VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(後編)『協働を広げ、大きな「循環」へ。私たちが協働プロを続ける理由』 –

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本CSOの藤村昌平氏、同CMOの若山幹晴氏の対談をお送りいたします。
協働日本の創業時から参画しているお二人に、創業当初から現在までの5年間を通して見た協働を通じて生まれた支援先やご自身の変化、協働日本の未来について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

※本インタビューは前後編にてお送りいたします。前編はこちら

自分では気付いていないだけで、目に見えない「価値」は既にそこにある。

ーー前回に続いてのインタビューとなります。今回はまず、5年間の協働プロジェクトを振り返って印象的だったことについて伺いたいと思います。

若山:そもそも、協働日本でご支援させていただいたサービスはどれも素晴らしいものばかりだったことが印象的です。ものとしては良かったり、素晴らしいノウハウをお持ちだったりというケースばかりでした。その1つ1つが印象に残っています。

ではどうして、そんなサービスや商品をお持ちの企業が支援を求めているのか?と紐解いていくと、お客さんとのアンマッチが発生していたり、サービスの広げ方を変えなくてはいけなかったりするパターンがとても多い。ものやサービスがいいというだけではビジネスはうまくいかない、ということが改めてよくわかります。

藤村:特に、時代を跨ぐ無形資産は、作ろうと思って作れるものではないですからね。私も印象に残っているプロジェクトの1つに、奄美大島の伝統工芸品でもある大島紬のプロジェクトがあります。伴走支援に入って初めて、こういった伝統工芸を取り巻く状況やビジネス環境を知りました。

協働先の一社である、大島紬の織元「はじめ商事」さんでは、長く続いた大島紬という無形資産をどうやったら後世に継いでいけるのかをテーマに、事業のアップデートに真剣に取り組まれていました。大島紬は世界三大織物に数えられる絹織物で、自然の力を借りて30〜40もの行程を経て長期間をかけ作られていて、それが100年以上続いている。この脈々と続く歴史を目の当たりにして、消費財メーカーの中で生まれるプロダクトを日々アップデートし直していくことと、かくも違うのかと驚くばかりでした。

始まった協働プロジェクトの中では、作り手の伝統を残したい気持ちと、顧客の欲しいと思う気持ちが重なる部分はどこかを徹底的に探していきました。

STORY:奄美大島での伝統産業(大島紬)活性化プロジェクト-取り組みを通じて感じる確かな成長-

若山:人々の強い想いが込められたものは、AIではやっぱりまだ作れない。かけがえのない、素晴らしいものですよね。逆にその素晴らしさにご自身が気づいていないというパターンも多かったように感じます。

私は、経営者の事業そのものへの想いも、ひとつの無形資産だと思っています。たとえば想いの強さで言えば、鹿児島で伴走支援に入らせていただいたAKR Food Companyさんも印象的でした。

AKR Food Companyさんは、黒豚の食肉加工・販売を行う企業でしたが、とにかく黒豚に対する想い、育ててきた豚を余すことなく美味しいと言ってもらいたい想いが強かったです。この想いを軸に新規事業を考えていった時、今までの工程上破棄していたものを、ペットフードにしていこうというアイディアが生まれました。誰にも負けない強い想いを持っているからこそ生まれた事業なんです。

協働の中、ポジティブ会話や空気の中で様々なアイディアが出て、やがてそれが事業の形になり、自分達の想い自体にも価値があるんだと気付いていただけました。それから改めてポジティブな空気づくりを意識してやってきてよかったとも思いました。ポジティブな空気感は、やっぱりプロジェクトの進み具合や成功確率を左右しますから。

STORY:AKR Food Company株式会社 松元 亜香里 氏 -黒豚への強い想いを形にし、付加価値をつけた商品開発の挑戦-

自己認識のアップデートが成長の鍵。その一歩を踏み出す実行力が何よりも重要。

ーー伴走先へのインタビュー「STORY」では、プロジェクトに参加した社員の皆さんの変化もよく話題に上がりますが、お二人から見た協働先の「人の変化」はいかがですか?

藤村:それでいうと、伴走先の皆さんだけでなく、自分自身も成長・変化させてもらっていますね。

直近では、山岸製作所さんの次世代リーダー育成プロジェクトは特に印象的です。次世代リーダープロジェクトは、経営幹部の育成に悩む地域企業様にむけたプログラムで、協働プロによる幹部への伴走とメンタリングによって、改めて自分と会社の存在意義を考え、組織を動かす幹部としての視線の醸成、意識の変革を目指していくというもの。

このインタビューの中でも「事業を作る人を作る」というミッションの中で、人との関わり方が変わってきたという話をしました。まさに、こういった変化のきっかけをくれたプロジェクトが、山岸製作所さんの次世代リーダー育成プロジェクトだったんです。

メンタリングの伴走をする中で、幹部の方が「自分と会社の存在意義」「自分が本当にここでやりたいこと」の意識を持つことができた瞬間を見ることができました。その意識が生まれたことで、会社の中で仕事・チームに対する全体の振る舞いも変わっていく……こういった変化を一緒に体験させてもらったのは大きな経験になりました。

ーーなるほど。一般的に、若い人のほうが柔軟性があって変化しやすいとも言われますが、経営幹部中堅のマネジメント層の変化を実際に見て、必要だと思ったことポイントはありますか?

藤村:経験豊富になってきた中堅ならではだと思いますが、どのように情報を捉え直して、目線を合わせていくかが重要なことだと思っています。「境目」の話とも似ていますが、壁を誤解して捉えていることが多いんです。見えている壁は自分が作り出したものであって、実は周りは壁だと思っていないかもしれない。

そもそも、自己認識と現状認識を俯瞰して把握することは誰にとっても難しいことです。もちろん私にとっても難しい。

たとえば同じものを見ていても、人によって見え方は違うじゃないですか。それぞれの背景や感情の違いがあるので、違うものが見えること自体は当然なんです。そこで、あらためて他人のことを慮るように意識すると、最終的には他人からは自分がどう見えているのか見えるようになってくるんです。

他人の眼鏡を借りて自分を見ることで初めて自己認識がアップデートされる。先ほどの例でいえば、自分の周りに壁なんてなかった、ということに気づくことができるということですね。

プログラムを受けてくださった山岸製作所の奥永さんも、まずは自分自身に向き合うところから始めました。

自分は何者で、何がやれて、何がやりたいのかを整理して、次に仕事でのメンバーとのコミュニケーションの中で、相手が奥永さんの言葉に対してどういう風に感じると思うか?どんな反応、どんな質問が返ってくると思うか?ということを私が質問する形で考えていただきました。

そうすると、自分の言葉に対して他人がどうリアクションするか、徐々に傾向を掴めてくるんですね。つまり、「奥永さんってこういうこと言いがちな人」と思われている、であったり、自分の意見はこう受け止められがちだなみたいなことに気づかされるわけです。そうしていくうちに自己認識も変わっていって、振る舞いやコミュニケーションの取り方もそれに合わせて変えていくことができるんですよね。

STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-

私自身も同じように、協働を通じて「人から見える藤村」を認識することができるようになっていて、藤村ってこういう特性があって、こういうところに得意領域があるよねということが自分自身で分かるようになってきています。

自己認識と現状認識、誰の眼鏡で誰を見るのか、きちんと焦点を当てられるようになることが、その人の成長につながる重要なポイントになると思います。

ーー若山さんから見た「人の変化」についてはいかがですか?

若山:色んなことの境目・垣根がなくなって、働き方も柔軟になったからこそ、最後にものをいうのは実行力だと思っています。例えば、私が担当させていただいていた協働先の大島屋さん。こちらも大島紬の織元さんですが、代表の佐藤邦弘さんが大島紬を織って、奥様の佐藤ゆかりさんが事業を支えるという、ご夫婦で二人三脚の経営をされていました。

品物自体はすごく素晴らしいものを作られているので、あとはどうやってお客様に魅力を知っていただくかという議論をしていました。

魅力を知ってもらう方法の1つとして、写真の撮り方を変えようという案が上がりました。 どうしてもインターネットでのEC販売になってくると、見せ方一つで魅力の伝わり方が変わって、売上にも影響が出ますから。

ゆかりさんは、専門家でもなければ写真の経験もなかったので、魅力的な商品の見せ方をしなきゃいけないことはわかっていても、どうやって改善すればいいかもわからないわけです。そこで、魅力的に見える競合他社を中心に、EC上の写真を色々見て、「これはすごくいいよね」「こっちは安っぽく見えるよね」をいう仕分けををしていきました。その中での傾向を分析して、真似して写真を撮ってみたんです。それに対してさらに具体的に、もう少しシワ感があった方がいいんじゃないか、光の加減はこっちの方がいい、もっと寄った写真がいいんじゃないですか、みたいに相談しながら修正していった結果、今ものすごく写真が上手いんですよ。

これは実行こそがものをいう、のすごくいい例だと思っていて。自分には経験がないから、できないものだと思って行動しない人には多分一生できない。分からないなりにも手探りで、1個1個比較して傾向を見つけて、実際に撮ってみたら光の加減の重要性に気付いて……と、取り組むからこそそこから学びが得られるんです。

大島屋さんの反物の写真

藤村:初めは、ゆかりさんも「どうしたらいいですか?」というところからスタートでしたよね。それに対して協働プロから「もっとこうした方がいいのでは」「ここのシワが気になるね」だとか、「この布は光の反射で色味が変わるから、こっち向きの方がいいんじゃないか」みたいに色々意見を出しながら試行錯誤していったんですが、最後にはゆかりさんの方から「こう思うんだけどどう思いますか?」と自発的に意見が出てくる形に変わっていったんです。やり続けることによって意識も変わっていく。協働先の変化をすごく感じたエピソードの一つですね。

協働日本と壁を越えて「ワンチーム」へ。共に良い循環づくりをする仲間になりたい。

ーー事例を元に具体的なお話をたくさん聞かせていただきました。最後に、協働日本のこれからについて教えてください!今後一緒にプロジェクトをしたい企業の方、協働プロとして参画したい……そんな方達へのメッセージをかねて、一言お願いします。

藤村:これから取り組みをスタートするクライアントの方々によくお伝えしているのは、協働プロジェクトは「ワンチーム」でというキーワードなんです。言うのは簡単なんですが、実際ワンチームでプロジェクトに当たることはとても難しいんです。相当意識しないと、フラットでイーブンな形のワンチームにならないんですよね。 

私もプロジェクトマネージャーとしてプロジェクトに入るが多いので、貴方と私とか、御社と弊社、みたいな形にせず、できる限り「我々」を主語にプロジェクトに当たっています。我々の取り組むものであり、我々の課題であり、我々の商品であり、我々のアウトプットだ、と一貫してプロジェクトに当たることで最終的にワンチームの状態になるんです。 

これって、私たちが今日ずっと言ってきた、「壁」の話なんですよ。発注元と発注先、中の人と外の人、というように、自らが勝手に壁を作りあう関係性だと、自ずと「これはそっちの仕事」という考え方になって、ワンチームの概念から離れていってしまう。

我々は自ら壁を作りやすい生き物である、という自己認識を持つと、だんだん壁も溶けてなくなっていくんですね。協働日本との関わりの中で、「壁なんてなかったんだ」と気付く人が増えていく。壁のないワンチームでは、自然とネガティブ・利己的・他責ばかりの環境もなくなっていきます。

そうやって勝手に生まれた、作られた壁を越えていった先にある「ワンチーム」を体験してみたい方、それが自分や自分の会社に足りないと感じた方はぜひご一緒させていただきたいですね。自ら変わろうとする企業の皆さんとの協働を私たちも楽しみにしています。

私たち協働日本も、様々な伴走支援実績の中で、どうやったらワンチームになって「We」の概念を会社の中に生み出せるかというノウハウが蓄積出来てきています。協働を通じて、ぜひ体感いただければと思います。

若山:経営をする上でも組織づくりをする上でも、あらゆる観点から選択肢が多いことはやっぱり有利だと思っています。

個人・組織・会社で色んな状況を見て柔軟に、迅速に判断して行動できる人が勝っていくという話にも似ているんですが、私の大事にしている協働日本の「良い循環」の内側に少しでも早く入っていくことが組織の発展にもつながるのではないかと考えています。最初は学ぶ立場でも、徐々に自分達が還元していく側にも成長していく。情けは人の為ならずじゃないですが、それが更にまた自分達に還ってくる。

協働日本の作る良い循環を作り出していく、その一員になることはすごく面白いと思います。協働日本の循環には、協働先の企業や協働プロ───仲間が日々増えていっています。協働から生まれた循環も大きくなって、目の前に広がる選択肢も増えていく。そしてやがて循環が循環を産んでいく構図になります。

いま企業を経営している方も、協働プロに興味がある人も、自分がその循環の一員になってみるとどう変わるのかを考えても面白いかもしれません。今まで思ってもみなかったような、選択肢や戦略が出てくる可能性があるし、「これって自分の強みだったんだ」とか、「うちの会社の本当に重要な無形資産だったんだ」みたいな気づきが生まれたりもします。

協働日本が、そういう場であり続けたいなと思って日々活動していますし、それこそが私たちが協働プロを続ける理由と言えますね。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

藤村・若山:ありがとうございました!

藤村 昌平 / Shohei Fujimura

(株)協働日本 CSO(Chief Strategy Officer)

大学院卒業後、ライオン(株) に入社。R&D部門で新規技術開発、新製品開発、新ブランド開発を経て、新規事業創出業務に従事。
2023年に独立し、株式会社fucanを創業。

(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

若山 幹晴 / Masaharu Wakayama

(株)協働日本 CMO(Chief Marketing Officer)

大学大学院卒業後、P&Gに入社。ブランドマネージャーとして日本・シンガポールにて従事後、ファーストリテイリンググループブランドのジーユーにて、最年少でマーケティング部長に就任。

協働日本事業については こちら

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協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本CSOの藤村昌平氏、同CMOの若山幹晴氏の対談をお送りいたします。
協働日本の創業時から参画しているお二人に、創業当初から現在までの5年間を通して見た協働を通じて生まれた支援先やご自身の変化、協働日本の未来について語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

※本インタビューは前後編にてお送りいたします。後編はこちら

物事への解像度を高めることで出てくる「本当にやりたいこと」が、人を動かす。

ーー本日は、協働日本創業時から参画しているお二人にお越しいただきました。よろしくお願いいたします!

藤村 昌平氏(以下、藤村):よろしくお願いします!

若山 幹晴氏(以下、若山):はい、よろしくお願いします。

ーー立ち上げからの5年間でお二人の本業のキャリアも変化してきたと思いますが、まずは当初から現在までの協働日本との関わりや変化についてお聞きしていきたいと思います。

藤村:僕は、協働日本の立ち上げ当初はライオン株式会社に勤めていて、去年独立しているのですが「事業を作る人を作る」というミッションを掲げてプロジェクトに関わっている点はずっと変わっていません。

変化があるとすれば、人との関わり方かもしれないですね。当初は、協働プロジェクトにおいて「売上の数字を上げるためには」「顧客を獲得するためには」「効率を上げるためには」…など、何かしらの目的を通じて、人の成長を支えるようなことが多かったのですが、現在では直接的に人と対話しながらお互いに成長する・させてもらう関係を作ることが増えてきています。

目的や成果を通じてではなく、直接的にその人のやりたいことそのものに対してアプローチする機会を頂けるようになっているのはここ数年で変わってきたことですね。

若山:世界と戦っていく企業がどんどん生まれていく中で、ライオンのように大きな会社は藤村さんみたいな人がさらに中枢になっていくと思っていたから、辞めると聞いたときはびっくりしました。

藤村:ライオンでは新卒から勤めて部長職まで経験させていただいたんですが、さらにその上に上がって組織のマネジメントをすると考えた時に、もう一つ壁があるように感じたんですよね。それをどうやって突破しようかと考えても、道筋がクリアに見えなかったというのもあって、「一旦組織を離れてみよう」くらいの温度感で退職を選んだんです。

だから今でもライオンの仲間たちとも話すし、状況も気になる。でも少し離れて別の経験を積んでみた方がいいなって。

伴走支援先の沼津三菱自動車販売株式会社のショールームにて

ーー若山さんもこの5年間の間で独立もご経験されていますが、ご自身の変化についてはいかがですか?

若山:先ほど少し触れた通り、僕自身も消費財、アパレルと色々経験してきました。2022年2月にポケトーク株式会社が創立されたタイミングで同年3月より同社にジョインしています。

個人としても2021年に独立し、協働日本でも創業期から多くの案件に関わらせていただきながら、様々な業種業態の事業者様と経験を積ませていただいているところです。

藤村:若山さんはずっとマーケティングのプロとしてキャリアを歩まれてきていますが、会社経営も経験している。会社の経営自体も、マーケティングの概念の中に入ってくる部分があるじゃないですか。

いちマーケティング担当・ブランドマネージャーとして働いていた時と、経営者として働くようになってからとでは、マーケティングに対する感覚や考え方がアップデートされたところはありますか?

若山:経営の視点で言うと、組織の話やミッション・ビジョンなど、すごく多角的に見なければいけない中で、おっしゃる通りマーケティング的な考えを持たなきゃいけないエリアが広いなというのはすごく実感しています。

いい人材にミッション・ビジョンに共感してもらって、 組織として強くしていく上でも、やっぱりその人の考えやニーズを捉えながら、どうすり合わせていくかという考え方もまさにマーケティングですし。コストカットの方針を決めること一つとっても、納得感をもってどう伝えていくか。これもマーケティング的な思考がないとうまく実行できない場合があると思います。

どういう角度から見ても、マーケティング的な思考は重要なんだなと思う一方、最近では、もう「マーケティング」っていう言葉を使わなくてもいいのかなと思っていて。

藤村:型すらもう捨てようとしているんだ。(笑)

若山:マーケティングって、語源的には「マーケットを作る」という発想から「マーケティング」と呼ばれているのかなって。でも、これって究極的には「顧客志向」とか「人の気持ち」に根付いてるんだろうなと思うんです。特にAI時代と言われている中で、やっぱり人間じゃなきゃできないことって何なのか立ち返ってみると、「人の気持ち」が全てなんじゃないかなと。

消費行動は突き詰めると人の気持ちを理解することだし、組織作りも人の気持ちを理解することだし……とすると、なんだかそういった人の気持ちに紐つくことを「マーケティング」って、一括りにするのは”便利な言葉”すぎないかなと。

なんだか、もっと具体的に響く言葉を使っていかないと、人も動かないようになってきてるなと思うことがあるんですよね。

ーー若山さんは、「マーケティングのプロ」として協働日本の伴走支援に入られていると思いますが、そういった部分もプロジェクトの中で実感されているのでしょうか?

若山:そうですね。「マーケティング」という言葉を使わず、「お客さんの理解を深めましょう」という言い方でもなんとなくやるべきことは理解はできるじゃないですか。このような表現の方が今は効果が出やすいと感じるんですよね。一言で「マーケティング戦略」と言うのではなく、「これから考えるのは顧客戦略で、まずは顧客を理解して、どういう人たちを狙うのか」というような言葉に置き換えるんです。

そもそも僕にとって、協働日本での伴走支援は「循環」だと思っていて。自分がもらったもののバトンを渡していきたいという考えがあるんです。「マーケティング」という言葉に対して、なんだかすごそうだけどよくわからないものという印象を持っている方が実際にいらっしゃるので、「こういうところから始めれば良いんだ」と気づきを持ってもらえるように発信することを心がけています。だから、協働日本のセミナーなどをきっかけにマーケティングの考え方に興味を持って仕事のやり方を変えていったと言っていただけることがあると嬉しいですね。

この「循環」ってポジティブなものでなければいけないと思うんです。利己的・ネガティブな感じになると回らなくなる。やってみたら結果が出た、人が変わっていった、いい方向に動いた、というようなポジティブサイクルをどんどん作りたいと思っています。

ーー理想的な考え方である反面、わかっていても実践が難しいという方も多そうですが、意識してポジティブにしていくために使っている言葉や振る舞いはありますか?

若山:そうですね。常に自分がポジティブでいることを心がけています。協働日本に相談してくださる方は、現状に対しなんとなく不安や心配を抱えていることもあるので「大丈夫です、こういったところから始めていきましょう」と僕側がポジティブに振る舞うことでまず安心してもらって、前向きに取り組んでいく基盤作りをするイメージですね。

伴走支援先の企業は、業種的にも、機会的にもどうしてもお客様と直接相対して来られなかった方が多いんです。なので、伴走支援に入って一緒にプロジェクトを進めることで、お客様なくしてビジネスは成り立たないことを常に考えていけるようになる、ということを僕の提供価値にしていきたいと思っています。

ーー藤村さんも、伴走支援の中で意識されていることはありますか?

藤村:協働日本の中では顧客企業毎に協働チームを組成して進めていくわけですが、チームにアサインされた顧客企業側のメンバーが持ちやすい、”やらされている”という感覚をいかに排除するかには気を遣っていますね。

この「やらされている感」が生まれてしまった瞬間に、全部なし崩し的に、「もう上の方で決めてください」とか、「協働プロの皆さんが決めてください」みたいな……なんだろう、「誰かに決めてほしい」という空気が出てくるのが良くないと思っていて。

プロジェクト単位でもそうなのだから、組織や会社などの単位でもこういった空気が出てきてしまうとすると、すごくネガティブなループに入っていくと思うんです。 

でも、過去自分の仕事を振り返ってみた時に「やらされてる」っていう感覚がなかったかと言うと、”あった”ケースもあるので、いたしかない部分があることも理解できますが。

若山:人って多分、わからないことに対しては恐怖を感じて、能動性を持てないところがあると思うんです。それがやらされてる感にも繋がるんじゃないかな。

伴走支援の中で、「こういうことやっていきましょう」という話になった時に、「なんでこれをやるんだろう」とか「これをするとこんな良いことがある」という理解がないと、やっぱりやらされている……ただのtodoタスクになってしまう。

だから「こういうことをやっていきましょう」の後に僕たち協働プロは「なぜそれをするのか」という意義をきちんと解いていくための対話をするんですね。「こうですかね?ああですかね?」「でもこういう視点もありますよね」「なるほど、じゃあこれをやるっていうことはこういう意味があるのか」───という風に、プロジェクトメンバーそれぞれの腑に落ちた瞬間に、やらされ仕事じゃなく、自分の仕事になっていくように感じています。

藤村:そうですね。これって若山さんがさっき話してくれた「便利すぎる言葉じゃ人は動かない」にも繋がるんじゃないかと思っていて。

色んなものが便利になって、色んなことをやらなくて済む、AIがやってくれるって世界になればなるほど、人は自分で考えることをしなくなっていく部分があると思うんです。

でも、「やりたい仕事」って誰かに与えられるものではなくて、自分で作らなくてはいけないものだから、自分の気持ちに素直になって自分がどう考えているのかを表現して「やりたいこと」を明確にして作り上げていくことが重要です。だとすると、プロジェクトマネジメントする側からも、「これを聞いてどう思う?」など相手に話を聞いて、本心を引き出す必要もあるんじゃないかなと思います。

ひたすらに深掘りしていって、リアクションを読んで……ということを積み上げていくことで、伴走先の皆さんの本当にやりたいことが見えてくる。小さいところから、この「やりたいこと」を繋げて作り上げていくことで、最終的に商品やサービスを届ける先のお客様や、協力を仰ぎたいパートナーにも「いいじゃんそれ、面白いじゃん」って共感していただけるようになると思うんです。

境目が溶けてなくなった世界で求められる対応力。どう補い、高めるか?

ーー協働日本に参画した当初に見えていた景色と、今見えている景色についてお伺いします。当時思い描いていた5年後の世界に、今たどり着いた的な感覚があるのか、あるいは変わってきたという感覚があるのか、お二人の思うギャップを教えていただけますか?

若山:大きなギャップはないかなと思います。ただやはり、プロジェクト型で進む仕事、土地が離れていても同じ目的に向かって歩む人たちの在り方や働き方は当初よりも自然になってきているので、協働日本のプロジェクトについての説明コストが低くなっている感覚がありますね。今どき当たり前という感覚で、抵抗感がなくなってきている。

5年前は協働日本のプロジェクトを説明するときに、働き方や頻度など、プロジェクトや事業と直接関係ないところでの疑問を持つ方も多かった。前提条件が変わってきている印象を受けます。

藤村:元々勤めていた会社の中での働き方も大きく変わったタイミングでしたしね。境を越える───「越境」という考え方が日本の中で根付いてきていると思います。やはりコロナ禍を経て変わってきているという印象ですが、僕の中では、「越境」というよりは「境目がなくなってきている」と考えています。

業界の境目、距離の境目、全て溶けてなくなってきている。誰かが溶かしているのではなく必然的に溶けていっているんです。それこそ、距離的な壁はオンライン会議の普及でほとんど問題にならなくなりましたよね。コロナ禍で今まで「当たり前」だと思っていた動き方ができなくなって、違う方法を模索してみると案外これまでより便利なことに気づいたことって皆さん大なり小なりあると思うんです。消費者の消費行動も、企業の働き方やアプローチの仕方にも同じことが言えます。

つまり、そもそもコロナ前にあった壁や境目自体、実は自分が勝手に思い浮かべていただけのものだったんです。壁があると思いながら近づいていったら、実は壁なんてなかったという経験が現場でもう4〜5年続いていて、これまでいかに自分がバイアスの壁に縛られていたかに気づかされました。

若山:「境目がなくなる」というのはまさにその通りですね。境目がなくなってきたことで、これまでの「ここからここまでできれば良い」という範囲もなくなって、どういう状況下でも最大のパフォーマンスを出せないと生き残れなくなってきているように思います。個人も、経営者も、状況への対応力が問われていて、的確・迅速にできる人が生き残っていく。

先ほど藤村さんが、壁を破るための経験をもっと積みたいという話をされていましたが、これもやっぱり「境目がなくなった」ことにも関係するのかなと思っていて。僕ももともと消費財メーカー出身で、その後アパレルで小売や製造を経験して、今はIT系の分野でも仕事をしていますが、思い返すと「その時には思いつかなかったけれど、今の知識や経験を持っていたらもっとこうしていたな」と思うことがたくさんあるんです。経験の中で選択肢が増えているんですよね。 
一社に留まっているだけでは出てこない判断ができるようになっている実感があるわけです。

そこで湧く疑問が、例えば新卒から1つの業種や業態を極めつつ、副業的に引き出しを増やしていくことができれば、業種業態を超えた横の経験が蓄積されて経営判断にも活かせるようになっていくのか?ということです。それともやはり転職や企業など、働く場自体を変える必要があるのか……。

藤村:「時間のシェアとマインドのシェアが1番大きい」組織に、思考パターンが引っ張られやすくなる部分はどうしてもあると思いますね。

例えば、消費財分野のマーケティングって、やっぱり商品があって、競合がいて……と、コミュニティ化されてしまっているから、その中においては対エンドユーザーの戦略よりも対競合の戦略勝負になりがちです。そうやって競合のことばかり分析したり考えたりと、必然的に視野が狭まってしまう。

良い悪いということではなく、一つの組織に留まり続けると、どうしても狭い視野のままになってしまう部分はあるかもしれない。

若山:競合と自社を比較分析して戦略を立てる中でも、市場で勝っていくためには市場破壊するようなイノベーションを起こすか、もしくは他社に起こされた時に一歩でも遅れを取らないことが必要です。

同じ業界だけで新卒から上がってきた人たちだけでは気付くことができないような新たな視点を取り入れてイノベーションを起こしていかないと、企業の成長戦略は描きにくくなっているんじゃないかなと思います。

そういった視点を獲得するために必要なのは転職か?副業か?という疑問を改めて考えても答えはないと思うんですが、少なくとも企業の発展のためには人材や考え方の交流を増やしていかなきゃいけないし、コロナ後の市場の変化によって必須になってきている感じがありますよね。

藤村:そういった部分を鑑みても、複業人材を活用することは効果的かもしれませんね。企業にとっては、色んなバックグラウンド、専門性を持つ人材を適材適所で活用していくことができる。複業人材側はこれまで触れることのなかった分野についても経験を積むことができるので、対応力が上がっていく。それをまた自社に持ち帰ったり、別の複業先に還元したりしていくことで、実際に若山さんの仰るようなポジティブな循環が生まれていきます。

後編へ続く

藤村 昌平 / Shohei Fujimura

(株)協働日本 CSO(Chief Strategy Officer)

大学院卒業後、ライオン(株) に入社。R&D部門で新規技術開発、新製品開発、新ブランド開発を経て、新規事業創出業務に従事。
2023年に独立し、株式会社fucanを創業。

(株)協働日本には創業当初から参画し、2021年にCSOに就任。事業開発のプロジェクトマネジメントに加え、幹部人材育成、越境チャレンジの事業開発メンタリング等を担う。

若山 幹晴 / Masaharu Wakayama

(株)協働日本 CMO(Chief Marketing Officer)

大学大学院卒業後、P&Gに入社。ブランドマネージャーとして日本・シンガポールにて従事後、ファーストリテイリンググループブランドのジーユーにて、最年少でマーケティング部長に就任。

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VOICE:和地 大和 氏 -まずは一歩でも進んでいる実感を持ってもらいたい。協働先の「やりたい」に寄り添い、モチベーション高く変化を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でWEBプロモーションのプロとして地域企業の伴走支援を行う和地 大和氏のインタビューをお届けします。
商社やスタートアップで、営業・人事・経理・総務・マーケティングや広告など、様々なキャリアを積んだのちにフリーランスとして独立した和地氏。

協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化や、今後実現していきたいことについて語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

どん底も経験しながらチャンスを掴んだ、幅広いキャリアを活かして顧客の支援をする「Web実務のプロ」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、和地さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

和地 大和氏(以下、和地):はい、よろしくお願いいたします。

現在は【1社に1人は欲しい右腕人材】と名乗って、フリーランスとして活動しています!

メインは、Web広告の代理店ですが、コピーライティングや、各種プロモーションのお手伝いなど、Web関連の仕事を幅広くお受けしています。最近は、企業の人事コンサルなども始めたところです。

ーーありがとうございます。和地さんは幅広く活躍されているようですが、どういった経緯で独立されたのでしょうか?

和地:住宅建材の商社の営業からスタートして、その後本社の人事を経験しました。

その後、実は一度起業して失敗しているんです。まだ20代で若かったこともあり、とにかく生活のために派遣社員として働き始め、携帯ショップで2年間販売員を勤めていました。もちろん「あのまま商社にいれば…」と思うこともありましたが、自分を省みる良い期間にもなったと思っています。

今はこの仕事を真っ当に頑張るしかない!と心を奮い立たせて仕事にあたり、人材派遣会社の営業に転職しました。その後は約半年ごとに役職が変わっていき、最終的にはグループ会社のスタートアップの役員に就任するに至りました。

ーーひたむきに努力されたことで、チャンスを掴まれたんですね!

和地:人材不足だったこともあって、チャンスにも恵まれていたんです。一度失敗した経験があったからこそ僕も必死でした。おかげさまで、このキャリアの中で、営業・人事・経理・総務・マーケティングなど一通り経験することができて、独立して今に至ります。

商社時代の最初の3年間は皆さんが想像するような「the 商社の営業」的な激務を経験していて、僕を形成しているのはその3年間の圧倒的な仕事量でもあります。1つのミスが命取りという世界線でしたし、今振り返っても、一番辛い経験でした。(笑)

自社商品を取り扱っていたわけではないので、商品の優位性もない中で僕から買ってもらう「理由」は「お付き合い」がベースにあることも大きかったんですね。この経験から1つのミス・不誠実で仕事がなくなるという意識が醸成されました。だからこそ現在フリーランスで働く中で仕事が来ることをありがたく感じています。

ーー続いて、和地さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

和地:実は、最初はスポットでWeb広告のサポートの依頼をいただいていたのですが、気がつけばレギュラーメンバーとして複数の案件を持つようになっていた、という経緯があります。

静岡県にあるジュエリーメーカーの株式会社キラガさんで、当時協働プロとして入っていた方と元々繋がりがあったんです。キラガさんがWeb広告やWeb戦略を広げていきたいということで、その方から相談があり、1ヶ月間のスポットでのサポートという形で打ち合わせに参加したのが最初です。

段々とあれもこれもと話すことが増えてきて、気づけば本格的に協働プロとして関わらせていただくようになっていき、もう2年半のお付き合いになります。

現在は、キラガさんの他にも2社の伴走支援にも入らせていただいていて「それってどうやるの?」を叶えるWeb実務の専門家として、活動しています。

例えば、一括りに「Web媒体でプロモーションをしたい!」と言っても、広告を打つのか、SNSで集客するのかなど、いろんな手法があります。そこで、お客様の目的を達成するためには、「現状何が1番良いか」「中長期ではどうか?短期ではどうか?」という視点で壁打ちをさせて頂いています。

経営者・担当者の方は、大体すでにやることが沢山ある状態なので、思考や行動が散らばってしまうことがあります。そんな時には、「今1番集中してやること」に意識を向けられるよう、一緒に軌道修正することも大切にしています。

優先順位やモチベーションをサポートしながら協働先の「やりたい」に寄り添うことで、組織の変化と成果を産んでいく。

ーー和地さんが参画されたプロジェクトの内容について、もう少し詳しくお聞きしたいと思います。

和地:はい。基本的には、協働先の「やりたい」を優先しながら、手法について壁打ちしながら方針を決め、チャレンジしていくという流れでプロジェクトを進めています。

最初「Web広告を出したい」という相談からスタートしたキラガさんは、結局広告は出さずにEC販売とSNSでのプロモーションを厚くしていくことになりました。

現在のキラガさんの戦略の軸でもあるライブコマースは、当時すでにインスタライブで行っていて、売上もそれなりに好調でした。ですが、現在とは違い、他社のアカウントにゲストとしてお邪魔してライブを行うという形式だったので手数料の負担も大きかったため、協働プロジェクトの中で自社で完結できるように相談しながら進めていきました。

しかし、いざ自社のアカウントでのライブコマースに切り替えると、これまでに比べ売上が伸びなかったんですね。Instagramではどうしてもフォロワーに向けた配信になってしまうので、新規顧客の獲得や拡販には向かなかったんです。これまではゲストとして配信していた先のアカウントのフォロワーがメイン顧客になっていたので、新たにフォロワーを獲得する必要が出てきました。

そこで、ライブ配信が新規ユーザーにも届きやすいプラットフォームとしてTiktokを活用することになったんです。フォロワー数をある程度獲得する必要があるということで、運用代行など色々試行錯誤していったんです。

ーーなるほど。その試行錯誤の結果、Tiktokで成果が出て「売上12倍」という結果に繋がっているんですね。

和地:そうですね。キラガさんの場合は特に、ここまで結果を出すことができているのは、やっぱり太田さんの圧倒的な行動量があったからだと僕はずっと思っているんです。太田さんがこれだけやってきたから結果が出ていると思っているからこそ、太田さんの「やりたいこと」を最大限尊重したいという背景もあります。

気を付けていることは、優先順位付けのお手伝いをすることですね。太田さんに限らず、経営者の皆さんはあれもこれもとやりたいことが沢山あるので、全部手をつけてしまうと結果的に散らかってしまって成果に繋がりにくい。だからこそ、結局どれを最優先にやるべきなのか?を絞っていく。

事業を進める上で、「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」がそれぞれありますが、僕はこのバランスが大事だと思っているんです。やらなければいけないことばかりやってると、モチベーションが上がらなくなったり、心が荒んでいってしまうこともあります。とはいえ、やりたいことだけでは会社は成り立たない。だからこそ、一番やっておきたいことと、やらなきゃいけないことを整理して、まずはここにちょっと焦点を当ててやりませんか?と適宜お話ししていました

実は途中で失敗も経験したんですよ。初めにお願いしたTiktokの運用代行は上手くいかず……以前太田さんもご自身のインタビューで語られていたのですが、採用の面でも大手求人サイトへの広告出稿でも期待する成果が出なかったこともありました。

僕は基本的に、期待値に対して本当に成果が出るだろうか?と懐疑的な時ははっきりお伝えしていて、かけた費用はどのくらいで回収できるのか?本当にこの手法を取るべきか?ということも議論してきました。その上で「それでもやりたい」ことについては寄り添って進めるように心がけていて、やってダメなら次の手をどうするか提案しながら最終的に求める結果に近づけるようにしたいと思っています。そうやって失敗も共にしてきたからこそ、今は「どうしてもやってみたい!」が飛び出した時、「あの時の広告のことを思い出してください!」と半分笑い話のように言いながら、議論できる関係性を築くことができたのではないかなと思います。

ーーなるほど。特にキラガさんとのお取り組みは2年以上と長く続いていますが、ここまでに実感された変化などはいかがでしょうか?

和地:成果という意味で言えば、先日の太田さんのインタビュー(STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -3年間で売上12倍の躍進。業態変化から組織改革まで、協働の真価を発揮-)をぜひご覧いただきたいなと思っています。

それ以外の、僕の視点から見た変化でいうと、太田さん一人で売上を作っていた当初に比べ、新しく入社した方が売上を作れるようになったという変化はとても大きいと思います。ライブや売上貢献意識も強い方ばかりで、組織改善につながっているように見えます。

当初、キラガさんのライブコマース事業では、太田さん一人でライブ配信をして売上を作っていたのですが、現在では半分以上は社員の皆さんで配信して売上を作られているんです。もちろん太田さんとしては、まだまだと思っている部分はあるかもしれませんが、僕はこの協働プロジェクトの中でプロモーションだけでなく新規採用や組織改革にも着手して、意欲的に社員の方が売上を作ることができるようになった、というのは本当に素晴らしい変化だと思っています。

ーー社員が自発的に意見を出して売上と作れるようになった、というボトムアップの行動や組織自体の変化が見られるようになったのはどんなことが理由だったのでしょうか。思い当たるきっかけはありますか?

和地:何よりも「太田さんが任せた」ことがきっかけじゃないかなと思います。やっぱり、ライブの回数と売上は比例してくるので、太田さん以外にもライブができる人材を増やしたいということで、新規採用についてもプロジェクトの中で進めていったんです。

初めは大学生の女性の方に配信を手伝ってもらったりしたこともあって……でも、商品がジュエリーということもあるので、配信の中で太田さん以外に若い女性がいるだけで画面も華やかになって、ポイントさえ抑えていけば誰でも配信の中で販売をしていけるという気づきを得てからは、太田さんは「売り方を教える」ことにシフトしていき、採用がうまくはまって人も増え、結果的に販売の仕事を手放すことができて上手く回るようになりました。

経営者の方は皆さんそうだと思いますが、結果として売上は12倍になっているものの、太田さんは常に「次はどうしよう」という不安を持たれているんですね。進んでいることを実感されていないことがあると言いますか。だから、日々動かれているのに「最近動けていないんです」とおっしゃるので、しっかりと「進んでいる」実感を持っていただくように心がけています。配信は少し休んで、その間に社内の整理をしましょう、などと声をかけて、組織変革のための時間を取るなど、これまでの行動や成果を褒め、休憩のタイミングを作り、優先順位を絞る、というサポートをしていく中で、やりたいこと・やるべきことが噛み合って、今があるのかなと思います。

協働の中でインパクトを出せる実感が、自分の自信と成長につながる

ーー営業・人事・Webマーケティングなど和地さんの強みを最大限活かしてご活躍いただいていますが、協働の中で得た気づきなどはありますか?

和地:一緒にプロジェクトに入っている協働プロから受ける刺激や学びは本当に大きいですね。皆さん違う業界の第一線で活躍されている方ばかりなので、同じマーケティングをしてるはずなのに、考え方・視点が全然違うんです。僕自身はこれまでミクロな視点で戦略を考えることが多かったんですが、大衆向けの大手メーカーで活躍されている他のメンバーの視点はもっと大きく考えておられて。日本だけでなく世界も視野に入っているなど、僕にとっては新しい視点がたくさんありました。

僕のミクロな視点自体は、「明日の売上のことを考えてもらえる」と評価いただくこともあるのですが、そこに加えて先を見据えた視点、考え方も取り入れてプロジェクトの提案をしていく重要性は学びになりました。

そんな、日頃から広い視野を持って動かれている方達と同じプロジェクト、同じポジションで働けること自体が自分にとっての自信に繋がっているように思いますし、一般的な副業や、僕のようなフリーランスでプロジェクトにスポットで入るだけでは得られない体験だと思っています。

ーーなるほど。これからもプロジェクトは進んでいくと思いますが、和地さんが協働の中でこれから成し遂げていきたいことはありますか?

和地:そうですね。自分の仕事のスタンスでもありますが、多くの中小企業様の悩みとして、「やりたいこと」「解決したいこと」はたくさんあるけど、「何をすれば良いかわからない」「時間がない」などで足踏みすることがあると思うんです。

「進んでない状態」ってもどかしかったり、不甲斐なさを感じたりと、ある意味「失敗」よりきついこともあるんじゃないかなと。そんな状態から、一歩でも前に進むためのお手伝いをしていきたいですね。

少しでも進めば、何が良くて、何が悪いかわかるので、その結果を元に、「じゃあ次は何をしようか?」という会話ができるようになります。それを繰り返し、一緒に進めることが、僕の仕事だと思ってます。この小さな積み重ねの上に、企業の発展、従業員の皆さんの満足度アップ、果ては社会や地域貢献につながるんじゃないかなと。

キラガさんのプロジェクトでも、地味なPDCAを回し続け、失敗もあって苦しい時もありました。

でも、蓋を開けたら「しっかり前に進んでいた」という感じなんです。

多くの方は、ずっと次の目標、次の目標と追ってしまうので、「前に進んでいること」を忘れがちです。そこを実感してもらうことも、僕は大切にしています。苦難や困難があれど、必ず前に進めるということをこれからも実現していきたいなと思っています!

ーーフリーランスの和地さんも大きな刺激を受けられると言っていただいた「協働」ですが、こういった複業人材との協働は今後広まっていくと思いますか?

和地:はい、どんどん広まっていくと思いますし、広まって欲しいとも思っています。

参加しているからこそ実感しますが、スキルや経験を持った人材が地方中小企業に入ることで与える影響はやはり大きいです。

僕自身、会社員時代はずっと都市圏で働いていましたが、大企業にいると、自分の生み出す成果のインパクトは相対的に小さいんですよね。特に僕は1つずつコツコツ丁寧に、量をこなすというタイプだったので。

一方、中小企業では「役に立てる実感、手触り」があるんです。自分の役割が会社・成果にインパクトを与えられるという実感を得られたことは大きな経験になりました。

都市圏には、かつての僕のように、スキルや経験があってもなかなか活躍の実感を持てない人も少なくないと思います。そんな人が地方中小企業のプロジェクトに参画することで、一気に活躍の場を広げられることが成長の機会につながる。複業人材の活用は、地方中小企業だけでなく、複業人材として参画する側のスキルを持つすべての人にとってもメリットがあると思うんです。

僕も人事をやっていたので採用の難しさは理解しているつもりです。だからこそ、直接雇用をせずに会社を強くする仕組み自体も、今後どんどん広がっていくと思います。むしろ、こういう新しい形態に取り組んでいかないと、今後の発展は難しい部分があるかもしれません。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

和地:協働日本のコンセプトにはとても共感していて、僕たちがやっていることの意義・意味はすでに十分にあると思っていますし、僕自身も楽しく仕事させてもらっています。

「一つの会社に属する」という、これまでの常識は今後どんどん変わるのでは?とも思っていて、実際、「都心に住んで、たくさん稼いで、成功する」という価値観から「自分らしく働く、キャリアを作る」という傾向が年々強くなっているように思います。

そのことを考えると、社会的に見ても協働日本さんのような取り組みは、自然と拡大していくようにも思います。そうやってクライアントになる地方中小企業や協働プロとして入る複業人材の量も増えるといいのかなと思っていて。自分が働く案件が欲しいというよりも、協働日本への賛同者、いいと思ってくれる「ファン」が増えて広がってほしいというのが理由です。

協働日本のファンが増えることは、僕自身にとってのチャンスや活躍に繋がっていくと思いますし、同じ想いで仕事をされている方達にとってのチャンスにも同じように繋がるので、そうやってどんどん輪が広がっていったらいいなと思います。

僕自身そういう企業のサポートをしていきたいので、自分のキャリアもしっかり作り、貢献度を上げる一角を担っていけたらと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

和地:ありがとうございました!

和地 大和 / Yamato Wachi

上場企業での商社営業・人事を経験し、スタートアップの起業を経て、派遣社員としてショップ店員を経験。
その後人材会社に正社員登用され、子会社役員となり、独立。
現在はフリーランスで、WEBマーケティングや広告代理業務を中心に、【1社に1人は欲しい右腕人材】として企業様の価値や魅力を武器に変えるお手伝い中。

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VOICE:足立 紀章 氏 -「変化したい経営者」を支えたい。地方の垣根を越えた人材交流で成長の芽を生み出す。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う足立紀章氏のインタビューをお届けします。

現在、株式会社ベネフィット・ワンで執行役員として新規事業を統括されている足立氏。これまでのキャリアの多くを事業開発の分野で活躍されてきた中で、ご自身の経験を社内だけでなくもっと広いところで活かせないかと考え、協働プロとしての活動をスタートされました。

足立氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

自身の事業企画のノウハウを社会で役立てたい。協働日本への参画を通じて、新しい挑戦を始めていこうと思った。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、足立さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

足立 紀章氏(以下、足立):よろしくお願いします。

現在は株式会社ベネフィット・ワンで新規事業を担当しています。これまで、海外の大学を卒業後、新卒で株式会社パソナに入社し、主に採用コンサルを担当していました。その後10年くらい働いた後、仲間と一緒にプロフェッショナルバンクという会社を作り、新しいことに色々挑戦してきました。

そしてその後、ネットの求人系ベンチャー企業で新規事業開発やM&Aに携わり、楽天に転職して引き続き事業開発をやってきました。2011年に転職して今に至ります。社会人として働いた28年のキャリアの中で、大体20年くらいは事業開発に携わってきたキャリアですね。

ーーかなり長く事業開発に携わられている印象ですが、元々ご興味がおありだったのでしょうか?

足立:学生時代から、人と違うことをしたいという意識は強かったかもしれません。だから大学も海外に進学し、新卒で就職した頃は他の新卒の中では少し浮いていて(笑)

そういった尖っていた部分があったかもしれませんね。それが理由かはわかりませんが、決まったことを皆でやるような仕事よりも、「新しいことを始めるから手伝って」と仕事を振られることが多かったように思います。

自分が望んでずっと事業開発をやっているというよりは、プロジェクトの立ち上げが終わったらまた別のことが起こってそちらに注力する、そんなことの積み重ねのキャリアだったように思います。

ーーなるほど。協働日本に参画されたきっかけについてもお伺いできますか?

足立:コロナ禍で環境が変わり、振り返る時間ができたので、自分のキャリアを今後どうしようかと考えたんです。社内のプロジェクトでの事業開発というのは、基本的に会社の事業領域内のことにしか携われないじゃないですか。一方、世間的には事業開発の経験について一定のニーズがありそうだと感じていたので、この経験やノウハウを社外でも活かせないかなと考えていました。

そんな時に、楽天時代の後輩である小谷克秀さんが協働プロとして活動しているという話を聞いて面白そうだと思い、協働日本代表の村松さんを紹介してもらったことがきっかけです。

村松さんから、「今の日本では、地方の企業にこそ大きな可能性があるが、リソースが不足している」という状況を聞き、ここでならこれまで自分が携わってきた、事業開発領域のノウハウを必要としている方に還元できる上、自分自身も新たな事業領域にチャレンジできると考え、参画を決めました。

研修プログラムを経て参加者に生まれた、大きな成長に感動。

ーー続いて、足立さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて教えてください。

足立:これまで3つのプロジェクトに携わっています。

1つは、金沢で数多く宿泊施設を運営している株式会社こみんぐると協働日本が共同開発した、短期集中型で経営課題に向き合う合宿型研修『Workit』の講師。

2つ目は都市部の企業のミドルマネジメント層の人材研修。

そして3つ目は『経営リーダー育成プログラム』で事業開発のメンタリングを担当させていただきました。

ーー足立さんには地域企業への伴走だけでなく、協働日本の提供する様々なプログラムの設計や運営に携わっていただいていますね。それぞれ詳しくお話を伺えますか?

足立:はい。今お伝えした、『Workit』という合宿型研修は、金沢の地元企業と都市部の企業の若手社員がチームを組んで、3日間の経営課題に取り組むというプログラムです。

「机上の空論」ではない、リアルな場であることが特徴ですね。実際に現場に足を運んだり、ファクトを取りに行って、3日間寝ずに取り組むくらい企画に没頭するんです。そうやってできた「リアルな企画」を、最終日に社長に向けてプレゼンしてもらいます。出来上がった企画には、地元企業のメンバーの持つ経験や知識だけではなく、都市部メンバーのノウハウや知恵も注入されています。

全然違うバックグラウンドを持つメンバーが集まるので、私たち講師陣がファシリテートし、軸がぶれないようにサポートしていきます。そうすることで3日間の間に企画はグッとまとまっていきます。初日と最終日の参加者の変化には、毎回感動します。

ーー具体的な変化についてもぜひ教えてください!

足立:特に地元企業側の方の中には、頑なに殻に篭ってしまう方がいらっしゃるんです。多くは、ずっとその企業に勤められている方ということもあり、思考が凝り固まり気味で、初日は新たな思考で進むのが難しい状態なんです。

ところが、3日間の都市部の人材とのコミュニケーションを通じて、柔軟に意見を聞けるようになったり、活発なディスカッションができるなど、ぐんぐんとレベル感が上がっていきます。

「県外の人にはどうせ分からないだろう」「たかが研修で何が変わるのか」とやや消極的な雰囲気だったのが、「本当に自分たちの会社をどうにかしていきたい!」と前のめりな姿勢に変わっていく。これはほぼ毎回見られる大きな変化、成長ですね。

そういった部分も踏まえて、『Workit』はすごくいいプログラムだと思っています。参加者の皆さんの短期間での変化は、ご本人たちにも実感や達成感を感じていただけていると思いますが、我々運営側としても、やってよかったという達成感を得られるプログラムです。

3日間の研修を終え、4日目以降それぞれの立場に戻った時に、この変化をどれだけ維持できるか、活かせるようになるかという部分へのアプローチは、まだ試行錯誤しているところですが、研修期間の3日間はとても満足感が高く、全員にとってプラスになるプログラムだと思っています。携わらせていただけること自体も私にとって大きな学びになっており、とてもありがたいです。

ーーありがとうございます、協働日本としても嬉しい限りです。続いてミドルマネジメント層の研修についてはいかがでしょうか?

足立:またあるときは、都市部の大手IT企業のミドルマネジメント層に向けた研修を担当しました。

「言われたことをこなすだけの開発ベンダーでは、この先生き残っていくのは難しい」という視点を持って、依頼を受けたことだけをやるのではなく、顧客の状況を見て、「こちらから積極的な提案ができる人材を育成したい」という明確な目的のもと実施した研修でした。

次期部長候補の方達8名に向けて、3ヶ月の間、自らお客様のことを学び、ファクトを取って提案・企画をして動ける人材を育てるためのメンタリングを担当させていただきました。参加者には、顧客企業の業務内容・課題などを徹底的に調べてもらい、見えてきた課題に対してどんなものを提供できたら、顧客のさらなる成長に貢献できるか?という視点で、経営企画的な目線を持って提案するということに挑戦してもらいました。

経験を重ねてきた大手企業のミドルマネージャーの方達が変わるのはなかなか大変です。お話をしていても、自ら壁を作って「できない前提」で物事を考えている方も多かったんです。

そこで、プログラムの中でまずは顧客のことを知るため、目や耳でファクトを取ってきてもらいました。その上で自分たちに何ができるか考え、一緒にブラッシュアップしていくと、その壁も徐々に取り払われていき、実際に提案できる形になってきたんです。

例えば、社内インフラを統一するとコストダウンできるという提案などは、これまで通り先方から依頼を受けた作業をこなす中では辿り着けない、顧客も気づいていない本質的な課題を解決するための提案になっていきました。

3年くらいの中期的なロードマップも作って、研修後には実際に企業へ提案もされたようで、実践で活かしていただけるようにもなって非常に良かったと思っています。

ーー3つ目は山岸製作所様との「経営リーダー育成プログラム」ですね。

足立:はい。「経営リーダー育成プログラム」では、山岸製作所の営業・経営企画の専任マネージャー、奥永さんのメンタリングを担当しました。

プログラムは大きく前半と後半で違うことをしていたのですが、まず前半のパートでは山岸製作所の価値や課題を本質的に考え抜くセッションを実施しました。経営者の視点から山岸製作所における事業開発を考えてもらい、後半のパートでは、実際に考えた事業を進めていくためにどうすれば良いか?という実践に向けたセッションを行いました。週に1回オンラインの伴走プログラムで、前半のメンタリング担当は協働プロの藤村昌平さん(協働日本CSO)、後半を私が担当した形です。

後半のセッションでは、前半のパートで絵に描いた「やりたいこと」を、明日からやれと言われたら実践できますか?どうやっていけば良いか?ということを徹底的に考えていきました。

例えば、奥永さんのやりたかったこととして「家具を売るだけではなく、人の生産性や採用にもプラスの影響が出るオフィスを作るためのコンサルティングをしたい」というテーマが出てきました。そこで、改めて「コンサルとは?」と考え、マーケットが本当にあるのか、顧客ニーズは?どうやってサービスを提供するのか……など、30個ほどのタスクを洗い出し、半年かけて1つ1つ整理しました。最終的にはROIまで出して3ヶ年分のプランニングを作り、山岸社長に提案されたんです。

伴走する中で特に印象的だったのは、1年間のセッションを通じて奥永さんの山岸製作所への想いが自分ごと化されていったことです。奥永さんは元々とても真面目で、目の前の顧客に向き合うことに長けた方でした。一方で、仮説立てやプランニングに苦手意識を持っていらっしゃいました。

事業を1つ進めるために多面的な情報が必要であるということや、事業に関連したリアルなタスクを通じて、仮説を積み上げていき、新しい視点を持って素晴らしいプランニングができるようになられていました。

関連記事 – STORY:山岸製作所 山岸氏・奥永氏 -幹部の意識変革が地域企業の組織を圧倒的に強くする-

日本の未来を担う「変化したい経営者」の相談窓口になりたい。協働日本がきっと変化の起爆剤になる。

ーー協働の中で足立さんご自身の変化を感じることはありますか?

足立:変化は如実にあったと感じています。これまで自身の仕事の中では、結果を出すことばかりに注力してきたことが多かったのですが、協働の中で、成果に至るプロセス、思考、考え方など、結果の手前の部分もとても重要だと改めて気づかされました。

その気づきがあって、現業のチームメンバーに対してとても寛大になったと思います。成果に至るプロセスの重要性については、私もどこか忘れてしまっていたというか。これまで感覚でやってきていたところがあったので、思考のプロセスを言語化し、可視化、体系化していくということをしていなかったんです。自分にとって当たり前になっていたことも、改めてやっていくことが重要だと思いました。

また、世の中には変化に敏感な、「変わっていかないといけない」という危機意識を持った地方の中小企業も想像していたよりずっと多いと気づきました。私らの持つノウハウを提供することで、双方にとって更なる発展に繋げていきたいと想いを強くしました。

ーーなるほど。今のお話に通ずるところもあるかもしれませんが、足立さんはこれから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

足立:コロナ禍を経て、オンラインで完結する仕事の方法が定着し、地域の垣根を超えたコミュニケーションが容易になりました。情報格差もなくなっていく中で、都市部・地方にかかわらず、現状を変えたい・変わりたい・新しいことをやりたいという経営者の方ともっと出会いたい、協力したいと思っていますし、同じ志を持った方を増やしたいですね。


また、協働日本の伴走支援では必ず伴走先の企業の担当者の方に自ら手を動かしてもらうようにしていて、そのやり方にとても共感しています。

協働プロメンバーが担当者の代わりに調査したり考えたりすることは言ってしまえば簡単なことなんですが、それでは協働が終わった後にノウハウは何も残らないですよね。
失敗も良い経験になりますし、トライアンドエラーの積み重ねで、協働先の皆さんと協働プロとの絆や結びつきも強くなる。そうやって同じ目線で事業に向き合う同志を増やしていく、橋渡しのような役目こそ、担っていきたいと考えています。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

足立:今後、労働力の減少や経済の先細りが予測される中で、今の日本の企業にできることは、変化していくことだと思っています。その変化を作るきっかけこそが「協働日本」ではないかなと。日本中の、「変わりたい企業」の相談窓口や起爆剤になっていくと思っています。

困ったことがあったら協働日本に聞いてみようかなと思ってもらえるような輪を広げていくことが、今後の日本を支えるのではないでしょうか。

凝り固まって動けずに衰退してしまうのではなく、変化することでそれをブレイクスルーしていける。そんな変化を、協働日本で作っていけるのではないかと思っています。

メッセージとしては一言、「みなさん一緒に頑張りましょう」!(笑)

これからもよろしくお願いします。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

足立:ありがとうございました!

足立 紀章 / Noriaki Adachi

(株)ベネフィット・ワン 執行役員 購買精算事業担当
米国大学卒業後に帰国。1995年に(株)パソナへ入社。主に外資系企業向け採用コンサルタントとして従事。 その後、ベンチャー企業の立上げに拘った後、楽天(株)にて複数の新規事業立上げに携わる。 2011年に(株)ベネフィット・ワンへ入社。 執行役員サービス開発部長や子会社設立から代表取締役社長を4期務める。 その後、全体統括でのデジタルマーケティング、事業推進/アライアンス戦略担当を歴任。 2021年より購買精算事業担当として新たなB2Bモデルの立上げを軸にスケールアップを推進中。

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VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

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VOICE:永田 陽祐 氏 -地元や、地元のために頑張る人たちのために、等身大の自分で貢献したい。

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本のIPPO事業でコーチングを行う永田 陽祐氏のインタビューをお届けします。

永田氏は、スコットランドの大学院に留学後、商社を経て組織開発のコーチングを行なって来られました。現在は故郷の奄美大島と東京で二拠点居住を行いながら自身の事業運営とコーチングの両方に従事しています。

永田氏がIPPOのコーチングに参画したことで生まれたクライアントの変化やご自身の変化、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

東急百貨店で奄美大島のモノづくりと文化を発信するイベントを企画

いつか地元・奄美大島に貢献したいという想いと、異文化な環境で働く中で見つけた「自分のやりたいこと」

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、永田さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

永田 陽祐氏(以下、永田):はい、よろしくお願いします。

今現在は東京と故郷の奄美大島で二拠点生活をしながら、コーチングの仕事を行いつつ、奄美大島では宿泊施設、カフェバー、空き家問題対策事業などを行う会社を経営しています。

私の実家で伝統工芸である大島紬を作っていたこともあり、以前は、将来的に海外で大島紬を売ってみたいという想いを持っていたんです。そんな夢もあったので、東京の大学を卒業した後はスコットランドの大学院進学し、パブリックリレーションズ(企業がステークホルダーとのコミュニケーションをマネジメントする領域)を専攻しておりました。帰国後はじっくりと将来について考えたかったので、1年半ほどアイリッシュパブでフリーターをしながら自分が本気でやりたいと思える仕事を探していました。

ーーなるほど。そこからどのような会社を選ばれたのでしょうか。

永田:海外でビジネスをしてみたいという気持ちや、大島紬に関連する事業を作りたいという想いから総合商社に興味を持ち、三井物産株式会社のファッション繊維事業部に入社をしました。入社2年目の頃、当時の上司に「大島紬を販売できないかチャレンジしたい」と相談したんです。その時上司には「永田の想いはわかったが、本当に地元の方達も同じ想いかどうか、まずは奄美大島へ行って聞いてこい」と言われ。ありがたいことに人生の初出張は奄美大島でした。織元さんを回って色々と試みたのですが、暖かい協力をいただきいながらも完全に自分の実力不足で事業化できず挫折してしまいました。

その後、今度は社内の留学・駐在制度を活用してブラジルに行くことになります。

ーーブラジル!また違った文化に飛び込むことになったのですね。

永田:そうですね。ブラジルでは、今の私のキャリアのきっかけになる出来事がありました。
初年度はひたすらポルトガル語を勉強して、2年目からは出資先の企業に出向して経営補佐や営業として働きました。ものすごく田舎の地域だったんですが、仕事が終わって現地のブラジル人達とわいわい飲んで過ごす生活はとても刺激的で。

その生活の中で印象的だったのは、仲間のブラジル人達がみんな活き活きしていることでした。彼らはみんな、将来何をやりたいかが明確で、今やってることがそこにどう繋がってくか、つまりなぜこの仕事をしているかっていうことを言語化できていたことに気づいたんです。

 その時に、自分はこれまで、様々な文化圏の人たちと会話をしながら価値観や生き方について触れる中で、「じゃあ自分は何をして生きていきたいんだっけ」と考える機会に恵まれていたのだと実感しました。同時に、そのような異文化に触れて刺激をもらうような経験は、少なくとも私が奄美大島にいた時には得られなかったということにも気づきました。そこで、奄美大島にいながらそのような経験ができる場を作り、ブラジル人のように「何をして生きていきたいか」言語化できている人を増やすことが、等身大の自分にできる、自分らしい地域貢献の方向なのではないか?と考えるようになりました。

また、色んな国の人とプロジェクトを進める中で、やっぱり組織の中にモチベーション高く主体的に動く人がいないことには、どんなに優秀な人が揃ってても事業は進まないということも、身をもって感じたんです。

帰国後、いろんな人と話したり調べ回ったりする中で、個人に対しても、組織に対しても、その「主体的に働く人を増やす」ための手段としてコーチングという分野があることに辿り着き、パーソナルコーチングと、組織に対するコーチングへの興味が沸き始めました。日本に戻ってきてから実際に自分もすぐにコーチングを受けてみて、面白いと感じ、引き続き三井物産で働きながら、CTI JAPANでコーチングを学びました。将来自分が独立することを考えた時、どの事業を行うにしても自分がハンズオンで携わりたい領域がコミュニケーションとマネージメントだと気付き、本格的にコーチングの道へ進むことにしました。

商社を離れて株式会社コーチ・エィという組織開発のコーチングを手がける会社に転職しました。経験を積ませていただく中で、故郷の奄美大島に貢献したいという想いはずっと持ってはいたのですが、ある日コーチングを受けた際に、「いつか地元に貢献したいと言いながら会社員として生活し続けることが、結局は今の永田さんの本当にやりたいことなんじゃないですか?」というフィードバックを受け、グサっと刺さりました。恥ずかしいぐらい、その通りだと思ったんです。「いつかやる」と言い続ける状態を心地良いと感じている自分に気づかされました。。それがきっかけで、これではいけない、行動しなくてはと思い切って独立しました。

独立し、ブラジルで交流を深めた三井物産時代の仲間と共に、奄美大島にen- Hostel & Café barという宿とカフェバーを開きました。アーティストさんや、バックパッカー、スタートアップの社長などの旅行客と地元の方々が交流をする空間を目指しており、そこから派生した様々な事業にもチャレンジしています。そして東京では引き続き個人や組織のコーチングやキャリアコンサルタントをするという、二拠点生活が始まりました。

永田氏の運営する en- Hostel & Café bar

経営者の孤独に共感しながら、行動変革に繋げる。

ーー続いて、永田さんが協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

永田:協働日本代表の村松さんとの出会いは、共通の知人が、村松さんを紹介してくれたことでした。村松さんは協働日本の案件でよく鹿児島にもいらっしゃっていましたし、村松さんを奄美市長にご紹介して一緒にお食事をするなど、交流を持たせていただきました。

協働日本のIPPO事業で、コーチとして力を貸して欲しいと大変ありがたい打診をいただいて、すぐに参画を決めました。自分も地方で起業した経験があるからこそ、地方の経営者の苦しみが分かる部分もあるので、そういう人たちに貢献できるようなコーチングに力を入れていきたいと思ってる時にお声がけをいただいたというのもあり、良いタイミングでもありました。

あとは単純に、村松さんのお人柄と志が大好きで(笑)本当に素敵な人だと思っているので、もう是非一緒にやりたい!と思ったのも大きな理由です。

ーーありがとうございます。これまでのコーチングについても、詳しく教えていただけますか?

永田:

IPPO事業でのコーチングという意味では、これまで15名ほどの方を担当させていただいています。石川県金沢市の山岸製作所さんや、上場企業のバリュエンスホールディングスさん等複数の企業様の、主に経営層の方のコーチングに携わっています。

私自身もオーナー社長なので共感していることも多いのですが、特にオーナー社長さんにコーチングをしていて特徴的だと感じるのは、会社のパーパスと個人のパーパスがほぼ100%一致しているということです。主語も「会社」と「自分」が話しながら入れ替わっていたりします。

なので、もう根っこから会社に主体化している状態です。そうすると、会社のパーパスに賛同してくれていなかったり、主体的に働いていないメンバーの気持ちをとても理解し難いし、「同じ船に乗ってくれない」と感じるメンバーがいると、単純にとても寂しいんですね。自分はこんなに会社をよくしようとしているのに、なんでだろう?と。一方で、社長としての信頼やイメージもあるので、その感情をぶつけるわけにもいかず、悩んでいる方は本当に多いです。

ーー確かに、どうやったらメンバーに想いが届くのか?と苦戦されている経営者の方は多いですよね。

永田:社長になるということは「飛行機のコックピットに座ること」に似ていたりします。色んな苦労をされながら、周りの意見を聞きながらようやくそこにたどり着いたのに、いざ座ってみるとそこで発する自分の言葉は全て機内アナウンスみたいにオフィシャルな言葉として受け取られてしまうし、これまで大切にしてきた周囲の声も、コックピットに入ると聞こえなくなってしまう。「経営者は 孤独」というのは、本当にその通りなんだろうと思います。

実績を残してきた優秀な方にこそ、磨いてきた「マイルール」や「絶対にこれが正しい」と疑わないものってあると思います。でもその絶対正しいと思っていることは、本当に今この状況でこの相手に対しても「絶対に正しい」のか。実はそれこそがブラインドスポットを作っていて、本当に変えるべき自分の側面を隠してしまっているかもしれなません。そういうことに一緒に向き合うのが、私がやりたいコーチングです。
例えば、過去のクライアントさんでも、「1対1だとフラットに喋れるが、1対多になった途端、 ついファイティングポーズを取ってしまう」という方がいらっしゃいました。深ぼって考えていくと、その方には「強い経営者像でいなければならない」という焦りがあり、そして「強いリーダーでいなければ信頼されなくなってしまう」という不安がありました。「簡単に意見を曲げたり撤回したりすると、信頼されないんじゃないか」という不安が、「話を聞かないリーダー」という印象を与え、結果として最も得たいはずの「信頼を得る」というゴールから自分を遠ざけてしまっていました。その方の場合は、「リーダーは強くあるべき」という前提が、ブラインドスポットを作っていました。セッションでは、その前提を言語化した上で、「改めて何をしていくのか」を会話していきます。

経営者は影響力がとても大きいので、 セッション中の気づきがそのまま組織や経営チームに影響を与えて行ったりします。そんな変化をライブリーに見られる瞬間が、自分のコーチとして存在意義を実感できる瞬間でもあって、いつも気が引き締まる思いでいます。

起業する方々に向けた「創業期のパーパス」に関するワークショップ

自分の経験がコーチングの幅を広げていく。コーチも「挑戦し続けるプレイヤー」

ーーIPPOコーチングの中で永田さんがご自身の変化を感じたり、気づきを得たことはありますか?

永田:実は今まで個人事業主として受けてきたコーチングのお仕事も、今年から法人化しようと思っているんですが、それは、IPPOでコーチングをしていく中で新たに大事にしたいことが1つ出来たことがきっかけです。

それは、「コーチも挑戦し続けるプレーヤーであるべき」ということです。

一般的には、コーチングは”ティーチング”ではないので、クライアントと同じような経験をしていなくても良いと言われます。つまり、コーチングのプロであることが重要で、経営者のコーチングをするために、自分自身が経営者である必要はないということです。これはある意味では本当にその通りだと思います。共感をしすぎたりアドバイスをすることがコーチの仕事ではないので。
しかし、IPPOコーチングで地方の経営者と話をしていて僕自身「その気持ちわかる」と思った時に、敢えてそれを真っ直ぐに自分の言葉で伝えてみると、それがフックになって、「そうなんです!さらに乗せると〜」と深まったり、「それとは少し違うのですが自分の場合は〜」と言語化のきっかけになるケースが多々ありました。そのような、自分のプレーヤーとしての経験を通してのフィードバックは、一気に対話を深いところまで持っていく力があると思います。

そう思った時に、自分のプレーヤーとして挑戦しながら得ている感情や気づきをも自分の大切なリソースとしてコーチングに発揮していって良いんじゃないか?という気づきに繋がりました。

とすると、起業していることや、地方出身であることや、海外で異文化コミュニケーションに悩んだ経験など、全て自分のリソースとして活用できるし、挑戦し続ければコーチングの幅も広がるのかもしれません。

ーー最初にコーチングに興味を持たれたときに「等身大の自分で貢献できることでは」とおっしゃられていたところにも繋がりそうですね。

永田:そうですね。結局、コーチングも人と人だよなと。コーチはエゴとプライドを脇に置くべきだという言葉を聞いたことがあるんですけど、私は今までエゴとプライド脇に置けている人にほとんど会ったことないので(笑)”ある”ことが前提でもいいんじゃないかって思うんです。そう開き直ることが、私にとっては”等身大”に感じています。


それに、他事業での経験を等身大のままコーチングで活かせると考えると、これこそ協働日本の強みであるようにも感じます。協働プロやコーチはご自身の事業領域で挑戦されている人ばかりですし、そこで悩めば悩むほど、IPPOコーチングが深く充実していくのではないでしょうか。

協働日本が、地方の枠を飛び超えて、企業や若者の可能性を引き出せる存在になれたら面白い。

ーー永田さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

永田:引き続き、「地方のために、地元のために」と挑戦している方に対し、尽力していきたいです。

自分自身の経験も活かしながら、少しでも本心からやりたいことの実現に向けて行動する人を増やしたり、目標とする組織風土の実現に向けた個の変革や、組織内のコミュニケーションを活性化させるためのコーチングをしていきたいです。

そのためにも、やはり自分自身を アップデートし続けることが重要だと思うので、一生学習者というスタンスで、どんどん新しいことにチャレンジして、うまくいった、ダメだったと悩み続け、 経営者としてもコーチとしても成長していきながら協働日本さんに関わっていけたら大変ありがたいです。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

永田:本当に素晴らしい取組だと思いますので、コーチングの領域ももっと広がっていけば良いと感じています。経営者・管理職だけでなく、役職についていない方が早い段階で自分自身のパーパスを描くことにも関われれば、例えば採用後のオンボーディングをサポートするなど、様々な領域でクライアント企業様のお力になれるのではないでしょうか。

また、クライアント様は地域に根ざした企業ばかりですので、協働日本さんは企業へのサポートを通して地域を活性化し、日本を地方から元気にするような推進力に、今後更になっていかれるのだと想像いたします。そのようなワクワクする取り組みに関わらせていただいている事が大変ありがたいですし、私自身も挑戦を続けながら、その一助になれれば幸いです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

永田:ありがとうございました!

永田 陽祐 / Yosuke Nagata

(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルマスターコーチ
en- Hostel & Café bar代表

2010年 早稲田大学 政治経済学部卒業
2011年 University of Stirling (英国スコットランドの大学院)Strategic Public Relations & Communication Management修士課程修了
2013年 三井物産株式会社(東京本店→ブラジル駐在)
 アパレル領域の法人営業→ITスタートアップ企業への事業投資担当→モビリティ領域の新規事業開発
 ブラジルに留学→出資先鉄鋼加工企業にて社長補佐兼営業スーパバイザーとして駐在
2019年 株式会社コーチ・エィ(東京)
 上場企業の経営者や管理職に向けた1on1コーチング及び、組織開発プロジェクトに従事
 主に中南米市場の市場開拓に従事
2021年 独立し、現職

永田 陽祐氏- Instagram

En- Hostel & Cafe bar
En- Hostel & Cafe bar- Instagram

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VOICE:松尾 琴美 氏 -食を通じて、皆の幸せを実現する。ワクワクして前に進めるきっかけ作り-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で食のプロとして地域企業の伴走支援を行う松尾 琴美氏のインタビューをお届けします。

都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーを担当。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら、買いつけから商品企画開発までを担う松尾氏。

松尾氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

地方に眠る「日本のものづくりのフィロソフィー」の伝道師 

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、松尾さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

松尾 琴美氏(以下、松尾):はい、よろしくお願いいたします。
現在は、都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーとして働いています。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら商品の買いつけを行い、そこからの商品企画、開発と一連の流れを幅広く担っています。

ーーありがとうございます。ご自身で食材の買い付けまで行っていらっしゃるのですね。食品に携わるキャリアはもう長いのでしょうか?

松尾:キャリアとして今は2社目、働き始めてもう10年ほどになります。最初はデザイン業界で働いていて、地方に眠る日本の伝統的な技術を発掘して、日常生活でも使っていただけるような商品に落とし込んだ自社企画品を海外の専門店や美術館、トップブランドなどに販売するという営業の仕事をしていました。ものづくりのフィロソフィーを日本人代表として売っていくこの仕事にはとてもやりがいを感じていました。ただ、会社が大きくなっていくにつれて、品物もニッチなものからよりマス向けになっていったりと、「ものづくりのこだわり」のような面白さが少しずつ薄れていってしまった感じがあったんです。そんな時に、仕事でお世話になっていたデザイナーの方から、今の会社のバイヤーのポジションが空いていて、合うと思うけどどう?と誘っていただいたことがきっかけで転職しました。

食品を扱うようになって感じたこととして、「食品」は人の生活に一番身近なものだなということです。前職で取り扱うものは、どちらかというと「嗜好品」で、より生活を豊かにするためのものでした。でも食品というのは、人の生活から切り離すことはできません。辛い時・悲しい時でも、食べないことには生きていけませんよね。辛い時でも温かいものや美味しいものを食べると、少しでもほっとできる…美味しいものを食べて不幸になる人はいません。そんな食べ物の持つパワーを感じて、この仕事を続けています。

協働パートナー企業の店舗にも足を運び、議論を交わす

ーー続いて、松尾さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

松尾:四十萬谷本舗の専務、四十万谷正和さんから紹介いただいたことがきっかけです。
10年間、バイヤーとして様々な地域を飛び回って色々な地域の資源を見てきました。その中には自社商品との相性などから、直接取り扱うことができない、ビジネスとして形にすることができなかったものもたくさんあったんです。知識やスキルが身についてきた実感がある一方で、それを活かし切れていないという思いがあったので、会社の中ではない別の場所や方法で活かせないか?と考えるようになっていました。

私は、金沢に大学の同級生も多くご縁が深くて、金沢エリアの若手経営者ともよくお会いして食事をすることがあったんです。そんな中でお付き合いのあった四十万谷さんにこの話をしたところ「ドンピシャで思い当たるところがあります」と言われてご紹介いただいたのが協働日本代表の村松さんでした。

ーー初めて協働日本の活動の話を聞いた時はどのように思われましたか?

松尾:率直に言うと、ポジティブさの溢れる会社だなと思いました。とても面白そうだけれど、具体的にどんなことをするのかというイメージは湧いていませんでした。それでも、協働という形で複業人材の活用をされている企業さんは多くなさそうですし、チャレンジしてみたら面白そうだなという思いで参画を決めたというのが正直な所です。

また、協働日本への参画を決めたのと同時期に、他の個人での仕事も受けるようになりました。自分にとって2023年はチャレンジの年でした(笑)。動き出した時には、「こんなことなら自分にできそうだな」となんとなく思っていたのですが、副業や協働日本での活動などの経験を通じて、自分は何者なのか?という輪郭がはっきりしてきたように思います。

自分にとっての「当たり前」が、誰かの気づきになる、複業人材の有効性。

ーー続いて、松尾さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

松尾:現在二社のプロジェクトに参画しています。一社は株式会社味一番フードさん、もう一社は株式会社ネバーランドさんです。

味一番フードさんは、石川・富山で、自家製麺の飲食店を経営されている会社さんです。今回は「新規事業を作りたい」というテーマで協働プロジェクトがスタートしました。協働プロとしては、枦木優希さんと一緒にチームを組んでいます。新規事業を作りたいものの、まずは何をやろうか?というところから皆で考えていく必要があったので、最初は味一番さんの持つ強み、得意とすること、やりたいこと、課題など時間をかけてじっくりヒアリングしていき…実際にお店や、セントラルキッチンの様子を見に視察に伺ったりしながら、できそうなことを3つくらいに絞っていきました。

その過程で、自分がこれまで当たり前に行っていた商品開発のための思考のステップを、パートナー企業の担当の皆さんが初めて経験されていることを目の当たりにしました。確かに、ずっと商品開発に携わってきた私にとって習慣になっていることでも、商品開発を初めて経験される地方の中小企業の方にとっては新鮮な気づきや考え方になるんだと思うと、改めて、地方の企業による外部人材の登用は有効だと感じました。

ーー確かに、誰しも経験の中で知識やノウハウを得ていきますものね。

松尾:そうですね。例えば、商品開発するにあたって「誰のための何なのか」という軸はとても重要です。アイディアベースで、思いついたことをあれもいいね、これもいいねと作っていくと、最終的に目的がブレてしまいます。

確かに大変で面倒な部分もあるのですが、一番最初にこのコンセプトの軸を突き詰めておくと、その後どんな商品の形にするか?などデザインやその後のプロモーションまでの骨格になるのでスムーズです。

これも経験してこそ重要性がわかることですよね。
味一番の皆さんとは温度感も近くて、毎回楽しく進んでいました。今回の伴走で皆さんが実感を持って商品開発の一連の流れを経験してくださったことでスキルが身につき、次回以降に自力で商品開発をする際に活かしていただくことができるのではないかなと思っています。

ーーまさに、最初の経験に伴走して、自立に繋げるという協働日本のスタイルですね。ネバーランドさんのプロジェクトはいかがですか?

松尾:ネバーランドさんは、鹿児島県長島町で養殖されている「茶ぶり」を1つのキーにして「世界に羽ばたく飲食店ブランド」として鹿児島市を中心に活躍されている会社です。今回のプロジェクトは、長島町からの依頼を受け、ネバーランドさんと一緒に地域活性化に繋がる新規事業や商品開発を行っていくというものです。こちらでは、協働日本CSOの藤村昌平さんと枦木さんの3名でチームを組んで伴走支援に当たっています。

現在は長島町に多く群生している国産ハーブ「アオモジ」を活用した商品開発を進めているところです。

ーー「アオモジ」初めて聞きました!

松尾:アオモジは、元々は長島町で街路樹などとしても植えられていたもののですが、一般社団法人和ハーブ協会という団体の方が町に来た時「国内でこんなにアオモジが植っているところはない、とても貴重なものですよ」というお話があったそうなんです。そんなに価値のあるものなら、何か町の特産として使えないか?ということでこのプロジェクトがスタートしています。

はじめは私も、どんなハーブなのかわからなかったんです。商品開発にあたって、どういう料理に使えるんだろう?と色々調べてみると、実は中華料理や台湾料理で使われる「マーガオ」というスパイスの別名だということがわかりました。このマーガオは数年前に流行していて、様々な特集やレシピも見つけることができました。
すでにマーガオを使ったクラフト焼酎を作られている方が鹿児島県内にいることもわかり、皆で試飲してみるなど、商品化に向けて情報を集め検討しています。

長島町に群生する、貴重な国産ハーブの「アオモジ」

複業人材との協働の中で見えた、自分の「プロフェッショナル」

ーー食品系の商品開発をされている松尾さんの強みを活かして活躍いただいていますが、協働の中でご自身の変化を感じることはありますか?

松尾:協働を通じて得た気づきは大きく2つあります。1つは、先ほども少し触れましたが、自分のスキルや強みが明確になってきたことですね。

ベンチャー企業で働いていると、自分の役割はあれこれ多岐に渡るので、自分は何のプロフェッショナルなんだろう?という自覚が湧きにくいんです。

ーー確かに、本業でも買い付けから商品企画・開発まで色々なさっているとおっしゃっていましたね。

松尾:そうなんです。でも、協働を通じて見えてきた自分の得意領域は「商品開発」、そして「食品」のプロフェッショナルなんだということが見えてきました。先ほどのアオモジとマーガオが同じハーブ、という気づきについても、食品目線で調理法などを調べていたことで見えてきた情報でした。こういった「発見」を通じて、「食」に関しては誰よりも強いんだ、という自信につながりました。視点の持ち方、ものへの理解や広げ方…10年間極めてきた「食」についてなら任せてほしいと思えるんです。協働プロのチームはメンバーそれぞれに得意分野があって、役割があります。誰も気づかなかった情報にも、自分の職の切り口からチームに貢献できた。自分もきちんと役割を担うことができるということは嬉しいですね。

味一番さんのプロジェクトでは、マーケターである枦木さんとのチームなので、枦木さんがブランディング、私はもっと商品開発の骨格部分を作るような役割分担。ネバーランドさんのプロジェクトでは、0→1の事業開発を藤村さんが、そしてやっぱりブランディングやマーケティングを枦木さんと私という分担でプロジェクトに当たっています。

普段は会社を超えて誰かとチームを組んで仕事をすることがあまりないので、それぞれのメンバーの得意分野の考え方や仕事の仕方は新鮮で、勉強になるんです!
伴走支援をしているけれど、私にとっても学びになっていて、すごく楽しめています。こういった、他者との協働の中で受ける刺激や学びが、得たものの2つ目ですね。

協働の中で、「あ、自分はこの分野についてはプロなんだ」だったりとか、「本当にこういう仕事が好きなんだな」みたいなところが、浮き出てくる、炙り出されて、自分のスキルが整理されていく感覚があります。こういった自分にとっての気づきがあるからこそ、仕事としてやっているのに勉強にもなっているのだと思います。

地域の魅力を引き出し、人も地域も元気にできるプロフェッショナル集団。

ーー松尾さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

松尾:どこまでいっても私の好きなことや得意なことは「食」に関することです。美味しいものは人を幸せにできる。どんな時でも、美味しいものを食べることが前を向くきっかけになることもある。そういう、食を通じて人の幸せに直結する仕事を続けていきたいなと思っているので、協働日本でもそんな活動をしていきたいなと思っています。

食を通じて人をワクワクさせたり、幸せを実現していくことが自分にとってのやりがいです。

ーー松尾さんにとっての仕事のテーマなんですね。そのように思うようになったきっかけはあるのでしょうか。

松尾:はい。きっかけは、3.11の震災復興支援の一環でずっと携わっている、「女川のさんまのつみれのスープ」です。宮城県女川市は、津波の被害がひどかった地域の1つです。3日間くらい孤立状態にあって、電気もなく、連絡もつかず、食べるものもない、生き残ったわずかな人たちで身を寄せ合っていたと聞きました。そんな時に、ある水産会社の方が自社の倉庫から、加工して保管していた「さんまのつみれ」を見つけたのだそうです。

調味料もなく、ただのお湯にさんまのつみれを入れただけのスープを作って皆で食べて──ほぼ味もないスープでしたが、「あったかい」というだけでほっと心が安らいだんだそうです。

あれだけの極限状態でも、食べ物に人を癒す力があったんだ、と実感しました。それ以来「美味しいものがあれば人は前に進める」と、食を通じた人の幸せの実現に向けて使命を感じるようになりました。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

松尾:協働日本は、柔軟にその地域に入りこみ、寄り添いながらその地域の魅力を引き出し、人も地域も元気に出来るプロフェッショナル集団だと思っています。集まっている協働プロは、経験豊富な方が多いので、パートナー企業からの「困ったこと」の相談があった時、それぞれの分野のプロフェッショナルがすぐにアサインされます。こんな組織、なかなかありません。

私は、地方の方が面白いものがたくさんあると考えているんです。様々な技術や資源が眠っている地方と、東京のスキルが掛け合わされることで、もっと面白いことが生まれるのではないか?それこそが「協働」じゃないかな?と。

これからも協働を通じて、もっと面白く、日本全国の地域が活性化するような取り組みを、皆でできたらいいなとと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

松尾:ありがとうございました!


松尾 琴美 / Kotomi Matsuo

コピーライターの父と、料理好きの母のもとに育つ。幼いころから語学に興味を持ち、高校時代にアメリカへ留学。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、日本のものづくりをベースとした、デザイン雑貨の企画/開発を行うイデアインターナショナルに入社。海外事業の立ち上げに従事し、アメリカ/ヨーロッパを中心としたマーケットの開拓を行う。

その後、新たなもモノ作りの分野に挑戦したいと現職に従事。バイヤーとして全国の産地に足を運びながら「美味しい」にとどまらないストーリーのあるモノづくりを目指し、食材の買いつけから商品企画開発まで幅広く手掛ける。

食のサステナビリティに強い興味を持ち、2023年よりChefs for the blueへ参画。

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VOICE:たかはし じゅんいち 氏 -パートナーの想いを形にする、「一歩先の写真」を追求-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でビジュアルクリエイティブのプロとして地域企業の伴走支援を行うたかはし じゅんいち氏のインタビューをお届けします。

世界的なフォトグラファーとして活躍されているたかはし氏。協働日本では協働プロとして、パートナー企業の新しいビジュアルクリエイティブに携わり、「本当に見せたいもの」を共にビジュアル化する活動をされています。

たかはし氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

ふとしたきっかけで進んだ、奥深い写真の道。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、たかはしさんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

たかはし じゅんいち氏(以下、たかはし):はい、よろしくお願いします!

職業はフォトグラファー、人の写真を撮り続けて30年以上になります。広告、企業PR、各種メディアから、個人のアーティスト写真やビジネスプロフィール、地域の魅力の見える化のための写真まで、目的に合わせて様々な写真を撮っています。

ーーありがとうございます。30年間写真一筋のキャリアなのですね。ずっと写真がお好きだったのでしょうか?

たかはし:いえ、実は高校生までは漠然と学校の教員になるつもりで、教育学部のある大学への進学を考えていたんです。

ところが、高校2年生の時、当時憧れていた大学生の先輩から「学校の先生になって、君は何を教えられるの?」と言われたことがきっかけで自分の夢に疑問を抱いて…いや、心が折れてしまったと言った方が正しいのかもしれませんね(笑)

ーーまだ社会経験のない高校生には、難しい問いかけですね。

たかはし:はい、でもそれが結果的に「子供が好きだから学校の先生になろう、と漠然と抱いていた夢は、誰が決めたんだっけ?」と自身を振り返るきっかけになりました。

そして改めて将来の夢について考えた時に、せっかくなら楽しそうでかっこいい、素敵な仕事に就きたいと思い…思いついたものの一つが「写真」だったんです。その後東京工芸大学短期大学部写真学科に進学して、はじめて写真に触れました。

ーーそうだったのですね。そこからずっと写真に携わっているということは、ご自身に合っていたのでしょうか。他の仕事をやってみたいと思ったことはありましたか?

たかはし:他の仕事を考えたことはありません。大変なことがたくさんあったので、よそ見する暇もなかったと言えるかもしれません。

大変ではありましたが、プロのカメラマンになっていく過程で印象的なことがたくさんあったんです。カメラマンとしての指針になるような出会いや気づきの連続の中で「カメラマン」としての世界観が奥深く重層的になり、やめられなくなっていきました。

写真の表現って、ここまでやればOKというラインがないんですよね。掘れば掘るだけ、技術、センスが必要になり、磨かれていく。「十分」がないからこそ勉強し続ける、終わらない登山のような世界です。そんな写真の奥深さが自分にはあっていたのだと思います。くたびれる時もあるけれど、飽きずに続けてこられています。

思えば、元々は何かを追求していくたちでもなく、なんとなくぼんやりと中の上を維持しているような子供時代でした。高校受験あたりから、失敗や、前述のような心が折れる経験が増えていったのですが、そんな経験から道を外れる面白さを知ったのかもしれません。

NYのタイムズスクエアのビルボード を飾ったSTOMPのポスターもたかはし氏が撮影。当時日本人単独で初、モデルは当時STOMPで唯一の日本人メンバーだった宮本やこさん。

ーー続いて、たかはしさんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

たかはし:協働日本代表の村松さんのビジネスプロフィール写真を私が撮影したのが最初のご縁です。

協働日本にお誘いいただいたのは、丸七製茶さんの抹茶を使ったNFTアートの案件がきっかけでした。それまで、村松さんの活動自体はFacebookや、協働日本のインタビュー記事などで拝見していました。お話を聞いて改めて、顧客ニーズに合わせていろんなプロフェッショナルを巻き込んで行う、ブランディングや新商品の開発プロセスが新しく、面白そうだと思い参画を決めました。

現場と一緒に作り上げるライブ感が、クリエイティブに新しい可能性を産む。

ーーさきほど、丸七製茶さんのお名前も出ましたが、たかはしさんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

たかはし:協働日本ではこれまでに二社の撮影に携わってきました。一社は先ほどお話しした丸七製茶さん、もう一社は沼津三菱さんです。

まず、丸七製茶さんのNFTの案件ですが、「抹茶カラー」を新しく作ってNFTアートとして販売するというプロジェクトで、そのアート写真を手掛けさせていただきました。

実は、世界共通の色見本帳であるパントーンで「抹茶色」とされているカラーがあるんですが、丸七製茶の鈴木社長は「本当の抹茶の色とは違う!」という想いを持たれていて、丸七製茶の高品質な抹茶の色を表現したいということでスタートしたプロジェクトでした。

村松さんから相談を受けて面白そうだと思って参画を決めたのですが、僕は写真家であっても、色の専門家ではありません。そこで、一緒に勉強しながら表現方法を模索していくことになりました。例えば、同じカメラマンでも、人ではなく物撮りを専門としている人は、被写体の色を写真に残すための色の表現に詳しい。化粧品会社の方も、ポスターやカタログなどの紙面で化粧品の色を正しく表現する必要があるため、詳しいんです。そうやって色表現に詳しい方達に話を聞きながら表現方法の情報を集めていきました。

撮影方法についての情報を得た後は、液晶を通じて「見せたい色」を表現するためにどうしたらいいか?ということを考えました。色を定量的に表すためのルール(以下、色空間)として、私たちが一般的に使っているのはAdobe社のRGBや、Windowsの基準になっているsRGBなどがあり、それぞれの定義により表現できる色合いが変わるんです。

私たちが見せたい「抹茶カラー」を表現するために、どの色空間を使うか、それぞれの特徴を調べて辿り着いたのがApple社の提唱するP3でした。WindowsのsRGBの色空間に比べると、緑・赤系統にsRGBにはない鮮やかな色が含まれるため、抹茶の色を表現するのにはちょうどいい!とひらめき、P3で抹茶の色を表現するNFTアートの誕生に至りました。

NFTアート作品の撮影自体もとても勉強になりましたが、お茶を作っている畑も実際に伺うことができたのも面白かったですね。

撮影したお茶の背景にあるお茶屋さん、お茶農家さんなど、物語がよく見えてくるので。そういった背景も、写真から感じ取ってもらいたいと思いながら撮影をしました。

丸七製茶の「抹茶色」NFTアートの撮影

ーー写真家としての経験や強みを活かすのはもちろん、専門外の部分を勉強しながらも、丸七製茶さんの想いを形にしていったのですね。沼津三菱さんではどのような写真を撮られたんですか?

たかはし:沼津三菱さんの新ブランドGranWorksのイメージ写真の撮影に伺いました。

撮影は日帰りで1回のみという時間制約の中で、齊藤社長はじめ現場の皆さんと一緒に臨みました。いざ撮影してみると、車の形によって想定通りの光にならず、光の当て方を試行錯誤するなど大変な面もあったのですが、沼津三菱の皆さんも積極的に提案をしてくれたので、当日のやりとりの中から「本当に見せたいもの」が伝わってきて、僕の中での輪郭がさらにはっきりしてきました。

僕の仕事は、「見せたいもの」を写真にすることなので、明確になった沼津三菱さんの「見せたいもの」を説得力のある形に落とし込むということへのやりがいを改めて感じました。

ーー現場でクライアントから色んな提案を受けながら撮影をすることは珍しいことなのでしょうか?

たかはし:そうですね。普段は広告代理店を通じてオーダー通りの写真を撮って納品するということが多いので、現場で直接意見をお聞きしながら臨機応変に撮影することは、実はあまりありません。

撮影の現場では最終責任者や意思決定者が不在のケースも多いので、その場でアイディアが湧いたり、違った意見が出ても大きく方針を変えることはあまりできないという事情もあり。一方で、現場で責任者も交えながら柔軟に対応しながら作り上げていった今回の撮影は、ライブ感があり楽しかったですね。

その場で「やっぱりこうした方が素敵に見えるかもしれない!」という気づきがあったり、今回は無理だったけど、次回はこんな風にしたらいいかもしれないねという会話があったりと、より新しい可能性や次に繋がる新たな視点が生まれるんじゃないかと感じました。

もちろん、決まった時間で決まったテーマがある撮影にも良い点はたくさんあります。広告やイメージ作りには「正しい」手法はないと思うんです。

それでも、一緒に作り上げていく方がより正解につながりやすいという感じがあります。そういえば、撮影の休憩時間に若い技術者の方がお二人で、僕が乗ってきたボロボロのプリウスを洗車してくれたんですよ!それがあまりに自然で格好良かったので、撮影して納品してしまいました。

これもライブ感の1つですね。余談ですが、洗車していただいてからはやっぱり長い間綺麗だったので、沼津三菱さんの技術の高さも体感できてすごく嬉しかったですね。

GranWorksでの撮影風景。出来上がった写真はこちら

ただのいい写真、の一歩先へ。見せたいもの、背景が伝わる写真の追求

ーー協働日本での活動を通じて、たかはしさんご自身の変化を感じることはありますか?

たかはし:先ほどお話しした通り、専門外のことも勉強しながら挑戦したので学びは多かったですね。また、やはり「目的が重要」であることも痛感しました。ただ良い写真を撮るだけではなく、目的に合わせた写真を撮ることがカメラマンの仕事です。誰に向けた写真なのか、どう見られたいのか・どう見えるかを意識したイメージこそが説得力を持つんです。

協働プロの皆さんの伴走によって、パートナー企業の皆さんの思考・思想・ビジョンが明確になっているからこそ、僕と一緒に撮影に臨んだ時に「こういう写真が欲しい」という”明快”な判断につながったと思うんです。軸があるからこそ、僕の提案にも柔軟に反応してくれて、良いものを一緒に作り上げることができた。

ここまで「自分たちで考えてやってきた」というプライドや自信が、プロダクトの写真表現の説得力に繋がっていく…まさに、協働日本の伴走支援ならではの良さだと感じました。

この気づきを得てからは、本業の方でビジネスプロフィールなど人物写真の撮影をする際には、必ずセルフブランディングをしてもらってから、それに合わせて撮影するようになったんです。「見せたい自分の姿」を「誰に見せる」のかをご自身で考えていただくことで、表情も変わる気がします。そしてそのイメージを形にするのが僕の仕事ですから、やりがいを感じます。

セルフブランディングが曖昧な、ただの「いい写真」を撮るよりも、自分で考えて一緒に作り上げた写真の方が、満足感も高くなっているように思います。

また、タイプは違いますが、町おこしや企業の魅力の見える化のような仕事の中でも、協働日本でやっているような「彼らに考えてもらう」ことをベースにすると、さらに魅力を深掘りして表現できそうだなとも思っています。

ーー協働日本での経験がたかはしさんの写真家としての活動に良い影響を与えたのですね。そういえばたかはしさんは、協働日本に参画される前から、地域の魅力発信のためのプロモーションなどのお仕事もされているんですよね。

たかはし:そうですね。故郷の新潟で子供時代のびのびと暮らせた当時の思い出が、その後カメラマンとしての山あり谷ありの経験を支えてくれている実感があり、新潟に恩返しをしたいという想いがベースになって「新潟の福祉をおもしろくの会」や町おこし、地域の魅力の見える化といった活動に関わるようになりました。

また、町おこしに外部の人が関わった結果、地域と折り合いがつかなくなってしまうような残念なケースを目にすることがありました。みんなその地域の人のためにやっているのにどうしてこんなことになるのか?というモヤモヤした想いを抱き、だからこそ、地域の人の為の活動では、「現地の人が幸せでないといけない」と強く想っています。

ーー確かにおっしゃる通り、地域の人に自分で考えてもらっての町おこしや魅力の発掘というのは、「現地の人の幸せ」と直結しそうですね。

たかはし:今は雑誌や広告とは違う形で、多くの人に簡単にイメージを見てもらえるようになりました。

だからこそ、さらに先の写真──「いい写真+」の重要性を感じています。撮影側として、写真の背景や撮影までの過程をいかに工夫できるかが大切になってきます。

撮影前のやり取りの中で、セルフブランディングをしてもらったり、その土地の魅力を自分たちで考えてもらったりというプロセスがあることで、写真から背景が伝えやすくなっていくと思うので、これからもそのプロセスを大切にして行きたいと思っています。

岩手県の職人の仕事風景を撮影するひとコマ

最終的に大切なのは「人」。協働日本の情熱は何よりの強みになる。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

たかはし:多様なスキルを持った方々が、協働プロや協働サポーターのような形でスキルを持ち寄り、共通の課題に向き合っていくというような、フレキシブルで柔軟な働き方は今後日本中で増えていくと思います。

参加したいという人も、同じようなことをする会社も増え、協働日本自体も大きくなっていくと取捨選択するシーンも出てくるのではないかと思うのですが、最終的には「やっている人」が何よりも大切だと思うので、村松さんや協働プロの皆さんの魅力である「正直」「情熱」「信頼できる」といったパーソナリティが強みになっていくと思います。

これまで携わったプロジェクトもすごく面白い取り組みだったので、引き続き僕も挑戦していきたいと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

たかはし:ありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします。


たかはし氏と協働プロジェクトに取り組んだ企業さまからもコメントをいただきました。

沼津三菱自動車販売株式会社 代表取締役 齊藤 周氏

弊社の洗車とカーコーティングに特化した、新しい自社ブランド「Gran Works」のイメージ写真を撮影していただきました。

当日は非常に細部までこだわって下さり、コンセプトがお客様に伝わる素晴らしい写真を撮って頂きました。今後ともぜひよろしくお願いいたします。

丸七製茶株式会社 代表取締役 鈴木 成彦

今回、たかはしさんとお茶の「色」にこだわって挑戦し、改めて色について少し詳しくなることができました。この経験はいずれどこかで役に立つと思います。

弊社は食品企業ではありますが商品を単なる撮影するだけでなく、永久に何らかの価値を生むことができないかと考えてNFTアートにすることに挑戦しました。プロカメラマンであるたかはしさんとのコラボで、可視光線のことや色を定義することの難しさ、そもそもリアルな商品としての色をデジタルにするとデバイスの特性によって表現されるものが異なることなど、普段知り得ないことも含めて色々と学ぶことができました。

デジタルアートの未来についても、デバイスの特性や、秘めている可能性について思考が深まりました。抹茶の美しい緑色を永久保存しようとしましたが、現実には超えなければならないハードルがまだまだ無数にありそうだと思いました。

結果が出るのはこれからですね。是非またよろしくお願いします。



たかはし じゅんいち / Junichi Takahashi

新潟市出身、1989年-2008年New Yorkで広告、雑誌、音楽、舞台などの分野で活動。現在は日本、東京在住。
2009年News Week の「世界で尊敬される日本人100人」選出、NIHONMONO中田英寿さんの日本の旅 (2009-2017)に同行、自身のプロジェクトとして、市井の日本人の魅力を撮影するNIPPON-JIN project(2008-)。
アスリート、職人、伝統芸能、工芸、日本酒、ART、ビジネスなどを取り巻く世界が大好物。日本の様々な美意識に惹かれています。
日本各地には宝がいっぱい…地域に関わることやPR(出身地の新潟や佐渡、縁が出来た福島や岩手、宮城など)、障害、LGBT、誕生と終焉など、関わり方を模索しています。

JUNICHI TAKAHASHI
https://www.junichitakahashi.com/

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VOICE:根崎 洋充 氏 -HPからの協働プロ応募。一歩踏み出して、挑戦して得た3つの変化-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業開発のプロとして地域企業の伴走支援を行う根崎 洋充(ねざき ひろみつ)氏のインタビューをお届けします。

現在、製造業の会社にて新規事業開発を担当されている根崎氏。自らの経験を活かし、もっと多くの「人の役に立ちたい」という想いを持ち、協働日本へジョインされました。現在では、協働日本の協働プロとして日々、複数の地域企業の伴走支援に尽力されています。

根崎氏の協働を通じて支援先の生まれた変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

想いに共感し、自ら飛び込んだ協働プロへの道。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、根崎さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

根崎 洋充氏(以下、根崎):はい、よろしくお願いします。

現在は、電子部品などを取り扱う大手製造業の新規事業企画部門で、新規事業企画の立案や推進、研究開発部門の企画サポートなどを行う部署を担当しています。
新規事業に関わる業務全般を担当しているので、経験、知見の有無に関わらず必要と思うことは何でも挑戦しています。

元々、新卒で入社した建設コンサルティング業の会社では設計を行っていました。
その後、転職して今の会社に入ってからは法人営業、マーケティング、そして現在の新規事業と色んな職種を経験してきて現在に至ります。

ーー色んな職種を経験されているのは、根崎さんの希望だったのでしょうか?

根崎:そうです。大学は理系だったので、設計やエンジニアをやりたかったんですが、実際にやってみたらあまり適性がなかった(笑)。

それで、もう少し広く世の中の技術に触れてみたいと思うようになって、現在の製造業の会社に転職をしたんです。

そこでまずは法人営業をして、お客様の意見を色々聞く経験から今度はマーケティングもやってみたいなと思い、今度は自分自身で新しい製品・サービス・スキームを作ってみたいなと思うようになって…という経緯です。

会社も私の希望に沿って異動を叶えてくれたので、その時その時の仕事の中で生まれた新たな興味でジョブチェンジをしてきました。

ーー根崎さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

根崎:少しびっくりされるかもしれませんが、協働日本のホームページを見て自身で問い合わせたのが始まりでした。

ーーHPからお問い合わせをいただいたのがきっかけなんですね!どのようにして協働日本のHPにたどり着いたのでしょうか。

根崎:ある日、部下から「この会社、根崎さんに合うんじゃないですか?」と教えてもらったことで知りました。

複業人材が地域企業に伴走しながら、一緒に挑戦をして成果を出し、地方創生にも貢献していくという協働日本の取り組みが、私に合っているのではないかと言われて、面白そうだと思いすぐ問い合わせました。
元々副業をやってみたいと話していたことや、「誰かのためになることをしたい」という貢献意識の強い私の性格を、部下は理解してくれていたんだと思います。

副業に興味はあったものの一歩を踏み出せないという状態だったので、 背中を押してもらったように感じました。

ーーなるほど。お問い合わせいただいてから、どのように協働プロとしての参画が決まったのでしょうか?

根崎:はい、問い合わせに対して代表の村松さんからご返信をいただいて直接お話ししたんです。

協働を通じて地域の企業の役に立ち、日本を元気に、人を元気にしたいという村松さんの想いにはとてもシンパシーを感じ、是非一緒に取り組んでみたいと思いました。

正直な話、製造業で培ってきた自身の経験で、どのように地域企業の方のお役に立てるかは未知数だったのですが、それでも一回踏み込んでみたいと思いました。面談後すぐに参画することを決めましたね。

言語化できるようになった想い、聞いている人もワクワクし出す、小さいけれど大きな変化。

ーー根崎さんはこれまで、協働日本のどのようなプロジェクトに参画されてきたのでしょうか?

根崎:これまでに3社のプロジェクトに関わってきました。

現在進行形でも携わっているのは株式会社ソミック石川さんという自動車の部品メーカーの会社と、ダイエー株式会社さんという板金加工の会社の2社ですね。

ソミック石川さんは、これまで自動車メーカーに直接卸していた自動車部品を、修理・メンテンスサービスなどのアフターマーケットでも販売していきたいというテーマで協働が進んでいます。

一方ダイエーさんでは、先方の白榮専務に伴走し、専務のビジョナリーな視点、これからの「製造業での働き方」について、その想いを実現するための取り組みを行っています。

ーーそれぞれ違うテーマですね。具体的なお取り組みの内容や状況もお聞きしても良いでしょうか?まずはソミック石川さんについて教えてください。

根崎:ソミック石川さんは、やりたいこと・テーマが明確だったので、「どう実現するか」に主眼を置いた対話が中心でした。

新規事業として、BtoB向けの販売しか行ってこなかったソミックさんのパーツを、修理・メンテンスサービスなどのアフターマーケット、つまりBtoCにもマーケットを広げていくというプロジェクト。

そのためにまずはマーケットを知り、誰にどうアプローチするかを順に考えていきました。

自分たちの作る自動車部品の品質がいいことは皆わかっているのですが、ではその価値をどう表現して、どう伝えるか?ということを深掘りしくところから始めました。

今はその価値を、こんな人に届けたらどうだろう?という新しいサプライチェーンのいくつかのパターンを探りながら参入の糸口を見つけていっているところです。

ーーなるほど。製造業を深く知る根崎さんだからこその視点や経験を活かせるプロジェクトですね。ダイエーさんについても教えてください。

根崎:専務が持っている自社の働き方についての強い想いを、一緒に言語化していきいました。頭の中にイメージはあるんだけれど、うまく言語化が出来ていなかったことで、周囲にうまく伝わらない状態でした。

我々協働日本と徹底的に対話を重ねたことで、プロジェクトに取り組む専務自身も、元々の想いややりたかったことがより明確になってきました。

最初は言葉にできていなかった想いが段々と言語化できるようになっていったことで、周りにもワクワク感が波及していき、今は想いを実現するためのパートナーとの交渉といった具体的な段階まで取り組みが進んでいます。

ーー事業を実現するためのお手伝いだけでなく、マネジメントの胸の中にある想いを言語化するお手伝いも出来るのは、協働日本の提供価値のひとつですね。

根崎:まさにそうですね。ダイエーさんの場合、専務が元々持っていたビジョナリーな視点が言語化されたことで、話を聞いている私たちや、おそらく部下の皆さんも、ワクワクを感じています。

元々熱い想いをお持ちの方こそ、きちんと言葉に想いを乗せて伝えられるようになれば、どんどんと想いが伝播して巻き込める人が増えていきます。

マネジメント層の方にとって、一人で想いを言語化することはけっこう大変な作業です。上司や部下といった社内の関係性の外にいる、我々のような壁打ち相手がお手伝いできることはたくさんあるように思いますね。

同じような悩みを持つ経営者やマネジメントの方はぜひ、そんな壁打ち相手としてもぜひ、協働日本を活用してほしいですね。

協働を経てメンバーの主体性がどんどん強まっていくのを感じた

ーー協働を通じて、パートナー企業の変化を感じたエピソードなどお聞きできますか?

根崎:新規事業に取り組んでいるソミックさんのプロジェクトのエピソードです。新規事業の立ち上げに向けてマーケット調査を行ったところ、参入しようとしているマーケットの参入障壁の高さが判明しました。

簡単には越えられない壁を前に、はじめは一同、少し尻込みしていたんですが、主要メンバーの一人が毎週、修理業者やカーメンテナンスの会社の方など色んな人と話をして意見を持ってきてくれるようになったんです。
そこから、ダメだと思っていたことをクリアできるアイディアが生まれたり、そういう考え方もあるんだという気付きになったりと、次々と打ち手が見えるようになってきました。

自ら動いて色んな情報を拾ってくきたことが、解決の糸口に繋がったことで、メンバーの主体性がどんどん強まっていくのを感じました。

ーー協働を通じて、支援先の企業の社員が変化する。まさに協働日本が実現したい形ですね。

根崎:まさに、そうですよね。

業界構造を理解するために、車業界全体の既存プレイヤーの人と話をしようとチームで決めて、実際に色んな方と話をしました。

その中で、意外なところに見込み顧客を見つけたり、議論を通じて、今の業界構造の中でもなんとか事業を実現するアイディアが生まれました。
そうして、事業の形が徐々に固まっていく中で、ソミックさんの社員の方が自発的に「こんなところにもいって話を聞いてみたらいいかもしれない」と、どんどん色々なところに足を運び出しました。

主体性を持って積極的に動き、たくさんの情報を収集したことで、高い障壁を越えていける糸口を見つけられた経験は、伴走していた私自身にとっても、ソミック石川さんにとっても大きな気づきと自信を得られました。

伴走を通じて生まれた、自身の3つの変化

ーー協働日本での活動を通じて、根崎さんご自身の変化を感じることはありますか?

根崎:実感している変化は3つあります。

まずはシンプルに、自分に「自信」が持てるようになったこと。

一つの会社への所属が長くなると、果たして自分は世の中に役に立てているのかとか、自分の力は他でも通用するのかみたいな葛藤を感じることがあったんですが、協働日本で地域企業に伴走支援をしていく中で、多少なりとも私の経験やスキルが誰かの役に立つんだという気付きが自信に繋がりました。

そしてもう一つは、「視点」の獲得です。

大きな会社に所属しているとどうしても会社の一機能としての視点のみで、サービスや製品のことを捉えて考えてしまうのですが、経営者やそれに近い方々と話していると、視点が全然違って会社全体を見ていることに気付いたんです。

その違いに気づいた時、「こういう立場で、こういう物の見方をしてるから、こういう発言なんや」って私の中で理解が深まってきました。自然と私自身も、視点を変えて物を見て、話すようになってきたんじゃないかと思っています。

そして3つ目の大きな変化が、「挑戦欲」が湧き上がってきたこと。

本業で取り組んでいる、自社の新規事業開発に更に情熱を持って挑戦したいと思うようになりました。成功ばかりではないのが新規事業です。失敗続きの中で、うまくいかないことも多く、モチベーションを保つのが大変です。

でも協働日本で行っている伴走支援を通じて、逆に伴走先の方々の熱意が伝播したというか…もう一回、本気でチャレンジしてみたいなという意欲が湧いてきています。

ーー熱意の伝播、いいですね。地域企業の皆さんはもちろん、一緒にチームを組んでいる協働プロにも刺激を受けたり、新鮮だなと思うことはありますか?

根崎:たくさんありますね。

話をしている中で、会社ごとに考え方やカルチャーが違うんだなと感じるところと、逆に、新規事業やってる時の悩みって一緒なんだなと感じるところ、両方あります。
その違いの部分も、良い・悪いではなくて純粋に新鮮で楽しいんです。新しいものに触れているという実感もありますし。

初めて一緒に組んだ他の協働プロが、向縄一太さんと藤村昌平さんだったんですが、二人ともマーケットや事業開発の経験豊かな、まさにプロフェッショナル。とても刺激を受けました。
初めの頃、限られた打ち合わせ時間の中で「自分も彼らに負けずに何か爪痕を残そう」と半分意地になって、色々考えたり発言をしていたほど(笑)。

でも本当に、普段では一緒に仕事をすることができないようなメンバーと共に、常に新しい課題やプロジェクトに取り組める面白さやありがたさを感じています。

ーー協働を通じて今後実現していきたいことはありますか?

根崎:身近な人、関わった人に良い影響を与えられたらいいなと思っています。

協働した人に良い影響や前向きな想いが伝わり、そこからさらに次の人に伝わっていったらいいなと思っています。影響の輪が広がって行けば、多くの人がより良くなることにつながるので。

ーー根崎さんの、「誰かのために」という想いがとても印象的なのですが、そのように考えるようになったきっかけはあるんでしょうか。

根崎:性格的なものかもしれませんが…でも貢献意識みたいなものは、法人営業時代に「一緒に仕事をしてよかった」「お前に頼んだら色々考えてくれるからありがたい」などと、お客様と営業マンという関係性を超えて繋がる人から感謝の言葉をもらえることが大きな喜びだったんです。

そういった体験が根底にあるかもしれないですね。貢献したいし、いい影響を与えたい、と強く思うようになった気がします。

頑張りたい人と応援したい人を繋ぐワークシェアコミュニティ

ーーここまでインタビューありがとうございました。インタビュー終盤でずばりお聞きします。副業・複業先として協働日本を選んでみてよかったと思われますか?

根崎:はい。改めて、協働日本を通じて、協働プロとしての一歩を踏み出してみてよかったなと感じています。

ソミック石川さんのエピソードと同じで、行動を起こすと何かが返ってくるわけですよね。協働日本での活動を始めて、地域の企業の皆さん、そして協働プロ…とどんどんつながりが増えていきました。

繋がりを増やすために始めたわけではないけれど、その繋がりがまた新しい物を産むかもしれないし、また一緒に仕事したいと思ってもらえるだけでも嬉しい。

もし副業をやってみたいなと思っている方がいたら、考えるより先に踏み出してみたらどうですか?と伝えたいなと思います。
だからあれこれ考えるよりもまず一度挑戦してみて、一所懸命取り組んでみたら、そこから生まれるものや得るものもあるんじゃないかなと思います。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

根崎:協働日本は、都市部と地方という垣根ではなく、頑張りたい人とそれを少しでも応援したい人という枠組みの中で、ワークシェアをするようなコミュニティだと思っています。

これから先、こんなコミュニティが少しずつ広がっていくのではないか?と感じますね。

そんなコミュニティの中での繋がりによって、スキルだけではなく想いもどんどん伝播していく。小さな波紋が大きな波になるんじゃないかと期待していますし、私もその一助になりたいなと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

根崎:ありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします。

根崎 洋充 / Hiromitsu Nezaki

大手製造業 新規事業部門 マネージャー

大学卒業後、建設コンサルタント業界にて設計職を経て、現在の大手製造業の会社に転職。現在の会社に入社後は、法人営業部門、マーケティング部門で国内顧客、新規顧客向けのビジネス開拓業務に従事。

その後、現在の新規事業部門に異動。現在は、新規事業企画の立案や推進、研究開発部門の企画サポートなどを行う部署を担当。

日々、企業内での新規事業創出として、将来の大きな商売の開拓につながることであれば、組織風土から新規事業テーマ全般にチャレンジしつづけています。

根崎 洋充氏も参画する協働日本事業については こちら

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VOICE:柳川雄飛氏 -企業と社会の橋渡し役になりたい。地域企業の持つ価値を新たな視点で掘り起こしていく-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で事業開発のプロとして地域企業の伴走支援を行う柳川 雄飛(やながわ ゆうひ)氏にインタビューいたしました。

現在は株式会社ヒトカラメディアにて、オフィスの不動産仲介やデベロッパーとの施設開発、行政の地域活性化プロジェクトの立ち上げなどを行っている柳川氏。

個人事業として、協働日本以外でも、離島や地域の地域活性・ブランディング、地域の中小企業の事業支援・ブランドコミュニケーションの施策支援と幅広く活躍されていらっしゃいます。

協働日本に参画する前から、地域とのコラボレーション事業に携わっていたという柳川氏に、協働を通じて見えた変化や、実現したいことについて語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

きっかけは、自分軸を見つけるため。プロボノ活動を通じて地域との協働の面白さに出会った

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは柳川さんの普段のお仕事について教えてください。

柳川 雄飛氏(以下、柳川):よろしくお願いします!株式会社ヒトカラメディアという会社で、オフィスの不動産仲介やデベロッパーとの施設開発、行政の地域活性化プロジェクトの立ち上げ、プロジェクトマネジメントやクリエイティブディレクションを行なっています。

ベンチャーやスタートアップ企業が入居するオフィスビルやコワーキングスペースなど、デベロッパーと「働く」をテーマにした場づくりをしたり、運営プログラム設計、イベント運営などを行っています。

また、個人事業として離島や地域の地域活性・ブランディング、地域の中小企業の事業支援・ブランドコミュニケーションの施策支援の仕事をしています。

例えば、クリエイティブ人材と一緒に街歩きをして色んな角度で地域資源を捉え直し街のリブランディングを行い、新しい体験ができるツアーを作るなど、その地域の良さを引き出すような活動をしています。

ーー協働日本に参画される前から、地域・地方の中小企業の事業支援をされていたんですね。元々ご興味がおありだったんでしょうか?

柳川:きっかけは「自分軸を探したい」というところからのスタートだったんです。元々デザインの仕事やクリエイティブ業界への憧れのようなものを持っていて、形のないものを作り出す仕事をしたいと考えて20代後半でクリエイティブ業界に転職をしたのですが、いざ現実を知ると「自分が本当にやりたいことの軸は他にあるのかもしれない」と考えるようになったんです。

そこで、もう少し確固たる自分の軸のようなものを見つけるために、仕事以外で挑戦できる場所を探し始めて「イノベーション東北」というプロボノ活動※のマッチングプラットフォームに出会いました。東北の震災復興を一つのテーマに、各地域の事業者と都市部のプレイヤーがプロボノ活動を通じて協働していて、私は女川町で関係人口構築支援の取り組みのお手伝いをすることにしたんです。

その頃から、地域の方々だけではなかなか解決できない課題を、地域の外の人やコトと繋ぎながら解決していくということに関心が向いていったように思います。

※プロボノ活動
各分野の専門家が、職業上持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランティア活動全般。

人と人の良い化学反応がクリエイティビティを加速させる

ーー続いて、協働日本での活動についてお聞きしたいと思います。まずは柳川さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

柳川:協働日本でCSOを務めている藤村昌平さんからのお誘いがきっかけです。

前職時代、藤村さんとはクライアントとパートナーという関係で、ライオン株式会社のこれからをつくる、新しいテーマのプロジェクトを模索する企画の仕事でご一緒しました。

このプロジェクトでは、藤村さんと受発注の関係を超えて同じ目線で目指す方向性について対話を重ね、信頼関係を築きながらアウトプットできたと思っています。この経験がきっかけで、それ以降、年齢・立場・肩書きなどを超えて、人と人の良い化学反応はクリエイティビティを引き出し、増幅させると信じて活動してきました。

そんな藤村さんから協働日本の取り組みをご紹介いただき、協働日本の理念にとても共感しました。

この人なら「背中を預けてご一緒できる」と信頼している方からのお誘いが嬉しかったことはもちろん、地域の課題を「地域の外の人やコトと繋ぎながら」解決していきたいという自分の想いとも重なる部分が大きかったので、二つ返事で参画することを決めました。

意識を変えるために、まずは行動を変える。限られた時間の中で、いかにアクションを増やせるか

ーー柳川さんはこれまで、協働日本のどのようなプロジェクトに参画されてきたのでしょうか?

柳川:これまで3社のプロジェクトで伴走支援をしてきました。最初に協働させていただいたのは丸七製茶株式会社さんという静岡県のお茶の会社、次に鹿児島県にある精密金属加工のキリシマ精工株式会社さん。

そして、現在は静岡県で住宅の設計・施工をされている建築業 天野マコトさんとの協働がキックオフしたところです。事業開発の領域で、企業の新規事業立ち上げにあたるブランドコミュニケーションの戦略策定支援や施策の実行支援を行っています。

ーー色んなパートナー企業に伴走支援をなさってきたんですね。具体的なお取り組みについても教えていただけますか?

柳川:パートナー企業によってプロジェクトの内容は三者三様です。

キリシマ精工さんでは新規事業の支援をさせていただきました。技術力が強みの精密金属加工会社なのですが、金属加工の技術を活かして、ペグやランタンスタンドなどのキャンプ用品を製造販売する新しいブランド「MILLD WORKS」を立ち上げたところで、その魅力の発信が主なテーマでした。

従来のBtoBではなく、BtoCの新規事業ということもあり、発信、認知の拡大、フォロワーやファンの獲得のために議論を重ねていきました。

キリシマ精工さんの専務にプロジェクトオーナーとして立っていただき、2名の若い担当メンバーと共にプロジェクトを推進していきました。皆さんとても面白がりながら、柔軟に我々の提案を受け入れてくださったのが印象的でした。

週に1度のミーティングで出た課題やネクストアクションの宿題についても、若いメンバーがグイグイと進めていってくれたので、PDCAサイクルが回るのがとにかく早かったんです。

その結果、ブランド発信用のSNS投稿の写真や内容も、協働がスタートする前後で様変わりしました。今も引き続き「MILLED WORKS」のファン獲得のために発信を続けていらっしゃいます。

ーー協働を通じてとにかく行動を重ねていったことによる変化ですね。他にも、パートナー企業の変化などのエピソードをお聞きできますか?

柳川:最初の伴走支援のパートナー企業だった丸七製茶の皆さんの変化も印象的でした。

私はプロジェクトの進行に応じて途中でジョインしたので、協働の期間は半年にも満たないくらいだったのですが、そのわずかな間にもメンバーの皆さんが自ら考え、行動していく変化を目の当たりにしました。

毎回のお打ち合わせには、丸七製茶の鈴木社長にもご同席いただいていました。鈴木社長は、ユニークな施策や尖ったアイディアをどんどん思いつく方で、とにかくスピード感をもって意思決定される方です。

しかし、実際にアクションに移していくのは担当者であるメンバーの皆さんなので、メンバーそれぞれが社長と同じようなマインドセットで臨まないと、やらなくちゃいけないことだけがどんどん積み重なっていってしまう。

その施策をなぜやるのか、という目的をしっかり腹落ちして取り組まなければ、たくさんのアイディアを形にすることはできません。社長と同じ目線で、事業や課題に向き合う姿勢を社員の方々に身につけていただくサポートも、重要な協働ポイントでした。

だからこそ丸七製茶のプロジェクトで、協働プロのチーム全員で共通して意識していたのは、できるだけ自分で考えてもらう時間を作ること、自らアクションする時間を作ることでした。毎週のミーティングの宿題を出して、とにかく色々アクションに移してもらいました。

ーーたとえば、どんな宿題を出されていたんですか?

柳川:宿題自体は、すごくシンプルな問いなんです。例えば、「会社の強みはなんだと思いますか?」「営業でお客さんにどんなことを言われましたか?」など、シンプルだからこそ、意識して考えたことがなく言語化できない方が多い問いでもあります。

そこで、「これを考えてください、聞いてきてください」という宿題をとにかくたくさん出していました。そして次回の打ち合わせで「どうでしたか?」と聞いて、その答えからまた次の議論を重ねていきました。

実は、打ち合わせの際に協働プロが話したことや宿題の意図は、その時点でメンバーの腑に落ちていなくてもいいと思っています。

よく、「意識が変わると行動が変わる」と言いますよね。でも、私は逆のパターンもあると思っていて……行動が変わってアウトプットが生まれることで、段々と考え方、意識が変わっていくことに繋がるんです。だからこそ、限られた時間の中でいかに行動を重ねていってもらうかを重視しています。

ーーなるほど。アクションの数を増やすことでアウトプットも増え、短期間でも意識が変わることに繋げていくんですね。

柳川:そうですね。加えて言うと、意識が変わるといっても、全員が同じスピードで一斉に変わることは難しいので、最初は全体のうちの何人かだけでも変化があればいいと思っています。全体の一部の人だけでも積極的に動いてくれるようになれば、その様子が他のメンバーにも伝わっていき、「自分もやってみよう」と続く人が自然と増えるんです。

今回の伴走支援でも、完全に腑に落ちているわけではないけれど「とりあえずやってみよう」と動いてくれる人が出てきて、行動していく中で「もしかしたらこの観点でもPRできるかも、こんな営業ができるかも」と腹落ちする瞬間、そしてそれが広がっていくという変化に立ち会うことができました。

私たち協働プロが、事例を紹介したり、改善提案をしたりしても、その企業で働く皆さんに浸透・定着しないとあまり意味がありません。だからこそ、パートナー企業の皆さんが協働プロとのミーティングをきっかけに、本質的に自分達にとって必要なことを自ら考えるようになる瞬間は、とてもワクワクしますね。

「新たな視点」という強みを活かし、地域企業の持つ強みや可能性を引き出して社会に伝えたい。

ーー協働日本での活動を通じて、今、柳川さんが感じることや、今後実現したいことはありますか?

柳川:伴走支援させていただく企業の方は、その業界やものづくりに精通している専門家ばかりです。

私たち協働プロがその知識や経験を上回ることはほとんどの場合ありませんが、専門家ではないからこそ持てる、商品やサービスへの客観性や、初めて見たからこそ得られる気付きなど、これまでにない新たな視点を提供できることにも大きな価値があると思うんです。

特に、ブランドコミュニケーションの仕事をしている私は、どんな時でも初めて見る人・使う人の視点を持てる「プロの素人」でありたいという思いを持っています。個人の感想のような感覚的なものはビジネスの中で排除されがちですが、それぞれの抱く感想の中には、実は他の人も同じように思っているという共通の感覚が隠れていることがあります。

その共通項を集めて、商品やサービスの価値を正しく伝えられるようにすることがプロの仕事だと思っているので、そういった視点を活かしていきたいです。

ーー企業のブランド価値を伝えて、ブランドの地位向上を図るブランドコミュニケーションのプロである柳川さんならではの強みですね。

柳川:協働を通じて社会と企業の橋渡し役──翻訳者のような役割を担えたら良いなと考えています。物事というのは、少し角度を変えれば見える世界が全く変わることがあると思いますが、ずっと自分たちだけでやってきたからこそ、その視点からは見えない可能性や選択肢に気付くことができずに諦めてしまう中小企業の方は少なくないのではないでしょうか。

だからこそ協働を通じてパートナー企業の持つ技術や強み、価値を新たな視点で掘り起こし、企業の方に可能性に気づいていただき、世の中にその企業の強みや価値を伝えていきたいと思っています。

ーー本日はありがとうございました!最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

柳川:協働日本は、一つのコミュニティのような形で、さまざまな地域の担い手と都市部で働くプレイヤーをつなぐプラットフォームの役割を担っていると考えています。今後、人材の流動性はますます上がっていく上で、「〇〇企業の〇〇さん」ではなく、「〇〇な考え方(ビジョン)を持って、〇〇なスキルを持って活動をしている人」だと相互に理解しあえている仲の人と仕事をしていくことが重要だと思っていて、このようなコミュニティとしての役割を果たせるプラットフォームは非常に価値があると思っています。

ちなみに、協働日本の協働プロには、誘ってくださった藤村さん以外に、前職時代から繋がりのある方が偶然にも何名かいらっしゃったんです。

例えば、遅野井宏さん(コマニー株式会社 間づくりエバンジェリスト)も前職の時にお世話になった方でした。

それぞれが先述の印象的なプロジェクトで関わらせていただいた方達なんです。今ではそれぞれ所属も立場も肩書きも変わりましたが、こうして一緒に仕事をする仲間になっているというのは非常に面白いですし、互いにそれぞれの持てるスキルやユニークネスを信頼しているからこそ、協働できるチームになっていると感じます。

多くは都市部の企業で勤めながらも、面白い個人のプレイヤーが集まっている「協働日本」は本当にユニークなプロジェクトが沢山生まれていて、これからも同じような想いを持った方がどんどん集まってくるのではないかと思います。

ーーインタビューへのご協力、ありがとうございました。

柳川:ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします!

柳川 雄飛 / Yuhi Yanagawa

大学卒業後、インターネット業界、クリエイティブ業界を経て、企業・教育機関・地域など様々なフィールドにおけるコミュニケーション課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを推進。2017年より、渋谷ではたらく人をつなげる「渋谷区100人カイギ」の共同発起人を務め、2020年「SMALL STANDARD SHIBUYA」を立ち上げる。また、山梨県富士吉田市の地域活性プロジェクト「SHIGOTABI」など、異なる視点を掛け合わせ、物事を新たな視点で捉えなおす活動を行う。2022年よりヒトカラメディアに参画し、下北沢のミカン下北にあるワークスペース、SYCL by KEIOを起点に、「誰かの”やってみたい”がまちとつながる」きっかけを生み出すプログラムの企画・運営に携わる。

柳川 雄飛氏も参画する協働日本事業については こちら

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