VOICE:足立 紀章 氏 -「変化したい経営者」を支えたい。地方の垣根を越えた人材交流で成長の芽を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う足立紀章氏のインタビューをお届けします。

現在、株式会社ベネフィット・ワンで執行役員として新規事業を統括されている足立氏。これまでのキャリアの多くを事業開発の分野で活躍されてきた中で、ご自身の経験を社内だけでなくもっと広いところで活かせないかと考え、協働プロとしての活動をスタートされました。

足立氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自身の事業企画のノウハウを社会で役立てたい。協働日本への参画を通じて、新しい挑戦を始めていこうと思った。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、足立さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

足立 紀章氏(以下、足立):よろしくお願いします。

現在は株式会社ベネフィット・ワンで新規事業を担当しています。これまで、海外の大学を卒業後、新卒で株式会社パソナに入社し、主に採用コンサルを担当していました。その後10年くらい働いた後、仲間と一緒にプロフェッショナルバンクという会社を作り、新しいことに色々挑戦してきました。

そしてその後、ネットの求人系ベンチャー企業で新規事業開発やM&Aに携わり、楽天に転職して引き続き事業開発をやってきました。2011年に転職して今に至ります。社会人として働いた28年のキャリアの中で、大体20年くらいは事業開発に携わってきたキャリアですね。

ーーかなり長く事業開発に携わられている印象ですが、元々ご興味がおありだったのでしょうか?

足立:学生時代から、人と違うことをしたいという意識は強かったかもしれません。だから大学も海外に進学し、新卒で就職した頃は他の新卒の中では少し浮いていて(笑)

そういった尖っていた部分があったかもしれませんね。それが理由かはわかりませんが、決まったことを皆でやるような仕事よりも、「新しいことを始めるから手伝って」と仕事を振られることが多かったように思います。

自分が望んでずっと事業開発をやっているというよりは、プロジェクトの立ち上げが終わったらまた別のことが起こってそちらに注力する、そんなことの積み重ねのキャリアだったように思います。

ーーなるほど。協働日本に参画されたきっかけについてもお伺いできますか?

足立:コロナ禍で環境が変わり、振り返る時間ができたので、自分のキャリアを今後どうしようかと考えたんです。社内のプロジェクトでの事業開発というのは、基本的に会社の事業領域内のことにしか携われないじゃないですか。一方、世間的には事業開発の経験について一定のニーズがありそうだと感じていたので、この経験やノウハウを社外でも活かせないかなと考えていました。

そんな時に、楽天時代の後輩である小谷克秀さんが協働プロとして活動しているという話を聞いて面白そうだと思い、協働日本代表の村松さんを紹介してもらったことがきっかけです。

村松さんから、「今の日本では、地方の企業にこそ大きな可能性があるが、リソースが不足している」という状況を聞き、ここでならこれまで自分が携わってきた、事業開発領域のノウハウを必要としている方に還元できる上、自分自身も新たな事業領域にチャレンジできると考え、参画を決めました。

研修プログラムを経て参加者に生まれた、大きな成長に感動。

ーー続いて、足立さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて教えてください。

足立:これまで3つのプロジェクトに携わっています。

1つは、金沢で数多く宿泊施設を運営している株式会社こみんぐると協働日本が共同開発した、短期集中型で経営課題に向き合う合宿型研修『Workit』の講師。

2つ目は都市部の企業のミドルマネジメント層の人材研修。

そして3つ目は『経営リーダー育成プログラム』で事業開発のメンタリングを担当させていただきました。

ーー足立さんには地域企業への伴走だけでなく、協働日本の提供する様々なプログラムの設計や運営に携わっていただいていますね。それぞれ詳しくお話を伺えますか?

足立:はい。今お伝えした、『Workit』という合宿型研修は、金沢の地元企業と都市部の企業の若手社員がチームを組んで、3日間の経営課題に取り組むというプログラムです。

「机上の空論」ではない、リアルな場であることが特徴ですね。実際に現場に足を運んだり、ファクトを取りに行って、3日間寝ずに取り組むくらい企画に没頭するんです。そうやってできた「リアルな企画」を、最終日に社長に向けてプレゼンしてもらいます。出来上がった企画には、地元企業のメンバーの持つ経験や知識だけではなく、都市部メンバーのノウハウや知恵も注入されています。

全然違うバックグラウンドを持つメンバーが集まるので、私たち講師陣がファシリテートし、軸がぶれないようにサポートしていきます。そうすることで3日間の間に企画はグッとまとまっていきます。初日と最終日の参加者の変化には、毎回感動します。

ーー具体的な変化についてもぜひ教えてください!

足立:特に地元企業側の方の中には、頑なに殻に篭ってしまう方がいらっしゃるんです。多くは、ずっとその企業に勤められている方ということもあり、思考が凝り固まり気味で、初日は新たな思考で進むのが難しい状態なんです。

ところが、3日間の都市部の人材とのコミュニケーションを通じて、柔軟に意見を聞けるようになったり、活発なディスカッションができるなど、ぐんぐんとレベル感が上がっていきます。

「県外の人にはどうせ分からないだろう」「たかが研修で何が変わるのか」とやや消極的な雰囲気だったのが、「本当に自分たちの会社をどうにかしていきたい!」と前のめりな姿勢に変わっていく。これはほぼ毎回見られる大きな変化、成長ですね。

そういった部分も踏まえて、『Workit』はすごくいいプログラムだと思っています。参加者の皆さんの短期間での変化は、ご本人たちにも実感や達成感を感じていただけていると思いますが、我々運営側としても、やってよかったという達成感を得られるプログラムです。

3日間の研修を終え、4日目以降それぞれの立場に戻った時に、この変化をどれだけ維持できるか、活かせるようになるかという部分へのアプローチは、まだ試行錯誤しているところですが、研修期間の3日間はとても満足感が高く、全員にとってプラスになるプログラムだと思っています。携わらせていただけること自体も私にとって大きな学びになっており、とてもありがたいです。

ーーありがとうございます、協働日本としても嬉しい限りです。続いてミドルマネジメント層の研修についてはいかがでしょうか?

足立:またあるときは、都市部の大手IT企業のミドルマネジメント層に向けた研修を担当しました。

「言われたことをこなすだけの開発ベンダーでは、この先生き残っていくのは難しい」という視点を持って、依頼を受けたことだけをやるのではなく、顧客の状況を見て、「こちらから積極的な提案ができる人材を育成したい」という明確な目的のもと実施した研修でした。

次期部長候補の方達8名に向けて、3ヶ月の間、自らお客様のことを学び、ファクトを取って提案・企画をして動ける人材を育てるためのメンタリングを担当させていただきました。参加者には、顧客企業の業務内容・課題などを徹底的に調べてもらい、見えてきた課題に対してどんなものを提供できたら、顧客のさらなる成長に貢献できるか?という視点で、経営企画的な目線を持って提案するということに挑戦してもらいました。

経験を重ねてきた大手企業のミドルマネージャーの方達が変わるのはなかなか大変です。お話をしていても、自ら壁を作って「できない前提」で物事を考えている方も多かったんです。

そこで、プログラムの中でまずは顧客のことを知るため、目や耳でファクトを取ってきてもらいました。その上で自分たちに何ができるか考え、一緒にブラッシュアップしていくと、その壁も徐々に取り払われていき、実際に提案できる形になってきたんです。

例えば、社内インフラを統一するとコストダウンできるという提案などは、これまで通り先方から依頼を受けた作業をこなす中では辿り着けない、顧客も気づいていない本質的な課題を解決するための提案になっていきました。

3年くらいの中期的なロードマップも作って、研修後には実際に企業へ提案もされたようで、実践で活かしていただけるようにもなって非常に良かったと思っています。

ーー3つ目は山岸製作所様との「経営リーダー育成プログラム」ですね。

足立:はい。「経営リーダー育成プログラム」では、山岸製作所の営業・経営企画の専任マネージャー、奥永さんのメンタリングを担当しました。

プログラムは大きく前半と後半で違うことをしていたのですが、まず前半のパートでは山岸製作所の価値や課題を本質的に考え抜くセッションを実施しました。経営者の視点から山岸製作所における事業開発を考えてもらい、後半のパートでは、実際に考えた事業を進めていくためにどうすれば良いか?という実践に向けたセッションを行いました。週に1回オンラインの伴走プログラムで、前半のメンタリング担当は協働プロの藤村昌平さん(協働日本CSO)、後半を私が担当した形です。

後半のセッションでは、前半のパートで絵に描いた「やりたいこと」を、明日からやれと言われたら実践できますか?どうやっていけば良いか?ということを徹底的に考えていきました。

例えば、奥永さんのやりたかったこととして「家具を売るだけではなく、人の生産性や採用にもプラスの影響が出るオフィスを作るためのコンサルティングをしたい」というテーマが出てきました。そこで、改めて「コンサルとは?」と考え、マーケットが本当にあるのか、顧客ニーズは?どうやってサービスを提供するのか……など、30個ほどのタスクを洗い出し、半年かけて1つ1つ整理しました。最終的にはROIまで出して3ヶ年分のプランニングを作り、山岸社長に提案されたんです。

伴走する中で特に印象的だったのは、1年間のセッションを通じて奥永さんの山岸製作所への想いが自分ごと化されていったことです。奥永さんは元々とても真面目で、目の前の顧客に向き合うことに長けた方でした。一方で、仮説立てやプランニングに苦手意識を持っていらっしゃいました。

事業を1つ進めるために多面的な情報が必要であるということや、事業に関連したリアルなタスクを通じて、仮説を積み上げていき、新しい視点を持って素晴らしいプランニングができるようになられていました。

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日本の未来を担う「変化したい経営者」の相談窓口になりたい。協働日本がきっと変化の起爆剤になる。

ーー協働の中で足立さんご自身の変化を感じることはありますか?

足立:変化は如実にあったと感じています。これまで自身の仕事の中では、結果を出すことばかりに注力してきたことが多かったのですが、協働の中で、成果に至るプロセス、思考、考え方など、結果の手前の部分もとても重要だと改めて気づかされました。

その気づきがあって、現業のチームメンバーに対してとても寛大になったと思います。成果に至るプロセスの重要性については、私もどこか忘れてしまっていたというか。これまで感覚でやってきていたところがあったので、思考のプロセスを言語化し、可視化、体系化していくということをしていなかったんです。自分にとって当たり前になっていたことも、改めてやっていくことが重要だと思いました。

また、世の中には変化に敏感な、「変わっていかないといけない」という危機意識を持った地方の中小企業も想像していたよりずっと多いと気づきました。私らの持つノウハウを提供することで、双方にとって更なる発展に繋げていきたいと想いを強くしました。

ーーなるほど。今のお話に通ずるところもあるかもしれませんが、足立さんはこれから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

足立:コロナ禍を経て、オンラインで完結する仕事の方法が定着し、地域の垣根を超えたコミュニケーションが容易になりました。情報格差もなくなっていく中で、都市部・地方にかかわらず、現状を変えたい・変わりたい・新しいことをやりたいという経営者の方ともっと出会いたい、協力したいと思っていますし、同じ志を持った方を増やしたいですね。


また、協働日本の伴走支援では必ず伴走先の企業の担当者の方に自ら手を動かしてもらうようにしていて、そのやり方にとても共感しています。

協働プロメンバーが担当者の代わりに調査したり考えたりすることは言ってしまえば簡単なことなんですが、それでは協働が終わった後にノウハウは何も残らないですよね。
失敗も良い経験になりますし、トライアンドエラーの積み重ねで、協働先の皆さんと協働プロとの絆や結びつきも強くなる。そうやって同じ目線で事業に向き合う同志を増やしていく、橋渡しのような役目こそ、担っていきたいと考えています。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

足立:今後、労働力の減少や経済の先細りが予測される中で、今の日本の企業にできることは、変化していくことだと思っています。その変化を作るきっかけこそが「協働日本」ではないかなと。日本中の、「変わりたい企業」の相談窓口や起爆剤になっていくと思っています。

困ったことがあったら協働日本に聞いてみようかなと思ってもらえるような輪を広げていくことが、今後の日本を支えるのではないでしょうか。

凝り固まって動けずに衰退してしまうのではなく、変化することでそれをブレイクスルーしていける。そんな変化を、協働日本で作っていけるのではないかと思っています。

メッセージとしては一言、「みなさん一緒に頑張りましょう」!(笑)

これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

足立:ありがとうございました!

足立 紀章 / Noriaki Adachi

(株)ベネフィット・ワン 執行役員 購買精算事業担当
米国大学卒業後に帰国。1995年に(株)パソナへ入社。主に外資系企業向け採用コンサルタントとして従事。 その後、ベンチャー企業の立上げに拘った後、楽天(株)にて複数の新規事業立上げに携わる。 2011年に(株)ベネフィット・ワンへ入社。 執行役員サービス開発部長や子会社設立から代表取締役社長を4期務める。 その後、全体統括でのデジタルマーケティング、事業推進/アライアンス戦略担当を歴任。 2021年より購買精算事業担当として新たなB2Bモデルの立上げを軸にスケールアップを推進中。

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VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

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VOICE:永田 陽祐 氏 -地元や、地元のために頑張る人たちのために、等身大の自分で貢献したい。

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本のIPPO事業でコーチングを行う永田 陽祐氏のインタビューをお届けします。

永田氏は、スコットランドの大学院に留学後、商社を経て組織開発のコーチングを行なって来られました。現在は故郷の奄美大島と東京で二拠点居住を行いながら自身の事業運営とコーチングの両方に従事しています。

永田氏がIPPOのコーチングに参画したことで生まれたクライアントの変化やご自身の変化、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

東急百貨店で奄美大島のモノづくりと文化を発信するイベントを企画

いつか地元・奄美大島に貢献したいという想いと、異文化な環境で働く中で見つけた「自分のやりたいこと」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、永田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

永田 陽祐氏(以下、永田):はい、よろしくお願いします。

今現在は東京と故郷の奄美大島で二拠点生活をしながら、コーチングの仕事を行いつつ、奄美大島では宿泊施設、カフェバー、空き家問題対策事業などを行う会社を経営しています。

私の実家で伝統工芸である大島紬を作っていたこともあり、以前は、将来的に海外で大島紬を売ってみたいという想いを持っていたんです。そんな夢もあったので、東京の大学を卒業した後はスコットランドの大学院進学し、パブリックリレーションズ(企業がステークホルダーとのコミュニケーションをマネジメントする領域)を専攻しておりました。帰国後はじっくりと将来について考えたかったので、1年半ほどアイリッシュパブでフリーターをしながら自分が本気でやりたいと思える仕事を探していました。

ーーなるほど。そこからどのような会社を選ばれたのでしょうか。

永田:海外でビジネスをしてみたいという気持ちや、大島紬に関連する事業を作りたいという想いから総合商社に興味を持ち、三井物産株式会社のファッション繊維事業部に入社をしました。入社2年目の頃、当時の上司に「大島紬を販売できないかチャレンジしたい」と相談したんです。その時上司には「永田の想いはわかったが、本当に地元の方達も同じ想いかどうか、まずは奄美大島へ行って聞いてこい」と言われ。ありがたいことに人生の初出張は奄美大島でした。織元さんを回って色々と試みたのですが、暖かい協力をいただきいながらも完全に自分の実力不足で事業化できず挫折してしまいました。

その後、今度は社内の留学・駐在制度を活用してブラジルに行くことになります。

ーーブラジル!また違った文化に飛び込むことになったのですね。

永田:そうですね。ブラジルでは、今の私のキャリアのきっかけになる出来事がありました。
初年度はひたすらポルトガル語を勉強して、2年目からは出資先の企業に出向して経営補佐や営業として働きました。ものすごく田舎の地域だったんですが、仕事が終わって現地のブラジル人達とわいわい飲んで過ごす生活はとても刺激的で。

その生活の中で印象的だったのは、仲間のブラジル人達がみんな活き活きしていることでした。彼らはみんな、将来何をやりたいかが明確で、今やってることがそこにどう繋がってくか、つまりなぜこの仕事をしているかっていうことを言語化できていたことに気づいたんです。

 その時に、自分はこれまで、様々な文化圏の人たちと会話をしながら価値観や生き方について触れる中で、「じゃあ自分は何をして生きていきたいんだっけ」と考える機会に恵まれていたのだと実感しました。同時に、そのような異文化に触れて刺激をもらうような経験は、少なくとも私が奄美大島にいた時には得られなかったということにも気づきました。そこで、奄美大島にいながらそのような経験ができる場を作り、ブラジル人のように「何をして生きていきたいか」言語化できている人を増やすことが、等身大の自分にできる、自分らしい地域貢献の方向なのではないか?と考えるようになりました。

また、色んな国の人とプロジェクトを進める中で、やっぱり組織の中にモチベーション高く主体的に動く人がいないことには、どんなに優秀な人が揃ってても事業は進まないということも、身をもって感じたんです。

帰国後、いろんな人と話したり調べ回ったりする中で、個人に対しても、組織に対しても、その「主体的に働く人を増やす」ための手段としてコーチングという分野があることに辿り着き、パーソナルコーチングと、組織に対するコーチングへの興味が沸き始めました。日本に戻ってきてから実際に自分もすぐにコーチングを受けてみて、面白いと感じ、引き続き三井物産で働きながら、CTI JAPANでコーチングを学びました。将来自分が独立することを考えた時、どの事業を行うにしても自分がハンズオンで携わりたい領域がコミュニケーションとマネージメントだと気付き、本格的にコーチングの道へ進むことにしました。

商社を離れて株式会社コーチ・エィという組織開発のコーチングを手がける会社に転職しました。経験を積ませていただく中で、故郷の奄美大島に貢献したいという想いはずっと持ってはいたのですが、ある日コーチングを受けた際に、「いつか地元に貢献したいと言いながら会社員として生活し続けることが、結局は今の永田さんの本当にやりたいことなんじゃないですか?」というフィードバックを受け、グサっと刺さりました。恥ずかしいぐらい、その通りだと思ったんです。「いつかやる」と言い続ける状態を心地良いと感じている自分に気づかされました。。それがきっかけで、これではいけない、行動しなくてはと思い切って独立しました。

独立し、ブラジルで交流を深めた三井物産時代の仲間と共に、奄美大島にen- Hostel & Café barという宿とカフェバーを開きました。アーティストさんや、バックパッカー、スタートアップの社長などの旅行客と地元の方々が交流をする空間を目指しており、そこから派生した様々な事業にもチャレンジしています。そして東京では引き続き個人や組織のコーチングやキャリアコンサルタントをするという、二拠点生活が始まりました。

永田氏の運営する en- Hostel & Café bar

経営者の孤独に共感しながら、行動変革に繋げる。

ーー続いて、永田さんが協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

永田:協働日本代表の村松さんとの出会いは、共通の知人が、村松さんを紹介してくれたことでした。村松さんは協働日本の案件でよく鹿児島にもいらっしゃっていましたし、村松さんを奄美市長にご紹介して一緒にお食事をするなど、交流を持たせていただきました。

協働日本のIPPO事業で、コーチとして力を貸して欲しいと大変ありがたい打診をいただいて、すぐに参画を決めました。自分も地方で起業した経験があるからこそ、地方の経営者の苦しみが分かる部分もあるので、そういう人たちに貢献できるようなコーチングに力を入れていきたいと思ってる時にお声がけをいただいたというのもあり、良いタイミングでもありました。

あとは単純に、村松さんのお人柄と志が大好きで(笑)本当に素敵な人だと思っているので、もう是非一緒にやりたい!と思ったのも大きな理由です。

ーーありがとうございます。これまでのコーチングについても、詳しく教えていただけますか?

永田:

IPPO事業でのコーチングという意味では、これまで15名ほどの方を担当させていただいています。石川県金沢市の山岸製作所さんや、上場企業のバリュエンスホールディングスさん等複数の企業様の、主に経営層の方のコーチングに携わっています。

私自身もオーナー社長なので共感していることも多いのですが、特にオーナー社長さんにコーチングをしていて特徴的だと感じるのは、会社のパーパスと個人のパーパスがほぼ100%一致しているということです。主語も「会社」と「自分」が話しながら入れ替わっていたりします。

なので、もう根っこから会社に主体化している状態です。そうすると、会社のパーパスに賛同してくれていなかったり、主体的に働いていないメンバーの気持ちをとても理解し難いし、「同じ船に乗ってくれない」と感じるメンバーがいると、単純にとても寂しいんですね。自分はこんなに会社をよくしようとしているのに、なんでだろう?と。一方で、社長としての信頼やイメージもあるので、その感情をぶつけるわけにもいかず、悩んでいる方は本当に多いです。

ーー確かに、どうやったらメンバーに想いが届くのか?と苦戦されている経営者の方は多いですよね。

永田:社長になるということは「飛行機のコックピットに座ること」に似ていたりします。色んな苦労をされながら、周りの意見を聞きながらようやくそこにたどり着いたのに、いざ座ってみるとそこで発する自分の言葉は全て機内アナウンスみたいにオフィシャルな言葉として受け取られてしまうし、これまで大切にしてきた周囲の声も、コックピットに入ると聞こえなくなってしまう。「経営者は 孤独」というのは、本当にその通りなんだろうと思います。

実績を残してきた優秀な方にこそ、磨いてきた「マイルール」や「絶対にこれが正しい」と疑わないものってあると思います。でもその絶対正しいと思っていることは、本当に今この状況でこの相手に対しても「絶対に正しい」のか。実はそれこそがブラインドスポットを作っていて、本当に変えるべき自分の側面を隠してしまっているかもしれなません。そういうことに一緒に向き合うのが、私がやりたいコーチングです。
例えば、過去のクライアントさんでも、「1対1だとフラットに喋れるが、1対多になった途端、 ついファイティングポーズを取ってしまう」という方がいらっしゃいました。深ぼって考えていくと、その方には「強い経営者像でいなければならない」という焦りがあり、そして「強いリーダーでいなければ信頼されなくなってしまう」という不安がありました。「簡単に意見を曲げたり撤回したりすると、信頼されないんじゃないか」という不安が、「話を聞かないリーダー」という印象を与え、結果として最も得たいはずの「信頼を得る」というゴールから自分を遠ざけてしまっていました。その方の場合は、「リーダーは強くあるべき」という前提が、ブラインドスポットを作っていました。セッションでは、その前提を言語化した上で、「改めて何をしていくのか」を会話していきます。

経営者は影響力がとても大きいので、 セッション中の気づきがそのまま組織や経営チームに影響を与えて行ったりします。そんな変化をライブリーに見られる瞬間が、自分のコーチとして存在意義を実感できる瞬間でもあって、いつも気が引き締まる思いでいます。

起業する方々に向けた「創業期のパーパス」に関するワークショップ

自分の経験がコーチングの幅を広げていく。コーチも「挑戦し続けるプレイヤー」

ーーIPPOコーチングの中で永田さんがご自身の変化を感じたり、気づきを得たことはありますか?

永田:実は今まで個人事業主として受けてきたコーチングのお仕事も、今年から法人化しようと思っているんですが、それは、IPPOでコーチングをしていく中で新たに大事にしたいことが1つ出来たことがきっかけです。

それは、「コーチも挑戦し続けるプレーヤーであるべき」ということです。

一般的には、コーチングは”ティーチング”ではないので、クライアントと同じような経験をしていなくても良いと言われます。つまり、コーチングのプロであることが重要で、経営者のコーチングをするために、自分自身が経営者である必要はないということです。これはある意味では本当にその通りだと思います。共感をしすぎたりアドバイスをすることがコーチの仕事ではないので。
しかし、IPPOコーチングで地方の経営者と話をしていて僕自身「その気持ちわかる」と思った時に、敢えてそれを真っ直ぐに自分の言葉で伝えてみると、それがフックになって、「そうなんです!さらに乗せると〜」と深まったり、「それとは少し違うのですが自分の場合は〜」と言語化のきっかけになるケースが多々ありました。そのような、自分のプレーヤーとしての経験を通してのフィードバックは、一気に対話を深いところまで持っていく力があると思います。

そう思った時に、自分のプレーヤーとして挑戦しながら得ている感情や気づきをも自分の大切なリソースとしてコーチングに発揮していって良いんじゃないか?という気づきに繋がりました。

とすると、起業していることや、地方出身であることや、海外で異文化コミュニケーションに悩んだ経験など、全て自分のリソースとして活用できるし、挑戦し続ければコーチングの幅も広がるのかもしれません。

ーー最初にコーチングに興味を持たれたときに「等身大の自分で貢献できることでは」とおっしゃられていたところにも繋がりそうですね。

永田:そうですね。結局、コーチングも人と人だよなと。コーチはエゴとプライドを脇に置くべきだという言葉を聞いたことがあるんですけど、私は今までエゴとプライド脇に置けている人にほとんど会ったことないので(笑)”ある”ことが前提でもいいんじゃないかって思うんです。そう開き直ることが、私にとっては”等身大”に感じています。


それに、他事業での経験を等身大のままコーチングで活かせると考えると、これこそ協働日本の強みであるようにも感じます。協働プロやコーチはご自身の事業領域で挑戦されている人ばかりですし、そこで悩めば悩むほど、IPPOコーチングが深く充実していくのではないでしょうか。

協働日本が、地方の枠を飛び超えて、企業や若者の可能性を引き出せる存在になれたら面白い。

ーー永田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

永田:引き続き、「地方のために、地元のために」と挑戦している方に対し、尽力していきたいです。

自分自身の経験も活かしながら、少しでも本心からやりたいことの実現に向けて行動する人を増やしたり、目標とする組織風土の実現に向けた個の変革や、組織内のコミュニケーションを活性化させるためのコーチングをしていきたいです。

そのためにも、やはり自分自身を アップデートし続けることが重要だと思うので、一生学習者というスタンスで、どんどん新しいことにチャレンジして、うまくいった、ダメだったと悩み続け、 経営者としてもコーチとしても成長していきながら協働日本さんに関わっていけたら大変ありがたいです。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

永田:本当に素晴らしい取組だと思いますので、コーチングの領域ももっと広がっていけば良いと感じています。経営者・管理職だけでなく、役職についていない方が早い段階で自分自身のパーパスを描くことにも関われれば、例えば採用後のオンボーディングをサポートするなど、様々な領域でクライアント企業様のお力になれるのではないでしょうか。

また、クライアント様は地域に根ざした企業ばかりですので、協働日本さんは企業へのサポートを通して地域を活性化し、日本を地方から元気にするような推進力に、今後更になっていかれるのだと想像いたします。そのようなワクワクする取り組みに関わらせていただいている事が大変ありがたいですし、私自身も挑戦を続けながら、その一助になれれば幸いです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

永田:ありがとうございました!

永田 陽祐 / Yosuke Nagata

(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルマスターコーチ
en- Hostel & Café bar代表

2010年 早稲田大学 政治経済学部卒業
2011年 University of Stirling (英国スコットランドの大学院)Strategic Public Relations & Communication Management修士課程修了
2013年 三井物産株式会社(東京本店→ブラジル駐在)
 アパレル領域の法人営業→ITスタートアップ企業への事業投資担当→モビリティ領域の新規事業開発
 ブラジルに留学→出資先鉄鋼加工企業にて社長補佐兼営業スーパバイザーとして駐在
2019年 株式会社コーチ・エィ(東京)
 上場企業の経営者や管理職に向けた1on1コーチング及び、組織開発プロジェクトに従事
 主に中南米市場の市場開拓に従事
2021年 独立し、現職

永田 陽祐氏- Instagram

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En- Hostel & Cafe bar- Instagram

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VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 ―「事業づくり」と「人づくり」の両輪―


VOICE:松尾 琴美 氏 -食を通じて、皆の幸せを実現する。ワクワクして前に進めるきっかけ作り-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で食のプロとして地域企業の伴走支援を行う松尾 琴美氏のインタビューをお届けします。

都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーを担当。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら、買いつけから商品企画開発までを担う松尾氏。

松尾氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

地方に眠る「日本のものづくりのフィロソフィー」の伝道師 

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、松尾さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

松尾 琴美氏(以下、松尾):はい、よろしくお願いいたします。
現在は、都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーとして働いています。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら商品の買いつけを行い、そこからの商品企画、開発と一連の流れを幅広く担っています。

ーーありがとうございます。ご自身で食材の買い付けまで行っていらっしゃるのですね。食品に携わるキャリアはもう長いのでしょうか?

松尾:キャリアとして今は2社目、働き始めてもう10年ほどになります。最初はデザイン業界で働いていて、地方に眠る日本の伝統的な技術を発掘して、日常生活でも使っていただけるような商品に落とし込んだ自社企画品を海外の専門店や美術館、トップブランドなどに販売するという営業の仕事をしていました。ものづくりのフィロソフィーを日本人代表として売っていくこの仕事にはとてもやりがいを感じていました。ただ、会社が大きくなっていくにつれて、品物もニッチなものからよりマス向けになっていったりと、「ものづくりのこだわり」のような面白さが少しずつ薄れていってしまった感じがあったんです。そんな時に、仕事でお世話になっていたデザイナーの方から、今の会社のバイヤーのポジションが空いていて、合うと思うけどどう?と誘っていただいたことがきっかけで転職しました。

食品を扱うようになって感じたこととして、「食品」は人の生活に一番身近なものだなということです。前職で取り扱うものは、どちらかというと「嗜好品」で、より生活を豊かにするためのものでした。でも食品というのは、人の生活から切り離すことはできません。辛い時・悲しい時でも、食べないことには生きていけませんよね。辛い時でも温かいものや美味しいものを食べると、少しでもほっとできる…美味しいものを食べて不幸になる人はいません。そんな食べ物の持つパワーを感じて、この仕事を続けています。

協働パートナー企業の店舗にも足を運び、議論を交わす

ーー続いて、松尾さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

松尾:四十萬谷本舗の専務、四十万谷正和さんから紹介いただいたことがきっかけです。
10年間、バイヤーとして様々な地域を飛び回って色々な地域の資源を見てきました。その中には自社商品との相性などから、直接取り扱うことができない、ビジネスとして形にすることができなかったものもたくさんあったんです。知識やスキルが身についてきた実感がある一方で、それを活かし切れていないという思いがあったので、会社の中ではない別の場所や方法で活かせないか?と考えるようになっていました。

私は、金沢に大学の同級生も多くご縁が深くて、金沢エリアの若手経営者ともよくお会いして食事をすることがあったんです。そんな中でお付き合いのあった四十万谷さんにこの話をしたところ「ドンピシャで思い当たるところがあります」と言われてご紹介いただいたのが協働日本代表の村松さんでした。

ーー初めて協働日本の活動の話を聞いた時はどのように思われましたか?

松尾:率直に言うと、ポジティブさの溢れる会社だなと思いました。とても面白そうだけれど、具体的にどんなことをするのかというイメージは湧いていませんでした。それでも、協働という形で複業人材の活用をされている企業さんは多くなさそうですし、チャレンジしてみたら面白そうだなという思いで参画を決めたというのが正直な所です。

また、協働日本への参画を決めたのと同時期に、他の個人での仕事も受けるようになりました。自分にとって2023年はチャレンジの年でした(笑)。動き出した時には、「こんなことなら自分にできそうだな」となんとなく思っていたのですが、副業や協働日本での活動などの経験を通じて、自分は何者なのか?という輪郭がはっきりしてきたように思います。

自分にとっての「当たり前」が、誰かの気づきになる、複業人材の有効性。

ーー続いて、松尾さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

松尾:現在二社のプロジェクトに参画しています。一社は株式会社味一番フードさん、もう一社は株式会社ネバーランドさんです。

味一番フードさんは、石川・富山で、自家製麺の飲食店を経営されている会社さんです。今回は「新規事業を作りたい」というテーマで協働プロジェクトがスタートしました。協働プロとしては、枦木優希さんと一緒にチームを組んでいます。新規事業を作りたいものの、まずは何をやろうか?というところから皆で考えていく必要があったので、最初は味一番さんの持つ強み、得意とすること、やりたいこと、課題など時間をかけてじっくりヒアリングしていき…実際にお店や、セントラルキッチンの様子を見に視察に伺ったりしながら、できそうなことを3つくらいに絞っていきました。

その過程で、自分がこれまで当たり前に行っていた商品開発のための思考のステップを、パートナー企業の担当の皆さんが初めて経験されていることを目の当たりにしました。確かに、ずっと商品開発に携わってきた私にとって習慣になっていることでも、商品開発を初めて経験される地方の中小企業の方にとっては新鮮な気づきや考え方になるんだと思うと、改めて、地方の企業による外部人材の登用は有効だと感じました。

ーー確かに、誰しも経験の中で知識やノウハウを得ていきますものね。

松尾:そうですね。例えば、商品開発するにあたって「誰のための何なのか」という軸はとても重要です。アイディアベースで、思いついたことをあれもいいね、これもいいねと作っていくと、最終的に目的がブレてしまいます。

確かに大変で面倒な部分もあるのですが、一番最初にこのコンセプトの軸を突き詰めておくと、その後どんな商品の形にするか?などデザインやその後のプロモーションまでの骨格になるのでスムーズです。

これも経験してこそ重要性がわかることですよね。
味一番の皆さんとは温度感も近くて、毎回楽しく進んでいました。今回の伴走で皆さんが実感を持って商品開発の一連の流れを経験してくださったことでスキルが身につき、次回以降に自力で商品開発をする際に活かしていただくことができるのではないかなと思っています。

ーーまさに、最初の経験に伴走して、自立に繋げるという協働日本のスタイルですね。ネバーランドさんのプロジェクトはいかがですか?

松尾:ネバーランドさんは、鹿児島県長島町で養殖されている「茶ぶり」を1つのキーにして「世界に羽ばたく飲食店ブランド」として鹿児島市を中心に活躍されている会社です。今回のプロジェクトは、長島町からの依頼を受け、ネバーランドさんと一緒に地域活性化に繋がる新規事業や商品開発を行っていくというものです。こちらでは、協働日本CSOの藤村昌平さんと枦木さんの3名でチームを組んで伴走支援に当たっています。

現在は長島町に多く群生している国産ハーブ「アオモジ」を活用した商品開発を進めているところです。

ーー「アオモジ」初めて聞きました!

松尾:アオモジは、元々は長島町で街路樹などとしても植えられていたもののですが、一般社団法人和ハーブ協会という団体の方が町に来た時「国内でこんなにアオモジが植っているところはない、とても貴重なものですよ」というお話があったそうなんです。そんなに価値のあるものなら、何か町の特産として使えないか?ということでこのプロジェクトがスタートしています。

はじめは私も、どんなハーブなのかわからなかったんです。商品開発にあたって、どういう料理に使えるんだろう?と色々調べてみると、実は中華料理や台湾料理で使われる「マーガオ」というスパイスの別名だということがわかりました。このマーガオは数年前に流行していて、様々な特集やレシピも見つけることができました。
すでにマーガオを使ったクラフト焼酎を作られている方が鹿児島県内にいることもわかり、皆で試飲してみるなど、商品化に向けて情報を集め検討しています。

長島町に群生する、貴重な国産ハーブの「アオモジ」

複業人材との協働の中で見えた、自分の「プロフェッショナル」

ーー食品系の商品開発をされている松尾さんの強みを活かして活躍いただいていますが、協働の中でご自身の変化を感じることはありますか?

松尾:協働を通じて得た気づきは大きく2つあります。1つは、先ほども少し触れましたが、自分のスキルや強みが明確になってきたことですね。

ベンチャー企業で働いていると、自分の役割はあれこれ多岐に渡るので、自分は何のプロフェッショナルなんだろう?という自覚が湧きにくいんです。

ーー確かに、本業でも買い付けから商品企画・開発まで色々なさっているとおっしゃっていましたね。

松尾:そうなんです。でも、協働を通じて見えてきた自分の得意領域は「商品開発」、そして「食品」のプロフェッショナルなんだということが見えてきました。先ほどのアオモジとマーガオが同じハーブ、という気づきについても、食品目線で調理法などを調べていたことで見えてきた情報でした。こういった「発見」を通じて、「食」に関しては誰よりも強いんだ、という自信につながりました。視点の持ち方、ものへの理解や広げ方…10年間極めてきた「食」についてなら任せてほしいと思えるんです。協働プロのチームはメンバーそれぞれに得意分野があって、役割があります。誰も気づかなかった情報にも、自分の職の切り口からチームに貢献できた。自分もきちんと役割を担うことができるということは嬉しいですね。

味一番さんのプロジェクトでは、マーケターである枦木さんとのチームなので、枦木さんがブランディング、私はもっと商品開発の骨格部分を作るような役割分担。ネバーランドさんのプロジェクトでは、0→1の事業開発を藤村さんが、そしてやっぱりブランディングやマーケティングを枦木さんと私という分担でプロジェクトに当たっています。

普段は会社を超えて誰かとチームを組んで仕事をすることがあまりないので、それぞれのメンバーの得意分野の考え方や仕事の仕方は新鮮で、勉強になるんです!
伴走支援をしているけれど、私にとっても学びになっていて、すごく楽しめています。こういった、他者との協働の中で受ける刺激や学びが、得たものの2つ目ですね。

協働の中で、「あ、自分はこの分野についてはプロなんだ」だったりとか、「本当にこういう仕事が好きなんだな」みたいなところが、浮き出てくる、炙り出されて、自分のスキルが整理されていく感覚があります。こういった自分にとっての気づきがあるからこそ、仕事としてやっているのに勉強にもなっているのだと思います。

地域の魅力を引き出し、人も地域も元気にできるプロフェッショナル集団。

ーー松尾さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

松尾:どこまでいっても私の好きなことや得意なことは「食」に関することです。美味しいものは人を幸せにできる。どんな時でも、美味しいものを食べることが前を向くきっかけになることもある。そういう、食を通じて人の幸せに直結する仕事を続けていきたいなと思っているので、協働日本でもそんな活動をしていきたいなと思っています。

食を通じて人をワクワクさせたり、幸せを実現していくことが自分にとってのやりがいです。

ーー松尾さんにとっての仕事のテーマなんですね。そのように思うようになったきっかけはあるのでしょうか。

松尾:はい。きっかけは、3.11の震災復興支援の一環でずっと携わっている、「女川のさんまのつみれのスープ」です。宮城県女川市は、津波の被害がひどかった地域の1つです。3日間くらい孤立状態にあって、電気もなく、連絡もつかず、食べるものもない、生き残ったわずかな人たちで身を寄せ合っていたと聞きました。そんな時に、ある水産会社の方が自社の倉庫から、加工して保管していた「さんまのつみれ」を見つけたのだそうです。

調味料もなく、ただのお湯にさんまのつみれを入れただけのスープを作って皆で食べて──ほぼ味もないスープでしたが、「あったかい」というだけでほっと心が安らいだんだそうです。

あれだけの極限状態でも、食べ物に人を癒す力があったんだ、と実感しました。それ以来「美味しいものがあれば人は前に進める」と、食を通じた人の幸せの実現に向けて使命を感じるようになりました。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

松尾:協働日本は、柔軟にその地域に入りこみ、寄り添いながらその地域の魅力を引き出し、人も地域も元気に出来るプロフェッショナル集団だと思っています。集まっている協働プロは、経験豊富な方が多いので、パートナー企業からの「困ったこと」の相談があった時、それぞれの分野のプロフェッショナルがすぐにアサインされます。こんな組織、なかなかありません。

私は、地方の方が面白いものがたくさんあると考えているんです。様々な技術や資源が眠っている地方と、東京のスキルが掛け合わされることで、もっと面白いことが生まれるのではないか?それこそが「協働」じゃないかな?と。

これからも協働を通じて、もっと面白く、日本全国の地域が活性化するような取り組みを、皆でできたらいいなとと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

松尾:ありがとうございました!


松尾 琴美 / Kotomi Matsuo

コピーライターの父と、料理好きの母のもとに育つ。幼いころから語学に興味を持ち、高校時代にアメリカへ留学。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、日本のものづくりをベースとした、デザイン雑貨の企画/開発を行うイデアインターナショナルに入社。海外事業の立ち上げに従事し、アメリカ/ヨーロッパを中心としたマーケットの開拓を行う。

その後、新たなもモノ作りの分野に挑戦したいと現職に従事。バイヤーとして全国の産地に足を運びながら「美味しい」にとどまらないストーリーのあるモノづくりを目指し、食材の買いつけから商品企画開発まで幅広く手掛ける。

食のサステナビリティに強い興味を持ち、2023年よりChefs for the blueへ参画。

松尾 琴美氏も参画する協働日本事業については こちら

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VOICE:たかはし じゅんいち 氏 -パートナーの想いを形にする、「一歩先の写真」を追求-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でビジュアルクリエイティブのプロとして地域企業の伴走支援を行うたかはし じゅんいち氏のインタビューをお届けします。

世界的なフォトグラファーとして活躍されているたかはし氏。協働日本では協働プロとして、パートナー企業の新しいビジュアルクリエイティブに携わり、「本当に見せたいもの」を共にビジュアル化する活動をされています。

たかはし氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

ふとしたきっかけで進んだ、奥深い写真の道。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、たかはしさんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

たかはし じゅんいち氏(以下、たかはし):はい、よろしくお願いします!

職業はフォトグラファー、人の写真を撮り続けて30年以上になります。広告、企業PR、各種メディアから、個人のアーティスト写真やビジネスプロフィール、地域の魅力の見える化のための写真まで、目的に合わせて様々な写真を撮っています。

ーーありがとうございます。30年間写真一筋のキャリアなのですね。ずっと写真がお好きだったのでしょうか?

たかはし:いえ、実は高校生までは漠然と学校の教員になるつもりで、教育学部のある大学への進学を考えていたんです。

ところが、高校2年生の時、当時憧れていた大学生の先輩から「学校の先生になって、君は何を教えられるの?」と言われたことがきっかけで自分の夢に疑問を抱いて…いや、心が折れてしまったと言った方が正しいのかもしれませんね(笑)

ーーまだ社会経験のない高校生には、難しい問いかけですね。

たかはし:はい、でもそれが結果的に「子供が好きだから学校の先生になろう、と漠然と抱いていた夢は、誰が決めたんだっけ?」と自身を振り返るきっかけになりました。

そして改めて将来の夢について考えた時に、せっかくなら楽しそうでかっこいい、素敵な仕事に就きたいと思い…思いついたものの一つが「写真」だったんです。その後東京工芸大学短期大学部写真学科に進学して、はじめて写真に触れました。

ーーそうだったのですね。そこからずっと写真に携わっているということは、ご自身に合っていたのでしょうか。他の仕事をやってみたいと思ったことはありましたか?

たかはし:他の仕事を考えたことはありません。大変なことがたくさんあったので、よそ見する暇もなかったと言えるかもしれません。

大変ではありましたが、プロのカメラマンになっていく過程で印象的なことがたくさんあったんです。カメラマンとしての指針になるような出会いや気づきの連続の中で「カメラマン」としての世界観が奥深く重層的になり、やめられなくなっていきました。

写真の表現って、ここまでやればOKというラインがないんですよね。掘れば掘るだけ、技術、センスが必要になり、磨かれていく。「十分」がないからこそ勉強し続ける、終わらない登山のような世界です。そんな写真の奥深さが自分にはあっていたのだと思います。くたびれる時もあるけれど、飽きずに続けてこられています。

思えば、元々は何かを追求していくたちでもなく、なんとなくぼんやりと中の上を維持しているような子供時代でした。高校受験あたりから、失敗や、前述のような心が折れる経験が増えていったのですが、そんな経験から道を外れる面白さを知ったのかもしれません。

NYのタイムズスクエアのビルボード を飾ったSTOMPのポスターもたかはし氏が撮影。当時日本人単独で初、モデルは当時STOMPで唯一の日本人メンバーだった宮本やこさん。

ーー続いて、たかはしさんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

たかはし:協働日本代表の村松さんのビジネスプロフィール写真を私が撮影したのが最初のご縁です。

協働日本にお誘いいただいたのは、丸七製茶さんの抹茶を使ったNFTアートの案件がきっかけでした。それまで、村松さんの活動自体はFacebookや、協働日本のインタビュー記事などで拝見していました。お話を聞いて改めて、顧客ニーズに合わせていろんなプロフェッショナルを巻き込んで行う、ブランディングや新商品の開発プロセスが新しく、面白そうだと思い参画を決めました。

現場と一緒に作り上げるライブ感が、クリエイティブに新しい可能性を産む。

ーーさきほど、丸七製茶さんのお名前も出ましたが、たかはしさんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

たかはし:協働日本ではこれまでに二社の撮影に携わってきました。一社は先ほどお話しした丸七製茶さん、もう一社は沼津三菱さんです。

まず、丸七製茶さんのNFTの案件ですが、「抹茶カラー」を新しく作ってNFTアートとして販売するというプロジェクトで、そのアート写真を手掛けさせていただきました。

実は、世界共通の色見本帳であるパントーンで「抹茶色」とされているカラーがあるんですが、丸七製茶の鈴木社長は「本当の抹茶の色とは違う!」という想いを持たれていて、丸七製茶の高品質な抹茶の色を表現したいということでスタートしたプロジェクトでした。

村松さんから相談を受けて面白そうだと思って参画を決めたのですが、僕は写真家であっても、色の専門家ではありません。そこで、一緒に勉強しながら表現方法を模索していくことになりました。例えば、同じカメラマンでも、人ではなく物撮りを専門としている人は、被写体の色を写真に残すための色の表現に詳しい。化粧品会社の方も、ポスターやカタログなどの紙面で化粧品の色を正しく表現する必要があるため、詳しいんです。そうやって色表現に詳しい方達に話を聞きながら表現方法の情報を集めていきました。

撮影方法についての情報を得た後は、液晶を通じて「見せたい色」を表現するためにどうしたらいいか?ということを考えました。色を定量的に表すためのルール(以下、色空間)として、私たちが一般的に使っているのはAdobe社のRGBや、Windowsの基準になっているsRGBなどがあり、それぞれの定義により表現できる色合いが変わるんです。

私たちが見せたい「抹茶カラー」を表現するために、どの色空間を使うか、それぞれの特徴を調べて辿り着いたのがApple社の提唱するP3でした。WindowsのsRGBの色空間に比べると、緑・赤系統にsRGBにはない鮮やかな色が含まれるため、抹茶の色を表現するのにはちょうどいい!とひらめき、P3で抹茶の色を表現するNFTアートの誕生に至りました。

NFTアート作品の撮影自体もとても勉強になりましたが、お茶を作っている畑も実際に伺うことができたのも面白かったですね。

撮影したお茶の背景にあるお茶屋さん、お茶農家さんなど、物語がよく見えてくるので。そういった背景も、写真から感じ取ってもらいたいと思いながら撮影をしました。

丸七製茶の「抹茶色」NFTアートの撮影

ーー写真家としての経験や強みを活かすのはもちろん、専門外の部分を勉強しながらも、丸七製茶さんの想いを形にしていったのですね。沼津三菱さんではどのような写真を撮られたんですか?

たかはし:沼津三菱さんの新ブランドGranWorksのイメージ写真の撮影に伺いました。

撮影は日帰りで1回のみという時間制約の中で、齊藤社長はじめ現場の皆さんと一緒に臨みました。いざ撮影してみると、車の形によって想定通りの光にならず、光の当て方を試行錯誤するなど大変な面もあったのですが、沼津三菱の皆さんも積極的に提案をしてくれたので、当日のやりとりの中から「本当に見せたいもの」が伝わってきて、僕の中での輪郭がさらにはっきりしてきました。

僕の仕事は、「見せたいもの」を写真にすることなので、明確になった沼津三菱さんの「見せたいもの」を説得力のある形に落とし込むということへのやりがいを改めて感じました。

ーー現場でクライアントから色んな提案を受けながら撮影をすることは珍しいことなのでしょうか?

たかはし:そうですね。普段は広告代理店を通じてオーダー通りの写真を撮って納品するということが多いので、現場で直接意見をお聞きしながら臨機応変に撮影することは、実はあまりありません。

撮影の現場では最終責任者や意思決定者が不在のケースも多いので、その場でアイディアが湧いたり、違った意見が出ても大きく方針を変えることはあまりできないという事情もあり。一方で、現場で責任者も交えながら柔軟に対応しながら作り上げていった今回の撮影は、ライブ感があり楽しかったですね。

その場で「やっぱりこうした方が素敵に見えるかもしれない!」という気づきがあったり、今回は無理だったけど、次回はこんな風にしたらいいかもしれないねという会話があったりと、より新しい可能性や次に繋がる新たな視点が生まれるんじゃないかと感じました。

もちろん、決まった時間で決まったテーマがある撮影にも良い点はたくさんあります。広告やイメージ作りには「正しい」手法はないと思うんです。

それでも、一緒に作り上げていく方がより正解につながりやすいという感じがあります。そういえば、撮影の休憩時間に若い技術者の方がお二人で、僕が乗ってきたボロボロのプリウスを洗車してくれたんですよ!それがあまりに自然で格好良かったので、撮影して納品してしまいました。

これもライブ感の1つですね。余談ですが、洗車していただいてからはやっぱり長い間綺麗だったので、沼津三菱さんの技術の高さも体感できてすごく嬉しかったですね。

GranWorksでの撮影風景。出来上がった写真はこちら

ただのいい写真、の一歩先へ。見せたいもの、背景が伝わる写真の追求

ーー協働日本での活動を通じて、たかはしさんご自身の変化を感じることはありますか?

たかはし:先ほどお話しした通り、専門外のことも勉強しながら挑戦したので学びは多かったですね。また、やはり「目的が重要」であることも痛感しました。ただ良い写真を撮るだけではなく、目的に合わせた写真を撮ることがカメラマンの仕事です。誰に向けた写真なのか、どう見られたいのか・どう見えるかを意識したイメージこそが説得力を持つんです。

協働プロの皆さんの伴走によって、パートナー企業の皆さんの思考・思想・ビジョンが明確になっているからこそ、僕と一緒に撮影に臨んだ時に「こういう写真が欲しい」という”明快”な判断につながったと思うんです。軸があるからこそ、僕の提案にも柔軟に反応してくれて、良いものを一緒に作り上げることができた。

ここまで「自分たちで考えてやってきた」というプライドや自信が、プロダクトの写真表現の説得力に繋がっていく…まさに、協働日本の伴走支援ならではの良さだと感じました。

この気づきを得てからは、本業の方でビジネスプロフィールなど人物写真の撮影をする際には、必ずセルフブランディングをしてもらってから、それに合わせて撮影するようになったんです。「見せたい自分の姿」を「誰に見せる」のかをご自身で考えていただくことで、表情も変わる気がします。そしてそのイメージを形にするのが僕の仕事ですから、やりがいを感じます。

セルフブランディングが曖昧な、ただの「いい写真」を撮るよりも、自分で考えて一緒に作り上げた写真の方が、満足感も高くなっているように思います。

また、タイプは違いますが、町おこしや企業の魅力の見える化のような仕事の中でも、協働日本でやっているような「彼らに考えてもらう」ことをベースにすると、さらに魅力を深掘りして表現できそうだなとも思っています。

ーー協働日本での経験がたかはしさんの写真家としての活動に良い影響を与えたのですね。そういえばたかはしさんは、協働日本に参画される前から、地域の魅力発信のためのプロモーションなどのお仕事もされているんですよね。

たかはし:そうですね。故郷の新潟で子供時代のびのびと暮らせた当時の思い出が、その後カメラマンとしての山あり谷ありの経験を支えてくれている実感があり、新潟に恩返しをしたいという想いがベースになって「新潟の福祉をおもしろくの会」や町おこし、地域の魅力の見える化といった活動に関わるようになりました。

また、町おこしに外部の人が関わった結果、地域と折り合いがつかなくなってしまうような残念なケースを目にすることがありました。みんなその地域の人のためにやっているのにどうしてこんなことになるのか?というモヤモヤした想いを抱き、だからこそ、地域の人の為の活動では、「現地の人が幸せでないといけない」と強く想っています。

ーー確かにおっしゃる通り、地域の人に自分で考えてもらっての町おこしや魅力の発掘というのは、「現地の人の幸せ」と直結しそうですね。

たかはし:今は雑誌や広告とは違う形で、多くの人に簡単にイメージを見てもらえるようになりました。

だからこそ、さらに先の写真──「いい写真+」の重要性を感じています。撮影側として、写真の背景や撮影までの過程をいかに工夫できるかが大切になってきます。

撮影前のやり取りの中で、セルフブランディングをしてもらったり、その土地の魅力を自分たちで考えてもらったりというプロセスがあることで、写真から背景が伝えやすくなっていくと思うので、これからもそのプロセスを大切にして行きたいと思っています。

岩手県の職人の仕事風景を撮影するひとコマ

最終的に大切なのは「人」。協働日本の情熱は何よりの強みになる。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

たかはし:多様なスキルを持った方々が、協働プロや協働サポーターのような形でスキルを持ち寄り、共通の課題に向き合っていくというような、フレキシブルで柔軟な働き方は今後日本中で増えていくと思います。

参加したいという人も、同じようなことをする会社も増え、協働日本自体も大きくなっていくと取捨選択するシーンも出てくるのではないかと思うのですが、最終的には「やっている人」が何よりも大切だと思うので、村松さんや協働プロの皆さんの魅力である「正直」「情熱」「信頼できる」といったパーソナリティが強みになっていくと思います。

これまで携わったプロジェクトもすごく面白い取り組みだったので、引き続き僕も挑戦していきたいと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

たかはし:ありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします。


たかはし氏と協働プロジェクトに取り組んだ企業さまからもコメントをいただきました。

沼津三菱自動車販売株式会社 代表取締役 齊藤 周氏

弊社の洗車とカーコーティングに特化した、新しい自社ブランド「Gran Works」のイメージ写真を撮影していただきました。

当日は非常に細部までこだわって下さり、コンセプトがお客様に伝わる素晴らしい写真を撮って頂きました。今後ともぜひよろしくお願いいたします。

丸七製茶株式会社 代表取締役 鈴木 成彦

今回、たかはしさんとお茶の「色」にこだわって挑戦し、改めて色について少し詳しくなることができました。この経験はいずれどこかで役に立つと思います。

弊社は食品企業ではありますが商品を単なる撮影するだけでなく、永久に何らかの価値を生むことができないかと考えてNFTアートにすることに挑戦しました。プロカメラマンであるたかはしさんとのコラボで、可視光線のことや色を定義することの難しさ、そもそもリアルな商品としての色をデジタルにするとデバイスの特性によって表現されるものが異なることなど、普段知り得ないことも含めて色々と学ぶことができました。

デジタルアートの未来についても、デバイスの特性や、秘めている可能性について思考が深まりました。抹茶の美しい緑色を永久保存しようとしましたが、現実には超えなければならないハードルがまだまだ無数にありそうだと思いました。

結果が出るのはこれからですね。是非またよろしくお願いします。



たかはし じゅんいち / Junichi Takahashi

新潟市出身、1989年-2008年New Yorkで広告、雑誌、音楽、舞台などの分野で活動。現在は日本、東京在住。
2009年News Week の「世界で尊敬される日本人100人」選出、NIHONMONO中田英寿さんの日本の旅 (2009-2017)に同行、自身のプロジェクトとして、市井の日本人の魅力を撮影するNIPPON-JIN project(2008-)。
アスリート、職人、伝統芸能、工芸、日本酒、ART、ビジネスなどを取り巻く世界が大好物。日本の様々な美意識に惹かれています。
日本各地には宝がいっぱい…地域に関わることやPR(出身地の新潟や佐渡、縁が出来た福島や岩手、宮城など)、障害、LGBT、誕生と終焉など、関わり方を模索しています。

JUNICHI TAKAHASHI
https://www.junichitakahashi.com/

たかはし じゅんいち氏も参画する協働日本事業については こちら

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VOICE:根崎 洋充 氏 -HPからの協働プロ応募。一歩踏み出して、挑戦して得た3つの変化-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業開発のプロとして地域企業の伴走支援を行う根崎 洋充(ねざき ひろみつ)氏のインタビューをお届けします。

現在、製造業の会社にて新規事業開発を担当されている根崎氏。自らの経験を活かし、もっと多くの「人の役に立ちたい」という想いを持ち、協働日本へジョインされました。現在では、協働日本の協働プロとして日々、複数の地域企業の伴走支援に尽力されています。

根崎氏の協働を通じて支援先の生まれた変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

想いに共感し、自ら飛び込んだ協働プロへの道。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、根崎さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

根崎 洋充氏(以下、根崎):はい、よろしくお願いします。

現在は、電子部品などを取り扱う大手製造業の新規事業企画部門で、新規事業企画の立案や推進、研究開発部門の企画サポートなどを行う部署を担当しています。
新規事業に関わる業務全般を担当しているので、経験、知見の有無に関わらず必要と思うことは何でも挑戦しています。

元々、新卒で入社した建設コンサルティング業の会社では設計を行っていました。
その後、転職して今の会社に入ってからは法人営業、マーケティング、そして現在の新規事業と色んな職種を経験してきて現在に至ります。

ーー色んな職種を経験されているのは、根崎さんの希望だったのでしょうか?

根崎:そうです。大学は理系だったので、設計やエンジニアをやりたかったんですが、実際にやってみたらあまり適性がなかった(笑)。

それで、もう少し広く世の中の技術に触れてみたいと思うようになって、現在の製造業の会社に転職をしたんです。

そこでまずは法人営業をして、お客様の意見を色々聞く経験から今度はマーケティングもやってみたいなと思い、今度は自分自身で新しい製品・サービス・スキームを作ってみたいなと思うようになって…という経緯です。

会社も私の希望に沿って異動を叶えてくれたので、その時その時の仕事の中で生まれた新たな興味でジョブチェンジをしてきました。

ーー根崎さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

根崎:少しびっくりされるかもしれませんが、協働日本のホームページを見て自身で問い合わせたのが始まりでした。

ーーHPからお問い合わせをいただいたのがきっかけなんですね!どのようにして協働日本のHPにたどり着いたのでしょうか。

根崎:ある日、部下から「この会社、根崎さんに合うんじゃないですか?」と教えてもらったことで知りました。

複業人材が地域企業に伴走しながら、一緒に挑戦をして成果を出し、地方創生にも貢献していくという協働日本の取り組みが、私に合っているのではないかと言われて、面白そうだと思いすぐ問い合わせました。
元々副業をやってみたいと話していたことや、「誰かのためになることをしたい」という貢献意識の強い私の性格を、部下は理解してくれていたんだと思います。

副業に興味はあったものの一歩を踏み出せないという状態だったので、 背中を押してもらったように感じました。

ーーなるほど。お問い合わせいただいてから、どのように協働プロとしての参画が決まったのでしょうか?

根崎:はい、問い合わせに対して代表の村松さんからご返信をいただいて直接お話ししたんです。

協働を通じて地域の企業の役に立ち、日本を元気に、人を元気にしたいという村松さんの想いにはとてもシンパシーを感じ、是非一緒に取り組んでみたいと思いました。

正直な話、製造業で培ってきた自身の経験で、どのように地域企業の方のお役に立てるかは未知数だったのですが、それでも一回踏み込んでみたいと思いました。面談後すぐに参画することを決めましたね。

言語化できるようになった想い、聞いている人もワクワクし出す、小さいけれど大きな変化。

ーー根崎さんはこれまで、協働日本のどのようなプロジェクトに参画されてきたのでしょうか?

根崎:これまでに3社のプロジェクトに関わってきました。

現在進行形でも携わっているのは株式会社ソミック石川さんという自動車の部品メーカーの会社と、ダイエー株式会社さんという板金加工の会社の2社ですね。

ソミック石川さんは、これまで自動車メーカーに直接卸していた自動車部品を、修理・メンテンスサービスなどのアフターマーケットでも販売していきたいというテーマで協働が進んでいます。

一方ダイエーさんでは、先方の白榮専務に伴走し、専務のビジョナリーな視点、これからの「製造業での働き方」について、その想いを実現するための取り組みを行っています。

ーーそれぞれ違うテーマですね。具体的なお取り組みの内容や状況もお聞きしても良いでしょうか?まずはソミック石川さんについて教えてください。

根崎:ソミック石川さんは、やりたいこと・テーマが明確だったので、「どう実現するか」に主眼を置いた対話が中心でした。

新規事業として、BtoB向けの販売しか行ってこなかったソミックさんのパーツを、修理・メンテンスサービスなどのアフターマーケット、つまりBtoCにもマーケットを広げていくというプロジェクト。

そのためにまずはマーケットを知り、誰にどうアプローチするかを順に考えていきました。

自分たちの作る自動車部品の品質がいいことは皆わかっているのですが、ではその価値をどう表現して、どう伝えるか?ということを深掘りしくところから始めました。

今はその価値を、こんな人に届けたらどうだろう?という新しいサプライチェーンのいくつかのパターンを探りながら参入の糸口を見つけていっているところです。

ーーなるほど。製造業を深く知る根崎さんだからこその視点や経験を活かせるプロジェクトですね。ダイエーさんについても教えてください。

根崎:専務が持っている自社の働き方についての強い想いを、一緒に言語化していきいました。頭の中にイメージはあるんだけれど、うまく言語化が出来ていなかったことで、周囲にうまく伝わらない状態でした。

我々協働日本と徹底的に対話を重ねたことで、プロジェクトに取り組む専務自身も、元々の想いややりたかったことがより明確になってきました。

最初は言葉にできていなかった想いが段々と言語化できるようになっていったことで、周りにもワクワク感が波及していき、今は想いを実現するためのパートナーとの交渉といった具体的な段階まで取り組みが進んでいます。

ーー事業を実現するためのお手伝いだけでなく、マネジメントの胸の中にある想いを言語化するお手伝いも出来るのは、協働日本の提供価値のひとつですね。

根崎:まさにそうですね。ダイエーさんの場合、専務が元々持っていたビジョナリーな視点が言語化されたことで、話を聞いている私たちや、おそらく部下の皆さんも、ワクワクを感じています。

元々熱い想いをお持ちの方こそ、きちんと言葉に想いを乗せて伝えられるようになれば、どんどんと想いが伝播して巻き込める人が増えていきます。

マネジメント層の方にとって、一人で想いを言語化することはけっこう大変な作業です。上司や部下といった社内の関係性の外にいる、我々のような壁打ち相手がお手伝いできることはたくさんあるように思いますね。

同じような悩みを持つ経営者やマネジメントの方はぜひ、そんな壁打ち相手としてもぜひ、協働日本を活用してほしいですね。

協働を経てメンバーの主体性がどんどん強まっていくのを感じた

ーー協働を通じて、パートナー企業の変化を感じたエピソードなどお聞きできますか?

根崎:新規事業に取り組んでいるソミックさんのプロジェクトのエピソードです。新規事業の立ち上げに向けてマーケット調査を行ったところ、参入しようとしているマーケットの参入障壁の高さが判明しました。

簡単には越えられない壁を前に、はじめは一同、少し尻込みしていたんですが、主要メンバーの一人が毎週、修理業者やカーメンテナンスの会社の方など色んな人と話をして意見を持ってきてくれるようになったんです。
そこから、ダメだと思っていたことをクリアできるアイディアが生まれたり、そういう考え方もあるんだという気付きになったりと、次々と打ち手が見えるようになってきました。

自ら動いて色んな情報を拾ってくきたことが、解決の糸口に繋がったことで、メンバーの主体性がどんどん強まっていくのを感じました。

ーー協働を通じて、支援先の企業の社員が変化する。まさに協働日本が実現したい形ですね。

根崎:まさに、そうですよね。

業界構造を理解するために、車業界全体の既存プレイヤーの人と話をしようとチームで決めて、実際に色んな方と話をしました。

その中で、意外なところに見込み顧客を見つけたり、議論を通じて、今の業界構造の中でもなんとか事業を実現するアイディアが生まれました。
そうして、事業の形が徐々に固まっていく中で、ソミックさんの社員の方が自発的に「こんなところにもいって話を聞いてみたらいいかもしれない」と、どんどん色々なところに足を運び出しました。

主体性を持って積極的に動き、たくさんの情報を収集したことで、高い障壁を越えていける糸口を見つけられた経験は、伴走していた私自身にとっても、ソミック石川さんにとっても大きな気づきと自信を得られました。

伴走を通じて生まれた、自身の3つの変化

ーー協働日本での活動を通じて、根崎さんご自身の変化を感じることはありますか?

根崎:実感している変化は3つあります。

まずはシンプルに、自分に「自信」が持てるようになったこと。

一つの会社への所属が長くなると、果たして自分は世の中に役に立てているのかとか、自分の力は他でも通用するのかみたいな葛藤を感じることがあったんですが、協働日本で地域企業に伴走支援をしていく中で、多少なりとも私の経験やスキルが誰かの役に立つんだという気付きが自信に繋がりました。

そしてもう一つは、「視点」の獲得です。

大きな会社に所属しているとどうしても会社の一機能としての視点のみで、サービスや製品のことを捉えて考えてしまうのですが、経営者やそれに近い方々と話していると、視点が全然違って会社全体を見ていることに気付いたんです。

その違いに気づいた時、「こういう立場で、こういう物の見方をしてるから、こういう発言なんや」って私の中で理解が深まってきました。自然と私自身も、視点を変えて物を見て、話すようになってきたんじゃないかと思っています。

そして3つ目の大きな変化が、「挑戦欲」が湧き上がってきたこと。

本業で取り組んでいる、自社の新規事業開発に更に情熱を持って挑戦したいと思うようになりました。成功ばかりではないのが新規事業です。失敗続きの中で、うまくいかないことも多く、モチベーションを保つのが大変です。

でも協働日本で行っている伴走支援を通じて、逆に伴走先の方々の熱意が伝播したというか…もう一回、本気でチャレンジしてみたいなという意欲が湧いてきています。

ーー熱意の伝播、いいですね。地域企業の皆さんはもちろん、一緒にチームを組んでいる協働プロにも刺激を受けたり、新鮮だなと思うことはありますか?

根崎:たくさんありますね。

話をしている中で、会社ごとに考え方やカルチャーが違うんだなと感じるところと、逆に、新規事業やってる時の悩みって一緒なんだなと感じるところ、両方あります。
その違いの部分も、良い・悪いではなくて純粋に新鮮で楽しいんです。新しいものに触れているという実感もありますし。

初めて一緒に組んだ他の協働プロが、向縄一太さんと藤村昌平さんだったんですが、二人ともマーケットや事業開発の経験豊かな、まさにプロフェッショナル。とても刺激を受けました。
初めの頃、限られた打ち合わせ時間の中で「自分も彼らに負けずに何か爪痕を残そう」と半分意地になって、色々考えたり発言をしていたほど(笑)。

でも本当に、普段では一緒に仕事をすることができないようなメンバーと共に、常に新しい課題やプロジェクトに取り組める面白さやありがたさを感じています。

ーー協働を通じて今後実現していきたいことはありますか?

根崎:身近な人、関わった人に良い影響を与えられたらいいなと思っています。

協働した人に良い影響や前向きな想いが伝わり、そこからさらに次の人に伝わっていったらいいなと思っています。影響の輪が広がって行けば、多くの人がより良くなることにつながるので。

ーー根崎さんの、「誰かのために」という想いがとても印象的なのですが、そのように考えるようになったきっかけはあるんでしょうか。

根崎:性格的なものかもしれませんが…でも貢献意識みたいなものは、法人営業時代に「一緒に仕事をしてよかった」「お前に頼んだら色々考えてくれるからありがたい」などと、お客様と営業マンという関係性を超えて繋がる人から感謝の言葉をもらえることが大きな喜びだったんです。

そういった体験が根底にあるかもしれないですね。貢献したいし、いい影響を与えたい、と強く思うようになった気がします。

頑張りたい人と応援したい人を繋ぐワークシェアコミュニティ

ーーここまでインタビューありがとうございました。インタビュー終盤でずばりお聞きします。副業・複業先として協働日本を選んでみてよかったと思われますか?

根崎:はい。改めて、協働日本を通じて、協働プロとしての一歩を踏み出してみてよかったなと感じています。

ソミック石川さんのエピソードと同じで、行動を起こすと何かが返ってくるわけですよね。協働日本での活動を始めて、地域の企業の皆さん、そして協働プロ…とどんどんつながりが増えていきました。

繋がりを増やすために始めたわけではないけれど、その繋がりがまた新しい物を産むかもしれないし、また一緒に仕事したいと思ってもらえるだけでも嬉しい。

もし副業をやってみたいなと思っている方がいたら、考えるより先に踏み出してみたらどうですか?と伝えたいなと思います。
だからあれこれ考えるよりもまず一度挑戦してみて、一所懸命取り組んでみたら、そこから生まれるものや得るものもあるんじゃないかなと思います。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

根崎:協働日本は、都市部と地方という垣根ではなく、頑張りたい人とそれを少しでも応援したい人という枠組みの中で、ワークシェアをするようなコミュニティだと思っています。

これから先、こんなコミュニティが少しずつ広がっていくのではないか?と感じますね。

そんなコミュニティの中での繋がりによって、スキルだけではなく想いもどんどん伝播していく。小さな波紋が大きな波になるんじゃないかと期待していますし、私もその一助になりたいなと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

根崎:ありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします。

根崎 洋充 / Hiromitsu Nezaki

大手製造業 新規事業部門 マネージャー

大学卒業後、建設コンサルタント業界にて設計職を経て、現在の大手製造業の会社に転職。現在の会社に入社後は、法人営業部門、マーケティング部門で国内顧客、新規顧客向けのビジネス開拓業務に従事。

その後、現在の新規事業部門に異動。現在は、新規事業企画の立案や推進、研究開発部門の企画サポートなどを行う部署を担当。

日々、企業内での新規事業創出として、将来の大きな商売の開拓につながることであれば、組織風土から新規事業テーマ全般にチャレンジしつづけています。

根崎 洋充氏も参画する協働日本事業については こちら

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STORY:株式会社ソミック石川 斉藤 要氏 -協働が変化の起爆剤に。市場の変化をとらえた販路開拓へ-

VOICE:柳川雄飛氏 -企業と社会の橋渡し役になりたい。地域企業の持つ価値を新たな視点で掘り起こしていく-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業開発のプロとして地域企業の伴走支援を行う柳川 雄飛(やながわ ゆうひ)氏にインタビューいたしました。

現在は株式会社ヒトカラメディアにて、オフィスの不動産仲介やデベロッパーとの施設開発、行政の地域活性化プロジェクトの立ち上げなどを行っている柳川氏。

個人事業として、協働日本以外でも、離島や地域の地域活性・ブランディング、地域の中小企業の事業支援・ブランドコミュニケーションの施策支援と幅広く活躍されていらっしゃいます。

協働日本に参画する前から、地域とのコラボレーション事業に携わっていたという柳川氏に、協働を通じて見えた変化や、実現したいことについて語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

きっかけは、自分軸を見つけるため。プロボノ活動を通じて地域との協働の面白さに出会った

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは柳川さんの普段のお仕事について教えてください。

柳川 雄飛氏(以下、柳川):よろしくお願いします!株式会社ヒトカラメディアという会社で、オフィスの不動産仲介やデベロッパーとの施設開発、行政の地域活性化プロジェクトの立ち上げ、プロジェクトマネジメントやクリエイティブディレクションを行なっています。

ベンチャーやスタートアップ企業が入居するオフィスビルやコワーキングスペースなど、デベロッパーと「働く」をテーマにした場づくりをしたり、運営プログラム設計、イベント運営などを行っています。

また、個人事業として離島や地域の地域活性・ブランディング、地域の中小企業の事業支援・ブランドコミュニケーションの施策支援の仕事をしています。

例えば、クリエイティブ人材と一緒に街歩きをして色んな角度で地域資源を捉え直し街のリブランディングを行い、新しい体験ができるツアーを作るなど、その地域の良さを引き出すような活動をしています。

ーー協働日本に参画される前から、地域・地方の中小企業の事業支援をされていたんですね。元々ご興味がおありだったんでしょうか?

柳川:きっかけは「自分軸を探したい」というところからのスタートだったんです。元々デザインの仕事やクリエイティブ業界への憧れのようなものを持っていて、形のないものを作り出す仕事をしたいと考えて20代後半でクリエイティブ業界に転職をしたのですが、いざ現実を知ると「自分が本当にやりたいことの軸は他にあるのかもしれない」と考えるようになったんです。

そこで、もう少し確固たる自分の軸のようなものを見つけるために、仕事以外で挑戦できる場所を探し始めて「イノベーション東北」というプロボノ活動※のマッチングプラットフォームに出会いました。東北の震災復興を一つのテーマに、各地域の事業者と都市部のプレイヤーがプロボノ活動を通じて協働していて、私は女川町で関係人口構築支援の取り組みのお手伝いをすることにしたんです。

その頃から、地域の方々だけではなかなか解決できない課題を、地域の外の人やコトと繋ぎながら解決していくということに関心が向いていったように思います。

※プロボノ活動
各分野の専門家が、職業上持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランティア活動全般。

人と人の良い化学反応がクリエイティビティを加速させる

ーー続いて、協働日本での活動についてお聞きしたいと思います。まずは柳川さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

柳川:協働日本でCSOを務めている藤村昌平さんからのお誘いがきっかけです。

前職時代、藤村さんとはクライアントとパートナーという関係で、ライオン株式会社のこれからをつくる、新しいテーマのプロジェクトを模索する企画の仕事でご一緒しました。

このプロジェクトでは、藤村さんと受発注の関係を超えて同じ目線で目指す方向性について対話を重ね、信頼関係を築きながらアウトプットできたと思っています。この経験がきっかけで、それ以降、年齢・立場・肩書きなどを超えて、人と人の良い化学反応はクリエイティビティを引き出し、増幅させると信じて活動してきました。

そんな藤村さんから協働日本の取り組みをご紹介いただき、協働日本の理念にとても共感しました。

この人なら「背中を預けてご一緒できる」と信頼している方からのお誘いが嬉しかったことはもちろん、地域の課題を「地域の外の人やコトと繋ぎながら」解決していきたいという自分の想いとも重なる部分が大きかったので、二つ返事で参画することを決めました。

意識を変えるために、まずは行動を変える。限られた時間の中で、いかにアクションを増やせるか

ーー柳川さんはこれまで、協働日本のどのようなプロジェクトに参画されてきたのでしょうか?

柳川:これまで3社のプロジェクトで伴走支援をしてきました。最初に協働させていただいたのは丸七製茶株式会社さんという静岡県のお茶の会社、次に鹿児島県にある精密金属加工のキリシマ精工株式会社さん。

そして、現在は静岡県で住宅の設計・施工をされている建築業 天野マコトさんとの協働がキックオフしたところです。事業開発の領域で、企業の新規事業立ち上げにあたるブランドコミュニケーションの戦略策定支援や施策の実行支援を行っています。

ーー色んなパートナー企業に伴走支援をなさってきたんですね。具体的なお取り組みについても教えていただけますか?

柳川:パートナー企業によってプロジェクトの内容は三者三様です。

キリシマ精工さんでは新規事業の支援をさせていただきました。技術力が強みの精密金属加工会社なのですが、金属加工の技術を活かして、ペグやランタンスタンドなどのキャンプ用品を製造販売する新しいブランド「MILLD WORKS」を立ち上げたところで、その魅力の発信が主なテーマでした。

従来のBtoBではなく、BtoCの新規事業ということもあり、発信、認知の拡大、フォロワーやファンの獲得のために議論を重ねていきました。

キリシマ精工さんの専務にプロジェクトオーナーとして立っていただき、2名の若い担当メンバーと共にプロジェクトを推進していきました。皆さんとても面白がりながら、柔軟に我々の提案を受け入れてくださったのが印象的でした。

週に1度のミーティングで出た課題やネクストアクションの宿題についても、若いメンバーがグイグイと進めていってくれたので、PDCAサイクルが回るのがとにかく早かったんです。

その結果、ブランド発信用のSNS投稿の写真や内容も、協働がスタートする前後で様変わりしました。今も引き続き「MILLED WORKS」のファン獲得のために発信を続けていらっしゃいます。

ーー協働を通じてとにかく行動を重ねていったことによる変化ですね。他にも、パートナー企業の変化などのエピソードをお聞きできますか?

柳川:最初の伴走支援のパートナー企業だった丸七製茶の皆さんの変化も印象的でした。

私はプロジェクトの進行に応じて途中でジョインしたので、協働の期間は半年にも満たないくらいだったのですが、そのわずかな間にもメンバーの皆さんが自ら考え、行動していく変化を目の当たりにしました。

毎回のお打ち合わせには、丸七製茶の鈴木社長にもご同席いただいていました。鈴木社長は、ユニークな施策や尖ったアイディアをどんどん思いつく方で、とにかくスピード感をもって意思決定される方です。

しかし、実際にアクションに移していくのは担当者であるメンバーの皆さんなので、メンバーそれぞれが社長と同じようなマインドセットで臨まないと、やらなくちゃいけないことだけがどんどん積み重なっていってしまう。

その施策をなぜやるのか、という目的をしっかり腹落ちして取り組まなければ、たくさんのアイディアを形にすることはできません。社長と同じ目線で、事業や課題に向き合う姿勢を社員の方々に身につけていただくサポートも、重要な協働ポイントでした。

だからこそ丸七製茶のプロジェクトで、協働プロのチーム全員で共通して意識していたのは、できるだけ自分で考えてもらう時間を作ること、自らアクションする時間を作ることでした。毎週のミーティングの宿題を出して、とにかく色々アクションに移してもらいました。

ーーたとえば、どんな宿題を出されていたんですか?

柳川:宿題自体は、すごくシンプルな問いなんです。例えば、「会社の強みはなんだと思いますか?」「営業でお客さんにどんなことを言われましたか?」など、シンプルだからこそ、意識して考えたことがなく言語化できない方が多い問いでもあります。

そこで、「これを考えてください、聞いてきてください」という宿題をとにかくたくさん出していました。そして次回の打ち合わせで「どうでしたか?」と聞いて、その答えからまた次の議論を重ねていきました。

実は、打ち合わせの際に協働プロが話したことや宿題の意図は、その時点でメンバーの腑に落ちていなくてもいいと思っています。

よく、「意識が変わると行動が変わる」と言いますよね。でも、私は逆のパターンもあると思っていて……行動が変わってアウトプットが生まれることで、段々と考え方、意識が変わっていくことに繋がるんです。だからこそ、限られた時間の中でいかに行動を重ねていってもらうかを重視しています。

ーーなるほど。アクションの数を増やすことでアウトプットも増え、短期間でも意識が変わることに繋げていくんですね。

柳川:そうですね。加えて言うと、意識が変わるといっても、全員が同じスピードで一斉に変わることは難しいので、最初は全体のうちの何人かだけでも変化があればいいと思っています。全体の一部の人だけでも積極的に動いてくれるようになれば、その様子が他のメンバーにも伝わっていき、「自分もやってみよう」と続く人が自然と増えるんです。

今回の伴走支援でも、完全に腑に落ちているわけではないけれど「とりあえずやってみよう」と動いてくれる人が出てきて、行動していく中で「もしかしたらこの観点でもPRできるかも、こんな営業ができるかも」と腹落ちする瞬間、そしてそれが広がっていくという変化に立ち会うことができました。

私たち協働プロが、事例を紹介したり、改善提案をしたりしても、その企業で働く皆さんに浸透・定着しないとあまり意味がありません。だからこそ、パートナー企業の皆さんが協働プロとのミーティングをきっかけに、本質的に自分達にとって必要なことを自ら考えるようになる瞬間は、とてもワクワクしますね。

「新たな視点」という強みを活かし、地域企業の持つ強みや可能性を引き出して社会に伝えたい。

ーー協働日本での活動を通じて、今、柳川さんが感じることや、今後実現したいことはありますか?

柳川:伴走支援させていただく企業の方は、その業界やものづくりに精通している専門家ばかりです。

私たち協働プロがその知識や経験を上回ることはほとんどの場合ありませんが、専門家ではないからこそ持てる、商品やサービスへの客観性や、初めて見たからこそ得られる気付きなど、これまでにない新たな視点を提供できることにも大きな価値があると思うんです。

特に、ブランドコミュニケーションの仕事をしている私は、どんな時でも初めて見る人・使う人の視点を持てる「プロの素人」でありたいという思いを持っています。個人の感想のような感覚的なものはビジネスの中で排除されがちですが、それぞれの抱く感想の中には、実は他の人も同じように思っているという共通の感覚が隠れていることがあります。

その共通項を集めて、商品やサービスの価値を正しく伝えられるようにすることがプロの仕事だと思っているので、そういった視点を活かしていきたいです。

ーー企業のブランド価値を伝えて、ブランドの地位向上を図るブランドコミュニケーションのプロである柳川さんならではの強みですね。

柳川:協働を通じて社会と企業の橋渡し役──翻訳者のような役割を担えたら良いなと考えています。物事というのは、少し角度を変えれば見える世界が全く変わることがあると思いますが、ずっと自分たちだけでやってきたからこそ、その視点からは見えない可能性や選択肢に気付くことができずに諦めてしまう中小企業の方は少なくないのではないでしょうか。

だからこそ協働を通じてパートナー企業の持つ技術や強み、価値を新たな視点で掘り起こし、企業の方に可能性に気づいていただき、世の中にその企業の強みや価値を伝えていきたいと思っています。

ーー本日はありがとうございました!最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

柳川:協働日本は、一つのコミュニティのような形で、さまざまな地域の担い手と都市部で働くプレイヤーをつなぐプラットフォームの役割を担っていると考えています。今後、人材の流動性はますます上がっていく上で、「〇〇企業の〇〇さん」ではなく、「〇〇な考え方(ビジョン)を持って、〇〇なスキルを持って活動をしている人」だと相互に理解しあえている仲の人と仕事をしていくことが重要だと思っていて、このようなコミュニティとしての役割を果たせるプラットフォームは非常に価値があると思っています。

ちなみに、協働日本の協働プロには、誘ってくださった藤村さん以外に、前職時代から繋がりのある方が偶然にも何名かいらっしゃったんです。

例えば、遅野井宏さん(コマニー株式会社 間づくりエバンジェリスト)も前職の時にお世話になった方でした。

それぞれが先述の印象的なプロジェクトで関わらせていただいた方達なんです。今ではそれぞれ所属も立場も肩書きも変わりましたが、こうして一緒に仕事をする仲間になっているというのは非常に面白いですし、互いにそれぞれの持てるスキルやユニークネスを信頼しているからこそ、協働できるチームになっていると感じます。

多くは都市部の企業で勤めながらも、面白い個人のプレイヤーが集まっている「協働日本」は本当にユニークなプロジェクトが沢山生まれていて、これからも同じような想いを持った方がどんどん集まってくるのではないかと思います。

ーーインタビューへのご協力、ありがとうございました。

柳川:ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします!

柳川 雄飛 / Yuhi Yanagawa

大学卒業後、インターネット業界、クリエイティブ業界を経て、企業・教育機関・地域など様々なフィールドにおけるコミュニケーション課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを推進。2017年より、渋谷ではたらく人をつなげる「渋谷区100人カイギ」の共同発起人を務め、2020年「SMALL STANDARD SHIBUYA」を立ち上げる。また、山梨県富士吉田市の地域活性プロジェクト「SHIGOTABI」など、異なる視点を掛け合わせ、物事を新たな視点で捉えなおす活動を行う。2022年よりヒトカラメディアに参画し、下北沢のミカン下北にあるワークスペース、SYCL by KEIOを起点に、「誰かの”やってみたい”がまちとつながる」きっかけを生み出すプログラムの企画・運営に携わる。

柳川 雄飛氏も参画する協働日本事業については こちら

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協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。
今回は、協働日本で「人と組織のマネジメント」のプロとして活躍し、コーチングサービスIPPO事業でもコーチとして多くの方のキャリアの伴走支援に携わる芹沢 亜衣子(せりざわ あいこ)氏にインタビューいたしました。

芹沢氏は監査法人系プロフェッショナルサービスファームにて、ヒューマンキャピタル(人事)部門のビジネスパートナー(HRBP)として、各部門のリーダーやメンバーと対話しながら人と組織の「ありたい姿」を形にしていく仕事をされています。

協働を通じて生まれた「組織」と「人」のそれぞれの変化と相乗効果、ご自身の気づきや学びを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

人と組織の可能性を高める人事という仕事の面白さ

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは芹沢さんの普段のお仕事について教えてください。

芹沢 亜衣子氏(以下、芹沢):よろしくお願いします!現在はプロフェッショナルサービスファームの人事部にて、ビジネスパートナー(HRBP)として仕事をしています。

HRBPという肩書に馴染みがある方もまだ少ないかもしれません。私たちは企業の中で、各部門のリーダーと対話を重ねながら、人と組織の「ありたい姿」を形にしていく役割を担います。

どんな働き方がメンバーのパフォーマンスにつながり、組織全体の価値を最大化させるのかという人材戦略を考えることや、リーダーのメッセージをメンバーに届けるサポート、スキルアップに向けた育成施策、評価・報酬などの人事制度設計・運用まで、人と組織の成長に多方面から携わる仕事です。

ーーこれまでのキャリアでも、ずっと人事の仕事に携わっていらっしゃったのでしょうか。

芹沢:実は、新卒で入社した会社では元々営業志望でした。ですが、最初の配属はIT部門。そこで4年半勤めた後、ジョブローテーションで人事に配属されたのが人事としてのキャリアの始まりでした。

ちょうどその頃、世間的にも働き方改革、ダイバーシティなどが注目されるようになり、人事として人と組織を進化させるためにやるべきことが増えてきたタイミングでした。

人事としての専門性も高めつつ、プロジェクトをリードする役割を担ってきたのですが、「より現場に近いところで人事の仕事をしたい」と考えるようになりました。そこで先ほどご紹介した、「HRBP」という役割を知り、その仕事へチャレンジすべく転職し、今に至ります。

ーー芹沢さんが、元々人事志望ではなかったというのは意外でした。社会の変化も相まって、人事としての仕事に面白さを見出されたんですね。

芹沢:そうですね。人事だからこそ、会社の成長に貢献できることはあると感じていますし、そこに面白さも感じています。

ただ、人事の仕事へのこだわりというよりも、「人と組織の可能性を高めたい」ということに対する想いが強いので、今後もし人事でない肩書を担うことになっても、やはり「人と組織の可能性を高める」ということを自分の軸にして働いていきたいと思っています。

人事のプロとして貢献し、受発注の関係を超えて、共に学び合い成長したい

ーー続いて、協働日本での活動についてお聞きしたいと思います。まずは芹沢さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

芹沢:はい。前職時代からの知人である大西剣之介さん(バリュエンスホールディングス株式会社 執行役員 コーポレート本部長 人事部)からのお誘いがきっかけでした。

同じ人事のフィールドで活動しており、お互いに面白いことを思いついたらすぐに実行に移すタイプだったので、会社を越えて勉強会をしたり、研修を開催したりしていました。    

ちょうど私が現職に転職した頃、すでに協働日本で活動していた大西さんからの紹介で、協働プロにお誘いいただきました。

ーー人事として活躍されていた芹沢さんだからこそ、大西さんも協働日本の一員にと、お誘いされてんですね。誘われた時はいかがでしたか?

芹沢:協働日本の取り組みを知って、すごくありがたいお声掛けだと感じまして、ぜひ一緒に取り組みたいですとお答えしました。

正直にいうと、前職までは人事としての「プロ」である自覚や自信を強く持てていませんでした。ジョブローテーションの一環で人事という部署にいて、与えられたミッションに対して自分がどういう風に貢献するかという考え方で仕事に携わっていました。

転職してからは考え方が逆になって、自分から課題を見つけに行き、どういう風に組織を動かしたらよいか、関係者の意見を引き出して、行動していく、能動的な役割に変わったなという実感がありました。          

人事の「プロ」としての自分を自覚して、主体的に仕事に向き合うようになってからは、社内だけじゃなくて、社外の方、ひいては社会に何か貢献できないかと考えるようになっていました。ちょうど協働日本のような機会を探していたこともあり、とてもいいタイミングでした。

一方で、自分に務まるかな?というプレッシャーもあったのですが、大西さんから「芹沢さんは決まった答えや型がなくとも、動くことができる人だと思う。自分にできることをとにかくやってみる、というスタンスでやってみてほしい」と言っていただいたんです。

「それなら、自分でも学びながら、役に立てることをやっていこう」と思って、参画させていただきました。

特に「伴走支援」という言葉にはとても共感していて、受発注の関係性ではなく、みなさんとの対話を通して一緒に作り上げていく、ともに学びあう、というスタンスが他にはないあり方だと感じています。

週に1度のZoomミーティング。協働先のパートナー企業の皆さんと。

外部の目線が入ることで、脈々と受け継がれてきた強みを明らかにしていく

ーー芹沢さんは今、協働日本のどのようなプロジェクトに参画されているのでしょうか?

芹沢:今は、協働プロや協働サポーターとして地域のパートナー企業とのプロジェクトに参画しているほか、IPPOコーチとしても活動しています。

コーチングを学び、実践してきた経験を活かして、IPPOコーチとして個人の受講者や、協働日本のプログラムである越境チャレンジ、経営人材育成プログラム参加者へのコーチングを行っています。

ーー多面的に活動されているんですね!まずは協働プロとしてのお取り組みについて教えていただけますか?

芹沢:協働プロとしては株式会社オーリックさんのプロジェクトで、人事制度等の変革について取り組んでいます。オーリックさんは、創業者である会長が一代で事業を大きくされた会社ということもあり、M&Aなどを通じて急速に事業が拡大していく中で、人事制度は運用されているものの、グループ各社で統一されていない部分もあり、経営からのメッセージが通りづらくなっているように感じました。

ちょうど社長が代替わりされたタイミングでもあったので、会社として新しいフェーズに入るために一度しっかりと人事制度を整えよう、ということになり、そこへ協働プロとして、伴走支援をすべく参画しています。

このプロジェクトには、協働日本へお誘いくださった大西さんと一緒に入らせていただいていて、1週間に1度、人事を管轄する管理部門のメンバーを中心に、会長、社長、そして現場の統括をしている営業本部長にも時折入っていただきながら、ミーティングを重ねています。

ーーまさに人事のプロのチームですね!具体的にどのような議論を交わされているのか、協働先の変化なども含めてお聞きできますか?

芹沢:最初の頃は、どういう従業員になって欲しいか、まずは「ありたい姿」の議論を重ねていきました。重要なこととはいえ、知り合ったばかりの人から「御社のありたい姿を教えてください」なんて言われても、答えるのは容易ではないですよね。

本音で議論するためには、お互いに理解し合い、信頼関係を築いていくことも重要だとあらためて感じ、経営者との議論も進める傍らで、オーリックさんで働く従業員の声もヒアリングさせていただきました 。

組織の中においては、人事は少し遠い存在になりがちですよね。変なことを言ったら評価に差し障るかも、と思うと本音や不満が正直に言えないこともあります。

だからこそ私たちのような第三者がフラットな目線で「課題に感じていることを教えてください」と入って社員の声を引き出していき、人事のメンバーに届けることが重要だと考えていました。

従業員の声がヒントになって課題が浮き彫りになったり、実は会社のここを良いと思ってくれてたんだ、みたいな気づきがあったりと、議論がどんどん活発になっていきました。

地道な行動の1つ1つで信頼を得て、「ありたい姿」といった少し抽象的なテーマも遠慮なく議論できる関係性が出来たのではないかと思っています。

ーー一緒に手を動かしていく中で徐々に関係性が出来ていったんですね。

芹沢:そうですね。協働を通じて気付いたのですが、オーリックさんは、会長、社長が社員のことをすごく考えていらっしゃいます。社員が安心して働けるようにしたい、生活を守りたいという意識がすごく強い。

経営者から社員への愛情はオーリックさんの強みだなとあらためて感じました。こういった、脈々と受け継がれてきた強みと、一方で従業員が感じる不安・不満を、新たな人事制度やメッセージでどうカバーできるかを考えながらプロジェクトを進めています。

また、同じ組織内では遠慮して言えなかったことも、私たちとの対話を通じて「実はこれが気になっていた」「社員からも声をもらったことがある」など様々な気づきが出てきています。

自分たちの良さや、自分たちらしさというのは、実は外から見ないとわからなかったりします。私たちのような外部の人間が入ることによって、客観的に見た「自分たちの強み」に気づき始めると、「新しい制度を作りました」で終わらず、こういう思いで作ったんだ、ここが私たちらしさなんだ、という想いが制度や仕組みに反映されるようになります。その想いは、自然と社員への説明の仕方やコミュニケーションにもメッセージとして表れ、結果的に組織全体が徐々に変化していくように思います。

会社が大きくなると、どうしても経営陣から社員へのメッセージは薄れていきがちです。だからこそ、オーリックさんの強みである社員に対しての愛情や想いを制度にこめて、人事が自分たちの言葉で社員に伝えることができるようになればと思っています。

誤魔化さずに自分と向き合っていく時間──本音を引き出すコーチングの魅力

ーー続いてIPPOコーチとしての活動についても伺えますか?

芹沢:まず、コーチングの良いところとして、近しい人には恥ずかしくて言えない壁、不安、恐れ、嫉妬心、一歩踏み出せない何かなど、自分のアイデンティティと紐づくことをお話していただきやすい点があると思っています。

なぜ私はこう感じるのか?自分が大事にしている価値観は何か?などを引き出していくのが、私たちコーチの役割です。

IPPOのコーチングは基本的に、1ヶ月に1度実施していますが、1ヶ月と言うスパンの中でも、受講者の変化を感じています。

例えば、とある受講者の方とは、はじめに「3年後こういう自分でありたい、そのために1年後こうなっていたい」という目標を決めたのですが、次の月、改めて見返すと「この目標、なんだか違うね」となったことがありました。

最初に目標設定した時から、アクションを変えたり、日記をつけて内省するなど、自分と向き合う時間を増やすことで、ご自身に変化が生じて、見返した目標が本人にとって小さいかも、と感じるようになっていたんです。コーチングの中で目標の解像度も上がり、本人の意志で目標を修正しました。

毎月、小さなことから大きなことまで課題や気づきはたくさん出てきます。自分の中の嫌なところ気づき、その嫌な自分が仕事や人生にどんな影響を及ぼすのか?自分は手放したいのか、それとも受け入れたいのか。強制的に深く考えていくことにコーチングとしての価値や意味があるかもしれません。

忙しい人ほど、自分のために内省する時間を作れないことが多いですが、私はそれがとてももったいないと感じています。振り返って自分自身と向き合い、解像度を高めていくという作業をやるのとやらないのでは、向かう先が全く違ってくると、IPPOコーチを務める中で、あらためて感じています。

ーーなるほど。忙しい人ほど内省の時間が取れないという話がありましたが、越境チャレンジや経営人材育成プログラムのコーチングではいかがですか?

芹沢:こちらは、人材育成のプログラムと連動していて、振り返りのセッションとして私がコーチングに携わらせていただいています。やっていることは個人のコーチングと大きくは変わらないのですが、受講者の傾向としては、会社への貢献意識が高い一方で、ご自身の想いやキャリアに向き合う時間をしっかり取れなかった方が多くいらっしゃいます。

プログラムの中では学ぶことや刺激がとても多い一方で、自分のアクションは上手くいかないことに直面することがあります。どうして上手くいかないと感じているのか、そこに対して持っている不安や恐れ、どこに壁があるのかを一緒に話しながら方向性を探っています。

そして、見つけた壁に向き合うためにどんなアクションを取るか、1つだけでも絶対にこれはやろう、と決めて次の機会までに実施してもらう、ということを繰り返していきます。

最初に、「プログラムを受けてみてどうですか?」と聞くと、皆さん「すごく勉強になっています」と、「この場を上手く切り抜けよう」とされます(笑)

そこですかさず、「どんなところが学びになっていますか?」とか、プロジェクトの内容についても「これを元に何をどう変えていくのでしたっけ?」など深く聞いていくと、意外と言語化ができなかったりします。

学びがあったとその時は思っても、自分の中でちゃんと落とし込めていないと次のアクションに繋がらないので、すごく丁寧に掘り下げて、自分の言葉で表現できるようにしてもらっています。

皆さん優秀な方ばかりなので、やろうと思えば「上手くいっている風」にテクニカルに処理することができてしまう方がほとんどです。だからこそ「上手くいっている風」で終わらないように、自分のことを振り返り、嫌なこと、こんなところがだめだなと思っているところについて、向き合って解決していくことが私たち協働日本のコーチングの役割だと思っています。

何回かコーチングの時間を重ねていくと多くの方が、黙っていてもいい時間、考えるための時間を、コーチングの場でも取れるようになってきます。私から問いを投げかけた時に、「ああ、それは全く考えていなかったです」と返ってきて、黙って考える時間を作ることが意識的にできる。仕事の取引先などの間柄だと、会話を途切れさせずに頑張っていいこと言わなきゃと思うこともあると思うのですが、コーチングでは「上手く言う、上手くやる」必要はありません。本音の部分を引き出していくのが役割なので、対話の中で間ができるようになると、良い変化が生まれているなと思います。

気づきあい、高めあい、新たなものを生み出していくコミュニティの可能性

ーー協働日本でのさまざまな活動を通じて、今、芹沢さんが感じることや、今後実現したいことはありますか?

芹沢:そうですね。まずいろんなバックグラウンドを持った方との対話を通じて、自分の視野が大きく広がりました。伴走支援させていただいている私の方が勉強させてもらっていると感じることが多いです。

企業の個性や状況によって、人事や組織のマネジメントで定石とされていることが簡単には当てはまらなかったりする、いい意味での現場感や、良いものをすぐ反映・実行に移すスピード感は、ひとつの会社で人事として働いていては体験できないものだと思います。

協働日本には自分の経験では補えないものを持つ人たちがたくさんいらっしゃるので、そのネットワークの中にいられることも、私はすごくありがたいなと思っています。皆さんから刺激を受けることで、自分自身も自然と成長する選択肢をとっていると感じます。     ここにいること自体が成長につながっていますね。

また、地域のパートナー企業の方との協働を通じて、今までお互いに気づいていなかった「本来その企業が持っている素晴らしいもの」「それを活かしたこれからの可能性」を見つけられることにも、とてもやりがいを感じています。協働を通じて新たに見えた景色から、パートナーの皆さんが自分の存在意義を感じ、自信につなげていってもらえたらいいなと思います。

私は自分自身の人生のミッションとして、「日々ワクワクする人を一人でも増やしたい」を掲げています。仕事を通じて「人と組織の可能性を高めたい」という想いを持っているのもそのためです。協働プロとして、IPPOコーチとして活動することで、ワクワクして人生が豊かになっていく人を一人でも増やす、そんな未来を実現していきたいと思っています。

ーー本日はありがとうございました!最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

芹沢:協働日本には、「可能性」が無限にあるなと感じています。私のように長年組織の中で経験を積んできた人が、協働プロとしての活動を通じて「自分は何に貢献できる人なのか?何をやっていきたいのか?」を問い、アウトプットを通じて様々な気づきを得る場になりますし、地域企業の方にとっても自社の強みを改めて実感し、いろんな可能性に気づく場でもあると思います。

協働日本自体が、「挑戦したい」「現状をもっと良くしたい」「拡大したい」というような、熱量の高い人同士をつなげているコミュニティにもなっていると感じています。これから更にお互いに刺激を受け、気づきあい、高めあい、新たなものを生み出していく組織になっていくのではないかと思います。

ーーインタビューへのご協力、ありがとうございました。

芹沢:ありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします。

芹沢 亜衣子 / Aiko Serizawa

大学卒業後、サントリーフーズ(株)※に入社。IT部門でシステム開発・導入に従事した後、人事部門にて、評価・ジョブローテーションの制度運用・労務対応に加え、ダイバーシティ推進・タレントマネジメントなど新たな施策の企画・運用をリード。2020年よりPwC Japan合同会社に転職し、HRBPとして要員管理・タレントマネジメント・人材開発・組織開発等、部門の戦略・特性にそった人事戦略全般の企画・実行を担う。

※現サントリー食品インターナショナル(株)

芹沢 亜衣子氏も参画する協働日本事業については こちら

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VOICE:山本 竜太氏 -専門能力を発揮して、誰かの役に立ちたい。本業にも還元できる「複業」の経験-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。
今回は、協働日本で地域企業に対して、技術や品質管理のプロとして、また海外赴任の経験を生かした知見で支援を行っている山本竜太(やまもと りゅうた)氏をご紹介いたします。

ハウス食品(株)の開発研究所で、技術戦略策定やリソースマネジメント、開発業務の支援全般を担っている山本氏。その中でも、組織活性化や人材活用、人材育成に興味があり、重点を置いて取り組んでいるそうです。

海外赴任から帰国した年から、協働日本での活動に参画された山本氏に、実際の地域企業とのプロジェクトを通じて感じた変化、得られた気づきや学びを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

2023年に秩父市で開催された協働日本と地域企業の交流イベントに参加

クリエイティブで活気あふれる組織づくりを。新しい部署での挑戦を楽しむ。

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは山本さんの普段のお仕事について教えてください。

山本 竜太氏(以下、山本):よろしくお願いします。現在は、ハウス食品の開発研究所で、技術戦略策定やリソースマネジメント、開発業務の支援全般、システム管理など行う部署を担当しています。研究所が必要とするサポート全般を担っているので、何でも屋のようなポジションですね。

ーー幅広い業務内容ですね。ずっとそういった研究所の支援をされていたんでしょうか?

山本:いえ、今の部署には1年前に異動になったばかりなんです。元々はずっと技術畑、品質保証の仕事をメインにしていました。2018年から2022年5月まではアメリカに赴任、現地にあるグループ会社で業務にあたり、工場での食品安全システムの改善、品質保証体制の構築などを行っていました。

なので、現在の部署の仕事は一転して新しい挑戦でもあります。製品開発がメインの研究所なので、クリエイティブで活気あふれる組織であって欲しい思いもあり、組織活性化や人材活用、人材育成には特に重点を置いて取り組んでいるところです。

私は皆をエンカレッジして一緒に仕事をすることがすごく好きで、それが私自身の喜びでもあるんです。自分自身が楽しく仕事をするのも得意です。なので、メンバーには常日頃から「私と一緒に仕事をすると決して楽ではないかもしれない。でも、しんどいけど楽しい!を目指しましょう」と伝えています。これまで長年の経験や知識をそのまま活かせる仕事ではない、新しい業務ではありますが、活気あふれる組織作りへの挑戦をとても楽しんでいます。

自分の専門領域の強みを活かし、地域企業の想いに応えたい。事業視点を鍛え、新たな視点を持つ───自分のためにもなる活動。

ーーここからは、協働日本での活動についてお聞きしたいと思います。山本さんが協働プロとして参画されたきっかけを教えていただけますか?

山本:

もともと、協働日本代表の村松さんとは同じ会社で働く同僚でした。想いを持って次々と新しい事を仕掛けていく村松さんとは当時から非常に波長が合ったので、在職中にも時々情報交換をしていたんです。思い出してみると、当時からよく熱い議論を交わしていましたね。Facebookで繋がっていましたので、彼が退職後しばらくして協働日本を立ち上げたことも知っていました。

私がアメリカから帰国したタイミングで会話する機会があり、その際に村松さんの協働日本の話を聞かせてもらいました。そこで地域企業にプロフェッショナル人材が伴走するという協働日本独自のスキームや理念を伺い、強く共感しました。村松さんにも「協働日本での活動に興味はないか?」と声を掛けて頂いたんです。

ただ、ずっと技術畑にいた自分が、役に立てるジャンルがあるのだろうか?と思って、初めは自分が協働プロとして活動する一歩を踏み出せずにいました。

ーーなるほど。「副業」や「複業」という働き方自体には以前から興味はありましたか?

山本:正直、副業という働き方については全く考えていませんでした。一方で、長らく専門であった品質保証・技術面の仕事から、全く違う業務の部署に異動になっていたこともあって、自分の専門能力をもっと発揮して何かに貢献したいという想い自体はあったんです。

もちろん今の仕事も面白い分野で、やりがいを持って取り組んでいますが、ずっとやってきた専門領域ならもっと能力を発揮できるのでは?と思うこともありました。そんな中で村松さんの話を聞いて、地方にはやる気と熱い想いを持った経営者がたくさんいるけれど、リソースが足りなくてなかなか想いを実現できずにいる。一方で首都圏の大企業には私のように、これまでの経験を何かに役立てたいと考えるプロ人材もいる…そしてその取り組みが広がっていると言うことは、日本のあらゆる地域で求められているのではないかと感じました。それなら、協働プロとして参画することで地域企業の役に立てるなら面白いんじゃないか、これはチャンスではないかと思うようになり、あらためて協働プロとしての参画を決めました。

ーーまさに協働日本のモデルや理念とご自身の状況がマッチした形なんですね。

山本:そうですね。あとは、協働日本での活動が自分自身のためにもなると考えた面も大きいです。大きい会社にいると、どうしても事業全体をみることができないので、事業視点を持ちにくいと感じています。アメリカのグループ会社にいた頃は、日本のハウス食品に比べ規模が小さいので事業全体を見ることができたという経験もあり、自分にとってとても良い経験になったんです。事業視点を鍛え、新たな視点を持つためにも協働日本の活動はちょうどいいのではないかと考えました。自分自身の視野が広がることで、幅広い業務を担う本業に活かせることも多くなると思っています。

また、協働日本CSOを勤めていらっしゃる藤村さんのことをご紹介いただいたことも大きかったかもしれません。直接お会いして、色々とお話を聞かせていただきました。藤村さんはライオンで部長を務めていらっしゃいます。そのような方も協働プロとして複業の働き方を実践されているんだ、ということが刺激になりました。ちょうど会社でも副業制度が始まったタイミングも追い風となりました。協働プロとしての活動は基本的にはオンラインで完結するので、本業との両立の面でも柔軟に取り組めるのではと感じたことも、参画を決めた背景にあります。

地域の企業には必ず強みがある。外からの視点で見える強みを活かしていく。

ーー山本さんは、地域のパートナー企業とはどのようなプロジェクトで協働されているのでしょうか。

山本:金沢にある織物メーカーさんの企業支援に取り組んでいます。私にとってはまだ一件目の案件で、まさに自分自身も手探り。迷いながら進めている最中です。

同じく協働プロとして活動する、バリュエンスホールディングスで執行役員を務める大西さんと伴走支援のチームを組んでいます。企業側の参加者は課長クラスなど次世代を担うリーダー候補達が中心で、週に1度のオンラインミーティングを通じて現在半年間壁打ちを続けています。将来のリーダー候補をアサインしたという社長の判断も面白く、素晴らしいなと。若手を鍛えたいという意思を強く感じています。

こちらの企業は、インテリア・衣料を事業領域としたテキスタイルメーカーで、最初のヒアリングの段階では技術面の課題も挙げられていたので私がアサインされたのですが、蓋を開けてみると課題はそれだけではありませんでした。

メイン工場はベトナムで、自社工場はありません。メインの市場は日本、大手メーカーに卸しているのですが、取引先企業は自社工場も持っているため、このままのビジネスモデルを続けていていいのか?という危機感を持たれていたんです。

そこで、協働の中では次の事業の柱を作り、5〜10年後にどこでどう売り上げを伸ばすか?という事業戦略のような広い視点の議論に発展し、今もミーティングを重ねています。

ーー工場で生産する製品の展開では、山本さんのこれまでの経験を活かした関わり方も色々ありそうですね。

山本:現状では自分ならではの視点で強みを見つけられたなと思う部分はあります。例えば、パートナー企業では、すばらしい品質の製品を安定的に供給できています。私も海外でものづくりをしていた経験がありますので、海外で物を作ることの大変さはよくわかります。自社工場以外の現地の工場の生産は、コントロールも容易ではなく、トラブルも起こるし思うようにいかないのが常です。そんな中で、現地に入り込んで品質管理をしていく力がある、その技術力や品質管理力は彼らの強みです。普段当たり前のように取り組んでいるので、強みだと認識できていなかった面を掘り起こすことができたように思います。

自分の専門は、品質管理や品質保証という技術寄りではあるのですが、海外品質保証を担当していたこともあり、アセアンを中心とする海外の工場の事情なども分かるので、本業である食品とは異業種でありつつも共通する専門性を活かしてこれからお役に立てればと考えています。

皆で一緒に悩みながら半年。ようやく、こんな方向性、こんな市場がいいんじゃないか?というものが見えてきています。成果を出すのは、ここからですね。

Zoomで行う週に1度のミーティング。支援しているパートナー企業の皆様と。

地域企業と協働プロ。両者の当事者意識の芽生えが相乗効果で成長を生む。

ーー協働を通じて、協働パートナー企業にも変化を感じることはありましたか?

山本:おこがましい言い方かもしれませんが、チームメンバーの著しい成長かなと思います。今回の協働では、次世代の若いリーダー候補がアサインされたこともあり、最初は恐る恐るな感じもあり、積極的に意見が出るという感じではなかったんです。ところが何度かミーティングを重ねると、慣れてきたのか、雰囲気が掴めて来たのか、だんだんと本気モードになってきた。振り返ってみると、SWOT分析などやったことがないというところがスタートで、フレームワークを使った思考整理や、自分自身で課題について考えるというプロセスを経験してもらったことで、変化があったのではないかと思います。

また、ミーティングには社長が参加されることもあり、経営者の考えを直接聞いていくことによる刺激があったのかなとも想像しています。

初めは課題や問いに対して、どうしても経営者視点でないところからピントの合わない意見が出ることがありましたが、自社の強みを理解し、その活かし方を考え、どんどん自分事化していった感覚があり、今では会社の将来像を「自分たちが描くもの」として言語化していけるようになっているように思います。

まさに自立できる人づくりをするという協働日本のコンセプトが実現しつつあるのを実感しています。

ーー協働を通じて若手が事業を自分事化できているのはすばらしいですね。協働の中で、山本さんご自身にも何か変化はありましたか?

山本:協働が進み、だんだんと入り込んでいくことでパートナー企業の経営陣の一員であるような感覚になってきて、まさに二つの会社に所属している形になったことかなと。

先ほども触れた通り、大企業にいると事業全体を見渡すことは非常に難しくなります。その中で、経営者の持っている課題や視点に直接触れられる機会は非常に貴重ですし、そういった視点を持ちながら事業全体をどうやったら良くしていけるのか?と、私自身も自分事として捉えていく───その結果として、自分自身の視座や視野も広がっているのを感じますね。そう言う点ではパートナー企業のメンバーの成長と似た部分もあるかもしれません。

あとは自分自身が肩書に頼って仕事をしていないか?ということも考えるようになりました。パートナー企業を支援する上で、今の会社の肩書は全く関係ありません。協働プロとしての活動は実力勝負です。自分自身の強みや専門性で何が支援できるのか?常にそれを考えるようになりました。

当初は全く違う業界のパートナー企業さんを担当することに不安もあったのですが、事業経営という点では、普遍的であり一緒なんだなということも分かってきて、逆に私だからこその視点で貢献したいと思っています。

「個人の実力」で地域企業の課題解決に取り組む協働日本の仲間達とも情報交換をして、ご自身や本業に還元をしていくという山本氏。

地域企業が一歩を踏み出すことが、地域そして日本を元気にしていく。

ーー山本さんのような大企業のマネージャー職の方々に、地域企業との関わり、異業種のプロジェクトに関わる越境体験の価値についてお伝えするとしたら、どのようなお話をされますか?

山本:まず、大変だけれど、得られるものも大きいよと伝えたいですね。普段接することのない人たちと一緒に仕事をすることで、いろんな考え方ややり方があること、業界や事業規模が違っても普遍的な部分や共通点などを見つけることができます。こういった気づきや新しい視点は本業にも還元できるものが多いです。

また、経営者と話す機会自体がとても貴重ですし、刺激を受けることによる自身の仕事に対してのモチベーションUPにつながると思います。

本業もありながら複業という関わり方をするのはもちろん大変な面もあります。現地を訪問してフィールドワークをすることもありますが、基本的にはオンラインを中心にプロジェクトを進めていくことできるので、本業とも両立させやすいと思います。支援を通じて自分も越境体験ができて、自身の成長と本業に活かせる大きなメリットがある。これは協働日本ならではの三方よしなモデルの素晴らしさですね。

興味のある方には、ぜひチャレンジしてみてほしいと思います。

ーーそれでは最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるかお聞きできますか?協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

山本:協働日本の取り組みが広がることで、日本が元気になってほしいと思います。海外赴任を通じて、日本って素晴らしい国だなあとつくづく思ったんです。一方で、潜在能力はあるのに、デフレ社会は続いたことですっかり自信を失っているというか……成長実感を持てなくなっている人も多いように感じています。

変にお行儀が良く、「正解を言わなくちゃ」「完成度の高いものを出さなくちゃ」という感じで、なかなか一歩を踏み出せない。飛び抜けていこうとする人が少ないというか。海外では、他人からの評価など気にせずに、自分の考えをどんどん発信していく人が多いです。また、とりあえずやりながら、ダメならどんどん修正していくという実行力やスピード感がありました。結果として、ゴールに早く辿り着く。どれだけ能力があっても踏み出さないと何も進まないので、このままでは世界の中でも遅れをとってしまうのではないか?という危機感があります。

そんな中でも、地域には熱い想いを持った経営者がいて、でもそれを実現するリソースが足りていないからこそ、一歩を踏み出せていない。そして専門能力をもっと発揮したいと考える都市人材もいる。この両者をマッチングさせることで、着実に一歩ずつ進んでいくんじゃないかと思います。この協働日本のコンセプトは本当に素晴らしいなと参画してますます感じているところです。

地方の企業が着実に一歩を踏み出せるようになって、周囲に伝播して地方全体が元気になって……結果として日本全体を元気にする、さらにそこから世界に飛び出していく企業もあるかもしれません。そしてその中で人としても成長を実感できる社会が広がっていくといいなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。同じように一歩を踏み出したいと思っている大企業のプロ人材の方にとっても勇気のもらえるお話をありがとうございます。

山本:ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

山本 竜太 Ryuta Yamamoto

ハウス食品(株) 開発研究所 企画運営部長

大学院卒業後、ハウス食品(株)に入社。製品の自主回収をきっかけに、ハウス食品で初めての品質保証部署の立ち上げに従事した。 その後、海外事業の拡大に伴い、ハウス食品グループ本社(株)にて、海外事業専任の品質保証部署を立ち上げた。ハウス食品の生産統括部門を経て、米国子会社(ハウスフーズアメリカ)に4年間赴任し、米国事業の品質保証部署の立ち上げなどを行った。

現在は、開発研究所をよりクリエイティブで活気あふれた組織にするために、技術戦略策定や情報システム管理、リソースマネジメントなどに従事。

山本竜太氏も参画する協働日本事業については こちら

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VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回インタビューするのは、株式会社ひまじんの代表で、SNSやECの支援や新規事業の立ち上げを専門に活躍されている相川 知輝(あいかわ ともき)氏です。

会社を経営しながら、創業100年を超える飲食店に特化した情報サイト「老舗食堂」を運営されています。これまでに2000軒を超える老舗店を訪問してきた相川氏は、「日本で一番老舗飲食店に訪問している人」として老舗の魅力を語る機会も最近は多いそうです。

2002年に新卒でドコモに入社しその後、大手広告代理店での業務を経験し、2014年に株式会社ひまじんを立ち上げ、独立された相川氏。企業プロモーションや新規事業の立ち上げ支援のほか、事業のコンセプト立案から施策の策定、その後の営業活動についても多くの企業に伴走しています。

日本の食文化を守り伝えていきたいという相川氏の想いと、協働を通じて地域と働く人を活性化していきたいという協働日本の想いが重なったことをきっかけに、昨年協働日本へ参画し、複数のプロジェクトを推進する相川氏。

これまでのご自身の経験を活かし、鹿児島の企業を中心にEC・食に関するプロモーション支援を通じて地域企業の伴走支援に取り組んでいます。

協働先の鹿児島企業で生まれた、伴走支援の効果や変化、協働日本の今後の可能性についてだけでなく、ご自身のこれまでの歩みや「食」を軸とした情報発信への想いも語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

自身の「老舗」や「食」への想いと、協働日本の想いがシンクロした

ーー本日はよろしくお願いします!企業のプロモーション支援を中心としたお仕事だけでなく、創業100年を超える飲食店に特化した情報サイト「老舗食堂」を運営するなど、食を軸とした情報発信も積極的にされている相川さん。ぜひ今回、協働日本で活躍する協働プロのお一人として、色々とお聞きしていきたいと思います。

相川 知輝氏(以下、相川):よろしくお願いします!

ーーまずは、相川さんがなぜ日本で共に取り組むことを決めたのか、きっかけをお伺いできればと思います。

相川:自身が「老舗食堂」という老舗の飲食店を紹介するメディアを運営していることもあり、地域を元気にする、日本全国を盛り上げていくような仕事には、かねてから興味を持っていました。

現在、東京と富山県滑川市での2拠点生活をしています。それも、地域を元気にしたい、そのためにまずは地域に入りたいと思い、大体月に1週間ほど滑川市に滞在しています。

そんな中で、よく一緒に仕事をしているデザイナーの知人から、協働日本で広報をされている郡司さんをご紹介いただき、協働日本の想いや実際の活動などをお聞きしたことがきっかけでした。

協働日本というプラットフォームを通じて、自律的に働く協働プロと呼ばれるプロ人材が、地域事業者様にチームで伴走し、本気で協働に取り組んでいるということや、実際に生まれた変化などをお聞きし、とても興味を持ちました。

地域の企業の経営課題や成し遂げたいテーマに合わせて、協働プロが最適なチームを組んで取り組むスタイルなど、お話を聞くうちにますます興味が湧いてきまして、さっそく都内のカフェでお打ち合わせをさせていただきました。

ーーその節はありがとうございました!実際にお会いして、色々とお話しできて良かったです。

相川:実際に協働日本代表の村松さんと、広報の郡司さんにお会いでき、色々なお話をお聞きしました。その際に伺った、金沢の四十萬谷本舗さんの取り組み事例などはとても印象的でしたね。

伝統食「かぶら寿し」が有名な、140年以上の歴史を持つまさに老舗の四十萬谷本舗さんが、都市の複業人材・協働プロと一緒に、新しいターゲット開拓や経営戦略や経営構造の変革に取り組んでいるというお話をお聞きしました。

私自身が大切にしている「老舗」や「食」への想いと、協働日本の考えがとてもシンクロしていると感じ、その場でぜひご一緒させて頂きたいとお伝えしました。

その後、協働日本が受託した鹿児島県および鹿児島産業支援センターの「新産業ネットワーク事業」などの機会を通じて昨年、鹿児島の企業3社に伴走させていただけることになりました。

いずれも食に関連する企業で、ECやプロモーションに課題や問題意識を持っている企業様です。

自分のこれまでのキャリアからの経験や知識を活用しつつ、ひとつでも多くの成果を生み出せるよう、約半年間色々と試行錯誤を繰り返してきました。

鹿児島県庁で行った「新産業創出ネットワーク事業」の報告会の様子

鹿児島の「食」を一緒に全国へ広げていく

ーー具体的にはどんな伴走型支援を行ったのでしょうか?

相川:お手伝いさせて頂く内容は様々ですが、上流工程の「なぜ選ばれるのか」、「どう勝ち続けるのか」の戦略の部分から、商品作りからお手伝いするケース、サイト改訂、新規を伸ばすためのPR支援と様々です。

例えば、鹿児島市内や東京都内にに飲食店を展開している株式会社ネバーランドさんとのお取り組みでは、コロナ禍の中で新たに自社のECサイトをオープンするというチャレンジを、自らの経験や知識を活用してサポートさせていただきました。

鹿児島市が本社で、こだわりのお肉を全国にお届けする通販事業や精肉販売事業、卸売事業を行っている株式会社1129さんとの取り組みでは、こだわりのお肉を作った新商品開発のサポートだけでなく、Twitterを活用したキャンペーン、ニュースリリースの発信、試食会の実施などもアドバイスさせていただきました。

共通しているのは、「どう売り上げを伸ばすか」なのですが、企業さまのステージや強みに合わせて、施策を考え、仮説を一緒に立てながら伴走し、共に悩みを共有し実行してきました。

ーー伴走型支援を通じて生まれた、協働先の変化について教えてください。

相川:目に見える結果に繋がった瞬間もそうですが、なにより、結果が出てくる過程で、社員の方々がどんどんと前のめりになってくれる瞬間に何度と立ち会えたことがとても嬉しかったです。

例に上げた株式会社1129さんでは、1つのキャンペーンが実施できた後は、リリースやキャンペーンを自発的に進めてくださり、より良いパフォーマンスが出るように、様々な工夫を重ねられています。

株式会社ネバーランドさんでは、自社の強みを「接客」と「商品力」の掛け合わせであると再認識されて、昨年末からEC商品を店頭で販売する施策を実施し、年末キャンペーンでは大きな成果を残すことが出来ました。

直近のプロモーションで、年末商戦を上回るような成果がなかなか挙がらない中でも、一回うまくいかないからってあきらめるという発想になっておらず、社員の方々一人ひとりが改善を繰り返しながら次の施策に取り組んでいます。

ネバーランド社長の加世堂さんのリーダーシップあってこそだと思いますが、成果が出なかったのであれば「なぜ」を考えた上で、別の方法を試し続けるという発想でマネージャーから店舗の従業員まで試行錯誤している姿を見て、会社組織としてますます強くなっていると感じています。

施策の成否は、施策の組み立てだけでなく、実行プロセスもとても重要です。実行面を細かく詰め切れるかはある種の情熱がないと難しいと感じているので、実際に担当者が考え動いてくれるのを見るのは勇気づけられますし、協働のあるべき姿なのだと思っています。

ーー相川さんが、これから協働日本を通じて実現したいことはなんでしょうか?また参画したことで得たことや、学んだことがあれば教えてください。

相川:日本の各地に楽しい場所が増えると、日本って更に面白い国になるよなぁって感じています。そんな一助をしたいというのが、一番やりたい事です。今回、協働日本に参画したことで、その想いを再確認しました。

自分の経験を活かせる場面も多くあった一方で、場所やシチュエーションによっては自身の経験ではまだまだ解決できないことも多くあると痛感しました。

今後、アカデミックなインプットや、更に経験を積むことによって、地域そして企業の課題解決をもっと迅速に出来るようにレベルアップしていきたいと思っています。

また協働日本に参画してから、組織内での熱量の重要性をより痛感しています。協働日本では、協業先の企業の代表者と一緒に動くケースが多いのですが、代表者の発する言葉一つで、組織の動きが大きく変わることを実際にこの目で見てきました。

ご一緒させて頂く皆様は、今までの業務を行いつつ、協働日本と一緒に新しい取り組みを「増やす」ことが多いのですが、ただでさえ忙しい中で、どう時間をやりくりするかに課題を抱えているケースは多いと感じてます。

その中で工夫し、プライオリティをつけて施策に取り組むのですが、最後の部分は熱量がやはり大きく、それが出来る経営者の凄みをプロジェクトで体感する事が多いです。私も経営者としてそうなりたい、と感じました。

地域の食文化と、老舗の歴史をアーカイブしたい

ーーそんな相川さんの生い立ちや、協働日本以外のお仕事についてもぜひ教えてください。

相川:愛知県出身で三重県で育ちました。大学卒業後に新卒でドコモに入社しています。その後は大手広告代理店系の仕事をして、2014年に株式会社ひまじんを立ち上げ独立しました。

そういった経歴ということもあり自分の会社では、企業のプロモーションのお手伝いやコンサルティングであったり、新規事業の立ち上げ支援のお仕事をしています。

比重としては、新規事業の立ち上げ支援が大きくなってきていますね。企業さまからご相談を頂いたのち、事業のコンセプト立案から施策の策定をサポートし、その後は実際の営業まで伴走してご一緒することが多いです。

ーー相川さんといえば最近、「日本で一番老舗飲食店に訪問している人」として様々なメディアで老舗の魅力を語る機会も多いですよね。

相川:ありがとうございます(笑)おかげさまで、取材依頼や取材協力、コンテンツ制作協力といったご依頼も増えてきました。

プロモーション支援のお仕事でも、SNSやECのお手伝いが増えています。SNSについては、個人でもTwitterフォロワーが伸びてきており、それを起点にしたご相談を受けることも増えてきました。

運営する「老舗食堂」は月間で15万回以上のアクセスがある

「老舗食堂」とは・・・約100年経過している老舗飲食店の訪問記を載せているサイト。2015年のサイト開設以来、都内を中心とした全国各地の店舗を紹介している。大衆的な店から高級店まで幅広く訪れており、これまでに訪問した老舗店は2000軒を超える。http://shinise.tv/

ーーそんな相川さんが「食」の情報発信、特に「老舗」のお店を紹介したいと思うきっかけは何だったのでしょうか?協働日本での伴走支援でも、その幅広い知識と経験が活かされているとお聞きしており、ぜひお伺いできればと思います。

相川:もともと地方の食べ物、とりわけ郷土食が大好きだったんです。地方にはその土地だから生まれた食べ物があると同時に、色々な理由から消えていってしまう食文化もあって、どうにかしてその日本全国のユニークな食文化を残したいと思うようになりました。

その地域独特のユニークな食文化が凝縮されている存在が老舗なんだと思っています。その老舗飲食店をアーカイブすることが、きっと誰かのためになるのではないか、と思ったんです。それが、「老舗食堂」を立ち上げたきっかけです。

ーー協働日本での活動を通じて、地域を盛り上げていきたいという相川さんの想いに通じる部分ですね!

相川:この取り組みは自身のライフワークとして、今後も続けていきたいと思っています。

地理的な条件と、食文化の関係性について学びを深めようと、今は通信制の大学で地理を学んでいます。

地理的な差異が文化的な差異にどう繋がっていくのかを、アカデミックな視点から研究したいと思っています。将来は、大学院で研究を続けながら、ビジネスにも活かしていきたいと思っています。

老舗の飲食店を訪れ、創業の背景や店名の由来まで掘り下げることも
全国の老舗の飲食店を、多い時で年間で300店舗近く訪ねる

協働日本は、地域と都市をつなぐ媒体・媒介になっていく

ーー相川さんが協働日本で取り組んでいるプロジェクトやこれまでのキャリア、食文化への関心など色々とお伺いでき、私もワクワクしました。それでは最後の質問です。相川さんは、協働日本が今後はどうなっていくと思いますか?

相川:場所を問わずに働くことができる環境や、複業という形で働く人が増えており、東京などの都市で働くビジネスパーソンの鮮度の高いナレッジが、どんどん地域に持ち込まれています。

それによって強い想いをもった経営者や、行政のリーダーがいる地域がものすごいスピードで変わっていっています。そんな中で協働日本のような取り組みが広がっていくことはある種、必然なんじゃないかなと思っています 。

一方で、これからは今申し上げたような「東京から地域」というナレッジの一方通行だけではなく、相互の交流や、地域の中で生まれた成功事例が、「地域から東京」へ都市の大企業やグローバル企業に還元されていくような逆の動きも増加してくると思っています。

私が「老舗食堂」で発信している、創業100年を超えた飲食店にもそれだけ続いているのは訳があるわけで、地域にはまだまだ魅力や学びが詰まっています。

都会と地域の起業家を比較すると、地域側は商圏のサイズもあって、結果的に事業の幅が広くなると感じています。そのため地域の優秀な経営者の方々は、時代の変化により柔軟に対応しています。将来的には地域で活躍する経営者が、東京の大企業のビジネスパーソンに最新のビジネストレンドやナレッジを教えるなんてことも今後増えてくると思います。

そんな時に協働日本が、地域と都市のビジネスパーソンを相互につなげられる大きな媒体・媒介になっていたら、今以上に日本を元気にできると思っています。

私も協働日本の一員として、そんな期待を持っています。 

ーー相川さん、本日はインタビューありがとうございました。これからもよろしくお願いします!

相川:ありがとうございました!よろしくお願いします。

相川 知輝
Tomoki Aikawa

(株)ひまじん 代表取締役・プランナー

大手広告代理店に勤務時代に、クルマメーカーの日本初Twitterキャンペーンを仕掛ける等、デジタル・イベントを軸としたマーケティング&プロモーションを多く手掛ける(受賞歴複数あり)。
独立後は、大手企業だけでなく、中堅印刷会社における新規事業創出、中堅建設会社の売上向上支援・PR支援(NHK等露出)、ミシュラン2つ星和食店のPR・新商品作り支援、組織コンサルティング会社のマーケティング支援(その後、マザーズ上場)等を行う。

食領域に関心が高く、日本全国の創業100年越えの老舗飲食店を1000店舗以上訪問(日本一の訪問数)。フードアナリスト協会認定アナリスト、東京カレンダー公認インフルエンサー、フジテレビ食番組企画・プロデュース、ラジオ大阪お取り寄せコーナー担当、朝日新聞社での老舗連載等を手掛ける。食関係のTwitterフォロワーは4.2万人強。

専門領域
マーケティング戦略、事業戦略、組織作り、人材育成

人生のWHY
多様性は社会の豊かさのバロメーター。古き良きものを守ると同時に、新しい価値を生み出すことで、より多様性を担保できる社会づくりを目指す。

相川知輝氏も参画する協働日本事業については こちら

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