STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

今回は、協働日本が提供している『経営リーダー育成プログラム』の参加者、山岸製作所の奥永さん、そしてプログラムの導入を決めた山岸社長にインタビューをさせていただきました。

『経営リーダー育成プログラム』は、経営幹部の育成に悩む地域企業様にむけた、協働日本の新しいプログラムです。

協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、企業幹部を経営者リーダーとして育成するプログラムで、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成、意識の変革を目指します。

最初の事例として、インタビューでは、プロジェクト導入のきっかけ、実際のプログラムの内容、感じている変化や成長についてお話しいただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

営業一筋30年、プレイングマネージャーからの転身への一大決心

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、奥永さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

奥永 亮治氏(以下、奥永):はい、よろしくお願いいたします!

現在は営業現場の管理・マネジメントや、オフィスコンサル事業の企画推進を担当しています。入社以来ずっと営業職ですが、元々営業を志望していたというわけではなく、与えられた役割に一所懸命になって気づくと30年間営業一筋になっていました。


しばらくプレイングマネージャーとして、現場と管理の両方を経験してきましたが、2023年の4月に担当顧客を持たない専任のマネージャーに切り替わり、同じタイミングでこの『経営リーダー育成プログラム』がスタートしました。

ーー30年間営業一筋というのはすごいですね!そんな長く携わられていた営業現場から離れたというのは、ご自身の希望もあったのでしょうか?

奥永:組織を大きくしていこうというタイミングで、このままずっと一営業のままで良いのか?という想いはありましたね。今は良くても10年後を考えた時に、自分が今のままの仕事を続けてることが、後進の育成などを鑑みても、組織として良くない面もあるのではないかと感じたんです。

もちろん現場を離れる寂しさのようなものもあったのですが、自分としては一大決心をして次のステップに進んだ形です。

ーーありがとうございます。山岸社長から見た奥永さんへの印象や期待についてもお伺いできますか?

山岸 晋作氏(以下、山岸):とにかく真面目で責任感が強い印象です。まさにプレイングマネージャーからマネージャーになってもらいたいと伝えた背景としては、会社のフェーズが変わってきたということがあります。

組織を蘇らせるための蘇生フェーズから、大きくするための成長フェーズへ変わっていこうというタイミングで、組織の中核になるような存在が必要になります。責任感の強さや、「自分がやるんだ」という気概を考えると、彼が適任だなという風に思っていました。

それに、奥永さんは現場でも十分な実績を残してきていたし、これまでやってきたこと・将来の10年間を考えた時、もっと責任を持って仕事できた方が活き活きと仕事ができるのでは?と感じたことも理由としてありますね。

会社のフェーズの変化に合わせた人材育成の必要性

ーー続いて、奥永さんが『経営リーダー育成プログラム』に参画されたきっかけについて教えて下さい。

山岸:先ほどもお話しした会社の蘇生フェーズ───生き残りに集中する10年間は、目の前の売上、明日の利益を求める・深めることに注力してきました。

フェーズの変化は、例えるならダイエットから筋トレに移行するようなイメージです。

そんな変革の中で、私自身が社員との漠然とした距離感を感じていたんです。成長のためには皆の力を借りなくてはならないので、距離があることは大きな課題の1つでした。そこで、まずは部長メンバーとの距離感を近づけて、一緒に成長していきたいと思うようになりました。なので、実際に奥永さんがプレイングマネージャーから専任のマネージャーになる際にも、どのように成長をサポートすればいいのか悩んでいて。育成というのは目標があってこそのもので、何を目標に進んでいけばいいのか皆目も検討がつかなかったんです。

そんな時、これまでも事業の伴走支援に関わってくれている協働日本の村松さんから「企業の幹部育成も取り組んでいる」という話を聞いて、是非取り組んでみたいと思いました。

ーーなるほど。そこで『経営リーダー育成プログラム』が生まれたのですね。

山岸:はい。奥永さんを含め、2名に参加してもらうことになったのですが、はじめは受け入れてもらえるか内心ドキドキしていました。

山岸製作所は長く続く会社ということもあって、単一性や経験の長さに優位性を感じる文化が強く、外部の力を借りる・取り入れて活用する文化がありませんでした。

そもそも「自分たちって幹部なの…?」という疑問をそれぞれが抱いている状態だったということもあり、「やってみる」と言ってもらえるかどうか…という状態で不安に思うところも大きかったですね。

ーーそうだったのですね。実際に話を受けて参加することになった奥永さんは、はじめプログラムにどのような印象を持たれていましたか?

奥永:正直な話をすると、プログラムの初日に村松さん(協働日本代表)と藤村さん(協働日本CSO)から、詳しく話を聞くまではよくある研修の延長線くらいに考えていました。(笑)

幹部育成と言っても、マネジメントや管理について学ぶような…部長とは、課長とは?といった座学の社員研修のイメージを抱いていたので、プログラムの内容やスケジュールについて説明を受けて「どうやら、思っていたものとは全然違うぞ」と。

幹部として山岸製作所の価値や課題をどう捉え、何にコミットしていくかを「自分で考え、自分でやる」という自律的な行動で取り組むプログラムで、やること自体は理解できたけれど、果たしてやり抜けるか、はじめは不安もありました。

ーー確かに、研修というと講義を想像してしまいますよね。実際にどのようにプログラムが進行したのかについても教えて下さい。

奥永:キックオフから最初の半年は、協働日本代表の村松さんとCSOの藤村さんに何度か来社いただき、ワークショップのセッションを繰り返しました。最初に、自分自身と山岸製作所の「存在意義」を自分で言語化するセッションには驚きましたね。そんなことを考えて仕事をしてきていませんから。また、山岸製作所の価値や課題を本質的に考え抜くセッションでは、社長が経営者としていかに未来をみて、不確実に向き合っているかを少し理解できました。

前半のセッション中で、自分がコミットするテーマとして、山岸製作所における事業開発を決定しました。後半の半年は、週に1回オンラインで伴走プログラムのセッションを実施、月に1回コーチングという形で勧めていました。毎週のプログラムに関しては、プログラム期間の前半は藤村さんに、後半は協働プロの足立紀章さん((株)ベネフィット・ワン 執行役員)に伴走していただきました。

30年も働いていることもあり、会社のことはなんとなく理解しているつもりだったんです。それでも、今思えば薄っぺらい理解だったと思います。この会社がなんのためにできたのか、創業者の想いと立ち上がった背景など、聞いているようで聞いていなかったのかもしれません。

プログラムを通じて、山岸社長にも改めて話を聞いて、本当の意味で理解していったんじゃないかと思います。こんな機会がなければ考えることはなかったのではないかと思います。

会社の存在意義について考えが進むと同時に、自分がなぜ山岸製作所で働いているのか?についてはじめて考えました。

山岸製作所で働くことは、自分にとっては朝起きて会社に行って…という日常のサイクルの1つになってしまって「なんのために仕事をしているのか?」を考えたことがなかったんです。

ーー今日のインタビューでもはじめに、「与えられた役割に一所懸命になって30年」とも仰っていましたし、なかなか自分の働く理由を考える間がなかったのかもしれませんね。

奥永:そうですね。今になって思うと、自分=「一従業員」という意識で仕事をしていたんだと思います。社長が考えたことや決めたことが下りてきて、自分はそれを一所懸命こなすという状況でした。

だから、自分は何をやりたいのか?この会社で何をしていきたい?という問いを藤村さんからもらったことでようやく「自分がこの会社でしたいこと」を考えるようになり、自分と会社の存在意義に重なる部分があることにもはじめて気づきました。

自分のことと、会社のことに向き合って考えて、会社の存在意義、自分の存在意義、という同じテーマについても繰返し考え理解を深めていくと、同じような問いに対しても「会社のためにすべき」と思いながら書いて

いたことが、だんだんと「自分がやりたいこと」に変わってきたんです。

「自分がこれからしたいことは?」という問いに対して書いた答えなのに、初めの頃は「本当にやりたいことなのかな?」と疑問に思うことがありました。振り返ってみると「会社がこうなったらいいな」という考えで書いていたからかなと思うんです。徐々に「自分がやりたいから、こうやって進みたい」と、主語が会社から自分に変わって、腑に落ちるようになっていきました。同時に、通常の仕事でも自分の意思が反映されていったように思います。

考え続ける習慣が、視座を引き上げ、行動を変える。

ーープログラムを通じて印象的だったことはありますか?

奥永:毎週宿題をいただくのですが、その全部が印象的でした。自分が質問されたことを整理して答えを用意する、というのは正直しんどいときもあったんです。

毎週のセッションを録音していたので、犬の散歩をしながら何度か録音を聞いて…藤村さんの問いの内容を理解するところからでした。表面上はわかっていたつもりでも、本質的には何を問われているんだっけ?ということをきちんと理解してから考えはじめるという流れでした。

大学生のレポートのように何かを調べて答えを出すなら、楽にできますけど、答えが自分の中、会社の中など内側にしかないというところが大変なところです。
また、日頃の業務の中で「考える時間」を捻出しなくてはいけないので、毎週のセッションはペースが早いなと思うこともありましたが、逆にそのペースのおかげで習慣化・ルーティン化できたのはよかったかもしれません。

また、コーチングのパートでは、月に1回のペースで村松さんと藤村さんに話を聞いていただいていました。実を言うとこちらのパートの役割を理解しないまま、自分の好きなように話して聞いていただいていましたが(笑)今になって思うと、ここで話を聞いてもらうことによって自分の気持ちの面と向き合うことができたのでありがたいパートだったなと思っています。

ーー先ほど、「自分がこの会社でやりたいこと」が段々と見えてきたというお話をいただきましたが、ご自身の変化や気づきについても教えていただけますか?

奥永:絶え間なく考え続けるので、いろんなタイミングで頭の中で何かがつながることが出てくるようになりました。仕事のこと、経営のこと、会社の理念なども、実際に経営者のお客様と話しているときなどに話がすっと入ってくる・何を言っているかわかるようになった気がします。表面上の言葉だけでなく、「ああ、きっとこんなことを言いたいんだな」と思うようになりました。

部署のメンバーと話をしていても、一社員としての意見なのか、会社全体を見渡して出た意見なのか、というレイヤーの高さの違いに気づくようになりました。全体最適を求めるわけではないんですが、「このレイヤーの高さで話をしていると、話が進まないな」と思うこともあり、他のメンバーの意識やレイヤーの高さが気になるようになってきたんです。

ーー奥永さんご自身の視座にも変化があったんですね。

奥永:また、自分がこうやって色んなことを考えていると、「社長や、他のメンバーはどう考えているんだろう?」ということが気になって、話を聞かせてもらう機会も増えました。

一般的に、組織運営のためにコミュニケーションをとりましょうというのはよく言われていると思いますが、本当に相手のことを知りたいと思っているのが伝わるかどうかが大事なんじゃないかなと思うんです。
作業のようなヒアリングになってしまうと、相手も本当の想いを開示できないと思うので、聞くだけ、にならないようにということにも気をつけるようになりました。

メンバーとのやりとりの中で、逆に自分の想いを伝えるという機会も増えました。これまでも上司部下の関係性の中で「これをやってほしい」という指示をすることはありましたが、自分の意思で「こうしたいから、協力してほしい」と気持ちを伝えることはなかったんです。きちんと伝えるという行為がきっかけで、「そんな風に思ってたんだ」と理解して賛同してくれるメンバーも出てきました。

自分自身が、組織を動かすためには皆の気持ちを知っておかなくてはならないと感じたんです。全体の意識が上がらないとうまく回らない、組織が成長できないと感じたので、メンバーの話を聞き、自分の気持ちを伝える、という風なコミュニケーションの変化が生まれたのだと思います。

ーー山岸社長から見た奥永さんの変化についてはいかがですか?

山岸:はじめに、私と彼との中で言葉が重なってきた、と感じるようになりましたね。変化に気づいた時に、「どうしてそうなった?」と質問したんです。そうしたら、先ほど本人も言っていたように「自分の中の存在意義と会社の存在意義が重なった部分に気づいてから、前に進み出した気がする」という答えが帰ってきたんです。これがとても印象的でしたね。

先ほど、主語が自分になったとも言っていましたが、実際に「自分がやります」という言動も増えました。外からの圧力ではなく内なる声が人を動かすんだなと。それが人の背中を押す唯一の力だと私にとっても学びになりました。

事業開発のメンターと、自分自身と向き合うためのコーチングの両軸が揃っているというのが、この『経営リーダー育成プログラム』の本質なのかなと感じました。

成功・失敗・数字ではなく、自分を再評価する機会

ーー聞いていてこちらもワクワクするようなお言葉をありがとうございました。最後に、プログラムを通じて感じられたことについて、メッセージもかねてお聞かせください!

奥永:30年も仕事をしていると、自分に厳しく言ってくれる人がほとんどいなくなってくる中で、藤村さんに貰えた考えさせられる問いがありがたかったと思います。タイトなスケジュールの中でセッションを続けるのは大変な面もありましたが、厳しいことがありがたかったです。後半からは足立さんに切り替わり、事業の細かいところをきちんとみてもらい、緻密さを今も継続して勉強させてもらっています。

協働日本の皆さんは、山岸製作所全体のことを見てくれているなと思っています。プログラム自体だけ、一事業部だけでなく、会社全体がよくなったらいいと思って伴走してくれていると感じてありがたいです。

このプログラムは、何かをパッケージで与えられるものではなく、自分で考え、言語化するプロセスであるからこそ、会社の中のミドル、幹部を担っている方の意識改革や経営の視座の獲得につながると思います。問題意識を持って突き詰めて考える経験をして、自分の基軸を持って考え抜くことは、特に地域企業の幹部には重要だと思います。

山岸:度々出てきた「自分の存在意義と会社の存在意義が重なる」というキーワードは核心をついていると思っています。この重なった部分が多ければ多いほど、個人の力が発揮されるようになって、個人の力の集合体が会社の力になっていくんだろうなと思っていて。幹部育成プログラムの本質ってそこにあるんだろうなと思っているんです。

今回の奥永さんの変化を見て思うのは、重なる部分を本人が意識できれば、自然とやることを見つけていくようになるということです。自分ごととして、組織の中で何をしていくかを考えるようになるんです。あとは、再現性を持たせて多くの社員が存在意義の重なりに気づいていけば組織がどんどん強くなると思うので、これからの課題でもあるなと思っています。

今回、30年選手の奥永さんが変わった、ということ自体が、「この組織はまだまだいける!」と僕の自信になりました。組織の変革にあたっては、僕自身も躊躇する部分があったんですが、実際に、変化の兆しや変化を見ることで組織をもっと良くしたいと想いが強くなりました。引き続きよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

山岸・奥永:ありがとうございました!

山岸 晋作 / Shinsaku Yamagishi

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。


奥永 亮治 / Ryouji Okunaga

大学卒業後、株式会社山岸製作所に入社し、30年間オフィス家具の営業に従事。 官公庁や民間企業など、幅広い法人顧客を担当し、確かな信頼関係を築き上げてきた。 プレイングマネージャーとして、営業チームの成果を牽引しながら、管理職としての役割も果たしてきた。 営業戦略の立案、チームメンバーの育成、重要顧客との交渉など、多岐にわたる業務を経験。 現在は、会社で初めてのマネージャー専任として、営業部とオフィス戦略室の両方を担当。 オフィスコンサルティング(コ・デザインサービス)を通じて、クライアントのオフィス環境や働き方の改善に貢献。 顧客のビジョン実現をサポートすることで、働きがいのある環境作りに尽力。 深い業界知識と豊富な経験を活かし、顧客に最適なソリューションを提案。 チームワークを重視し、部下の能力開発にも注力。 新しいチャレンジを恐れず、常に学び続けていきます。

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