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STORY:株式会社山岸製作所 山岸晋作氏 – 協働日本は中小企業にとっての「最強の人事部」。変化に勝ち抜く地域企業の組織戦略とは –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社山岸製作所 代表取締役社長の山岸 晋作氏にお越しいただきました。

株式会社山岸製作所は1936年創業の金沢の家具販売会社で、輸入家具やインテリアの販売、内装工事設計・施工のほか、オフィスのトータルプロデュースも手がけ、家具・インテリアの販売だけではなく新しい「暮らし方」「働き方」を売る会社としても注目を集めています。

また、社員の自主性を育む企業でありたいと柔軟な働き方や、協働日本との協働を通じて次世代経営者の育成にも力を入れている山岸製作所。

今年10月には、テレワークを活用した柔軟な働き方を体現し、優秀な取り組みを実施している企業に送られる賞「テレワークトップランナー2024 総務大臣賞」を受賞されるなど、注目を集めています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

▼過去のインタビュー記事も合わせてご覧ください

STORY:山岸製作所 山岸晋作社長 -挑戦する経営者にとって、協働日本は心強い伴走相手になる-
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STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-
https://kyodonippon.work/post-3610/

企業の課題や、事業のフェーズに合わせて「人材育成」に伴走。

ーー本日はよろしくお願いいたします。協働日本とのお取り組みも3年目になりました。協働をスタートしたきっかけから、ここまでの歩みについて、改めてお聞きできますでしょうか?

山岸 晋作氏(以下、山岸):はい、よろしくお願いいたします。

協働日本との出会いは、金沢で事業を展開している発酵食品の老舗、四十萬谷本舗の四十万谷専務からのご紹介でした。

当時、事業について悩んでいた際に四十万谷さんとの会話の中で「相談相手として、良い人がいるよ」と紹介していただいたのが協働日本代表の村松さんでした。

かねてより四十万谷さんが都市圏の複業人材と協働型のプロジェクトに取り組んでおり、成果を挙げられいると聞いていたので興味を持ち、何度かお話を重ねるうちに弊社でも協働をスタートさせるに至りました。

ーー最初に取り組まれたのは、売上向上のための社員教育だったのですね。

山岸:はい。暮らし方を提案する、弊社のインテリアショールーム「リンテルノ」 での売上を向上させるため、社員教育の支援をお願いしたのがはじめのプロジェクトでした。

背景には当時、取り扱う様々なブランドを代理販売するこれまでのビジネスモデルの見直し、いつしか単に物売りになってしまっていることへの危機感を感じていたことがありました。

今、山岸製作所は、これから売っていくべきものを「暮らし方」そのものと定義しています。
そのためには山岸製作所の存在意義や、なぜこのブランドを取り扱うのか、自社の中で明確な言語化を進めておかなければ、いずれ行き詰ってしまうだろうと考えました。

さっそく社員教育として、協働日本に所属する協働プロの方々と、弊社のショップリーダー3名とでチームを組んで取り組みがスタートしました。

私たち一人ひとりが売っているものはすなわち何なのか、提案する「より良い暮らし」とは何か。
これからの山岸製作所にとって重要な価値観を、メンバーそれぞれで悩み時に意見をぶつけながら考えていきました。そうしていくうちに、それぞれが納得感を持って日々の販売や新たな戦略に携わっていけるようになりました。

とはいえ、この頃はまだ事業の回復に向けて必死だった時期。
社員教育そのものの捉え方も、未来への投資という考え方よりも、目先の売上向上のための販売力強化という意識が強かったかもしれません。

山岸製作所のショールームで協働プロと議論を重ねた

ーーなるほど。更なる取り組みとして、翌年の2023年には協働日本の提供する『経営リーダー育成プログラム』へ企業幹部が参加し、経営人材としての視座向上に取り組まれていましたね。

山岸:これをきっかけに、組織を蘇らせようという危機対応フェーズから、中長期的な成長を意識した組織の成長フェーズに舵を切りました。私の意識も、未来のためここで変わっていこう、変えていこうという方向に向いていました。

そこで必要になるのが組織の中核になる存在です。組織の成長に向き合った時、社長である私自身と幹部たちの間に見えない距離があることを課題に感じはじめていました。

その正体は何かというと、経営をしていく上での根っこの部分、価値観のすり合わせができていないことです。
どうやって、両者の価値観のすり合わせればいいのか。どのように幹部候補の成長をサポートすればいいのか。社長ひとりの頭の中では解決策が浮かばず、悩んでいました。そんな時、協働日本代表の村松さんから「協働日本では企業の幹部育成にも取り組んでいる」という話を伺いました。

リンテルノの販売力を、人を育てることで向上させてきた協働日本さんに、今度はより長い目で見た時に必要となる人材育成をお願いしたいと思うようになりました。
それが『経営リーダー育成プログラム』をお願いしようと決めた経緯です。

この時は、幹部候補の2名──初年度から伴走支援を受けているリンテルノのリーダー西島と、営業・オフィス戦略マネージャーの奥永の両名に挑戦してもらうことにしました。

『経営リーダー育成プログラム』は、協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、企業幹部を経営者リーダーとして育成するものです。
ワークショップのセッション、事業開発のメンタリングと、コーチングからなるプログラムで、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成・意識の変革を目指すという内容でした。

結論から申し上げて、このプログラムは非常に効果が大きかったと感じています。
その理由は、当初の狙い通り、私の価値観───例えば未来に向かってのビジョンや、会社をどうしていきたいかということに対して幹部候補たちと相互理解できただけでなく、彼ら自身の中に燻っていた熱い想いを、彼らの言葉で言語化できたことにあります。


山岸:プログラムに参加した幹部のひとり、奥永の振り返りでは、「協働日本の提供するプログラムを受け、自分自身や会社のことにあらためて向き合い、それらの存在意義について徹底的に、そして絶え間なく考え続ける時間を持てたことによって、頭の中のピースがつながるようになった。確固たる判断軸ができた」と話してくれました。

仕事のこと、経営のこと、会社の理念なども、実際に経営者のお客様と話しているときなどに話がすっと入ってくる・何を言っているかわかるようになったと。

私から見ても、私と彼との間でも交わす言葉がのチョイスも重なってきたと感じました。

そんな時、彼自身の変化に気づいた時、「どうしてそうなった?」と質問すると「自分の中の存在意義と会社の存在意義が重なった部分に気づいてから、前に進み出した気がする」という答えが帰ってきたんです。とても印象的でしたね。

また、主語が「会社」から「自分」になる場面が増えたとも言っていて。それまで「会社のためにこうすべき」で思考が止まっていたことが、徐々に「会社がこうなったらいいなと思っているから、自分がこうやって進めたい」という主体的な言葉に変わっていったんです。この頃には実務の中でも「自分がやります」という言動が増えてきていました。

外からの刺激や圧力よりも、内なる声を聞くことのほうが、より人を強く動かす。行動する背中を押す力になるんだと、私にとっても学びになりました。

社長という立場ゆえに感じることですが、内部の人間だけで価値観をすり合わせ、会社の未来を自分事化させて内なる声を引き出すことはとても難しいことです。

いつも一緒に仕事をしている社員同士や、取引先とのやり取りというのは、いわば安全地帯、「コンフォートゾーン」です。同一的な環境にずっと身を置いていると、自分にとってそれがコンフォートゾーンであるということにすら気づくことができません。

外からの刺激があって初めてそれに気づき、コンフォートゾーンを意識することができます。そうしてはじめて、そこに身を置くべきか、そこから飛び出してチャレンジした方が良いのかという選択ができるようになります。

プログラムに参加すれば誰でも同じように結果が出るかといえばそうでもありません。変革のための「意識の種」が必要で、今自分がやっていることに何かしら違和感や「このままでいいのか?」という想いを抱いていたメンバーだったからこそ、コンフォートゾーンを飛び出すことができたのだと思います。

協働日本には、事業開発のメンターと、自分自身と向き合うためのコーチングの両軸が揃っています。内なる自分の声を引き出す、『経営リーダー育成プログラム』はそういった変化を生み出してくれました。


ーーありがとうございます。2024年の現在は、どのようなテーマに取り組まれているのでしょうか?

山岸:お話しした、昨年の成功体験があったので、引き続き『経営リーダー育成プログラム』に取り組むことを決めました。今年は、幹部候補の次の役職レイヤーから3名が参加しています。

ーー継続的なプログラムになったんですね!山岸さんの想いを受けて、3名の方も西島さんと奥永さんに続いて大きく変化してくれそうですね。

山岸:実は、今年の取り組みをスタートさせる時に背中を押してくれたのは昨年の参加者の西島と奥永だったんですよ。

協働日本の伴走支援を受けた2人がその価値を理解して、後輩達にも受けてみてほしいと。越境学習の効果を語り、社内への説得を後押ししてくれました。今では、プログラムを受けながら日々成長している3人の姿を、皆で見守っています。

ーー1年間のプログラムを受け終えた時の姿が今からとても楽しみですね。

山岸:そうですね。前半のワークショップと毎週のセッションを終え、今は2週に1回の実装フェーズに入っています。

でも、実を言うと今年のプログラムで一番学ばせてもらっているのは私かもしれないと思っているくらい、彼らのセッションの中には気づきが多いです。

セッションの録画を毎回見ているのですが、協働プロと3人のやり取りの中で見えてくる課題こそが、驚くことに山岸製作所の課題そのものなんですね。

それは、彼らがより現場レイヤーに近いからこその視点ということもありますが、今、山岸製作所にとって必要なことは何か?がリアルに見えてくるので、実際に経営会議で議題としてあげたものもあります。

毎週の朝礼で私の考えを話しているんですが、伝えたいことが伝わっていない、こんな伝わり方をしているんだという発見もありました。
例えば、山岸製作所では個々の自主性を引き出していくことを大切にしていますが、それを「個人商店」のように捉えら大きなプレッシャーを感じている社員もいるということも、彼らの視点から見えてきたことの1つです。

それぞれに違う切り口ではありましたが、3人とも共通して「どうやってメンバー同士助け合えるか、孤立しない組織にできるか?」を本質的にやりたいことと考えて、取り組んでいたんです。

山岸製作所では、自主性を引き出すために働く時間も場所も自由で、裁量権多く仕事をしていける環境を整えています。
しかし、現場レイヤーの視点で考えると、自由な環境ゆえに、メンバー同士が団結して助け合っていく意識がないとかえって個々の仕事や責任を全うすることが難しいと感じていた。3人のセッションから出てくるそういった投げかけは経営課題の本質に迫るものでした。

自由な環境だからこそ、社員を孤立させてはいけない、メンバー同士が繋がってプレッシャーを補いあって、個の集団でありつつも、より強固なワンチームになっていく。これをどう具現化していくか、経営レイヤーでも取り組んでいきたいと思っています。

「彼らの見ている山岸製作所」から一番学びを得ているのは紛れもない私自身で、経営者として方向を修正することが出来ているのは、繰り返しになりますが、やはり貴重な機会ですよね。

社員の学びを支援する、柔軟な働き方が評価され、総務大臣賞を受賞。

ーー今年のお取り組みといえば、10月には、テレワークを活用した柔軟な働き方を体現し、優秀な取り組みを実施している企業に送られる賞「テレワークトップランナー2024 総務大臣賞」も受賞されています。受賞に至る背景についてもお話お伺いできますか?

山岸:はい。きっかけは2023年の秋に北陸総合通信局(総務省の地方支分部局)主催のイベントに登壇したことです。

そこで山岸製作所の働く環境、テレワークの取り組みについて紹介したことが北陸総合通信局の中で話題になったようで、今年のテレワークトップランナーへの応募を勧められ、山岸製作所では長くテレワークの取り組みを進めていあこともあり、折角の機会だからと応募したところ、全国で3社しか選ばれない総務大臣賞をいただくことに。

山岸製作所にとってのテレワークは、売上向上や業務の効率化を目的としているというよりは、社員の自主性を育む組織であるための手段だと考えています。

管理や制約などの枠組みを取り払って、自分がやりたいことに向かっていく方が、絶対成果が出てくると思っていますし、それを実践している会社であり続けようと取り組んできました。

テレワークというと自社の社員がどこで仕事をするか?ということや再現性、効果についてフォーカスされがちです。

私はそれだけでなく、山岸製作所が社外の方と一緒に仕事をする、コミュニケーションをとることのハードルを下げることができることにこそ、「テレワーク」を推進していくメリットがあると考えています。

テレワーク環境・理解が整えていくことで、時間的・距離的なボーダーをなくすことができるので、山岸製作所に関わってくれる全ての人にとってもコミュニケーションがとりやすくなる。私たちをサポートしてくれる人たちの力を最大限活用できる仕組みづくりに繋がると思うんです。

実際、早くからそういった取り組みを進めていたからこそ、物理的な距離があっても、協働日本の協働プロの皆さんとの取り組みもすぐに始められましたし、リモートで行なっている協働プロジェクトから多くの成果が生まれました。

総務大臣賞を受賞。受賞3社の中で唯一の地方企業となった。
引用元 「テレワークトップランナー2024 総務大臣賞」等の公表


ーー山岸社長が大切にされてきた、自主性や個の成長を育むための環境整備が受賞に繋がったのですね。この賞は山岸さんが大切にしている、「山岸製作所らしさ」が体現されていますね。

山岸:「社員、スタッフ皆を信頼して自主性を引き出した方が成果は出る」ということを信じられないとテレワークを推進することは難しいと思うんです。

遠距離恋愛と同じで、一度疑い始めたらきりがないし、うまくいかなくなってしまう。やっぱり山岸製作所では社員全員を尊重し、時に協働日本のような社外の力も借り、信頼しあってそれぞれが成長をしていける、そんな組織でありたいと思います。その形が生んだ成果と取り組みを評価いただけたことは、とても嬉しいことです。

こうやって改めて協働日本との取り組みを振り返ってみると、初年度はまだまだ利益偏重主義、目先のことで必死でしたね。一緒に取り組みを進めていく中で徐々に売上も体制もようやく整い出し、ようやく未来を考えられるようになってきている今、あらためて変化を実感します。

私自身も月に1度、代表の村松さんにメンタリングをお願いしています。
村松さんからいただいた課題や問いに対して、自分はどうありたいか、どうあるべきか、どう取り組むか徹底的に考え、言語化していく。その時間を通して、自分で自分の視座を上げていく貴重な時間です。

私のそういった取り組みを見て、社員のみんなも頑張らなくちゃと思ってくれる。
「これをやりなさい」と上から与えるのではなく「一緒に頑張ろう」という姿を見せることで、共に成長していける手応えを感じます。

社員を信じて働き方を柔軟にし、学びや成長の機会をどんどん作ることで、それを企業の成長につなげていく。この文化を守っていきたいと思います。

協働日本は中小企業にとっての「最強の人事部」ではないか

ーー最後に、これから取り組まれたいことや、協働日本に期待されていることがあれば教えてください。

山岸:協働日本は、私たち中小企業にとっての、「最強の人事部」だと思っています。

これからの時代に対応するためには、柔軟に生きていく必要がありますが、一方で私たち中小企業には、その都度、人を採用して内製化するだけの時間も余力もなかなか持ち合わせていません。

そこで、協働日本にいる多くの協働プロたちに、その時のテーマに合わせて協力いただけることこそ意義があると思っているんです。

売上向上のため、人材育成のため、採用のため……その時々の自社の課題や事業テーマに対応してもらえるプロがすぐそばにいてくれる。そんな私たちの「最強の人事部」を活用しない手はありませんよね。

例えば具体的にこれからの取り組みについてもお話しすると、実は来年、福井県への事業進出を決めています。

事業拡大のためのマーケティング支援はもちろん、新しい店舗で働くメンバーたちの教育や心のケアなど、協働日本に引き続きお手伝いいただきたいことがたくさんあります。

福井県の第一号店には、まさに今プログラムを受けているメンバーの1人がリーダーとして赴任することが決まっています。協働日本の伴走支援や育成プログラムは、本人にとっても組織にとっても、既に「実践」の場になってきています。

私はこうして折角、山岸製作所に関わっていただけるのであれば、協働日本や協働プロの皆さんに金銭的なメリット以外の価値も感じていただきたいと思っています。
大手企業に勤めている協働プロの皆さんも多い。地方の中小企業経営のダイナミズムやスピード感は、大企業にはないものがたくさんあります。そこにはきっと、逆に彼らの学びに繋がるものもたくさんあると思っています。

山岸製作所と、伴走してくださる協働日本の皆さんで、win-winの関係で成長しあえる……そんなお付き合いを続けていければと思っています。

これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

山岸:ありがとうございました!

山岸 晋作 / Shinsaku Yamagishi

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。

協働日本事業については こちら

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VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(後編)『協働を広げ、大きな「循環」へ。私たちが協働プロを続ける理由』 –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本CSOの藤村昌平氏、同CMOの若山幹晴氏の対談をお送りいたします。
協働日本の創業時から参画しているお二人に、創業当初から現在までの5年間を通して見た協働を通じて生まれた支援先やご自身の変化、協働日本の未来について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

※本インタビューは前後編にてお送りいたします。前編はこちら

自分では気付いていないだけで、目に見えない「価値」は既にそこにある。

ーー前回に続いてのインタビューとなります。今回はまず、5年間の協働プロジェクトを振り返って印象的だったことについて伺いたいと思います。

若山:そもそも、協働日本でご支援させていただいたサービスはどれも素晴らしいものばかりだったことが印象的です。ものとしては良かったり、素晴らしいノウハウをお持ちだったりというケースばかりでした。その1つ1つが印象に残っています。

ではどうして、そんなサービスや商品をお持ちの企業が支援を求めているのか?と紐解いていくと、お客さんとのアンマッチが発生していたり、サービスの広げ方を変えなくてはいけなかったりするパターンがとても多い。ものやサービスがいいというだけではビジネスはうまくいかない、ということが改めてよくわかります。

藤村:特に、時代を跨ぐ無形資産は、作ろうと思って作れるものではないですからね。私も印象に残っているプロジェクトの1つに、奄美大島の伝統工芸品でもある大島紬のプロジェクトがあります。伴走支援に入って初めて、こういった伝統工芸を取り巻く状況やビジネス環境を知りました。

協働先の一社である、大島紬の織元「はじめ商事」さんでは、長く続いた大島紬という無形資産をどうやったら後世に継いでいけるのかをテーマに、事業のアップデートに真剣に取り組まれていました。大島紬は世界三大織物に数えられる絹織物で、自然の力を借りて30〜40もの行程を経て長期間をかけ作られていて、それが100年以上続いている。この脈々と続く歴史を目の当たりにして、消費財メーカーの中で生まれるプロダクトを日々アップデートし直していくことと、かくも違うのかと驚くばかりでした。

始まった協働プロジェクトの中では、作り手の伝統を残したい気持ちと、顧客の欲しいと思う気持ちが重なる部分はどこかを徹底的に探していきました。

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

若山:人々の強い想いが込められたものは、AIではやっぱりまだ作れない。かけがえのない、素晴らしいものですよね。逆にその素晴らしさにご自身が気づいていないというパターンも多かったように感じます。

私は、経営者の事業そのものへの想いも、ひとつの無形資産だと思っています。たとえば想いの強さで言えば、鹿児島で伴走支援に入らせていただいたAKR Food Companyさんも印象的でした。

AKR Food Companyさんは、黒豚の食肉加工・販売を行う企業でしたが、とにかく黒豚に対する想い、育ててきた豚を余すことなく美味しいと言ってもらいたい想いが強かったです。この想いを軸に新規事業を考えていった時、今までの工程上破棄していたものを、ペットフードにしていこうというアイディアが生まれました。誰にも負けない強い想いを持っているからこそ生まれた事業なんです。

協働の中、ポジティブ会話や空気の中で様々なアイディアが出て、やがてそれが事業の形になり、自分達の想い自体にも価値があるんだと気付いていただけました。それから改めてポジティブな空気づくりを意識してやってきてよかったとも思いました。ポジティブな空気感は、やっぱりプロジェクトの進み具合や成功確率を左右しますから。

STORY:AKR Food Company株式会社 松元 亜香里 氏 -黒豚への強い想いを形にし、付加価値をつけた商品開発の挑戦-

自己認識のアップデートが成長の鍵。その一歩を踏み出す実行力が何よりも重要。

ーー伴走先へのインタビュー「STORY」では、プロジェクトに参加した社員の皆さんの変化もよく話題に上がりますが、お二人から見た協働先の「人の変化」はいかがですか?

藤村:それでいうと、伴走先の皆さんだけでなく、自分自身も成長・変化させてもらっていますね。

直近では、山岸製作所さんの次世代リーダー育成プロジェクトは特に印象的です。次世代リーダープロジェクトは、経営幹部の育成に悩む地域企業様にむけたプログラムで、協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成、意識の変革を目指していくというもの。

このインタビューの中でも「事業を作る人を作る」というミッションの中で、人との関わり方が変わってきたという話をしました。まさに、こういった変化のきっかけをくれたプロジェクトが、山岸製作所さんの次世代リーダー育成プロジェクトだったんです。

メンタリングの伴走をする中で、幹部の方が「自分と会社の存在意義」「自分が本当にここでやりたいこと」の意識を持つことができた瞬間を見ることができました。その意識が生まれたことで、会社の中で仕事・チームに対する全体の振る舞いも変わっていく……こういった変化を一緒に体験させてもらったのは大きな経験になりました。

ーーなるほど。一般的に、若い人のほうが柔軟性があって変化しやすいとも言われますが、経営幹部中堅のマネジメント層の変化を実際に見て、必要だと思ったことポイントはありますか?

藤村:経験豊富になってきた中堅ならではだと思いますが、どのように情報を捉え直して、目線を合わせていくかが重要なことだと思っています。「境目」の話とも似ていますが、壁を誤解して捉えていることが多いんです。見えている壁は自分が作り出したものであって、実は周りは壁だと思っていないかもしれない。

そもそも、自己認識と現状認識を俯瞰して把握することは誰にとっても難しいことです。もちろん私にとっても難しい。

たとえば同じものを見ていても、人によって見え方は違うじゃないですか。それぞれの背景や感情の違いがあるので、違うものが見えること自体は当然なんです。そこで、あらためて他人のことを慮るように意識すると、最終的には他人からは自分がどう見えているのか見えるようになってくるんです。

他人の眼鏡を借りて自分を見ることで初めて自己認識がアップデートされる。先ほどの例でいえば、自分の周りに壁なんてなかった、ということに気づくことができるということですね。

プログラムを受けてくださった山岸製作所の奥永さんも、まずは自分自身に向き合うところから始めました。

自分は何者で、何がやれて、何がやりたいのかを整理して、次に仕事でのメンバーとのコミュニケーションの中で、相手が奥永さんの言葉に対してどういう風に感じると思うか?どんな反応、どんな質問が返ってくると思うか?ということを私が質問する形で考えていただきました。

そうすると、自分の言葉に対して他人がどうリアクションするか、徐々に傾向を掴めてくるんですね。つまり、「奥永さんってこういうこと言いがちな人」と思われている、であったり、自分の意見はこう受け止められがちだなみたいなことに気づかされるわけです。そうしていくうちに自己認識も変わっていって、振る舞いやコミュニケーションの取り方もそれに合わせて変えていくことができるんですよね。

STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-

私自身も同じように、協働を通じて「人から見える藤村」を認識することができるようになっていて、藤村ってこういう特性があって、こういうところに得意領域があるよねということが自分自身で分かるようになってきています。

自己認識と現状認識、誰の眼鏡で誰を見るのか、きちんと焦点を当てられるようになることが、その人の成長につながる重要なポイントになると思います。

ーー若山さんから見た「人の変化」についてはいかがですか?

若山:色んなことの境目・垣根がなくなって、働き方も柔軟になったからこそ、最後にものをいうのは実行力だと思っています。例えば、私が担当させていただいていた協働先の大島屋さん。こちらも大島紬の織元さんですが、代表の佐藤邦弘さんが大島紬を織って、奥様の佐藤ゆかりさんが事業を支えるという、ご夫婦で二人三脚の経営をされていました。

品物自体はすごく素晴らしいものを作られているので、あとはどうやってお客様に魅力を知っていただくかという議論をしていました。

魅力を知ってもらう方法の1つとして、写真の撮り方を変えようという案が上がりました。 どうしてもインターネットでのEC販売になってくると、見せ方一つで魅力の伝わり方が変わって、売上にも影響が出ますから。

ゆかりさんは、専門家でもなければ写真の経験もなかったので、魅力的な商品の見せ方をしなきゃいけないことはわかっていても、どうやって改善すればいいかもわからないわけです。そこで、魅力的に見える競合他社を中心に、EC上の写真を色々見て、「これはすごくいいよね」「こっちは安っぽく見えるよね」をいう仕分けををしていきました。その中での傾向を分析して、真似して写真を撮ってみたんです。それに対してさらに具体的に、もう少しシワ感があった方がいいんじゃないか、光の加減はこっちの方がいい、もっと寄った写真がいいんじゃないですか、みたいに相談しながら修正していった結果、今ものすごく写真が上手いんですよ。

これは実行こそがものをいう、のすごくいい例だと思っていて。自分には経験がないから、できないものだと思って行動しない人には多分一生できない。分からないなりにも手探りで、1個1個比較して傾向を見つけて、実際に撮ってみたら光の加減の重要性に気付いて……と、取り組むからこそそこから学びが得られるんです。

大島屋さんの反物の写真

藤村:初めは、ゆかりさんも「どうしたらいいですか?」というところからスタートでしたよね。それに対して協働プロから「もっとこうした方がいいのでは」「ここのシワが気になるね」だとか、「この布は光の反射で色味が変わるから、こっち向きの方がいいんじゃないか」みたいに色々意見を出しながら試行錯誤していったんですが、最後にはゆかりさんの方から「こう思うんだけどどう思いますか?」と自発的に意見が出てくる形に変わっていったんです。やり続けることによって意識も変わっていく。協働先の変化をすごく感じたエピソードの一つですね。

協働日本と壁を越えて「ワンチーム」へ。共に良い循環づくりをする仲間になりたい。

ーー事例を元に具体的なお話をたくさん聞かせていただきました。最後に、協働日本のこれからについて教えてください!今後一緒にプロジェクトをしたい企業の方、協働プロとして参画したい……そんな方達へのメッセージをかねて、一言お願いします。

藤村:これから取り組みをスタートするクライアントの方々によくお伝えしているのは、協働プロジェクトは「ワンチーム」でというキーワードなんです。言うのは簡単なんですが、実際ワンチームでプロジェクトに当たることはとても難しいんです。相当意識しないと、フラットでイーブンな形のワンチームにならないんですよね。 

私もプロジェクトマネージャーとしてプロジェクトに入るが多いので、貴方と私とか、御社と弊社、みたいな形にせず、できる限り「我々」を主語にプロジェクトに当たっています。我々の取り組むものであり、我々の課題であり、我々の商品であり、我々のアウトプットだ、と一貫してプロジェクトに当たることで最終的にワンチームの状態になるんです。 

これって、私たちが今日ずっと言ってきた、「壁」の話なんですよ。発注元と発注先、中の人と外の人、というように、自らが勝手に壁を作りあう関係性だと、自ずと「これはそっちの仕事」という考え方になって、ワンチームの概念から離れていってしまう。

我々は自ら壁を作りやすい生き物である、という自己認識を持つと、だんだん壁も溶けてなくなっていくんですね。協働日本との関わりの中で、「壁なんてなかったんだ」と気付く人が増えていく。壁のないワンチームでは、自然とネガティブ・利己的・他責ばかりの環境もなくなっていきます。

そうやって勝手に生まれた、作られた壁を越えていった先にある「ワンチーム」を体験してみたい方、それが自分や自分の会社に足りないと感じた方はぜひご一緒させていただきたいですね。自ら変わろうとする企業の皆さんとの協働を私たちも楽しみにしています。

私たち協働日本も、様々な伴走支援実績の中で、どうやったらワンチームになって「We」の概念を会社の中に生み出せるかというノウハウが蓄積出来てきています。協働を通じて、ぜひ体感いただければと思います。

若山:経営をする上でも組織づくりをする上でも、あらゆる観点から選択肢が多いことはやっぱり有利だと思っています。

個人・組織・会社で色んな状況を見て柔軟に、迅速に判断して行動できる人が勝っていくという話にも似ているんですが、私の大事にしている協働日本の「良い循環」の内側に少しでも早く入っていくことが組織の発展にもつながるのではないかと考えています。最初は学ぶ立場でも、徐々に自分達が還元していく側にも成長していく。情けは人の為ならずじゃないですが、それが更にまた自分達に還ってくる。

協働日本の作る良い循環を作り出していく、その一員になることはすごく面白いと思います。協働日本の循環には、協働先の企業や協働プロ───仲間が日々増えていっています。協働から生まれた循環も大きくなって、目の前に広がる選択肢も増えていく。そしてやがて循環が循環を産んでいく構図になります。

いま企業を経営している方も、協働プロに興味がある人も、自分がその循環の一員になってみるとどう変わるのかを考えても面白いかもしれません。今まで思ってもみなかったような、選択肢や戦略が出てくる可能性があるし、「これって自分の強みだったんだ」とか、「うちの会社の本当に重要な無形資産だったんだ」みたいな気づきが生まれたりもします。

協働日本が、そういう場であり続けたいなと思って日々活動していますし、それこそが私たちが協働プロを続ける理由と言えますね。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

藤村・若山:ありがとうございました!

藤村 昌平 / Shohei Fujimura

(株)協働日本 CSO(Chief Strategy Officer)

大学院卒業後、ライオン(株) に入社。R&D部門で新規技術開発、新製品開発、新ブランド開発を経て、新規事業創出業務に従事。
2023年に独立し、株式会社fucanを創業。

(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

若山 幹晴 / Masaharu Wakayama

(株)協働日本 CMO(Chief Marketing Officer)

大学大学院卒業後、P&Gに入社。ブランドマネージャーとして日本・シンガポールにて従事後、ファーストリテイリンググループブランドのジーユーにて、最年少でマーケティング部長に就任。

協働日本事業については こちら

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今回は、協働日本CSOの藤村昌平氏、同CMOの若山幹晴氏の対談をお送りいたします。
協働日本の創業時から参画しているお二人に、創業当初から現在までの5年間を通して見た協働を通じて生まれた支援先やご自身の変化、協働日本の未来について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

※本インタビューは前後編にてお送りいたします。後編はこちら

物事への解像度を高めることで出てくる「本当にやりたいこと」が、人を動かす。

ーー本日は、協働日本創業時から参画しているお二人にお越しいただきました。よろしくお願いいたします!

藤村 昌平氏(以下、藤村):よろしくお願いします!

若山 幹晴氏(以下、若山):はい、よろしくお願いします。

ーー立ち上げからの5年間でお二人の本業のキャリアも変化してきたと思いますが、まずは当初から現在までの協働日本との関わりや変化についてお聞きしていきたいと思います。

藤村:僕は、協働日本の立ち上げ当初はライオン株式会社に勤めていて、去年独立しているのですが「事業を作る人を作る」というミッションを掲げてプロジェクトに関わっている点はずっと変わっていません。

変化があるとすれば、人との関わり方かもしれないですね。当初は、協働プロジェクトにおいて「売上の数字を上げるためには」「顧客を獲得するためには」「効率を上げるためには」…など、何かしらの目的を通じて、人の成長を支えるようなことが多かったのですが、現在では直接的に人と対話しながらお互いに成長する・させてもらう関係を作ることが増えてきています。

目的や成果を通じてではなく、直接的にその人のやりたいことそのものに対してアプローチする機会を頂けるようになっているのはここ数年で変わってきたことですね。

若山:世界と戦っていく企業がどんどん生まれていく中で、ライオンのように大きな会社は藤村さんみたいな人がさらに中枢になっていくと思っていたから、辞めると聞いたときはびっくりしました。

藤村:ライオンでは新卒から勤めて部長職まで経験させていただいたんですが、さらにその上に上がって組織のマネジメントをすると考えた時に、もう一つ壁があるように感じたんですよね。それをどうやって突破しようかと考えても、道筋がクリアに見えなかったというのもあって、「一旦組織を離れてみよう」くらいの温度感で退職を選んだんです。

だから今でもライオンの仲間たちとも話すし、状況も気になる。でも少し離れて別の経験を積んでみた方がいいなって。

伴走支援先の沼津三菱自動車販売株式会社のショールームにて

ーー若山さんもこの5年間の間で独立もご経験されていますが、ご自身の変化についてはいかがですか?

若山:先ほど少し触れた通り、僕自身も消費財、アパレルと色々経験してきました。2022年2月にポケトーク株式会社が創立されたタイミングで同年3月より同社にジョインしています。

個人としても2021年に独立し、協働日本でも創業期から多くの案件に関わらせていただきながら、様々な業種業態の事業者様と経験を積ませていただいているところです。

藤村:若山さんはずっとマーケティングのプロとしてキャリアを歩まれてきていますが、会社経営も経験している。会社の経営自体も、マーケティングの概念の中に入ってくる部分があるじゃないですか。

いちマーケティング担当・ブランドマネージャーとして働いていた時と、経営者として働くようになってからとでは、マーケティングに対する感覚や考え方がアップデートされたところはありますか?

若山:経営の視点で言うと、組織の話やミッション・ビジョンなど、すごく多角的に見なければいけない中で、おっしゃる通りマーケティング的な考えを持たなきゃいけないエリアが広いなというのはすごく実感しています。

いい人材にミッション・ビジョンに共感してもらって、 組織として強くしていく上でも、やっぱりその人の考えやニーズを捉えながら、どうすり合わせていくかという考え方もまさにマーケティングですし。コストカットの方針を決めること一つとっても、納得感をもってどう伝えていくか。これもマーケティング的な思考がないとうまく実行できない場合があると思います。

どういう角度から見ても、マーケティング的な思考は重要なんだなと思う一方、最近では、もう「マーケティング」っていう言葉を使わなくてもいいのかなと思っていて。

藤村:型すらもう捨てようとしているんだ。(笑)

若山:マーケティングって、語源的には「マーケットを作る」という発想から「マーケティング」と呼ばれているのかなって。でも、これって究極的には「顧客志向」とか「人の気持ち」に根付いてるんだろうなと思うんです。特にAI時代と言われている中で、やっぱり人間じゃなきゃできないことって何なのか立ち返ってみると、「人の気持ち」が全てなんじゃないかなと。

消費行動は突き詰めると人の気持ちを理解することだし、組織作りも人の気持ちを理解することだし……とすると、なんだかそういった人の気持ちに紐つくことを「マーケティング」って、一括りにするのは”便利な言葉”すぎないかなと。

なんだか、もっと具体的に響く言葉を使っていかないと、人も動かないようになってきてるなと思うことがあるんですよね。

ーー若山さんは、「マーケティングのプロ」として協働日本の伴走支援に入られていると思いますが、そういった部分もプロジェクトの中で実感されているのでしょうか?

若山:そうですね。「マーケティング」という言葉を使わず、「お客さんの理解を深めましょう」という言い方でもなんとなくやるべきことは理解はできるじゃないですか。このような表現の方が今は効果が出やすいと感じるんですよね。一言で「マーケティング戦略」と言うのではなく、「これから考えるのは顧客戦略で、まずは顧客を理解して、どういう人たちを狙うのか」というような言葉に置き換えるんです。

そもそも僕にとって、協働日本での伴走支援は「循環」だと思っていて。自分がもらったもののバトンを渡していきたいという考えがあるんです。「マーケティング」という言葉に対して、なんだかすごそうだけどよくわからないものという印象を持っている方が実際にいらっしゃるので、「こういうところから始めれば良いんだ」と気づきを持ってもらえるように発信することを心がけています。だから、協働日本のセミナーなどをきっかけにマーケティングの考え方に興味を持って仕事のやり方を変えていったと言っていただけることがあると嬉しいですね。

この「循環」ってポジティブなものでなければいけないと思うんです。利己的・ネガティブな感じになると回らなくなる。やってみたら結果が出た、人が変わっていった、いい方向に動いた、というようなポジティブサイクルをどんどん作りたいと思っています。

ーー理想的な考え方である反面、わかっていても実践が難しいという方も多そうですが、意識してポジティブにしていくために使っている言葉や振る舞いはありますか?

若山:そうですね。常に自分がポジティブでいることを心がけています。協働日本に相談してくださる方は、現状に対しなんとなく不安や心配を抱えていることもあるので「大丈夫です、こういったところから始めていきましょう」と僕側がポジティブに振る舞うことでまず安心してもらって、前向きに取り組んでいく基盤作りをするイメージですね。

伴走支援先の企業は、業種的にも、機会的にもどうしてもお客様と直接相対して来られなかった方が多いんです。なので、伴走支援に入って一緒にプロジェクトを進めることで、お客様なくしてビジネスは成り立たないことを常に考えていけるようになる、ということを僕の提供価値にしていきたいと思っています。

ーー藤村さんも、伴走支援の中で意識されていることはありますか?

藤村:協働日本の中では顧客企業毎に協働チームを組成して進めていくわけですが、チームにアサインされた顧客企業側のメンバーが持ちやすい、”やらされている”という感覚をいかに排除するかには気を遣っていますね。

この「やらされている感」が生まれてしまった瞬間に、全部なし崩し的に、「もう上の方で決めてください」とか、「協働プロの皆さんが決めてください」みたいな……なんだろう、「誰かに決めてほしい」という空気が出てくるのが良くないと思っていて。

プロジェクト単位でもそうなのだから、組織や会社などの単位でもこういった空気が出てきてしまうとすると、すごくネガティブなループに入っていくと思うんです。 

でも、過去自分の仕事を振り返ってみた時に「やらされてる」っていう感覚がなかったかと言うと、”あった”ケースもあるので、いたしかない部分があることも理解できますが。

若山:人って多分、わからないことに対しては恐怖を感じて、能動性を持てないところがあると思うんです。それがやらされてる感にも繋がるんじゃないかな。

伴走支援の中で、「こういうことやっていきましょう」という話になった時に、「なんでこれをやるんだろう」とか「これをするとこんな良いことがある」という理解がないと、やっぱりやらされている……ただのtodoタスクになってしまう。

だから「こういうことをやっていきましょう」の後に僕たち協働プロは「なぜそれをするのか」という意義をきちんと解いていくための対話をするんですね。「こうですかね?ああですかね?」「でもこういう視点もありますよね」「なるほど、じゃあこれをやるっていうことはこういう意味があるのか」───という風に、プロジェクトメンバーそれぞれの腑に落ちた瞬間に、やらされ仕事じゃなく、自分の仕事になっていくように感じています。

藤村:そうですね。これって若山さんがさっき話してくれた「便利すぎる言葉じゃ人は動かない」にも繋がるんじゃないかと思っていて。

色んなものが便利になって、色んなことをやらなくて済む、AIがやってくれるって世界になればなるほど、人は自分で考えることをしなくなっていく部分があると思うんです。

でも、「やりたい仕事」って誰かに与えられるものではなくて、自分で作らなくてはいけないものだから、自分の気持ちに素直になって自分がどう考えているのかを表現して「やりたいこと」を明確にして作り上げていくことが重要です。だとすると、プロジェクトマネジメントする側からも、「これを聞いてどう思う?」など相手に話を聞いて、本心を引き出す必要もあるんじゃないかなと思います。

ひたすらに深掘りしていって、リアクションを読んで……ということを積み上げていくことで、伴走先の皆さんの本当にやりたいことが見えてくる。小さいところから、この「やりたいこと」を繋げて作り上げていくことで、最終的に商品やサービスを届ける先のお客様や、協力を仰ぎたいパートナーにも「いいじゃんそれ、面白いじゃん」って共感していただけるようになると思うんです。

境目が溶けてなくなった世界で求められる対応力。どう補い、高めるか?

ーー協働日本に参画した当初に見えていた景色と、今見えている景色についてお伺いします。当時思い描いていた5年後の世界に、今たどり着いた的な感覚があるのか、あるいは変わってきたという感覚があるのか、お二人の思うギャップを教えていただけますか?

若山:大きなギャップはないかなと思います。ただやはり、プロジェクト型で進む仕事、土地が離れていても同じ目的に向かって歩む人たちの在り方や働き方は当初よりも自然になってきているので、協働日本のプロジェクトについての説明コストが低くなっている感覚がありますね。今どき当たり前という感覚で、抵抗感がなくなってきている。

5年前は協働日本のプロジェクトを説明するときに、働き方や頻度など、プロジェクトや事業と直接関係ないところでの疑問を持つ方も多かった。前提条件が変わってきている印象を受けます。

藤村:元々勤めていた会社の中での働き方も大きく変わったタイミングでしたしね。境を越える───「越境」という考え方が日本の中で根付いてきていると思います。やはりコロナ禍を経て変わってきているという印象ですが、僕の中では、「越境」というよりは「境目がなくなってきている」と考えています。

業界の境目、距離の境目、全て溶けてなくなってきている。誰かが溶かしているのではなく必然的に溶けていっているんです。それこそ、距離的な壁はオンライン会議の普及でほとんど問題にならなくなりましたよね。コロナ禍で今まで「当たり前」だと思っていた動き方ができなくなって、違う方法を模索してみると案外これまでより便利なことに気づいたことって皆さん大なり小なりあると思うんです。消費者の消費行動も、企業の働き方やアプローチの仕方にも同じことが言えます。

つまり、そもそもコロナ前にあった壁や境目自体、実は自分が勝手に思い浮かべていただけのものだったんです。壁があると思いながら近づいていったら、実は壁なんてなかったという経験が現場でもう4〜5年続いていて、これまでいかに自分がバイアスの壁に縛られていたかに気づかされました。

若山:「境目がなくなる」というのはまさにその通りですね。境目がなくなってきたことで、これまでの「ここからここまでできれば良い」という範囲もなくなって、どういう状況下でも最大のパフォーマンスを出せないと生き残れなくなってきているように思います。個人も、経営者も、状況への対応力が問われていて、的確・迅速にできる人が生き残っていく。

先ほど藤村さんが、壁を破るための経験をもっと積みたいという話をされていましたが、これもやっぱり「境目がなくなった」ことにも関係するのかなと思っていて。僕ももともと消費財メーカー出身で、その後アパレルで小売や製造を経験して、今はIT系の分野でも仕事をしていますが、思い返すと「その時には思いつかなかったけれど、今の知識や経験を持っていたらもっとこうしていたな」と思うことがたくさんあるんです。経験の中で選択肢が増えているんですよね。 
一社に留まっているだけでは出てこない判断ができるようになっている実感があるわけです。

そこで湧く疑問が、例えば新卒から1つの業種や業態を極めつつ、副業的に引き出しを増やしていくことができれば、業種業態を超えた横の経験が蓄積されて経営判断にも活かせるようになっていくのか?ということです。それともやはり転職や企業など、働く場自体を変える必要があるのか……。

藤村:「時間のシェアとマインドのシェアが1番大きい」組織に、思考パターンが引っ張られやすくなる部分はどうしてもあると思いますね。

例えば、消費財分野のマーケティングって、やっぱり商品があって、競合がいて……と、コミュニティ化されてしまっているから、その中においては対エンドユーザーの戦略よりも対競合の戦略勝負になりがちです。そうやって競合のことばかり分析したり考えたりと、必然的に視野が狭まってしまう。

良い悪いということではなく、一つの組織に留まり続けると、どうしても狭い視野のままになってしまう部分はあるかもしれない。

若山:競合と自社を比較分析して戦略を立てる中でも、市場で勝っていくためには市場破壊するようなイノベーションを起こすか、もしくは他社に起こされた時に一歩でも遅れを取らないことが必要です。

同じ業界だけで新卒から上がってきた人たちだけでは気付くことができないような新たな視点を取り入れてイノベーションを起こしていかないと、企業の成長戦略は描きにくくなっているんじゃないかなと思います。

そういった視点を獲得するために必要なのは転職か?副業か?という疑問を改めて考えても答えはないと思うんですが、少なくとも企業の発展のためには人材や考え方の交流を増やしていかなきゃいけないし、コロナ後の市場の変化によって必須になってきている感じがありますよね。

藤村:そういった部分を鑑みても、複業人材を活用することは効果的かもしれませんね。企業にとっては、色んなバックグラウンド、専門性を持つ人材を適材適所で活用していくことができる。複業人材側はこれまで触れることのなかった分野についても経験を積むことができるので、対応力が上がっていく。それをまた自社に持ち帰ったり、別の複業先に還元したりしていくことで、実際に若山さんの仰るようなポジティブな循環が生まれていきます。

後編へ続く

藤村 昌平 / Shohei Fujimura

(株)協働日本 CSO(Chief Strategy Officer)

大学院卒業後、ライオン(株) に入社。R&D部門で新規技術開発、新製品開発、新ブランド開発を経て、新規事業創出業務に従事。
2023年に独立し、株式会社fucanを創業。

(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

若山 幹晴 / Masaharu Wakayama

(株)協働日本 CMO(Chief Marketing Officer)

大学大学院卒業後、P&Gに入社。ブランドマネージャーとして日本・シンガポールにて従事後、ファーストリテイリンググループブランドのジーユーにて、最年少でマーケティング部長に就任。

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実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社いやタクシー  代表取締役の森山 雄宇氏にお越しいただきました。

有限会社いやタクシーは、1961年創業のタクシー事業を中心とした交通インフラ企業。車が今ほどあまり普及していない頃から、地域の”足”として地域に貢献してきた、いやタクシー。

自家用車が普及して需要が右肩下がりになる中で、2000年頃からは貸切バスや路線など複合的に交通インフラに対応。どうしてもドライバーに負荷のかかってしまう従来のビジネスモデルから脱却し、生産的に無理なく、待遇や働く環境を良くするために自社独自のビジネスモデルを作っていきたいと考えるようになった森山氏。そんな中で協働日本と出会い、協働プロジェクトを通じて、社内改革を進めています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを続けてきたことによる成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「幹部育成」の悩みのテーマの背景を整理して行き着いた、組織改革の最初の一歩。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは協働をスタートしたきっかけについて教えてください。

森山 雄宇氏(以下、森山):はい、よろしくお願いいたします。

協働日本を知ったきっかけは、商工会の指導員をしていた知人からの紹介です。以前から、実態として幹部・管理職がいないことが自社の課題としてあったため、育成していきたいということを相談していたんです。その方がスタートアップ系のコミュニティ事務局をしていることもあり、協働日本の取り組みについてご存知で紹介を受けました。

協働日本の伴走支援は、伴走する中で企業に本質的に必要な考え方をインストールするようなイメージだとお聞きし、今この瞬間も、先を見据えた時にもリソースが足りない課題を抱えている弊社にはぴったりの取り組みではないかと思い、詳しくお話を伺いたいとお返事しました。

その後すぐに協働日本代表の村松さんをご紹介いただいて、メッセンジャーやお電話で丁寧にお話しをしてくださり、疑問点が解消されたことで協働を決めました。

ーー実際に伴走支援がスタートしてからはどのようなプロジェクトを進めているのでしょうか?

森山:プロジェクトとしては、組織改革全般に取り組んでいます。協働プロとして協働日本CSOの藤村昌平さん芹沢亜衣子さん、そして協働サポーターとして山本さんに入っていただいています。最初の段階ではまず、自社の課題を整理していったのですが、管理人材・幹部・管理職というポストの人材がいないこと以外にも、そもそも社内でのキャリアアップの流れも作れていないことなどが可視化されていきました。

例えば、私が受け持っているミドルマネジメント的な業務も属人化してきており、人に渡せるように仕組み化するべきという課題が見えてきたんです。いわゆる文鎮型で成り立ってしまっている組織なので、このままでは将来的な発展が難しく、改めて適切なポストや人材育成を行う重要性を言語化することができました。

また、社員側の業務についても、生産的にリソースを使えているかを改めて整理したところ、現状の給与体系は歩合の割合も大きく、新しいことに自発的に挑戦しにくい環境であることがわかってきました。

元々将来的には固定給を取り入れていきたいと思っていたので、モチベーション高く仕事をしてもらうために給与体系の変化や、評価制度の策定も必要だという話が持ち上がったんです。

段階を追って1つ1つ着手することになり、まずは人材育成からという方針で進めていく中で、自社の考え方を整理し、評価の軸となるものが必要ということで、パーパスや、ミッション・バリューを言語化していって社内に共有することになりました。

こういった組織改革については、これまでも試行錯誤していた部分ではあったんですが、打ち合わせを重ねる中で「やはり必要なんだ、ここに行き着くんだ」と思いましたね。
自分でも10年くらい前に経営理念を考えて提示したこともありましたが、社員の腹落ちしない言葉を掲げてもあまり浸透せず……自分の中で熱が落ち着いてしまっていた部分だったので、根本的なことから改めて取り組むことができてよかったと思っています。

パーパスやミッション・バリューなど、会社の軸となる部分が出来上がってきてからは、評価制度の中身を詰めていくことや、業務の切り分け──属人化してしまっている私の仕事の中で、誰かに渡せるものはないかという整理を進めていっています。

社員と作り上げたパーパス。全体の理解度・腹落ち感が向上することで組織が進み始めた。

ーー実際にプロジェクトの中でできたパーパスやミッションなど、成果としてはどのようなものが出来上がったのでしょうか?

森山:まず着手したのはミッションからでした。タクシー事業や観光事業など今までやってきたことを軸に、自社の使命とは何かを言語化したものが「移動や交流を通じて人々の日常を豊かにする」です。

このミッションが出来上がった時、社員に向けてプレゼンをしてフィードバックをもらうようにしました。社員にとって腹落ちしない言葉では浸透しないので、協働プロとの壁打ちの中でどうやったら社員の皆に想いが伝わるか、言葉選びや説明の仕方もサポートして頂きました。

次にできたバリューは「地域社会にとって不可欠な企業として、人々の日常生活をさらに豊かにするために持続可能なサービスを提供し続ける」です。

こちらも同じように社員に向けたプレゼンとフィードバックをもらいました。

結果的に、これまでで一番丁寧に社員に向けた説明ができたという手応えがありましたし、実際社員の反応もよかったんです。フィードバックの中でそれぞれの想いを言葉にしてくれていたので、それをヒントにパーパスを策定していきました。

ーー社員の皆さんの声も取り入れながら作り上げていったのですね。

森山:そうですね。これまでは、私が作ってから社員に伝えようと考えていたのですが、社員に伝えながら段階的に作っていけたことがよかったです。

フィードバックをもらうことで、私の説明からきちんと伝わったこと・伝わりにくかったことだけでなく、社員のこだわりやそれぞれが大事にしているものなど、インサイトが次々と見えてきたんです。

例えば、10年後どうなりたいか?という質問を投げかけたところ、若手の意見として「この業界で働いている先輩の描く未来図が気になる。先輩たちがやりたいことを、自分達の代で成し遂げたい」という言葉が出てきたんです。ベテラン達に10年後を問うても、引退しているかもしれないし……と消極的になりがちなのですが、この若手の言葉を聞いたベテランの皆さんも「自分達の思いを継いでくれる存在がいるなら」と自分ごととして10年後の未来を捉えて意見を出してくれたんですね。

創業から60年以上、事業をつないできた先輩達がいるから今があり、未来がある。その感覚を社員たちで共有することができて、ベテランも含めて改めて未来の話をすることができたのは大きな成果だったと思います。

そんな社員の想いを落とし込んでできたパーパスは「営みを繋ぎ豊かさを支える」です。

ーー素敵なパーパスですね。

森山:ありがとうございます。いやタクシーは元々まちのタクシー屋さんなので、この地域に自社しかいない存在──住民にとってのインフラを担っているのだという揺るぎない自負が私達にはあります。

もし我々がタクシーをやめてしまったら、ここはタクシーのない地域になってしまう。今後新たなタクシーの参入もおそらくないと思われ、民間の事業者の努力だけで保たれていた地域の利便性が下がってしまう。そうすると、地域の衰退につながるのは自然な流れです。

今では収益性の高い、バス事業や観光事業など様々な事業を持っていますが、やっぱり私達の事業は、地域の活性化や、このまちが元気な状態でずっと続いていく前提として必要なインフラだと思っています。こういった、社員が共通して持っている自負、地域への想いが「豊かさを支える」という言葉に繋がったのではないかなと思います。

このように社員の理解度・腹落ち度などは確実に上がってきていることが目に見えるようになりましたし、指針ができたことで次にすべきことも明確になって、組織として進み始めた実感を持つことができています。

ーーこういった経営理念の策定や幹部育成は、元々試行錯誤されていたテーマでもあったと思います。伴走支援が入ったことによる変化や学びはどのようなところにありましたか?

森山:そうですね。一番大きな学びとしては、アプローチの仕方が変わってきたことかなと思います。先ほどの、ミッションやパーパスを段階的に説明してフィードバックをもらっていくという手法もそうです。

幹部育成のテーマにおいても、これまでも幹部候補を育成しなくてはと思って、「右腕」として人材を配置したことはあったんです。ところが、これがなかなか上手くいきませんでした。
協働プロと話をしている中でわかってきたのは「右腕」のポストであると社内に周知されていると、ポストに就いた方にはプレッシャーなど見えない負荷がかかってきやすいんですよね。そうすると、どれだけ能力の高い人であっても伸び悩んでしまったり、折れてしまうことがあってもおかしくありません。
その人が元々持つ能力に注目するだけでなく、「育っていく仕組み」「環境」も伴わないとうまく育たないんだ、というご指摘をいただきハッとしました。

逆に言うと、現時点での能力の高さよりも、仕組みや環境の方が大事なのではないかという気づきがありました。「右腕」を育成したいとしても、一人だけに負荷のかかるようなことがないように進めないと、人材も育たないという発想に変わったんです。

こういった、仕組み次第で育成できるのではないか?ということに気づくことができたのは自分の中での大きな変化だったと思います。

そんな気づきもあって、現在はポストや役職にこだわるのではなく、業務ごとに私の仕事を整理して社員に任せていくように変わってきました。
現在は、将来的なリクルート面も見据えて、人事制度の策定について伴走支援をしていただいています。


現在は、私と妻とでプロジェクトに参加させていただいているのですが、先々には幹部候補のメンバーも同じようにプロジェクトに入ってもらい、協働プロの皆さんにメンタリングしてもらうことができれば、グッと経営意識が伸びてくる人もいるんじゃないかと感じ始めています。やっぱり外部の人の声の響き方は違うと思うので、活用させていただきたいですし、早くそこに到達できるように進めていきたいと思っています。

協働の中で長期的視点での人材育成のためにも、複業人材の活用で経験を自社にインストールしたい。

ーー複業人材の取り組みについて、これまでもご興味はおありだったのでしょうか?

森山:はい。前に他社の複業人材のマッチングサービスも使ったことがありました。自社で新たに人材を獲得したり育成したりすることは難しいので、外注でサポートを得るしか選択肢がありませんでした。

1年間の契約の中で新しい考え方を取り入れることもできましたし、複業人材の活用により、もっと本質的な変革のための知識・経験のインストールやリソース作りができたらいいなと思うようになりました。

ーーなるほど。それで協働日本の伴走支援にもご期待いただいたのですね。今後このような取り組みは広がっていくと思われますか?

森山:そうですね。特にこれから生産性を高めたい、事業をスケールさせたいと考えた時、弊社と同じように、中小企業でいきなりスキルを持った人材を獲得することは難しいと思うので、協働日本のような複業人材のサポートで得た経験や知識を将来的な人材育成や獲得に活かすしか思いつかないくらいです。

同じような悩みを持つ経営者の方が身近にいれば、ぜひ協働日本さんとの取り組みの輪に入っていただくことをおすすめしたいと思います。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

森山:非常に信頼できるサポートをしていただいていると思っています。約1年間のスケジュールを流れの中で組んでいただき取り組んできましたが、いよいよ来月には来社いただけるということで、実際にお会いできることをとても楽しみにしています。

オンラインで毎週1回という部分もとても良いですが、それ以外にもこうやってお互い負担のない範囲で対面できる機会を作っていただくこともできるのは嬉しいですね。これからもよろしくお願いいたします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

森山:ありがとうございました!


森山 雄宇 / Yu Moriyama

有限会社いやタクシー 代表取締役社長

島根県松江市出身、在住。大阪で輸入小売販売業に従事し、マーケティングや顧客対応、マネジメントのスキルを磨く。2009年に家業であるいやタクシーに入社し、地域交通を支える多角的な事業展開を推進。創業事業であるタクシー事業を軸に、地域のコミュニティバス、貸切バス、旅行業といった多様な業種・業態で、地域における持続可能なビジネスモデルを模索。業界に先んじて最新型リフト付き車両を導入し、「地域交通のユニバーサルデザイン化」を目指したインフラ整備に注力する。

時代の変化に伴い、従来の待ちの営業から脱却し、自社独自の企画やコンテンツの開発を通じて、新たな挑戦を続ける。地域と共に歩み、交通を通じた日常の豊かさを追求する。


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STORY:株式会社こみんぐる 林俊伍氏 -協働パートナーとしてともに成長へ。半年待ちの人気プログラム『Workit』を共同開発-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社こみんぐる  取締役の林 俊伍 氏にお越しいただきました。

株式会社こみんぐるは、「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」をテーマに、石川県金沢市で宿泊業をはじめ、さまざまな事業を展開している「地域総合商社」です。

コロナ禍で大打撃を受けた宿泊業。こみんぐるも例外ではなく、事業の立て直しと並行して新たな事業を創造する必要性に迫られていました。

そんな中、協働日本との出会いから、共同で新規事業開発をスタート。そうして人材育成を通じた企業のコンサルティングプログラム『Workit』が誕生し、現在は参加まで半年待ちの大人気のプログラムになっています。

インタビューを通じて、協働プロジェクトを通じた成果、変化や得られた学び、これからの期待と想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

既存事業のブラッシュアップだけでなく、「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」の思いを叶える新規事業立ち上げにも伴走

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

林 俊伍氏(以下、林):はい。協働日本と出会う前からずっと、こみんぐるは金沢市で「旅音」という貸切宿の運営を中心にした、宿泊業・イベント運営などを行なっていました。

そんな中2020年にコロナ禍に突入してしまい、同年の4月には通常は月1,500万円あった売上が0円になるような状況に。この経験を経て、これはまずいと。

これを機に、一度立ち止まって考えてみることにしました。目の前の宿泊業のブラッシュアップも重要だけれども、そもそもこみんぐるは「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」をテーマにしている会社。

そのためにすべきことはいまの宿泊業だけではないよな、という思いもあって。以前から大切にしていたこのテーマに向き合える事業を作りたいと考えるきっかけにもなりました。

実現に向けたアイディアは色々あったものの、それを実際に事業の形にするに当たっては、いろいろと悩む部分がありました。そんな時に、同じ金沢市の事業者である四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介で協働日本と出会いました。

さっそく協働日本代表の村松さん、CSOの藤村さんとZoomで話をしてみたところ、「こみんぐるの大切にしているテーマの、本質を捉えた事業を一緒に作れる人だ」と直感的に感じすぐに協働を決めました。

ーーなるほど、経緯もよく分かりました。協働の取り組みはどんなことからスタートしたのでしょうか?

林:まずは、こみんぐるの主事業である宿泊業の「旅音」のブラッシュアップからスタートしました。オンラインを中心に、ときには金沢にもお越しいただきながら、議論を深めていきました。

他にも、2021年から石川県珠洲市で始めた「現代集落」のプロジェクトについても、協働日本に伴走していただきながら作っていきました。

「100年後の豊かな暮らしを実験する自給自足の村作り」と題して、水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を、先人の知恵とテクノロジーで実現できないか、様々な取り組みをしています。

こちらは、株式会社こみんぐるとは別に「株式会社ゲンダイシュウラク」という会社組織を立てて引き続きプロジェクトを進めています。

そうして並行し、先ほどお伝えしたような思い「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」を実現する新規事業のアイディア、異業種交流型の2泊3日課題解決ワークショップ「Workit」の立ち上げについても伴走していただきました。


ーーこれまでも様々な企業や協働プロからも話に上がっていた、協働日本との共同事業『Workit』もこうした取り組みの中で生まれたのですね。

林:そうです。Workitは、実際の地元企業の経営課題をテーマに、地元企業の社員とプログラムに参加する都市圏の大手企業の社員が、知らない人同士でチームを組み、その地元企業の社長が毎日悩んでいる抽象的な経営課題について2泊3日で向き合って、時にフィールドワークをしたり講師と壁打ちしたりしながら、最終日には練り上げたアイディアを社長に対してプレゼンするというプログラムです。

協働が始まった当時、藤村さんはライオン株式会社の新規事業創出を担当されていたのですが、大企業の中では経営者に直接アイディアのプレゼンをしてフィードバックをもらう機会を作りにくかったり、直接現場に出向いて顧客の声を聞いて情報を集めることの重要性が伝わりにくかったり、という実感があったようです。

どちらも新規事業を企画するにあたって重要な経験になりうる一方、机上の空論・言葉だけでは伝わりにくかったり、体験できるワークショップなども質の良いものがなかなかなく、その機会として”模擬経営”の機会を作りたいというアイディアをもたれていました。

そのアイディアも、こみんぐるのフィールドを使えば実現可能ではないかと考え、一度一緒にやってみることにしたんです。

振り返ってみると実はこの時、僕自身も、こみんぐるの代表である僕の妻も、Workitのコンセプトにあまりピンときていませんでした(笑)それでもまずは一度やってみようと。

こみんぐるの運営する貸切宿「Kanazawa旅音」を拠点に開催される『Workit』。24時間貸切だからこそ、集中して取り組める。
ーーそうだったのですね!ピンときていなかったのにも関わらず、まずやってみようと思えた理由はなんだったのでしょうか。

林:単純に、協働日本の皆さんが絶対にニーズがあるという確信を持っているように見えたからです。

まずはじめに講師役として、協働日本の藤村さんに協力していただきました。

参加者を集め迎えた初回の『Workit』ですが、蓋を開けてみるとものすごく盛り上がり、地元企業の方にも参加者の方にもとても喜んでいただけたんです。この盛り上がりを見て「これはやっていける」と感じて、本格的に事業をスタートすることにしました。

Workitでは、地元の企業と、都市圏の大手企業のそれぞれから参加費用をいただいてプログラムを実施しています。地元企業にとってのメリットは、次世代経営者の育成ができるという点。

地域企業の社長たちは、皆常に抽象的な課題と向き合って悩んでいるんですが、Workitの間は、地域企業の社員たちが同じように自社の課題について本気で悩むのがポイント。

2泊3日という短期間とはいえ、社長と同じように悩み、自社の課題に本気で向き合う経験をすることで視座がグッと上がるんです。加えて、プログラムを通じて本当にいいアイディアが出てくるかもしれない点も、魅力に感じていただいています。

一方で、大手企業側にとっても大きなメリットを感じていただけました。

新規事業を任されたものの、これまで営業や研究といった業務領域にしか詳しくない方たちや、マネージャーになったばかりの方が参加。「事業を作る」という実体験を踏まえて、視座を高めて帰っていきます。

プログラムのテーマとなる経営課題を提供してくれる地元企業の社長さんは、お金を払ってでも会社の未来をこの人たちと作りたい!という想いで社員を送り込んでくれるんですよね。この本気の熱量は、まず大手企業側の参加者に伝播するんです。

すると、今度はそれを見た地域企業側の参加者、社員の方々に火がつく。「うちの会社のことを、俺以上に真剣に考えている」と感じて、自分も負けていられないと本気になっていくんです。相乗効果ですね。

やっぱり、自分の会社の社長に「こういうことをした方がいい」と提案することって、勇気がいるじゃないですか。本当にやりたいのなら、言った本人がやらなくてはいけなくなりますからね。だからこそ、社長の前で「やりたい、やります」と宣言することには責任が伴い、本気の思いでそれを宣言することで魂が震える。

この一連の熱意の伝播こそが、『Workit』の盛り上がる理由であり、短期間でも参加者に多くの気づきが生まれる秘訣だと思います。

参加者がプログラム参加中2泊3日で宿泊するのも、こみんぐるの運営するホテル「Crasco旅音」。個室でとても過ごしやすく、コワーキングスペースも併設。マスコットキャラの「旅猫」がお出迎え。

半年待ちの人気プログラムへ。共同開発した『Workit』のさらなる進化

ーー協働を通じて誕生した『Workit』ですが、プログラムの内容などは少しずつ変わっているのでしょうか?

林:そうですね。開始当初に比べると、随分変わりました。先ほどお話ししていた、プログラムの軸となる立て付け自体は変わりませんが、フィードバックの仕方や、講師役が話をするタイミングなどを少しずつブラッシュアップしています。

初期は「本気の経営会議」という雰囲気でしたが、参加者が増えるに連れ、今は熱量はそのままに「カリキュラム」としてブラッシュアップし、進化し続けています。

ーーなるほど。『Workit』を続けていく中での新たな気づきや工夫ついてもお聞きできますか?

林:はい。まず『Workit』を事業化してしばらくは提供価値の言語化ができておらず、営業に苦戦していたんです。お客さんは皆すごく喜んでくれるけど、それがなぜなのか。先ほど話したような価値が明確になるまでに時間がかかりました。

地元企業、そして大手企業にとってそれぞれどんなメリットがあるのか、『Workit』の魅力を伝えられるようになってからは営業の際の反応も変わり、事業自体がどんどん進んでいったように思います。

当初は、地元企業・大手企業のどちらも自分達で営業開拓をしていたので、苦戦することも多かった。

それが、現在では金沢信用金庫とアライアンスを組み、そこから地元企業を紹介してもらう座組みになりましたし、おかげさまで大手企業のリピーターも増えてきたことで、月1回の開催ができるようになっています。

地元企業も、大手企業も、半年先まで参加枠が埋まっている状態です。

ーー半年待ちとは、大人気のプログラムですね!協働日本とはどんな取り組みが継続していますか?

林:はい。現在でも、年12回のプログラムの半分は協働日本から、 足立紀章さんをはじめとした協働プロの方々に講師としてご参加いただいています。

「共同事業」という形で協働日本と協力しながら、進化を続けていっています。

おかげさまで、売上自体も順調に上がってきていて、メイン事業である宿泊施設「旅音」の営業利益と同じくらいの規模になってきています。
現在、「旅音」の事業も大きく成長していく中においても、今期全体の営業利益のうちの30%くらいを『Workit』が生み出しています。まだまだこれからではありますが、確実に事業一つの柱になりつつあります。

ーーぜひ多くの方に知っていただきたいですね。

林:はい。これからは、地域の事業承継を考えている経営者の方に、もっと参加してほしいと考えています。どうしても、会社を経営していれば次の世代にバトンを渡していくことは避けて通れません。それを見据えて何かしたい、動き始めているという方にこそ『Workit』を知ってほしい。

加えて、同じくらい大手企業側にももっと関心を持ってもらえたら嬉しいですね。いま会社において「問題解決できる」ことは当たり前で、これからは「問題発見できる」人の存在の方が重要だと思います。

言い方を変えれば、与えられた問いを解ける人ではなく、自分で問いを立てられる人を育成していかないと、どこかで立ち行かなくなってしまいます。

だからこそ、会社の未来を担うマネージャー層や、新規事業に携わる層に、『Workit』を通じて「問いを立てる」経験を積んでもらいたいと考えています。

講師役を勤めるのは、新規事業開発のプロたち。経験者との壁打ちでアイディアの精度を高めていくことができるのも、好評。

組織を変えるのは「よそ者、若者、ばか者」?──複業人材の関わりよって変わる地域と会社の共通点。

ーー『Workit』も、地域企業と都市圏の大企業の接点を作ることに寄与していると思いますが、協働日本のような複業人材との関わりが増えることによる、地域企業の発展について、林さんはどのようにお考えですか?

林:その回答には、なぜ『Workit』というプログラムには、大手企業の参加者が重要なのかという理由にも通じますね。

こみんぐるは「100年後にも家族で暮らしたい地域」を作るために事業を行っている企業です。なぜその活動の中に、地域から見たらまったくよそ者の大手企業の参加者が必要なのか。

それは、地域の中だけで閉じるのではなく、外から人が入ってくる入り口──いわゆる関係人口になる人たちの入り口が非常に重要で、金沢において自分達がそれを担っているという認識と自負があるからです。

地域を良くしていくために必要な人材は3もの、「よそ者・若者・馬鹿者」だとよく言われますが、能登半島地震後に再構築が必要になったまちをみると、その必要性を感じるようになりました。何かを変える、革新するためには、いい意味で異質な人を活用することがとても重要なんです。

僕は、地域づくりと会社づくりは、「人」が重要という意味では同じだと思っていて。同じところに住んでいる人が集まった組織が地域、同じ目的に向かう人の集まった組織が会社。

組織を変える、という側面では、地域と会社の構造はとても似ています。だからこそ、地域企業に良い意味で異質な「よそもの」が複業人材として関わってくるようになると、組織が変わっていく。その変化がまた、地域の変化に寄与していく。

協働日本の活動や、僕たちの『Workit』を通じて、関わった複業人材が関係人口となり、地域企業やその地域が進化していくサイクルをもっと生み出していければと思っています。

「100年後も家族で暮らしたい地域を作る」ため、宿運営=「金沢のトモダチ業」をやっているという。いつでも人との繋がりを大切にしている。
ーー地震の影響があった中でも躍進するこみんぐるですが、今後の展望についてもお聞かせください。

林:僕たちは、「100年後も家族で暮らしたい地域」を作るために、地域が持続可能になっていくための事業をたくさん作って、地域の中でキャリアを描けるような仕組みを作るということをやっていきたいと思っています。

宿泊業に始まり、イベントや人材育成に通じるプログラムに挑戦していきましたが、これからはもっと地元の企業の再生に真正面から取り組んでいきたいと考えています。

やっぱり、地域の持続可能性を高めるためには、地元の企業がもっともっと強くならなくてはいけません。『Workit』は人材育成の側面がありつつも企業成長をサポートしてきたプログラム。この事業を通じて感じたのは、今後はもっと僕たちこみんぐる自身も地域企業の中に踏み込んで、伴走していきたいです。

ーーそれでは最後に、協働日本へのエールも込めて一言メッセージをお願いします。

林:「人を育てる」ということには確実にニーズがあります。

これまでも様々な地域に、その地域に根ざした副業人材の活用や伴走支援をする、協働日本のような支援をしていた会社はありました。

一方で、協働日本は地域を跨いでいるのが大きな特徴だと感じています。

協働日本がいてくれることで、どこか特定の地域だけが良くなるのではなく、さまざまな地域でノウハウを横展開することができるのではないでしょうか。

地域企業にとって、潤滑油のような存在となって、積極的に新しいことに取り組めるように支援してもらい、こみんぐるのように事業を創る力を高めていく企業が増えていくことは、それぞれの地域にとってもとてもありがたいことです。

ーーぜひ今後とも協働パートナーとして協働の輪を広げていければと思います!本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

林:ありがとうございました!

林 俊伍 / Shungo Hayashi

株式会社こみんぐる 取締役
株式会社ゲンダイシュウラク 代表取締役社長

石川県出身。金沢大学卒業後、豊田通商株式会社に新卒入社、東京・名古屋での勤務ののち退職。愛知県の私立高校で非常勤講師を勤めた後、2016年3月に金沢へ帰郷。2016年5月、妻の佳奈とこみんぐるを創業。

地域社会の持続可能な発展に貢献し、100年後も家族で暮らしたい地域を作る」ため、『こみんぐる』を経営。金沢市内に貸切宿『旅音』を23棟経営。

2020年夏、石川県珠洲市の真浦集落で空き家になっていた古民家を購入したことをきっかけに、現代集落プロジェクトを始動。株式会社ゲンダイシュウラクを設立し、過疎化対策の施策としてではなく「限界集落」を「現代集落」に変えることを目指し、「100年後の豊かな暮らし」の在り方を模索、実験している。

趣味は柔道と美味しいものを食べること。

協働日本事業については こちら

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「Workit」の事例についてはこちらもぜひご覧ください。
STORY:チャンピオンカレー 南恵太社長 -自社経営幹部の伴走相手として経験豊かな複業人材を活用。実感した大きな「変化」とは-
VOICE:足立 紀章 氏 -「変化したい経営者」を支えたい。地方の垣根を越えた人材交流で成長の芽を生み出す。-


STORY:有限会社三吉商店 石橋隆太郎氏 -70年続いた会社を守る、使命と覚悟。もやしの食シーンに新たな付加価値を-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社三吉商店 代表取締役の石橋 隆太郎氏にお越しいただきました。
三吉商店は、1953年創業のもやし製造会社です。

日本の食卓ではお馴染みの「もやし」ですが、人口減少に伴う消費量の低下や原料種子高騰、後継者不足など環境の変化を受け、この30年間でもやし製造会社は300社ほどが廃業に追い込まれています。

今では北陸三県で唯一の「もやし屋さん」となった三吉商店は、もやしだけではなく「もやしを食べるシーンに付加価値をつけたい」という想いで新規事業をスタート。

もやしを美味しく食べるためのドレッシングの製造・販売という、もやし製造会社の新たな挑戦となるプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

もやしを食べるシーンに新しい価値を。事業の黒字化に向けて協働日本の取り組みをスタート。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、これまでの事業の歩みや協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

石橋 隆太郎氏(以下、石橋):はい!よろしくお願いいたします。

三吉商店は、私の祖父が創業して70年を迎えた所謂「もやし屋さん」で、私で3代目になります。経営を引き継いでからは、日本の人口減少に伴う消費量の低下により、売上が低下していくリスクに直面。新しい事業に挑戦する必要性がありました。

もやし製造会社でよく行われているのは、もやしの製造販売の傍らカット野菜を販売する事業ですが、これはすでにレッドオーシャンとなっています。
そこで改めて一から「もやしの価値ってなんだろう?」と考えて、ついに至ったのは「もやしを食べる場面自体に付加価値をつけよう」というアイディアでした。

もやしの特徴である「味がないところに味がある」──どんな味にも変化し、食感を加えることができるという点に着目し、その味付けをするための調味料を作ることにしたんです。

そうして出来上がったのが、完全無添加にこだわった「nohea」という調味料ブランド。ドレッシングをはじめ、焼肉のたれやパスタソースなど色々な種類の調味料を作りました。出だしの売れ行きは好調で、大手の高級志向のスーパーにも置いてもらえて毎月の売上も800万円ほどあったのですが・・もやし以外を売るのは初めてだったこともあり、流通の仕組みや売り方などの設計が上手くいかず、その内情としては赤字続きという結果でした。

さっそく営業体制を変えるなど試行錯誤してなんとかやりすごしてきましたが、70年続いた会社の事業が上手く行かなくなっている現実に、先代、先先代に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。協働日本を知ったのはちょうどその頃で、石川県主催の経営塾で同期だった四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介がきっかけでした。普段から事業のことを話していたので、協働日本の伴走支援について教えていただき、興味を持ちました。

no-heat、no-addedが売りの「nohea」の無添加ドレッシング

ーーそうだったのですね。そこからすぐに伴走を決めたのでしょうか?

石橋:実は、同時期に銀行によるコンサルティング支援の活用も考えていたこともあり、協働日本との取り組みがスタートするまでには実際には1年ほどかかりました。

当初、私は「赤字を黒字に変えたい」ことを念頭に置いており、その目的のため、まずは銀行による財務面のコンサルを受けて、徹底的な原価計算と、採算性を見てたくさんあった商品ラインナップの絞り込みを行いました。

少し財務状況が改善したこともあり、満を持して、事業を伸ばしていくためのオフェンシブな施策を協働日本にお願いすることにしました。

ターゲットとコンセプトを選定し、新たに獲得した販路は「同業者への販売」だった。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

石橋:問屋の仕組みなども全くわからないところからのスタートだったので、まずはマーケティングや売り方を学ぶこと、自社の魅力・価値を知ることから取り掛かりました。協働チームは、協働日本CSOの藤村さん田村元彦さん、加藤彩乃さんの3名、三吉商店からは工場長、営業、そして私の3名が入っています。

一番に取り組んだのは自社の価値を知るための仮説を立てることです。その中で、「今、本当は何を一番売りたいのか?」という問いを立ててもらい、一度立ち止まって考えてみました。出てきた答えは「もやし屋のまかないダレ」でした。

「もやし屋のまかないダレ」

ーー「nohea」のドレッシングや各種調味料の改良アイディアではなかったんですね。

石橋:そうなんです。最初にお話しした通り、ドレッシング事業を始めるきっかけとなったのは「もやしにかけたら美味しくなるもの」を作りたいという想いでした。

本当にやりたかったことはもやしにかける美味しいタレを作ることだったのに、気づけば手を広げすぎてしまっていたんですね(笑)。

色々な商品を作るようになった背景には、「もやしダレ」を最初に作った時にあまり売れなかったことがあります。数十円で買える安いもやしに対して300~400円するタレを買うハードルがお客様にあったのですね。「美味しいのかもわからない、そもそも、もやし専用のタレって何?」と思われてしまい、お客様が買う意味を見出せず売れなかったんです。

そこでパッケージを変えて、もやしを一番知っているもやし屋だからこそおすすめできるというストーリー性が伝わるようにしたのですが、協働日本との伴走がスタートしたタイミングではまだ軌道に乗っていませんでした。

そこで、今回の協働取り組みのテーマを「もやし屋のまかないダレ」の販売をいかに拡大していくかに定め、取り組みをスタートさせることにしました。

「nohea」はギフト用の高級ラインナップですが、「もやし屋のまかないダレ」は今後スーパーで重点的に売っていきたい商品でした。

取り組みの中で次に整理したのは、ターゲットと、どこにどんな風に売れば食べてもらえるのか?という点でした。

ーー具体的にはどんな風にターゲットを整理していったのか教えていただけますか?

石橋:はい。この時点でぼんやりと想定していたターゲットは「主婦」や「ファミリー世帯」でした。ただ、利用シーンまでは考えられていなかったので、まずはお客様の声を聞こうと、高校の文化祭でもやしとタレをセット販売してアンケートを実施しました。

実は「もやしダレ」ジャンルの競合商品のほとんどがピリ辛系のものなんですが、「もやし屋のまかないダレ」のメインはうま塩ダレ。子供にも人気でした。

一方、50〜60代以上の方にはニンニクや塩気が強すぎるなど、ターゲットにしたい層への味のマッチ度が見えてきました。また、アンケートの結果から、特に主婦の方達は「子供や家族が好きなもの」を買いがちである傾向も分かりました。

普段はスーパーなどに置いてもらうことがメインなので、もやしを手売りするという機会自体も私たちにとってこれまでにない試みでした。

お客様と直接相対して「普段食卓でもやしをどういう風に使いますか?」「実はこういう栄養素があるんですよ」なんてコミュニケーションをとってみると、私たちにとっては当たり前なことも、お客様からするとそうではないことも多く、今後発信していきたい情報やメッセージにも気づくことができました。

ーー直接お客様の声を聞くことで、ターゲットやコンセプトが絞られてきたのですね。

石橋:はい。ここからは実際にどうやって売っていくかを考えていきました。


協働プロの田村さんと加藤さんは特に、今も現役で食品メーカーで活躍されているプロ。流通についてのアドバイスやアイディアをたくさんいただきました。

どうしても問屋さんを通すと販路の確保までに時間がかかってしまうことや、販路設計が複雑になってしまうというお話を聞き、他の方法はないか?と考えました。

そこでたどり着いたのが「同業のもやし屋さんにまかないダレを買ってもらってはどうか?」というアイディアでした。

全国的にもやし屋さんがどんどん減っていることに対しては、業界の皆が危機感を持っているんです。とはいえ、なかなか打開策が見つからないというのが、今のもやし業界のもつ共通の感覚だと思っています。

単純ですが、もやしの消費量を増やしていくことができれば、お互いのシェアを取り合わなくてもいいじゃないですか。もやしダレをもやしとセットで販売して、ファンになってくださった方がまたもやしを買う───そんなサイクルを作れたら、もやしの消費量を増やすことができるのではないかと思っていたんです。

実際に販売店になってもらうメリットは大きく3つあると考えました。1つはタレと一緒にもやしも売れること。2つ目は、新商品として営業が販売できる商材ができること。そして3つ目は利益率が高く、もやし20〜30パック売れるのと同等の利益を出せることです。

そうして同業のもやし屋さんに「まかないダレ」を仕入れてもらえないか掛け合い始めました。最初に取り扱ってくれたのは西日本で1番大きいもやし屋さんでした。

もやし屋さんはそれぞれスーパーなどの小売のもやし売り場・顧客を持っていますから、もやしの横に「まかないダレ」をセットで置いてもらうと、想定した通り結構売れたんです。

営業マンにとっても新しく売るものができたことでやる気が出たようで、積極的に売ってくれるようになって、今では「まかないダレ」をもやしとセットで売り場に置いてくれるスーパーをどんどん広げていってくれています。

今後は提携してもらえる同業者の開拓、BtoCの小売りはもちろん、外食店などにも置いてもらえるように取り組みを進めていきたいと思っています。

1年ほど取り組みをやってきて、収益が大幅に改善し、来期はいよいよドレッシング事業単体での黒字化を目指せるところまで来ました。

やりたいことをやるためには、やらないことを決める。目的に集中する環境づくりの大切さを実感。

ーー協働日本との取り組みの内容や成果についてお聞きしてきましたが、ご自身や社員の皆様の内面や行動にも変化は生まれましたか?

石橋:まずはシンプルに、私も含め社員皆にとって、とても良い勉強の機会になっています。例えば、弊社営業担当のとある社員は、元々主婦で当社の顧客でもありました。トークセンスがあるので営業や販売自体は上手だけれど、主婦からの抜擢ということもあってどうしてもビジネス経験は浅かった。

それが、協働取り組みを通じてお客様の求めている価値や、それを届けるための行動についての知識が身についており、自身の解釈力や再現性が高まっているのを感じます。

また、途中で「たくさん売りたい気持ちはあるが、生産が間に合わないので難しい」という、製造側と営業側の対立・ジレンマを感じるシーンもありました。でも、協働プロの皆さんはこういったことも経験済みだったので、すぐに的確なアドバイスをいただけたこともありがたかったですね。

実際、協働日本の藤村さんから「自社製造をやめて、製造は外部委託に切り替えれば良いのでは?」と鋭いご指摘と、「やめる勇気」をいただいたことも。

やりたいことをやるのは大切ですが、同時にやらないことを決めないと物事は進みません。「売る」ことに集中できるように環境を整えることで、製造・販売の仲違いもなくなりました。

ーー毎週のセッションの中で、宿題が出ることもあったと思いますが、大変ではなかったですか?

石橋:そうですね、私たちはあまり『宿題』と感じてはいなかったかもしれません。確かに毎週、新しいミッションやテーマで考えること・行動することが必要でしたが、私たちが本来やるべきことそのものだと感じています。

元々もやし以外の製品の販売に関しては素人集団だったので、毎週のセッションの中でデータ分析・数値に基づいた戦略策定の考え方など、様々な事例を交えながらわかりやすく解説していただいて、自社メンバーも腹落ちして進めることができたので、それも大変良かったと思っています。

また、外部の、まして大手企業の方と話す機会も少なかったので、自社のやり方とは違う方法や考え方に触れられたとということも気づきが多かったです。

ある意味で、「大手企業でも同じような問題に直面しているのか」という気づきがあったことも個人的には大きかったです。大手企業でも失敗しながらやってくんだから、私たちみたいな中小企業が一発でできるわけない。色々と試していこう、と奮い立たせられました。

外部のノウハウを取り入れにくい環境にある人こそ、協働を。今後の成長のために今必要なこととは。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

石橋:当初はこういった取り組みがあること自体を知らなかったのですが、ご縁を通じて協働日本の伴走支援の仕組みの話を聞いて、様々な領域のプロフェッショナルの実践的な経験値を学べることと、学ぶだけではなく、協働を通じて中小企業に体内化していく重要性を感じましたね。

特に、私のように会社を継いで代表となり、経営に携わっている人間は、他社に修行に出ることも簡単にはできません。創業からの流れでやっている企業ほど、考え方ややり方が固まってしまい、変化する世の中で柔軟に戦うための仲間も集まりにくい。外部のノウハウや経験値を社内に取り込んだり活かしにくい環境にあることは大きな課題だと感じています。

だからこそ、こういった機会を活用して、柔軟に外の知見を社内に取り込んでいかないと、継続して成長していくことは難しくなっていくのではないかと思います。

協働プロたちに伴走をお願いすることのコストは、ある程度覚悟のいる出費ではありますが、その価値や生まれる変化を考えた時には、安いくらいに感じます。本当にお願いして良かったと思っていますし、悩んでいる経営者がいれば是非お勧めしたい取り組みです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

石橋:協働日本のメンバーに加わる方は、ただ単に副業をしたい・お金儲けしたいという人はいない印象です。

皆さん、協働日本代表の村松さんの理念に共感して、今の自分のノウハウやスキルを中小企業に提供することによってその企業が回復していくことにやりがいを見出してくれる人が多いと思っています。

私たち中小企業側としては、大手のサラリーマンのスキルやノウハウを学べるメリットがありますが、協働プロのみなさんにとっても、対価としてお金を貰えるだけでなく、一緒に課題を克服することで、やりがいや、さらなるスキルを得られる相互にとって良い場になればら良いなと思っています。

また、せっかく色んな企業の方が関わってくださっているので、協働日本のおかげで回復してうまくいくようになった会社同士や、協働プロの皆さんの本業とでタイアップなどもできていくと面白いかもしれませんね。せっかく繋がったご縁でもあるので、新しい事業体が構築されていくといいなとも思います。

アドバイスをもらいながら成功報酬をお支払いするだけではない、発展的なビジネスモデルにつながると、もっと日本の未来にも明るい影響があるのではないでしょうか。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

石橋:ありがとうございました!

石橋 隆太郎 / Ryutaro Ishibashi

大学在学中、20歳で父が始めた飲食FC店舗の店長に就任。5年間の飲食経験の後、有限会社三吉商店に入社し、もやしの製造事業に携わる。29歳で代表取締役に就任し、新事業で調味料製造事業(NOHEA事業部)を立ち上げる。「NOHEAヴィーガンシリーズ」は、令和3年度金沢かがやきブランドに認定される。また「もやし屋のまかないダレ」は、Japan Food Selectionのグランプリを受賞し、もやしと調味料を活用して新たな新境地を開拓している。

協働日本事業については こちら

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NEWS:事業構想オンラインと連携し、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」と連携し、今後協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」にて、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします。

今回の掲載記事

若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ | ニュース 2024年 5月 | 事業構想オンライン
https://www.projectdesign.jp/articles/news/7d0afdc4-83a7-4370-af9a-20747febad9a

今回、協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」の中から、鹿児島県の株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏へのインタビュー記事を取り上げていただき、記事掲載しております。

インタビューでは、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語っていただいております。

今後の取り組みについて

「事業構想オンライン」は、「月刊事業構想」を出版する学校法人先端教育機構によって運営されているウェブメディアです。

「月刊事業構想」は、企業活性、地方創生、イノベーションといったテーマに基づき、新たな事業アイデアを求める、全国の経営者・新規事業担当者・自治体幹部の方々向けの専門誌です。

地方創生・地域課題解決のヒントを発信しており、全自治体の首長・自治体職員へ献本を通じて全首長の84%が定期的に月刊事業構想を閲読しております。

この度、協働日本が掲げる「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進する取り組みのパートナーとして、「事業構想オンライン」への記事の掲載をスタートしました。

今後も月に1回のペースで、協働日本における各種インタビュー記事を掲載予定です。

株式会社協働日本は今後も、株式会社イノベーター・ジャパンと協力し、協働日本における各種インタビュー記事を「事業構想オンライン」へ掲載し、日本中で誕生している協働の事例や、経営者の想いを発信していくことで、「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進してまいります。

ご紹介した事業について

協働日本事業

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STORY:株式会社イズミダ 出水田一生氏 -若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ-


「事業構想オンライン」について

月刊事業構想は、新市場を開拓する「構想力」を育み、スタートアップや新規ビジネス、地域活性につながる情報を提供することをコンセプトにしたビジネス誌です。
このサイトでは雑誌の転載記事だけでなく、オンラインオリジナルのニュース記事等を掲載しています。

事業構想オンラインについて | PROJECT DESIGN – 月刊「事業構想」オンライン
https://www.projectdesign.jp/about

発行人東 英弥
編集室長田中 里沙
編集長増田 智子
発行学校法人先端教育機構* 事業構想大学院大学出版部
発売学校法人先端教育機構
所在地〒107-8418 東京都港区南青山3-13-18
PROJECT DESIGN – 月刊「事業構想」オンライン
https://www.projectdesign.jp/

*学校法人先端教育機構は「知の実践研究・教育で、社会の一翼を担う」を理念に、事業構想と構想計画を研究する事業構想大学院大学と、広報戦略や人材育成におけるリーダーを養成する社会構想大学院大学を運営しています。

株式会社協働日本 協働日本事業 の詳細ついては こちら

STORY:持留製油株式会社 上野浩三氏 -新たなアイディアで事業の壁を突破。新たな光が見えてきた社会課題解決型事業-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、持留製油株式会社 常務取締役の上野 浩三氏にお話を伺いました。
持留製油株式会社は明治6年(1873年)に創業し2024年で151周年を迎える、食用油脂製品製造販売業の会社です。

長きにわたり、食用油脂を軸にした事業を進めてきた持留製油ですが、5年ほど前から緊張緩和や鎮痛作用のある「CBDオイル」に関する新規事業をスタートしました。

世間で注目を集める新商品ではあるものの、新規参入事業であることや、市場自体が未成熟であることなどからどういった方向性で事業を推進していくべきか悩んでいたところに、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」がスタート。事業に参画した持留製油と、事業をサポートする協働日本との協働プロジェクトがはじまりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

課題の多い市場ゆえの悩みと、多くの壁

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

上野 浩三氏(以下、上野):よろしくお願いいたします。協働という取り組みを知ったきっかけは、鹿児島県が新産業創出ネットワーク事業の参加企業の募集を見たことです。それまでは協働日本さんの取り組みについては存じ上げませんでした。

弊社では5年前からCBDオイルの事業を展開しているのですが、まだまだ成長途中ということもあって、一緒に考えていくれる仲間がいるとありがたいなと考えていたので、新産業創出ネットワーク事業に応募をしました。

無事に採択いただけたことで、協働がスタートしたという流れです。

ーーなるほど。CBDオイルの新規事業について、具体的にどのような事業か教えていただけますか?

上野:はい。そもそもCBDというのは、カンナビジオールの略称で、大麻に含まれる物質「カンナビノイド」のひとつです。アサの茎や種子から抽出される成分で、炎症を鎮めたり、不安を緩和する効果があります。「大麻」というと日本では忌避感も強いかもしれませんが、精神作用や中毒作用がないことで知られており、医療や美容分野でも興味関心が高まっているんです。

食用油脂を扱う弊社でCBDオイルを扱うようになった背景には、社長の体験があります。社長が6〜7年前にパニック症候群に罹患して大変な思いをしていた時、アメリカの友人からCBDを紹介され、試しに使ってみたところ症状が改善されたのだそうです。その経験から、CBDで多くの方の悩みを解決できるのであれば、という想いで事業化することになりました。

CBD自体は、日本でも2013年より合法化され、2022年にはAmazonでも一部店舗で販売が可能になりました。そういった環境もあり、世間の注目度も高く、同じようにCBDオイルを取り扱うスタートアップもかなり多い時期だったんです。

ーーそうなんですね。恥ずかしながら、名前は聞いたことがあるもののCBDオイルについて詳しく存じ上げませんでした……。

上野:おっしゃる通り、日本ではあまり消費者に正しく情報が浸透していないのも事実です。

実際、事業化当初は、大麻草由来の成分ということもあり社内でも不安の声があったほどです。CBD自体が消費者に知られていないことや、存在や効果を知っていてもなんとなく不安に思われる方もいるなど、完全に供給過多の状況でした。

弊社は良い原料メーカーを見つけることができ、良質なCBDオイルの提供ができるということや、世界的に先行事例があるということで可能性を感じて販売をスタートしましたが、思うように売り上げは上がっていませんでした。

供給過多の市場から飛び出し見つけた、Bto”D”の新たな勝ち筋

ーー実際協働がスタートしてからはどのようにプロジェクトが進んだのかお聞きできますか?

上野:はじめは、市場調査からはじめました。協働プロとしては、村松さん(協働日本代表)と藤村昌平さん(協働日本CSO)に入っていただきました。


ECで売れない理由を分析していったところ、他社との差別化や、弊社ならではの強みが必要ということがはっきり見えてきました。強みの整理など、色々と考えてはみたのですが、一般市場では消費者のニーズも高くはなく、類似する他社のCBDオイルもたくさんある───どのように売れば差別化されて売れていくのか道筋が見えづらかった。

そこで、ニッチだが、確実にニーズのある方向を目指そうという話になったんです。

ーーこれまでからターゲットを変えていくということでしょうか。

上野:はい。これまでのBtoC向けの商品展開ではなく、BtoBなど売り先を変えてみてはどうかということで、ターゲットになりそうな企業を探していくことになりました。

CBDオイルは海外では医療や美容の目的で使われるので、日本国内にも興味のある企業がいるのではないかと、当たってみたところ、知人からの紹介で認知症患者にCBDオイルを使ってみたいというお医者さんとの出会いがあったんです。

クリニックとの共同事業ができると、消費者に信頼される「エビデンス」という強みを持つことができます。そこで、認知症患者の治療のためのCBDオイルの共同開発がはじまりました。

ーーまさに、「ニッチだけど確実にニーズがある」市場かもしれませんね!共同開発はスムーズに進んだのでしょうか?

上野:はい、「BtoD」という新しい市場に辿り着いたのは成果の一つだと思っています。共同開発の最初の壁は「CBDオイルを治療に適した形にすること」でした。

CBDには直接飲むタイプや、吸うタイプ、食べ物に混ぜて摂取するタイプなどさまざまな摂取の仕方があります。認知症の患者さんでも負担なく取り入れられる形を目指して検討しました。その中で、経口摂取だけでなく、経皮吸収でも効果が見られるというデータを見つけ、皮膚に貼って使う「CBDパッチ」の開発に繋がりました。

パッチの製作自体は外部委託先に依頼しましたが、医療用のパッチにCBDを入れた前例がなかったため、何%の濃度のオイルを入れられるか?何%の濃度なら効果があるか?など模索が必要でした。

また、同時に大学病院での治験の手続きも進める必要がありました。倫理委員会を通すなど準備にも時間はかかったのですが、無事に治験を開始することができ、クリニックの先生の協力もあって、結果的に効果が見込めるパッチが完成しました。

治験自体はこれからも引き続き実施する予定で、先生も成果を論文にしていきたいとのことで、持留製油のCBDオイルの強みである「エビデンス」が明確になっていくのを楽しみにしています。

協働日本は責任感をもって一緒に事業にぶつかってくれるプロたち

ーー協働日本との取り組みの中で、生まれた変化や成果について教えていただけますか?

上野:成果、と言うにはまだ道半ばというところではありますが、誰に対して、どんな製品を売っていくのかという方向性が見えたことが一番大きな変化と収穫だったと思っています。

私自身は持留製油に入社するまで様々な業界で新規事業に携わることが多かったので、新しい事業に挑戦することは好きだったのですが、一人で考えるとアイディアが出なくなって行き詰まってしまいやすいということもわかっていました。

なので、今回協働チームの皆さんと一緒に考えることでアイディアがたくさん出てありがたかったですし、新しい考え方やスキームを知るヒントになってよかったと思っています。

例えば、藤村さんは、元々ライオンという消費財メーカーの研究室のチームにもいらっしゃったこともあって、製品開発におけるメリットよりもデメリットがないかが重要と考えられていて、売れるメリットのことを強く考えていた私にとっては新しい気づきでした。

やはり様々な分野のプロのこれまでの知見やノウハウに触れることができることは自分にとっても勉強になって良い機会でした。

ーー協働プロたちの印象はいかがでしたか?

上野:村松さんは熱い想いでぶつかってきてくれて、藤村さんは冷静に分析してどんどん突っ込んできてくれる。

お二人がそうやってぐいぐい前のめりに問いを立てて深掘りしてくれたからこそ、これまでの状況を切り開き、難易度が高い事業づくりに新しい光が見え始めたのかなと思っています。

副業人材でコンサル的な取り組みが増えていることは知っていましたが、個人的には”教えてくれるだけ”のコンサルティングはあまり好きではなくて……。

協働日本さんの場合は、ワンチームで一緒に考える、一緒に責任を持って事業にぶつかってくれるという姿勢で参画してくれる、単なる副業人材活用とはまったく違った取り組みスタイルでした。

地方のものづくり系の会社以外にも、スタートアップ系の新規事業や、自分で起業される方にもおすすめしたいですね。そういった企業の経営者には、同じ目線で相談できる相手がいない場合も多いので、事業づくりの経験がある「わかってくれる」人に相談できる機会があるというのはいいなと思いました。

昔のような「ものづくり日本」を取り戻す──プロフェッショナル集団が強い事業づくりの一助に

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

上野:協働日本は非常に面白い取り組みです。協働プロが増え、チームのバリエーションが広がっていけば、全国の地域企業がさらに成長し、新しい事業をどんどん形にしていけるのではないかと思います。法律にしろマーケティングにしろ、事業をつくるには様々な要素があり、やっぱりプロがいないとわからないことって多いと思うんです。しかも誰に聞いていいかもわからない。チームの中に色んなプロがいること、地域企業の強みを活かした「機能拡張」できることが、協働日本の強みだと思っています。

特に、村松さん、藤村さんもそうですが、キャリアにおいて製造業を経験している協働プロが多いことも協働日本の強みじゃないかなと思います。個人的には、昔のような強い「ものづくり日本」になってほしいという想いがあって、それを強くするためにプロがついて支援していくことは大事かなと。「日本に熱を生み出したい」というテーマの中でも、地方創生にとどまらず、産業活性、産業振興をリードできることも協働日本の強みかなと思うので、頑張っていただきたいなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

上野:ありがとうございました!

上野 浩三 / Kozo Ueno

持留製油株式会社 常務取締役

1090年鹿児島生まれ
大学後、旅行会社にて12年間、海外添乗、営業、企画に従事。
改めて鹿児島の魅力を発信したく、総合酒類卸会社に転職し、鹿児島中央駅アミュプラザかごしまの「焼酎維新館」の初代店長として立ち上げ。
県外を中心に焼酎・特産・物産を営業も同時に行う。
2012年「かごっまふるさと屋台村」のNPO法人運営理事として、立ち上げ、運営に従事。
2020年より、持留製油株式会社に転職し、食用油脂製造業の営業と、CBDじ業の立ち上げに従事。

協働日本事業については こちら

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STORY:株式会社イズミダ 出水田一生氏 -若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏にお越しいただきました。
株式会社イズミダは創業50年の鮮魚の卸売・小売・水産加工の会社です。元々は創業者である出水田氏のお祖父様が自転車の荷台に魚を積み、売って回ったことが始まりでBtoB向けの卸売がメインの事業だったそうです。

10年前に出水田氏が3代目として戻られてからは、加工品のEC販売や飲食店、体験・教育、対面販売のBtoC向けの魚屋など『新しい魚屋の形を作る』ためさまざまな事業を展開しています。

創業者の「魚の本当の美味しさを知ってもらい、皆様に喜んでいただきたい」という想いを受け継ぎ、大きく変化を遂げようとする株式会社イズミダ。その中でも今回は鮮魚店が併設する食堂である「出水田食堂」のプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

新しい魚屋の形を作る──新しい挑戦の中で表面化した課題に伴走支援を。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

出水田 一生氏(以下、出水田):はい、よろしくお願いいたします。

鹿屋市の前副市長の鈴木健太さんからの紹介がきっかけで、協働日本代表の村松さんにお会いしたのが始まりでした。伴走支援という形での複業人材の活用の話や、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」についてお聞きして、ぜひ一緒に取り組みをさせていただきたいと思いました。


「新産業創出ネットワーク事業」は昨年度も実施されていたということで、株式会社ネバーランドさんの加世堂さんなど、以前から知っていた方が参画されていたということもあり、協働の事例を聞いて一気に親近感が沸きましたね。

昨年の取り組みなど村松さんにお話を聞いた後すぐに、今年度(令和5年度)の県の事業への参加事業者の募集があったため、チャンスだと思いすぐに申請書を書いて提出しました。

ーーすぐに協働を決めてくださったんですね。今回の協働では、数あるイズミダの事業の中でも「出水田食堂」のプロジェクトについて伴走させていただきましたが、テーマについても申し込みの時点ですでに決めていらっしゃったのでしょうか?

出水田:最初は、当時頭の中にあった別の課題を解決したいと考えて申請書を出していました。最初のセッションでその課題について深掘りして考えていく中で、それよりももっと、解決していくべき点があると気づいたんです。それが、鮮魚店併設型の食堂である「出水田食堂」の運営についてでした。

弊社、株式会社イズミダは鹿屋市で創業50年、現在は2代目として父が経営しています。元々BtoBの卸売業だったのですが、3代目として店を継ぐため私が戻ってきた10年ほど前から、加工品のEC販売など新しい事業も始めるようになりました。

出水田食堂は、よりダイレクトに魚の魅力や価値を伝える手段として、2022年の4月にスタートした鮮魚店併設型の飲食店です。営業はお昼だけ、市場の休みに合わせて週休2日という営業形態も、長時間労働が常態化しやすい魚屋の働き方改革への挑戦という意味もありました。

出水田食堂は、鹿屋市ではなく、鹿児島市の騎射場という学生街・飲食店街にあります。単価はエリア平均より高めであるにも関わらず、開店当初よりさまざまなメディアに取り上げていただいたり、行列ができたりと、ありがたいことに大変好評いただいていました。

一方で、内部的には従業員が定着しないという問題がありました。責任者である私は普段鹿屋市にいて、鹿児島市の店舗までは移動に2時間近くかかってしまいます。物理的距離がスタッフとのコミュニケーションにも影響し、少しずつ考えにズレが生じてしまうことなども理由の1つで、スタッフが辞めてしまい、併設の鮮魚店を休業さぜるを得なくなったり、飲食店でのクレームが増えたりと目に見える形で問題が出るようになっていました。

ーーなるほど。それで出水田食堂への伴走がスタートすることになったのですね。

出水田:はい。協働がスタートした頃、新たにスタッフを2名採用したところだったんです。2名とも20代の女性社員なのですが、前職は保健師とパティシエという、魚に関する知識が経験もないにもかかわらず、我々の想いに賛同して入社してくれたメンバーでした。

先ほど話した通り、私には物理的な距離の問題もありますし、出水田食堂での新しい事業や課題解決については私ではなく現場のスタッフが責任を持ってやらないと長続きしないのではないかと思い、彼女たちにも協働プロとの毎週のミーティングに参加してもらうことにしました。

店舗の運営に留まらず、体験・教育などこれまでにない新しい魚屋の形に挑戦している。

昨年比1,000%超、過去最高売上を更新。二人でも無理なくできる、現場発信の施策の数々。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

出水田:はじめは、根本的な価値や課題を深掘りするということで、会社の価値や課題を考えるというワークからスタートしました。協働チームとしては、藤村昌平さん横町暢洋さん、宮嵜慎太郎さんの3名を中心に入っていただいています。

まずはワークショップの中で、自分の存在意義と会社の存在意義を考えるところから始まったのですが、日頃から『存在意義』について考える機会はなかなかないので、私にとってもスタッフにとっても、何のためにここで働き、何をしていきたいのか、考えを整理するためにとても貴重な機会だったと思っています。

それぞれの想いが整理されたことで、その後の価値や課題についての議論も活発になっていきました。

印象的だったのは、私の考える会社の価値や課題と、スタッフたちの考える価値や課題について、違いと共通点が浮き彫りになったことです。1つ1つの意見についてディスカッションをしていくことで、これまで課題だったコミュニケーションや意識のずれが少しずつ修正されていくのを感じたんです。

ワークショップの様子。それぞれの色がメンバーと紐付き、各人がさまざまな意見を出しているのが見える。

ーー同じテーマについて話をしていく中で自然とコミュニケーションが取れるようになっていったんでしょうか。

出水田:藤村さんのファシリテーションも大きかったと思います。これまで社内ミーティングで1つのテーマについて話し合う機会ももちろんあったんですが、その時は私が一方的に話すような形だったんです。

というのも、スタッフの2人は業界未経験ということもあって、どうしても「魚」についてはわからないことも多く、何か具体的なアイディアを求めても、自分は詳しくないからと遠慮がちになってしまっていたと思うんです。

そこで、うまく藤村さんが話を振ってくださったことで、2人とも発言する機会が増えましたし、どんな意見が出ても協働プロの皆さんが否定せずに受け止めてくださるんです。間違っていることなんてない、質問から少しズレていても言語化を手伝って軌道修正をしてくれるので、思ったことを好きなように言える雰囲気が醸成されていきました。

それに、それぞれの存在意義──ここで何をしたいのか、という部分は個人の内側にしかないものを発言する形になります。知識や経験とは関係なく、それぞれの想いで意見が言えるということも、活発な議論に繋がった理由じゃないかなと。

実際にその後、二人からの提案でさまざまな施策を行っていくことになりました。

ーーお二人からのご提案内容も含め、その後に実施された具体的な施策についても教えていただけますか?

出水田:はい。行列ができた際の待ち時間の有効活用、SNSの活用と発信、そして人員不足で休業していた鮮魚店を再オープンすることができるようになり、年末の受注、イベントへの参加、恵方巻きの企画など多岐にわたります。

まず、先のセッションによって、「お客様を待たせているが、ケアできていない」「時間がなくてお客様との接点を作れていない」という2つの大きな課題が顕在化しました。

待ち時間の課題を解消する施策としては、待っているお客さんが、お魚の知識に触れる経験ができるように魚の本を置いたり、隣接する鮮魚店に誘導するなど待ち時間でも楽しんでもらえるように工夫しました。「食べてファンになる」だけではなく、並ぶ時間から退店までも価値を伝え、ファンになってもらおうという施策でもあります。

そして、顧客接点の課題についてはSNSの活用でカバーしていくことにしました。Instagramでは、日々のおすすめや入荷情報を発信して来店意欲を高め、LINEではお得意様に対して特別な情報発信をしてリピート意欲を高めるよう役割を分けて運用することになったんです。ただし、スタッフは日常業務で忙しく、SNSの管理までなかなか時間を割くことができません。そこで、協働プロの横町さんの力も借りながら、生成AIを活用してコンテンツの生成から投稿後の検証まで2人でうまく回せる仕組みを作りました。

ーーすごいですね!実際に現場で無理なく回せる仕組みになっているんですね。

出水田:元々、出水田食堂は働き方改革への挑戦という側面もあったので、どうしてもスタッフに無理はさせたくありませんでした。現場にいない私が考えるのではなく、現場にいる2人も一緒に自分ごととして考えてくれたことで、より現場に即した形で施策を進めることができたのではないかと思います。

実際、年末の受注に関してもスタッフが率先して行ってくれた施策です。2022年の年末は人員不足で鮮魚店は閉めていたし、年末にスタッフを働かせるのもよくないと思い、年末の受注についてはほとんどお断りしていたんです。大晦日やお正月にお刺身を食べたいという需要があることはその時からわかってはいたので、2023年には「12/31は絶対に売れるから、公式LINEなどに流せば売り上げ上がりそうだ」という話をスタッフにしていたんです。すると、ぜひやりましょうと率先して声を挙げてくれました。実際にSNSでの発信によって受注につなげ、売り上げは前年比1,000%以上、過去最高額の売り上げになって驚きました。

ーー1,000%!需要がわかっていても積極的にできなかった施策が、すごい成果に繋がったのですね。

出水田:数字として期待以上の成果が出たのは年末の受注だけに留まりません。同じくスタッフが企画してくれた、恵方巻きの企画では140本以上の受注があり、年末に出した鮮魚店の過去最高売上をすぐに更新することになりました。

鹿屋市の店舗の方で2022年に結構恵方巻きが売れたので、騎射場の店舗でも売れるのではないか?というヒントを出しただけで、スタッフ2人で恵方巻きの内容や発信などほとんどオリジナルで考えて取り組んでくれました。

2022年にも出展していたイベント「ぶり祭」(鹿児島大学主催)でも、メニューの刷新やSNSでの積極的な配信によって、弊社経由で売れたチケットの枚数が前年比のほぼ倍になっています。

スタッフ考案の恵方巻き。大好評で140本以上を売り上げた。

「自分と会社の存在意義」がターニングポイントに。スタッフが経営者視点を獲得するという大きな変化。

ーー協働日本との取り組みの中で、店舗にはどのような変化が生まれましたか?

出水田:一番大きいのは、やはりスタッフの二人の自発性の向上だと思います。普段経営者である私が不在という中で店舗を運営し、成長させていくためには、二人の当事者意識を高めるマインドセットが必要でした。

どうしても初めの頃は、協働プロとのミーティングにおいても「私たちがいて何か意味があるかな…?」という雰囲気があったのも否めません。それでも言語化を重ねていくことで変わっていき、自ら積極的に声を上げてくれるようになっていきました。振り返って考えてみると、やっぱり、自らと会社の存在意義について言語化できたあたりがターニングポイントだったように思います。

伴走支援を通じて、それぞれが出水田食堂をよりよくするためにどうしたらいいか?を自分自身で考え、取り組み、コミットして数字を出すという一連の流れを経験することができたことで、スタッフとしての成長だけではなく、経営者視点の獲得にも繋がったのではないでしょうか。

それ以外にも、今ではトラックを運転して市場に買い付けに行き、魚を捌くところまでそれぞれが一人でできるようにもなっています。市場の先輩方にも可愛がってもらっているようで、そういった面でもとても逞しく頼もしいですね。(笑)

ーーそれは、大きな変化ですね。(笑)先ほどもお話しされていた通り、どんなことでも意見を言える雰囲気になったというのも重要かもしれませんね。

出水田:協働プロの皆さんと話す中で、本当にプロだなと感じることが多かったんです。言語化、課題の整理・抽出…頭の中にあってもできないことが多い中で、引っ張り出してくださるんですよね。

毎週のMTGの中でそんなシーンがたくさんあって、色んな意見が出てきたのを目の当たりにして、こうやって会議して新しい商品やサービスができていくんだなと身を持って体験できて、私自身としてもとても面白かったです。

また、オンラインだけでなく、実際に出水田食堂にも来てスタッフともオフラインで会ってくれたのも大きかったと思います。オンラインでは毎週顔を合わせていますが、リアルで会うとさらに距離も近づくので、コミュニケーションも取りやすくなりますよね。

週に一度で長期間実施する伴走支援、濃密な取り組みが成果に繋がる。


ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

出水田:実は3年ほど前から興味もあって、他社の副業人材活用のサービスを活用したこともあったんです。その時は、プロジェクトのスパンも短くて、5回程度だったので、いいアイディアや気づきもあったんですが具体的なところまで落とし込むことができずもったいなかったなと感じていたんです。

協働日本は毎週ミーティングがあって半年以上という比較的長い期間で伴走支援を受けられるので、取り組みが非常に濃密だと感じました。日々の業務に追われる中では、人間やっぱり期限を切ってお尻を叩いてもらった方が動きやすいですし、そういう意味でもいいなと思います。

ーーそうだったんですね。実際に、サービスを活用してみて、複業人材の取り組みは今後広がっていくと思われますか?

出水田:経営者同士の情報交換でも、よく話が出るようになってきたんですよ。興味がある人も多いのではないかと思います。なので、今後も広がっていくと思いますし、私自身も今後も活用していきたいと思っています。

特に、今回のように県の事業として支援を受けることができることで、伴走支援を受けられたという事業者さんもいるかもしれないですし、今後もそういった機会があれば周りにもおすすめしたいです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

出水田:本当に大変お世話になりました。おかげさまでこの短い、1年弱の期間でうちのスタッフも変わったし、店舗に大きな変化が生まれました。

こういった複業人材の活用というのは、いろんな事業者さんに知ってほしい取り組みでもあるし、多分、興味はあってもなかなか、どこにお願いすればいいんだろう?というところがまだ知られていないと思います。

それに、ただ都市部の凄い人を1人副業で入れても、自社組織のメンバーと一緒にチームで力を発揮しないと、なかなか本当の成果に繋がらないケースもあると思います。

だけど、協働日本さんは、「ただ凄い人を副業で入れたらうまくいく」というスタイルではなくて、ワンチームとしてのチームビルディングを意識し、これだけ深く入ってくれて私は本当にありがたかったし、他の複業人材との取り組みとの大きく違うのではないかなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

出水田:ありがとうございました!

出水田一生 / Issei Izumida

株式会社イズミダ 常務取締役

鹿児島県鹿屋市出身

大学・大学院で生物学を専攻。

大学院在籍中に父親の病気を機に家業である「出水田鮮魚」に戻り、卸一本であった昔ながらの魚屋のイメージを変えるため、魚×〇〇といった視点でEC販売、小売、飲食など新たなチャレンジを続けている。2022年全国中小企業クラウド実践大賞総務大臣賞受賞。

出水田食堂Instagram

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STORY:鹿児島オリーブ代表取締役 水流 一水氏-顧客の声に向き合い売上増。販売スキル向上で新たな勝ち筋を発見-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本では昨年に引き続き、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、約8ヶ月にわたって、鹿児島県内の地域企業様の伴走支援を行ってまいりました。その伴走支援先の1社、鹿児島オリーブ代表取締役の水流 一水さんに今回インタビューさせていただきました。

鹿児島オリーブ株式会社は、純鹿児島産オリーブオイルを取り扱うほか、インポーターとして本場のイタリア・スペインからオリーブオイルの輸入販売も行っています。オリーブを使ったコスメ商品などの販売も行っており、今回の伴走支援ではオリーブオイルを使用したスキンケア商品の売上増加が当初のテーマでした。

スキンケア商品を新たな事業の柱とするべく、取り組んできた約8ヶ月の協働プロジェクト。実際に売り上げも伸び、成果が現れ始める中で、スタッフ一人一人の仮説の立て方や実行力などが上がったことを実感したそうです。また、BtoBに新たな活路を見出すなど、当初の想定以上の手ごたえをつかむことができたと語ってくださいました。

今回はインタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで見つけた新たな勝ち筋や、生まれた成果や変化について語って頂きました。さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についてメッセージもお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

新産業創出のための「日置市オリーブ構想」

ーー本日はよろしくお願いいたします!先日は鹿児島県庁での成果発表会お疲れさまでした。

水流 一水氏(以下、水流):

よろしくお願いいたします。先日はありがとうございました。

noteや動画という形で、当日の様子もまとめていただき、ありがとうございました。

参考:今年も熱い「協働」事例が鹿児島で誕生!取り組み報告会レポート

参考:今年も鹿児島で多くの「協働」事例が誕生しました(協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会より)

ーーあらためて本日のインタビューでは、報告会でのお話に加えて8ヶ月間の協働取り組みの詳細や、取り組みを通じて生まれた変化などを伺っていければと思っております。

水流:

あらためてよろしくお願いします。弊社、鹿児島オリーブ株式会社は、日置市と鹿児島銀行が連携して始まった「日置市オリーブ構想」のもと誕生した2014年創業の企業です。過去の代表取締役は過去3代が鹿児島銀行OBで、2022年10月に現役行員である私が着任して現在に至ります。

ーーそういった背景のもとで設立された会社だったのですね。水流さんは、鹿児島銀行でキャリアを積んでこられたんですね。

水流:

そうなんです。法人設立の2年前に日置市から大手半導体工場が撤退しまして、それをきっかけに新産業を興したいということで「日置市オリーブ構想」が始まりました。

鹿児島オリーブという名の通り、弊社では純鹿児島産オリーブオイルを取り扱っています。ただ、それだけではなくてインポーターとして本場のイタリア・スペインからオリーブオイルの輸入販売も行ったり、オリーブを使ったコスメ商品などの販売も行うなど、関連した事業も複数行っております。

協働日本さんとの今回の伴走支援では、オリーブオイルを使用したスキンケア商品の売り上げを増加させたいというところから取り組みがスタートしました。

スキンケア商品を新事業の柱に

ーーなるほど。具体的にはどんなお取り組みを進めていったのでしょうか?

水流:

協働日本さんとの取り組みでは、スキンケア商品を新事業の柱として確立することを目指し、売上に繋がる勝ち筋を共に探していくことになりました。その背景には、主力商品だったオリーブオイルの売上の減少がありました。

弊社を取り巻く大きな環境の変化として、やはりコロナ禍があります。コロナ禍で手渡しギフトの需要というところが消失してしまった中で、大きく売上を落としてしまいました。自社のオリーブオイルは私たちが思っていた以上に「ギフト需要」に依存していたことが浮き彫りになったのです。

その中で、私達がお客様に提供できる価値って何だろうということで、人々のクオリティオブライフ向上に役立ちたいと考えるようになりました。このスキンケア商品を頑張って売っていこうと方針を決めました。

ーー主力商品のオリーブオイルだけでなく、スキンケア商品に注力した背景がよく分かりました。

水流:

スキンケア商品の販売に注力し始めたものの、どうすれば弊社のスキンケア商品をもっとお客様に手に取っていただけるのか、お客さんのニーズを満たしてくれる売り方は何なのかが分からない。それを考えようというところがスタート地点でした。いろいろやってみても売り上げが伸びない、そもそもECとかもなかなか人が来てないみたいな状況で勝ち筋、すなわち数字をちゃんとつくっていける売り方が分からない状態がずっと続いていました。

顧客接点を最大限に生かしスキンケア商品の売上増

水流:

また組織力にも課題を感じていました。畑違いの分野に飛び込みゼロからのスタートとなったリーダーの自分と、商品の良さはわかるが売り方がわからない弊社のメンバーの間で、正直、手探りの日々が続いていました。

商品の魅力をたくさん語り、出張販売などの機会を活かしたいと思っても、私が会社に入った時点で、入社1ヶ月とか入社数ヶ月みたいなメンバーが実は大半を占めている状態だったこともあって、取り扱っているひとつひとつの商品価値を言語化するところから始めなくてはならず、本当に苦戦続きでした。

ーーそういったタイミングで、協働プロジェクトがスタートしたのですね。

水流氏:

はい、そういったタイミングでした。

協働日本さんとのプロジェクトが始まってすぐに、「顧客の声を拾えていない」という課題にたどり着きました。協働プロの藤村さんからの「私たちの商品を喉から手が出るくらいほしがってくださってる方はどんな人か?」という問いにすぐ答えることができず、まずは具体的なお客様像をイメージしていきましょうとアドバイスをいただきました。

そのためにお客様の声をたくさん拾う必要があると再認識し、そこから出張販売のような顧客接点を最大限に生かす戦略をとることになりました。協働日本さんにも戦略面で伴走いただきながら、どんどん社員に現場に出てもらって、お客さんと話してもらうという機会を作っていくことにしました。

時に、買ってくださってたお客様にその場でちょっと時間をいただいてインタビューをさせていただいたこともありました。そういった現場での声をたくさん集めていったことで、自分たちの商品の強みを少しずつ言語化できるようになっていきました。

ーーお客様の声から、どんな勝ち筋が見えてきましたか?

水流:

それまでに私たちが推していた商品の課題が見つかりました。スキンケア商品の主力商品として位置づけていた、フェイルオイルや、化粧水といった商品は5000~6000円という価格帯で、ちょっと高いと感じていたお客様が想定よりも多く、興味はあるが使い始めるハードルが高いという声も寄せられたのです。

そこで商品の特徴である天然由来成分の良さを伝えるだけではなく、試しやすい価格や形態の商品こそが、弊社のスキンケア商品の入口になるのではという仮説を立てました。そこからは少し価格の低いハンドクリーム商品を推し出していきました。すると、ハンドクリームは手に取りやすいと好評で、鹿児島オリーブのスキンケア商品を知っていただくきっかけとして機能し始めました。実際に出張販売先でも手ごたえを感じることができました。

これをまず、ボタニカルコスメの導入として活用してもらうことで、次はフェイスオイルやローションを買ってみてもらうというお客様とのコミュニケーション方針も整理できました。「誰がなぜ買ってくださっているのか」「評価されている価値は何なのか」「どうやってその価値を伝えるか」を徹底的に議論していったことで、着実に成果に繋がり始めています。

それに加えて、「鹿児島のオリーブ」という文脈から、お土産としての需要も拡大しています。それらも追い風となって、協働前は月平均54本販売していたスキンケア商品が、今では月平均96本の販売となりました。これは、比較して+77%の成果となります。おかげさまでスキンケア製品の売り上げを大きく伸ばすことができました!

スタッフの販売スキルが向上 売上記録を更新

ーー着実に成果が数字に表れていますね!

水流:

そうした取り組みを重ねて、出張販売のようなお客様接点を増やしていったことで、社員のスキルが向上しているのを実感しています。仮説の立て方、実行力、スタッフの販売スキルが確実に上がってきています。たとえば先日の出張販売では、一日平均売上10万円を超えており、連日売上記録を更新しました。以前は数万円に届けば御の字、といったところだったのですが、確実に空気感が変わってきています。

協働日本のみなさんとの普段のミーティングや、現場に来ていただいた際も、こうしろああしろと、「やること」をアドバイスするのではなく、伴走支援というスタイルならではの社員自らが「やってみよう」と思えるようなアドバイスをいただけたのが良かったのだと思います。社員それぞれが自分事化して考えることができましたし、自信を身に着けることができました。

スキンケア商品の販売を通じて身に着けた提案力をオリーブオイルにも展開し、そもそも自社が持っていた様々な強みを言語化したことで、主力商品のオリーブオイルの優位性も自信を持って語ることができるようにもなってきました。

ーー主力商品のオリーブオイルにも好影響が生まれているのは、とても良い変化ですね!

水流:

そうですね。オリーブオイルに関しては、自分たちでは当たり前だと思っていた自社の強みに気づけたことも大きな収穫でした。

BtoBに新たな活路 ローカル発 小さなオリーブオイル専門商社

ーー興味深いです。当たり前だと思っていた自社の強みとはどんなことですか?

水流:

先ほどお伝えしたように、私たちは海外からオリーブオイルを仕入れるインポーターとしての事業も大きく、イタリアとスペインからオリーブオイルを、鹿児島の自社倉庫まで運んできています。

通常、大手のメーカーが販売しているようなオリーブオイルは、海外の現地でとれたものをそのまま、定温管理されていないコンテナに乗せ換えて運ぶんですね。定温管理ができるコンテナはどうしてもコストがかさんでしまうので。しかしそれだと船で輸送する中で、かなり熱い地域も通りながら何ヶ月も掛けて運ばれるので、どうしても劣化は避けられません。

ですが、私たち鹿児島オリーブでは、スペインからイタリアを経由して、農園と農園に入っているコーディネーターを通じて直輸入し、輸送も定温管理(24時間定温管理)ができるコンテナ(リーファーコンテナ使用)を使用して港まで持ってきてもらっています。さらに港から陸送(福岡港から工場まで)も定温管理で運び、自社倉庫でももちろん定温管理しています。

ーー鹿児島オリーブさんならではのこだわりですね。

水流:

はい。お客様の口に入る瞬間までこだわりたいという思いで、ずっと続けています。オリーブオイルを詰める作業に関しても、自社で1本1本、人の手を使って手詰めしています。

協働日本の方々に工場を見学いただいた際に、協働プロの皆さんに「これは鹿児島オリーブさんの宝であり強みですね」と言っていただいたのを覚えています。今回伴走いただいた協働プロの皆さんは、メーカー出身の方も多くて、定温倉庫で24時間定温管理をしていることや、品質を落とさないように輸入し自社で小ロットから充填できる設備を持っているというところに大変驚かれていました。10年かけて確立した、今のサプライチェーンとクオリティコントロールを、他のオリーブオイルを扱ってる会社にはなかなかできない差別化ポイントだと言っていただけたのは新しい視点でしたし、自信にもなりました。

私たちは自社でオリーブオイルを手詰めする設備を持っているので、瓶の形にこだわる必要はありません。それによって、小ロットからOEMなどの相談を受けることもできます。また、定温管理で海外から輸入しているサプライチェーンは、トレーサビリティに応えることができます。

それらをふまえ、オリーブオイルやスキンケア商品といった商品訴求だけでなく、BtoBのお取引を見据えた会社機能を売り込むこともできるのではというアドバイスもいただきました。単なる商品の販売戦略を超えた、社全体の改革にも伴走いただく結果になりました。

これまで商談会では、取り扱う商品の「品質のよさ」をPRしていたのですが、アドバイスをいただいてからは、「ローカル発 小さなオリーブオイル専門商社」という書き方に変更しました。実際に、サプライチェーンとクオリティコントロール、小回りのよさや様々なオーダーを受けることできることをPRしたところ「鹿児島の会社でここまでやってるんですか」という驚きの反応ばかりで。商談件数も一気に増えて、見積もり希望のご連絡もいただきました。

実はこれまで、商談会に出ても、恥ずかしながら商談0件みたいな日もあったんです。同じ会社でも伝え方を変えるだけで、こんなに反応が変わるのかと驚きました。協働日本さんからいただいた、「鹿児島オリーブさんの設備や仕組みこそが強みです。きっとこれから価値を感じるのは、法人だと思いますよ」というアドバイスからこんな展開になるとは思ってもいませんでした。

ーー協働を通じて、商品だけでなく、自社そのものの強みを言語化できたことで、これから様々な展開が生まれそうですね!

水流:

はい。「鹿児島と言えばオリーブ」と多くの方に言っていただける世界を目指して、弊社鹿児島オリーブをこだわりの作り手・インポーターとして知られるブランドに育てていきたいと考えています。

また、日置市と鹿児島銀行が連携して始まった「日置市オリーブ構想」からどんどん広がりを生み出していくことで、日置市は「チャレンジできる」場所として多くの方に知っていただきたいと思います。

一緒に悩んで、同じ方向を向いて相談に乗ってくれる存在

ーーお取り組みについて、大変よくわかりました。ここまで関わってきた協働プロの印象や、エピソードなどがあればぜひお聞かせください。

水流:

代表の村松さんをはじめ、藤村さんや鈴木さん、何さん、松本さんなど多くの協働プロの皆さんがプロジェクトに関わってくださいました。

始まるまでは、ここまでワンチームで伴走し、親身になって取り組んでくれるとは思っていませんでした。協働プロ間での情報共有や、議論の続きをちゃんと共有してくださっていたこともあり、ストレスなく目の前の議論に集中することができました。また、「これをやったほうがいい」と押し付けるコンサルティング的なスタイルとは違って、自らがやろうと思う自主性を大事にしてくれたことも、振り返ってみると自分たちの自信に繋がりました。

協働プロの皆さんはバックグラウンドとして色々な経験をお持ちだったこともあり、先ほどのBtoB戦略の可能性など、自分たちでも気が付かなかった価値を見つけてくれました。身内や関係者からではない、ある意味で第三者的視点から、お褒めの言葉をいただいたことで、ものすごく社内の士気も上がりましたし、協働プロの皆さんに8ヶ月伴走いただけて本当に良かったなと思いました。

ーーこうした複業人材との取り組みや、協働日本は今後、どうなっていくと思いますか?

水流:

今回すごく実感したのは、外部からの目はやはり大事だなという点です。自社のスタッフにないスキルやバックグラウンド、住んでいる環境も違う協働プロの皆さんのアドバイスはとても貴重で、鹿児島県内で周囲に相談するだけだと見つからなかった解決の糸口も、外部の目だとあっさり見つかったりします。

一緒にワンチームを組んで課題に取り組んだ結果、組織は色々な多様性を持った人間が関わるほうが広がりがあると思いましたし、地方の会社こそこういった取り組みは必要だと感じました。実際に、この取り組みの話を外部でしたところ、「どうやったら協働日本と仕事ができますか?」という問い合わせをもらったこともあります。

社長という立場は、何か答えを持っていることを期待される場面も多いんですが、実際は社長自身も悩みは多いし、失敗したことをだれかと一緒に振り返りたいと思う気持ちも持っています。一緒に悩んで、同じ方向を向いて相談に乗ってくれる存在って、どの経営者も必要としているんだと思います。

目の前の数字よりも、組織が社会に評価される、残っていくために必要なことをアドバイスしてくれる協働日本さんの取り組みはきっと多くの地方企業が求めているものだと思います。これからも期待しています。

ーー大変ありがたいエールです。本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

水流:

ありがとうございました!

水流 一水 / Hitomi Tsuru

鹿児島オリーブ株式会社 代表取締役

2004年4月  株式会社鹿児島銀行入行
      以降、県内店舗での営業・本部業務を経て
2015年   ㈱JTB九州出向
2016年   鹿児島銀行地域支援部
2019年~2021年 産休・育休取得
2021年   復職・鹿児島銀行地域支援部にて地域活性化業務を担当
2022年10月 現役行員として初めて鹿児島オリーブ㈱代表取締役就任
      「上質なオリーブを通してローカルを見直す」をコンセプトに鹿児島県日置市から情報発信中

【公式】鹿児島オリーブ | 日置からフレッシュなオリーブオイルを
https://kagoshima-olive.co.jp/

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