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VOICE:四元 亮平 氏 -想いを持つ方を支える「名脇役」として。マーケティングを通じた地域企業の価値の再発掘と成長を目指す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でブランディング・マーケティング支援のプロとして地域企業の伴走支援を行う四元亮平氏のインタビューをお届けします。

四元氏は、リアル店舗を活用したマーケティング支援の専門家として、これまで様々な企業の成長を支えてきました。協働日本への参画を通じて、地域企業の課題解決に取り組みながら、新たな価値創造に挑戦しています。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の成長、そして今後の展望について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自然と”商売”に触れていた幼少期の環境。経験を活かして地域企業のポテンシャルを引き出す支援をしたい

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、四元さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

四元 亮平氏(以下、四元):はい、よろしくお願いいたします。現在、私はPLAY Inc.の代表として、小売業界を中心にブランディングやマーケティング戦略の支援を行っています。PLAYは「心が豊かになる買い物体験の創出」をビジョンに、小売業界で店舗開発からセールスにDXまでのワンストップ支援に取り組んでいます。

ーー小売を中心としたご支援ということですが、これまでのキャリアでも小売業に携わられる機会が多かったのでしょうか?

四元:そうですね、10歳で中古のゲームソフトを販売することを通じて商売の面白さに気付き、21歳からポールスミスで販売職を8年、30歳で独立し企画製造業と店舗代行業を8年展開して今に至っています。

ーー幼少期のそういった体験が四元さんの今のキャリアの原点になっているのですね。

四元:地元神戸の三宮で、親戚が露天商を営んでいました。週末や長期休みになるとゲームソフトの中古カセットを仕入れてワゴンに積み、スペースを借りて大人を相手に販売するという経験をさせてもらっていました。

そういった環境があったので、自然と商売の世界に触れるようになり、今に至るまで小売業に関わっています。

ーーありがとうございます。続いて、四元さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

四元:もともとアパレル業界や自動車業界のクライアントを多く支援していたのですが、2〜3年前からローカル企業の可能性に魅力を感じるようになりました。特に、地方の企業が持つ独自の価値や文化に興味を持ち、それらを引き出すことで市場を広げられるのではないかと考えたんです。そこで、そういった活動をやってみたいという発信や、情報収集をするようになっていました。

そんな折、知人を通じて協働日本を紹介してもらったのがきっかけです。面白い取り組みをしている会社があるということで興味が湧き、私自身も地域企業の支援をしていきたいと思っていたところだったので、代表の村松さんと実際にお会いしてお話しを伺い、ビジョンに共感し、プロジェクトに参画することを決めました。

価値を再認識したことで気付いた新たなニーズと、事業を成長させる道筋

ーー四元さんが参画されたプロジェクトの内容について、詳しくお聞きしたいと思います。

四元:現在は、鹿児島県内の2事業者様の伴走支援を行っています。その中の1社である株式会社第一塗料商会さんにはプロジェクトマネジメントの役割で参画しています。

第一塗料商会さんは、これまで自動車塗料、建築用塗料、工業用塗料をはじめとするBtoBを中心に事業を展開する塗料の会社です。新たにBtoC市場に進出し、より多くの一般消費者にサービスを提供したいという課題を持たれていました。今回の協働プロジェクトでも、この課題をテーマにして、戦略策定を支援しています。

ーー具体的にはどのようなプロジェクトの進め方をされたのでしょうか?

四元:最初に取り掛かったのは、事業のビジョンやターゲット層の定義を行い、toC向けに展開しているブランド「塗屋本舗」の価値を明確にすることでした。これまでの「塗屋本舗」の顧客データを整理していくと、誰がどんなものを求めているのか?塗ってほしい商品やニーズもバラバラで、ターゲットが定まっていないことが明らかになってきたので、依頼が入るごとにヒアリングをしてニーズを明確にしていくという取り組みを進めました。

そこからわかってきたのは、「塗装をしてほしい」というニーズには大きく2種類、「古くなったものを綺麗にして使い続けたい」というマイナスを戻す価値と、「今あるものを塗り替えてさらに良いものにしたい」という、プラスを生む価値がそれぞれ見出されていることでした。

ニーズの掘り下げをしていく中で特に意外だったのは、「推し活」のお客様が一定数いらっしゃったことです。ペンライトを塗りたいという依頼や、推しの色とぴったりの色がない!という方が多くいらっしゃったんです。

これまでは漠然と30〜40代以降の年齢層をターゲットにしていた塗屋本舗でしたが、20代にも“気軽に塗装を楽しむ”体験を提供できるとわかったことも大きかったと思います。

ーーなるほど。徐々に塗屋本舗の価値やターゲットが言語化できていったのがわかります。

四元:そうですね。見えてきた顧客像やニーズに合わせて、この2軸のコンテンツをアップグレードしながら継続的に発信していくため、SNSによるプロモーション戦略も開始しました。特に「古くなったものを綺麗にして使い続けたい」というニーズは、第一塗料商会さんの強みである「色を通じたライフスタイル提案」との相性もよく、単なる塗装から「長く使い続けるための塗装サービス」というコンセプトを再構築しました。

小学生の頃使っていた勉強机をリペイントして、大人になっても使い続けられるというイメージビデオを作成、ライフスタイルに合わせて塗り直すことで、物がアップグレードされても、思い出や記憶は残り続けるというサステナブルな価値も伝わるようになっています。

このように、顧客戦略を明確化した上で、顧客ターゲットに合わせたフォロワー獲得施策を展開し、ブランド認知を強化。CRM導入の検討と、継続的な顧客接点の構築をサポートしていきました。

ーーありがとうございます。伴走支援を通じて特に感じられたプロジェクトの成果や変化についても教えていただけますか?

四元:先日の鹿児島新産業創出ネットワーク事業 最終報告会2025でもお伝えしたところではありますが、7か月の短期間でも、新規顧客の獲得や大きな請負工事に繋がるなど、大きな成果が生まれてきています。

その中でもやはりプロジェクトを通じて誰がこの価値を欲しがっているのか?ということが明確になり、第一塗料商会の皆さんにとっても自分達の価値の再認識ができた部分が最も大きな成果ではないかと感じます。

SNSなどオンラインで間口を広げて新規顧客を獲得していきましたが、次は来てくれたお客様にどのように継続してアプローチしていくか?という課題も議論できるようになりました。当初は新しいお客様をどんどん取っていこうという意識が強かったのですが、やはり小物の塗装だけで事業規模を拡大していくのは難しいです。

そこで、「一度塗ってもらった後」のお客様が、家の外壁塗装など本当に困った時の第一想起、信頼を獲得していくことを次の目標に置くようになりました。

ーー確かに、家の外壁塗装はどのタイミングで誰に相談すれば良いのかあまりイメージできない分野ですよね。

四元:そうなんです。実は、外壁塗装では訪問販売が多く、「そろそろ外壁を塗り直した方がいいですよ」という営業を受けて、即決で決めてくださる方もいらっしゃるんだそうです。第一塗料商会さんとしても、自社で受ければ同じ価格でもっと良いものができると感じていたそうで、推し活などをきっかけにできた若いお客様とのリレーションを継続して築くことで、口コミや紹介でアップセル・クロスセルを狙っていければと思っています。

今回のこの成果がでたことについても、私は枠組みを作っただけだと思っているんです。一緒にチームを組んでいた協働プロの和地大地さんや、協働サポーターの田中友惟さんが、その枠組みをしっかり掘り下げながら動き方を丁寧にサポートしてくれて、何より第一塗料商会さんが、新しい取り組みや考え方にアレルギー反応を出さず進めてくれたことによる変化と成果です。

わからないなりにも、自分達でやろう、と取り組んでくださったことが嬉しく、それを協働プロが引っ張っていってくれた、そんな良いプロジェクトだったと思います。7ヶ月間の伴走支援を経て次に取り組みたいことも見えてきたので、ここからさらに1年間プロジェクトを継続していくことになっています。

地域企業が持つ本来の強みを引き出し、成長させる、そんな名脇役でありたい

ーー協働の中で四元さんご自身の変化を感じることはありますか?

四元:今回のプロジェクトを通じて、より現場目線でのブランディングやマーケティングの重要性を再認識しました。今までの私自身のスタイルは、新しいことに取り組む前に今まで企業がやってきたことを見直すということに重点を当てていたんです。
今の状態がある=ここまで成長してきたことには価値がある、ということなので、この価値の再構築をするスタイルでした。今回も同じようなやり方ではありましたが、「鹿児島」という地域で協働を始めたことで、地域に根付いた文化や、そこで生活する人々の価値観をより強く意識するようになりました。

ーーなるほど。地域文化の重要性について、ぜひ具体的なエピソードを教えてください。

四元:鹿児島での伴走支援の中で、地域の方達とのコミュニケーション機会がたくさんありました。例えば、第一塗料商会さんのSNSプロモーションでは、地域で食レポをされているインフルエンサーの方を起用したのですが、やはり地域密着のインフルエンサーの方が地域のお客さまの理解度が高いんです。実際に塗装を依頼しに来られる方も地元の方が多いので、顧客の理解度も高く、解像度の高い戦略を立てやすい。一言でインフルエンサーの起用と言っても、影響力がある人を探すだけでなく、地元の人に愛され、応援され、文化への理解度が高い、地域愛のある人と組むと成功しやすいだろうという気づきがありました。

また、「地域で愛されるブランド」という視点も新たに学んだものの1つです。例えば、鹿児島の焼酎文化では、「全国での知名度や販売数」よりも、「地域でどれだけ親しまれ、日常酒として根付くか」が重要視されるという話を聞き、地元市場への深い理解も、ブランドの成長に不可欠だと実感したことがありました。

また、こうやって伴走支援を通じて、いろんな企業の事業、いろんな人の人生に関わり、これまでの自分の人生だけでは知らなかったことを知れる機会ができるということもとても面白く感じています。横についてるからこそ見える、知れることがある、追体験ができる。この経験自体も本当に楽しいですね。

ーーありがとうございます。四元さんはこれから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

四元:地域企業が持つ本来の強みを引き出し、マーケティングを通じて成長させることを目指したいです。
第一塗料商会さんの事例では、「塗装を通じた新たな価値創造」というコンセプトを打ち出し、マーケティング施策によって認知度を向上させました。また、企業が「ブランディングとは何か」を理解し、継続的に実践できる体制づくりも進めています。

「良いもの」は世の中にたくさんあるんです。埋もれてしまっている「良いもの」を多くの人に知ってほしいですし、自分自身がそういったものを発掘していく面白さを感じています。この“良いもの”を生み出す人や、「これを広めたい」と強い想いを持つ方々を支える“名脇役”でありたいです。主役ではないけれども、いなければ物足りない存在───そんな関わり方で地域企業が持つ本来の強みを引き出し、成長させることが私のミッションです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

四元:協働日本の「専門家がチームで伴走支援する」というスタイルは、地域企業にとって非常に有益な仕組みだと思います。
また、協働プロにとっても大きな成長の場になると考えています。例えば私自身は過去に大企業で働いた経験はありませんでしたが、協働プロジェクトでチームを組んでいる協働プロの中には、大手企業で活躍される方もたくさんいらっしゃいます。同じテーマについて、同じマーケティングという角度で物を考えても、大手でしかできない事業構想や物の見方があってとても面白いですし、勉強になっています。
日本中にこのモデルを広げ、多くの地域企業が協働を経験することで、地方発の新たなビジネスモデルが次々と生まれることを期待しています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

四元:ありがとうございました!

四元 亮平 / Ryohei Yotsumoto

マーケに強いToCセールス戦略コンサルタント。

UGG、BURTON、Leeなど現在まで数多くのブランド支援の実績を持ち、アパレル業界だけでなくBMW japanやTOYOPETなど他業界でも「マーケで強くするセールス戦略」を提供しながら、企業やブランドの売上を向上させる重要な「ヒト.モノ.ウツワ」の価値を最大化し、売上向上と同時に顧客の心が豊かになる買い物体験の提供を支援する。

また有力商業施設でのスタッフ研修や、ビッグサイトで開催されるアパレル最大級の展示会「FaW TOKYO」でのセミナー登壇、メディアでの執筆や文化服装学院の非常勤講師も務める。

2020/9にデジタルセールス入門書「スマホ1つで最高の売上をつくる接客術」をKADOKAWAから出版。webメディア「Eczine」アパレル業界誌「ファッション販売」など連載実績も多数。

協働日本事業については こちら

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STORY:紬レザーかすり 川畑 裕徳氏 -大島紬の魅力を後世に残したい。価値創出の仕組みづくりを通じて粗利3倍、チャンスが広がった-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

鹿児島県の奄美大島を中心に生産されており、世界三大織物にも数えられる伝統織物「大島紬」。この大島紬が現在、職人の高齢化や担い手の不足、若者の着物離れも相まって、生産量の減少が続いています。

今回は、奄美大島でこの「大島紬」を活かした事業展開をされている、「紬レザーかすり」の川畑裕徳(かわばた・ひろのり)さんにお越しいただきました。

インタビューでは、協働プロジェクトに取り組み始めたことで生まれた変化や得られた学び、今後の展望についてお話を伺いました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)


大島紬の魅力をどう広げ、残していくか。模索する中で出会った想いを共有できるパートナー

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、川畑さんが展開されている事業、「紬レザーかすり」について教えていただけますか?

川畑 裕徳 氏(以下、川畑):よろしくお願いします。
私が運営している「紬レザーかすり」は、本場奄美大島紬とレザーを融合させた小物製品を展開しているブランドです。
伝統工芸である大島紬をより身近に感じてもらいたいという思いから、「日常に溶け込む大島紬」をコンセプトに、バッグや財布、カードケースなどのレザーアイテムを製作しています。

最大の特徴は、革の裁断から縫製まで、すべての工程を私1人が手作業で仕上げていることです。そのため一つひとつ、ほぼ一点ものに近い特別なアイテムとして商品を仕上げています。

さらに、革の色や糸の色、大島紬の柄を自由に選ぶことができるため、お客様だけのオリジナル商品を作ることが可能です。普段から贈り物として選ばれることも多く、特に20代から60代の女性の方々にご好評いただいています。

ーーなるほど、よろしければ川畑さんがこの事業を立ち上げたきっかけなどお聞かせください。

川畑:ブランドを立ち上げるきっかけとなったのは、2005〜2006年にオーストラリアを訪れた際の体験です。アボリジニの伝統楽器「ディジュリドゥ」とドラムやベース、サックスといった現代楽器が融合する音楽に強く惹かれ、その衝動から「伝統とモダンの融合」をテーマにしたデザインを考えるようになりました。

その発想が形となり、大島紬とレザーを組み合わせた商品が生まれました。

「紬レザーかすり」を通じて、奄美大島の温かみや雄大さを感じていただきながら、日常の中で大島紬をより身近に楽しんでもらえたら嬉しいですね。

ーーどんなことに事業の難しさを感じていましたか?

川畑:事業を始めた当初は、さまざまな壁に直面し、その都度課題を痛感していました。特に大きな課題のひとつは、生産規模の限界でした。

当時は一人で運営していたため、作業の効率化や量産化が難しく、需要があっても供給が追いつかないという状況が続いていました。もっと多くの人に届けたいという思いがありながらも、体制面の問題で思うように展開できず、もどかしさを感じていました。

また、商品の魅力をどのように伝えるかという点でも大きな悩みがありました。自分では良い商品を作っているという自負はあったものの、それをどう言葉やビジュアルで表現し、消費者の心に響かせるかが分からず、販売促進の面で試行錯誤していたのです。

SNSの活用にも挑戦し、Instagramなどで発信を続けていましたが、フォロワーが増えても売上には直結せず、ただ発信するだけでは十分ではないことを痛感しました。実際に購買につなげるための導線をどのように設計すればよいのか、明確な答えが見えず、模索する日々でした。

さらに、コロナ禍という特殊な状況の中では事業の戦略を立てること自体が困難でした。
市場の変化が予測しづらいことからこれまでのやり方が通用しなくなる場面も多く、どのように適応し、事業を継続していくべきか、常に試行錯誤していました。

また、商品の付加価値をどのように高め単価を上げていくかという点も大きな課題でした。ただ良いものを作るだけではなく、価格に見合う価値をしっかり伝え納得して購入してもらうには、ブランディングやマーケティングの視点が不可欠でした。しかし当時はその知識や経験が不足しており、どのようなアプローチを取るべきか手探りの状態が続いていました。

こうした課題を一つひとつ乗り越えながら、試行錯誤を重ねることで事業は少しずつ成長していきました。今振り返ると、当時の困難があったからこそ現在の事業の基盤ができたのだと実感しています。

ーーそんな中で協働日本とのお取り組みがスタートしたのですね。そのきっかけについて教えてください。

川畑:そうなんです。きっかけは、すでに協働日本さんとの取り組みを始めていた静岡の企業さんからのご紹介でした。

私は個人事業主として一人で仕事に取り組む時間が多く、いわゆる会社員の方と違って身軽で動きやすい一方、事業についてじっくりと相談・壁打ちできる相手がいませんでした。

また当時、これから大島紬の魅力をどうやって広げていくかという課題を感じていた中で、同じ想いを共有し一緒にプロジェクトに取り組めるパートナーがいれば嬉しいなとぼんやり考えていたところでした。

タイミング良く繋がることができ、さっそくお話を伺ってみると、多種多様な人材が所属している協働日本の体制や、進行中のプロジェクトのお話にとてもワクワクしました。

ーーありがとうございます。協働日本に所属しているのは、熱意と専門性を持った複業人材が中心ですが、そういった人材とのお取り組みも初めてのものでしたか?

川畑:そうなんです。複業人材と言われる方々との取り組み自体も初めてでした。

普段は地元の奄美大島を中心に活動をしているので、島外の、しかも自分の知らない領域で活躍されている方々からいろいろな話を聞けると伺って、それも楽しみでした。

各領域で活躍するプロ達が集う協働日本さんとの取り組みから、自分の持っていない新しい視点でのフィードバックをたくさんいただけそうだという期待を感じたことを覚えています。

ーー協働日本との取り組みは、川畑さんご自身の変化のきっかけにもなったのでしょうか?

川畑:この取り組みを通じて、私自身の価値観や考え方に大きな変化がありました。特に、脳内がブラッシュアップされるような感覚があり、以前よりも思考の幅が広がったと感じています。

「やってみたら、やれたじゃん」と思える経験が増え、専門家のサポートを受けることで、自分の中になかった引き出しがどんどん開かれていきました。考えるだけでなく、行動に移すまでのスピードが格段に速くなり、マインドセットが大きく変わったと実感しています。

協働プロと週次のミーティングを通じて、あれこれできない理由を探すより、とにかく「やってみよう」という姿勢が身につきました。時には落ち込むこともありましたが、振り返ってみると、この経験が自分を大きく成長させてくれたと感じています。

商品価値の再発見で商品購入の平均単価が、倍以上に伸長。粗利も3倍以上を確保できた。

ーーどんなプロジェクトから協働のお取り組みがスタートしたのでしょうか?

川畑:「紬レザーかすり」の事業をさらに成長させるため、まず最初に取り組んだのは大島紬の小物にどう付加価値をつけ、販路を拡大していくかという課題の整理でした。

特に、インターネットを活用して奄美大島の外にも販売先を広げていきたいと考えていたため、島外への情報発信や効果的な販売方法について協働日本の協働プロの皆さんと議論を重ねていきました。

最初の具体的な取り組みとして、すでに始めていたEC販売サイトの見直しや、InstagramをはじめとするSNS発信戦略の改善を相談しました。しかし、対話を続ける中で、単なる販路拡大だけでなく、自分が生み出している商品そのものの価値を高めることこそが重要であるという結論に至りました。商品そのものの魅力を明確にし、ブランドとしての方向性を再定義できたことが、最初の大きな変化でした。

ーーなるほど。どのようなアプローチを通じて、プロダクトの価値を高めていったのでしょうか?

川畑:具体的には、「オーダーメイドでオンリーワンな商品」というコンセプトを明確に打ち出し、ブランドの強みをさらに伸ばしていくことにしました。従来は財布やカードケースなどの小物が中心でしたが、新たな試みとして、カメラストラップやカバーなど、ホビー領域の商品開発にもチャレンジしました。

これらの商品は、革の色・糸の色・大島紬の柄を自由に選べるため、完成するアイテムは世界にひとつだけのデザインになります。この「自分だけの特別なアイテムが手に入る」という価値を前面に押し出すことで、お客様にとってより魅力的な商品へと進化させました。

また、協働プロとの壁打ちを通じて、「ニッチな世界を見つけよう」という視点を取り入れることができたことも、振り返ってみると大きなポイントでした。単なるシンプルな商品ではなく、「少し高くても自分だけの特別なものが欲しい」という層に向けた戦略を取ろうと最初に注目したのがカメラストラップでした。カメラ愛好者の間では、機能性だけでなく個性やデザインにもこだわる人が多いため、オーダーメイドのカメラストラップは強く響くと考えたのです。

さらに、このコンセプトはバイク用品やゴルフバッグなどにも応用できると考えました。こうした「少し高くてもこだわりのあるものを持ちたい」という市場にアプローチすることで、私自身の既存の技術を活かしながら新たなヒット商品を生み出すことができました。その後も「こんなものは作れませんか?」というお客様からの問い合わせが増え、有名なギタリストからオリジナルアイテムが作れないかと相談が舞い込むなど、ニッチ戦略の手応えを感じるようになりました。

このようなオーダーメイドスタイルを前面に打ち出すことで、「自分への贅沢なご褒美」として、大島紬の魅力を日常に取り入れる機会が増えました。実際に、機能性だけでなく“特別感”や“こだわり”を求めるお客様にとって、カメラストラップやカバーなどは非常に魅力的な商品となっています。

また、従来は観光のお土産品としての用途が中心だった大島紬の小物を、新たな顧客層に向けた商品へと転換することにもつながりました。
その結果、商品の平均単価を約8,000円から約20,000円へと引き上げることができ、同じ労力でもより高単価な商品を販売できるようになりました。粗利も3倍以上となり、ビジネスとしての安定性が大きく向上しました。

オーダーメイドの付加価値を活かして新たな販売戦略を構築することで、これまでとは異なるこだわりの強い層にも大島紬の魅力を届けることができるようになりました。さらに、オーダーメイド型の通信販売という形で島外にも販路を拡大できたことで、“奄美大島の魅力”をより広く発信できるようになったのも大きな成果です。

ーー協働を通じてご自身の変化を感じられることはありましたか?

川畑:そうですね。毎回の対話を通じて、協働プロからいただいた意見や、一緒に決めた方針をもとに「やらなくてはいけないこと」—いわゆる“宿題”—が積み上がっていきました。

忙しい日々の中でも、まずはそれらを着実にこなし、翌週のミーティングで次の“宿題”を持ち帰る。このサイクルを繰り返すうちに、自分自身の仕事のクオリティが何段階も上がったと実感しています。

もちろん「宿題」といっても、新商品開発や新たなチャレンジなど、自分で決めた取り組みに対して伴走支援してもらっているので、いい意味でのプレッシャーを背負いながら走っている感覚です。ひとつずつ目標を達成していくことで打ち合わせもどんどん充実しましたし、「事業が進化している」という手応えを得られたのも大きかったですね。

さらに、こういった協働から得られたものは、単純な新商品の開発や販路の拡大だけではありません。自分自身が生み出している商品への「自信」がこれまで以上についたと思います。こうした自信は、結果的に行動力の向上や、プロダクトのクオリティアップ、お客様との接客スタイルにも良い影響を与えていると感じます。

最終的には、自分のなかで“考えて、決めて、行動する”というプロセスが自然に回るようになり、マインドがガラッと変わりました。常に新しいアイデアや可能性を見つけ出し、自らチャレンジしようとする姿勢が身についたのが、一番の大きな変化だと思います。


命題のために自然とアイディアが浮かんでくる。協働の中で身についた挑戦の姿勢

ーーありがとうございます。その後も新しい取り組みが進んでいると伺いました。

川畑:はい、そうなんです。2024年2月から、新規事業として「Living with Amami project」を立ち上げました。このプロジェクトは、寄付を通じて奄美の自然や文化を守ることを目的とした取り組みです。奄美に関わるさまざまな業種の事業者が、それぞれの販売益の一部を動物保全・自然保護・伝統文化の継承に寄付し、未来へつながるサステナブルな仕組みを作ることを目指しています。

現在、この取り組みに奄美の事業者2社、県外の事業者1社が賛同し、それぞれの形で寄付活動を行っています。私自身も、寄付付きのガチャガチャの販売に取り組んでいます。このガチャガチャは、大島紬×レザーで作ったアマミノクロウサギやウミガメのキーホルダーが当たるもので、1個売れるごとに100円を奄美のウミガメや野生生物の保護活動に寄付する仕組みです。ガチャガチャというカジュアルな形を取り入れることで、楽しみながら環境保全の一端を担っていただけるのが大きな特徴です。

さらに、このガチャガチャにはもう一つ大きな意味があります。「ウミガメの保護活動を知るきっかけ」になり、「日常に溶け込む形で大島紬を身近に感じてもらえる」と同時に、「奄美大島そのものを知るきっかけにもなる」仕掛けになっています。単なるチャリティではなく、奄美の自然や文化への興味を持ってもらうことで、持続的な支援につなげたいと考えています。

ーー素晴らしい取り組みですね。事業としての変化もあったのではないでしょうか?

川畑:はい、ビジネス面でも大きな変化がありました。これまでの手作り製品販売に比べて、接客の時間的なコストが大幅に削減されたのは大きなメリットでした。ガチャガチャという形にすることで、「売り子」を置く必要がなくなり、時間をより商品の製作や新しい企画の立案に充てることができるようになりました。

また、このプロジェクトを通じて「奄美大島で仕事をすること、生きていくことの意義」を改めて強く感じるようになりました。これまで「紬レザーかすり」は職人としてのものづくりが中心でしたが、この活動を通じて社会とつながる仕事へと広がりを持たせることができたと感じています。さらに、作り手を増やすことができ、一緒にモノづくりをする仲間を得られたことも大きな収穫でした。

プロジェクトを進めるにあたっては、奄美空港や地元の水族館、ショッピングモールなどに企画書を持ち込み、設置を交渉しました。これまで職人として手を動かすことが中心だった私が、企画書を作って提案に回るようになったのは大きな変化です。結果として、地元の居酒屋やコミュニティ施設への設置が決まっただけでなく、今後はミュージアムなどの施設への設置も検討されているなど、少しずつ取り組みの輪が広がっています。

今後は、さらに輪を広げて島内外の方々とともに「奄美の未来」を支えていく仕組みを構築していきたいと考えています。
単なる商品販売ではなく、奄美の文化や自然を次の世代につなぐ活動として、多くの人に関わってもらえるプロジェクトにしていきたいですね。ここまで大きな構想を考えている自分を、協働プロジェクト前は想像できませんでした。


ーー奄美の環境や自然に対する思いが、川畑さんの活動を大きく支えているように感じます。奄美ならではの魅力はどんなところにあるのでしょうか? また、その魅力をどのようにプロダクトづくりへ活かしていらっしゃるのか、詳しくお聞かせください。

川畑:奄美の大きな魅力の1つは、自然と固有種が数多く存在することです。山々の豊かな森や美しい海、そこで暮らす希少生物たちが、まさに奄美のアイデンティティを形作っています。

こうした恵まれた環境の中で育ってきたからこそ、「この自然や固有種を守り、次の世代へ継承していきたい」という思いは、私の活動の原動力になっています。実際、私自身はずっと「人も動物も、これからさらに住みやすい島になればいいな」と考えてきました。

大島紬のプロダクトを作りながら、その魅力を広めるだけでなく、奄美という地域そのものに興味を持ってもらうきっかけになれたらと思っています。こうした活動が、自分なりの社会貢献につながれば嬉しいですし、たとえ小さな取り組みであっても、一歩一歩積み重ねていくことが大切だと感じています。

ありがたいことに、地元のメディアでも「ユニークな取り組み」として取り上げていただく機会がありました。メディアを通じて、私たちの活動や想いを発信できたことで、奄美の魅力や課題に触れていただく入り口が増えたのは本当にありがたいです。

多くの方々に知っていただくことで、島の未来を一緒に考えてくれる仲間が増えていけばいいなと勝手に、期待しています。

振り返ってみても、協働日本さんとの出会いは大きな転機でした。新たな価値を発見し、それをお客様に届けるための仕組みづくりをご一緒する中で、私自身、気づかないうちに多くを学んでいたのかもしれません。

そもそも協働日本さんとの出会いは「大島紬の魅力をどう広め、後世にどう残していくか」というテーマを考える仲間を探していたことがきっかけでしたが、そこから具体的なビジネスアイデアや仕組みづくりのノウハウを得られ、新しい事業に挑戦する勇気も湧いてきました。

今こうして、新規事業としてやりたいことを少しずつ形にできているのは、大変うれしく思っています。今後も、地域の皆さんや外部からの応援をいただきながら、奄美の魅力を発信し続けていきたいと思っています。

ーーインタビューへのご協力ありがとうございました

川畑:ありがとうございました!

川畑 裕徳 / Hironori Kawabata

紬レザーかすり 店主

紬レザーかすり(@tsumugi_leather_kasuri) • Instagram
https://www.instagram.com/tsumugi_leather_kasuri/

協働日本事業については こちら

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(前編)『「境界」が溶けた世界で、勝ち抜いていくために必要なこと』 –


-VOICE:富田 慎司氏 -複業人材と地域企業の「協働」を起爆剤として、世界に挑戦する日本企業を増やしたい-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。今回は、協働日本でマーケティングのプロとして地域企業の伴走支援を行う富田 慎司氏のインタビューをお届けします。

これまで、外資系の消費材メーカー、日系の飲料メーカーでそれぞれ活躍し、主力ブランドのマーケティング戦略を担ってきた富田氏。通っているMBAの授業や自身の体験をきっかけに、これから先も日本の企業が世界に伍し続けていくため、その事業の成長を自ら支援していきたいという想いを抱いたことが、協働日本に参画したきっかけと話す富田氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

マーケティングの力で、世界でもっと勝負できる日本企業を増やしていきたい。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、富田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

富田 慎司氏(以下、富田):よろしくお願いいたします。大学卒業後、外資系消費財メーカーでキャリアをスタートし、現在は日系の飲料メーカーでブランドマーケティングに携わっています。

ブランド戦略からマーケティングコミュニケーション開発、ブランド財務管理など、ブランドマーケティング業務の全てを担っています。

ーーずっとブランドマーケティングに携わっているのですね。学生時代からご興味がおありだったのでしょうか?

富田:そうですね、ブランドというよりはマーケティングに興味があったんです。

私は、オーケストラやオペラが好きなんですが、その趣味を通じて「アートマネジメント」という概念に出会ったんです。芸術文化を広げ、利益を上げていくことに大きな課題を抱えているケースが多いんです。でも、そういった芸術団体も自分たちで稼ぐ力をつけないと、政府や公共団体に頼ってばっかりじゃダメだということも同時に言われていて。

そんな、芸術できちんと稼ぐ「アートマネジメント」の存在と、その一つの手法として「アートマーケティング」という考え方があることを知ったんです。「オーケストラも、チケットをどう売っていくのかを考える時代なんだ」とびっくりしたんです。

それがきっかけで、自分の好きなものを人に届けて、好きになってもらう、幸せになってもらう仕組み作りって、面白そうだな、ワクワクするな、と思ったのが始まりですね。

ーー外資系企業から日系企業へ転職されていますが、何か転機があったのですか?

富田:はい。現在MBAに通っているのですが、授業の中である教授が「日本企業の競争力は海外に比べて著しく低下している」と話していたんです。

株価の低迷や、グローバル市場でのシェア減少なども事実としてあります。最近では海外からの移住者や労働者も増えていますが、それによって日本の良い文化が薄れていってしまっているのではないかと懸念も持っていて、「日本企業にもっと頑張ってほしいな」と思うようになっていきました。

実際に外資系企業でずっとマーケティングに携わってきた中で、日本企業の多くはマーケティングに課題があると思うことも多かったんです。USJを立て直した森岡毅さんも「マーケティングで日本の企業を強くしていく」とおっしゃっており、マーケティングにより日本企業のポテンシャルをもっと引き出せるのではないかという肌感もあったので、自身の強みであるマーケティングの力を日本企業に還元していきたいと思ったことが転職の背景にあります。

ーー続いて、富田さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについても教えていただけますか?

富田:今お話しした通り、「マーケティングの力で、日本企業を世界に伍する企業に成長させていくお手伝いがしたい」と、日本企業の未来について真剣に考えるようになっていたところ、協働日本代表の村松さんが、中小企業に伴走できるマーケティング人材を探していると、共通の知人から紹介を受けたんです。

最初はオンラインでのミーティングで、協働日本代表の村松さんとCSOの藤村さんとお話しさせていただいたんですが、大企業での豊富な経験を持つお二人が、目を輝かせながら中小企業支援についてお話しされていることがとても印象的で。こんなに夢中になれる仕事ってあるんだ、面白そうだなと感じたのが第一印象でしたね。

日本企業の成長を支援したいと考えた時に、日本企業の99.7%は中小企業なわけです。でも、じゃあ私が地方の中小企業に転職するのか?と言われれば、それはやっぱり容易ではないですよね。

なので、そういうところに伴走支援という形で入っていくビジネススキームも面白いなと感じましたし、自分のマーケティングスキルでどれだけ中小企業のお役に立てるのか、武者修行じゃないですけど知りたいなと思うところもあって、参画を決めました。

プロジェクトが徐々に自分事になる。その閾値を超えた瞬間、チームが動き出す。

ーー続いて、富田さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

富田:これまで、鹿児島県の企業、株式会社オキスさんとワカマツ自動車さんのプロジェクトマネジメント、株式会社栄電社さんのプロジェクトに協働プロとして伴走に入らせていただいています。最近は石川県の企業のプロジェクトもキックオフしたところです。

ーーそれぞれのプロジェクトについて詳しく教えていただけますか?

富田:はい。まず1社目の株式会社オキスさんは、農産物の生産、加工、販売、物流等を一貫した商品として提案流通を行っている農事組合法人です。「ベジブロスムージー」という健康食品事業の立ち上げのプロジェクトを支援していて、もう2年になりますね。

もともと「ベジブロスムージー」の構想はあったのですが、製品開発や販売戦略など具体的なプロジェクトはスタートしていない段階だったので、伴走支援に入らせていただくことになりました。

初年度はアイディアのブラッシュアップからスタートし、商品開発やブランディングも行いました。
実際に消費者インタビューを実施してターゲット層のニーズを掘り下げたり、ニーズに合わせたパッケージデザインを作るために複数のクリエイティブブティックにデザインブリーフを作っていただいて比較検討したりと、本当にいわゆる「マーケティング体験」と「事業開発」を一通り実践した形ですね。

今年度は完成した製品をどのように販売していくか、マーケティングのコミュニケーションアセットを作って、どこでどうやって展開していくのかなど、マーケティング戦略の具体化に注力しているところです。ここまでやっている中小企業は多くはないんじゃないかなと思えるほど本格的なブランド戦略を描いています。

ーー本格的な販売フェーズに入っているのですね。楽しみです。次にワカマツ自動車さんはいかがですか?

富田:ワカマツ自動車さんは今年度からの新しいプロジェクトで、現在進行中です。

マーケティング戦略とブランディング戦略の策定に取り組んでおり、まずは「自分たちはどのような会社になりたいのか」「強みは何か?」を考えることからスタートしました。内外環境の分析も同時に始めたのですが、外部環境に関してはリサーチを行いながら、自分たちがどういうサービス設計をするのか、マーケティングとしてはどこをタッチポイントとして顧客とコミュニケーションをしていくのかということを検討しています。

ーー伴走支援を通じて、協働先にはどのような成果や変化が見られましたか?

富田:特に印象的だったのは、オキスさんでの変化です。当初、リーダーである営業部長が主導する形で進んでいましたが、他のメンバー3人はどちらかというと受け身で、なかなか意見を言えない状態でした。ある時、たまたま営業部長が出張で不在のミーティングがあり、せっかくなので「皆はこのプロジェクトをどうしたいのか」腹を割って話し合う機会を作ったんです。すると、実は自分たちも色々思うことはあったんだけど、それをチーム内で共有しきれてなかったという話が出てきました。

こちらからは、その課題を解決するための手法について、アイディア出しや提案はせずに、「どうすれば解決できると思いますか?と問いを投げかけてみました。プロジェクトチームのメンバー同士でちゃんと納得しながら進めたいみたいなことをおっしゃっていただいて。

そこからは実際に、2日に1回くらい、30分〜1時間くらいの時間このプロジェクトについて話をする時間を取るようになり、今日はこういう話をみんなでして、納得しきれていない人やところがないか、意見を出しあうように変わっていったんです。 しかもその会議でこういう話をしたという結果も協働チームのLINEグループで送ってくれるようになりました。

ーーまさにチームの文化そのものが変わった瞬間ですね。

富田:はい。こうして何回かミーティングを重ねていって、ある閾値を超えると協働先の社員のみなさまが突然「覚醒」される瞬間というのを何度も目の当たりにしているのですが、その時に成長していただいている実感を得られるのは本当に嬉しい瞬間です。

私の感覚として、プロジェクトが「やらされ仕事」から、「自分がやりたいこと」になった時に閾値を超えていく印象があるなと思っていて。

協働プロジェクトでは支援先の部長や、経営人の方と話すことはたくさんあるのですが、その人1人とやっているわけではなく、伴走先にもちゃんとプロジェクトチームがあるんです。ただ、そのチームも「社長から言われたから」「部長からの指示通りにする」といったような感じで、メンバー一人一人が自分事として動いていないと思う時は、プロジェクトの進捗自体も遅い印象を受けるんです。

そういう時にはメンバーの方達にも「そもそもなんでこのプロジェクトをやろうと思ったんですか?」など、本当に根本的な部分をきちんと問いかけ直すようにしています。「今って本当にこの方向でプロジェクト進んでいるけれどいいのかな?」みたいな、原点を ずっと問いかけ直し続けると、徐々に「私ってこういうことがやりたかったんです」というインサイトがポロっと出てくるようになります。

例えばオキスさんのチームメンバーからは「本当は野菜の力で、女性の活躍を応援・推進したい」という本音が見えてきて、グッと前に進むようになってきました。それまでは、社長の方針や、健康食品についてアドバイスをいただいていた外部の方の意見に従っているといった雰囲気がどこかにあったのですが、やっぱり自分たちがこの商品にどういう思いを込めているのかというところを問いかけ直して、自分事化できた時に、「私はこうしたい」「こうだと思う」というような主体的な発言や議論が増えていきました。

自発的なミーティングが増え、同時にプロジェクトに対して自分の気持ちを言語化するようにもなり、どんどんチームとして動きが良くなって行ったことを実感しています。その結果が、製品化であり、ブランディング、販路の拡大と今の進捗に繋がっていっています。

協働日本は能動的な企業を増やす「触媒」。


ーー協働プロとして活動されるようになってから、富田さんご自身の変化はありましたか?

富田:そうですね。本業での仕事の仕方に影響があったこととしては、色んな人にちゃんと話を聞くようになったことかもしれません。これまでは、チームメンバーにブリーフィングをして、「いつまでにこれをやってね」と頼みながら、自分で判断して仕事を進めていたんですが、他の人の目線、客観的視点を聞くことがかなり増えました。

というのも、プロジェクトにコミットしていない人に意見を聞いても、専門性や背景の認識があまりない方のフィードバックは「個人の感想」でしかないと思っていたところがあったからなんです。

でも、オキスさんとのプロジェクトの中で、普段マーケティングの業務をしていない方と試行錯誤しながら進めていると、自分だけではカバーできなかった新たな視点がある───視点の多さが武器になるといったことに気づくことができたんです。

多角的な視点から見落としなくすることでプロジェクトを強くしていくことができることに気づきました。

一人だけで取り組むよりも、みんなで同じ方向を向いて船を進めていく方が、船は強く早く進む。協働を通じて一人一人の強い思いがビジネスを加速させていくことの重要性を改めて実感しています。

ーー富田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

富田:私の目標は最初にお話しした通り、「日本企業が世界で戦える存在になること」です。国内市場が縮小する中、海外展開は避けられないけれど、いきなり海外に挑戦するのは難しい。まずは国内で基盤を作り、脚力を鍛えることが重要です。協働日本の伴走支援がその助けになればと思っています。

私は今、MBAでも「日本ブランドが海外市場でどのように受け入れられるか」を研究しています。例えば、ターゲット国ごとに異なる消費者行動を分析し、企業がどの市場でどう勝負すべきかを具体的に示せるような指針を作りたいと思っています。

個人としても協働プロとしても日本企業を支援することで、関わった企業の皆さんが飛躍的な成長を遂げ、世界に誇る企業として活躍していけるようにしたいです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

富田:協働日本は、地域企業で働く社員皆が力をさらに発揮できる環境を共に創り、自立した企業に成長するための「触媒」だと考えています。そして、協働日本の支援を受けた企業が成功し、その成長を見た他の企業が「自分たちも挑戦してみよう」と能動的に動く未来につながるといいなと思うんです。

複業人材と地域の中小企業が混ざり合う「協働」が起爆剤となって、日本の中小企業ももっと頑張れるんだ、と、自分達で奮起して成長していけるようになったらいいですよね。

そういった風潮が広がれば広がるほど、日本全体が活性化し、世界に挑戦できる企業が増えていく。能動的な企業を作る触媒として協働日本がある。そんな未来に繋げられたらと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

富田:こちらこそ、ありがとうございました!

富田 慎司 / Shinji Tomita

慶應義塾大学法学部卒業後、2015年、ユニリーバ・ジャパンへ入社。
入社後、一貫してマーケティング部門に従事し、ヘアケア、スキンクレンジング、ホームケアなど多くのカテゴリのマーケティング責任者を歴任。
ユニリーバ・ジャパンにおけるブランドマネジャーとして、新製品開発・企画立案、ブランディングを通した事業の成長を牽引。

現在は日系飲料メーカーにて引き続きブランドマーケティングに携わる。

協働日本事業については こちら

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STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-


VOICE:和地 大和 氏 -まずは一歩でも進んでいる実感を持ってもらいたい。協働先の「やりたい」に寄り添い、モチベーション高く変化を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でWEBプロモーションのプロとして地域企業の伴走支援を行う和地 大和氏のインタビューをお届けします。
商社やスタートアップで、営業・人事・経理・総務・マーケティングや広告など、様々なキャリアを積んだのちにフリーランスとして独立した和地氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化や、今後実現していきたいことについて語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

どん底も経験しながらチャンスを掴んだ、幅広いキャリアを活かして顧客の支援をする「Web実務のプロ」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、和地さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

和地 大和氏(以下、和地):はい、よろしくお願いいたします。

現在は【1社に1人は欲しい右腕人材】と名乗って、フリーランスとして活動しています!

メインは、Web広告の代理店ですが、コピーライティングや、各種プロモーションのお手伝いなど、Web関連の仕事を幅広くお受けしています。最近は、企業の人事コンサルなども始めたところです。

ーーありがとうございます。和地さんは幅広く活躍されているようですが、どういった経緯で独立されたのでしょうか?

和地:住宅建材の商社の営業からスタートして、その後本社の人事を経験しました。

その後、実は一度起業して失敗しているんです。まだ20代で若かったこともあり、とにかく生活のために派遣社員として働き始め、携帯ショップで2年間販売員を勤めていました。もちろん「あのまま商社にいれば…」と思うこともありましたが、自分を省みる良い期間にもなったと思っています。

今はこの仕事を真っ当に頑張るしかない!と心を奮い立たせて仕事にあたり、人材派遣会社の営業に転職しました。その後は約半年ごとに役職が変わっていき、最終的にはグループ会社のスタートアップの役員に就任するに至りました。

ーーひたむきに努力されたことで、チャンスを掴まれたんですね!

和地:人材不足だったこともあって、チャンスにも恵まれていたんです。一度失敗した経験があったからこそ僕も必死でした。おかげさまで、このキャリアの中で、営業・人事・経理・総務・マーケティングなど一通り経験することができて、独立して今に至ります。

商社時代の最初の3年間は皆さんが想像するような「the 商社の営業」的な激務を経験していて、僕を形成しているのはその3年間の圧倒的な仕事量でもあります。1つのミスが命取りという世界線でしたし、今振り返っても、一番辛い経験でした。(笑)

自社商品を取り扱っていたわけではないので、商品の優位性もない中で僕から買ってもらう「理由」は「お付き合い」がベースにあることも大きかったんですね。この経験から1つのミス・不誠実で仕事がなくなるという意識が醸成されました。だからこそ現在フリーランスで働く中で仕事が来ることをありがたく感じています。

ーー続いて、和地さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

和地:実は、最初はスポットでWeb広告のサポートの依頼をいただいていたのですが、気がつけばレギュラーメンバーとして複数の案件を持つようになっていた、という経緯があります。

静岡県にあるジュエリーメーカーの株式会社キラガさんで、当時協働プロとして入っていた方と元々繋がりがあったんです。キラガさんがWeb広告やWeb戦略を広げていきたいということで、その方から相談があり、1ヶ月間のスポットでのサポートという形で打ち合わせに参加したのが最初です。

段々とあれもこれもと話すことが増えてきて、気づけば本格的に協働プロとして関わらせていただくようになっていき、もう2年半のお付き合いになります。

現在は、キラガさんの他にも2社の伴走支援にも入らせていただいていて「それってどうやるの?」を叶えるWeb実務の専門家として、活動しています。

例えば、一括りに「Web媒体でプロモーションをしたい!」と言っても、広告を打つのか、SNSで集客するのかなど、いろんな手法があります。そこで、お客様の目的を達成するためには、「現状何が1番良いか」「中長期ではどうか?短期ではどうか?」という視点で壁打ちをさせて頂いています。

経営者・担当者の方は、大体すでにやることが沢山ある状態なので、思考や行動が散らばってしまうことがあります。そんな時には、「今1番集中してやること」に意識を向けられるよう、一緒に軌道修正することも大切にしています。

優先順位やモチベーションをサポートしながら協働先の「やりたい」に寄り添うことで、組織の変化と成果を産んでいく。

ーー和地さんが参画されたプロジェクトの内容について、もう少し詳しくお聞きしたいと思います。

和地:はい。基本的には、協働先の「やりたい」を優先しながら、手法について壁打ちしながら方針を決め、チャレンジしていくという流れでプロジェクトを進めています。

最初「Web広告を出したい」という相談からスタートしたキラガさんは、結局広告は出さずにEC販売とSNSでのプロモーションを厚くしていくことになりました。

現在のキラガさんの戦略の軸でもあるライブコマースは、当時すでにインスタライブで行っていて、売上もそれなりに好調でした。ですが、現在とは違い、他社のアカウントにゲストとしてお邪魔してライブを行うという形式だったので手数料の負担も大きかったため、協働プロジェクトの中で自社で完結できるように相談しながら進めていきました。

しかし、いざ自社のアカウントでのライブコマースに切り替えると、これまでに比べ売上が伸びなかったんですね。Instagramではどうしてもフォロワーに向けた配信になってしまうので、新規顧客の獲得や拡販には向かなかったんです。これまではゲストとして配信していた先のアカウントのフォロワーがメイン顧客になっていたので、新たにフォロワーを獲得する必要が出てきました。

そこで、ライブ配信が新規ユーザーにも届きやすいプラットフォームとしてTiktokを活用することになったんです。フォロワー数をある程度獲得する必要があるということで、運用代行など色々試行錯誤していったんです。

ーーなるほど。その試行錯誤の結果、Tiktokで成果が出て「売上12倍」という結果に繋がっているんですね。

和地:そうですね。キラガさんの場合は特に、ここまで結果を出すことができているのは、やっぱり太田さんの圧倒的な行動量があったからだと僕はずっと思っているんです。太田さんがこれだけやってきたから結果が出ていると思っているからこそ、太田さんの「やりたいこと」を最大限尊重したいという背景もあります。

気を付けていることは、優先順位付けのお手伝いをすることですね。太田さんに限らず、経営者の皆さんはあれもこれもとやりたいことが沢山あるので、全部手をつけてしまうと結果的に散らかってしまって成果に繋がりにくい。だからこそ、結局どれを最優先にやるべきなのか?を絞っていく。

事業を進める上で、「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」がそれぞれありますが、僕はこのバランスが大事だと思っているんです。やらなければいけないことばかりやってると、モチベーションが上がらなくなったり、心が荒んでいってしまうこともあります。とはいえ、やりたいことだけでは会社は成り立たない。だからこそ、一番やっておきたいことと、やらなきゃいけないことを整理して、まずはここにちょっと焦点を当ててやりませんか?と適宜お話ししていました

実は途中で失敗も経験したんですよ。初めにお願いしたTiktokの運用代行は上手くいかず……以前太田さんもご自身のインタビューで語られていたのですが、採用の面でも大手求人サイトへの広告出稿でも期待する成果が出なかったこともありました。

僕は基本的に、期待値に対して本当に成果が出るだろうか?と懐疑的な時ははっきりお伝えしていて、かけた費用はどのくらいで回収できるのか?本当にこの手法を取るべきか?ということも議論してきました。その上で「それでもやりたい」ことについては寄り添って進めるように心がけていて、やってダメなら次の手をどうするか提案しながら最終的に求める結果に近づけるようにしたいと思っています。そうやって失敗も共にしてきたからこそ、今は「どうしてもやってみたい!」が飛び出した時、「あの時の広告のことを思い出してください!」と半分笑い話のように言いながら、議論できる関係性を築くことができたのではないかなと思います。

ーーなるほど。特にキラガさんとのお取り組みは2年以上と長く続いていますが、ここまでに実感された変化などはいかがでしょうか?

和地:成果という意味で言えば、先日の太田さんのインタビュー(STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-)をぜひご覧いただきたいなと思っています。

それ以外の、僕の視点から見た変化でいうと、太田さん一人で売上を作っていた当初に比べ、新しく入社した方が売上を作れるようになったという変化はとても大きいと思います。ライブや売上貢献意識も強い方ばかりで、組織改善につながっているように見えます。

当初、キラガさんのライブコマース事業では、太田さん一人でライブ配信をして売上を作っていたのですが、現在では半分以上は社員の皆さんで配信して売上を作られているんです。もちろん太田さんとしては、まだまだと思っている部分はあるかもしれませんが、僕はこの協働プロジェクトの中でプロモーションだけでなく新規採用や組織改革にも着手して、意欲的に社員の方が売上を作ることができるようになった、というのは本当に素晴らしい変化だと思っています。

ーー社員が自発的に意見を出して売上と作れるようになった、というボトムアップの行動や組織自体の変化が見られるようになったのはどんなことが理由だったのでしょうか。思い当たるきっかけはありますか?

和地:何よりも「太田さんが任せた」ことがきっかけじゃないかなと思います。やっぱり、ライブの回数と売上は比例してくるので、太田さん以外にもライブができる人材を増やしたいということで、新規採用についてもプロジェクトの中で進めていったんです。

初めは大学生の女性の方に配信を手伝ってもらったりしたこともあって……でも、商品がジュエリーということもあるので、配信の中で太田さん以外に若い女性がいるだけで画面も華やかになって、ポイントさえ抑えていけば誰でも配信の中で販売をしていけるという気づきを得てからは、太田さんは「売り方を教える」ことにシフトしていき、採用がうまくはまって人も増え、結果的に販売の仕事を手放すことができて上手く回るようになりました。

経営者の方は皆さんそうだと思いますが、結果として売上は12倍になっているものの、太田さんは常に「次はどうしよう」という不安を持たれているんですね。進んでいることを実感されていないことがあると言いますか。だから、日々動かれているのに「最近動けていないんです」とおっしゃるので、しっかりと「進んでいる」実感を持っていただくように心がけています。配信は少し休んで、その間に社内の整理をしましょう、などと声をかけて、組織変革のための時間を取るなど、これまでの行動や成果を褒め、休憩のタイミングを作り、優先順位を絞る、というサポートをしていく中で、やりたいこと・やるべきことが噛み合って、今があるのかなと思います。

協働の中でインパクトを出せる実感が、自分の自信と成長につながる

ーー営業・人事・Webマーケティングなど和地さんの強みを最大限活かしてご活躍いただいていますが、協働の中で得た気づきなどはありますか?

和地:一緒にプロジェクトに入っている協働プロから受ける刺激や学びは本当に大きいですね。皆さん違う業界の第一線で活躍されている方ばかりなので、同じマーケティングをしてるはずなのに、考え方・視点が全然違うんです。僕自身はこれまでミクロな視点で戦略を考えることが多かったんですが、大衆向けの大手メーカーで活躍されている他のメンバーの視点はもっと大きく考えておられて。日本だけでなく世界も視野に入っているなど、僕にとっては新しい視点がたくさんありました。

僕のミクロな視点自体は、「明日の売上のことを考えてもらえる」と評価いただくこともあるのですが、そこに加えて先を見据えた視点、考え方も取り入れてプロジェクトの提案をしていく重要性は学びになりました。

そんな、日頃から広い視野を持って動かれている方達と同じプロジェクト、同じポジションで働けること自体が自分にとっての自信に繋がっているように思いますし、一般的な副業や、僕のようなフリーランスでプロジェクトにスポットで入るだけでは得られない体験だと思っています。

ーーなるほど。これからもプロジェクトは進んでいくと思いますが、和地さんが協働の中でこれから成し遂げていきたいことはありますか?

和地:そうですね。自分の仕事のスタンスでもありますが、多くの中小企業様の悩みとして、「やりたいこと」「解決したいこと」はたくさんあるけど、「何をすれば良いかわからない」「時間がない」などで足踏みすることがあると思うんです。

「進んでない状態」ってもどかしかったり、不甲斐なさを感じたりと、ある意味「失敗」よりきついこともあるんじゃないかなと。そんな状態から、一歩でも前に進むためのお手伝いをしていきたいですね。

少しでも進めば、何が良くて、何が悪いかわかるので、その結果を元に、「じゃあ次は何をしようか?」という会話ができるようになります。それを繰り返し、一緒に進めることが、僕の仕事だと思ってます。この小さな積み重ねの上に、企業の発展、従業員の皆さんの満足度アップ、果ては社会や地域貢献につながるんじゃないかなと。

キラガさんのプロジェクトでも、地味なPDCAを回し続け、失敗もあって苦しい時もありました。

でも、蓋を開けたら「しっかり前に進んでいた」という感じなんです。

多くの方は、ずっと次の目標、次の目標と追ってしまうので、「前に進んでいること」を忘れがちです。そこを実感してもらうことも、僕は大切にしています。苦難や困難があれど、必ず前に進めるということをこれからも実現していきたいなと思っています!

ーーフリーランスの和地さんも大きな刺激を受けられると言っていただいた「協働」ですが、こういった複業人材との協働は今後広まっていくと思いますか?

和地:はい、どんどん広まっていくと思いますし、広まって欲しいとも思っています。

参加しているからこそ実感しますが、スキルや経験を持った人材が地方中小企業に入ることで与える影響はやはり大きいです。

僕自身、会社員時代はずっと都市圏で働いていましたが、大企業にいると、自分の生み出す成果のインパクトは相対的に小さいんですよね。特に僕は1つずつコツコツ丁寧に、量をこなすというタイプだったので。

一方、中小企業では「役に立てる実感、手触り」があるんです。自分の役割が会社・成果にインパクトを与えられるという実感を得られたことは大きな経験になりました。

都市圏には、かつての僕のように、スキルや経験があってもなかなか活躍の実感を持てない人も少なくないと思います。そんな人が地方中小企業のプロジェクトに参画することで、一気に活躍の場を広げられることが成長の機会につながる。複業人材の活用は、地方中小企業だけでなく、複業人材として参画する側のスキルを持つすべての人にとってもメリットがあると思うんです。

僕も人事をやっていたので採用の難しさは理解しているつもりです。だからこそ、直接雇用をせずに会社を強くする仕組み自体も、今後どんどん広がっていくと思います。むしろ、こういう新しい形態に取り組んでいかないと、今後の発展は難しい部分があるかもしれません。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

和地:協働日本のコンセプトにはとても共感していて、僕たちがやっていることの意義・意味はすでに十分にあると思っていますし、僕自身も楽しく仕事させてもらっています。

「一つの会社に属する」という、これまでの常識は今後どんどん変わるのでは?とも思っていて、実際、「都心に住んで、たくさん稼いで、成功する」という価値観から「自分らしく働く、キャリアを作る」という傾向が年々強くなっているように思います。

そのことを考えると、社会的に見ても協働日本さんのような取り組みは、自然と拡大していくようにも思います。そうやってクライアントになる地方中小企業や協働プロとして入る複業人材の量も増えるといいのかなと思っていて。自分が働く案件が欲しいというよりも、協働日本への賛同者、いいと思ってくれる「ファン」が増えて広がってほしいというのが理由です。

協働日本のファンが増えることは、僕自身にとってのチャンスや活躍に繋がっていくと思いますし、同じ想いで仕事をされている方達にとってのチャンスにも同じように繋がるので、そうやってどんどん輪が広がっていったらいいなと思います。

僕自身そういう企業のサポートをしていきたいので、自分のキャリアもしっかり作り、貢献度を上げる一角を担っていけたらと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

和地:ありがとうございました!

和地 大和 / Yamato Wachi

上場企業での商社営業・人事を経験し、スタートアップの起業を経て、派遣社員としてショップ店員を経験。
その後人材会社に正社員登用され、子会社役員となり、独立。
現在はフリーランスで、WEBマーケティングや広告代理業務を中心に、【1社に1人は欲しい右腕人材】として企業様の価値や魅力を武器に変えるお手伝い中。

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NEWS:【8/30(金)14:00~】「かごしまスタートアップ推進協議会」基調講演に代表の村松が登壇します

「かごしまスタートアップ推進協議会」基調講演登壇のお知らせ 『鹿児島からイノベーションを創る』

この度、8月30日(金)に開催される、鹿児島県主催の「かごしまスタートアップ推進協議会」にて、代表の村松が、基調講演を担わせて頂くことになりました。

お申し込みはこちらから
令和6年度かごしまスタートアップ推進協議会の参加者募集について

『鹿児島からイノベーションを創る』と題し、スタートアップを取り巻く環境や、創出・育成するための支援など、オープンイノベーションに関わるみなさまが集まるイベントとなっております。

代表の村松は、第一部の基調講演『成長する起業家と必要な支援について』にて、登壇させていただきます。テーマは『企業の成長過程における支援の在り方について』。

鹿児島県内の事業者のみなさま、企業支援に関わられている方、是非ご参加頂けますと幸いです。

セミナー概要

かごしまスタートアップ推進協議会 「鹿児島からイノベーションを創る」

■ 日時:8月30日(金)14:00〜17:00
    (開場:13:30〜)

■ 場所:鹿児島大学稲盛会館  キミ&ケサ メモリアルホール
    (鹿児島市郡元1丁目21-40) ※オンライン配信も実施します

■参加費:無料

■定員:現地:100名
※現地の参加希望が定員に達した場合は,オンラインでの聴講をお願いする場合があります。その場合は,8月29日(木)までに記載いただいたメールアドレスへ県から連絡を行います。

■ 募集締切:8月27日(火)12:00まで

内容・登壇者

【来賓挨拶】

 鹿児島大学 理事・副学長(企画・社会連携担当)
 岩井 久氏

【第1部】基調講演

 - 成長する起業家と必要な支援について –

 『成長する起業家とは』
 株式会社ビジョン 代表取締役会長CEO
 (一社)鹿児島イノベーションベース 代表理事
 佐野 健一氏

 『企業の成長過程における支援の在り方について』
 株式会社協働日本 代表取締役社長
 村松 知幸氏

【第2部】対談

 - 地方におけるオープンイノベーションの可能性 –

 株式会社eiicon イノベーションコンダクター事業部 部長
 新宮領 宏太氏

 株式会社MTG Ventures 代表パートナー
 伊藤 仁成氏

お申し込み方法

申し込みフォームに情報を記入してください。

令和6年8月27日(火)12時までにお申込みください。
令和6年度かごしまスタートアップ推進協議会の参加者募集について

皆様のご参加を心よりお待ちしております。


セミナーのご案内


お申し込みはこちらから
令和6年度かごしまスタートアップ推進協議会の参加者募集について

お問い合わせ・連絡先

鹿児島県商工労働水産部産業立地課新産業創出室
TEL:099-286-2964
FAX:099-286-5578 担当:紀(きの)
E-mail:startup@pref.kagoshima.lg.jp

協働日本
ippo@kyodonippon.work

VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

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NEWS:事業構想オンラインと連携し、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」と連携し、今後協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」にて、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします。

今回の掲載記事

若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ | ニュース 2024年 5月 | 事業構想オンライン
https://www.projectdesign.jp/articles/news/7d0afdc4-83a7-4370-af9a-20747febad9a

今回、協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」の中から、鹿児島県の株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏へのインタビュー記事を取り上げていただき、記事掲載しております。

インタビューでは、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語っていただいております。

今後の取り組みについて

「事業構想オンライン」は、「月刊事業構想」を出版する学校法人先端教育機構によって運営されているウェブメディアです。

「月刊事業構想」は、企業活性、地方創生、イノベーションといったテーマに基づき、新たな事業アイデアを求める、全国の経営者・新規事業担当者・自治体幹部の方々向けの専門誌です。

地方創生・地域課題解決のヒントを発信しており、全自治体の首長・自治体職員へ献本を通じて全首長の84%が定期的に月刊事業構想を閲読しております。

この度、協働日本が掲げる「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進する取り組みのパートナーとして、「事業構想オンライン」への記事の掲載をスタートしました。

今後も月に1回のペースで、協働日本における各種インタビュー記事を掲載予定です。

株式会社協働日本は今後も、株式会社イノベーター・ジャパンと協力し、協働日本における各種インタビュー記事を「事業構想オンライン」へ掲載し、日本中で誕生している協働の事例や、経営者の想いを発信していくことで、「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進してまいります。

ご紹介した事業について

協働日本事業

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「事業構想オンライン」について

月刊事業構想は、新市場を開拓する「構想力」を育み、スタートアップや新規ビジネス、地域活性につながる情報を提供することをコンセプトにしたビジネス誌です。
このサイトでは雑誌の転載記事だけでなく、オンラインオリジナルのニュース記事等を掲載しています。

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発行人東 英弥
編集室長田中 里沙
編集長増田 智子
発行学校法人先端教育機構* 事業構想大学院大学出版部
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所在地〒107-8418 東京都港区南青山3-13-18
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*学校法人先端教育機構は「知の実践研究・教育で、社会の一翼を担う」を理念に、事業構想と構想計画を研究する事業構想大学院大学と、広報戦略や人材育成におけるリーダーを養成する社会構想大学院大学を運営しています。

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VOICE:永田 陽祐 氏 -地元や、地元のために頑張る人たちのために、等身大の自分で貢献したい。

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本のIPPO事業でコーチングを行う永田 陽祐氏のインタビューをお届けします。

永田氏は、スコットランドの大学院に留学後、商社を経て組織開発のコーチングを行なって来られました。現在は故郷の奄美大島と東京で二拠点居住を行いながら自身の事業運営とコーチングの両方に従事しています。

永田氏がIPPOのコーチングに参画したことで生まれたクライアントの変化やご自身の変化、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

東急百貨店で奄美大島のモノづくりと文化を発信するイベントを企画

いつか地元・奄美大島に貢献したいという想いと、異文化な環境で働く中で見つけた「自分のやりたいこと」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、永田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

永田 陽祐氏(以下、永田):はい、よろしくお願いします。

今現在は東京と故郷の奄美大島で二拠点生活をしながら、コーチングの仕事を行いつつ、奄美大島では宿泊施設、カフェバー、空き家問題対策事業などを行う会社を経営しています。

私の実家で伝統工芸である大島紬を作っていたこともあり、以前は、将来的に海外で大島紬を売ってみたいという想いを持っていたんです。そんな夢もあったので、東京の大学を卒業した後はスコットランドの大学院進学し、パブリックリレーションズ(企業がステークホルダーとのコミュニケーションをマネジメントする領域)を専攻しておりました。帰国後はじっくりと将来について考えたかったので、1年半ほどアイリッシュパブでフリーターをしながら自分が本気でやりたいと思える仕事を探していました。

ーーなるほど。そこからどのような会社を選ばれたのでしょうか。

永田:海外でビジネスをしてみたいという気持ちや、大島紬に関連する事業を作りたいという想いから総合商社に興味を持ち、三井物産株式会社のファッション繊維事業部に入社をしました。入社2年目の頃、当時の上司に「大島紬を販売できないかチャレンジしたい」と相談したんです。その時上司には「永田の想いはわかったが、本当に地元の方達も同じ想いかどうか、まずは奄美大島へ行って聞いてこい」と言われ。ありがたいことに人生の初出張は奄美大島でした。織元さんを回って色々と試みたのですが、暖かい協力をいただきいながらも完全に自分の実力不足で事業化できず挫折してしまいました。

その後、今度は社内の留学・駐在制度を活用してブラジルに行くことになります。

ーーブラジル!また違った文化に飛び込むことになったのですね。

永田:そうですね。ブラジルでは、今の私のキャリアのきっかけになる出来事がありました。
初年度はひたすらポルトガル語を勉強して、2年目からは出資先の企業に出向して経営補佐や営業として働きました。ものすごく田舎の地域だったんですが、仕事が終わって現地のブラジル人達とわいわい飲んで過ごす生活はとても刺激的で。

その生活の中で印象的だったのは、仲間のブラジル人達がみんな活き活きしていることでした。彼らはみんな、将来何をやりたいかが明確で、今やってることがそこにどう繋がってくか、つまりなぜこの仕事をしているかっていうことを言語化できていたことに気づいたんです。

 その時に、自分はこれまで、様々な文化圏の人たちと会話をしながら価値観や生き方について触れる中で、「じゃあ自分は何をして生きていきたいんだっけ」と考える機会に恵まれていたのだと実感しました。同時に、そのような異文化に触れて刺激をもらうような経験は、少なくとも私が奄美大島にいた時には得られなかったということにも気づきました。そこで、奄美大島にいながらそのような経験ができる場を作り、ブラジル人のように「何をして生きていきたいか」言語化できている人を増やすことが、等身大の自分にできる、自分らしい地域貢献の方向なのではないか?と考えるようになりました。

また、色んな国の人とプロジェクトを進める中で、やっぱり組織の中にモチベーション高く主体的に動く人がいないことには、どんなに優秀な人が揃ってても事業は進まないということも、身をもって感じたんです。

帰国後、いろんな人と話したり調べ回ったりする中で、個人に対しても、組織に対しても、その「主体的に働く人を増やす」ための手段としてコーチングという分野があることに辿り着き、パーソナルコーチングと、組織に対するコーチングへの興味が沸き始めました。日本に戻ってきてから実際に自分もすぐにコーチングを受けてみて、面白いと感じ、引き続き三井物産で働きながら、CTI JAPANでコーチングを学びました。将来自分が独立することを考えた時、どの事業を行うにしても自分がハンズオンで携わりたい領域がコミュニケーションとマネージメントだと気付き、本格的にコーチングの道へ進むことにしました。

商社を離れて株式会社コーチ・エィという組織開発のコーチングを手がける会社に転職しました。経験を積ませていただく中で、故郷の奄美大島に貢献したいという想いはずっと持ってはいたのですが、ある日コーチングを受けた際に、「いつか地元に貢献したいと言いながら会社員として生活し続けることが、結局は今の永田さんの本当にやりたいことなんじゃないですか?」というフィードバックを受け、グサっと刺さりました。恥ずかしいぐらい、その通りだと思ったんです。「いつかやる」と言い続ける状態を心地良いと感じている自分に気づかされました。。それがきっかけで、これではいけない、行動しなくてはと思い切って独立しました。

独立し、ブラジルで交流を深めた三井物産時代の仲間と共に、奄美大島にen- Hostel & Café barという宿とカフェバーを開きました。アーティストさんや、バックパッカー、スタートアップの社長などの旅行客と地元の方々が交流をする空間を目指しており、そこから派生した様々な事業にもチャレンジしています。そして東京では引き続き個人や組織のコーチングやキャリアコンサルタントをするという、二拠点生活が始まりました。

永田氏の運営する en- Hostel & Café bar

経営者の孤独に共感しながら、行動変革に繋げる。

ーー続いて、永田さんが協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

永田:協働日本代表の村松さんとの出会いは、共通の知人が、村松さんを紹介してくれたことでした。村松さんは協働日本の案件でよく鹿児島にもいらっしゃっていましたし、村松さんを奄美市長にご紹介して一緒にお食事をするなど、交流を持たせていただきました。

協働日本のIPPO事業で、コーチとして力を貸して欲しいと大変ありがたい打診をいただいて、すぐに参画を決めました。自分も地方で起業した経験があるからこそ、地方の経営者の苦しみが分かる部分もあるので、そういう人たちに貢献できるようなコーチングに力を入れていきたいと思ってる時にお声がけをいただいたというのもあり、良いタイミングでもありました。

あとは単純に、村松さんのお人柄と志が大好きで(笑)本当に素敵な人だと思っているので、もう是非一緒にやりたい!と思ったのも大きな理由です。

ーーありがとうございます。これまでのコーチングについても、詳しく教えていただけますか?

永田:

IPPO事業でのコーチングという意味では、これまで15名ほどの方を担当させていただいています。石川県金沢市の山岸製作所さんや、上場企業のバリュエンスホールディングスさん等複数の企業様の、主に経営層の方のコーチングに携わっています。

私自身もオーナー社長なので共感していることも多いのですが、特にオーナー社長さんにコーチングをしていて特徴的だと感じるのは、会社のパーパスと個人のパーパスがほぼ100%一致しているということです。主語も「会社」と「自分」が話しながら入れ替わっていたりします。

なので、もう根っこから会社に主体化している状態です。そうすると、会社のパーパスに賛同してくれていなかったり、主体的に働いていないメンバーの気持ちをとても理解し難いし、「同じ船に乗ってくれない」と感じるメンバーがいると、単純にとても寂しいんですね。自分はこんなに会社をよくしようとしているのに、なんでだろう?と。一方で、社長としての信頼やイメージもあるので、その感情をぶつけるわけにもいかず、悩んでいる方は本当に多いです。

ーー確かに、どうやったらメンバーに想いが届くのか?と苦戦されている経営者の方は多いですよね。

永田:社長になるということは「飛行機のコックピットに座ること」に似ていたりします。色んな苦労をされながら、周りの意見を聞きながらようやくそこにたどり着いたのに、いざ座ってみるとそこで発する自分の言葉は全て機内アナウンスみたいにオフィシャルな言葉として受け取られてしまうし、これまで大切にしてきた周囲の声も、コックピットに入ると聞こえなくなってしまう。「経営者は 孤独」というのは、本当にその通りなんだろうと思います。

実績を残してきた優秀な方にこそ、磨いてきた「マイルール」や「絶対にこれが正しい」と疑わないものってあると思います。でもその絶対正しいと思っていることは、本当に今この状況でこの相手に対しても「絶対に正しい」のか。実はそれこそがブラインドスポットを作っていて、本当に変えるべき自分の側面を隠してしまっているかもしれなません。そういうことに一緒に向き合うのが、私がやりたいコーチングです。
例えば、過去のクライアントさんでも、「1対1だとフラットに喋れるが、1対多になった途端、 ついファイティングポーズを取ってしまう」という方がいらっしゃいました。深ぼって考えていくと、その方には「強い経営者像でいなければならない」という焦りがあり、そして「強いリーダーでいなければ信頼されなくなってしまう」という不安がありました。「簡単に意見を曲げたり撤回したりすると、信頼されないんじゃないか」という不安が、「話を聞かないリーダー」という印象を与え、結果として最も得たいはずの「信頼を得る」というゴールから自分を遠ざけてしまっていました。その方の場合は、「リーダーは強くあるべき」という前提が、ブラインドスポットを作っていました。セッションでは、その前提を言語化した上で、「改めて何をしていくのか」を会話していきます。

経営者は影響力がとても大きいので、 セッション中の気づきがそのまま組織や経営チームに影響を与えて行ったりします。そんな変化をライブリーに見られる瞬間が、自分のコーチとして存在意義を実感できる瞬間でもあって、いつも気が引き締まる思いでいます。

起業する方々に向けた「創業期のパーパス」に関するワークショップ

自分の経験がコーチングの幅を広げていく。コーチも「挑戦し続けるプレイヤー」

ーーIPPOコーチングの中で永田さんがご自身の変化を感じたり、気づきを得たことはありますか?

永田:実は今まで個人事業主として受けてきたコーチングのお仕事も、今年から法人化しようと思っているんですが、それは、IPPOでコーチングをしていく中で新たに大事にしたいことが1つ出来たことがきっかけです。

それは、「コーチも挑戦し続けるプレーヤーであるべき」ということです。

一般的には、コーチングは”ティーチング”ではないので、クライアントと同じような経験をしていなくても良いと言われます。つまり、コーチングのプロであることが重要で、経営者のコーチングをするために、自分自身が経営者である必要はないということです。これはある意味では本当にその通りだと思います。共感をしすぎたりアドバイスをすることがコーチの仕事ではないので。
しかし、IPPOコーチングで地方の経営者と話をしていて僕自身「その気持ちわかる」と思った時に、敢えてそれを真っ直ぐに自分の言葉で伝えてみると、それがフックになって、「そうなんです!さらに乗せると〜」と深まったり、「それとは少し違うのですが自分の場合は〜」と言語化のきっかけになるケースが多々ありました。そのような、自分のプレーヤーとしての経験を通してのフィードバックは、一気に対話を深いところまで持っていく力があると思います。

そう思った時に、自分のプレーヤーとして挑戦しながら得ている感情や気づきをも自分の大切なリソースとしてコーチングに発揮していって良いんじゃないか?という気づきに繋がりました。

とすると、起業していることや、地方出身であることや、海外で異文化コミュニケーションに悩んだ経験など、全て自分のリソースとして活用できるし、挑戦し続ければコーチングの幅も広がるのかもしれません。

ーー最初にコーチングに興味を持たれたときに「等身大の自分で貢献できることでは」とおっしゃられていたところにも繋がりそうですね。

永田:そうですね。結局、コーチングも人と人だよなと。コーチはエゴとプライドを脇に置くべきだという言葉を聞いたことがあるんですけど、私は今までエゴとプライド脇に置けている人にほとんど会ったことないので(笑)”ある”ことが前提でもいいんじゃないかって思うんです。そう開き直ることが、私にとっては”等身大”に感じています。


それに、他事業での経験を等身大のままコーチングで活かせると考えると、これこそ協働日本の強みであるようにも感じます。協働プロやコーチはご自身の事業領域で挑戦されている人ばかりですし、そこで悩めば悩むほど、IPPOコーチングが深く充実していくのではないでしょうか。

協働日本が、地方の枠を飛び超えて、企業や若者の可能性を引き出せる存在になれたら面白い。

ーー永田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

永田:引き続き、「地方のために、地元のために」と挑戦している方に対し、尽力していきたいです。

自分自身の経験も活かしながら、少しでも本心からやりたいことの実現に向けて行動する人を増やしたり、目標とする組織風土の実現に向けた個の変革や、組織内のコミュニケーションを活性化させるためのコーチングをしていきたいです。

そのためにも、やはり自分自身を アップデートし続けることが重要だと思うので、一生学習者というスタンスで、どんどん新しいことにチャレンジして、うまくいった、ダメだったと悩み続け、 経営者としてもコーチとしても成長していきながら協働日本さんに関わっていけたら大変ありがたいです。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

永田:本当に素晴らしい取組だと思いますので、コーチングの領域ももっと広がっていけば良いと感じています。経営者・管理職だけでなく、役職についていない方が早い段階で自分自身のパーパスを描くことにも関われれば、例えば採用後のオンボーディングをサポートするなど、様々な領域でクライアント企業様のお力になれるのではないでしょうか。

また、クライアント様は地域に根ざした企業ばかりですので、協働日本さんは企業へのサポートを通して地域を活性化し、日本を地方から元気にするような推進力に、今後更になっていかれるのだと想像いたします。そのようなワクワクする取り組みに関わらせていただいている事が大変ありがたいですし、私自身も挑戦を続けながら、その一助になれれば幸いです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

永田:ありがとうございました!

永田 陽祐 / Yosuke Nagata

(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルマスターコーチ
en- Hostel & Café bar代表

2010年 早稲田大学 政治経済学部卒業
2011年 University of Stirling (英国スコットランドの大学院)Strategic Public Relations & Communication Management修士課程修了
2013年 三井物産株式会社(東京本店→ブラジル駐在)
 アパレル領域の法人営業→ITスタートアップ企業への事業投資担当→モビリティ領域の新規事業開発
 ブラジルに留学→出資先鉄鋼加工企業にて社長補佐兼営業スーパバイザーとして駐在
2019年 株式会社コーチ・エィ(東京)
 上場企業の経営者や管理職に向けた1on1コーチング及び、組織開発プロジェクトに従事
 主に中南米市場の市場開拓に従事
2021年 独立し、現職

永田 陽祐氏- Instagram

En- Hostel & Cafe bar
En- Hostel & Cafe bar- Instagram

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VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 ―「事業づくり」と「人づくり」の両輪―


STORY:AKR Food Company株式会社 松元 亜香里 氏 -黒豚への強い想いを形にし、付加価値をつけた商品開発の挑戦-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本は、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和5年度の「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、2024年2月16日(金)に取り組み企業数社をお招きし、報告会を鹿児島県庁にて行いました。

当日お越しいただいた一社である、AKR Food Company株式会社 代表取締役の松元 亜香里 氏に当日発表いただいたお話をご紹介させていただきます。

AKR Food Company株式会社は、黒豚の精肉・加工品の販売を行う会社です。「Farm to Table」を1つのキーワードに、「いただく黒豚の命を余すことなく活かしたい」という思いで、黒豚の一頭一頭の価値を形にするべく『かごしま黒豚』だからこそ、〝日常で〟使いたくなる 製品づくりに日々邁進されています。

今回は個別インタビューでお伺いした内容を含め、松元さんにお話しいただいた協働日本との取り組みを通じて生まれた変化や、今後の事業展望への想いなどをご紹介します。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

黒豚一頭一頭のいのちを大切に──未利用資源を用いた新しいプロダクトの販売を目指す。

ーー協働日本と進めている「未利用資源を活用したペットフード」プロジェクトについて

まず、なぜ私がAKR Food Companyで黒豚の販売を始めようと思ったのかについてお話ししたいと思います。私の家業は、飼料から黒豚を生産し、カット販売まで一貫して手がける企業でした。

黒豚は一般的に、生まれてから約8ヶ月ほどでお肉として皆さんのお手元に届けることができます。

私も、家業で13年間生産現場に従事してきた中で、より黒豚の魅力を皆様に知っていただきたい、一頭一頭の命を大切にして、余すことなく売っていきたい、という思いでこの会社・事業を立ち上げました。

ですから、今は精肉としてはもちろん、生産過程も大切に黒豚を販売しています。今回は黒豚の使われてない部位を使用したペットフード事業を協働日本との取り組む事業として選びました。

なぜペットフードなのか?と言いますと、黒豚を取り巻く環境は、皆さんもご存知の通り餌の価格の高騰や、農家の高齢化で後継がいないなど厳しいものとなっています。それによって精肉分野でも原料調達が大きな課題になっているのです。

しかし、そんな貴重な黒豚には、精肉として人間が食べる部位以外にも、使われていない部位がまだまだあります。そういった未利用資源を用いていきたいというのがはじまりでした。

現状、活用されていない部位は、廃棄か肥料化のどちらかですが、いずれにしても農家にとって収入にならないのです。

協働日本との取り組み開始前は、ペットフードとして活用できないか?と考えたものの、ペットフードは売ったことはおろか手にしたこともなく、市場のこと自体がまったくわかりませんでした。

また、どうすれば未利用資源に付加価値をつけ、買ってもらえるような商品にすれば良いのかも、まだまだ未知の領域でした。

お土産品、ふるさと納税返礼品などで好評の缶詰シリーズ

顧客像が明確になるまで、繰り返し行ったモニター調査が、メンバーの意識変革をもたらした。 

ーー実際に、どのようにプロジェクトを進めていったのか教えてください。

はじめに取り組んだのは、犬を飼っている方々へのヒアリングです。何度も、いろんな方にヒアリングをしていくことで、家族としての犬の存在意義や、食事、生活の中で気をつけていることなどを深掘りしていくことで、愛犬家の方の価値観を言語化していきました。

黒豚を使ったプレミアムなペットフードは、どんな人に買いたいと思っていただけるのか、顧客像を掘り下げていって、ターゲットを決めました。

明確になったペルソナ。家族として犬と過ごしている愛犬家にこそ買ってもらいたいと決めた。

顧客戦略、プロダクトコンセプト、ブランド名などを決めていくにあたって、協働日本さんに入ってもらってよかったと思ったことがいくつもあります。

それは、プロジェクトに携わるメンバー達がそれぞれのテーマについて掘り下げて考え、お互いに共有していくことで、各々が何をしなくてはならない、など自分達の意義を明確になったことです。こういった意識変革自体も、今回の1つの成果だと感じています。

また、モニター調査をもとに商品の開発も実施しました。商品名は「want’n」に決定。「いつものフードにプラスするだけ、いつまでも元気でいてほしい愛犬のためのアンチエイジングごはん」というブランドコンセプトも決めました。

そして、ファンを獲得するための目玉商品──いわゆるHEROプロダクトとして「黒豚ボーンブロス」を作り上げました。

ボーンブロスとは、黒豚の骨や、鹿児島県産の鶏を使った出汁のことで、海外のセレブの間では美容と健康に良いと話題になっていたものでもあります。タンパク質やアミノ酸が豊富に含まれており、腸を整えることで美容や健康に効果があるものです。

これまでも人の食用にボーンブロスの素「骨パック」という製品を販売していましたが、今回のモニター調査の中で、犬も腸を整えることでシニア犬の健康や毛艶にも効果があることがわかったため、HEROプロダクトに設定することになりました。

未利用部位の活用についても掘り下げてお話ししますと、例えば腎臓──マメと呼ばれる部位ですが、人はなかなか食べることはありません。しかし、栄養価だけ見ると肝臓──レバーと同じように費用に栄養価が高いんです。レンダリングと呼ばれる加工を施し、飼料にすることもできるのですが、キロあたりの販売額は10円もしない部位でした。

ですが、犬の健康に焦点を当てた餌としての付加価値を与え、製品化して販売することによってキロあたり1万円くらいで売れることがわかったんです。こんなに付加価値をつけることができるものなのかということにも驚きました。

黒豚のマメ・サイコロヒレ・ほほ肉を使ったペットフード「Premiun Plusシリーズ」


実際のモニター調査で、17歳のシニア犬に与えてもらったところ、普段は目も見えづらく餌に自分で辿り着けなかったのに、「want’n」の餌は箱を開けた途端に自分から餌に近づいていって食べるなど、いつもと違う行動を取るようになったのだそうで、飼い主の方も変化をとても喜ばれていました。

これまでは廃棄、あるいはとても安価にしか販売できなかったような未利用部位も飼い主にも犬にも喜んでもらえる、という「価値の創造」ができたと思っています。

付加価値の創造と、想いを言語化し、形にする力がついた

ーー協働を通じて得られた変化や成長についてどのように感じていますか?

今回の伴走支援では、どうやって商品への付加価値を作っていくのかの工程、どうやって調べればその価値を見出せるのか、そして言語化する力が身についたのではないかと思います。

これまで自分たちが当たり前だと思っていたことが、商品の売り文句になって、商品の魅力となって世に出せることがあると気づけたことも私たちの成長だと思っています。

鹿児島にはまだまだ未利用部位があるので、付加価値を見出し、まだ新しい商品開発、販売、今後の事業につなげていきたいです。

ーー伴走していた協働プロからの総括

若山幹晴(協働日本CMO):プロジェクトの歩みとしては、まずAKR Food Companyの皆さんが持っていらっしゃる想い、そして強みについてヒアリングをさせていただきました。

ヒアリングをもとに、「黒豚への想いの強さ、命の大切さを世の中に広げていくためにペットフード事業」を成功に導くためのプロジェクト設計を行いまして、プロダクト、事業のコンセプト設計、リサーチを進め、顧客の理解をもとにプロダクトを準備していきました。

僭越ながら、伴走する立場から、AKR Food Companyの皆様の強みと変化についてもお話しさせていただきます。


まず、当初から黒豚への想いの強さを感じておりました。一事業者としてではなく、ひとりの、黒豚と相対する人間としてのリスペクトを聞いているだけで、こちらも黒豚のことを好きになり、プロジェクトのご支援していきたいと思うようになるほどでした。

強みと変化として挙げさせていただきたいのが、思いを形にする力がどんどんついていっているように感じました。我々協働プロはあくまで伴走支援をする人間です。

我々からは「こういうところを調べましょう」「次にこういうことをしましょう」とお伝えし、実際に考え、アクションを起こすのはAKR Food Companyの皆様なのですが、毎週期待値以上のアクションを起こしてくださったところが印象的でした。

想いを形にする上で、このようなプロダクトコンセプトでやりたいと資料を作ってきてくださったり、一般的なペットフードで使われる鶏や豚と黒豚との栄養素の比較表から強みを調べてビジュアライズまでしてくださるなど、毎週我々がびっくりするような動きでした。そういった積み重ねで、事業者として成長していかれていることを感じました。

最後にこれからについてですが、現在、ヒアリングからプロダクトのプロトタイプを作られまして、実際のモニターからアンケート結果もいただいていますが、コンセプト自体の魅力度、プロダクトの満足度は100点に近いものができています。これからHPの準備やプロモーション面を考えていくところに進んでいきますが、新ブランドとしてとても良いスタートが切れているのではないかと思います。

松元 亜香里 / Akari Matsumoto

AKR Food Company株式会社 代表取締役

協働日本事業については こちら

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STORY:持留製油株式会社 上野浩三氏 -新たなアイディアで事業の壁を突破。新たな光が見えてきた社会課題解決型事業-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、持留製油株式会社 常務取締役の上野 浩三氏にお話を伺いました。
持留製油株式会社は明治6年(1873年)に創業し2024年で151周年を迎える、食用油脂製品製造販売業の会社です。

長きにわたり、食用油脂を軸にした事業を進めてきた持留製油ですが、5年ほど前から緊張緩和や鎮痛作用のある「CBDオイル」に関する新規事業をスタートしました。

世間で注目を集める新商品ではあるものの、新規参入事業であることや、市場自体が未成熟であることなどからどういった方向性で事業を推進していくべきか悩んでいたところに、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」がスタート。事業に参画した持留製油と、事業をサポートする協働日本との協働プロジェクトがはじまりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

課題の多い市場ゆえの悩みと、多くの壁

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

上野 浩三氏(以下、上野):よろしくお願いいたします。協働という取り組みを知ったきっかけは、鹿児島県が新産業創出ネットワーク事業の参加企業の募集を見たことです。それまでは協働日本さんの取り組みについては存じ上げませんでした。

弊社では5年前からCBDオイルの事業を展開しているのですが、まだまだ成長途中ということもあって、一緒に考えていくれる仲間がいるとありがたいなと考えていたので、新産業創出ネットワーク事業に応募をしました。

無事に採択いただけたことで、協働がスタートしたという流れです。

ーーなるほど。CBDオイルの新規事業について、具体的にどのような事業か教えていただけますか?

上野:はい。そもそもCBDというのは、カンナビジオールの略称で、大麻に含まれる物質「カンナビノイド」のひとつです。アサの茎や種子から抽出される成分で、炎症を鎮めたり、不安を緩和する効果があります。「大麻」というと日本では忌避感も強いかもしれませんが、精神作用や中毒作用がないことで知られており、医療や美容分野でも興味関心が高まっているんです。

食用油脂を扱う弊社でCBDオイルを扱うようになった背景には、社長の体験があります。社長が6〜7年前にパニック症候群に罹患して大変な思いをしていた時、アメリカの友人からCBDを紹介され、試しに使ってみたところ症状が改善されたのだそうです。その経験から、CBDで多くの方の悩みを解決できるのであれば、という想いで事業化することになりました。

CBD自体は、日本でも2013年より合法化され、2022年にはAmazonでも一部店舗で販売が可能になりました。そういった環境もあり、世間の注目度も高く、同じようにCBDオイルを取り扱うスタートアップもかなり多い時期だったんです。

ーーそうなんですね。恥ずかしながら、名前は聞いたことがあるもののCBDオイルについて詳しく存じ上げませんでした……。

上野:おっしゃる通り、日本ではあまり消費者に正しく情報が浸透していないのも事実です。

実際、事業化当初は、大麻草由来の成分ということもあり社内でも不安の声があったほどです。CBD自体が消費者に知られていないことや、存在や効果を知っていてもなんとなく不安に思われる方もいるなど、完全に供給過多の状況でした。

弊社は良い原料メーカーを見つけることができ、良質なCBDオイルの提供ができるということや、世界的に先行事例があるということで可能性を感じて販売をスタートしましたが、思うように売り上げは上がっていませんでした。

供給過多の市場から飛び出し見つけた、Bto”D”の新たな勝ち筋

ーー実際協働がスタートしてからはどのようにプロジェクトが進んだのかお聞きできますか?

上野:はじめは、市場調査からはじめました。協働プロとしては、村松さん(協働日本代表)と藤村昌平さん(協働日本CSO)に入っていただきました。


ECで売れない理由を分析していったところ、他社との差別化や、弊社ならではの強みが必要ということがはっきり見えてきました。強みの整理など、色々と考えてはみたのですが、一般市場では消費者のニーズも高くはなく、類似する他社のCBDオイルもたくさんある───どのように売れば差別化されて売れていくのか道筋が見えづらかった。

そこで、ニッチだが、確実にニーズのある方向を目指そうという話になったんです。

ーーこれまでからターゲットを変えていくということでしょうか。

上野:はい。これまでのBtoC向けの商品展開ではなく、BtoBなど売り先を変えてみてはどうかということで、ターゲットになりそうな企業を探していくことになりました。

CBDオイルは海外では医療や美容の目的で使われるので、日本国内にも興味のある企業がいるのではないかと、当たってみたところ、知人からの紹介で認知症患者にCBDオイルを使ってみたいというお医者さんとの出会いがあったんです。

クリニックとの共同事業ができると、消費者に信頼される「エビデンス」という強みを持つことができます。そこで、認知症患者の治療のためのCBDオイルの共同開発がはじまりました。

ーーまさに、「ニッチだけど確実にニーズがある」市場かもしれませんね!共同開発はスムーズに進んだのでしょうか?

上野:はい、「BtoD」という新しい市場に辿り着いたのは成果の一つだと思っています。共同開発の最初の壁は「CBDオイルを治療に適した形にすること」でした。

CBDには直接飲むタイプや、吸うタイプ、食べ物に混ぜて摂取するタイプなどさまざまな摂取の仕方があります。認知症の患者さんでも負担なく取り入れられる形を目指して検討しました。その中で、経口摂取だけでなく、経皮吸収でも効果が見られるというデータを見つけ、皮膚に貼って使う「CBDパッチ」の開発に繋がりました。

パッチの製作自体は外部委託先に依頼しましたが、医療用のパッチにCBDを入れた前例がなかったため、何%の濃度のオイルを入れられるか?何%の濃度なら効果があるか?など模索が必要でした。

また、同時に大学病院での治験の手続きも進める必要がありました。倫理委員会を通すなど準備にも時間はかかったのですが、無事に治験を開始することができ、クリニックの先生の協力もあって、結果的に効果が見込めるパッチが完成しました。

治験自体はこれからも引き続き実施する予定で、先生も成果を論文にしていきたいとのことで、持留製油のCBDオイルの強みである「エビデンス」が明確になっていくのを楽しみにしています。

協働日本は責任感をもって一緒に事業にぶつかってくれるプロたち

ーー協働日本との取り組みの中で、生まれた変化や成果について教えていただけますか?

上野:成果、と言うにはまだ道半ばというところではありますが、誰に対して、どんな製品を売っていくのかという方向性が見えたことが一番大きな変化と収穫だったと思っています。

私自身は持留製油に入社するまで様々な業界で新規事業に携わることが多かったので、新しい事業に挑戦することは好きだったのですが、一人で考えるとアイディアが出なくなって行き詰まってしまいやすいということもわかっていました。

なので、今回協働チームの皆さんと一緒に考えることでアイディアがたくさん出てありがたかったですし、新しい考え方やスキームを知るヒントになってよかったと思っています。

例えば、藤村さんは、元々ライオンという消費財メーカーの研究室のチームにもいらっしゃったこともあって、製品開発におけるメリットよりもデメリットがないかが重要と考えられていて、売れるメリットのことを強く考えていた私にとっては新しい気づきでした。

やはり様々な分野のプロのこれまでの知見やノウハウに触れることができることは自分にとっても勉強になって良い機会でした。

ーー協働プロたちの印象はいかがでしたか?

上野:村松さんは熱い想いでぶつかってきてくれて、藤村さんは冷静に分析してどんどん突っ込んできてくれる。

お二人がそうやってぐいぐい前のめりに問いを立てて深掘りしてくれたからこそ、これまでの状況を切り開き、難易度が高い事業づくりに新しい光が見え始めたのかなと思っています。

副業人材でコンサル的な取り組みが増えていることは知っていましたが、個人的には”教えてくれるだけ”のコンサルティングはあまり好きではなくて……。

協働日本さんの場合は、ワンチームで一緒に考える、一緒に責任を持って事業にぶつかってくれるという姿勢で参画してくれる、単なる副業人材活用とはまったく違った取り組みスタイルでした。

地方のものづくり系の会社以外にも、スタートアップ系の新規事業や、自分で起業される方にもおすすめしたいですね。そういった企業の経営者には、同じ目線で相談できる相手がいない場合も多いので、事業づくりの経験がある「わかってくれる」人に相談できる機会があるというのはいいなと思いました。

昔のような「ものづくり日本」を取り戻す──プロフェッショナル集団が強い事業づくりの一助に

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

上野:協働日本は非常に面白い取り組みです。協働プロが増え、チームのバリエーションが広がっていけば、全国の地域企業がさらに成長し、新しい事業をどんどん形にしていけるのではないかと思います。法律にしろマーケティングにしろ、事業をつくるには様々な要素があり、やっぱりプロがいないとわからないことって多いと思うんです。しかも誰に聞いていいかもわからない。チームの中に色んなプロがいること、地域企業の強みを活かした「機能拡張」できることが、協働日本の強みだと思っています。

特に、村松さん、藤村さんもそうですが、キャリアにおいて製造業を経験している協働プロが多いことも協働日本の強みじゃないかなと思います。個人的には、昔のような強い「ものづくり日本」になってほしいという想いがあって、それを強くするためにプロがついて支援していくことは大事かなと。「日本に熱を生み出したい」というテーマの中でも、地方創生にとどまらず、産業活性、産業振興をリードできることも協働日本の強みかなと思うので、頑張っていただきたいなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

上野:ありがとうございました!

上野 浩三 / Kozo Ueno

持留製油株式会社 常務取締役

1090年鹿児島生まれ
大学後、旅行会社にて12年間、海外添乗、営業、企画に従事。
改めて鹿児島の魅力を発信したく、総合酒類卸会社に転職し、鹿児島中央駅アミュプラザかごしまの「焼酎維新館」の初代店長として立ち上げ。
県外を中心に焼酎・特産・物産を営業も同時に行う。
2012年「かごっまふるさと屋台村」のNPO法人運営理事として、立ち上げ、運営に従事。
2020年より、持留製油株式会社に転職し、食用油脂製造業の営業と、CBDじ業の立ち上げに従事。

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