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人と組織STORY:有限会社大倉菓機 大倉崇史氏 製造部門売上1.5倍。「個人力で売る」から「組織で回す」体制へ、老舗メーカーが挑む“第二創業”

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
1911年創業、大分県別府市で製菓・製パン機械の製造・販売・修理を手がける有限会社大倉菓機。顧客の現場に合わせた機械づくりを110年以上続けてきた一方、自社製品を全国へ広げるための「売る仕組み」や、少人数で仕事を回すための「組織の仕組み」には課題を抱えていました。協働日本との取り組みは、自社製造機器の販売促進からスタート。しかし伴走を進める中で、社長に集中していた情報や業務を可視化し、社員全員で会社の未来を考える組織づくりへとテーマが広がっていきます。1年間で問い合わせは2倍になり、受注率は3割増加し、製造部門の売上は2,400万円から3,600万円へ伸長。ワークショップをきっかけに朝のミーティングも復活し、「社長が一人で回す会社」から「みんなで考え、動く会社」へ。代表取締役の大倉崇史さんに、その変化を伺いました。

今回は、大分県別府市で製菓・製パン機械などを手がける有限会社大倉菓機の5代目代表取締役、大倉崇史さんにお話を伺いました。

大倉菓機は1911年、煎餅型などを製造する「大倉菓子型製作所」として創業。現在は食品機械の販売に加え、自社工場でのオリジナル機械の製造、修理・メンテナンスまで幅広く手がけています。近年は、省スペースで職人の手焼きに近い仕上がりを目指したロータリーどら焼き機など、自社製品の開発にも力を入れています。

協働日本とのプロジェクトは、そんな自社製品をもっと広く届けるための販売促進から始まりました。しかし、取り組みを進める中で見えてきたのは、「売り方」だけではない社内の課題でした。

伴走したのは、販売促進や事業・組織課題の整理をともに進めた協働プロの相川さんと、システムや情報整理の視点からプロジェクトを支えた加藤奏さん。異なる専門性を持つ2人がチームとなり、商品の見せ方から受注管理、社内の情報共有、社員を巻き込んだ組織づくりまで、7か月にわたって大倉菓機のこれからをともに考えてきました。

販売促進から始まったプロジェクトは、なぜ会社の仕組みや組織そのものを見直す取り組みへと広がっていったのか。その過程で何が見え、何が変わったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

110年以上続くものづくり。「お客様の味に、機械を合わせる」

ーーまず、大倉菓機について教えてください。

大倉:
もともとは別府駅の近くで、煎餅型などをつくる「大倉菓子型製作所」として始まった会社です。

今は、製菓・製パン機械や食品加工機械の販売、自社での機械製造、それから修理やメンテナンスまで幅広くやっています。

自社工場を持っていますので、既製品を販売するだけではなく、お客様の現場に合わせて機械をつくったり、調整したりできることが私たちの強みですね。

どら焼きひとつとっても、お店によって生地も違いますし、ずっと守ってきた味があります。機械を入れたことで、その味が変わってしまってはいけません。

昔から使われてきた道具や、理にかなったやり方を生かしながら、お客様の商品に機械の方を合わせていく。そこは昔から変わっていないと思います。

ーー大倉さんご自身は、現在どのような仕事をされているのでしょうか。

大倉:
代表取締役ではありますが、主には技術営業です。

自分でお客様のところに営業に行きますし、メンテナンスにも行きます。

会社は全体で8名ほどなので、社長だから経営だけをやる、という規模ではありません。自分自身も現場で動きながら仕事をしています。

その中で、日々の仕事を回すこと以外の「会社の仕組みをつくる」というところに、今回ようやく着手できたという感じですね。

「この人たちなら相談できそう」。一人で抱えていた経営の悩み

ーー協働日本とは、どのように出会ったのでしょうか。

大倉:
別府のB-biz LINKさんと、大分みらい信用金庫さんからご紹介いただいたのがきっかけです。

B-biz LINKさんは、別府を拠点に地域の事業者の事業づくりや新しい挑戦を支援されている組織で、以前から相談する機会がありました。

そのご縁で、協働日本代表の村松さんと、同じ別府で会社を経営しながら協働日本にも関わっている服部さんに、会社まで来ていただきました。

実際に話を聞いて、その場で「やってみよう」と思って、申込書を書きました。

ーー実際に話してみて、どんなところに惹かれたのでしょうか。

大倉:
当時、経営について一人で悩んでいる部分が結構あったんです。

私たちのような仕事をしている会社自体が少ないですし、同業者だからこそ相談しにくいこともあります。

でも、村松さんは食品メーカーで働いた経験があって、食品の現場を知っていた。話をしていて、こちらが抱えていることをかなり具体的に理解してもらえる感覚がありました。

私自身も横浜森永乳業の子会社や、大阪のオーブンメーカーで働いた経験がありますから、話が通じるところもありましたね。

「この人たちなら、自分が抱えていることを相談できそうだ」と思えた。それが大きかったです。

当初は「販売促進が8割」。進めるうちに、組織づくりの比重が高まった

ーー取り組みを始めた当初は、どんな課題を解決したいと考えていましたか。

大倉:
一番は、自社でつくっている製造機器をもっと売っていきたい、ということでした。

感覚としては、最初は販売促進が8割、受注管理や社内の仕組みづくりが2割くらいだったと思います。

それが進めていくうちに逆転して、後半は受注管理や社内の仕組みづくりの方に、より力を入れるようになりました。

ーー取り組みを進める中で、どんなことが見えてきたのでしょうか。

大倉:
商品をどう売るかを考えていくと、その前後の仕事も全部つながっていることが見えてきたんです。

お客様から引き合いをいただく。見積もりを出す。確認して、受注して、製造して、納品する。

そこがきちんと仕組みになっていなければ、せっかくいただいた案件を取りこぼしてしまうかもしれない。少人数で仕事をしているので、なおさらです。

「もっと売ろう」と言って販売促進だけを強くしても、受注した後に会社の中が回らなければ意味がないですよね。

社員のみんなとも話をしていく中で、「やりたい方向は分かるけれど、その前に社内を整えないと」という話が出てきました。

自分がやっていることも周りから十分見えていなかったので、まずは社内の情報を見えるようにして、誰が何をやっているのか、どこまで進んでいるのかを共有できるようにしようと。

製品をつくり続けられる状態をつくってから、しっかり販売を伸ばしていこうという順番に変わっていきました。

「自分自身がボトルネックだった」と気づいた

ーーご自身や会社の仕事の進め方について、どんな気づきがありましたか。

大倉:
一番大きかったのは、自分自身のどこがボトルネックになっているのかが分かったことですね。

それまでは、私自身がいろいろな情報を持っていたんです。

私に直接来る引き合いもありますし、部長に直接来る案件もある。それぞれが分かっていても、会社全体には十分に出せていませんでした。

受注や製造の状況もそうです。

自分では頭の中に入っていますし、スマートフォンのメモを見れば分かる。でも、社員からすると見えないですよね。

取り組みを進める中で、自分が情報を持ちすぎていること自体が、会社が次へ進むときのボトルネックになっているんだと気づきました。

ーーそこから、実際にどんなことに取り組んだのでしょうか。

大倉:
まずは、自分が持っている情報を会社のみんなと共有できるようにしようとしました。

案件や引き合い、見積もり、受注、担当、期限といった情報を、みんなが確認できる形にしていく。

今後はさらに、引き合いから受注、納品までの流れを整理して、AIも使いながら営業や情報共有を効率化していこうと考えています。

自分だけが分かっている状態から、会社のみんなが分かる状態にしていきたいですね。

普段は話せなかったことを、社員みんなでホワイトボードに出した

ーー社員の皆さんとは、どのような話し合いをされたのでしょうか。

大倉:
ホワイトボードを使って、今の会社の状況だったり、これから改善したいことだったりを、みんなで出していきました。

例えば、自社製造の機械を累計50台販売しようとしたときに、今の会社に何が足りないのか。

人材なのか、設備なのか、仕事のやり方なのか。

普段からそれぞれ思っていることはあっても、わざわざ時間を取ってみんなで話す機会はなかなかありませんでした。

それを一度、きちんとテーブルの上に出せたことは大きかったと思います。

ーー印象に残っている出来事はありますか。

大倉:
ちょうど、機械を納品したお客様から感謝のお手紙をいただいていたんです。

それも、みんなで読みました。

目標台数や売上だけを見ていると、「何台売る」「いくら売る」という話になりますよね。

でも、自分たちがつくった機械が実際にお客様のところで使われて、喜んでもらっている。

そういうこともみんなで共有することで、「何のためにこの仕事をしているのか」を改めて感じられたと思います。

朝のミーティングが復活。「思っているだけ」の改善が、動き始めた

ーーその後、日々の仕事の進め方にはどんな変化がありましたか。

大倉:
ワークショップをきっかけに、以前はやらなくなっていた朝のミーティングをもう一度始めました。

それまでは、私が持っている引き合いもあれば、部長が持っている引き合いもある。それが見えにくかったんです。

朝に話すようになって、「今こういう案件がある」「ここまで進んでいる」ということが分かるようになりました。

そうすると、「では、この仕事はこちらでやろう」と分担もしやすくなります。

ーー日々の改善という点では、何か変わりましたか。

大倉:
変わりましたね。

今までも、日々仕事をしながら「これは直した方がいいな」「いつかやらないといけないな」と思っていることはたくさんありました。

でも、日々の仕事に追われて、そのままになってしまう。

今は、それがちゃんと議題に上がるようになりました。

問題が見えれば、「では、いつまでにやろう」「どうやって解決しよう」とみんなで話せます。

自分一人が問題を抱えているのではなく、会社として課題を共有して、一緒に改善していく形になってきた。それはかなり大きな変化だと思います。

製造部門は2,400万円から3,600万円へ。問い合わせも2倍に

ーー取り組みを経て、数字として表れた成果について教えてください。

大倉:
一番分かりやすいのは、自社で機械をつくっている製造部門です。

1年間で売上が2,400万円から3,600万円になりました。1.5倍です。

これまで商社として他社の商品を販売する仕事も大きかったのですが、自社製品の売上が伸びれば、会社全体の利益率にも良い影響があります。

ですから、製造部門が実際に伸びてきたことには手応えを感じていますし、ここはこれからさらに伸ばしていきたいと思っています。

ーーお客様からの反応には、どんな変化がありましたか。

大倉:
ロータリーどら焼き機については、月の問い合わせが2倍になりました。

単に問い合わせ件数が増えただけではなく、「実際に機械をテストしてみたい」というお客様からのご相談も増えています。

受注率も約3割改善しました。

もともとメーカー側としては、「性能が良い」「価格が安い」といったところに目が向きがちだったんです。

でも、お客様が本当に知りたいのは、それだけではありません。

「洗浄はどうするのか」「操作は難しくないのか」「今のお店の味を再現できるのか」「導入した後に困らないか」といった不安があります。

そうした情報をWebなどで事前に伝えるようにしたことで、こちらのことをしっかり理解した上で問い合わせてくださる、検討度の高いお客様が増えたと感じています。

ーー数字が伸びていく中で、新しく見えてきたことはありましたか。

大倉:
ありました。

問い合わせが増えた一方で、納期が間に合わなくて受注できなかった案件もあったんです。

これは悔しいですけれど、一方ではすごく分かりやすい課題ですよね。

商品を知ってもらって、問い合わせが来るところまでは進んだ。でも、その先で、きちんと製造して届けられる体制が必要になった。

だからこそ、最初は販売促進から始まった取り組みが、受注管理や情報共有、組織づくりへと広がっていったんだと思います。

売る仕組みと、売れた後にきちんと回せる仕組み。その両方が必要だということを、実際の数字からも感じています。

ーー製造以外の仕事には、どんな変化がありますか。

大倉:
商社部門は、売上そのものが大きく伸びたというわけではありません。

ただ、商社の仕事は、引き合いをいただいてから早く見積もりをつくり、次へ進めることが大事です。

そこを効率化することで、一つひとつの案件を以前よりスムーズに進められるようになってきました。

メンテナンスも同じです。機械が止まったお客様には、できるだけ早く駆けつけなければいけません。

毎日の動き方をどうすれば無駄なくできるかを考えることで、より多くの案件に対応できるようになってきました。

製造部門の売上という分かりやすい成果だけでなく、会社全体で「どうすれば少人数でもきちんと仕事を回せるか」を考えるようになったことも、大きな変化だと思っています。

「楽どら」。良い機械を、伝わる商品へ

ーー販売促進では、具体的にどんなことに取り組んだのでしょうか。

大倉:
その一つが、ロータリーどら焼き機のネーミングです。

いろいろな候補を考えました。私が案を出して、協働プロの相川さんや加藤さんにも見てもらいながら検討していきました。

その中で、「楽にどら焼きを焼ける」という商品の特徴が伝わる名前として、「楽どら」がいいのではないかということになりました。

今は、商標として使えるかどうかも含めて、知的財産の専門家の方と確認を進めているところです。

ーー商品に名前を付けることについて、どのように考えていますか。

大倉:
まだこれから定着させていく段階ですが、名前があることは大事だと思っています。

単に「どら焼き機」と呼ぶだけではなくて、「楽どら」と呼べる。

ニックネームがあることで、お客様にも覚えてもらいやすいですし、こちらも商品の特徴や価値を伝えやすくなると思っています。

機械として良いものをつくるだけではなくて、「どういう商品なのか」をきちんと伝えることにも、これからもっと力を入れていきたいですね。

ーー商品の魅力を伝えるという点では、ほかにどんなことを見直しましたか。

大倉:
LPやパンフレットですね。

LP自体は、もともと地元のホームページ会社さんにつくっていただいていました。

そこからさらに、「お客様は何を知りたいのか」を考えるようになりました。

価格や製造能力だけではなくて、洗浄はどうするのか、操作は難しくないのか、今のお店の味を再現できるのか。

メーカー側が伝えたい情報だけではなく、お客様が不安に思うことを先に伝える。

そこは今回、かなり意識が変わったところですね。

「別府から日本全国・世界へ」。メーカーとして挑む“第二創業”

ーー会社のこれからについては、どんな方向を目指していきたいと考えるようになりましたか。

大倉:
別府から、日本全国、そして世界へ届けていきたいという思いがあります。

別府は温泉や観光のイメージが強い町ですよね。製造業のイメージはあまりないと思います。

だからこそ、別府から自分たちがつくった機械を、日本全国、そして世界へ届けていきたいと思っています。

今回みんなで会社の未来を考えたことで、その目標を改めて共有できたことも大きかったです。

ーー自社でつくる製品や、メーカーとしての立ち位置については、今後どのようにしていきたいですか。

大倉:
「OKURA MADE」というブランドを、これからもっと広げていきたいと思っています。

これまでは、他社の商品を扱う商社としての仕事も大きかった。

もちろんそこも大切ですが、これからは自社で製品をつくるメーカーとしての立ち位置をもっと強くしていきたいんです。

「大倉菓機がつくった機械」として、自分たちのものづくりを外へ届けていく。

会社としても、今は“第二創業”のような時期だと思っています。

ーー別府という場所だからこそ、どんな価値をつくっていきたいですか。

大倉:
東京や大阪とは違って、お客様にはわざわざ別府まで来ていただくことになります。

だからこそ、来てもらったら内容の濃い時間にしたいと思っています。

自社にはテストルームがありますから、実際にお客様の生地を持ってきてもらって、機械を試していただくこともできます。

「わざわざ別府まで来てよかった」と思ってもらえる場所にしていきたいですね。

専門性だけではない。会社の中に入り、ともに考えてくれた協働プロ

ーー今回、相川さんと加藤奏さんのお二人と一緒にプロジェクトを進めました。相川さんとの取り組みで、印象に残っていることを教えてください。

大倉:
相川さんは、人情味のある人ですね。

こちらの気持ちをすごく汲んでくれる方です。

会社に来てもらったときに、急きょ別の仕事が入ったことがあったんですが、その仕事まで一緒に手伝ってくれたんですよ。

外から来て「こうした方がいい」と言うだけではなくて、実際に会社の中に入って、うちの雰囲気を見ながらアドバイスしてくれる。

一緒にやっていて、とてもやりやすかったですね。

ーー加藤さんとの取り組みでは、どんなところが印象に残っていますか。

大倉:
加藤さんはSEとして、やはり専門性を持っている方ですね。

相川さんと一緒にプロジェクトを進めながら、それまでの話や議事録もしっかり整理してくれました。

何を話して、どこまで進んで、次に何をするのか。

そういうことを整理して、次につなげてくれたのはとても助かりました。

ーー外部のプロ人材と一緒に取り組んでみて、どのように感じましたか。

大倉:
もともと外部のプロ人材と一緒に仕事をすることには、薄々興味がありました。

ただ、実際にどう進めればいいのかまでは分かっていなくて、なかなか動き出せていなかったですね。

今回やってみて感じたのは、「やっぱりプロ集団だな」ということです。

専門的な知識があるだけではなくて、こちらの状況を見ながら一緒に進んでくれる。

身近な飲食店さんなどにも、「こういう取り組みがありますよ」と紹介したいと思うようになりました。

社長一人で回す会社から、みんなで考える会社へ

ーー7か月の取り組みを振り返って、一番大きな変化は何だったと思いますか。

大倉:
会社のみんなで、先のことを話せるようになったことですね。

以前も「これを改善しないと」「こうした方がいい」と自分の中では思っていました。

でも、日々の仕事がありますから、なかなか手をつけられない。

今回、自分がボトルネックになっているところも分かって、それを社員のみんなに共有できました。

そこから朝のミーティングが始まって、案件を共有するようになって、改善点もみんなで話せるようになった。

自分一人で会社を回すのではなく、会社のみんなで解決していこうという方向に少しずつ変わってきたと思います。

ーーこの先、どんな大倉菓機をつくっていきたいですか。

大倉:
まずは、自分たちの機械をもっと全国へ届けたいです。

そして、そのために会社の仕組みをもっと強くしていく。

これからはAIも使いながら、営業や受注から納品までの情報共有をさらに効率化していきたいと思っています。

自社製品が増えて、利益率も上がって、その利益を社員にもきちんと還元できる。

そういう会社にしていきたいですね。

「OKURA MADE」を、別府から全国へ、そしてその先へ。

メーカーとして、次の大倉菓機をみんなでつくっていきたいと思っています。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

大倉:
これから、協働日本さんの取り組みはもっと各地域に広がっていくと思っています。

オンラインでつながるだけではなくて、実際に地域に入って、街のイベントやお祭りなども含めて、人と人が集まる場所をつくっていく。

地域のいろいろな人が集まって、新しいことが始まるようなプラットフォームになっていくんじゃないかなと思っています。

そういう存在になっていってほしいですね。

ーー大倉さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

大倉:
ありがとうございました。


大倉 崇史/Takafumi Okura

有限会社大倉菓機 代表取締役

大分県別府市の有限会社大倉菓機 5代目代表取締役。横浜森永乳業の子会社や大阪のオーブンメーカーでの勤務を経て家業に入り、現在は技術営業やメンテナンスにも携わりながら、自社製品の拡大と組織づくりを進めている。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい – | KYODO NIPPON
https://kyodonippon.work/post-2726/


2026年開催第7回かごしまチャレンジャーサミット

Challenge Report:かごチャレ2026年開催【第7回】開催レポート|県内3社の挑戦と、県境を越え始めた協業

鹿児島県が主催し、公益財団法人かごしま産業支援センターと株式会社協働日本が企画運営を担う「かごしまチャレンジャーサミット(通称:かごチャレ)」。本レポートでは、参加者の挑戦がつながり、広がっていく様子をお届けします。

(レポート作成=黄瀬真理)

3年目の初回、県内外から70名超が集まり満員御礼

鹿児島県が2024年度に始めた「かごしまチャレンジャーサミット(かごチャレ)」は、今年度で3年目、通算7回目を迎えました。鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」の一環として、年3回開催しています。
2026年9月15日、県内外から70名を超える方が鹿児島県庁18階かごゆいテラスに集まり、満員御礼での開催となりました。また、今回も全国から自治体関係者が複数名視察に訪れるなど、地域を超えて関心を集める場となっています。初めての参加者も、複数回通い続けている人も、両方いる構成でした。
開会では協働日本代表の村松が、昨年度この場を視察した石川県からの声かけで今年11月に「いしかわチャレンジャーサミット」が金沢で開かれること、11月には鹿児島から石川へ、1月には石川から鹿児島へ参加者が来る予定など、県を越えて参加者が行き来する形が今年度から本格的に始まることを紹介しました。

チャレンジャーサミットについてはこちら

鹿児島県庁18階かごゆいテラスで開かれたかごチャレの会場。県内外から県内外から70名を超える方が集まり満員御礼
県内外から70名超が参加したかごチャレ(2026年9月15日、鹿児島県庁18階かごゆいテラス)

   

スライド「地域との協業事例」の前で話す株式会社bacterico 代表取締役CEO 菅沼名津季氏
鹿児島の発酵食品との協業事例を紹介する菅沼氏

オープニングトークと県内企業3社のピッチ

【オープニングトーク】小さな“菌”から大きな市場をつくる、ヘルスケア新規事業の挑戦

今回のオープニングを飾ったのは、一人ひとりの腸内環境を整えるサービスを手がける株式会社bacterico 代表取締役CEOの菅沼名津季氏。「小さな“菌”から大きな市場をつくる、ヘルスケア新規事業の挑戦」をテーマに、研究職から起業し、市場のない領域で顧客の反応を見ながら事業をつくってきた過程を話しました。

一人ひとりの腸内環境を整える
株式会社bacterico 代表取締役CEO 菅沼名津季氏 
株式会社bacterico 代表取締役CEO 菅沼名津季氏

同じ菌を摂っても効果が出る人と出ない人がいると分かり、一人ひとりに合わせた腸内環境ケアを事業にしたいと考えたことが出発点だったそうです。腸内細菌検査を幅広い世代に試したところ、検査結果で行動が変わるのは妊婦だったことから、対象を妊婦向けに絞った、と話しました。

「大手が入ってこないからこそ、中小にとってやる意義のある市場」(菅沼氏)。

大手企業やシェフとの協業で商品化が続いています。

締めくくりでは、発酵食品や、焼酎粕や魚のあらなど食品づくりで余った素材の活用など、鹿児島の事業者と一緒にできそうなことを挙げました。

   

【ピッチ】県内企業3名による挑戦事例の共有

続くピッチは、県内から3名の挑戦者が登壇。阿久根のさつまいも倉庫を加工会社に変え、国内から海外へ販路を広げる永井氏、喜界島の薬草・長命草を喜界島の産業として根づかせる渡辺氏、そして愛犬の寿命を10年延ばす予防医療に取り組む原田氏です。途絶えた原料や販路をどう立て直したか、ゼロからどう販路を開いたか、それぞれの挑戦の過程を話しました。

さつまいもで世界に挑む
株式会社海連 専務取締役 永井漸氏 
株式会社海連 専務取締役 永井漸氏

株式会社海連は阿久根市の冷凍冷蔵倉庫の会社です。創業時は魚を預かる倉庫でしたが、魚が獲れなくなり、焼酎用のさつまいもに特化した倉庫に変えました。2019年に家業へ戻った永井氏は、コロナで焼酎の出荷が落ち、基腐病でさつまいもも入らなくなる状況に直面し、原料調達から加工・出荷までを自社で担う会社へ転換します。

転機は鹿児島県の伴走支援事業でした。協働日本と出会い、自社の強みと狙う市場を定め直してからは、商品開発と国内外の営業が一つの計画として動き始めました。冷凍のさつまいもスイーツが今秋、大手小売で発売予定で、海外向けには北米・フランスに続く輸出先も広げています。「さつまいもを、世界の日常食へ」を掲げていると話しました。

(海連様のお取組みはこちらからもご一読いただけます。)


喜界島の長命草を経済資産に 
株式会社喜界島薬草農園 専務取締役 渡辺前二氏 
株式会社喜界島薬草農園 専務取締役 渡辺前二氏

株式会社喜界島薬草農園は、島の人から「サトウキビ以外の基幹産業をつくれないか」と相談を受けた代表の石原健夫氏が、島の原料を1年かけて調べ、ボタンボウフウ(長命草)に決めて2013年に設立しました。島の人たちが株主や関係者として創立に加わった共同の会社です。

ボタンボウフウは、海岸で海水を浴びても枯れず、島民が昔から食べてきた薬草です。一度植えると10年以上収穫でき、台風でも倒れないため、生産者の新しい収入源になっています。機能性表示食品の届出を複数完了し、先々までの契約栽培と全量買取で、生産者が続けられる形をつくってきました。目指すのは、ボタンボウフウを喜界島の経済資産に育て、島の人たちが自分たちで運営を続けられる産業にすることだと話しました。


愛犬の寿命を10年延ばす予防医療に取り組む 
Buddycare株式会社 代表取締役CEO 原田和寿氏 
Buddycare株式会社 代表取締役CEO 原田和寿氏

Buddycare株式会社は2021年に鹿児島で創業し、「愛犬の寿命を10年延ばす」ことを掲げています。愛犬の健康や寿命には生活習慣が関係するケースも多いとされる一方で、日々の健康状態を継続して把握するデータは十分にそろっていません。そのため同社は、フレッシュフード・健康管理デバイス・記録アプリの3つでデータを集め、犬の予防医療を確立することを目指しています。

商社に15年勤めた原田氏は、愛犬と暮らすなかで22年ぶりに鹿児島へ戻って創業しました。動物病院に受け入れられる品質にこだわり、現在は全国1,400の動物病院と提携。今年2月には、フレッシュフードのメーカーとして初めて、動物病院で処方される療法食を発売したといいます。次の5年は療法食の拡充、対面販売、海外での生産と輸出に取り組むと話しました。

  

【パネルディスカッション】挑戦の原点と、向き合ってきた壁

パネルディスカッションのテーマは「挑戦の原点」と「向き合ってきた壁」。司会の岸本氏(協働日本)が、ピッチでの話をさらに深堀して登壇者4名に聞きました。

パネルディスカッションの登壇者4名。左から菅沼氏、永井氏、渡辺氏、原田氏
左から菅沼氏、永井氏、渡辺氏、原田氏

菅沼氏の原点は、高校時代の病院見学で患者が亡くなる場に居合わせた経験でした。治療だけでなく予防が必要だと強く感じ、大学も就職先も予防に関わることを軸に選んできたと話しました。進めるなかでの壁は「任せられない」自分だったといいます。他者と組んで進めるようになってから、できることが増えたそうです。

永井氏は、仲間から「海連の最大の強みは焼酎用の芋だが、最大の弱点でもある」と言われたことを挙げました。当時はピンと来なかった言葉が、1年後のコロナと基腐病で現実になり、その言葉があったから次を考え始められたと振り返ります。苦しい時期には、創業時に魚が途絶えたときの父の話を思い出し、覚悟を決めてからが変わったといいます。

渡辺氏は、補助事業への申請が一度は通らなかった後に、内容を見直して再び応募し採択された経験を話しました。原田氏は、トラブルが起きた時点を一番悪い状態と置き、そこからの回復だけを考えるようにしていると話しました。


ワークショップ「今挑戦していること」を話す時間

かごチャレ2026年開催第7回のワークショップで、自分の挑戦を話す参加者

   

かごチャレ2026年開催第7回のワークショップで、参加者が班ごとに話している様子

後半は、参加者全員が自分の挑戦を言葉にして伝え合うワークショップです。個人ワークのあと、テーブルごとに1人ずつ自分の挑戦を話し、周りの参加者が感想・質問・貢献できることを付箋に書いて相手に渡しました。
今年度から、最後に「ネクストアクションの宣言」が加わりました。今日の学びを3分で言葉にしたあと、次回のかごチャレまでに取り組む一歩を、1人1分ずつテーブル内で宣言します。次回までに新規販路先を決める、同じテーブルだった人の商品を実際に手に取ってみる、鹿児島と石川のコラボを実現したい、といった具体的な宣言が各テーブルから聞こえました。


GLOW UPの県外初開催と、参加者に起きた変化

ワークショップのあと、GLOW UPからの案内がありました。GLOW UPは、2024年度のかごチャレで出会った県内5社(若潮酒造、鹿児島ラーメンみよし家、下園薩男商店、出水田食堂、潮や)が昨年度から続けている立ち飲みスタンドで、若潮酒造の焼酎「GLOW」に合わせる鹿児島の食材を毎回新しいテーマで出しています。9月のテーマは「知覧茶」でした。今年度の新しい動きは、初めての県外開催です。2027年1月30日に大分県別府市の湯治宿「蒸しどころ大黒屋」で、鹿児島の焼酎と食に別府の地獄蒸しを組み合わせた場を開きます。

「このイベントのいいところは、来るお客さんも楽しそうですが、やっている事業者たちがいちばん楽しそうにやっていること」(協働プロ・四元亮平氏)。参加者にも、この場での会話から一緒に取り組む相手を見つけてほしいと呼びかけました。(GLOW UPの誕生秘話はこちらからご一読いただけます。)

事後アンケートでは、7割の人が「他業種との交流で新たな発見ができた」を挙げ、4割が「今後、新たなビジネスに挑戦しようと思った」と答えました。過去の参加者からは、協業の相手や接点が増えた、かごチャレで知り合った人の助言で新商品の企画を始めた、久しぶりに会った人に相談に行った、といった変化の声が届いています。

3年目の初回で共有されたこと、次回の予定

3年目の初回である今回は、開始前から立ち話と名刺交換が始まる場となっていました。2回目以降の参加者が初参加の人に声をかけ、アンケートの回答にも「久しぶりに会った人に相談に行った」と記載があったように、知っている相手とあらためて顔を合わせることが次につながるのも、回を重ねてきたこの場の特徴となっています。今年度は、GLOW UPが県境を越える動きと石川県でのチャレンジャーサミット開催が重なり、鹿児島で始まった場が県外へとつながる年度になりそうです。アンケートには「今後も他地域との交流もできると嬉しい」という要望や、「地域に挑戦の循環を作ることを体現している場だと感じている」という声もありました。

閉会では、公益財団法人かごしま産業支援センターから、登壇4社の話にコラボの種があったこと、この場から新しい取り組みが生まれることを期待しているという話があり、締めくくりとなりました。次回の第2回は2026年11月16日に開催します。

   

※株式会社協働日本は地域企業と第一線で活躍するプロ人材が一つのチームとなり、事業変革に伴走します。成果を出すとともに、その先の「自ら変わり続ける力」を育みます。詳細はこちらからご確認いただけます。


主催:鹿児島県 / 企画運営:公益財団法人かごしま産業支援センター、株式会社協働日本

この取り組みに関するお問い合わせはこちら

Mail:ippo@kyodonippon.work

   

新規事業STORY:湯治の宿大黒屋 安波拓哉氏 昔ながらの湯治宿で顧客単価1.4倍を実現。鉄輪の日常を「事業」に変えた7か月

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
大分県別府市・鉄輪温泉で1938年頃から続く「湯治の宿 大黒屋」。4代目の安波拓哉さんは、築60年を迎えた建物の建て替えを前に、「これからどんな宿にしていけばいいのか」を一人で悩んでいました。協働日本のプロ人材との7か月間の伴走では、建物の設計を急ぐのではなく、まず大黒屋の価値を棚卸し。地獄蒸し、鉄輪の文化、人が自然と交わる空間、そして安波さん自身が培ってきた食と酒の経験など、すでにそこにあった強みを見つめ直しました。そこから生まれた新サービス「鉄輪 蒸しどころ大黒屋」の実証では、宿泊者一人あたりの客単価が従来比約1.4倍に。「建て替える」ための事業計画づくりから始まったプロジェクトは、「鉄輪を体験する湯治宿」という大黒屋の新たな未来を描く取り組みへと広がっています。

今回は、大分県別府市・鉄輪温泉で「湯治の宿 大黒屋」を営む4代目、安波拓哉さんにお話を伺いました。

大黒屋は1938年頃から鉄輪に根ざしてきた、昔ながらの湯治宿です。築60年を迎えた建物の老朽化をきっかけに、協働日本のプロ人材とともに、建て替え後の事業や宿の価値そのものを見直すプロジェクトを進めてきました。

伴走したのは、事業設計を担当する四元亮平さん、ブランディングを担当する岡直哉さん、デジタル・データ分析を担当する加藤奏さんの3名。異なる専門性を持つ協働プロがチームとなり、7か月にわたって大黒屋のこれからを安波さんとともに考えてきました。

その過程で何が見え、何が変わったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

「建て替えないといけない。でも、どうしたらいいのか分からなかった」

ーーまず、大黒屋について教えてください。

安波拓哉氏(以下、安波):
大黒屋は、昔ながらの湯治宿です。地獄蒸しの釜があって、基本的には素泊まりで滞在していただくスタイルの宿ですね。私で4代目になります。

昔は鉄輪にも、こうした素泊まり中心の湯治宿がもっとたくさんありました。ただ、今はかなり数も減ってきています。その中で、大黒屋は昔から変わらず続けてきた宿のひとつです。

いわゆる高級旅館とは違って、気取らずに泊まっていただけるというか、昔ながらの湯治宿らしい距離感を大切にしてきた宿だと思っています。

ーー大黒屋ならではの魅力は、どこにあると感じていますか。

安波:
先代の女将の頃から続いている、アットホームな雰囲気は大きいと思います。接客も含めて、お客様との距離が近い宿です。

もうひとつは、やはり地獄蒸しですね。

地獄蒸しの釜がある湯治宿はほかにもありますが、大黒屋は外に開かれたスペースが多く、比較的気軽に楽しんでいただけます。地獄蒸しを目当てに来てくださるお客様も多いですし、宿泊している方同士や地域の方との会話が自然に生まれる場所にもなっています。

自分たちにとっては当たり前の景色でしたが、改めて考えると、そういうところも大黒屋らしさなのだと思います。

ーー地獄蒸しは、普通に蒸すのとはどのような違いがありますか。

安波:
普通のお湯の蒸気ではなく、温泉の蒸気を使う点が大きな違いです。

100度近い蒸気で一気に蒸すので、野菜は甘みが引き立ちますし、彩りも良くなります。余計な味付けをしなくても、素材そのものがおいしく感じられるんです。

地獄蒸しというと「珍しい調理法」という印象が先に立つかもしれませんが、実際には素材の味をしっかり引き出してくれる、とても理にかなった調理法だと思っています。

ーー協働日本との取り組みを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

安波:
一番大きかったのは、建物の老朽化と、それに伴うブランディングについて悩んでいたことです。

築年数もかなり経っていたので、「そろそろ本格的に建て替えを考えないといけない」と思っていました。ただ、建て替えなければならないことは分かっていても、その先にどんな宿をつくりたいのかまでは、自分の中で整理できていませんでした。

もうひとつのきっかけは、親しくしている米田食堂さんが私より先に協働日本の伴走支援を受けていたことです。今年度も別府市の事業として協働日本さんの伴走支援を受けられることを知り、米田さんからも「一度やってみたら」と勧めてもらって、それなら挑戦してみようかな、と思いました。

建て替えを考えていたタイミングと、周りからの後押しが重なったのがきっかけでした。

ーー当時は、どのようなことに悩んでいましたか。

安波:
最初は、本当に建て替えのことばかり考えていました。

建て替えるためには融資も必要ですから、そのための事業計画書をつくらないといけない。ただ、「では、どんな宿にして、どうやって売上をつくって、その投資を返していくのか」というところが見えていませんでした。

建物を新しくするだけでは、事業計画にはならないですよね。

でも当時は、そこまで頭が整理できていなくて。「建て替えないといけない。でも、どうしたらいいのか分からない」という状態だったと思います。

ーー7か月の伴走を経て、その考え方は変わりましたか。

安波:
かなり変わりましたね。マーケティングやブランディングの協働プロの皆さんと話す中で、新たな視点を得て、大黒屋を客観的に見ることができました。 最初は「どう建て替えるか」ということしか考えていなかったのですが、一緒に話をしていく中で、「こういう商売の仕方もあるのでは」「この場所をこう活かせるのでは」と、どんどん考える範囲が広がっていきました。

建物の話だけではなくて、「これから大黒屋として何を提供していくのか」「どういう宿でありたいのか」を考えるようになった。 振り返ると、いろいろなアイデアが湧いてきた7か月だったと思います。

建物を考える前に、「大黒屋ってどんな宿ですか?」から始まった

ーー実際のプロジェクトは、どのように進めていったのでしょうか。

安波:
大きく4つくらいのフェーズに分けられると思います。

最初は、大黒屋の価値の棚卸しです。

「大黒屋はどんな宿ですか」「4代目の安波拓哉はこれまで何をしてきましたか」といったことを、かなり丁寧に聞いてもらいました。

最初は、建て替えの事業計画をつくる中で、なぜ自分のこれまでの経験まで掘り下げるのだろうと思う部分もありました。でも話していくうちに、大黒屋の歴史だけではなく、自分自身がこれまで何をしてきたのかも、これからの宿を考える材料になるのだと分かってきました。

その後は、お客様の層や客単価などを実際の数字にして、分析してもらいました。

ーーその後、協働プロの皆さんが現地を訪れたのですね。

安波:
はい。実際に大黒屋に泊まってもらって、地獄蒸しも体験してもらいました。鉄輪の周辺も歩いて、「この地域には何があるのか」を一緒に見てもらいました。

オンラインで話しているだけでは伝わりにくい空気感がありますから、現地に来てもらったことは非常に大きかったです。

そこで皆さん自身が鉄輪を体験したことで、「これ自体が価値なのではないか」と気づいてもらえた。

「地獄蒸しの野菜ビュッフェをやってみたらどうか」というアイデアが出てきたのも、その頃でした。

ーー現地に来てもらったことで、プロジェクトが加速した感覚はありましたか。

安波:
かなりありました。

現地訪問の前までは、まだ言葉で考えている部分が多かったと思います。

でも実際に見てもらってからは、「ここならこう使える」「この地獄蒸しをもっと前に出せる」と、イメージが一気に具体的になりました。

そこからは、アイデアを出すだけではなく、「では実際にどうやるか」というところまで、かなりスピード感を持って進んでいきましたね。

「何を新しくするか」ではなく、「何を残すか」

ーー建て替えについては、どのような議論をしたのでしょうか。

安波:
「全部を新しくしましょう」という話にはなりませんでした。

ブランディングを担当してくれた岡直哉さんとは、「こういう雰囲気は残したい」「ここはもう少し使いやすくしたい」と話しながら、それに近い建物や空間の写真をいろいろ出してもらいました。

自分の中には何となくイメージがあっても、それを言葉だけで説明するのは難しいんです。

写真を見ながら、「これは違う」「こっちは近い」と話していくことで、自分自身の考えも整理されていきました。

ーーその中で、「残したいもの」も明確になっていったのでしょうか。

安波:
そうですね。

大黒屋のアットホームな雰囲気や、気軽に地獄蒸しを楽しめるところは、これからも残していきたいと思いました。

建物をきれいにすることで、逆に今の良さがなくなってしまったら意味がありません。

その上で、水回りなど必要な部分はきちんと更新して、地獄蒸しの釜を中心に人が集まったり、会話が生まれたりする空間にできたらいいよね、という話をしました。

昔からあるものを大切にしながら、今の時代に合う形にしていくという考え方ですね。

ーー「何を建てるか」より先に、「大黒屋らしさとは何か」を整理した。

安波:
そうだと思います。

最初は、「新しい建物をどうするか」を考えていました。

でも話していくうちに、「そもそも大黒屋の良さは何なのか」「お客様は何を求めて来てくれているのか」を先に考える必要があると分かってきました。

建て替えること自体が目的ではなく、大黒屋の良さをどう残して、そこにどんな価値を加えていくのか。

そこが整理できたことで、建物についても考えやすくなったと思います。

バーテンダー、ソムリエとしての経験も、大黒屋の強みだった

ーー価値の棚卸しでは、安波さんご自身のキャリアにも目を向けました。

安波:
はい。

私は大学進学を機に福岡へ行って、その後も含めて15年ほど福岡で過ごしました。

ハイアットリージェンシー福岡やラ・ロシェル福岡などで働きながら、バーテンダーやソムリエとして、食や酒、接客について経験を積んできました。

ーーそれまで、ご自身のキャリアを大黒屋の強みとして捉えていましたか。

安波:
そこまで明確には考えていなかったと思います。

自分にとっては、以前やっていた仕事という感覚が強かったので。

ただ、皆さんと話していく中で、「それは大黒屋の体験づくりに活かせる強みですよ」と言ってもらいました。

地獄蒸しがあって、そこに食や酒の知識が加わる。自分がやってきたことと、大黒屋に昔からあるものを組み合わせれば、新しい価値になる。

そういう見方は、今回改めて気づかせてもらった部分だと思います。

ーーその意味では、伴走以前から行っていた「風呂本商店」にもヒントがありました。

安波:
そうですね。

風呂本商店は、旧鉄輪蒸し湯の跡地を使って、月に一度だけやっている立ち飲みのイベントです。

地元の方も来ますし、観光で来た方も来ます。そこで一緒にお酒を飲んでいると、自然に会話が生まれるんです。

自分としては好きでやっていたことですが、改めて振り返ると、食や酒を通して地域の人と観光客が混ざり合うというのは、大黒屋がこれから目指す姿にも近いんですよね。

ーー新しい答えを探していたけれど、すでに実践していた部分もあった。

安波:
そうですね。

自分の食や酒の経験と、鉄輪や大黒屋の良さを掛け合わせる。

今考えると、その考え方自体はすでに始まっていたのだと思います。

ただ、自分一人では、それを「大黒屋の強み」や「これからの事業」として捉えられていなかった。

外から見てもらったことで、そこに気づけたのは大きかったです。

700円の「釜貸し」を、「選ぶ・蒸す・味わう」体験へ

ーー新サービス「蒸しどころ大黒屋」は、どのように生まれたのでしょうか。

安波:
もともと大黒屋では、地獄蒸しの釜を90分700円で貸していました。

利用してくださる方はいるのですが、月に10件ほどで、基本的には「場所を貸す」というサービスでした。

お客様自身が食材を持ってきて、釜を使っていただく。それはそれで鉄輪らしい楽しみ方ではあるのですが、事業として考えると、700円の釜貸しだけではどうしても限界があります。

ーーそこで、釜を貸すのではなく、「地獄蒸しの体験そのもの」を商品にしようと。

安波:
はい。

現地訪問の後に、「地獄蒸しの野菜ビュッフェをやってみたら面白いのではないか」という話が出ました。

そこからは、かなり細かいところまで考えました。

野菜をどう並べるか、器をどうするか、お客様にどう選んでもらうか、どこを通って釜まで行くか。料金やオペレーションも含めて、一つひとつ詰めていきました。

アイデアだけで終わらせず、最後は「実際に一度やってみましょう」というところまで進められたのが良かったと思います。

ーー「蒸しどころ大黒屋」では、どんな体験を提供したのでしょうか。

安波:
大分県産の野菜などを用意して、その中からお客様自身に好きなものを選んでいただきます。

それを自分で地獄蒸しの釜に入れて、蒸して、できたてを食べてもらう。

単に料理を提供するだけではなく、食材を選ぶところから、自分で蒸すところまで含めて楽しんでもらう形です。

地獄蒸しは、蒸気が一気に上がる様子も含めて体験として面白いですし、そこに飲み物や味の変化を組み合わせることで、もっと楽しんでもらえるのではないかと考えました。

私自身の食や酒の経験も、ここで活かせると思っています。

小さく試して、数字で確かめる。客単価は約1.4倍に

ーー2026年5月にトライアルを行いました。結果はいかがでしたか。

安波:
一番分かりやすかったのは、やはり客単価です。

素泊まりが6,000円で、そこに地獄蒸し体験の平均2,425円が加わって、宿泊者一人あたり8,425円になりました。

従来の素泊まりと比較すると、約1.4倍です。

ーー実際に数字が出たことは大きかったですか。

安波:
大きかったですね。

これまでは、「地獄蒸しを活かしたら何かできるのでは」という感覚でした。

でも実際に試したことで、「このサービスを提供すると、このくらい客単価を上げられる可能性がある」という数字が出た。

今後、融資の話や事業計画を考えるときにも、感覚だけではなく、実際に試した結果として話すことができます。

それは非常に大きな違いだと思っています。

ーー参加したお客様の反応はいかがでしたか。

安波:
野菜がおいしかったという声はもちろんありましたし、「自分で選んで、自分で蒸すのが楽しかった」という反応もありました。

地獄蒸しは、私たちにとっては日常にあるものですが、お客様にとってはそれ自体が特別な体験になる。

そこを改めて確認できたのは良かったです。

申込率も想定より高く、一定のニーズがあることも分かりました。

ーートライアルをしてみて、「蒸しどころ大黒屋」の可能性をどう感じましたか。

安波:
このサービス単体で終わらせる必要はないと思っています。

例えば、宿泊プランの中に最初から組み込むこともできますし、夜の時間に地獄蒸しとお酒を楽しんでもらうような形も考えられます。

今回1.4倍という数字が出たことはもちろん成果ですが、それ以上に、「ここをベースにいろいろ展開できそうだ」と思えたことが大きいですね。

ひとつ、事業の土台になるものができた感覚があります。

「蒸しどころ大黒屋」だけではない。事業の到達点が見えてきた

ーー7か月の伴走を振り返ると、ほかにはどんな変化がありましたか。

安波:
成果というと、どうしても「蒸しどころ大黒屋」が一番分かりやすいと思います。

ただ、実際にはもっと細かいところでも変化がありました。

例えば、これまでは電話で直接予約をいただいたお客様の情報を、きちんとデータとして残せていませんでした。

加藤奏さんから、「こうした情報をきちんと残しておくことが、今後のお客様との関係づくりにつながる」と教えてもらって、少しずつデータを取るようになりました。

これまで当たり前にやっていた業務についても、「こういう情報を持っておくことが、今後につながるんだ」と考えるようになりましたね。

ーー最初の課題だった、融資や事業計画についてはいかがですか。

安波:
融資自体はまだこれからですが、事業計画についてはかなり言語化できるようになってきました。

最初は「建て替えたい」というところしかありませんでしたが、今は「どんな宿にしたいのか」「どんなサービスをつくるのか」「どうやって売上につなげるのか」まで、少しずつ一本につながってきています。

進むスピードも上がりましたし、「ここを目指して進めばいい」という到達点が見えてきた感覚があります。

ーー当初の「どんな宿にしたらいいか分からない」という状態からは、大きく変わりましたね。

安波:
そうですね。

以前は、建て替えと事業を別々に考えていた部分もあったと思います。

でも今は、「こういう体験を提供する宿にしたいから、こういう空間が必要だ」というように、建物と事業を一緒に考えられるようになりました。

それが今回の取り組みの中で、一番大きく変わったところのひとつかもしれません。

答えを押しつけず、まず鉄輪と大黒屋を理解しようとしてくれた

ーー今回の伴走には、事業設計を担当した四元亮平さん、ブランディングを担当した岡直哉さん、デジタル・データ分析を担当した加藤奏さんの3名の協働プロが参加しました。最初は、外部のプロ人材との取り組みに不安もありましたか。

安波:
ありましたね。

こうした形で伴走支援やコンサルティングをお願いするのは初めてでしたし、そもそも最初はリモートでの打ち合わせにもあまり慣れていませんでした。

それに、地方にいる側からすると、「東京や大阪で活躍しているプロの方」と聞くだけで、少し構えてしまうところがあります。「難しいことを言われるのではないか」「こちらのやり方を否定されるのではないか」という不安も、正直ありました。

でも、実際に始まってみると、その印象はまったく違いました。

皆さんとてもフランクですし、「自分たちはプロだから、こうした方がいい」と答えを押しつけてくることもありませんでした。

まず大黒屋がこれまでやってきたことや、私自身が考えていることを聞いて、その上で「こういう方法もあるのではないですか」と提案してくれる。こちらのやり方に寄り添いながら進めてもらえたので、とてもやりやすかったです。

ーー事業設計を担当した四元さんには、どのような印象を持っていますか。

安波:
四元さんは、最初からすごく話しやすかったです。

特に印象に残っているのは、いきなり「事業としてこうするべき」と話すのではなくて、まず鉄輪や大黒屋のことを理解しようとしてくれたことですね。

「この地域には何があるのか」「大黒屋の良さはどこにあるのか」というところから一緒に考えてくれました。

現地にも来てもらって、表面的な観光地としての鉄輪だけではなく、かなり深いところまで見てもらったと思います。

こちらとしても、「外から来た人に何かを教えてもらう」というより、一緒に地域を見ながら可能性を探している感覚がありました。だからこそ、自分の考えていることも素直に話せたのだと思います。

ーー岡さんは、ブランディングや建て替え後のイメージづくりを担当しました。どのような方でしたか。

安波:
岡さんは、オンラインで話していたときと、実際に会ったときの印象が少し違っていて、それも面白かったですね(笑)。

ロゴや建て替え後のイメージなど、出してくださるものはすごくセンスが良かったので、最初はクールな方なのかなと思っていました。

でも実際に鉄輪に来てもらうと、とても柔らかい方で、人間味のある方でした。

建て替えについても、「こういう建物にしましょう」と決めるのではなくて、私と話しながら、いろいろな写真やイメージを出してくれました。

自分では頭の中にぼんやりとしかなかったものを、「これは近いですか」「これは少し違いますか」と一緒に確認していく。そのやり取りを通じて、「自分が残したい大黒屋らしさは、こういうことなのか」と、こちらの考えも整理されていきました。

ーー「蒸しどころ大黒屋」のロゴも、岡さんが関わっていたのですね。

安波:
はい。建物のイメージだけではなくて、「蒸しどころ大黒屋」のロゴもつくってもらいました。

アイデアを出して終わりではなく、実際にお客様に見せるところまで一緒につくってもらえたのは大きかったです。

サービスの中身だけでなく、「大黒屋らしくどう見せるか」まで考えてもらったことで、ひとつの事業として形になっていった感覚があります。

ーー加藤さんは、デジタル・データ分析の面から伴走しました。印象に残っていることはありますか。

安波:
加藤さんも、非常に話しやすかったです。

データ分析というと、最初は少し難しいものを想像していました。でも、いきなり専門的な数字の話をするのではなく、まず大黒屋の状況を聞いた上で、「こういう情報を取っておくといいですよ」と、日々の業務に落とし込んで教えてくれました。

先ほどお話しした電話予約のお客様の情報もそうです。

今まで何となくやっていたことを、「これはデータとして残した方がいい」「後々こう活かせる」と整理してもらったことで、日々の業務の見方も少し変わりました。

「蒸しどころ大黒屋」のトライアルについても、感覚だけではなく客単価や申込率を数字として見る。そういう考え方は、今回の取り組みを通じてかなり意識するようになりました。

ーー3人それぞれ専門領域は違いますが、共通していたことはありますか。

安波:
やはり、「まず地域や大黒屋を理解しようとしてくれたこと」だと思います。

事業、ブランド、データと、それぞれ専門性は違いますが、自分の専門領域だけを見ている感じがなかったんです。

鉄輪という場所があって、大黒屋という宿があって、そこに自分たちがこれまでやってきたことがある。それを理解した上で、それぞれの専門性を持ち寄ってくれました。

外から新しい答えを持ってきてもらったというより、もともとここにあったものを、一緒に見つけて、つないで、形にしてもらったという感覚の方が近いですね。

今回の7か月で「蒸しどころ大黒屋」が生まれたことももちろん大きな成果ですが、自分たちだけでは気づかなかった大黒屋や鉄輪の可能性に気づけたことも、それと同じくらい大きかったと思っています。

「うちみたいな小さなところが」と思っていたからこそ、勧めたい

ーー今後、地域企業とプロ人材のこうした協働は広がっていくと思いますか。

安波:
広がっていくと思います。

私の周りにも、同世代で宿や家業を継いでいる人が多いので、「こういう支援もあるよ」と話すことがあります。

ただ、なかなか最初の一歩を踏み出せない気持ちもよく分かります。

私自身も最初は、「うちのような小さなところが、こういう支援を受けてもいいのだろうか」と思っていましたから。

ーー実際に取り組んでみて、その印象は変わりましたか。

安波:
変わりましたね。

外部の知識やスキルを持った人と話すことで、自分たちだけでは見えていなかったものが見えてきます。

地方には、同じように「何か変えたいけれど、何から始めればいいか分からない」と悩んでいる会社やお店がたくさんあると思います。

そういうところに、こうしたプロ人材との協働は合うのではないかと思います。

ただ、地域に入る側が、まずその地域を理解しようとしてくれることは大事ですね。

そこがあれば、地域側も安心して話ができると思います。

大黒屋を、「泊まる場所」から「鉄輪を体験する場所」へ

ーー今後、大黒屋ではどのようなことに取り組んでいきたいですか。

安波:
まずは、「蒸しどころ大黒屋」をきちんと定着させていきたいです。

今回トライアルとして形にできたので、今度は宿泊プランの中に組み込んだり、夜の時間帯に展開したり、実際の営業の中でどう使っていくかを考えていきたいと思っています。

まだ改善できるところもたくさんありますから、運営しながら少しずつ磨いていきたいですね。

ーー顧客との関係づくりも今後のテーマですね。

安波:
そうですね。

今回、顧客データをきちんと残すことの大切さも学びました。

LINEや予約リストなども活用しながら、一度来てくださったお客様と、その後もつながっていける仕組みをつくりたいと思っています。

昔ながらの湯治宿は、何度も来てくださるお客様との関係がとても大切なので、そこはデジタルも上手に使っていきたいですね。

ーーそして、最初のテーマだった建て替えにもつなげていく。

安波:
はい。

今回、新しい体験や飲食のモデルについて、一定の手応えを得ることができました。

「こういうサービスを提供すれば、このくらいの収益につながる可能性がある」ということが見えてきたので、それを建て替えや融資の計画にも反映していきたいと思っています。

最初は建物の話から始まりましたが、今はようやく「どんな事業をするために、どんな建物が必要なのか」という順番で考えられるようになってきました。

ーー伴走をきっかけに、ほかの地域との新しいつながりも生まれているそうですね。

安波:
そうですね。

四元さんが関わっている鹿児島の「GLOW UP」の皆さんと、「蒸しどころ大黒屋」で一緒に取り組む話も進んでいます。

今回の7か月が終わったから、そこで関係も終わりということではなくて、別の地域や別の取り組みにもつながっている。

最初は大黒屋の建て替えについて相談していたところから、新しいサービスが生まれ、さらに地域を越えたつながりまで生まれてきました。

そういう広がりが出てきているのも、今回の伴走の面白いところだと感じています。

ーー最後に、協働日本との7か月を振り返って、メッセージをお願いします。

安波:
今回一緒に取り組んでもらったことで、本当に大黒屋の可能性を広げてもらったと感じています。

大黒屋という宿だけを見るのではなく、鉄輪という地域のかなり深いところまで見て、その上で一緒に考えてもらえた。

そのおかげで、自分自身にも少し自信がつきましたし、「これから大黒屋をこうしていきたい」というイメージも、以前よりかなり具体的になりました。

最初は建て替えのことで悩んでいましたが、今はその先にある事業や、大黒屋のこれからについて考えられるようになっています。

本当に感謝しています。

これから大黒屋も頑張っていきますので、協働日本の皆さんとも、引き続き一緒に新しいことに取り組んでいけたら嬉しいです。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

安波:
ありがとうございました。


安波 拓哉/Takuya Yasunami

湯治の宿 大黒屋 4代目

1984年生まれ。18歳まで別府市で過ごし、福岡の大学へ進学。

大学卒業後、ホテル「ハイアットリージェンシー」に入社し、バー「ロトンダ」でバーテンダーとして勤務。勤務しながらJ.S.A.ソムリエ資格を取得する。

その後、「ラ・ロシェル福岡」に入社し、ソムリエとして勤務。福岡で計15年間を過ごしたのち、2018年に別府へUターン。

「湯治宿 大黒屋」に4代目として勤務し、現在は湯治宿を経営する傍ら、月1回開催の立ち飲みイベント「風呂本商店」などを開催。

これからの湯治文化の継承や、鉄輪温泉を盛り上げる活動に取り組んでいる。

協働日本事業については こちら

VOICE:四元 亮平 氏 -想いを持つ方を支える「名脇役」として。マーケティングを通じた地域企業の価値の再発掘と成長を目指す。
https://kyodonippon.work/post-4534/


AI・デジタル活用STORY:株式会社伊田重機 柳澤有希子氏 紙に眠る57年の知恵を、次世代へ。社員主導で始まったデジタル変革

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
奈良県奈良市で、建設機械や建設用車両の修理・販売・整備・保守点検などを手がける株式会社伊田重機。創業以来の豊富な知識と経験を強みにする一方、顧客情報や修理履歴の多くは紙で保管され、業務の進め方もベテラン社員の記憶に依存していました。協働プロとともにkintoneを活用した情報の一元化に着手し、現在は紙資料をPDF化し、生成AIも用いてデータへ移す方法を検証しています。本格運用はこれからですが、すでに大きな変化も生まれています。若い事務員2名が、自らAIやkintoneを学び、システムの構築を主導するようになったのです。社長が一人で抱えていた課題が社員の共通課題となり、現場から会社を変える動きへ。創業57年の知恵を次世代へつなぐ「デジタル事業承継」が始まっています。

この取り組みは、株式会社協働日本のAI・デジタル活用伴走支援「デジコーチ」による支援事例です。
→デジコーチとは

今回は、奈良県奈良市を拠点に、建設機械や建設用車両に関する幅広いサービスを展開する株式会社伊田重機 代表取締役の柳澤有希子さんにお話を伺いました。

同社は1969年(昭和44年)に創業。建設機械の修理を起点に、リース・レンタル、中古建設機械の販売、オペレーター付きでの現場対応、ユニック車などの架装部分の修理・点検へと事業を広げ、地域の建設現場を支えてきました。一方、顧客情報や修理履歴は大量の紙で保管され、業務もベテラン社員の記憶に依存。情報共有の不足が、ミスや顧客トラブルにつながることもありました。

2代目として会社を継いだ柳澤さんは、この状況に強い危機感を抱きながらも、当初は一人で悩み続けていたといいます。奈良県の「デジタル×経営実践」プログラムを通じて協働日本と出会い、協働プロの横町暢洋さんらと取り組みを進める中で、会社にどのような変化が生まれたのでしょうか。

ベテランの頭の中と紙に眠る情報を、どのように会社全体の資産へ変えていくのか。そして、デジタルとは縁遠かった社員たちが、なぜ自ら変革を担うようになったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

建設機械のことなら、何でも応える。修理から広がった57年

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、伊田重機さんの沿革と現在の事業について教えてください。

柳澤有希子氏(以下、柳澤):
よろしくお願いします。当社は昭和44年に、父が創業しました。当時は高度経済成長期の真っただ中で、建設機械が普及し始めた頃だったのだと思います。父はとにかく機械が好きで、建設機械の修理を始めたことが会社の出発点です。

現在は修理を基盤に、リース・レンタル、中古建設機械の販売、オペレーター付きで建設機械を現場へ出す仕事なども行っています。ユニック車やごみ収集車といった働く車の「架装部分」の修理や点検も得意です。「建設機械のことならお任せください」という言葉を看板にも掲げるほど、さまざまなご相談に対応しています。

建設機械は10年、20年前のものでも、動けば仕事になります。かなり前に販売した機械が、修理のために再び入ってくることも珍しくありません。昔からいる担当者の記憶は大きな強みですが、その人にしか分からないままでは、会社としてお客様に向き合い続けることが難しい。古い履歴も簡単には捨てられない業種だからこそ、会社の情報として残す必要がありました。

ーーありがとうございます。続いて、協働日本を最初に知ったきっかけを教えてください。

柳澤:

以前、奈良中央信用金庫の経営研究会で、協働日本代表の村松さんの講演を聞いたことがありました。お話を聞いて、「こういう方々に相談できたらいいだろうな」と感じたことを覚えています。

その後、奈良県の「デジタル×経営実践」プログラムを知りました。参加企業には当社と同じような中小企業も多いと聞き、「悩んでいるのは、うちだけではない」「うちでもデジタル化、DXに取り組んでいいんだ」と思えました。

ちょうど、ベテラン社員の知識をどう引き継ぐか、一人で悩み続けていた時期でもありました。私にとって、本当に必要なタイミングでいただいた機会でした。

ーー奈良県の事業を通じて、協働日本の協働プロたちとの具体的な協働が始まったのですね。

柳澤:

はい。最初は私一人が焦り、「何とかしなければ」と思っていました。ご紹介いただいた協働プロの横町さんたちとの取り組みを通じ、課題を整理し、当社に合う方法を一緒に考えてもらうところから始まりました。

単にシステムを紹介してもらうのではなく、今の当社がどのような状態で、何に困っているのかを聞いてもらえたことが大きかったと思います。

「この人に聞かないと分からない」。ベテランの記憶に頼る会社

ーー協働日本との取り組みを決めた当時、社内にはどのような課題があったのでしょうか。

柳澤:
父の代から働く社員が今も会社を支えてくれています。経験が豊富な一方、業務の進め方やお客様の情報の多くは、その方たちの頭の中にしかありませんでした。「何十年か前に対応したお客様だから、資料を調べてほしい」と言われると、事務スタッフは仕事を止め、大量の紙資料から探します。複数人で探し、数時間かかることもありました。

営業と整備の間でも、十分に情報を共有できていませんでした。問い合わせをいただいても、担当者がいなければすぐに答えられない。行き違いからミスやロスが生まれ、お客様にご迷惑をかけてしまうこともありました。実際にお客様を怒らせてしまい、営業担当が頭を下げるような出来事もありました。そうなると、社内の空気も悪くなってしまいます。

ーー2代目として、その状況に強い危機感を持たれていたのですね。

柳澤:
この先も伊田重機を続けるなら、ベテラン社員の頭の中にあるものを見えるようにしなければいけない。長く働いてきた方々の自負も、若い社員が新しいことを取り入れたいという思いも大切にしながら、どう知識を受け継ぐのか。答えが見えず、当時は一人で悶々としていました。

協働日本のプログラムを知ったのは、まさにそのタイミングでした。私にとっては、本当に必要なときに出会えた取り組みでした。

デジタル化は、創業57年の知恵をつなぐ「事業承継」

ーー今回の取り組みでは、どのような未来を目標に掲げたのでしょうか。

柳澤:
目指したのは、社員が同じクオリティーで仕事ができる職場です。誰が問い合わせを受けても同じ情報を確認し、速やかに対応できるようにする。「この人に頼んでよかった」だけではなく、「伊田重機に頼んでよかった」と言っていただける会社へ変えていきたいと思っています。

ですから、当社にとってのデジタル化は、単なる効率化ではありません。ベテラン社員が長年培ってきた知識やノウハウをデータとして残し、若い世代へ引き継いでいくための取り組みです。創業57年の重みを未来へつなぐ、事業承継の一つだと捉えています。

ーーその実現に向け、まずは顧客情報や修理履歴をkintoneへ集約することにしたのですね。

柳澤:
はい。いくつかのシステムを検討し、横町さんにも相談しました。業界向けの専門的なシステムには、何百万円という導入費用に加え、月々の費用がかかるものもあります。機能が多くても、当社がすべてを使いこなせるとは限りません。

その点、kintoneは当社が今やりたいことに合っていて、費用面でも取り組みを始めやすく、自社に合わせてカスタマイズできます。営業やベテラン社員が持つ情報を棚卸しし、顧客情報を一元化する。そのうえで、業務を効率化できるように情報を整理し、社員にもデジタル活用の考え方を広げていく。この順番で進めています。

請求書、機械の仕入れ・販売など、担当者ごとのExcelや頭の中にあった情報も、一つの流れとして確認できる仕組みをつくっている段階です。

高さ50センチの紙資料。生成AIを使っても「読み取れば終わり」ではない

ーー膨大な過去の情報は、具体的にどのようにデータへ移しているのでしょうか。

柳澤:
実際の構築は、伴走してくれている協働プロの横町さんたちと事務スタッフが中心です。私は今では横で話を聞くくらいで、スタッフが自ら質問し、使いやすい形へカスタマイズしてくれています。当社には、お客様や機械ごとに膨大な紙資料があり、日々の仕事と並行して整理する必要があります。

ーー横町さんによると、Excelのデータは形式を整えてkintoneへ取り込み、紙の情報はPDF化して生成AIで読み取る。さらに会社名を手がかりに公開情報を補い、精度を高める方法を検証しているそうですね。

柳澤:
そうですね。中でも難しいのは手書きの資料です。PDFにしてAIに読み取らせても精度が下がるため、内容を確かめ、足りない情報を補う必要があります。

資料をファイルごと積み上げると、高さが50センチほどになると聞いています。それだけの紙をPDFにするだけでも、事務スタッフにとって決して軽い負担ではありません。現時点では、どこまでデータ化できるのか、どの方法なら現実的に進められるのかを検証しているところです。

時間も工夫も必要です。ただ、横町さんが「できないことはない。面倒な部分こそ引き受けて、一緒に形にしていくことに意義がある」と向き合ってくれていることは、とても心強いですね。

社長一人の「どうしよう」が、社員の「やってみたい」へ

ーー本格運用はこれからですが、すでに組織には大きな変化が生まれているそうですね。

柳澤:
はい。中心になっているのは、若い事務員2名です。最初は私自身、「会社を巻き込むなんて、うちでは無理だろう」「誰も味方になってくれないのでは」と思っていました。

それが、横町さんが一度会社へ来てくれたことで変わりました。「会社は本当に変わろうとしている」「自分たちの事務作業も大きく変わるかもしれない」と、スタッフが実感できたのだと思います。それから、2人の姿勢が一気に前向きになりました。

今では打ち合わせで意見を積極的に伝え、チャットでも横町さんへ質問しています。自分たちでkintoneを触り、一部の仕組みをつくり始め、私がほとんど入らなくてもプロジェクトが進むようになりました。

ーー用意されたシステムを使うのではなく、自分たちで使いやすい形をつくっているのですね。

柳澤:
そうなんです。今回は、出来上がったひな型に仕事を当てはめるのではなく、スタッフが「ここはこうしたい」「色を変えてほしい」と細かなことまで伝え、今の仕事に合う形を一緒につくってもらっています。

最初から「それは無理です」「できません」と言われていたら、スタッフもそれ以上は要望を出さなかったと思います。少しずつでも、自分たちが望む形へ近づいていると分かるから、「どうせなら、ちゃんと使いやすいものをつくろう」という意識が高くなっているのではないでしょうか。

別の営業所で長く働く事務スタッフも、若い2人から教わりながら取り組みに加わり始めました。社員同士で教え合いながら進められていることも、うれしい変化です。

ーー奈良県の事業終了後も、協働日本との契約を継続されています。継続を決めた理由を教えてください。

柳澤:

奈良県の事業が終わった時点では、kintoneはまだ構築の途中で、紙の情報をデータへ移す作業もこれからでした。仕組みをつくるだけではなく、実際に使える状態にして、社内へ定着させるところまで進めなければ意味がありません。

もう一つ大きかったのが、事務スタッフの変化です。最初は私一人が悩んでいましたが、今ではスタッフから「あれもしたい」「これもしたい」と意見が出るようになりました。自分たちでkintoneを触り、仕事を変えようとしてくれています。

せっかく生まれた変化を、県事業の期間が終わったからといって止めたくありませんでした。ここから実際の成果につなげ、整備や営業の現場にも広げていくために、自費でも伴走を続けることを決めました。

答えを押しつけず、小さな要望から一緒に形にする

ーー伴走を担当する、協働日本の横町暢洋さんには、どのような印象を持っていますか。

柳澤:
横町さんは豊富な経験や知識を持ちながら、決して上から目線で話しません。「なるほど」と、まずはこちらの話や無理な要望も受け止めてくれます。機能の説明からではなく、私たちが何に困っているのかを聞くところから始めてくれるんです。

「ここの色を変えてほしい」という小さな要望にも対応し、専門的な説明についていけなくなりそうなときは、「それは今すぐ理解しなくても大丈夫」と整理してくれる。私たちのペースに合わせてもらえることが、とてもありがたいです。

ーー発表会で横町さんは、今回の伴走を「どうしよう」を「できるかも」へ変える取り組みだったと振り返っていました。

柳澤:
まさにそうだと思います。最初は私一人が焦り、どうしたらよいか分からずにいました。それが今は、スタッフから「あれもしたい」「これもしたい」と意見が出るようになっています。

課題がなくなったわけではありませんし、システムもまだ完成していません。それでも、社内に一緒に進める仲間がいると分かった。「何とかしなければいけないけれど、どうしよう」という状態から、「自分たちにもできるかもしれない」へ進めたことは、大きな変化だと思います。

2〜3時間の検索を20〜30分へ。生まれた時間を、人のために使う

ーーkintoneが本格的に運用されると、業務はどのように変わる見通しでしょうか。

柳澤:
これまでは、過去のお客様や機械について確認するために、事務スタッフが紙のファイルを一つずつ探していました。毎日の業務の中で、感覚的には合計2〜3時間ほどかかっていた作業が、kintoneで検索できるようになれば、20〜30分ほどまで短縮できるのではないかと見込んでいます。内容によって数時間かかっていた一件の検索も、数分で終えられる可能性があります。

担当者が不在でも修理履歴を確認できれば、若い営業や整備スタッフも過去の状態を見ながら対応できます。ただ、現時点ではまだ構築と検証の段階です。実際に使える状態にし、どれだけ時間を短縮できるのかを確かめていく必要があります。

ーー効率化によって生まれた時間を、どのように使っていきたいですか。

柳澤:
デジタルですべてを効率化し、人と関わらなくてよい会社にしたいわけではありません。むしろ、紙を探す時間が減った分、よりお客様との関わりを丁寧にしたり、顧客価値を高める取り組みに活かしていきたいと思います。

便利になるほど、人と話し合う機会が減ることもあります。情報を探す作業はデジタルで短くし、その分、お客様や社員と向き合う。そこまでできて、初めてこの取り組みに意味が生まれるのだと思います。

「うちのような中小企業が」から、「うちでもできる」へ

ーー外部のプロ人材と取り組むのは、今回が初めてだったそうですね。

柳澤:
はい、初めてです。以前は、「うちのような中小企業が、プロにデジタルの相談をするなんておこがましい」という気持ちがありました。セミナーで知識を得ても、私一人が会社へ帰って何ができるのだろう、とも思っていました。

今回、同じような中小企業が多く参加していたことで、「悩んでいるのは、うちだけではない」「うちでも取り組んでよいのだ」と思えました。そして、事務スタッフが課題を自分ごととして動いてくれたからこそ、変化につながったのだと思います。

事務所から整備・営業の現場へ。変化の兆しを会社全体に広げる

ーー最後に、今後の展望を聞かせてください。

柳澤:
まずは、今つくっている仕組みを実際に使える状態にし、社内へ定着させることです。そして、事務スタッフから始まった変化を、次は整備や営業の現場へ広げていきたいと考えています。

若い整備スタッフにも過去の修理履歴や顧客情報を活用してもらい、ベテラン社員の知識を受け継いでほしい。一方的に教わるだけではなく、一人ひとりが自分たちの仕事をより良くする方法を考え、提案できる会社にしていきたいです。

いま進めているデジタル化をきっかけに、「受け身」から「主体的に動く」組織へ変わっていく。その変化を会社全体へ広げ、お客様から「伊田重機に頼んでよかった」と言っていただける会社を目指したいと思います。

ーーこれからの協働日本へ、メッセージをお願いします。

柳澤:
協働日本には、これからも中小企業を盛り上げてほしいと思っています。地域の中小企業が元気になれば、日本全体も強くなっていくはずです。

私たちのような会社でも、社員と一緒にデジタル活用へ踏み出し、会社を変えていける。そのことが、同じように悩んでいる企業へ少しでも伝わればうれしいです。今回の経験が、誰かの「うちでもできるかもしれない」につながればと思っています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

柳澤:
ありがとうございました。


※この記事の取り組みは、株式会社協働日本のAI・デジタル活用伴走支援「デジコーチ」です。

AI・デジタルに強い協働プロがコーチとして入り、社員の方が自分で使えるようになるまで伴走します。デジコーチは、日本全国の地域の中小企業様100社以上にご導入いただいています。製造業、食品、飲食、小売、工務店など、業種はさまざまです。
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柳澤 有希子/Yukiko Yanagisawa

株式会社伊田重機 代表取締役

大学では美術を専攻。服や着物が好きで、卒業後はアパレルメーカーに就職し、全国各地を飛び回る。
その後、株式会社伊田重機に入社。入社から27年を迎え、2019年に代表取締役に就任。
男性中心の建設機械業界で、自らの思いを伝え、社員一人ひとりの声にも耳を傾ける組織づくりを進めている。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –

AI・デジタル活用STORY:株式会社サンロード 鈴木友広氏 システム導入を、組織変革の起点に。「全員参加」のデジタル経営へ

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
奈良県橿原市で、食品工場向けの衛生キャップやフィルターを企画・開発・製造する株式会社サンロードが抱えていたのは、営業日報と顧客情報が分散し、展示会で得た700枚を超える名刺も手作業で入力しているという課題でした。協働プロとともに営業支援システムや名刺管理・メール配信の仕組みを整えたことで、顧客情報を横断的に確認し、潜在顧客への営業活動につなげられる環境を構築。新規売上も前年から10%を超えて伸びています。さらに、取り組みを担った鈴木友広さんは、2026年4月に新設されたDX推進室の室長に就任。変わったのは業務の進め方だけではありません。社員の中にも、デジタルを使って自ら仕事を変えていこうとする意識が芽生え、全社変革への土台が生まれ始めています。

この取り組みは、株式会社協働日本のAI・デジタル活用伴走支援「デジコーチ」による支援事例です。
→デジコーチとは

今回は、食品工場向けの衛生キャップやフィルターを中心に、衛生対策製品の企画・開発・製造・販売を手がける株式会社サンロード DX推進室 室長の鈴木友広さんにお話を伺いました。

同社は奈良県橿原市に本社を構え、福島県いわき市、中国・青島市にも製造拠点を展開。食品への毛髪混入を防ぐ衛生キャップや、工場内へのほこり、虫、細菌、カビなどの侵入を抑えるフィルターを通じて、食品製造の現場を支えてきました。

2027年には50期を迎える同社が、次の成長に向けて掲げているのが、デジタルやAIを活用した業務と事業の変革です。その第一歩として取り組んだのが、営業情報の一元化と、展示会で生まれた顧客接点の活用でした。

しかし、システムを導入しただけで会社が変わるわけではありません。必要なのは、デジタルを使う人と、社内を動かしていく推進者の存在です。奈良県の「デジタル×経営実践」プログラムを通じて協働日本と出会い、総務部に所属しながらプロジェクトを担った鈴木さん。その後、社内に新設されたDX推進室の室長へ。協働を通じて、何が変わったのでしょうか。

営業支援システムや名刺管理の導入、その裏側で進んだ社員の意識変化、そして全社を巻き込むDXへの展望について、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

食品工場の衛生環境を支える、ものづくり企業

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは、サンロードさんの沿革と現在の事業について教えてください。

鈴木友広氏(以下、鈴木):
はい、よろしくお願いします。

当社は1978年に創業し、食品工場などで使用される衛生用品の企画・開発・製造・販売を行っています。

主力製品は、食品工場で働く方が毛髪混入対策のために着用する衛生キャップと、工場内へのほこりや虫、細菌、カビなどの侵入を防ぐ衛生用フィルターです。この2つのカテゴリーが、売上の大半を占めています。奈良県橿原市に本社と工場があり、福島県いわき市にも国内工場を構えています。国内2拠点で働く従業員は約100名。海外では、中国の青島市にも製造拠点があります。

そのほか、一般のお客様向けのマスクや家庭用フィルターも展開しています。お客様が抱える衛生面の困りごとを的確に捉え、製品として形にしていくことが私たちの仕事です。

ーー食品工場の衛生環境を支える製品が、事業の中心なのですね。

鈴木:
そうですね。特に衛生キャップとフィルターが中心です。衛生キャップの中には、電荷を保持する特徴的な生地を使い、毛髪を吸着して落下を防ぐ製品もあります。フィルターについても、外気からのほこりや虫の侵入を防ぐものや、空調を通じて広がる細菌、カビなどを捕集するものを扱っています。

目立つ製品ではないかもしれませんが、食品工場のクリーンな環境を守るためには欠かせない製品です。

「中小企業だからこそ、取り組まなければ生き残れない」

ーー今回、協働日本と取り組むことになったきっかけを教えてください。

鈴木:
奈良県が実施していた「デジタル×経営実践」という支援事業がきっかけです。社長が事業のチラシを入手して持ち帰り、私に申し込むようにと声をかけていただいたところから始まりました。

社長は以前から、デジタルや生成AI、DXに力を入れていかなければならないという危機感を強く持っていました。大企業であれば、デジタルを専門に扱う部署があり、知見を持った人材もいると思います。一方で、中小企業では専門部署も人材も限られている。当社も生産現場を中心とした会社で、デジタルとはどちらかといえば縁遠い環境でした。

中小企業だからといって何もしなくてもよいとは、私も思えません。デジタルやAIを活用していかなければ、今後は生き残っていけない。その危機感が、経営側にも現場にもありました。

ーーそれまでも、デジタル化に向けた動きはあったのでしょうか。

鈴木:
セミナーに参加して情報を集めることはありました。ただ、具体的な実行まで進められていたわけではありませんでした。

生成AIを新商品開発に活用したい。社内に蓄積された情報やノウハウを整理したい。議事録作成のような日常業務も効率化したい。大きなものから小さなものまで、解決したい課題はいくつもありました。とはいえ、何から着手すればよいのか、どのような手段を選ぶべきなのかが分からない・・。そんな状況でした。

ーー課題は見えているものの、実行までの道筋を描けていなかったのですね。例えばシステム会社ではなく、協働日本のような伴走者を求めたのはなぜでしょうか。

鈴木:
システム会社に相談すると、どうしてもその会社が提供する商品を前提に話が進んでいきます。自分たちが必要なものを、十分に理解したうえで選ぶのであれば問題ありません。ただ、情報収集の段階では、提案された商品に引っ張られてしまうことがありますよね。

私たちが求めていたのは、特定の商品を売る立場ではなく、フラットな視点で課題を整理し、どのような手段が適切なのかを一緒に考えてくれる存在でした。

中小企業では、何を選べばよいのか、どの順番で取り組むべきなのかを判断する知識そのものが不足しています。ツール選定の前段階から相談できることに、協働日本との取り組みの価値を感じました。

ーー今回の協働プロジェクトには、どなたが参加されたのでしょうか。

鈴木:
昨年度のプロジェクトでは、協働プロの横町暢洋さんを中心に伴走していただき、一緒に先山毅さんにもサポートに入っていただきました。横町さんは、大企業でエンジニアやマネジメントを経験されている方です。私自身も前職がエンジニアだったため、考え方や話の進め方に共通する部分がありました。こちらの状況を理解していただきやすく、私にとっても話がかみ合いやすい方だったと思います。

奈良県の支援事業が終了した後も協働日本との取り組みを継続しており、今年度は横町暢洋さんと、新たに黄瀬真理さんに伴走していただいています。

ーー昨年度の横町さんたちとのプロジェクトでは、具体的にどのような課題から着手したのでしょうか。

鈴木:
一つ目は、営業日報と顧客情報の連携です。

営業日報と顧客情報をつなぎ、「探せるデータ」へ

ーー以前の営業日報は、どのように管理されていたのでしょうか。

鈴木:
以前から営業担当者は、Excelを使って日報を記入していました。ただ、日報は週ごとのファイルに分かれており、過去の情報を探すには、一つずつ開いて確認しなければなりません。

直近の出来事は把握できても、「1カ月前に、このお客様とどのような話をしていたか」を振り返るには時間がかかります。管理者にとっても、営業活動や商談の状況を横断的につかみにくい状態でした。

ーー日報は書かれているものの、蓄積された情報を十分に活用できていなかった、と。

鈴木:
その通りです。顧客情報や商談情報を別のデータベースへ入力してもらう方法もあります。しかし、それでは日報との二重入力になり、営業担当者の負担が増えてしまいます。管理者としては情報を整理してほしい。一方、現場に新しい入力作業を増やせば、拒絶反応が起きるかもしれない。そこが難しいところでした。

そこで、営業支援システムとしてkintoneを導入しました。一度情報を入力すれば、日報だけでなく、顧客情報や商談情報としても整理される仕組みです。

現在は、これまでバラバラだった顧客情報や接点情報を横断的に確認できるようになりました。必要な情報をすぐに検索でき、営業担当者同士の情報共有も以前よりスムーズになっています。

単に日報をデジタル化したのではありません。書き残していた情報を、次の営業活動に使えるデータへ変えていった形です。

ーー導入するシステム自体は、協働が始まる前から候補が決まっていたのでしょうか。

鈴木:
ある程度は決まっていました。導入をほぼ決めた段階と、横町さんとの伴走が始まった時期が重なったような形です。

そのため、横町さんには「何を導入するか」だけでなく、ベンダーとの話をどのように進めるのか、導入後にどう活用していくのか、社員にどう働きかければよいのかという部分を相談しました。システムを入れること自体は簡単にできます。ただ、使われなければ意味がありません。むしろ、導入後の方が大切ですよね。

700枚を超える名刺を「次の営業」につなげる

ーーもう一つの大きな課題が、展示会で得た顧客情報の活用だったと伺いました。

鈴木:
当社は年に2回ほど展示会へ出展しています。3日から4日間の展示会で、700枚を超える名刺をいただくこともあります。以前は、その名刺情報を営業担当者が一枚ずつExcelへ入力していました。その後、お礼のメールを個別に送っていたため、かなりの手間がかかります。連絡するまでに時間が空いてしまうこともありました。

そこで、名刺情報を取り込んで管理し、メール配信まで行える仕組みを導入しました。展示会後には、ご来場へのお礼や新製品の案内をまとめて配信しています。

ーー単なる名刺のデータ化ではなく、その後の営業活動までを仕組みにしたのですね。

鈴木:
そうですね。重要なのは、メールを一斉に送れるようになったことだけではありません。開封の有無や製品ページのクリックなど、お客様の反応も確認できるようになりました。

これまでは、お問い合わせがあった段階で初めて、お客様の関心が分かっていました。現在は、問い合わせに至る前の反応を捉え、関心を持っている可能性が高いお客様へ営業からアプローチできます。いわば、潜在顧客の可視化です。

名刺情報を登録するスピードは明らかに上がりました。営業担当者が個別に行っていたお礼や製品案内も仕組み化され、展示会で生まれた接点を継続的に育てる土台が整いつつあります。

ーー協働プロからは、具体的にどのようなアドバイスがあったのでしょうか。

鈴木:
ベンダーとの交渉や方向づけに加えて、社内の皆さんに使ってもらうための動機づけ、働きかけについてアドバイスをいただきました。メール配信についても、どのような内容を、どのくらいのタイミングや頻度で届ければよいのか。そうした運用面まで相談しています。

ツールの機能を知るだけでは、現場での使い方までは決まりません。自社の営業活動にどう組み込むかを一緒に考えていただけたことは大きかったですね。

新規売上は前年から10%超。事業の仕掛けとDXが重なった

ーー仕組みを整えたことで、事業面ではどのような手応えが生まれていますか。

鈴木:
もちろん、今回の施策だけによる成果とは言い切れませんが、ホームページや展示会を通じて接点を持ったお客様からの新規売上は、前年から10%を超えて伸びています。

メール配信を本格的に始めたのは今期に入ってからですので、それによってどれだけ顧客が増えたかという成果は、まだこれから確認していく段階です。ただ、展示会をきっかけに新しいお客様が増えている実感はあります。今後、半年、1年と続けていく中で、メールの開封率やクリック数、新規顧客の獲得件数なども見ていきたいと考えています。

ーー2026年6月には、「FOOMA JAPAN 2026」にも出展されています。展示会では、新しい商品にも力を入れたそうですね。

鈴木:
従来の衛生キャップやフィルターに加えて、食品工場の暑熱環境に対応するアイスベストを紹介しました。食品工場には、油を使う工程など、非常に温度が高くなる現場があります。そこで、体に接する側を冷却し、外側には熱が逃げにくい工夫を施した保冷剤入りのベストを出展しました。

熱中症対策への関心が高まっている時期でもあり、多くの方に注目していただけました。展示会後にも反響があり、注文につながっています。

ーー新商品を打ち出す動きと、展示会後の顧客フォローを改善する動きが、ちょうど重なったわけですね。

鈴木:
そうだと思います。毎回同じ製品を並べるだけでは、新しい注目は生まれません。事業側では新しい商品をつくり、営業側では展示会で得た接点を次につなげる。二つを組み合わせることで、より効果的な活動ができるようになります。

会社としての仕掛けとDXの取り組みが重なったことは、大きかったですね。

総務部からDX推進室へ。取り組みが生んだ新たな役割

ーー今回のプロジェクトを経て、2026年4月にはDX推進室が新設されました。鈴木さんが室長に就任された経緯を教えてください。

鈴木:
2026年3月までは総務部に所属し、人事、労務、経理などの業務を担当しながら、デジタル関連の取り組みも進めていました。

総務の仕事と並行していたため、デジタル化に十分な時間を使えていたわけではありません。片手間という言い方がよいかは分かりませんが、実際にはそのような状態でした。

一方で、社長の中では「もっと力を入れて進めなければならない」という思いが徐々に強くなっていきました。そして3月末、「DX推進室を立ち上げるので、デジタル、生成AI、DXに専念してほしい」と言われたのです。

ーーもともとDX推進室長になることを想定して、プロジェクトに参加していたわけではなかったのですよね。

鈴木:
はい、お恥ずかしながらまったく想定していませんでした。奈良県のプログラムへ参加したときは、総務部の立場で、まずは社内の課題をどうにかしたいという気持ちでした。

ただ、協働日本とのプロジェクトを通じて、実際にシステム導入や社内への働きかけを経験したことは、DX推進室の立ち上げにつながったのだと思います。社長も、その取り組みを見ていたのでしょう。会社として本格的に進めるなら、担当を明確にし、専任に近い形で動かす必要がある。そのような判断だったのだと思います。

ーーシステムが導入されたことに加え、社内にDXを進める役割そのものが生まれた。今回の協働を象徴する変化ですね。

鈴木:
そうですね。ただ、まだ立ち上がったばかりです。本当の意味では、これからだと思っています。

1.5人で始めたDX推進室。小さな成功を積み重ねる

ーー現在は、どのような体制でDXを推進していますか。

鈴木:
DX推進室には、営業や商品開発を担当してきた弊社の佐藤という社員が兼務で加わってくれています。私が1人、佐藤が0.5人。いわば1.5人の体制です。佐藤は、kintoneやメール配信の導入にも当初から関わっており、現在は運用や社内フォローを中心に進めてくれています。

もともとは商品開発を担当していましたが、今ではデジタル関連の仕事の割合がかなり増えています。私の右腕という立場ですね。

ーーDX推進室だけで課題を決めるのではなく、各部門からも意見を集めたそうですね。

鈴木:
はい。各部門のメンバーに、「デジタルを使って解決したいこと」を聞きました。

議事録作成の効率化といった身近な課題から、生成AIを活用した新商品開発まで、幅広い意見が出ています。課題の一覧化はすでに終えており、横町さんにも共有しました。これから優先順位を整理し、取り組むテーマを決めていきます。

ーーすべてを一度に進めるのではなく、優先順位をつけていくと。

鈴木:
そうです。大きな成果だけを目指しても、社員はなかなか変化を実感できません。まずは3カ月に一つ、小さくても目に見える成功事例をつくる。その成果を社内で共有し、次の取り組みにつなげていきたいと思っています。

できることを一つずつ増やし、社内に「デジタルを使えば仕事を変えられる」という実感を広げていく。そこが大切ではないでしょうか。

ツールを入れるのではなく、「使う理由」を共有する

ーー取り組みを始めた当初は、社員の皆さんがシステムを使ってくれるか、不安もあったそうですね。

鈴木:
はい、正直不安だらけでした。システムは、導入しただけではただの箱です。使う人が活用しなければ、何の意味もありません。

当社でも以前、販売システムや生産管理システムを入れ替えたことがありました。受注や売上処理など、業務上必要な機能は使います。ただ、蓄積されたデータを商品開発や顧客開拓に活用する意識までは、十分に広がりませんでした。

今回も、営業支援システムを入れること自体より、現場の皆さんに継続して使ってもらえるかどうかが大きな課題でした。

ーー実際に営業担当の方へ説明したときは、どのような反応でしたか。

鈴木:
それが、思っていたほどの拒絶反応はありませんでした。説明会を実施した際にも、「まずはチャレンジしてみよう」という雰囲気が感じられました。それは、少し安心したところです。

もちろん、全員が同じように活用できているわけではありません。担当者によって使い方にばらつきが出ないよう、今後もフォローが必要だとは感じています。

ただ、何人かの社員から「活用していこう」「自分たちの仕事を変えていこう」という前向きな反応が見られたことは、大きかったと思います。

ーー社員の意識が変わり始めた背景には、経営側からのメッセージもあったのでしょうか。

鈴木:
大前提、社長が繰り返し伝えてきたことが大きいと思います。

会社としては、社員の賃上げを進めていきたい。しかし、賃上げの原資を生み出すには、これまでと同じ仕事の進め方では難しい。業務を効率化して時間を生み出し、より付加価値の高い仕事へ振り向けなければならない、という話です。

朝礼や会議で繰り返し伝える中で、社員にも「会社が賃上げをするためには、自分たちも仕事の進め方を変えなければならない」という意識が少しずつ生まれてきました。

ーーDXを、単なる会社都合の効率化ではなく、自分たちの働き方や処遇にもつながる話として共有したのですね。

鈴木:
そうですね。付加価値の高い仕事をしていかなければ、会社の成長にも賃上げにもつながりません。そのためには、今までと違うやり方を取り入れる必要がある。

デジタル化が、経営側だけの掛け声ではなく、自分たちの働き方や会社の成長につながるテーマとして受け止められ始めた。それが、今回生まれた重要な変化だと思っています。

否定せず、一緒に進む。協働プロが支えた最初の一歩

ーー先ほど横町暢洋さんをご紹介いただきましたが、実際に伴走を受けて、どのような印象を持ちましたか。

鈴木:
横町さんは、大企業でエンジニアやマネジメントを経験されている方です。私も前職がエンジニアだったため、考え方や話の進め方に共通する部分があり、アドバイスを理解しやすかったですね。

システム会社との交渉の進め方、導入時に社員へどのように働きかけるか、メールをどの程度の頻度で配信すればよいか。技術面だけにとどまらず、運用やマネジメントの視点からも助言をいただきました。

ーー技術だけではなく、人や組織をどう動かすかという部分まで支援してもらえたのですね。

鈴木:
そこは大きかったと思います。印象に残っているのは、私たちの取り組みを肯定的に見てくださったことです。自分たちの取り組みが、他社と比べてどの程度進んでいるのか。私たち自身には分かりませんでした。

そうした中で横町さんは、良いところを見つけ、評価しながら次の一歩を示してくださいました。否定的なことを言う方ではありませんし、こちらの状況を受け止めたうえで話してくれます。豊富な知見を持ちながら、同じ目線で伴走してくれる、ありがたい存在でした。

県の支援終了後も、自費で協働を継続

ーー奈良県のプログラム終了後も、自費で協働日本との取り組みを継続されています。継続を決めた理由を教えてください。

鈴木:
昨年度の伴走期間は、実質的には3カ月程度の期間でした。限られた期間でも多くのアドバイスをいただきましたが、本当に成果につなげるには、もう少し長い時間が必要だと感じました。

システムは導入して終わりではありません。実際に使い、成果を確認し、改善を重ね、社内に定着させる。そこまで進めて、ようやく意味が生まれます。

そのため今年度は、自費で協働日本との取り組みを継続し、7月2日に新たなキックオフを行いました。今年度は、横町暢洋さんと黄瀬真理さんに伴走していただいています。

ーー短期のシステム導入支援から、継続的な経営変革の取り組みへ進んだわけですね。

鈴木:
そうですね。長期的には、生成AIを活用した商品開発や、社内ノウハウの継承にも取り組みたいと考えています。

ただし、大きな構想だけを掲げても、社内に定着するとは限りません。まずは3カ月ごとに一つ、小さくても具体的な成功事例をつくる。その成果を社内で共有し、次の取り組みへつなげていく方針です。

短期的な変化と、長期的な成果。その両方を積み重ねながら、デジタル経営を前へ進めていきたいと思っています。

中小企業にこそ、外部プロ人材の力が必要

ーー今回のように、外部のプロ人材とデジタル領域で取り組むのは初めてだったのでしょうか。

鈴木:
デジタルに関しては初めてでした。これまでは、システムを入れるとなれば、複数の会社から説明を受けて選定し、その会社と進める形が中心でした。勉強会や専門家から助言を受けた経験はありますが、フラットな立場から伴走してもらい、デジタル施策を一緒に考える経験はありませんでした。

今回、特定の商品を売る立場ではないプロ人材からアドバイスを受けられたことは、とても有意義だったと思います。

ーー今後、このようなプロ人材との協働は、中小企業の間でも広がっていくと思いますか。

鈴木:
これは、広がっていくと思います。

大企業であれば、専門部署や人材、知識、予算を社内に持っています。しかし、中小企業では、そのすべてが不足していることも珍しくありません。取り組むテーマや導入するシステムが明確に決まっていれば、専門の会社へ依頼できます。難しいのは、その手前です。

何をすべきなのか。どの方法が自社に合っているのか。どの順番で進めればよいのか。そうした判断を、中小企業だけで行うのは簡単ではありません。

中小企業が自社だけでは持てない知見を取り入れ、より適切な判断をしていく。そのために、プロ人材との協働は大きな力になるはずだと感じています。

デジタルを、開発・製造・販売の成長につなげていく

ーーここまでのお話を伺うと、サンロードさんのDXは、まさに始まったばかりなのですね。今後はどのような会社を目指していきたいですか。

鈴木:
当社はこれから、開発、製造、販売など、さまざまな領域でデジタルやAIを活用していきたいと考えています。目指しているのは、単なる業務効率化ではありません。効率化によって生まれた時間を、付加価値の高い仕事や、新しい商品・顧客の創出へ振り向けることです。

2027年度からは50期を迎えます。中期計画では、50期の販売目標として、48期比20%増を掲げています。この目標を実現するためにも、拡販活動に使える時間を増やし、顧客情報を活用しながら、新しい受注につなげていかなければなりません。

ーーそのためにも、一部の担当者だけでなく、全社で取り組むことが重要になりそうですね。

鈴木:
そう思います。一部の担当者だけで進めるのではなく、「やってみる」というチャレンジ精神を持ち、社員みんなで継続して取り組んでいきたいです。

情報を入力することが目的ではありません。システムを導入することも、デジタルという言葉を掲げることも、あくまで手段です。目的は、受注を増やし、会社を成長させ、働く皆さんへ還元していくこと。

その目的を見失わず、デジタルを有意義な手段として活用していきたいと思っています。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

鈴木:
はい。中小企業には、社内だけでは解決できない課題が数多くあります。だからこそ、さまざまな専門性を持つ方々の力を借りながら、一つずつ前へ進んでいきたいと思っています。

協働日本には、伴走支援を受けた企業同士が継続してつながれる場もつくっていただけると伺っています。今回の出会いを一度きりにせず、これからも長く支援していただけることを期待しています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

鈴木:
ありがとうございました。

 

※この記事の取り組みは、株式会社協働日本のAI・デジタル活用伴走支援「デジコーチ」です。

AI・デジタルに強い協働プロがコーチとして入り、社員の方が自分で使えるようになるまで伴走します。デジコーチは、日本全国の地域の中小企業様100社以上にご導入いただいています。製造業、食品、飲食、小売、工務店など、業種はさまざまです。
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鈴木 友広/Tomohiro Suzuki

株式会社サンロード DX推進室 室長

1966年生まれ。
電機メーカーのエンジニアを経て、2015年に株式会社サンロードに入社。
製造部、総務部を経験し、2026年4月より新設のDX推進室室長。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –

AI・デジタル活用STORY:株式会社C’s 尾野貴昭氏 現場直結の受注アプリ開発で売上150%。名入れギフト工房が実践した、“小さくても強い会社”を支えるデジタル化

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
奈良県香芝市で名入れ・オリジナルガラス製品を手がける株式会社C’sが抱えていたのは、EC受注の増加に伴い、注文書処理が属人的かつ煩雑になっているという課題でした。名入れギフトならではの細かな注文情報を、事務担当が蛍光ペンや手書きメモで補いながら制作・出荷へつなぐ日々。協働プロとともに現場の業務フローを見直し、事務・制作・出荷それぞれが必要な情報を一目で確認できる帳票と発注管理アプリを整備したことで、事務処理時間は2時間から45分へ短縮されました。変わったのは作業時間だけではありません。空いた時間を顧客管理やEC改善、新たな商品開発に振り向けることで、“小さくても強い会社”を目指すための成長余地が広がり始めています。

この取り組みは、株式会社協働日本のAI・デジタル活用伴走支援「デジコーチ」による支援事例です。

→デジコーチとは

今回は、名入れ・オリジナルガラス製品の制作・販売を手がける株式会社C’s 代表の尾野貴昭氏にお話を伺いました。

同社は、奈良県香芝市で「ガラス彫刻工房ONO」を運営し、記念日ギフトやウェディングギフト、送別・還暦祝いなど、人生の節目に寄り添う商品を届けてきました。近年では、プロ野球球団や人気アニメ・ゲーム作品との公式コラボグッズ、WBC公式グッズなども手がけ、少人数ながら全国に届くものづくりを続けています。

一方で、事業が広がるほどに、現場では名入れ商品ならではの複雑な受注業務が大きな負荷になっていました。商品名、色、彫刻する名前、メッセージ、記念日、包装、掛け紙、シール、配送情報。お客様ごとに異なる情報を正しく読み取り、制作・出荷へつなぐために、蛍光ペンや手書きメモに頼った運用が続いていたのです。

協働日本との取り組みで目指したのは、単にデジタルツールを入れることではありません。現場を見て、働く人の声を聞き、事務・制作・出荷それぞれに必要な情報を整理し、誰が見てもわかり、迷わず確認できる帳票と業務フローをつくることでした。

「AIだけでは、ここまで自社に合う仕組みにはならなかった」と尾野氏は語ります。その言葉には、現場に入り込み、対話を重ねながら、会社ごとの事情に合わせて一緒につくっていく“伴走”への実感が込められていました。

なぜ協働日本と取り組むことを決めたのか。現場にはどのような変化が生まれたのか。そして、これからどのような会社を目指していくのか。尾野氏に率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

名入れガラスギフトから公式コラボグッズまで。社員の「好き」を力に変える工房

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、株式会社C’sさんの沿革と現在の事業について教えてください。

尾野貴昭氏(以下、尾野):
よろしくお願いします。私たちは奈良県香芝市で、名入れやオリジナルのガラス製品を制作・販売している会社です。2012年7月に「ガラス彫刻工房ONO」として創業し、2017年3月に株式会社C’sを設立しました。

もともとは個人事業主として始めたのですが、転機になったのは阪神タイガースさんとのお仕事でした。阪神タイガースの承認グッズを扱うにあたって、個人事業主では取引が難しかったため、会社化することになりました。2017年5月から阪神タイガース承認グッズの販売を開始しています。

現在は、店舗、自社EC、楽天、Yahoo!、au PAYなどで販売しており、記念日やウェディング、送別、還暦祝いなどのギフト商品を中心に展開しています。加えて、プロ野球球団やアニメ、ゲーム作品とのコラボグッズ、WBC公式グッズ、豊臣兄弟の公式グッズなども制作してきました。

ーー公式グッズやコラボ商品も幅広く手がけていらっしゃいますね。

尾野:

そうですね。これまでに、ゲームやアニメなどの人気コンテンツとのコラボ商品の制作や、公式ライセンスグッズの企画・製造を数多く手がけてきました。信楽焼フリーカップや珪藻土コースターをはじめ、記念グッズなど幅広い商品を展開してきました。

こうした仕事は、私がすべて企画しているというより、社員からの発案で始まることも多いんです。私は、社員が「やりたい」と言ったことは、できるだけやらせてあげたいと思っています。

たとえば、ある作品が好きな社員が「こういうグッズをつくりたい」と提案してくる。その人は作品への知識も深いし、何よりモチベーションが高い。私は技術的に作れるかどうかを判断しますが、作品の中身やファンが喜ぶポイントは、好きな社員の方が詳しいんです。

ーー社員の「好き」や「詳しさ」が、商品企画の力になっているのですね。

尾野:
そう思います。発案した本人がやる気を持って進めるので、いい商品になりやすいんです。自分が好きなコンテンツを選んで、仕事を取ってきて、売上をつくる。成果が出れば評価にもつながる。そういう職場にしたいと思っています。

うちはパートさんも多く、スタッフは11名ほどです。子育て中の方も多く、午前中だけ働く方、午後から入る方、学校行事や家庭の事情で働き方が変わる方もいます。だからこそ、誰か一人にしかわからない仕事を減らし、引き継ぎしやすい仕組みにすることが大事だと感じていました。

“わかる人が見ればわかる注文書”に、成長の限界を感じていた

ーー今回、協働日本と一緒に取り組むことを決めたきっかけを教えてください。

尾野:
一番大きかったのは、事務の業務効率化に課題を感じていたことです。

私はもともと技術屋なので、制作現場には口を出せます。作り方や品質については、自分でも改善案を出せるんです。でも、事務作業になると、「効率が悪い」「見にくい」とは言えても、ではどうすればいいのかという具体的な答えが自分の中にありませんでした。

制作現場には自分の経験や勘で踏み込める。一方で、受注処理や帳票の整理、事務から制作・出荷への情報の渡し方となると、自分だけでは最適な形が見えていなかったんです。そこは、ずっと気になっていました。

ーー奈良県の事業がきっかけだったとも伺っています。

尾野:
はい。協働日本さんが受託した奈良県の事業について、様々な方からお声をかけていただいたことがきっかけです。実は、金融機関や商工団体などから複数お声がけをいただいていました。ただ、当時は忙しさもあり、最初の2件ほどはお断りしていたんです。

でも、締め切りの1週間ほど前に、もう一度声をかけてもらいました。そのときに、「これはやれということなのかな」と思いました。ちょうど、事務の業務効率化をどうにかしないといけないという思いがありましたし、タイミング的にも参加できそうな見通しが立った。そこで、応募することにしました。

ーー最初の相談では、どのような課題を伝えられたのでしょうか。

尾野:
かなり赤裸々に、「うちは今こういう現状で困っています」と話しました。実際に工房にも来てもらって、当時使っていた受注書を見てもらいました。

当時の注文書は、わかっている人が見ればわかる資料でした。でも、新人が入ると一から教えなければいけない。制作担当、出荷担当、事務担当が、それぞれ必要な情報を探しながら仕事をしている状態でした。

たとえば、制作担当が必要なのは「何色の商品に、何を彫るのか」という情報です。出荷担当が必要なのは「誰に、いつ、どの包装で送るのか」という情報です。でも、その情報が住所や配送情報、注文者情報、名入れ内容などと一緒に、細かい文字で一枚の注文書に詰め込まれていました。

だから、事務担当が蛍光ペンで線を引き、手書きメモを加えて、制作や出荷へ回していたんです。これでは、慣れている人はできても、新人や別の担当者にはわかりにくい。誰が見てもわかる資料にしたい、ということを伝えました。

ーーその時点で、協働日本との取り組みに手応えはありましたか。

尾野:
ありました。最初に話したときから、こちらの課題を理解する力が高いと感じました。

こちらが「こういうことで困っています」と話すと、その場で「それなら、こう整理できそうですね」「こういう形なら対応できるかもしれません」と、具体的な方向性を返してくれるんです。単に話を聞いて終わりではなく、目の前で一緒に解きほぐしてくれる感覚がありました。

だから、これは期待できるなと思いました。こちらが抱えている違和感を、すぐに構造化してくれる。しかも、評論ではなく、実際にどう直すかという視点で考えてくれる。そのスピードと解像度は、とても印象に残っています。

蛍光ペンと手書きメモに頼っていた受注処理を、誰でも使える帳票へ

ーー協働日本とのプロジェクトでは、具体的にどのような取り組みをされたのでしょうか。

尾野:
一番大きいのは、受注票の改善です。

これまでの仕組みでは、ECから出てくる注文書に文字がずらっと並んでいました。住所、配送情報、商品情報、名入れ内容、メッセージ、包装、シール、掛け紙など、すべての情報が一枚の中に入っている。

でも、制作担当が必要なのは「何色のコップに、何を彫るのか」という情報です。出荷担当が必要なのは「誰に、いつ、どの包装で送るのか」という情報です。事務担当が必要な情報もまた違います。

それを当時は、事務担当が蛍光ペンで重要なところにマーカーを引いたり、手書きメモを加えたりしていました。たとえば、同じコップでも色が違うので、「黒色のコップに、このデザインを彫る」といった情報を探さなければいけない。マーカーが引かれていなかったり、見落としたりすると、ミスにつながるわけです。

ーーまさに、現場の経験に支えられた運用だったのですね。

尾野:
そうですね。職人芸のようになっていました。でも、それでは新人が入ったときに大変ですし、パートさん同士の引き継ぎも難しくなります。

そこで、事務が見やすい注文書、制作が見やすい作業指示書、出荷が見やすい作業指示書をつくることにしました。ただし、紙の枚数は増やしたくなかった。現場で回していくものなので、A4一枚の中で、それぞれが「ここを見れば必要な情報がわかる」という状態にしたかったんです。

ーー既存のEC向けサービスでは対応できなかったのでしょうか。

尾野:
EC用のサービスは世の中にたくさんあります。でも、うちに合うものがなかなかありませんでした。

理由は、うちの商品がほぼすべてオーダーだからです。名入れ商品なので、商品を選ぶだけでは終わりません。名前、メッセージ、誕生日、記念日、場合によっては赤ちゃんの身長や体重、包装、掛け紙、シール、紙袋など、注文時に確認すべき項目がものすごく多いんです。

普通のECであれば、「買いますか、買いませんか」「色は何色ですか」くらいかもしれません。でも、うちは一つの商品に対して、何を彫るのか、どんな用途なのか、どのように包装するのかまで確認する必要があります。既存のシステムでは、その複雑さをうまく吸収できませんでした。

ーーそこで、独自アプリの開発に取り組んだのですね。

尾野:
はい。協働日本の協働プロである横町さん、渡辺さんと一緒に、PCで動かすアプリを作成してもらいました。CSVで出した注文情報をもとに、現場が見やすい形の帳票を生成する仕組みです。

もちろん、最初から完成形だったわけではありません。3、4回は修正してもらいました。注文内容によって改行がうまくいかなかったり、文字の大きさが同じで見にくかったり、タイトルをもっと明確にした方がよかったり。実際に使いながら細かく調整していきました。

制作現場では「色」が重要です。何色の商品に、何を彫るのか。それがパッと見てわからないといけません。だから、「色」「名入れ内容」「配送情報」など、項目の見出しや表示の仕方にもこだわりました。

現場を見たからこそ、発注管理アプリの解像度が上がった

ーー協働プロの皆さんが現場を視察したことも、プロジェクトに影響しましたか。

尾野:
大きかったと思います。横町さんには実際に現場へ来てもらい、日常のオペレーションを見てもらいました。

事務担当が注文書に線を引いて、それが制作に回り、最後に出荷へ回っていく。出荷担当はその紙を見ながら、どのシールを選ぶのか、どの掛け紙を使うのかを判断している。そうした実際の流れを見てもらいました。

うちには60代の出荷担当もいます。細かい字を読みながら、マーカーで引かれた情報を探すのは、それだけで大変です。現場でどのように紙を見ているのか、制作担当が水や砂を使いながら作業している中でどう指示書を見るのか。そこは、言葉だけでは伝わらなかったと思います。

ーー現場を見たことで、帳票の設計も変わったのでしょうか。

尾野:
変わったと思います。たとえば、制作担当は机に座ってじっくり読むわけではありません。動きながら、水を使いながら、砂で彫りながら紙を見るんです。そうなると、小さい文字で細かく書かれていても見落としてしまいます。

でも、お客様にとっては「見落としました」は言い訳になりません。だから、一目で何をすればいいかわかることが重要です。

横町さんが現場を見てくれたことで、「これはもっと文字を大きくした方がいい」「この順番で情報を出した方がいい」といった解像度が上がったと思います。単なる発注管理アプリではなく、うちの現場に合ったものになっていきました。

ーー現場の皆さんも、改善に向けて前向きに関わっていたのでしょうか。

尾野:
そうですね。もともと現場では、「これは見にくい」「この作業は大変だ」という実感がありました。だからこそ、改善に向けた熱量はありました。

ただ、日々の業務に追われていると、困っていることがあっても、それを仕組みに落とし込むところまではなかなか進みません。今回、横町さんや渡辺さんが入ってくれたことで、現場の困りごとを一つひとつ拾い上げて、「では、帳票上ではどう見せるか」「どの情報を強調するか」「誰がどのタイミングで確認するか」という話に変えていけたんです。

現場の声と、協働プロの整理する力がかみ合ったことが大きかったと思います。こちらとしても、ただ作ってもらうというより、一緒に直していく感覚がありました。

事務処理は2時間から45分へ。空いた時間が、売上をつくる仕事に変わっていく

ーー協働日本との取り組みを通じて、事業にはどのような変化が生まれましたか。

尾野:
一番はスピードです。事務処理のスピードが上がりましたし、色の間違いや出荷時のシール間違いも減りました。

以前は、事務担当が色を書き忘れたり、マーカーが引かれていなかったりすると、制作側や出荷側で見落としが起きる可能性がありました。今は、必要な情報が明確に表示されるので、確認しやすくなっています。

成果としてわかりやすいのは、事務処理時間です。以前は30件ほどの注文処理に約2時間かかっていましたが、導入後は45分ほどに短縮されました。毎日20〜30件の注文が入るので、この差は大きいです。週にすると5時間以上の削減になります。

ーー事務方以外にも効果はありましたか。

尾野:
あります。制作チームへの効果も大きいです。制作は私以外に3名いますが、たぶん一番メリットを感じているのは制作担当かもしれません。

以前は、マーカーが引かれた注文書の中から、何色の商品に何を彫るのかを探していました。今は、必要な情報が明確に書かれているので、確認が早くなっています。制作の効率も上がっていますし、ダブルチェックにかかる時間も減っていると思います。

出荷も同じです。シールや帯、掛け紙などの情報が明確に書かれているので、出荷作業も早くなっています。事務だけで1時間以上短縮できていますが、制作や出荷まで含めれば、1日あたり2〜3時間くらいの削減効果が出ている可能性もあると思います。

ーー空いた時間は、どのように活用されているのでしょうか。

尾野:
もともと、今回の相談では「業務改善をするか」「ECの売上を伸ばす相談をするか」で迷っていました。ただ、ECの売上を伸ばしても、バックヤードがうまく回らなければ意味がありません。だから、まずは業務改善を優先しました。

結果的に、業務が効率化されたことで、ECページの改善や顧客管理に時間を使えるようになってきました。以前は、注文を処理して発送したら、それで終わりになっていた部分もありました。でも本当は、これまで購入してくださったお客様のデータを活用して、リピーター施策やメルマガなどにも取り組めるはずです。

今は、空いた時間で顧客管理を徹底できるようになってきています。過去の注文書や完成品写真を探しやすくすることも、クレーム対応やリピート対応に役立ちます。

ーー売上面でも変化が出始めているのでしょうか。

尾野:
今年1月から5月まで、楽天の売上は前年をすべて上回っています。多い月では前年比150%くらいまで伸びました。5月は前年が約108万円だったのに対して、今年は約168万円まで伸びています。

これは、単に帳票を変えたから売上が上がったというより、業務時間が空いたことで、売上をつくる仕事に時間を使えるようになったことが大きいと思います。

うちでは、事務の中でも店長や主任には「売上をつくる仕事をしてください」と伝えています。その他の方には「売れたものの対応をしてください」と役割を分けています。業務改善によって時間が生まれると、売上づくりや新しい商品開発、新規開拓にも取り組めるようになるんです。

パートさんにも長く、喜んで働いてほしい。業務改善は“働きがい”にもつながる

ーー社員やパートの皆さんは、今回の変化をどのように受け止めていますか。

尾野:
見やすくなったことについては、みんな高評価だと思います。ミスが減れば、余計な残業も減ります。確認作業が減ることで、精神的な負担も軽くなります。

私は、パートさんにも喜んで働いてほしいし、長く働いてほしいと思っています。そのためには、頑張ったことがきちんと評価される仕組みも大事です。実際に一部のスタッフには歩合給もつけています。自分が頑張って売上が上がれば、自分の給料も増える。そうなれば、もっと前向きに働けると思うんです。

ーー「自分の好きなことを仕事にする」という考え方ともつながりますね。

尾野:
そうですね。自分が好きなコンテンツを選んで、仕事を取ってきて、売上をつくる。売れたら評価される。これは働く側にとっても、会社にとってもいい形だと思います。

今回の業務改善は、単に時間を短縮するだけではありません。空いた時間で、新しいことに挑戦できる。社員やパートさんが、自分のやりたい仕事を実現できる可能性が広がる。そこにも意味があると思っています。

「AIだけでは、ここまで自社に合うものにはならなかった」

ーー協働プロ、協働サポーターの印象について教えてください。

尾野:
横町さん、渡辺さんには本当にお世話になりました。お二人とも協働日本の協働プロとして関わってくださったのですが、印象としては、こちらの課題を理解し、解決に向けて具体化していく力が非常に高い方々だと感じました。

毎回、「そこまで考えてくれるのか」と思う場面がありました。こちらがうまく言葉にできていない困りごとに対しても、現場の状況を踏まえながら、「それなら、ここを変えるとよさそうですね」と形にしてくれる。まさに、痒いところに手が届くような関わり方でした。

ーーなるほど。尾野さんをはじめ現場の皆さんの課題に寄り添った提案を行うことができたのですね。

尾野:
はい。これまでには、銀行さんや商工会さんからの紹介で、専門家派遣を利用したことがありました。ECのアドバイザーや、会社全体のコンサルタントのような方に来てもらったこともあります。

もちろん、それぞれ学びはありました。ただ、今回の協働日本との取り組みは、より実務に直結していました。こちらの悩みを聞いて、現場を見て、実際に手を動かしながら解決策に落とし込んでくれる。そこが大きく違いました。

今までの専門家派遣で得られる答えは、今の時代ならAIでもある程度出せるかもしれません。でも、今回協働日本さんと取り組んだことは、自分たちがAIを使っても無理だったと思います。

AIだけで作れば、一般的に見やすい資料にはなるかもしれません。でも、うちの店のこと、現場の動き、制作担当が水や砂を使いながら紙を見ること、出荷担当がどの情報を探しているのか。そこまで深く理解した上で、今のようなフォーマットを出すことはできなかったはずです。

現場を見て、対話して、何度も修正してくれたから、うちに合うものになりました。そこが一番大きいと思います。

経営者はもっと頼っていい。問題が改善することを知らない人が多すぎる

ーーこうしたプロ人材との取り組みは、今後広がっていくと思われますか。

尾野:
広がっていくかどうかは、正直わかりません。ただ、それは協働日本さん側の問題ではなく、経営者側の問題だと思っています。

周りを見ていると、外部をうまく活かすことで問題が改善することを知らない経営者が多すぎると感じます。銀行さんと話していても、周りでいい話をあまり聞かないという声は多い。でも、そういう状況でも、こうした支援を活用しない人がたくさんいる。

今回協働してみて、費用対効果の高さに驚きました。実際、これだけ自社に合わせた仕組みをつくろうと思えば、普通に依頼したら数百万円、場合によってはもっとかかると思います。それくらいの価値がありました。

ーー身近な経営者にもおすすめしたいと思いますか。

尾野:
おすすめしたい人はたくさんいます。地元の経営者や後輩にも、「よかったで」と伝えたいです。

特に、自社に合った仕組みをつくりたい人には合うと思います。参加すれば、いろいろなものが解決する可能性がある。もちろん、経営者自身が課題を出して、向き合う必要はあります。でも、本気で変えたいと思っている会社には、すごくいいと思います。

ーー今回、他の経営者とリアルに集まる機会もあったそうですね。

尾野:
はい。それもよかったです。同じ経営者同士で集まると、お互いの悩みを共有できます。きれいな話だけではなく、悪いところも言えるし、「実はこんな実態だった」と話せる。そういう場があること自体も、価値がありました。

自分たちだけが苦労しているわけではないとわかることもありますし、他社の悩みを聞くことで、自社の課題も見えやすくなる。伴走支援そのものに加えて、経営者同士で率直に話せる場があったことも、今回参加してよかった点の一つです。

「奈良県で、ギフトと言えばガラス彫刻工房ONO」と言われる会社へ

ーー今後、今回の取り組みをどのように広げていきたいですか。

尾野:
まずは、楽天以外の他モールにも対応していく必要があります。今回の仕組みは楽天をベースに進めてきた部分があるので、Yahoo!やau PAYなど、他モールの管理も強化していきたいです。

また、新商品が出たときにはリストの更新も必要になります。現状では、新人が簡単に更新できる状態ではない部分もあるので、そこも改善していきたいです。

今回の取り組みで得られた成果をさらに広げるために、SKU別の管理強化や、制作部・出荷部との連携強化も進めていきます。現場の声を大切にしながら、誰でも使える仕組みづくりを追求していきたいです。

ーー会社としての目標についても教えてください。

尾野:
私たちは「小さくても強い会社」を目指しています。大きな会社になることだけが目標ではありません。少人数でも、強みを持って、いい商品をつくり、お客様に選ばれる会社でありたい。

まずは奈良県で、「ギフトと言えばガラス彫刻工房ONO」と言われる会社をつくりたいです。そのためにも、現場が無理なく回る仕組みを整え、売上を伸ばす仕事に時間を使える状態をつくっていきたいと思っています。

取り組み成果発表の様子

経営者が明るくなれば、日本も明るくなる

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

尾野:

経営者が頑張って、会社が元気になれば、経済が回ります。経営者が明るくなれば、日本も明るくなると思うんです。

もちろん、広がっていくためには、経営者にちゃんと刺さる伝え方も大事だと思います。今回のように、C’sくらいの規模の会社に対しても、ここまで徹底的に伴走してくれる。その価値がもっと伝われば、協働日本の取り組みはもっと広がっていくと思います。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

尾野:
ありがとうございました。

※この記事の取り組みは、株式会社協働日本のAI・デジタル活用伴走支援「デジコーチ」です。

AI・デジタルに強い協働プロがコーチとして入り、社員の方が自分で使えるようになるまで伴走します。デジコーチは、日本全国の地域の中小企業様100社以上にご導入いただいています。製造業、食品、飲食、小売、工務店など、業種はさまざまです。

【デジコーチの】サービス内容を見る


尾野 貴昭/Takaaki Ono

株式会社C’s(ガラス彫刻工房ONO) 代表取締役

奈良県香芝市を拠点に、オーダーメイドのガラス彫刻や記念品制作を手掛ける「ガラス彫刻工房ONO」を運営。2012年に創業し、2017年に株式会社C’sを設立。サンドブラスト技法やUV印刷技術を活用したオリジナルギフトの企画・製造・販売を行っている。

大学卒業後は自動車業界に従事。その後、営業職を経験するなかで「ものづくり」への想いを再確認し、ガラス彫刻の世界へ転身。お客様の想いを形にする一点物の作品づくりを信条としている。

阪神タイガース承認グッズをはじめ、プロ野球チームやプロスポーツクラブの記念グッズ制作、企業向けオーダーメイド製品など幅広い実績を持つ。また、独自のガラス印刷技術で実用新案を取得し、東京ギフトショーへの出展などを通じて地域発ブランドの発信にも力を注いでいる。

経営理念は「お客様の想いを形に変え、感動を届けること」。地域イベントへの参加や社会貢献活動にも積極的に取り組み、奈良県香芝市の活性化にも尽力している。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –

人と組織STORY:オメガテクノ株式会社 栃平秀典氏 “事業”と“人”の両輪が進化。品質保証の「最後の砦」をさらに思考する組織へ

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
全国展開する品質保証業務代行会社・オメガテクノが抱えていたのは、経営視点や意思決定が属人的になりやすいという壁でした。協働プロとワンチームで伴走する中で、マネージャー層が自ら考え、提案し、組織を動かす主体へと変化。その成果の一例として、低空飛行だった営業所が全国16拠点のトップへ躍進するなどの変化が生まれます。変わったのは数字だけでなく、品質保証を“作業”ではなく“企業の信頼を支える仕事”として捉え直し、モビリティ産業変革を支える品質インフラ企業へ進化しようとする組織の視座でした。 

今回は、品質保証業務のアウトソーシングを手がけるオメガテクノ株式会社 代表取締役の栃平秀典氏にお話を伺いました。

製造業における品質保証は、単なる工程の一部ではありません。製品が市場に出る直前、あるいは納品後に発覚する不具合にどう向き合うかは、企業の信頼そのものに直結する重要なテーマです。オメガテクノは、そうした品質課題に対して、全国16拠点・対応率98%という高い現場対応力を強みに、製造業の「最後の砦」として存在感を高めてきました。

一方で、創業から成長を重ねる中で見えてきたのが、オーナー社長としての強い意思と引き換えに生まれやすい“視野の偏り”や、組織として深く考える力をどう育てていくかという課題でした。協働日本との取り組みを通じて生まれたのは、単なる業務改善ではなく、「考え方が変わることで、組織が変わり、数字が変わる」という本質的な変化でした。

品質保証業務を「選別」ではなく「信頼を守る仕事」と再定義し、現場力だけでなく思考力と組織力を磨いてきたオメガテクノ。なぜ協働日本と取り組むことを決め、何が変わり、これからどこを目指していくのか。その背景と実感を、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

“選別業者”ではなく、“品質保証業務代行サービス”として業界に切り込んだ

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、オメガテクノさんの沿革と現在の事業について教えてください。

栃平秀典氏(以下、栃平):
よろしくお願いします。私は2014年に同業他社から独立して、オメガテクノを立ち上げました。もともとこの業界には長くいましたが、立ち上げのきっかけになったのは、CS、つまりカスタマーサティスファクションへのこだわりです。

この業界では一般的に「選別業者」と呼ばれることが多いのですが、私はその呼び方に少し違和感がありました。もちろん、検査や選別という機能は担っていますが、本質はそこだけではない。私たちが向き合っているのは、品質そのものに対するお客様の信頼だと思っていたんです。

そこで、自分たちの事業を「品質保証業務代行サービス」と定義しました。製造工程の途中で見つかる不具合ではなく、完成後、納品後に見つかる品質問題に対応する。いわば、最後の局面で品質を守る仕事です。そこに本質的な価値があると思って、この業界に自分なりのやり方で切り込んでみたいと考えたのが独立の出発点でした。

ーー現在は、どのような形で事業を展開されているのでしょうか。

栃平:
主力は品質保証業務の代行です。完成品として納品された後に見つかる不具合に対して、検査や選別、必要に応じた対応を行っています。現在は日本全国に16拠点を展開していて、対応率は98%です。ほぼすべてのお客様のご要望にお応えできている状態だと思っています。

私たちの特徴は、クイックなレスポンスと、マンパワーに対する対応力です。たとえば「この現場に、今すぐこれだけの人数が必要だ」と言われたときに、品質を落とさず、瞬間的に人を出すことができる。これが大きな強みになっています。

ーーその“瞬間的に人を出せる”というのは、この業界ではかなり大きな違いなのでしょうか。

栃平:
大きいと思います。人を出すだけならできる会社もあるかもしれませんが、品質を維持したまま、必要な人数を即座に供給するとなると、簡単ではありません。そこは完全に仕組みで実現している部分です。詳しくは企業秘密ですが、属人的な頑張りではなく、再現性を持った形でオペレーションできるようにしています。

売上の約80%は自動車関連ですが、それ以外にも重機、建機、鉄道、航空、宇宙、医療、食品など、幅広い分野からご依頼をいただいています。製造業の品質課題という意味では、対象はかなり広いですね。

品質は“コスト”ではなく“企業の信頼”。オメガテクノが守ろうとしているもの

ーー品質保証という仕事を、どのように捉えていらっしゃいますか。

栃平:
品質は、単なるコストではないと思っています。企業にとっての信頼そのものです。実際、不具合が市場に出てしまえば、その影響は製品だけに留まりません。ブランド、取引先との関係、将来的な受注、すべてに関わってきます。

だからこそ、私たちの仕事は「検査をすること」だけでは終わりません。お客様が守りたい信頼を、最前線で支えることに意味がある。その意味で、私たちは“最後の砦”だと思っています。

会社としても、費用対効果の追求や、顧客満足と社員満足の両立、人材育成、継続的な改善などを重視してきました。品質に向き合う会社である以上、自分たち自身も改善し続けなければいけない。そういう考え方は、創業時からずっと変わっていません。

世界とつながる品質保証。グローバルネットワークが生む新しい価値

ーーオメガテクノさんの特徴として、グローバルネットワークのお話も印象的でした。そのあたりも教えてください。

栃平:
今の製造業は、部品調達が完全にグローバル化しています。たとえば日本の自動車メーカーであっても、国内だけで部品をまかなっているわけではありません。イタリアやドイツ、中南米やアジアなど、世界中から部品が届いています。

そうした中で、日本国内で不具合が見つかった場合、責任の所在は海外の部品メーカーにあるとしても、現実にはすぐに対応できないケースが多いんです。日本のメーカーからすると、品質問題は今この瞬間に解決しなければいけない。でも、海外のメーカーはすぐには来られないし、現場もわからない。その間を埋める存在が必要になります。

そこで私たちのグローバルネットワークが活きてきます。現地や国内で必要な検査対応を行い、その結果を迅速にフィードバックする。逆に、日本の部品メーカーが海外に輸出した製品に不具合が起きた場合も、現地で検品対応を行い、日本側へ戻すことができます。

ーーそれは、今後の事業にとっても大きな可能性になりそうですね。

栃平:
はい。私はこの分野が今後かなり伸びると思っています。たとえば、日本のメーカーさんがタイやインドネシア、中国に部品を出しているケースでも、現地でトラブルが起きたとき、どこに頼めばいいのか、相場はいくらなのか、どうやって現地とやり取りすればいいのか、わからないことが多いんです。

そのときに、オメガテクノに連絡をいただければ、日本語で一括して対応できる。現地での手配も、品質確認も、フィードバックも含めて対応できる。これは大きな利便性だと思っています。

私たちはTRIGO社との連携も含めて、世界とつながる品質保証体制を構築してきました。業界全体で見ても、本格的なグローバルネットワークを持っている会社は多くありません。今までになかった価値をつくれる可能性があると思っています。

ーー近年は、TRIGO社との提携など、グローバルな品質保証体制に向けた大きな動きもあります。こうした取り組みは、どのように位置づけていますか。

栃平:
TRIGO社との提携は、オメガテクノにとって非常に大きな転機だと思っています。

これまで私たちは、品質問題が起きたときに迅速に対応する、いわば「最後の砦」としての役割を担ってきました。ただ、これからの品質保証は、それだけでは足りないと思っています。自動車産業はCASEや電動化によって大きく変わっていますし、サプライチェーンもさらに複雑になっています。

そうなると、不具合が起きてから対応するだけではなく、品質異常を未然に防ぐこと、データを活用して品質課題を捉えること、国内外の複数拠点で同じ基準の品質対応を実現することが重要になります。

TRIGO社のグローバルネットワークや品質管理の知見と、私たちが日本国内で培ってきた現場対応力を掛け合わせることで、品質保証のあり方そのものを進化させていきたいと考えています。

“独りよがりな経営”に限界を感じていた。協働日本と出会うまで

ーー今回、協働日本と一緒に取り組むことを決めたきっかけを教えてください。

栃平:
知人の紹介がきっかけでした。ただ、タイミングとして非常に良かったんです。ちょうど自社のビジネスモデルをさらに確立させていく前の段階で、新しいアイデアが欲しいと思っていた時期でした。

独立してから、私は自分のアイデアだけで経営してきました。それはそれで必要なことだったと思いますが、どうしても限界がある。オーナー社長というのは、思いが強い分、近視眼的にもなりやすいんです。私自身、振り返れば“独りよがりな経営”になっていた部分があったと思います。

何かアドバイスが欲しい、視野を広げたいという思いはずっとありました。でも、いわゆるコンサルタントや評論家的な関わり方には、あまり魅力を感じていませんでした。表面的に見て評価されるのではなく、こちらの話をちゃんと聞いた上で、一緒に考えてくれる人と出会いたかったんです。

その意味で、協働日本は全く違いました。異業種の人たちが、それぞれの専門性を持って関わってくれる。HR、営業企画、商品企画など、いろんな視点からアイデアをもらえる。しかも一方的ではなく、協働というスタンスで関わってくれる。その点に非常に価値を感じました。

ーー協働日本とは、かなり長く幅広いテーマで議論されてきたのですね。

栃平:
そうですね。協働日本さんとは4年以上に渡って取り組みを継続しておりますが、ずっと一つのテーマだけを相談してきたというより、その時々の会社の状況に合わせて、いろいろなテーマについて話をしてきました。

最初は、事業をどう磨き込んでいくか、ビジネスモデルをどう広げていくかという話が中心でした。そこから、組織をどうつくるか、人をどう育てるか、教育をどう位置づけるか、お客様に対してどのような価値を提供していくかといったテーマにも広がっていきました。

営業や顧客との向き合い方、マネージャー層の成長、現場オペレーション、さらにはグローバル展開や外部企業との提携をどう経営として捉えるか。そういったことまで含めて、かなり幅広く議論してきたと思います。

単発で何かを教えてもらうというより、会社の成長段階に合わせて、一緒に考えるテーマが変わってきた感覚があります。そこが協働日本さんの強みだと思いますね。

最初は厳しいと感じた。でも、回を追うごとに意味がわかった

ーー実際に協働プロの皆さんと関わってみて、印象はいかがでしたか。

栃平:
メインで関わっていただいているのは、藤村昌平さん、芹沢亜衣子さん、三宮大輝さんです。

藤村さんは、かなりはっきり物を言ってくださる方です。正直、初期の頃は厳しいフィードバックだと感じたこともありました。
ただ、回を追うごとに、おっしゃっていることの意味がわかってきたんです。よく話を聞いてくださっているからこそ、そこまで踏み込んで言える。表面的な評論ではなく、こちらを理解した上での指摘なので、とても納得感がありました。

芹沢さんはHRの専門家として、非常に客観的で冷静なコメントをくださいます。藤村さんのコメントを補強したり、噛み砕いて整理してくれたり、時にはエビデンスのような役割を果たしてくれる。人や組織の観点から非常に助けられています。

三宮さんは現場に強い方で、実例をもとに話してくださるのでわかりやすいですね。現場で何が起きるのか、設計したことがどう動くのかという視点でコメントいただけるので、こちらもイメージしやすいんです。

ーーチームとしての良さも感じられたのでしょうか。

栃平:
感じました。3人それぞれ役割が違っていて、非常にバランスがいいと思います。しかも、皆さんいい意味で忖度がないんです。私はそれがよかった。もし忖度をする方々だったら、ここまで一緒にやっていなかったと思います。

もちろん、人としての常識や配慮はあります。でも、ビジネスの話になると、ちゃんと切り込んでくれる。しかも、それが勝手な思い込みから来るものではなく、よく話を聞いた上での意見なんです。だからこちらにも入りやすい。コンサルタントや評論家とは全く違う、“一緒に考えてくれている”感覚がずっとありました。

ーー単なるアドバイスではなく、経営者の悩みにかなり深く寄り添う関わり方だったのでしょうか。

栃平:
そう思います。経営者は、最後は自分で決めなければいけません。ただ、その前段階で、頭の中にある悩みや違和感を言葉にする相手がいるかどうかは、すごく大きいと思っています。

協働日本さんとの時間は、正解を教えてもらう場というより、こちらが抱えている課題を一緒に掘り下げてもらう場でした。事業のこと、組織のこと、人材育成のこと、お客様への向き合い方、外部との提携をどう位置づけるか。そうした経営上の重いテーマについて、忖度なく意見をもらえる。

しかも、ただ厳しいだけではなく、こちらの話をよく聞いた上で切り込んでくれるんです。だから、こちらも受け止められる。経営者として一人で抱え込みがちなテーマを、対話を通じて整理できることは非常に大きかったですね。

ーー協働日本との取り組みの中で、「一緒に戦っている」と感じる瞬間はありましたか。

栃平:
ありますね。協働日本さんは、「こうした方がいい」と外から言うだけではなく、「本当にそこへ向かうのか」と深いところまで一緒に考えてくれる。時には厳しいことも言われますが、それだけ本気で向き合ってくれているんだと思います。

だからこちらも、本音で向き合える。 “伴走”というより、本当に一緒に会社の未来を考えてくれている感覚がありますね。

アイデア出しから人材育成へ。取り組みは“事業”と“人”の両輪に進化した

ーー協働日本とのプロジェクトは、現在どのようなテーマで進んでいるのでしょうか。

栃平:
最初は、ビジネスモデルを広げるためのアイデア出しが大きなテーマでした。自分一人の発想に閉じず、いろんな方向から新しい視点を入れていく。そのフェーズがまずありました。

ただ、今はそこから次の段階に入っています。現在は、人材育成にかなり比重を置いています。むしろ今は100%人材育成に振っていると言ってもいいかもしれません。

私と協働プロの皆さんで面談やミーティングを重ねてきたのですが、今は私の部下たちも巻き込んで、社員主体のチームミーティングを進めてもらっています。節目では私も入りますが、基本的には社員に主導権を渡している形です。

ーー人材育成が中心になっているとはいえ、事業とのつながりも強そうですね。

栃平:
そうですね。単純な人材育成ではありません。中心にあるのは、PDCAを回すことです。深く考え、仮説を立て、検証し、修正していく。その力を組織の中に根づかせることが、結果的に企画にも、営業にも、現場改善にもつながっていくんです。

なので、事業の成長と人の成長は完全に両輪です。人を育てることが、そのままビジネスを太くしていくことにつながっている感覚があります。このあたりの循環は、本当に見事だなと思っています。

“深く考える習慣”が根づき、仕事の質が変わってきた

ーー協働日本との取り組みを通じて、具体的にどのような変化が生まれましたか。

栃平:
一番大きいのは、“深く考える習慣”を与えてもらったことです。

日常業務の中では、どうしても見逃してしまうことがあります。忙しさの中で、表面的に判断してしまうこともある。でも、協働日本の皆さんは、その見逃しそうな部分をちゃんと拾って、そこを深く考えるよう促してくれるんです。

その結果、仕事の質がだいぶ変わってきました。表面的なところではなく、本質に近いところまで踏み込んで物事を考えるようになってきたと思います。

ーー従業員の方々にも、その変化は現れていますか。

栃平:
現れています。たとえば企画ごと一つとっても、以前なら短絡的に取り組んでいたかもしれないものが、今は一歩踏み込んで考えられるようになっています。まだ効果が数字として完全に出切っているわけではありませんが、本質を突いた取り組みになってきているので、成功確度は高くなっていると思っています。

“ひらめいたからやる”ではなく、“よく考え抜かれているからやる”に変わってきた。この違いは大きいですね。

考え方が変わると、数字が変わる。低迷していた営業所がトップへ

ーー成果についても教えてください。定量的にわかるものはありますか。

栃平:
わかりやすい例で言うと、当社のある営業所が、以前はかなり低空飛行だったんです。それが今は、16拠点の中でトップに躍り出ています。

もちろん、すべてが協働日本のおかげだけではないものの、考え方が変わることで、ごく短期間で数字があからさまに変わったのは事実です。そのきっかけを作ってくれた協働日本さんには感謝しています。

トップの考え方、人との接し方、マネージャーの動き方が変わると、組織の動き方が変わる。人がどう動くかが変わる。結果として売上や成果にもはっきり影響してくる。これは非常にわかりやすい成果だと思います。

ーーその背景には、どのような変化があったのでしょうか。

栃平:
ビジネススキームのあり方自体が変わってきたことも大きいですね。もともと絵に描いた餅のように見えていたスキームが、実際にオペレーションできる状態になってきています。それを可能にしたのは、やはりマネージャー層の成長だと思っています。

以前は、“こういうことをやりたい”という話が出てきても、どこか頼りなさがあったんです。でも今は違う。「やってもいいですか」ではなく、「これをやりたい」と言ってくる。しかも、その企画がしっかり作り込まれているんです。

このあたりは、各マネージャーが自信を持って取り組めるようになってきた証拠だと思います。提案の質も上がっていますし、社員の熱量も上がってきています。

Education Firstの考え方と、協働による人材開発がつながっていった

ーーオメガテクノさんとしても、教育を重視されてきた印象があります。

栃平:
そうですね。私たちは「Education First」という考え方を非常に大切にしています。パーパスとして掲げているものでもありますし、会社の運営そのものに深く関わっています。

瞬間的に人を出せるとか、対応率98%とか、そういった強みも、結局は人が育っているからこそ実現できるものです。教育を後回しにして、目先の案件だけ追っていては、今の体制はつくれなかったと思います。

そういう意味では、協働日本との取り組みは、外から何かを与えてもらうというより、もともと自分たちが大事にしてきた教育や成長という軸を、より深く、より実践的な形にしてもらっている感覚があります。

品質トラブル対応会社から、モビリティ産業変革の品質インフラ企業へ

ーー近年は、ミカタプロジェクトのモビリティイノベーションフォーラムで優秀賞を受賞されるなど、新たな挑戦も評価されています。

栃平:
ミカタプロジェクトでの受賞は、私たちにとって非常に励みになる出来事でした。

ただ、これは一つの賞をいただいたということ以上に、オメガテクノがこれからどこへ向かうのかを示す機会になったと思っています。私たちは、単なる検査代行会社で終わるつもりはありません。

品質保証を軸に、自動車産業やモビリティ産業の変革を支える存在になっていきたい。DXやAIの活用、グローバル対応、未然防止型の品質管理など、これから取り組むべきテーマはたくさんあります。

品質トラブルが起きたときに対応する会社から、品質課題を先回りして捉え、産業全体を支える品質インフラ企業へ。そういう方向に進化していきたいと考えています。

そのためには、現場力だけではなく、組織として考える力、人を育てる力、外部と連携する力が必要です。協働日本さんとの取り組みは、そうした変化に向けた土台づくりにもつながっていると思います。

協働という形だからこそ、中小企業にも必要な支援になる

ーーこうした複業人材との取り組みは、今後さらに広がっていくと思われますか。

栃平:
広がっていくと思いますし、広がっていくべきだと思います。特に中小企業は、単独で立ち向かうのがどんどん難しくなっています。倒産件数も増えていますし、事業承継の問題もあります。単純なM&Aだけではなく、複合的に力を合わせて、いろんな強みを組み合わせていくことが必要になっていると感じます。

そういう中で、協働日本のように、各領域のプロ人材と一緒に考え、動いていく仕組みは、非常に有効だと思います。単純に金儲けをするための関係ではなく、志を持って真剣に事業に向き合っている会社にこそ合うんじゃないでしょうか。

私は、そういうところにはおすすめしたいと思います。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

栃平:
社会問題の解決という観点と、それぞれの企業が持っている強みを最大限活かすという観点、その両方において非常に有効な手段だと思っています。

真剣に次のビジネスに臨もうとしているオーナーさんや、スタートアップの社長さん、変わりたいと思っている中小企業には、まだまだ必要とされていくんじゃないでしょうか。私たち自身もその価値を実感していますし、これからも必要とされる取り組みだと思っています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

栃平:
ありがとうございました。


栃平 秀典/Hidenori Tochihira

オメガテクノ株式会社 代表取締役

1969年、大阪府生まれ。大学卒業後、自動車販売業にて営業として実績を積み、マネージャーとして店舗運営に携わる。その後、同業界最大手にて営業所長、営業戦略部長、支店長を歴任し、事業成長と組織運営の両面で実績を築く。
品質保証業務代行サービスの本質的価値に着目し、2014年にオメガテクノ株式会社を創業。
検査・選別にとどまらず、顧客課題に踏み込む経営改善支援へと事業を進化させるとともに、自社の経営改革を通じて持続的成長基盤を確立した。
現在はTRIGO社との連携により、グローバルな品質ソリューションの実現に挑んでいる。
「挑戦・教育・成長」を軸に、人と組織の可能性を最大化し、製造業の競争力向上に貢献することを使命としている。

協働日本事業については こちら

VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(前編)『「境界」が溶けた世界で、勝ち抜いていくために必要なこと』 –

海外マーケティングSTORY:株式会社海連 永井漸氏 – “海外に売りたい”から、“4市場で勝つ”へ。鹿児島のさつまいもを世界に届ける海外戦略とは –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

今回は、鹿児島県阿久根市でさつまいもの生産・加工・販売を手がける株式会社海連 専務取締役の永井漸氏にお話を伺いました。

鹿児島県阿久根市のさつまいも加工会社・株式会社海連が抱えていたのは、“海外に売りたい”という想いはありながらも、輸出戦略がアメリカ中心の一本足打法にとどまり、市場選定や優先順位が定まらないという壁でした。

協働プロとワンチームで伴走する中で、永井氏自身の意思決定の軸が明確になり、仮説検証を重ねながら主体的に次の一手を描けるようになりました。その結果、欧州・中東・アジア・米国の4市場を見据えた展開方針が定まり、2027年中に輸出量50〜70トンを目指す新たな成長戦略が立ち上がっています。

変わったのは数字の見通しだけでなく、“感覚で売る”から“戦略で勝つ”へと、海外展開そのものの捉え方でした。

株式会社海連は、海産物の保管倉庫をルーツに持ちながら、時代の変化に応じて事業を転換し、現在はさつまいもを軸に地域資源を活かした事業展開を進めている企業です。

“海外に売りたい”という想いを、どうすれば具体的な戦略へ変えられるのか。仮説検証を重ねながら見えてきた市場のリアル、地域内外のつながりから生まれた新たな可能性、そして今後の展望について、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

海産物倉庫から、さつまいもの加工会社へ。変化を重ねてきた海連の歩み

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、株式会社海連さんの沿革と現在の事業について教えてください。

永井漸氏(以下、永井):
よろしくお願いします。海連は1999年創業で、今はさつまいもを加工している会社です。ただ、もともとは今のような会社ではなく、海産物を保管する倉庫業から始まっています。

当時は魚を保管する倉庫として動いていたのですが、保管していた魚が獲れなくなってしまい、倉庫が空いてしまったんです。どうしようかと悩んでいた時期に、ちょうど芋焼酎ブームが来て、焼酎用さつまいもを冷凍保管するニーズが出てきました。そこから、魚ではなくさつまいもを扱うようになったのが最初の転機でした。

その後、今後は輸入芋よりも国産のさつまいもの需要が高まるだろうと考え、保管だけではなく加工まで自社でできるようにしていきました。そうして規模を広げていく中で、次に見えてきたのが雇用の課題です。

焼酎用のさつまいもは、どうしても生芋の収穫時期である9月から11月に仕事が集中します。それまではその時期だけ多くの方に来ていただいて、12月以降はほとんど人がいない、という形でも回っていました。ただ、地方では今後ますます人材確保が難しくなる。そう考えたときに、年間を通して働ける仕事をつくる必要がありました。

そこで、紅はるかのように熟成することでより美味しくなる品種を活かし、焼き芋やペーストなどの加工品づくりを進めるようになりました。さらに夏場の仕事として、阿久根市でそうめん流しの店舗を引き継ぎ、7月・8月は飲食事業も行っています。工場だけ、飲食だけではなく、年間を通していろいろな形で仕事をつくっているのが、海連の特徴だと思います。

ーーそうめん流しの店舗でも、海連さんらしさは出ているのでしょうか。

永井:
はい。紅はるかを使った素揚げや、さつまいもを使ったスイーツなど、自社の加工品を食べていただけるようにしています。隣接する売店では、工場で加工したペーストを使ったモンブランソフトのような商品も出しています。単に商品をつくるだけでなく、どう食べてもらうかまで含めて事業にしている感覚ですね。

“海外に売りたい”という想いはあった。だが、戦略は見えていなかった

ーー今回、協働日本と一緒に取り組むことを決めたきっかけを教えてください。

永井:
きっかけは、地元の下園薩男商店の下園さんです。

私が家業に戻り、いわゆる“アトツギ”としてこれからの経営をどう担っていくかを考え始めた頃、会社の今後について相談させていただく機会があって、その中で協働日本さんを紹介していただきました。

鹿児島県と連携した伴走支援の取り組みをされていると聞いて、すごく興味を持ちました。下園さんご自身が、自分の会社だけではなく、地域全体が良くなることを考えている方なんです。そんな下園さんが紹介してくださるものなら間違いないだろう、という信頼も大きかったですね。

自社にとってプラスになるのはもちろんですが、うまくいけば自分たちもまた別の事業者に広げる側に回れるかもしれない。そういう意味でも、やってみたいと思いました。

ーー今回の協働プロジェクトでは、どのようなテーマで取り組まれたのでしょうか。

永井:
テーマはシンプルで、「さつまいも製品をもっと海外に広げたい」ということでした。実際、アメリカには輸出できていました。ただ、実質的にはアメリカ一本足打法で、そこから先の拡大がなかなか見えていなかったんです。

自分の中では、イスラム圏にもさつまいもは刺さるんじゃないか、アジアにも可能性があるんじゃないか、という感覚はありました。でも、それはあくまで感覚でしかなかった。どの市場に、どの商品を、どの順番で持っていくのか。そこがまったく整理できていませんでした。

しかも、社内で海外展開を実質的に見ているのはほぼ私一人です。相談相手も少ない中で、自分だけで考えていても突破口が見えなかった。だからこそ、外部の視点が必要だと思っていました。

感覚ではなく、仮説と検証で進める。判断基準を得た伴走支援

ーー伴走した協働プロの皆さんとは、どのようにプロジェクトを進めていったのでしょうか。

永井:
伴走いただいたのは、向縄さん、般若さん、阿世知さんの3名です。伴走いただいたのは、海外ビジネスを実務レベルで推進してきたプロフェッショナルで、単なる助言ではなく“実行につながる視点”を提供してくださいました。

最初にまず「海連がどうしたいのか」をかなり丁寧に聞いてくださいました。

その上で、私が持っていたぼんやりしたイメージを、そのまま進めるのではなく、「それは本当に市場として成立するのか」「価格帯はどうか」「誰にどう届けるのか」と、一つひとつ具体化していく形でした。

私一人だと、どうしても“売れそう”という感覚で考えてしまうんです。でも、3人とのミーティングでは、その感覚をちゃんとリサーチや仮説に落とし込んで、次回までの宿題にして、また検証していく。そのプロセス自体がとても学びになりました。

自分の中にあった知識や人脈も、単独ではつながっていなかったものが多かったんです。それを「こう使えるのでは」と整理してもらえたことで、プロジェクトの進め方そのものが見えるようになりました。報告会の場でもお話ししたのですが、いろいろなアイデアを受け取る中で、自分の中に「判断する基準」が見えてきたことは、とても大きかったです。

インドネシアで仮説が崩れたことが、戦略転換の起点になった

ーー取り組みの中で、特に印象に残っている出来事はありますか。

永井:
一番大きかったのは、インドネシアに関する仮説が崩れたことです。もともと私は、ムスリム市場に行くならインドネシアが起点になると思っていました。実際、友人のインドネシア人にもオンラインで話を聞きましたし、かなり期待していました。

ただ、その話を受けて、向縄さんが実際にインドネシアに行き、現地で情報を確かめてくださったんです。そこで見えてきたのが、現地には、現地の人の好みに合う、安くて甘くて美味しいさつまいもがすでに多く流通しているということでした。

つまり、日本のさつまいもをそのまま持ち込んで今からその市場で戦うのは、いわばレッドオーシャンに飛び込むようなものだったんです。そこで一度、当初考えていた形でのインドネシア輸出は見直そう、という判断ができました。

これは、自分にとってすごく大きかったですね。今までも仮説と検証が大事だとは分かっていたつもりでしたが、実際にそのサイクルを回し、判断を変えるところまでやる経験はあまりなかった。伴走を通じて、その積み重ねが経営の判断軸を太くしていくのだと実感しました。

今までの自分たちは、「これは売れるだろう」と思ったものを展示会や商談に持っていき、たまたま刺さるかどうかに頼っていた部分もありました。今回の経験を通して、国内外を問わず、まず仮説を立て、確かめ、修正することの重要性を改めて学びました。

抹茶との掛け合わせが、欧州・アジア・地域連携へと広がっていった

ーーそこから、どのように次の打ち手が見えてきたのでしょうか。

永井:
インドネシアの議論をしている中で、現地では抹茶がかなり広がっているという話が出てきました。そこから「抹茶×さつまいも」という仮説が浮上したんです。

実は過去に、アメリカ・ロサンゼルスのレストランで、うちのさつまいもペーストを使った抹茶ティラミスをつくっていただいたことがありました。それをミーティングの中でぽろっと話したら、「それはもっと早く言ってください」と(笑)。そこから一気に、抹茶との掛け合わせを真剣に考えるようになりました。

さらに、鹿児島の輸出商社の方やお茶関係の方々に話を聞く中で、抹茶の販路と一緒にさつまいもパウダーを提案できる可能性も見えてきました。乾燥パウダーなら物流面でも扱いやすいですし、抹茶の緑と紫芋の色の対比も魅力になる。商品そのものだけでなく、見せ方まで含めて勝負できると感じています。

面白かったのは、そこから国内の連携にもつながったことです。協働プロの後押しで、お茶屋さんに話を聞きに行ったことがきっかけで、池田選茶堂さんのカフェメニューに、海連のさつまいもを使ったトッピング商品が採用されました。国外販路の議論から始まったのに、地域内の新しいコラボまで生まれた。これは自分一人では絶対に起きなかったことだと思います。

一本足打法から、4市場同時展開へ。フランスへの受注確定で見えてきた勝ち筋

ーー今回の取り組みを通じて、具体的にはどのような成果が生まれたと感じていますか。

永井:
現時点で、売上として大きく出ているものはまだこれからです。ただ、最も大きな成果は、輸出戦略が明確になったことだと思っています。

今は、欧州・中東・インドネシア・米国の4市場で、それぞれ役割の違う戦略を描いています。欧州はブランド価値を高める拠点。特に紫芋パウダーのような素材系商材で、抹茶ルートとの親和性も活かしながら展開していきたいと考えています。ロンドンでは加工原料としての可能性も見えてきました。

中東は、ハラール市場の成長を見据えた展開です。まずはドバイなどを足がかりにして、周辺地域へ広げていきたい。インドネシアは当初より優先順位は下がりましたが、素材単体ではなく、抹茶と組み合わせた“ジャパニーズカフェメニュー”としてなら可能性があると見ています。

そしてアメリカは、やはり一番売上を伸ばしやすい市場です。すでにレストラン向けやチェーン向けの販路があるので、まずはそこを太く強くしていく。加えて、欧州など他地域での実績がアメリカでの提案にも効いてくる。4市場が相互に補完し合う形が見えてきました。

目標としては、2027年中にさつまいも関連だけで年商1億円を目指しています。輸出量でいうと、現在の10〜15トンから50〜70トンへ。かなり高い目標ではありますが、以前のように“海外に売りたい”という状態ではなく、どう積み上げるかの地図が見えたのは大きいです。

その手ごたえは、すでに少しずつ具体的な反応としても現れ始めています。たとえば、FOODEX JAPAN 2026では、鹿児島県ブースへの出展を通じて多くの来場者との接点が生まれ、フランス向けに紫芋パウダーの受注が確定するなど、戦略で描いた欧州市場への展開が、実際の商流として立ち上がり始めています。

まだ大きな売上として語る段階ではありませんが、欧州向けの新たな可能性を感じられたことは大きな一歩でした。描いてきた戦略が、机上の構想にとどまらず、確かな反応として返ってきた瞬間だったと思います。

主体的に動いてもいい。そう思える空気が社内に生まれ始めた

ーー事業戦略だけでなく、組織の面での変化はありましたか。

永井:
会社全体が大きく変わった、とまではまだ言えません。でも少なくとも、私自身には大きな変化がありましたし、それが社内にも少しずつ波及し始めている感覚はあります。

今回の伴走支援を通じて、自分から主体的に動いてもいいんだ、チャレンジしてもいいんだ、という感覚が強くなりました。毎週のミーティングが本当に楽しみで、ワクワクしながら次の打ち手を考えていました。そういう姿を見せられたこと自体が、今後従業員を巻き込んでいく上でも意味があると思っています。

また、今回の取り組みを通じて、外部の知見を取り入れながら進めることへの社内理解も少しずつ生まれてきました。トップダウンだけではなく、現場から新しい提案や挑戦が出てきてもいい。そう思える環境づくりの第一歩になったと感じています。地方企業ではどうしても社内だけで考えが固まりがちですが、外の視点が入ることで、失敗を恐れずに挑戦する空気が生まれる。その土台づくりになったと思います。

“プロに任せる”価値を知っているからこそ、外部プロ人材の力を実感した

ーー協働プロの皆さんの印象についても教えてください。

永井:
3人とも本当にキャラクターが違っていて、すごくいいチームでした。向縄さんはとにかく前向きで、言葉がいつもポジティブなんです。だからこちらもワクワクしながら進められる。阿世知さんは議論をうまく整理して、まとめてくださる存在。般若さんは冷静に全体を見て、「ここはもっと詰めた方がいいですね」と俯瞰したアドバイスをくださる。そのバランスがとても良かったです。

私は家業に戻る前、産業用ロボットメーカーやゲームメーカーで働いていたのですが、その中で“プロに任せることの価値”をかなり実感してきました。自分が数時間かけてもできないことを、その道のプロは数分で解決してしまう。だったら、任せるべき領域は任せた方がいい。その感覚がもともとあったので、今回の伴走の価値もすごく腹落ちしました。

地方企業こそ、外の知見とつながることで前に進める

ーーこうした外部のプロ人材との取り組みは、今後さらに広がっていくと思われますか。

永井:
広がっていってほしいですし、広がるべきだと思っています。特に地方には、「変わりたい」と思っていても、社内にそのための人材や知見が足りない会社が本当に多いと思うんです。

自分一人でやらなきゃいけないと思っている経営者や後継者は多いですし、実際、私自身もそうでした。でも、少し背中を押してもらうだけで、一気に見える景色が変わることがある。そういう会社にとって、協働日本のように各領域のプロ人材とつながれる存在はすごく大きいと思います。

今後は海外戦略だけでなく、人事や制度設計など、また別のテーマでも相談したいことがあります。

協働日本にはそれぞれの分野を知るプロが揃っているので、テーマが変わってもまた一緒に動けるという安心感があります。

今回つながった皆さんとも、さらなる共創ができたら嬉しいですね。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

永井:
協働日本さんと関わった企業は、いい方向に変わっていくと思っています。今回、自分たちもそれを実感しました。この取り組みを通じて、もっと多くの会社が前向きな変化を経験して、幸せになっていってほしいです。

そしていつか、海連がお願いしたくても「今は手一杯です」と言われるくらい、たくさんの企業が協働日本さんと一緒に動いている状態になったら、それだけ地域で挑戦する会社が増えているということだと思います。そんな未来を、すごく楽しみにしています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

永井:
ありがとうございました。


永井さんも登壇した、【鹿児島県】令和7年度「新産業創出ネットワーク事業」最終報告会の様子は、以下の動画でもご確認いただけます。


永井 漸 / Zen Nagai

株式会社海連 専務取締役

高校時代に中国・北京、大学時代に英国・ロンドンへ留学。大学卒業後は京都市にて産業用ロボットメーカー、ゲームメーカーでの勤務を経て、2018年に家業である株式会社海連に入社。産業用ロボットメーカーでは海外営業として東アジア(中国)および東南アジア(インドネシア、フィリピン)を担当し、ゲームメーカーでは開発部門にてITコンサルティング領域のライセンス管理業務に従事。現在は専務取締役として、事業承継を見据えた経営への参画に加え、地域資源を活かした事業展開を通じて地方創生に取り組んでいる。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 向縄一太氏 – 「浪漫」と「算盤」で地域を変える –

NEWS:【開催レポート】鹿児島で令和7年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会を開催しました

鹿児島から世界へ!鹿児島県新産業創出ネットワーク事業 最終報告会2026

皆さん、こんにちは。協働日本の広報を担当しております郡司です。私たちは「協働」を通じて、日本に熱を生み出したいという想いのもと、地域企業の皆様とともに新たな事業創出に取り組んでいます。

先日、鹿児島市内にて令和7年度「新産業創出ネットワーク事業」最終報告会を開催しました。協働日本は本年度も、約7か月間にわたって鹿児島県内の事業者様に伴走支援させていただきました。

単なるアドバイスではなく、「ともに考え、ともに悩み、ともに動く」。その時間の積み重ねの先に、今回の発表があります。

各社の想いを形にする、それぞれのプロジェクト。その集大成として、4社の事業者様に成果をご発表いただきました。本レポートでは、当日の発表内容と、その裏側にあったリアルな声も交えながらお届けします。

【報告会の様子はこちら(動画で見る)】

協働日本 令和7年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会より

会場と現地の雰囲気

会場は、鹿児島県庁18階にある「かごゆいテラス」。コワーキングや打ち合わせスペース、イベントスペースとして利用できる会場。雄大な桜島が一望できる展望ロビーがあり、気持ちも盛り上がる最高のロケーションで発表会を開催させていただきました。

登壇者の緊張感と期待感、そして会場に集まった関係者の熱気が交錯する中、報告会がスタートしました。


協働に取り組んだ4社が登壇

今回ご登壇いただいたのは、以下の4社です。

  • 株式会社寺師
  • 株式会社岩崎木材工芸
  • 株式会社海連
  • 株式会社下園薩男商店

それぞれが、自社の本質的な強みを再定義し、新たな市場へ挑むプロセスを共有してくださいました。


① 株式会社寺師

発表テーマ:鹿児島の“豚なんこつ”を、常温で全国へ。

発表者:株式会社寺師 取締役専務 寺師 大策さん

最初の発表は、挑戦する肉屋、肉の寺師の寺師大策さん。

同社が精肉卸やもつ鍋通販を主力とする肉屋であると説明された上で、冷蔵・冷凍商品が中心であったことから、物流コストや売り場制約が全国展開の壁になっていたと語っていただきました。また、人手不足の中で新商品開発を進める難しさも課題だったと言います。

当初は「肉のお菓子」というアイデアからスタートしたものの、試作と議論を重ねる中で、自社の仕入力を最大限活かせる素材は何かと問い直した結果、「鹿児島の豚なんこつ」に行き着いたと話します。

試作と議論を重ねてきた

そこから単なる商品開発ではなく、「家飲みがごちそうになる体験」へと再設計。「俺の豚軟骨」シリーズが誕生しました。

寺師さんは、焼酎向けの甘辛醤油味、ビール向けの黒酢カレー風味など、県産酒とのペアリングを意識した商品設計を行ったと言います。
それは単に「商品を売る」のではなく、ペアリングによって「食シーンを創る」ことを目指したと話します。焼酎にはこの味、ビールにはこの味と、“鹿児島の酒とともに楽しむ豚なんこつ”という提案を行いました。

さらに、印象的だったのは、寺師さんの言葉です。
「とりあえずやってみよう。サンプルを買ってみる、機械を買ってみる。やってみないとわからない。」

毎週の定例ミーティングでは必ず宿題があり、試作があり、失敗もありました。だがその積み重ねが、チームのスピードを生みました。

特筆すべきは、その検証スピードです。
寺師さんはこの4か月間で、5カテゴリー・25商品を実際に試作・検証したといいます。
「机上で考えるのではなく、まずつくってみる」。
この圧倒的な試行回数こそが、今回のプロジェクトの象徴でした。

毎週の定例では必ず“宿題”があり、次週には必ず“実物”がある。
その積み重ねが、チーム全体の意思決定スピードを高めていったと語っていただきました。

「俺の豚軟骨」シリーズ

現在はOEM製造体制を構築し、初回3,000パックを製造。空港売店との商談も進行中です。クラウドファンディングを通じて市場の声を回収し、2026年7月の本格販売を目指しています。

“制約”を“価値”に変えた挑戦でした。


② 株式会社岩崎木材工芸

発表テーマ:屋久杉のリブラディングと新しい顧客開発

発表者:株式会社岩崎木材工芸 代表取締役 岩崎 理恵さん

続いての発表は、屋久杉を扱う、岩崎木材工芸の岩崎さん。

屋久杉という強いブランドを扱ってきた一方で、「高級すぎる」「デザインが古い」「サイズが大きい」といった固定概念に縛られていたと振り返られました。売上が10年前の10分の1以下まで落ち込んだ時期もあったと語りました。

「素材の可能性を提案する会社」へ

伴走の中で見えてきたのは、同社が当たり前に持っていた「目利き力」でした。
“良い木を見極める目”こそが本質的価値。

そこから、「工芸品を売る会社」から「素材の可能性を提案する会社」へと転換します。

新ブランド「niketo」では、屋久杉を主役にするのではなく、陶芸や食、焼酎を引き立てる素材として再設計したと説明いただきました。また、量産が難しいという弱点についても、「一期一会」という価値へ転換したと語っていただきました。

「一期一会」という価値へ転換

さらに挑戦したのがレンタルモデルです。
実際に使用した顧客がその魅力を実感したことで複数枚購入につながった事例もご紹介いただきました。

展示会では、いきなり単発売上として50万円を達成するなど好調なスタート。しかし重要なのは金額そのものではありません。

屋久杉製品の“単品販売”ではなく、「ブランドを引き立てる什器」としての提案が評価され、新たな事業の可能性が見えたことにこそ意味があると語っていただきました。

展示会でのPRポイントを見直し、いきなり50万円の売上を達成

富山で開催されたインバウンド向けイベントでは、屋久杉の什器が20点以上導入されたといいます。

屋久杉単体を販売するのではなく、さまざまなブランドや商品を引き立てる“舞台装置”として機能する。

屋久杉の価値は、プロダクトから空間設計へ。
その可能性が一気に広がった瞬間でした。

「屋久杉を、いろんなものとコラボレーションしながら届けていきたい。」文化財的素材を、現代の経済価値へ。岩崎さんの言葉には、新たな覚悟がにじんでいました。


③ 株式会社海連

発表テーマ:ムスリム圏への鹿児島県産さつまいも加工品輸出へ向けた戦略構築

発表者:株式会社海連 専務取締役/工場長 永井 漸さん

続いての発表は、さつまいもの栽培・加工・輸出を手がける海連 専務取締役の永井さん。

さつまいもで世界の人を元気にしたいと語る海連。しかし輸出は実質アメリカ一本足打法。海外戦略は明確ではなく、担当も実質一人。リソース不足が課題でした。

伴走の中で永井さんが得たのは、「判断基準」でした。

世界的抹茶ブームに着目

インドネシアとのオンライン会議をきっかけに、世界的抹茶ブームに着目。「抹茶×さつまいも」という仮説が浮上します。そこから利益率、市場規模、ブランド適合性を整理し、欧州・インドネシア・中東・米国の4市場同時展開へ。

世界4大市場を見据えた戦略策定

今回の取り組みで最も大きかった変化は、
海外展開の“解像度”が一気に高まったことだと語っています。

これまでは「海外に売りたい」という状態だったものが、
・欧州はブランド価値重視
・インドネシアは抹茶との掛け合わせ
・中東はハラール対応
・米国は既存基盤の拡張
と、市場ごとの戦略が明確になったといいます。

“海外”という一括りではなく、4地域同時展開という具体的戦略へ。
海連のさつまいも販売戦略の未来が、地図上に描かれ始めた瞬間でした。

ドバイ「Gulfood」出展、ロンドンでの商品展開など具体的アクションも進行中。現在10〜15トンの輸出量を、50トンへ。年間1億円を目標に掲げています。

ドバイ市場を徹底リサーチ

「一人で考えると1年かかる。でも壁打ちするとスピードが違う。」

仮説検証型経営への転換が、海連の視界を一気に広げたと語ります。


④ 株式会社下園薩男商店

発表テーマ:イワシを「自分を癒す美容・健康食」へ

発表者:株式会社下園薩男商店 常務取締役 下園 正博さん

続いての発表は、ウルメイワシの丸干し販売を主軸としてきた、下園薩男商店の下園正博さん。

これまで主力としてきたウルメイワシですが、漁獲量減少・買付価格の高騰という構造的課題に直面していたと話します。

取り組みの背景にあった構造的課題

そこで商品の魅力を、「イワシを食べる=健康・美容に良い」と再定義し、ターゲットを30〜40代女性に設定したと語っていただきました。

ターゲット設定

AIやSNSを活用した徹底的なリサーチを行い、都市部で働く女性へのヒアリングを重ねる中で、「魚は摂りたいが手間がかかる」「健康食品は修行のようだ」といった本音が見えてきたと振り返ります。

そこから誕生したのが、新ブランド「ANCHOBIT」。 “サラダチキンのような手軽さ”と、“自分を癒す存在感”を兼ね備えた美容・健康食として再設計したとご報告いただきました。

今後の展開

大手との差別化においては、「まず定義して走る」というスピード感を重視していると話します。現在は、SNSを軸としたファンづくりと店舗展開を進めていると語っていただきました。

「一人でやると1〜2年かかる。でも仲間がいると気づきのスピードが違う。」
そう語る下園さんの言葉に力強さを感じた報告でした。


プロセスから学び合う場に

各社の発表後には、協働プロから総括コメントをお伝えし、単なる成果報告ではなく、変革のプロセスを言語化し、学びとして共有する時間となりました。

今回の4社に共通していたのは、
「商品を変えた」のではなく、
“価値の定義”を変えたという点でした。

寺師は“肉”を食シーンへ。
岩崎は“屋久杉製品”を空間什器へ。
海連は“海外展開”を具体的4市場戦略へ。
下園は“イワシ”を美容・健康体験へ。

伴走の本質は、単にアイデアを出すことではなく、ともに汗をかき、今ある価値を再定義することにある。そのことを強く感じる報告会となりました。

協働プロ 株式会社ひまじん代表 相川 知輝
協働プロ PLAY Inc. CEO 四元 亮平(画像右)
株式会社協働日本CSO 藤村 昌平(画像右)

また、報告会の最後には交流会も開催いたしました。登壇企業の皆様だけでなく、同じ鹿児島県内で挑戦を続ける事業者の皆様にもご参加いただき、互いの成功事例や取り組みのヒントを共有し合う、非常に実りある時間となりました。

報告会の中で登場した製品も交流会に登場

当日は、登壇各社が自社の商品を持ち寄り、実際に手に取り、味わいながら意見交換を行う場面も多く見られました。商品を起点に自然と会話が広がり、「一緒に何かできないか」「この素材と組み合わせたら面白いのでは」といったコラボレーションの可能性についても議論が盛り上がりました。

参加者同士のネットワーキングも活況でした

単なる成果発表にとどまらず、挑戦のプロセスやリアルな悩みまでを共有し合えたことで、参加者それぞれにとって次の一歩を踏み出すための具体的なヒントが生まれたように感じています。

取り組みを振り返る登壇者と、伴走した協働プロ

このような相互交流の場が生まれたこと自体が、本報告会を“次のチャレンジへとつながる起点”へと昇華させる、大きな価値となりました。


鹿児島への想いをお伝えさせていただきました(株式会社協働日本 代表取締役社長 村松 知幸)

最後に、本事業にご協力いただいた事業者の皆様、鹿児島県庁の皆様、鹿児島産業支援センターの皆様に心より感謝申し上げます。

登壇者の皆様と

協働日本はこれからも、地域企業の挑戦に伴走し続けます。

本事業にご協力いただいた事業者の皆さま、鹿児島県庁ならびに鹿児島産業支援センターの皆さまに、心より感謝申し上げます。

今後も協働日本は、地域に熱を届ける「協働」の取り組みに力を注いでまいります。

協働日本は、地域企業の挑戦に伴走するパートナーとして、最適なプロ人材チームで事業推進を支援しています。

事例紹介や支援のご相談は [お問い合わせページ] よりお気軽にご連絡ください。

Email:ippo@kyodonippon.work

2026年開催第6回かごしまチャレンジャーサミット

Challenge Report:かごチャレ2026年開催【第6回】開催レポート|地域や業界を超えて、挑戦が共有された現場から

鹿児島県が主催し、公益財団法人かごしま産業支援センターと株式会社協働日本が企画運営を担う「かごしまチャレンジャーサミット(通称:かごチャレ)」。本レポートでは、参加者の挑戦がつながり広がっていく様子や現場の熱量をお届けします。

(レポート作成=黄瀬真理)

地域や業界を超えて、多様な人の挑戦がつながる場

全国から過去最多となる約80名が参加し、第6回目となる「かごチャレ」が1/29に開催されました。県内企業様はもちろん、県外からも多くの企業や団体の方々にご参加頂き、地域や業界を超えて多様な挑戦が融合する場となりました。また、開催を重ねるごとに全国から自治体関係者が複数名視察に訪れるなど、地域を超えて関心を集める場となっています。昨年から通算6回となるこの場から、対話を通じて生まれた連携事例も複数あります。互いの挑戦の軌跡にふれ対話を深める中で、参加者それぞれの「次の一歩」が形作られていく、そんな場となっています。

2025年度かごしまチャレンジャーサミット開会時の写真

   

2025年度オープニングトーク時の写真

現在進行形の挑戦から視点を得る時間

最初に、オープニングトークと県内企業3社のピッチが行われました。

【オープニングトーク】変化を乗り越える老舗企業の事業・組織変革

今回のオープニングを飾ったのは、かぶら寿司や金沢の伝統発酵食品で有名な石川県の老舗、四十萬谷本舗 代表取締役の四十万谷正和氏。「変化を乗り越える老舗企業の事業・組織変革」をテーマにオープニングトークが行われました。歴史や伝統を守るだけでなく、時代にあわせて常に変化することを選び続けてきた老舗の実践から、変革を具体的に考える視点を得る狙いでお招きしました。歴史ある企業が直面する構造的な課題と、”今”に向き合い続けてきた挑戦のリアルが、率直な言葉で語られました。

かぶら寿司や金沢の伝統的な発酵食品で有名な石川県の老舗
株式会社 四十萬谷本舗 代表取締役 四十万谷正和氏 

老舗の6代目として家業に戻った当初は、顧客の高齢化、冬期に偏った売上構造、贈答文化の衰退といった課題に直面しました。そこにコロナ禍が重なり、来店客は大きく減少しました。

こうした状況を受け、2020年から協働日本と連携し、外部プロ人材とともに挑戦することを決断。「一人で抱えず、外部の知恵を借りると決めた」と語ります。

以降、オンライン体験やライブコマース、EC強化によるデジタルシフトを進めるとともに、若年層や通年販売を意識した商品開発などを通じ、新たな顧客との接点を着実に広げています。

四十萬谷本舗様の取り組みはこちらからもご覧いただけます。

   

【ピッチ】県内企業3名による挑戦事例の共有

続くピッチには、県内から3名の挑戦者が登壇。本土最南端でワイナリーを作る濵田氏、0からのインド海外進出にチャレンジした園田氏、そして奄美産バニラの生産体制確立を目指す林氏です。どれも完成された成功談ではなく、試行錯誤や壁に向き合ってきた現在進行形の話が共有されたことで、参加者も自分の状況と重ねながら聞き、考える時間となっていました。

本土最南端でワイナリーを作る
濵田農園 園主 濵田隆介氏 

過疎が進む錦江町花瀬で、「ここにしかない価値」を生み出す挑戦として本土最南端のワイナリー設立を決意。特区認可に3年以上、コロナ禍や物流混乱、技術力不足など数々の困難に直面しましたが、行政連携やクラウドファンディング、技術習得を重ね、2022年に醸造所を完成させました。今後は地域に暮らすような滞在体験をつくるべく、持続可能なまちづくりに挑み続けています。


0からのインド海外進出にチャレンジ 
株式会社オキス 園田浩一郎氏 

インド海外進出を任命された47歳の時点では、海外経験も英語も貿易実務もゼロだった園田氏。野菜の加工品をメーカーに出荷する同社の売上構成比のうち、98%の売上は国内。そんななか、世界屈指の難解市場・インドへの輸出に挑戦。そのなかで、制度、商慣習などの壁に直面しながらも、ご自身の経験の有無を言い訳にせず、やるべき準備を着実に積み上げて次々に壁を突破してきました。泥臭い現地活動を重ね、計6回の渡航で信頼関係を築き、オキス社としての海外進出を実現しました。


奄美産バニラの生産体制確立を目指す 
合同会社AMAMIバリュープロデュース 代表 林晋太郎氏 

12年間の国家公務員生活を経て、林氏は輸入依存のバニラを「奄美産で確立する」挑戦に踏み出しました。栽培に数年を要する点とゼロからの農地開墾が大きな困難でしたが、収穫前から輸入バニラで販路を築き、カフェ開業で収益と発信の場を確保。家族や仲間と放棄地を開墾し、開始3年目の2025年に、ついに初収穫を実現しました。奄美の未来を見据えた長期的挑戦について、語ってくださいました。

  

【パネルディスカッション】挑戦の原点

パネルディスカッションでは、“挑戦の原点”と“乗り越えてきた壁”が語られ、会場がさらにあたたまる時間になりました。

パネルでは、挑戦の過程で何度も「できそうにない」と感じる壁に直面してきた経験が語られました。その中で共通していたのは、「できる方法を模索する」ことを積み重ねる姿勢です。想いは行動ににじみ、少しずつ周囲にも伝わり、支えや協力を生んでいきました。また、ゼロからの挑戦だからこそ、小さな前進や達成が日々の喜びとなり、壁の多さそのものが前に進むエネルギーになったという印象的なお話もありました。

課題を抱えながらも挑み、乗り越えたときの喜びが、次の挑戦へ向かう原動力として積み重なっていったプロセスが、皆様の具体的な経験とともに共有されました。生まれ育った土地のよりよい未来に繋げていきたいという強い想いが感じられ、チャレンジし続ける行動力とエネルギーに、会場の皆さんも引き込まれていました。


ワークショップで与え合う、新しい視点

その後のワークショップではテーブルに分かれ、参加者が「今挑戦していること」を語り合いました。

   

かごチャレでは、登壇者だけではなく参加者も、現在進行形で挑戦している方々です。かごチャレでいつも盛り上がるこの時間。取り組む分野や立場は異なっても、グループ内では互いのチャレンジに耳を傾け、フィードバックをしあいます。話を聞きながらメモを取り相手におくる付箋が、どのテーブルでもあふれていました。前向きな言葉が会場全体に広がる、熱気ある時間になりました。


次の一歩へと動き出す参加者

今回のかごチャレでも、共感にとどまらず、フィードバックや気づきをもとに次の行動に踏み出そうとする参加者が多く見られました。新しいサービスの企画立ち上げ、参加者との協業検討など、具体的な動きがすでに生まれつつあることが、事後のアンケートでも読み取れます。「誰かと何かをする楽しさに気づいた」「自分の想いを深掘りできた」という声が示すように、対話を通じて新たな一歩の解像度が高まり、行動に結びついていることがうかがえます。かごチャレは、挑戦する者同士がつながり、各自の現場へ持ち帰って試行錯誤を重ねるための起点として、着実に機能しています。

  

対話を起点に、各現場での実践やコラボレーションが動き出した一年

今年度のかごチャレも、鹿児島県主催の取り組みとして、県内企業の挑戦をさらなる次の行動につなげる場づくりが進みました。県内チャレンジャー自身がピッチに登壇することで、「県内にもこれだけ多様で実践的な挑戦がある」という認識が共有され、県内企業の力を再確認する機会となりました。また、県外からの登壇者・参加者の視点が交わることで、既存の取り組みを別の角度から捉え直すきっかけが生まれ、県内企業が自らの持つ強みや可能性に気づく場面も見られました。さらに、こうした内外の視点が交わることで、新しい事業やコラボレーションの拡がりが各所で生まれています。今年度のかごチャレも、参加者の力を引き出し、実践へとつなげるための基盤として機能した一年でした。

   

※株式会社協働日本は地域企業と第一線で活躍するプロ人材が一つのチームとなり、事業変革に伴走します。成果を出すとともに、その先の「自ら変わり続ける力」を育みます。詳細はこちらからご確認いただけます。


主催:鹿児島県 / 企画運営:かごしま産業支援センター、株式会社協働日本

この取り組みに関するお問い合わせはこちら

Mail:ippo@kyodonippon.work