投稿

越境チャレンジSTORY:日本電気株式会社 田代秀浩氏 大企業の部長が金沢の老舗企業へ越境。経営者の右腕として磨いた「現場から変える力」

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
大企業の部長職として6つの事業領域を統括する田代秀浩さんが、協働日本の「越境チャレンジ」で飛び込んだのは、石川県金沢市で150年以上の歴史を持つ発酵食品メーカー、株式会社四十萬谷本舗。経営者の右腕として売上拡大に取り組むはずが、最初の3か月は得意なITによる課題解決に偏り、経営課題そのものに踏み込めずにいました。転機となったのは、メンターからの「御用聞きになっていないか」という指摘。経営者と本音で議論する姿勢へと切り替え、点在していた売上データを一元化し、前年比や商品別の動きを分析できる仕組みを構築しました。さらに、現場を歩き、自ら判断する経営者の姿に触れたことで、田代さん自身の働き方にも変化が生まれます。越境期間中から本業の会議に現場メンバーを加え、終了翌月には事業の見直しにも着手。「部長という役割」にとらわれていた自分を見つめ直し、「自分で会社を変える」という新たな挑戦へ。その約半年間の経験と変化を伺いました。

この取り組みは、株式会社協働日本の経営人材育成プログラム「越境チャレンジ」の事例です。
→越境チャレンジとは

今回は、協働日本の「越境チャレンジ」に参加した、日本電気株式会社(NEC)の田代秀浩さんにお話を伺いました。

田代さんは、越境当時、NECソリューションイノベータ株式会社でディレクターを務め、イベント管理システムやウェルビーイング、感情推定技術など、6つの事業領域を統括していました。複数のチームリーダーとともに事業の方向性を考え、判断を下す立場にありながら、大企業ならではの意思決定のスピードや、現場との距離感に課題意識を持っていました。

そんな田代さんが越境先として飛び込んだのが、石川県金沢市の株式会社四十萬谷本舗です。1875年創業、金沢の伝統的な発酵食品であるかぶら寿しや漬物などを製造・販売する老舗企業。伝統の味を守りながら、新商品の開発やライブコマースなど、新たな販路づくりにも挑戦を続けています。

田代さんに求められたのは、同社の売上拡大に向け、経営者の右腕として課題を整理し、改善策をともに考えること。できるだけコストをかけず、既存の業務を大きく変えないという条件のもと、約半年間の協働が始まりました。

事業面での相談にメンターとして伴走したのは、協働日本CSOの藤村さん。さらに、キャリアコーチとの対話を通じて、田代さん自身の組織マネジメントや仕事への向き合い方も見つめ直していきました。

最初の3か月間、なぜ田代さんは「経営者の右腕」になれていなかったと振り返るのか。金沢の老舗企業での経験が、どのように本業での行動や意思決定を変えていったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

1,000人規模の組織から新たな挑戦へ。「経営者の意思決定の速さを体感したかった」

ーーまず、田代さんの普段のお仕事について教えてください。

田代:
私はディレクターという、一般的には部長職にあたる立場で、6つほどの事業領域を統括しています。

例えば、医療系の学会などで使われるイベント管理システムの提供や、働く人のウェルビーイングを支えるサービス、感情推定技術を活用した事業などですね。

イベント管理システムでは、参加申込や決済、当日の受付、入退場管理などを提供しています。感情推定の領域では、映像やスマートウォッチから得られる情報を使い、働く人の状態を把握して、生産性の向上や業務の改善につなげる取り組みなどを進めています。

それぞれ異なる市場の事業を束ねているので、私自身がすべての業務を直接担当するというよりも、各チームのリーダーと話をしながら、事業をどう進めるべきか、どこでどんな判断をするべきかを考えることが主な役割です。

ーー越境チャレンジには、どのようなきっかけで参加されたのでしょうか。

田代:
当時の役員から声をかけていただいたことがきっかけです。

私が所属していた組織は、役員一人が管掌する範囲だけでも1,000人ほどの規模があり、その中から一人が参加するという形でした。ありがたいことに私に声をかけていただいて、せっかくの機会なので、ぜひ挑戦してみたいと思いました。

それまでは越境チャレンジというプログラムを知らなかったのですが、内容を聞いて、純粋に面白そうだなと感じたんです。

普段の仕事ではなかなか経験できないことに挑戦できる。しかも、異なる環境に飛び込んで、経営者と一緒に仕事ができるというのは、とても貴重な機会だと思いました。

自分自身の視野を広げるきっかけにもなるんじゃないかという期待があって、ぜひ参加させてほしいと伝えました。

ーー特に、どのような経験に期待していましたか。

田代:
一番は、中小企業の経営者がどのくらいのスピード感で意思決定しているのかを知りたかったんです。

私が普段働いている大企業では、何かを決めようと思っても時間がかかります。組織が大きいので、どうしてもフットワークが重くなる部分があるんですよね。

それに対して、中小企業の社長は、どんなことを考えて、どれくらいのスピードで判断しているのか。経営者の右腕として一緒に動くことで、それを肌で感じてみたかったんです。

自分が今後さらに大きな役割を担うときにも、そういう意思決定の仕方を知っているのと知らないのとでは、動き方が違ってくると思いました。

金沢の伝統的な発酵文化を守りながら、新たな挑戦を続ける四十萬谷本舗

今回、田代さんが越境先として携わった株式会社四十萬谷本舗は、石川県金沢市に本社を構える、1875年(明治8年)創業の老舗食品メーカーです。

金沢の冬の味覚として親しまれる「かぶら寿し」をはじめ、漬物や発酵食品の製造・販売を手がけ、150年以上にわたって地域の食文化を受け継いできました。

現在は六代目の四十万谷正和さんが代表を務め、伝統の味を守りながら、新商品開発やライブコマースなど、新たな顧客層や販路の開拓にも積極的に取り組んでいます。

協働日本とは以前から複数のプロジェクトを通じて事業の発展に取り組んでおり、今回の越境チャレンジでは、田代さんを経営者の右腕として迎え、売上拡大に向けた経営課題の整理と、データを活用した経営判断の仕組みづくりに取り組みました。

創業150年の四十萬谷本舗へ。売上拡大に向け、まずは現場を知ることから

ーー越境先となった四十萬谷本舗では、どのような取り組みから始めたのでしょうか。

田代:
10月頃にプログラムが始まって、私はすぐに石川県へ行きました。

四十萬谷本舗さんは石川県内に複数の店舗を持っています。まずはそれぞれのお店を回って、どういう場所で、どんなお客様に、どういう形で商品を販売しているのかを、自分の目で見て理解したいと思ったんです。

その後は四十万谷社長と毎週のようにお話ししながら、今どんな課題を感じているのか、将来どんな会社にしていきたいのかを伺いました。

現状と目指したい姿の間に、どんなギャップがあるのか。そこを埋めるために何ができるか、一緒に考えていくところからスタートしました。

ーー当初は、どのような経営課題に向き合っていたのでしょうか。

田代:
大きなテーマは、売上を拡大していきたいということでした。

四十萬谷本舗さんは、それまでもライブコマースなど、いろいろな取り組みに挑戦されていました。ですから、すでにやっていることと同じような施策を提案しても仕方がないですよね。

今までの取り組みを踏まえて、さらに売上を伸ばすためには何ができるのか。事業のことだけでなく、社内の仕組みや業務の進め方も理解しながら、一緒に考えていました。

もう一つ、前提としてあったのが、できるだけコストをかけないということです。

新しいシステムを大きく導入したり、現場の仕事のやり方を一から変えたりするのではなく、今ある仕組みを活かして改善できることを探していました。

ーー初めて関わる業界ということで、難しさもあったのではないでしょうか。

田代:
そこはかなり難しかったです。

私は食品業界の仕事に関わったことがなかったので、まず四十萬谷本舗さんのことを理解するところに苦労しました。

かぶら寿しをはじめ、どういう商品を扱っているのか。どうやって商品をつくって、どのように販売しているのか。そもそも業界のことを知らないので、何から聞けばいいのかも分からないところがありました。

週に1回、基本的にはオンラインでミーティングをしていましたが、その時間だけでは足りません。実際には半年間で3〜4回ほど石川県へ行きましたし、ミーティング以外の時間にも市場のことを調べたり、施策を考えたりしていました。

最初は週に2〜3時間くらいの活動だと聞いていたのですが、実際には週10時間くらい使っていたと思います。

ただ、私はそれを苦だとは思いませんでした。社長と一緒に経営課題に向き合うという、なかなか得られない経験をさせてもらっているわけですから。

むしろ、そのくらい真剣に取り組まないと、受け入れてくださっている経営者の方に失礼だと思います。

「最初の3か月は右腕になれていなかった」。得意なITが、かえって壁になった

ーー経営者の右腕として活動する中で、最も難しかったことは何でしょうか。

田代:
実は、最初の3か月間は、経営者の右腕になれていなかったと思っています。

今振り返ると、自分の役割を履き違えていたんですよね。

私はこれまでITの仕事をしてきましたから、何か課題を聞くと、どうしても「それならITでこう解決できますよ」という考え方になってしまうんです。

四十万谷社長から課題を聞いて、それを解決するための仕組みを考える。ITのコーディネーターやアーキテクトのような立場で、目の前の課題を解決することに時間を使っていました。

でも、それは普段の仕事の延長でしかなかったんです。

経営者が課題だと思っていることに対して、「そうですよね、こうやって解決しましょうか」と応える。そこから先に、なかなか踏み込めていませんでした。

ーーそのことに気づいたきっかけは、何だったのでしょうか。

田代:
メンターの藤村さんとの会話ですね。

「御用聞きになっていないか?」

そんな指摘をいただいたんです。

それを聞いて、確かにそのとおりだなと思いました。結局、自分が得意なことをやっているだけだったんですよね。

経営者の右腕というのは、言われた課題を解決することではなくて、経営課題そのものを捉えるところから一緒に考える役割なんだと。

今の会社にとって何が重要なのか。本当に取り組むべき課題は何なのか。それを自分でも考えて、こちらから提案していかなければいけない。

年末頃にそのことに気づいて、年明けからは四十万谷社長との話し方を変えました。

それまでは聞かれたことに応えるような会話が多かったのですが、「こういう課題があるのではないですか」「こういう取り組みをするべきではないですか」と、自分の考えを本音でぶつけるようにしました。

四十万谷社長からも、1月頃に「何か変わったね。どうしたの?」と言われたんです。

そのときに、藤村さんからの指摘があったことをお話ししました。

正直、最初の3か月を少し無駄にしてしまったなという思いもあります。でも、あの指摘がなかったら、最後まで自分の得意な範囲で仕事をして終わっていたかもしれません。

ーー藤村さんからは、かなり厳しいフィードバックを受けたそうですね。

田代:
そうですね。でも、私はすごくありがたかったです。

社会人になって17〜18年ほど経っていますが、最近は上司から厳しいことを言われる機会って、あまりないんです。

自分が何かやりたいと言っても、「いいんじゃない」と言ってもらえることが多い。もちろん、それはありがたいことでもあるんですが、そこから先に踏み込んで指摘してもらう機会は減っていました。

藤村さんは、そこをかなりストレートに言ってくださるんです。

「それは全然だめでしょう」「こういう視点が抜けているんじゃないですか」と。

入社して2〜3年目くらいの頃は、先輩や上司から指導を受けることもありましたが、年次を重ねると、そういう経験は少なくなります。

だからこそ新鮮でしたし、心に響きました。

藤村さんは、ご自身の経験に加えて、他社の事例なども交えながら、私が思いつかなかった考え方を示してくれました。自分の中にはなかった引き出しを、たくさん見せていただいたと思います。

売上データを一元化。経営者の「肌感覚」を数字で確かめられる仕組みに

ーー実際の取り組みでは、どのような成果が生まれたのでしょうか。

田代:
正直に言うと、私自身はまだ十分に満足できる成果ではないと思っています。

ただ、一つ形にできたのが、売上データを整理して分析できる仕組みをつくったことです。

四十萬谷本舗さんでは、ECサイトや各店舗など、それぞれの場所で売上データを管理していました。複数のソフトを使っていたので、会社全体の数字をまとめて確認することが難しかったんです。

もちろん、データ自体はあるんですよ。でも、それを経営判断に使える形に整理する土台が十分に整っていませんでした。

そこで、各所に分かれていた売上データを一か所に集められるよう、Excelのマクロを使った仕組みをつくりました。

これによって、今の売上がどうなっているのか、前年と比べてどう変化しているのか、どの商品が伸びていて、どの商品が落ち込んでいるのかといったことを確認できるようになりました。

例えば、「この時期に売上が下がっているのはなぜだろう」「セット商品の売上が落ちているのではないか」といったことも、数字から考えられるようになったんです。

売上がすぐに伸びるような施策ではありませんが、今後の経営判断に使える土台を整えられたことは、一つの成果だったと思っています。

ーーその仕組みができたことで、四十万谷社長にとってはどのような変化があったのでしょうか。

田代:
四十万谷社長は、とにかく現場のことをよく分かっていらっしゃる方なんです。

今、何が売れているのか。どんなお客様が来ているのか。店舗で何が起きているのか。そういうことを、現場に足を運んで肌感覚で把握されています。

一方で、その肌感覚が実際の数字と合っているかを確認するには、いろいろなデータを見なければならなかったんですね。

今回つくった仕組みがあれば、経営者が現場で感じていることを、数字でも確認できるようになります。

「この商品が売れている気がする」という感覚に対して、実際に前年と比べてどうなのか、ほかの商品と比べてどうなのかを確認できる。

経営者が持っている現場の感覚と、データから読み取れる実態を組み合わせられるようになったことに、意味があったのかなと思います。

会議室ではなく、いつも現場にいる社長。その背中から学んだ経営の姿勢

ーー四十万谷社長と一緒に仕事をする中で、特に印象に残っていることは何ですか。

田代:
現場との距離の近さですね。

最初に石川県へ行ったときから、四十万谷社長が従業員の方々と直接話をしている場面を、何度も見かけました。

店舗に行けば、従業員の方と話をしながら売場を見ている。駅ビルに入っている店舗では、自分のお店だけでなく、ほかのお店にどんなお客様が来ているのかまで観察されていました。

数字だけでは分からないことを、自分の目で見て、肌で感じようとしているんです。

実際、半年間で3〜4回ほど現地に伺ったのですが、四十万谷社長とお話しする場所は、ほとんどいつも現場でした。

どこかの会議室でじっくり打ち合わせをするというより、店舗だったり、現場の休憩スペースだったり。「今ここにいるから、ここで話しましょう」という感じです。

私は経営者というと、もっとデスクワークをしているイメージがありました。でも、四十万谷社長が机に向かって仕事をしている姿は、ほとんど見なかったですね。

それだけ現場に出て、そこで起きていることを直接把握している。

経営者としての現場との距離の取り方は、すごく勉強になりました。

ーー参加前に期待していた、意思決定のスピードについてはいかがでしたか。

田代:
そこも印象的でした。

四十万谷社長は、新しい施策を試して、うまくいかなければやめる。その判断がすごく速いんです。

やってみて、違うと思ったら切り替える。また別の方法を試す。

私が提案したことに対しても、内容を理解していただくと、すぐに判断して次の動きにつなげてくださいました。

大企業にいると、何か一つを決めるのにもいろいろな手順がありますから、その違いは大きかったですね。

単に動くのが速いということではなく、現場を知った上で、実行するか、続けるか、やめるかを判断する。そのスピード感こそ、私が参加前に知りたいと思っていたものでした。

「部長だから現場に入らない」。自分でつくっていた役割の殻に気づいた

ーー四十万谷社長の姿を見て、ご自身の仕事への向き合い方にも変化はありましたか。

田代:
すごくありました。

実は私、もともと現場が好きなんです。

でも、ディレクターという部長職になると、現場で何が起きているかは、課長やチームリーダーからの報告で把握することが多くなります。

私自身も、現場のメンバーに直接指示を出すことは、できるだけ避けていました。

間にいる管理職の役割を飛び越えてしまうと、その人たちの仕事を奪うことになるんじゃないかと思っていたんです。

だから、現場にはあまり入らず、報告を受けて判断する。そういう仕事の仕方になっていました。

でも、四十万谷社長の姿を見て、必ずしもそうではないんだなと感じました。

社長自身が現場に入って、従業員の方と話をして、それでも現場の責任者の方々とうまく関係をつくっている。

自分も、もっと現場を知っていいんじゃないかと思うようになったんです。

ーーその気づきには、コーチングでの対話も関係していたのでしょうか。

田代:
そうですね。コーチングでの気づきも大きかったと思います。

私は30人ほどの組織を見ているのですが、年上の部下もたくさんいます。そういう方々とどうコミュニケーションを取ればいいのか、どうすればモチベーションを持って仕事に取り組んでもらえるのか、といったことも相談していました。

そうした対話の中で気づかされたのが、自分は「部長」という役割を演じていたんじゃないか、ということです。

本当は現場に入って、自分で見て、考えて、動くことが好きなのに、部長になったからにはそうしてはいけないと思っていた。

「これは課長の仕事だから」「自分が入るべきではないから」と、自分で役割を区切っていたんですね。

でも、それは自分自身がつくっていた殻でもあったんだと思います。

コーチとの対話を通じて、奥の方にしまっていた「現場が好きだ」という気持ちを、もう一度見つけてもらったような感覚がありました。

四十万谷社長からは、現場で判断する経営者の姿を見せてもらった。そしてコーチングでは、そんな働き方を本当は自分もしたかったんだと気づかされた。

この二つが重なったことが、自分の行動を変えるきっかけになったと思います。

越境先では、自分の役職や部下との関係を気にせず、思ったように動くことができました。それが本当に楽しかったんですよね。

現場メンバーを会議に招く。報告だけでは見えなかった事業の実態

ーー本業に戻って、実際に変えたことはありますか。

田代:
まず、会議のやり方を変えました。

それまでは、各事業のチームリーダーと私が話をする形が中心だったんです。

でも、そのチームリーダーの下には、実際に現場で動いているメンバーがいます。3人、4人とメンバーがいる中で、私はリーダーからの報告だけを聞いて判断していました。

それを変えて、現場のメンバーにも同じ会議に出てもらうようにしたんです。

もちろん、チームリーダーを飛び越えて現場に直接指示をすることには、以前は抵抗がありました。でも、リーダーも同席している場で、みんなで話をするならいいんじゃないかと考えるようになりました。

実際にやってみると、これまで見えていなかったことが、いろいろ分かってきたんです。

ーー具体的には、どのような違いがありましたか。

田代:
例えば、チームリーダーとしては、その事業を続けたいという思いがありますよね。

だから、報告するときにも、どうしても前向きな情報が中心になることがあります。

でも、実際に現場で働いているメンバーに聞いてみると、「現場ではこういう問題があります」「実際にはそんなにうまくいっていません」という話が出てくるんです。

間に人が入ることで、情報が薄まっていたり、少し違う形で伝わっていたりすることがあるんだと分かりました。

現場のメンバーから直接話を聞くことで、それまでよりも多くの情報をもとに判断できるようになりました。

もちろん、話を聞く人が増えるので、会議の時間も長くなります。正直、面倒くさいこともありますよ(笑)。

でも、やっぱり必要なことだったんだと思います。

四十万谷社長が現場に足を運んで、自分の目で確かめていたのと同じように、私も現場を知った上で判断することが大事なんだと、あらためて感じています。

越境終了の翌月、事業の見直しを決断。「続ける」だけが経営判断ではない

ーー現場の声を直接聞くようになったことで、事業の意思決定にも変化はありましたか。

田代:
ありました。大きかったのは、担当している事業の見直しです。

私が見ている6つほどの事業のうち、もともと自分が担当していたのはイベント関連の事業でした。

それ以外の事業は、組織再編などのタイミングで引き継いだものが多かったんです。

中には、以前から「もうこの事業はやめるべきなんじゃないか」と思っていたものもありました。

でも、それぞれの事業には担当している人がいます。みんな頑張って取り組んでいますし、なかなか「やめよう」とは言えなかったんですよね。

結果として、何となく継続してしまっているところがありました。

ただ、四十万谷社長の意思決定を間近で見て、うまくいかないことを続けるだけではいけないんだと感じました。

越境チャレンジは3月に終わったのですが、翌4月には、ある事業について「もうやめよう」と提案しました。

ーーその判断に至るまでには、どのような変化があったのでしょうか。

田代:
以前だったら、チームリーダーから上がってくる報告をもとに判断していたと思います。

でも、越境中に会議のやり方を変えて、現場のメンバーとも直接話をするようになりました。

そこで何か月かかけて、現場で何が起きているのか、その事業が今どういう状況なのかを、自分なりに理解することができたんです。

そうすると、「この状況だったら、もう方向転換するしかないよね」と判断できるようになりました。

それまでは、事業をやめることに対して、どこかでためらいがあったんだと思います。

でも、現場を知って、いろいろな情報を聞いて、自分で考えることで、判断できるようになった。

現場に関わる時間は増えましたし、簡単なことばかりではありません。でも、そうしたプロセスを踏むことで、以前よりも納得感を持って事業の方向性を決められるようになったと思います。

「現状に不満がある人にこそ、越境してほしい」。変化を待つ側から、起こす側へ

ーー約半年間の越境チャレンジを振り返って、どのような方に参加してほしいと思いますか。

田代:
私は、現状に不満を持っている人にこそ、参加してほしいと思います。

もっとこういうふうにしたい、ああいうふうにしたいと思っていても、実際にはなかなか変えられないことってありますよね。

何か新しいことを始めようとしても時間がかかったり、提案してもなかなか動かなかったり。

やるべきことがあると分かっているのに、組織の中で先送りになってしまう。そういう状況にもんもんとしている人は、ぜひ経験してみてほしいです。

私自身も、会社に対して変えたいと思っていることがたくさんありました。

でも、普段の組織の中にいると、どうしても「会社がこうだから」「今の仕組みでは難しいから」と考えてしまうんです。

越境して、別の会社の経営者と一緒に仕事をすると、それまで当たり前だと思っていたことが、必ずしも当たり前ではないと気づけます。

自分で考えて、判断して、実行する。うまくいかなければ、また変える。

そういう経験をすることで、「会社が変わらない」と思っていた人も、「自分で変えていこう」という意識になれるんじゃないかと思います。

ーー最後に、田代さんご自身が今後挑戦していきたいことを教えてください。

田代:
これからは、社内の仕組みそのものを変える仕事に挑戦したいと思っています。

私は今の会社に対して、もっとこうした方がいいのに、と思うことがたくさんあります。

これまでは、自分の担当している事業の中で、できることを変えていくという立場でした。でも、今はもっと会社全体の仕組みを変えるところに関わりたいと考えています。

私自身、ディレクターという部長職の中では、まだ比較的若い方だと思います。

だからこそ、現場との距離も近いですし、現場で働いている人たちの声も聞きやすい。その立場だからこそできることがあるんじゃないかと思っています。

今後は、全社の業務プロセスなど、会社の仕組みを変えていく仕事に挑戦したいです。

今回の越境で、四十万谷社長が現場に入り、そこで起きていることを自分の目で見て判断する姿を学びました。

一方で、コーチングを通じて、自分自身が本当は現場に入って仕事をすることが好きだったんだと、あらためて気づくこともできました。

これまでは、部長だからこうしなければならない、という考え方にとらわれていたのかもしれません。

でも、自分の役割を自分で狭める必要はないんですよね。

これからは、現場の声をしっかり聞きながら、自分自身が変える側として動いていきたいと思っています。

ーー田代さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

田代:
ありがとうございました。


田代 秀浩/Hidehiro Tashiro

日本電気株式会社(NEC) ディレクター
※越境チャレンジ参加当時:NECソリューションイノベータ株式会社

2008年に入社。フィーチャーフォン・スマートフォン向けアプリケーション開発を経て、Webアプリケーション開発に従事。2013年には官庁向け大規模基幹システムのプロジェクトリーダーを経験。2016年に新規事業創出部門へ異動し、5つの商材の企画から提供、運用までを担当。2020年にはNECの大型イベントのDX化にITアーキテクトとして参画。2021年からは、DX化の経験を活かし、顧客向けのITコンサルティングや共創事業を推進している。

越境チャレンジについては こちら

マーケティングSTORY:株式会社四十萬谷本舗 四十万谷 正和氏 -課題に合わせた戦略的人材活用。老舗企業の考える「生き残り戦略」とは- | KYODO NIPPON
https://kyodonippon.work/post-3303/


人と組織STORY:有限会社大倉菓機 大倉崇史氏 製造部門売上1.5倍。「個人力で売る」から「組織で回す」体制へ、老舗メーカーが挑む“第二創業”

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
1911年創業、大分県別府市で製菓・製パン機械の製造・販売・修理を手がける有限会社大倉菓機。顧客の現場に合わせた機械づくりを110年以上続けてきた一方、自社製品を全国へ広げるための「売る仕組み」や、少人数で仕事を回すための「組織の仕組み」には課題を抱えていました。協働日本との取り組みは、自社製造機器の販売促進からスタート。しかし伴走を進める中で、社長に集中していた情報や業務を可視化し、社員全員で会社の未来を考える組織づくりへとテーマが広がっていきます。1年間で問い合わせは2倍になり、受注率は3割増加し、製造部門の売上は2,400万円から3,600万円へ伸長。ワークショップをきっかけに朝のミーティングも復活し、「社長が一人で回す会社」から「みんなで考え、動く会社」へ。代表取締役の大倉崇史さんに、その変化を伺いました。

今回は、大分県別府市で製菓・製パン機械などを手がける有限会社大倉菓機の5代目代表取締役、大倉崇史さんにお話を伺いました。

大倉菓機は1911年、煎餅型などを製造する「大倉菓子型製作所」として創業。現在は食品機械の販売に加え、自社工場でのオリジナル機械の製造、修理・メンテナンスまで幅広く手がけています。近年は、省スペースで職人の手焼きに近い仕上がりを目指したロータリーどら焼き機など、自社製品の開発にも力を入れています。

協働日本とのプロジェクトは、そんな自社製品をもっと広く届けるための販売促進から始まりました。しかし、取り組みを進める中で見えてきたのは、「売り方」だけではない社内の課題でした。

伴走したのは、販売促進や事業・組織課題の整理をともに進めた協働プロの相川さんと、システムや情報整理の視点からプロジェクトを支えた加藤奏さん。異なる専門性を持つ2人がチームとなり、商品の見せ方から受注管理、社内の情報共有、社員を巻き込んだ組織づくりまで、7か月にわたって大倉菓機のこれからをともに考えてきました。

販売促進から始まったプロジェクトは、なぜ会社の仕組みや組織そのものを見直す取り組みへと広がっていったのか。その過程で何が見え、何が変わったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

110年以上続くものづくり。「お客様の味に、機械を合わせる」

ーーまず、大倉菓機について教えてください。

大倉:
もともとは別府駅の近くで、煎餅型などをつくる「大倉菓子型製作所」として始まった会社です。

今は、製菓・製パン機械や食品加工機械の販売、自社での機械製造、それから修理やメンテナンスまで幅広くやっています。

自社工場を持っていますので、既製品を販売するだけではなく、お客様の現場に合わせて機械をつくったり、調整したりできることが私たちの強みですね。

どら焼きひとつとっても、お店によって生地も違いますし、ずっと守ってきた味があります。機械を入れたことで、その味が変わってしまってはいけません。

昔から使われてきた道具や、理にかなったやり方を生かしながら、お客様の商品に機械の方を合わせていく。そこは昔から変わっていないと思います。

ーー大倉さんご自身は、現在どのような仕事をされているのでしょうか。

大倉:
代表取締役ではありますが、主には技術営業です。

自分でお客様のところに営業に行きますし、メンテナンスにも行きます。

会社は全体で8名ほどなので、社長だから経営だけをやる、という規模ではありません。自分自身も現場で動きながら仕事をしています。

その中で、日々の仕事を回すこと以外の「会社の仕組みをつくる」というところに、今回ようやく着手できたという感じですね。

「この人たちなら相談できそう」。一人で抱えていた経営の悩み

ーー協働日本とは、どのように出会ったのでしょうか。

大倉:
別府のB-biz LINKさんと、大分みらい信用金庫さんからご紹介いただいたのがきっかけです。

B-biz LINKさんは、別府を拠点に地域の事業者の事業づくりや新しい挑戦を支援されている組織で、以前から相談する機会がありました。

そのご縁で、協働日本代表の村松さんと、同じ別府で会社を経営しながら協働日本にも関わっている服部さんに、会社まで来ていただきました。

実際に話を聞いて、その場で「やってみよう」と思って、申込書を書きました。

ーー実際に話してみて、どんなところに惹かれたのでしょうか。

大倉:
当時、経営について一人で悩んでいる部分が結構あったんです。

私たちのような仕事をしている会社自体が少ないですし、同業者だからこそ相談しにくいこともあります。

でも、村松さんは食品メーカーで働いた経験があって、食品の現場を知っていた。話をしていて、こちらが抱えていることをかなり具体的に理解してもらえる感覚がありました。

私自身も横浜森永乳業の子会社や、大阪のオーブンメーカーで働いた経験がありますから、話が通じるところもありましたね。

「この人たちなら、自分が抱えていることを相談できそうだ」と思えた。それが大きかったです。

当初は「販売促進が8割」。進めるうちに、組織づくりの比重が高まった

ーー取り組みを始めた当初は、どんな課題を解決したいと考えていましたか。

大倉:
一番は、自社でつくっている製造機器をもっと売っていきたい、ということでした。

感覚としては、最初は販売促進が8割、受注管理や社内の仕組みづくりが2割くらいだったと思います。

それが進めていくうちに逆転して、後半は受注管理や社内の仕組みづくりの方に、より力を入れるようになりました。

ーー取り組みを進める中で、どんなことが見えてきたのでしょうか。

大倉:
商品をどう売るかを考えていくと、その前後の仕事も全部つながっていることが見えてきたんです。

お客様から引き合いをいただく。見積もりを出す。確認して、受注して、製造して、納品する。

そこがきちんと仕組みになっていなければ、せっかくいただいた案件を取りこぼしてしまうかもしれない。少人数で仕事をしているので、なおさらです。

「もっと売ろう」と言って販売促進だけを強くしても、受注した後に会社の中が回らなければ意味がないですよね。

社員のみんなとも話をしていく中で、「やりたい方向は分かるけれど、その前に社内を整えないと」という話が出てきました。

自分がやっていることも周りから十分見えていなかったので、まずは社内の情報を見えるようにして、誰が何をやっているのか、どこまで進んでいるのかを共有できるようにしようと。

製品をつくり続けられる状態をつくってから、しっかり販売を伸ばしていこうという順番に変わっていきました。

「自分自身がボトルネックだった」と気づいた

ーーご自身や会社の仕事の進め方について、どんな気づきがありましたか。

大倉:
一番大きかったのは、自分自身のどこがボトルネックになっているのかが分かったことですね。

それまでは、私自身がいろいろな情報を持っていたんです。

私に直接来る引き合いもありますし、部長に直接来る案件もある。それぞれが分かっていても、会社全体には十分に出せていませんでした。

受注や製造の状況もそうです。

自分では頭の中に入っていますし、スマートフォンのメモを見れば分かる。でも、社員からすると見えないですよね。

取り組みを進める中で、自分が情報を持ちすぎていること自体が、会社が次へ進むときのボトルネックになっているんだと気づきました。

ーーそこから、実際にどんなことに取り組んだのでしょうか。

大倉:
まずは、自分が持っている情報を会社のみんなと共有できるようにしようとしました。

案件や引き合い、見積もり、受注、担当、期限といった情報を、みんなが確認できる形にしていく。

今後はさらに、引き合いから受注、納品までの流れを整理して、AIも使いながら営業や情報共有を効率化していこうと考えています。

自分だけが分かっている状態から、会社のみんなが分かる状態にしていきたいですね。

普段は話せなかったことを、社員みんなでホワイトボードに出した

ーー社員の皆さんとは、どのような話し合いをされたのでしょうか。

大倉:
ホワイトボードを使って、今の会社の状況だったり、これから改善したいことだったりを、みんなで出していきました。

例えば、自社製造の機械を累計50台販売しようとしたときに、今の会社に何が足りないのか。

人材なのか、設備なのか、仕事のやり方なのか。

普段からそれぞれ思っていることはあっても、わざわざ時間を取ってみんなで話す機会はなかなかありませんでした。

それを一度、きちんとテーブルの上に出せたことは大きかったと思います。

ーー印象に残っている出来事はありますか。

大倉:
ちょうど、機械を納品したお客様から感謝のお手紙をいただいていたんです。

それも、みんなで読みました。

目標台数や売上だけを見ていると、「何台売る」「いくら売る」という話になりますよね。

でも、自分たちがつくった機械が実際にお客様のところで使われて、喜んでもらっている。

そういうこともみんなで共有することで、「何のためにこの仕事をしているのか」を改めて感じられたと思います。

朝のミーティングが復活。「思っているだけ」の改善が、動き始めた

ーーその後、日々の仕事の進め方にはどんな変化がありましたか。

大倉:
ワークショップをきっかけに、以前はやらなくなっていた朝のミーティングをもう一度始めました。

それまでは、私が持っている引き合いもあれば、部長が持っている引き合いもある。それが見えにくかったんです。

朝に話すようになって、「今こういう案件がある」「ここまで進んでいる」ということが分かるようになりました。

そうすると、「では、この仕事はこちらでやろう」と分担もしやすくなります。

ーー日々の改善という点では、何か変わりましたか。

大倉:
変わりましたね。

今までも、日々仕事をしながら「これは直した方がいいな」「いつかやらないといけないな」と思っていることはたくさんありました。

でも、日々の仕事に追われて、そのままになってしまう。

今は、それがちゃんと議題に上がるようになりました。

問題が見えれば、「では、いつまでにやろう」「どうやって解決しよう」とみんなで話せます。

自分一人が問題を抱えているのではなく、会社として課題を共有して、一緒に改善していく形になってきた。それはかなり大きな変化だと思います。

製造部門は2,400万円から3,600万円へ。問い合わせも2倍に

ーー取り組みを経て、数字として表れた成果について教えてください。

大倉:
一番分かりやすいのは、自社で機械をつくっている製造部門です。

1年間で売上が2,400万円から3,600万円になりました。1.5倍です。

これまで商社として他社の商品を販売する仕事も大きかったのですが、自社製品の売上が伸びれば、会社全体の利益率にも良い影響があります。

ですから、製造部門が実際に伸びてきたことには手応えを感じていますし、ここはこれからさらに伸ばしていきたいと思っています。

ーーお客様からの反応には、どんな変化がありましたか。

大倉:
ロータリーどら焼き機については、月の問い合わせが2倍になりました。

単に問い合わせ件数が増えただけではなく、「実際に機械をテストしてみたい」というお客様からのご相談も増えています。

受注率も約3割改善しました。

もともとメーカー側としては、「性能が良い」「価格が安い」といったところに目が向きがちだったんです。

でも、お客様が本当に知りたいのは、それだけではありません。

「洗浄はどうするのか」「操作は難しくないのか」「今のお店の味を再現できるのか」「導入した後に困らないか」といった不安があります。

そうした情報をWebなどで事前に伝えるようにしたことで、こちらのことをしっかり理解した上で問い合わせてくださる、検討度の高いお客様が増えたと感じています。

ーー数字が伸びていく中で、新しく見えてきたことはありましたか。

大倉:
ありました。

問い合わせが増えた一方で、納期が間に合わなくて受注できなかった案件もあったんです。

これは悔しいですけれど、一方ではすごく分かりやすい課題ですよね。

商品を知ってもらって、問い合わせが来るところまでは進んだ。でも、その先で、きちんと製造して届けられる体制が必要になった。

だからこそ、最初は販売促進から始まった取り組みが、受注管理や情報共有、組織づくりへと広がっていったんだと思います。

売る仕組みと、売れた後にきちんと回せる仕組み。その両方が必要だということを、実際の数字からも感じています。

ーー製造以外の仕事には、どんな変化がありますか。

大倉:
商社部門は、売上そのものが大きく伸びたというわけではありません。

ただ、商社の仕事は、引き合いをいただいてから早く見積もりをつくり、次へ進めることが大事です。

そこを効率化することで、一つひとつの案件を以前よりスムーズに進められるようになってきました。

メンテナンスも同じです。機械が止まったお客様には、できるだけ早く駆けつけなければいけません。

毎日の動き方をどうすれば無駄なくできるかを考えることで、より多くの案件に対応できるようになってきました。

製造部門の売上という分かりやすい成果だけでなく、会社全体で「どうすれば少人数でもきちんと仕事を回せるか」を考えるようになったことも、大きな変化だと思っています。

「楽どら」。良い機械を、伝わる商品へ

ーー販売促進では、具体的にどんなことに取り組んだのでしょうか。

大倉:
その一つが、ロータリーどら焼き機のネーミングです。

いろいろな候補を考えました。私が案を出して、協働プロの相川さんや加藤さんにも見てもらいながら検討していきました。

その中で、「楽にどら焼きを焼ける」という商品の特徴が伝わる名前として、「楽どら」がいいのではないかということになりました。

今は、商標として使えるかどうかも含めて、知的財産の専門家の方と確認を進めているところです。

ーー商品に名前を付けることについて、どのように考えていますか。

大倉:
まだこれから定着させていく段階ですが、名前があることは大事だと思っています。

単に「どら焼き機」と呼ぶだけではなくて、「楽どら」と呼べる。

ニックネームがあることで、お客様にも覚えてもらいやすいですし、こちらも商品の特徴や価値を伝えやすくなると思っています。

機械として良いものをつくるだけではなくて、「どういう商品なのか」をきちんと伝えることにも、これからもっと力を入れていきたいですね。

ーー商品の魅力を伝えるという点では、ほかにどんなことを見直しましたか。

大倉:
LPやパンフレットですね。

LP自体は、もともと地元のホームページ会社さんにつくっていただいていました。

そこからさらに、「お客様は何を知りたいのか」を考えるようになりました。

価格や製造能力だけではなくて、洗浄はどうするのか、操作は難しくないのか、今のお店の味を再現できるのか。

メーカー側が伝えたい情報だけではなく、お客様が不安に思うことを先に伝える。

そこは今回、かなり意識が変わったところですね。

「別府から日本全国・世界へ」。メーカーとして挑む“第二創業”

ーー会社のこれからについては、どんな方向を目指していきたいと考えるようになりましたか。

大倉:
別府から、日本全国、そして世界へ届けていきたいという思いがあります。

別府は温泉や観光のイメージが強い町ですよね。製造業のイメージはあまりないと思います。

だからこそ、別府から自分たちがつくった機械を、日本全国、そして世界へ届けていきたいと思っています。

今回みんなで会社の未来を考えたことで、その目標を改めて共有できたことも大きかったです。

ーー自社でつくる製品や、メーカーとしての立ち位置については、今後どのようにしていきたいですか。

大倉:
「OKURA MADE」というブランドを、これからもっと広げていきたいと思っています。

これまでは、他社の商品を扱う商社としての仕事も大きかった。

もちろんそこも大切ですが、これからは自社で製品をつくるメーカーとしての立ち位置をもっと強くしていきたいんです。

「大倉菓機がつくった機械」として、自分たちのものづくりを外へ届けていく。

会社としても、今は“第二創業”のような時期だと思っています。

ーー別府という場所だからこそ、どんな価値をつくっていきたいですか。

大倉:
東京や大阪とは違って、お客様にはわざわざ別府まで来ていただくことになります。

だからこそ、来てもらったら内容の濃い時間にしたいと思っています。

自社にはテストルームがありますから、実際にお客様の生地を持ってきてもらって、機械を試していただくこともできます。

「わざわざ別府まで来てよかった」と思ってもらえる場所にしていきたいですね。

専門性だけではない。会社の中に入り、ともに考えてくれた協働プロ

ーー今回、相川さんと加藤奏さんのお二人と一緒にプロジェクトを進めました。相川さんとの取り組みで、印象に残っていることを教えてください。

大倉:
相川さんは、人情味のある人ですね。

こちらの気持ちをすごく汲んでくれる方です。

会社に来てもらったときに、急きょ別の仕事が入ったことがあったんですが、その仕事まで一緒に手伝ってくれたんですよ。

外から来て「こうした方がいい」と言うだけではなくて、実際に会社の中に入って、うちの雰囲気を見ながらアドバイスしてくれる。

一緒にやっていて、とてもやりやすかったですね。

ーー加藤さんとの取り組みでは、どんなところが印象に残っていますか。

大倉:
加藤さんはSEとして、やはり専門性を持っている方ですね。

相川さんと一緒にプロジェクトを進めながら、それまでの話や議事録もしっかり整理してくれました。

何を話して、どこまで進んで、次に何をするのか。

そういうことを整理して、次につなげてくれたのはとても助かりました。

ーー外部のプロ人材と一緒に取り組んでみて、どのように感じましたか。

大倉:
もともと外部のプロ人材と一緒に仕事をすることには、薄々興味がありました。

ただ、実際にどう進めればいいのかまでは分かっていなくて、なかなか動き出せていなかったですね。

今回やってみて感じたのは、「やっぱりプロ集団だな」ということです。

専門的な知識があるだけではなくて、こちらの状況を見ながら一緒に進んでくれる。

身近な飲食店さんなどにも、「こういう取り組みがありますよ」と紹介したいと思うようになりました。

社長一人で回す会社から、みんなで考える会社へ

ーー7か月の取り組みを振り返って、一番大きな変化は何だったと思いますか。

大倉:
会社のみんなで、先のことを話せるようになったことですね。

以前も「これを改善しないと」「こうした方がいい」と自分の中では思っていました。

でも、日々の仕事がありますから、なかなか手をつけられない。

今回、自分がボトルネックになっているところも分かって、それを社員のみんなに共有できました。

そこから朝のミーティングが始まって、案件を共有するようになって、改善点もみんなで話せるようになった。

自分一人で会社を回すのではなく、会社のみんなで解決していこうという方向に少しずつ変わってきたと思います。

ーーこの先、どんな大倉菓機をつくっていきたいですか。

大倉:
まずは、自分たちの機械をもっと全国へ届けたいです。

そして、そのために会社の仕組みをもっと強くしていく。

これからはAIも使いながら、営業や受注から納品までの情報共有をさらに効率化していきたいと思っています。

自社製品が増えて、利益率も上がって、その利益を社員にもきちんと還元できる。

そういう会社にしていきたいですね。

「OKURA MADE」を、別府から全国へ、そしてその先へ。

メーカーとして、次の大倉菓機をみんなでつくっていきたいと思っています。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

大倉:
これから、協働日本さんの取り組みはもっと各地域に広がっていくと思っています。

オンラインでつながるだけではなくて、実際に地域に入って、街のイベントやお祭りなども含めて、人と人が集まる場所をつくっていく。

地域のいろいろな人が集まって、新しいことが始まるようなプラットフォームになっていくんじゃないかなと思っています。

そういう存在になっていってほしいですね。

ーー大倉さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

大倉:
ありがとうございました。


大倉 崇史/Takafumi Okura

有限会社大倉菓機 代表取締役

大分県別府市の有限会社大倉菓機 5代目代表取締役。横浜森永乳業の子会社や大阪のオーブンメーカーでの勤務を経て家業に入り、現在は技術営業やメンテナンスにも携わりながら、自社製品の拡大と組織づくりを進めている。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい – | KYODO NIPPON
https://kyodonippon.work/post-2726/


新規事業STORY:湯治の宿大黒屋 安波拓哉氏 昔ながらの湯治宿で顧客単価1.4倍を実現。鉄輪の日常を「事業」に変えた7か月

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
大分県別府市・鉄輪温泉で1938年頃から続く「湯治の宿 大黒屋」。4代目の安波拓哉さんは、築60年を迎えた建物の建て替えを前に、「これからどんな宿にしていけばいいのか」を一人で悩んでいました。協働日本のプロ人材との7か月間の伴走では、建物の設計を急ぐのではなく、まず大黒屋の価値を棚卸し。地獄蒸し、鉄輪の文化、人が自然と交わる空間、そして安波さん自身が培ってきた食と酒の経験など、すでにそこにあった強みを見つめ直しました。そこから生まれた新サービス「鉄輪 蒸しどころ大黒屋」の実証では、宿泊者一人あたりの客単価が従来比約1.4倍に。「建て替える」ための事業計画づくりから始まったプロジェクトは、「鉄輪を体験する湯治宿」という大黒屋の新たな未来を描く取り組みへと広がっています。

今回は、大分県別府市・鉄輪温泉で「湯治の宿 大黒屋」を営む4代目、安波拓哉さんにお話を伺いました。

大黒屋は1938年頃から鉄輪に根ざしてきた、昔ながらの湯治宿です。築60年を迎えた建物の老朽化をきっかけに、協働日本のプロ人材とともに、建て替え後の事業や宿の価値そのものを見直すプロジェクトを進めてきました。

伴走したのは、事業設計を担当する四元亮平さん、ブランディングを担当する岡直哉さん、デジタル・データ分析を担当する加藤奏さんの3名。異なる専門性を持つ協働プロがチームとなり、7か月にわたって大黒屋のこれからを安波さんとともに考えてきました。

その過程で何が見え、何が変わったのか。率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

「建て替えないといけない。でも、どうしたらいいのか分からなかった」

ーーまず、大黒屋について教えてください。

安波拓哉氏(以下、安波):
大黒屋は、昔ながらの湯治宿です。地獄蒸しの釜があって、基本的には素泊まりで滞在していただくスタイルの宿ですね。私で4代目になります。

昔は鉄輪にも、こうした素泊まり中心の湯治宿がもっとたくさんありました。ただ、今はかなり数も減ってきています。その中で、大黒屋は昔から変わらず続けてきた宿のひとつです。

いわゆる高級旅館とは違って、気取らずに泊まっていただけるというか、昔ながらの湯治宿らしい距離感を大切にしてきた宿だと思っています。

ーー大黒屋ならではの魅力は、どこにあると感じていますか。

安波:
先代の女将の頃から続いている、アットホームな雰囲気は大きいと思います。接客も含めて、お客様との距離が近い宿です。

もうひとつは、やはり地獄蒸しですね。

地獄蒸しの釜がある湯治宿はほかにもありますが、大黒屋は外に開かれたスペースが多く、比較的気軽に楽しんでいただけます。地獄蒸しを目当てに来てくださるお客様も多いですし、宿泊している方同士や地域の方との会話が自然に生まれる場所にもなっています。

自分たちにとっては当たり前の景色でしたが、改めて考えると、そういうところも大黒屋らしさなのだと思います。

ーー地獄蒸しは、普通に蒸すのとはどのような違いがありますか。

安波:
普通のお湯の蒸気ではなく、温泉の蒸気を使う点が大きな違いです。

100度近い蒸気で一気に蒸すので、野菜は甘みが引き立ちますし、彩りも良くなります。余計な味付けをしなくても、素材そのものがおいしく感じられるんです。

地獄蒸しというと「珍しい調理法」という印象が先に立つかもしれませんが、実際には素材の味をしっかり引き出してくれる、とても理にかなった調理法だと思っています。

ーー協働日本との取り組みを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

安波:
一番大きかったのは、建物の老朽化と、それに伴うブランディングについて悩んでいたことです。

築年数もかなり経っていたので、「そろそろ本格的に建て替えを考えないといけない」と思っていました。ただ、建て替えなければならないことは分かっていても、その先にどんな宿をつくりたいのかまでは、自分の中で整理できていませんでした。

もうひとつのきっかけは、親しくしている米田食堂さんが私より先に協働日本の伴走支援を受けていたことです。今年度も別府市の事業として協働日本さんの伴走支援を受けられることを知り、米田さんからも「一度やってみたら」と勧めてもらって、それなら挑戦してみようかな、と思いました。

建て替えを考えていたタイミングと、周りからの後押しが重なったのがきっかけでした。

ーー当時は、どのようなことに悩んでいましたか。

安波:
最初は、本当に建て替えのことばかり考えていました。

建て替えるためには融資も必要ですから、そのための事業計画書をつくらないといけない。ただ、「では、どんな宿にして、どうやって売上をつくって、その投資を返していくのか」というところが見えていませんでした。

建物を新しくするだけでは、事業計画にはならないですよね。

でも当時は、そこまで頭が整理できていなくて。「建て替えないといけない。でも、どうしたらいいのか分からない」という状態だったと思います。

ーー7か月の伴走を経て、その考え方は変わりましたか。

安波:
かなり変わりましたね。マーケティングやブランディングの協働プロの皆さんと話す中で、新たな視点を得て、大黒屋を客観的に見ることができました。 最初は「どう建て替えるか」ということしか考えていなかったのですが、一緒に話をしていく中で、「こういう商売の仕方もあるのでは」「この場所をこう活かせるのでは」と、どんどん考える範囲が広がっていきました。

建物の話だけではなくて、「これから大黒屋として何を提供していくのか」「どういう宿でありたいのか」を考えるようになった。 振り返ると、いろいろなアイデアが湧いてきた7か月だったと思います。

建物を考える前に、「大黒屋ってどんな宿ですか?」から始まった

ーー実際のプロジェクトは、どのように進めていったのでしょうか。

安波:
大きく4つくらいのフェーズに分けられると思います。

最初は、大黒屋の価値の棚卸しです。

「大黒屋はどんな宿ですか」「4代目の安波拓哉はこれまで何をしてきましたか」といったことを、かなり丁寧に聞いてもらいました。

最初は、建て替えの事業計画をつくる中で、なぜ自分のこれまでの経験まで掘り下げるのだろうと思う部分もありました。でも話していくうちに、大黒屋の歴史だけではなく、自分自身がこれまで何をしてきたのかも、これからの宿を考える材料になるのだと分かってきました。

その後は、お客様の層や客単価などを実際の数字にして、分析してもらいました。

ーーその後、協働プロの皆さんが現地を訪れたのですね。

安波:
はい。実際に大黒屋に泊まってもらって、地獄蒸しも体験してもらいました。鉄輪の周辺も歩いて、「この地域には何があるのか」を一緒に見てもらいました。

オンラインで話しているだけでは伝わりにくい空気感がありますから、現地に来てもらったことは非常に大きかったです。

そこで皆さん自身が鉄輪を体験したことで、「これ自体が価値なのではないか」と気づいてもらえた。

「地獄蒸しの野菜ビュッフェをやってみたらどうか」というアイデアが出てきたのも、その頃でした。

ーー現地に来てもらったことで、プロジェクトが加速した感覚はありましたか。

安波:
かなりありました。

現地訪問の前までは、まだ言葉で考えている部分が多かったと思います。

でも実際に見てもらってからは、「ここならこう使える」「この地獄蒸しをもっと前に出せる」と、イメージが一気に具体的になりました。

そこからは、アイデアを出すだけではなく、「では実際にどうやるか」というところまで、かなりスピード感を持って進んでいきましたね。

「何を新しくするか」ではなく、「何を残すか」

ーー建て替えについては、どのような議論をしたのでしょうか。

安波:
「全部を新しくしましょう」という話にはなりませんでした。

ブランディングを担当してくれた岡直哉さんとは、「こういう雰囲気は残したい」「ここはもう少し使いやすくしたい」と話しながら、それに近い建物や空間の写真をいろいろ出してもらいました。

自分の中には何となくイメージがあっても、それを言葉だけで説明するのは難しいんです。

写真を見ながら、「これは違う」「こっちは近い」と話していくことで、自分自身の考えも整理されていきました。

ーーその中で、「残したいもの」も明確になっていったのでしょうか。

安波:
そうですね。

大黒屋のアットホームな雰囲気や、気軽に地獄蒸しを楽しめるところは、これからも残していきたいと思いました。

建物をきれいにすることで、逆に今の良さがなくなってしまったら意味がありません。

その上で、水回りなど必要な部分はきちんと更新して、地獄蒸しの釜を中心に人が集まったり、会話が生まれたりする空間にできたらいいよね、という話をしました。

昔からあるものを大切にしながら、今の時代に合う形にしていくという考え方ですね。

ーー「何を建てるか」より先に、「大黒屋らしさとは何か」を整理した。

安波:
そうだと思います。

最初は、「新しい建物をどうするか」を考えていました。

でも話していくうちに、「そもそも大黒屋の良さは何なのか」「お客様は何を求めて来てくれているのか」を先に考える必要があると分かってきました。

建て替えること自体が目的ではなく、大黒屋の良さをどう残して、そこにどんな価値を加えていくのか。

そこが整理できたことで、建物についても考えやすくなったと思います。

バーテンダー、ソムリエとしての経験も、大黒屋の強みだった

ーー価値の棚卸しでは、安波さんご自身のキャリアにも目を向けました。

安波:
はい。

私は大学進学を機に福岡へ行って、その後も含めて15年ほど福岡で過ごしました。

ハイアットリージェンシー福岡やラ・ロシェル福岡などで働きながら、バーテンダーやソムリエとして、食や酒、接客について経験を積んできました。

ーーそれまで、ご自身のキャリアを大黒屋の強みとして捉えていましたか。

安波:
そこまで明確には考えていなかったと思います。

自分にとっては、以前やっていた仕事という感覚が強かったので。

ただ、皆さんと話していく中で、「それは大黒屋の体験づくりに活かせる強みですよ」と言ってもらいました。

地獄蒸しがあって、そこに食や酒の知識が加わる。自分がやってきたことと、大黒屋に昔からあるものを組み合わせれば、新しい価値になる。

そういう見方は、今回改めて気づかせてもらった部分だと思います。

ーーその意味では、伴走以前から行っていた「風呂本商店」にもヒントがありました。

安波:
そうですね。

風呂本商店は、旧鉄輪蒸し湯の跡地を使って、月に一度だけやっている立ち飲みのイベントです。

地元の方も来ますし、観光で来た方も来ます。そこで一緒にお酒を飲んでいると、自然に会話が生まれるんです。

自分としては好きでやっていたことですが、改めて振り返ると、食や酒を通して地域の人と観光客が混ざり合うというのは、大黒屋がこれから目指す姿にも近いんですよね。

ーー新しい答えを探していたけれど、すでに実践していた部分もあった。

安波:
そうですね。

自分の食や酒の経験と、鉄輪や大黒屋の良さを掛け合わせる。

今考えると、その考え方自体はすでに始まっていたのだと思います。

ただ、自分一人では、それを「大黒屋の強み」や「これからの事業」として捉えられていなかった。

外から見てもらったことで、そこに気づけたのは大きかったです。

700円の「釜貸し」を、「選ぶ・蒸す・味わう」体験へ

ーー新サービス「蒸しどころ大黒屋」は、どのように生まれたのでしょうか。

安波:
もともと大黒屋では、地獄蒸しの釜を90分700円で貸していました。

利用してくださる方はいるのですが、月に10件ほどで、基本的には「場所を貸す」というサービスでした。

お客様自身が食材を持ってきて、釜を使っていただく。それはそれで鉄輪らしい楽しみ方ではあるのですが、事業として考えると、700円の釜貸しだけではどうしても限界があります。

ーーそこで、釜を貸すのではなく、「地獄蒸しの体験そのもの」を商品にしようと。

安波:
はい。

現地訪問の後に、「地獄蒸しの野菜ビュッフェをやってみたら面白いのではないか」という話が出ました。

そこからは、かなり細かいところまで考えました。

野菜をどう並べるか、器をどうするか、お客様にどう選んでもらうか、どこを通って釜まで行くか。料金やオペレーションも含めて、一つひとつ詰めていきました。

アイデアだけで終わらせず、最後は「実際に一度やってみましょう」というところまで進められたのが良かったと思います。

ーー「蒸しどころ大黒屋」では、どんな体験を提供したのでしょうか。

安波:
大分県産の野菜などを用意して、その中からお客様自身に好きなものを選んでいただきます。

それを自分で地獄蒸しの釜に入れて、蒸して、できたてを食べてもらう。

単に料理を提供するだけではなく、食材を選ぶところから、自分で蒸すところまで含めて楽しんでもらう形です。

地獄蒸しは、蒸気が一気に上がる様子も含めて体験として面白いですし、そこに飲み物や味の変化を組み合わせることで、もっと楽しんでもらえるのではないかと考えました。

私自身の食や酒の経験も、ここで活かせると思っています。

小さく試して、数字で確かめる。客単価は約1.4倍に

ーー2026年5月にトライアルを行いました。結果はいかがでしたか。

安波:
一番分かりやすかったのは、やはり客単価です。

素泊まりが6,000円で、そこに地獄蒸し体験の平均2,425円が加わって、宿泊者一人あたり8,425円になりました。

従来の素泊まりと比較すると、約1.4倍です。

ーー実際に数字が出たことは大きかったですか。

安波:
大きかったですね。

これまでは、「地獄蒸しを活かしたら何かできるのでは」という感覚でした。

でも実際に試したことで、「このサービスを提供すると、このくらい客単価を上げられる可能性がある」という数字が出た。

今後、融資の話や事業計画を考えるときにも、感覚だけではなく、実際に試した結果として話すことができます。

それは非常に大きな違いだと思っています。

ーー参加したお客様の反応はいかがでしたか。

安波:
野菜がおいしかったという声はもちろんありましたし、「自分で選んで、自分で蒸すのが楽しかった」という反応もありました。

地獄蒸しは、私たちにとっては日常にあるものですが、お客様にとってはそれ自体が特別な体験になる。

そこを改めて確認できたのは良かったです。

申込率も想定より高く、一定のニーズがあることも分かりました。

ーートライアルをしてみて、「蒸しどころ大黒屋」の可能性をどう感じましたか。

安波:
このサービス単体で終わらせる必要はないと思っています。

例えば、宿泊プランの中に最初から組み込むこともできますし、夜の時間に地獄蒸しとお酒を楽しんでもらうような形も考えられます。

今回1.4倍という数字が出たことはもちろん成果ですが、それ以上に、「ここをベースにいろいろ展開できそうだ」と思えたことが大きいですね。

ひとつ、事業の土台になるものができた感覚があります。

「蒸しどころ大黒屋」だけではない。事業の到達点が見えてきた

ーー7か月の伴走を振り返ると、ほかにはどんな変化がありましたか。

安波:
成果というと、どうしても「蒸しどころ大黒屋」が一番分かりやすいと思います。

ただ、実際にはもっと細かいところでも変化がありました。

例えば、これまでは電話で直接予約をいただいたお客様の情報を、きちんとデータとして残せていませんでした。

加藤奏さんから、「こうした情報をきちんと残しておくことが、今後のお客様との関係づくりにつながる」と教えてもらって、少しずつデータを取るようになりました。

これまで当たり前にやっていた業務についても、「こういう情報を持っておくことが、今後につながるんだ」と考えるようになりましたね。

ーー最初の課題だった、融資や事業計画についてはいかがですか。

安波:
融資自体はまだこれからですが、事業計画についてはかなり言語化できるようになってきました。

最初は「建て替えたい」というところしかありませんでしたが、今は「どんな宿にしたいのか」「どんなサービスをつくるのか」「どうやって売上につなげるのか」まで、少しずつ一本につながってきています。

進むスピードも上がりましたし、「ここを目指して進めばいい」という到達点が見えてきた感覚があります。

ーー当初の「どんな宿にしたらいいか分からない」という状態からは、大きく変わりましたね。

安波:
そうですね。

以前は、建て替えと事業を別々に考えていた部分もあったと思います。

でも今は、「こういう体験を提供する宿にしたいから、こういう空間が必要だ」というように、建物と事業を一緒に考えられるようになりました。

それが今回の取り組みの中で、一番大きく変わったところのひとつかもしれません。

答えを押しつけず、まず鉄輪と大黒屋を理解しようとしてくれた

ーー今回の伴走には、事業設計を担当した四元亮平さん、ブランディングを担当した岡直哉さん、デジタル・データ分析を担当した加藤奏さんの3名の協働プロが参加しました。最初は、外部のプロ人材との取り組みに不安もありましたか。

安波:
ありましたね。

こうした形で伴走支援やコンサルティングをお願いするのは初めてでしたし、そもそも最初はリモートでの打ち合わせにもあまり慣れていませんでした。

それに、地方にいる側からすると、「東京や大阪で活躍しているプロの方」と聞くだけで、少し構えてしまうところがあります。「難しいことを言われるのではないか」「こちらのやり方を否定されるのではないか」という不安も、正直ありました。

でも、実際に始まってみると、その印象はまったく違いました。

皆さんとてもフランクですし、「自分たちはプロだから、こうした方がいい」と答えを押しつけてくることもありませんでした。

まず大黒屋がこれまでやってきたことや、私自身が考えていることを聞いて、その上で「こういう方法もあるのではないですか」と提案してくれる。こちらのやり方に寄り添いながら進めてもらえたので、とてもやりやすかったです。

ーー事業設計を担当した四元さんには、どのような印象を持っていますか。

安波:
四元さんは、最初からすごく話しやすかったです。

特に印象に残っているのは、いきなり「事業としてこうするべき」と話すのではなくて、まず鉄輪や大黒屋のことを理解しようとしてくれたことですね。

「この地域には何があるのか」「大黒屋の良さはどこにあるのか」というところから一緒に考えてくれました。

現地にも来てもらって、表面的な観光地としての鉄輪だけではなく、かなり深いところまで見てもらったと思います。

こちらとしても、「外から来た人に何かを教えてもらう」というより、一緒に地域を見ながら可能性を探している感覚がありました。だからこそ、自分の考えていることも素直に話せたのだと思います。

ーー岡さんは、ブランディングや建て替え後のイメージづくりを担当しました。どのような方でしたか。

安波:
岡さんは、オンラインで話していたときと、実際に会ったときの印象が少し違っていて、それも面白かったですね(笑)。

ロゴや建て替え後のイメージなど、出してくださるものはすごくセンスが良かったので、最初はクールな方なのかなと思っていました。

でも実際に鉄輪に来てもらうと、とても柔らかい方で、人間味のある方でした。

建て替えについても、「こういう建物にしましょう」と決めるのではなくて、私と話しながら、いろいろな写真やイメージを出してくれました。

自分では頭の中にぼんやりとしかなかったものを、「これは近いですか」「これは少し違いますか」と一緒に確認していく。そのやり取りを通じて、「自分が残したい大黒屋らしさは、こういうことなのか」と、こちらの考えも整理されていきました。

ーー「蒸しどころ大黒屋」のロゴも、岡さんが関わっていたのですね。

安波:
はい。建物のイメージだけではなくて、「蒸しどころ大黒屋」のロゴもつくってもらいました。

アイデアを出して終わりではなく、実際にお客様に見せるところまで一緒につくってもらえたのは大きかったです。

サービスの中身だけでなく、「大黒屋らしくどう見せるか」まで考えてもらったことで、ひとつの事業として形になっていった感覚があります。

ーー加藤さんは、デジタル・データ分析の面から伴走しました。印象に残っていることはありますか。

安波:
加藤さんも、非常に話しやすかったです。

データ分析というと、最初は少し難しいものを想像していました。でも、いきなり専門的な数字の話をするのではなく、まず大黒屋の状況を聞いた上で、「こういう情報を取っておくといいですよ」と、日々の業務に落とし込んで教えてくれました。

先ほどお話しした電話予約のお客様の情報もそうです。

今まで何となくやっていたことを、「これはデータとして残した方がいい」「後々こう活かせる」と整理してもらったことで、日々の業務の見方も少し変わりました。

「蒸しどころ大黒屋」のトライアルについても、感覚だけではなく客単価や申込率を数字として見る。そういう考え方は、今回の取り組みを通じてかなり意識するようになりました。

ーー3人それぞれ専門領域は違いますが、共通していたことはありますか。

安波:
やはり、「まず地域や大黒屋を理解しようとしてくれたこと」だと思います。

事業、ブランド、データと、それぞれ専門性は違いますが、自分の専門領域だけを見ている感じがなかったんです。

鉄輪という場所があって、大黒屋という宿があって、そこに自分たちがこれまでやってきたことがある。それを理解した上で、それぞれの専門性を持ち寄ってくれました。

外から新しい答えを持ってきてもらったというより、もともとここにあったものを、一緒に見つけて、つないで、形にしてもらったという感覚の方が近いですね。

今回の7か月で「蒸しどころ大黒屋」が生まれたことももちろん大きな成果ですが、自分たちだけでは気づかなかった大黒屋や鉄輪の可能性に気づけたことも、それと同じくらい大きかったと思っています。

「うちみたいな小さなところが」と思っていたからこそ、勧めたい

ーー今後、地域企業とプロ人材のこうした協働は広がっていくと思いますか。

安波:
広がっていくと思います。

私の周りにも、同世代で宿や家業を継いでいる人が多いので、「こういう支援もあるよ」と話すことがあります。

ただ、なかなか最初の一歩を踏み出せない気持ちもよく分かります。

私自身も最初は、「うちのような小さなところが、こういう支援を受けてもいいのだろうか」と思っていましたから。

ーー実際に取り組んでみて、その印象は変わりましたか。

安波:
変わりましたね。

外部の知識やスキルを持った人と話すことで、自分たちだけでは見えていなかったものが見えてきます。

地方には、同じように「何か変えたいけれど、何から始めればいいか分からない」と悩んでいる会社やお店がたくさんあると思います。

そういうところに、こうしたプロ人材との協働は合うのではないかと思います。

ただ、地域に入る側が、まずその地域を理解しようとしてくれることは大事ですね。

そこがあれば、地域側も安心して話ができると思います。

大黒屋を、「泊まる場所」から「鉄輪を体験する場所」へ

ーー今後、大黒屋ではどのようなことに取り組んでいきたいですか。

安波:
まずは、「蒸しどころ大黒屋」をきちんと定着させていきたいです。

今回トライアルとして形にできたので、今度は宿泊プランの中に組み込んだり、夜の時間帯に展開したり、実際の営業の中でどう使っていくかを考えていきたいと思っています。

まだ改善できるところもたくさんありますから、運営しながら少しずつ磨いていきたいですね。

ーー顧客との関係づくりも今後のテーマですね。

安波:
そうですね。

今回、顧客データをきちんと残すことの大切さも学びました。

LINEや予約リストなども活用しながら、一度来てくださったお客様と、その後もつながっていける仕組みをつくりたいと思っています。

昔ながらの湯治宿は、何度も来てくださるお客様との関係がとても大切なので、そこはデジタルも上手に使っていきたいですね。

ーーそして、最初のテーマだった建て替えにもつなげていく。

安波:
はい。

今回、新しい体験や飲食のモデルについて、一定の手応えを得ることができました。

「こういうサービスを提供すれば、このくらいの収益につながる可能性がある」ということが見えてきたので、それを建て替えや融資の計画にも反映していきたいと思っています。

最初は建物の話から始まりましたが、今はようやく「どんな事業をするために、どんな建物が必要なのか」という順番で考えられるようになってきました。

ーー伴走をきっかけに、ほかの地域との新しいつながりも生まれているそうですね。

安波:
そうですね。

四元さんが関わっている鹿児島の「GLOW UP」の皆さんと、「蒸しどころ大黒屋」で一緒に取り組む話も進んでいます。

今回の7か月が終わったから、そこで関係も終わりということではなくて、別の地域や別の取り組みにもつながっている。

最初は大黒屋の建て替えについて相談していたところから、新しいサービスが生まれ、さらに地域を越えたつながりまで生まれてきました。

そういう広がりが出てきているのも、今回の伴走の面白いところだと感じています。

ーー最後に、協働日本との7か月を振り返って、メッセージをお願いします。

安波:
今回一緒に取り組んでもらったことで、本当に大黒屋の可能性を広げてもらったと感じています。

大黒屋という宿だけを見るのではなく、鉄輪という地域のかなり深いところまで見て、その上で一緒に考えてもらえた。

そのおかげで、自分自身にも少し自信がつきましたし、「これから大黒屋をこうしていきたい」というイメージも、以前よりかなり具体的になりました。

最初は建て替えのことで悩んでいましたが、今はその先にある事業や、大黒屋のこれからについて考えられるようになっています。

本当に感謝しています。

これから大黒屋も頑張っていきますので、協働日本の皆さんとも、引き続き一緒に新しいことに取り組んでいけたら嬉しいです。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

安波:
ありがとうございました。


安波 拓哉/Takuya Yasunami

湯治の宿 大黒屋 4代目

1984年生まれ。18歳まで別府市で過ごし、福岡の大学へ進学。

大学卒業後、ホテル「ハイアットリージェンシー」に入社し、バー「ロトンダ」でバーテンダーとして勤務。勤務しながらJ.S.A.ソムリエ資格を取得する。

その後、「ラ・ロシェル福岡」に入社し、ソムリエとして勤務。福岡で計15年間を過ごしたのち、2018年に別府へUターン。

「湯治宿 大黒屋」に4代目として勤務し、現在は湯治宿を経営する傍ら、月1回開催の立ち飲みイベント「風呂本商店」などを開催。

これからの湯治文化の継承や、鉄輪温泉を盛り上げる活動に取り組んでいる。

協働日本事業については こちら

VOICE:四元 亮平 氏 -想いを持つ方を支える「名脇役」として。マーケティングを通じた地域企業の価値の再発掘と成長を目指す。
https://kyodonippon.work/post-4534/