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STORY:山岸製作所 山岸晋作社長 -挑戦する経営者にとって、協働日本は心強い伴走相手になる-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社山岸製作所 代表取締役社長 山岸晋作氏にお越しいただきました。

山岸製作所は1936年創業の金沢の家具販売会社で、輸入家具やインテリアの販売、内装工事設計・施工のほか、オフィスのトータルプロデュースも手がけています。

暮らし方を提案するインテリアショールーム「リンテルノ」や、働き方の提案を行うオフィスショールーム「リシェーナ」を通じて、新しい「暮らし方」「働き方」を売る会社としても注目を集めています。

孤独な戦いも多い経営者にとって、協働日本は心強い伴走相手だと語る山岸社長。
今回は協働日本との取り組みのきっかけや、支援を通じて生まれた変化についてお聞きしました。

さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についても、経営者の視点からメッセージをお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

必要としていたのは、同じ当事者意識を持って悩んでくれる仲間だった

ーー本日はよろしくお願いします。今日は、進行中のプロジェクトについてだけでなく、お取り組みのきっかけになったエピソードなどもお聞きできればと考えております。

山岸晋作氏(以下、山岸):はい、あらためて本日はよろしくお願いします。

ーー協働日本では、週次の定例ミーティングをはじめ、先日も山岸製作所60周年記念イベントで協働日本代表の村松がモデレーターとして登壇するなど、様々な機会をご一緒させていただいております。
両社の取り組みがスタートしたきっかけとは、どんなものだったのでしょうか?

山岸:きっかけは同じく金沢で事業を展開している、発酵食品の老舗、四十萬谷本舗の四十万谷専務からのご紹介でした。

以前、事業について悩んでいた際、四十万谷さんとの会話の中で「相談相手として、良い人がいるよ」とご紹介してくださったのが協働日本代表の村松さんでした。

四十万谷さんがかねてより、都市圏複業人材と協働をスタートしており、成果を挙げられていたことは聞いていたので、興味を持ちました。

ーー四十萬谷本舗の四十万谷さんからのご紹介でしたか。四十萬谷本舗さまとのお取り組みは協働日本の第一号プロジェクトです。そこからご縁があったのですね。

山岸:ご紹介いただいて、実際に会ってみて驚きました。

こちらの悩みを聞いて一緒に議論をしてくれるなど、楽しくお話をさせていただいた後、てっきり最後は営業されるのかと身構えていたのですが、その後の契約などの話はせずに帰っていったのです。

ーー信頼できる方からのご紹介とはいえ、身構えていた山岸さんからすると、それは驚きでしたね。

山岸:かえって印象的で、気になってしまいました(笑)その後も、村松さんはじめ協働日本の方々は金沢に仕事で来る際に必ず、弊社に立ち寄ってくれるのです。

協働プロのみなさんがこぞって、弊社にお越しになられたこともありました。お会いするたびに、世の中のトレンドをご紹介いただいたり、事業についての壁打ちや、これからの働き方や暮らし方の議論をして帰っていかれました。

村松さんはじめ、協働日本の方々はとても情熱的で、そうして何度もお会いしている内にだんだんと、定期的にこの人たちと話がしたい、悩みを聞いてもらいたいという気持ちが強くなっていきました。

ーーコミュニケーションを重ねていく内に、山岸さんのお気持ちに変化があったんですね。

山岸:最後は私の方から一緒に取り組みをスタートしたいと伝えさせていただきました。

協働日本のみなさんからは、「こういう方向で解決して~」のようなアドバイスは一切なく、いつも「どうすれば眼の前の課題や、世の中の変化に一緒に立ち向かえるか」という視点で議論してくれます。それが本当にありがたかったですね。

当時から正直な話、外部からのコンサル的なアドバイスはあまり求めていませんでした。それは事業に関する課題はとても膨大で、それらは一つ一つが独立したものではなく相関しあっており、一朝一夕に解決の糸口が見つかるようなものではないと感じていたからです。

アドバイスを実践するだけで解決するなら、とっくにやっていますと(笑)

むしろ必要としていたのは、同じように当事者意識を持って、事業の課題に向き合って悩んでくれる仲間でした。そのため、そういった心意気で向き合ってくれようとしていた、協働日本のみなさんと取り組めることは、経営者としてとても心強かったです。

議論を繰り返し、根本の価値観を徹底的に言語化

ーーありがとうございます。続いて、現在どのようなプロジェクト進めているのか具体的に教えていただけますか。

山岸:暮らし方を提案するインテリアショールーム「リンテルノ」 での売上を向上させるための社員教育をお願いしています。

あらためて今、社員教育に向き合っているのは、ブランド代理の物売りになってしまっていることへの危機感そして限界を感じていることが背景にあります

弊社で取り扱っているブランドはどれも魅力的なブランドではありますが、そのブランドの力に頼り切りになってしまっては、これから先ビジネスを続けていけないのではないかという不安感がありました

山岸製作所がこれから売っていかなくてはいけないのは、「暮らし方」そのものと定義しています。

だからこそ、山岸製作所の存在意義や、なぜこのブランドを取り扱うのかということへの言語化を進めておかなければ、その先行き詰ってしまうだろうと思ったのです。

社員だけじゃなく私自身も、その場に参加して議論を進めています。

ーー社員教育として、外部人材である協働プロとの議論の場を設定しているのですね。とてもユニークな取組だと思います。
その議論はどういった形で進めていらっしゃるのですか?

山岸:ショップのリーダーを含めた社員3名と、協働プロの皆さんで、オンライン上で毎週打ち合わせをしています。

議論のイメージを一言で言うならば、魚をもらうのではなく魚の釣り方を教えてもらっている、といった感じでしょうか。考え方のヒントや、議論のサポートは手厚くしてくださいますが、結論はあくまで私達自身が言葉にしなくてはなりません。

 毎回、「お客様はなぜ山岸製作所に家具を買いに来るのだろうか」といった議題や課題を設定してもらい、そこに対する参加者の考えを深めています。

協働プロに壁打ち相手になってもらい、互いに議論を繰り返していくことで、目先のWHAT(何に取り組むか)ではなく、根本にあるWHY(なぜそれが必要か、なぜそれをやるのか)を徹底的に言語化しています。

そうして言語化されたWHYからもう一度、事業を捉え直し、新たなマネタイズモデルや今後の事業の戦略を描いています。

私たち一人ひとりが売っているものは何か、より良い暮らしとは何か。これからの山岸製作所にとって重要な価値観を、自分たちで悩み、意見を交わしながら考えていくことに大きな意義を感じています。

一緒に暗闇を歩いてもらえる勇気こそが一番の価値

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

山岸:それまでは弊社にも実績はなく、実のところ興味もさほどありませんでした。

もちろん、そういった働き方や取り組み自体は、新聞やテレビのニュースでは見聞きしていました。副業人材のジョブマッチングは、ほとんどが課題解決型の人材提供のモデル。それらはきっと、企業の課題や取り組むべき次のアクションがはっきりしている場合は有効だろうなと思っていました。

弊社の場合は、先ほどお伝えしたように課題が複雑で、試行錯誤中の新しい取り組みだったということもあり、そういったジョブマッチング型の副業人材との取り組みでは成果が挙げられないと思っていました。

ーーだからこそ、協働日本の「伴走支援」の形が山岸さんの課題感にフィットしたんですね。

山岸:そうですね。一緒にひとつのチームになって課題に向き合ってくれる協働日本のスタイルであれば、もしかすると上手くいくかもしれないという期待感がありました。

しかしそれでも、正直初めのうちは不安もありました。これまで形のないものにお金を支払っていくという文化も弊社にはなかったですし。

まして、一般的なコンサルティングでも、請負でもない、新しい「協働」という形の支援をどのように社内に展開、定着させていくのか。本当に効果があるのか。社員からの反応もふくめて、はじめは不安だらけでした。

ーーなるほど。取り組んでいくうちにその不安は解消されましたか?

山岸:はい、解消されたと思います。その証拠に、一緒に取り組んでいくうちに社員の自主性が急激に磨かれているのを実感しました。

協働プロの皆さんには、弊社の社員も交えて、一緒にディスカッションをする時間を作ってもらっています。協働プロから一方的に教わるのではなく、フレームワークに落とすような進め方でもないので、議論の中から社員のアイディアや気づきも出てきます。

人から教えられてその通りにやるのではなく、自分たち自身で考えて、自分たちが体験したことを伝えるのが山岸製作所の価値なんだと、参加する社員が強く実感し大きく変化してくれました。

今では社員が週次の議論を楽しみにしてくれています。「次はこのテーマをディスカッションしたいです!」なんて声も(笑)

協働プロの皆さんに頼り切りになったり、判断を委ねないように私達自身も当事者意識を持つことはとても大切です。それを心がけながらも、親身に伴走してくれるのは心強いですね。

ーー企業や社員の挑戦に伴走する、協働日本らしい支援の形ですね。

山岸:支援をする側にとっては、ある程度の答えを持っておき、すでにあるフレームワークに当てはめて議論を進めていく方が絶対楽なはずなのに。あえて協働日本の皆さんは一緒に暗闇を歩いて模索し、時には遠回りもしてくれる。

だからこそ議論に参加している社員の納得感があるんです。こういった変化は、一般的なコンサルティングや請負では生み出すことができないと思います。

一方で、このような進め方は正直、お互いに勇気のいることだと思います。言い換えれば私は一緒に暗闇を歩いてもらえるその勇気を買っていると言い換えてもいいかもしれません。

多くの経営者は暗闇を歩いているようなものでいつも心の中に不安を抱えています。だからこそ私にとっては、私と同じ熱量で、同じように不安感を持って、恐る恐るでも一緒に歩いてくれることが大きな価値なのです。

「協働」という取り組みを選んだことが間違いではなかったと実感しています。

複業人材の拡がりは、地方の企業にとって追い風に

ーー関わっている協働プロ協働サポーターの印象をお聞かせください。

山岸:協働プロの皆さんがそれぞれ山岸製作所の課題に対して、本当に真剣に向き合ってくれており、正直驚いています。

それぞれ皆さん表情や感受性が豊かなので、真面目な議論も固くならずに和やかな雰囲気で進められています。

素直でオープンに意見をぶつけてくれるので、お互いにいい意味で遠慮なく濃い議論ができていると思います。穿った見方や、押さえつけるような言い回しをしないので、弊社の社員との議論も安心しておまかせできます。能力はもちろん、人柄が良い人ばかりですね。協働日本は。

ーーお褒めの言葉ばかりで大変恐縮です。
山岸さんはこういった複業人材との取り組みは今後どうなっていくと思いますか?

山岸:今後、ますます広がっていくと思います。

ただ一方で、複業人材の取扱い方を間違って失敗する事業者も増えそうな気もします。

たとえば弊社の場合は、複業人材をコンサルのように使ったり請負業者のように扱わなかったことが、大きな成功要因だったと思います。弊社の課題が複雑で抽象度も高かったのもありますが、課題解決型の人材マッチングの成功イメージが沸きませんでした。

はじめから、様々な経験や知見を持った複業人材を、一緒に課題に向き合っていく仲間として捉えて、共通の課題に取り組んだことが結果として良かったと思います。部分部分で仕事を振って、パートナーに頼りきりになるのではなく、常に自分たちが主語になるような形で取り組みを進めたことで、主体性を持って結果を取り扱うことができるようになりました。

自社に必要なのは、どんな形で関わってくれるパートナーなのか、しっかりと整理した上で取り組みを進めるべきでしょう。

ーー地域企業にとって、複業人材の広がりはどのように映りますか?

山岸:協働日本の協働プロの力を活用して思ったことですが、これまで地方は吸い取られるばかりだと思っていたけれども、こうした取り組みがもっと広がるということは、場所や時間の制限なく、東京や大阪の人材や情報を活用することができるということです。

日本中どこにいても一緒に仕事をするパートナーを見つけることができるというのは、地方の企業にとってはとても追い風になる時代だと思っています。言い換えれば、我々地域の企業の経営者は現状に甘えていられませんね。

協働日本さんもどんどん、全国でこういった協働事例を作っていってください。応援しています。

ーー弊社へのエールもいただきありがとうございます。今日は色々なお話をお伺いできました。

山岸:本日はありがとうございました。

今後、協働日本により多彩な人材が集い、多くのチームが編成され、多様性を広げていく先に、あっと驚くような事例が日本中で生まれていくと信じています。

山岸 晋作 Shinsaku Yamagishi

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-

VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく-

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 – | KYODO NIPPON


VOICE:協働日本 遅野井 宏氏 – パラレルキャリアが働く人のセーフティネットになる時代へ –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。今回インタビューするのは協働日本で、働き方変革やDX推進を専門に、企業変革の伴走支援に取り組んでいる遅野井 宏(おそのい ひろし)氏です。

キヤノン(株)で事業部IT部門で社内変革を推進後、日本マイクロソフト(株)に入社。働き方改革専任のコンサルタントとして製造業の改革を支援するなど、ご自身の製造業の現場経験をベースにIT/オフィスの両面から働き方改革を支援してきた遅野井氏。

その後、(株)オカムラに入社しWORKMILLプロジェクトを立ち上げ、日本の働き方変革を推進するリーダーのお一人として活躍されてきました。

その後、同社のDX推進室の発足と同時に室長に就任し、全社DX推進を担当。同年から(株)point0取締役を兼務しコワーキングスペースpoint 0 marunouchiにおいて企業間共創を推進するなど活躍の幅を広げてきました。そのキャリアでは一貫して、働き方変革やDX推進といったキーワードとともに日本企業の組織変革に取り組んでいます。

協働日本では、パートナー企業のコマニー(株)への伴走支援を通じて、組織や働く社員に新しい変化を生み出している遅野井氏。協働日本が行っている伴走型支援の効果や重要性だけでなく、様々な業界の経験や専門性を持った協働プロが複業として、チームを組み企業支援を行っていく取組自体の価値についても、働き方の専門家の視点から語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

企業変革を推進するプロフェッショナルとして

ーー本日はよろしくお願いします。働き方変革やDX推進を専門に、多くの企業の支援を行ってきた遅野井さんの、これまでのキャリアについて教えてください。

遅野井 宏氏(以下、遅野井):よろしくお願いします。

自分のキャリアは、なかなか説明が難しいのですが、順にお話しますね(笑)

日本企業、特に製造業の現場経験をベースにIT/オフィスの両面から働き方改革を支援してきました。事業会社におけるDX推進を手掛けたり、企業の枠を超えた共創のプラットフォームを企画運営したり、といったことに会社が変わっても取り組み続けてています。

ーーまさに、いま日本中の多くの企業が抱える、働き方の見直しやDX推進といったテーマの専門家ですね。具体的には、どういった企業でそういった専門性を磨かれたのですか?

遅野井:そういっていただけるとありがたいです。まず大学卒業後、キヤノン(株)へ入社しました。キヤノンでは、レーザープリンターの事業企画を10年間担当した後、事業部のIT部門で社内変革を推進することになりました。

その後、より専門性を身につけるべく2012年に日本マイクロソフト(株)に転職し、そこで働き方改革専任のコンサルタントとして製造業の改革を支援することになりました。

そして2014年から(株)オカムラに転職。企業の、「はたらく」を考え直し、変えていくWORKMILLプロジェクトを立ち上げ、統括リーダーを務めながら「WORKMILL with Forbes Japan」「WORKMILL WEBマガジン」を創刊、編集長を務めました。その後も、DX推進室の発足と同時に、室長に就任してオカムラの全社DX推進を担当させてもらいました。

ーーなるほど。複数の企業での業務を通じ、ご自身の専門性を磨いてこられたのですね。

遅野井:日本企業の現場で働いていた経験もあり、そういった感覚を大切にしながら、働き方変革からDX推進までを語れるのが自身の強みかなと思っています。

また2019年2月には、オカムラが参画していた、コワーキングスペースpoint 0 marunouchiにおいて、オカムラを代表する形で(株)point0の取締役を兼務し企業間共創を推進する経験もつませていただきました。

ーー同じくコワーキングスペースpoint 0 marunouchiに参画していた、ライオン(株)の藤村昌平氏(協働日本 CSO)とは、そこで出会ったとお聞きしました。

遅野井:はい、藤村さんが当時、同じく会社を代表する形でコワーキングスペースpoint 0 marunouchiの運営に携わっており、そこでの出会いが協働日本を知るきっかけにもなりました。

その後、2022年7月にオカムラから転職しましたが、新しい会社でもやることは大きく変わらず、働き方の専門家として「企業と企業を繋いで、新しい価値創出をする。」というテーマに根ざし仕事を続けています。

業界事情を理解している伴走者だからこその安心感

ーー協働日本で実際にどんな取り組みをされているか教えてください。

遅野井:石川県の製造業、コマニー株式会社を伴走支援しています。

クライアント企業の業界がまさに前職(オカムラ)と同一なので、その業界の特性も理解したうえで、ご支援できていることに手ごたえを感じています。

コマニーの皆さんからもその点はとてもご評価いただいています。

ーーどういった部署の方々と、どんなテーマでお打ち合わせされているのですか?

遅野井:コマニー株式会社の経営企画室の皆さんです。これまでコマニーは代理店を通じてお客様に商品を販売する事業モデルで拡大してきたのですが、今後はお客様との直接的なコミュニケーション機会も増やしていこうとされており、その取り組みをどうやってスタートさせるかという立ち上げ期を支援しています。

ーーなるほど。お取り組みの中では、遅野井さんの前職でのご経験も活きそうですね。

遅野井:まさに。元競合企業にいたということもあり、自分たちの業界のことをしっかりわかっている方が支援してくれるということで、安心感を持ってくださっているようです。

同じプロジェクトには、協働日本CSOの藤村さんも入っていますが、藤村さんからお話しいただく普遍的な戦略面でのサポートに加えて、私が業界としての視点を持って望んでくれていることで、質の高いディスカッションが出来ています。

ーーまるでRPGのパーティーのように様々な強みを持つ協働プロがチームを組むからこその、役割分担ですね。

遅野井:たしかにそうですね!(笑)

色々な業界を知っているメンバーで構成されている、協働日本だからこそできる支援体制でもありますね。

コマニー株式会社でのお打ち合わせの様子1

協働日本なら大きな変化を生み出せる期待感があった

ーー遅野井さんが協働日本に参画するきっかけはどんなものだったのでしょうか?

遅野井:前職のオカムラで、プロジェクト(コワーキングスペースpoint 0 marunouchi)をご一緒した藤村さんからのお声掛けでした。

私がオカムラの代表者として、藤村さんはライオンの代表者として10社に及ぶ企業間共創に取り組み、これまでにない新しい価値を創出する過程を共にした経験から、お声掛けいただいたと伺っています。

その後、協働日本代表の村松さんも含め3人でオンラインでお話しし、素晴らしい活動であることがよく理解でき、興味を持ちました。

なにより、その活動にお誘いいただけたことを光栄に感じ、参加を決めました。

ーーなるほど!そういったご縁だったのですね。協働日本のどんなところに興味を持ったのか、お伺いしてもよろしいですか?

遅野井:たとえば、事例として伺った奄美大島の大島紬のお取り組みの話などは特に印象的でした。商品価値を高める方法としてもユニークなアイディアを色々実現されていましたし、まさに地域企業にとってのブレイクスルーを実現しているなと思いました。

さらに言えば、クライアントの皆さんにとっても、とても良い雰囲気でお取り組みが出来ているのだなと思いました。

外部人材のアドバイスや意見を取り入れて、「まずはやってみる」。そういった姿勢を持っているクライアントさんはやっぱり成果を上げやすいです。

少し柔らかい表現をするならば、ある種の「素直さ」を持っているクライアントに恵まれているなと思いました。素直さというのは実は働き方変革の現場でも、実は重要なキーワードなんです。それがあるかないかで、変化量もスピードも全然違ってきますから。

熱意と素直さを持った、本当に変わろうとしているクライアントと一緒に仕事ができるのであれば、自分の経験をもっと全国の企業に伝えて、大きな変化を生み出していけるかもという期待を持ちましたね

その時、一人の社員の目の色ががらっと変わった

ーー遅野井さんが協働日本での活動を通じて実現したいことを教えてください。

遅野井:製造業の現場感覚をベースに、働き方改革やDX推進を手掛けてきた経験を存分に生かして、日本各地の企業変革を支援していきたいです。

特に協働日本のクライアントの中でも比較的大きな規模の支援が必要な場面でお力になれると思います。

ーー規模が大きくなってくると、そこにDX化がより一層求められるのでしょうか?

遅野井:その通りです。

会社が地方にあって、ある程度規模の大きな会社ほど特に、社内でDX推進をやらなくてはいけないという課題感をもったケースが多いと思います。

でも何から手をつけていけば良いのか、その先に目指すゴールはどう設定すれば良いのかが分からないという声も聞きます。

そんな企業と是非、色々な企業を支援してきた経験を活かしてお取り組みさせていただきたいですね。

ーー取り組みを通じて、協働パートナー企業の変化を感じるときはどんなときですか?

遅野井:先日、クライアント企業であるコマニーの直面している課題をじっくりお聞きしたところ、まさに私が前職で立ち上げた変革プロジェクトに似た状況にあるということがわかりました。これは自分の経験からお伝えできることが色々ありそうだと思い、コマニー本社でその時の立ち上げ経緯をプレゼン形式でお話しさせていただきました。

そのプレゼン後に、一人の社員の目の色ががらっと変わったんです。

プロジェクト開始当初は「アサインされたので参加した」という感じだった方だったのですが、プレゼンの後には「こういった変革をやりたい」と自ら目を輝かせて強くお話ししてくださいました。

自分のこれまでの経験をお伝えする中で、熱だったり情熱がその方にも伝わったのであれば嬉しかったですし、何より伴走支援を通じて主体者であるクライアント企業の社員が、大きく変化する瞬間に立ち会えた事自体に感動しました。

ーーそういった変化を通じて手応えを感じると、遅野井さんご自身のモチベーションも上がりますよね。

遅野井:ええ、そういった変化が生まれると、もっともっとコマニーのために一緒に考えていきたい、仕事を一緒にしたいという思いが強くなりましたね。

コマニー株式会社でのお打ち合わせの様子2
ーー遅野井さんご自身は、協働日本に参画したことで生まれた変化はありましたか?

遅野井:自分がこれまで経験したことが、企業の枠を超えて普遍的に役に立つことなのだということを改めて実感しています。

また、クライアント企業と関わる時間が増え、その哲学やビジョンをお聞きするうちに、心から企業のファンになってしまいました。

協働日本の、伴走型支援という枠を超えて、より深く同社の変革を支援したいと最近は本気で思っています。

前職でオカムラにいた頃は、まさか同業でもあるコマニーさんとこういったお取り組みが出来るとは思っても見なかったです。普通に働いていてはクロスすることのなかった人同士が出会って、そこで生まれたストーリーが世の中を変えていく。そういった変化にこそ、一番感動しています。

生まれたご縁そのものが、働く人にとってのキャリアのセーフティネット

ーー最後に、遅野井さんは協働日本は今後どうなっていくと考えていらっしゃいますか?

遅野井:こうした取り組みこそが、日本のこれからを支えていくといっても過言ではないと感じています。

様々な業界や企業での経験や知見を、地域の企業に移転していく。そうしてクライアント企業が育つだけでなく、担当者や協働プロの双方が成長できるという感覚を持っています。

また、企業の組織人として、こうしたパラレルキャリアを持つことはとても意義深いと感じます。

これからの時代において、自身の経験やスキルを活かせる場はもちろん、そこから生まれたご縁そのものが、働く人のキャリアのセーフティネットだと思いますね。

ーーなるほど。勤めている会社や、眼の前のビジネスがある日無くなってしまうようなこともありえる変化の激しい時代で、そういった繋がりの価値は大きいですね。

遅野井:その通りですね。協働日本という看板だけでなく、自分という個人に対して信頼を預けてくれて、もし何かあったらまっさきに声をかけてくれるようなビジネスパートナーが全国に増えていく。これ以上に、安心できるキャリアのセーフティネットはないのかもしれません。

ーー今日は色々なお話をお伺いできました。ありがとうございました。

遅野井:本日はありがとうございました。協働日本ももっと大きくなっていくと思います。

より多彩な人材が集い、多くのチームが編成され、多様性を広げていく先に、あっと驚くような事例が日本中で生まれていくと信じています。

遅野井 宏
Hiroshi Osonoi

コマニー(株) 間づくりエバンジェリスト

大学卒業後、キヤノン(株)入社。レーザープリンターの事業企画を10年間担当後、事業部IT部門で社内変革を推進。2012年日本マイクロソフト(株)に入社し、働き方改革専任のコンサルタントとして製造業の改革を支援。2014年から(株)オカムラに入社。WORKMILLプロジェクトを立ち上げ、統括リーダーを務めながら「WORKMILL with Forbes Japan」「WORKMILL WEBマガジン」を創刊、編集長を務める。2019年4月よりDX推進室の発足と同時に室長に就任し、オカムラの全社DX推進を担当。同年2月から(株)point0取締役を兼務しコワーキングスペースpoint 0 marunouchiにおいて企業間共創を推進。
2023年3月より現職。

働き方、ワークプレイス、コワーキング、DX推進、デジタル人材育成

人生のWHY
すべての人々が、等しく、最高の意義をもって人生を生きられる社会をつくる

遅野井 宏氏も参画する、協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 向縄一太氏 – 「浪漫」と「算盤」で地域を変える –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。今回インタビューするのは協働日本で、地域企業に対するマーケティング支援を行っている向縄 一太(さきなわ いちた)氏です。

花王(株)で18年以上一貫してマーケティング業務に従事し、国内衣料用洗剤(アタック、ニュービーズ)ブランドを担当してきた向縄氏。

タイでの海外駐在を経て、アジアホームケア事業(マジックリン)のシニアマーケターとして、アジア7ヵ国を担当し、事業戦略・マーケティング戦略等(商品開発含)の立案を推進してきました。

そんな向縄氏は現在、インドネシアに駐在し、経営戦略・事業戦略立案・実行、既存ブランドの推進を行っています。

協働日本が行っているマーケティング支援の中心メンバーとして活動し、複数のプロジェクトをマネジメントする向縄氏が、協働日本に参画したきっかけはなんだったのか。地域企業とのエピソードや、企業支援で大切にしている想い「浪漫と算盤」をインタビューで語りました。

(取材・文=郡司弘明)

大切にしているのは、起点となる「浪漫」

ーー本日はよろしくお願いします。いくつものプロジェクトでマーケティングの知見や経験を活かした支援を行っている向縄さんですが、あらためて普段のお仕事についてぜひ教えてください。

向縄 一太氏(以下、向縄):よろしくお願いします。普段の仕事もマーケティングに関わる仕事をしています。花王で18年以上一貫してマーケティング業務に従事してきました。

現在は、PT.Kao Indonesia(インドネシア駐在)へ出向し、経営戦略・新規事業の立案・実行、主要ブランドのマーケティング/商品開発のサポートを行っています。

ーーインドネシアから日本各地の企業をご支援しているのですね!

向縄:はい。インドネシアと日本では2時間の時差があるのですが、リモート中心での伴走支援ということもあり、特に支障なく協働日本の活動も行えています。

ーー協働日本で実際にどんな取り組みをされているか教えてください。

向縄:現在、5つのプロジェクトを通じて各地域の企業様をご支援しています。私が各企業様と行っている事は、抽象的に述べますと、「浪漫」と「算盤」の伴走になります。

ーー「浪漫」と「算盤」ですか。それはどういった意味なのでしょうか?

向縄:企業様が持たれている浪漫(WHY : Purpose , Vision)を、伴走型支援によって明確にしていき、それを算盤(HOW:事業戦略・マーケティング戦略・戦術)に落とし込み、それを活用して実現に向かってご一緒する活動をしています。

マーケティングの協働プロとしてプロジェクトに参画していますが、算盤に集中するのではなく、起点となる「浪漫/想い」の部分を大事にして活動しています。

ーーなるほど。地域企業を支援する中で向縄さんが大切にしている2つの視点がまさに「浪漫」と「算盤」というわけですね。実際のお取り組み事例についてもぜひお聞かせください。

向縄:お取り組み先の1社が、滋賀県草津市にある「株式会社くさつビル」さんです。地元草津市で不動産の賃貸や売買を行っている会社です。

そのくさつビルが手掛ける、地域のデジタル教育に関わる新規事業に立ち上げから伴走しています。

ビジネスモデルの設計から新会社の設立を経て、現在は「ミラポ」という小学生向けプログラミングスクールがスタートしたところです。

ーーくさつビルさんとの取り組みでもまず大切にしたのは、浪漫(WHY : Purpose , Vision)でしょうか?

向縄:その通りです。くさつビルのWHYの部分である想いについて、事業者自身がありたい未来像を描けるようしっかりと時間を割き、サポートしました。

打ち合わせを重ねていき、新たに不動産を活用した教育事業に取り組み、地域を活性化させていきたいという未来像が言語化されました。

向縄:くさつビルの事業の中心である不動産業から、教育事業への参入ですから一見すると、飛び地の事業のようですが、そこには「地域を活性化させたい」「草津を盛り上げていきたい」という浪漫が根底にあります。

そこまで明確にできれば、あとは自身のマーケッターとしての経験を活かして、算盤(HOW:事業戦略・マーケティング戦略・戦術)をともに作り上げていく番ですね。ビジネスモデルを構築しつつ、サービスのコアとなる顧客とそのニーズをより明確に特定していきました。

ーー緻密に顧客のニーズを確かめていったことで、算盤が磨かれていったのですね。

向縄:特に、顧客となる親と子供の気持ち・課題感を顧客インタビューを実施する事で掴んだことで、サービスがどんどん磨かれていきました。その他にも、具体的なアウトプットとして新会社のブランドの規定や、ロゴの開発、ホームページの開発、サービスのブラッシュアップ等の立案サポートを行っています。

ーー向縄さんの大切にしている「浪漫」の言語化から「算盤」構築へのプロセスがまさに形になっている事例ですね。その他のお取り組み事例についてもぜひお聞かせください。

向縄:静岡県の沼津三菱自動車販売株式会社ともお取り組みさせていただいております。沼津三菱は静岡県東部や伊豆エリアをカバーする三菱自動車正規ディーラーです。

沼津三菱様が新たに立ち上げた「Gran Works」というコーティングサービスのマーケティング戦略・戦術立案をご支援させていただいております。

ここでもサービスの更なる発展に向けてまず、沼津三菱様のWHYとなるパーパスとありたい将来像、内に秘める「浪漫」を明文化するためのサポートを行いました。

その後、お役立ちしたい顧客(WHO)の特定に向け消費者インタビュー・従業員の方へのヒアリング・顧客調査を実施したことで、ターゲットとする顧客像を特定することができました。

Gran Worksとしての提供価値をしっかりと定義したことで、そこからの具体的な戦略が明確になっていきました。

具体的な顧客サービスであるコーティング、洗車、そして未来に実行していくサービスの開発にまで踏み込ませていただきました。そのほか計画立案と並行して、プロモーション支援として、ホームページ作成(文言・構成)や顧客へのトーク内容の整理等のサポートなども行っています。

現在は、顧客のロイヤルユーザー化を図るための顧客情報管理等の仕組み化についても議論をしているところです。

地域を活性化させたいという想いに「共振」した

ーー向縄さんが協働日本に参画するきっかけはどんなものだったのでしょうか?

向縄:協働日本で共に取り組む事を決めた理由は、大学院の先輩である村松さんが協働日本を立ち上げて地域企業の伴走支援事業を行おうとしていることを知り、そこで「地域の活性化」への想いを聞き、「共振」したためです。

ーー面白い表現ですね。「共振」ですか。

向縄:はい。自分の想いや関心といった、心の波紋が外へ広がっていくタイミングに、村松さんの熱い気持ちの波紋が重なって、波紋が合うような感覚があったんです。共感よりも強く、「共振」しました。

当時から海外事業を担当していたので、何度も海外に赴いていた中で、海外には素晴らしいモノがたくさんある事に気づくと同時に、日本にはまだまだ世界に誇れるものがいくらでもあると思っていました。

それをもっと引き出して活性化させていくことができれば、日本全体が活性化していくのではと思っていました。

ーーそのためにはどんなことが必要だと考えますか?

日本の「優位性」ではなく、「独自性」をもっと引き出していくことですかね。

たとえば、衛生的で便利な機能が詰め込まれた「日本のトイレ」の技術は世界的に有名ですが、海外のトイレも急速に進化してきていています。日本の標準に世界が追いついてきているんです。つまり「日本のトイレ」が綺麗という「優位性」は失われつつあります。

一方で、日本の地方で大切に紡がれてきた伝統や文化、歴史は「独自性」と言えます。これには地域に根ざして、歴史を重ねてきた老舗企業も含まれます。

こういったものは、簡単に真似することは出来ません。だからこそ地域で頑張っている企業の内に秘めた浪漫を言語化し、算盤を磨いていくお手伝いをしたいと思いました。

インドネシアにいると、刻一刻と社会の進化や変化を実感します。優位性だけで戦おうとすると、すぐに追いつかれてしまうのではという危機感は以前に増して強くなりました。

胸に秘める「浪漫」を「夢」で終わらせない

ーー向縄さんが協働日本での活動を通じて実現したいことを教えてください。

向縄:私の人生の意義、人生の「Why」は「身近な人・地域に笑顔溢れる日常を創造する」ことです。

自分が関わる事で、自分の影響力は小さな波紋程度かもしれませんが、それが多く、そして合わされば、大きな波紋になると思っています。それなので、多くの企業様に伴走する事で、関わる人の日常に、そして、その方々が関わる地域・社会に笑顔が生まれる、そんな関わり方をしていきたいと思っています。

ただし、「浪漫」だけでは、それは「夢」で終わってしまいますので、企業様の過去の知見・技術、またチームメンバーの知見・技術、私が過去に経験してきた事・学んできた事を全て出し切り、チームで「算盤」を活用して、浪漫を現実に実現していきたいと思います。

実際、5つのプロジェクトに関わらせて頂いていますが、各企業様、その想いに向かって突き進まれているので、私のWHYの部分の実現にも繋がっていると思っています。

取り組みを通じて日々、知の移転が行われている

ーー取り組みを通じて、協働パートナー企業の変化を感じるときはどんなときですか?また、どんなときに協働プロとしてやりがいを感じますか?

向縄:協働先のパートナー企業の変化としては、大きくは2点感じています。

1つ目は、お取り組みさせていただいた企業のみなさんが、「浪漫:Purpose」を起点に事業を組み立てることができるようになり、それを言語化して、自ら社外に語れるようになったことです。

ホームページ・SNSの運用を通じて、社外へのアプローチしている時にご自身の言葉で明文化してきた想いを語る姿を見て、とてもやりがいを感じました。

2つ目は、以前に増して企業のみなさんが「顧客志向:WHO」を意識されて話されるようになっている事だと思います。常に、誰が顧客で、顧客の方が何を考えられているのか、そこを意識された上で、戦術部分を検討・実行されるようになりました。

一緒に伴走しながら、自身の思考プロセスやノウハウを伝えてきたので、パートナー企業が自立して行く姿を側で見れたことはとても嬉しい変化でした。協働日本の伴走型支援の目指しているところでもあるので。

ーー向縄さんご自身も、協働日本に参画したことで生まれた変化はありましたか?

向縄:自身の変化としては、実は色々な事業に関わらせてもらいながら、同時に自分と向き合う事ができ、事業家としての視点を1段も2段も引き上げて頂いているように思います。

熱い経営者の想いや経営課題をお聞きする事で、「自分はどうなのか?」という内省だったり、「この視点はなかったから、この視点を持って事業を考えてみよう」という気づきを毎回得られます。

また、一緒に協働している協働日本メンバーの知見や考えを聞く事で、事業家としての力が格段に上がってきているようにも思います。それなので、一方通行ではなく、双方向で、知の移転が行われているように思います。

少し、エモーショナルな話で言えば、関わらせて頂いている企業様の地域にとても興味が湧き、住んでもいないのに、勝手にその土地に愛着が産まれている事です笑 滋賀県、静岡県、鹿児島県、石川県・・・・今はインドネシアに住んでいますが、帰国後は絶対行きたい県です。

協働日本は今後、企業や組織を越えた存在に

ーー最後に、向縄さんは協働日本は今後どうなっていくと考えていらっしゃいますか?

向縄:「 関わる人が活性化するプラットホーム 」として、一つの企業・組織を越えた存在になると思っています。

地域や企業、複業人材、などの要素が交わり有機的に繋がりつづける「場」になることで、つながるのは地域の企業と協働日本だけではなくなっていくと思います。

町や市、県といった地域や、色々な業界、地域の名産品や観光地もこのプラットフォームに集いだしています。これからも一緒に日本を活性化していきたい人達が集まる場になっていく事を期待しています。

ーー今日は色々なお話をお伺いできました。ありがとうございました。

向縄:本日はありがとうございました。

向縄 一太
Ichita Sakinawa

花王(株) Senior Manager ※現在 PT.Kao Indonesia(インドネシア)に出向中 

大学卒業後、花王(株)で18年以上一貫してマーケティング業務に従事。国内衣料用洗剤(アタック、ニュービーズ)ブランド担当、タイでの海外駐在を経て、アジアホームケア事業(マジックリン)のシニアマーケターとして、アジア7ヵ国を担当し、事業戦略・マーケティング戦略等(商品開発含)の立案を推進。現在は、インドネシアに駐在し、経営戦略・事業戦略立案・実行、既存ブランドの推進を行う。

専門領域

経営戦略、事業戦略、マーケティング戦略、商品開発、市場調査(消費者インサイト発掘)

資格:日本マーケティング協会認定 マーケティング・マスター

人生のWHY
自分が関わる人の 「笑顔溢れる日常」 を創造する

向縄 一太氏も参画する、協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で、地域企業に対して、経営やマーケティングに関わるデータの解釈や分析をサポートしたり、デジタルツールの活用方法をレクチャーするなど、デジタル領域に関連した支援を行っている横町 暢洋(よこまち みつひろ)氏です。

大学卒業後、NECソリューションイノベータ(株)で携帯電話及びパソコン向けソフトウェア開発に従事。その後2015年から日本電気(株)を 兼務し、サービス事業創出・開発・運営に従事。現在は、一次産業のデジタルトランスフォーメーションを推進し、AIを活用して養殖業などの一次産業の人手不足であったり、デジタル化が進んでいない領域の課題解決にも取り組んでいます。

協働日本でも、デジタル支援のほか、プロジェクトマネジメントとしても参画している横町氏。
「地方を元気に」という想いを実現するべく協働日本に参画したエピソードや、実際の取り組んでいる地域企業とのプロジェクトで感じた変化、得られた気づきや学びをインタビューで語りました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本に参加したことで生まれた自分自身の変化

ーー本日はよろしくお願いします。協働プロとして、地域企業のデジタル活用の文脈から数多くのプロジェクトで大活躍されている横町さんですが、普段のお仕事や、取り組まれていることについてぜひ教えてください。

横町 暢洋氏(以下、横町):よろしくお願いします。NECソリューションイノベータで、ソフト開発をする50名程度の組織の部門長をしています。

会社から半期ごとに示される予算計画に対して、達成するための戦略を考えたり、組織のメンバーの変革に挑戦してみたりといった仕事もありますが、時に現場でソースコードを見たりすることも。

会社で新しい働き方を自ら実践して、それらを会社に提案する、なんてことも自分の仕事だと思って積極的に取り組んでいます。

ーー横町さんは北海道など日本各地で、一次産業支援のお仕事にも取り組まれていると伺いました。どんなお取り組みなのか、ぜひこちらもお聞かせください。

横町:元々、海とか魚が好きなこともあり、大学で水産を学んでいたのですが、ITの魅力にひかれて、この会社に入りました。ただ、意図せず、今は、AI×一次産業の掛け算、特に養殖業の分野で人手不足であったり、デジタル化が進んでいない領域の課題解決に取り組んでいます。今は、魚群による魚病の予兆などに、部門として取り組んでおり、難しいことばかりで、なかなか簡単に成果が出るものではないですが、とてもやりがいを感じています。

ーーなるほど、期せずして学生時代から興味のあった分野と現業が結びついたのですね。また、横町さんは会社の中でも新しい働き方を積極的に取り入れていると伺っています。

横町:新しい働き方という文脈では、近年「ワーケーション」に会社のメンバーと取り組んでいます。スタートした時は、たった一人で実践していたのですが、興味を持ってくれそうな人を探して、お誘いしてチームを作り、会社の上層部に話を通して、今年に入って秩父と鹿児島でワーケーションを実施しました。

ーー会社員としても、積極的にユニークな働き方を実践されていますね!

横町:コロナでコミュニケーションの量が減っていた同僚同士が、働く場所を変えて会話が弾み、一緒に露天風呂に入りながら仕事の話をしているのを見て、とても嬉しく思いました。社内でも少しずつ仲間が増えてきたので、活動の輪を広げていきたいと思っています。いずれは、会社の制度として導入するところまでを目指しています。

それ以外にも人材育成の側面で、スパイスアップジャパンの豊田さんと連携させて頂き、ミッショングローバルオンラインというプログラムを導入して変革人材の育成に挑戦してみたり、来年度からは新しい越境学習のプログラムも社として参画できないかと思って準備しています。

協働日本で働く前は、ここまで積極的に会社を変えたいと思って行動するタイプではなかったので、協働日本に参画して、自分自身もだいぶ感化されているなと思っています(笑)

協働プロとしての活動からの学びを本業に還元

ーー会社員を続けながら、複業として協働日本に参画している横町さんですが、こういった働き方や得られた知見などを、周囲のメンバーに伝えることもあるのですか?

横町:NECは申請すれば複業OKなので、協働日本で働いていることはオープンにしています。実は部門のメンバーの数名に、協働サポーターとしてプロジェクトを支援してもらっていますし、協働プロの活動を通じて学んだことは、部門のみんなに共有しており、協働プロとしての活動は積極的に社内に還元しています!

周囲にはエンジニアが多い環境なので、こうして関わってくれるメンバーにとっても、マーケターや事業開発、クリエイター、Webデザイナーなどからの学びは、今の組織にはない考え方が多く、良い学びになっていると思いますよ。

あのとき思い切って飛び込んだから今の自分がある

ーー横町さんが協働日本に参画するきっかけはどんなものだったのでしょうか?

横町:NECの同僚から協働日本代表の村松さんを紹介されたことがきっかけです。

ちょうど村松さんが協働日本を立ち上げて独自のスキームで地域企業の伴走支援事業を始めようとされていたタイミングだったこともあり、会社員としてこれまで培ってきた経験を活かして、複業という形で「金沢の老舗企業を一緒に伴走支援しない?」と誘ってもらえたんです。

それが協働日本としても最初の協働事例でもある、石川・金沢で1875年の創業から140年以上続く、かぶら寿しで有名な老舗の発酵食品専門店の四十萬谷本舗さんとのお取り組みでした。そこから、四十萬谷本舗さんの抱えていた課題に応じて編成された、協働プロによるプロジェクトチームの一員として協働日本に正式に参画し、伴走型支援に取り組むことになりました。

ーー村松さんとの出会いが、地方を元気にしたいという想いを実現できるきっかけになったんですね。四十萬谷本舗さんとのお取り組みは今も継続しているのですか?

横町:はい、今も継続的にお取り組みさせていただいております。初めて四十萬谷本舗さんを訪問した時、先方が冬の忙しい時期だったこともあり、朝5:00に顔合わせの挨拶をしたのを今でも覚えています(笑)

そこから自分自身、経営者のために一生懸命提案を考える中で本当に成長させていただきましたし、実際に現地に行って、仕事を通じての繋がりだけでなく、いち友人としても繋がらせていただきました。今振り返っても本当に思い切って飛び込んでよかったと思います。

もともと、NECソリューションイノベータで働いている中で、漫然と地方を元気にしたいとずっと思っていました。会社員として仕事をしている中で日本を見渡して見たとき、地方拠点から少しづつ元気がなくなってきている感覚があり、地方拠点と首都圏での熱量的な差を感じていたからです。

そんな想いを抱えていた私が、行動できたきっかけは「村松さんという面白い人に誘われたので、そこに飛び込んでみよう」というシンプルな話だったのです。それでも一生懸命に取り組んだことで、「地方を元気に」という長年の想いを行動に移すことができました。悩んでいる人はどんなきっかけであれ、行動してみることが大事ですね。

デジタル領域のプロとして全国の企業に向き合う日々

ーーここからは、協働日本での活動についていくつかお聞きしたいと思います。横町さんは、どのような分野で地域企業をご支援されているのでしょうか。

横町:本当は得意なIT業務で支援したいところですが、直接的なIT業務での複業は禁止されていることもあり、デジタル領域に関連したデータの見方を支援したり、そこから得られたデータの解釈をともに行うといった支援が中心です。また、デジタルツールの活用支援も専門としています。デジタル領域以外では、協働プロをまとめ、プロジェクトの方針や戦略を策定するプロジェクトマネジメントとしても参画しています。

ーー現在は何件ほどプロジェクトに参画していらっしゃいますか?

横町:現在参画している案件数は11件ですね。デジタル領域の支援と、プロジェクトマネジメントの割合は、半々くらいです。活動自体は、平日の夜と、たまに週末も使って週に1回ペースでの打ち合わせをしています。

ーーなんと、11件!まさに大活躍ですね。ぜひいくつか実際の取り組み事例をご紹介ください。

横町:協働プロによるチームを編成し、その一員として協力しあいながら、パートナー企業とも伴走支援というスタイルをとっていることで、会社員として時間的な制約がある中でも、ひとつひとつの案件にしっかりと向き合うことができています。

取り組み事例のひとつとして、鹿児島県からの委託事業でオービジョンという企業をご支援しています。オービジョン様は鹿児島の農畜産物産直ECサイト「かごしまぐるり」を運営しており、それを伴走支援するプロジェクトのプロマネとして参画しています。「かごしまぐるり」を運営されている大薗順士さんは、想いと行動力に溢れ、生産者様のことをいつも本気で考えている鹿児島最強の育メン経営者です!

そのプロジェクトでは特に、大薗さんが行う現状整理と目標設定、目標達成へ向けた勝ち筋の検討に伴走しています。経営課題の本質を捉え成果を挙げられるよう、プロマネとして一緒に参画しているECサイト運営の知見が豊富な協働プロ2名の力を最大限引き出せるように注力しています。

横町:同じく鹿児島県のサクラバイオという企業と連携して、中高生に「将来働くために役立つIT」を教えるというプロジェクトにも講師役として参画しています。主に、WordPressとデザインを教えており、もうすぐ半年が経過しますが、生徒たちは想像を超える成長を遂げています。

リモートでのレクチャーならではのコミュニケーションの難しさもありますが、講義の前後で雑談をしてくれる子がいたり、講義中はチャットでコミュニケーションをとってくれたりと生徒たちもとても協力的です。実は先日、初めて生徒にリアルに会いに鹿児島まで行きましたが、「あっ、先生って本当に存在するんですね」と(笑)

講義は毎週ありとても苦労しているのですが、所属するNECの後輩たちに手伝ってもらってなんとかやれています。ありがたいことに、会社の後輩たちも、教育の現場で自分たちの経験や知識を活かせることは、普段の業務では経験できない良い経験になっていると言ってくれています。

横町:静岡県の脇役商品という企業が運営しているECサイト「しずまるネット」の運営支援にも取り組んでいます。このプロジェクトでは、デジタル支援担当として、データの見方とか、過去のデータに基づいて、今後の仮説を立てて検証するまでを担当しています。

他の協働プロが主体となって、Webサイトの改善やSEO対策、SNS改善などをおこない、私は、その打ち手によって何がどう変化したかをデータで検証するお手伝いや、仮説立てを伴走支援しています。

ここでも会社の後輩にプロジェクトチームに加わってもらいました。こうしてみると、周囲の力をたくさん借りていますね(笑)

協働日本の取り組みから学べることは本当に多いので、今後も、会社の同僚や後輩で協働日本の取り組みに興味を持ってくれた方とは、是非一緒に取り組んでいきたいと思っています。

データ活用を支援するうちにパートナー企業に変化が

ーー取り組みを通じて、協働パートナー企業の変化を感じるときはどんなときですか?また、どんなときに協働プロとしてやりがいを感じますか?

横町:取り組み先のパートナー企業の一社に「まつさき」という金沢で創業約180年の老舗旅館がいらっしゃいます。その案件には、枦木 優希(はぜき ゆうき)さんがマーケティング領域の協働プロとして、協働日本CSOの藤村昌平さんが事業開発領域の協働プロとして参画しており、私はデータの解釈や分析といったデジタル領域の協働プロとして参画しています。

まつさきのみなさんは、伴走型支援を通じて少しずつご自身で、「お客様は、どういう理由で、まつさきという旅館を選んでくれているのだろうか」とか「お客様は、まつさきをどうやって知ってくれているのだろうか」といった問いを言語化するようになりました。

そうして次第に、データに基づいて「こういう仮説に基づいてこういう打ち手を考えています」というお話をまつさきさんからしてくださるようになりました。

仮説を立てるプロセスの中で、データをどう整理し何を読み取るか、その読み取った結果をどう解釈するかという視点が培われたことで立てる戦略の精度も向上しました。

データはファクトをおさえるためには非常に有効な手段であると思っています。一方で、データは単なる数字なので、その数字をどう解釈するかという点は本当に難しさがありますし、すぐに身につくものではありません。私自身もその難しさをよく知っているからこそ、まつさきのみなさんがそこに向き合って、データ活用に前向きに取り組んでくれたこと自体がとても嬉しかったです。

協働の場を活かして本業にも還元していきたい

ーー横町さんが、協働日本を通じて実現したいことはなんでしょうか?

横町:まだまだ漠然としていますが、先程も述べた「地方を元気に」という想いを実現したいと思っています。その先で、日本が元気になればよいなと思っています。

協働日本での取り組みを通して、日本には本当に良いものがたくさんあって、熱い想いを持った方がたくさんいるということを実感しています。地域の経営者の方はもちろんですが、協働プロも本当に熱い想いを持っている方がたくさんいます。

そういう方との協働を通じて、私の経験が経営者の方々の気づきになればと思っています。自分自身ももっと経験を積んで地域の企業に貢献していきたいと思っています。

あとは、本業にもこの経験をどんどん還元していきたいです。協働日本での私の活動を通して、勤めているNECソリューションイノベータのメンバーも協働日本での取り組みに加わってもらい、私と同じような経験をしてもらうことで、もっともっと良い会社にしていきたいと思っています。

勤め先のNECソリューションイノベータという会社が好きなので、こういった機会を活かして多くのメンバーに成長してもらい、企業としてもさらに成長していってほしいと本気で思っています。

複業という形で二足のわらじを履いている自分だからこそできることだと思いますし、そこから周囲にいろいろな変化を生み出していくことも私の使命ですね。

広い視野で仕事をしたことで自分自身が大きく変われた

ーー協働日本に参画して生まれた、横町さんご自身の変化を教えてください。

横町:私は就職して以来、ずっと一つの企業に勤めているので、他社の経営者の考え方に触れたり、様々なバックグラウンドを持つ協働プロの考えに触れたりすること自体が刺激になっています。会社の中だと良くも悪くも、目の前の業務を通じてしか会社の経営に触れられず、視野が狭くなりがちです。

協働日本の伴走型支援では、経営者と同じ目線に立って、マーケティング支援、事業開発支援、はたまたECサイト業務支援といったプロジェクトなど広い視野で取り組まなくてはいけません。そのため、今まで鍛えたことがない筋肉を日々鍛えている実感があります。

特に、マーケティング支援のプロジェクトに関わったことで、目の前の業務の先にいる、「お客様」のことを考え抜くようになりました。これも自身の大きな変化ではないかと思っています。

あとは、NECソリューションイノベータの方でも変化は大きいと思っています。会社員的な変なことに忖度をしなくなり、自分が正しいと思ったことや、やりたいと思ったことを口に出せるようになりましたし、何よりフットワーク良く行動できるようになったと思います。

社内へのワーケーションの導入へ向けた取り組みであったり、新しい社員教育プログラムの導入であったりと、昔の私ではここまで短期間では行動できなかったと思います。

私自身、まだまだ、「これを掴んだ」とか「ここが成長した」という意味では満足していませんが協働日本の立ち上げから今まで、何とかやれているなという点は自信にもなっていますし、気が付けば11案件をこなしているということも自信になっています。

協働日本には、実績も経歴も申し分ないような、まさに錚々たる協働プロメンバーが所属しています。一方で私は本当に普通の人間だと思っています。

そんな、私が、ここまで変わってこれたのは、協働日本での取り組みがあってのことだと思っており、ぜひ、このような体験を、「自分では無理だよ」と思っている人にこそ、経験してほしいなと思っています。

協働日本は変化し続け、ここからとんでもないことが起こる

ーー本日はインタビューありがとうございました!それでは最後の質問です。横町さんは、協働日本は今後どうなっていくと考えていますか?

横町:うーん。正直よめないですが(笑)少しずつ、毎年変わっていくと思います。

きっと協働する企業もどんどん増えていくでしょうし、チームを組む協働プロも協働日本の取り組みに共感した様々な人が加わってくれると思います。

そうして新しい人が増えると新しい感性が加わって、提供できる伴走支援の幅が広がる。そこから生まれたひとつひとつのユニークな取り組みが、地方を起点として、少しづつ日本全国に広がり、日本が元気に、そして熱くなるのではないでしょうか。きっと良い方向に変わり続けていくのだと思います。

自分のスキルや経験を活かして「xxxを良くしたい!」という熱い想いを持った方は、日本にたくさんいると思っています。ただ、誰かが背中を押してくれたりしないと行動できない方が多いのかもしれません。私も以前はそうでした。

今後、協働日本が地域企業との出会いの場を提供し、想いを形にする後押しができれば、将来とんでもないことを起こせる、とんでもない会社になるのではと期待しています。

横町 暢洋
Mitsuhiro Yokomachi

NECソリューションイノベータ シニアマネージャー

大学卒業後、NECソリューションイノベータ(株)に入社、携帯電話及びパソコン向けソフトウェア開発に従事。2015年から日本電気(株)を 兼務し、サービス事業創出・開発・運営に従事。2019年より組織リーダに就任し、一次産業のデジタルトランスフォーメーションも推進。

専門領域
ITを活用した業務改善・効率化、ソフトウェア開発、サービス事業開発・運営

人生のWHY
人生に失敗はなく、常に挑戦あるのみ

横町 暢洋氏も参画する、協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本にてマーケティングを通じた企業支援に取り組む枦木 優希(はぜき ゆうき)氏です。

米国の大学を卒業後、大手飲料メーカーのサントリーへ入社し、オールフリーをはじめとする人気ブランドの戦略策定や新製品開発などを経験。その後、外資大手食品メーカーのダノンや、マースジャパンでマーケティング、ブランディングの経験を積み、その後はアマゾンジャパンでAmazon Prime Videoのマーケティング戦略のシニアマネージャーとして活躍。

現在は独立し、フリーランスのマーケターとして企業、NPOなど複数社のクライアントに対しマーケティングプロジェクトのマネジメントや戦略策定、アドバイザリー業務などを行っています。

協働日本でも、全国の様々な業種業態の地域企業と協働に取り組んでいる枦木氏。協働日本に参画したきっかけや、実際の取り組みの様子、これまでのキャリアの軌跡など、今後、協働日本を通じて実現したい想いと共に、インタビューで語りました。

(取材・文=郡司弘明)

枦木優希氏(写真右)と、パートナー企業で400年以上の歴史を持つ「荒木陶窯」15代目 荒木秀樹氏(写真左)

全国各地の地域企業とご一緒できることは、やりがいも学びも多い

ーーよろしくお願いします。枦木さんはこれまで、数々の有名企業でブランド戦略の策定などを推進し、マーケッターとして活躍されてきたと伺っております。現在のお仕事について教えてください。

枦木 優希(はぜき ゆうき)氏(以下、枦木):よろしくお願いします。いまは地域事業者を支援する協働日本での活動のほかに、数社とマーケティング関連のプロジェクトマネジメントや戦略策定、アドバイザリー業務などを行っています。

一社は、デンマークのブランドエージェンシーでブランド戦略の策定を通じて、大企業からスタートアップ、政府機関など幅広く支援をしています。他には、社会的価値とビジネス価値の両立を目指すソーシャルスタートアップでマーケティング戦略のアドバイザーとして働いたり、子どもの放課後をより豊かにすることに取り組むNPOでも活動しており、ここでもマーケティング領域での支援を行っています。

そのほか、都度、様々なマーケティングに関するご相談を企業や個人の方からいただいて、マーケティングに関するアドバイザリーなどをさせていただいています。

ーーまさにプロのマーケッターと呼ぶべきご活躍ですね。現在、協働日本でマーケティング領域のプロフェッショナル(協働プロ)として携わっているプロジェクトはいくつありますか?

枦木:現在、協働日本では5つのプロジェクトを通じて、各地域の企業をご支援しています。それぞれの企業の課題に応じた協働プロによるチームを編成し、その一員として協働型の伴走支援を行っています。

ーー支援先企業は近い業種や業態なのですか?実際に取り組まれていてどのように感じていますか?

枦木:支援先の企業はそれぞれ業種も業態もバラバラです。地域もそれぞれ異なります。しかしどの企業も素晴らしい商品やサービスを持っていて、協働日本との取り組みにも前向きに取り組んでくださっているので、ご一緒している私自身もやりがいがありますし、学ばせていただくことも多いです。

より「人と人との繋がり」が感じられる活動に参加したいという思いが強くなっていた

――枦木さんが協働日本に参画するきっかけはどんなものだったのでしょうか?

枦木:協働日本に参加する前に通っていた「大学院大学至善館」での学びが間違いなくひとつのきっかけです。協働日本代表の村松さんと出会ったのも、その大学院でのご縁でした。

至善館では、哲学、宗教社会学、システム思考、公共政策など幅広い分野をリベラルアーツの一環として学べるカリキュラムだったのですが、そこでの学びを通じて、今まで当然だと思っていて深く考えず前提にしてしまっていた事柄が相対化され、色々な気づきがありました。

その中で資本主義的な物の行き過ぎや、大きなシステムの中に個人の生活が取り込まれてしまうことへの課題意識が自分の中に生まれました。

より人と人との繋がりが見えたり、感じられるコミュニティ起点の活動に参加したいと思っていた中で、卒業生である村松さんが協働日本を立ち上げて独自のスキームで地域企業の伴走支援事業を行っていることを知り、意義に共感して参画を決めました。

――協働日本へ参画したことで枦木さんご自身の変化や、新たに獲得した視点などはありますか?

枦木:今まで複数の企業で働いてきましたが、その中で体験した変化や組織毎の違いと比較しても、協働日本でご一緒する企業が持っている志や背景、課題はより多様で、それぞれがよりユニークだと感じています。

日々のプロジェクトの中で新たな発見があり、自分自身の視野が広がるのがとてもありがたいと思っています。

また、日本のそれぞれの地域が本当に様々な価値を持っていることに気づきます。その多様性が画一的な何かに飲み込まれるのではなく、生き生きと持続していく未来に少しでも貢献できればと思っています。

これまで大切にしてきた強みと、マーケティング思考が組み合わさることで変化が生まれた

ーー枦木さんと地域企業の取り組みについて、全国で素敵な変化が生まれているようですね。いくつか実際の取り組み事例をご紹介ください。

枦木:取り組み先のパートナー企業の一社に「まつさき」という金沢で創業約180年の老舗旅館がいらっしゃいます。こちらとは半年近くプロジェクトで関わらせていただいております。

取り組みのきっかけは、新型コロナウィルスの感染拡大の影響もあり、社会情勢やライフスタイルが大きく変わる中で、旅館業としてのパフォーマンスを改善していきたいという先方の課題感でした。

協働日本と取り組みをスタートさせた直後から、課題となるテーマの洗い出しをしていくと、平日の稼働率の向上が柱になりそうだということが分かってきました。
今はさらに客単価の高いお客様に来ていただくための価値づくりや、情報発信などの戦略も組み合わせ、複合的な課題にチームで向き合っています。

ーー枦木さんの気付きや、「まつさき」さまに生まれた変化はありましたか?

枦木:歴史も伝統もあり、それに裏打ちされた確かなおもてなしがある。これはまつさきさんの一番の強みだと再認識しました。

世の中の動きの中で、価値がうまく伝わらなくなっていたり、昔ながらのやり方を少し工夫するだけで、その本質的な価値が、再びお客様に伝わるようになってくると思っています。

まつさきのみなさんは、マーケティング上、欠かせない「お客様視点」を元々しっかりと持たれていました。
そのため我々が、フレームワークや仮説立て、検証方法など、新たな視点を提供し、一緒に議論を進めるなかでみなさんの中で生まれた気づきが、これまで大切にしてきた強みとうまく組み合わさり、良い方向に変化が生まれ出してきています。

この変化は、週に1回の打合せの中でも日々変化を感じているところです。外部の目を取り入れたことで大小様々な好循環、化学反応が起きはじめています。

ーー老舗企業の経営者にとって、会社の存在意義や理念をあらためて徹底的に議論できる相手がいることはとても心強いですよね。

枦木:我々協働日本が、孤独な戦いも多い、挑戦する経営者にとって心強い伴走相手になれていれば、こんなに嬉しいことはありません。1936年創業の金沢の老舗家具販売会社「山岸製作所」もパートナー企業の1社なのですが、代表取締役の山岸晋作さんの新しい挑戦に我々も伴走させていただいております。

代表の山岸さんはいま、会社を大きく変えようとされています。それは、輸入家具やインテリアの販売、内装工事設計・施工というこれまでの主力事業を強化するだけでなく、「豊かな生活」そのものを提案できる会社への進化です。

そこで重要なのが、ブランディングを強化していくこと。ブランディングを考えるにあたってまず、山岸製作所自体の提供価値を考えることからご一緒しています。日頃の多忙な業務に追われていると、「山岸の提供する価値」はという本質的な問いを深掘りする時間がなかなか持てませんが、週に一回の伴走型支援の場で我々を壁打ち相手として活用いただき、山岸製作所のブランド価値の言語化を進めていただいています。

週に一回の時間を使って、事業開発と並行して、企業価値そのものの言語化を進めてきたことは様々な好循環を生み出しており、お客様に対するエクスターナルなブランディング施策だけてなく、インターナルブランディングも着実に進みだしています。

400年の歴史と持つ伝統事業者とともに次の時代の新しい価値を作る

ーー枦木さんは、400年を超える歴史を持った薩摩焼の伝統事業者である「荒木陶窯」さまとも協働に取り組んでいます。ぜひこちらも取り組みの様子を教えてください。

枦木:先日、鹿児島へ赴き、現代の名工でもあるご主人の荒木秀樹さんと直接お会いしてきました。
取り組み自体はちょうど2ヶ月目を迎えたところなのですが、実際に窯元を見学させていただき、お話をじっくりと伺っていく中で様々な事が見えてきました。

荒木さんご自身も、薩摩焼の伝統窯として伝統的な価値を守りつつも、時代に合った新しい価値を作っていきたいという想いを強く持たれており、このお取り組みからぜひ新しい「荒木陶窯」の価値を作っていけたらと思っています。

ーーそれはどういった背景からでしょうか?

枦木:インターネットの普及などにより、従来の販売チャネルが急速に変化し、自社EC など新たな購買チャネルへの対応も迫られるなか。お客様に対して荒木陶窯の提供する新たな価値や想いをどのように表現していくべきか。歴史ある伝統的な窯元であるがゆえの悩みに直面されていました。

伝統と技術に裏付けされた評価も既にあり、鹿児島の特産品としての人気も高く、「薩摩焼といえば荒木陶窯」という文脈の中でたくさんのお客様がお店を訪れてくれていました。

しかし、先述の変化の中で、長い歴史に裏打ちされた価値、15代目である秀樹さんが新たに創りあげようとされている価値を、新たな受け手を想定しながら言語化し、適切な形で伝えていくことが一層重要になってくると感じました。

いかに荒木陶窯の新しい挑戦の本質的な価値を言語化し、製品を含めた包括的な体験としてお客様に届けるか、マーケッターとしての自身のこれまでの経験を活かしたいと思います。

新しい視点や切り口が化学反応を生む瞬間にワクワクも生まれる

ーーお取り組みを進めていく中で、パートナー企業の変化を感じる瞬間はありますか?

枦木:プロジェクトの初期段階はお互いを理解するフェーズで少し緊張感があったりもしますが、一度一つのチームになると色々なことが有機的に進み始める感覚があります。それが「協働」というアプローチの良いところだと感じています。

プロジェクトでご一緒される経営者の皆さんは、誰よりも事業のことを考え、日々、試行錯誤をされています。事業に対しての志を共有しながらも、協働メンバーが提供する新しい視点や切り口が化学反応を生み、経営者の方がワクワクし始め、チームとして取り組みが進み始める瞬間に立ち会えると嬉しくなります。

国内外の企業で積み重ねてきたマーケッターとしての経験を活かしていきたい

ーーそんな枦木さんはこれまでマーケッターとしてのキャリアをどのように歩んできたのか、これまでのキャリアについてもお聞かせいただけますか。

枦木:大学時代はアメリカで過ごしており、テキサスの大学を出ています。卒業後は日本でサントリーに入社しました。 そこで飲料やビールのブランディング業務に携わることになりました。

ものづくりがしたい、その商品の価値を広めていきたい、という思いで入社した会社でしたので、希望する部署で仕事ができたことは、本当に幸運でした。 

ーーその後、ご転職をされたわけですが、どんなことがきっかけだったのですか?

枦木:沢山のことを学んだ会社で、入社から多様な製品やプロジェクトに関われたことは大きな財産となっています。

6年ほど勤めているなかで、マーケティング、ブランディングの領域を自身のキャリアとして考えるようになりはじめました、「他の会社ではどんなアプローチをとっているのだろう?」などと色々興味が出てきて、まだ、血気盛んな若者だったこともあり(笑)、最初の転職を決意しました。

ーーその後のキャリアについてもぜひお聞かせください。

枦木:転職先のダノンジャパンではブランドマネージャーとして子ども向けのヨーグルトのブランドを担当することになり、より広くマーケティング、ブランディングの経験を積むことができました。自分のアクションやその結果がよりダイレクトな形で自分に戻ってくる、外資系企業ならではの面白さを知ったのもダノンでの経験でした。

そこから、マースジャパンで複数のブランドをマネージメントする役割につき、メンバーの育成や、複数のマーケットで展開するグローバルプロジェクトをリードする経験を得ることもできました。

その後、楽天に転職してマーケティングのキャリアを積む一方で、大学院に通いはじめ様々な学びを得たことも、冒頭でお伝えしたように、その後のキャリアを見つめ直すきっかけになりました。

仕事の方では、アマゾンジャパンの動画サブスクリプションサービス、Amazon Prime Videoのマーケティング戦略のシニアマネージャーとしての仕事を経験し独立、現在という流れです。

いま協働日本での協働を通じて、日本の地域企業や老舗企業の可能性を広げ、価値を最大化していく取り組みをしていますが、これ自体もWHYの部分に共感してスタートした取り組みなので大きなやりがいを感じており、自分自身が求めていた働き方が実現できています。

人や知恵が連携するきっかけになるような組織へ

――それでは、最後の質問です。これから協働日本はどうなっていくと思いますか?

枦木:協働というコンセプトを中心に、日本に存在する色々なモノゴトの間にある様々な垣根をしなやかに越えて、人や知恵が連携するきっかけになるような組織になったら面白いと思います。ちょっと意外な化学反応が日本各地で起こるといいなと思っています。

――インタビューへのご協力ありがとうございました!

枦木:ありがとうございます!私はもちろん、所属するすべての協働プロが、地域企業との取り組みに熱い想いを持っています。協働日本が提供する伴走型支援にご関心ある地域企業様はぜひお声がけください。

枦木 優希
Yuki Hazeki

フリーランスマーケター

大学卒業後、サントリー(株)に入社。飲料事業、酒類事業において複数のブランドのブランド戦略策定や新製品開発などを経験。その後、ダノンジャパン、マースジャパンにおいてグローバルブランドのマネジメントやマーケティングチームの育成などに従事。アマゾンジャパンでは、プライムビデオ・シニアマーケティングストラテジーマネージャーとして課金サービスのマーケティング戦略策定を行う。現在は、フリーランスとして企業、NPOなど複数のクライアントに対してマーケティング関連のプロジェクトマネジメント、戦略策定、アドバイザリー業務などを実施。

専門領域
事業戦略、ブランド戦略、マーケティング戦略、商品開発戦略

人生のWHY
「人間」らしくやりたいナ

枦木優希氏も参画する、協働日本事業については こちら

STORY:チャンピオンカレー 南恵太社長 -自社経営幹部の伴走相手として経験豊かな複業人材を活用。実感した大きな「変化」とは-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

プロジェクトに取り組むパートナー企業の方と、プロジェクトに参画する協働プロをそれぞれお招きし、協働日本がどのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺いました。

今回は、株式会社チャンピオンカレー 代表取締役社長 南 恵太氏と、同社への伴走型メンタリング支援を行っている協働プロの小谷 克秀氏にお越しいただきました。

金沢カレーの元祖でチャンカレの愛称で親しまれている「カレーのチャンピオン」。運営する株式会社チャンピオンカレーは、北陸3県を中心に店舗展開。金沢カレーの発祥の店として全国にファンを持つ、石川県を代表する企業の1社です。

現在、協働日本がお取り組みさせていただいている、チャンピオンカレー経営幹部の方々への伴走型メンタリング支援。

その取り組みのきっかけや、支援を通じて生まれた変化について、お二人にお聞きしました。

さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についても、南社長に経営者の視点からメッセージをいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

Web会議サービス(Zoom)を用いて南氏、小谷氏へインタビューを行いました。

短期間で大きな変化を実感した研修プログラム

ーー金沢カレーお馴染み、「チャンカレ」の愛称で親しまれている「カレーのチャンピオン」を運営する、株式会社チャンピオンカレーの南社長にお話を伺います。
ーー本日はよろしくお願いします。まずは協働日本と取り組むきっかけについてお聞きしてもよろしいでしょうか?

:よろしくお願いします。きっかけは、金沢の企業の経営者や経営幹部を集めた「Workit」という人材育成育成プログラムにチャンピオンカレーとして参加したことでした。

小谷:「Workit」は、金沢で数多く宿泊施設を運営している株式会社こみんぐると協働日本が共同開発した、短期集中型で経営課題に向き合うという「合宿型研修」プログラムで、金沢の企業の経営者や幹部候補を主な対象にしております。

以前、協働日本のインタビューでもお話したのですが、私も実際に講師役として参加し伴走支援させていただいています。

:もともと繋がりのあった知人に、Workitをご紹介頂きました。

ちょうど会社としても大きな取り組みを考えているタイミングだったこともあり、よい機会だと考えて役員メンバー3名と共に参加しました。

短期集中型で経営課題に向き合うプログラム「Workit」
ーー会社としての大きな取り組み。それはどんなことだったのでしょうか。

:それまで創業一族しか経営層にいなかったのですが、当時、一族以外の自社社員をはじめて役員登用したタイミングでした。

新たな役員メンバーには、社としても大きな期待を寄せています。

そこで彼らにはぜひ今後、経営層との共通言語となる「事業横断的な考え方」や「経営者視点」を深めてほしいと考えていましたが、あまり社員数の多くないこともあり、なかなか社員への研修機会を設けることが出来ていませんでした。

小谷氏は「Workit」の講師役として2泊3日の合宿に伴走
ーー実際に研修へ参加してみていかがでしたか。

:参加した研修は三日間で、実際に会社への新規事業提案まで形作るというものでハードな内容でしたが、研修を終えた彼らの様子を見て驚きました。

経営的な視点や、事業の捉え方など、短期間ながら大きな変化が生まれていました。

小谷:研修では、2泊3日という限られた時間の中で、課題の深堀りからフィールドワークまでを徹底的に行いました。最終日の三日目には参加企業の経営者に対して経営や事業に関する提案を実際に行うため、参加者はもちろん、講師も真剣勝負です。

事業開発に必要な足腰を鍛え、経営者に近い視座をみなさん獲得して帰っていきます。こういった経験は、普段の業務ではなかなか獲得できません。

南社長が、参加した役員の方の変化を感じていただけたのであれば、講師としても大変嬉しいですね。

ーーなるほど。その後どういった経緯で、伴走型メンタリングの取り組みがスタートしたのでしょうか?

南:参加した役員の変化を実感したこともあり、取り組みがこの研修単発で終わるのはとてももったいないと感じました。

そこで、参加した3名のメンター役という形で、3日間の研修で講師として伴走してくれていれていた小谷さんに引き続き伴走をお願いしました。

小谷:3日間という短期間で、実際に社長に新規事業提案を出さなくてはいけないのですから、参加者にとっても、ものすごいプレッシャーのかかる研修ですよね。

講師役として、研修を設計・運営していた私にとってももちろん責任は重大でした。

だからこそ、研修を終えてからも今後も継続的に支援を、とお声がけいただけたのは大変光栄でした。

伴走型メンタリングを通じて、社員が事業を多角的に見れるようになった

ーー伴走型メンタリングを通じて、どのような変化が生まれましたか?

南:小谷さんには、定期的に弊社の役員人材3名のメンタリングをお願いしています。

まだ始まったばかりではありますが、実業に対する課題感を持った上で、壁打ち相手を務めてもらっているので1回あたりの内容がとても濃いと感じています。

メンタリングをお願いしている役員は、それぞれ別領域・別事業を担当しているのですが、最近では3名とも以前より事業を多角的に見れるようになったと変化を感じています。今後もさらに期待しています。

ーー小谷さんは、具体的にはどのような頻度、内容でメンタリングを行っているのですか?

小谷:メンタリングは約2週間に1回の頻度で行っています。毎回1時間のミーティングでは、直面している課題の分析を行ったり、課題を整理・棚卸ししながら、一緒に戦略や戦術を考えています。

:メンタリングを通じて、貴重な外からのナレッジを取り込めています。

自分たちではなかなか気づけない視点を持ち込んでくださることも多く、ありがたいと感じています。

小谷:私はこれまでのキャリアの中で、経営者の右腕として働く経験が長かったこともあり、思考を言語化することやモデル化することには自信がありましたので、そういった強みを活かせているのかなとも思いますね。

取り組み企業の一員になって向き合うからこそ生まれる信頼

ーー小谷さんが、メンタリングの中で心がけていることはありますか?

小谷:特に心がけていることは、私もチャンピオンカレーの一員として関わることです。

外部の人間としてメンタリングするだけでは本質的な課題はなかなか見えてこない。自分も同じく会社の一員だと言う想いを持って飛び込んでいくからこそ、本当の意味で皆さんをサポートできると考えています。

チャンピオンカレーという会社の体制はもちろん、社員の皆さんの顔も頭に入っていますよ!

:小谷さんはそこがすごいと思います。

弊社の事情をしっかりと理解したうえで、壁打ち相手を務めてくださっている。だからこそ、信頼してお任せできています。

メンバーが抱えている抽象的な課題もひとつひとつ言語化しながら進めてくださっており、研修とは違う実践的な内容でメンタリングを組んでくれています。

小谷氏は実際に カレーのチャンピオン 店舗にも足を運んだ

人材育成に課題を感じている地方企業は多い

ーー近年では、IターンやUターンという形で、地方企業が優秀な人材を獲得する事例も増えてきています。一方、地方企業ならではの人材育成の課題はありますか?

:はい、貴重な人材をどうやって育てていくのかは、多くの地方企業の課題だと思っています。

優秀な人材を獲得することが出来たあとも、即戦力として事業に向き合ってもらいながら、日常的に視野を広く持ってもらったり、視座を高めるような時間を作るのはとても難しい。

そのため、小谷さんのような経営者とのビジネス経験が豊富な複業人材に、メンターとして伴走してもらうような取り組みは、ぜひ一度試して見る価値があるのではないでしょうか。

実際に小谷さんには、ミドルマネジメントをする人間の心構えといった点なども伝えてもらっています。やはり、経験から出てくる言葉はメンタリングを通じて彼らの刺激になっているようです。

ロジカルな部分だけでなく、事業そのものを彼らの中でどう位置づけるのかというマインドセットのようなものは、誰もが教えられるようなものではないのでありがたいですね。

日々、目の前の業務に向き合う日々の中で、どのように人材育成を育成するかは重要な課題

自律分散的な働き方が広がるからこそ「信頼」が大切になってくる

ーーこのような複業人材との取り組みは今後、どうなっていくと思いますか?

:経験豊かな人材と複業という形で取り組みができることに、可能性を感じます。

小谷さんには複業としてスポット的に稼働して頂いていますが、小谷さんのような方を従来のような形で雇おうとすると、コストが折り合わないことも多い。

今はオンラインで、場所を問わずに繋がることができます。今後は優秀な人材に、条件付きの中で事業をサポートしてもらうことがもっと当たり前になっていくのではないでしょうか。それぞれがアライアンスを組んで、自律分散的にチームで働く社会になっていくと思います。

だからこそ、信頼性というものが非常に大事になってくるとも思います。もちろんその人が持つスキルも大切ですが、その人がどういうマインドセットで取り組んでくれるのかが重要です。小谷さんとのお取り組みを通じても実感しました。

ぜひ協働日本さんには、熱い想いを持った、信頼できる優秀な人材のプールになっていただきたいと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

:ありがとうございました。

小谷:ありがとうございました。

協働日本では、直接事業に関連したマーケティングや販促等のご支援だけでなく、人材育成といった観点でも伴走型支援をご提案可能です。

ご関心ある地域企業様は、お気軽に協働日本にお声がけください。

写真:山岸政仁(フォトデザイン・カンパニー)

南 恵太 Keita Minami

株式会社チャンピオンカレー 代表取締役社長

1985年石川県生まれ。米カリフォルニア大サンディエゴ校経済学部を卒業後、2009年に大和総研に入社。

東京都内の外食企業などの勤務を経て13年1月に家業であるチャンピオンカレーに入社。16年10月から3代目の社長に就任。

小谷 克秀 Katsuhide Kotani

(株)プロゴス 営業本部 マーケティング営業部 部長


大学卒業後、(株)パソナにて金融系大手法人営業・営業企画に従事。
楽天(株)にて楽天市場出展店舗向けの事業企画・事業開発を担当。
エン・ジャパン(株)にて新規事業開発・アライアンス戦略に携わる。
ランサーズ(株)にてセールス&マーケティング事業担当執行役員を経験。
その後、(株)レアジョブ プロゴスマーケティング営業部長を経て現職。

専門領域
新規事業開発、事業運営、事業企画、営業企画、新規事業担当者育成

人生のWHY
「天職創造」

協働プロの小谷克秀氏も参画する、協働日本事業については こちら

小谷氏が協働日本事業に対する想いを語った過去インタビューはこちら
VOICE:協働日本 小谷 克秀氏 -協働を通じて地域企業の「新規事業」に向き合う-

VOICE:協働日本 浅井南氏 -「地方だから」を魅力に変える!チームで実現する協働の形-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本にてWebマーケティング、特にネットショップやECサイトの運営支援を通じた支援を専門にしている浅井南氏です。

ベンチャー企業にてWebデザイナー・ディレクター・ECサービス事業部長を務め、鹿児島県を拠点にして、EC・Webサイト制作・支援をこれまで10年以上手掛けてきた浅井氏。現在は、よろず支援拠点コーディネーターとしての活動のほか、鹿児島市ICT推進委員としても活躍しています。

協働日本を通じた取り組みと、取り組みの中から生まれた変化について、これまでのキャリアの軌跡や、協働日本の今後の可能性にも触れつつ語りました。

(取材・文=郡司弘明)

地域の魅力を発信していくことにやりがいを感じています

――本日はよろしくお願いします。浅井さんは現在、協働日本所属のWebマーケッターとして、パートナー企業様のECサイトやWebサイトの改善などを通じて複数のプロジェクトに参画されています。まずは、協働プロとしての活動以外のお仕事について教えてください。

浅井南氏(以下、浅井):よろしくお願いします。数年前に独立して、いまはフリーランスとして活動しており、ECサイトの制作やデザイン、企業の公式サイト運営、SNSの発信などをご支援しております。

企業や個人のお客様から「売り上げを伸ばしたい」や、「サイトをどうやって構築したらよいかわからない」などといったご相談をいただいているほか、最近ではSNSを活用した売り上げアップ施策などでお声がけいただく機会も増えてきました。

楽天市場に出店している方や、出店を検討されている方へのご支援も数多く携わらせていただいており、RPP(楽天プロモーションプラットフォーム)などの広告運用もご支援しています。

――いまお住いの鹿児島県では、「よろず支援拠点」の相談員としても活動されていらっしゃるとお聞きしました。

浅井:はい。「よろず支援拠点」は中小企業や小規模事業者様からの経営上の様々なご相談に対応するために国が全国に設置した無料の相談所で、私は鹿児島県のよろず支援拠点でWebやEC、SNSの専門家という立場から事業者様の相談にも乗っています。

最近では、自治体や商工会議所の方からセミナー登壇をご依頼いただくことも増えてきました。中小企業の経営者の方の中には「WebやECの活用を勉強したいと思っているけど、つまずいてしまった・・」「何から始めればよいのか分からない」といった方も多くいらっしゃいます。そういった方々のご支援を通じて、地域の魅力を発信していくことに日々やりがいを感じています。

鹿児島にUターンして気が付いた、本当にやりたかった仕事

――なるほど。これまでのキャリアはずっとWebマーケティング等に関連するお仕事を続けてこられたのでしょうか。

浅井:それに関してはちょっと違っていて。大学卒業後に地元の鹿児島を出て上京し、はじめて就職した先は、エアコンメーカーの修理を主に取り扱う部署。そこで修理サービスを支援するような事務職に就いていました。当時新卒だったこともあり、先輩方にはお仕事・プライベート問わず、大変お世話になりました。ここでの経験が、人生の基礎となった事は間違いありません。

その後数年たったタイミングで、無性に大好きな地元、鹿児島県にUターンしたくなってしまって。仕事も決まらないまま、とりあえず、と地元に帰ってきてしまいました(笑)

――なんと!少し意外でした。そうして鹿児島に戻ってこられてからはどんな活動をされていたのですか。

浅井:企業勤めで忙しく色々な仕事を経験させていただいた分、自由な時間が欲しくなって、自由を謳歌させていただいておりました。

そのうちに、これから自分は何を仕事にしていきたいか考えたとき、地元鹿児島でものづくりがしたいと思ったんです。趣味でこれまで、アプリやWebサイトを作っていたのですが、これに本気で取り組んで仕事にしてみようと思い立ちました。

そんな時、前職のエムコミューン(mcommune)の社長と出会い、一緒に仕事をすることになりました。知識や経験のない私でしたが、そこで1からデザインやコーディングを学ばせていただきました。一緒に働くスタッフも増え、チームでの制作ができるようになってからはディレクション側での経験も積ませていただきました。

エムコミューンに所属していた10年間。気付けば手がけたHPやご支援先は250社近くになっていました。多くの経験を積む中で、HPの運用や運営、Webショップを成長させるノウハウ、商品開発などをご支援出来るようになっていました。

――浅井さんは現在、フリーランスとして活動されていますよね。こういった経験が今の仕事の背景にあったのですね。

浅井:はい!前職での仕事を10年目を一区切りにして、独立しました。いまはフリーランスとして活動をしていますが、上京して働いていた経験も、前職で学んだ知識や得られた経験もすべて今の仕事の糧になっています。

一度地元を離れて仕事をしたことも、地域の魅力を再発見できるいい機会になりました。

私がしたかった支援のスタイルはこれだ!と思った

――浅井さんが協働日本で共に取り組むことになったきっかけを教えてください。

浅井:鹿児島でセミナーに登壇されていた、協働日本代表の村松さんと偶然お会いしたことがきっかけでした。

私は日々WEBマーケティングの仕事をする中で、様々な企業の取り組みにアンテナを張っていますが、石川県金沢市にある「四十萬谷本舗」さんが発信している商品開発のストーリーや、複業人材とのプロジェクトを地域企業の取り組み例の記事で目にして、とてもユニークな事例だと思って、個人的に関心を持って追いかけていたんです。

たまたま鹿児島に来られていた村松さんのセミナーの中で紹介されていた四十萬谷本舗さんの事例を聞いていてびっくりしました。追いかけていた取り組み事例が、実は協働日本のみなさんとのものだったのです。

私自身も、よろず支援拠点の活動もする中で支援力を更に高めていきたいという思いがあったこともあり、一緒に取り組ませていただきたいとお声がけしました。

――それは驚きの出会いでしたね。浅井さんのイメージする地域企業支援の取り組みと、協働日本が大切にしている「協働」型の取り組み、重なる部分が大きかったのでしょうか。

浅井:お話を伺って、私がしたかった支援のスタイルはこれだ!と思いました。

私自身は個人で企業を支援することも多いのですが、一方の協働日本はパートナー企業に対して、原則、複数名の協働プロで構成されるチームで支援にあたります。

チームで支援できるという体制は、パートナー企業にとっては様々な知見や経験をベースにした伴走型支援が得られるメリットがあります。企業を支援するフェーズによっては、各協働プロメンバーの強みを活かして最適なチームメンバーを編成しながらサポートすることもでき、これによって連続的に中長期的な伴走が可能になります。

プロジェクト単位でのスポット型の支援ではどうしても、短期的な取り組みになることも多く、双方にとっても本質的な経営課題に向き合うことが難しくなります。

――チーム単位でパートナー企業に向き合うことで、協働プロにとっても学びや気付きが多くありそうですね。

浅井:その通りです。チームでの支援は私自身も学びが多く、自分の専門性とは異なる専門性を持ったメンバーとの協働は刺激も多いです。

普段はWebマーケティングを中心にした専門分野での支援が中心なので、他の協働プロたちの、経営や営業の視点からの提案を聞けることで自分自身の視野も広がっています。

取り組み先の1社「丸七製茶」さまの商品「CRAFT BREW TEA」シリーズ

ECの世界では、個人や地域の個性が大きな魅力になる

――地域企業や地方との取り組みの中で、浅井さんが大切にしている想いなどをお聞かせください。

浅井:様々な企業さまをご支援させていただく中で、地域に根ざした「ローカル」な企業や商品を活用する文脈ほどECとの相性は良いと確信しました。

前職のエムコミューン時代に、鹿児島で焼酎を売っていた酒屋さんをご支援させていただく機会がありました。地域へのお酒の配達が収益の柱だった酒屋さんでしたが、店主がご高齢となり、以前のような頻度や量での配達が難しくなっていました。

そこでECサイトの活用に思い切って舵をきられた店主と、二人三脚で販路の拡大に取り組ませて頂きました。Amazonや楽天などのショッピングモールの活用方法を貪欲に学ばれて、ネットでの売上を伸ばすことに成功。数年後には配達中心だった頃よりも年商を大きく伸ばすことができました。

商品の選定や説明など、その店主や鹿児島という地域の個性をうまく取り込んだことで成功した事例です。地域でのセミナーでもよくお話させていただくのですが、ECの世界では年齢や地方であることがハンデになるどころか、魅力になるのだと実感しています。

始めるときには学ぶぞ!という強い気持ちが必要かもしれませんが、一度ノウハウをしっかり体内化できれば、地域に根ざしてビジネスをしている事自体が、ECの世界ではとても大きな魅力に変えられます。

――そういった経験があったことが、いまの浅井さんの活動に繋がっているんですね。

浅井:ECサイトの運用については本当に、正しい情報を持っているかどうかで結果が変わってしまうことも多いんです。地域の魅力をどんどん発信していくためにも、地方の企業がそういったノウハウを得られる機会をどんどん作っていきたいと思っています。

そういった思いを叶える上でも、協働日本との取り組みにとても意義を感じています。

さらに、地域企業がECサイトをはじめとする様々なITをもっと活用すると、クリエイティブの需要が地域に生まれると思っています。デザインやマーケティングなど、その地域や企業をよく知る人が身近にいれば、企業も安心して仕事を任せることができるので。

クリエイティブやWebマーケの仕事は働く場所を選びませんから、地方でその土地の企業と一緒に仕事をしたいと思うクリエイターが増えて、地方から人が減っていくことを食い止めることに繋がれば良いなと思っています。

経営者視点での意思決定にも関われることが大きなやりがいに

――浅井さんが大切にしている想いがよく分かりました。現在、協働日本で複数のプロジェクトに関わりながらどんなことを感じていますか。

浅井:協働日本がお取り組みを進めている企業は、歴史ある老舗企業や、新しく事業を転換していこうとチャレンジしている企業などが多く、それだけに課題の整理や方向性を定める議論の難易度は高いですが、どこの企業も本音をぶつけてくださっていることで建設的な議論が出来ています。

企業側のやる気スイッチにも刺激されて、より高い熱量で向き合いたい!とおもって臨んでいます。

経営視点での方針を話し合う日もあれば、キャンペーン施策のひとつひとつのクリエイティブをブラッシュアップしていくような日もあります。全体を俯瞰しながら、多くの関係者とプロジェクトを進めています。経営者視点での意思決定にも関わらせていただくことも多く、協働日本の取り組みはどれも本当に刺激的です。

同じ想いや熱量を持った人々とともに働けることが大きな価値

――最後の質問です。これから協働日本はどうなっていくと思いますか?

浅井:まさに今、メタバースといった世界が注目されていることに現れているように、今後はより一層、個々人が場所や時間を問わない働き方を選択する時代になってきていると思います。その変化の中で、同じ想いや熱量を持った人々とともに働ける、繋がれるということは今後より価値を増していくように思います。

チームで地域企業の課題解決に伴走する協働日本は、そんな働き方の先駆けになっていくと思っています。

実際に活動していく中で得られたものは沢山あります。異業種の方との協働は自分の知識や経験を広げてくれますし、共に取り組む協働プロの皆さんの提案や分析もいつも刺激になっています。

パートナー企業の皆さんの事業をご支援させていただく中で、私自身もやれることが増えましたし、成長へのモチベーションが高まりました。まだまだやれることはたくさんありますね!

――インタビューへのご協力ありがとうございました。

浅井:ありがとうございます!協働日本の伴走型支援にご関心ある地域企業様だけじゃなく、協働プロとしてどんどん現場に赴き、自分を成長させたい方もぜひお声がけください。一緒に協働の取り組みを大きくしていきましょう!

浅井 南 Minami Asai

フリーランスマーケター

mcommune,LLC.にて、Webデザイナー・ディレクター・ECサービス事業部長を務めた後、フリーランスとして独立(わるだくみ)。

鹿児島県を拠点に、EC・Webサイト制作・支援を10年以上手掛ける。
楽天・Yahoo!ショッピングなどのモールはもちろん、自社EC・WordPress・インスタグラム等、数多くの実績を糧に、幅広く制作・支援を手掛ける。

現在、よろず支援拠点コーディネーター、鹿児島市ICT推進委員としても活動中。

専門領域
Webマーケティング、ネットショップ/EC運営支援・販売支援、ECコンサルティング、Webデザイン、SNS/PR/広告運用支援

人生のWHY
あらゆる人に、Webのチカラ・挑戦を。

浅井南氏も参画する、協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 小谷 克秀氏 -協働を通じて地域企業の「新規事業」に向き合う-

協働日本で活躍するプロに事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本にて事業開発領域を中心に企業支援を行っている小谷克秀氏です。

パソナや楽天、それぞれの成長企業の変革期に参画し、その後エン・ジャパンでも数々の新規事業立ち上げを経験。新規事業開発・事業企画のプロフェッショナルとして多方面で活躍する小谷氏。

現在は株式会社プロゴスの営業本部マーケティング営業部部長として、英語スピーキング能力を測定するシステム「PROGOS」の普及に取り組んでいます。

そんな小谷氏がいま、協働日本を通じて、地域企業との取り組みを進めている背景とは?どんな取り組みを通じて地域企業に変化を生み出しているのか。

これまでのキャリアの軌跡や、協働日本の今後の可能性にも触れつつ語りました。

(取材・文=郡司弘明)

自身のキャリアの主戦場はいつも「新規事業」だった

ーー本日はよろしくお願いします。小谷さんはこれまでも様々な企業において、新規事業開発や事業企画のプロとしてご活躍されてきました。今回新たな挑戦としてなぜ、協働日本で地域企業への事業支援に取り組むことを決めたのでしょうか。

小谷克秀氏(以下、小谷):よろしくお願いします。はじめのきっかけは、「金沢」というキーワードです。いま私が伴走支援で関わっているパートナー企業も、金沢に根ざした企業が中心です。

実は以前、金沢に住んでいたことがあり、それ以来、金沢のことはずっと第二の故郷のように感じています。協働日本代表の村松さんから、協働日本の最初の案件が金沢の老舗企業という話を聞いた際、まずそこにご縁を感じました。

ーーなるほど。元々愛着のあった地域とのつながりを感じたことも大きかったんですね。

小谷:それに加えて「新規事業開発」というキーワードも協働日本参画のきっかけになりました。

ご相談頂く地域企業では、環境変化の中で新しい事業づくりや事業変革に早期に挑戦したいと考えながらも、自社組織だけで実現するのは難しいと考えている会社が多く、自身のキャリアで培ってきた、いわば私の主戦場である「新規事業」を生み出す力や経験が活かせると感じたことも大きいです。

ーー小谷さんにとっては、新規事業開発がご自身のキャリアの主戦場とのことですが、それはどういった経験が背景にあるのでしょうか。

小谷:これまでのキャリアの中での転機は楽天時代に訪れました。当時は、楽天という会社に長く所属していたことで自分自身、楽天経済圏を中心にものを見ていた時期でもありました。様々な経験を積ませてもらっていましたが、新しい変化を求める気持ちも膨れ上がってきていました。

当時は様々なスタートアップ・ユニコーン企業が誕生していた時期で、まさに勃興期でした。そんな外部環境を目の当たりにし、世の中の新規事業創出の最前線で、様々な潮流を感じたいという気持ちから転職を決意し、エン・ジャパンの新規事業開発室へジョインしました。そこで、いくつもの新規事業の立ち上げに関わり、日々、多くの事業検証を行ってきました。その時の経験が、新規事業開発に対する造詣を深めてくれました。

さらに、1社目のパソナもそうですが、楽天やエン・ジャパンにも会社の変革期にジョインできたことがとても幸運だったと思います。新しい事業やサービスを生み出していく最前線での経験を、複数社で経験できたことはその後のキャリアにも大いに活きました。

今所属している株式会社プロゴスでは、「PROGOS」というサービスを通じてグローバルな人材と社会を創り出したいという強い想いと夢を持ち日々取り組んでいます。市場を切り開いていく新たな挑戦ですが、とてもやりがいを感じます。環境が変わっても私の主戦場はやはり、新規事業開発ですね。

これから、自身の経験を惜しみなくギブしていきたい

ーー小谷さんの新規事業開発に対する造詣の深さはそういった経験から来ているのですね。

小谷:そうですね。そして最近では、今までの経験や知識をギブする側に回りたいと考えるようになりました。

これまで各社でたくさんの経験を積ませてもらいましたから、今度はそれをギブしていく方向に、私自身関心が向いてきていました。そんなタイミングで、協働日本を通じた地域企業支援のお誘いをいただいたこともきっかけになりました。

ーー実際に地域の企業との取り組みをスタートしてみて、いま感じていることはありますか?

小谷:私はもともと神戸出身で、今でも地元とのつながりを大切にしています。さらに、ずっとアイスホッケーをやっていたこともあり、そのメンバーとの親交もとても大切にしています。例えば、後輩からキャリア相談などで頼られると嬉しい気持ちになります。

自分はきっとつながりや、愛着を感じたものに対しては、惜しみなくギブ出来るタイプなんでしょうね。第二の故郷、金沢での取り組みに私自身とてもやりがいを感じている背景もそういったところにあります。

協働日本を通じて、つながりや関係性が広がったことで、愛着ある地域や人々の輪も広がりました。今までの経験や知識をギブする側に回っていきたいと考えていた私にとって、惜しみなくギブしたいと思える相手が増えたことは、幸せなことだと思っています。

研修講師として参加者とともに地域企業の課題に向き合う

ーーなるほど。小谷さんが大切にしている価値観についてもよく分かりました。ご自身の強みを活かしてギブしていく活動の場として、協働日本に参画されているんですね。現在、協働日本で関わっているプロジェクトについてお聞かせください。

小谷:金沢で宿泊業を営んでいる(株)こみんぐるさんと共に、「WORKIT」という事業を協働日本が共同開発して推進しており、その中で金沢で2泊3日で行う合宿型研修のプログラムを共に企画・運営しています。私も実際に講師役として現地で合宿に伴走しています。

これは地域企業である(株)こみんぐるをハブにして、金沢の地元企業から経営者や幹部候補を集め、短期集中型で各社の経営課題に答えを出すというプログラムです。

このプログラムは、地域企業からの「経営幹部を早期に育成したい」「経営幹部の視野を広げて視座を高めたい」というニーズを元に設計しており、地域の様々な企業から幹部社員が参加頂くことはもちろん、そこには都市圏の大企業の若手メンバーも参加します。

ーー地元地域以外の人材もそこに加わるんですか。ぜひそのWORKITの合宿型研修プログラムについてお聞かせください。

小谷:この合宿型研修のユニークなところの一つは、金沢の地元企業の経営幹部だけでなく、そういった外部の人材が入った協働の場を生み出すことで、多様な視点から事業課題を捉えることができる点です。

プログラムではまず金沢の企業の経営幹部と、大企業の若手メンバーで複数のチームを構成します。2泊3日という限られた時間の中で、課題の深堀りからフィールドワークまでを徹底的に行います。

このプログラムに私が伴走して、最終提案に持っていくまでの軌道修正や示唆、フレームなどをお伝えしていきます。ここは一切の妥協なく、私も事業開発のプロとして時に厳しいフィードバックも行います。なぜなら、最終日の三日目には参加企業の経営者に対して経営や事業に関する提案を実際に行うからです。

短期集中型の非常にタフな研修ではありますが、若手のメンバーをこのプログラムへ派遣する大企業にとっても、人材育成の観点から大きなメリットを感じていただけています。

ーーそれはどういったものですか。

小谷:大企業で働いている社員は普段、経営者の目線で物事を判断する機会や、そもそも経営者の生の声を聞く機会自体あまりないと思います。

この「WORKIT」の合宿型研修では、リアルな経営者からリアルな経営の現場の話を聞くことが出来る。いわゆる教材型の研修とは質も濃密さも異なります。

合宿を終えると、参加している大企業の若手メンバーはみな疲れ切ってヘトヘトですが(笑) 事業開発に必要な足腰も鍛えられるほか、経営者に近い視座をみなさん獲得して帰っていきます。こういった経験は、普段の業務ではなかなか獲得できません。

本気で経営課題に向き合う研修は常に真剣勝負

ーー地元金沢の企業の経営幹部と、大企業の若手メンバーの混合チームで挑む研修、取り組んでいる間はどんな雰囲気なんでしょうか。

小谷:まさに真剣勝負という感じです。初日に、参加企業から経営課題を示されて、それに対する提案の方向性を探るのですが、いわゆる机上の空論や短絡的な提案では、すでに経営者の頭の中にあることを超えていけません。

2日目にはフィールドワークも組み込み、ひたすら現場の声やファクトを掴みに行く作業をしていただきます。前日に初めて会った他社メンバーとの混合チームですが、遠慮なんてしている余裕がないくらい時間との勝負です。

しかし、このファクトを掴むためにがむしゃらに取り組んでいる時間こそが、私は新規事業そのものであり、事業開発者に必要なものであると考えています。

そうして迎える3日目の最終提案ですので、非常に熱量の高い場になります。地域企業が抱える経営課題に対して、普段の経営では気づかないような課題を発見し具体的な提案が出来たチームも現れ、経営者を唸らせるような提案も生まれました。

ーー参加する地域企業にとっては新規事業や事業開発の種を得られ、その企業の社員や大企業の若手社員の成長にも繋がる、とても実践的な研修事業ですね。

小谷:そうですね。研修参加前は、目の前の業務しか視野に入ってなかった社員が、参加後には一つ上の視座で考えることが出来るようになったと聞きました。経営視点を持った部下が育つのは企業にとってとても心強いですよね。

この研修では、その会社のビジョンやミッションまで徹底的に深堀ります。このプロセスは、その会社の社員はもちろん、大企業から参加している若手メンバーにとっても、「自分の会社に置き換えた時、ここまで真剣に深堀りできていただろうか」と考え直すきっかけになったと感想を寄せていただきました。

ーーこの研修の成功の鍵はどんなところにあったのでしょうか。

小谷:私のような複業人材や、大企業の若手メンバーといった外部の視点を活用したことも、経営課題の特定につながったと思います。

普段の事業活動の中だとどうしても視点や、アイディアが限定されてしまいますので、このように外部との協働という形をとった研修だからこそ、様々な視点を持ち込めたのだと思います。

ーー協働プロとして参画していく中で新たに獲得した視点などはありますか?

小谷:講師役として研修をリードさせていただくことで、間接的に地域企業の課題解決に関わることができており、その点でもやりがいを感じています。
こうして、経営者の持っている課題や視点に触れられる機会は、研修参加者だけでなく、私にとっても大変貴重で学びになることも多く、経営に対する解像度が上がる感覚があります。

一つの企業に勤めていると、どうしても他の業界の考え方や、地域ならではの課題に触れる機会が少なくなるので、複業という形で、様々な経営者と対話する時間が持てるのはとてもありがたいです。

納品型じゃない伴走型だからこそ、企業自身に再現性が生まれる

ーー最後の質問です。これから協働日本はどうなっていくと思いますか?

小谷:我々のような「協働」スタイルでの企業支援はユニークですよね。地域企業とチームを共に創り、伴走型支援という形をとって、経営者の成したい挑戦をサポートして企業自体を元気にしていくという取り組みなので、通常のコンサルティングとは大きく異なる形での関わり方です。

企業に本気で取り組む姿勢があれば、伴走型支援は大きな成果を生み出すことができます。納品型ではなく、伴走型だから企業内にノウハウも蓄積されて再現性も生み出せます。

実績も情熱もあるプロフェッショナルとワンチームで協働する中で、成果を達成するだけでなく、自社に自律的な変化を起こす機会として、協働日本との協働をぜひ活用してほしいと思います。ぜひ今後、こういった取り組みをもっと広げていきたいと思います。

ーーインタビューへのご協力ありがとうございました。

小谷:ありがとうございました。ご関心ある地域企業様は、お気軽に協働日本にお声がけください。

小谷 克秀 Katsuhide Kotani

(株)プロゴス 営業本部 マーケティング営業部 部長

大学卒業後、(株)パソナにて金融系大手法人営業・営業企画に従事。
楽天(株)にて楽天市場出展店舗向けの事業企画・事業開発を担当。
エン・ジャパン(株)にて新規事業開発・アライアンス戦略に携わる。
ランサーズ(株)にてセールス&マーケティング事業担当執行役員を経験。
その後、(株)レアジョブ プロゴスマーケティング営業部長を経て現職。

専門領域
新規事業開発、事業運営、事業企画、営業企画、新規事業担当者育成

人生のWHY
「天職創造」

小谷克秀氏も参画する、協働日本事業については こちら

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

プロジェクトに取り組むパートナー企業の方と、プロジェクトに参画する協働プロをそれぞれお招きし、協働日本がどのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビュー通して聞いていきます。

鹿児島県の奄美大島を中心に生産されており、世界三大織物にも数えられる伝統織物「大島紬」。この大島紬が現在、職人の高齢化や担い手の不足、若者の着物離れも相まって、生産量の減少が続いています。

協働日本では、奄美大島でこの「大島紬」を活かした事業展開をされている、はじめ商事の元允謙(はじめ・ただあき)さん、紬レザーかすりの川畑裕徳(かわばた・ひろのり)さんと共に、大島紬を後世に伝えていくための活性化プロジェクトに取り組んでいます。

今回は奄美のお二人に加えて、本プロジェクトに参画している協働プロの藤村昌平氏にインタビューさせていただきました。

お三方それぞれから、本協働プロジェクトに取り組んだ経緯や感想、今後の想いを語っていただいたほか、今後の複業人材との取り組みの広がりについても事業者視点から、お話しいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

Web会議サービス(Zoom)を用いて元氏、川畑氏、藤村氏へインタビューを行いました。

出会ってすぐにワクワクできる取り組みになる予感があった

みなさん、本日はよろしくお願いします。奄美大島の特産物である、大島紬の魅力をより多くの方に伝え、広げていく本プロジェクト。お取り組みの概要をお聞きして、とても可能性を感じております。ぜひ本日は色々とお聞かせください。

まずは元さんと川畑さんのお二人にご質問です。協働日本と取り組むきっかけについてお聞きしてもよろしいでしょうか?

:今後、大島紬の魅力をどうやって広げていくか、後世に残していくかを考えていく中で、一緒にプロジェクトで取り組めるパートナー候補として、静岡にあるJOINXという企業の担当者からご紹介いただきました。

協働プロの藤村さん、若山さん、協働日本代表の村松さんの3人に実際に奄美大島へお越しいただき、色々なお話をさせていただきました。

川畑:私も元さんと同席させていただき、多種多様な人材が所属している協働日本の体制にとてもワクワクしました。

普段私は、個人事業主として一人で仕事に取り組む時間が多く、身軽で動きやすい一方で、事業についてしっかりと相談・壁打ちできるパートナーが欲しいと思っていました。
そのため、各領域で活躍するプロが集う協働日本さんと取り組むことで、自分の持っていない新しい視点でのフィードバックをたくさん頂けそうだと思いました。

:私も同じ印象を持ちました。専門性を持った方とディスカッションできる、そして事業オーナーの視点で相談ができる機会というのは大変貴重です。
もちろん家族や社員といった、身近な相談相手はいます。しかし彼らとは違った視点で本気で向き合ってもらえるような、伴走してくれる協働プロの存在はありがたいと感じました。

–なるほど。元さん、川畑さんのお二人はこれまで、こういった外部人材や複業人材とのお取り組み事例はあったのでしょうか?

川畑:私は複業人材との取り組みは今回が初めてです。普段は地元の奄美大島を中心に活動をしていたので、島外の複業人材の方々からいろいろな話を聞けるのが楽しみでした。特に今後は、ネットを活用した情報発信に力を入れていきたいと考えているので、様々な経験を持った複業人材からの意見がとても欲しかったです。

:私は過去、企業や学生と一緒に取り組んだ協業プロジェクトはありましたが、複業人材との取り組みは初めてでした。

–川畑さん、元さん、ありがとうございます。元さんが以前取り組んだ、協業プロジェクトはどんなものだったのでしょうか?

:その時は、代官山の蔦屋書店さんと文京学院大学の学生さんと一緒に物販に取り組みました。蔦屋書店さんは場所を提供し、学生さんはゼミ活動の一環として大島紬を取り上げるイベントでした。その時の関わり方は、今の協働日本とのプロジェクトとは逆に、私がサポーター的な関わり方をしていました。

そういった意味で、支援する側の経験はあったのですが、事業に伴走してもらえる形での協業は今回が初めてですね。逆の立場、サポートする側の大変さはよく分かります。

–なるほど。プロジェクトを支援する側のご経験はあったのですね。それだけに今回、協働プロへの期待も大きかったと思いますが、実際に協働日本とのプロジェクトがスタートしてみていかがでしたか。

:プロジェクトの立ち上げ、そして日頃のコミュニケーションなど丁寧にご対応いただきました。もともとECを強化していこうという方向性を持っていたのですが、いきなり実行策に着手するのではなく、そもそものターゲットの絞り込みから丁寧にサポートしてもらいました。

これまでの経験から漠然と捉えていたことをあらためて言語化し、アンケートやヒアリングなど丁寧に行っていく中で、新しい商品の提案シーンなども見つかってきました。裂き織りという技法を活かした「奄美布」の冠婚葬祭シーンへの提案など、BtoBセールスのアイディアは特に、打ち合わせの中でより磨かれていきました。

「奄美布」のもとになるのは、お客さまからお預かりした大島紬等の古い着物。それらの思い出深い品をやさしくほどいて細く裂き、生地をヨコ糸として織り機で織っていきます。思い出の詰まった生地を蘇らせるアイディアとも言えますね。この「奄美布」のアイディアから、お客様の冠婚葬祭シーンのお気持ちに寄り添った提案が生まれていますし、奄美の伝統の大島紬を支える織物としての提案も実現できています。

ひとつひとつ結果を積み上げていったことで、仕事に「自信」を持って取り組めるようになった

–川畑さんにもお話を伺います。今回のプロジェクトを通してどんな変化が生まれていますか?

川畑:私も元さん同様、現状分析をしっかりと行った上で、それに対するアドバイスからスタートしました。今後インターネットを主体に、販売先をどんどん奄美大島以外にも広げていきたいと考えており、島外への情報発信や販売方法を中心に、販売サイト(BASE)の立て直しやSNS(Instagram)での発信戦略など様々なテーマで日々打ち合わせしています。

その中で感じる変化として特に、自分自身の仕事のクオリティが上がったと感じています。協働プロから出た意見やそこで決まった方針をもとに、やらなくてはいけないこと、つまり宿題のようなものが積み上がります。

それを毎回達成しなくては、といういい意味でのプレッシャーが自分自身を引き上げてくれています。ひとつひとつ、やるべきことを達成していくことで打ち合わせも充実しますし、事業の手応えも変わってきます。自分自身、行動力が上がってきたと感じています。

また、自分の生み出している商品、プロダクトの価値を高める方法を見つけられたのもとても大きな変化です。これまでは島内中心にお土産品として販売することが大きかったのですが、その人に合ったオーダーメイドでオンリーワンな商品である特徴を活かした、新たな販売戦略を立てています。

取り組みの中で、これまでになかったカメラストラップやカバーなど、いわゆるホビー領域にもチャレンジし始めました。これにより、こだわりが強く購買力のある新たな顧客層を開拓出来て、商品に高い価値を感じていただき、同じ労力でもこれまで以上に高単価な商品を購入頂けるようになりました。このことは、商品に対する自分の「自信」にも繋がりました。

:私も同じく、協働プロがやったほうがいいことをどんどん提案してくれることがいい意味でのプレッシャーになっており、事業を好転させていると感じます。ついつい、事業オーナーはやりたくないことを後回しにしています部分があるのですが、そこを協働プロの皆さんは上手に、本人がやりたくなるように、アドバイスをしてくださいます(笑)

しかも、そのとおりにやるとちゃんと結果が出る。だから、はじめは面倒だと思っていたことに取り組むことがだんだんと楽しくなってくるんです。細かく成果が上がるのが、やっていて楽しい。結果も出るから、協働プロへの信頼も深まる。今、とてもいい循環が作れていると思います。

「新しい価値」の届け方を一緒に探しに行く

–協業プロの藤村さんにも質問させてください。お二人と協働取り組みは、どんなスタートだったのでしょうか。

藤村:このお話を頂いた際に、大島紬の市場規模が以前は何百億とあったが今ではその百分の一にまで減少しているという話を聞いて衝撃を受けました。目の前の利益や売上の話だけでなく、大島紬という文化そのものの危機なのだという話から取り組みはスタートしています。

そして、従来の着物だけでなく、大島紬を活用した「新しい価値」を生み出そうとしている若い二人のリーダーとプロジェクトをご一緒できるのは光栄ですし、とてもやりがいも感じます。

二人とも別々の事業者という立場ですが、共通して「ハンドメイド」にこだわって事業を展開しています。私からすると、大島紬の歴史的な背景も含めてそこにとても価値を感じます。一方で当事者である側は、その価値を低く見積もりがちだと感じました。だからこそ、その「価値」の届け方、適切な表現などを一緒に探しにいく取り組みが重要だと考えています。

さらに今回のプロジェクトでは、それぞれの協働日本との打ち合わせに、お二人が相互にオブザーバーとして参加していただく形式で進めています。これにより相乗効果も生まれ、取り組みの質もより良くなっていると思います。

–なるほど。普段の取り組み、やり取りの中で感じていることはありますか?

藤村:まだ取り組みの途中ですが、誰にどうやって売っていくのかを見える化していくこと、適切な価値・適切な表現を一緒に見つけに行くことに向き合って、一つ一つ取り組んでいる中で様々な変化を感じます。取り組みを通じて、大島紬の価値が、誰にどこまで広がっていくのか一緒にワクワクしながら取り組んでいます。

お打ち合わせで相談したことも、お二人ともすぐに対応していただけるので、PDCAをスムーズに回せています。そうして色々と試行錯誤できていることもありがたいと思っています。

–この取り組みの中で感じている面白さや、印象に残っていることを教えてください。

藤村:取り扱っているプロダクトが、とても歴史のあるものだという点ですね。私が勤めているライオンという会社も130年の歴史がある会社ですが、大島紬はさらにはるかに長い歴史を持っています。気の遠くなるような長い歴史の中で、若い世代が次の世代にそのものの良さをどうやって伝承していくのかという節目に関われる面白さがあります。

大島紬ならではの良さを活かしながら、加工したり手に取りやすくしたりする試行錯誤の中で、積み上げてきた歴史と、令和の価値観がクロスする瞬間に立ち会えることには特に面白さを感じますね。

自分もまた「複業人材」として活躍していく未来へ

–それでは最後に、元さん、川畑さんお二人へ質問です。これから協働日本、そして協働日本のような地域との協働の取り組みはどうなっていくと思いますか?

川畑:地域の企業はこういった複業人材との協業にどんどんチャレンジするべきだと思います。一人で頭でっかちになって考えるよりも、いろいろな話をしながら、ワクワク感の中でプロジェクトを進めるほうが絶対楽しい。いい意味でのプレッシャーも自分にかけられるので、行動量も増えるので変化も感じやすい。迷っている企業の方がいたら、是非オススメしたいです。

:川畑さんの言葉に重ねて。こういった取り組みを通じて自分自身のスキルを高めていくこと、仕事に自信を持つことが出来ると、次は「複業人材」として他の事業者との協業にも積極的になれると感じています。

自分自身、変化を実感しているので、その変化を周りにも広げていきたいと考えるようになりました。こうして、周りと変化を生み出したいと考える人が増えると、本当に日本が変わっていくような気がしますね。

–素敵なメッセージありがとうございます!今後も想いある地域の企業と、情熱を持ったビジネスパーソンとの出会いの場を、協働日本としても生み出していきたいです。インタビューへのご協力ありがとうございました。

川畑、元、藤村:ありがとうございました!

元 允謙 Tadaaki Hajime

有限会社 はじめ商事 代表取締役

はじめ商事 | 奄美の伝統と技術で新しい物創り
https://hajimeshoji.com/

川畑 裕徳 Hironori Kawabata

紬レザーかすり 店主

紬レザーかすり(@tsumugi_leather_kasuri) • Instagram
https://www.instagram.com/tsumugi_leather_kasuri/

協働プロの藤村昌平氏も参画する、協働日本事業については こちら

STORY:ヤマト醤油味噌 山本耕平氏―お互いに本気で向き合ったことで生まれた変化―

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する「STORY」企画がスタート。
「STORY」は、プロジェクトに取り組むパートナー企業の方と、プロジェクトに参画する協働プロをそれぞれお招きし、協働日本がどのようにプロジェクトを推進しているのか、対談形式のインタビューで聞いていきます。

今回は(株)ヤマト醤油味噌の山本耕平氏と、同プロジェクトに参画している協働プロの宮田美沙紀氏にお越しいただきました。

両社は現在、新ブランド「まごはやさしいこ」食材シリーズの商品開発で協働しており、事業開発・マーケティング・食プロデュースの各協働プロからなるプロジェクトチームを結成しています。協働プロの宮田氏は、食プロデュースのプロとして同チームに参画しています。

お二人それぞれから、協働プロジェクトに取り組んだ感想や、今後の想いを語って頂きました。また、これまでも複業人材との様々な取り組みを実現してきた山本氏の視点から、協働プロの強さについてもお話しいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

Web会議サービス(Zoom)を用いて山本氏、宮田氏へインタビューを行いました。(郡司弘明)

本気で語り合えるようなパートナーを探していた

ーーお二人とも本日はよろしくお願いします。先日は新たな食材ブランド「まごはやさしいこ」の販売開始おめでとうございます。毎日の食を通して腸内環境を整える、昔ながらの知恵がつまった食材ブランドとお聞きしています。反響が楽しみですね。

宮田美沙紀氏(以下、宮田):今日はよろしくお願いします。

山本耕平氏(以下、山本):よろしくお願いします。「まごはやさしいこ」のご紹介もありがとうございます。おかげさまで2021年8月に販売を開始することができました。

新たな食材ブランド「まごはやさしいこ」

ーーまずは山本さんにご質問です。協働日本と取り組むきっかけについてお聞きしてもよろしいでしょうか?

山本:はじめは地元金沢の企業からの紹介でした。その企業とは合同で研修事業を進めていたのですが、そこで協働プロの方々をご紹介いただきました。研修事業の中では、協働プロの方がファシリテーターとしてリードしてくださっていたのですが、本当に優秀な方々だなと思い、いつか仕事もご一緒できたらいいなと思っていました。

折しも、新型コロナウィルス感染が世界中で広がり、当店もやむなく休業する時期を経験しています。それでもヤマト醤油味噌が実現したいのは、発酵食で健康のお役に立つという世界です。今だからこそ、これまで温めてきた事業のアイデアを形にするときだと思ったんです。

そのときに本気で語り合えるようなパートナーが居ればと思いました。事業構築やマーケティングの第一線で活躍する協働プロの方々ならと大いに期待して、代表の村松さんに相談させていただいたんです。

ーーなるほど。ヤマト醤油味噌さんはこれまで、このような外部人材との協働、共創の事例はあったのでしょうか?

山本:はい、過去にも色々な取り組みを進めてきました。自社のプロジェクトに外部の方が入っていただくこと自体、以前からとても興味がありました。

数年前には学生インターンを半年間ほど受け入れたこともあります。インターン中には、お味噌汁や糀を使ったスープなど、自由な発想で新商品の開発にチャレンジしてもらいました。CEOをもじった「汁EO」を任命したりしながら、とても充実した取り組みになりましたね。

その他にも、10年近く前に金沢美術工芸大学の学生さんたちと商品のパッケージデザインを考えるワークショップも開催したことがあり、学生さんにとっても我々にとっても学びになりました。

そういった外部から刺激をいただくと、新しい視点や気づきを得られる実感は持っていたので、今回のような協働日本を通じた都市人材との協働自体、抵抗はありませんでしたね。

ーー面白い取り組みですね!それだけに、協働プロへの期待も大きかったと思いますが、実際に協働日本とのプロジェクトがスタートしてみていかがでしたか。

山本:まさに期待通りでした。みなさん他の企業にも勤めている複業人材ながら、限られた時間の中で成果にコミットしていただきました。

パラレルにいくつものプロジェクトに関わりながら、それぞれにしっかりと成果を出す働き方は、誰もが出来る働き方ではないですよね。その点でも協働プロの皆さんを信頼しています。

料理をするひとの意識や目線を大切にしたい

ーー宮田さんにもお話を伺います。今回、ヤマト醤油味噌さんとのプロジェクトに参画する中で、どのようなスキルや強みを発揮していますか?

宮田:よろしくお願いします。これまでのキャリアをお話すると、大学卒業と共に管理栄養士の資格を取得して、まず食品メーカーに勤務しました。その後、飲食店をプロデュースする仕事を経て、現在ではフードスタイリストとして活動しています。

商品、特に料理や食材をどのように魅せるのかについて一貫してスキルを磨いてきました。これまでの経験も含めて、その強みをプロジェクトの中では活かせているのかなと思います。

ーー山本さんから見て、宮田さんとお仕事をされて印象的だったことなどはありますか?

山本:宮田さんには、商品ブランドのコンセプトが固まったタイミングでプロジェクトに加わっていただいたのですが、商品開発に関わる提案だけでなく、商品の使い方提案や、女性の視点からの伝え方など、幅広く提案をいただいて大変助かりました。

宮田:料理をするひとの意識や目線から、ご提案をさせていただきました。自分自身、毎日料理をしますし、色々な食材に触れているので、そういった視点から議論を活性化させたいと思っていました。

料理を毎日する方がイメージするのは、単品でどうこうというよりも、まずは「献立」のイメージ。開発中の新商品を、どうやって食卓に登場する献立に落とし込んでいくのかを考えました。

山本:宮田さんは、商品コンセプトという抽象度が高い議論が多い中で、まずは手を動かして、「一週間の献立」という形で提案してくださった。それによって、メンバー間でお客様の製品活用イメージがぐっと言語化できた。いい仕事だったなと、今でも覚えています。

宮田:ありがとうございます!

ーー宮田さんにも質問です。山本さんと協働させていただきいかがでしたか?印象に残っていることをお聞かせください。

宮田:私自身も多くのことを学ばせていただき、プロジェクトをご一緒できて本当に良かったなと思います。

印象的なことですと、ご一緒させていただく中で、山本さんはとても自社愛が強い方だと思いました。商品だけではなく、お客様や従業員の方を本当によく観察されていて、お客様のニーズをしっかりと捉えていらっしゃると感じました。ヤマト糀部のような、お客様との協働的なお取り組みもお聞きし、我々も本当に素敵な企業をご支援させていただいているなと感じました。

なぜそれをヤマト醤油味噌がやるのか、とことん向き合い続けた

ーー今度は山本さんに質問です。新食材ブランド「まごはやさしいこ」の商品開発にあたって、このように協働日本が関わらせていただいたことで生まれた変化や、気付きがあれば教えてください。

山本:一番はじめの打ち合わせが始まるときに、何をやりたいかは明確で、商品ラインナップのアイデアもあったくらいです。具体的に「何」から発売して、「どうやって」販売するか?という WhatやHowからディスカッションを始めると思っていました。しかし、協働プロの方から「なぜそれをヤマト醤油味噌がやるのか」というWhyを問われたんです。

外部の方から見たときに、そのWhyが明確に言語化されていないことに気が付きました。

そこから協働プロの皆さんと徹底的に議論し、Whyを深堀りしました。Whyが言語化できてからも、インタビューやアンケート調査を行いながら、お客様のためにお役に立てるコンセプトを徹底的に磨き上げました。まさに伴走支援で、結果的に何か月にもわたる議論でしたが、途中で止まるわけにはいかないと走り切れました(笑)

「まごはやさしいこ」は、主菜となるおかずのシリーズであれば、下ごしらえ済みで、しかも糀で下味がついているので、ご家族のどなたも美味しく召し上がれます。腸内環境を整えるためにヤマト醤油味噌がオススメする「一汁一菜に一糀」のライフスタイルを手間なく実現できるのです。

ヤマト醤油味噌の食材ブランド「まごはやさしいこ」についてはこちら

ーー徹底的にその事業の根っこを掘り下げていったということですね。

山本:そうですね。どんなお客様が、どんな理由で商品を手に取っていただけるのか。そして、そのお客様は普段どんな生活をしていて、「まごはやさしいこ」はどんな価値をその方に提供できるのか。とことん掘り下げて考えていきました。

単にプロモーションや、販売戦略のアドバイスをいただくだけならもっと話はシンプルだったと思うんです。でも協働日本の協働プロは、我々ヤマト醤油味噌が今後も継続的に、次の事業を作れるように、その考え方や「型」のようなものもインストールしてくださったなと感じています。

正解がすぐ欲しい!という方には合わないかもしれません。しかし、事業を作れる力をしっかり身に着けたい、自分たちだけでも新しい事業の戦略を描けるようになりたい、という経営者の方には、協働日本との協働をぜひお勧めしたいです。

ーーそう言っていただけると協働プロも嬉しいと思います。ありがとうございます。

情熱あるビジネスパーソンの活躍の場はどんどん広がっていく

ーーそれでは最後に、お二人へ質問です。これから協働日本、そして協働日本のような地域との協働の取り組みはどうなっていくと思いますか?

宮田:きっとこれからもこういった出会いや繋がりは全国で広がっていくと思います。企業で勤めているにこそ、もっとこういった協働プロジェクトに加わって欲しいと思います。

これは私も感じていることでもあるのですが、ずっと会社の中にいてはなかなか得られないような新鮮な体験が出来ますし、一緒に取り組むメンバーからも様々な学びや気づきも得られています。お取り組みさせていただいているヤマト醤油味噌さんからもいつも学ばせていただいています。やりがいと成長を日々、得られる環境だと感じています。

自身の経験やスキルを活かして、地域に貢献したい気持ちがある方には是非、こういった取り組みへの参加を勧めていきたいですね。

山本:これからもどんどん、パラレルに仕事をする「複業」といった働き方は広がっていくと思います。一方で厳しい言い方をすると、これは誰もが出来る働き方じゃないとも感じています。

時には打ち合わせが、朝早くや夜に行われることもありますし、限られた時間の中で結果にコミットするような働き方が求められます。つまりは、プロ意識が一人ひとりに必要ですよね。一緒に取り組んでいる協働プロの皆さんを信頼しているのは、彼らのその熱意や情熱の部分も大きいです。

だからこそ、そういった情熱を持っているビジネスパーソンに対しては、採用・雇用する企業側も制度を整えていくような気がしますね。そういった人材はどんな企業でも引っ張りだこでしょうから。そういった人材の幅広い活躍は、企業もPRしたくなるのではないでしょうか。

こういった時代の中で、信頼できるつながりが生まれたことに感謝しています。私ももっといろいろな会社を知りたいと思いました。協働日本との出会いも、友人からの紹介だったように、私もこういった取り組みを周囲にお勧めしていきたいと思います。

ーーメッセージありがとうございます!想いある地域の企業と、情熱を持ったビジネスパーソンとの出会いの場を、協働日本としても生み出していきたいです。インタビューへのご協力ありがとうございました。

宮田:本日は、ありがとうございました!

山本:こちらこそ。ありがとうございました!

山本 耕平 Kohei Yamamoto

(株)ヤマト醤油味噌 営業部 部長

大学卒業後(2008年)、富永貿易株式会社に入社しBtoB営業を担当。

家業である株式会社ヤマト醤油味噌に2009年から入社し、製造部で甘酒の仕込みやドレッシング、だし入り味噌などを製造。2010年より同社営業部に異動し、以来一貫して営業部門で、BtoB営業担当として甘酒や基礎調味料の卸売に取り組む。2016年より同社貿易部で海外BtoB営業を担当し、国内外の展示会や商談を通して販路開拓を行った。2020年より同社BtoC部長としてWEBと直営店舗、ダイレクトマーケティングを担当。

宮田 美沙紀 Misaki Miyata

フードスタイリスト

大学で栄養学を専攻、卒業と同時に管理栄養士国家資格を取得。

オハヨー乳業株式会社に入社し、プリンやゼリー等のデザート部門の商品企画とマーケティング業務を担当。その後、まちづくりに繋がる事業の企画・設計・運営を手がけるUDS株式会社に転職。角川食堂(株式会社KADOKAWAの社員食堂 兼 まちに開いたレストラン)の企画と立ち上げを経験。2021年よりフードスタイリストとして広告やCM、書籍等の撮影用料理の演出に携わるほか、レシピ開発を行う。

宮田美沙紀氏も参画する、協働日本事業については こちら