投稿

NEWS:協働のリアルが詰まった最終報告会の様子を動画でお届けします(令和6年度 新産業創出ネットワーク事業)

令和6年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子を協働日本公式YouTubeチャンネルにて公開しました

協働日本は昨年に引き続き、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和6年度「新産業創出ネットワーク事業」を受託。約7か月にわたり、鹿児島県内の地域企業様の伴走支援を行ってまいりました。

2025年2月17日(月)、鹿児島市天文館のコワーキング施設「HITTOBE」にて、その集大成となる最終報告会を開催したしました。

鹿児島で生まれた新たな挑戦と熱い「協働」の取り組みを以下の動画にてご紹介します。登壇企業4社の生の声と協働の現場の雰囲気をお届けします。

協働日本 令和6年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会より

【登壇企業】

・株式会社エルム
・株式会社1129
・株式会社第一塗料商会
・有限会社鹿児島ラーメン

それぞれの事業者様が、この半年でどのように変化し、どんな挑戦と成果を生み出したのかを語ってくださいました。
会場の空気感、登壇者の表情、そして「協働」を通じて生まれた変化の数々を、ぜひ動画でご覧ください。

協働日本公式noteでも、当日の様子をご紹介しております

『鹿児島発 協働の最前線!鹿児島県新産業創出ネットワーク事業 最終報告会2025』

https://note.com/kyodonippon/n/n82a9d…

本事業にご協力いただいた事業者の皆さま、鹿児島県庁ならびに鹿児島産業支援センターの皆さまに、心より感謝申し上げます。

今後も協働日本は、地域に熱を届ける「協働」の取り組みに力を注いでまいります。

◆(株)協働日本とは?

地域に貢献したい意欲に溢れ、スキルあるプロフェッショナル人材と、優れた人材を受け入れたい地域の会社との丁寧なマッチングを行い、協働を通じて地域の会社の事業課題を解決しています。

Email:ippo@kyodonippon.work

URL: https://kyodonippon.work/

STORY:有限会社鹿児島ラーメン 西 洋平 氏 -DX化と組織開発に取り組み、成功循環モデルで利益目標達成へ-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社鹿児島ラーメンの代表取締役西 洋平氏にお越しいただきました。

鹿児島ラーメンは1960年に創業し、鹿児島県内で4店舗を運営する老舗のラーメン店です。みよし家の屋号で親しまれ、代々受け継がれた伝統の味を守りながらも、EC事業や卸売など店舗外での展開にも挑戦しています。

3代目として事業を承継した西氏。組織運営の面で新たな課題に直面し、協働日本とともに組織改革に取り組むことを決意したそうです。

インタビューでは、協働プロジェクトを通じて得られた気づきや成果、今後の展望についてお話を伺いました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)


強みを磨き、飲食業の常識を覆すような新価値を生み出したかった

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、協働日本との出会いについて教えてください。

西 洋平氏(以下、西): よろしくお願いいたします。

鹿児島県内の飲食業界のネットワークがきっかけです。出水田食堂の出水田さんから「面白い人たちが事業者さんの支援をしているよ」と紹介していただきました。

出水田食堂さんが、県の事業で協働日本とユニークな取り組みをしていることはSNSなどを通じて知っていたので、最初は軽い気持ちでお話を聞いていたんですが、協働日本代表の村松さんと何度かお話しするうちに、今まさに向き合っている課題に、協働日本さんの伴走支援がピッタリはまるんじゃないかと思うようになりました。

ーー最初は、協働日本の取り組みに対してどのような印象をお持ちだったのでしょうか?

西: 協働日本が鹿児島県と取り組んでいる事業は「新産業創出」というテーマだと聞いていたので、いわゆる0→1の新規事業に取り組むというイメージを持っていたので、正直なところ、最初は『うちには関係ない話かな』と感じていたんです。
しかし、会話の中で「新産業」というのは単にゼロから新しい事業を立ち上げることではなく、今あるビジネスを時代に合わせて進化させることも含まれると分かったんです。

それならば、鹿児島ラーメンでも、脱アナログ・DXや、強みをフォーカスするためにアウトソーシングなどに取り組むことで、今までの飲食業の常識を覆す新たな価値を生み出せるのではないかと思うようになりました。

さらに、協働プロジェクトのテーマは協働チームの中で話し合いながら設定していけると聞き、躊躇しているよりもまずは、挑戦してみたいと思いました。今年度も募集されていた県の支援事業の仕組みを通じて取り組みがスタートしました。

見えてきた「組織の土台」を強化する必要性

ーー実際にプロジェクトが始まってからは、どのような取り組みを進めているのでしょうか?

西: 協働日本の協働プロとして藤村昌平さん、横町暢洋さん、花澤雄一さん、協働サポーターとして先山毅さんに伴走していただいています。

取り組みを始めた当初は、業務のスリム化やオペレーションの見直しをテーマにしていました。しかし実際にプロジェクトが進むにつれて、根本的な課題である「組織としての基盤が整いきっていない」ことが浮き彫りとなり、気がつくと、取り組みの方向性も自然と変わっていったんですよね。

ーー「組織としての基盤」とは、例えばどのような課題感があったのでしょうか?

西: 例えば、私が現場に指示を出しても現場に指示が伝わりきらず、「聞いていなかった」と言ってスタッフが行動に移せていなかったことがありました。せっかく新たな掲示物を作っても見られずに終わってしまっていたりと、情報伝達の仕組みがうまく機能していませんでした。そういった課題をふまえて、業務のスリム化やオペレーションの見直しに取り組み、組織としての情報共有レベルを上げていきたいと考えていたのです。

取り組みがスタートし、協働日本の協働プロの藤村さんへさっそく現状を踏まえて相談したところ、「レベルアップ以前に、まずは組織の土台づくりに改めて向き合い直すべきではないか」というご指摘をいただいたんです。情報伝達の具体的なハウツーを学んで導入しようと思って質問していただけに、その返答には、正直驚かされました。


ただ思い返してみると確かに、組織としての土台が整っていない状態でルールや指示を通そうとすると、どうしても昔ながらのトップダウン経営になってしまいますよね。
今一度、組織としてのチェックポイントや管理体制など、改善のための受け皿となる基礎を作り、その上で再構築やスリム化の議論を進めていく必要があることに気づく機会になりました。最終的には、組織力強化とオペレーションの見直し、この2つに絞って取り組むことになりました。

ーーなるほど。具体的なお取り組みについてもお伺いできますか?

西: まずは、管理業務の見直しに着手しました。課題管理にはNotionを、数値管理にはスプレッドシートをそれぞれ導入しています。

これまでは店舗ごとにLINEなどのメッセンジャーアプリで数値報告を行っていましたが、日次の売上やFLコスト(食材費+人件費)をスプレッドシートで可視化できるようにと、協働日本の中でも特にデジタル活用に強い協働プロの横町さんにサポートいただきました。その結果、店舗ごとの状況をリアルタイムで把握できるようになり、業績改善に向けた具体的なアクションを取りやすくなっています。

また同時に、現場の声を拾う仕組みづくりにも取り組みました。店舗ミーティングを導入し、トップダウンではなく現場の意見を反映できる環境を整備。これにより、店舗ごとの課題がより明確になり、スタッフ自身が改善に向けて自ら考える機会も増え、組織力の強化が進んでいます。

現場の声を丁寧に拾っていく中で、スタッフ主導でお客様アンケートも実施されました。そこから誕生した新メニューは、1,300円という高単価にもかかわらず、いきなり人気商品となり、売上にも大きく貢献しました。こうした現場発のアイディアが成果に結びつき、組織力が確かに高まってきていると感じています。

組織力だけでなく、働くスタッフ自身も活性化。成果を生み出せる組織の基盤が強化された

ーー色々な角度でのお取り組みが進んでいるのですね。

西: はい。管理業務の見直し・DX化と、組織開発というこれまで別々のものとして捉えていた二つのテーマに、協働日本さんのサポートを得ながら同時並行で取り組んだことがよかったのだと思います。

例えばこれまで予算比で毎月10%以上の乖離が出ていた店舗ごとの利益目標も、ここ最近では大きく改善しています。取り組みが始まってからの3ヶ月で大幅に改善されてきていて、あと1〜2%で当初目標にしていた利益目標に届くペースです。これは正直、自分でもびっくりするぐらいの成果でしたね。

店舗の状況を可視化できるよう数値管理の仕方を一から見直し、店舗のKPIを明確にしたことにより、リーダー陣の目標が明確になり意識も高まったことが大きかったと思います。

組織力を見直す取り組みと同時に、一歩先を見据えた、スタッフ同士のコミュニケーションの質の改善にも取り組んできました。

会社が大切にしている「ありがとうを伝える文化」を作るため、LINE上で「ありがとうグループ」を作りました。「これだけで?」と思われるかもしれませんが、日々の業務の中で「助かった!」と思うことを可視化することでお互いに助け合うシーンが増え、職場の雰囲気が以前よりも明るくなってきたんです。

普段から感謝し合える関係ができたからこそ、みんなで率直に意見を言い合えるようになったんだと思います。それが、業務改善や店舗運営の効率化にもつながったんですよね。

ーースタッフ同士が指摘をし合える関係構築ができたというのは素晴らしいですね。

西: はい、ただ本音を少し話すと実は、私自らがスタッフに対して距離を置いてしまっていた部分もあったのかもしれません。変化を求めて具体的、本質的な指摘をしてしまうと、スタッフの退職に繋がってしまうのではないかということを恐れていました。

私自身は鹿児島ラーメンを継ぐ前に、東京でIT企業に勤めていました。IT業界は人材の流動性がとても高いこともあり、入退社、転職なども当たり前の世界。組織が変化する時には一定の社員はどうしても「辞めていってしまうもの」と思い込んでいた部分もありました。

実際、鹿児島に戻って家業を継いだ時も、ベテラン社員7名が引退し、一時は人手不足に悩まされました。鹿児島ラーメンが好きで長年頑張ってきてくれていたベテランの方も多く、彼らのおかげでこれまで鹿児島ラーメンは地元で愛され続けてきました。そんな方達が、ネガティブな理由で辞めるような環境にはしたくないという思いから、どこかで大胆な改革を躊躇していた自分がいたのも事実です。

ーー西社長ご自身の中にも葛藤があり、なかなか改革の一歩を踏み出せなかったのですね。

西: はい。それでも年月が経ち、徐々に引退される方も増えてきた中で改革の一歩を踏み出しました。

長年のやり方や考え方をいきなり変えるのは大変です。指摘を素直に受け止めるのもすぐには難しいかもしれません。それでも、日頃お互いに「ありがとう」を言い合えていると受け止める方も感じ方が変わると思うんです。
「普段から仕事を見てくれて、そして感謝してもらえている。自分自身も感謝しているしな」と思ってもらえたら、会社を良くしたいと思って伝えた指摘や、これまでのやり方を変えていくということも受け止めやすいですよね。

実際、LINEの「ありがとうグループ」で「これをしてもらえたら助かった」といった感謝の言葉が可視化されたことで、キッチンとホールのスタッフの相互理解が進みました。
ホールが忙しい時にはキッチンのスタッフがサポートに入り、出来上がったラーメンをお客様に配膳するように動くなど、感謝の仕組みが現場組織の形を少しずつ変えてきています。

関係の質が高まれば、結果も自然と良くなる——それが組織の成功循環モデルだと考えています。この良いサイクルを、これからも続けていきたいですね。

ーー先ほど、利益目標の達成も目前に迫ってきているというお話がありました。ここから目指すところについてもお伺いできますか?

西: はい。利益目標の達成のためには、売上向上とコストカットの2軸の施策が必要です。

人件費の最適化も進めていこうと考えており、月に約200万円下げることを1つの目標にしています。現状では、150万円まで下げることができるようになっているので、ここからの1〜2ヶ月で達成に向けてスタッフと相談して取り組んでいきたい部分です。

ーー人件費だけで150万円のコストカットというのはインパクトが大きいように見えますね。

西:人件費の削減というと、単に人を減らすという方向で見られがちですがそうではありません。

常々弊社のリーダー陣には、人件費のカットは、個々の給料を下げることではなく、店舗運営の作業をひとつひとつ見直し、減らしていくことを意味するのだと伝えてきました。

今回の伴走期間にカットできた費用に関しても、取り組みの中で実施したメニューの変更や業務のスリム化が影響している面が大きいです。人件費を減らすと言っても、貢献した人の給料にはきちんと反映させるというこれまでの方針を変えることはありません。

スタッフのみんなと私の信頼関係、スタッフ同士の信頼関係。成功循環モデルのサイクルを回していくことで、店舗で提供するサービスのクオリティ向上と利益目標の達成を目指しています。

対等な関係だからこそもらえる率直な意見と壁打ちで、視野が拓けていく

ーー協働日本のような社外プロ人材との取り組みについて、これまでご興味はおありでしたか?実際に取り組んでみて、どのようなことを感じたかお伺いできますか?

西: そうですね、社外のプロ人材との取り組みには元々興味がありました。

以前、霧島市の実施していたワーケーションの取り組みの中で東京の大企業の方に壁打ちをしていただいたことがあったのですが、対話を通じてどんどん自分の思考が整理された感覚がありました。その時の印象もあり、ぜひ自社でも積極的に活用したいと考えていたので、今回鹿児島県の取り組みを通じて支援を得られたことはありがたかったです。

はじめ短時間の関わりでどれだけの成果が出せるのか、不安がなかったかというと嘘になります。
しかし、結果として協働日本さんと一緒に取り組めて本当に良かったと思います。一つ一つ施策を実行できたこともそうですが、経営者にとって信頼できる「壁打ち」役がいることがこんなにありがたいとは思いませんでした。

私が取り留めなく話したことについても、あらゆる角度から、まとまったフィードバックを返していただいたおかげで、思考を整理できました。

ーー特に印象的だったことはありますか?

西:先ほどもお話しましたが、組織力を向上したいと藤村さんに相談した時に「そもそもまだ、組織になっていないですね」とズバッと指摘いただいた時ですね(笑)

ずっと、スタッフに対して「言ってもやらない」と思っていたのですが、実際には「受け皿がないから伝わっていない」だけだという、自分では想定できなかった“一歩前の部分”に気づくことができました。

私にとってはまさにコロンブスの卵で、組織というものの捉え方や、向き合い方が変わりました。率直にいただいたご意見で、根本的な部分に気づけたことそのものも、プロジェクトの大きな成果だったと思います。

ーー今後、社外のプロ人材との取り組みは進んでいくと思われますか?

西:そうですね、広がっていくと考えています。

特に地方には、ビジョンは大きいものの、社内に仲間が少なく会社の軸を定めきれないベンチャー企業や、しがらみが大きく社内改革を断行しにくい後継者も多くいると感じています。

彼らにとって大きな助けになると感じています。実際、すでに協働日本をご紹介した経営者仲間もいます。

事業承継や起業で、いきなり経営を始める方のそばで寄り添いながら、「こんな道もありますよ」とそっと示してくれる協働日本や協働プロの皆さんの存在は、本当に心強いものだと感じています。

ーー最後に、協働日本へのメッセージと、今後の展望についてお聞かせください。

西: 協働日本には多様な専門性を持った方々が既にたくさんいらっしゃり、これからさらに多くのプロフェッショナルが参画されると思います。特に地方においてこれらのプロフェッショナルと協業できることは非常に大きな価値だと思います。

先日、鹿児島県新産業創出ネットワーク事業の報告会で、別の企業の伴走に入られていた協働プロの方達ともお会いし、お話することができ、新しい事業アイディアも生まれました。

今後も協働プロの皆さんと直接意見交換できる場や、リアルな学びの場が広がっていくことを期待しています。またいつかご一緒できるよう、引き続き自社も成長させていきます。本当にありがとうございました。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

西: ありがとうございました。



協働日本 令和6年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子もnoteでもご紹介しています。
有限会社鹿児島ラーメン様にもこちらで本プロジェクトをご報告いただきました。


西 洋平 / Yohei Nishi

有限会社鹿児島ラーメン 代表取締役
1982年生まれ、鹿児島県霧島市福山町出身。修学館高校を卒業後、上智大学大学院で修士号を取得。ABeam Consultingに入社し、経営戦略・DX推進に従事した後、家業である鹿児島ラーメンを継承。伝統の味を守りながら、DX化や組織改革を推進し、飲食業界の革新に挑戦している。

協働日本事業については こちら

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(前編)『「境界」が溶けた世界で、勝ち抜いていくために必要なこと』 –


STORY:株式会社エルム – 技術者が営業に挑戦!顧客の声を活かし、宇宙事業の問い合わせが10倍、売上2倍を達成 –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社エルムの和田健吾氏・オバッグ ジョン セドリック氏・田畑章子氏に、協働プロジェクトを通じた営業・広報の変革とその成果、今後の展望について伺いました。

1980年、鹿児島県南さつま市で創業した電子機械器具開発メーカー・株式会社エルム。CD・DVD修復装置で世界シェア90%を誇り、近年は自動化・省力化機器、宇宙関連、特殊照明、環境エネルギーといった幅広い分野で技術開発を進めています。

しかし、主力商品の ディスク修復機市場が縮小 する中で、新たな柱として「宇宙関連事業」に注力。しかし、高い技術力を持つ一方で、「営業・マーケティングの知見不足」「市場における認知度の低さ」という大きな課題 を抱えていました。
この課題を克服するため、協働日本との連携による営業・広報戦略の抜本的な見直し を開始。その結果、たった7か月で 売上は前年比2倍、SNSフォロワーは40倍、見積もり総額は約2億円 という驚異的な成長を遂げました。

協働日本と宇宙関連事業の成長戦略を共に模索。協働プロジェクトを通じて得られた気づきや成果、今後の展望について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)


宇宙関連事業で大きな成功事例を生み出したい

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働日本との出会いや、スタートしたきっかけについて教えてください。

和田健吾氏(以下、和田): よろしくお願いいたします。当社は長年、CD・DVD修復機の製造・販売を主軸にしてきましたが、近年のネット配信の普及により、ディスクメディアの需要が大きく減少しており、新たな事業の柱を模索する必要がありました。

このまま市場の変化に対応せずにいると事業全体の成長も停滞してしまうのではないかという危機感を持つようになる中で、複数ある事業のうち、次の柱となる事業の候補として、「宇宙関連事業」に取り組むことになりました。

ーー宇宙関連事業には以前から取り組まれていたのでしょうか?

田畑章子氏(以下、田畑):宇宙関連事業には 1983年から参入 し、特に地上局(人工衛星の追尾装置) の開発を手掛けてきました。特に、地上局と呼ばれる衛星追尾装置の設計・製造に長い歴史があります。

元々、鹿児島県にはロケットの射場が2つあり、県内の大学でも天文分野や宇宙関連の研究が多くなされています。実は、当社の創業者の一人である、現相談役(宮原 照昌氏)が、昔からとても天体が好きで、南さつま市にある天文台で天文観察会を開くほどでした。

そんな相談役の個人的な繋がりの中から開発依頼を受けて製品を作り始めたことがきっかけでした。しかし、開発が始まった経緯から、これまでの販売はほとんどが口コミやご紹介で、積極的な営業活動を行えていませんでした。

Obag John Cedric氏(以下、オバッグ): 私を始め、社員の7割以上は技術者。開発には自信があるものの、マーケティングやブランディングのノウハウが不足していました。その結果、市場のポテンシャルはあるのに売上が伸び悩む という課題に直面していたのです。

和田: そのような状況ですから、どうしても年度によって売上には大きな波がありました。どうにかしたくても、社内では如何ともしがたい……そんな折に鹿児島県内でも多くの事業者支援を行っている協働日本の存在を知りました。

マーケティングに強みを持つ協働プロの皆さんと取り組むことで「これを機に、事業戦略を根本から見直したい」と考え県の事業に応募しました。まずは宇宙関連事業でマーケティングの成功事例を作っていきたい、その思いでスタートした協働プロジェクトでした。

人工衛星自動追尾装置(株式会社エルムHPより)

「売上の安定化」と「認知度向上」を目指し、営業・広報戦略を刷新

ーー実際に伴走支援がスタートしてからは、どのようなプロジェクトを進めているのでしょうか?

オバッグ:まず、協働日本から若山幹晴さん、国府田祐希さん、高山真宣さんの3名、そして当社から私たち3名がチームを組み、売上の安定化と認知度向上 をテーマにプロジェクトを開始しました。

最初に取り組んだのは、自社の付加価値と課題の明確化 です。これまで当社の販路は口コミが中心で、宇宙関連の企業やユーザーへの認知度が極めて低い ことが浮き彫りになりました。

実際、エルムの製品は大学や企業に数多く納品されているにもかかわらず、ユーザーの多くはエルムの存在すら知らなかった のです。さらに、社員の70%以上が技術者 であるため、営業・広報の専門知識が不足し、マーケティング戦略がほとんど確立されていませんでした。」

そこで、まず自社製品の強みと市場での差別化ポイント を整理しました。エルムの製品は、ベースモデルにオプションを追加し、ユーザーの仕様にカスタマイズできる柔軟性 が大きな特徴です。この強みをどう市場に伝え、効果的にアピールするかを議論しました。

ターゲット顧客が明確になったことで、『どうやって情報を届けるか?』という課題について、より具体的な戦略を立てることができました。

田畑:営業・広報戦略について協働プロと議論を重ねてきました。取り組みの中では、ユーザーとの接点を積極的に形成する手段として、展示会や学会への出展にも挑戦しました。

出展するだけではなく、そこでのコミュニケーションについても協働プロにアドバイスをいただいて工夫していきました。ユーザーが一体どんな製品を必要としているのか、どうやって購入してもらえばいいのか……整理した情報を元に製品説明の仕方を見直し、顧客のニーズに合わせたカスタマイズ提案を強化することで、より具体的な商談へとつなげるように工夫をしていったんです。

「技術力を伝える」のではなく「課題を解決する」営業へシフト

オバッグ: 例えば、若山さんのアドバイスを受け、顧客の課題を解決するストーリーを交えた提案に変更しました。『どんな課題に悩んでいるのか』をまず聞き、その上で『この機能で解決できます』と伝えるようにしただけで、商談の反応が大きく変わったのを実感しました。

営業手法を変えたことで、商談の反応が劇的に変化しました。従来は技術仕様を中心に説明していましたが、顧客の課題を引き出し、解決策を提案するスタイルへとシフトしました。

これまで受け身だった営業スタイルを見直し、顧客とのコミュニケーションを積極的に取ることで、課題解決型のアプローチへと移行しました。顧客が何に悩んでいるのかを深くヒアリングし、それに応じた解決策を提示することで、商談の成功率が向上しました。

また、社内の営業チームもこの考え方を取り入れ、より戦略的な営業活動を進めるようになりました。おかげさまで、引き合いが増え、商談で全国を飛び回っています。

ーーありがとうございます。ターゲットとなるユーザーに的確に製品の価値が伝わるようになったのですね。他にもSNS運用を始めたと伺いました。

田畑: SNSの活用による情報発信の強化も一つの挑戦でした。展示会に出展した際に、展示会のWebカタログに製品情報を掲載していただいたところ、そのカタログをきっかけに大企業の方々がブースを訪れてくださったんです。

「製品のことを知ってもらえれば、興味を持ってもらえる」という実感が湧いたのを覚えています。そこで早速「知っていただくきっかけ」としてWebページを作りたいと考えたのですが、一からページを作るのは時間がかかるのでまずはSNSから運用を開始することになりました。

これまで公式SNSはほとんど活用していませんでしたが、協働プロの皆さんからのアドバイスも受けて積極的に運用を開始したところ、それまで数十人だったXのフォロワー数がわずか数ヶ月で40倍以上に増加しました。Xでは、様々な媒体で製品を取り上げていただいたことをお知らせする他、日常の様子の話もするなど、とにかく 「いいね」をいただいてタイムラインに表示される回数を増やしていく取り組みを進めています。

おかげさまで新規顧客との接点を強化できました。4月にはいよいよWebサイトも完成するので、引き続き当社の技術力や製品のことをPRできるよう、発信を強化していきたいと考えています。

「待ちの営業」から「攻めの営業」へ

ーー営業と発信の強化を進めてこられた中で、生まれた成果をお伺いできますか?

オバッグ: ターゲット顧客との直接接点を増やすため、積極的に展示会や学会へ出展しました。北海道から福岡まで全国各地で商談を行い、新規取引先を開拓。従来はオンライン中心だった営業活動を大幅に強化し、顧客の生の声を聞くことで、製品への関心度が大きく向上しました。

これまでは『技術的にすごいですね』と関心を持たれるものの、具体的な案件につながることは少なかったんです。しかし、今回の展示では 『ぜひ導入したい』『こういう課題があるが対応できますか?』といった具体的な相談が相次ぎ、昨年度の宇宙関連事業の受注金額は7か月で約2千万円に到達しました

売上には年によって波がありましたが、昨年度は前年比で2倍に成長。特に、展示会での商談や既存顧客との接点強化が、大きな要因となりました。

さらに引き合いのあった案件は10件以上、提出した見積総額は約2億円となっています。

エルムの技術力と製品の特長が明確になり、ターゲット市場への認知度が大幅に向上しつつあります。展示会やSNSを通じて『エルムといえば宇宙』というブランドイメージをより確立していきたいですね。

令和6年度「新産業創出ネットワーク事業」の最終報告会ではオバッグ氏が登壇

ーー素晴らしい成果ですね。これまで営業やマーケティングを経験したことがなかったというお話でしたが、そういった観点でもご自身で感じる変化はありましたか?

オバッグ:そうですね。最初は、協働日本の皆さんに教わる“先生と生徒”のような関係を想像していました。

しかし、実際にはアドバイスを受けながら、自分たちで考え、実践し、試行錯誤するワンチームのような形 で取り組んでいました。その中で、『答えをもらう』のではなく、『ヒントを得ながら自ら問題を解決していく』というスタイルを学べたことは、私にとって大きな成長でした。

和田:オバッグはとても真面目で、商談前には『何を話すべきか』をしっかり考えて臨むタイプです。でもある時、協働日本の国府田さんに 『商談の8割は、お客様が話す時間にしたほうがいい』 とアドバイスをもらったんです。その言葉を聞いて、オバッグの考え方が大きく変わったように思います。

オバッグ:はい、それを聞いた時は衝撃でしたね。これまでは、『製品の良さをどう伝えるか?』ばかり考えていました。でも、お客様が本当に求めているのは、“良い製品” ではなく “自分たちの課題を解決する手段” なんですよね。商談では、まずお客様の悩みや課題をじっくり聞くことが大切で、その上で適切な解決策を提案するべきなんだと気づかされました。

この気づきと並行して、私は鹿児島県が主催する『社内中核人材育成セミナー』にも参加していました。そこで、協働日本の代表・村松さんが話していた 『伝えると伝わるの違い』 の話が、とても印象に残っています。

どんなに優れた技術や製品でも、『伝える』だけでは意味がない。お客様にとって本当に必要な情報として 『伝わる』形にしないと、心に響かない んです。この考え方を知ってから、商談の場でも、お客様の視点に立って説明することを強く意識するようになりました。

もう一つ、協働日本の若山さんからの言葉も印象に残っています。「それは本当にお客様のニーズなのか? もっと深く分析・検討する必要がある」という言葉です。

この言葉を聞いた時、ハッとしました。技術者として製品を開発していると、どうしても『お客様はこんな機能が欲しいだろう』と 自分たちの視点で考えてしまうバイアス がかかる。でも、実際にお客様と話すと、予想とは全く異なるニーズを持っていることが多いんです。

やはり、開発の段階からお客様と密にコミュニケーションを取り、リアルなニーズを捉えながら製品を作ることが、本当に価値のあるものを提供するために必要なんだと実感しました。

こうした学びを重ねるうちに、営業やマーケティングに対する意識が大きく変わっていきました。最初は『営業とは製品を売ること』だと思っていましたが、今では「営業とは、お客様の悩みを知り、解決策を一緒に考えること」だと考えています。

協働日本の皆さんからいただいたアドバイスを実践することで、少しずつですが、コミュニケーションの取り方やその重要性が自分の中で腹落ち していきました。

企業の成長が、日本全体の活性化につながる

ーー複業人材との取り組みを通じて、率直にどのように感じられましたか?

和田:正直に言うと、最初は不安がありました。今回担当頂いた協働プロチームの皆さんは、主にBtoC分野で活躍されてきたプロフェッショナルが多い印象でした。

一方で、当社の宇宙関連事業はBtoBの中でも非常にニッチな領域。本当にターゲットにアプローチできるのだろうか?この業界で成果を出せるのだろうか? という懸念がありました。

しかし、実際にプロジェクトが進む中で、「分野が違っても、プロの視点は本質を捉える」 ということを痛感しました。協働日本の皆さんが、事業の本質を見極め、的確な戦略を提示してくださったおかげで、当初の不安は完全に払拭されました。むしろ、自社だけでは気づけなかった視点を得ることができ、ここまでの成果を出せたことにとても感謝しています。」

田畑:「まさに “引き出してもらえた” という感覚です。最初は、コンサルティングというと指示に従って進めるものというイメージを持っていました。
しかし、実際には、協働日本の皆さんが私たちの考えを引き出しながら、「どうしたいのか?」「何を実現したいのか?」 を共に考え、方向性を一緒に見つけるプロセスでした。

例えば、様々な成功事例や具体的な手法を提示していただきながら、それを自社にどう活かせるかを議論する ことで、私たち自身の考えを深めることができました。
中小企業はどうしても短期的な成果を求めがちですが、今回の伴走支援を通じて、「立ち止まって考え、長期的な視点で戦略を練ることの重要性」 に改めて気づかされました。」

和田: このプロジェクトを通じて実感したのは、協働日本の取り組みは、特定の業種に限定されるものではない ということです。大事なのは “自ら動く意志” ですね。

自ら考え、素直に取り組める企業であれば、どんな業種であっても成果を出せるのではないかと感じました。

実際に、当社でもオバッグがこのプロジェクトと並行して 社内中核人材育成セミナー を受講し、学びをクロスオーバーさせながら成長し、成果につなげてくれました。こうした実践の積み重ねが、企業の成長には不可欠なのだと改めて実感しました。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

田畑: 日本の企業の 99%以上は中小企業 ですが、大企業と中小企業の間にはまだまだ大きな壁があります。

今回、協働日本の皆さんとご一緒することで、大企業が持つ貴重な知見を中小企業に還元することが、日本全体の活性化につながる ということを強く感じました。
中小企業側からのフィードバックを通じて、大企業の事業にも新たな視点を提供できるような、双方向の循環が生まれると理想的ですね。
このような好循環をもっと広げていくためにも、ぜひ今後も活躍を続けていただきたいです。

和田: プロジェクトを通じて、当初の期待以上の成果を感じていますし、何よりも 認知度向上という最低限の目標はしっかり達成できた という手応えがあります。

しかし、協働の取り組みはここで終わりではなく、むしろ これからが本番 です。伴走支援が終わった後も、私たち自身が成長を続け、その姿を示すことが、協働日本の皆さんへの最大の恩返し だと考えています。
これからも、この 「協働の輪」 を広げ、win-winの関係を築く企業が増えていくこと を願っています

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

和田・田畑・オバッグ: ありがとうございました。

協働日本 令和6年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子もnoteでもご紹介しています。
株式会社エルム様にもこちらで本プロジェクトをご報告いただきました。

和田 健吾 / Kengo Wada

1978年生まれ、鹿児島県霧島市出身。機構設計エンジニア。

株式会社エルム 取締役 第2開発部部長

大学卒業後、エンジニアとして関東圏で経験を積み、2007年に故郷である鹿児島にUターンしてエルムに中途入社。

2024年に福岡に本社を構える株式会社マイクロラボのM&Aを実施し、同年1月から同社代表取締役も兼務。

ジョン セドリック V. オバッグ / John Cedric V. Obag

1983年生まれ、フィリピン・マニラ出身。機構設計エンジニア。

株式会社エルム 宇宙関連事業 プロジェクトリーダー

小さいころからモノづくりをするのが大好きで、絵を描いたり、レゴやガラクタで何かを作ったりするのが子供の時の過ごし方でした。

高校時代に「モノづくりの国」日本を知り、私の夢、今まで世にない「モノ」を生み出すことを実現させるために、大学卒業後すぐに来日しました。

10年前に愛妻の出身地である鹿児島に引っ越してきて、エルムで機構設計エンジニアとして働いています。

田畑 章子 / Shoko Tabata

1975年生まれ、鹿児島県枕崎市出身。営業支援担当。

株式会社エルム BI事業部 事業支援グループ係長

株式会社大塚家具で大阪・北九州・東京・法人営業部勤務後、三菱地所株式会社にて新丸ビルプロジェクトを経て、鹿児島にUターン。

エルムの存在を知って面白そうだと思い入社。営業、品質保証、栽培試験を経て現職。

協働日本事業については こちら

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(前編)『「境界」が溶けた世界で、勝ち抜いていくために必要なこと』 –


VOICE:四元 亮平 氏 -想いを持つ方を支える「名脇役」として。マーケティングを通じた地域企業の価値の再発掘と成長を目指す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でブランディング・マーケティング支援のプロとして地域企業の伴走支援を行う四元亮平氏のインタビューをお届けします。

四元氏は、リアル店舗を活用したマーケティング支援の専門家として、これまで様々な企業の成長を支えてきました。協働日本への参画を通じて、地域企業の課題解決に取り組みながら、新たな価値創造に挑戦しています。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の成長、そして今後の展望について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自然と”商売”に触れていた幼少期の環境。経験を活かして地域企業のポテンシャルを引き出す支援をしたい

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、四元さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

四元 亮平氏(以下、四元):はい、よろしくお願いいたします。現在、私はPLAY Inc.の代表として、小売業界を中心にブランディングやマーケティング戦略の支援を行っています。PLAYは「心が豊かになる買い物体験の創出」をビジョンに、小売業界で店舗開発からセールスにDXまでのワンストップ支援に取り組んでいます。

ーー小売を中心としたご支援ということですが、これまでのキャリアでも小売業に携わられる機会が多かったのでしょうか?

四元:そうですね、10歳で中古のゲームソフトを販売することを通じて商売の面白さに気付き、21歳からポールスミスで販売職を8年、30歳で独立し企画製造業と店舗代行業を8年展開して今に至っています。

ーー幼少期のそういった体験が四元さんの今のキャリアの原点になっているのですね。

四元:地元神戸の三宮で、親戚が露天商を営んでいました。週末や長期休みになるとゲームソフトの中古カセットを仕入れてワゴンに積み、スペースを借りて大人を相手に販売するという経験をさせてもらっていました。

そういった環境があったので、自然と商売の世界に触れるようになり、今に至るまで小売業に関わっています。

ーーありがとうございます。続いて、四元さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

四元:もともとアパレル業界や自動車業界のクライアントを多く支援していたのですが、2〜3年前からローカル企業の可能性に魅力を感じるようになりました。特に、地方の企業が持つ独自の価値や文化に興味を持ち、それらを引き出すことで市場を広げられるのではないかと考えたんです。そこで、そういった活動をやってみたいという発信や、情報収集をするようになっていました。

そんな折、知人を通じて協働日本を紹介してもらったのがきっかけです。面白い取り組みをしている会社があるということで興味が湧き、私自身も地域企業の支援をしていきたいと思っていたところだったので、代表の村松さんと実際にお会いしてお話しを伺い、ビジョンに共感し、プロジェクトに参画することを決めました。

価値を再認識したことで気付いた新たなニーズと、事業を成長させる道筋

ーー四元さんが参画されたプロジェクトの内容について、詳しくお聞きしたいと思います。

四元:現在は、鹿児島県内の2事業者様の伴走支援を行っています。その中の1社である株式会社第一塗料商会さんにはプロジェクトマネジメントの役割で参画しています。

第一塗料商会さんは、これまで自動車塗料、建築用塗料、工業用塗料をはじめとするBtoBを中心に事業を展開する塗料の会社です。新たにBtoC市場に進出し、より多くの一般消費者にサービスを提供したいという課題を持たれていました。今回の協働プロジェクトでも、この課題をテーマにして、戦略策定を支援しています。

ーー具体的にはどのようなプロジェクトの進め方をされたのでしょうか?

四元:最初に取り掛かったのは、事業のビジョンやターゲット層の定義を行い、toC向けに展開しているブランド「塗屋本舗」の価値を明確にすることでした。これまでの「塗屋本舗」の顧客データを整理していくと、誰がどんなものを求めているのか?塗ってほしい商品やニーズもバラバラで、ターゲットが定まっていないことが明らかになってきたので、依頼が入るごとにヒアリングをしてニーズを明確にしていくという取り組みを進めました。

そこからわかってきたのは、「塗装をしてほしい」というニーズには大きく2種類、「古くなったものを綺麗にして使い続けたい」というマイナスを戻す価値と、「今あるものを塗り替えてさらに良いものにしたい」という、プラスを生む価値がそれぞれ見出されていることでした。

ニーズの掘り下げをしていく中で特に意外だったのは、「推し活」のお客様が一定数いらっしゃったことです。ペンライトを塗りたいという依頼や、推しの色とぴったりの色がない!という方が多くいらっしゃったんです。

これまでは漠然と30〜40代以降の年齢層をターゲットにしていた塗屋本舗でしたが、20代にも“気軽に塗装を楽しむ”体験を提供できるとわかったことも大きかったと思います。

ーーなるほど。徐々に塗屋本舗の価値やターゲットが言語化できていったのがわかります。

四元:そうですね。見えてきた顧客像やニーズに合わせて、この2軸のコンテンツをアップグレードしながら継続的に発信していくため、SNSによるプロモーション戦略も開始しました。特に「古くなったものを綺麗にして使い続けたい」というニーズは、第一塗料商会さんの強みである「色を通じたライフスタイル提案」との相性もよく、単なる塗装から「長く使い続けるための塗装サービス」というコンセプトを再構築しました。

小学生の頃使っていた勉強机をリペイントして、大人になっても使い続けられるというイメージビデオを作成、ライフスタイルに合わせて塗り直すことで、物がアップグレードされても、思い出や記憶は残り続けるというサステナブルな価値も伝わるようになっています。

このように、顧客戦略を明確化した上で、顧客ターゲットに合わせたフォロワー獲得施策を展開し、ブランド認知を強化。CRM導入の検討と、継続的な顧客接点の構築をサポートしていきました。

ーーありがとうございます。伴走支援を通じて特に感じられたプロジェクトの成果や変化についても教えていただけますか?

四元:先日の鹿児島新産業創出ネットワーク事業 最終報告会2025でもお伝えしたところではありますが、7か月の短期間でも、新規顧客の獲得や大きな請負工事に繋がるなど、大きな成果が生まれてきています。

その中でもやはりプロジェクトを通じて誰がこの価値を欲しがっているのか?ということが明確になり、第一塗料商会の皆さんにとっても自分達の価値の再認識ができた部分が最も大きな成果ではないかと感じます。

SNSなどオンラインで間口を広げて新規顧客を獲得していきましたが、次は来てくれたお客様にどのように継続してアプローチしていくか?という課題も議論できるようになりました。当初は新しいお客様をどんどん取っていこうという意識が強かったのですが、やはり小物の塗装だけで事業規模を拡大していくのは難しいです。

そこで、「一度塗ってもらった後」のお客様が、家の外壁塗装など本当に困った時の第一想起、信頼を獲得していくことを次の目標に置くようになりました。

ーー確かに、家の外壁塗装はどのタイミングで誰に相談すれば良いのかあまりイメージできない分野ですよね。

四元:そうなんです。実は、外壁塗装では訪問販売が多く、「そろそろ外壁を塗り直した方がいいですよ」という営業を受けて、即決で決めてくださる方もいらっしゃるんだそうです。第一塗料商会さんとしても、自社で受ければ同じ価格でもっと良いものができると感じていたそうで、推し活などをきっかけにできた若いお客様とのリレーションを継続して築くことで、口コミや紹介でアップセル・クロスセルを狙っていければと思っています。

今回のこの成果がでたことについても、私は枠組みを作っただけだと思っているんです。一緒にチームを組んでいた協働プロの和地大地さんや、協働サポーターの田中友惟さんが、その枠組みをしっかり掘り下げながら動き方を丁寧にサポートしてくれて、何より第一塗料商会さんが、新しい取り組みや考え方にアレルギー反応を出さず進めてくれたことによる変化と成果です。

わからないなりにも、自分達でやろう、と取り組んでくださったことが嬉しく、それを協働プロが引っ張っていってくれた、そんな良いプロジェクトだったと思います。7ヶ月間の伴走支援を経て次に取り組みたいことも見えてきたので、ここからさらに1年間プロジェクトを継続していくことになっています。

地域企業が持つ本来の強みを引き出し、成長させる、そんな名脇役でありたい

ーー協働の中で四元さんご自身の変化を感じることはありますか?

四元:今回のプロジェクトを通じて、より現場目線でのブランディングやマーケティングの重要性を再認識しました。今までの私自身のスタイルは、新しいことに取り組む前に今まで企業がやってきたことを見直すということに重点を当てていたんです。
今の状態がある=ここまで成長してきたことには価値がある、ということなので、この価値の再構築をするスタイルでした。今回も同じようなやり方ではありましたが、「鹿児島」という地域で協働を始めたことで、地域に根付いた文化や、そこで生活する人々の価値観をより強く意識するようになりました。

ーーなるほど。地域文化の重要性について、ぜひ具体的なエピソードを教えてください。

四元:鹿児島での伴走支援の中で、地域の方達とのコミュニケーション機会がたくさんありました。例えば、第一塗料商会さんのSNSプロモーションでは、地域で食レポをされているインフルエンサーの方を起用したのですが、やはり地域密着のインフルエンサーの方が地域のお客さまの理解度が高いんです。実際に塗装を依頼しに来られる方も地元の方が多いので、顧客の理解度も高く、解像度の高い戦略を立てやすい。一言でインフルエンサーの起用と言っても、影響力がある人を探すだけでなく、地元の人に愛され、応援され、文化への理解度が高い、地域愛のある人と組むと成功しやすいだろうという気づきがありました。

また、「地域で愛されるブランド」という視点も新たに学んだものの1つです。例えば、鹿児島の焼酎文化では、「全国での知名度や販売数」よりも、「地域でどれだけ親しまれ、日常酒として根付くか」が重要視されるという話を聞き、地元市場への深い理解も、ブランドの成長に不可欠だと実感したことがありました。

また、こうやって伴走支援を通じて、いろんな企業の事業、いろんな人の人生に関わり、これまでの自分の人生だけでは知らなかったことを知れる機会ができるということもとても面白く感じています。横についてるからこそ見える、知れることがある、追体験ができる。この経験自体も本当に楽しいですね。

ーーありがとうございます。四元さんはこれから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

四元:地域企業が持つ本来の強みを引き出し、マーケティングを通じて成長させることを目指したいです。
第一塗料商会さんの事例では、「塗装を通じた新たな価値創造」というコンセプトを打ち出し、マーケティング施策によって認知度を向上させました。また、企業が「ブランディングとは何か」を理解し、継続的に実践できる体制づくりも進めています。

「良いもの」は世の中にたくさんあるんです。埋もれてしまっている「良いもの」を多くの人に知ってほしいですし、自分自身がそういったものを発掘していく面白さを感じています。この“良いもの”を生み出す人や、「これを広めたい」と強い想いを持つ方々を支える“名脇役”でありたいです。主役ではないけれども、いなければ物足りない存在───そんな関わり方で地域企業が持つ本来の強みを引き出し、成長させることが私のミッションです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

四元:協働日本の「専門家がチームで伴走支援する」というスタイルは、地域企業にとって非常に有益な仕組みだと思います。
また、協働プロにとっても大きな成長の場になると考えています。例えば私自身は過去に大企業で働いた経験はありませんでしたが、協働プロジェクトでチームを組んでいる協働プロの中には、大手企業で活躍される方もたくさんいらっしゃいます。同じテーマについて、同じマーケティングという角度で物を考えても、大手でしかできない事業構想や物の見方があってとても面白いですし、勉強になっています。
日本中にこのモデルを広げ、多くの地域企業が協働を経験することで、地方発の新たなビジネスモデルが次々と生まれることを期待しています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

四元:ありがとうございました!

四元 亮平 / Ryohei Yotsumoto

マーケに強いToCセールス戦略コンサルタント。

UGG、BURTON、Leeなど現在まで数多くのブランド支援の実績を持ち、アパレル業界だけでなくBMW japanやTOYOPETなど他業界でも「マーケで強くするセールス戦略」を提供しながら、企業やブランドの売上を向上させる重要な「ヒト.モノ.ウツワ」の価値を最大化し、売上向上と同時に顧客の心が豊かになる買い物体験の提供を支援する。

また有力商業施設でのスタッフ研修や、ビッグサイトで開催されるアパレル最大級の展示会「FaW TOKYO」でのセミナー登壇、メディアでの執筆や文化服装学院の非常勤講師も務める。

2020/9にデジタルセールス入門書「スマホ1つで最高の売上をつくる接客術」をKADOKAWAから出版。webメディア「Eczine」アパレル業界誌「ファッション販売」など連載実績も多数。

協働日本事業については こちら

関連記事

STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-


STORY:紬レザーかすり 川畑 裕徳氏 -大島紬の魅力を後世に残したい。価値創出の仕組みづくりを通じて粗利3倍、チャンスが広がった-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

鹿児島県の奄美大島を中心に生産されており、世界三大織物にも数えられる伝統織物「大島紬」。この大島紬が現在、職人の高齢化や担い手の不足、若者の着物離れも相まって、生産量の減少が続いています。

今回は、奄美大島でこの「大島紬」を活かした事業展開をされている、「紬レザーかすり」の川畑裕徳(かわばた・ひろのり)さんにお越しいただきました。

インタビューでは、協働プロジェクトに取り組み始めたことで生まれた変化や得られた学び、今後の展望についてお話を伺いました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)


大島紬の魅力をどう広げ、残していくか。模索する中で出会った想いを共有できるパートナー

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、川畑さんが展開されている事業、「紬レザーかすり」について教えていただけますか?

川畑 裕徳 氏(以下、川畑):よろしくお願いします。
私が運営している「紬レザーかすり」は、本場奄美大島紬とレザーを融合させた小物製品を展開しているブランドです。
伝統工芸である大島紬をより身近に感じてもらいたいという思いから、「日常に溶け込む大島紬」をコンセプトに、バッグや財布、カードケースなどのレザーアイテムを製作しています。

最大の特徴は、革の裁断から縫製まで、すべての工程を私1人が手作業で仕上げていることです。そのため一つひとつ、ほぼ一点ものに近い特別なアイテムとして商品を仕上げています。

さらに、革の色や糸の色、大島紬の柄を自由に選ぶことができるため、お客様だけのオリジナル商品を作ることが可能です。普段から贈り物として選ばれることも多く、特に20代から60代の女性の方々にご好評いただいています。

ーーなるほど、よろしければ川畑さんがこの事業を立ち上げたきっかけなどお聞かせください。

川畑:ブランドを立ち上げるきっかけとなったのは、2005〜2006年にオーストラリアを訪れた際の体験です。アボリジニの伝統楽器「ディジュリドゥ」とドラムやベース、サックスといった現代楽器が融合する音楽に強く惹かれ、その衝動から「伝統とモダンの融合」をテーマにしたデザインを考えるようになりました。

その発想が形となり、大島紬とレザーを組み合わせた商品が生まれました。

「紬レザーかすり」を通じて、奄美大島の温かみや雄大さを感じていただきながら、日常の中で大島紬をより身近に楽しんでもらえたら嬉しいですね。

ーーどんなことに事業の難しさを感じていましたか?

川畑:事業を始めた当初は、さまざまな壁に直面し、その都度課題を痛感していました。特に大きな課題のひとつは、生産規模の限界でした。

当時は一人で運営していたため、作業の効率化や量産化が難しく、需要があっても供給が追いつかないという状況が続いていました。もっと多くの人に届けたいという思いがありながらも、体制面の問題で思うように展開できず、もどかしさを感じていました。

また、商品の魅力をどのように伝えるかという点でも大きな悩みがありました。自分では良い商品を作っているという自負はあったものの、それをどう言葉やビジュアルで表現し、消費者の心に響かせるかが分からず、販売促進の面で試行錯誤していたのです。

SNSの活用にも挑戦し、Instagramなどで発信を続けていましたが、フォロワーが増えても売上には直結せず、ただ発信するだけでは十分ではないことを痛感しました。実際に購買につなげるための導線をどのように設計すればよいのか、明確な答えが見えず、模索する日々でした。

さらに、コロナ禍という特殊な状況の中では事業の戦略を立てること自体が困難でした。
市場の変化が予測しづらいことからこれまでのやり方が通用しなくなる場面も多く、どのように適応し、事業を継続していくべきか、常に試行錯誤していました。

また、商品の付加価値をどのように高め単価を上げていくかという点も大きな課題でした。ただ良いものを作るだけではなく、価格に見合う価値をしっかり伝え納得して購入してもらうには、ブランディングやマーケティングの視点が不可欠でした。しかし当時はその知識や経験が不足しており、どのようなアプローチを取るべきか手探りの状態が続いていました。

こうした課題を一つひとつ乗り越えながら、試行錯誤を重ねることで事業は少しずつ成長していきました。今振り返ると、当時の困難があったからこそ現在の事業の基盤ができたのだと実感しています。

ーーそんな中で協働日本とのお取り組みがスタートしたのですね。そのきっかけについて教えてください。

川畑:そうなんです。きっかけは、すでに協働日本さんとの取り組みを始めていた静岡の企業さんからのご紹介でした。

私は個人事業主として一人で仕事に取り組む時間が多く、いわゆる会社員の方と違って身軽で動きやすい一方、事業についてじっくりと相談・壁打ちできる相手がいませんでした。

また当時、これから大島紬の魅力をどうやって広げていくかという課題を感じていた中で、同じ想いを共有し一緒にプロジェクトに取り組めるパートナーがいれば嬉しいなとぼんやり考えていたところでした。

タイミング良く繋がることができ、さっそくお話を伺ってみると、多種多様な人材が所属している協働日本の体制や、進行中のプロジェクトのお話にとてもワクワクしました。

ーーありがとうございます。協働日本に所属しているのは、熱意と専門性を持った複業人材が中心ですが、そういった人材とのお取り組みも初めてのものでしたか?

川畑:そうなんです。複業人材と言われる方々との取り組み自体も初めてでした。

普段は地元の奄美大島を中心に活動をしているので、島外の、しかも自分の知らない領域で活躍されている方々からいろいろな話を聞けると伺って、それも楽しみでした。

各領域で活躍するプロ達が集う協働日本さんとの取り組みから、自分の持っていない新しい視点でのフィードバックをたくさんいただけそうだという期待を感じたことを覚えています。

ーー協働日本との取り組みは、川畑さんご自身の変化のきっかけにもなったのでしょうか?

川畑:この取り組みを通じて、私自身の価値観や考え方に大きな変化がありました。特に、脳内がブラッシュアップされるような感覚があり、以前よりも思考の幅が広がったと感じています。

「やってみたら、やれたじゃん」と思える経験が増え、専門家のサポートを受けることで、自分の中になかった引き出しがどんどん開かれていきました。考えるだけでなく、行動に移すまでのスピードが格段に速くなり、マインドセットが大きく変わったと実感しています。

協働プロと週次のミーティングを通じて、あれこれできない理由を探すより、とにかく「やってみよう」という姿勢が身につきました。時には落ち込むこともありましたが、振り返ってみると、この経験が自分を大きく成長させてくれたと感じています。

商品価値の再発見で商品購入の平均単価が、倍以上に伸長。粗利も3倍以上を確保できた。

ーーどんなプロジェクトから協働のお取り組みがスタートしたのでしょうか?

川畑:「紬レザーかすり」の事業をさらに成長させるため、まず最初に取り組んだのは大島紬の小物にどう付加価値をつけ、販路を拡大していくかという課題の整理でした。

特に、インターネットを活用して奄美大島の外にも販売先を広げていきたいと考えていたため、島外への情報発信や効果的な販売方法について協働日本の協働プロの皆さんと議論を重ねていきました。

最初の具体的な取り組みとして、すでに始めていたEC販売サイトの見直しや、InstagramをはじめとするSNS発信戦略の改善を相談しました。しかし、対話を続ける中で、単なる販路拡大だけでなく、自分が生み出している商品そのものの価値を高めることこそが重要であるという結論に至りました。商品そのものの魅力を明確にし、ブランドとしての方向性を再定義できたことが、最初の大きな変化でした。

ーーなるほど。どのようなアプローチを通じて、プロダクトの価値を高めていったのでしょうか?

川畑:具体的には、「オーダーメイドでオンリーワンな商品」というコンセプトを明確に打ち出し、ブランドの強みをさらに伸ばしていくことにしました。従来は財布やカードケースなどの小物が中心でしたが、新たな試みとして、カメラストラップやカバーなど、ホビー領域の商品開発にもチャレンジしました。

これらの商品は、革の色・糸の色・大島紬の柄を自由に選べるため、完成するアイテムは世界にひとつだけのデザインになります。この「自分だけの特別なアイテムが手に入る」という価値を前面に押し出すことで、お客様にとってより魅力的な商品へと進化させました。

また、協働プロとの壁打ちを通じて、「ニッチな世界を見つけよう」という視点を取り入れることができたことも、振り返ってみると大きなポイントでした。単なるシンプルな商品ではなく、「少し高くても自分だけの特別なものが欲しい」という層に向けた戦略を取ろうと最初に注目したのがカメラストラップでした。カメラ愛好者の間では、機能性だけでなく個性やデザインにもこだわる人が多いため、オーダーメイドのカメラストラップは強く響くと考えたのです。

さらに、このコンセプトはバイク用品やゴルフバッグなどにも応用できると考えました。こうした「少し高くてもこだわりのあるものを持ちたい」という市場にアプローチすることで、私自身の既存の技術を活かしながら新たなヒット商品を生み出すことができました。その後も「こんなものは作れませんか?」というお客様からの問い合わせが増え、有名なギタリストからオリジナルアイテムが作れないかと相談が舞い込むなど、ニッチ戦略の手応えを感じるようになりました。

このようなオーダーメイドスタイルを前面に打ち出すことで、「自分への贅沢なご褒美」として、大島紬の魅力を日常に取り入れる機会が増えました。実際に、機能性だけでなく“特別感”や“こだわり”を求めるお客様にとって、カメラストラップやカバーなどは非常に魅力的な商品となっています。

また、従来は観光のお土産品としての用途が中心だった大島紬の小物を、新たな顧客層に向けた商品へと転換することにもつながりました。
その結果、商品の平均単価を約8,000円から約20,000円へと引き上げることができ、同じ労力でもより高単価な商品を販売できるようになりました。粗利も3倍以上となり、ビジネスとしての安定性が大きく向上しました。

オーダーメイドの付加価値を活かして新たな販売戦略を構築することで、これまでとは異なるこだわりの強い層にも大島紬の魅力を届けることができるようになりました。さらに、オーダーメイド型の通信販売という形で島外にも販路を拡大できたことで、“奄美大島の魅力”をより広く発信できるようになったのも大きな成果です。

ーー協働を通じてご自身の変化を感じられることはありましたか?

川畑:そうですね。毎回の対話を通じて、協働プロからいただいた意見や、一緒に決めた方針をもとに「やらなくてはいけないこと」—いわゆる“宿題”—が積み上がっていきました。

忙しい日々の中でも、まずはそれらを着実にこなし、翌週のミーティングで次の“宿題”を持ち帰る。このサイクルを繰り返すうちに、自分自身の仕事のクオリティが何段階も上がったと実感しています。

もちろん「宿題」といっても、新商品開発や新たなチャレンジなど、自分で決めた取り組みに対して伴走支援してもらっているので、いい意味でのプレッシャーを背負いながら走っている感覚です。ひとつずつ目標を達成していくことで打ち合わせもどんどん充実しましたし、「事業が進化している」という手応えを得られたのも大きかったですね。

さらに、こういった協働から得られたものは、単純な新商品の開発や販路の拡大だけではありません。自分自身が生み出している商品への「自信」がこれまで以上についたと思います。こうした自信は、結果的に行動力の向上や、プロダクトのクオリティアップ、お客様との接客スタイルにも良い影響を与えていると感じます。

最終的には、自分のなかで“考えて、決めて、行動する”というプロセスが自然に回るようになり、マインドがガラッと変わりました。常に新しいアイデアや可能性を見つけ出し、自らチャレンジしようとする姿勢が身についたのが、一番の大きな変化だと思います。


命題のために自然とアイディアが浮かんでくる。協働の中で身についた挑戦の姿勢

ーーありがとうございます。その後も新しい取り組みが進んでいると伺いました。

川畑:はい、そうなんです。2024年2月から、新規事業として「Living with Amami project」を立ち上げました。このプロジェクトは、寄付を通じて奄美の自然や文化を守ることを目的とした取り組みです。奄美に関わるさまざまな業種の事業者が、それぞれの販売益の一部を動物保全・自然保護・伝統文化の継承に寄付し、未来へつながるサステナブルな仕組みを作ることを目指しています。

現在、この取り組みに奄美の事業者2社、県外の事業者1社が賛同し、それぞれの形で寄付活動を行っています。私自身も、寄付付きのガチャガチャの販売に取り組んでいます。このガチャガチャは、大島紬×レザーで作ったアマミノクロウサギやウミガメのキーホルダーが当たるもので、1個売れるごとに100円を奄美のウミガメや野生生物の保護活動に寄付する仕組みです。ガチャガチャというカジュアルな形を取り入れることで、楽しみながら環境保全の一端を担っていただけるのが大きな特徴です。

さらに、このガチャガチャにはもう一つ大きな意味があります。「ウミガメの保護活動を知るきっかけ」になり、「日常に溶け込む形で大島紬を身近に感じてもらえる」と同時に、「奄美大島そのものを知るきっかけにもなる」仕掛けになっています。単なるチャリティではなく、奄美の自然や文化への興味を持ってもらうことで、持続的な支援につなげたいと考えています。

ーー素晴らしい取り組みですね。事業としての変化もあったのではないでしょうか?

川畑:はい、ビジネス面でも大きな変化がありました。これまでの手作り製品販売に比べて、接客の時間的なコストが大幅に削減されたのは大きなメリットでした。ガチャガチャという形にすることで、「売り子」を置く必要がなくなり、時間をより商品の製作や新しい企画の立案に充てることができるようになりました。

また、このプロジェクトを通じて「奄美大島で仕事をすること、生きていくことの意義」を改めて強く感じるようになりました。これまで「紬レザーかすり」は職人としてのものづくりが中心でしたが、この活動を通じて社会とつながる仕事へと広がりを持たせることができたと感じています。さらに、作り手を増やすことができ、一緒にモノづくりをする仲間を得られたことも大きな収穫でした。

プロジェクトを進めるにあたっては、奄美空港や地元の水族館、ショッピングモールなどに企画書を持ち込み、設置を交渉しました。これまで職人として手を動かすことが中心だった私が、企画書を作って提案に回るようになったのは大きな変化です。結果として、地元の居酒屋やコミュニティ施設への設置が決まっただけでなく、今後はミュージアムなどの施設への設置も検討されているなど、少しずつ取り組みの輪が広がっています。

今後は、さらに輪を広げて島内外の方々とともに「奄美の未来」を支えていく仕組みを構築していきたいと考えています。
単なる商品販売ではなく、奄美の文化や自然を次の世代につなぐ活動として、多くの人に関わってもらえるプロジェクトにしていきたいですね。ここまで大きな構想を考えている自分を、協働プロジェクト前は想像できませんでした。


ーー奄美の環境や自然に対する思いが、川畑さんの活動を大きく支えているように感じます。奄美ならではの魅力はどんなところにあるのでしょうか? また、その魅力をどのようにプロダクトづくりへ活かしていらっしゃるのか、詳しくお聞かせください。

川畑:奄美の大きな魅力の1つは、自然と固有種が数多く存在することです。山々の豊かな森や美しい海、そこで暮らす希少生物たちが、まさに奄美のアイデンティティを形作っています。

こうした恵まれた環境の中で育ってきたからこそ、「この自然や固有種を守り、次の世代へ継承していきたい」という思いは、私の活動の原動力になっています。実際、私自身はずっと「人も動物も、これからさらに住みやすい島になればいいな」と考えてきました。

大島紬のプロダクトを作りながら、その魅力を広めるだけでなく、奄美という地域そのものに興味を持ってもらうきっかけになれたらと思っています。こうした活動が、自分なりの社会貢献につながれば嬉しいですし、たとえ小さな取り組みであっても、一歩一歩積み重ねていくことが大切だと感じています。

ありがたいことに、地元のメディアでも「ユニークな取り組み」として取り上げていただく機会がありました。メディアを通じて、私たちの活動や想いを発信できたことで、奄美の魅力や課題に触れていただく入り口が増えたのは本当にありがたいです。

多くの方々に知っていただくことで、島の未来を一緒に考えてくれる仲間が増えていけばいいなと勝手に、期待しています。

振り返ってみても、協働日本さんとの出会いは大きな転機でした。新たな価値を発見し、それをお客様に届けるための仕組みづくりをご一緒する中で、私自身、気づかないうちに多くを学んでいたのかもしれません。

そもそも協働日本さんとの出会いは「大島紬の魅力をどう広め、後世にどう残していくか」というテーマを考える仲間を探していたことがきっかけでしたが、そこから具体的なビジネスアイデアや仕組みづくりのノウハウを得られ、新しい事業に挑戦する勇気も湧いてきました。

今こうして、新規事業としてやりたいことを少しずつ形にできているのは、大変うれしく思っています。今後も、地域の皆さんや外部からの応援をいただきながら、奄美の魅力を発信し続けていきたいと思っています。

ーーインタビューへのご協力ありがとうございました

川畑:ありがとうございました!

川畑 裕徳 / Hironori Kawabata

紬レザーかすり 店主

紬レザーかすり(@tsumugi_leather_kasuri) • Instagram
https://www.instagram.com/tsumugi_leather_kasuri/

協働日本事業については こちら

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(前編)『「境界」が溶けた世界で、勝ち抜いていくために必要なこと』 –


-VOICE:富田 慎司氏 -複業人材と地域企業の「協働」を起爆剤として、世界に挑戦する日本企業を増やしたい-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。今回は、協働日本でマーケティングのプロとして地域企業の伴走支援を行う富田 慎司氏のインタビューをお届けします。

これまで、外資系の消費材メーカー、日系の飲料メーカーでそれぞれ活躍し、主力ブランドのマーケティング戦略を担ってきた富田氏。通っているMBAの授業や自身の体験をきっかけに、これから先も日本の企業が世界に伍し続けていくため、その事業の成長を自ら支援していきたいという想いを抱いたことが、協働日本に参画したきっかけと話す富田氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

マーケティングの力で、世界でもっと勝負できる日本企業を増やしていきたい。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、富田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

富田 慎司氏(以下、富田):よろしくお願いいたします。大学卒業後、外資系消費財メーカーでキャリアをスタートし、現在は日系の飲料メーカーでブランドマーケティングに携わっています。

ブランド戦略からマーケティングコミュニケーション開発、ブランド財務管理など、ブランドマーケティング業務の全てを担っています。

ーーずっとブランドマーケティングに携わっているのですね。学生時代からご興味がおありだったのでしょうか?

富田:そうですね、ブランドというよりはマーケティングに興味があったんです。

私は、オーケストラやオペラが好きなんですが、その趣味を通じて「アートマネジメント」という概念に出会ったんです。芸術文化を広げ、利益を上げていくことに大きな課題を抱えているケースが多いんです。でも、そういった芸術団体も自分たちで稼ぐ力をつけないと、政府や公共団体に頼ってばっかりじゃダメだということも同時に言われていて。

そんな、芸術できちんと稼ぐ「アートマネジメント」の存在と、その一つの手法として「アートマーケティング」という考え方があることを知ったんです。「オーケストラも、チケットをどう売っていくのかを考える時代なんだ」とびっくりしたんです。

それがきっかけで、自分の好きなものを人に届けて、好きになってもらう、幸せになってもらう仕組み作りって、面白そうだな、ワクワクするな、と思ったのが始まりですね。

ーー外資系企業から日系企業へ転職されていますが、何か転機があったのですか?

富田:はい。現在MBAに通っているのですが、授業の中である教授が「日本企業の競争力は海外に比べて著しく低下している」と話していたんです。

株価の低迷や、グローバル市場でのシェア減少なども事実としてあります。最近では海外からの移住者や労働者も増えていますが、それによって日本の良い文化が薄れていってしまっているのではないかと懸念も持っていて、「日本企業にもっと頑張ってほしいな」と思うようになっていきました。

実際に外資系企業でずっとマーケティングに携わってきた中で、日本企業の多くはマーケティングに課題があると思うことも多かったんです。USJを立て直した森岡毅さんも「マーケティングで日本の企業を強くしていく」とおっしゃっており、マーケティングにより日本企業のポテンシャルをもっと引き出せるのではないかという肌感もあったので、自身の強みであるマーケティングの力を日本企業に還元していきたいと思ったことが転職の背景にあります。

ーー続いて、富田さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについても教えていただけますか?

富田:今お話しした通り、「マーケティングの力で、日本企業を世界に伍する企業に成長させていくお手伝いがしたい」と、日本企業の未来について真剣に考えるようになっていたところ、協働日本代表の村松さんが、中小企業に伴走できるマーケティング人材を探していると、共通の知人から紹介を受けたんです。

最初はオンラインでのミーティングで、協働日本代表の村松さんとCSOの藤村さんとお話しさせていただいたんですが、大企業での豊富な経験を持つお二人が、目を輝かせながら中小企業支援についてお話しされていることがとても印象的で。こんなに夢中になれる仕事ってあるんだ、面白そうだなと感じたのが第一印象でしたね。

日本企業の成長を支援したいと考えた時に、日本企業の99.7%は中小企業なわけです。でも、じゃあ私が地方の中小企業に転職するのか?と言われれば、それはやっぱり容易ではないですよね。

なので、そういうところに伴走支援という形で入っていくビジネススキームも面白いなと感じましたし、自分のマーケティングスキルでどれだけ中小企業のお役に立てるのか、武者修行じゃないですけど知りたいなと思うところもあって、参画を決めました。

プロジェクトが徐々に自分事になる。その閾値を超えた瞬間、チームが動き出す。

ーー続いて、富田さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

富田:これまで、鹿児島県の企業、株式会社オキスさんとワカマツ自動車さんのプロジェクトマネジメント、株式会社栄電社さんのプロジェクトに協働プロとして伴走に入らせていただいています。最近は石川県の企業のプロジェクトもキックオフしたところです。

ーーそれぞれのプロジェクトについて詳しく教えていただけますか?

富田:はい。まず1社目の株式会社オキスさんは、農産物の生産、加工、販売、物流等を一貫した商品として提案流通を行っている農事組合法人です。「ベジブロスムージー」という健康食品事業の立ち上げのプロジェクトを支援していて、もう2年になりますね。

もともと「ベジブロスムージー」の構想はあったのですが、製品開発や販売戦略など具体的なプロジェクトはスタートしていない段階だったので、伴走支援に入らせていただくことになりました。

初年度はアイディアのブラッシュアップからスタートし、商品開発やブランディングも行いました。
実際に消費者インタビューを実施してターゲット層のニーズを掘り下げたり、ニーズに合わせたパッケージデザインを作るために複数のクリエイティブブティックにデザインブリーフを作っていただいて比較検討したりと、本当にいわゆる「マーケティング体験」と「事業開発」を一通り実践した形ですね。

今年度は完成した製品をどのように販売していくか、マーケティングのコミュニケーションアセットを作って、どこでどうやって展開していくのかなど、マーケティング戦略の具体化に注力しているところです。ここまでやっている中小企業は多くはないんじゃないかなと思えるほど本格的なブランド戦略を描いています。

ーー本格的な販売フェーズに入っているのですね。楽しみです。次にワカマツ自動車さんはいかがですか?

富田:ワカマツ自動車さんは今年度からの新しいプロジェクトで、現在進行中です。

マーケティング戦略とブランディング戦略の策定に取り組んでおり、まずは「自分たちはどのような会社になりたいのか」「強みは何か?」を考えることからスタートしました。内外環境の分析も同時に始めたのですが、外部環境に関してはリサーチを行いながら、自分たちがどういうサービス設計をするのか、マーケティングとしてはどこをタッチポイントとして顧客とコミュニケーションをしていくのかということを検討しています。

ーー伴走支援を通じて、協働先にはどのような成果や変化が見られましたか?

富田:特に印象的だったのは、オキスさんでの変化です。当初、リーダーである営業部長が主導する形で進んでいましたが、他のメンバー3人はどちらかというと受け身で、なかなか意見を言えない状態でした。ある時、たまたま営業部長が出張で不在のミーティングがあり、せっかくなので「皆はこのプロジェクトをどうしたいのか」腹を割って話し合う機会を作ったんです。すると、実は自分たちも色々思うことはあったんだけど、それをチーム内で共有しきれてなかったという話が出てきました。

こちらからは、その課題を解決するための手法について、アイディア出しや提案はせずに、「どうすれば解決できると思いますか?と問いを投げかけてみました。プロジェクトチームのメンバー同士でちゃんと納得しながら進めたいみたいなことをおっしゃっていただいて。

そこからは実際に、2日に1回くらい、30分〜1時間くらいの時間このプロジェクトについて話をする時間を取るようになり、今日はこういう話をみんなでして、納得しきれていない人やところがないか、意見を出しあうように変わっていったんです。 しかもその会議でこういう話をしたという結果も協働チームのLINEグループで送ってくれるようになりました。

ーーまさにチームの文化そのものが変わった瞬間ですね。

富田:はい。こうして何回かミーティングを重ねていって、ある閾値を超えると協働先の社員のみなさまが突然「覚醒」される瞬間というのを何度も目の当たりにしているのですが、その時に成長していただいている実感を得られるのは本当に嬉しい瞬間です。

私の感覚として、プロジェクトが「やらされ仕事」から、「自分がやりたいこと」になった時に閾値を超えていく印象があるなと思っていて。

協働プロジェクトでは支援先の部長や、経営人の方と話すことはたくさんあるのですが、その人1人とやっているわけではなく、伴走先にもちゃんとプロジェクトチームがあるんです。ただ、そのチームも「社長から言われたから」「部長からの指示通りにする」といったような感じで、メンバー一人一人が自分事として動いていないと思う時は、プロジェクトの進捗自体も遅い印象を受けるんです。

そういう時にはメンバーの方達にも「そもそもなんでこのプロジェクトをやろうと思ったんですか?」など、本当に根本的な部分をきちんと問いかけ直すようにしています。「今って本当にこの方向でプロジェクト進んでいるけれどいいのかな?」みたいな、原点を ずっと問いかけ直し続けると、徐々に「私ってこういうことがやりたかったんです」というインサイトがポロっと出てくるようになります。

例えばオキスさんのチームメンバーからは「本当は野菜の力で、女性の活躍を応援・推進したい」という本音が見えてきて、グッと前に進むようになってきました。それまでは、社長の方針や、健康食品についてアドバイスをいただいていた外部の方の意見に従っているといった雰囲気がどこかにあったのですが、やっぱり自分たちがこの商品にどういう思いを込めているのかというところを問いかけ直して、自分事化できた時に、「私はこうしたい」「こうだと思う」というような主体的な発言や議論が増えていきました。

自発的なミーティングが増え、同時にプロジェクトに対して自分の気持ちを言語化するようにもなり、どんどんチームとして動きが良くなって行ったことを実感しています。その結果が、製品化であり、ブランディング、販路の拡大と今の進捗に繋がっていっています。

協働日本は能動的な企業を増やす「触媒」。


ーー協働プロとして活動されるようになってから、富田さんご自身の変化はありましたか?

富田:そうですね。本業での仕事の仕方に影響があったこととしては、色んな人にちゃんと話を聞くようになったことかもしれません。これまでは、チームメンバーにブリーフィングをして、「いつまでにこれをやってね」と頼みながら、自分で判断して仕事を進めていたんですが、他の人の目線、客観的視点を聞くことがかなり増えました。

というのも、プロジェクトにコミットしていない人に意見を聞いても、専門性や背景の認識があまりない方のフィードバックは「個人の感想」でしかないと思っていたところがあったからなんです。

でも、オキスさんとのプロジェクトの中で、普段マーケティングの業務をしていない方と試行錯誤しながら進めていると、自分だけではカバーできなかった新たな視点がある───視点の多さが武器になるといったことに気づくことができたんです。

多角的な視点から見落としなくすることでプロジェクトを強くしていくことができることに気づきました。

一人だけで取り組むよりも、みんなで同じ方向を向いて船を進めていく方が、船は強く早く進む。協働を通じて一人一人の強い思いがビジネスを加速させていくことの重要性を改めて実感しています。

ーー富田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

富田:私の目標は最初にお話しした通り、「日本企業が世界で戦える存在になること」です。国内市場が縮小する中、海外展開は避けられないけれど、いきなり海外に挑戦するのは難しい。まずは国内で基盤を作り、脚力を鍛えることが重要です。協働日本の伴走支援がその助けになればと思っています。

私は今、MBAでも「日本ブランドが海外市場でどのように受け入れられるか」を研究しています。例えば、ターゲット国ごとに異なる消費者行動を分析し、企業がどの市場でどう勝負すべきかを具体的に示せるような指針を作りたいと思っています。

個人としても協働プロとしても日本企業を支援することで、関わった企業の皆さんが飛躍的な成長を遂げ、世界に誇る企業として活躍していけるようにしたいです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

富田:協働日本は、地域企業で働く社員皆が力をさらに発揮できる環境を共に創り、自立した企業に成長するための「触媒」だと考えています。そして、協働日本の支援を受けた企業が成功し、その成長を見た他の企業が「自分たちも挑戦してみよう」と能動的に動く未来につながるといいなと思うんです。

複業人材と地域の中小企業が混ざり合う「協働」が起爆剤となって、日本の中小企業ももっと頑張れるんだ、と、自分達で奮起して成長していけるようになったらいいですよね。

そういった風潮が広がれば広がるほど、日本全体が活性化し、世界に挑戦できる企業が増えていく。能動的な企業を作る触媒として協働日本がある。そんな未来に繋げられたらと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

富田:こちらこそ、ありがとうございました!

富田 慎司 / Shinji Tomita

慶應義塾大学法学部卒業後、2015年、ユニリーバ・ジャパンへ入社。
入社後、一貫してマーケティング部門に従事し、ヘアケア、スキンクレンジング、ホームケアなど多くのカテゴリのマーケティング責任者を歴任。
ユニリーバ・ジャパンにおけるブランドマネジャーとして、新製品開発・企画立案、ブランディングを通した事業の成長を牽引。

現在は日系飲料メーカーにて引き続きブランドマーケティングに携わる。

協働日本事業については こちら

関連記事

STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-


VOICE:和地 大和 氏 -まずは一歩でも進んでいる実感を持ってもらいたい。協働先の「やりたい」に寄り添い、モチベーション高く変化を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でWEBプロモーションのプロとして地域企業の伴走支援を行う和地 大和氏のインタビューをお届けします。
商社やスタートアップで、営業・人事・経理・総務・マーケティングや広告など、様々なキャリアを積んだのちにフリーランスとして独立した和地氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化や、今後実現していきたいことについて語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

どん底も経験しながらチャンスを掴んだ、幅広いキャリアを活かして顧客の支援をする「Web実務のプロ」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、和地さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

和地 大和氏(以下、和地):はい、よろしくお願いいたします。

現在は【1社に1人は欲しい右腕人材】と名乗って、フリーランスとして活動しています!

メインは、Web広告の代理店ですが、コピーライティングや、各種プロモーションのお手伝いなど、Web関連の仕事を幅広くお受けしています。最近は、企業の人事コンサルなども始めたところです。

ーーありがとうございます。和地さんは幅広く活躍されているようですが、どういった経緯で独立されたのでしょうか?

和地:住宅建材の商社の営業からスタートして、その後本社の人事を経験しました。

その後、実は一度起業して失敗しているんです。まだ20代で若かったこともあり、とにかく生活のために派遣社員として働き始め、携帯ショップで2年間販売員を勤めていました。もちろん「あのまま商社にいれば…」と思うこともありましたが、自分を省みる良い期間にもなったと思っています。

今はこの仕事を真っ当に頑張るしかない!と心を奮い立たせて仕事にあたり、人材派遣会社の営業に転職しました。その後は約半年ごとに役職が変わっていき、最終的にはグループ会社のスタートアップの役員に就任するに至りました。

ーーひたむきに努力されたことで、チャンスを掴まれたんですね!

和地:人材不足だったこともあって、チャンスにも恵まれていたんです。一度失敗した経験があったからこそ僕も必死でした。おかげさまで、このキャリアの中で、営業・人事・経理・総務・マーケティングなど一通り経験することができて、独立して今に至ります。

商社時代の最初の3年間は皆さんが想像するような「the 商社の営業」的な激務を経験していて、僕を形成しているのはその3年間の圧倒的な仕事量でもあります。1つのミスが命取りという世界線でしたし、今振り返っても、一番辛い経験でした。(笑)

自社商品を取り扱っていたわけではないので、商品の優位性もない中で僕から買ってもらう「理由」は「お付き合い」がベースにあることも大きかったんですね。この経験から1つのミス・不誠実で仕事がなくなるという意識が醸成されました。だからこそ現在フリーランスで働く中で仕事が来ることをありがたく感じています。

ーー続いて、和地さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

和地:実は、最初はスポットでWeb広告のサポートの依頼をいただいていたのですが、気がつけばレギュラーメンバーとして複数の案件を持つようになっていた、という経緯があります。

静岡県にあるジュエリーメーカーの株式会社キラガさんで、当時協働プロとして入っていた方と元々繋がりがあったんです。キラガさんがWeb広告やWeb戦略を広げていきたいということで、その方から相談があり、1ヶ月間のスポットでのサポートという形で打ち合わせに参加したのが最初です。

段々とあれもこれもと話すことが増えてきて、気づけば本格的に協働プロとして関わらせていただくようになっていき、もう2年半のお付き合いになります。

現在は、キラガさんの他にも2社の伴走支援にも入らせていただいていて「それってどうやるの?」を叶えるWeb実務の専門家として、活動しています。

例えば、一括りに「Web媒体でプロモーションをしたい!」と言っても、広告を打つのか、SNSで集客するのかなど、いろんな手法があります。そこで、お客様の目的を達成するためには、「現状何が1番良いか」「中長期ではどうか?短期ではどうか?」という視点で壁打ちをさせて頂いています。

経営者・担当者の方は、大体すでにやることが沢山ある状態なので、思考や行動が散らばってしまうことがあります。そんな時には、「今1番集中してやること」に意識を向けられるよう、一緒に軌道修正することも大切にしています。

優先順位やモチベーションをサポートしながら協働先の「やりたい」に寄り添うことで、組織の変化と成果を産んでいく。

ーー和地さんが参画されたプロジェクトの内容について、もう少し詳しくお聞きしたいと思います。

和地:はい。基本的には、協働先の「やりたい」を優先しながら、手法について壁打ちしながら方針を決め、チャレンジしていくという流れでプロジェクトを進めています。

最初「Web広告を出したい」という相談からスタートしたキラガさんは、結局広告は出さずにEC販売とSNSでのプロモーションを厚くしていくことになりました。

現在のキラガさんの戦略の軸でもあるライブコマースは、当時すでにインスタライブで行っていて、売上もそれなりに好調でした。ですが、現在とは違い、他社のアカウントにゲストとしてお邪魔してライブを行うという形式だったので手数料の負担も大きかったため、協働プロジェクトの中で自社で完結できるように相談しながら進めていきました。

しかし、いざ自社のアカウントでのライブコマースに切り替えると、これまでに比べ売上が伸びなかったんですね。Instagramではどうしてもフォロワーに向けた配信になってしまうので、新規顧客の獲得や拡販には向かなかったんです。これまではゲストとして配信していた先のアカウントのフォロワーがメイン顧客になっていたので、新たにフォロワーを獲得する必要が出てきました。

そこで、ライブ配信が新規ユーザーにも届きやすいプラットフォームとしてTiktokを活用することになったんです。フォロワー数をある程度獲得する必要があるということで、運用代行など色々試行錯誤していったんです。

ーーなるほど。その試行錯誤の結果、Tiktokで成果が出て「売上12倍」という結果に繋がっているんですね。

和地:そうですね。キラガさんの場合は特に、ここまで結果を出すことができているのは、やっぱり太田さんの圧倒的な行動量があったからだと僕はずっと思っているんです。太田さんがこれだけやってきたから結果が出ていると思っているからこそ、太田さんの「やりたいこと」を最大限尊重したいという背景もあります。

気を付けていることは、優先順位付けのお手伝いをすることですね。太田さんに限らず、経営者の皆さんはあれもこれもとやりたいことが沢山あるので、全部手をつけてしまうと結果的に散らかってしまって成果に繋がりにくい。だからこそ、結局どれを最優先にやるべきなのか?を絞っていく。

事業を進める上で、「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」がそれぞれありますが、僕はこのバランスが大事だと思っているんです。やらなければいけないことばかりやってると、モチベーションが上がらなくなったり、心が荒んでいってしまうこともあります。とはいえ、やりたいことだけでは会社は成り立たない。だからこそ、一番やっておきたいことと、やらなきゃいけないことを整理して、まずはここにちょっと焦点を当ててやりませんか?と適宜お話ししていました

実は途中で失敗も経験したんですよ。初めにお願いしたTiktokの運用代行は上手くいかず……以前太田さんもご自身のインタビューで語られていたのですが、採用の面でも大手求人サイトへの広告出稿でも期待する成果が出なかったこともありました。

僕は基本的に、期待値に対して本当に成果が出るだろうか?と懐疑的な時ははっきりお伝えしていて、かけた費用はどのくらいで回収できるのか?本当にこの手法を取るべきか?ということも議論してきました。その上で「それでもやりたい」ことについては寄り添って進めるように心がけていて、やってダメなら次の手をどうするか提案しながら最終的に求める結果に近づけるようにしたいと思っています。そうやって失敗も共にしてきたからこそ、今は「どうしてもやってみたい!」が飛び出した時、「あの時の広告のことを思い出してください!」と半分笑い話のように言いながら、議論できる関係性を築くことができたのではないかなと思います。

ーーなるほど。特にキラガさんとのお取り組みは2年以上と長く続いていますが、ここまでに実感された変化などはいかがでしょうか?

和地:成果という意味で言えば、先日の太田さんのインタビュー(STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-)をぜひご覧いただきたいなと思っています。

それ以外の、僕の視点から見た変化でいうと、太田さん一人で売上を作っていた当初に比べ、新しく入社した方が売上を作れるようになったという変化はとても大きいと思います。ライブや売上貢献意識も強い方ばかりで、組織改善につながっているように見えます。

当初、キラガさんのライブコマース事業では、太田さん一人でライブ配信をして売上を作っていたのですが、現在では半分以上は社員の皆さんで配信して売上を作られているんです。もちろん太田さんとしては、まだまだと思っている部分はあるかもしれませんが、僕はこの協働プロジェクトの中でプロモーションだけでなく新規採用や組織改革にも着手して、意欲的に社員の方が売上を作ることができるようになった、というのは本当に素晴らしい変化だと思っています。

ーー社員が自発的に意見を出して売上と作れるようになった、というボトムアップの行動や組織自体の変化が見られるようになったのはどんなことが理由だったのでしょうか。思い当たるきっかけはありますか?

和地:何よりも「太田さんが任せた」ことがきっかけじゃないかなと思います。やっぱり、ライブの回数と売上は比例してくるので、太田さん以外にもライブができる人材を増やしたいということで、新規採用についてもプロジェクトの中で進めていったんです。

初めは大学生の女性の方に配信を手伝ってもらったりしたこともあって……でも、商品がジュエリーということもあるので、配信の中で太田さん以外に若い女性がいるだけで画面も華やかになって、ポイントさえ抑えていけば誰でも配信の中で販売をしていけるという気づきを得てからは、太田さんは「売り方を教える」ことにシフトしていき、採用がうまくはまって人も増え、結果的に販売の仕事を手放すことができて上手く回るようになりました。

経営者の方は皆さんそうだと思いますが、結果として売上は12倍になっているものの、太田さんは常に「次はどうしよう」という不安を持たれているんですね。進んでいることを実感されていないことがあると言いますか。だから、日々動かれているのに「最近動けていないんです」とおっしゃるので、しっかりと「進んでいる」実感を持っていただくように心がけています。配信は少し休んで、その間に社内の整理をしましょう、などと声をかけて、組織変革のための時間を取るなど、これまでの行動や成果を褒め、休憩のタイミングを作り、優先順位を絞る、というサポートをしていく中で、やりたいこと・やるべきことが噛み合って、今があるのかなと思います。

協働の中でインパクトを出せる実感が、自分の自信と成長につながる

ーー営業・人事・Webマーケティングなど和地さんの強みを最大限活かしてご活躍いただいていますが、協働の中で得た気づきなどはありますか?

和地:一緒にプロジェクトに入っている協働プロから受ける刺激や学びは本当に大きいですね。皆さん違う業界の第一線で活躍されている方ばかりなので、同じマーケティングをしてるはずなのに、考え方・視点が全然違うんです。僕自身はこれまでミクロな視点で戦略を考えることが多かったんですが、大衆向けの大手メーカーで活躍されている他のメンバーの視点はもっと大きく考えておられて。日本だけでなく世界も視野に入っているなど、僕にとっては新しい視点がたくさんありました。

僕のミクロな視点自体は、「明日の売上のことを考えてもらえる」と評価いただくこともあるのですが、そこに加えて先を見据えた視点、考え方も取り入れてプロジェクトの提案をしていく重要性は学びになりました。

そんな、日頃から広い視野を持って動かれている方達と同じプロジェクト、同じポジションで働けること自体が自分にとっての自信に繋がっているように思いますし、一般的な副業や、僕のようなフリーランスでプロジェクトにスポットで入るだけでは得られない体験だと思っています。

ーーなるほど。これからもプロジェクトは進んでいくと思いますが、和地さんが協働の中でこれから成し遂げていきたいことはありますか?

和地:そうですね。自分の仕事のスタンスでもありますが、多くの中小企業様の悩みとして、「やりたいこと」「解決したいこと」はたくさんあるけど、「何をすれば良いかわからない」「時間がない」などで足踏みすることがあると思うんです。

「進んでない状態」ってもどかしかったり、不甲斐なさを感じたりと、ある意味「失敗」よりきついこともあるんじゃないかなと。そんな状態から、一歩でも前に進むためのお手伝いをしていきたいですね。

少しでも進めば、何が良くて、何が悪いかわかるので、その結果を元に、「じゃあ次は何をしようか?」という会話ができるようになります。それを繰り返し、一緒に進めることが、僕の仕事だと思ってます。この小さな積み重ねの上に、企業の発展、従業員の皆さんの満足度アップ、果ては社会や地域貢献につながるんじゃないかなと。

キラガさんのプロジェクトでも、地味なPDCAを回し続け、失敗もあって苦しい時もありました。

でも、蓋を開けたら「しっかり前に進んでいた」という感じなんです。

多くの方は、ずっと次の目標、次の目標と追ってしまうので、「前に進んでいること」を忘れがちです。そこを実感してもらうことも、僕は大切にしています。苦難や困難があれど、必ず前に進めるということをこれからも実現していきたいなと思っています!

ーーフリーランスの和地さんも大きな刺激を受けられると言っていただいた「協働」ですが、こういった複業人材との協働は今後広まっていくと思いますか?

和地:はい、どんどん広まっていくと思いますし、広まって欲しいとも思っています。

参加しているからこそ実感しますが、スキルや経験を持った人材が地方中小企業に入ることで与える影響はやはり大きいです。

僕自身、会社員時代はずっと都市圏で働いていましたが、大企業にいると、自分の生み出す成果のインパクトは相対的に小さいんですよね。特に僕は1つずつコツコツ丁寧に、量をこなすというタイプだったので。

一方、中小企業では「役に立てる実感、手触り」があるんです。自分の役割が会社・成果にインパクトを与えられるという実感を得られたことは大きな経験になりました。

都市圏には、かつての僕のように、スキルや経験があってもなかなか活躍の実感を持てない人も少なくないと思います。そんな人が地方中小企業のプロジェクトに参画することで、一気に活躍の場を広げられることが成長の機会につながる。複業人材の活用は、地方中小企業だけでなく、複業人材として参画する側のスキルを持つすべての人にとってもメリットがあると思うんです。

僕も人事をやっていたので採用の難しさは理解しているつもりです。だからこそ、直接雇用をせずに会社を強くする仕組み自体も、今後どんどん広がっていくと思います。むしろ、こういう新しい形態に取り組んでいかないと、今後の発展は難しい部分があるかもしれません。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

和地:協働日本のコンセプトにはとても共感していて、僕たちがやっていることの意義・意味はすでに十分にあると思っていますし、僕自身も楽しく仕事させてもらっています。

「一つの会社に属する」という、これまでの常識は今後どんどん変わるのでは?とも思っていて、実際、「都心に住んで、たくさん稼いで、成功する」という価値観から「自分らしく働く、キャリアを作る」という傾向が年々強くなっているように思います。

そのことを考えると、社会的に見ても協働日本さんのような取り組みは、自然と拡大していくようにも思います。そうやってクライアントになる地方中小企業や協働プロとして入る複業人材の量も増えるといいのかなと思っていて。自分が働く案件が欲しいというよりも、協働日本への賛同者、いいと思ってくれる「ファン」が増えて広がってほしいというのが理由です。

協働日本のファンが増えることは、僕自身にとってのチャンスや活躍に繋がっていくと思いますし、同じ想いで仕事をされている方達にとってのチャンスにも同じように繋がるので、そうやってどんどん輪が広がっていったらいいなと思います。

僕自身そういう企業のサポートをしていきたいので、自分のキャリアもしっかり作り、貢献度を上げる一角を担っていけたらと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

和地:ありがとうございました!

和地 大和 / Yamato Wachi

上場企業での商社営業・人事を経験し、スタートアップの起業を経て、派遣社員としてショップ店員を経験。
その後人材会社に正社員登用され、子会社役員となり、独立。
現在はフリーランスで、WEBマーケティングや広告代理業務を中心に、【1社に1人は欲しい右腕人材】として企業様の価値や魅力を武器に変えるお手伝い中。

協働日本事業については こちら

関連記事

STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-


NEWS:【8/30(金)14:00~】「かごしまスタートアップ推進協議会」基調講演に代表の村松が登壇します

「かごしまスタートアップ推進協議会」基調講演登壇のお知らせ 『鹿児島からイノベーションを創る』

この度、8月30日(金)に開催される、鹿児島県主催の「かごしまスタートアップ推進協議会」にて、代表の村松が、基調講演を担わせて頂くことになりました。

お申し込みはこちらから
令和6年度かごしまスタートアップ推進協議会の参加者募集について

『鹿児島からイノベーションを創る』と題し、スタートアップを取り巻く環境や、創出・育成するための支援など、オープンイノベーションに関わるみなさまが集まるイベントとなっております。

代表の村松は、第一部の基調講演『成長する起業家と必要な支援について』にて、登壇させていただきます。テーマは『企業の成長過程における支援の在り方について』。

鹿児島県内の事業者のみなさま、企業支援に関わられている方、是非ご参加頂けますと幸いです。

セミナー概要

かごしまスタートアップ推進協議会 「鹿児島からイノベーションを創る」

■ 日時:8月30日(金)14:00〜17:00
    (開場:13:30〜)

■ 場所:鹿児島大学稲盛会館  キミ&ケサ メモリアルホール
    (鹿児島市郡元1丁目21-40) ※オンライン配信も実施します

■参加費:無料

■定員:現地:100名
※現地の参加希望が定員に達した場合は,オンラインでの聴講をお願いする場合があります。その場合は,8月29日(木)までに記載いただいたメールアドレスへ県から連絡を行います。

■ 募集締切:8月27日(火)12:00まで

内容・登壇者

【来賓挨拶】

 鹿児島大学 理事・副学長(企画・社会連携担当)
 岩井 久氏

【第1部】基調講演

 - 成長する起業家と必要な支援について –

 『成長する起業家とは』
 株式会社ビジョン 代表取締役会長CEO
 (一社)鹿児島イノベーションベース 代表理事
 佐野 健一氏

 『企業の成長過程における支援の在り方について』
 株式会社協働日本 代表取締役社長
 村松 知幸氏

【第2部】対談

 - 地方におけるオープンイノベーションの可能性 –

 株式会社eiicon イノベーションコンダクター事業部 部長
 新宮領 宏太氏

 株式会社MTG Ventures 代表パートナー
 伊藤 仁成氏

お申し込み方法

申し込みフォームに情報を記入してください。

令和6年8月27日(火)12時までにお申込みください。
令和6年度かごしまスタートアップ推進協議会の参加者募集について

皆様のご参加を心よりお待ちしております。


セミナーのご案内


お申し込みはこちらから
令和6年度かごしまスタートアップ推進協議会の参加者募集について

お問い合わせ・連絡先

鹿児島県商工労働水産部産業立地課新産業創出室
TEL:099-286-2964
FAX:099-286-5578 担当:紀(きの)
E-mail:startup@pref.kagoshima.lg.jp

協働日本
ippo@kyodonippon.work

VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

協働日本事業については こちら

関連記事

STORY:うしの中山 荒木真貴氏 -『UshiDGs(牛DGs)』協働により生まれた、鹿児島発サーキュラーエコノミーモデル-

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 –


NEWS:事業構想オンラインと連携し、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」と連携し、今後協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」にて、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします。

今回の掲載記事

若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ | ニュース 2024年 5月 | 事業構想オンライン
https://www.projectdesign.jp/articles/news/7d0afdc4-83a7-4370-af9a-20747febad9a

今回、協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」の中から、鹿児島県の株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏へのインタビュー記事を取り上げていただき、記事掲載しております。

インタビューでは、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語っていただいております。

今後の取り組みについて

「事業構想オンライン」は、「月刊事業構想」を出版する学校法人先端教育機構によって運営されているウェブメディアです。

「月刊事業構想」は、企業活性、地方創生、イノベーションといったテーマに基づき、新たな事業アイデアを求める、全国の経営者・新規事業担当者・自治体幹部の方々向けの専門誌です。

地方創生・地域課題解決のヒントを発信しており、全自治体の首長・自治体職員へ献本を通じて全首長の84%が定期的に月刊事業構想を閲読しております。

この度、協働日本が掲げる「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進する取り組みのパートナーとして、「事業構想オンライン」への記事の掲載をスタートしました。

今後も月に1回のペースで、協働日本における各種インタビュー記事を掲載予定です。

株式会社協働日本は今後も、株式会社イノベーター・ジャパンと協力し、協働日本における各種インタビュー記事を「事業構想オンライン」へ掲載し、日本中で誕生している協働の事例や、経営者の想いを発信していくことで、「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進してまいります。

ご紹介した事業について

協働日本事業

ご紹介したお取り組み事例 関連記事

STORY:株式会社イズミダ 出水田一生氏 -若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ-


「事業構想オンライン」について

月刊事業構想は、新市場を開拓する「構想力」を育み、スタートアップや新規ビジネス、地域活性につながる情報を提供することをコンセプトにしたビジネス誌です。
このサイトでは雑誌の転載記事だけでなく、オンラインオリジナルのニュース記事等を掲載しています。

事業構想オンラインについて | PROJECT DESIGN – 月刊「事業構想」オンライン
https://www.projectdesign.jp/about

発行人東 英弥
編集室長田中 里沙
編集長増田 智子
発行学校法人先端教育機構* 事業構想大学院大学出版部
発売学校法人先端教育機構
所在地〒107-8418 東京都港区南青山3-13-18
PROJECT DESIGN – 月刊「事業構想」オンライン
https://www.projectdesign.jp/

*学校法人先端教育機構は「知の実践研究・教育で、社会の一翼を担う」を理念に、事業構想と構想計画を研究する事業構想大学院大学と、広報戦略や人材育成におけるリーダーを養成する社会構想大学院大学を運営しています。

株式会社協働日本 協働日本事業 の詳細ついては こちら