそれぞれ責任を持って部下を見てくれるようになり、職員たちも今までよりもしっかりと話を聞いてもらえる環境になったのではないかと思います。

もちろん、トップと職員が直接話をする機会が減ってしまうことのデメリットもあると思いますが、トータルで見るとポジティブな面が大きかったと思っています。

また、私自身、事務所の経営について迷うことも多かったんです。監査法人勤めからいきなり事業承継をしたということもあって、既に長く続いていた体制の中に入って部下を抱えることの難しさに、時に弱音を漏らしてしまうこともありました。それでもコーチングの中でネガティブな面にも寄り添っていただきながら、整理をしていくことができたことで、結果的に諦めることなく変革に取り組むことができました。

ーー精神的な面でも、実務的な面でも、一歩踏み出していくことができたんですね。長くコーチングを受けられている中で、野村さんご自身は、「コーチングを受けることの価値」をどのように考えていらっしゃいますか?

野村:そうですね。やっぱり、自分だけの視点で物事を整理するとどうしても観点が偏ると思うんです。その点、コーチングのセッションの中では「この人の立場だとどう感じると思いますか?」「今の時点ではそう思うかもしれないが、長い時間軸で考えたらどうですか」など、他の人の立場や、長期的な目線に気づくきっかけになる問いをもらえるんです。

自分の視点や価値観に基づいた整理は一人でも十分できるかもしれませんが、視点を切り替えるための質問や考え方は、なかなか自分だけでは出せません。

ルービックキューブで例えると、全部で6面あるうち、自分の視点からは3面しか見えないじゃないですか。でも裏側にも必ず3面ありますよね。自分の視点だけでは見えない反対側の面は、他の人の言葉を聞かないと見えてこないんです。

私から見えない反対側の3面は、事務所の職員の視点からしか見えないかもしれないわけです。だから、第三者に自分から見えない視点のヒントを振ってもらうことで、想像して解像度を上げていくことができるようになる。

対話の中で、自分だけでは出せないような視点の質問をもらえることで、新たな見え方ができるようになるというのがコーチングの価値ではないかと思います。

協働日本の強みは、多様なキャリアと専門性で「内面から引き出す」力。

ーーIPPOでは、ほとんどのケースで「複業人材」がコーチを務めています。こういったIPPOのコーチ陣の特徴についてはどのように思われますか?

野村:コーチングを受ける側としては、皆さんがそれぞれ「コーチ」として以外にも色んな立場や仕事を経験されているほうが、近い立場で対話できるように感じます。「組織勤めをしているからこそわかる悩み」や「自分で経営をしているからこそ持っている目線」などが受講者の本心を引き出すことに繋がるのではないでしょうか。

実際、同じ悩みを経験されている方のほうが、「わかってもらえる」と感じて話しやすい面があります。例えば私は村松さんにコーチをしてもらっていますが、村松さんご自身も協働日本を経営されている経営者でもあるので、同じ経営者として近い立場から意見を聞きたいと思える部分があります。もしも専業コーチの方であれば、「言ってもわかってもらえないかも」と感じて、そこまで深い部分の話ができなかったかもしれません。

IPPOのコーチの皆さんは、それぞれが色々なキャリアを経験している強みがありますよね。私自身も、村松さんを単なる「コーチ」としてだけでなく、「同じ経営者」として、また「人事の専門家」としても頼りにしています。


ーー引き続き、IPPOのコーチングを受講されるとのこと、今後の展望や期待について教えてください。

野村:はい。今までの4年間は、自分だけがコーチングを受けていましたが、5年目に入ってからは、部長陣にもコーチングを受けてもらうことにしたんです。

私が部長の悩み相談を受けると、その相談についての回答が指示になってしまう可能性がありますし、本人たちも気軽に相談もできないかもしれません。私も時に弱音を吐かせてもらったように、嫌なことがあれば遠慮なく「嫌だ」と言えるようにしたい。だからこそ、外部の方に相談できる環境を作りたかったんです。

IPPOのコーチングであれば、人事分野の専門家の方もいらっしゃるので、組織としてもコーチングを受けていくことで、部長陣のマネジメントにも新たな視点や成長が生まれると思います。

部長陣が成長していくことによって、組織が更に自立していくことを期待しています。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

野村:地元金沢で税理士業をやっていると、協働日本の伴走先企業の経営者からお話を伺うことがあります。

中小企業は社長の知識やこれまでの経験をもとに動いていることも多いです。

素晴らしいアイディアを持っていても、リソースの面で想いを実現するのに時間がかかっていたり、社員の育成を行う余裕がないこともあります。そういう状態の会社には、やはり外部の専門家の視点を入れるべきだと私は思っているんです。

協働日本には、IPPOのコーチだけでなく、協働プロにもコーチング経験者が多いので、上から知識を与えるのではない、内面から引き出すようなコンサルができることが強みだと思っています。

色んな角度から、中小企業の皆さんが自ら事業の発展を生み出し、元気になれるようなサポートをしていただきたいと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

野村:ありがとうございました!

野村 篤史 / Atsushi Nomura

慶応義塾大学を卒業後、公認会計士資格を取得。大手監査法人で最先端の会計・税務を習得し、さらに金融機関の監査を経験したことで、お金を貸す立場からのモノの見方を学ぶ。

単に税金の知識だけでなく、金融機関監査で得た金融の知識やコーチングの技術を組み合わせて、「関わる人の納得いく決断と安心を誠実にサポートする」ことをミッションとしている。

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STORY:株式会社味一番フード 村上良一氏 -協働で見出した宝の山。既存商品ブラッシュアップで販売数5倍増。-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社味一番フードの代表取締役専務 村上 良一氏にお越しいただきました。
株式会社味一番フードは石川県の創業約50年のうどん・蕎麦を中心とした飲食業を営む老舗企業です。

最初は約8坪の小さなうどん屋さんとしてスタート。その後、ショッピングセンターへの出店が1つのきっかけになり、郊外型独立店の展開やチェーン展開と裾野を広げ、現在は石川・富山で9店舗を運営されています。

コロナ禍を通じて感じた飲食店業態の脆さから、飲食店の運営以外の新たな事業の開拓や柱作りの必要性を感じたという村上氏。その新規事業への挑戦に協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

株式会社味一番フードの運営する飲食店「めん房本陣」

飲食店だけでない新たな柱作りを。商品開発にもがく中で得た、運命の出会い。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

村上 良一氏(以下、村上):はい!よろしくお願いいたします。

ちょうどコロナ禍に入った頃、皆さんご存知の通り飲食業界は大打撃を受けました。安心して外に出られる世の中でなければ、わざわざ外食する機会もないのだと改めて気づき、飲食店の経営という業態の脆さを感じることになりました。


とはいえ、自分たちにとって「飲食店」は主たる事業ですし、今後も弊社の柱であることには変わりません。一方で会社としての安定的な経営、成長を考えると、飲食とはまた違った新たな事業の開拓と新たな柱づくりに取り組まなくてはならないと危機感を覚えました。

そこで、自分たちの長所を掛け合わせた新たな取り組みとして、まずはお店をご利用いただくお客様に商品を販売してみてはどうかと物販を始めたものの、売れ行きはあまり芳しくありませんでした。

商品開発や物販は自分たちにとって未知の領域でしたので、やはり専門人材の知見やアイディアなど力を借りる必要があると思っていたところ、石川県が主催する「複業人材の活用セミナー」のお知らせが目に入りました。

元々、複業人材の取り組み自体は新聞などで読んで興味を持っていたんです。

都市部で頑張っている方々の知見を頂きながらの取り組みは、ローカルにありがちな広い視野や専門性に特化した人材・コンサルタントが少ないという現状をカバーすることができ、会社の課題を解消していくために面白い取り組みだと思っていたので、セミナーに参加することにしました。

ーーなるほど。実際に協働日本の取り組みについての話を聞いていかがでしたか?

村上:実際にお話を聞いてみると、協働日本代表の村松さん、そして協働日本自体が、非常に熱い想いを持っていたことに魅力を感じました。どんな仕事でもパッションを持っていないとうまく行かない側面があると思っていたので、弊社の想いに共感していただけそうだと感じました。

協働日本は協働プロがチームを組んでプロジェクトに参画するという点も魅力的でした。他にも複業人材のコンサルティングサービスを提供する企業と比較検討したのですが、いずれも、個人がプロジェクトを担当するという取り組み形態でした。

協働日本は様々な得意分野を持つ協働プロが、プロジェクトの目的や状況によって入れ替わることもあるともお聞きし、コロナ禍以降の柱づくり、物販のノウハウ・開発と幅広く、中長期的に取り組みたいと思っていた弊社にとってはメリットや効果が大きいと思い、協働を決めました。

今となっては、たまたまセミナーを主催する石川県の担当の方との繋がりがあったことすら、一つの運命だったように思います(笑)。


自社の強み・お客様と向き合う──家族団欒のイメージでブラッシュアップした商品の販売数は約5倍に。

ーー協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

村上:先ほどお話しした通り、新しい事業の柱を作るための商品開発や店頭での物販についてのプロジェクトを進めています。

協働プロとしては、枦木優希さん、松尾琴美さん、加藤奏さんの3名に伴走していただいています。弊社からは、私の他に物販全般・販促などの担当者と、実際に商品を開発製造する製造部門の担当者が毎週のセッションに参加しています。

一番最初に概念的な戦略・コンセプトを考えるセッションからスタートし、その後考えたコンセプトに対してどんな商品にできるかという商品開発に取り組み、コスト計算など数値的な設計や販売計画を作成、販売開始という流れでプロジェクトが進んでいきました。

ーーなるほど。ぜひ順を追って、具体的な内容を教えていただけますか?

村上:はい。コンセプト設計では、「自社の強み」「どんなお客様がいらっしゃるのか」「ニーズ」などを初め、概念的なことを整理していきました。

概念というのは当然目に見えるものではないこともあり、どのように言語化すればよいのか、当初とても苦戦しました。

開発した商品は、実際に店頭で販売するということもあり、お店にお越しいただいているお客様のシチュエーションやニーズなどを想像するようガイドいただいたことで、店やお客様の特徴や強みを全員で考えることができ、チーム一同で共通の世界観を言語化できました。

実を言うと、当初はコンセプトづくりにそこまで時間をかけるべきなのか?と思っていたのですが、今になって振り返ると、販売計画など後々のステップでも常にコンセプトが軸になっており、とても重要なフェーズだったと気づきました。

軸になる考え方や世界観をチームで考え抜き、共通言語にするステップを経たからこそ、共感や共鳴が生まれやすくなり、取り組み方がスムーズになると実感しました。


ーー出来上がったコンセプトはどのようなものだったのでしょうか?

村上:私たちのお店には、お子様連れの家族でお越しになるお客様が多いこともあり、小さなお子様を中心に、ご家庭でも家族皆でほのぼのと食べられる、そんな商品を目指していきたいと決めました。

その後、商品開発に移るのですが、いくつか協働プロの皆さんにご提案いただいた商品候補案の中から、これまでもお土産として販売し、ご注文から提供までの間にも試食としてお出ししていた、うどんの生麺を揚げたスナック菓子「うどんスティック」を改めてブラッシュアップして、新たな物販商品にすることに決めました。

商品開発のフェーズではコンセプトに沿ってより具体性を持たせ、現実化させるための落とし所を見つける作業を行いました。
商品の品質をどう捉えるか、販売価格に対して包材などのコストのバランスを考えるなど、協働プロの皆さんにはうまく誘導していただいたと思います。

コンセプトへの想いが強ければ強いほど費用が嵩んでしまいがちで、商品のコスト設計には苦労しましたが、経営的な視点を持って利益設計をするアドバイスを得て、商品価値とバランスのとれた設計を目指しました。

ブラッシュアップして実際に出来上がった商品は「ポリポリさん」と名付けられました。先ほどもお話しした通り、元々店舗でお土産用の商品として販売し、ご注文から提供までの間に試食としてお出ししていた「うどんスティック」が元になっています。

協働プロの皆さんが店舗に視察にいらっしゃった際に食べていただいていたのですが、「うどんスティック」とは呼ばれず、「あのポリポリしたの美味しいよね」というコメントが結構出まして(笑)。

商品の提案をいくつかいただいた時にも「あのポリポリ」が候補に上がり、いっそのこと名前も「ポリポリ」にした方がイメージもしやすく親しみやすさも出ていいんじゃないか?とネーミング変更に踏み切りました。またイラストレーターの方に「ポリポリさん」をキャラクター化して絵を描いていただき、家族のキャラクターも誕生しました。主役のポリポリ君と、妹、両親、祖父母の6人家族──当初のコンセプトである、子供を中心にご家族で楽しんでいただくというコンセプトにもぴったりの商品になりました。

「うどんスティック」としてお土産用に販売していた時代と比べると、リニューアル後は月販ベースの売上個数が5倍近くに伸長するなど、成果が目に見えて表れています。現在は販売データの分析を行って今後の売り方や方向性を協働プロに丁寧に見ていただき、検討を進めているところです。
実際に分析をしてみると、当初ターゲットとして想定していたファミリー層以外にも、高齢のご夫婦などにも買っていただいているようです。
「ポリポリさん」を通じてお客様のコミュニケーションが促進されている様子が伺え、世代を超えて愛される店舗としても、さらなる魅力強化にもつながっているのではないかと思います。

実際に商品化された「ポリポリさん」。名前からその食感が伝わってくる。

協働を通じて獲得した「粘り強さ」──魚を採ってきてくれるのではなく、釣り方を学ぶ必要性。

ーープロジェクトに参画されている社員の皆さんの反応はいかがですか?

村上:協働プロジェクトは始まる前から物販の開発をやっていたメンバーなので、先述の通り失敗も経験していました。

どんなものが売れるのか、何が大切かを知ることに飢えていたところがあり、自分たちの知り得ないこと──新しい知見や学びに対して最初から前向きに取り組めたと思います。

メンバーは大変な思いをしてくれていました。まさに産みの苦しみ。誰かが答えを出してくれるわけではなく、自分で見つけなくてはいけませんから。

協働プロは上手く問いをくださるのですが、決して答えはもらえないので、「今週答えが出なかったので、また来週までに考えましょう」となるわけです。聞いても答えは教えてくれない。あくまで自分たちの中から生み出さなければ意味がないと。例えるなら、魚を採ってきてくれるのではなく、釣り方を教えるから、自分で釣ってみてくださいと。自分の中でわからないことをわからないで済ませずに、それをどうわかろうとするかという粘り強さを、協働を通じて持ち得ることができたように感じます。

ーーありがとうございます。先ほど「学び」の観点のお話をいただきましたが、ここまでの協働を通じて、実際社内に「残ったもの」や「自分たちのものにできたノウハウ」などはありますか?

村上:そうですね。マーケターである枦木さんには、フレームワーク的な形で取り組みをまとめてくださり、プロジェクトを進めていただいているので、これはわかりやすく他の取り組みにも再現性があると思っています。

マーケティングの知識も販売計画の中に盛り込まれているので、ただの知識として頭でっかちにインプットするのではなく、実感を伴ってマーケティングの要素を学ぶことができ、活用イメージも持ちやすく、座学の何倍も得られたものは大きかったと思います。

また、これは協働プロの皆さんに共通することですが、必要なこと、大切なことについて決して妥協せず、表面的なところで終わらせずに深掘りして、納得できるところまで粘り強く答えが出るまで待ってくれる、そういった回答を促してもらえていることがとてもありがたいと思っています。

先ほども社員メンバーの「粘り強さ」の話をしましたが、協働日本はまさに「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」人たち。自分たちで釣り方を見つけ、答えを生み出すまで「待ってくれる」姿勢だからこそ得られた学びは大きいですし、だからこそ、協働プロの皆さんへの信頼も厚くなっていきました。

皆さん大きな会社の商品開発や販売をなさっていますが、蓋を開けてみると、地味なことを大切にしているんだなと少し驚いたこともありましたね。

例えば、毎週の売上状況の分析など、コツコツと見ていただいていると、地味なことの繰り返し・継続が大切なんだと改めて感じます。ローカルの人材はどうしても、目先の忙しさ故にそういった基本的なことに集中しきれない、妥協しがちなところもあると思います。

協働プロの皆さんは意識されていないかもしれませんが、妥協してもいいところと、妥協してはいけないところを理解されていて、必要なところに集中することの大切さもあらためて実感しました。

現実だけではなく、ワクワクする夢を見る。協働で得られる新たな視点が、日本企業の可能性を広げる。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味がおありだったとのこと。実際に、サービスを活用してみて、複業人材の取り組みは今後広がっていくと思われますか?

村上:周りに困っている方がいたら、ぜひおすすめしたいと思いますね。

協働日本とのプロジェクトにおいては、良いところも悪いところも曝け出さなくてはいけないと思っているので、プライドや恥ずかしいという気持ちを通り越し、将来への危機感やこうありたいという情熱を持ち合わせている企業の方の方が相性がいいと思います。

言い換えれば、現状の企業風土を維持したままを希望されていたり、すぐに答えだけほしい、というケースでは合わないかもしれません。

最近では複業人材活用で、うまくいっていないケースの話もたびたび耳にすることがあります。やはりニーズや状況により活用の仕方を検討する必要はあるかもしれませんね。

「複業人材」自体を、短期的な「成果を得るためのもの」というふうに取り入れるよりも、社員と交わらせ学びを深め、地力をつけるための「先行投資」と考えるなど、捉え方自体も変えていくのはどうでしょうか。

私としては、「こうしたい」という将来へのワクワク感を企業の経営者は持つべきではないかと考えていて、自分たちに何ができるのか、行動することが大切だと思っています。

どうしても目先の忙しさ、現実だけに目が行きがちなのですが、妥協せずに楽しむような仕事のスタンスで複業人材と一緒に取り組みを進めていくと、新たな視点を得ることができます。視点や世界観を変えれば、自分たちの会社や事業がもっと輝いたり、違う発展を遂げていくこともあり得るのではないでしょうか。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

村上:味一番フードでは、物販事業など目に見える事業などの助言をチームでいただいていますが、目先のことだけではない、会社を俯瞰して見た時の企業文化の醸成や再生についても、相談できるのが協働日本の強みですね。

もっと取り組みが広がって、協働日本が踏み込んでいくことで変われる企業がもっと出てくると、さらに唯一無二の存在になるのではないかと思っています。

競争社会において、コモディティ化するような成長では結局価格競争に陥ってしまいがちです。私たちが取り組んでいるような事業の活性化、企業文化の再生・ブルーオーシャン戦略など、自信を失いかけている日本の地方企業の第三の選択肢を一緒に探してくれる味方になっていってほしいと思っています。

自社の社員を見ていても感じることですが、自分以外の視点──お客様など他者の視点で見ると宝の山が見えたりすることがたくさんあります。協働日本が入ることで、皆が新しい視点を持ち、ワクワクに気づいて夢を持てるようになってほしい。そんな企業として協働日本が成長してくださったらいいなと思います。

難しいことを言っているかもしれませんが、前向きで情熱のある方々だからこそ、そういうところに期待してしまいます。1年間のお付き合いの中で感じる正直なところです。これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

村上:ありがとうございました!

村上良一 / Ryoichi Murakami

大学卒業後、東京の不動産会社(リゾート物件)にて営業職を5年経験。その後、(株)味一番フードに入社。以後「めん房本陣」「そば処花凛」など計10店舗以上の新規出店に関与。それ以外にも店舗改善・商品開発・人材採用育成・DX化など幅広い業務に携わる。現在、会社の第3の柱として物販商品の開発・ブランド化に向けて邁進中。

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STORY:有限会社三吉商店 石橋隆太郎氏 -70年続いた会社を守る、使命と覚悟。もやしの食シーンに新たな付加価値を-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社三吉商店 代表取締役の石橋 隆太郎氏にお越しいただきました。
三吉商店は、1953年創業のもやし製造会社です。

日本の食卓ではお馴染みの「もやし」ですが、人口減少に伴う消費量の低下や原料種子高騰、後継者不足など環境の変化を受け、この30年間でもやし製造会社は300社ほどが廃業に追い込まれています。

今では北陸三県で唯一の「もやし屋さん」となった三吉商店は、もやしだけではなく「もやしを食べるシーンに付加価値をつけたい」という想いで新規事業をスタート。

もやしを美味しく食べるためのドレッシングの製造・販売という、もやし製造会社の新たな挑戦となるプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

もやしを食べるシーンに新しい価値を。事業の黒字化に向けて協働日本の取り組みをスタート。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、これまでの事業の歩みや協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

石橋 隆太郎氏(以下、石橋):はい!よろしくお願いいたします。

三吉商店は、私の祖父が創業して70年を迎えた所謂「もやし屋さん」で、私で3代目になります。経営を引き継いでからは、日本の人口減少に伴う消費量の低下により、売上が低下していくリスクに直面。新しい事業に挑戦する必要性がありました。

もやし製造会社でよく行われているのは、もやしの製造販売の傍らカット野菜を販売する事業ですが、これはすでにレッドオーシャンとなっています。
そこで改めて一から「もやしの価値ってなんだろう?」と考えて、ついに至ったのは「もやしを食べる場面自体に付加価値をつけよう」というアイディアでした。

もやしの特徴である「味がないところに味がある」──どんな味にも変化し、食感を加えることができるという点に着目し、その味付けをするための調味料を作ることにしたんです。

そうして出来上がったのが、完全無添加にこだわった「nohea」という調味料ブランド。ドレッシングをはじめ、焼肉のたれやパスタソースなど色々な種類の調味料を作りました。出だしの売れ行きは好調で、大手の高級志向のスーパーにも置いてもらえて毎月の売上も800万円ほどあったのですが・・もやし以外を売るのは初めてだったこともあり、流通の仕組みや売り方などの設計が上手くいかず、その内情としては赤字続きという結果でした。

さっそく営業体制を変えるなど試行錯誤してなんとかやりすごしてきましたが、70年続いた会社の事業が上手く行かなくなっている現実に、先代、先先代に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。協働日本を知ったのはちょうどその頃で、石川県主催の経営塾で同期だった四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介がきっかけでした。普段から事業のことを話していたので、協働日本の伴走支援について教えていただき、興味を持ちました。

no-heat、no-addedが売りの「nohea」の無添加ドレッシング

ーーそうだったのですね。そこからすぐに伴走を決めたのでしょうか?

石橋:実は、同時期に銀行によるコンサルティング支援の活用も考えていたこともあり、協働日本との取り組みがスタートするまでには実際には1年ほどかかりました。

当初、私は「赤字を黒字に変えたい」ことを念頭に置いており、その目的のため、まずは銀行による財務面のコンサルを受けて、徹底的な原価計算と、採算性を見てたくさんあった商品ラインナップの絞り込みを行いました。

少し財務状況が改善したこともあり、満を持して、事業を伸ばしていくためのオフェンシブな施策を協働日本にお願いすることにしました。

ターゲットとコンセプトを選定し、新たに獲得した販路は「同業者への販売」だった。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

石橋:問屋の仕組みなども全くわからないところからのスタートだったので、まずはマーケティングや売り方を学ぶこと、自社の魅力・価値を知ることから取り掛かりました。協働チームは、協働日本CSOの藤村さん田村元彦さん、加藤彩乃さんの3名、三吉商店からは工場長、営業、そして私の3名が入っています。

一番に取り組んだのは自社の価値を知るための仮説を立てることです。その中で、「今、本当は何を一番売りたいのか?」という問いを立ててもらい、一度立ち止まって考えてみました。出てきた答えは「もやし屋のまかないダレ」でした。

「もやし屋のまかないダレ」

ーー「nohea」のドレッシングや各種調味料の改良アイディアではなかったんですね。

石橋:そうなんです。最初にお話しした通り、ドレッシング事業を始めるきっかけとなったのは「もやしにかけたら美味しくなるもの」を作りたいという想いでした。

本当にやりたかったことはもやしにかける美味しいタレを作ることだったのに、気づけば手を広げすぎてしまっていたんですね(笑)。

色々な商品を作るようになった背景には、「もやしダレ」を最初に作った時にあまり売れなかったことがあります。数十円で買える安いもやしに対して300~400円するタレを買うハードルがお客様にあったのですね。「美味しいのかもわからない、そもそも、もやし専用のタレって何?」と思われてしまい、お客様が買う意味を見出せず売れなかったんです。

そこでパッケージを変えて、もやしを一番知っているもやし屋だからこそおすすめできるというストーリー性が伝わるようにしたのですが、協働日本との伴走がスタートしたタイミングではまだ軌道に乗っていませんでした。

そこで、今回の協働取り組みのテーマを「もやし屋のまかないダレ」の販売をいかに拡大していくかに定め、取り組みをスタートさせることにしました。

「nohea」はギフト用の高級ラインナップですが、「もやし屋のまかないダレ」は今後スーパーで重点的に売っていきたい商品でした。

取り組みの中で次に整理したのは、ターゲットと、どこにどんな風に売れば食べてもらえるのか?という点でした。

ーー具体的にはどんな風にターゲットを整理していったのか教えていただけますか?

石橋:はい。この時点でぼんやりと想定していたターゲットは「主婦」や「ファミリー世帯」でした。ただ、利用シーンまでは考えられていなかったので、まずはお客様の声を聞こうと、高校の文化祭でもやしとタレをセット販売してアンケートを実施しました。

実は「もやしダレ」ジャンルの競合商品のほとんどがピリ辛系のものなんですが、「もやし屋のまかないダレ」のメインはうま塩ダレ。子供にも人気でした。

一方、50〜60代以上の方にはニンニクや塩気が強すぎるなど、ターゲットにしたい層への味のマッチ度が見えてきました。また、アンケートの結果から、特に主婦の方達は「子供や家族が好きなもの」を買いがちである傾向も分かりました。

普段はスーパーなどに置いてもらうことがメインなので、もやしを手売りするという機会自体も私たちにとってこれまでにない試みでした。

お客様と直接相対して「普段食卓でもやしをどういう風に使いますか?」「実はこういう栄養素があるんですよ」なんてコミュニケーションをとってみると、私たちにとっては当たり前なことも、お客様からするとそうではないことも多く、今後発信していきたい情報やメッセージにも気づくことができました。

ーー直接お客様の声を聞くことで、ターゲットやコンセプトが絞られてきたのですね。

石橋:はい。ここからは実際にどうやって売っていくかを考えていきました。


協働プロの田村さんと加藤さんは特に、今も現役で食品メーカーで活躍されているプロ。流通についてのアドバイスやアイディアをたくさんいただきました。

どうしても問屋さんを通すと販路の確保までに時間がかかってしまうことや、販路設計が複雑になってしまうというお話を聞き、他の方法はないか?と考えました。

そこでたどり着いたのが「同業のもやし屋さんにまかないダレを買ってもらってはどうか?」というアイディアでした。

全国的にもやし屋さんがどんどん減っていることに対しては、業界の皆が危機感を持っているんです。とはいえ、なかなか打開策が見つからないというのが、今のもやし業界のもつ共通の感覚だと思っています。

単純ですが、もやしの消費量を増やしていくことができれば、お互いのシェアを取り合わなくてもいいじゃないですか。もやしダレをもやしとセットで販売して、ファンになってくださった方がまたもやしを買う───そんなサイクルを作れたら、もやしの消費量を増やすことができるのではないかと思っていたんです。

実際に販売店になってもらうメリットは大きく3つあると考えました。1つはタレと一緒にもやしも売れること。2つ目は、新商品として営業が販売できる商材ができること。そして3つ目は利益率が高く、もやし20〜30パック売れるのと同等の利益を出せることです。

そうして同業のもやし屋さんに「まかないダレ」を仕入れてもらえないか掛け合い始めました。最初に取り扱ってくれたのは西日本で1番大きいもやし屋さんでした。

もやし屋さんはそれぞれスーパーなどの小売のもやし売り場・顧客を持っていますから、もやしの横に「まかないダレ」をセットで置いてもらうと、想定した通り結構売れたんです。

営業マンにとっても新しく売るものができたことでやる気が出たようで、積極的に売ってくれるようになって、今では「まかないダレ」をもやしとセットで売り場に置いてくれるスーパーをどんどん広げていってくれています。

今後は提携してもらえる同業者の開拓、BtoCの小売りはもちろん、外食店などにも置いてもらえるように取り組みを進めていきたいと思っています。

1年ほど取り組みをやってきて、収益が大幅に改善し、来期はいよいよドレッシング事業単体での黒字化を目指せるところまで来ました。

やりたいことをやるためには、やらないことを決める。目的に集中する環境づくりの大切さを実感。

ーー協働日本との取り組みの内容や成果についてお聞きしてきましたが、ご自身や社員の皆様の内面や行動にも変化は生まれましたか?

石橋:まずはシンプルに、私も含め社員皆にとって、とても良い勉強の機会になっています。例えば、弊社営業担当のとある社員は、元々主婦で当社の顧客でもありました。トークセンスがあるので営業や販売自体は上手だけれど、主婦からの抜擢ということもあってどうしてもビジネス経験は浅かった。

それが、協働取り組みを通じてお客様の求めている価値や、それを届けるための行動についての知識が身についており、自身の解釈力や再現性が高まっているのを感じます。

また、途中で「たくさん売りたい気持ちはあるが、生産が間に合わないので難しい」という、製造側と営業側の対立・ジレンマを感じるシーンもありました。でも、協働プロの皆さんはこういったことも経験済みだったので、すぐに的確なアドバイスをいただけたこともありがたかったですね。

実際、協働日本の藤村さんから「自社製造をやめて、製造は外部委託に切り替えれば良いのでは?」と鋭いご指摘と、「やめる勇気」をいただいたことも。

やりたいことをやるのは大切ですが、同時にやらないことを決めないと物事は進みません。「売る」ことに集中できるように環境を整えることで、製造・販売の仲違いもなくなりました。

ーー毎週のセッションの中で、宿題が出ることもあったと思いますが、大変ではなかったですか?

石橋:そうですね、私たちはあまり『宿題』と感じてはいなかったかもしれません。確かに毎週、新しいミッションやテーマで考えること・行動することが必要でしたが、私たちが本来やるべきことそのものだと感じています。

元々もやし以外の製品の販売に関しては素人集団だったので、毎週のセッションの中でデータ分析・数値に基づいた戦略策定の考え方など、様々な事例を交えながらわかりやすく解説していただいて、自社メンバーも腹落ちして進めることができたので、それも大変良かったと思っています。

また、外部の、まして大手企業の方と話す機会も少なかったので、自社のやり方とは違う方法や考え方に触れられたとということも気づきが多かったです。

ある意味で、「大手企業でも同じような問題に直面しているのか」という気づきがあったことも個人的には大きかったです。大手企業でも失敗しながらやってくんだから、私たちみたいな中小企業が一発でできるわけない。色々と試していこう、と奮い立たせられました。

外部のノウハウを取り入れにくい環境にある人こそ、協働を。今後の成長のために今必要なこととは。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

石橋:当初はこういった取り組みがあること自体を知らなかったのですが、ご縁を通じて協働日本の伴走支援の仕組みの話を聞いて、様々な領域のプロフェッショナルの実践的な経験値を学べることと、学ぶだけではなく、協働を通じて中小企業に体内化していく重要性を感じましたね。

特に、私のように会社を継いで代表となり、経営に携わっている人間は、他社に修行に出ることも簡単にはできません。創業からの流れでやっている企業ほど、考え方ややり方が固まってしまい、変化する世の中で柔軟に戦うための仲間も集まりにくい。外部のノウハウや経験値を社内に取り込んだり活かしにくい環境にあることは大きな課題だと感じています。

だからこそ、こういった機会を活用して、柔軟に外の知見を社内に取り込んでいかないと、継続して成長していくことは難しくなっていくのではないかと思います。

協働プロたちに伴走をお願いすることのコストは、ある程度覚悟のいる出費ではありますが、その価値や生まれる変化を考えた時には、安いくらいに感じます。本当にお願いして良かったと思っていますし、悩んでいる経営者がいれば是非お勧めしたい取り組みです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

石橋:協働日本のメンバーに加わる方は、ただ単に副業をしたい・お金儲けしたいという人はいない印象です。

皆さん、協働日本代表の村松さんの理念に共感して、今の自分のノウハウやスキルを中小企業に提供することによってその企業が回復していくことにやりがいを見出してくれる人が多いと思っています。

私たち中小企業側としては、大手のサラリーマンのスキルやノウハウを学べるメリットがありますが、協働プロのみなさんにとっても、対価としてお金を貰えるだけでなく、一緒に課題を克服することで、やりがいや、さらなるスキルを得られる相互にとって良い場になればら良いなと思っています。

また、せっかく色んな企業の方が関わってくださっているので、協働日本のおかげで回復してうまくいくようになった会社同士や、協働プロの皆さんの本業とでタイアップなどもできていくと面白いかもしれませんね。せっかく繋がったご縁でもあるので、新しい事業体が構築されていくといいなとも思います。

アドバイスをもらいながら成功報酬をお支払いするだけではない、発展的なビジネスモデルにつながると、もっと日本の未来にも明るい影響があるのではないでしょうか。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

石橋:ありがとうございました!

石橋 隆太郎 / Ryutaro Ishibashi

大学在学中、20歳で父が始めた飲食FC店舗の店長に就任。5年間の飲食経験の後、有限会社三吉商店に入社し、もやしの製造事業に携わる。29歳で代表取締役に就任し、新事業で調味料製造事業(NOHEA事業部)を立ち上げる。「NOHEAヴィーガンシリーズ」は、令和3年度金沢かがやきブランドに認定される。また「もやし屋のまかないダレ」は、Japan Food Selectionのグランプリを受賞し、もやしと調味料を活用して新たな新境地を開拓している。

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STORY:AKR Food Company株式会社 松元 亜香里 氏 -黒豚への強い想いを形にし、付加価値をつけた商品開発の挑戦-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本は、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和5年度の「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、2024年2月16日(金)に取り組み企業数社をお招きし、報告会を鹿児島県庁にて行いました。

当日お越しいただいた一社である、AKR Food Company株式会社 代表取締役の松元 亜香里 氏に当日発表いただいたお話をご紹介させていただきます。

AKR Food Company株式会社は、黒豚の精肉・加工品の販売を行う会社です。「Farm to Table」を1つのキーワードに、「いただく黒豚の命を余すことなく活かしたい」という思いで、黒豚の一頭一頭の価値を形にするべく『かごしま黒豚』だからこそ、〝日常で〟使いたくなる 製品づくりに日々邁進されています。

今回は個別インタビューでお伺いした内容を含め、松元さんにお話しいただいた協働日本との取り組みを通じて生まれた変化や、今後の事業展望への想いなどをご紹介します。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

黒豚一頭一頭のいのちを大切に──未利用資源を用いた新しいプロダクトの販売を目指す。

ーー協働日本と進めている「未利用資源を活用したペットフード」プロジェクトについて

まず、なぜ私がAKR Food Companyで黒豚の販売を始めようと思ったのかについてお話ししたいと思います。私の家業は、飼料から黒豚を生産し、カット販売まで一貫して手がける企業でした。

黒豚は一般的に、生まれてから約8ヶ月ほどでお肉として皆さんのお手元に届けることができます。

私も、家業で13年間生産現場に従事してきた中で、より黒豚の魅力を皆様に知っていただきたい、一頭一頭の命を大切にして、余すことなく売っていきたい、という思いでこの会社・事業を立ち上げました。

ですから、今は精肉としてはもちろん、生産過程も大切に黒豚を販売しています。今回は黒豚の使われてない部位を使用したペットフード事業を協働日本との取り組む事業として選びました。

なぜペットフードなのか?と言いますと、黒豚を取り巻く環境は、皆さんもご存知の通り餌の価格の高騰や、農家の高齢化で後継がいないなど厳しいものとなっています。それによって精肉分野でも原料調達が大きな課題になっているのです。

しかし、そんな貴重な黒豚には、精肉として人間が食べる部位以外にも、使われていない部位がまだまだあります。そういった未利用資源を用いていきたいというのがはじまりでした。

現状、活用されていない部位は、廃棄か肥料化のどちらかですが、いずれにしても農家にとって収入にならないのです。

協働日本との取り組み開始前は、ペットフードとして活用できないか?と考えたものの、ペットフードは売ったことはおろか手にしたこともなく、市場のこと自体がまったくわかりませんでした。

また、どうすれば未利用資源に付加価値をつけ、買ってもらえるような商品にすれば良いのかも、まだまだ未知の領域でした。

お土産品、ふるさと納税返礼品などで好評の缶詰シリーズ

顧客像が明確になるまで、繰り返し行ったモニター調査が、メンバーの意識変革をもたらした。 

ーー実際に、どのようにプロジェクトを進めていったのか教えてください。

はじめに取り組んだのは、犬を飼っている方々へのヒアリングです。何度も、いろんな方にヒアリングをしていくことで、家族としての犬の存在意義や、食事、生活の中で気をつけていることなどを深掘りしていくことで、愛犬家の方の価値観を言語化していきました。

黒豚を使ったプレミアムなペットフードは、どんな人に買いたいと思っていただけるのか、顧客像を掘り下げていって、ターゲットを決めました。

明確になったペルソナ。家族として犬と過ごしている愛犬家にこそ買ってもらいたいと決めた。

顧客戦略、プロダクトコンセプト、ブランド名などを決めていくにあたって、協働日本さんに入ってもらってよかったと思ったことがいくつもあります。

それは、プロジェクトに携わるメンバー達がそれぞれのテーマについて掘り下げて考え、お互いに共有していくことで、各々が何をしなくてはならない、など自分達の意義を明確になったことです。こういった意識変革自体も、今回の1つの成果だと感じています。

また、モニター調査をもとに商品の開発も実施しました。商品名は「want’n」に決定。「いつものフードにプラスするだけ、いつまでも元気でいてほしい愛犬のためのアンチエイジングごはん」というブランドコンセプトも決めました。

そして、ファンを獲得するための目玉商品──いわゆるHEROプロダクトとして「黒豚ボーンブロス」を作り上げました。

ボーンブロスとは、黒豚の骨や、鹿児島県産の鶏を使った出汁のことで、海外のセレブの間では美容と健康に良いと話題になっていたものでもあります。タンパク質やアミノ酸が豊富に含まれており、腸を整えることで美容や健康に効果があるものです。

これまでも人の食用にボーンブロスの素「骨パック」という製品を販売していましたが、今回のモニター調査の中で、犬も腸を整えることでシニア犬の健康や毛艶にも効果があることがわかったため、HEROプロダクトに設定することになりました。

未利用部位の活用についても掘り下げてお話ししますと、例えば腎臓──マメと呼ばれる部位ですが、人はなかなか食べることはありません。しかし、栄養価だけ見ると肝臓──レバーと同じように費用に栄養価が高いんです。レンダリングと呼ばれる加工を施し、飼料にすることもできるのですが、キロあたりの販売額は10円もしない部位でした。

ですが、犬の健康に焦点を当てた餌としての付加価値を与え、製品化して販売することによってキロあたり1万円くらいで売れることがわかったんです。こんなに付加価値をつけることができるものなのかということにも驚きました。

黒豚のマメ・サイコロヒレ・ほほ肉を使ったペットフード「Premiun Plusシリーズ」


実際のモニター調査で、17歳のシニア犬に与えてもらったところ、普段は目も見えづらく餌に自分で辿り着けなかったのに、「want’n」の餌は箱を開けた途端に自分から餌に近づいていって食べるなど、いつもと違う行動を取るようになったのだそうで、飼い主の方も変化をとても喜ばれていました。

これまでは廃棄、あるいはとても安価にしか販売できなかったような未利用部位も飼い主にも犬にも喜んでもらえる、という「価値の創造」ができたと思っています。

付加価値の創造と、想いを言語化し、形にする力がついた

ーー協働を通じて得られた変化や成長についてどのように感じていますか?

今回の伴走支援では、どうやって商品への付加価値を作っていくのかの工程、どうやって調べればその価値を見出せるのか、そして言語化する力が身についたのではないかと思います。

これまで自分たちが当たり前だと思っていたことが、商品の売り文句になって、商品の魅力となって世に出せることがあると気づけたことも私たちの成長だと思っています。

鹿児島にはまだまだ未利用部位があるので、付加価値を見出し、まだ新しい商品開発、販売、今後の事業につなげていきたいです。

ーー伴走していた協働プロからの総括

若山幹晴(協働日本CMO):プロジェクトの歩みとしては、まずAKR Food Companyの皆さんが持っていらっしゃる想い、そして強みについてヒアリングをさせていただきました。

ヒアリングをもとに、「黒豚への想いの強さ、命の大切さを世の中に広げていくためにペットフード事業」を成功に導くためのプロジェクト設計を行いまして、プロダクト、事業のコンセプト設計、リサーチを進め、顧客の理解をもとにプロダクトを準備していきました。

僭越ながら、伴走する立場から、AKR Food Companyの皆様の強みと変化についてもお話しさせていただきます。


まず、当初から黒豚への想いの強さを感じておりました。一事業者としてではなく、ひとりの、黒豚と相対する人間としてのリスペクトを聞いているだけで、こちらも黒豚のことを好きになり、プロジェクトのご支援していきたいと思うようになるほどでした。

強みと変化として挙げさせていただきたいのが、思いを形にする力がどんどんついていっているように感じました。我々協働プロはあくまで伴走支援をする人間です。

我々からは「こういうところを調べましょう」「次にこういうことをしましょう」とお伝えし、実際に考え、アクションを起こすのはAKR Food Companyの皆様なのですが、毎週期待値以上のアクションを起こしてくださったところが印象的でした。

想いを形にする上で、このようなプロダクトコンセプトでやりたいと資料を作ってきてくださったり、一般的なペットフードで使われる鶏や豚と黒豚との栄養素の比較表から強みを調べてビジュアライズまでしてくださるなど、毎週我々がびっくりするような動きでした。そういった積み重ねで、事業者として成長していかれていることを感じました。

最後にこれからについてですが、現在、ヒアリングからプロダクトのプロトタイプを作られまして、実際のモニターからアンケート結果もいただいていますが、コンセプト自体の魅力度、プロダクトの満足度は100点に近いものができています。これからHPの準備やプロモーション面を考えていくところに進んでいきますが、新ブランドとしてとても良いスタートが切れているのではないかと思います。

松元 亜香里 / Akari Matsumoto

AKR Food Company株式会社 代表取締役

協働日本事業については こちら

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STORY:持留製油株式会社 上野浩三氏 -新たなアイディアで事業の壁を突破。新たな光が見えてきた社会課題解決型事業-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、持留製油株式会社 常務取締役の上野 浩三氏にお話を伺いました。
持留製油株式会社は明治6年(1873年)に創業し2024年で151周年を迎える、食用油脂製品製造販売業の会社です。

長きにわたり、食用油脂を軸にした事業を進めてきた持留製油ですが、5年ほど前から緊張緩和や鎮痛作用のある「CBDオイル」に関する新規事業をスタートしました。

世間で注目を集める新商品ではあるものの、新規参入事業であることや、市場自体が未成熟であることなどからどういった方向性で事業を推進していくべきか悩んでいたところに、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」がスタート。事業に参画した持留製油と、事業をサポートする協働日本との協働プロジェクトがはじまりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

課題の多い市場ゆえの悩みと、多くの壁

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

上野 浩三氏(以下、上野):よろしくお願いいたします。協働という取り組みを知ったきっかけは、鹿児島県が新産業創出ネットワーク事業の参加企業の募集を見たことです。それまでは協働日本さんの取り組みについては存じ上げませんでした。

弊社では5年前からCBDオイルの事業を展開しているのですが、まだまだ成長途中ということもあって、一緒に考えていくれる仲間がいるとありがたいなと考えていたので、新産業創出ネットワーク事業に応募をしました。

無事に採択いただけたことで、協働がスタートしたという流れです。

ーーなるほど。CBDオイルの新規事業について、具体的にどのような事業か教えていただけますか?

上野:はい。そもそもCBDというのは、カンナビジオールの略称で、大麻に含まれる物質「カンナビノイド」のひとつです。アサの茎や種子から抽出される成分で、炎症を鎮めたり、不安を緩和する効果があります。「大麻」というと日本では忌避感も強いかもしれませんが、精神作用や中毒作用がないことで知られており、医療や美容分野でも興味関心が高まっているんです。

食用油脂を扱う弊社でCBDオイルを扱うようになった背景には、社長の体験があります。社長が6〜7年前にパニック症候群に罹患して大変な思いをしていた時、アメリカの友人からCBDを紹介され、試しに使ってみたところ症状が改善されたのだそうです。その経験から、CBDで多くの方の悩みを解決できるのであれば、という想いで事業化することになりました。

CBD自体は、日本でも2013年より合法化され、2022年にはAmazonでも一部店舗で販売が可能になりました。そういった環境もあり、世間の注目度も高く、同じようにCBDオイルを取り扱うスタートアップもかなり多い時期だったんです。

ーーそうなんですね。恥ずかしながら、名前は聞いたことがあるもののCBDオイルについて詳しく存じ上げませんでした……。

上野:おっしゃる通り、日本ではあまり消費者に正しく情報が浸透していないのも事実です。

実際、事業化当初は、大麻草由来の成分ということもあり社内でも不安の声があったほどです。CBD自体が消費者に知られていないことや、存在や効果を知っていてもなんとなく不安に思われる方もいるなど、完全に供給過多の状況でした。

弊社は良い原料メーカーを見つけることができ、良質なCBDオイルの提供ができるということや、世界的に先行事例があるということで可能性を感じて販売をスタートしましたが、思うように売り上げは上がっていませんでした。

供給過多の市場から飛び出し見つけた、Bto”D”の新たな勝ち筋

ーー実際協働がスタートしてからはどのようにプロジェクトが進んだのかお聞きできますか?

上野:はじめは、市場調査からはじめました。協働プロとしては、村松さん(協働日本代表)と藤村昌平さん(協働日本CSO)に入っていただきました。


ECで売れない理由を分析していったところ、他社との差別化や、弊社ならではの強みが必要ということがはっきり見えてきました。強みの整理など、色々と考えてはみたのですが、一般市場では消費者のニーズも高くはなく、類似する他社のCBDオイルもたくさんある───どのように売れば差別化されて売れていくのか道筋が見えづらかった。

そこで、ニッチだが、確実にニーズのある方向を目指そうという話になったんです。

ーーこれまでからターゲットを変えていくということでしょうか。

上野:はい。これまでのBtoC向けの商品展開ではなく、BtoBなど売り先を変えてみてはどうかということで、ターゲットになりそうな企業を探していくことになりました。

CBDオイルは海外では医療や美容の目的で使われるので、日本国内にも興味のある企業がいるのではないかと、当たってみたところ、知人からの紹介で認知症患者にCBDオイルを使ってみたいというお医者さんとの出会いがあったんです。

クリニックとの共同事業ができると、消費者に信頼される「エビデンス」という強みを持つことができます。そこで、認知症患者の治療のためのCBDオイルの共同開発がはじまりました。

ーーまさに、「ニッチだけど確実にニーズがある」市場かもしれませんね!共同開発はスムーズに進んだのでしょうか?

上野:はい、「BtoD」という新しい市場に辿り着いたのは成果の一つだと思っています。共同開発の最初の壁は「CBDオイルを治療に適した形にすること」でした。

CBDには直接飲むタイプや、吸うタイプ、食べ物に混ぜて摂取するタイプなどさまざまな摂取の仕方があります。認知症の患者さんでも負担なく取り入れられる形を目指して検討しました。その中で、経口摂取だけでなく、経皮吸収でも効果が見られるというデータを見つけ、皮膚に貼って使う「CBDパッチ」の開発に繋がりました。

パッチの製作自体は外部委託先に依頼しましたが、医療用のパッチにCBDを入れた前例がなかったため、何%の濃度のオイルを入れられるか?何%の濃度なら効果があるか?など模索が必要でした。

また、同時に大学病院での治験の手続きも進める必要がありました。倫理委員会を通すなど準備にも時間はかかったのですが、無事に治験を開始することができ、クリニックの先生の協力もあって、結果的に効果が見込めるパッチが完成しました。

治験自体はこれからも引き続き実施する予定で、先生も成果を論文にしていきたいとのことで、持留製油のCBDオイルの強みである「エビデンス」が明確になっていくのを楽しみにしています。

協働日本は責任感をもって一緒に事業にぶつかってくれるプロたち

ーー協働日本との取り組みの中で、生まれた変化や成果について教えていただけますか?

上野:成果、と言うにはまだ道半ばというところではありますが、誰に対して、どんな製品を売っていくのかという方向性が見えたことが一番大きな変化と収穫だったと思っています。

私自身は持留製油に入社するまで様々な業界で新規事業に携わることが多かったので、新しい事業に挑戦することは好きだったのですが、一人で考えるとアイディアが出なくなって行き詰まってしまいやすいということもわかっていました。

なので、今回協働チームの皆さんと一緒に考えることでアイディアがたくさん出てありがたかったですし、新しい考え方やスキームを知るヒントになってよかったと思っています。

例えば、藤村さんは、元々ライオンという消費財メーカーの研究室のチームにもいらっしゃったこともあって、製品開発におけるメリットよりもデメリットがないかが重要と考えられていて、売れるメリットのことを強く考えていた私にとっては新しい気づきでした。

やはり様々な分野のプロのこれまでの知見やノウハウに触れることができることは自分にとっても勉強になって良い機会でした。

ーー協働プロたちの印象はいかがでしたか?

上野:村松さんは熱い想いでぶつかってきてくれて、藤村さんは冷静に分析してどんどん突っ込んできてくれる。

お二人がそうやってぐいぐい前のめりに問いを立てて深掘りしてくれたからこそ、これまでの状況を切り開き、難易度が高い事業づくりに新しい光が見え始めたのかなと思っています。

副業人材でコンサル的な取り組みが増えていることは知っていましたが、個人的には”教えてくれるだけ”のコンサルティングはあまり好きではなくて……。

協働日本さんの場合は、ワンチームで一緒に考える、一緒に責任を持って事業にぶつかってくれるという姿勢で参画してくれる、単なる副業人材活用とはまったく違った取り組みスタイルでした。

地方のものづくり系の会社以外にも、スタートアップ系の新規事業や、自分で起業される方にもおすすめしたいですね。そういった企業の経営者には、同じ目線で相談できる相手がいない場合も多いので、事業づくりの経験がある「わかってくれる」人に相談できる機会があるというのはいいなと思いました。

昔のような「ものづくり日本」を取り戻す──プロフェッショナル集団が強い事業づくりの一助に

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

上野:協働日本は非常に面白い取り組みです。協働プロが増え、チームのバリエーションが広がっていけば、全国の地域企業がさらに成長し、新しい事業をどんどん形にしていけるのではないかと思います。法律にしろマーケティングにしろ、事業をつくるには様々な要素があり、やっぱりプロがいないとわからないことって多いと思うんです。しかも誰に聞いていいかもわからない。チームの中に色んなプロがいること、地域企業の強みを活かした「機能拡張」できることが、協働日本の強みだと思っています。

特に、村松さん、藤村さんもそうですが、キャリアにおいて製造業を経験している協働プロが多いことも協働日本の強みじゃないかなと思います。個人的には、昔のような強い「ものづくり日本」になってほしいという想いがあって、それを強くするためにプロがついて支援していくことは大事かなと。「日本に熱を生み出したい」というテーマの中でも、地方創生にとどまらず、産業活性、産業振興をリードできることも協働日本の強みかなと思うので、頑張っていただきたいなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

上野:ありがとうございました!

上野 浩三 / Kozo Ueno

持留製油株式会社 常務取締役

1090年鹿児島生まれ
大学後、旅行会社にて12年間、海外添乗、営業、企画に従事。
改めて鹿児島の魅力を発信したく、総合酒類卸会社に転職し、鹿児島中央駅アミュプラザかごしまの「焼酎維新館」の初代店長として立ち上げ。
県外を中心に焼酎・特産・物産を営業も同時に行う。
2012年「かごっまふるさと屋台村」のNPO法人運営理事として、立ち上げ、運営に従事。
2020年より、持留製油株式会社に転職し、食用油脂製造業の営業と、CBDじ業の立ち上げに従事。

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STORY:株式会社イズミダ 出水田一生氏 -若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏にお越しいただきました。
株式会社イズミダは創業50年の鮮魚の卸売・小売・水産加工の会社です。元々は創業者である出水田氏のお祖父様が自転車の荷台に魚を積み、売って回ったことが始まりでBtoB向けの卸売がメインの事業だったそうです。

10年前に出水田氏が3代目として戻られてからは、加工品のEC販売や飲食店、体験・教育、対面販売のBtoC向けの魚屋など『新しい魚屋の形を作る』ためさまざまな事業を展開しています。

創業者の「魚の本当の美味しさを知ってもらい、皆様に喜んでいただきたい」という想いを受け継ぎ、大きく変化を遂げようとする株式会社イズミダ。その中でも今回は鮮魚店が併設する食堂である「出水田食堂」のプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

新しい魚屋の形を作る──新しい挑戦の中で表面化した課題に伴走支援を。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

出水田 一生氏(以下、出水田):はい、よろしくお願いいたします。

鹿屋市の前副市長の鈴木健太さんからの紹介がきっかけで、協働日本代表の村松さんにお会いしたのが始まりでした。伴走支援という形での複業人材の活用の話や、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」についてお聞きして、ぜひ一緒に取り組みをさせていただきたいと思いました。


「新産業創出ネットワーク事業」は昨年度も実施されていたということで、株式会社ネバーランドさんの加世堂さんなど、以前から知っていた方が参画されていたということもあり、協働の事例を聞いて一気に親近感が沸きましたね。

昨年の取り組みなど村松さんにお話を聞いた後すぐに、今年度(令和5年度)の県の事業への参加事業者の募集があったため、チャンスだと思いすぐに申請書を書いて提出しました。

ーーすぐに協働を決めてくださったんですね。今回の協働では、数あるイズミダの事業の中でも「出水田食堂」のプロジェクトについて伴走させていただきましたが、テーマについても申し込みの時点ですでに決めていらっしゃったのでしょうか?

出水田:最初は、当時頭の中にあった別の課題を解決したいと考えて申請書を出していました。最初のセッションでその課題について深掘りして考えていく中で、それよりももっと、解決していくべき点があると気づいたんです。それが、鮮魚店併設型の食堂である「出水田食堂」の運営についてでした。

弊社、株式会社イズミダは鹿屋市で創業50年、現在は2代目として父が経営しています。元々BtoBの卸売業だったのですが、3代目として店を継ぐため私が戻ってきた10年ほど前から、加工品のEC販売など新しい事業も始めるようになりました。

出水田食堂は、よりダイレクトに魚の魅力や価値を伝える手段として、2022年の4月にスタートした鮮魚店併設型の飲食店です。営業はお昼だけ、市場の休みに合わせて週休2日という営業形態も、長時間労働が常態化しやすい魚屋の働き方改革への挑戦という意味もありました。

出水田食堂は、鹿屋市ではなく、鹿児島市の騎射場という学生街・飲食店街にあります。単価はエリア平均より高めであるにも関わらず、開店当初よりさまざまなメディアに取り上げていただいたり、行列ができたりと、ありがたいことに大変好評いただいていました。

一方で、内部的には従業員が定着しないという問題がありました。責任者である私は普段鹿屋市にいて、鹿児島市の店舗までは移動に2時間近くかかってしまいます。物理的距離がスタッフとのコミュニケーションにも影響し、少しずつ考えにズレが生じてしまうことなども理由の1つで、スタッフが辞めてしまい、併設の鮮魚店を休業さぜるを得なくなったり、飲食店でのクレームが増えたりと目に見える形で問題が出るようになっていました。

ーーなるほど。それで出水田食堂への伴走がスタートすることになったのですね。

出水田:はい。協働がスタートした頃、新たにスタッフを2名採用したところだったんです。2名とも20代の女性社員なのですが、前職は保健師とパティシエという、魚に関する知識が経験もないにもかかわらず、我々の想いに賛同して入社してくれたメンバーでした。

先ほど話した通り、私には物理的な距離の問題もありますし、出水田食堂での新しい事業や課題解決については私ではなく現場のスタッフが責任を持ってやらないと長続きしないのではないかと思い、彼女たちにも協働プロとの毎週のミーティングに参加してもらうことにしました。

店舗の運営に留まらず、体験・教育などこれまでにない新しい魚屋の形に挑戦している。

昨年比1,000%超、過去最高売上を更新。二人でも無理なくできる、現場発信の施策の数々。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

出水田:はじめは、根本的な価値や課題を深掘りするということで、会社の価値や課題を考えるというワークからスタートしました。協働チームとしては、藤村昌平さん横町暢洋さん、宮嵜慎太郎さんの3名を中心に入っていただいています。

まずはワークショップの中で、自分の存在意義と会社の存在意義を考えるところから始まったのですが、日頃から『存在意義』について考える機会はなかなかないので、私にとってもスタッフにとっても、何のためにここで働き、何をしていきたいのか、考えを整理するためにとても貴重な機会だったと思っています。

それぞれの想いが整理されたことで、その後の価値や課題についての議論も活発になっていきました。

印象的だったのは、私の考える会社の価値や課題と、スタッフたちの考える価値や課題について、違いと共通点が浮き彫りになったことです。1つ1つの意見についてディスカッションをしていくことで、これまで課題だったコミュニケーションや意識のずれが少しずつ修正されていくのを感じたんです。

ワークショップの様子。それぞれの色がメンバーと紐付き、各人がさまざまな意見を出しているのが見える。

ーー同じテーマについて話をしていく中で自然とコミュニケーションが取れるようになっていったんでしょうか。

出水田:藤村さんのファシリテーションも大きかったと思います。これまで社内ミーティングで1つのテーマについて話し合う機会ももちろんあったんですが、その時は私が一方的に話すような形だったんです。

というのも、スタッフの2人は業界未経験ということもあって、どうしても「魚」についてはわからないことも多く、何か具体的なアイディアを求めても、自分は詳しくないからと遠慮がちになってしまっていたと思うんです。

そこで、うまく藤村さんが話を振ってくださったことで、2人とも発言する機会が増えましたし、どんな意見が出ても協働プロの皆さんが否定せずに受け止めてくださるんです。間違っていることなんてない、質問から少しズレていても言語化を手伝って軌道修正をしてくれるので、思ったことを好きなように言える雰囲気が醸成されていきました。

それに、それぞれの存在意義──ここで何をしたいのか、という部分は個人の内側にしかないものを発言する形になります。知識や経験とは関係なく、それぞれの想いで意見が言えるということも、活発な議論に繋がった理由じゃないかなと。

実際にその後、二人からの提案でさまざまな施策を行っていくことになりました。

ーーお二人からのご提案内容も含め、その後に実施された具体的な施策についても教えていただけますか?

出水田:はい。行列ができた際の待ち時間の有効活用、SNSの活用と発信、そして人員不足で休業していた鮮魚店を再オープンすることができるようになり、年末の受注、イベントへの参加、恵方巻きの企画など多岐にわたります。

まず、先のセッションによって、「お客様を待たせているが、ケアできていない」「時間がなくてお客様との接点を作れていない」という2つの大きな課題が顕在化しました。

待ち時間の課題を解消する施策としては、待っているお客さんが、お魚の知識に触れる経験ができるように魚の本を置いたり、隣接する鮮魚店に誘導するなど待ち時間でも楽しんでもらえるように工夫しました。「食べてファンになる」だけではなく、並ぶ時間から退店までも価値を伝え、ファンになってもらおうという施策でもあります。

そして、顧客接点の課題についてはSNSの活用でカバーしていくことにしました。Instagramでは、日々のおすすめや入荷情報を発信して来店意欲を高め、LINEではお得意様に対して特別な情報発信をしてリピート意欲を高めるよう役割を分けて運用することになったんです。ただし、スタッフは日常業務で忙しく、SNSの管理までなかなか時間を割くことができません。そこで、協働プロの横町さんの力も借りながら、生成AIを活用してコンテンツの生成から投稿後の検証まで2人でうまく回せる仕組みを作りました。

ーーすごいですね!実際に現場で無理なく回せる仕組みになっているんですね。

出水田:元々、出水田食堂は働き方改革への挑戦という側面もあったので、どうしてもスタッフに無理はさせたくありませんでした。現場にいない私が考えるのではなく、現場にいる2人も一緒に自分ごととして考えてくれたことで、より現場に即した形で施策を進めることができたのではないかと思います。

実際、年末の受注に関してもスタッフが率先して行ってくれた施策です。2022年の年末は人員不足で鮮魚店は閉めていたし、年末にスタッフを働かせるのもよくないと思い、年末の受注についてはほとんどお断りしていたんです。大晦日やお正月にお刺身を食べたいという需要があることはその時からわかってはいたので、2023年には「12/31は絶対に売れるから、公式LINEなどに流せば売り上げ上がりそうだ」という話をスタッフにしていたんです。すると、ぜひやりましょうと率先して声を挙げてくれました。実際にSNSでの発信によって受注につなげ、売り上げは前年比1,000%以上、過去最高額の売り上げになって驚きました。

ーー1,000%!需要がわかっていても積極的にできなかった施策が、すごい成果に繋がったのですね。

出水田:数字として期待以上の成果が出たのは年末の受注だけに留まりません。同じくスタッフが企画してくれた、恵方巻きの企画では140本以上の受注があり、年末に出した鮮魚店の過去最高売上をすぐに更新することになりました。

鹿屋市の店舗の方で2022年に結構恵方巻きが売れたので、騎射場の店舗でも売れるのではないか?というヒントを出しただけで、スタッフ2人で恵方巻きの内容や発信などほとんどオリジナルで考えて取り組んでくれました。

2022年にも出展していたイベント「ぶり祭」(鹿児島大学主催)でも、メニューの刷新やSNSでの積極的な配信によって、弊社経由で売れたチケットの枚数が前年比のほぼ倍になっています。

スタッフ考案の恵方巻き。大好評で140本以上を売り上げた。

「自分と会社の存在意義」がターニングポイントに。スタッフが経営者視点を獲得するという大きな変化。

ーー協働日本との取り組みの中で、店舗にはどのような変化が生まれましたか?

出水田:一番大きいのは、やはりスタッフの二人の自発性の向上だと思います。普段経営者である私が不在という中で店舗を運営し、成長させていくためには、二人の当事者意識を高めるマインドセットが必要でした。

どうしても初めの頃は、協働プロとのミーティングにおいても「私たちがいて何か意味があるかな…?」という雰囲気があったのも否めません。それでも言語化を重ねていくことで変わっていき、自ら積極的に声を上げてくれるようになっていきました。振り返って考えてみると、やっぱり、自らと会社の存在意義について言語化できたあたりがターニングポイントだったように思います。

伴走支援を通じて、それぞれが出水田食堂をよりよくするためにどうしたらいいか?を自分自身で考え、取り組み、コミットして数字を出すという一連の流れを経験することができたことで、スタッフとしての成長だけではなく、経営者視点の獲得にも繋がったのではないでしょうか。

それ以外にも、今ではトラックを運転して市場に買い付けに行き、魚を捌くところまでそれぞれが一人でできるようにもなっています。市場の先輩方にも可愛がってもらっているようで、そういった面でもとても逞しく頼もしいですね。(笑)

ーーそれは、大きな変化ですね。(笑)先ほどもお話しされていた通り、どんなことでも意見を言える雰囲気になったというのも重要かもしれませんね。

出水田:協働プロの皆さんと話す中で、本当にプロだなと感じることが多かったんです。言語化、課題の整理・抽出…頭の中にあってもできないことが多い中で、引っ張り出してくださるんですよね。

毎週のMTGの中でそんなシーンがたくさんあって、色んな意見が出てきたのを目の当たりにして、こうやって会議して新しい商品やサービスができていくんだなと身を持って体験できて、私自身としてもとても面白かったです。

また、オンラインだけでなく、実際に出水田食堂にも来てスタッフともオフラインで会ってくれたのも大きかったと思います。オンラインでは毎週顔を合わせていますが、リアルで会うとさらに距離も近づくので、コミュニケーションも取りやすくなりますよね。

週に一度で長期間実施する伴走支援、濃密な取り組みが成果に繋がる。


ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

出水田:実は3年ほど前から興味もあって、他社の副業人材活用のサービスを活用したこともあったんです。その時は、プロジェクトのスパンも短くて、5回程度だったので、いいアイディアや気づきもあったんですが具体的なところまで落とし込むことができずもったいなかったなと感じていたんです。

協働日本は毎週ミーティングがあって半年以上という比較的長い期間で伴走支援を受けられるので、取り組みが非常に濃密だと感じました。日々の業務に追われる中では、人間やっぱり期限を切ってお尻を叩いてもらった方が動きやすいですし、そういう意味でもいいなと思います。

ーーそうだったんですね。実際に、サービスを活用してみて、複業人材の取り組みは今後広がっていくと思われますか?

出水田:経営者同士の情報交換でも、よく話が出るようになってきたんですよ。興味がある人も多いのではないかと思います。なので、今後も広がっていくと思いますし、私自身も今後も活用していきたいと思っています。

特に、今回のように県の事業として支援を受けることができることで、伴走支援を受けられたという事業者さんもいるかもしれないですし、今後もそういった機会があれば周りにもおすすめしたいです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

出水田:本当に大変お世話になりました。おかげさまでこの短い、1年弱の期間でうちのスタッフも変わったし、店舗に大きな変化が生まれました。

こういった複業人材の活用というのは、いろんな事業者さんに知ってほしい取り組みでもあるし、多分、興味はあってもなかなか、どこにお願いすればいいんだろう?というところがまだ知られていないと思います。

それに、ただ都市部の凄い人を1人副業で入れても、自社組織のメンバーと一緒にチームで力を発揮しないと、なかなか本当の成果に繋がらないケースもあると思います。

だけど、協働日本さんは、「ただ凄い人を副業で入れたらうまくいく」というスタイルではなくて、ワンチームとしてのチームビルディングを意識し、これだけ深く入ってくれて私は本当にありがたかったし、他の複業人材との取り組みとの大きく違うのではないかなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

出水田:ありがとうございました!

出水田一生 / Issei Izumida

株式会社イズミダ 常務取締役

鹿児島県鹿屋市出身

大学・大学院で生物学を専攻。

大学院在籍中に父親の病気を機に家業である「出水田鮮魚」に戻り、卸一本であった昔ながらの魚屋のイメージを変えるため、魚×〇〇といった視点でEC販売、小売、飲食など新たなチャレンジを続けている。2022年全国中小企業クラウド実践大賞総務大臣賞受賞。

出水田食堂Instagram

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