投稿

STORY:株式会社こみんぐる 林俊伍氏 -協働パートナーとしてともに成長へ。半年待ちの人気プログラム『Workit』を共同開発-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社こみんぐる  取締役の林 俊伍 氏にお越しいただきました。

株式会社こみんぐるは、「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」をテーマに、石川県金沢市で宿泊業をはじめ、さまざまな事業を展開している「地域総合商社」です。

コロナ禍で大打撃を受けた宿泊業。こみんぐるも例外ではなく、事業の立て直しと並行して新たな事業を創造する必要性に迫られていました。

そんな中、協働日本との出会いから、共同で新規事業開発をスタート。そうして人材育成を通じた企業のコンサルティングプログラム『Workit』が誕生し、現在は参加まで半年待ちの大人気のプログラムになっています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを通じた成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

既存事業のブラッシュアップだけでなく、「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」の思いを叶える新規事業立ち上げにも伴走

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

林 俊伍氏(以下、林):はい。協働日本と出会う前からずっと、こみんぐるは金沢市で「旅音」という貸切宿の運営を中心にした、宿泊業・イベント運営などを行なっていました。

そんな中2020年にコロナ禍に突入してしまい、同年の4月には通常は月1,500万円あった売上が0円になるような状況に。この経験を経て、これはまずいと。

これを機に、一度立ち止まって考えてみることにしました。目の前の宿泊業のブラッシュアップも重要だけれども、そもそもこみんぐるは「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」をテーマにしている会社。

そのためにすべきことはいまの宿泊業だけではないよな、という思いもあって。以前から大切にしていたこのテーマに向き合える事業を作りたいと考えるきっかけにもなりました。

実現に向けたアイディアは色々あったものの、それを実際に事業の形にするに当たっては、いろいろと悩む部分がありました。そんな時に、同じ金沢市の事業者である四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介で協働日本と出会いました。

さっそく協働日本代表の村松さん、CSOの藤村さんとZoomで話をしてみたところ、「こみんぐるの大切にしているテーマの、本質を捉えた事業を一緒に作れる人だ」と直感的に感じすぐに協働を決めました。

ーーなるほど、経緯もよく分かりました。協働の取り組みはどんなことからスタートしたのでしょうか?

林:まずは、こみんぐるの主事業である宿泊業の「旅音」のブラッシュアップからスタートしました。オンラインを中心に、ときには金沢にもお越しいただきながら、議論を深めていきました。

他にも、2021年から石川県珠洲市で始めた「現代集落」のプロジェクトについても、協働日本に伴走していただきながら作っていきました。

「100年後の豊かな暮らしを実験する自給自足の村作り」と題して、水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を、先人の知恵とテクノロジーで実現できないか、様々な取り組みをしています。

こちらは、株式会社こみんぐるとは別に「株式会社ゲンダイシュウラク」という会社組織を立てて引き続きプロジェクトを進めています。

そうして並行し、先ほどお伝えしたような思い「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」を実現する新規事業のアイディア、異業種交流型の2泊3日課題解決ワークショップ「Workit」の立ち上げについても伴走していただきました。


ーーこれまでも様々な企業や協働プロからも話に上がっていた、協働日本との共同事業『Workit』もこうした取り組みの中で生まれたのですね。

林:そうです。Workitは、実際の地元企業の経営課題をテーマに、地元企業の社員とプログラムに参加する都市圏の大手企業の社員が、知らない人同士でチームを組み、その地元企業の社長が毎日悩んでいる抽象的な経営課題について2泊3日で向き合って、時にフィールドワークをしたり講師と壁打ちしたりしながら、最終日には練り上げたアイディアを社長に対してプレゼンするというプログラムです。

協働が始まった当時、藤村さんはライオン株式会社の新規事業創出を担当されていたのですが、大企業の中では経営者に直接アイディアのプレゼンをしてフィードバックをもらう機会を作りにくかったり、直接現場に出向いて顧客の声を聞いて情報を集めることの重要性が伝わりにくかったり、という実感があったようです。

どちらも新規事業を企画するにあたって重要な経験になりうる一方、机上の空論・言葉だけでは伝わりにくかったり、体験できるワークショップなども質の良いものがなかなかなく、その機会として”模擬経営”の機会を作りたいというアイディアをもたれていました。

そのアイディアも、こみんぐるのフィールドを使えば実現可能ではないかと考え、一度一緒にやってみることにしたんです。

振り返ってみると実はこの時、僕自身も、こみんぐるの代表である僕の妻も、Workitのコンセプトにあまりピンときていませんでした(笑)それでもまずは一度やってみようと。

こみんぐるの運営する貸切宿「Kanazawa旅音」を拠点に開催される『Workit』。24時間貸切だからこそ、集中して取り組める。
ーーそうだったのですね!ピンときていなかったのにも関わらず、まずやってみようと思えた理由はなんだったのでしょうか。

林:単純に、協働日本の皆さんが絶対にニーズがあるという確信を持っているように見えたからです。

まずはじめに講師役として、協働日本の藤村さんに協力していただきました。

参加者を集め迎えた初回の『Workit』ですが、蓋を開けてみるとものすごく盛り上がり、地元企業の方にも参加者の方にもとても喜んでいただけたんです。この盛り上がりを見て「これはやっていける」と感じて、本格的に事業をスタートすることにしました。

Workitでは、地元の企業と、都市圏の大手企業のそれぞれから参加費用をいただいてプログラムを実施しています。地元企業にとってのメリットは、次世代経営者の育成ができるという点。

地域企業の社長たちは、皆常に抽象的な課題と向き合って悩んでいるんですが、Workitの間は、地域企業の社員たちが同じように自社の課題について本気で悩むのがポイント。

2泊3日という短期間とはいえ、社長と同じように悩み、自社の課題に本気で向き合う経験をすることで視座がグッと上がるんです。加えて、プログラムを通じて本当にいいアイディアが出てくるかもしれない点も、魅力に感じていただいています。

一方で、大手企業側にとっても大きなメリットを感じていただけました。

新規事業を任されたものの、これまで営業や研究といった業務領域にしか詳しくない方たちや、マネージャーになったばかりの方が参加。「事業を作る」という実体験を踏まえて、視座を高めて帰っていきます。

プログラムのテーマとなる経営課題を提供してくれる地元企業の社長さんは、お金を払ってでも会社の未来をこの人たちと作りたい!という想いで社員を送り込んでくれるんですよね。この本気の熱量は、まず大手企業側の参加者に伝播するんです。

すると、今度はそれを見た地域企業側の参加者、社員の方々に火がつく。「うちの会社のことを、俺以上に真剣に考えている」と感じて、自分も負けていられないと本気になっていくんです。相乗効果ですね。

やっぱり、自分の会社の社長に「こういうことをした方がいい」と提案することって、勇気がいるじゃないですか。本当にやりたいのなら、言った本人がやらなくてはいけなくなりますからね。だからこそ、社長の前で「やりたい、やります」と宣言することには責任が伴い、本気の思いでそれを宣言することで魂が震える。

この一連の熱意の伝播こそが、『Workit』の盛り上がる理由であり、短期間でも参加者に多くの気づきが生まれる秘訣だと思います。

参加者がプログラム参加中2泊3日で宿泊するのも、こみんぐるの運営するホテル「Crasco旅音」。個室でとても過ごしやすく、コワーキングスペースも併設。マスコットキャラの「旅猫」がお出迎え。

半年待ちの人気プログラムへ。共同開発した『Workit』のさらなる進化

ーー協働を通じて誕生した『Workit』ですが、プログラムの内容などは少しずつ変わっているのでしょうか?

林:そうですね。開始当初に比べると、随分変わりました。先ほどお話ししていた、プログラムの軸となる立て付け自体は変わりませんが、フィードバックの仕方や、講師役が話をするタイミングなどを少しずつブラッシュアップしています。

初期は「本気の経営会議」という雰囲気でしたが、参加者が増えるに連れ、今は熱量はそのままに「カリキュラム」としてブラッシュアップし、進化し続けています。

ーーなるほど。『Workit』を続けていく中での新たな気づきや工夫ついてもお聞きできますか?

林:はい。まず『Workit』を事業化してしばらくは提供価値の言語化ができておらず、営業に苦戦していたんです。お客さんは皆すごく喜んでくれるけど、それがなぜなのか。先ほど話したような価値が明確になるまでに時間がかかりました。

地元企業、そして大手企業にとってそれぞれどんなメリットがあるのか、『Workit』の魅力を伝えられるようになってからは営業の際の反応も変わり、事業自体がどんどん進んでいったように思います。

当初は、地元企業・大手企業のどちらも自分達で営業開拓をしていたので、苦戦することも多かった。

それが、現在では金沢信用金庫とアライアンスを組み、そこから地元企業を紹介してもらう座組みになりましたし、おかげさまで大手企業のリピーターも増えてきたことで、月1回の開催ができるようになっています。

地元企業も、大手企業も、半年先まで参加枠が埋まっている状態です。

ーー半年待ちとは、大人気のプログラムですね!協働日本とはどんな取り組みが継続していますか?

林:はい。現在でも、年12回のプログラムの半分は協働日本から、 足立紀章さんをはじめとした協働プロの方々に講師としてご参加いただいています。

「共同事業」という形で協働日本と協力しながら、進化を続けていっています。

おかげさまで、売上自体も順調に上がってきていて、メイン事業である宿泊施設「旅音」の営業利益と同じくらいの規模になってきています。
現在、「旅音」の事業も大きく成長していく中においても、今期全体の営業利益のうちの30%くらいを『Workit』が生み出しています。まだまだこれからではありますが、確実に事業一つの柱になりつつあります。

ーーぜひ多くの方に知っていただきたいですね。

林:はい。これからは、地域の事業承継を考えている経営者の方に、もっと参加してほしいと考えています。どうしても、会社を経営していれば次の世代にバトンを渡していくことは避けて通れません。それを見据えて何かしたい、動き始めているという方にこそ『Workit』を知ってほしい。

加えて、同じくらい大手企業側にももっと関心を持ってもらえたら嬉しいですね。いま会社において「問題解決できる」ことは当たり前で、これからは「問題発見できる」人の存在の方が重要だと思います。

言い方を変えれば、与えられた問いを解ける人ではなく、自分で問いを立てられる人を育成していかないと、どこかで立ち行かなくなってしまいます。

だからこそ、会社の未来を担うマネージャー層や、新規事業に携わる層に、『Workit』を通じて「問いを立てる」経験を積んでもらいたいと考えています。

講師役を勤めるのは、新規事業開発のプロたち。経験者との壁打ちでアイディアの精度を高めていくことができるのも、好評。

組織を変えるのは「よそ者、若者、ばか者」?──複業人材の関わりよって変わる地域と会社の共通点。

ーー『Workit』も、地域企業と都市圏の大企業の接点を作ることに寄与していると思いますが、協働日本のような複業人材との関わりが増えることによる、地域企業の発展について、林さんはどのようにお考えですか?

林:その回答には、なぜ『Workit』というプログラムには、大手企業の参加者が重要なのかという理由にも通じますね。

こみんぐるは「100年後にも家族で暮らしたい地域」を作るために事業を行っている企業です。なぜその活動の中に、地域から見たらまったくよそ者の大手企業の参加者が必要なのか。

それは、地域の中だけで閉じるのではなく、外から人が入ってくる入り口──いわゆる関係人口になる人たちの入り口が非常に重要で、金沢において自分達がそれを担っているという認識と自負があるからです。

地域を良くしていくために必要な人材は3もの、「よそ者・若者・馬鹿者」だとよく言われますが、能登半島地震後に再構築が必要になったまちをみると、その必要性を感じるようになりました。何かを変える、革新するためには、いい意味で異質な人を活用することがとても重要なんです。

僕は、地域づくりと会社づくりは、「人」が重要という意味では同じだと思っていて。同じところに住んでいる人が集まった組織が地域、同じ目的に向かう人の集まった組織が会社。

組織を変える、という側面では、地域と会社の構造はとても似ています。だからこそ、地域企業に良い意味で異質な「よそもの」が複業人材として関わってくるようになると、組織が変わっていく。その変化がまた、地域の変化に寄与していく。

協働日本の活動や、僕たちの『Workit』を通じて、関わった複業人材が関係人口となり、地域企業やその地域が進化していくサイクルをもっと生み出していければと思っています。

「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」ため、宿運営=「金沢のトモダチ業」をやっているという。いつでも人との繋がりを大切にしている。
ーー地震の影響があった中でも躍進するこみんぐるですが、今後の展望についてもお聞かせください。

林:僕たちは、「100年後も家族で暮らしたい地域」を作るために、地域が持続可能になっていくための事業をたくさん作って、地域の中でキャリアを描けるような仕組みを作るということをやっていきたいと思っています。

宿泊業に始まり、イベントや人材育成に通じるプログラムに挑戦していきましたが、これからはもっと地元の企業の再生に真正面から取り組んでいきたいと考えています。

やっぱり、地域の持続可能性を高めるためには、地元の企業がもっともっと強くならなくてはいけません。『Workit』は人材育成の側面がありつつも企業成長をサポートしてきたプログラム。この事業を通じて感じたのは、今後はもっと僕たちこみんぐる自身も地域企業の中に踏み込んで、伴走していきたいです。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

林:「人を育てる」ということには確実にニーズがあります。

これまでも様々な地域に、その地域に根ざした副業人材の活用や伴走支援をする、協働日本のような支援をしていた会社はありました。

一方で、協働日本は地域を跨いでいるのが大きな特徴だと感じています。

協働日本がいてくれることで、どこか特定の地域だけが良くなるのではなく、さまざまな地域でノウハウを横展開することができるのではないでしょうか。

地域企業にとって、潤滑油のような存在となって、積極的に新しいことに取り組めるように支援してもらい、こみんぐるのように事業を創る力を高めていく企業が増えていくことは、それぞれの地域にとってもとてもありがたいことです。

ーーぜひ今後とも協働パートナーとして協働の輪を広げていければと思います!本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

林:ありがとうございました!

林 俊伍 / Shungo Hayashi

株式会社こみんぐる 取締役
株式会社ゲンダイシュウラク 代表取締役社長

石川県出身。金沢大学卒業後、豊田通商株式会社に新卒入社、東京・名古屋での勤務ののち退職。愛知県の私立高校で非常勤講師を勤めた後、2016年3月に金沢へ帰郷。2016年5月、妻の佳奈とこみんぐるを創業。

地域社会の持続可能な発展に貢献し、100年後も家族で暮らしたい地域を作る」ため、『こみんぐる』を経営。金沢市内に貸切宿『旅音』を23棟経営。

2020年夏、石川県珠洲市の真浦集落で空き家になっていた古民家を購入したことをきっかけに、現代集落プロジェクトを始動。株式会社ゲンダイシュウラクを設立し、過疎化対策の施策としてではなく「限界集落」を「現代集落」に変えることを目指し、「100年後の豊かな暮らし」の在り方を模索、実験している。

趣味は柔道と美味しいものを食べること。

協働日本事業については こちら

関連記事

「Workit」の事例についてはこちらもぜひご覧ください。
STORY:チャンピオンカレー 南恵太社長 -自社経営幹部の伴走相手として経験豊かな複業人材を活用。実感した大きな「変化」とは-
VOICE:足立 紀章 氏 -「変化したい経営者」を支えたい。地方の垣根を越えた人材交流で成長の芽を生み出す。-


STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社キラガ  常務取締役の太田 喜貴氏にお越しいただきました。

株式会社キラガは、創業40年・宝飾品の製造、加工、卸売、小売を行っている総合宝飾品メーカーです。静岡県の富士山の麓にある豊かな自然に囲まれたエリアに、こだわりのジュエリーと開放的な庭を備えた宝石工房を構えています。

コロナ禍で苦境に立たされ、現状打破と改革を目指し始めた頃に参加した講演会をきっかけに、協働日本がマーケティング戦略から人事戦略まで幅広く伴走させていただき早3年目。数々の取り組みを経てキラガの組織が大きく変わってきたといいます。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

強みの言語化と、卸売から小売への業態転換、ライブコマースへの挑戦に2年間取り組んだ。

ーー本日はよろしくお願いいたします。御社は協働日本とのお取り組みも3年目になるということで、協働をスタートしたきっかけからここまでの歩みについてお聞きできますでしょうか?

太田 喜貴氏(以下、太田):はい、よろしくお願いいたします。

元々は長く商社に勤めていたのですが、コロナ禍で宝飾品業界全体が業績不信に苦しんでいる状況を両親から聞いたことで、2021年に父が創業した株式会社キラガへ戻り常務に就任しました。

当時、売上もコロナ前と比較して3〜4割減という状況が続いており、どうにか現状を打破しなければという危機感を抱えていました。そんな中、地元の中小企業家同友会の会合で協働日本さんの講演を拝見したことが最初の出会いでした。

ぜひ協働日本さんと取り組みをしたいと考え、2022年4月から自社の理解とマーケティング面での課題を整理するための取り組みをスタートさせました。

初年度はマーケティング戦略、ブランディング戦略を丁寧に言語化。2年目はマーケティング戦略だけでなく、事業全体の方向性、人事戦略まで含めてかなり広いテーマの相談をさせていただくようになりました。

ーーありがとうございます。1〜2年目のお取り組みでの成果や変化についてもお聞きできますか?

太田:はい。宝飾品の卸売りを主業としていたのですが、それだけでは粗利率が上がりづらく、コロナ禍の状況も鑑みて、エンドユーザーへの直販に販路を広げていく方針転換を図ることにしたんです。そこで、協働の初めには「直販の売上を上げるため」の壁打ちをしていただきました。約半年間をかけて、自社の強みの理解、コンセプトの策定、店づくりの強化など、協働プロの皆さんと一緒に議論を重ねたことで、当社にしかない強み「お友達と来てジュエリーで遊ぶことができる空間」を言語化することができました。

そもそもうちのお店では、お客様がいらっしゃったらまず靴を脱いでスリッパに履き替えて頂く。そうやってリラックスした状態で、商品に自由に触って、好きなだけ試着をして頂けるようにしていました。
お買い求めいただく際にもし価格についてのご希望があれば、お客様には「お値段についてもぜひ、ご相談ください」と伝えています。こちらからそのようにお伝えすることで、お客様にとっても安心して商品をお買い求めいただける環境をつくっています。無理なときは無理ですと率直にお伝えしますので(笑)、ぜひお気軽にご相談いただけると嬉しいです。

こうした自由な空間、「ジュエリーで遊ぶ」という体験自体に価値があるのだという気づきは、振り返ると1つの軸になったように思います。

店頭でのコミュニケーションを改善したことも成果に繋がっていますが、改めて言語化できたキラガの強みである「リラックスした状態でお友達とジュエリーを楽しむ」をWeb上でも展開しています。SNS経由でのライブコマースでの販売に力を入れるようになり、高額商品もライブで購入していただけるような機会が増えたんです。

富士山の麓に構えた店舗。リラックスしてジュエリーを楽しめる空間づくりを心がけているという
ーーなるほど。卸中心の業態から、直販、そしてSNSとライブコマースへと変わっていったのですね。

太田:はい。そして協働3年目の今年は、採用や組織づくり、システム面、売上につながるマーケティング施策やSNS施策など、さらに幅広い内容で壁打ちをしていただいています。すべきことややりたいことがたくさんあるので、優先順位決めからどう進めていけばいいかまで協働プロの皆さんと相談して進めていっています。現在伴走支援に入ってくださっている協働プロは、向縄一太さん(花王(株)シニアマネージャー)、和地大和さん、田中紋子さんの3名です。途中メンバーの入れ替えもありましたが、継続して取り組みを進めてきたからこそ、壁打ちはとてもスムーズになってきたように感じています。過去の状況や、変化も把握していただいているので、今何が起こっていて何が課題なのかという部分も皆さんの理解が早く、とても助かっています。

強みである「ジュエリーを楽しむ」エンターテイメント性を追求する配信チームが発足。ライブコマースの躍進で小売部門の売上12倍に

ーー長くお取り組みさせていただいているからこその阿吽の呼吸なのかもしれませんね!そレだけ長期的にお取り組みいただいて、実際の事業としての成果はいかがでしょうか?

太田:おかげさまで、小売部門におけるライブコマース分野の売上が非常に順調です。協働がスタートする前は小売部門の月の売上が約200万円ほどだったのですが、現在では約2,400万円と12倍までに大きくなっているんです。

ーー一部門の売上とはいえ、12倍というのはインパクトが大きいですね!

もちろん、当初主業であった卸売を縮小しているものの、会社全体の売上でいうと当初は2億2,000万円ほど、昨年度は2億8,000万円、今期は3億円の着地見込みと増加しており、次のフェーズとしては年商5億円規模を描いて成長していけるようになりました。

ーーなぜそこまでライブコマース分野が成長したのかについても具体的にお伺いできますか?

太田:はい。初めはInstagramのLIVE配信(インスタライブ)からスタートし、視聴者がリアルタイムにコメントで見たい宝石やジュエリーの種類をリクエスト、それに応える形で商品を紹介していくスタイルでライブコマースを行っています。

協働プロの皆さんと相談する中で、InstagramだけでなくTikTokにも裾野を広げたことも功を奏しました。TikTokでのライブコマースは、上手くハマるか予測できなかったのですが、費用感的にもやってみて良いのでは?と協働プロに後押ししていただいたことで結果的に成果がでた取り組みです。インスタライブでは視聴者がフォロワーに限られてしまうのですが、TikTokでは配信中にもどんどん新規のお客様も入って来られるという違いがあったんです。今ではTikTokでは同時接続数も100名を超え、1ヶ月の売上も1,500万円オーバーという勢いです。

キラガのTikTok。配信の度、新規の視聴者が増えている
ーーすごいですね!先ほども「ジュエリーで遊ぶ・楽しむ」というキラガならではの強みをWebでも体験できるようにとおっしゃられていましたが、ライブ配信を楽しむという点とも相性がいいのかもしれませんね。

太田:そうですね。昨年度までは私自身が配信を担当していたのですが、今年度はライブ配信に携わる人員について採用を強化し、ライブ体制のためにチームを作るようになったんです。私が配信すると、どうしても普段の接客の延長のような形になってしまっていたのですが、個人での配信経験のある方を新たに採用することで、配信の中でお客様を飽きさせない構成、エンターテイメント性のあるやりとりなど、ライブ配信としてのクオリティも追求できるようになってきました。

メンバー主体の配信形態に変わってから配信頻度が上がり長時間配信が可能になった点も、売上に大きく貢献していると思います。

お客様からも、「ライブで見るよりも実物の方が綺麗」「もっと早くキラガと出会いたかった」というような嬉しいお声をいただいています。一方、販売数が増えたことにより、商品到着時のトラブルが出てきているのも事実です。配送トラブルなどコントロールできないものもありますが、検品強化やサポート体制を手厚く行っていきたいと考えています。

どうしても、ジュエリーは使っていくうちに不具合が出てくるものです。販売数が急激に増えたことでサポートに対する課題も出てきてはいますが、当社でご購入いただいたお客様には、時にメンテナンスをしながらもジュエリーを長く使ってもらいたいという想いで日々改善を続けています。

ーーぴったりの採用も売上貢献に繋がっているのですね。人事戦略の面も協働プロと壁打ちを続けているとのことでした。

太田:はい。まず、採用面においては、初め大手の求人サイトで大型の広告を打つなど試していましたが、なかなか上手くいかなかったんです。そこで、協働プロと相談して求人サイトの運用についても方針を見直し、運用を外注化することができました。それにより広告に頼るのではなく、募集記事を細やかに回しながら求人募集をかける方針に変えたんです。

求人サイトでの広告は月額50万程度かかっていたのに対し、後者の運用では1/5の10万円ほどに抑えられています。大手求人サイトでは、当然大手企業も同様に広告費を掛けていて競合になってしまうため、多くの人にみていただくことが難しい面がありましたが、募集記事を細かく更新するのは、SNSの運用やSEO対策に似ており、運用を続けるほど多くの人にみていただけるようになるため当社にとっては費用対効果が高い結果になりました。

ーー効率的な採用戦略が取れるようになったんですね。

太田:採用だけでなく、社内のリソースの活用や評価制度についても相談に乗っていただいています。例えば、バックオフィス業務の一部の外注化も進めていったことで負担を最低限に抑え、急に増えた受注に対してもパンクせずに対応することができています。

また、ライブ配信の回数が増え配信時間も長くなっている中でも、メンバーは「もっと働きたい」と言ってくれているんです。自分の成長機会だと捉え、前向きに挑戦しようというメンバーが多くなってきている実感があり、それに伴って待遇面のアップデートも意識しており、残業代はもちろん、実績を出せば手当も出るし、休みの取りやすさなど常に工夫していっています。一所懸命やって成果出した人がきちんと評価されるようになるよう、評価制度なども改めて見直しています。

私がキラガに戻ってからほとんどのスタッフが入れ替わり、新しい会社、第二創業期のような活気ある雰囲気になりました。今のキラガは、新しいことに挑戦したい方にぴったりの会社になっていると思います。

さらに次のステップへの挑戦。課題や優先度の整理に、プロ人材との壁打ちは有用。

ーーありがとうございます。長く協働を続けてくださっているからこそ、売上の変化など数字で見える成果だけでなく、組織自体の変革も実を結んでいっているようでとても嬉しく思います。次に挑戦したいことについても教えていただけますか?

太田:はい。今後やりたいことは3つあります。1つはライブの規模をもっと大きくしていきたいということです。人をもっと増やし、複数アカウントの運用やクオリティの更なる向上を目指したいです。

2つ目は提携パートナーとのライブ配信の実施です。これまでは卸売で、宝石の小売店など店舗にジュエリーを卸していましたが、今後は異業種や個人の方にも卸し販売を行い、その方達とライブ配信でエンドユーザーとなるお客様に商品をみていただけるようにできたらと考えています。

3つ目は海外のお客様への直販取引の開始です。すでに中国のSNSを使い始めるなど、反応を探っている状況ですが、新しいチャレンジとして向き合っていっています。まだまだやりたいことがたくさんあるので、協働プロの皆さんと相談しながら進めていけたらと思っています。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

太田:大手企業で成果を出しているプロ人材と壁打ちができて、自分がどう動けばいいか、優先度に迷う時にアドバイスをいただけることに本当に感謝しています。

新しいことに挑戦したいが、迷っているような人には本当におすすめできるサービスだと思っています。協働日本のクライアントの多くはプロジェクトごとに伴走支援が入られていると伺っていますが、私のように広い範囲に悩みがある、課題が多くて整理したいという方にもおすすめできると思っています。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

太田:ありがとうございました!

太田 喜貴 / Yoshiki Ota

株式会社キラガ 常務取締役

2012年、北海道大学工学部を卒業後、豊田通商株式会社に入社。主に自動車業界を担当し、オフィスITシステムの全世界展開や、中国駐在を経験し中国自動車製造ラインのシステム立ち上げなどのプロジェクトに従事。
2021年より、父が創業者である株式会社キラガに入社。常務取締役に就任。管理部門、小売部門の統括を行う。

株式会社キラガ
https://rings-kiraga.com/

協働日本事業については こちら

関連記事

1〜2年目のキラガのお取組についてはこちらもぜひご覧ください。
STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -「お友達とジュエリーで遊べる宝石店」協働日本との壁打ちで気づいた強みを活かして売上200%に増加–


STORY:税理士法人のむら会計 野村篤史氏 -ビジネスの第一線で活躍するIPPOコーチだからこそ、経営者の悩みに寄り添ってもらえる-

協働日本で生まれた事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本のコーチングプログラム「IPPO」を受講された方・企業の方をお招きし、コーチングを受けたことによる変化についてインタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、税理士法人のむら会計の代表 野村 篤史氏にお越しいただきました。
税理士法人のむら会計は石川県金沢市玉川町で 50年以上続く会計事務所です。

前身である「野村清会計事務所」、「株式会社 野村経営センター」、「田丸会計事務所」を経て平成26年に現在の代表である野村氏が事業承継のためにジョインされ、2社を統合する形で税理士法人を設立されました。

野村氏は23歳で公認会計士の資格を取り、大手の監査法人に入社。30歳の頃、奥様のご実家の会計事務所を事業承継されることになりました。事務所の立て直しと並行して組織をマネジメントしていくことが求められる中で、IPPOのコーチングの受講を開始。

インタビューを通じて、コーチングを受けたことにより生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自己分析だけでなく、組織変革も同時に相談できるIPPOのコーチング。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、IPPOのコーチング受講を決めたきっかけを教えていただけますか?

野村 篤史氏(以下、野村):よろしくお願いいたします。

税理士法人のむら会計の前身である「野村清会計事務所」は、妻の祖父が創業者で、名前や体制を何度か変えながらも、金沢で50年続く会計事務所になりました。2代目はお弟子さんが継いでおり、私で3代目になります。

私は23歳で公認会計士の資格を取ってからずっと東京の大手監査法人で上場企業向けの会計監査に携わっていたのですが、30歳頃に事業承継の打診を受けたことで思い切って妻の故郷である金沢に移住し、入所、その後代表に就任したんです。


自分で事務所を経営していくことになり、売上を作るための営業やマーケティング面、組織作りなど、全体の整理を始めました。前者はなんとか上手く進められて、顧客も少しずつ増えていったのですが、組織のマネジメント面では非常に苦労しまして……長く勤めている職員も多いですし、歴史のある会社だからこその難しさに直面しました。

そこで、組織の立て直しやマネジメントのために、自分自身もコーチングの勉強をするようになったのですが、その中で自分自身のことを客観的に理解する重要性に気づきました。

ちょうどその頃、同じ金沢で老舗の発酵食品会社を経営されている、四十萬谷本舗の四十万谷正和さんからのご紹介で、協働日本代表の村松さんと知り合いました。村松さんは元々のキャリア的にも人事のプロですし、相談に乗っていただく中でIPPOのコーチングのことを知り、自分のことを理解するきっかけを貰えるのではないかと思い、受講することを決めました。

ーーなるほど。実際にIPPOのコーチングではどのようなことをされているのか教えていただけますか?

野村:基本的には月に1度のセッションを通じて、自分の中の振り返りをしています。コーチとしては協働日本代表の村松さんに担当していただいていて、2020年から受講をはじめて今年でもう5年目になります。
これまでのセッションでは、壁打ちのように話を聞いてもらうだけではなく、キャリアアンカーやライフラインチャート(※)を作成して自己分析を行ったり、人事制度についての相談を受けてもらったりすることもありました。

IPPOのコーチングでは純粋なコーチングというよりも、メンタリングのように新しい視点を示唆するように、アイディアや考え方のヒントを貰えるところが魅力だと思っています。
私自身は、結構自分だけでも考えを整理できるタイプではあるのですが、村松さんのコーチングを受けることで自分の中になかった知識や視点が増えていきましたし、仕事で一番悩んでいた人事のことについて人事の専門家としてのアイディアをいただけたことがありがたかったです。

ーー思考の整理やモチベーションを高めるような一般的なコーチングだけでなく、事業の相談にも乗っていただいていたんですね。

野村:はい。村松さん自身が経営者ということもあり、私自身の個の成長と、事業の成長の両輪を支援、伴走してくださいました。

のむら会計は元々、文鎮型組織のように私がトップにいて、部下は横並び、全員私が直接マネジメントをするような構造になっていました。IPPOのコーチングを受けるようになって、タイミングを合わせるように組織構造化を図っていったんです。なので、組織構造をどのようにすればよいかであったり、評価制度の在り方であったりという人事の悩みについてご相談することがありました。

自分の中で整理をした上で「このような制度にしようと思っている」、という話をセッションの中ですると、その考えに至った私自身の思考、理由や背景を深掘りするような質問をしていただけるんです。

深掘りする中で、新しい視点のヒントや、自分でも気づかなかったような本質的な部分への気づきなどがあり、絶対的な答えがない中でも納得感を持って意思決定をできるようになっていきました。

事業への単なるアドバイスだけでなく、意思決定者である私自身に向けたコーチングを並走してくださったことで、納得感がある決断を後押ししていただいてるように感じます。


まるでルービックキューブの裏面を想像するようにに、コーチの質問で新たな視点に気づけた。

ーーご自身を理解することをきっかけの1つとして受講されたとのことでしたが、組織変革など幅広い整理をされたようにお見受けします。IPPOのコーチングを受けてみて感じた変化や、成果と感じられることがあれば教えていただけますか?

野村:そういったアドバイスをうけて~~気持ちが整理~~課題が明確になりました。

課題だった組織の構造化を進めたことが1つの大きな変化であり、成果だと思います。

文鎮型組織時代は、私が1人で14人の部下と1on1を実施していました。自身もコーチングを学んでいたこともあり、1on1や部下との対話自体に大きな問題はなかったのですが、リソース面での厳しさがありました。

相談しながら構造化を進めた結果、部長を3名置き、約5人で1チームの体制で各職員との1on1を任せることにしました。私と職員との直接の接点は減ってしまうものの、私自身は細かいところに惑わされず、経営者がすべきことに集中できるようになりました。

部長たちもそれぞれ責任を持って部下を見てくれるようになり、職員たちも今までよりもしっかりと話を聞いてもらえる環境になったのではないかと思います。

もちろん、トップと職員が直接話をする機会が減ってしまうことのデメリットもあると思いますが、トータルで見るとポジティブな面が大きかったと思っています。

また、私自身、事務所の経営について迷うことも多かったんです。監査法人勤めからいきなり事業承継をしたということもあって、既に長く続いていた体制の中に入って部下を抱えることの難しさに、時に弱音を漏らしてしまうこともありました。それでもコーチングの中でネガティブな面にも寄り添っていただきながら、整理をしていくことができたことで、結果的に諦めることなく変革に取り組むことができました。

ーー精神的な面でも、実務的な面でも、一歩踏み出していくことができたんですね。長くコーチングを受けられている中で、野村さんご自身は、「コーチングを受けることの価値」をどのように考えていらっしゃいますか?

野村:そうですね。やっぱり、自分だけの視点で物事を整理するとどうしても観点が偏ると思うんです。その点、コーチングのセッションの中では「この人の立場だとどう感じると思いますか?」「今の時点ではそう思うかもしれないが、長い時間軸で考えたらどうですか」など、他の人の立場や、長期的な目線に気づくきっかけになる問いをもらえるんです。

自分の視点や価値観に基づいた整理は一人でも十分できるかもしれませんが、視点を切り替えるための質問や考え方は、なかなか自分だけでは出せません。

ルービックキューブで例えると、全部で6面あるうち、自分の視点からは3面しか見えないじゃないですか。でも裏側にも必ず3面ありますよね。自分の視点だけでは見えない反対側の面は、他の人の言葉を聞かないと見えてこないんです。

私から見えない反対側の3面は、事務所の職員の視点からしか見えないかもしれないわけです。だから、第三者に自分から見えない視点のヒントを振ってもらうことで、想像して解像度を上げていくことができるようになる。

対話の中で、自分だけでは出せないような視点の質問をもらえることで、新たな見え方ができるようになるというのがコーチングの価値ではないかと思います。

協働日本の強みは、多様なキャリアと専門性で「内面から引き出す」力。

ーーIPPOでは、ほとんどのケースで「複業人材」がコーチを務めています。こういったIPPOのコーチ陣の特徴についてはどのように思われますか?

野村:コーチングを受ける側としては、皆さんがそれぞれ「コーチ」として以外にも色んな立場や仕事を経験されているほうが、近い立場で対話できるように感じます。「組織勤めをしているからこそわかる悩み」や「自分で経営をしているからこそ持っている目線」などが受講者の本心を引き出すことに繋がるのではないでしょうか。

実際、同じ悩みを経験されている方のほうが、「わかってもらえる」と感じて話しやすい面があります。例えば私は村松さんにコーチをしてもらっていますが、村松さんご自身も協働日本を経営されている経営者でもあるので、同じ経営者として近い立場から意見を聞きたいと思える部分があります。もしも専業コーチの方であれば、「言ってもわかってもらえないかも」と感じて、そこまで深い部分の話ができなかったかもしれません。

IPPOのコーチの皆さんは、それぞれが色々なキャリアを経験している強みがありますよね。私自身も、村松さんを単なる「コーチ」としてだけでなく、「同じ経営者」として、また「人事の専門家」としても頼りにしています。


ーー引き続き、IPPOのコーチングを受講されるとのこと、今後の展望や期待について教えてください。

野村:はい。今までの4年間は、自分だけがコーチングを受けていましたが、5年目に入ってからは、部長陣にもコーチングを受けてもらうことにしたんです。

私が部長の悩み相談を受けると、その相談についての回答が指示になってしまう可能性がありますし、本人たちも気軽に相談もできないかもしれません。私も時に弱音を吐かせてもらったように、嫌なことがあれば遠慮なく「嫌だ」と言えるようにしたい。だからこそ、外部の方に相談できる環境を作りたかったんです。

IPPOのコーチングであれば、人事分野の専門家の方もいらっしゃるので、組織としてもコーチングを受けていくことで、部長陣のマネジメントにも新たな視点や成長が生まれると思います。

部長陣が成長していくことによって、組織が更に自立していくことを期待しています。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

野村:地元金沢で税理士業をやっていると、協働日本の伴走先企業の経営者からお話を伺うことがあります。

中小企業は社長の知識やこれまでの経験をもとに動いていることも多いです。

素晴らしいアイディアを持っていても、リソースの面で想いを実現するのに時間がかかっていたり、社員の育成を行う余裕がないこともあります。そういう状態の会社には、やはり外部の専門家の視点を入れるべきだと私は思っているんです。

協働日本には、IPPOのコーチだけでなく、協働プロにもコーチング経験者が多いので、上から知識を与えるのではない、内面から引き出すようなコンサルができることが強みだと思っています。

色んな角度から、中小企業の皆さんが自ら事業の発展を生み出し、元気になれるようなサポートをしていただきたいと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

野村:ありがとうございました!

野村 篤史 / Atsushi Nomura

慶応義塾大学を卒業後、公認会計士資格を取得。大手監査法人で最先端の会計・税務を習得し、さらに金融機関の監査を経験したことで、お金を貸す立場からのモノの見方を学ぶ。

単に税金の知識だけでなく、金融機関監査で得た金融の知識やコーチングの技術を組み合わせて、「関わる人の納得いく決断と安心を誠実にサポートする」ことをミッションとしている。

協働日本事業については こちら

関連記事

VOICE:永田 陽祐 氏 -地元や、地元のために頑張る人たちのために、等身大の自分で貢献したい。-
STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-


STORY:株式会社味一番フード 村上良一氏 -協働で見出した宝の山。既存商品ブラッシュアップで販売数5倍増。-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社味一番フードの代表取締役専務 村上 良一氏にお越しいただきました。
株式会社味一番フードは石川県の創業約50年のうどん・蕎麦を中心とした飲食業を営む老舗企業です。

最初は約8坪の小さなうどん屋さんとしてスタート。その後、ショッピングセンターへの出店が1つのきっかけになり、郊外型独立店の展開やチェーン展開と裾野を広げ、現在は石川・富山で9店舗を運営されています。

コロナ禍を通じて感じた飲食店業態の脆さから、飲食店の運営以外の新たな事業の開拓や柱作りの必要性を感じたという村上氏。その新規事業への挑戦に協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

株式会社味一番フードの運営する飲食店「めん房本陣」

飲食店だけでない新たな柱作りを。商品開発にもがく中で得た、運命の出会い。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

村上 良一氏(以下、村上):はい!よろしくお願いいたします。

ちょうどコロナ禍に入った頃、皆さんご存知の通り飲食業界は大打撃を受けました。安心して外に出られる世の中でなければ、わざわざ外食する機会もないのだと改めて気づき、飲食店の経営という業態の脆さを感じることになりました。


とはいえ、自分たちにとって「飲食店」は主たる事業ですし、今後も弊社の柱であることには変わりません。一方で会社としての安定的な経営、成長を考えると、飲食とはまた違った新たな事業の開拓と新たな柱づくりに取り組まなくてはならないと危機感を覚えました。

そこで、自分たちの長所を掛け合わせた新たな取り組みとして、まずはお店をご利用いただくお客様に商品を販売してみてはどうかと物販を始めたものの、売れ行きはあまり芳しくありませんでした。

商品開発や物販は自分たちにとって未知の領域でしたので、やはり専門人材の知見やアイディアなど力を借りる必要があると思っていたところ、石川県が主催する「複業人材の活用セミナー」のお知らせが目に入りました。

元々、複業人材の取り組み自体は新聞などで読んで興味を持っていたんです。

都市部で頑張っている方々の知見を頂きながらの取り組みは、ローカルにありがちな広い視野や専門性に特化した人材・コンサルタントが少ないという現状をカバーすることができ、会社の課題を解消していくために面白い取り組みだと思っていたので、セミナーに参加することにしました。

ーーなるほど。実際に協働日本の取り組みについての話を聞いていかがでしたか?

村上:実際にお話を聞いてみると、協働日本代表の村松さん、そして協働日本自体が、非常に熱い想いを持っていたことに魅力を感じました。どんな仕事でもパッションを持っていないとうまく行かない側面があると思っていたので、弊社の想いに共感していただけそうだと感じました。

協働日本は協働プロがチームを組んでプロジェクトに参画するという点も魅力的でした。他にも複業人材のコンサルティングサービスを提供する企業と比較検討したのですが、いずれも、個人がプロジェクトを担当するという取り組み形態でした。

協働日本は様々な得意分野を持つ協働プロが、プロジェクトの目的や状況によって入れ替わることもあるともお聞きし、コロナ禍以降の柱づくり、物販のノウハウ・開発と幅広く、中長期的に取り組みたいと思っていた弊社にとってはメリットや効果が大きいと思い、協働を決めました。

今となっては、たまたまセミナーを主催する石川県の担当の方との繋がりがあったことすら、一つの運命だったように思います(笑)。


自社の強み・お客様と向き合う──家族団欒のイメージでブラッシュアップした商品の販売数は約5倍に。

ーー協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

村上:先ほどお話しした通り、新しい事業の柱を作るための商品開発や店頭での物販についてのプロジェクトを進めています。

協働プロとしては、枦木優希さん、松尾琴美さん、加藤奏さんの3名に伴走していただいています。弊社からは、私の他に物販全般・販促などの担当者と、実際に商品を開発製造する製造部門の担当者が毎週のセッションに参加しています。

一番最初に概念的な戦略・コンセプトを考えるセッションからスタートし、その後考えたコンセプトに対してどんな商品にできるかという商品開発に取り組み、コスト計算など数値的な設計や販売計画を作成、販売開始という流れでプロジェクトが進んでいきました。

ーーなるほど。ぜひ順を追って、具体的な内容を教えていただけますか?

村上:はい。コンセプト設計では、「自社の強み」「どんなお客様がいらっしゃるのか」「ニーズ」などを初め、概念的なことを整理していきました。

概念というのは当然目に見えるものではないこともあり、どのように言語化すればよいのか、当初とても苦戦しました。

開発した商品は、実際に店頭で販売するということもあり、お店にお越しいただいているお客様のシチュエーションやニーズなどを想像するようガイドいただいたことで、店やお客様の特徴や強みを全員で考えることができ、チーム一同で共通の世界観を言語化できました。

実を言うと、当初はコンセプトづくりにそこまで時間をかけるべきなのか?と思っていたのですが、今になって振り返ると、販売計画など後々のステップでも常にコンセプトが軸になっており、とても重要なフェーズだったと気づきました。

軸になる考え方や世界観をチームで考え抜き、共通言語にするステップを経たからこそ、共感や共鳴が生まれやすくなり、取り組み方がスムーズになると実感しました。


ーー出来上がったコンセプトはどのようなものだったのでしょうか?

村上:私たちのお店には、お子様連れの家族でお越しになるお客様が多いこともあり、小さなお子様を中心に、ご家庭でも家族皆でほのぼのと食べられる、そんな商品を目指していきたいと決めました。

その後、商品開発に移るのですが、いくつか協働プロの皆さんにご提案いただいた商品候補案の中から、これまでもお土産として販売し、ご注文から提供までの間にも試食としてお出ししていた、うどんの生麺を揚げたスナック菓子「うどんスティック」を改めてブラッシュアップして、新たな物販商品にすることに決めました。

商品開発のフェーズではコンセプトに沿ってより具体性を持たせ、現実化させるための落とし所を見つける作業を行いました。
商品の品質をどう捉えるか、販売価格に対して包材などのコストのバランスを考えるなど、協働プロの皆さんにはうまく誘導していただいたと思います。

コンセプトへの想いが強ければ強いほど費用が嵩んでしまいがちで、商品のコスト設計には苦労しましたが、経営的な視点を持って利益設計をするアドバイスを得て、商品価値とバランスのとれた設計を目指しました。

ブラッシュアップして実際に出来上がった商品は「ポリポリさん」と名付けられました。先ほどもお話しした通り、元々店舗でお土産用の商品として販売し、ご注文から提供までの間に試食としてお出ししていた「うどんスティック」が元になっています。

協働プロの皆さんが店舗に視察にいらっしゃった際に食べていただいていたのですが、「うどんスティック」とは呼ばれず、「あのポリポリしたの美味しいよね」というコメントが結構出まして(笑)。

商品の提案をいくつかいただいた時にも「あのポリポリ」が候補に上がり、いっそのこと名前も「ポリポリ」にした方がイメージもしやすく親しみやすさも出ていいんじゃないか?とネーミング変更に踏み切りました。またイラストレーターの方に「ポリポリさん」をキャラクター化して絵を描いていただき、家族のキャラクターも誕生しました。主役のポリポリ君と、妹、両親、祖父母の6人家族──当初のコンセプトである、子供を中心にご家族で楽しんでいただくというコンセプトにもぴったりの商品になりました。

「うどんスティック」としてお土産用に販売していた時代と比べると、リニューアル後は月販ベースの売上個数が5倍近くに伸長するなど、成果が目に見えて表れています。現在は販売データの分析を行って今後の売り方や方向性を協働プロに丁寧に見ていただき、検討を進めているところです。
実際に分析をしてみると、当初ターゲットとして想定していたファミリー層以外にも、高齢のご夫婦などにも買っていただいているようです。
「ポリポリさん」を通じてお客様のコミュニケーションが促進されている様子が伺え、世代を超えて愛される店舗としても、さらなる魅力強化にもつながっているのではないかと思います。

実際に商品化された「ポリポリさん」。名前からその食感が伝わってくる。

協働を通じて獲得した「粘り強さ」──魚を採ってきてくれるのではなく、釣り方を学ぶ必要性。

ーープロジェクトに参画されている社員の皆さんの反応はいかがですか?

村上:協働プロジェクトは始まる前から物販の開発をやっていたメンバーなので、先述の通り失敗も経験していました。

どんなものが売れるのか、何が大切かを知ることに飢えていたところがあり、自分たちの知り得ないこと──新しい知見や学びに対して最初から前向きに取り組めたと思います。

メンバーは大変な思いをしてくれていました。まさに産みの苦しみ。誰かが答えを出してくれるわけではなく、自分で見つけなくてはいけませんから。

協働プロは上手く問いをくださるのですが、決して答えはもらえないので、「今週答えが出なかったので、また来週までに考えましょう」となるわけです。聞いても答えは教えてくれない。あくまで自分たちの中から生み出さなければ意味がないと。例えるなら、魚を採ってきてくれるのではなく、釣り方を教えるから、自分で釣ってみてくださいと。自分の中でわからないことをわからないで済ませずに、それをどうわかろうとするかという粘り強さを、協働を通じて持ち得ることができたように感じます。

ーーありがとうございます。先ほど「学び」の観点のお話をいただきましたが、ここまでの協働を通じて、実際社内に「残ったもの」や「自分たちのものにできたノウハウ」などはありますか?

村上:そうですね。マーケターである枦木さんには、フレームワーク的な形で取り組みをまとめてくださり、プロジェクトを進めていただいているので、これはわかりやすく他の取り組みにも再現性があると思っています。

マーケティングの知識も販売計画の中に盛り込まれているので、ただの知識として頭でっかちにインプットするのではなく、実感を伴ってマーケティングの要素を学ぶことができ、活用イメージも持ちやすく、座学の何倍も得られたものは大きかったと思います。

また、これは協働プロの皆さんに共通することですが、必要なこと、大切なことについて決して妥協せず、表面的なところで終わらせずに深掘りして、納得できるところまで粘り強く答えが出るまで待ってくれる、そういった回答を促してもらえていることがとてもありがたいと思っています。

先ほども社員メンバーの「粘り強さ」の話をしましたが、協働日本はまさに「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」人たち。自分たちで釣り方を見つけ、答えを生み出すまで「待ってくれる」姿勢だからこそ得られた学びは大きいですし、だからこそ、協働プロの皆さんへの信頼も厚くなっていきました。

皆さん大きな会社の商品開発や販売をなさっていますが、蓋を開けてみると、地味なことを大切にしているんだなと少し驚いたこともありましたね。

例えば、毎週の売上状況の分析など、コツコツと見ていただいていると、地味なことの繰り返し・継続が大切なんだと改めて感じます。ローカルの人材はどうしても、目先の忙しさ故にそういった基本的なことに集中しきれない、妥協しがちなところもあると思います。

協働プロの皆さんは意識されていないかもしれませんが、妥協してもいいところと、妥協してはいけないところを理解されていて、必要なところに集中することの大切さもあらためて実感しました。

現実だけではなく、ワクワクする夢を見る。協働で得られる新たな視点が、日本企業の可能性を広げる。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味がおありだったとのこと。実際に、サービスを活用してみて、複業人材の取り組みは今後広がっていくと思われますか?

村上:周りに困っている方がいたら、ぜひおすすめしたいと思いますね。

協働日本とのプロジェクトにおいては、良いところも悪いところも曝け出さなくてはいけないと思っているので、プライドや恥ずかしいという気持ちを通り越し、将来への危機感やこうありたいという情熱を持ち合わせている企業の方の方が相性がいいと思います。

言い換えれば、現状の企業風土を維持したままを希望されていたり、すぐに答えだけほしい、というケースでは合わないかもしれません。

最近では複業人材活用で、うまくいっていないケースの話もたびたび耳にすることがあります。やはりニーズや状況により活用の仕方を検討する必要はあるかもしれませんね。

「複業人材」自体を、短期的な「成果を得るためのもの」というふうに取り入れるよりも、社員と交わらせ学びを深め、地力をつけるための「先行投資」と考えるなど、捉え方自体も変えていくのはどうでしょうか。

私としては、「こうしたい」という将来へのワクワク感を企業の経営者は持つべきではないかと考えていて、自分たちに何ができるのか、行動することが大切だと思っています。

どうしても目先の忙しさ、現実だけに目が行きがちなのですが、妥協せずに楽しむような仕事のスタンスで複業人材と一緒に取り組みを進めていくと、新たな視点を得ることができます。視点や世界観を変えれば、自分たちの会社や事業がもっと輝いたり、違う発展を遂げていくこともあり得るのではないでしょうか。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

村上:味一番フードでは、物販事業など目に見える事業などの助言をチームでいただいていますが、目先のことだけではない、会社を俯瞰して見た時の企業文化の醸成や再生についても、相談できるのが協働日本の強みですね。

もっと取り組みが広がって、協働日本が踏み込んでいくことで変われる企業がもっと出てくると、さらに唯一無二の存在になるのではないかと思っています。

競争社会において、コモディティ化するような成長では結局価格競争に陥ってしまいがちです。私たちが取り組んでいるような事業の活性化、企業文化の再生・ブルーオーシャン戦略など、自信を失いかけている日本の地方企業の第三の選択肢を一緒に探してくれる味方になっていってほしいと思っています。

自社の社員を見ていても感じることですが、自分以外の視点──お客様など他者の視点で見ると宝の山が見えたりすることがたくさんあります。協働日本が入ることで、皆が新しい視点を持ち、ワクワクに気づいて夢を持てるようになってほしい。そんな企業として協働日本が成長してくださったらいいなと思います。

難しいことを言っているかもしれませんが、前向きで情熱のある方々だからこそ、そういうところに期待してしまいます。1年間のお付き合いの中で感じる正直なところです。これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

村上:ありがとうございました!

村上良一 / Ryoichi Murakami

大学卒業後、東京の不動産会社(リゾート物件)にて営業職を5年経験。その後、(株)味一番フードに入社。以後「めん房本陣」「そば処花凛」など計10店舗以上の新規出店に関与。それ以外にも店舗改善・商品開発・人材採用育成・DX化など幅広い業務に携わる。現在、会社の第3の柱として物販商品の開発・ブランド化に向けて邁進中。

協働日本事業については こちら

関連記事

VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく-
VOICE:松尾 琴美 氏 -食を通じて、皆の幸せを実現する。ワクワクして前に進めるきっかけ作り-


VOICE:足立 紀章 氏 -「変化したい経営者」を支えたい。地方の垣根を越えた人材交流で成長の芽を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う足立紀章氏のインタビューをお届けします。

現在、株式会社ベネフィット・ワンで執行役員として新規事業を統括されている足立氏。これまでのキャリアの多くを事業開発の分野で活躍されてきた中で、ご自身の経験を社内だけでなくもっと広いところで活かせないかと考え、協働プロとしての活動をスタートされました。

足立氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自身の事業企画のノウハウを社会で役立てたい。協働日本への参画を通じて、新しい挑戦を始めていこうと思った。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、足立さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

足立 紀章氏(以下、足立):よろしくお願いします。

現在は株式会社ベネフィット・ワンで新規事業を担当しています。これまで、海外の大学を卒業後、新卒で株式会社パソナに入社し、主に採用コンサルを担当していました。その後10年くらい働いた後、仲間と一緒にプロフェッショナルバンクという会社を作り、新しいことに色々挑戦してきました。

そしてその後、ネットの求人系ベンチャー企業で新規事業開発やM&Aに携わり、楽天に転職して引き続き事業開発をやってきました。2011年に転職して今に至ります。社会人として働いた28年のキャリアの中で、大体20年くらいは事業開発に携わってきたキャリアですね。

ーーかなり長く事業開発に携わられている印象ですが、元々ご興味がおありだったのでしょうか?

足立:学生時代から、人と違うことをしたいという意識は強かったかもしれません。だから大学も海外に進学し、新卒で就職した頃は他の新卒の中では少し浮いていて(笑)

そういった尖っていた部分があったかもしれませんね。それが理由かはわかりませんが、決まったことを皆でやるような仕事よりも、「新しいことを始めるから手伝って」と仕事を振られることが多かったように思います。

自分が望んでずっと事業開発をやっているというよりは、プロジェクトの立ち上げが終わったらまた別のことが起こってそちらに注力する、そんなことの積み重ねのキャリアだったように思います。

ーーなるほど。協働日本に参画されたきっかけについてもお伺いできますか?

足立:コロナ禍で環境が変わり、振り返る時間ができたので、自分のキャリアを今後どうしようかと考えたんです。社内のプロジェクトでの事業開発というのは、基本的に会社の事業領域内のことにしか携われないじゃないですか。一方、世間的には事業開発の経験について一定のニーズがありそうだと感じていたので、この経験やノウハウを社外でも活かせないかなと考えていました。

そんな時に、楽天時代の後輩である小谷克秀さんが協働プロとして活動しているという話を聞いて面白そうだと思い、協働日本代表の村松さんを紹介してもらったことがきっかけです。

村松さんから、「今の日本では、地方の企業にこそ大きな可能性があるが、リソースが不足している」という状況を聞き、ここでならこれまで自分が携わってきた、事業開発領域のノウハウを必要としている方に還元できる上、自分自身も新たな事業領域にチャレンジできると考え、参画を決めました。

研修プログラムを経て参加者に生まれた、大きな成長に感動。

ーー続いて、足立さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて教えてください。

足立:これまで3つのプロジェクトに携わっています。

1つは、金沢で数多く宿泊施設を運営している株式会社こみんぐると協働日本が共同開発した、短期集中型で経営課題に向き合う合宿型研修『Workit』の講師。

2つ目は都市部の企業のミドルマネジメント層の人材研修。

そして3つ目は『経営リーダー育成プログラム』で事業開発のメンタリングを担当させていただきました。

ーー足立さんには地域企業への伴走だけでなく、協働日本の提供する様々なプログラムの設計や運営に携わっていただいていますね。それぞれ詳しくお話を伺えますか?

足立:はい。今お伝えした、『Workit』という合宿型研修は、金沢の地元企業と都市部の企業の若手社員がチームを組んで、3日間の経営課題に取り組むというプログラムです。

「机上の空論」ではない、リアルな場であることが特徴ですね。実際に現場に足を運んだり、ファクトを取りに行って、3日間寝ずに取り組むくらい企画に没頭するんです。そうやってできた「リアルな企画」を、最終日に社長に向けてプレゼンしてもらいます。出来上がった企画には、地元企業のメンバーの持つ経験や知識だけではなく、都市部メンバーのノウハウや知恵も注入されています。

全然違うバックグラウンドを持つメンバーが集まるので、私たち講師陣がファシリテートし、軸がぶれないようにサポートしていきます。そうすることで3日間の間に企画はグッとまとまっていきます。初日と最終日の参加者の変化には、毎回感動します。

ーー具体的な変化についてもぜひ教えてください!

足立:特に地元企業側の方の中には、頑なに殻に篭ってしまう方がいらっしゃるんです。多くは、ずっとその企業に勤められている方ということもあり、思考が凝り固まり気味で、初日は新たな思考で進むのが難しい状態なんです。

ところが、3日間の都市部の人材とのコミュニケーションを通じて、柔軟に意見を聞けるようになったり、活発なディスカッションができるなど、ぐんぐんとレベル感が上がっていきます。

「県外の人にはどうせ分からないだろう」「たかが研修で何が変わるのか」とやや消極的な雰囲気だったのが、「本当に自分たちの会社をどうにかしていきたい!」と前のめりな姿勢に変わっていく。これはほぼ毎回見られる大きな変化、成長ですね。

そういった部分も踏まえて、『Workit』はすごくいいプログラムだと思っています。参加者の皆さんの短期間での変化は、ご本人たちにも実感や達成感を感じていただけていると思いますが、我々運営側としても、やってよかったという達成感を得られるプログラムです。

3日間の研修を終え、4日目以降それぞれの立場に戻った時に、この変化をどれだけ維持できるか、活かせるようになるかという部分へのアプローチは、まだ試行錯誤しているところですが、研修期間の3日間はとても満足感が高く、全員にとってプラスになるプログラムだと思っています。携わらせていただけること自体も私にとって大きな学びになっており、とてもありがたいです。

ーーありがとうございます、協働日本としても嬉しい限りです。続いてミドルマネジメント層の研修についてはいかがでしょうか?

足立:またあるときは、都市部の大手IT企業のミドルマネジメント層に向けた研修を担当しました。

「言われたことをこなすだけの開発ベンダーでは、この先生き残っていくのは難しい」という視点を持って、依頼を受けたことだけをやるのではなく、顧客の状況を見て、「こちらから積極的な提案ができる人材を育成したい」という明確な目的のもと実施した研修でした。

次期部長候補の方達8名に向けて、3ヶ月の間、自らお客様のことを学び、ファクトを取って提案・企画をして動ける人材を育てるためのメンタリングを担当させていただきました。参加者には、顧客企業の業務内容・課題などを徹底的に調べてもらい、見えてきた課題に対してどんなものを提供できたら、顧客のさらなる成長に貢献できるか?という視点で、経営企画的な目線を持って提案するということに挑戦してもらいました。

経験を重ねてきた大手企業のミドルマネージャーの方達が変わるのはなかなか大変です。お話をしていても、自ら壁を作って「できない前提」で物事を考えている方も多かったんです。

そこで、プログラムの中でまずは顧客のことを知るため、目や耳でファクトを取ってきてもらいました。その上で自分たちに何ができるか考え、一緒にブラッシュアップしていくと、その壁も徐々に取り払われていき、実際に提案できる形になってきたんです。

例えば、社内インフラを統一するとコストダウンできるという提案などは、これまで通り先方から依頼を受けた作業をこなす中では辿り着けない、顧客も気づいていない本質的な課題を解決するための提案になっていきました。

3年くらいの中期的なロードマップも作って、研修後には実際に企業へ提案もされたようで、実践で活かしていただけるようにもなって非常に良かったと思っています。

ーー3つ目は山岸製作所様との「経営リーダー育成プログラム」ですね。

足立:はい。「経営リーダー育成プログラム」では、山岸製作所の営業・経営企画の専任マネージャー、奥永さんのメンタリングを担当しました。

プログラムは大きく前半と後半で違うことをしていたのですが、まず前半のパートでは山岸製作所の価値や課題を本質的に考え抜くセッションを実施しました。経営者の視点から山岸製作所における事業開発を考えてもらい、後半のパートでは、実際に考えた事業を進めていくためにどうすれば良いか?という実践に向けたセッションを行いました。週に1回オンラインの伴走プログラムで、前半のメンタリング担当は協働プロの藤村昌平さん(協働日本CSO)、後半を私が担当した形です。

後半のセッションでは、前半のパートで絵に描いた「やりたいこと」を、明日からやれと言われたら実践できますか?どうやっていけば良いか?ということを徹底的に考えていきました。

例えば、奥永さんのやりたかったこととして「家具を売るだけではなく、人の生産性や採用にもプラスの影響が出るオフィスを作るためのコンサルティングをしたい」というテーマが出てきました。そこで、改めて「コンサルとは?」と考え、マーケットが本当にあるのか、顧客ニーズは?どうやってサービスを提供するのか……など、30個ほどのタスクを洗い出し、半年かけて1つ1つ整理しました。最終的にはROIまで出して3ヶ年分のプランニングを作り、山岸社長に提案されたんです。

伴走する中で特に印象的だったのは、1年間のセッションを通じて奥永さんの山岸製作所への想いが自分ごと化されていったことです。奥永さんは元々とても真面目で、目の前の顧客に向き合うことに長けた方でした。一方で、仮説立てやプランニングに苦手意識を持っていらっしゃいました。

事業を1つ進めるために多面的な情報が必要であるということや、事業に関連したリアルなタスクを通じて、仮説を積み上げていき、新しい視点を持って素晴らしいプランニングができるようになられていました。

関連記事 – STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-

日本の未来を担う「変化したい経営者」の相談窓口になりたい。協働日本がきっと変化の起爆剤になる。

ーー協働の中で足立さんご自身の変化を感じることはありますか?

足立:変化は如実にあったと感じています。これまで自身の仕事の中では、結果を出すことばかりに注力してきたことが多かったのですが、協働の中で、成果に至るプロセス、思考、考え方など、結果の手前の部分もとても重要だと改めて気づかされました。

その気づきがあって、現業のチームメンバーに対してとても寛大になったと思います。成果に至るプロセスの重要性については、私もどこか忘れてしまっていたというか。これまで感覚でやってきていたところがあったので、思考のプロセスを言語化し、可視化、体系化していくということをしていなかったんです。自分にとって当たり前になっていたことも、改めてやっていくことが重要だと思いました。

また、世の中には変化に敏感な、「変わっていかないといけない」という危機意識を持った地方の中小企業も想像していたよりずっと多いと気づきました。私らの持つノウハウを提供することで、双方にとって更なる発展に繋げていきたいと想いを強くしました。

ーーなるほど。今のお話に通ずるところもあるかもしれませんが、足立さんはこれから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

足立:コロナ禍を経て、オンラインで完結する仕事の方法が定着し、地域の垣根を超えたコミュニケーションが容易になりました。情報格差もなくなっていく中で、都市部・地方にかかわらず、現状を変えたい・変わりたい・新しいことをやりたいという経営者の方ともっと出会いたい、協力したいと思っていますし、同じ志を持った方を増やしたいですね。


また、協働日本の伴走支援では必ず伴走先の企業の担当者の方に自ら手を動かしてもらうようにしていて、そのやり方にとても共感しています。

協働プロメンバーが担当者の代わりに調査したり考えたりすることは言ってしまえば簡単なことなんですが、それでは協働が終わった後にノウハウは何も残らないですよね。
失敗も良い経験になりますし、トライアンドエラーの積み重ねで、協働先の皆さんと協働プロとの絆や結びつきも強くなる。そうやって同じ目線で事業に向き合う同志を増やしていく、橋渡しのような役目こそ、担っていきたいと考えています。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

足立:今後、労働力の減少や経済の先細りが予測される中で、今の日本の企業にできることは、変化していくことだと思っています。その変化を作るきっかけこそが「協働日本」ではないかなと。日本中の、「変わりたい企業」の相談窓口や起爆剤になっていくと思っています。

困ったことがあったら協働日本に聞いてみようかなと思ってもらえるような輪を広げていくことが、今後の日本を支えるのではないでしょうか。

凝り固まって動けずに衰退してしまうのではなく、変化することでそれをブレイクスルーしていける。そんな変化を、協働日本で作っていけるのではないかと思っています。

メッセージとしては一言、「みなさん一緒に頑張りましょう」!(笑)

これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

足立:ありがとうございました!

足立 紀章 / Noriaki Adachi

(株)ベネフィット・ワン 執行役員 購買精算事業担当
米国大学卒業後に帰国。1995年に(株)パソナへ入社。主に外資系企業向け採用コンサルタントとして従事。 その後、ベンチャー企業の立上げに拘った後、楽天(株)にて複数の新規事業立上げに携わる。 2011年に(株)ベネフィット・ワンへ入社。 執行役員サービス開発部長や子会社設立から代表取締役社長を4期務める。 その後、全体統括でのデジタルマーケティング、事業推進/アライアンス戦略担当を歴任。 2021年より購買精算事業担当として新たなB2Bモデルの立上げを軸にスケールアップを推進中。

協働日本事業については こちら

関連記事

STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-
VOICE:協働日本 小谷 克秀氏 -協働を通じて地域企業の「新規事業」に向き合う-

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –


STORY:有限会社三吉商店 石橋隆太郎氏 -70年続いた会社を守る、使命と覚悟。もやしの食シーンに新たな付加価値を-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社三吉商店 代表取締役の石橋 隆太郎氏にお越しいただきました。
三吉商店は、1953年創業のもやし製造会社です。

日本の食卓ではお馴染みの「もやし」ですが、人口減少に伴う消費量の低下や原料種子高騰、後継者不足など環境の変化を受け、この30年間でもやし製造会社は300社ほどが廃業に追い込まれています。

今では北陸三県で唯一の「もやし屋さん」となった三吉商店は、もやしだけではなく「もやしを食べるシーンに付加価値をつけたい」という想いで新規事業をスタート。

もやしを美味しく食べるためのドレッシングの製造・販売という、もやし製造会社の新たな挑戦となるプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

もやしを食べるシーンに新しい価値を。事業の黒字化に向けて協働日本の取り組みをスタート。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、これまでの事業の歩みや協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

石橋 隆太郎氏(以下、石橋):はい!よろしくお願いいたします。

三吉商店は、私の祖父が創業して70年を迎えた所謂「もやし屋さん」で、私で3代目になります。経営を引き継いでからは、日本の人口減少に伴う消費量の低下により、売上が低下していくリスクに直面。新しい事業に挑戦する必要性がありました。

もやし製造会社でよく行われているのは、もやしの製造販売の傍らカット野菜を販売する事業ですが、これはすでにレッドオーシャンとなっています。
そこで改めて一から「もやしの価値ってなんだろう?」と考えて、ついに至ったのは「もやしを食べる場面自体に付加価値をつけよう」というアイディアでした。

もやしの特徴である「味がないところに味がある」──どんな味にも変化し、食感を加えることができるという点に着目し、その味付けをするための調味料を作ることにしたんです。

そうして出来上がったのが、完全無添加にこだわった「nohea」という調味料ブランド。ドレッシングをはじめ、焼肉のたれやパスタソースなど色々な種類の調味料を作りました。出だしの売れ行きは好調で、大手の高級志向のスーパーにも置いてもらえて毎月の売上も800万円ほどあったのですが・・もやし以外を売るのは初めてだったこともあり、流通の仕組みや売り方などの設計が上手くいかず、その内情としては赤字続きという結果でした。

さっそく営業体制を変えるなど試行錯誤してなんとかやりすごしてきましたが、70年続いた会社の事業が上手く行かなくなっている現実に、先代、先先代に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。協働日本を知ったのはちょうどその頃で、石川県主催の経営塾で同期だった四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介がきっかけでした。普段から事業のことを話していたので、協働日本の伴走支援について教えていただき、興味を持ちました。

no-heat、no-addedが売りの「nohea」の無添加ドレッシング

ーーそうだったのですね。そこからすぐに伴走を決めたのでしょうか?

石橋:実は、同時期に銀行によるコンサルティング支援の活用も考えていたこともあり、協働日本との取り組みがスタートするまでには実際には1年ほどかかりました。

当初、私は「赤字を黒字に変えたい」ことを念頭に置いており、その目的のため、まずは銀行による財務面のコンサルを受けて、徹底的な原価計算と、採算性を見てたくさんあった商品ラインナップの絞り込みを行いました。

少し財務状況が改善したこともあり、満を持して、事業を伸ばしていくためのオフェンシブな施策を協働日本にお願いすることにしました。

ターゲットとコンセプトを選定し、新たに獲得した販路は「同業者への販売」だった。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

石橋:問屋の仕組みなども全くわからないところからのスタートだったので、まずはマーケティングや売り方を学ぶこと、自社の魅力・価値を知ることから取り掛かりました。協働チームは、協働日本CSOの藤村さん田村元彦さん、加藤彩乃さんの3名、三吉商店からは工場長、営業、そして私の3名が入っています。

一番に取り組んだのは自社の価値を知るための仮説を立てることです。その中で、「今、本当は何を一番売りたいのか?」という問いを立ててもらい、一度立ち止まって考えてみました。出てきた答えは「もやし屋のまかないダレ」でした。

「もやし屋のまかないダレ」

ーー「nohea」のドレッシングや各種調味料の改良アイディアではなかったんですね。

石橋:そうなんです。最初にお話しした通り、ドレッシング事業を始めるきっかけとなったのは「もやしにかけたら美味しくなるもの」を作りたいという想いでした。

本当にやりたかったことはもやしにかける美味しいタレを作ることだったのに、気づけば手を広げすぎてしまっていたんですね(笑)。

色々な商品を作るようになった背景には、「もやしダレ」を最初に作った時にあまり売れなかったことがあります。数十円で買える安いもやしに対して300~400円するタレを買うハードルがお客様にあったのですね。「美味しいのかもわからない、そもそも、もやし専用のタレって何?」と思われてしまい、お客様が買う意味を見出せず売れなかったんです。

そこでパッケージを変えて、もやしを一番知っているもやし屋だからこそおすすめできるというストーリー性が伝わるようにしたのですが、協働日本との伴走がスタートしたタイミングではまだ軌道に乗っていませんでした。

そこで、今回の協働取り組みのテーマを「もやし屋のまかないダレ」の販売をいかに拡大していくかに定め、取り組みをスタートさせることにしました。

「nohea」はギフト用の高級ラインナップですが、「もやし屋のまかないダレ」は今後スーパーで重点的に売っていきたい商品でした。

取り組みの中で次に整理したのは、ターゲットと、どこにどんな風に売れば食べてもらえるのか?という点でした。

ーー具体的にはどんな風にターゲットを整理していったのか教えていただけますか?

石橋:はい。この時点でぼんやりと想定していたターゲットは「主婦」や「ファミリー世帯」でした。ただ、利用シーンまでは考えられていなかったので、まずはお客様の声を聞こうと、高校の文化祭でもやしとタレをセット販売してアンケートを実施しました。

実は「もやしダレ」ジャンルの競合商品のほとんどがピリ辛系のものなんですが、「もやし屋のまかないダレ」のメインはうま塩ダレ。子供にも人気でした。

一方、50〜60代以上の方にはニンニクや塩気が強すぎるなど、ターゲットにしたい層への味のマッチ度が見えてきました。また、アンケートの結果から、特に主婦の方達は「子供や家族が好きなもの」を買いがちである傾向も分かりました。

普段はスーパーなどに置いてもらうことがメインなので、もやしを手売りするという機会自体も私たちにとってこれまでにない試みでした。

お客様と直接相対して「普段食卓でもやしをどういう風に使いますか?」「実はこういう栄養素があるんですよ」なんてコミュニケーションをとってみると、私たちにとっては当たり前なことも、お客様からするとそうではないことも多く、今後発信していきたい情報やメッセージにも気づくことができました。

ーー直接お客様の声を聞くことで、ターゲットやコンセプトが絞られてきたのですね。

石橋:はい。ここからは実際にどうやって売っていくかを考えていきました。


協働プロの田村さんと加藤さんは特に、今も現役で食品メーカーで活躍されているプロ。流通についてのアドバイスやアイディアをたくさんいただきました。

どうしても問屋さんを通すと販路の確保までに時間がかかってしまうことや、販路設計が複雑になってしまうというお話を聞き、他の方法はないか?と考えました。

そこでたどり着いたのが「同業のもやし屋さんにまかないダレを買ってもらってはどうか?」というアイディアでした。

全国的にもやし屋さんがどんどん減っていることに対しては、業界の皆が危機感を持っているんです。とはいえ、なかなか打開策が見つからないというのが、今のもやし業界のもつ共通の感覚だと思っています。

単純ですが、もやしの消費量を増やしていくことができれば、お互いのシェアを取り合わなくてもいいじゃないですか。もやしダレをもやしとセットで販売して、ファンになってくださった方がまたもやしを買う───そんなサイクルを作れたら、もやしの消費量を増やすことができるのではないかと思っていたんです。

実際に販売店になってもらうメリットは大きく3つあると考えました。1つはタレと一緒にもやしも売れること。2つ目は、新商品として営業が販売できる商材ができること。そして3つ目は利益率が高く、もやし20〜30パック売れるのと同等の利益を出せることです。

そうして同業のもやし屋さんに「まかないダレ」を仕入れてもらえないか掛け合い始めました。最初に取り扱ってくれたのは西日本で1番大きいもやし屋さんでした。

もやし屋さんはそれぞれスーパーなどの小売のもやし売り場・顧客を持っていますから、もやしの横に「まかないダレ」をセットで置いてもらうと、想定した通り結構売れたんです。

営業マンにとっても新しく売るものができたことでやる気が出たようで、積極的に売ってくれるようになって、今では「まかないダレ」をもやしとセットで売り場に置いてくれるスーパーをどんどん広げていってくれています。

今後は提携してもらえる同業者の開拓、BtoCの小売りはもちろん、外食店などにも置いてもらえるように取り組みを進めていきたいと思っています。

1年ほど取り組みをやってきて、収益が大幅に改善し、来期はいよいよドレッシング事業単体での黒字化を目指せるところまで来ました。

やりたいことをやるためには、やらないことを決める。目的に集中する環境づくりの大切さを実感。

ーー協働日本との取り組みの内容や成果についてお聞きしてきましたが、ご自身や社員の皆様の内面や行動にも変化は生まれましたか?

石橋:まずはシンプルに、私も含め社員皆にとって、とても良い勉強の機会になっています。例えば、弊社営業担当のとある社員は、元々主婦で当社の顧客でもありました。トークセンスがあるので営業や販売自体は上手だけれど、主婦からの抜擢ということもあってどうしてもビジネス経験は浅かった。

それが、協働取り組みを通じてお客様の求めている価値や、それを届けるための行動についての知識が身についており、自身の解釈力や再現性が高まっているのを感じます。

また、途中で「たくさん売りたい気持ちはあるが、生産が間に合わないので難しい」という、製造側と営業側の対立・ジレンマを感じるシーンもありました。でも、協働プロの皆さんはこういったことも経験済みだったので、すぐに的確なアドバイスをいただけたこともありがたかったですね。

実際、協働日本の藤村さんから「自社製造をやめて、製造は外部委託に切り替えれば良いのでは?」と鋭いご指摘と、「やめる勇気」をいただいたことも。

やりたいことをやるのは大切ですが、同時にやらないことを決めないと物事は進みません。「売る」ことに集中できるように環境を整えることで、製造・販売の仲違いもなくなりました。

ーー毎週のセッションの中で、宿題が出ることもあったと思いますが、大変ではなかったですか?

石橋:そうですね、私たちはあまり『宿題』と感じてはいなかったかもしれません。確かに毎週、新しいミッションやテーマで考えること・行動することが必要でしたが、私たちが本来やるべきことそのものだと感じています。

元々もやし以外の製品の販売に関しては素人集団だったので、毎週のセッションの中でデータ分析・数値に基づいた戦略策定の考え方など、様々な事例を交えながらわかりやすく解説していただいて、自社メンバーも腹落ちして進めることができたので、それも大変良かったと思っています。

また、外部の、まして大手企業の方と話す機会も少なかったので、自社のやり方とは違う方法や考え方に触れられたとということも気づきが多かったです。

ある意味で、「大手企業でも同じような問題に直面しているのか」という気づきがあったことも個人的には大きかったです。大手企業でも失敗しながらやってくんだから、私たちみたいな中小企業が一発でできるわけない。色々と試していこう、と奮い立たせられました。

外部のノウハウを取り入れにくい環境にある人こそ、協働を。今後の成長のために今必要なこととは。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

石橋:当初はこういった取り組みがあること自体を知らなかったのですが、ご縁を通じて協働日本の伴走支援の仕組みの話を聞いて、様々な領域のプロフェッショナルの実践的な経験値を学べることと、学ぶだけではなく、協働を通じて中小企業に体内化していく重要性を感じましたね。

特に、私のように会社を継いで代表となり、経営に携わっている人間は、他社に修行に出ることも簡単にはできません。創業からの流れでやっている企業ほど、考え方ややり方が固まってしまい、変化する世の中で柔軟に戦うための仲間も集まりにくい。外部のノウハウや経験値を社内に取り込んだり活かしにくい環境にあることは大きな課題だと感じています。

だからこそ、こういった機会を活用して、柔軟に外の知見を社内に取り込んでいかないと、継続して成長していくことは難しくなっていくのではないかと思います。

協働プロたちに伴走をお願いすることのコストは、ある程度覚悟のいる出費ではありますが、その価値や生まれる変化を考えた時には、安いくらいに感じます。本当にお願いして良かったと思っていますし、悩んでいる経営者がいれば是非お勧めしたい取り組みです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

石橋:協働日本のメンバーに加わる方は、ただ単に副業をしたい・お金儲けしたいという人はいない印象です。

皆さん、協働日本代表の村松さんの理念に共感して、今の自分のノウハウやスキルを中小企業に提供することによってその企業が回復していくことにやりがいを見出してくれる人が多いと思っています。

私たち中小企業側としては、大手のサラリーマンのスキルやノウハウを学べるメリットがありますが、協働プロのみなさんにとっても、対価としてお金を貰えるだけでなく、一緒に課題を克服することで、やりがいや、さらなるスキルを得られる相互にとって良い場になればら良いなと思っています。

また、せっかく色んな企業の方が関わってくださっているので、協働日本のおかげで回復してうまくいくようになった会社同士や、協働プロの皆さんの本業とでタイアップなどもできていくと面白いかもしれませんね。せっかく繋がったご縁でもあるので、新しい事業体が構築されていくといいなとも思います。

アドバイスをもらいながら成功報酬をお支払いするだけではない、発展的なビジネスモデルにつながると、もっと日本の未来にも明るい影響があるのではないでしょうか。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

石橋:ありがとうございました!

石橋 隆太郎 / Ryutaro Ishibashi

大学在学中、20歳で父が始めた飲食FC店舗の店長に就任。5年間の飲食経験の後、有限会社三吉商店に入社し、もやしの製造事業に携わる。29歳で代表取締役に就任し、新事業で調味料製造事業(NOHEA事業部)を立ち上げる。「NOHEAヴィーガンシリーズ」は、令和3年度金沢かがやきブランドに認定される。また「もやし屋のまかないダレ」は、Japan Food Selectionのグランプリを受賞し、もやしと調味料を活用して新たな新境地を開拓している。

協働日本事業については こちら

関連記事

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 ―「事業づくり」と「人づくり」の両輪―
VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-


VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

協働日本事業については こちら

関連記事

STORY:うしの中山 荒木真貴氏 -『UshiDGs(牛DGs)』協働により生まれた、鹿児島発サーキュラーエコノミーモデル-

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –


VOICE:永田 陽祐 氏 -地元や、地元のために頑張る人たちのために、等身大の自分で貢献したい。

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本のIPPO事業でコーチングを行う永田 陽祐氏のインタビューをお届けします。

永田氏は、スコットランドの大学院に留学後、商社を経て組織開発のコーチングを行なって来られました。現在は故郷の奄美大島と東京で二拠点居住を行いながら自身の事業運営とコーチングの両方に従事しています。

永田氏がIPPOのコーチングに参画したことで生まれたクライアントの変化やご自身の変化、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

東急百貨店で奄美大島のモノづくりと文化を発信するイベントを企画

いつか地元・奄美大島に貢献したいという想いと、異文化な環境で働く中で見つけた「自分のやりたいこと」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、永田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

永田 陽祐氏(以下、永田):はい、よろしくお願いします。

今現在は東京と故郷の奄美大島で二拠点生活をしながら、コーチングの仕事を行いつつ、奄美大島では宿泊施設、カフェバー、空き家問題対策事業などを行う会社を経営しています。

私の実家で伝統工芸である大島紬を作っていたこともあり、以前は、将来的に海外で大島紬を売ってみたいという想いを持っていたんです。そんな夢もあったので、東京の大学を卒業した後はスコットランドの大学院進学し、パブリックリレーションズ(企業がステークホルダーとのコミュニケーションをマネジメントする領域)を専攻しておりました。帰国後はじっくりと将来について考えたかったので、1年半ほどアイリッシュパブでフリーターをしながら自分が本気でやりたいと思える仕事を探していました。

ーーなるほど。そこからどのような会社を選ばれたのでしょうか。

永田:海外でビジネスをしてみたいという気持ちや、大島紬に関連する事業を作りたいという想いから総合商社に興味を持ち、三井物産株式会社のファッション繊維事業部に入社をしました。入社2年目の頃、当時の上司に「大島紬を販売できないかチャレンジしたい」と相談したんです。その時上司には「永田の想いはわかったが、本当に地元の方達も同じ想いかどうか、まずは奄美大島へ行って聞いてこい」と言われ。ありがたいことに人生の初出張は奄美大島でした。織元さんを回って色々と試みたのですが、暖かい協力をいただきいながらも完全に自分の実力不足で事業化できず挫折してしまいました。

その後、今度は社内の留学・駐在制度を活用してブラジルに行くことになります。

ーーブラジル!また違った文化に飛び込むことになったのですね。

永田:そうですね。ブラジルでは、今の私のキャリアのきっかけになる出来事がありました。
初年度はひたすらポルトガル語を勉強して、2年目からは出資先の企業に出向して経営補佐や営業として働きました。ものすごく田舎の地域だったんですが、仕事が終わって現地のブラジル人達とわいわい飲んで過ごす生活はとても刺激的で。

その生活の中で印象的だったのは、仲間のブラジル人達がみんな活き活きしていることでした。彼らはみんな、将来何をやりたいかが明確で、今やってることがそこにどう繋がってくか、つまりなぜこの仕事をしているかっていうことを言語化できていたことに気づいたんです。

 その時に、自分はこれまで、様々な文化圏の人たちと会話をしながら価値観や生き方について触れる中で、「じゃあ自分は何をして生きていきたいんだっけ」と考える機会に恵まれていたのだと実感しました。同時に、そのような異文化に触れて刺激をもらうような経験は、少なくとも私が奄美大島にいた時には得られなかったということにも気づきました。そこで、奄美大島にいながらそのような経験ができる場を作り、ブラジル人のように「何をして生きていきたいか」言語化できている人を増やすことが、等身大の自分にできる、自分らしい地域貢献の方向なのではないか?と考えるようになりました。

また、色んな国の人とプロジェクトを進める中で、やっぱり組織の中にモチベーション高く主体的に動く人がいないことには、どんなに優秀な人が揃ってても事業は進まないということも、身をもって感じたんです。

帰国後、いろんな人と話したり調べ回ったりする中で、個人に対しても、組織に対しても、その「主体的に働く人を増やす」ための手段としてコーチングという分野があることに辿り着き、パーソナルコーチングと、組織に対するコーチングへの興味が沸き始めました。日本に戻ってきてから実際に自分もすぐにコーチングを受けてみて、面白いと感じ、引き続き三井物産で働きながら、CTI JAPANでコーチングを学びました。将来自分が独立することを考えた時、どの事業を行うにしても自分がハンズオンで携わりたい領域がコミュニケーションとマネージメントだと気付き、本格的にコーチングの道へ進むことにしました。

商社を離れて株式会社コーチ・エィという組織開発のコーチングを手がける会社に転職しました。経験を積ませていただく中で、故郷の奄美大島に貢献したいという想いはずっと持ってはいたのですが、ある日コーチングを受けた際に、「いつか地元に貢献したいと言いながら会社員として生活し続けることが、結局は今の永田さんの本当にやりたいことなんじゃないですか?」というフィードバックを受け、グサっと刺さりました。恥ずかしいぐらい、その通りだと思ったんです。「いつかやる」と言い続ける状態を心地良いと感じている自分に気づかされました。。それがきっかけで、これではいけない、行動しなくてはと思い切って独立しました。

独立し、ブラジルで交流を深めた三井物産時代の仲間と共に、奄美大島にen- Hostel & Café barという宿とカフェバーを開きました。アーティストさんや、バックパッカー、スタートアップの社長などの旅行客と地元の方々が交流をする空間を目指しており、そこから派生した様々な事業にもチャレンジしています。そして東京では引き続き個人や組織のコーチングやキャリアコンサルタントをするという、二拠点生活が始まりました。

永田氏の運営する en- Hostel & Café bar

経営者の孤独に共感しながら、行動変革に繋げる。

ーー続いて、永田さんが協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

永田:協働日本代表の村松さんとの出会いは、共通の知人が、村松さんを紹介してくれたことでした。村松さんは協働日本の案件でよく鹿児島にもいらっしゃっていましたし、村松さんを奄美市長にご紹介して一緒にお食事をするなど、交流を持たせていただきました。

協働日本のIPPO事業で、コーチとして力を貸して欲しいと大変ありがたい打診をいただいて、すぐに参画を決めました。自分も地方で起業した経験があるからこそ、地方の経営者の苦しみが分かる部分もあるので、そういう人たちに貢献できるようなコーチングに力を入れていきたいと思ってる時にお声がけをいただいたというのもあり、良いタイミングでもありました。

あとは単純に、村松さんのお人柄と志が大好きで(笑)本当に素敵な人だと思っているので、もう是非一緒にやりたい!と思ったのも大きな理由です。

ーーありがとうございます。これまでのコーチングについても、詳しく教えていただけますか?

永田:

IPPO事業でのコーチングという意味では、これまで15名ほどの方を担当させていただいています。石川県金沢市の山岸製作所さんや、上場企業のバリュエンスホールディングスさん等複数の企業様の、主に経営層の方のコーチングに携わっています。

私自身もオーナー社長なので共感していることも多いのですが、特にオーナー社長さんにコーチングをしていて特徴的だと感じるのは、会社のパーパスと個人のパーパスがほぼ100%一致しているということです。主語も「会社」と「自分」が話しながら入れ替わっていたりします。

なので、もう根っこから会社に主体化している状態です。そうすると、会社のパーパスに賛同してくれていなかったり、主体的に働いていないメンバーの気持ちをとても理解し難いし、「同じ船に乗ってくれない」と感じるメンバーがいると、単純にとても寂しいんですね。自分はこんなに会社をよくしようとしているのに、なんでだろう?と。一方で、社長としての信頼やイメージもあるので、その感情をぶつけるわけにもいかず、悩んでいる方は本当に多いです。

ーー確かに、どうやったらメンバーに想いが届くのか?と苦戦されている経営者の方は多いですよね。

永田:社長になるということは「飛行機のコックピットに座ること」に似ていたりします。色んな苦労をされながら、周りの意見を聞きながらようやくそこにたどり着いたのに、いざ座ってみるとそこで発する自分の言葉は全て機内アナウンスみたいにオフィシャルな言葉として受け取られてしまうし、これまで大切にしてきた周囲の声も、コックピットに入ると聞こえなくなってしまう。「経営者は 孤独」というのは、本当にその通りなんだろうと思います。

実績を残してきた優秀な方にこそ、磨いてきた「マイルール」や「絶対にこれが正しい」と疑わないものってあると思います。でもその絶対正しいと思っていることは、本当に今この状況でこの相手に対しても「絶対に正しい」のか。実はそれこそがブラインドスポットを作っていて、本当に変えるべき自分の側面を隠してしまっているかもしれなません。そういうことに一緒に向き合うのが、私がやりたいコーチングです。
例えば、過去のクライアントさんでも、「1対1だとフラットに喋れるが、1対多になった途端、 ついファイティングポーズを取ってしまう」という方がいらっしゃいました。深ぼって考えていくと、その方には「強い経営者像でいなければならない」という焦りがあり、そして「強いリーダーでいなければ信頼されなくなってしまう」という不安がありました。「簡単に意見を曲げたり撤回したりすると、信頼されないんじゃないか」という不安が、「話を聞かないリーダー」という印象を与え、結果として最も得たいはずの「信頼を得る」というゴールから自分を遠ざけてしまっていました。その方の場合は、「リーダーは強くあるべき」という前提が、ブラインドスポットを作っていました。セッションでは、その前提を言語化した上で、「改めて何をしていくのか」を会話していきます。

経営者は影響力がとても大きいので、 セッション中の気づきがそのまま組織や経営チームに影響を与えて行ったりします。そんな変化をライブリーに見られる瞬間が、自分のコーチとして存在意義を実感できる瞬間でもあって、いつも気が引き締まる思いでいます。

起業する方々に向けた「創業期のパーパス」に関するワークショップ

自分の経験がコーチングの幅を広げていく。コーチも「挑戦し続けるプレイヤー」

ーーIPPOコーチングの中で永田さんがご自身の変化を感じたり、気づきを得たことはありますか?

永田:実は今まで個人事業主として受けてきたコーチングのお仕事も、今年から法人化しようと思っているんですが、それは、IPPOでコーチングをしていく中で新たに大事にしたいことが1つ出来たことがきっかけです。

それは、「コーチも挑戦し続けるプレーヤーであるべき」ということです。

一般的には、コーチングは”ティーチング”ではないので、クライアントと同じような経験をしていなくても良いと言われます。つまり、コーチングのプロであることが重要で、経営者のコーチングをするために、自分自身が経営者である必要はないということです。これはある意味では本当にその通りだと思います。共感をしすぎたりアドバイスをすることがコーチの仕事ではないので。
しかし、IPPOコーチングで地方の経営者と話をしていて僕自身「その気持ちわかる」と思った時に、敢えてそれを真っ直ぐに自分の言葉で伝えてみると、それがフックになって、「そうなんです!さらに乗せると〜」と深まったり、「それとは少し違うのですが自分の場合は〜」と言語化のきっかけになるケースが多々ありました。そのような、自分のプレーヤーとしての経験を通してのフィードバックは、一気に対話を深いところまで持っていく力があると思います。

そう思った時に、自分のプレーヤーとして挑戦しながら得ている感情や気づきをも自分の大切なリソースとしてコーチングに発揮していって良いんじゃないか?という気づきに繋がりました。

とすると、起業していることや、地方出身であることや、海外で異文化コミュニケーションに悩んだ経験など、全て自分のリソースとして活用できるし、挑戦し続ければコーチングの幅も広がるのかもしれません。

ーー最初にコーチングに興味を持たれたときに「等身大の自分で貢献できることでは」とおっしゃられていたところにも繋がりそうですね。

永田:そうですね。結局、コーチングも人と人だよなと。コーチはエゴとプライドを脇に置くべきだという言葉を聞いたことがあるんですけど、私は今までエゴとプライド脇に置けている人にほとんど会ったことないので(笑)”ある”ことが前提でもいいんじゃないかって思うんです。そう開き直ることが、私にとっては”等身大”に感じています。


それに、他事業での経験を等身大のままコーチングで活かせると考えると、これこそ協働日本の強みであるようにも感じます。協働プロやコーチはご自身の事業領域で挑戦されている人ばかりですし、そこで悩めば悩むほど、IPPOコーチングが深く充実していくのではないでしょうか。

協働日本が、地方の枠を飛び超えて、企業や若者の可能性を引き出せる存在になれたら面白い。

ーー永田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

永田:引き続き、「地方のために、地元のために」と挑戦している方に対し、尽力していきたいです。

自分自身の経験も活かしながら、少しでも本心からやりたいことの実現に向けて行動する人を増やしたり、目標とする組織風土の実現に向けた個の変革や、組織内のコミュニケーションを活性化させるためのコーチングをしていきたいです。

そのためにも、やはり自分自身を アップデートし続けることが重要だと思うので、一生学習者というスタンスで、どんどん新しいことにチャレンジして、うまくいった、ダメだったと悩み続け、 経営者としてもコーチとしても成長していきながら協働日本さんに関わっていけたら大変ありがたいです。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

永田:本当に素晴らしい取組だと思いますので、コーチングの領域ももっと広がっていけば良いと感じています。経営者・管理職だけでなく、役職についていない方が早い段階で自分自身のパーパスを描くことにも関われれば、例えば採用後のオンボーディングをサポートするなど、様々な領域でクライアント企業様のお力になれるのではないでしょうか。

また、クライアント様は地域に根ざした企業ばかりですので、協働日本さんは企業へのサポートを通して地域を活性化し、日本を地方から元気にするような推進力に、今後更になっていかれるのだと想像いたします。そのようなワクワクする取り組みに関わらせていただいている事が大変ありがたいですし、私自身も挑戦を続けながら、その一助になれれば幸いです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

永田:ありがとうございました!

永田 陽祐 / Yosuke Nagata

(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルマスターコーチ
en- Hostel & Café bar代表

2010年 早稲田大学 政治経済学部卒業
2011年 University of Stirling (英国スコットランドの大学院)Strategic Public Relations & Communication Management修士課程修了
2013年 三井物産株式会社(東京本店→ブラジル駐在)
 アパレル領域の法人営業→ITスタートアップ企業への事業投資担当→モビリティ領域の新規事業開発
 ブラジルに留学→出資先鉄鋼加工企業にて社長補佐兼営業スーパバイザーとして駐在
2019年 株式会社コーチ・エィ(東京)
 上場企業の経営者や管理職に向けた1on1コーチング及び、組織開発プロジェクトに従事
 主に中南米市場の市場開拓に従事
2021年 独立し、現職

永田 陽祐氏- Instagram

En- Hostel & Cafe bar
En- Hostel & Cafe bar- Instagram

協働日本事業については こちら

関連記事

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 ―「事業づくり」と「人づくり」の両輪―


STORY:AKR Food Company株式会社 松元 亜香里 氏 -黒豚への強い想いを形にし、付加価値をつけた商品開発の挑戦-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本は、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和5年度の「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、2024年2月16日(金)に取り組み企業数社をお招きし、報告会を鹿児島県庁にて行いました。

当日お越しいただいた一社である、AKR Food Company株式会社 代表取締役の松元 亜香里 氏に当日発表いただいたお話をご紹介させていただきます。

AKR Food Company株式会社は、黒豚の精肉・加工品の販売を行う会社です。「Farm to Table」を1つのキーワードに、「いただく黒豚の命を余すことなく活かしたい」という思いで、黒豚の一頭一頭の価値を形にするべく『かごしま黒豚』だからこそ、〝日常で〟使いたくなる 製品づくりに日々邁進されています。

今回は個別インタビューでお伺いした内容を含め、松元さんにお話しいただいた協働日本との取り組みを通じて生まれた変化や、今後の事業展望への想いなどをご紹介します。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

黒豚一頭一頭のいのちを大切に──未利用資源を用いた新しいプロダクトの販売を目指す。

ーー協働日本と進めている「未利用資源を活用したペットフード」プロジェクトについて

まず、なぜ私がAKR Food Companyで黒豚の販売を始めようと思ったのかについてお話ししたいと思います。私の家業は、飼料から黒豚を生産し、カット販売まで一貫して手がける企業でした。

黒豚は一般的に、生まれてから約8ヶ月ほどでお肉として皆さんのお手元に届けることができます。

私も、家業で13年間生産現場に従事してきた中で、より黒豚の魅力を皆様に知っていただきたい、一頭一頭の命を大切にして、余すことなく売っていきたい、という思いでこの会社・事業を立ち上げました。

ですから、今は精肉としてはもちろん、生産過程も大切に黒豚を販売しています。今回は黒豚の使われてない部位を使用したペットフード事業を協働日本との取り組む事業として選びました。

なぜペットフードなのか?と言いますと、黒豚を取り巻く環境は、皆さんもご存知の通り餌の価格の高騰や、農家の高齢化で後継がいないなど厳しいものとなっています。それによって精肉分野でも原料調達が大きな課題になっているのです。

しかし、そんな貴重な黒豚には、精肉として人間が食べる部位以外にも、使われていない部位がまだまだあります。そういった未利用資源を用いていきたいというのがはじまりでした。

現状、活用されていない部位は、廃棄か肥料化のどちらかですが、いずれにしても農家にとって収入にならないのです。

協働日本との取り組み開始前は、ペットフードとして活用できないか?と考えたものの、ペットフードは売ったことはおろか手にしたこともなく、市場のこと自体がまったくわかりませんでした。

また、どうすれば未利用資源に付加価値をつけ、買ってもらえるような商品にすれば良いのかも、まだまだ未知の領域でした。

お土産品、ふるさと納税返礼品などで好評の缶詰シリーズ

顧客像が明確になるまで、繰り返し行ったモニター調査が、メンバーの意識変革をもたらした。 

ーー実際に、どのようにプロジェクトを進めていったのか教えてください。

はじめに取り組んだのは、犬を飼っている方々へのヒアリングです。何度も、いろんな方にヒアリングをしていくことで、家族としての犬の存在意義や、食事、生活の中で気をつけていることなどを深掘りしていくことで、愛犬家の方の価値観を言語化していきました。

黒豚を使ったプレミアムなペットフードは、どんな人に買いたいと思っていただけるのか、顧客像を掘り下げていって、ターゲットを決めました。

明確になったペルソナ。家族として犬と過ごしている愛犬家にこそ買ってもらいたいと決めた。

顧客戦略、プロダクトコンセプト、ブランド名などを決めていくにあたって、協働日本さんに入ってもらってよかったと思ったことがいくつもあります。

それは、プロジェクトに携わるメンバー達がそれぞれのテーマについて掘り下げて考え、お互いに共有していくことで、各々が何をしなくてはならない、など自分達の意義を明確になったことです。こういった意識変革自体も、今回の1つの成果だと感じています。

また、モニター調査をもとに商品の開発も実施しました。商品名は「want’n」に決定。「いつものフードにプラスするだけ、いつまでも元気でいてほしい愛犬のためのアンチエイジングごはん」というブランドコンセプトも決めました。

そして、ファンを獲得するための目玉商品──いわゆるHEROプロダクトとして「黒豚ボーンブロス」を作り上げました。

ボーンブロスとは、黒豚の骨や、鹿児島県産の鶏を使った出汁のことで、海外のセレブの間では美容と健康に良いと話題になっていたものでもあります。タンパク質やアミノ酸が豊富に含まれており、腸を整えることで美容や健康に効果があるものです。

これまでも人の食用にボーンブロスの素「骨パック」という製品を販売していましたが、今回のモニター調査の中で、犬も腸を整えることでシニア犬の健康や毛艶にも効果があることがわかったため、HEROプロダクトに設定することになりました。

未利用部位の活用についても掘り下げてお話ししますと、例えば腎臓──マメと呼ばれる部位ですが、人はなかなか食べることはありません。しかし、栄養価だけ見ると肝臓──レバーと同じように費用に栄養価が高いんです。レンダリングと呼ばれる加工を施し、飼料にすることもできるのですが、キロあたりの販売額は10円もしない部位でした。

ですが、犬の健康に焦点を当てた餌としての付加価値を与え、製品化して販売することによってキロあたり1万円くらいで売れることがわかったんです。こんなに付加価値をつけることができるものなのかということにも驚きました。

黒豚のマメ・サイコロヒレ・ほほ肉を使ったペットフード「Premiun Plusシリーズ」


実際のモニター調査で、17歳のシニア犬に与えてもらったところ、普段は目も見えづらく餌に自分で辿り着けなかったのに、「want’n」の餌は箱を開けた途端に自分から餌に近づいていって食べるなど、いつもと違う行動を取るようになったのだそうで、飼い主の方も変化をとても喜ばれていました。

これまでは廃棄、あるいはとても安価にしか販売できなかったような未利用部位も飼い主にも犬にも喜んでもらえる、という「価値の創造」ができたと思っています。

付加価値の創造と、想いを言語化し、形にする力がついた

ーー協働を通じて得られた変化や成長についてどのように感じていますか?

今回の伴走支援では、どうやって商品への付加価値を作っていくのかの工程、どうやって調べればその価値を見出せるのか、そして言語化する力が身についたのではないかと思います。

これまで自分たちが当たり前だと思っていたことが、商品の売り文句になって、商品の魅力となって世に出せることがあると気づけたことも私たちの成長だと思っています。

鹿児島にはまだまだ未利用部位があるので、付加価値を見出し、まだ新しい商品開発、販売、今後の事業につなげていきたいです。

ーー伴走していた協働プロからの総括

若山幹晴(協働日本CMO):プロジェクトの歩みとしては、まずAKR Food Companyの皆さんが持っていらっしゃる想い、そして強みについてヒアリングをさせていただきました。

ヒアリングをもとに、「黒豚への想いの強さ、命の大切さを世の中に広げていくためにペットフード事業」を成功に導くためのプロジェクト設計を行いまして、プロダクト、事業のコンセプト設計、リサーチを進め、顧客の理解をもとにプロダクトを準備していきました。

僭越ながら、伴走する立場から、AKR Food Companyの皆様の強みと変化についてもお話しさせていただきます。


まず、当初から黒豚への想いの強さを感じておりました。一事業者としてではなく、ひとりの、黒豚と相対する人間としてのリスペクトを聞いているだけで、こちらも黒豚のことを好きになり、プロジェクトのご支援していきたいと思うようになるほどでした。

強みと変化として挙げさせていただきたいのが、思いを形にする力がどんどんついていっているように感じました。我々協働プロはあくまで伴走支援をする人間です。

我々からは「こういうところを調べましょう」「次にこういうことをしましょう」とお伝えし、実際に考え、アクションを起こすのはAKR Food Companyの皆様なのですが、毎週期待値以上のアクションを起こしてくださったところが印象的でした。

想いを形にする上で、このようなプロダクトコンセプトでやりたいと資料を作ってきてくださったり、一般的なペットフードで使われる鶏や豚と黒豚との栄養素の比較表から強みを調べてビジュアライズまでしてくださるなど、毎週我々がびっくりするような動きでした。そういった積み重ねで、事業者として成長していかれていることを感じました。

最後にこれからについてですが、現在、ヒアリングからプロダクトのプロトタイプを作られまして、実際のモニターからアンケート結果もいただいていますが、コンセプト自体の魅力度、プロダクトの満足度は100点に近いものができています。これからHPの準備やプロモーション面を考えていくところに進んでいきますが、新ブランドとしてとても良いスタートが切れているのではないかと思います。

松元 亜香里 / Akari Matsumoto

AKR Food Company株式会社 代表取締役

協働日本事業については こちら

関連記事

VOICE:協働日本CMO 若山幹晴氏 ―マーケティングの力で地域の魅力を後世に残す―
STORY:株式会社イズミダ 出水田一生氏 -若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ-


STORY:持留製油株式会社 上野浩三氏 -新たなアイディアで事業の壁を突破。新たな光が見えてきた社会課題解決型事業-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、持留製油株式会社 常務取締役の上野 浩三氏にお話を伺いました。
持留製油株式会社は明治6年(1873年)に創業し2024年で151周年を迎える、食用油脂製品製造販売業の会社です。

長きにわたり、食用油脂を軸にした事業を進めてきた持留製油ですが、5年ほど前から緊張緩和や鎮痛作用のある「CBDオイル」に関する新規事業をスタートしました。

世間で注目を集める新商品ではあるものの、新規参入事業であることや、市場自体が未成熟であることなどからどういった方向性で事業を推進していくべきか悩んでいたところに、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」がスタート。事業に参画した持留製油と、事業をサポートする協働日本との協働プロジェクトがはじまりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

課題の多い市場ゆえの悩みと、多くの壁

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

上野 浩三氏(以下、上野):よろしくお願いいたします。協働という取り組みを知ったきっかけは、鹿児島県が新産業創出ネットワーク事業の参加企業の募集を見たことです。それまでは協働日本さんの取り組みについては存じ上げませんでした。

弊社では5年前からCBDオイルの事業を展開しているのですが、まだまだ成長途中ということもあって、一緒に考えていくれる仲間がいるとありがたいなと考えていたので、新産業創出ネットワーク事業に応募をしました。

無事に採択いただけたことで、協働がスタートしたという流れです。

ーーなるほど。CBDオイルの新規事業について、具体的にどのような事業か教えていただけますか?

上野:はい。そもそもCBDというのは、カンナビジオールの略称で、大麻に含まれる物質「カンナビノイド」のひとつです。アサの茎や種子から抽出される成分で、炎症を鎮めたり、不安を緩和する効果があります。「大麻」というと日本では忌避感も強いかもしれませんが、精神作用や中毒作用がないことで知られており、医療や美容分野でも興味関心が高まっているんです。

食用油脂を扱う弊社でCBDオイルを扱うようになった背景には、社長の体験があります。社長が6〜7年前にパニック症候群に罹患して大変な思いをしていた時、アメリカの友人からCBDを紹介され、試しに使ってみたところ症状が改善されたのだそうです。その経験から、CBDで多くの方の悩みを解決できるのであれば、という想いで事業化することになりました。

CBD自体は、日本でも2013年より合法化され、2022年にはAmazonでも一部店舗で販売が可能になりました。そういった環境もあり、世間の注目度も高く、同じようにCBDオイルを取り扱うスタートアップもかなり多い時期だったんです。

ーーそうなんですね。恥ずかしながら、名前は聞いたことがあるもののCBDオイルについて詳しく存じ上げませんでした……。

上野:おっしゃる通り、日本ではあまり消費者に正しく情報が浸透していないのも事実です。

実際、事業化当初は、大麻草由来の成分ということもあり社内でも不安の声があったほどです。CBD自体が消費者に知られていないことや、存在や効果を知っていてもなんとなく不安に思われる方もいるなど、完全に供給過多の状況でした。

弊社は良い原料メーカーを見つけることができ、良質なCBDオイルの提供ができるということや、世界的に先行事例があるということで可能性を感じて販売をスタートしましたが、思うように売り上げは上がっていませんでした。

供給過多の市場から飛び出し見つけた、Bto”D”の新たな勝ち筋

ーー実際協働がスタートしてからはどのようにプロジェクトが進んだのかお聞きできますか?

上野:はじめは、市場調査からはじめました。協働プロとしては、村松さん(協働日本代表)と藤村昌平さん(協働日本CSO)に入っていただきました。


ECで売れない理由を分析していったところ、他社との差別化や、弊社ならではの強みが必要ということがはっきり見えてきました。強みの整理など、色々と考えてはみたのですが、一般市場では消費者のニーズも高くはなく、類似する他社のCBDオイルもたくさんある───どのように売れば差別化されて売れていくのか道筋が見えづらかった。

そこで、ニッチだが、確実にニーズのある方向を目指そうという話になったんです。

ーーこれまでからターゲットを変えていくということでしょうか。

上野:はい。これまでのBtoC向けの商品展開ではなく、BtoBなど売り先を変えてみてはどうかということで、ターゲットになりそうな企業を探していくことになりました。

CBDオイルは海外では医療や美容の目的で使われるので、日本国内にも興味のある企業がいるのではないかと、当たってみたところ、知人からの紹介で認知症患者にCBDオイルを使ってみたいというお医者さんとの出会いがあったんです。

クリニックとの共同事業ができると、消費者に信頼される「エビデンス」という強みを持つことができます。そこで、認知症患者の治療のためのCBDオイルの共同開発がはじまりました。

ーーまさに、「ニッチだけど確実にニーズがある」市場かもしれませんね!共同開発はスムーズに進んだのでしょうか?

上野:はい、「BtoD」という新しい市場に辿り着いたのは成果の一つだと思っています。共同開発の最初の壁は「CBDオイルを治療に適した形にすること」でした。

CBDには直接飲むタイプや、吸うタイプ、食べ物に混ぜて摂取するタイプなどさまざまな摂取の仕方があります。認知症の患者さんでも負担なく取り入れられる形を目指して検討しました。その中で、経口摂取だけでなく、経皮吸収でも効果が見られるというデータを見つけ、皮膚に貼って使う「CBDパッチ」の開発に繋がりました。

パッチの製作自体は外部委託先に依頼しましたが、医療用のパッチにCBDを入れた前例がなかったため、何%の濃度のオイルを入れられるか?何%の濃度なら効果があるか?など模索が必要でした。

また、同時に大学病院での治験の手続きも進める必要がありました。倫理委員会を通すなど準備にも時間はかかったのですが、無事に治験を開始することができ、クリニックの先生の協力もあって、結果的に効果が見込めるパッチが完成しました。

治験自体はこれからも引き続き実施する予定で、先生も成果を論文にしていきたいとのことで、持留製油のCBDオイルの強みである「エビデンス」が明確になっていくのを楽しみにしています。

協働日本は責任感をもって一緒に事業にぶつかってくれるプロたち

ーー協働日本との取り組みの中で、生まれた変化や成果について教えていただけますか?

上野:成果、と言うにはまだ道半ばというところではありますが、誰に対して、どんな製品を売っていくのかという方向性が見えたことが一番大きな変化と収穫だったと思っています。

私自身は持留製油に入社するまで様々な業界で新規事業に携わることが多かったので、新しい事業に挑戦することは好きだったのですが、一人で考えるとアイディアが出なくなって行き詰まってしまいやすいということもわかっていました。

なので、今回協働チームの皆さんと一緒に考えることでアイディアがたくさん出てありがたかったですし、新しい考え方やスキームを知るヒントになってよかったと思っています。

例えば、藤村さんは、元々ライオンという消費財メーカーの研究室のチームにもいらっしゃったこともあって、製品開発におけるメリットよりもデメリットがないかが重要と考えられていて、売れるメリットのことを強く考えていた私にとっては新しい気づきでした。

やはり様々な分野のプロのこれまでの知見やノウハウに触れることができることは自分にとっても勉強になって良い機会でした。

ーー協働プロたちの印象はいかがでしたか?

上野:村松さんは熱い想いでぶつかってきてくれて、藤村さんは冷静に分析してどんどん突っ込んできてくれる。

お二人がそうやってぐいぐい前のめりに問いを立てて深掘りしてくれたからこそ、これまでの状況を切り開き、難易度が高い事業づくりに新しい光が見え始めたのかなと思っています。

副業人材でコンサル的な取り組みが増えていることは知っていましたが、個人的には”教えてくれるだけ”のコンサルティングはあまり好きではなくて……。

協働日本さんの場合は、ワンチームで一緒に考える、一緒に責任を持って事業にぶつかってくれるという姿勢で参画してくれる、単なる副業人材活用とはまったく違った取り組みスタイルでした。

地方のものづくり系の会社以外にも、スタートアップ系の新規事業や、自分で起業される方にもおすすめしたいですね。そういった企業の経営者には、同じ目線で相談できる相手がいない場合も多いので、事業づくりの経験がある「わかってくれる」人に相談できる機会があるというのはいいなと思いました。

昔のような「ものづくり日本」を取り戻す──プロフェッショナル集団が強い事業づくりの一助に

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

上野:協働日本は非常に面白い取り組みです。協働プロが増え、チームのバリエーションが広がっていけば、全国の地域企業がさらに成長し、新しい事業をどんどん形にしていけるのではないかと思います。法律にしろマーケティングにしろ、事業をつくるには様々な要素があり、やっぱりプロがいないとわからないことって多いと思うんです。しかも誰に聞いていいかもわからない。チームの中に色んなプロがいること、地域企業の強みを活かした「機能拡張」できることが、協働日本の強みだと思っています。

特に、村松さん、藤村さんもそうですが、キャリアにおいて製造業を経験している協働プロが多いことも協働日本の強みじゃないかなと思います。個人的には、昔のような強い「ものづくり日本」になってほしいという想いがあって、それを強くするためにプロがついて支援していくことは大事かなと。「日本に熱を生み出したい」というテーマの中でも、地方創生にとどまらず、産業活性、産業振興をリードできることも協働日本の強みかなと思うので、頑張っていただきたいなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

上野:ありがとうございました!

上野 浩三 / Kozo Ueno

持留製油株式会社 常務取締役

1090年鹿児島生まれ
大学後、旅行会社にて12年間、海外添乗、営業、企画に従事。
改めて鹿児島の魅力を発信したく、総合酒類卸会社に転職し、鹿児島中央駅アミュプラザかごしまの「焼酎維新館」の初代店長として立ち上げ。
県外を中心に焼酎・特産・物産を営業も同時に行う。
2012年「かごっまふるさと屋台村」のNPO法人運営理事として、立ち上げ、運営に従事。
2020年より、持留製油株式会社に転職し、食用油脂製造業の営業と、CBDじ業の立ち上げに従事。

協働日本事業については こちら

関連記事

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 ―「事業づくり」と「人づくり」の両輪―