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STORY:有限会社三吉商店 石橋隆太郎氏 -70年続いた会社を守る、使命と覚悟。もやしの食シーンに新たな付加価値を-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社三吉商店 代表取締役の石橋 隆太郎氏にお越しいただきました。
三吉商店は、1953年創業のもやし製造会社です。

日本の食卓ではお馴染みの「もやし」ですが、人口減少に伴う消費量の低下や原料種子高騰、後継者不足など環境の変化を受け、この30年間でもやし製造会社は300社ほどが廃業に追い込まれています。

今では北陸三県で唯一の「もやし屋さん」となった三吉商店は、もやしだけではなく「もやしを食べるシーンに付加価値をつけたい」という想いで新規事業をスタート。

もやしを美味しく食べるためのドレッシングの製造・販売という、もやし製造会社の新たな挑戦となるプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

もやしを食べるシーンに新しい価値を。事業の黒字化に向けて協働日本の取り組みをスタート。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、これまでの事業の歩みや協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

石橋 隆太郎氏(以下、石橋):はい!よろしくお願いいたします。

三吉商店は、私の祖父が創業して70年を迎えた所謂「もやし屋さん」で、私で3代目になります。経営を引き継いでからは、日本の人口減少に伴う消費量の低下により、売上が低下していくリスクに直面。新しい事業に挑戦する必要性がありました。

もやし製造会社でよく行われているのは、もやしの製造販売の傍らカット野菜を販売する事業ですが、これはすでにレッドオーシャンとなっています。
そこで改めて一から「もやしの価値ってなんだろう?」と考えて、ついに至ったのは「もやしを食べる場面自体に付加価値をつけよう」というアイディアでした。

もやしの特徴である「味がないところに味がある」──どんな味にも変化し、食感を加えることができるという点に着目し、その味付けをするための調味料を作ることにしたんです。

そうして出来上がったのが、完全無添加にこだわった「nohea」という調味料ブランド。ドレッシングをはじめ、焼肉のたれやパスタソースなど色々な種類の調味料を作りました。出だしの売れ行きは好調で、大手の高級志向のスーパーにも置いてもらえて毎月の売上も800万円ほどあったのですが・・もやし以外を売るのは初めてだったこともあり、流通の仕組みや売り方などの設計が上手くいかず、その内情としては赤字続きという結果でした。

さっそく営業体制を変えるなど試行錯誤してなんとかやりすごしてきましたが、70年続いた会社の事業が上手く行かなくなっている現実に、先代、先先代に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。協働日本を知ったのはちょうどその頃で、石川県主催の経営塾で同期だった四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介がきっかけでした。普段から事業のことを話していたので、協働日本の伴走支援について教えていただき、興味を持ちました。

no-heat、no-addedが売りの「nohea」の無添加ドレッシング

ーーそうだったのですね。そこからすぐに伴走を決めたのでしょうか?

石橋:実は、同時期に銀行によるコンサルティング支援の活用も考えていたこともあり、協働日本との取り組みがスタートするまでには実際には1年ほどかかりました。

当初、私は「赤字を黒字に変えたい」ことを念頭に置いており、その目的のため、まずは銀行による財務面のコンサルを受けて、徹底的な原価計算と、採算性を見てたくさんあった商品ラインナップの絞り込みを行いました。

少し財務状況が改善したこともあり、満を持して、事業を伸ばしていくためのオフェンシブな施策を協働日本にお願いすることにしました。

ターゲットとコンセプトを選定し、新たに獲得した販路は「同業者への販売」だった。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

石橋:問屋の仕組みなども全くわからないところからのスタートだったので、まずはマーケティングや売り方を学ぶこと、自社の魅力・価値を知ることから取り掛かりました。協働チームは、協働日本CSOの藤村さん田村元彦さん、加藤彩乃さんの3名、三吉商店からは工場長、営業、そして私の3名が入っています。

一番に取り組んだのは自社の価値を知るための仮説を立てることです。その中で、「今、本当は何を一番売りたいのか?」という問いを立ててもらい、一度立ち止まって考えてみました。出てきた答えは「もやし屋のまかないダレ」でした。

「もやし屋のまかないダレ」

ーー「nohea」のドレッシングや各種調味料の改良アイディアではなかったんですね。

石橋:そうなんです。最初にお話しした通り、ドレッシング事業を始めるきっかけとなったのは「もやしにかけたら美味しくなるもの」を作りたいという想いでした。

本当にやりたかったことはもやしにかける美味しいタレを作ることだったのに、気づけば手を広げすぎてしまっていたんですね(笑)。

色々な商品を作るようになった背景には、「もやしダレ」を最初に作った時にあまり売れなかったことがあります。数十円で買える安いもやしに対して300~400円するタレを買うハードルがお客様にあったのですね。「美味しいのかもわからない、そもそも、もやし専用のタレって何?」と思われてしまい、お客様が買う意味を見出せず売れなかったんです。

そこでパッケージを変えて、もやしを一番知っているもやし屋だからこそおすすめできるというストーリー性が伝わるようにしたのですが、協働日本との伴走がスタートしたタイミングではまだ軌道に乗っていませんでした。

そこで、今回の協働取り組みのテーマを「もやし屋のまかないダレ」の販売をいかに拡大していくかに定め、取り組みをスタートさせることにしました。

「nohea」はギフト用の高級ラインナップですが、「もやし屋のまかないダレ」は今後スーパーで重点的に売っていきたい商品でした。

取り組みの中で次に整理したのは、ターゲットと、どこにどんな風に売れば食べてもらえるのか?という点でした。

ーー具体的にはどんな風にターゲットを整理していったのか教えていただけますか?

石橋:はい。この時点でぼんやりと想定していたターゲットは「主婦」や「ファミリー世帯」でした。ただ、利用シーンまでは考えられていなかったので、まずはお客様の声を聞こうと、高校の文化祭でもやしとタレをセット販売してアンケートを実施しました。

実は「もやしダレ」ジャンルの競合商品のほとんどがピリ辛系のものなんですが、「もやし屋のまかないダレ」のメインはうま塩ダレ。子供にも人気でした。

一方、50〜60代以上の方にはニンニクや塩気が強すぎるなど、ターゲットにしたい層への味のマッチ度が見えてきました。また、アンケートの結果から、特に主婦の方達は「子供や家族が好きなもの」を買いがちである傾向も分かりました。

普段はスーパーなどに置いてもらうことがメインなので、もやしを手売りするという機会自体も私たちにとってこれまでにない試みでした。

お客様と直接相対して「普段食卓でもやしをどういう風に使いますか?」「実はこういう栄養素があるんですよ」なんてコミュニケーションをとってみると、私たちにとっては当たり前なことも、お客様からするとそうではないことも多く、今後発信していきたい情報やメッセージにも気づくことができました。

ーー直接お客様の声を聞くことで、ターゲットやコンセプトが絞られてきたのですね。

石橋:はい。ここからは実際にどうやって売っていくかを考えていきました。


協働プロの田村さんと加藤さんは特に、今も現役で食品メーカーで活躍されているプロ。流通についてのアドバイスやアイディアをたくさんいただきました。

どうしても問屋さんを通すと販路の確保までに時間がかかってしまうことや、販路設計が複雑になってしまうというお話を聞き、他の方法はないか?と考えました。

そこでたどり着いたのが「同業のもやし屋さんにまかないダレを買ってもらってはどうか?」というアイディアでした。

全国的にもやし屋さんがどんどん減っていることに対しては、業界の皆が危機感を持っているんです。とはいえ、なかなか打開策が見つからないというのが、今のもやし業界のもつ共通の感覚だと思っています。

単純ですが、もやしの消費量を増やしていくことができれば、お互いのシェアを取り合わなくてもいいじゃないですか。もやしダレをもやしとセットで販売して、ファンになってくださった方がまたもやしを買う───そんなサイクルを作れたら、もやしの消費量を増やすことができるのではないかと思っていたんです。

実際に販売店になってもらうメリットは大きく3つあると考えました。1つはタレと一緒にもやしも売れること。2つ目は、新商品として営業が販売できる商材ができること。そして3つ目は利益率が高く、もやし20〜30パック売れるのと同等の利益を出せることです。

そうして同業のもやし屋さんに「まかないダレ」を仕入れてもらえないか掛け合い始めました。最初に取り扱ってくれたのは西日本で1番大きいもやし屋さんでした。

もやし屋さんはそれぞれスーパーなどの小売のもやし売り場・顧客を持っていますから、もやしの横に「まかないダレ」をセットで置いてもらうと、想定した通り結構売れたんです。

営業マンにとっても新しく売るものができたことでやる気が出たようで、積極的に売ってくれるようになって、今では「まかないダレ」をもやしとセットで売り場に置いてくれるスーパーをどんどん広げていってくれています。

今後は提携してもらえる同業者の開拓、BtoCの小売りはもちろん、外食店などにも置いてもらえるように取り組みを進めていきたいと思っています。

1年ほど取り組みをやってきて、収益が大幅に改善し、来期はいよいよドレッシング事業単体での黒字化を目指せるところまで来ました。

やりたいことをやるためには、やらないことを決める。目的に集中する環境づくりの大切さを実感。

ーー協働日本との取り組みの内容や成果についてお聞きしてきましたが、ご自身や社員の皆様の内面や行動にも変化は生まれましたか?

石橋:まずはシンプルに、私も含め社員皆にとって、とても良い勉強の機会になっています。例えば、弊社営業担当のとある社員は、元々主婦で当社の顧客でもありました。トークセンスがあるので営業や販売自体は上手だけれど、主婦からの抜擢ということもあってどうしてもビジネス経験は浅かった。

それが、協働取り組みを通じてお客様の求めている価値や、それを届けるための行動についての知識が身についており、自身の解釈力や再現性が高まっているのを感じます。

また、途中で「たくさん売りたい気持ちはあるが、生産が間に合わないので難しい」という、製造側と営業側の対立・ジレンマを感じるシーンもありました。でも、協働プロの皆さんはこういったことも経験済みだったので、すぐに的確なアドバイスをいただけたこともありがたかったですね。

実際、協働日本の藤村さんから「自社製造をやめて、製造は外部委託に切り替えれば良いのでは?」と鋭いご指摘と、「やめる勇気」をいただいたことも。

やりたいことをやるのは大切ですが、同時にやらないことを決めないと物事は進みません。「売る」ことに集中できるように環境を整えることで、製造・販売の仲違いもなくなりました。

ーー毎週のセッションの中で、宿題が出ることもあったと思いますが、大変ではなかったですか?

石橋:そうですね、私たちはあまり『宿題』と感じてはいなかったかもしれません。確かに毎週、新しいミッションやテーマで考えること・行動することが必要でしたが、私たちが本来やるべきことそのものだと感じています。

元々もやし以外の製品の販売に関しては素人集団だったので、毎週のセッションの中でデータ分析・数値に基づいた戦略策定の考え方など、様々な事例を交えながらわかりやすく解説していただいて、自社メンバーも腹落ちして進めることができたので、それも大変良かったと思っています。

また、外部の、まして大手企業の方と話す機会も少なかったので、自社のやり方とは違う方法や考え方に触れられたとということも気づきが多かったです。

ある意味で、「大手企業でも同じような問題に直面しているのか」という気づきがあったことも個人的には大きかったです。大手企業でも失敗しながらやってくんだから、私たちみたいな中小企業が一発でできるわけない。色々と試していこう、と奮い立たせられました。

外部のノウハウを取り入れにくい環境にある人こそ、協働を。今後の成長のために今必要なこととは。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

石橋:当初はこういった取り組みがあること自体を知らなかったのですが、ご縁を通じて協働日本の伴走支援の仕組みの話を聞いて、様々な領域のプロフェッショナルの実践的な経験値を学べることと、学ぶだけではなく、協働を通じて中小企業に体内化していく重要性を感じましたね。

特に、私のように会社を継いで代表となり、経営に携わっている人間は、他社に修行に出ることも簡単にはできません。創業からの流れでやっている企業ほど、考え方ややり方が固まってしまい、変化する世の中で柔軟に戦うための仲間も集まりにくい。外部のノウハウや経験値を社内に取り込んだり活かしにくい環境にあることは大きな課題だと感じています。

だからこそ、こういった機会を活用して、柔軟に外の知見を社内に取り込んでいかないと、継続して成長していくことは難しくなっていくのではないかと思います。

協働プロたちに伴走をお願いすることのコストは、ある程度覚悟のいる出費ではありますが、その価値や生まれる変化を考えた時には、安いくらいに感じます。本当にお願いして良かったと思っていますし、悩んでいる経営者がいれば是非お勧めしたい取り組みです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

石橋:協働日本のメンバーに加わる方は、ただ単に副業をしたい・お金儲けしたいという人はいない印象です。

皆さん、協働日本代表の村松さんの理念に共感して、今の自分のノウハウやスキルを中小企業に提供することによってその企業が回復していくことにやりがいを見出してくれる人が多いと思っています。

私たち中小企業側としては、大手のサラリーマンのスキルやノウハウを学べるメリットがありますが、協働プロのみなさんにとっても、対価としてお金を貰えるだけでなく、一緒に課題を克服することで、やりがいや、さらなるスキルを得られる相互にとって良い場になればら良いなと思っています。

また、せっかく色んな企業の方が関わってくださっているので、協働日本のおかげで回復してうまくいくようになった会社同士や、協働プロの皆さんの本業とでタイアップなどもできていくと面白いかもしれませんね。せっかく繋がったご縁でもあるので、新しい事業体が構築されていくといいなとも思います。

アドバイスをもらいながら成功報酬をお支払いするだけではない、発展的なビジネスモデルにつながると、もっと日本の未来にも明るい影響があるのではないでしょうか。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

石橋:ありがとうございました!

石橋 隆太郎 / Ryutaro Ishibashi

大学在学中、20歳で父が始めた飲食FC店舗の店長に就任。5年間の飲食経験の後、有限会社三吉商店に入社し、もやしの製造事業に携わる。29歳で代表取締役に就任し、新事業で調味料製造事業(NOHEA事業部)を立ち上げる。「NOHEAヴィーガンシリーズ」は、令和3年度金沢かがやきブランドに認定される。また「もやし屋のまかないダレ」は、Japan Food Selectionのグランプリを受賞し、もやしと調味料を活用して新たな新境地を開拓している。

協働日本事業については こちら

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NEWS:事業構想オンラインと連携し、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」と連携し、今後協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします

学校法人先端教育機構が運営する「事業構想オンライン」にて、協働日本のインタビュー記事を定期掲載いたします。

今回の掲載記事

若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ | ニュース 2024年 5月 | 事業構想オンライン
https://www.projectdesign.jp/articles/news/7d0afdc4-83a7-4370-af9a-20747febad9a

今回、協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」の中から、鹿児島県の株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏へのインタビュー記事を取り上げていただき、記事掲載しております。

インタビューでは、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語っていただいております。

今後の取り組みについて

「事業構想オンライン」は、「月刊事業構想」を出版する学校法人先端教育機構によって運営されているウェブメディアです。

「月刊事業構想」は、企業活性、地方創生、イノベーションといったテーマに基づき、新たな事業アイデアを求める、全国の経営者・新規事業担当者・自治体幹部の方々向けの専門誌です。

地方創生・地域課題解決のヒントを発信しており、全自治体の首長・自治体職員へ献本を通じて全首長の84%が定期的に月刊事業構想を閲読しております。

この度、協働日本が掲げる「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進する取り組みのパートナーとして、「事業構想オンライン」への記事の掲載をスタートしました。

今後も月に1回のペースで、協働日本における各種インタビュー記事を掲載予定です。

株式会社協働日本は今後も、株式会社イノベーター・ジャパンと協力し、協働日本における各種インタビュー記事を「事業構想オンライン」へ掲載し、日本中で誕生している協働の事例や、経営者の想いを発信していくことで、「地域の活性化」と「働く人の活性化」双方の実現を推進してまいります。

ご紹介した事業について

協働日本事業

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「事業構想オンライン」について

月刊事業構想は、新市場を開拓する「構想力」を育み、スタートアップや新規ビジネス、地域活性につながる情報を提供することをコンセプトにしたビジネス誌です。
このサイトでは雑誌の転載記事だけでなく、オンラインオリジナルのニュース記事等を掲載しています。

事業構想オンラインについて | PROJECT DESIGN – 月刊「事業構想」オンライン
https://www.projectdesign.jp/about

発行人東 英弥
編集室長田中 里沙
編集長増田 智子
発行学校法人先端教育機構* 事業構想大学院大学出版部
発売学校法人先端教育機構
所在地〒107-8418 東京都港区南青山3-13-18
PROJECT DESIGN – 月刊「事業構想」オンライン
https://www.projectdesign.jp/

*学校法人先端教育機構は「知の実践研究・教育で、社会の一翼を担う」を理念に、事業構想と構想計画を研究する事業構想大学院大学と、広報戦略や人材育成におけるリーダーを養成する社会構想大学院大学を運営しています。

株式会社協働日本 協働日本事業 の詳細ついては こちら

STORY:持留製油株式会社 上野浩三氏 -新たなアイディアで事業の壁を突破。新たな光が見えてきた社会課題解決型事業-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、持留製油株式会社 常務取締役の上野 浩三氏にお話を伺いました。
持留製油株式会社は明治6年(1873年)に創業し2024年で151周年を迎える、食用油脂製品製造販売業の会社です。

長きにわたり、食用油脂を軸にした事業を進めてきた持留製油ですが、5年ほど前から緊張緩和や鎮痛作用のある「CBDオイル」に関する新規事業をスタートしました。

世間で注目を集める新商品ではあるものの、新規参入事業であることや、市場自体が未成熟であることなどからどういった方向性で事業を推進していくべきか悩んでいたところに、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」がスタート。事業に参画した持留製油と、事業をサポートする協働日本との協働プロジェクトがはじまりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

課題の多い市場ゆえの悩みと、多くの壁

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

上野 浩三氏(以下、上野):よろしくお願いいたします。協働という取り組みを知ったきっかけは、鹿児島県が新産業創出ネットワーク事業の参加企業の募集を見たことです。それまでは協働日本さんの取り組みについては存じ上げませんでした。

弊社では5年前からCBDオイルの事業を展開しているのですが、まだまだ成長途中ということもあって、一緒に考えていくれる仲間がいるとありがたいなと考えていたので、新産業創出ネットワーク事業に応募をしました。

無事に採択いただけたことで、協働がスタートしたという流れです。

ーーなるほど。CBDオイルの新規事業について、具体的にどのような事業か教えていただけますか?

上野:はい。そもそもCBDというのは、カンナビジオールの略称で、大麻に含まれる物質「カンナビノイド」のひとつです。アサの茎や種子から抽出される成分で、炎症を鎮めたり、不安を緩和する効果があります。「大麻」というと日本では忌避感も強いかもしれませんが、精神作用や中毒作用がないことで知られており、医療や美容分野でも興味関心が高まっているんです。

食用油脂を扱う弊社でCBDオイルを扱うようになった背景には、社長の体験があります。社長が6〜7年前にパニック症候群に罹患して大変な思いをしていた時、アメリカの友人からCBDを紹介され、試しに使ってみたところ症状が改善されたのだそうです。その経験から、CBDで多くの方の悩みを解決できるのであれば、という想いで事業化することになりました。

CBD自体は、日本でも2013年より合法化され、2022年にはAmazonでも一部店舗で販売が可能になりました。そういった環境もあり、世間の注目度も高く、同じようにCBDオイルを取り扱うスタートアップもかなり多い時期だったんです。

ーーそうなんですね。恥ずかしながら、名前は聞いたことがあるもののCBDオイルについて詳しく存じ上げませんでした……。

上野:おっしゃる通り、日本ではあまり消費者に正しく情報が浸透していないのも事実です。

実際、事業化当初は、大麻草由来の成分ということもあり社内でも不安の声があったほどです。CBD自体が消費者に知られていないことや、存在や効果を知っていてもなんとなく不安に思われる方もいるなど、完全に供給過多の状況でした。

弊社は良い原料メーカーを見つけることができ、良質なCBDオイルの提供ができるということや、世界的に先行事例があるということで可能性を感じて販売をスタートしましたが、思うように売り上げは上がっていませんでした。

供給過多の市場から飛び出し見つけた、Bto”D”の新たな勝ち筋

ーー実際協働がスタートしてからはどのようにプロジェクトが進んだのかお聞きできますか?

上野:はじめは、市場調査からはじめました。協働プロとしては、村松さん(協働日本代表)と藤村昌平さん(協働日本CSO)に入っていただきました。


ECで売れない理由を分析していったところ、他社との差別化や、弊社ならではの強みが必要ということがはっきり見えてきました。強みの整理など、色々と考えてはみたのですが、一般市場では消費者のニーズも高くはなく、類似する他社のCBDオイルもたくさんある───どのように売れば差別化されて売れていくのか道筋が見えづらかった。

そこで、ニッチだが、確実にニーズのある方向を目指そうという話になったんです。

ーーこれまでからターゲットを変えていくということでしょうか。

上野:はい。これまでのBtoC向けの商品展開ではなく、BtoBなど売り先を変えてみてはどうかということで、ターゲットになりそうな企業を探していくことになりました。

CBDオイルは海外では医療や美容の目的で使われるので、日本国内にも興味のある企業がいるのではないかと、当たってみたところ、知人からの紹介で認知症患者にCBDオイルを使ってみたいというお医者さんとの出会いがあったんです。

クリニックとの共同事業ができると、消費者に信頼される「エビデンス」という強みを持つことができます。そこで、認知症患者の治療のためのCBDオイルの共同開発がはじまりました。

ーーまさに、「ニッチだけど確実にニーズがある」市場かもしれませんね!共同開発はスムーズに進んだのでしょうか?

上野:はい、「BtoD」という新しい市場に辿り着いたのは成果の一つだと思っています。共同開発の最初の壁は「CBDオイルを治療に適した形にすること」でした。

CBDには直接飲むタイプや、吸うタイプ、食べ物に混ぜて摂取するタイプなどさまざまな摂取の仕方があります。認知症の患者さんでも負担なく取り入れられる形を目指して検討しました。その中で、経口摂取だけでなく、経皮吸収でも効果が見られるというデータを見つけ、皮膚に貼って使う「CBDパッチ」の開発に繋がりました。

パッチの製作自体は外部委託先に依頼しましたが、医療用のパッチにCBDを入れた前例がなかったため、何%の濃度のオイルを入れられるか?何%の濃度なら効果があるか?など模索が必要でした。

また、同時に大学病院での治験の手続きも進める必要がありました。倫理委員会を通すなど準備にも時間はかかったのですが、無事に治験を開始することができ、クリニックの先生の協力もあって、結果的に効果が見込めるパッチが完成しました。

治験自体はこれからも引き続き実施する予定で、先生も成果を論文にしていきたいとのことで、持留製油のCBDオイルの強みである「エビデンス」が明確になっていくのを楽しみにしています。

協働日本は責任感をもって一緒に事業にぶつかってくれるプロたち

ーー協働日本との取り組みの中で、生まれた変化や成果について教えていただけますか?

上野:成果、と言うにはまだ道半ばというところではありますが、誰に対して、どんな製品を売っていくのかという方向性が見えたことが一番大きな変化と収穫だったと思っています。

私自身は持留製油に入社するまで様々な業界で新規事業に携わることが多かったので、新しい事業に挑戦することは好きだったのですが、一人で考えるとアイディアが出なくなって行き詰まってしまいやすいということもわかっていました。

なので、今回協働チームの皆さんと一緒に考えることでアイディアがたくさん出てありがたかったですし、新しい考え方やスキームを知るヒントになってよかったと思っています。

例えば、藤村さんは、元々ライオンという消費財メーカーの研究室のチームにもいらっしゃったこともあって、製品開発におけるメリットよりもデメリットがないかが重要と考えられていて、売れるメリットのことを強く考えていた私にとっては新しい気づきでした。

やはり様々な分野のプロのこれまでの知見やノウハウに触れることができることは自分にとっても勉強になって良い機会でした。

ーー協働プロたちの印象はいかがでしたか?

上野:村松さんは熱い想いでぶつかってきてくれて、藤村さんは冷静に分析してどんどん突っ込んできてくれる。

お二人がそうやってぐいぐい前のめりに問いを立てて深掘りしてくれたからこそ、これまでの状況を切り開き、難易度が高い事業づくりに新しい光が見え始めたのかなと思っています。

副業人材でコンサル的な取り組みが増えていることは知っていましたが、個人的には”教えてくれるだけ”のコンサルティングはあまり好きではなくて……。

協働日本さんの場合は、ワンチームで一緒に考える、一緒に責任を持って事業にぶつかってくれるという姿勢で参画してくれる、単なる副業人材活用とはまったく違った取り組みスタイルでした。

地方のものづくり系の会社以外にも、スタートアップ系の新規事業や、自分で起業される方にもおすすめしたいですね。そういった企業の経営者には、同じ目線で相談できる相手がいない場合も多いので、事業づくりの経験がある「わかってくれる」人に相談できる機会があるというのはいいなと思いました。

昔のような「ものづくり日本」を取り戻す──プロフェッショナル集団が強い事業づくりの一助に

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

上野:協働日本は非常に面白い取り組みです。協働プロが増え、チームのバリエーションが広がっていけば、全国の地域企業がさらに成長し、新しい事業をどんどん形にしていけるのではないかと思います。法律にしろマーケティングにしろ、事業をつくるには様々な要素があり、やっぱりプロがいないとわからないことって多いと思うんです。しかも誰に聞いていいかもわからない。チームの中に色んなプロがいること、地域企業の強みを活かした「機能拡張」できることが、協働日本の強みだと思っています。

特に、村松さん、藤村さんもそうですが、キャリアにおいて製造業を経験している協働プロが多いことも協働日本の強みじゃないかなと思います。個人的には、昔のような強い「ものづくり日本」になってほしいという想いがあって、それを強くするためにプロがついて支援していくことは大事かなと。「日本に熱を生み出したい」というテーマの中でも、地方創生にとどまらず、産業活性、産業振興をリードできることも協働日本の強みかなと思うので、頑張っていただきたいなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

上野:ありがとうございました!

上野 浩三 / Kozo Ueno

持留製油株式会社 常務取締役

1090年鹿児島生まれ
大学後、旅行会社にて12年間、海外添乗、営業、企画に従事。
改めて鹿児島の魅力を発信したく、総合酒類卸会社に転職し、鹿児島中央駅アミュプラザかごしまの「焼酎維新館」の初代店長として立ち上げ。
県外を中心に焼酎・特産・物産を営業も同時に行う。
2012年「かごっまふるさと屋台村」のNPO法人運営理事として、立ち上げ、運営に従事。
2020年より、持留製油株式会社に転職し、食用油脂製造業の営業と、CBDじ業の立ち上げに従事。

協働日本事業については こちら

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STORY:株式会社イズミダ 出水田一生氏 -若手社員が経営視点を獲得。未経験から会社の中核人材へ-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社イズミダ 常務取締役の出水田 一生氏にお越しいただきました。
株式会社イズミダは創業50年の鮮魚の卸売・小売・水産加工の会社です。元々は創業者である出水田氏のお祖父様が自転車の荷台に魚を積み、売って回ったことが始まりでBtoB向けの卸売がメインの事業だったそうです。

10年前に出水田氏が3代目として戻られてからは、加工品のEC販売や飲食店、体験・教育、対面販売のBtoC向けの魚屋など『新しい魚屋の形を作る』ためさまざまな事業を展開しています。

創業者の「魚の本当の美味しさを知ってもらい、皆様に喜んでいただきたい」という想いを受け継ぎ、大きく変化を遂げようとする株式会社イズミダ。その中でも今回は鮮魚店が併設する食堂である「出水田食堂」のプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明)

協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会の様子も合わせてぜひご覧ください。

新しい魚屋の形を作る──新しい挑戦の中で表面化した課題に伴走支援を。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

出水田 一生氏(以下、出水田):はい、よろしくお願いいたします。

鹿屋市の前副市長の鈴木健太さんからの紹介がきっかけで、協働日本代表の村松さんにお会いしたのが始まりでした。伴走支援という形での複業人材の活用の話や、鹿児島県の「新産業創出ネットワーク事業」についてお聞きして、ぜひ一緒に取り組みをさせていただきたいと思いました。


「新産業創出ネットワーク事業」は昨年度も実施されていたということで、株式会社ネバーランドさんの加世堂さんなど、以前から知っていた方が参画されていたということもあり、協働の事例を聞いて一気に親近感が沸きましたね。

昨年の取り組みなど村松さんにお話を聞いた後すぐに、今年度(令和5年度)の県の事業への参加事業者の募集があったため、チャンスだと思いすぐに申請書を書いて提出しました。

ーーすぐに協働を決めてくださったんですね。今回の協働では、数あるイズミダの事業の中でも「出水田食堂」のプロジェクトについて伴走させていただきましたが、テーマについても申し込みの時点ですでに決めていらっしゃったのでしょうか?

出水田:最初は、当時頭の中にあった別の課題を解決したいと考えて申請書を出していました。最初のセッションでその課題について深掘りして考えていく中で、それよりももっと、解決していくべき点があると気づいたんです。それが、鮮魚店併設型の食堂である「出水田食堂」の運営についてでした。

弊社、株式会社イズミダは鹿屋市で創業50年、現在は2代目として父が経営しています。元々BtoBの卸売業だったのですが、3代目として店を継ぐため私が戻ってきた10年ほど前から、加工品のEC販売など新しい事業も始めるようになりました。

出水田食堂は、よりダイレクトに魚の魅力や価値を伝える手段として、2022年の4月にスタートした鮮魚店併設型の飲食店です。営業はお昼だけ、市場の休みに合わせて週休2日という営業形態も、長時間労働が常態化しやすい魚屋の働き方改革への挑戦という意味もありました。

出水田食堂は、鹿屋市ではなく、鹿児島市の騎射場という学生街・飲食店街にあります。単価はエリア平均より高めであるにも関わらず、開店当初よりさまざまなメディアに取り上げていただいたり、行列ができたりと、ありがたいことに大変好評いただいていました。

一方で、内部的には従業員が定着しないという問題がありました。責任者である私は普段鹿屋市にいて、鹿児島市の店舗までは移動に2時間近くかかってしまいます。物理的距離がスタッフとのコミュニケーションにも影響し、少しずつ考えにズレが生じてしまうことなども理由の1つで、スタッフが辞めてしまい、併設の鮮魚店を休業さぜるを得なくなったり、飲食店でのクレームが増えたりと目に見える形で問題が出るようになっていました。

ーーなるほど。それで出水田食堂への伴走がスタートすることになったのですね。

出水田:はい。協働がスタートした頃、新たにスタッフを2名採用したところだったんです。2名とも20代の女性社員なのですが、前職は保健師とパティシエという、魚に関する知識が経験もないにもかかわらず、我々の想いに賛同して入社してくれたメンバーでした。

先ほど話した通り、私には物理的な距離の問題もありますし、出水田食堂での新しい事業や課題解決については私ではなく現場のスタッフが責任を持ってやらないと長続きしないのではないかと思い、彼女たちにも協働プロとの毎週のミーティングに参加してもらうことにしました。

店舗の運営に留まらず、体験・教育などこれまでにない新しい魚屋の形に挑戦している。

昨年比1,000%超、過去最高売上を更新。二人でも無理なくできる、現場発信の施策の数々。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

出水田:はじめは、根本的な価値や課題を深掘りするということで、会社の価値や課題を考えるというワークからスタートしました。協働チームとしては、藤村昌平さん横町暢洋さん、宮嵜慎太郎さんの3名を中心に入っていただいています。

まずはワークショップの中で、自分の存在意義と会社の存在意義を考えるところから始まったのですが、日頃から『存在意義』について考える機会はなかなかないので、私にとってもスタッフにとっても、何のためにここで働き、何をしていきたいのか、考えを整理するためにとても貴重な機会だったと思っています。

それぞれの想いが整理されたことで、その後の価値や課題についての議論も活発になっていきました。

印象的だったのは、私の考える会社の価値や課題と、スタッフたちの考える価値や課題について、違いと共通点が浮き彫りになったことです。1つ1つの意見についてディスカッションをしていくことで、これまで課題だったコミュニケーションや意識のずれが少しずつ修正されていくのを感じたんです。

ワークショップの様子。それぞれの色がメンバーと紐付き、各人がさまざまな意見を出しているのが見える。

ーー同じテーマについて話をしていく中で自然とコミュニケーションが取れるようになっていったんでしょうか。

出水田:藤村さんのファシリテーションも大きかったと思います。これまで社内ミーティングで1つのテーマについて話し合う機会ももちろんあったんですが、その時は私が一方的に話すような形だったんです。

というのも、スタッフの2人は業界未経験ということもあって、どうしても「魚」についてはわからないことも多く、何か具体的なアイディアを求めても、自分は詳しくないからと遠慮がちになってしまっていたと思うんです。

そこで、うまく藤村さんが話を振ってくださったことで、2人とも発言する機会が増えましたし、どんな意見が出ても協働プロの皆さんが否定せずに受け止めてくださるんです。間違っていることなんてない、質問から少しズレていても言語化を手伝って軌道修正をしてくれるので、思ったことを好きなように言える雰囲気が醸成されていきました。

それに、それぞれの存在意義──ここで何をしたいのか、という部分は個人の内側にしかないものを発言する形になります。知識や経験とは関係なく、それぞれの想いで意見が言えるということも、活発な議論に繋がった理由じゃないかなと。

実際にその後、二人からの提案でさまざまな施策を行っていくことになりました。

ーーお二人からのご提案内容も含め、その後に実施された具体的な施策についても教えていただけますか?

出水田:はい。行列ができた際の待ち時間の有効活用、SNSの活用と発信、そして人員不足で休業していた鮮魚店を再オープンすることができるようになり、年末の受注、イベントへの参加、恵方巻きの企画など多岐にわたります。

まず、先のセッションによって、「お客様を待たせているが、ケアできていない」「時間がなくてお客様との接点を作れていない」という2つの大きな課題が顕在化しました。

待ち時間の課題を解消する施策としては、待っているお客さんが、お魚の知識に触れる経験ができるように魚の本を置いたり、隣接する鮮魚店に誘導するなど待ち時間でも楽しんでもらえるように工夫しました。「食べてファンになる」だけではなく、並ぶ時間から退店までも価値を伝え、ファンになってもらおうという施策でもあります。

そして、顧客接点の課題についてはSNSの活用でカバーしていくことにしました。Instagramでは、日々のおすすめや入荷情報を発信して来店意欲を高め、LINEではお得意様に対して特別な情報発信をしてリピート意欲を高めるよう役割を分けて運用することになったんです。ただし、スタッフは日常業務で忙しく、SNSの管理までなかなか時間を割くことができません。そこで、協働プロの横町さんの力も借りながら、生成AIを活用してコンテンツの生成から投稿後の検証まで2人でうまく回せる仕組みを作りました。

ーーすごいですね!実際に現場で無理なく回せる仕組みになっているんですね。

出水田:元々、出水田食堂は働き方改革への挑戦という側面もあったので、どうしてもスタッフに無理はさせたくありませんでした。現場にいない私が考えるのではなく、現場にいる2人も一緒に自分ごととして考えてくれたことで、より現場に即した形で施策を進めることができたのではないかと思います。

実際、年末の受注に関してもスタッフが率先して行ってくれた施策です。2022年の年末は人員不足で鮮魚店は閉めていたし、年末にスタッフを働かせるのもよくないと思い、年末の受注についてはほとんどお断りしていたんです。大晦日やお正月にお刺身を食べたいという需要があることはその時からわかってはいたので、2023年には「12/31は絶対に売れるから、公式LINEなどに流せば売り上げ上がりそうだ」という話をスタッフにしていたんです。すると、ぜひやりましょうと率先して声を挙げてくれました。実際にSNSでの発信によって受注につなげ、売り上げは前年比1,000%以上、過去最高額の売り上げになって驚きました。

ーー1,000%!需要がわかっていても積極的にできなかった施策が、すごい成果に繋がったのですね。

出水田:数字として期待以上の成果が出たのは年末の受注だけに留まりません。同じくスタッフが企画してくれた、恵方巻きの企画では140本以上の受注があり、年末に出した鮮魚店の過去最高売上をすぐに更新することになりました。

鹿屋市の店舗の方で2022年に結構恵方巻きが売れたので、騎射場の店舗でも売れるのではないか?というヒントを出しただけで、スタッフ2人で恵方巻きの内容や発信などほとんどオリジナルで考えて取り組んでくれました。

2022年にも出展していたイベント「ぶり祭」(鹿児島大学主催)でも、メニューの刷新やSNSでの積極的な配信によって、弊社経由で売れたチケットの枚数が前年比のほぼ倍になっています。

スタッフ考案の恵方巻き。大好評で140本以上を売り上げた。

「自分と会社の存在意義」がターニングポイントに。スタッフが経営者視点を獲得するという大きな変化。

ーー協働日本との取り組みの中で、店舗にはどのような変化が生まれましたか?

出水田:一番大きいのは、やはりスタッフの二人の自発性の向上だと思います。普段経営者である私が不在という中で店舗を運営し、成長させていくためには、二人の当事者意識を高めるマインドセットが必要でした。

どうしても初めの頃は、協働プロとのミーティングにおいても「私たちがいて何か意味があるかな…?」という雰囲気があったのも否めません。それでも言語化を重ねていくことで変わっていき、自ら積極的に声を上げてくれるようになっていきました。振り返って考えてみると、やっぱり、自らと会社の存在意義について言語化できたあたりがターニングポイントだったように思います。

伴走支援を通じて、それぞれが出水田食堂をよりよくするためにどうしたらいいか?を自分自身で考え、取り組み、コミットして数字を出すという一連の流れを経験することができたことで、スタッフとしての成長だけではなく、経営者視点の獲得にも繋がったのではないでしょうか。

それ以外にも、今ではトラックを運転して市場に買い付けに行き、魚を捌くところまでそれぞれが一人でできるようにもなっています。市場の先輩方にも可愛がってもらっているようで、そういった面でもとても逞しく頼もしいですね。(笑)

ーーそれは、大きな変化ですね。(笑)先ほどもお話しされていた通り、どんなことでも意見を言える雰囲気になったというのも重要かもしれませんね。

出水田:協働プロの皆さんと話す中で、本当にプロだなと感じることが多かったんです。言語化、課題の整理・抽出…頭の中にあってもできないことが多い中で、引っ張り出してくださるんですよね。

毎週のMTGの中でそんなシーンがたくさんあって、色んな意見が出てきたのを目の当たりにして、こうやって会議して新しい商品やサービスができていくんだなと身を持って体験できて、私自身としてもとても面白かったです。

また、オンラインだけでなく、実際に出水田食堂にも来てスタッフともオフラインで会ってくれたのも大きかったと思います。オンラインでは毎週顔を合わせていますが、リアルで会うとさらに距離も近づくので、コミュニケーションも取りやすくなりますよね。

週に一度で長期間実施する伴走支援、濃密な取り組みが成果に繋がる。


ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

出水田:実は3年ほど前から興味もあって、他社の副業人材活用のサービスを活用したこともあったんです。その時は、プロジェクトのスパンも短くて、5回程度だったので、いいアイディアや気づきもあったんですが具体的なところまで落とし込むことができずもったいなかったなと感じていたんです。

協働日本は毎週ミーティングがあって半年以上という比較的長い期間で伴走支援を受けられるので、取り組みが非常に濃密だと感じました。日々の業務に追われる中では、人間やっぱり期限を切ってお尻を叩いてもらった方が動きやすいですし、そういう意味でもいいなと思います。

ーーそうだったんですね。実際に、サービスを活用してみて、複業人材の取り組みは今後広がっていくと思われますか?

出水田:経営者同士の情報交換でも、よく話が出るようになってきたんですよ。興味がある人も多いのではないかと思います。なので、今後も広がっていくと思いますし、私自身も今後も活用していきたいと思っています。

特に、今回のように県の事業として支援を受けることができることで、伴走支援を受けられたという事業者さんもいるかもしれないですし、今後もそういった機会があれば周りにもおすすめしたいです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

出水田:本当に大変お世話になりました。おかげさまでこの短い、1年弱の期間でうちのスタッフも変わったし、店舗に大きな変化が生まれました。

こういった複業人材の活用というのは、いろんな事業者さんに知ってほしい取り組みでもあるし、多分、興味はあってもなかなか、どこにお願いすればいいんだろう?というところがまだ知られていないと思います。

それに、ただ都市部の凄い人を1人副業で入れても、自社組織のメンバーと一緒にチームで力を発揮しないと、なかなか本当の成果に繋がらないケースもあると思います。

だけど、協働日本さんは、「ただ凄い人を副業で入れたらうまくいく」というスタイルではなくて、ワンチームとしてのチームビルディングを意識し、これだけ深く入ってくれて私は本当にありがたかったし、他の複業人材との取り組みとの大きく違うのではないかなと思います。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

出水田:ありがとうございました!

出水田一生 / Issei Izumida

株式会社イズミダ 常務取締役

鹿児島県鹿屋市出身

大学・大学院で生物学を専攻。

大学院在籍中に父親の病気を機に家業である「出水田鮮魚」に戻り、卸一本であった昔ながらの魚屋のイメージを変えるため、魚×〇〇といった視点でEC販売、小売、飲食など新たなチャレンジを続けている。2022年全国中小企業クラウド実践大賞総務大臣賞受賞。

出水田食堂Instagram

協働日本事業については こちら

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STORY:鹿児島オリーブ代表取締役 水流 一水氏-顧客の声に向き合い売上増。販売スキル向上で新たな勝ち筋を発見-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

協働日本では昨年に引き続き、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、約8ヶ月にわたって、鹿児島県内の地域企業様の伴走支援を行ってまいりました。その伴走支援先の1社、鹿児島オリーブ代表取締役の水流 一水さんに今回インタビューさせていただきました。

鹿児島オリーブ株式会社は、純鹿児島産オリーブオイルを取り扱うほか、インポーターとして本場のイタリア・スペインからオリーブオイルの輸入販売も行っています。オリーブを使ったコスメ商品などの販売も行っており、今回の伴走支援ではオリーブオイルを使用したスキンケア商品の売上増加が当初のテーマでした。

スキンケア商品を新たな事業の柱とするべく、取り組んできた約8ヶ月の協働プロジェクト。実際に売り上げも伸び、成果が現れ始める中で、スタッフ一人一人の仮説の立て方や実行力などが上がったことを実感したそうです。また、BtoBに新たな活路を見出すなど、当初の想定以上の手ごたえをつかむことができたと語ってくださいました。

今回はインタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで見つけた新たな勝ち筋や、生まれた成果や変化について語って頂きました。さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についてメッセージもお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

新産業創出のための「日置市オリーブ構想」

ーー本日はよろしくお願いいたします!先日は鹿児島県庁での成果発表会お疲れさまでした。

水流 一水氏(以下、水流):

よろしくお願いいたします。先日はありがとうございました。

noteや動画という形で、当日の様子もまとめていただき、ありがとうございました。

参考:今年も熱い「協働」事例が鹿児島で誕生!取り組み報告会レポート

参考:今年も鹿児島で多くの「協働」事例が誕生しました(協働日本 令和5年度「新産業創出ネットワーク事業」プロジェクト最終報告会より)

ーーあらためて本日のインタビューでは、報告会でのお話に加えて8ヶ月間の協働取り組みの詳細や、取り組みを通じて生まれた変化などを伺っていければと思っております。

水流:

あらためてよろしくお願いします。弊社、鹿児島オリーブ株式会社は、日置市と鹿児島銀行が連携して始まった「日置市オリーブ構想」のもと誕生した2014年創業の企業です。過去の代表取締役は過去3代が鹿児島銀行OBで、2022年10月に現役行員である私が着任して現在に至ります。

ーーそういった背景のもとで設立された会社だったのですね。水流さんは、鹿児島銀行でキャリアを積んでこられたんですね。

水流:

そうなんです。法人設立の2年前に日置市から大手半導体工場が撤退しまして、それをきっかけに新産業を興したいということで「日置市オリーブ構想」が始まりました。

鹿児島オリーブという名の通り、弊社では純鹿児島産オリーブオイルを取り扱っています。ただ、それだけではなくてインポーターとして本場のイタリア・スペインからオリーブオイルの輸入販売も行ったり、オリーブを使ったコスメ商品などの販売も行うなど、関連した事業も複数行っております。

協働日本さんとの今回の伴走支援では、オリーブオイルを使用したスキンケア商品の売り上げを増加させたいというところから取り組みがスタートしました。

スキンケア商品を新事業の柱に

ーーなるほど。具体的にはどんなお取り組みを進めていったのでしょうか?

水流:

協働日本さんとの取り組みでは、スキンケア商品を新事業の柱として確立することを目指し、売上に繋がる勝ち筋を共に探していくことになりました。その背景には、主力商品だったオリーブオイルの売上の減少がありました。

弊社を取り巻く大きな環境の変化として、やはりコロナ禍があります。コロナ禍で手渡しギフトの需要というところが消失してしまった中で、大きく売上を落としてしまいました。自社のオリーブオイルは私たちが思っていた以上に「ギフト需要」に依存していたことが浮き彫りになったのです。

その中で、私達がお客様に提供できる価値って何だろうということで、人々のクオリティオブライフ向上に役立ちたいと考えるようになりました。このスキンケア商品を頑張って売っていこうと方針を決めました。

ーー主力商品のオリーブオイルだけでなく、スキンケア商品に注力した背景がよく分かりました。

水流:

スキンケア商品の販売に注力し始めたものの、どうすれば弊社のスキンケア商品をもっとお客様に手に取っていただけるのか、お客さんのニーズを満たしてくれる売り方は何なのかが分からない。それを考えようというところがスタート地点でした。いろいろやってみても売り上げが伸びない、そもそもECとかもなかなか人が来てないみたいな状況で勝ち筋、すなわち数字をちゃんとつくっていける売り方が分からない状態がずっと続いていました。

顧客接点を最大限に生かしスキンケア商品の売上増

水流:

また組織力にも課題を感じていました。畑違いの分野に飛び込みゼロからのスタートとなったリーダーの自分と、商品の良さはわかるが売り方がわからない弊社のメンバーの間で、正直、手探りの日々が続いていました。

商品の魅力をたくさん語り、出張販売などの機会を活かしたいと思っても、私が会社に入った時点で、入社1ヶ月とか入社数ヶ月みたいなメンバーが実は大半を占めている状態だったこともあって、取り扱っているひとつひとつの商品価値を言語化するところから始めなくてはならず、本当に苦戦続きでした。

ーーそういったタイミングで、協働プロジェクトがスタートしたのですね。

水流氏:

はい、そういったタイミングでした。

協働日本さんとのプロジェクトが始まってすぐに、「顧客の声を拾えていない」という課題にたどり着きました。協働プロの藤村さんからの「私たちの商品を喉から手が出るくらいほしがってくださってる方はどんな人か?」という問いにすぐ答えることができず、まずは具体的なお客様像をイメージしていきましょうとアドバイスをいただきました。

そのためにお客様の声をたくさん拾う必要があると再認識し、そこから出張販売のような顧客接点を最大限に生かす戦略をとることになりました。協働日本さんにも戦略面で伴走いただきながら、どんどん社員に現場に出てもらって、お客さんと話してもらうという機会を作っていくことにしました。

時に、買ってくださってたお客様にその場でちょっと時間をいただいてインタビューをさせていただいたこともありました。そういった現場での声をたくさん集めていったことで、自分たちの商品の強みを少しずつ言語化できるようになっていきました。

ーーお客様の声から、どんな勝ち筋が見えてきましたか?

水流:

それまでに私たちが推していた商品の課題が見つかりました。スキンケア商品の主力商品として位置づけていた、フェイルオイルや、化粧水といった商品は5000~6000円という価格帯で、ちょっと高いと感じていたお客様が想定よりも多く、興味はあるが使い始めるハードルが高いという声も寄せられたのです。

そこで商品の特徴である天然由来成分の良さを伝えるだけではなく、試しやすい価格や形態の商品こそが、弊社のスキンケア商品の入口になるのではという仮説を立てました。そこからは少し価格の低いハンドクリーム商品を推し出していきました。すると、ハンドクリームは手に取りやすいと好評で、鹿児島オリーブのスキンケア商品を知っていただくきっかけとして機能し始めました。実際に出張販売先でも手ごたえを感じることができました。

これをまず、ボタニカルコスメの導入として活用してもらうことで、次はフェイスオイルやローションを買ってみてもらうというお客様とのコミュニケーション方針も整理できました。「誰がなぜ買ってくださっているのか」「評価されている価値は何なのか」「どうやってその価値を伝えるか」を徹底的に議論していったことで、着実に成果に繋がり始めています。

それに加えて、「鹿児島のオリーブ」という文脈から、お土産としての需要も拡大しています。それらも追い風となって、協働前は月平均54本販売していたスキンケア商品が、今では月平均96本の販売となりました。これは、比較して+77%の成果となります。おかげさまでスキンケア製品の売り上げを大きく伸ばすことができました!

スタッフの販売スキルが向上 売上記録を更新

ーー着実に成果が数字に表れていますね!

水流:

そうした取り組みを重ねて、出張販売のようなお客様接点を増やしていったことで、社員のスキルが向上しているのを実感しています。仮説の立て方、実行力、スタッフの販売スキルが確実に上がってきています。たとえば先日の出張販売では、一日平均売上10万円を超えており、連日売上記録を更新しました。以前は数万円に届けば御の字、といったところだったのですが、確実に空気感が変わってきています。

協働日本のみなさんとの普段のミーティングや、現場に来ていただいた際も、こうしろああしろと、「やること」をアドバイスするのではなく、伴走支援というスタイルならではの社員自らが「やってみよう」と思えるようなアドバイスをいただけたのが良かったのだと思います。社員それぞれが自分事化して考えることができましたし、自信を身に着けることができました。

スキンケア商品の販売を通じて身に着けた提案力をオリーブオイルにも展開し、そもそも自社が持っていた様々な強みを言語化したことで、主力商品のオリーブオイルの優位性も自信を持って語ることができるようにもなってきました。

ーー主力商品のオリーブオイルにも好影響が生まれているのは、とても良い変化ですね!

水流:

そうですね。オリーブオイルに関しては、自分たちでは当たり前だと思っていた自社の強みに気づけたことも大きな収穫でした。

BtoBに新たな活路 ローカル発 小さなオリーブオイル専門商社

ーー興味深いです。当たり前だと思っていた自社の強みとはどんなことですか?

水流:

先ほどお伝えしたように、私たちは海外からオリーブオイルを仕入れるインポーターとしての事業も大きく、イタリアとスペインからオリーブオイルを、鹿児島の自社倉庫まで運んできています。

通常、大手のメーカーが販売しているようなオリーブオイルは、海外の現地でとれたものをそのまま、定温管理されていないコンテナに乗せ換えて運ぶんですね。定温管理ができるコンテナはどうしてもコストがかさんでしまうので。しかしそれだと船で輸送する中で、かなり熱い地域も通りながら何ヶ月も掛けて運ばれるので、どうしても劣化は避けられません。

ですが、私たち鹿児島オリーブでは、スペインからイタリアを経由して、農園と農園に入っているコーディネーターを通じて直輸入し、輸送も定温管理(24時間定温管理)ができるコンテナ(リーファーコンテナ使用)を使用して港まで持ってきてもらっています。さらに港から陸送(福岡港から工場まで)も定温管理で運び、自社倉庫でももちろん定温管理しています。

ーー鹿児島オリーブさんならではのこだわりですね。

水流:

はい。お客様の口に入る瞬間までこだわりたいという思いで、ずっと続けています。オリーブオイルを詰める作業に関しても、自社で1本1本、人の手を使って手詰めしています。

協働日本の方々に工場を見学いただいた際に、協働プロの皆さんに「これは鹿児島オリーブさんの宝であり強みですね」と言っていただいたのを覚えています。今回伴走いただいた協働プロの皆さんは、メーカー出身の方も多くて、定温倉庫で24時間定温管理をしていることや、品質を落とさないように輸入し自社で小ロットから充填できる設備を持っているというところに大変驚かれていました。10年かけて確立した、今のサプライチェーンとクオリティコントロールを、他のオリーブオイルを扱ってる会社にはなかなかできない差別化ポイントだと言っていただけたのは新しい視点でしたし、自信にもなりました。

私たちは自社でオリーブオイルを手詰めする設備を持っているので、瓶の形にこだわる必要はありません。それによって、小ロットからOEMなどの相談を受けることもできます。また、定温管理で海外から輸入しているサプライチェーンは、トレーサビリティに応えることができます。

それらをふまえ、オリーブオイルやスキンケア商品といった商品訴求だけでなく、BtoBのお取引を見据えた会社機能を売り込むこともできるのではというアドバイスもいただきました。単なる商品の販売戦略を超えた、社全体の改革にも伴走いただく結果になりました。

これまで商談会では、取り扱う商品の「品質のよさ」をPRしていたのですが、アドバイスをいただいてからは、「ローカル発 小さなオリーブオイル専門商社」という書き方に変更しました。実際に、サプライチェーンとクオリティコントロール、小回りのよさや様々なオーダーを受けることできることをPRしたところ「鹿児島の会社でここまでやってるんですか」という驚きの反応ばかりで。商談件数も一気に増えて、見積もり希望のご連絡もいただきました。

実はこれまで、商談会に出ても、恥ずかしながら商談0件みたいな日もあったんです。同じ会社でも伝え方を変えるだけで、こんなに反応が変わるのかと驚きました。協働日本さんからいただいた、「鹿児島オリーブさんの設備や仕組みこそが強みです。きっとこれから価値を感じるのは、法人だと思いますよ」というアドバイスからこんな展開になるとは思ってもいませんでした。

ーー協働を通じて、商品だけでなく、自社そのものの強みを言語化できたことで、これから様々な展開が生まれそうですね!

水流:

はい。「鹿児島と言えばオリーブ」と多くの方に言っていただける世界を目指して、弊社鹿児島オリーブをこだわりの作り手・インポーターとして知られるブランドに育てていきたいと考えています。

また、日置市と鹿児島銀行が連携して始まった「日置市オリーブ構想」からどんどん広がりを生み出していくことで、日置市は「チャレンジできる」場所として多くの方に知っていただきたいと思います。

一緒に悩んで、同じ方向を向いて相談に乗ってくれる存在

ーーお取り組みについて、大変よくわかりました。ここまで関わってきた協働プロの印象や、エピソードなどがあればぜひお聞かせください。

水流:

代表の村松さんをはじめ、藤村さんや鈴木さん、何さん、松本さんなど多くの協働プロの皆さんがプロジェクトに関わってくださいました。

始まるまでは、ここまでワンチームで伴走し、親身になって取り組んでくれるとは思っていませんでした。協働プロ間での情報共有や、議論の続きをちゃんと共有してくださっていたこともあり、ストレスなく目の前の議論に集中することができました。また、「これをやったほうがいい」と押し付けるコンサルティング的なスタイルとは違って、自らがやろうと思う自主性を大事にしてくれたことも、振り返ってみると自分たちの自信に繋がりました。

協働プロの皆さんはバックグラウンドとして色々な経験をお持ちだったこともあり、先ほどのBtoB戦略の可能性など、自分たちでも気が付かなかった価値を見つけてくれました。身内や関係者からではない、ある意味で第三者的視点から、お褒めの言葉をいただいたことで、ものすごく社内の士気も上がりましたし、協働プロの皆さんに8ヶ月伴走いただけて本当に良かったなと思いました。

ーーこうした複業人材との取り組みや、協働日本は今後、どうなっていくと思いますか?

水流:

今回すごく実感したのは、外部からの目はやはり大事だなという点です。自社のスタッフにないスキルやバックグラウンド、住んでいる環境も違う協働プロの皆さんのアドバイスはとても貴重で、鹿児島県内で周囲に相談するだけだと見つからなかった解決の糸口も、外部の目だとあっさり見つかったりします。

一緒にワンチームを組んで課題に取り組んだ結果、組織は色々な多様性を持った人間が関わるほうが広がりがあると思いましたし、地方の会社こそこういった取り組みは必要だと感じました。実際に、この取り組みの話を外部でしたところ、「どうやったら協働日本と仕事ができますか?」という問い合わせをもらったこともあります。

社長という立場は、何か答えを持っていることを期待される場面も多いんですが、実際は社長自身も悩みは多いし、失敗したことをだれかと一緒に振り返りたいと思う気持ちも持っています。一緒に悩んで、同じ方向を向いて相談に乗ってくれる存在って、どの経営者も必要としているんだと思います。

目の前の数字よりも、組織が社会に評価される、残っていくために必要なことをアドバイスしてくれる協働日本さんの取り組みはきっと多くの地方企業が求めているものだと思います。これからも期待しています。

ーー大変ありがたいエールです。本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

水流:

ありがとうございました!

水流 一水 / Hitomi Tsuru

鹿児島オリーブ株式会社 代表取締役

2004年4月  株式会社鹿児島銀行入行
      以降、県内店舗での営業・本部業務を経て
2015年   ㈱JTB九州出向
2016年   鹿児島銀行地域支援部
2019年~2021年 産休・育休取得
2021年   復職・鹿児島銀行地域支援部にて地域活性化業務を担当
2022年10月 現役行員として初めて鹿児島オリーブ㈱代表取締役就任
      「上質なオリーブを通してローカルを見直す」をコンセプトに鹿児島県日置市から情報発信中

【公式】鹿児島オリーブ | 日置からフレッシュなオリーブオイルを
https://kagoshima-olive.co.jp/

協働日本事業については こちら

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STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

今回は、協働日本が提供している『経営リーダー育成プログラム』の参加者、山岸製作所の奥永さん、そしてプログラムの導入を決めた山岸社長にインタビューをさせていただきました。

『経営リーダー育成プログラム』は、経営幹部の育成に悩む地域企業様にむけた、協働日本の新しいプログラムです。

協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、企業幹部を経営者リーダーとして育成するプログラムで、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成、意識の変革を目指します。

最初の事例として、インタビューでは、プロジェクト導入のきっかけ、実際のプログラムの内容、感じている変化や成長についてお話しいただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

営業一筋30年、プレイングマネージャーからの転身への一大決心

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、奥永さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

奥永 亮治氏(以下、奥永):はい、よろしくお願いいたします!

現在は営業現場の管理・マネジメントや、オフィスコンサル事業の企画推進を担当しています。入社以来ずっと営業職ですが、元々営業を志望していたというわけではなく、与えられた役割に一所懸命になって気づくと30年間営業一筋になっていました。


しばらくプレイングマネージャーとして、現場と管理の両方を経験してきましたが、2023年の4月に担当顧客を持たない専任のマネージャーに切り替わり、同じタイミングでこの『経営リーダー育成プログラム』がスタートしました。

ーー30年間営業一筋というのはすごいですね!そんな長く携わられていた営業現場から離れたというのは、ご自身の希望もあったのでしょうか?

奥永:組織を大きくしていこうというタイミングで、このままずっと一営業のままで良いのか?という想いはありましたね。今は良くても10年後を考えた時に、自分が今のままの仕事を続けてることが、後進の育成などを鑑みても、組織として良くない面もあるのではないかと感じたんです。

もちろん現場を離れる寂しさのようなものもあったのですが、自分としては一大決心をして次のステップに進んだ形です。

ーーありがとうございます。山岸社長から見た奥永さんへの印象や期待についてもお伺いできますか?

山岸 晋作氏(以下、山岸):とにかく真面目で責任感が強い印象です。まさにプレイングマネージャーからマネージャーになってもらいたいと伝えた背景としては、会社のフェーズが変わってきたということがあります。

組織を蘇らせるための蘇生フェーズから、大きくするための成長フェーズへ変わっていこうというタイミングで、組織の中核になるような存在が必要になります。責任感の強さや、「自分がやるんだ」という気概を考えると、彼が適任だなという風に思っていました。

それに、奥永さんは現場でも十分な実績を残してきていたし、これまでやってきたこと・将来の10年間を考えた時、もっと責任を持って仕事できた方が活き活きと仕事ができるのでは?と感じたことも理由としてありますね。

会社のフェーズの変化に合わせた人材育成の必要性

ーー続いて、奥永さんが『経営リーダー育成プログラム』に参画されたきっかけについて教えて下さい。

山岸:先ほどもお話しした会社の蘇生フェーズ───生き残りに集中する10年間は、目の前の売上、明日の利益を求める・深めることに注力してきました。

フェーズの変化は、例えるならダイエットから筋トレに移行するようなイメージです。

そんな変革の中で、私自身が社員との漠然とした距離感を感じていたんです。成長のためには皆の力を借りなくてはならないので、距離があることは大きな課題の1つでした。そこで、まずは部長メンバーとの距離感を近づけて、一緒に成長していきたいと思うようになりました。なので、実際に奥永さんがプレイングマネージャーから専任のマネージャーになる際にも、どのように成長をサポートすればいいのか悩んでいて。育成というのは目標があってこそのもので、何を目標に進んでいけばいいのか皆目も検討がつかなかったんです。

そんな時、これまでも事業の伴走支援に関わってくれている協働日本の村松さんから「企業の幹部育成も取り組んでいる」という話を聞いて、是非取り組んでみたいと思いました。

ーーなるほど。そこで『経営リーダー育成プログラム』が生まれたのですね。

山岸:はい。奥永さんを含め、2名に参加してもらうことになったのですが、はじめは受け入れてもらえるか内心ドキドキしていました。

山岸製作所は長く続く会社ということもあって、単一性や経験の長さに優位性を感じる文化が強く、外部の力を借りる・取り入れて活用する文化がありませんでした。

そもそも「自分たちって幹部なの…?」という疑問をそれぞれが抱いている状態だったということもあり、「やってみる」と言ってもらえるかどうか…という状態で不安に思うところも大きかったですね。

ーーそうだったのですね。実際に話を受けて参加することになった奥永さんは、はじめプログラムにどのような印象を持たれていましたか?

奥永:正直な話をすると、プログラムの初日に村松さん(協働日本代表)と藤村さん(協働日本CSO)から、詳しく話を聞くまではよくある研修の延長線くらいに考えていました。(笑)

幹部育成と言っても、マネジメントや管理について学ぶような…部長とは、課長とは?といった座学の社員研修のイメージを抱いていたので、プログラムの内容やスケジュールについて説明を受けて「どうやら、思っていたものとは全然違うぞ」と。

幹部として山岸製作所の価値や課題をどう捉え、何にコミットしていくかを「自分で考え、自分でやる」という自律的な行動で取り組むプログラムで、やること自体は理解できたけれど、果たしてやり抜けるか、はじめは不安もありました。

ーー確かに、研修というと講義を想像してしまいますよね。実際にどのようにプログラムが進行したのかについても教えて下さい。

奥永:キックオフから最初の半年は、協働日本代表の村松さんとCSOの藤村さんに何度か来社いただき、ワークショップのセッションを繰り返しました。最初に、自分自身と山岸製作所の「存在意義」を自分で言語化するセッションには驚きましたね。そんなことを考えて仕事をしてきていませんから。また、山岸製作所の価値や課題を本質的に考え抜くセッションでは、社長が経営者としていかに未来をみて、不確実に向き合っているかを少し理解できました。

前半のセッション中で、自分がコミットするテーマとして、山岸製作所における事業開発を決定しました。後半の半年は、週に1回オンラインで伴走プログラムのセッションを実施、月に1回コーチングという形で勧めていました。毎週のプログラムに関しては、プログラム期間の前半は藤村さんに、後半は協働プロの足立紀章さん((株)ベネフィット・ワン 執行役員)に伴走していただきました。

30年も働いていることもあり、会社のことはなんとなく理解しているつもりだったんです。それでも、今思えば薄っぺらい理解だったと思います。この会社がなんのためにできたのか、創業者の想いと立ち上がった背景など、聞いているようで聞いていなかったのかもしれません。

プログラムを通じて、山岸社長にも改めて話を聞いて、本当の意味で理解していったんじゃないかと思います。こんな機会がなければ考えることはなかったのではないかと思います。

会社の存在意義について考えが進むと同時に、自分がなぜ山岸製作所で働いているのか?についてはじめて考えました。

山岸製作所で働くことは、自分にとっては朝起きて会社に行って…という日常のサイクルの1つになってしまって「なんのために仕事をしているのか?」を考えたことがなかったんです。

ーー今日のインタビューでもはじめに、「与えられた役割に一所懸命になって30年」とも仰っていましたし、なかなか自分の働く理由を考える間がなかったのかもしれませんね。

奥永:そうですね。今になって思うと、自分=「一従業員」という意識で仕事をしていたんだと思います。社長が考えたことや決めたことが下りてきて、自分はそれを一所懸命こなすという状況でした。

だから、自分は何をやりたいのか?この会社で何をしていきたい?という問いを藤村さんからもらったことでようやく「自分がこの会社でしたいこと」を考えるようになり、自分と会社の存在意義に重なる部分があることにもはじめて気づきました。

自分のことと、会社のことに向き合って考えて、会社の存在意義、自分の存在意義、という同じテーマについても繰返し考え理解を深めていくと、同じような問いに対しても「会社のためにすべき」と思いながら書いて

いたことが、だんだんと「自分がやりたいこと」に変わってきたんです。

「自分がこれからしたいことは?」という問いに対して書いた答えなのに、初めの頃は「本当にやりたいことなのかな?」と疑問に思うことがありました。振り返ってみると「会社がこうなったらいいな」という考えで書いていたからかなと思うんです。徐々に「自分がやりたいから、こうやって進みたい」と、主語が会社から自分に変わって、腑に落ちるようになっていきました。同時に、通常の仕事でも自分の意思が反映されていったように思います。

考え続ける習慣が、視座を引き上げ、行動を変える。

ーープログラムを通じて印象的だったことはありますか?

奥永:毎週宿題をいただくのですが、その全部が印象的でした。自分が質問されたことを整理して答えを用意する、というのは正直しんどいときもあったんです。

毎週のセッションを録音していたので、犬の散歩をしながら何度か録音を聞いて…藤村さんの問いの内容を理解するところからでした。表面上はわかっていたつもりでも、本質的には何を問われているんだっけ?ということをきちんと理解してから考えはじめるという流れでした。

大学生のレポートのように何かを調べて答えを出すなら、楽にできますけど、答えが自分の中、会社の中など内側にしかないというところが大変なところです。
また、日頃の業務の中で「考える時間」を捻出しなくてはいけないので、毎週のセッションはペースが早いなと思うこともありましたが、逆にそのペースのおかげで習慣化・ルーティン化できたのはよかったかもしれません。

また、コーチングのパートでは、月に1回のペースで村松さんと藤村さんに話を聞いていただいていました。実を言うとこちらのパートの役割を理解しないまま、自分の好きなように話して聞いていただいていましたが(笑)今になって思うと、ここで話を聞いてもらうことによって自分の気持ちの面と向き合うことができたのでありがたいパートだったなと思っています。

ーー先ほど、「自分がこの会社でやりたいこと」が段々と見えてきたというお話をいただきましたが、ご自身の変化や気づきについても教えていただけますか?

奥永:絶え間なく考え続けるので、いろんなタイミングで頭の中で何かがつながることが出てくるようになりました。仕事のこと、経営のこと、会社の理念なども、実際に経営者のお客様と話しているときなどに話がすっと入ってくる・何を言っているかわかるようになった気がします。表面上の言葉だけでなく、「ああ、きっとこんなことを言いたいんだな」と思うようになりました。

部署のメンバーと話をしていても、一社員としての意見なのか、会社全体を見渡して出た意見なのか、というレイヤーの高さの違いに気づくようになりました。全体最適を求めるわけではないんですが、「このレイヤーの高さで話をしていると、話が進まないな」と思うこともあり、他のメンバーの意識やレイヤーの高さが気になるようになってきたんです。

ーー奥永さんご自身の視座にも変化があったんですね。

奥永:また、自分がこうやって色んなことを考えていると、「社長や、他のメンバーはどう考えているんだろう?」ということが気になって、話を聞かせてもらう機会も増えました。

一般的に、組織運営のためにコミュニケーションをとりましょうというのはよく言われていると思いますが、本当に相手のことを知りたいと思っているのが伝わるかどうかが大事なんじゃないかなと思うんです。
作業のようなヒアリングになってしまうと、相手も本当の想いを開示できないと思うので、聞くだけ、にならないようにということにも気をつけるようになりました。

メンバーとのやりとりの中で、逆に自分の想いを伝えるという機会も増えました。これまでも上司部下の関係性の中で「これをやってほしい」という指示をすることはありましたが、自分の意思で「こうしたいから、協力してほしい」と気持ちを伝えることはなかったんです。きちんと伝えるという行為がきっかけで、「そんな風に思ってたんだ」と理解して賛同してくれるメンバーも出てきました。

自分自身が、組織を動かすためには皆の気持ちを知っておかなくてはならないと感じたんです。全体の意識が上がらないとうまく回らない、組織が成長できないと感じたので、メンバーの話を聞き、自分の気持ちを伝える、という風なコミュニケーションの変化が生まれたのだと思います。

ーー山岸社長から見た奥永さんの変化についてはいかがですか?

山岸:はじめに、私と彼との中で言葉が重なってきた、と感じるようになりましたね。変化に気づいた時に、「どうしてそうなった?」と質問したんです。そうしたら、先ほど本人も言っていたように「自分の中の存在意義と会社の存在意義が重なった部分に気づいてから、前に進み出した気がする」という答えが帰ってきたんです。これがとても印象的でしたね。

先ほど、主語が自分になったとも言っていましたが、実際に「自分がやります」という言動も増えました。外からの圧力ではなく内なる声が人を動かすんだなと。それが人の背中を押す唯一の力だと私にとっても学びになりました。

事業開発のメンターと、自分自身と向き合うためのコーチングの両軸が揃っているというのが、この『経営リーダー育成プログラム』の本質なのかなと感じました。

成功・失敗・数字ではなく、自分を再評価する機会

ーー聞いていてこちらもワクワクするようなお言葉をありがとうございました。最後に、プログラムを通じて感じられたことについて、メッセージもかねてお聞かせください!

奥永:30年も仕事をしていると、自分に厳しく言ってくれる人がほとんどいなくなってくる中で、藤村さんに貰えた考えさせられる問いがありがたかったと思います。タイトなスケジュールの中でセッションを続けるのは大変な面もありましたが、厳しいことがありがたかったです。後半からは足立さんに切り替わり、事業の細かいところをきちんとみてもらい、緻密さを今も継続して勉強させてもらっています。

協働日本の皆さんは、山岸製作所全体のことを見てくれているなと思っています。プログラム自体だけ、一事業部だけでなく、会社全体がよくなったらいいと思って伴走してくれていると感じてありがたいです。

このプログラムは、何かをパッケージで与えられるものではなく、自分で考え、言語化するプロセスであるからこそ、会社の中のミドル、幹部を担っている方の意識改革や経営の視座の獲得につながると思います。問題意識を持って突き詰めて考える経験をして、自分の基軸を持って考え抜くことは、特に地域企業の幹部には重要だと思います。

山岸:度々出てきた「自分の存在意義と会社の存在意義が重なる」というキーワードは核心をついていると思っています。この重なった部分が多ければ多いほど、個人の力が発揮されるようになって、個人の力の集合体が会社の力になっていくんだろうなと思っていて。幹部育成プログラムの本質ってそこにあるんだろうなと思っているんです。

今回の奥永さんの変化を見て思うのは、重なる部分を本人が意識できれば、自然とやることを見つけていくようになるということです。自分ごととして、組織の中で何をしていくかを考えるようになるんです。あとは、再現性を持たせて多くの社員が存在意義の重なりに気づいていけば組織がどんどん強くなると思うので、これからの課題でもあるなと思っています。

今回、30年選手の奥永さんが変わった、ということ自体が、「この組織はまだまだいける!」と僕の自信になりました。組織の変革にあたっては、僕自身も躊躇する部分があったんですが、実際に、変化の兆しや変化を見ることで組織をもっと良くしたいと想いが強くなりました。引き続きよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

山岸・奥永:ありがとうございました!

山岸 晋作 / Shinsaku Yamagishi

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。


奥永 亮治 / Ryouji Okunaga

大学卒業後、株式会社山岸製作所に入社し、30年間オフィス家具の営業に従事。 官公庁や民間企業など、幅広い法人顧客を担当し、確かな信頼関係を築き上げてきた。 プレイングマネージャーとして、営業チームの成果を牽引しながら、管理職としての役割も果たしてきた。 営業戦略の立案、チームメンバーの育成、重要顧客との交渉など、多岐にわたる業務を経験。 現在は、会社で初めてのマネージャー専任として、営業部とオフィス戦略室の両方を担当。 オフィスコンサルティング(コ・デザインサービス)を通じて、クライアントのオフィス環境や働き方の改善に貢献。 顧客のビジョン実現をサポートすることで、働きがいのある環境作りに尽力。 深い業界知識と豊富な経験を活かし、顧客に最適なソリューションを提案。 チームワークを重視し、部下の能力開発にも注力。 新しいチャレンジを恐れず、常に学び続けていきます。

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STORY:株式会社米自動車 取締役兼 社長室 室長 武田浩則氏 -事業成長を自己成長に変換させる『越境チャレンジ』の本質-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

今回は、協働日本が(株)スパイスアップ・ジャパンと共同でご提供している、協働型人材育成プログラム『越境チャレンジ』の参加者、武田浩則さんにインタビューをさせていただきました。

複雑で急速に変化するビジネス環境において、リーダー人材には、異なる環境でビジネスを運営し、問題を解決する「越境経験」がますます重要になっています。

一方で、既存の越境学習のプログラムには、長期にわたり、対象社員を現場から出向させる必要がある等、人事部にとって運用や導入がしづらいなどの課題が上がっています。

そこで協働日本は、”グローバル人材育成・海外研修”に実績のある(株)スパイスアップ・ジャパンと共に、参加者が本業に取り組みながらオンラインで参加できる『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』を開発し、地域企業経営者との協働の機会をご提供しています。

そんな『越境チャレンジ』で生まれた協働の現場から、株式会社米自動車 取締役 兼 社長室 室長 武田浩則さんをお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回の『越境チャレンジ』では、明治8年創業、老舗の発酵食品の製造販売を手がける会社である四十萬谷本舗との協働プロジェクトをスタート。インタビューでは、越境チャレンジへ挑戦することになったきっかけや、そこで生まれたプロジェクトの成果、ご自身が感じている変化や成長についてお話しいただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

現場密着の愛ある仕事をしたい。自己成長のための新しい挑戦。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、武田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

武田 浩則氏(以下、武田):はい、よろしくお願いいたします!

現在は、バリュエンスホールディングス傘下の米自動車で車の輸入販売事業を行っています。取締役 兼 社長室 室長としての役割は、事業全体の業績管理や事業促進、新規事業活動全般を担っています。
これまでのキャリアとしては、18歳でホテルマンになってから、美容業界、医療業界、コンサルティングなど様々な仕事を経験してきました。

ーー様々なご経験がおありなんですね!ブランド買取事業をなさっているバリュエンスさんはその中でも全く違う業種・職種だったのではないかと思うのですが、転職のきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

武田:そうですね。直前にやっていたコンサル業は歯科医療や美容室などの分野のコンサルティングだったので、経験のある業界ではあったんです。ただ自分が叩き上げで働いてきたということもあってか、もっと現場密着で仕事をした方が、愛を持って仕事ができるなと思うようになったんです。

そこで、そういった仕事ができる先を探して転職したのが、株式会社SOU(現 バリュエンスホールディングス株式会社)で、現在も基幹事業であるブランド買取・仕入れの部署に配属され、そこから9年間ずっと買取の営業や企画に携わり続けていました。自己成長のためには仕事の中でもっと劇的な変化がないといけないのではないか?と感じるようになり、本部長にも相談をするようになったタイミングで、米自動車がグループ化、2023年3月に出向が決まって今に至っています。

ーーなるほど。米自動車での高級車の輸入販売などはまた新しいチャレンジかと思いますが、実際買取の分野から離れてみていかがでしたか?

武田:これまでも買取の事業の中で日々新しいことに挑戦していく立場ではあったので、「新しいこと」への抵抗感はなかったのですが、やはり業界の知見をまた0から貯めていくというところには苦戦しましたね。
とはいえ、自分でも「これでいいのかな?」と思っていたタイミングで新しいことに挑戦できる異動だったので、とてもポジティブに受け止めています。

環境に合わせて変化し続ける老舗企業の「新・サステナブルプロジェクト」への挑戦

ーー続いて、武田さんが『越境チャレンジ』を通じて地域企業との協働に取り組もうと考えたきっかけを教えてください。

武田:今回は、次期リーダー候補という形で自身のアップデートの機会として越境チャレンジの機会をいただけたと思っています。弊社では過去にも、役員クラスの人材育成研修が必要だということで、バリュエンスジャパン株式会社 執行役員の井元が『越境チャレンジ』に参加しています。プロジェクトの話を聞いて、当時から結構興味深く思っていたんです。会社にいながらも知らない経験ができるっていいなと思って。なので、今回自分に回ってきて率直にラッキーだな、と思いました(笑)

とはいえ、3月に米自動車に異動したばかりで4月から『越境チャレンジ』のプロジェクトがスタートしたので、初めてのことが重なって少しドキドキもしましたね(笑)

ーー武田さんの協働先は、これまた初の食品業界であり、金沢の老舗発酵食品会社の「四十萬谷本舗」さんでした。

武田:そうなんです。全然触ったことのない業界でしたし、「老舗」というキーワードで「堅そう」という先入観もありました。なので、まずは四十萬谷本舗で僕に何ができるんだろう?と考えたのが最初でした。

でも、実際に四十萬谷本舗の専務、四十万谷正和さんとお話をしてみると、思っている以上に世の中の変化に合わせて、積極的に変革されたいという意思をお持ちの方だったので、非常に魅力的だと感じました。

ーー四十萬谷本舗さんはこれまでも協働日本を通じて、課題に合わせた戦略的な人材活用をなさっていますよね。今回武田さんが伴走したプロジェクトについても詳しく教えていただけますか?

武田:はい。今回は新サーキュラー型ビジネスの企画についてご一緒させていただいています。最初は困り事や、どんなことをしたいと思っているか?などざっくりとしたヒアリングからスタートしました。すると、食の文化や伝統の持続可能性など、四十萬谷本舗がこれまで力を入れたくてもできなかったサステナブル領域についての話が出てきたんです。バリュエンスはサステナビリティの推進を重要な経営課題として力を入れているので、このテーマなら四十萬谷本舗×バリュエンスの両社の強みを活かせるものにできるのではないかということでプロジェクトをスタートしました。

このテーマに決めた背景として一番大きかったのは、近年の気候変動に伴い、四十萬谷本舗の看板商品の1つである「かぶら寿司」の原材料であるかぶの調達が困難になってきていることを実感されているという点でした。環境悪化によるビジネスの持続性が直接的に侵されているということで、サーキュラーエコノミープロダクトの導入によりビジネスの持続可能性だけでなく、四十萬谷本舗のイメージ・企業価値が向上するような取り組みを実施していこうという運びになりました。 四十萬谷本舗では、規格外の野菜をフードバンクに寄付したり、製造過程で出る素材を肥料加工して農事環境に還元することであったり…季節に合わせてカブの栽培規模を調整し、フードロスを最小限にする取り組みなど、既に環境に配慮した取り組みをいくつか実施しています。

武田:そこで、新たに「かぶら寿司」製造の過程で使用した糀を新しい素材・新しい活用方法により還元していくアップサイクルの手法を模索していくことにしました。

企画の方針が決まってからは、糀の再利用や、素材変換をしてもらえるような提携企業を探し、方向性のすり合わせやテスト素材の作成・検討を重ねて行きました。

もちろん一筋縄ではいかず、肥料や飼料への転用を検討していくと、「糀」という食品の特性上出てくる、塩分や糖、鰤と一緒に漬け込む過程があることによる動物性食材の使用などハードルが多々あり……結果として、アップサイクルではなく糀を活用したブランド食材の企画に舵を切り、現在も進行中という状況です。

オフィスに集いコミュニケーションを深めることも
ーーありがとうございます。方針決めからはじまり、半年間で色んな提携企業候補にも当たられて調査をされてきたんですね。特に印象的だったことはありますか??

武田:やはり、シンプルに事業内容の違いには苦戦しました。アップサイクルの企画を作る過程で、素材の問題で様々なハードルがあったとお話ししましたが、これも食品業界の知見がなく予想できなかった面でもありました。

あとは、企業規模の違いも企画段階で考慮すべき点として感じていました。四十萬谷本舗では、適材適所での人員確保をしており、今ある業務に対して人員が最適化されています。そのため、新しいことをしようとした時にリソースを割けないという課題があるんです。企画を進めていく中でも、極力リソースがかからないように注意していましたね。

特に印象的だったこととして、四十万谷さんにご紹介いただき他の経営者の方とも一緒に食事をした時に「『サステナブル』というテーマは最近になって話題になっているけれど、老舗の企業は『サステナブル』をずっとやっているんだよね」とお話しされていたことでした。季節に合わせて無駄がないようにお客様に製品を提供するのは昔からあったことで、ずっとやってきたからこそ老舗として続いているんだと。だからこそ、今また環境に合わせて変化していく四十萬谷本舗のような企業の活躍はとても貴重で、大切にすべき存在だなと実感しました。

全体を通じて、物の進め方や視点は、日頃の業務での経験を活かせたと思っています。経営的な視点を持った四十万谷さんと継続的にコミュニケーションを取る中で、経営視点での物の考え方を知ることができるいい機会になったなと思っています。

メンターがいたからこそ感じられた「自己成長」。ただ新規事業をやるだけではない『越境チャレンジ』の本質

ーー『越境チャレンジ』では、協働先企業とのプロジェクトだけではなく、武田さんに対してメンターがついて伴走されたと思います。メンターとのやりとりについてはいかがでしたか?

武田:メンターとして今回お世話になったのは、芹沢亜衣子さん(協働日本IPPO事業コーチ)と藤村昌平さん(協働日本CSO)です。藤村さんには事業開発の壁打ち相手として、芹沢さんには僕自身のコーチングをしていただくという関わり方で、月に1度それぞれとお時間をいただいていました。

藤村さんとは、初めの頃は現在のプロジェクトの状況報告をして評価、というようなスタイルでお話しをしていましたが、プロジェクトが進むにつれて企画の内容を掘り下げて話すようになり、徐々に具体的な内容について藤村さんの意見をいただくことも増えていきました。

僕の考えを尊重しつつもアドバイスしていただけたので、事業に対するスタンダードや知見、進め方など、様々な面で良い刺激になりましたね。普段の仕事で社内のメンバーと話すのとは、また違った視点や考え方に触れられるのが新鮮でした。もちろん社内の仲間と話していても、刺激やアップデートはあるんです。それでも、全く違う環境で事業をされている方との会話では、自分のビジネスライフのバリエーションが増える感覚があってよかったと思います。

ーーありがとうございます。芹沢さんのコーチングはいかがでしたか?

武田:正直最初は戸惑いました(笑)。コーチングということで、今の自分の状況や状態について聞かれるんです。自分で自分を見て、 今どんな状態なのかを主軸に置いて、成長を見ていくということだと思うんですが、これが難しくて。

藤村さんのパートでは、事業の進捗や企画の内容など、実際に取り組んでいることを話していたのですが、芹沢さんには自身の内面の話をしなくてはいけない──でも自分の感情が上下するポイントを自分自身があまりわかっていなくて、言葉にするのが大変でした。
例えば、「どんなことが大変ですか?どんなことにストレスを感じますか?」のような質問をしていただくのですが、大変なことをネガティブに捉えることがあまりないので、ストレスというよりは充実感があると思っていて。「ストレス」と言われるとピンとこなかった。

でも実際には、ストレスに感じていることも僕の内面にあったんです。はじめはうまく説明できなかっただけで、芹沢さんとの会話を重ねていくうちにだんだん自分の中でも整理できて、どんな時に感情が上下するのかなど、気づく点が増えていきました。

毎月、成長ポイントや心情、置かれている状況を一緒に整理してもらえたことで得た気づきは大きかったと思っています。芹沢さんとのセッションは、自己成長を実感する基盤づくりというか。僕自身のベースをブラッシュアップできたいい機会でした。

ーー自己成長を実感する基盤、というのは具体的にどんなものなのでしょうか?

武田:元々このプログラムが開始した時には、僕は結構典型的な日本人といいますか、「自分なんてそんなに大したことないです」というような感じだったんです。だから、「こんなに頑張った!」とか「自分がやったんだ!」とかあまり外に出さない。自己完結してしまうタイプだったんです。
でも今回、四十萬谷本舗とのプロジェクトにおける自分の状況や出来事を言語化していく中で、こんなことにチャレンジした、こんなことを頑張ったぞ、ということをアウトプットして、自分でもその頑張り・成長を認められるようになりました。

役職、職務的にも、人から相談されて話を聞くことは多かったですが、自分が誰かに聞いてもらう機会が圧倒的に少ないので、このような機会を貰えたことがありがたかったです。芹沢さんとのセッションがなければ、僕はこの『越境チャレンジ』を、ただ新規事業開発をするだけの機会にしてしまっていたかもしれません。

やっぱり、事業の成長や数字へのコミットばかり意識してしまうんです。職業病のようなものですね。藤村さんとのセッションで事業へのコミット部分をしっかりと伴走してもらいつつ、芹沢さんとのセッションで自分を見つめ直し、きちんとベースを整えていただいたからこそ、『越境チャレンジ』が僕にとって自己成長の機会になったと思います。

事業開発のメンターと、自分自身と向き合うためのコーチングの両軸が揃っているというのが、この『越境チャレンジ』の本質なのかなと感じました。

成功・失敗・数字ではなく、自分を再評価する機会


ーー『越境チャレンジ』がご自身の成長の機会になったとのこと、本当に嬉しいお言葉です。ぜひ、全体を通じて感じられた変化や気付きなどあれば教えてください。

武田:はい。今までは、新規事業といえば、業績や数字の拡大、と考えていたのが、それだけでなく、「これをやったら自分が成長できるかも」という視点を自分で持てるようになったのが大きな変化だと思っています。

事業の成長を自分の成長にも変換して考えることができるようになれば、仕事のモチベーションになることはもちろん、長い目で見た時にある自分の姿が全然違うんじゃないかなと。
おこがましいかもしれませんが、『越境チャレンジ』を経験した今では「成長できた!」と自分で言えるようになったと思います。

ーーありがとうございます。最後に、『越境チャレンジ』はどんな方におすすめか、メッセージもかねてお聞かせください!

武田:僕と同じように、ある程度長く同じ企業に勤めている方に関しては、ぜひ体験していただくといい気がしますね。自己評価を見直す機会にもなりますし、純粋な事業開発のスキルアップにもなると思うので。そうやって新しい視点を持ち帰ることで、もちろん企業自体の成長にも繋がっていきます。

あと、個人的に思うのは、大企業の役員の方にも参加してみて欲しいです。
普段とは違う事業にアウェイ環境でチャレンジするという経験は、役員になる前の自分に立ち帰れるんじゃないかなと思うんです。アップデートされる部分もあるし、自分が若かった頃と変わらない部分もあるんだ、という気づきもあると思います。プレイングから離れて長い方にとっては、初心に立ち返れるような面もあるのかもしれません。

メンターの方との話で自分を正面から見て、第三者から見た自分の評価も受けられる。これは僕もそうだったように、なかなかない機会です。

成功・失敗・数字などで自分を評価するのではなく、その過程の自分を評価していく。全てのことが無駄ではないとポジティブに受け止められるようになりますし、自己評価の機会としてもとてもいいんじゃないかなと思います。

僕はこのような機会を貰えたことがありがたかったので、似たような環境にいる方には、とてもおすすめです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

武田:ありがとうございました!

ありがとうございました。

武田 浩則 / Hironori Takeda

岩手県出身 美容業界、医療業界を経験後 2014年(株)SOU(現 バリュエンスホールディングス(株))入社。
店頭営業、買取事業本部、営業企画部を経験し、2021年より買取事業本部副本部長として仕入事業全般の統括、事業、収益拡大に従事。
また、2023年よりグループ化を行った(株)米自動車へ出向し、取締役兼社長室室長として事業活動全般の促進、拡大に従事。
2023年4月より『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』に参画し、明治8年創業の石川県金沢の伝統発酵食品老舗の四十萬谷本舗との協働プロジェクトを経験。

株式会社米自動車
https://www.yonemotors.jp/

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ウェブセミナー公開中:バリュエンスHD(株)の経営幹部が語る、経営人材育成に最適な越境経験とは?

協働日本が開催した、ウェブセミナーのアーカイブをお届けします。

2024年1月30日(火)に、『バリュエンスHD(株)の経営幹部が語る、経営人材育成に最適な越境経験とは?』と題し、独自で開発した企業の経営幹部向けの『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』を手掛ける株式会社協働日本CSOの藤村昌平氏が、経営人材育成に最適な越境経験について語りました。

バリュエンスホールディングス(株)の経営幹部の武田浩則氏をお招きし、具体的な事例として、石川県金沢の老舗次期経営者とのリアルな越境経験をご紹介いただきました。

また、バリュエンスホールディングス(株)の執行役員コーポレート本部長の大西剣之介さんを交え、経営人材育成の要諦と、『越境経験』の新たな選択肢についてディスカッションで深掘りし、理解を深めていきます。

益々変化が加速するVUCAな環境下で、企業の未来を担い、経営や事業を担える経営人材をどう育てるか?経営人材を生み出し続ける土壌や風土をどうつくるか?企業内で真剣に取り組んでいる方は多いと思います。

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協働日本HPでは、セミナー全編を無料公開中です。ご興味ある方は是非、協働日本HPでご覧ください。

こんな方にオススメ!

  •  自社内で経営や事業を担える人材を育成したい経営者や事業部長
  •  越境学習に関心はあるが、既存のアプローチに課題感を感じている人事部長や人事担当者

セミナー本編はこちらからご視聴いただけます


登壇者

藤村 昌平

(株)協働日本  CSO
2004年ライオン(株)入社、R&D部門で新規技術開発、新規訴求開発、新ブランド開発を経て、2016年よりプロジェクトベースの新規事業創出業務に従事。 2018年にR&D内に新設されたイノベーションラボにて、新規事業の実現と人材創り・組織創りに注力。 2019年4月より新価値創造プログラム「NOIL」初代事務局長。 2020年1月より新設のビジネスインキュベーション部長。 2022年1月よりカルチャーラボを立ち上げ企業文化変革担当部長に就任。 現在はライオン(株)を退職し、(株)fucanを創業。 事業開発・人材開発支援や地方創生など、「事業を創る人を創る」ミッションを軸に複数のプロジェクトに携わる。
また、(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

武田 浩則

(株)米自動車 取締役兼社長室 室長
2014年(株)SOU(現 バリュエンスホールディングス(株))入社後、店頭営業、買取事業本部、営業企画部を経験し、2021年より買取事業本部副本部長として仕入事業全般の統括、事業、収益拡大に従事。また、2023年よりグループ化を行った(株)米自動車へ出向し、取締役兼社長室室長として事業活動全般の促進、拡大に従事。
2023年4月より『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』に参画し、明治8年創業の石川県金沢の伝統発酵食品老舗の四十萬谷本舗との協働プロジェクトを経験。

大西 剣之介

バリュエンスホールディングス(株) 執行役員 コーポレート本部長 人事部長
大学卒業後、デロイトトーマツコンサルティング㈱に入社。コンサルタントとして株式上場支援(2年)および人事コンサルティング業務(4年)に従事。2012年に日清食品㈱に転職し、人事制度の運用・改革、組織・人材開発、HRBP、中途採用など人事領域全般に幅広く関与。2020年にバリュエンスHD(株)に転職し、人事部長として人事部を統括する役割に従事。


関連 セミナー

『事業を創る人』育成の最適解」オンラインセミナー

独自で開発した企業の幹部人材や事業開発人材向けの『越境チャレンジ-協働型人材育成プログラム-』を手掛ける株式会社協働日本CSOの藤村昌平氏と、同プログラムでプロコーチを務め、越境人材の内省をサポートする久米澤咲季氏が登壇したウェビナーイベント「『事業を創る人』育成の最適解」(開催日:2023年6月8日)での講演から、「越境学習」のメリットや、越境学習を通じた人材育成についてご紹介します。

ご興味のある方は是非、こちらの動画もご視聴いただけますと幸いです。
『事業を創る人』育成の最適解 – YouTube

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なにかご不明な点やご希望がございましたら、遠慮なくご連絡くださいませ。

文:郡司弘明

VOICE:松尾 琴美 氏 -食を通じて、皆の幸せを実現する。ワクワクして前に進めるきっかけ作り-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で食のプロとして地域企業の伴走支援を行う松尾 琴美氏のインタビューをお届けします。

都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーを担当。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら、買いつけから商品企画開発までを担う松尾氏。

松尾氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

地方に眠る「日本のものづくりのフィロソフィー」の伝道師 

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、松尾さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

松尾 琴美氏(以下、松尾):はい、よろしくお願いいたします。
現在は、都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーとして働いています。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら商品の買いつけを行い、そこからの商品企画、開発と一連の流れを幅広く担っています。

ーーありがとうございます。ご自身で食材の買い付けまで行っていらっしゃるのですね。食品に携わるキャリアはもう長いのでしょうか?

松尾:キャリアとして今は2社目、働き始めてもう10年ほどになります。最初はデザイン業界で働いていて、地方に眠る日本の伝統的な技術を発掘して、日常生活でも使っていただけるような商品に落とし込んだ自社企画品を海外の専門店や美術館、トップブランドなどに販売するという営業の仕事をしていました。ものづくりのフィロソフィーを日本人代表として売っていくこの仕事にはとてもやりがいを感じていました。ただ、会社が大きくなっていくにつれて、品物もニッチなものからよりマス向けになっていったりと、「ものづくりのこだわり」のような面白さが少しずつ薄れていってしまった感じがあったんです。そんな時に、仕事でお世話になっていたデザイナーの方から、今の会社のバイヤーのポジションが空いていて、合うと思うけどどう?と誘っていただいたことがきっかけで転職しました。

食品を扱うようになって感じたこととして、「食品」は人の生活に一番身近なものだなということです。前職で取り扱うものは、どちらかというと「嗜好品」で、より生活を豊かにするためのものでした。でも食品というのは、人の生活から切り離すことはできません。辛い時・悲しい時でも、食べないことには生きていけませんよね。辛い時でも温かいものや美味しいものを食べると、少しでもほっとできる…美味しいものを食べて不幸になる人はいません。そんな食べ物の持つパワーを感じて、この仕事を続けています。

協働パートナー企業の店舗にも足を運び、議論を交わす

ーー続いて、松尾さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

松尾:四十萬谷本舗の専務、四十万谷正和さんから紹介いただいたことがきっかけです。
10年間、バイヤーとして様々な地域を飛び回って色々な地域の資源を見てきました。その中には自社商品との相性などから、直接取り扱うことができない、ビジネスとして形にすることができなかったものもたくさんあったんです。知識やスキルが身についてきた実感がある一方で、それを活かし切れていないという思いがあったので、会社の中ではない別の場所や方法で活かせないか?と考えるようになっていました。

私は、金沢に大学の同級生も多くご縁が深くて、金沢エリアの若手経営者ともよくお会いして食事をすることがあったんです。そんな中でお付き合いのあった四十万谷さんにこの話をしたところ「ドンピシャで思い当たるところがあります」と言われてご紹介いただいたのが協働日本代表の村松さんでした。

ーー初めて協働日本の活動の話を聞いた時はどのように思われましたか?

松尾:率直に言うと、ポジティブさの溢れる会社だなと思いました。とても面白そうだけれど、具体的にどんなことをするのかというイメージは湧いていませんでした。それでも、協働という形で複業人材の活用をされている企業さんは多くなさそうですし、チャレンジしてみたら面白そうだなという思いで参画を決めたというのが正直な所です。

また、協働日本への参画を決めたのと同時期に、他の個人での仕事も受けるようになりました。自分にとって2023年はチャレンジの年でした(笑)。動き出した時には、「こんなことなら自分にできそうだな」となんとなく思っていたのですが、副業や協働日本での活動などの経験を通じて、自分は何者なのか?という輪郭がはっきりしてきたように思います。

自分にとっての「当たり前」が、誰かの気づきになる、複業人材の有効性。

ーー続いて、松尾さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

松尾:現在二社のプロジェクトに参画しています。一社は株式会社味一番フードさん、もう一社は株式会社ネバーランドさんです。

味一番フードさんは、石川・富山で、自家製麺の飲食店を経営されている会社さんです。今回は「新規事業を作りたい」というテーマで協働プロジェクトがスタートしました。協働プロとしては、枦木優希さんと一緒にチームを組んでいます。新規事業を作りたいものの、まずは何をやろうか?というところから皆で考えていく必要があったので、最初は味一番さんの持つ強み、得意とすること、やりたいこと、課題など時間をかけてじっくりヒアリングしていき…実際にお店や、セントラルキッチンの様子を見に視察に伺ったりしながら、できそうなことを3つくらいに絞っていきました。

その過程で、自分がこれまで当たり前に行っていた商品開発のための思考のステップを、パートナー企業の担当の皆さんが初めて経験されていることを目の当たりにしました。確かに、ずっと商品開発に携わってきた私にとって習慣になっていることでも、商品開発を初めて経験される地方の中小企業の方にとっては新鮮な気づきや考え方になるんだと思うと、改めて、地方の企業による外部人材の登用は有効だと感じました。

ーー確かに、誰しも経験の中で知識やノウハウを得ていきますものね。

松尾:そうですね。例えば、商品開発するにあたって「誰のための何なのか」という軸はとても重要です。アイディアベースで、思いついたことをあれもいいね、これもいいねと作っていくと、最終的に目的がブレてしまいます。

確かに大変で面倒な部分もあるのですが、一番最初にこのコンセプトの軸を突き詰めておくと、その後どんな商品の形にするか?などデザインやその後のプロモーションまでの骨格になるのでスムーズです。

これも経験してこそ重要性がわかることですよね。
味一番の皆さんとは温度感も近くて、毎回楽しく進んでいました。今回の伴走で皆さんが実感を持って商品開発の一連の流れを経験してくださったことでスキルが身につき、次回以降に自力で商品開発をする際に活かしていただくことができるのではないかなと思っています。

ーーまさに、最初の経験に伴走して、自立に繋げるという協働日本のスタイルですね。ネバーランドさんのプロジェクトはいかがですか?

松尾:ネバーランドさんは、鹿児島県長島町で養殖されている「茶ぶり」を1つのキーにして「世界に羽ばたく飲食店ブランド」として鹿児島市を中心に活躍されている会社です。今回のプロジェクトは、長島町からの依頼を受け、ネバーランドさんと一緒に地域活性化に繋がる新規事業や商品開発を行っていくというものです。こちらでは、協働日本CSOの藤村昌平さんと枦木さんの3名でチームを組んで伴走支援に当たっています。

現在は長島町に多く群生している国産ハーブ「アオモジ」を活用した商品開発を進めているところです。

ーー「アオモジ」初めて聞きました!

松尾:アオモジは、元々は長島町で街路樹などとしても植えられていたもののですが、一般社団法人和ハーブ協会という団体の方が町に来た時「国内でこんなにアオモジが植っているところはない、とても貴重なものですよ」というお話があったそうなんです。そんなに価値のあるものなら、何か町の特産として使えないか?ということでこのプロジェクトがスタートしています。

はじめは私も、どんなハーブなのかわからなかったんです。商品開発にあたって、どういう料理に使えるんだろう?と色々調べてみると、実は中華料理や台湾料理で使われる「マーガオ」というスパイスの別名だということがわかりました。このマーガオは数年前に流行していて、様々な特集やレシピも見つけることができました。
すでにマーガオを使ったクラフト焼酎を作られている方が鹿児島県内にいることもわかり、皆で試飲してみるなど、商品化に向けて情報を集め検討しています。

長島町に群生する、貴重な国産ハーブの「アオモジ」

複業人材との協働の中で見えた、自分の「プロフェッショナル」

ーー食品系の商品開発をされている松尾さんの強みを活かして活躍いただいていますが、協働の中でご自身の変化を感じることはありますか?

松尾:協働を通じて得た気づきは大きく2つあります。1つは、先ほども少し触れましたが、自分のスキルや強みが明確になってきたことですね。

ベンチャー企業で働いていると、自分の役割はあれこれ多岐に渡るので、自分は何のプロフェッショナルなんだろう?という自覚が湧きにくいんです。

ーー確かに、本業でも買い付けから商品企画・開発まで色々なさっているとおっしゃっていましたね。

松尾:そうなんです。でも、協働を通じて見えてきた自分の得意領域は「商品開発」、そして「食品」のプロフェッショナルなんだということが見えてきました。先ほどのアオモジとマーガオが同じハーブ、という気づきについても、食品目線で調理法などを調べていたことで見えてきた情報でした。こういった「発見」を通じて、「食」に関しては誰よりも強いんだ、という自信につながりました。視点の持ち方、ものへの理解や広げ方…10年間極めてきた「食」についてなら任せてほしいと思えるんです。協働プロのチームはメンバーそれぞれに得意分野があって、役割があります。誰も気づかなかった情報にも、自分の職の切り口からチームに貢献できた。自分もきちんと役割を担うことができるということは嬉しいですね。

味一番さんのプロジェクトでは、マーケターである枦木さんとのチームなので、枦木さんがブランディング、私はもっと商品開発の骨格部分を作るような役割分担。ネバーランドさんのプロジェクトでは、0→1の事業開発を藤村さんが、そしてやっぱりブランディングやマーケティングを枦木さんと私という分担でプロジェクトに当たっています。

普段は会社を超えて誰かとチームを組んで仕事をすることがあまりないので、それぞれのメンバーの得意分野の考え方や仕事の仕方は新鮮で、勉強になるんです!
伴走支援をしているけれど、私にとっても学びになっていて、すごく楽しめています。こういった、他者との協働の中で受ける刺激や学びが、得たものの2つ目ですね。

協働の中で、「あ、自分はこの分野についてはプロなんだ」だったりとか、「本当にこういう仕事が好きなんだな」みたいなところが、浮き出てくる、炙り出されて、自分のスキルが整理されていく感覚があります。こういった自分にとっての気づきがあるからこそ、仕事としてやっているのに勉強にもなっているのだと思います。

地域の魅力を引き出し、人も地域も元気にできるプロフェッショナル集団。

ーー松尾さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

松尾:どこまでいっても私の好きなことや得意なことは「食」に関することです。美味しいものは人を幸せにできる。どんな時でも、美味しいものを食べることが前を向くきっかけになることもある。そういう、食を通じて人の幸せに直結する仕事を続けていきたいなと思っているので、協働日本でもそんな活動をしていきたいなと思っています。

食を通じて人をワクワクさせたり、幸せを実現していくことが自分にとってのやりがいです。

ーー松尾さんにとっての仕事のテーマなんですね。そのように思うようになったきっかけはあるのでしょうか。

松尾:はい。きっかけは、3.11の震災復興支援の一環でずっと携わっている、「女川のさんまのつみれのスープ」です。宮城県女川市は、津波の被害がひどかった地域の1つです。3日間くらい孤立状態にあって、電気もなく、連絡もつかず、食べるものもない、生き残ったわずかな人たちで身を寄せ合っていたと聞きました。そんな時に、ある水産会社の方が自社の倉庫から、加工して保管していた「さんまのつみれ」を見つけたのだそうです。

調味料もなく、ただのお湯にさんまのつみれを入れただけのスープを作って皆で食べて──ほぼ味もないスープでしたが、「あったかい」というだけでほっと心が安らいだんだそうです。

あれだけの極限状態でも、食べ物に人を癒す力があったんだ、と実感しました。それ以来「美味しいものがあれば人は前に進める」と、食を通じた人の幸せの実現に向けて使命を感じるようになりました。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

松尾:協働日本は、柔軟にその地域に入りこみ、寄り添いながらその地域の魅力を引き出し、人も地域も元気に出来るプロフェッショナル集団だと思っています。集まっている協働プロは、経験豊富な方が多いので、パートナー企業からの「困ったこと」の相談があった時、それぞれの分野のプロフェッショナルがすぐにアサインされます。こんな組織、なかなかありません。

私は、地方の方が面白いものがたくさんあると考えているんです。様々な技術や資源が眠っている地方と、東京のスキルが掛け合わされることで、もっと面白いことが生まれるのではないか?それこそが「協働」じゃないかな?と。

これからも協働を通じて、もっと面白く、日本全国の地域が活性化するような取り組みを、皆でできたらいいなとと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

松尾:ありがとうございました!


松尾 琴美 / Kotomi Matsuo

コピーライターの父と、料理好きの母のもとに育つ。幼いころから語学に興味を持ち、高校時代にアメリカへ留学。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、日本のものづくりをベースとした、デザイン雑貨の企画/開発を行うイデアインターナショナルに入社。海外事業の立ち上げに従事し、アメリカ/ヨーロッパを中心としたマーケットの開拓を行う。

その後、新たなもモノ作りの分野に挑戦したいと現職に従事。バイヤーとして全国の産地に足を運びながら「美味しい」にとどまらないストーリーのあるモノづくりを目指し、食材の買いつけから商品企画開発まで幅広く手掛ける。

食のサステナビリティに強い興味を持ち、2023年よりChefs for the blueへ参画。

松尾 琴美氏も参画する協働日本事業については こちら

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NEWS:KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023に、協働日本で伴走している株式会社栄電社が鹿児島県代表として選出されました

【2023年11月14日(火)】KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023に、協働日本で伴走している株式会社栄電社が第二創業部門の鹿児島県代表して選出・登壇決定

KVM2023|九州・山口ベンチャーマーケット
https://kyushu-yamaguchi-vm.jp/

協働日本で伴走している株式会社栄電社が、KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023に、第二創業部門での鹿児島県代表して選出されました。
九州・山口ベンチャーマーケットに登壇する企業は、九州・山口各県の予選を通過した企業に限られ、選出企業は2023年11月14日(火)に開催されるピッチコンテスト本番に登壇します。

芋焼酎の製造過程で排出される搾りかすをSPL液にしてサプリメント的飼料化を実現した事業で、今年の2月に鹿児島県庁にて開催した「新産業創出ネットワーク事業」の発表会でも、鹿児島発のサーキュラーエコノミーとして発表された協働事例です。

昨年から伴走し今年は2年目の取り組みとなる中、株式会社栄電社の皆さまとの協働もさらに深め、鹿児島県、鹿児島産業支援センターと連携して共に歩みを進めてまいります。

KVM2023 九州・山口ベンチャーマーケット2023の詳細は以下からご確認ください。

KVM2023|九州・山口ベンチャーマーケット
https://kyushu-yamaguchi-vm.jp/


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