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NEWS:KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023に、協働日本で伴走している株式会社栄電社が鹿児島県代表として選出されました

【2023年11月14日(火)】KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023に、協働日本で伴走している株式会社栄電社が第二創業部門の鹿児島県代表して選出・登壇決定

KVM2023|九州・山口ベンチャーマーケット
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協働日本で伴走している株式会社栄電社が、KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023に、第二創業部門での鹿児島県代表して選出されました。
九州・山口ベンチャーマーケットに登壇する企業は、九州・山口各県の予選を通過した企業に限られ、選出企業は2023年11月14日(火)に開催されるピッチコンテスト本番に登壇します。

芋焼酎の製造過程で排出される搾りかすをSPL液にしてサプリメント的飼料化を実現した事業で、今年の2月に鹿児島県庁にて開催した「新産業創出ネットワーク事業」の発表会でも、鹿児島発のサーキュラーエコノミーとして発表された協働事例です。

昨年から伴走し今年は2年目の取り組みとなる中、株式会社栄電社の皆さまとの協働もさらに深め、鹿児島県、鹿児島産業支援センターと連携して共に歩みを進めてまいります。

KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023の詳細は以下からご確認ください。

KVM2023|九州・山口ベンチャーマーケット
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#栄電社
#KVM2023
#協働日本

協働日本事業については こちら

株式会社栄電社との協働事例はこちら

STORY:栄電社 川路博文氏 -『焼酎粕』を新たな地域資源に。”四方良し”の発想でサステナブルな地域産業へ-

STORY:株式会社ソミック石川 斉藤 要氏 -協働が変化の起爆剤に。市場の変化をとらえた販路開拓へ-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社ソミック石川 代表取締役の斉藤 要氏にお越しいただきました。

株式会社ソミック石川は、大正5年に「石川鐵工場」として創業。ボルト、ナット類の製造工場としてその歴史をスタートしました。現在は自動車部品の製造業として、トヨタ・スズキ・スバルなど大手自動車メーカーが主要取引先となり、国内シェアは50%を超えています。

そんな、私たちの生活を支える自動車の重要保安部品を作る、ソミック石川の新たなチャレンジに協働日本が伴走させていただけることになりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

はじめてのBtoC事業に向けて、協働を通じてノウハウを学びたい

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

斉藤 要氏(以下、斉藤):よろしくお願いします。弊社の人事部の若手社員が、協働日本代表の村松さんの講演を聞いて連絡をとり、私に紹介してもらったことがきっかけでした

ちょうど村松さんが弊社のある浜松に来るタイミングで、一緒に食事をさせていただきました。その場ではすぐに取り組みをスタートするといった話にはならなかったのですがその後、約1年後に当社のサポートをしてもらえないかとあらためて依頼して今に至ります。

ーーファーストコンタクトから協働がスタートするまで、結構間が開いていますね。

斉藤:そうですね。村松さんとはじめてお話した際に、協働日本の伴走支援のモデルに大変強い興味を持ちました。協働プロとの協働を通じて様々な取り組みが実現できそうだと感じました。

ただ、当時はすぐに取り組みたいテーマがなく、その場ですぐに、とはならずそれっきりになってしまっていました。

ただ当時から、自社としても近い将来に新規事業を立ち上げなくてはいけないという危機感は持っていたので、いざその時にはぜひ力をお借りしたいとずっと思っていました。

ーー約1年越しでそのタイミングが来たと。

斉藤:はい。今生産している製品を自動車メーカーだけではなく、補修部品として直接ユーザーに売る仕組みを作り、BtoC向けの新規事業を立ち上げ、事業領域をさらに拡大させていきたいと考えています。

我々はずっとBtoBの事業をしてきたので、BtoC向けの経験も流通・販売の仕組みも持ち合わせていませんでした。

元々、トヨタ生産方式の合理的な生産体制が社内に浸透しており、とにかく無駄を削ぎ落とすという考え方が基本だった弊社は、決まった仕組みの中では生産性を高めることができている一方、新しい仕組みが社内に入ってきにくいという課題も抱えていました。

普段から、決まった大手のメーカーが取引先ということもあって顧客対応も画一的なもので問題なかったこともあり、BtoC事業に求められる柔軟さが不足していました。

考えていたBtoC向けの新規事業においては、我々の販売する自動車部品が必要になる時は自動車修理のタイミングで、自動車生産と違って突発的なタイミングで発生するものです。計画的でないニーズにも対応できる自由度も、社内で絶対必要になるはずです。

そこで、経験豊富な協働プロに参画していただくことで、経験不足を補い、ノウハウを短期間で吸収したいと考えたんです。

やはり、同等のプロフェッショナル人材を自社で採用し、育成したり直接雇用したりするとなれば、とてもお金がかかります。協働を通じて組織のトップがノウハウを手に入れられるならば、結果的にとても効果的で価値ある投資になると確信したことも、経営者視点から見て大きな決め手でした。

協働プロの現地視察風景

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

斉藤:我々の考えるBtoCの新規事業に向けて、物流を含め、供給をどうしていくかなど、広く売る仕組みを構築中です。協働日本からは、CSOの藤村昌平さんと、協働プロの根崎 洋充さん(大手製造業)、三宮 大輝さん(西日本旅客鉄道株式会社)の3名の方にプロジェクトに加わっていただいています。弊社からは私以外に、営業部門の役員と部長が参加しています。

構想した新規事業は、新しい製品を作って売るということではなく、既存製品を新しい売り先に売ることになるので、まず業界の仕組みを深く掘り下げて分析しました。

我々のようなメーカーが作った自動車の部品は、仲卸業者を介して自動車メーカーに販売しています。エンドユーザーが部品を必要とする場合は、カーディーラーや整備工場などを通じて購入することになります。

売り手側も買い手側も、直接の売買が難しい構造になっているんです。そこで、他社・他業界の事例なども踏まえて、ターゲットとの接点の作り方や売り方、そして我々の強みについて毎週のように協議しています。

ーーなるほど。まさに新規事業をスタートする準備段階なのですね。協働を通じてどんな発見があったかお聞きできますか?

斉藤:価格設定についての話をしていた時、どうしても社員の考えが「自動車部品」をベースとして凝り固まっていることに改めて気付かされました。

自動車部品という業界においては、良い製品を作って、そこからどうやって原価を下げるかが重要視されます。例えば、利益率も製品価格の5%と設定されているなど、他業種に比べて特殊な構図があります。

そのことが根底にあるので、どうしても売価設定をリーズナブルに設定しようとしてしまいます。そんな時協働プロから「もっと高く売ってもいいんじゃないか?」と言っていただいてハッとしました。

価格設定の際には、「お客様が何に価値を見出していて、そこにどう値段をつけていくか」を考えるという、他業界では当たり前なのかもしれませんが、この業界に長く浸かっていたいた私たちにとっては、これまで持ち得なかった新しい視点を持ち込んでいただきました。

さらに、自動車メーカーからエンドユーザーに売り先が変わったことで、「お客様が部品に見出す価値」も変わってきます。ですから、全く同じ部品であっても、お客様の見出した価値の分通常よりも利益を載せることだって出来るという考え方ですね。

ターゲットとするエンドユーザーに、より大きな価値を見出していただける製品のラインナップについて協議を進めて、これからテスト販売をする予定です。その結果からいよいよ販売の仕組みを構築していきます。

市場に合わせて柔軟に変化できるように促したい。新しい視点を得た今、期待すること。

ーープロジェクトはまだ道の途中とのことですが、現状で感じる変化や成果はありますか?

斉藤:まだまだこれからだと思っています。まさに今も、我々の強みはどこにあるのかを見極めようとしているところです。

慣習に囚われず、売り先に合わせて売価を適切に設定することは、我々の強みに自分たち自らが値付けをすることでもあります。我々の強みにより価値を感じる顧客に、適切な価格で売ろう、という意識と主体性を持って、いま徐々にアプローチを変化させていっています。

ーー変化をしっかりと言語化できているところに、多くの議論を重ねてきた、ワンチームでの協働があったのだなと感じます。そういった意識の変化につながったきっかけや、背景はなにかあるのでしょうか?

斉藤:こういった変化が生まれたきっかけのひとつに、業界分析を重ねていく中で、旅行産業の収益モデルを協働プロから教えてもらったことがあります。

エンドユーザーがインターネット上で予約サイトにアクセスしてホテルを予約し、旅行するというプロセスの中に、ブッキングサイト、や旅行商品を販売する会社など、複数の中間事業者が役割分担しているのですが、それぞれがどこでどんな風に利益を上げているのかを解説していただいたんです。

その話を聞いて、我々が製品を作って、エンドユーザーの手元に届くまでの間のどこで利益を上げるのか、収益モデルをいかに構築していくかがとても大切だと気付かされました。

僕たちは製造業者なので、どこまでいっても「良い物を作れば売れる」と考え、「良い物」を作ることに集中してしまうところがあります。

ですが、協働プロの皆さんは、何によってユーザーに選ばれるのかという視点について、事例を伴うアドバイスをくださるので、いつも新たな視点に気付かされています。良い物を作ったって、良いかどうかなんてパッとはわかりません。

今はとにかく、顧客視点で選ばれる製品、そして事業へと進化させるべく、戦略を立てています。

ーーこれから、こんな変化を自社に生み出せたら良いなという展望はありますか?

斉藤:今後は、日本の人口はどんどん減っていって、市場が縮小してくるのが目に見えていますから、社員や組織が新たな時代に対応できるような変化を促したいと考えています。

というのも、普段の徹底した合理的な生産方式が、もしかしたら今後ネックになりうる可能性もあるからです。先ほど申し上げた通り、トヨタ生産方式は無駄を削減した合理的な仕組みです。

完成された、無駄のない仕組みを普段から運用しているからこそ、人によっては状況が変わっても同じやり方が正だと考えてそのまま運用し続けてしまう危険性も当事者として感じています。

本来のトヨタ生産方式の考え方に立ち返れば、ベストな状態にするにはどうしたらいいかを仕組化していくことが大切だという考え方ですから、状況に応じて仕組みを変化させることが非常に必要です。

市場の変化に合わせて柔軟に対応することが会社として必要な局面にいるので、皆がただ去年と同じ仕事をしているという状態から、未来はどうなるかを読んで対応を変化させていけるようになって欲しいと思っています。

日本の強みは人的資源。協働日本のコミュニティが日本を更に強くする。

ーー斉藤さんは、以前から都市人材や、複業人材との取り組みにご興味はおありでしたか?

斉藤:そういう活動をされている方がいることは知っていましたが、ここまでシステマティックに複業人材の活用をされている会社があるということは、村松さんのお話を聞いて初めて知りました。

ーー率直に、協働という形で取り組みをはじめてみていかがでしたか?

斉藤:協働がスタートして、社員も活き活きと参加してくれています。プライベートの時間もフットワーク軽く、市場調査をしにいくほどなんです。協働プロとの壁打ちが効いてるんだと思います。

自分のやったことに対して、きちんとアドバイスやフィードバックがもらえることがやはり嬉しいんじゃないかなと。僕も、どうしてもこれまで忙しくて、社員と1on1をしてサポートすることはできなかったので、社員が喜んでくれているのをみると、取り組みを始めて本当によかったなと感じます。

我々と同じように1つの分野に特化して専門化してしまっているような企業が、何か変化しようとしたり、新しいことを始めようとしたりしているなら、協働日本さんとの取り組みをぜひお勧めしたいですね。

特に製造業は、そういった会社が多いと思います。大きい会社であれば、その中でも色んな背景を持つ人材がいるかもしれませんが、中小企業だと難しい部分もあります。

だからもう、新しいことを始めたいけどノウハウが足りないなど、困っているのなら、まずは試してみるっていうのも一つの手じゃないかなと思います。
言い方は適切ではないかもしれないけれど、人を雇うのと違い、合わないと感じたら辞めることもできます。今回協働プロには3名入っていただいていますが、こんな人材を3名も雇うことになったら、もう大変です(笑)。

それを窓口一本、協働日本さんにご相談するだけで、熱意のある適切な人材をアサインしてもらえるんだから、本当にありがたいと思っています。

ーー最後に、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

斉藤:協働日本は、ある意味で大きなコミュニティとも言えますよね。こういったコミュニティが広がっていくっていうのはとても大事だなと思います。


というのも、製造業は特にこれまで、内製技術で川上から川下まで全部自前でやりますという、考え方が多かったですが、最近は強いところだけやります、という構造に変わってきています。

例えば、インテルも中身だけに特化して、パソコンの外側を作らなくなっていますよね。そのように、個々の技術をネットワークで繋げて、最終的には大きな成果を作り上げるという時代になっていくと僕は考えているんです。

協働日本のようなコミュニティがそれぞれの強みを持った人材や会社をつなぐネットワークになれば、よりスピーディに成果を産み出すことができ、発展していくのではないでしょうか。

思い返せば私自身も会社から、色々な変化の機会をもらっていたんですね。異動や昇進昇格…いろんな経験ができたからこそ変化も成長もしてこられました。

でも、そういった様々な変化や経験を全員が等しく受けられるとも限りませんし、これからは自らがそういった変化のある場に飛び込んでいく必要がある時代です。

協働日本を通じて協働プロとしてその機会を作ることができれば、もっと社会のために能力を発揮できるという方も、きっと多くいるのではないでしょうか。

日本の強みは、資源ではなく人的資源です。最後は人ですから、協働日本のコミュニティが、日本を更に強くしていってくれることを期待しています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

斉藤:ありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。


斉藤 要 / Kaname Saito

(株)ソミック石川 代表取締役 社長 トヨタ自動車(株)にて、ステアリング実験、サスペンション設計、生産技術を経験し、設計部長を務めた後、(株)ソミック石川へ転籍。2022年より現職。

協働日本事業については こちら

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VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 ―「事業づくり」と「人づくり」の両輪―


STORY:株式会社四十萬谷本舗 四十万谷 正和氏 -課題に合わせた戦略的人材活用。老舗企業の考える「生き残り戦略」とは-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社四十萬谷本舗 専務取締役の四十万谷 正和氏にお越しいただきました。

株式会社四十萬谷本舗は、明治8年創業、老舗の発酵食品の製造販売を手がける会社。創業以来、醤油、味噌、糀などを始めとし、味噌漬やかぶら寿し、大根寿しなど、地元の文化に根ざした発酵食品を作っています。

150年近い歴史の中で、時代やニーズに合わせて緩やかに変化を続けてきたといいます。コロナ禍を迎え、また変わり始めた時代潮流に合わせ、協働日本とのプロジェクトをスタート。更なる進化を遂げる四十萬谷本舗に、協働プロジェクトに取り組んだことで生まれた変化や得られた学び、実感した会社と社員の成長について、そして中小企業の生き残り戦略への想いを語って頂きました。

協働プロジェクトに取り組んだことで生まれた変化や得られた学び、実感した会社と社員の成長について、また、今後の想いも語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

「塩漬けしたかぶ」に「熟成させた天然鰤」を挟み、糀で漬け込んで発酵させた伝統のかぶら寿し。 

一側面切り出し型のプロジェクトではなく、経営課題全般を見ることができるのが魅力

ーー本日はよろしくお願いいたします。四十萬谷本舗さんは協働日本との取り組み第一号の企業です。協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

四十万谷 正和氏(以下、四十万谷):よろしくお願いします。

僕と妻が実家の家業を継ぐべく、勤めていた会社を辞めて、四十萬谷本舗に入った時、課題の宝庫と言えるほど、様々な種類の課題に直面することになったんです。

マーケティングの問題、営業の問題、DX化…解決すべきことが山積していました。

実際に現場に入ってから、日々発生する現場の課題に1つずつ向き合って解決していたのですが、会社全体が良くなっていく感じも全然しなくて、どうしていけばいいのかなと、当時は途方に暮れていました。

そんな時に、協働日本代表の村松さんから一緒に課題の解決に取り組まないかと声をかけていただいたんです。

ーー「伴走支援」という形の複業人材との協働。はじめての取り組みだったと思いますが、協働スタートの決め手はなんだったのでしょうか。

四十万谷:元々、村松さんとは同じ会社(ハウス食品)で働いていたというご縁もあり、普段から相談する機会もあって、弊社のこともよくご存じでした。

同様に、協働プロとして入ってくださるメンバーの何人かが元々の知人であったことで、元々の信頼関係があったこともきっかけとして大きかったと思います。

ただ一番大きかったのは、信頼できるプロフェッショナルに、それぞれの専門分野について力を発揮してもらえるというところでした。

例えば、何人かの協働プロに入っていただく中で、マーケティングのことは若山さん(若山幹晴氏 – ポケトーク(株)取締役兼CMO)、テクノロジーやITのことについては横町さん(横町暢洋氏 – NECソリューションイノベータ(株)シニアマネージャー)に聞けるなど、一側面切り出し型のプロジェクトではなく、経営課題全般を見ることができるというのが、大きな魅力の1つでしたね。

僕も妻もこれまでのキャリアのバックグラウンドは「人事」で、人事領域については一通り経験を積んでいたものの、その他の領域についてはやはり未経験ということもあり、1からキャッチアップして勉強していくのは容易ではないと感じていたので、とても心強かったです。

ーー実際どんな課題についてプロジェクトを進めて来られたのかお聞きできますか?

四十万谷:まずはその課題を整理する、というプロジェクトからのスタートでした。そもそも課題には2つのパターンがあり、1つは「不良品が発生してしまった」「お客様からクレームのお声をいただいた」など日々の業務の中で発生するトラブルに近いもの。

そしてもう1つは経営全般に関わる、企業としての本質的な経営課題です。僕たちは日々のトラブルへの対応に追われて、なかなか経営課題に着手できていないのが実情でした。

そこで、プロジェクトでははじめに徹底的に従業員やお客様へヒアリングすることで、四十萬谷本舗にとっての本質的な経営課題は何か?ということを洗い出していきました。

それによって「メインの顧客層が高齢化していること」「お歳暮などの贈答の習慣がなくなっていくこと」「冬に売り上げが集中していること」の3つが浮き彫りになったので、次はそれぞれの課題に対してどう会社として向き合っていくかというプロジェクトに移っていきました。

ーー現場では日々色んなトラブルや課題が生まれてしまうものだと思うので、本質的な経営課題に着手するというのはやはり容易ではないことですよね。

四十万谷:そうですね。日々発生する課題自体を解決するのもとても重要なことです。例えば、業務不良品が発生してしまったことについて、製造過程を見直して不良品が発生しないようにと根本から解決することは当然必要ですよね。

ただそういった日々の課題を解決できていても、「顧客自体が高齢化して、今後減っていく」という本質的な課題に向き合えていなければ、長い目で見た時に四十萬谷本舗を未来に残し続けていくことは難しい。

僕はこの日々発生する現場の課題のことを「重力」と呼んでいます(笑)。

もちろん重要なことだからこそ、どうしてもその対応で手いっぱいになってしまいがちになる。

だからこそ、現場の「今解決すべき課題」とは別に、週に1時間意識的にしっかり時間を切り分けて「長い目で見た本質的な課題」に着手できるということも、経営者にとっての協働日本さんとの取り組み価値だと感じています。

重力のように吸い寄せられる日々の課題。本質的な経営課題に向き合う時間の確保の難しさ

ーー本質的な経営課題に対してスタートした次のプロジェクトについてもお聞きできますか?

四十万谷:はい。次に取り組んだのは「メインの顧客層の高齢化」の課題についてです。新しい顧客層獲得のためのペルソナ整理と、打ち手は何かを考え始めたのが2020年3月頃で、せっかくスタートした直後に、コロナ禍に突入してしまいました。

コロナ禍においては当然実店舗の客足や売上には大きな影響を受けたこともあり、コロナ禍でもできる取り組みとしてオンラインでの取り組みやWebでの売上を伸ばすための施策をスタートしました。


具体的には、オンラインでの漬物体験の実施や、それと連動した体験キットを作ってWebで販売するなどの取り組みをすることで、Webの売上は年間3,000万円から4,000万円弱まで30%増という結果を産むことができました。

自宅で簡単に糀のお漬物づくりができる「生きている糀床」

ーー他の課題にも並行して取り組まれているのでしょうか?

四十万谷:そうですね。例えば「売上の冬季一極集中」という課題は、昔からずっと続いている課題です。

当社の圧倒的な主力商品であるかぶら寿しの需要が冬期に集中しているため、簡単には解決に至らないことが多いです。

今は、以前より限られた人員で現場を回せるようにオペレーションを工夫するなど、皆で力を合わせて少しずつ取り組んでいる状況です。もちろん人員をおさえることによって生まれた新たな次の課題も抱えながらではありますが、コロナ禍で売上が減っても収益性には大きな影響を受けずに来られています。

協働という本質的な課題を考える時間を作るようになったことで、こういった課題にもじっくりと向き合えているのかなと思います。

ーーなるほど。協働がスタートしたことによる成果としても、そういった「課題に向き合う時間を作れる」という面は大きいのでしょうか。

四十万谷:はい。成果という面でいうと、大きく3つ、「Webの売上が上がったこと」「そもそも本質的な課題へのアクションができるようになったこと」そして「経営課題に向き合う時間を意図的に作れるようになったこと」だと思っています。

やはり最初は目先の課題に追われて、長い目で見た時に必要な課題に取り掛かることができていなかったので、大きな一歩でした。

また、協働プロのノウハウが社内に蓄積されていくというメリットもあります。例えば、若山さんとのコミュニケーションの中でいつも出てくる「お客様は何を求めているのか」という顧客思考や、何か施策を打った時に「そこからの導線を考えることが重要」というような考え方が協働を通じてインストールされて、自然と僕の言葉の中に出てくるようになっています。結果としてそれが現場に伝わっている部分もあるんじゃないかなと思います。

中途半端な人材はいらない。協働プロは、想いを持って共にコミットメントできる仲間。

ーー四十万谷さんは、以前から都市人材や、複業人材との取り組みにご興味をお持ちだったんですか?

四十万谷:複業人材との協働で成果が出ている弊社ですが、特に「複業人材活用」自体に関心があった訳ではありません。

協働の取り組みをしているのも、「協働日本だから」というのが大きな理由です。というのも、「複業」人材に関しては、まだ世間では「副業」という意識が強い方も多いと思うんです。

「副業」という意識を持っていると、どうしても本業が忙しくて…などの逃げが生じてしまいがちですし、本当にプロフェッショナルとしてのスキルや想いを持っているのか、取り組み前では分からないケースがほとんどです。

ーーご自身も都市部の大企業で働かれていたからこそ気になる点でもあるのでしょうか。

四十万谷:そうですね。企業に勤めていたころ、副業だったり、プロボノ的に企業へのアドバイスをしている人を多く目にしてきました。

その時の印象としては、コミットメントに甘えがあったり、プロフェッショナルとしてのスキルに疑問が残る人もいらっしゃいました。
今経営をしている立場としては、そういう中途半端なスキルの人材の、中途半端なコミットメントではかえって現場が混乱するだけです。

その点、協働日本の協働プロの皆さんは、経歴・経験やスキルはもちろん、強い想いを持ってコミットメントしてくれています。複業という形でありながら、甘えのないプロとしての姿勢を信頼して伴走支援をお願いしています。

ーーなるほど。複業人材だから、ではなく協働日本のプロたちによる強いコミットメントが成功の要因だったのですね。ちなみに四十万谷さんご自身は、複業人材との協働の中で気をつけていらっしゃることはあるのでしょうか。

四十万谷:気をつけていることは、こちらが「答えを教えてもらおう」「課題を解決してもらおう」などと受け身にならない姿勢です。

というのも、協働がスタートした当初の失敗がまさしくそれなんです(笑)。すごいプロフェッショナルに来てもらったのだから、「早く答えを教えてくださいよ!」と思ってしまっていました。

また、協働プロからのせっかくの提案に対して「現場のことをわかってない!」と感じてしまったこともありました。当然現場のことは僕たちの方が熟知しているという情報の非対称性が、「そうは言っても現実的には難しい」など、「できない理由」を作ってしまうことに繋がっていたと思います。

そんな時にも協働プロからは、「一歩踏み出してみるのが難しいのはわかるので、まずは半歩だけでもやってみませんか?」と提案してもらうことで少しずつ進めたんです。

それだけ切羽詰まっていて、答えを知りたい状況だったということもありますが、本来協働とは「一緒に考え、共に解決していく」ものだと今は実感しています。

教えてもらおうという姿勢ではなくて、一緒に悩みながら進んでいこうというワンチームの姿勢で臨むことが、一見遠回りのようでも、結果的に成功につながる実感があります。

協働プロと売場を視察

ーー協働はワンチームで進める、というのは本当におっしゃる通りだなと思います。

四十万谷:やっぱり、いい成果を出す、いい物を作る、など結果を出すためには、変に格好つけたり壁を作ったりせずに、オープンな関係でいることも重要だと思いますね。

直雇用の正社員だからコミットメントが高くて、外部の人間だからコミットメントが低いということはないと再確認しました。

協働プロのように、外部の人間でもしっかりプロジェクトや事業に想いを持って当たってくれる人材がいる。もはや、社内外の枠で区別してしまうことはあまり意味がないのでは?と最近では感じています。

外部の人材に対して適切に情報を開示し、受け身の姿勢を捨てて素直に向き合うことで、より成果につながる協働ができるようになるのではないでしょうか。

自社の課題を自分たちだけで解決しようとしない───「地方の中小企業の生き残り戦略」

ーー四十万谷さんは、地域企業の方達とコミュニケーションを積極的に取られていると思うのですが、その背景にはどのような想いがあるのでしょうか。

四十万谷:地域企業の経営がアップデートされて企業がもっと面白くなることが、その地域にとって一番プラスになるのではないかという考えが根底にあります。例えば、どうしても「地元に面白い仕事や企業がないから都会に出る」という選択を取るケースがありますが、面白い取り組みをする企業が地域に増えていけば、地元での就職という選択肢が広がります。

また、地域企業はいろんな団体に所属していることも多く、仲は良いことも多いのですが、それぞれの課題をオープンにして意見をシェアし合う場はそう多くありません。

困っていることを周りに相談できる機会は少ないけれど、みんな不安や困り事を抱えている。それなら、シェアできる情報はシェアして、使えるものは使っていくことで、皆の経営がアップデートされる方がいいと考えているんです。

だから、協働日本についても「こんな仕組みがあるよ」と、経営者の仲間達の選択肢の1つに加わったら良いなという思いで紹介しています。

ーーなるほど。地域の企業がもっと面白くなれば…というお話でしたが、四十万谷さんは、今後地方の中小企業が生き残っていく為の戦略について、どのようにお考えですか?

四十万谷:そうですね。VUCA(ブーカ)とも言われるような、不透明で先行きが見えず、答えのない時代はまだまだこれからも続くと考えていて…その中で自社を取り巻く課題を、自社の人材だけで解決していくというのはかなり難しいと思っています。

だからこそ、自社では育成できないような外部人材と協働し、足りない部分を補いながら、スピード感を持って課題解決をしていくことこそが重要なんじゃないかと。すごくシンプルなんですが、これに尽きると考えています。

ーーたしかに、人材の育成は時間がかかりますものね。

四十万谷:そもそも、自社で協働プロのようなスキルを持った人材を育成しようとしても、育成経験もなければプロが育つような環境も用意できないなど、時間だけの問題ではない側面もあります。

じゃあ、十分にスキルと経験の備わったプロ人材を雇用しようとなっても、十分な給与を支払えるのか?という課題もあるし、そもそもプロを雇ったとしてもフルタイムでコミットしてもらうのか?その必要があるのか?など、中小企業にとってはとても難しいテーマです。

だからこそ、常に人材を抱えておかなくても、熱意を持った外部人材を登用し、「社外CMO」のような立ち位置で迎え、課題によって人選を切り替えながら戦略的に人材を活用していくというのが、これからの中小企業にとっての一つの戦い方になるんじゃないでしょうか。

ーー四十万谷さんにとって協働日本とはどういう存在でしょうか?

四十万谷:あらためて、企業経営にはこれさえやればよくなるという特効薬はないんですよね。悩みの尽きない経営者にとって協働日本は、一緒に悩んで、一緒に歩んでくれる心強い仲間です。

もちろん、協働の中で初めて気づくことも多く、やってみたいこともたくさんある中で、リソースが足りず思った通りにいかないことは多々あるんです。

それでもテーマを変えながらも一緒に伴走を続けて行けているのは、そういった想いを共有できてるからというのがあるのかもしれませんね。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

四十万谷:こちらこそありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


四十万谷 正和 / Masakazu Shijimaya

2002年、金沢大学附属高等学校卒業後、慶應義塾大学経済学部に進学。少林寺拳法にも打ち込む。

2006年、『ハウス食品株式会社』入社。採用・労務・人事制度など、一貫して人事関連に携わる。2017年、『株式会社四十萬谷本舗』入社。2019年、専務取締役に就任。

協働日本事業については こちら

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協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、石川樹脂工業株式会社 専務取締役の石川 勤氏にお越しいただきました。

石川樹脂工業株式会社は、漆器木型の販売をルーツとする、樹脂製の食器雑貨の製造・販売を行う会社です。時代の変化とニーズを常に捉え、樹脂製漆器、欠けない箸、平らなお盆など、新しい技術への挑戦を通じて時代の先端を走り続けてきました。中でも、「1000回落としても割れない・欠けないお皿」のブランド「ARAS」は、Instagramのフォロワー数は10万人超。その勢いを増しています。

素材の面白さを社会に発信する企業であり続けるための挑戦を続けておられる石川樹脂工業株式会社。協働日本との伴走では、今一度経営者のあり方や人材育成について考え、社員個人と会社が共に成長するため、AIチャットツールを活用した新たな取り組みを始めています。

協働プロジェクトに取り組んだことで生まれた変化や得られた学び、実感した会社と社員の成長について、また、今後の想いも語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

ガラスと樹脂を掛け合わせた新素材でできた食器ブランド「ARAS」。先進と伝統の技術が融合して生まれる、新しい食器です。

経営者のメンタリングに始まり、Chat-GPTを活用したDX化にも挑戦。様々な協働プロジェクトの中で一貫して狙うテーマは「経営層を作る」こと

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

石川 勤氏(以下、石川):よろしくお願いします。協働日本との出会いは、石川県の「副業人材活用セミナー」です。知人である、金沢市の発酵食品の老舗、四十萬谷本舗の四十万谷専務からのお誘いがきっかけで参加しました。

ちょうど、割れない・欠けないお皿の新規ブランド「ARAS」の立ち上げという経営の転換期を迎えた後で、より会社として前進するために次は何に取り組もうか、経営者としても悩みを抱えていたタイミングだったので、セミナーから何かヒントを得られるのではないかと考えたんです。そこで協働日本代表の村松さんのお話を聞き、是非一緒に取り組んでいきたいと思い協働を決めました。

ーーどんな点が協働の決め手でしたか?

石川:はじめは「協働」という取り組みの形についてイメージが出来ず、どんなことができるのか少し懐疑的だったんです。

しかしセミナーの中で、村松さんの地域企業への熱い想いと、協働プロと地域企業が双方に相談しながら事業を進めている全国の取り組み事例を聞いているうちに、協働日本のみなさんとなら、一緒に前に進んでいけるかもしれないと思ったことが協働を決めた理由です。

当社では以前にも複業人材、外部人材との取り組み実績があったので、決定してからの導入はスムーズでした。ただし、一番の課題は、先ほど話した通り「次に何に取り組むべきか迷っている」という状態だったので、協働日本さんと取り組むテーマが思いつきませんでした。そこで、協働日本さんには「まずはテーマから相談したい」とお伝えして、取り組みをスタートしました。

ーーなるほど。過去にも複業人材とのお取り組み実績があったんですね。テーマ未定の状態でスタートした取り組みとのことですが、伴走支援がスタートしてからは、具体的にどんなお取り組みをなさっているのでしょうか?

石川:協働がスタートしてからこれまでいくつか変遷があるのですが、最初は「経営層をちゃんと作ろう」というテーマで、協働プロの方々に僕と妻のメンタリングをしていただくことからスタートしました。

中小企業のあるあるなのかもしれませんが、当社も「経営層が薄い」という課題を持っていました。これまでの変革も、基本的に僕自身が考え、手がけてきたものでした。しかし一人で抱えてしまうとどうしてもキャパシティが足りなくなってしまうので、次に繋がっていきません。

その課題感からまずは「経営層を作ろう」というテーマに取り組むことになりました。

メンタリングの中では、僕自身が何を手放していくのか、そして妻も経営者としてどう振る舞っていくのか、経営者思考を何度も壁打ちをさせていただきました。

その後、様々な部署から社員を8名──若手もベテランも半々くらいの割合で選抜して、ワークショップを実施しました。これまでの石川樹脂の歩みや、これからしていくことを社員と一緒になって整理していったんです。

参加者には、自分が会社を経営するとしたら?という視点で考えてもらいました。その場を活用して経営者としての考え方のインプットや共通認識を生み出せたことで、ワークショップ終了後から社員ひとりひとりが会社のことを自分ごとと捉えてくれるようになった実感があるので、これは本当にやってよかったと思います。

ーー社員の皆さんの意識が変化したんですね。こういった経営者のメンタリングや育成のパートはどのくらいの期間なさっていたんですか?

石川:大体4ヶ月ほどお願いしていました。その後はまたテーマをガラッと変えて、当社の弱みであったソフトウェア面について、業務を整理して、新しいシステムの導入や開発など、IT周りの課題の整理整頓を行うことにしました。

協働プロとしては、大西剣之介さん(バリュエンスホールディングス株式会社 執行役員 コーポレート本部長 人事部)、横町暢洋さん(NECソリューションイノベータ(株)シニアマネージャー)を中心にプロジェクトに入っていただきました。

ーー本当にまったく違うテーマですね!まずは経営層を厚くし、次は社員の方の意識変革。次はいよいよ自社のITに関する課題に皆さんで向き合ったのですね。

石川:そうですね。ブランディングやチームビルディングについてはもうある程度しっかりと出来上がっていた組織なので、これまで着手してこられなかった明らかな弱みを強化していくことにしました。先ほどお話ししたワークショップに参加していたメンバーから2名と、僕の3名でDX化による業務改善についてのプロジェクトをスタートしました。

1月にプロジェクトがスタートして程なくAIチャットツールの、Chat-GPTが流行し始めました。3月には新たに新バージョンGPT4もリリースされてChat-GPTを使ってコーディングがさらに容易にできるようになりました。

そこで、実は1月から整理してきたことの優先順位も変わっているのではないか?という意見が出ました。

そこで思い切って4月からは、メンバーを追加して6〜10名で、AIと一緒にアプリ開発をして、週に1つ業務改善アプリを作るプロジェクトに形態を変えたんです。

ーー皆さんご自身でアプリ開発を行うなんてすごいですね。元々プログラムができるなど、ITスキルのとても高い方ばかりだったんでしょうか。

石川:いえ、もちろん多少経験のあるメンバーもいましたが、ほとんどがはじめてという初心者ばかりです。

AIを使うと、できなかったことができるようになるという実感を社員に持ってもらい、実践し、業務改善をしていってほしいという狙いもありました。実際プロジェクトを通じて、Googleフォームで入力した日報を、Googleスプレッドシートとの連携でSlack(ビジネス用メッセージアプリ)に飛ばすアプリや、notion(高性能メモ・ノートアプリ)の議事録を要約してSlackに飛ばすようなアプリなどを社員が自分たちの手で作り上げてくれました。

非接触で在庫管理をする仕組みなど大掛かりな仕組みのDX化にも着手しているところです。

ロボットの導入による業務の自動化など、ハードウェア面はすでに整備されていた。ソフト面から更なる業務効率化に挑む。

経営者には余裕が生まれ、社員には責任感が生まれる。「皆で考える」カルチャーへの変化

ーー様々なプロジェクトを進行してきていらっしゃいますが、実際に協働がスタートしてから感じられた変化はありますか?

石川:はい、色々な変化があります。まず、僕自身がすべての経営課題を一人で抱え込まず、多くのことを社員にもオープンに伝えられるようになったことです。

例えば、給与・評価や働き方改革などの話になると、経営者は自分だけで抱え込んで悩みがちだと思いますが、僕は「皆で考えよう」という形で、社員と一緒に考えるようになりました。

特に働き方改革なんかは、社員それぞれ背景が違うので、全てを叶えようと一人で抱え込むと大変なんですが、「もうそれも皆で考えて、皆がいいと思うんだったらそれでいいんじゃないか」という風に考えるようになったんです。

経営者である僕はこう思うし、社員の皆はこう思う。じゃあ、どこで折り合いつけようかという話をオープンにして、皆で考えていくカルチャーが形成されてきたと思います。

例えば、協働日本さんに月にいくらお支払いしているかなども、プロジェクトに入っている社員にオープンに伝えているんですよ。その費用についてどう思うのか、どう還元して会社として取り戻していくのかなど、自ずと責任感を持って考えるようになっています。

僕自身も一人で抱え込む負担がなくなり、心に余裕が生まれるからこそ他にも考えられることが増えました。僕にも余裕が生まれ、社員の皆にも責任感が生まれ、とても良いバランスになっていると思います。

そういった経営者と社員としてバランスが取れた議論ができるようになってから、会社の経営として何がベストな選択なのか?という視点を社員も理解し始めている感じがしますね。

ーー最初のテーマであった「経営層をちゃんと作る」にも近づいてきている感じがしますね。

石川:まさしく、そうですね。社員の仕事への取り組み意識、マインドセットの変化が起こっていることは本当によかったです。例えばDX化だけやって、皆アプリを作れるようになったとしても、こういった本質的な会社の成長のことを考える視点が備わっていないと、付け焼き刃にしかならないと思うんです。

だから、順を追って少しずつ社員のマインドセットを変えていった上で、DX化など新しいチャレンジを始めたことでうまく繋がったのかなと思っています。

一方で、新たな課題も感じています。簡単な業務改善のDX化が終わってきて、難しいテーマになると「スキルが足りない」という声が上がるようになりました。自分たちで解決していくためには、どうしても学ぶ時間が必要になるけれど、これは業務時間か?ということについても皆で議論しています。

業務外での学びがないと個人としても成長がなく、会社としての成長もないということは皆わかっていながら、「ここからは業務」など明確な線引きが難しいことも同時に理解しています。これ以上は内製ではなく外注すべき点などの見極めも必要だと感じています。

会社からの押し付けにならない形で、かと言ってやる気ややりがいの搾取にならないようなフレキシブルさも残しつつ、個人も会社も成長できる方法を、皆でオープンな議論を通じて検討していっているところです。

AIにはできない、協働日本ならではの「人間らしい」伴走支援がこれからの社会で強みになる

ーー協働の中で印象的なことはありましたか?

石川:協働プロの皆さんから学ばせていただくことが本当に多かったです。大西さんは人事のプロですし、人の良さを引き出す采配や、バランスの良いファシリテーションをしていただきました。例えば、業務改善に対してすごく想いが強いのに、スキルが足りなくてできないと落ち込んでいるようなメンバーがいると、「(コーディング以外にも)あなたにできることがこのプロジェクトではとても重要なので、一緒に頑張りましょう」と声をかけてくださっているのをみて、共感しましたし、勉強にもなりました。

僕が社員に対して、あれこれ話をすると、どうしても上下関係があって業務命令のようになってしまうんですが、外部の人が入ってくださったからこそ、いいバランスが保てていたと思います。

横町さんもITスキルだけでなく、プロジェクト推進の経験がとても豊富で、本当に的確なアドバイスをたくさんくださいました。自分たちだけで調べながら進めようとすると、どこか独りよがりになりがちなアイディアも、きちんと業務改善のプロジェクトとして軌道修正をしてくださるので、皆納得感を持って進めることができました。

ーーありがとうございます。以前から都市人材や、複業人材との取り組みをされていたとのことですが、具体的にいつから複業人材の活用をされていたんですか?

石川:前職を経て石川樹脂に戻ってきてすぐ、6〜7年前から外部人材の登用をスタートしました。大企業ならいろんな専門性を持つ人材確保が可能ですが、中小企業ではなかなか同じようにはいきません。

自社内で賄うことができない分、外部人材や複業人材にその専門性をピンポイントで活かしてもらおうと考えていました。これまでもマーケティングや新卒採用などを複業人材と一緒に進めてきています。

もちろん、こういった取り組みは基本的にオンラインミーティングを中心とするので、手に手を取り合って現場で一緒に取り組むことができないなど、地方の中小企業の方にとっては壁のように感じられる面もあると思います。

とはいえ、特に社員を育成したいときや、会社を大きく変革させたい時というのは、新しい知見や専門性などを取り入れることができる大きなメリットがあるので、絶対に複業人材を活用した方がいいと僕は思っています。

協働日本さんとの取り組みは特に、テーマを決めるところから相談することができ、一緒に取り組んでいけるので、専門性と人材育成どちらも叶えて行くことが出来ると思います。

ーー本日はありがとうございました!最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

石川:これからは、中途半端な専門性はAIにとって替わってしまう世の中がくるんじゃないかなと考えています。なので、AIにはできない複業人材のスキルや、協働日本ならではの強みが発揮されるようになるのではないかと思います。

AIにはできない人間らしいファシリテーションで人の内面を見抜いてレベル感をあわせたり、会社自体の課題をより真摯に受け止められることが重要だと感じています。

協働日本さんは、伴走期間が半年以上と比較的長期であることもとてもいいなと思っています。長期で一緒にいるからこそ本質的な課題や、AIに見抜けない人の感情などの重要なポイントが見えてくると思います。

僕が村松さんや協働日本のビジョンに共感できる点は、このように「我々との課題に向き合ってくれている」という実感を得られるということです。

AIにはできない伴走支援をこれからもきっと、続けて行ってくれるのではないかと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

石川:こちらこそありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

石川 勤 / Tsutomu Ishikawaagawa

石川県出身。東京大学工学部卒業後、世界最大の消費財メーカーProcter& Gamble日本支社に入社し、約10年間勤務。主に、経営戦略、経営管理、財務会計などに従事。日本での数年間の経験後、シンガポールに転勤。アジア全体の消臭剤・台所用洗剤の経営戦略に携わる。その後、帰国し日本CFOの右腕として、従事。

“自分の手で、ものづくりをしたい”と一念発起し、現職に就く。現在は経営全般特に新事業・ロボット・AIなどのDXに従事。

協働日本事業については こちら

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STORY:コマニー株式会社 塚本 直之氏 -広報チームから社員全員に波及した「間づくり」への挑戦と熱量-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、コマニー株式会社 取締役 常務執行役員の塚本 直之氏にお越しいただきました。

コマニー株式会社は1961年に設立、国内パーティションのトップメーカーとして開発・設計・製造・施工をワンストップで行っています。現在は、「間」を扱う企業としてドメインを広げ、「間づくりカンパニー」として幸せをカタチにするメーカーへと変化しようとしています。

「パーティション」というとオフィス製品のように感じるかもしれませんが、大型商業施設の内装や、羽田空港のお手洗いの内装にもコマニー社の製品が使われているそうです。

日本人として暮らしていれば、同社の製品に触れずに過ごすことはできないほど、コマニー社はあらゆる「間づくり」に関わっているのだといいます。協働日本との伴走で現在、「間づくりカンパニー」としての更なる一歩を踏み出されています。

協働プロジェクトに取り組んだことによる変化や感想、今後の想いを語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「稼げる広報」を目指して──新しい広報チームのチャレンジを協働日本と共に。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

塚本 直之氏(以下、塚本よろしくお願いいたします。

協働日本との出会いは、金沢大学の産学連携協力会に参加した際に、「副業人材に関するセミナー」でお話を伺ったことです。

当社はBtoBのパーティションメーカーとしてここまで事業展開してきましたが、今後は今以上に価値を提供できる企業に昇華する必要があると感じていた中でセミナーを聞き、パラレルに仕事に取り組んでいる「複業」人材との協働という形が、率直に面白いと感じて、ぜひご一緒したいと思いました。

ーー会社に持ち帰られて、検討される際にハードルになった点はありましたか?

塚本:実は、会社としてのハードルは全くありませんでした。直感的に「やりたい!」と考え、まずは私が管轄する部門から取り組みをスタートすることにしたからです。

セミナーでお伺いした事例では、会社の方向性やブランディング、広報など「その企業は、そもそもどんな企業なのか」という部分を今一度振り返って考えるといったものが多く、私の管轄部門である経営企画や広報との親和性をとても強く感じていました。

ちょうどその頃、弊社でもより一層広報活動に力を入れていきたいと考えていたタイミングでもありました。広報といえば、地域の新聞や電柱の看板などに広告を出稿するくらいで、長らくあまり力を入れてこられていませんでした。

近年になってようやく「コマニーという会社をより深く知ってもらおう」と、企業姿勢を伝える広報を始めました。また、ECサイトなどを通じての販売戦略を取る企業も増えていますし、弊社でも広報チームが中心となってECサイトを立ち上げ、ただ伝えるだけじゃない「稼げる広報」を目指そうという指針を作っていました。

そこで協働を通じて「稼げる広報」をキーワードとした広報チームの活動を進めたいと考え、協働日本に依頼しました。

ーーなるほど、ご相談を頂いたタイミングで協働の方向性は、ある程度決まっていたんですね。伴走支援がスタートしてからは、具体的にどんなお取り組みをなさっているかお聞きできますか?

塚本:はい。週に1度のオンラインミーティングを通じて、広報チームの取り組みに伴走していただいています。協働日本からは、CSOの藤村昌平さんと、協働プロの遅野井宏さんのお二人にプロジェクトに加わっていただきました。

藤村さんは(株)ライオンで新規事業を推進されていますし、遅野井さんはオフィス環境改善やオフィス家具などの業界での経験も豊富な方でしたので、安心してプロジェクトのリードをお任せできました。

当社からは、経営企画部の広報チーム4名が参加する形で、合計6名が中心となって議論を重ねていきました。

協働が始まる半年前にチーム方針として決めた「稼げる広報」というテーマですが、チームメンバーたちはやはりどうやって従来の広報から「稼げる広報」に変わっていけばいいのか悩んでいました。協働日本による伴走がスタートしたことで、コマニーの掲げる「間づくり」とは何か?という根本的な部分に立ち返ることができ、より深く考えるきっかけになったと思っています。

コマニーの広報チームと協働日本メンバーの定例オンラインミーティングの様子

今一番必要なのは、コマニーの考える「間づくり」をユーザーに届けること。「間づくり研究所」の誕生へ

ーー実際に協働がスタートしてから感じられたチームの変化などはありますか?

塚本:はい。当初私たちは「稼ぐ広報」としてすべきこととして、ECサイトの立ち上げなどを通じて、具体的にB2Cへの展開や、ユーザーとの接点を増やす施策を打たなければならないと考えていたんです。

なので、伴走していただくテーマも、はじめはそういったEC展開や戦略をイメージしていたんです。しかし、協働プロの皆さまとの対話を重ねるたび、私たちが進めている「間づくりカンパニー」としての取り組みを加速させていくことが大事だと気づいて、ECサイトの展開強化ではなく、「間づくりカンパニー」としての取り組みと言語化に集中するようにしました。

そこで生まれた、目に見える変化のひとつとして、「間づくり研究所」の立ち上げが挙げられます。

コマニーが運営する、「間づくり」を探求し、実践するための研究所

ーー「間づくり」というのは、パーティションをはじめとする空間づくりの製品を作られている御社らしいテーマですね。

塚本:そうですね。製品を活用した「空間づくり」、よりもさらに一歩踏み込んだ「間づくり」を考えているんです。「間」という言葉には、時間、間隔、句切り、空間、部屋、余暇、チャンスや運など、実に様々な意味が含まれていますよね。当社では、「間」とは二つ以上の要素が生成する関係性であると捉えているんです。

「間づくり」とは「人間」を中心に、「時間」や「空間」そして「手間」を考え、組み合わせていくことで「すぐれた間を生成すること」と定義しています。

そして、研究所での活動を通じて「すぐれた間とは何か」を追求し、実践を積み上げることで、「間づくり」を社会に実装していきたいと考えています。

ーーなるほど。協働日本への依頼当初に描いていたECの展開イメージから、大きな転換があったんですね。「間づくりカンパニー」としての活動やブランディングが重要だと気づいたきっかけは、どんなところにあったんでしょうか?

塚本:初期の段階で、藤村さんと遅野井さんから「結局何がしたいのか?」「ECサイトで売れることがコマニーにとってのゴールなのか?」という問いをいただいたことがきっかけです。

その言葉にはっとして、あらためて皆で考えていった結果、「営業が24時間売り歩いていなくても、弊社の製品を必要としている人が声をかけてくれるようになりたい」という、やりたいこと、目指したいものが見えてきたんです。

それであれば、今すべきことはECサイトで製品を売ることではなくて、もっとコマニーの「間づくり」について知っていただくことではないかという結論に至りました。

また、これまでは弊社の製品を代理店に販売してもらうことが圧倒的に多かったので、ユーザーの声を聞く機会が十分にとれていなかったんです。もっとユーザーとの接点を増やしエンゲージメントを高めていきたいという思いにも気付くことができました。

つまり、「稼げる広報」とは何かと考えていくと、「ユーザーとのタッチポイントを作ること」ではないか?コマニーにとって本当に必要なことは「間づくり」の姿勢をユーザーに届けていき、知ってもらうことではないか?と思い至ったんです。

ーーそして生まれたのが「間づくり研究所」だったと。

塚本:はい。企業姿勢をもっと見せていこう、という方針が見えてきても、それは風が吹けば桶屋が儲かるの「風を吹かせる」の部分のようなもので…ただひたすらに発信をしていってもどこでどのように売れるかわからないわけです。

そこで、この「間づくり」の発信はどういう活動に落とし込めばいいか?ということを考えることに、かなり時間をかけました。その中で外部に発信するためのHPを作成して、活動を展開していこうということになって「間づくり研究所」のHPが完成しました。


活動の4つの柱「IDEA」を掲げるというアイディアも、協働の中から生まれたものです。

「間づくり研究所」の活動 4つの柱(間づくり研究所 パンフレットより)

塚本:具体的な活動の例としては、2023年4月下旬に開催された「オルガテック東京2023」という家具の見本市のイベントで、従来のように「コマニー(株)」としてではなく、「間づくり研究所」として「間」を体感いただくブース出展したことが挙げられます。

研究所の設立からは約半月程度でしたが、見本市でブースにお越しになったお客様は3,500名に上り、そのうちアンケートにご回答いただいた方の10%以上が、コマニーが「間づくり」を打ち出していることをご存じという嬉しい結果も見られました。また、ブースの中で一番良かったこと・共感したことについても「間づくり」という考え方だと回答いただいた方が最も多かったんです。

これは、伴走いただいたことによって、どのようにすれば企業姿勢を打ち出していけるかの解像度が上がった結果生まれた手応えだったり、スピード感だったと思っています。

特にこのスピード感は社内への展開へも影響していると思っていて、現在では全社としてこの「間づくり」をしていくという一体感が出てきました。

今では「間づくり」が社内の共通語になっています。「研究テーマとしてこんなことを取り扱いたいというアイディアがあれば、連絡を」と全社に発信したところ、発信後2〜3週間ですでに7、8件の研究テーマの候補が寄せられていて、順番に発案者に話を聞いている状態です。

ーー自発的にそういったテーマ候補が寄せられているというのはすごいですね。

塚本:そうですね。社員全員が「間づくり」の当事者として事業を作れる可能性がある、という状況になっていると感じます。

例えば、「営業所移転に関連して自分たちの「間づくり」を提案しやすい営業所づくりをしたい」という提案をはじめとして、「会社のトイレの中にトイレットペーパーがあるのは当たり前だが生理用品があるのも当たり前では?男性用トイレにもサニタリーボックスを置いてみては?」など社会的に課題になっていることへのチャレンジも寄せられました。

そして「社内の情報インフラを変化させることで、年代を超えて社内を活性化させていくことはできないか?」など、人の関係性という「間」の概念へのチャレンジなど、寄せられたテーマの内容は、本当に多岐にわたっています。

もしも「パーティションメーカーとしての新事業アイディア」を募っていたら、どれも出てこない切り口やテーマだったと思います。

この「間づくり」という広く、それでいて腹落ち感のあるテーマだからこそ、全社的な議論としてさまざまな部門からの知見やアイディアが出てきている──部門の垣根を超えるきっかけになったと思います。

このように、具体的な成果はまだまだこれからだと思ってはいますが、協働日本との伴走を通じて、成果につながっていく変化や実感を感じています。

ありがたいくらい、答えは教えてもらえない。問いの連続と、複業人材の知見から、社員の目の色が変わる。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前からご興味はおありでしたか?

塚本:正直なところ、副業という言葉のイメージからは当初、若手がいろんな経験を積むために行うキャリアアップのイメージしかありませんでした。

エキスパート人材がこれまでの経験を生かして副業(複業)をすることで、世の中全体へのインパクトを大きくしていくという発想がなかったので、セミナーでこの「協働」の形の話を聞いた時には、目からうろこが落ちた感覚でした。

こういった取り組みは広がっていくべきだと思いますし、自社内の他部門はもちろん、困っている同業の方などにもおすすめをしたいとも思っています。

自社だけでは思考の限界がある場合、コンサルのような形ではなく一緒に悩んで伴走してくれるエキスパート人材がいるというのは本当に心強いです。様々な経験を持っている人たちが、違う視点を持っているからこそ、我々のやっていることに率直な問いを立てていただいたり、ご自身の経験からの事例を教えていただける。そこから、それをどうやって自社の課題に活かして行けばいいだろう、と次を考えるきっかけをもらえています。

また、議論を進める際にも、相手にお任せするのではなく主体は常に自社にあるところがとても良かったと思っています。本当にありがたいくらい、簡単に「答え」は出てこなくて、どんどん新たな「問い」が出てくる、苦労の連続でした(笑)。

メンバー一同、なかなか答えにたどり着かず苦しみましたが、だからこそある程度答えが見えてきた時に、手応えを感じました。一方的に教わるだけではなく、こうやって自分たちで考える経験ができることが、自社人材の成長機会にも繋がるので本当に良かったと思っています。

ーーありがとうございます。協働の中で何か印象的な出来事はありましたか?

塚本:はい。ずっとやりたいなど考えていてイメージはあったけれど、形にならずにモヤモヤしていたことがあったんです。

そんな時、協働日本の皆さんに弊社へご来社いただき、協働プロの遅野井さんのご経験をお聞きした際に、一気に霧が晴れたように、自分のやりたいことはこういう形にすればできるかもしれない!と感じたんです。

そう感じたのは自分だけではなく、広報チームのリーダーも、その話を聞いた時に一気に目の色を変えて「自分のやりたいことはこれだったかもしれない」と言ってくれたんです。そうだ!自分たちのやりたいことはこれだ!と一同盛り上がりました。

その後遅野井さんも含め、皆でお寿司を食べに行ったんですが、その時の味はいまも忘れられないですね(笑)。

結果的にこの「間づくり」という活動は、広報チームだけではない、全社1,400人全員で動いているという今の一体感、会社のエネルギーに繋がっていますが、協働日本とのディスカッションがなければ実現できなかったことだと思います。

※コマニーさんの変化の話については、プロジェクトに参画した協働プロの遅野井氏のインタビューも是非ご覧ください。

ーー最後に、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

塚本:協働日本のような存在は、中小・中堅企業がブレイクスルーするきっかけになってくれると思います。

日本のほとんどは中小・中堅企業です。協働日本も今後、ますます多くの可能性をひらく存在になると思います。今後ともよろしくお願いいたします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

塚本:ありがとうございました。

塚本 直之 Naoyuki Tsukamoto

コマニー株式会社 取締役 常務執行役員

1981年石川県生まれ。成蹊大学経済学部経営学科卒。

スタンレー電気㈱、トヨタ自動車㈱出向を経て、2010年コマニー㈱へ戻る。
コマニーが目指す「関わるすべての人の幸福に貢献する経営」を実現するため、同社の経営にSDGsを実装したサステナビリティ経営を推進し、2018年にはSDGsビジネスアワード グローバルイノベーター賞を受賞。
現在は、自社の間づくり研究所の所長として間づくりの浸透を推進している。

コマニー株式会社

間づくり研究所

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-

VOICE:協働日本 遅野井 宏氏 – パラレルキャリアが働く人のセーフティネットになる時代へ –


STORY:株式会社ダイモール 大杉 謙太氏 -「真剣な仲間」との協働で得た自信が、会社全体を前向きに変えていった-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社ダイモール代表取締役の大杉 謙太氏にお越しいただきました。

株式会社ダイモールは、石川県にある創業75年の鋳造模型の製作会社です。創業者の家業であった木工技術を活かした木型の事業からスタートし、法人化に伴い鋳造用金型の製作を開始。現在はさらに放電加工、3Dプリンタを加え、3本の事業を柱として、「たい焼きからロケットまで」幅広い業界を技術で支えています。

新しい事業を進めていく中で、成果は出つつも迷いながら進んでいたダイモール。一緒に迷いながらも進んでもらえる仲間が欲しいと思っていた中で、早くから複業人材に注目。そんな中で出会った協働日本と、共に一歩を踏み出すことを決意したといいます。

協働プロジェクトに取り組んだことによる変化や感想、今後の想いを語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

探していた「仲間」をついに見つけた!───その場で決めた協働。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

大杉 謙太氏(以下、大杉よろしくお願いいたします。

きっかけは、石川県庁と協働日本さんが共催していたセミナーへの出席です。そこで、協働日本代表の村松さんの講演を聞き、その会場で即断。話に出ていた協働の取り組みをぜひしたいと、その場で手を上げて申し込みました。

ーー文字通り即断だったんですね!どんなことが即断のポイントになったんでしょうか。

大杉:元々「複業人材」には興味があって、一緒に取り組んでいただける方を探していました。当時、弊社の持つ課題は大きく2つあったんです。

1つは、新規事業についてです。やりたいことが色々あり、目標をどう設定するか迷っていました。

もう1つは、社内で自分に対して意見をぶつけてくれる人がいなかったことです。色々とやりたいことがありつつも、相談できる人もおらず「本当に需要はあるのだろうか?」と不安な思いを抱いていたので、一緒に悩みながら考えてくれる仲間が欲しかったんです。

そこで「複業人材」の力を借りて一緒に事業を作って行けたらと考え、いくつかの「複業人材」のサービスに問い合わせをしていました。

ーー実際に色々なサービスに問い合わせてみて、どうでしたか?

大杉:実際に色々なサービスを調べてみたのですが、様々な業界のプロのサポートということで、いずれも高価な価格で、その価格に対して成果を生み出せる自信がありませんでした。

「このテーマにおいて、この役割を担って欲しい」と決めて、複業人材を既存のプロジェクトにアサインするという契約形態しか選択肢がなかったため、その時は結局、いずれも契約には至りませんでした。

弊社の場合は「まずは何をするか?」という前提から迷っている状態だったので、お願いのしようもなかったんです。

ーーなるほど。それらと、協働日本は何が違っていたのが決め手だったのでしょうか?

大杉:一方、協働日本では「まずは何をするか?」から相談ができることが魅力的で、まさに求めていたものだと思いました。

セミナーでは、奄美大島での協働事例についてお聞きしたのですが、地域企業と協働プロのどちらも正解を持っていないところから事業をスタートしていて、対話の中で新しいビジョンを作り出している───「これが自分の求めていた協働の形だ!」と感じたんです。

これはきっと、どの会社もやりたいに違いない、支援してもらえる枠にもある程度決まりがあるだろうからと思い、真っ先に手を挙げたというわけです(笑)

そこからすぐ、2022年の9月から協働がスタートし、現在約9ヶ月間、協働プロと週に1度のオンラインミーティングを重ねて、取り組みを進めているところです。

会社全体が自然と「事業の拡大」を考えるように。前向きなマインドが伝播する。

ーー「求めていた形の協働」がスタートしたことによって、掲げていた課題には変化がありましたか?

大杉:はい。いくつか変化を感じていますが、個人的に一番大きかったのは、以前は事業について意見をしっかりと交わす機会が少なかった私の弟(編集注※同社専務)と、事業について前向きな議論ができるようになったことだと思っています。

週に一度のミーティングには、協働プロは藤村昌平さん(協働日本CSO/(株)ライオン)、岸本雅樹さん(ヤフー(株))、斉田雄介さん(製薬業界企業勤務)の3名が参加、弊社からは私と弟の2名が参加しているのですが、弟は元々、複業人材との協働自体はあまり前向きではなかったようでした。

協働プロからの質問の投げかけに対して、やや否定的な言葉も多かったのですが、協働プロの皆さんはそんな弟の話も全て聞いて受け止めてくれていました。

その上で、協働プロから弟への質問がさらに投げかけられ、弟自身もじっくりと「自分で考える」場面が増えていきました。それを繰り返していく中で、段々と前向きに、自分の考えをぶつけてくれるようになったんです。

もしかすると、身内ではなく他人から聞かれているからこそ素直かつ冷静に考えられていたのかもしれません。私とは身内で距離が近すぎるからこそ反発してしまうこともあったと思うので、この機会に弟とそうした議論を深められた事自体、とても嬉しい変化でした。

そしてもう一つの変化としては、会社全体が「事業を拡大していこう!」という雰囲気になったことですね。

元々は現状維持も大変な中で、事業を拡大していくということにこだわらなくてもいいんじゃないか?という考えすらあったんです。今は全員が「どうやって会社や事業を拡大していくか」という話を社内のあちこちでしています。

ーー社員の皆さんが前向きに変化したなんてすごいですね。弟さんはじめ、関わる方々の変化が影響したのでしょうか?

大杉:そうですね。社内の経営会議で、私と弟が前向きに「事業をどう拡大していくか?」という話ばかりするようになったので、協働プロとのミーティングに参加していない他の役員たちもいつの間にか「事業を拡大していく」という方針に意識統一されていったという実感があります。

今のままでも食べていけるからいいんじゃないか?という現状維持の意見は出なくなりましたね。「何かやめる」という選択はありますが、それも「拡大」のために効果的ではないとか、今の方針には遠いんじゃないかとか、そういう前向きな理由なんです。

「社内で自分に意見をぶつけてくれる人がいない」という状態から、今では前向きに議論ができるようになって、ありがたい変化です。

ーーもう一つのテーマであった新規事業についても変化はありましたか?

大杉:はい。まずは色々やりたいことがあった中でも、3Dプリンターの事業に絞ろうということが決まりました。協働をスタートしてからの9ヶ月間で3Dプリンター事業の新規顧客が増え、さらに現在2社の上場企業と新規取引の交渉中という状況です。

従来は事業全体で2〜3年に1度、顧客からのご紹介で新しい取引先が増えるくらいのペースでしたし、主要顧客は中小企業が多かったので、上場企業との取引が増えようとしていることも大きな変化かなと思います。

そもそも「3Dプリンターの技術って本当に需要あるのかな?」と不安な気持ちもあったんです。それに対して協働プロから「需要はありますよ」と教えてもらったわけではなくて、「ダイモールの3Dプリンターの技術の強みは何か?何がいいのか?」を壁打ちの中で明らかにしていってもらったんです。

教えてもらってその通りにやるのではなく、自分たちで考えながら、自分たちの言葉で強みを明確にしていったことで「これはいい、これなら絶対売れる」と自信を持てるようになりました。

加えて、これまでは新規開拓営業を全然やれていませんでした。というよりも、やりたいけれどノウハウがなく、どうしていいかわからなかったという言い方が正しいかもしれません。今回お取引先が増えたのは、協働プロと一緒に営業戦略を作り、営業活動を進めて行ったことによる成果です。

ーーなるほど。こんなに短期間で成果が出ているということは、営業先のニーズと御社の技術がしっかり噛み合ったんですね。

大杉:そうですね。3Dプリンターの技術について、大手企業の需要が大きいのではないかと発見したのですが、これもまさに協働プロとの会話の中で発見したんです。

最初に自分で営業のターゲットを考えた時は、大手企業には行っても無駄だと思ってターゲットから外していたんですよ。

ところが、協働プロから「無駄な生産、無駄な消費を減少させる可能性を持った3Dプリンターの技術は、環境への取り組みに注力している大手企業のニーズにマッチするのではないか?」というアイディアをいただき、驚きました。

そこで試しに大手企業に営業をかけてみると、驚くほど反応がよかった。逆にターゲットだと思っていた中小企業の方が反応はイマイチでしたね。大手企業の方が3Dプリンターの技術に興味を持っていたり、自社で取り組もうとして一度失敗している企業があったりして、すでに確立された3Dプリンターの技術を使うことができるならと、興味を持っていただけたんです。やはり環境問題への取り組みの一環として取り入れやすいという面も、後押しになったと感じています。

自分だけでは思いつかなかった発想が協働の中から生まれており、協働日本との取り組みを通じて上手く進んでいることのひとつです。

答えを教えるのではなく、一緒に考えてくれるからこそ、変わっていける。複業人材と地域企業の取り組みが日本を変える。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味をお持ちとのことでしたが、実際に協働がスタートしてから、協働プロにはどのような印象を持たれましたか?

大杉:ただのコンサルティングやアドバイザーとしてではなく、「伴走してくれる仲間」としての印象が強いですね。

一般的な地域企業向けのコンサルティングでは「アドバイス」として、課題に対してすでにある答えを一方的にもらう形になります。一方で協働プロは、先ほども話したように、「教える」のではなく「質問」をしてくれる。その問いに対して私たちが自分で考えて答える、そしてまた質問…と繰り返されていく。協働の中で生まれるアイディアは、自分で考えて考えて、考え抜いた先の結果でもあるんですよね。

人からもらっただけのアイディアだったら、実践してみて上手くいかない時、どこかで他責思考になってしまうかもしれません。実際、大手企業への営業の際にも百発百中というわけではもちろんなく、反応が悪いこともありました。でも自分で「この商品は売れる!」と心から自信を持って、納得して営業をしているので、結果がダメでも全く気にならないんです。この企業には刺さらなかっただけでご縁がなかったんだと切り替えて前向きに次の商談に臨めました。これは協働プロが私たちの「仲間」として真剣に話を聞いてくれて、会話のキャッチボールをしながらテーマを深める会話を続けてくれた結果だと思います。

ーーなるほど。「自信」も大きな変化の一つなのかもしれませんね。こういった複業人材の取り組みは今後広がっていくと思いますか?

大杉:広がっていくと思います。実はすでに一社、お付き合いのある会社に協働日本を紹介して、村松さんに会いに行っていただきました(笑)

取り組みが広がるだろうと思う理由は大きく2つあって、1つは、私のように「真剣な仲間」が欲しいと考えている若手経営者が多いだろうということです。やはり経営者の立場だと、積極的に意見してくれる人が社内にいないことや、事業の方針に不安を抱えていることはよくあるケースだと思います。その時に、相談に乗ってもらうというよりも、同じ立場に立って「一緒にあーでもない、こーでもない、と考えてくれる仲間」がいることで、救われる経営者も多いと思います。

もう1つの理由は、「複業人材による伴走支援」が、日本経済の発展にとって最も有効な施策だと思うからです。実際に一緒に取り組んだことによって、首都圏の大手企業で働く複業人材が大手と中小企業の距離を縮める役割を担ってくれると感じています。今回の協働でまさに、弊社と大手企業とで新しい取引が始まろうとしているのがいい例です。複業人材の知る「大手企業で働いている人ならではの視点」を中小企業に伝えることで、取引先の選択肢として考えていなかった企業同士が出会うきっかけになるのではないかと思います。

また逆に、サラリーマンである「複業人材」の方にとっても、経営視点など、普段の企業勤めの仕事だけでは得られない気付きの機会にもなりうるのではないでしょうか。中小企業の経営者たちから逆にフィードバックできることも多いと思うんです。そうすると、お互いにメリットがあり、中小企業も、大企業の人材も相互に高めあっていければ、全体の底上げにも繋がると思います。

ーー最後に、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

大杉:日本には中小企業が圧倒的に多いので、協働プロとの出会いで中小企業が変われば、経済が上向きになって発展していく───極端な話、全ての中小企業が協働日本との取り組みをしたら、間違いなく日本は変わると思っています!これからも、よろしくお願いします!

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

大杉:ありがとうございました!

大杉 謙太 Kenta Osugi

株式会社ダイモール 代表取締役
1979年生まれ。神奈川大学を卒業後、地元の地銀から内定をもらったが、
入社前の12月に就職先の銀行が破綻。
横浜のシステム開発会社に就職、13年間システムエンジニアを勤め、2015年、地元・石川県で、家業の金型製造業に転職した。

2020年に現職である、3代目代表取締役に就任。事業の拡大に尽力している。

株式会社ダイモール

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-


STORY:沼津三菱自動車販売株式会社 齊藤 周氏 -社員が主体性を発揮する、ワンチームで取り組む新規事業は右肩上がりの成長へ-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、沼津三菱自動車販売株式会社 代表取締役の齊藤 周氏と、伴走支援を担当した協働プロの坂本 英一氏にお越しいただきました。

沼津三菱自動車販売株式会社は、1978年創業の静岡県沼津市の三菱自動車ディーラーです。三菱の新車ならびに中古車の販売をメインとし、点検や車検、そして鈑金塗装などを行っております。静岡県東部エリアを商圏として、沼津と伊東に2店舗を構えます。

過去20年間、自動車業界の変革期も重なり経営的に厳しい時期が続いたといいます。自動車ディーラーとしてこのままのビジネスを続けて行くだけでは立ち行かなくなるという危機感から立ち上げた新規事業。失敗できない状況で、協働プロと共に挑戦することを決めたと言います。

今回はお二人それぞれから、協働プロジェクトに取り組んだことによる変化や感想、今後の想いを語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

一念発起して立ち上げた新規事業。「カーディーラーからの進化」へ議論を重ねる

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

坂本 英一氏(以下、坂本)よろしくお願いいたします!

齊藤 周氏(以下、齊藤よろしくお願いいたします。協働日本代表の村松さんと初めてお会いしたのは、2022年3月の中小企業家同友会沼津支部の例会で、協働日本について講演を聞いたことがきっかけでした。多様なプロフェッショナルが地方の中小企業とチームで取り組むという協働日本の伴走支援についての講演を伺って、素晴らしいと思い、即断で協働を決意しました。

実は、当社は過去20年間ずっとお客様の数が減り続けている状況でした。自動車業界の変革期と重なったこともあり、売上高で見ると20年前と比較して70%も減少するという厳しい状況の中で、規模を縮小しながらなんとか頑張ってきていたんです。しかし、自動車ディーラーとしてこのままのビジネスを続けて行くだけでは立ち行かなくなるという危機感を抱いており、コロナ禍で出た経済産業省の事業再構築補助金をきっかけに、2021年に新規事業の立ち上げを決めて動き出していました。

一部補助金を活用したとは言え投資額も非常に大きく、失敗できない状況でしたので、事業の拡大に向けて確度を高めるための方策を探していた中で、村松さんのお話を聞き、「プロフェッショナルの方の伴走」はまさに求めていたものだと思ったんです。

2021年にブランドを立ち上げ、店舗のリニューアルや洗車・コーティングの建屋の建築を進めており、2022年6月にはオープンの予定だったのですが、協働がスタートしたのはその直前の4月のことでした。

ーーぴったりのタイミングだったんですね。新規事業ではどのようなことをされているのか、具体的な協働の内容についても教えていただけますか?

齊藤:今回立ち上げたのは洗車とカーコーティングに特化した自社ブランド「Gran Works(グランワークス)」です。車をいつもキレイにしておきたいカーオーナーの方に向けて全車種・全メーカーのクリーニングからメンテナンスまでをお手伝いさせていただいています。この「Gran Works」のブランディングと事業拡大に向けたマーケティングについて、協働プロの方々は3名、坂本さん、向縄さん藤村さんに入って頂いています。

毎週Web会議を行なっており、当社側は私を含めて3名参加し、毎週議論させて頂いています。

まずはどういった属性の方がこのサービスを必要とされているのか、いわゆる5W1HでいうところのWHOの洗い出しに相当な時間をかけていったんです。これまでは、マーケティングの手法に基づいたプロセスを実施せず、「なんとなく」の考えで施策を考えていたこともあり、この経験も当社にとっては初めてのことで、会社として大きな財産になったと思っています。

7月頃には実際にリニューアルした店舗を見に来ていただく機会もありました。

新ブランド「Gran Works」。いつもキレイで快適な状態で愛車に乗れるように、車のメンテナンス全般をサポートする。
ーーいつもWeb会議で密度の濃い議論をされていたと思いますが、実際にお会いして変わったことはありましたか?

坂本:リニューアルされて綺麗な店舗・施設や、応対してくださった社員の方の雰囲気など、とても良い印象を受けました。元々協働の中で皆さんのフットワークの軽さや物腰のやわらかさなど良い印象はありましたが、リアルで一層その雰囲気の良さを実感することができました。

そして、全車種・全メーカーのメンテナンスを行う「Gran Works」のブランドテーマの一つとして掲げていた「『三菱自動車のカーディーラー』からの脱却」についても、実際に自分の目で店舗の様子を見ることができたからこそ、お客様の視点で見て、「『三菱のカーディーラー』のまま」に見える部分があることに気づくことができました。

ハード面は変えにくいので、ソフト面でどのようにアプローチするか?など、次の一手について考えるようになりました。

齊藤:私は、まずは皆さんに対面でお会いできたことが嬉しかったですね(笑)そして、坂本さんがおっしゃった通り実際に目で見てもらえることで、自分達では普段気づけないことにも気づいていただけて本当に良い機会でした。

例えば、協働プロの藤村さんからは「魂は細部に宿る」という言葉をいただいたんですが、これが個人的にめちゃくちゃ刺さったんです。例えば、お客様が席に着いた時に視界に入る棚の上の段ボールは、本当は目についてはいけないんじゃないですか?と指摘をいただいたんです。本当におっしゃる通りで、そういったことは一事が万事じゃないですか。見えてはいけないものが見えているお店は、他の部分でも雑な部分が出てしまうことがあると思うんです。「車」という高額商品を扱っている以上、細部まで気を張り巡らせていかなくてはいけない。お店づくりとして大切にすべき点だと痛感しました。

坂本さんからは、先ほども触れていただいたのですがお店のホスピタリティの強みについてご指摘いただいたのを覚えています。自動車ディーラーの店舗では、フリードリンクの機械をおいて、セルフサービスで「ご自由にどうぞ」というタイプのお店も増えています。一見便利だと思うかもしれませんが、私はスタッフとの接点が減ってしまうと考えているんです。

沼津三菱ではコーヒー一杯でも豆から挽いて淹れたクオリティの高いものを提供することに拘っています。こういった飲み物の提供だけでも、スタッフとお客様とのコミュニケーションが生まれるんです。これまでも大事にしているところではあったのですが、改めて「強みだ」と言っていただけると、進め方への安心・自信に繋がりましたし、沼津三菱でのこの接客文化を大切にしたいと改めて思うことができました。

主体者意識を持つワンチームへ。ハード×ソフトの強みで戦える組織への変革

ーー協働がスタートしたことによって、これまでになかった気付きや、自分たちの持つ強みが整理されてきたんですね。他にも具体的に「これが変化した」と感じる点はありますか?

齊藤:先ほども少しお話しした通りで、これまで使ったことのなかったマーケティングの手法やプロセス自体が社内に根付いたことですかね。実績のデータを記録して仮説を検証し、お客様アンケートからWHOの再定義を行うなど、「Gran Works以外の既存事業においても活かせるため、現在既存事業の見直しについての取組みも開始できています。ヒアリングして分析・検証という一連の流れを社員が手法として獲得できたことは本当に大きいと思います。

あとはそうですね、お客様アンケートの結果を上手く活かせるようになったことでしょうか。アンケートの結果を見直しながら、「数字としてこういった結果が出ているので、じゃあ次はこういう施策に繋げよう」と社員皆が「参加している」感じになってきました。

坂本:素晴らしすぎますね。今の話が沼津三菱さんの変化を象徴しているように思います。ずっと伴走はできないので、自分たちの持つスキルを身につけてもらい、協働プロが離れた後も自走できるようにすることが私たちのミッションだと常に意識していたんです。実際にこうやってマーケティングの型を活用していただけているということは、当初目標にしていたあるべき姿に至ったなと感じます。

今のお話を聞いて、プロジェクトに携わらせていただけてよかったと改めて感じました。ゴールの確認ができたようで嬉しいです。

ーー協働の成果が「自走」という形で現れているんですね。協働に関わった社員の方だけでなく、皆さんが自分ごととして事業を捉えている姿勢も素晴らしいですね。

坂本:実は、一緒にプロジェクトをを進めていく中で、沼津三菱のワンチーム感は強みだ!と協働メンバー側も気づき始めていました。この強みを磨かなくてはと思ったのを覚えています。

沼津三菱さんの輝かせるべき個性は何か?を考えていく中で、最初はコーティング設備や施設などのハード面を強みだと見ていたのですが、社員の皆さんの接客、仕事に対する姿勢などのソフト面もすごく強い。ハード×ソフトが揃っているんです。知れば知るほど、優位に戦える個性があるなと感じて、その強みを最大化できるように意識してサポートしていました。

おそらく、藤村さんと向縄さんも同じように考えていて、「アンケートを皆で見て討議してみて下さい」「社員の皆の意見を聞いて力を合わせて考えて」など、ワンチームとなって事業に取り組むための風土が醸成されるような課題をあえて出してお願いしていました。必ず強みになると思っていたからこそですが、実際このように当事者意識を持ってスタッフが働けている、これほど素晴らしいことはないと思います。

齊藤:ありがとうございます。チームで一丸となってやっていきたいとはずっと思っていましたが、自分としてはまだまだです。今年度目指す姿も「団結力のあるチームになろう」と掲げているくらい、もっと強化したい思いはあります。

協働の中でもそこを強みと見て対話をしてくださったり、意図的に課題をいただいたりしていたことを今知れて、そこまで考えてもらえていたんだ…と皆さんの親心に感謝しています。

ーー「Gran Works」の数字としての成果としても目に見えて変化していると聞きました。

齊藤:そうですね。「Gran Works」のサービスは洗車・コーティングの2つのカテゴリがあって、はじめてのお客様はまずは洗車の依頼、サービスを信頼していただけたらコーティングも…とリピートしていただくケースが多いのですが、入り口である洗車は沼津・伊東の両拠点ともに売上が右肩上がりに伸びています。

特に伊東では、今年の4月は初旬だけで新規洗車が10件ありました。これまで月に15〜20件平均だったので、比較すると洗車しきれないほどで、専属スタッフも採用しました。

もちろん波はありますが、数字としても確実に結果が出ている実感があります。

信頼できる同志としての伴走が、ワクワクする未来を描いて日本を元気にする

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には、以前から興味はありましたか?

齊藤:実は、こういった取り組みや働き方があることは、まったく存じていませんでした。村松さんの講演で存在を知ったことをきっかけにご一緒させて頂いたことで身をもって実感しているのは、持っている課題に対して人材のリソースが充分ではない我々のような小さな会社にとっては、複業人材の方々との取組みが大きな武器になり得るということです。

ーーありがとうございます。複業人材である協働プロにはどのような印象を持たれましたか?

齊藤:プロとしてその分野のスキルが高いというのはもちろんなのですが、会話が非常に論理的、かつ常識的で客観的な視点を持たれているというのが素晴らしいと感じています。

田舎の中小企業の普段の会議、人材のレベルから考えると、こんなすごい人たちと一緒に1年間もやっていけるかな?大丈夫かな?!とはじめは思っていたんです(笑)1時間の打ち合わせの密度が濃すぎて、痩せちゃう…と思ったくらいで。

坂本:確かに、私も初めて組むメンバーだったのもあって「最初からバシバシいくなあ」と思いました。(笑)細かいところや数字にも厳しく議論をしていて。でももちろん良い面もあるんです。数字への責任感の強さや、こういうペースで仕事を考えている人がいるということ自体が、沼津三菱の皆さんにはもちろん私にとっても刺激になりました。

齊藤:回数を重ねることで慣れてきたのか、皆さんに我々のペースをわかってもらえたのか、だんだんリラックスして臨めるようになってよかったです。

あと、私が個人的に非常に嬉しかったのは、協働プロの方々が「御社のビジネス」とは言わず、「我々のビジネス」という言葉を使い、またそういった意識を持って議論をしてくださるところです。その姿勢をお持ちだからこそ信頼できますし、まさに我々の同志として伴走して下さっていることを感じられました。

同じ方向を向き、自分ごととして事業を捉えていく同志
ーーそう言っていただけるととても嬉しいです。複業人材の取り組みは今後広がっていくと思いますか?

齊藤:そうですね。この前、村松さんとの出会いのきっかけにもなった中小企業家同友会沼津支部の例会で1年間の取り組みについて報告をしたのですが、「一流企業の都会的な思考の方が田舎の中小企業の視点で考えられるの?」「とっつきにくいイメージを持っていた」という感想も頂いたんです。地方の中小企業にとってはまだ一般的でないと思われますが、オンラインの普及に伴い、ますます広がっていくのではないかなと。今の状況として、自社のビジネスが低迷していて既存事業を立て直さなくてはという方は多くいらっしゃるので、勇気を持って一歩踏み出して協働プロの力が入ればいいのにと感じることはあるので、これからどんどん協働の取り組みが広がっていけばいいなと思います。

将来的には地方の中小企業の課題解決という側面にプラスして、各会社が持つ優れた技術を組み合わせることで新しい価値を生み出すような協働も生まれると益々ワクワクする未来が創れるような気がしています。

ーー最後に、それぞれへのエールも込めてメッセージをお願いします。

齊藤:これから複業人材が一般的になってくると、今回当社メンバーが感じてきたような協働プロの方々への“信頼”が非常に重要になるように思います。

「この人たちが言ってくれるから、この方向性で行こう!」と思える関係性を築けて本当によかったと思っています。社内だとどうしてもトップダウンで、社長である私の意見が通りやすい感じがあるが、協働プロの皆さんはフラットに意見を言ってくださって助けられました。こういった信頼関係・想いが広がり、事業が大きくなっていくことで日本が元気になるんじゃないかとも思えます。

皆様の信念と情熱を大切にされ、これから日本の発展のために益々のご活躍されることを心より願っております!

坂本:協働を通じて沼津三菱さんの個性がどうやったら輝くかをずっと考えてきていますが、私はその最大の個性は「齊藤さんの柔軟性」「フットワークの軽さ」にあると思っています。未知の取り組みであったにも関わらず、齊藤さんが手を上げてくださったから、協働プロとして関わることができました。

経営者だからこそ自分の意見が通りがちと仰っていますが、有無を言わさず意見を通す経営者の方もいる中で、社員が主体者意識をもってできる環境も間違いなく齊藤さんのマインド・姿勢で醸成されています。経営スタイル自体が強みだと自覚して、自信を持ってこれからも続けていっていただきたいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

齊藤:ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

坂本:よろしくお願いします!

齊藤 周 Shu Saito

沼津三菱自動車販売株式会社 代表取締役
静岡県伊東市出身 大阪大学基礎工学研究科修了
大学卒業後、日本IBMの不動産戦略部門にて事業所や研究所の統合・移転プロジェクトに多数携わる。現会社の創業者である父親が病気を患ったことがきっかけとなり、2013年に転職。2019年より代表に就任、現在に至る。県内の自動車ディーラーでは初となる、洗車とコーティングの専用設備を建設し、2022年6月より新たな自社ブランド「Gran Works」を静岡県沼津市・伊東市の2店舗でスタートした。

沼津三菱自動車販売株式会社

Gran Works

坂本 英一 Eiichi Sakamoto

アサヒビール(株)ブランドマネージャー

大学卒業後、アサヒビール(株)で約10年間、国内ウイスキー事業のマーケティング業務に従事。 ニッカウヰスキーのブランディング、商品開発、プロモーション企画などマーケティング業務全般を経験。 これまでに、ブラックニッカ、竹鶴など主要ブランドの商品開発やリニューアルを担当。 現在はブランドマネージャーとしてニッカウヰスキー全般のブランディング、戦略立案を行う。

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-
VOICE:協働日本 向縄一太氏 – 「浪漫」と「算盤」で地域を変える –


STORY:荒木陶窯 -「ワクワクする薩摩焼をつくる」鹿児島の文化を紡ぐ窯元が、その本質的価値を追究-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、現代の名工、荒木陶窯 第15代玉明山 荒木秀樹氏と、奥様であり同社取締役の荒木亜貴子氏、そして伴走支援を担当した協働プロの田中友惟氏にお越しいただきました。

荒木陶窯は、約425年の歴史ある薩摩焼の窯元です。伝統的な薩摩焼の器を買い求めるお客様が全国から訪れる他、個展の開催を各地で行うなど薩摩焼の制作販売を行っています。薩摩・鹿児島の伝統文化の担い手として、薩摩焼の流派の一つである「苗代川焼」の保存のため、苗代川焼伝統保存会の運営や、次世代に伝統を伝えていく活動も積極的に行っています。

そんな伝統ある窯元も、生活様式や購買行動の変化によって従来の販売形式や作品の見せ方を変える必要に迫られ、顧客へのアプローチに課題を抱えていました。荒木陶窯の魅力をどう表現すれば購買に繋がるのか──協働プロと共に今一度荒木陶窯のありたい姿を考えることに挑戦されました。

今回は協働日本との取り組みのきっかけや、支援を通じて生まれた変化についてお聞きしました。さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についてメッセージもお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

鹿児島県 令和4年度「新産業創出ネットワーク事業」発表会の様子(右:荒木秀樹氏、左:荒木亜貴子氏)

これまでの「当たり前」と向き合い、ありたい姿の徹底的な言語化

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

荒木 亜貴子氏(以下、亜貴子):協働がスタートする前年にHPのリニューアルをして、ECサイトについても活用方法を考え直したいと思っていたんです。相談先を探して情報収集をしていたところ、鹿児島県とも事業を進めている協働日本のことを知りました。鹿児島県在住の協働プロである浅井南さんに実際にお会いした際に、「協働日本の伴走支援は荒木陶窯さんに合うんじゃないかな?」と仰っていただいたんです。ちょうどこれからの時代の変化への不安から、チャンスがあれば色んなことにチャレンジしたいと思っていたタイミングだったので、すぐにお願いすることに決めました。

そこから協働がスタートして7ヶ月間、本当にあっという間に過ぎていきました。

ーーなるほど、タイミングがとてもよかったんですね。具体的にどんなお取り組みをされていたのでしょうか。

亜貴子:はい。週に一度、オンラインミーティングをお願いしていました。目先の課題はECサイトの活用についての悩みだったのですが、蓋を開けてみると、さらに大きな2つの課題を抱えていることがわかりました。1つは、購買層の変化や購買チャネルの変化により、顧客への有効的なアプローチ方法がわからなくなっていたこと。そしてもう1つは、荒木陶窯の魅力をどう表現すれば購買に繋がるかわからないという点です。そこで、まずは基本に立ち返るため、オンラインミーティングで「荒木陶窯のありたい姿や価値を言語化」していくことになったんです。

最初は協働プロとして藤村さん、枦木さんを中心にミーティングに入っていただきました。オンラインが中心ではありましたが、時折実際に工房までお越しいただいて、実際に作品を見ていただいたり対面でディスカッションをしたりして、対話を深めていきました。

実際のところ、荒木陶窯のこと、作家の想い、普段の様々な仕事のこと…全てのことについて改めて言語化する作業はなかなか大変でした。毎週のミーティングでは、協働プロから「問い」をいただくんです。自分たちの想いは?製品の良さは?──今まで当たり前のこととしてじっくり考えることのなかったものばかりでした。普段の業務の中ではなかなか時間も取れず考えもまとまらないので、車での移動時間のような隙間時間にずっと考えていました。答えなんて出ないんじゃないか…と思うこともありましたが、不思議なことに考え続けて1週間が経つ頃には「これだ」というものが思い浮かんでくるんです。

浮かんできた答えを持ってミーティングに臨み、それに対してまた新たな「問い」をいただく。この繰り返しでどんどん荒木陶窯業のありたい姿、本質的な価値の解像度を高めていきました。言語化を続けていって最終的に辿り着いた、私たち荒木陶窯のありたい姿、本質的な価値は「作り手も使う人もワクワクする薩摩焼をつくる」ことでした。

左:田中友惟氏、右:荒木亜貴子氏

ーー協働プロである田中さんから見て、亜貴子さんの言語化の過程はどのように映りましたか

田中友惟氏(以下、田中):亜貴子さんのすごいところは、どんどんレベルアップするところなんです。問いに対して深掘りを続けていくと、問いに対する答えの質であったり、表現の仕方が、前の週では絶対に出てこなかっただろうなというものに進化している。本当に事業、そしてご自身と向き合って考え抜いた結果なのだと思います。

ーー協力し合いながら真剣に深掘りをされていったのが伝わってきます。「ワクワクする薩摩焼」というキーワードに到達するまでには、どんな道のりがあったのでしょうか。

亜貴子:ここに至るまでにはまず、作り手である主人が「どんな思いで作品を作っているのか」ということを引き出さなくてはいけなかったんですが、そこに難航しました(笑)そこで、協働プロとのミーティングの中で出てきた主人の言葉を思い出しながら、キーワードをとにかくたくさん書き出してみたんです。「あんなこと言ってたよね」と書き出しては「でもこれが本質的な価値なのかな?違うな」と自省しては全部消して、という作業を繰り返していって……最後にパッと浮かんできたキーワードが「ワクワク」でした。

ーー作り手である秀樹さんの「ワクワク」ということですか?

はい、初めはそういった作り手側の「ワクワク」の意味で思い浮かんだ言葉だったのですが、作り手側の想いを表すのと同時に、作品のプロモーションをしていく私自身の「ワクワク」であったり、手に取ってくださるお客様の「ワクワク」にも繋がっていくんです。
悩んでいた顧客層へのアプローチや作品作りの方向性など、全てを網羅する、軸になる言葉だ!と思いました。

田中:実はこの「ワクワク」というキーワードは、秀樹さんと私たちが個別にお話ししている時にも出てきていたものなんです。とても印象的だったので覚えています。「ワクワクする薩摩焼」が、ご夫婦の共通する秘めた想いだったのかもしれませんね。

荒木 秀樹氏(以下、秀樹):言語化の作業は全て妻に任せていて、その中で自分の想いはなかなか言葉にできなかったですし、自分が過去に「ワクワク」という言葉を使ったことも実はあまり覚えていません(笑)でも、やはり作品を前にすると熱く語れる部分があるので、作品について話をしている時に自然と想いが溢れていたのかもしれませんね。協働プロという外部の人が入ってくれたからこそ、夫婦二人では普段語ることのない部分を引き出してもらえたように思います。

協働プロとのオンラインミーティングの様子

協働を通じて、過去の自分たちにも、この先歩む未来にも、自信を持てるようになった

ーー言語化した後、実際の業務にも変化はありましたか?

亜貴子:はい。ある程度の言語化ができてきたところで、今度はそれをどう活かすか?という議題に変わっていきました。

言語化した荒木陶窯のコンセプトをブランドガイドラインに落とし込み、表現の指針として可視化。それを元に、顧客へのアプローチを変えていったんです。具体的には、ECサイトの写真や、展示会での作品の見せ方を変えています。協働がスタートする前は作品をシンプルに見せるようにしていましたが、荒木陶窯の魅力や商品の「ワクワク感」が顧客に届く設計に変えたんです。例えば食器だけを写した写真ではなく、食べ物を盛り付けした写真を使用することで、利用シーンを想像してお客様に「ワクワク」してもらえるようにしています。写真をリニューアルする際にも、協働プロとして活動されているフードコーディネーターの方にもご協力いただいて撮影しました。おかげさまで、食事風景がリアルに思い浮かぶような「ワクワクする」素敵な写真になりました。

展示会でも、こういった写真をポップとして活用したことでお客様との会話のきっかけにもなり、ただ食器を展示していた時に比べてコミュニケーションの質が向上していきました。

「顧客視点」、「言語化した魅力を伝える」ことを意識するように工夫することで、徐々に売りたい商品が売れるようになっていっている実感があります。

利用シーンを想起して「ワクワク」できる写真へ

ーーなるほど。元々迷っていらっしゃったECサイトの活用や顧客へのアプローチも「荒木陶窯らしい」ものに変化したんですね。作品作りにおいても何か変化はあるのでしょうか?

秀樹:そうですね。実は元々、作品作りの転換期でもあったんです。展覧会に出すような大作はずっと命懸けで作っていましたが、大型の壺などがほとんどで、日常生活にあまり馴染みがなく、気軽に手に取ってもらえるようなものが少なかったんです。もっと多くの人に薩摩焼の良さを知って欲しいと考えていたので、伝統も守りつつも、手に取ってもらえるような新しいものも作りたいという想いを持っていたんです。

亜貴子:主人がぽろっとその想いを口にしたことがあって。伝統ある薩摩焼を、もっと気軽に手に取ってもらえる、使ってもらえる、というアイディアはとてもいいなと思いました。そこで、数年をかけて「テーブルウェアを作ってみない?」と説得したんです。

結果として、できあがった食器はモダンでいいねと選んでもらえるようになったので、挑戦してよかったと思っています。

秀樹:そんな転換期において、ターゲットが定まっていなかったのもあって、なんとなく「綺麗なものや華やかなものが売れるのでは?」と考えて「売れそうなもの」を作ってみたのですが、作り手である私は全然ワクワクできなかったんです。やっぱり作り手自身がワクワクしていないと、良い作品にはならない。「作り手も使う人もワクワクする薩摩焼をつくる」というコンセプトは、作品作りにおいてもすごく腑に落ちる言葉でした。ワクワクしながらより良い作品を作っていこうと自信を持って思えるようになりました。

ーー振り返ってみると、これまでも「ありたい姿」でいたことを実感されたんですね。

亜貴子:そうですね。これまで考えていたことも間違いではなかったんだと思えたんです。また、ターゲティングや顧客へのアプローチについて悩んでいた頃は、あれもこれもと手を出さずに何か一つに絞らなくてはいけないのかな?とも考えていたのですが、ガイドラインを作ったことによって「ワクワクできる」なら、どんなものでも挑戦していいんだ、それが新しい「秀樹の荒木陶窯らしさ」なんだ、と胸を張れるようになりました。

「これまで」と同じように「これから」も、自信を持ってワクワクする作品を作り、ワクワクしながら手に取ってもらえるようにしていきたいと思っています。

伝統的な薩摩焼の一つ「白薩摩」は、白地に絵付けをしたものがメジャー。荒木陶窯では、絵付けではない「彫文」や「波文」という、形で魅せる新しい表現に挑戦している

未知の取り組みだった「複業人材との協働」は、永く繋いでいきたい「人と人」の縁になった

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には、以前から興味はありましたか?

亜貴子:そういった働き方があるということを、実は知らなかったんです。でも実際に取り組みを経験してからは画期的な仕組みだと思っています。田舎にいて、主人としか話さない日々を過ごしていると、世の中から離れていきますし、顧客層の考えからも遠くなってしまいます。ビジネスシーンの第一線で働く人の考えを聞くことができたのは、私にとってとても刺激的でした。他の企業の方に、「どうだった?」と聞かれたら、迷いなくよかったと伝えられます。

秀樹:やっぱりお一人お一人が魅力的だったのが印象に残っています。皆さんとの対話の中でそれぞれのバックグラウンドが見えてくる。そこからも学べることが多かったと感じています。

陶芸という商品の性質上、コストが減った、売上が倍増した、などの具体的な結果をすぐに出すためのものというよりも、この経験がこれからの人生に活きる、自分に対する投資という感覚も大きいです。

ーー最後に、それぞれへのエールも込めてメッセージをお願いします。

亜貴子:これからもどんどん需要が増えていくのではないでしょうか。コロナがあったからこそ、遠方の複業人材ともオンラインで繋がって取り組みを進めるという形も皆抵抗なく受け入れることができると思います。私も受け入れた結果「こんなに便利な世の中になったんだ」と思えましたから。

協働日本の皆さんは、ますます活躍されると思います。 

秀樹:皆さんと知り合うことができて、とても刺激的で楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。半年強という時間は短かった。3年、5年と続けていきたいご縁です。

何年か経ったらまた改めて協働をお願いしたいと思っています。それぞれ更に進化されて、学びも楽しさも、更に大きなものになっているだろうと考えるととても楽しみです。

田中:7ヶ月間本当にありがとうございました。鹿児島県出身である私自身も知らなかった更なる薩摩焼の魅力や歴史を改めて学びながら、鹿児島の伝統工芸と向き合うことができて、とても貴重な機会になりました。知れば知るほど魅力が溢れる荒木陶窯さんの作品、私も一人のファンになりました!

これからも荒木陶窯さんから生み出される「ワクワク」を、私もワクワクしながら楽しみにしております!

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

秀樹・亜貴子:ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

荒木 秀樹 Hideki Araki

荒木陶窯 15代 代表

1959年11月1日生
1983年 日本大学芸術学部美術科彫刻専攻卒
1985年 同大学研究課程修了
2020年 苗代川焼・朴家15代襲名
2020年 「現代の名工」卓越技能者厚生労働大臣表彰
日本工芸会正会員
日本陶芸美術協会会員・日本伝統工芸士会会員
鹿児島県美術協会会員・苗代川焼伝統保存会会長

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荒木 亜貴子 Akiko Araki

荒木陶窯 取締役

荒木秀樹の妻。平成18年より取締役として経営に携わる。
ブランディング、マーケティング、作品の販売などの業務を担い、荒木陶窯の作品作りを支える。

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本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら
VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく –

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-


STORY:バリュエンスホールディングス執行役員 井元信樹氏 -限られた時間とリソースの中で事業戦略を組み立てたからこそ得られた学びと変化-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

今回は、協働日本が(株)スパイスアップ・ジャパンと共同でご提供している、協働型人材育成プログラム『越境チャレンジ』の参加者、井元信樹さんにインタビューをさせていただきました。

複雑で急速に変化するビジネス環境において、リーダー人材には、異なる環境でビジネスを運営し、問題を解決する「越境経験」がますます重要になっています。

一方で、既存の越境学習のプログラムには、長期にわたって対象社員を現場から出向させる必要がある等、人事部にとって導入しづらいなどの課題が聞かれます。

そこで協働日本は、”グローバル人材育成・海外研修”に実績のある(株)スパイスアップ・ジャパンと共に、参加者が本業に取り組みながらオンラインで参加できる『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』を開発し、地域企業経営者との協働の機会をご提供しています。

今回はそんな『越境チャレンジ』から生まれた協働の現場から、第一号プロジェクトに参加しているバリュエンスホールディングス(株)事業戦略本部 執行役員・事業戦略本部長の井元信樹さんをお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

奄美大島の有屋集落で8代続く大島紬の織元である、有限会社はじめ商事との協働プロジェクトを2022年9月から推進している井元さん。インタビューでは、越境チャレンジへ挑戦することになったきっかけや、そこで生まれたプロジェクトの成果、ご自身が感じている変化や成長についてお話しいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

モノに込められたストーリーに寄り添ってきた

ーー本日はよろしくお願いします!今日は、進行中のプロジェクトについてだけでなく、井元さんがなぜ越境チャレンジに取り組もうと考えたのかなど、お取り組みのきっかけになったエピソードや、ご自身の変化などをお伺いできればと考えております。

井元 信樹氏(以下、井元):はい、あらためて本日はよろしくお願いします

ーーまずは井元さんご自身についてお聞きしたく、自己紹介をお願いします。

井元:バリュエンスの井元と申します。今回、越境チャレンジに参加して、本当に貴重な経験をさせていただいたので本日はそんなお話ができればと思っています。

私自身、越境チャレンジの中で、自分のコンフォートゾーンを飛び出せたことが大きな学びや変化につながったと感じていますので、そのためにまずは弊社で普段どんな仕事をしているか、ということをお話しさせていただきますね。

弊社バリュエンスは、「なんぼや」という屋号でブランド品や貴金属を買い取るといった事業を全国展開しています。富裕層の方などから買い取ったブランド品を、オンラインオークションを通じてBtoBで事業者に向けて販売をしています。今は特にグローバルにも力を入れていて、海外にも積極的に販売しています。ありがたいことにブランド品の買取額に関しては、日本一仕入れている会社として業界でご認識いただいています。

そのように、ブランド品買い取りがメイン事業ではあるものの、最近では事業の多角化を進めていまして、様々なスポーツのアスリートと協業して、ユニフォームやクラブチームのグッズ等をオークションを通してファンに届けるプラットフォームビジネスの運用も進めています。

そのほか、プロダンスリーグでのチーム経営にも最近では取り組んでおり、チームの立ち上げも一から行うなど、スポーツ文脈での事業展開も広がりつつあります。

ーー幅広く事業を展開されているのですね。事業戦略本部長として活躍されている井元さんのこれまでのバリュエンスでの歩みについても、よろしければ教えてください

井元:2012年2月に(株)SOU(現:バリュエンスジャパン)に中途入社しました。2011年12月28日にバリュエンスが設立されたので、比較的初期のメンバーと言えます。

それまではBARなどの飲食店で働いていました。人と接することは以前から好きでしたし、ブランド品などにも興味があったので、当時のブランド買取担当という仕事は面白さを感じていましたし、やりがいもありましたね。

ーーどんなところに面白さや、やりがいを感じていたのですか?

井元:買い取り担当として重要なことのひとつに、いかにリピーターを生み出せるか、というものがあります。そのためには買い取りに来られるお客様のニーズを捉えて、最初の買い取り査定でしっかりと納得感を持っていただき、リピーターとして何度も足を運んでいただくことが重要になります。

商品のトレンドを勉強することも非常に重要ですが、私が大切にしていたのは、モノに込められたストーリーにちゃんと寄り添うということ。

ブランド品を売りに来られるお客様にとって、持ち込まれるものにはそれぞれストーリーがあります。初任給で買った時計だったり、贈り物でもらった指輪だったり。そういったストーリーに寄り添うことで、お客様から「あの兄ちゃんだったら信用できる!」と思ってもらうことが重要なんですね。

モノに込められた背景に目を向ける姿勢というのは、今回のはじめ商事さんとの取り組みでも大切にしている視点ですし、バリュエンスでもそういった姿勢で仕事に取り組んだからこそ成果にも繋がって、マネージャーとして色々な仕事を任せてもらえるようになったと思っています。

「奄美大島の持続可能な未来をつくる」を合言葉に

ーーそんな井元さんが、「越境チャレンジ」を通じて地域企業との協働に取り組もうと考えたきっかけを教えてください。

井元:会社がより大きく成長していくために、役員クラスも含めて人材育成を強化していく必要性を感じていました。

そんな中で、越境チャレンジの話をお聞きし、普段接していない異業種で活躍されている経営者とのコミュニケーション機会であったり、まして外部の経営者の方と一緒に事業に取り組む経験というのは、弊社の役員にとっても絶対プラスとなる研修プログラムだと思いました。

自分自身もバリュエンスで10年以上仕事をしてきた中で、このタイミングでぜひ新しい経験を積んでみたいと思い、その役員でもある自分がまず最初にやらせて欲しいと手を挙げました。

ーーそうして始まった「越境チャレンジ」ですが、その第一印象をお聞かせください。

井元:協働先の企業として、鹿児島県の奄美大島にある「はじめ商事」という会社をご紹介いただきました。はじめ商事代表の元さんとじっくり話をするところからスタートし、色々なことを教えていただきました。

はじめ商事は、奄美大島で大島紬という日本の伝統技術を受け継ぎ、とても素晴らしい製品を作り続けています。この大島紬が現在、職人の高齢化や担い手の不足、若者の着物離れも相まって、生産量の減少が続いているのだと知りました。

元さんは、業界自体が衰退していってしまうことや、大島紬の技術を後世にどうやって受け継いでいくのかということについて強く危機感を持っていらっしゃって、これまでのように着物を作るだけではなく、新しいことにもどんどんチャレンジしていきたいと話されていました。これは、チャレンジしがいのある難しいテーマだなと思いましたね.

ーー「越境チャレンジ」として取り組んだプロジェクトはどんなものだったのですか?

井元:プロジェクトのメインテーマは元さんが取り組む新しい事業を伴走支援することでした。

元さんは近年、伝統的な大島紬の製造だけでなく、新しい事業として大島紬を作る工程の中にある「布を織る」という技術を活かした、「奄美布」という新しい商品作りに取り組んでいました。

もともと古くなった大島紬を織り直す技術だったそうですが、それを大島紬以外の着物にも広げたり、ビニールのような素材でも織れるようにしたり。今まさにトレンドでもある、地球環境に配慮したサステナブルなものづくりにつながる技術だと思いました。

元さんと、この越境チャレンジという機会を活かして、自分の持っている知識や経験を活かして、伝統的な大島紬の販路拡大だけでなく、新たな「奄美布」というブランドもどうやって拡大していこうか色々な議論を重ねました。

ーープロジェクトの向かうべき方向性やミッションなどは、そういった議論の中で固まっていったのでしょうか?

井元:議論の中で、元さんは何度も奄美大島という島自体への強い想いを語ってくださいました。奄美大島は大島紬で栄えてきた島という経緯もあり、大島紬は奄美の歴史そのものでもあると。

昔は大勢いた織師も、産業の衰退とともに大きく減ってきており、技術継承も危機的状況です。

だからこそ、奄美布のような新たな需要をまた掘り起こしていくことが非常に大切で、奄美ならではの技術が注目されることで、島自体を盛り上げていきたいし、それによって伝統技術を守っていきたい。

僕らのミッションとしては、そんな「奄美大島の持続可能な未来をつくる」ということを合言葉にしてやっていきましょうと、議論を通じて方向性が固まりました。

監督兼選手状態で「戦略」も「実行」も

ーー普段バリュエンスで取り組んでいる業務とは異なる業界・商品の事業戦略を考える、まさに「越境」体験ですね。

井元:自分の知らない商品、体験したことのない業界ですから、一から学ぶ必要もありますし、なにより取り組み先の、はじめ商事の元さんあってのことですから、普段やっている仕事の進め方とは全く違います。だからこそ、新しい刺激をたくさん頂いています。

ーー実際に越境チャレンジが始まって、どんな学びや気づきを得ましたか?

井元:普段バリュエンスではありがたいことに、会社の看板はもちろん、メンバーや事業資金など、様々なリソースを活用して事業をさせていただいています。だからこそ求められる成果も大きいのですが、分業体制で仕事を進めることができる。

一方で今回、ここまでリソースが限定的な環境でビジネスを考えたのははじめてでした。

ーーリソースが限定的とは?

井元:スポーツに例えるなら、監督兼選手状態です(笑)

バリュエンスでの仕事では普段、監督に近いポジションで事業全体を統括、指揮することが仕事柄多かったのですが、今回のプログラムはとにかく自分も元さんと一緒に手を動かしました。

実行のアイディアが湧いても、それを実現するのは自分。限られた時間や資金の中で、優先度をつけて取り組まないと、何も実現できない。戦略を考えながら、同時に手を動かす大変さを痛感しました。

そしていちばん大切なことはなにより、元さんのマインドをどうやって高めていくのかということ。基本は二人だけで進めているプロジェクトですし、顔を合わせてのミーティングは週に一回。 お互いそれぞれ、一週間の間に自走できるかが大事になってきます。だからこそ、元さんの事業をただサポートするだけじゃなくて、元さんに「やらなくちゃ」だったり、「やりたい!」と以下に思ってもらえるかが大事。

ーーまさに「伴走支援」といった感じですね。実際のお打ち合わせはどんな風に進めていったのでしょうか?

井元:事業の主役ははじめ商事の元さんですが、プロジェクトメンバーは二人しかいないわけですから、一緒に伴走しないと前に進められません。戦略も実行も、自分たちでやらなくちゃいけません。

打ち合わせは毎週1時間、オンラインで行っています。最初に戦略を考えていた頃は特に、時間がいくらあっても足りませんでした。バリュエンスの仕事も忙しかったのですが、例えば、移動中の飛行機の中などの時間もうまく使いながら、仕事と並行して越境チャレンジに取り組みました。

戦略が固まりだして、登るべき山の道順が見えてきてからは、週次の1on1で戦術を作り込んでいきました。元さんへどんどんヒアリングして、インタビューして、情報をエクセルに落とし込んでいきました。毎週、質問だらけで元さんは大変だったかもしれません(笑) おかげで早い段階で、事業の課題や、利益構造が把握できました。

なにより元さんも、この一時間を濃いものにしようという意識で望んでくださるので、とてもやりがいがありました。私も毎回アジェンダを用意していき、取り組んでおいてほしい宿題があれば、事前にリクエストしておくので、1時間でどんどん意思決定をしていく。

普段、細かなやりとりはメッセンジャーでも交わしていましたが、お互いに毎週のこの1時間をとにかく大切にしようという意識を持てていたことが良かったと思います。

ーー取り組みが始まってすぐに、奄美大島の現地を訪れたとか。

井元:現地に行って丸2日間、一緒に行動していて、じっくりと元さんと会話でき、先程お伝えしたような想いや、事業の課題を知れたのが本当に大きかったです。

実際に、大島紬の織りや染めを体験させていただき、取り扱う商材の理解を深めることもできました。

ーー実際に現地を訪れて、どんなことを感じましたか?

井元:現地に行ってまず感じたのは、とにかく手間がかかる!ということ。

もちろんその分、良いものではあるし、伝統的な技術の素晴らしさも詰まっています。ただそれでも、こんなに手間のかかる商品を相手にしているのか、と思いました。

これは低粗利でやると苦しくなってしまうなと、実感しました。奄美大島の伝統を後世に繋いでいくためにも、しっかりと価値を言語化し、金額としての価値も高めてブランド化していかなくてはと思いました。

現地に行ったことで、私がバリュエンスの仕事の中で多く取り扱ってきた高級ブランド、例えば、ヴィトンやエルメスのように生地へのこだわりや伝統を言語化し、ブランドとしてしっかりと語れる、ストーリーのある商品として届けていくという方針が見えてきました。

私のこれまでの経験と、奄美大島での体験が越境チャレンジで結びついた瞬間でした。

本業での知識や経験が越境先で、新しいアイディアに繋がることも

ーー具体的にどんなアクションを行っていったのか教えてください。

井元:着物としての需要が先細りしている中で、織物として問屋さんに卸す以外に、新たな「売る機会」を作っていかなくてはいけないということで、新たな販路を模索していきました。

その中で、私の経験や知識が活かせそうな販路のひとつとして、プロスポーツとのコラボレーションにもトライしました。具体的には、先程ご紹介した「奄美布」の技術を使って、バスケなどのプロスポーツチームの選手ユニフォームや、タペストリーなどを使ったバッグなどのグッズ販売です。

ファンの心理としては、大好きな選手やお気に入りのチームのグッズが、織り直されることによって普段から持ち運べるものに変わるのですから、ぜひ手に入れてみたいですよね。

バリュエンスで取り組んでいるHATTRICK(ハットトリック)という、スポーツ団体やアスリート、アーティストから公式に依頼されたアイテムに特別な想いを込めてお届けするオークションサービスでの経験を活かすことができました。

スポーツチームのグッズに込められたストーリーと、奄美布というプロダクトに込められたストーリーの両方によって生み出されたものには、唯一無二な価値が生まれます。ヒアリングやテスト販売を通じて、奄美布の可能性や需要を確認することが出来ました。

ーーいくつか新製品の開発にもチャレンジしたと伺いました。

井元:バリュエンスでも取り扱う、ヴィトンのような高級ブランドでも、最近では電子マネーの普及もあって、実は財布以外の小物のラインナップが充実してきています。

はじめ商事さんでは、財布やコインケースがよく売れる主力の商品なのですが、そのトレンドも変化していくかもしれないという仮説を立てました。例えば、スマホを入れるサコッシュやPCケースなど、今後は何が売れそうか、一緒にトレンドを調査しながら商品開発を進めました。

ーー直近では、どんなことに取り組んでいますか?

井元:今は目下、ECサイトの立ち上げに取り組んでいます。

はじめ商事さんの大島紬や奄美布の価値を感じていただいた方が、また別な商品を手に取りたいと思った時に、これまでは買える場所が限定的でした。これだけ良いものをひとつひとつ作っているのに、買える場所がないというのはもったいない。

様々な販路を通じてはじめ商事のファンを獲得していきつつ、買いたいと思った方がいつでもアクセスできる環境も用意しておくことが大切だと考え、新たにECサイトを立ち上げることにしました。

これまでは店頭で商品を買ってくださるお客様が中心だったので、顧客データの管理が進んでいませんでしたが、今回のECサイト立ち上げを機に、データをしっかりと取得、活用していけるような体制も整えつつあります。

限られた時間でも本気で向き合えば、学びや変化は必ず得られる

ーーこういった越境体験、越境チャレンジを周囲の方にも勧めたいと思いますか?

井元:そうですね。少なくとも弊社の部門長たちには、一度経験してもらいたいと思いましたね。

先程お伝えしたように、監督としてビジネスを考える側が長くなると、どうしてもコンフォートゾーンの中で仕事をしてしまいがちです。

選手全員が揃っている中でビジネスをするだけでなく、限られたリソースを駆使して、アイディアと戦術を練り上げて戦う経験は、とてもいい刺激になると思いました。 あとは、「他の人に動いてもらうようにする」という経験。上司部下という指示系統で「人を動かす」のではなく、相手の気持ちを汲み取って動いてもらう。今回の元さんのように、自分以外の意思決定者の気持ちに伴走して、成果に結びつけていくというコミュニケーションにも学びがありました。

ーー最後に、越境体験に関心を持った方へのメッセージをいただいてもよろしいでしょうか?。

井元:元さんと出会って、元さんの「奄美大島をなんとかしたい」「大島紬の伝統を受け継いでいかなくては」という強い思いに触れたことで、ビジネスって本来は社会貢献っていうものが中心になるのだなとあらためて再認識することができました。

そういった熱い気持ちを思い出させてくれただけじゃなく、マネージャーとしての気づきや学びをたくさん得ることができました。

自分の仕事の価値や、積み重ねてきた自分のキャリアを見直すきっかけにもなります。週に一回とはいえ、自分自身がその一回に本気で向き合うことができれば、学びや変化は得られると思います。まずは、行動してみることをおすすめします。

ーー本日はありがとうございました

井元:ありがとうございました。

井元 信樹 Nobuki Imoto

バリュエンスホールディングス(株)事業戦略本部 執行役員・事業戦略本部長

2012年(株)SOU(現:バリュエンスジャパン)に入社、2021年より現職、オークション事業責任者、海外事業責任者、スポーツ事業責任者を務める。

2022年9月より『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』に参画し、奄美大島の有屋集落で8代続く大島紬の織元である有限会社 はじめ商事との協働プロジェクトが現在進行している。

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら


VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく –

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-
STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-


STORY:栄電社 川路博文氏 -『焼酎粕』を新たな地域資源に。”四方良し”の発想でサステナブルな地域産業へ-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本は、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和4年度の「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、2/17(金)に取り組み企業数社をお招きし、報告会を鹿児島県庁にて行いました。

発表会の様子はこちらの協働日本公式noteでもご紹介しています。
鹿児島で熱い「協働」が続々誕生中!県庁での発表会の様子をご紹介します

当日は取り組み企業の一社、株式会社栄電社の、バイオ環境事業部マネージャー川路博文氏に、発表会へお越しいただき、約半年間の協働の取り組みと成果を発表頂きました。

株式会社栄電社は、「技術で社会に貢献し、お客様からの信頼によって会社を発展させる」をミッションに、人々の暮らしや産業になくてはならない「電気」が、確実に、安全に、効率よく送電され運用されるシステムの運営を支えている総合電気エンジニアリング会社です。

昨今では、時代の要求でもある「新エネルギー開発」や、「バイオ環境事業」を通じて、SDGsにも積極的に取組んでいます。

そんな「バイオ環境事業」において、川路氏は焼酎粕を活用したサステナブルな地域産業の活性化に挑戦されています。地元鹿児島県の名産でもある焼酎を蒸留する過程でできる焼酎粕。強い粘性があり取扱いしにくく腐敗しやすいという特徴から、再利用が難しい産業廃棄物になりがちでした。

栄電社では、この焼酎粕の機能性成分に注目し、加工することで保存性・取扱性を向上させた焼酎粕乳酸発酵液(以下、SPL液)の製造を実現。協働日本との取り組みを通じて、この「SPL液」の活用による地元産業の活性化を図っています。

今回は事前インタビューでお伺いした内容を含め、川路さんにお話しいただいた協働日本との取り組みを通じて生まれた変化や、今後の事業展望への想いなどをご紹介します。

(取材・文=郡司弘明)

廃棄物ゼロを目指して。持続可能な資源の循環を生み出し、鹿児島県の産業全体へ貢献したい

ーー協働日本と勧めている「焼酎粕を新たな地域資源として活用する」プロジェクトについて

まず初めに、なぜ私たちがこの焼酎粕の活用に着目したかについてお話しします。健康にも良い食品として知られる「酒粕」は日本酒の製造過程で出るものであることはよく知られていると思います。

「焼酎粕」も焼酎を蒸留する過程で出てくるものです。そして酒粕と同様に、たんぱく質、ビタミン類、ミネラル類などさまざまな栄養成分が含まれているんです。

ただ、酒粕と違う点として、焼酎粕は粘性が強い液体で取扱いにくい上に腐りやすいという特徴があり、再利用がとても難しいんです。さらに、出来上がり量よりも発生量が少なくなる酒粕と違って、出来上がりの焼酎の約2倍もの量が発生します。年間20万t以上も廃棄されることがあり、当然コストも嵩んでしまう。

そこで、なんとかこの焼酎粕を活用できないかと考え、鹿児島の基幹焼酎メーカーさん、様々な大学機関と連携して2017年から研究開発を始めました。

今までの焼酎粕の処理法というのはメタン発酵により一部をガス燃料にしたり、農地に肥料として撒いたりすることが多く、あくまでも産業廃棄物の処分という考え方でした。私たちは、この焼酎粕を産業廃棄物ではない「地域資源」として活用できないかと考えたんです。

せっかくならば地元産業の廃棄物を新たな「地域資源」に生まれ変わらせて、同じく地域産業で活用してもらえるような形…鹿児島県の地域産業全体に貢献できるような形にしたいという想いを持って事業がスタートしました。

そして研究開発を進める中で、焼酎粕を乳酸菌発酵させて保存性や取扱性、有効成分が強化された、飼料・肥料として使える「SPL液」が完成しました。焼酎粕の全量を使うことで廃棄物ゼロも実現。特許も取り、実証実験も重ねて、幅広い用途で活用できる効果性も少しずつ判明してきました。いざ焼酎粕の活用の可能性が見えてきたものの、「実証の成果をどのように事業に結び付けていけばいいか、ターゲットをどう絞っていくか」という次の課題が浮かび上がったんです。

ーー協働型の伴走支援開始後の変化や手応えについて

ーー続いて、協働プロと具体的にどのような取り組みをしているかもお聞きしたいと思います。

協働日本の皆さんにはターゲット設定の部分でとても助けていただきました。実証実験の結果では、肉牛・乳牛や養殖魚への飼料利用、水稲への肥料利用など様々なケースにそれぞれ良い結果がでていたので、具体的にターゲットをどこに絞って活用を広げていくかという部分を定められていなかったのですが、協働プロの皆さんと検討を重ねることでターゲットを二つに絞ることができました。

一つは「乳牛」、もう一つは「魚の養殖」です。

鹿児島県の豚の飼育頭数は全国一位、肉用牛は全国二位なので、どうしても私たちは「鹿児島」らしさや、市場の大きさから、豚や肉用牛の飼料として「SPL液」を活用することに目がいっていたんです。

一方で、実証実験の成果としては乳牛の成果の方が大きかった。乳量が上がった・母牛の受胎率が上がったなどの成果が数年にわたる実験の数値データとして出ていたんです。

同時に、乳牛は夏の暑い時期に食い渋りが発生し、乳量が減るという酪農家側の課題も明確にありました。協働プロの方に「せっかく明確な課題と、良い結果が出ているのであれば、ターゲットはここに絞るべきではないか」と指摘していただけたことが新たな気づきになりました。

魚の養殖に関しては、時流の観点からアドバイスをいただきました。実は協働のスタート前には、養殖魚に関する商談はひとつもありませんでした。そんな中で、協働プロの皆様は養殖魚のブランド化に着目した意見をくださったんです。

昨今、水産物に関しては特に、味の差別化やブランド化が進んでいます。例えば、鹿児島県では「安全性・鮮度保持性・美味しさ・栄養性・機能性」などに拘った養殖ブリの「鰤王」、鹿児島県産のお茶を飼料に配合した養殖カンパチ「海の桜勘(おうかん)」などのブランド魚が有名です。

新たな地域資源である「SPL液」を飼料として魚に与えることが、「地域の特産品から発生した焼酎粕を使った魚」というブランディングに繋がるというアイディアが生まれたんです。

このアイディアは外食産業の商社の方から共感を得まして、こちらも現在「SPL液」の製造販売の事業化を進めているところです。今年の秋には、「SPL液を使ったブランド魚」を皆様にお届けすることができるかもしれません!

チームとして向き合う一体感と、多角的な視点から一貫性を持ったアドバイスが社内に新風をもたらす

ーー協働日本との取り組みの中で一番印象的だったことは

新しい気づきや視点で、今まで考えなかった方向に進むことができたことでしょうか。社内の人間だけで検討を重ねると、似た議論が続いたり、考えが凝り固まってしまっていて、どうしても全員同じような方向に向かってしまいます。

先ほどのターゲット設定の話の中でも「鹿児島の地域産業のために」という想いから、対象の多い事業者をターゲットに設定したいと視野が狭くなっていました。そこに協働プロの方が入ってくださったことにより、フィールド試験結果を元にして「より収益化に繋がりやすいもの」というヒントをいただきました。

私たちの収益化にも繋がりやすく、効果も出やすければ、事業も広がりやすいので、結果として「鹿児島の地域産業」に大きく貢献できるわけです。新しい視点によって道が拓けていった感覚が強いです。

コンサルではない、同じチームとして向き合っていただいていることも本当に大きいです。当事者目線でいろんな相談に乗っていただけるので、共に事業を作っていっている実感があります。実際、「SPL液」の販売という課題をテーマに協働がスタートしましたが、販売や収益の視点だけでなく「鹿児島県の地域産業全体に貢献したい」という私たちの本来の想いの実現方法を一緒に考えていただくことができました。

“四方良し”のビジネスモデルで、鹿児島県に更なる飛躍を

ーー今後の展望について

基本的には酒造メーカーさんご自身が製造設備を持って「SPL液」を作っていただき、「SPL液」を畜産・養殖業社の方に直接販売していただくという事業モデルを検討しています。

酒造メーカーさんとしては、自社で「SPL液」を製造することで処理費を軽減できます。実は焼酎の製造期間というのは、毎年9月から11月と非常に短いのです。でも、「SPL液」の製造・販売という業務ができることによって閑散期がなくなり、従業員の方たちを年間を通して活用しやすくなります。当然、「SPL液」の販売による増収を見込むこともできます。

先ほど述べたように、畜産農家さん、水産養殖業の方たちに対しても、「SPL液」を活用していただくことで大きなメリットがあります。「SPL液」の栄養吸収率の良さから、生産コストの削減に繋がります。乳牛であれば、一般的に乳量が減る夏場の牛乳の安定出荷、養殖魚であれば鮮度が長く保てることや、味の良さなど、それぞれの付加価値向上が見込めるんです。

もちろん私たちとしても、提携する事業者が増えることで製造設備の建設という仕事が発生するわけです。

鹿児島の名産品である焼酎から、廃棄物ゼロ、循環型の経済を実現し、それが地域の他産業にも活かされていく。全員がWin-Winになる形で地域の活性化が図れると考えています。

こうやって整理してみると、焼酎粕から作った「SPL液」をいかに販売していくかという課題を通じて、本当に私たちがやりたかった「環境問題への取り組みの発信」に辿り着いたことが、協働がスタートしてからの一番の変化のように思います。


編集後記

鹿児島を代表する産業のひとつ「焼酎」から排出される焼酎かすを活用した新事業への取り組みは、発表会に参加した鹿児島県の職員の皆さまのみならず、他の事業者様もペンを走らせながら、興味深く聞いておられました。

報告会終了後に開催した交流会でも、鹿児島県内の地域や業種を超えた繋がりが生まれており、次なる「協働」が誕生する予感が生まれていました。

協働日本の伴走支援中に大手事業者との事業化が決まるなど、既に大きな事業進展が生まれております。

今後も栄電社の技術によって実現した、サーキュラーエコノミーモデルの発展に向けて、今後も協働メンバー一同でお力添えできればと考えております。

株式会社栄電社

昭和53年創業。「技術で社会に貢献し、お客様からの信頼によって会社を発展させる」をミッションとして、人々の暮らしや産業になくてはならない「電気」の供給を支える総合電気エンジニアリング会社。

従来の技術だけでなく、時代の要求でもある新エネルギー開発に関わる新技術の習得や、産学協同研究による高度な技術開発・技術者養成にも積極的に取組んでいる。

「栄電社」様の事例を含む、鹿児島県での地域企業の協働事例はこちら

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