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STORY:丸七製茶株式会社 鈴木成彦氏 – 変化する経営課題に最適な人材を組み合わせ、成果を重ねてきた協働プロジェクト。「お茶の未来」を創造するブランド戦略とは –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。
今回は、丸七製茶の鈴木成彦氏にお越しいただきました。

丸七製茶は、創業1907年の静岡の老舗製茶メーカー。日本茶を主軸に、スイーツ開発まで手がける「製造から小売までの一貫体制」を強みに掲げています。

協働日本とは2021年から4シーズンにわたり、①高級ボトリングティーのコンセプト設計、②EC/動画発信、③社内SNS活性化、④東京拠点リニューアル(カフェ併設)まで、多岐にわたる取り組みをともに進めてきました。

本インタビューでは、協働日本との取り組みで得た変化、組織としての意識変容、今後の展望について、2021年から伴走している協働プロの郡司弘明氏も交え、率直に語っていただきました。

(取材・文=山根好子)

“相談相手不在”の連続意思決定。そのとき見えた「伴走」の価値

ーー本日は丸七製茶株式会社 代表取締役社長の鈴木成彦様と、協働プロの郡司弘明さんにお越しいただきました。まずは、協働日本との出会いについてお聞かせください。

鈴木成彦氏(以下、鈴木):ご縁があり、協働日本代表の村松さんと知り合いました。「中小企業の社長に伴走する」という考えに強く共感し、当社でも支援をお願いしたいと思ったのが始まりです。

ーー協働日本の「伴走支援」は、御社のプロジェクトにどのようにフィットしたのでしょうか。

鈴木:中小企業の社長は、結局のところ一人で何でもこなさざるを得ない場面が多い。かつては学生時代の友人に相談したり、一緒に構想を練れましたが、年々それも難しくなっていました。そうした中で第三者の伴走という進め方を知り、有効な選択肢だと感じました。相談や壁打ちができる存在がいることに、大きな魅力を感じたのです。

ーーこれまでのプロジェクトを順にご紹介いただけますか。

郡司弘明氏(以下、郡司):2021年から、4シーズンご一緒しています。

鈴木:もうそんなに長いお付き合いなのですね。
各プロジェクトで異なる協働プロをアサインしていただきましたが、郡司さんには一貫してプロジェクトマネージャーとしてご支援いただいています。

郡司:まずシーズン1では、新発売のボトリングティーのコンセプトデザインやコンセプトメイクを一緒に壁打ちさせていただきました。

ここでは協働日本CSOの藤村昌平さんに加わってもらい、風呂敷を大きく広げるところからコンセプトを深掘りしていきました 。

また、写真家のたかはしじゅんいちさんとのプロジェクトも協働日本がきっかけで立ち上がりました。NFTアートと抹茶を使ったチョコレートの同時発売という、当時としては非常に先進的な取り組みでしたね。


郡司:続くシーズン2では、「CBT(Craft Brew Tea)」というボトリングティーのECサイトの立ち上げを行いました。

ブランドサイトの制作と、YouTubeやSNSを活用した動画でのコミュニケーションを並行して実施しました。

ーー「CBT」のサイトには「食事と共にワイングラスで楽しむ日本のお茶」「茶葉の個性を味わう、食事彩る日本茶」など、まさに高級ボトリングティーとしてのコンセプトや提供イメージへのこだわりが詰まっていますね。

鈴木:そうですね。海外のレストランで、無料のお水と有料のお水のメニューがあるように、お茶に関しても、良いものにお金を払って楽しんでいただきたいという想いがありました。食事の際のノンアルコールドリンクの新たな選択肢としてのブランディングのこだわりを、協働プロの皆さんと一緒に表現していくプロジェクトでした。

高級ボトリングティー「CBT」- ECサイト


鈴木:シーズン3では、社内のSNSコミュニケーションがテーマでしたね。社員のSNSへの感度やアンテナの高さに課題があると感じていたため、全社的に社員を巻き込み、SNSのリテラシーと発信力を高めていくためのマルチ勉強会を半年ほど行いました。この取り組みから、丸七製茶の自社noteが立ち上がり、社員一人ひとりが個人のSNSアカウントで発信することで、営業時のコミュニケーションの質が向上したり、店舗業務への他社員の理解が深まるなど、ポジティブな影響がありました。プロ人材としては、地方メーカーのSNSプロモーションの支援実績が豊富な浅井南さんに加わってもらい、個別のSNS投稿の添削なども行っていただきました。



郡司:そして直近のシーズン4が、東京事務所の移転プロジェクト並びに、店舗のカフェメニュー開発プロジェクトです。単なる事務所ではなく、1階にカフェと物販を併設し、情報発信基地や人的交流の生まれるスペースとして活用していくというコンセプトの構築を行いました。また、カフェの立ち上げにあたって目玉となるカフェメニューの開発もご一緒させていただくことになりました。

そこで、このプロジェクトでは老舗食品企業との協働実績が豊富な相川知輝さんと、大手外食チェーン等で商品開発実績のある松尾琴美さんという2名のプロにジョインしてもらいました。

ーー4シーズン全てテーマが違いますね。

鈴木:そうなんです。プロジェクトのテーマがシーズンごとに変わる中で、都度、そのテーマに最も適したプロ人材でチームを組成していけることが、協働日本の強みであり、長くお付き合いさせていただいている理由の一つになっています。例えば、シーズン4の途中でカフェでの新商品開発という文脈になった際、すぐに商品開発実績のある松尾さんに加わってもらうといった、柔軟なチーム組成をしていただきました。

郡司:丸七製茶さんの向き合う課題の優先度が、企業フェーズに合わせて変わっていく中で、私たちもメンバーの強みを組み替えられたのは良かった点ですね。

鈴木:そうですね、協働日本にはいろんな人がいますから、課題に合わせて「こんな人いない?」と相談できるのがすごくいいですね。

売上の変化だけではなく、ブランド価値そのものに向き合っていく

ーーこれまでの取り組みの中で、特に大きな成果や変化についてお聞かせいただけますでしょうか。

鈴木:定量的な成果としては、ボトリングティー「CRAFT BREW TEA(CBT)」の売上が、協働をスタートした2020年当初と比べて、約200%に伸びています。

郡司:200%とはすごいですね。

鈴木:ただ、単なる数量や金額よりも、ブランド価値としての成果が大きいと感じています。今では、日本にあるミシュラン店の1割以上、そして国内外のラグジュアリーホテルの大半と取引できるようになっています。
かつてはお茶は「無料」が当たり前で、日本茶でお金を取るというのは考えにくい時代でした。しかし今、当社のブランド商品が、日本の高級料理店やホテルに流通しているという存在感こそが、歴史的になかった価値だと感じています。

ーープロジェクトを通じてお茶に対する社会的評価を高める一助を担われているのですね。

鈴木:はい。他のボトリングティーはEC販売で高級品として手作りで売られているものが多いのですが、当社の場合は、飲食店で扱ってもらうための価格帯(1本5,000円以下)を維持しつつ、安定した高い品質で供給できる体制を整えています。これがホテルなどで扱われる上での大きな強みになっています。

郡司:まさにおっしゃる通り、お酒などのように、“お金を払って”お茶を飲むという文化をつくる挑戦の中で、CBTは“新しいお茶の市場そのもの”を切り拓いていますよね。

鈴木:また、SNSの取り組みは、社員のデジタルスキルやビジネスパーソンとしてのレベルアップのきっかけとしても重要だと捉えています。地方企業は車社会で、社会的な交流が少ないという背景があります。特に高校卒業後すぐに就職した若い層にとって、企業人としての外部との交流機会が不足していることが課題だと考えています。

郡司:地方で課題を抱える経営者の方は、鈴木社長と同じ悩みを抱えている方が多いですね。外部の風を吹かせたい、社員の話し相手になってほしい、というニーズが非常に高いです。協働日本のプロ人材が外部の「よそ者」として入ることで、社員の方々が外部と繋がったり、社内だけでは生まれないアイデアやマインドの変化が起こることに期待されている。ある種の「接着剤」のような役割も担っているのかもしれません。

鈴木:そういった、社員が外に目を向けるためのコスト投下は、ROI(投資対効果)が見えづらいため、なかなか決断しにくいと思うんです。しかし、若い頃にどんどん外に連れ出したり、外部のプロと壁打ちさせて成長させることが、中長期的に見て必ず良い仕事に繋がると私は確信しているので、協働日本さんとの取り組みを継続しているという面もあります。

郡司:ご支援させていただく中で、社長の期待に応えようと社員の方がしゃかりきになって成果を出されるケースも協働日本には多いですね。結果として「自分だけでなく、社員にも伴走してもらえたことで大きな変化が生み出せた」とおっしゃっていただくことも多いです。

鈴木:また、直近の成果としては、東京事務所移転プロジェクトで誕生した“抹茶研究所”があります。“抹茶研究所”は売り込みに行く営業ではなく、潜在需要のあるお客様に来ていただくための情報発信基地です。物販の売上は、以前の事務所が安売りだったのに対し、現在は定価販売で売上は150%になっており、利益ベースではさらに大きな成果となっています。浅草橋という立地と、“抹茶研究所”というブランディングが功を奏しているのではないかと感じています。


鈴木:店頭のイートインスペースでのカフェメニュー開発では「抹茶マンタロー」も誕生しました。夏のパリのカフェで定番のミント水「マンタロー」に着想を得て、伝統的なミントの爽快さと抹茶の奥深さを結びつけて生まれたメニューです。伝統を大切にしながらも、時代と共に進化し続ける抹茶の新しい可能性を提案できる、当社らしいメニューになったのではないかと思います。

イートインスペースで提供する新商品開発のプロジェクトで生まれた「抹茶マンタロー」


プロジェクト継続が外部との「接点機会」を形成。社内に新しい風が吹き込む

ーープロ人材の活用を通じて、率直に感じたことを教えてください。

鈴木:やはり、いろんな意味で人が交流するところで何かが生まれていると感じています。皆さんといろいろ議論しながら方向性を探る中で、ふと、思いもよらないようなキーワードが出てくることがあり、「それ面白いね」「これ誰か一緒にやってくれる?」と相談できる機会が、とても大事だと思っています。

ーー先ほどお話いただいた「人が交流する」ことの醍醐味かもしれませんね。

鈴木:そうですね。同じ方向性を向いて集まったメンバーで行う雑談では、得られる情報も意外と多いと感じています。情報化社会の中ではとにかく情報が多すぎて、自分にとって必要な情報を得ることが意外と難しいのですが、プロ人材には情報感度の高い方が多いため、最近こんな新しいサービスが始まった、というお話や、こんな事例がありますといった情報との「接点」を提供してくれます。こういった「接点」を作る役割を担って頂けることも、非常に重要だと思います。

そもそも新しい事業、プロジェクトを組んでも、成功するのはごく一部というのは当たり前だと思っていて、むしろ実行し続けていく中で次の打ち手が生まれることに価値があると考えています。協働日本では、大手企業の第一線で成果を出している現役の方をプロ人材としてアサインしていただけるため、「こんなことをやりたいのだけど、一緒にやってもらえる人はいないですか?」と相談したときに、適切な人材を紹介していただき、継続的に様々なことにチャレンジできることが魅力的です。事業や環境が変化していく中で、熱意溢れる優秀なプロ人材にいつでもアクセスできる機能は、非常に価値があると感じています。
スポットコンサルではなく、プロジェクトを「自分事」として捉え、一緒に伴走してくれるプロの存在が、社内に前向きな変化を生み出しているのだと思います。

熱意ある優秀なプロ人材と企業を繋ぐ。人と人との接着剤となる協働日本

ーー最後に、協働日本へのメッセージや、今後の期待をお聞かせください。

鈴木:今後もやりたいことは次から次へと生まれてくるのですが、なかなか社内に人的リソースがないというのが現実です。だからこそ、「こんな人いない?」と相談し、紹介していただける機能は、ありとあらゆる中小企業で必要とされていると思います。

協働日本さんには、今後ますます中小企業が頑張っていくためのレベルアップに貢献してほしいです。

「この人によりプラスになってほしい」というお互いの思いが、人と人の関係性から新しいものを生み出すような気がします。協働日本さんがそういった「接着剤」のような役割を果たし、私たちもそれを活用して、今後も進化していければいいなと思っています。

郡司:ありがとうございます、今後ともよろしくお願いいたします!

鈴木:こちらこそ、よろしくお願いいたします。


鈴木 成彦 / Shigehiko Suzuki

1964年生まれ。商社勤務を経て1989年丸七製茶㈱入社し、現在代表取締役社長。

90年半ばより日本茶が栽培されているすべての茶産地を把握すべく全国各地の茶産地視察を始める。
同時にテイスティング用語を豊かにするためにワインを学び始め、利き酒師、ビールテイスター、スペシャリティコーヒー協会に加盟しコーヒーマイスターなどの資格を取得するなど日本茶だけでなく幅広い飲料、食品の知見から日本茶の商品開発などを行う。

日本茶インストラクターだけでなく、ワインサロンにて日本茶講師を務めるなど日本茶の消費拡大などにも精力的に活動。

2025年度、静岡県茶商協同組合の副理事長、日本茶審査技術競技大会において高段位を授与された39名で構成される日本茶鑑定士協会会長に就任。

協働日本事業については こちら

VOICE:松尾 琴美 氏 -食を通じて、皆の幸せを実現する。ワクワクして前に進めるきっかけ作り-

VOICE:たかはし じゅんいち 氏 -パートナーの想いを形にする、「一歩先の写真」を追求-

VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい –


VOICE:たかはし じゅんいち 氏 -パートナーの想いを形にする、「一歩先の写真」を追求-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でビジュアルクリエイティブのプロとして地域企業の伴走支援を行うたかはし じゅんいち氏のインタビューをお届けします。

世界的なフォトグラファーとして活躍されているたかはし氏。協働日本では協働プロとして、パートナー企業の新しいビジュアルクリエイティブに携わり、「本当に見せたいもの」を共にビジュアル化する活動をされています。

たかはし氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

ふとしたきっかけで進んだ、奥深い写真の道。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、たかはしさんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

たかはし じゅんいち氏(以下、たかはし):はい、よろしくお願いします!

職業はフォトグラファー、人の写真を撮り続けて30年以上になります。広告、企業PR、各種メディアから、個人のアーティスト写真やビジネスプロフィール、地域の魅力の見える化のための写真まで、目的に合わせて様々な写真を撮っています。

ーーありがとうございます。30年間写真一筋のキャリアなのですね。ずっと写真がお好きだったのでしょうか?

たかはし:いえ、実は高校生までは漠然と学校の教員になるつもりで、教育学部のある大学への進学を考えていたんです。

ところが、高校2年生の時、当時憧れていた大学生の先輩から「学校の先生になって、君は何を教えられるの?」と言われたことがきっかけで自分の夢に疑問を抱いて…いや、心が折れてしまったと言った方が正しいのかもしれませんね(笑)

ーーまだ社会経験のない高校生には、難しい問いかけですね。

たかはし:はい、でもそれが結果的に「子供が好きだから学校の先生になろう、と漠然と抱いていた夢は、誰が決めたんだっけ?」と自身を振り返るきっかけになりました。

そして改めて将来の夢について考えた時に、せっかくなら楽しそうでかっこいい、素敵な仕事に就きたいと思い…思いついたものの一つが「写真」だったんです。その後東京工芸大学短期大学部写真学科に進学して、はじめて写真に触れました。

ーーそうだったのですね。そこからずっと写真に携わっているということは、ご自身に合っていたのでしょうか。他の仕事をやってみたいと思ったことはありましたか?

たかはし:他の仕事を考えたことはありません。大変なことがたくさんあったので、よそ見する暇もなかったと言えるかもしれません。

大変ではありましたが、プロのカメラマンになっていく過程で印象的なことがたくさんあったんです。カメラマンとしての指針になるような出会いや気づきの連続の中で「カメラマン」としての世界観が奥深く重層的になり、やめられなくなっていきました。

写真の表現って、ここまでやればOKというラインがないんですよね。掘れば掘るだけ、技術、センスが必要になり、磨かれていく。「十分」がないからこそ勉強し続ける、終わらない登山のような世界です。そんな写真の奥深さが自分にはあっていたのだと思います。くたびれる時もあるけれど、飽きずに続けてこられています。

思えば、元々は何かを追求していくたちでもなく、なんとなくぼんやりと中の上を維持しているような子供時代でした。高校受験あたりから、失敗や、前述のような心が折れる経験が増えていったのですが、そんな経験から道を外れる面白さを知ったのかもしれません。

NYのタイムズスクエアのビルボード を飾ったSTOMPのポスターもたかはし氏が撮影。当時日本人単独で初、モデルは当時STOMPで唯一の日本人メンバーだった宮本やこさん。

ーー続いて、たかはしさんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

たかはし:協働日本代表の村松さんのビジネスプロフィール写真を私が撮影したのが最初のご縁です。

協働日本にお誘いいただいたのは、丸七製茶さんの抹茶を使ったNFTアートの案件がきっかけでした。それまで、村松さんの活動自体はFacebookや、協働日本のインタビュー記事などで拝見していました。お話を聞いて改めて、顧客ニーズに合わせていろんなプロフェッショナルを巻き込んで行う、ブランディングや新商品の開発プロセスが新しく、面白そうだと思い参画を決めました。

現場と一緒に作り上げるライブ感が、クリエイティブに新しい可能性を産む。

ーーさきほど、丸七製茶さんのお名前も出ましたが、たかはしさんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

たかはし:協働日本ではこれまでに二社の撮影に携わってきました。一社は先ほどお話しした丸七製茶さん、もう一社は沼津三菱さんです。

まず、丸七製茶さんのNFTの案件ですが、「抹茶カラー」を新しく作ってNFTアートとして販売するというプロジェクトで、そのアート写真を手掛けさせていただきました。

実は、世界共通の色見本帳であるパントーンで「抹茶色」とされているカラーがあるんですが、丸七製茶の鈴木社長は「本当の抹茶の色とは違う!」という想いを持たれていて、丸七製茶の高品質な抹茶の色を表現したいということでスタートしたプロジェクトでした。

村松さんから相談を受けて面白そうだと思って参画を決めたのですが、僕は写真家であっても、色の専門家ではありません。そこで、一緒に勉強しながら表現方法を模索していくことになりました。例えば、同じカメラマンでも、人ではなく物撮りを専門としている人は、被写体の色を写真に残すための色の表現に詳しい。化粧品会社の方も、ポスターやカタログなどの紙面で化粧品の色を正しく表現する必要があるため、詳しいんです。そうやって色表現に詳しい方達に話を聞きながら表現方法の情報を集めていきました。

撮影方法についての情報を得た後は、液晶を通じて「見せたい色」を表現するためにどうしたらいいか?ということを考えました。色を定量的に表すためのルール(以下、色空間)として、私たちが一般的に使っているのはAdobe社のRGBや、Windowsの基準になっているsRGBなどがあり、それぞれの定義により表現できる色合いが変わるんです。

私たちが見せたい「抹茶カラー」を表現するために、どの色空間を使うか、それぞれの特徴を調べて辿り着いたのがApple社の提唱するP3でした。WindowsのsRGBの色空間に比べると、緑・赤系統にsRGBにはない鮮やかな色が含まれるため、抹茶の色を表現するのにはちょうどいい!とひらめき、P3で抹茶の色を表現するNFTアートの誕生に至りました。

NFTアート作品の撮影自体もとても勉強になりましたが、お茶を作っている畑も実際に伺うことができたのも面白かったですね。

撮影したお茶の背景にあるお茶屋さん、お茶農家さんなど、物語がよく見えてくるので。そういった背景も、写真から感じ取ってもらいたいと思いながら撮影をしました。

丸七製茶の「抹茶色」NFTアートの撮影

ーー写真家としての経験や強みを活かすのはもちろん、専門外の部分を勉強しながらも、丸七製茶さんの想いを形にしていったのですね。沼津三菱さんではどのような写真を撮られたんですか?

たかはし:沼津三菱さんの新ブランドGranWorksのイメージ写真の撮影に伺いました。

撮影は日帰りで1回のみという時間制約の中で、齊藤社長はじめ現場の皆さんと一緒に臨みました。いざ撮影してみると、車の形によって想定通りの光にならず、光の当て方を試行錯誤するなど大変な面もあったのですが、沼津三菱の皆さんも積極的に提案をしてくれたので、当日のやりとりの中から「本当に見せたいもの」が伝わってきて、僕の中での輪郭がさらにはっきりしてきました。

僕の仕事は、「見せたいもの」を写真にすることなので、明確になった沼津三菱さんの「見せたいもの」を説得力のある形に落とし込むということへのやりがいを改めて感じました。

ーー現場でクライアントから色んな提案を受けながら撮影をすることは珍しいことなのでしょうか?

たかはし:そうですね。普段は広告代理店を通じてオーダー通りの写真を撮って納品するということが多いので、現場で直接意見をお聞きしながら臨機応変に撮影することは、実はあまりありません。

撮影の現場では最終責任者や意思決定者が不在のケースも多いので、その場でアイディアが湧いたり、違った意見が出ても大きく方針を変えることはあまりできないという事情もあり。一方で、現場で責任者も交えながら柔軟に対応しながら作り上げていった今回の撮影は、ライブ感があり楽しかったですね。

その場で「やっぱりこうした方が素敵に見えるかもしれない!」という気づきがあったり、今回は無理だったけど、次回はこんな風にしたらいいかもしれないねという会話があったりと、より新しい可能性や次に繋がる新たな視点が生まれるんじゃないかと感じました。

もちろん、決まった時間で決まったテーマがある撮影にも良い点はたくさんあります。広告やイメージ作りには「正しい」手法はないと思うんです。

それでも、一緒に作り上げていく方がより正解につながりやすいという感じがあります。そういえば、撮影の休憩時間に若い技術者の方がお二人で、僕が乗ってきたボロボロのプリウスを洗車してくれたんですよ!それがあまりに自然で格好良かったので、撮影して納品してしまいました。

これもライブ感の1つですね。余談ですが、洗車していただいてからはやっぱり長い間綺麗だったので、沼津三菱さんの技術の高さも体感できてすごく嬉しかったですね。

GranWorksでの撮影風景。出来上がった写真はこちら

ただのいい写真、の一歩先へ。見せたいもの、背景が伝わる写真の追求

ーー協働日本での活動を通じて、たかはしさんご自身の変化を感じることはありますか?

たかはし:先ほどお話しした通り、専門外のことも勉強しながら挑戦したので学びは多かったですね。また、やはり「目的が重要」であることも痛感しました。ただ良い写真を撮るだけではなく、目的に合わせた写真を撮ることがカメラマンの仕事です。誰に向けた写真なのか、どう見られたいのか・どう見えるかを意識したイメージこそが説得力を持つんです。

協働プロの皆さんの伴走によって、パートナー企業の皆さんの思考・思想・ビジョンが明確になっているからこそ、僕と一緒に撮影に臨んだ時に「こういう写真が欲しい」という”明快”な判断につながったと思うんです。軸があるからこそ、僕の提案にも柔軟に反応してくれて、良いものを一緒に作り上げることができた。

ここまで「自分たちで考えてやってきた」というプライドや自信が、プロダクトの写真表現の説得力に繋がっていく…まさに、協働日本の伴走支援ならではの良さだと感じました。

この気づきを得てからは、本業の方でビジネスプロフィールなど人物写真の撮影をする際には、必ずセルフブランディングをしてもらってから、それに合わせて撮影するようになったんです。「見せたい自分の姿」を「誰に見せる」のかをご自身で考えていただくことで、表情も変わる気がします。そしてそのイメージを形にするのが僕の仕事ですから、やりがいを感じます。

セルフブランディングが曖昧な、ただの「いい写真」を撮るよりも、自分で考えて一緒に作り上げた写真の方が、満足感も高くなっているように思います。

また、タイプは違いますが、町おこしや企業の魅力の見える化のような仕事の中でも、協働日本でやっているような「彼らに考えてもらう」ことをベースにすると、さらに魅力を深掘りして表現できそうだなとも思っています。

ーー協働日本での経験がたかはしさんの写真家としての活動に良い影響を与えたのですね。そういえばたかはしさんは、協働日本に参画される前から、地域の魅力発信のためのプロモーションなどのお仕事もされているんですよね。

たかはし:そうですね。故郷の新潟で子供時代のびのびと暮らせた当時の思い出が、その後カメラマンとしての山あり谷ありの経験を支えてくれている実感があり、新潟に恩返しをしたいという想いがベースになって「新潟の福祉をおもしろくの会」や町おこし、地域の魅力の見える化といった活動に関わるようになりました。

また、町おこしに外部の人が関わった結果、地域と折り合いがつかなくなってしまうような残念なケースを目にすることがありました。みんなその地域の人のためにやっているのにどうしてこんなことになるのか?というモヤモヤした想いを抱き、だからこそ、地域の人の為の活動では、「現地の人が幸せでないといけない」と強く想っています。

ーー確かにおっしゃる通り、地域の人に自分で考えてもらっての町おこしや魅力の発掘というのは、「現地の人の幸せ」と直結しそうですね。

たかはし:今は雑誌や広告とは違う形で、多くの人に簡単にイメージを見てもらえるようになりました。

だからこそ、さらに先の写真──「いい写真+」の重要性を感じています。撮影側として、写真の背景や撮影までの過程をいかに工夫できるかが大切になってきます。

撮影前のやり取りの中で、セルフブランディングをしてもらったり、その土地の魅力を自分たちで考えてもらったりというプロセスがあることで、写真から背景が伝えやすくなっていくと思うので、これからもそのプロセスを大切にして行きたいと思っています。

岩手県の職人の仕事風景を撮影するひとコマ

最終的に大切なのは「人」。協働日本の情熱は何よりの強みになる。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

たかはし:多様なスキルを持った方々が、協働プロや協働サポーターのような形でスキルを持ち寄り、共通の課題に向き合っていくというような、フレキシブルで柔軟な働き方は今後日本中で増えていくと思います。

参加したいという人も、同じようなことをする会社も増え、協働日本自体も大きくなっていくと取捨選択するシーンも出てくるのではないかと思うのですが、最終的には「やっている人」が何よりも大切だと思うので、村松さんや協働プロの皆さんの魅力である「正直」「情熱」「信頼できる」といったパーソナリティが強みになっていくと思います。

これまで携わったプロジェクトもすごく面白い取り組みだったので、引き続き僕も挑戦していきたいと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

たかはし:ありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします。


たかはし氏と協働プロジェクトに取り組んだ企業さまからもコメントをいただきました。

沼津三菱自動車販売株式会社 代表取締役 齊藤 周氏

弊社の洗車とカーコーティングに特化した、新しい自社ブランド「Gran Works」のイメージ写真を撮影していただきました。

当日は非常に細部までこだわって下さり、コンセプトがお客様に伝わる素晴らしい写真を撮って頂きました。今後ともぜひよろしくお願いいたします。

丸七製茶株式会社 代表取締役 鈴木 成彦

今回、たかはしさんとお茶の「色」にこだわって挑戦し、改めて色について少し詳しくなることができました。この経験はいずれどこかで役に立つと思います。

弊社は食品企業ではありますが商品を単なる撮影するだけでなく、永久に何らかの価値を生むことができないかと考えてNFTアートにすることに挑戦しました。プロカメラマンであるたかはしさんとのコラボで、可視光線のことや色を定義することの難しさ、そもそもリアルな商品としての色をデジタルにするとデバイスの特性によって表現されるものが異なることなど、普段知り得ないことも含めて色々と学ぶことができました。

デジタルアートの未来についても、デバイスの特性や、秘めている可能性について思考が深まりました。抹茶の美しい緑色を永久保存しようとしましたが、現実には超えなければならないハードルがまだまだ無数にありそうだと思いました。

結果が出るのはこれからですね。是非またよろしくお願いします。



たかはし じゅんいち / Junichi Takahashi

新潟市出身、1989年-2008年New Yorkで広告、雑誌、音楽、舞台などの分野で活動。現在は日本、東京在住。
2009年News Week の「世界で尊敬される日本人100人」選出、NIHONMONO中田英寿さんの日本の旅 (2009-2017)に同行、自身のプロジェクトとして、市井の日本人の魅力を撮影するNIPPON-JIN project(2008-)。
アスリート、職人、伝統芸能、工芸、日本酒、ART、ビジネスなどを取り巻く世界が大好物。日本の様々な美意識に惹かれています。
日本各地には宝がいっぱい…地域に関わることやPR(出身地の新潟や佐渡、縁が出来た福島や岩手、宮城など)、障害、LGBT、誕生と終焉など、関わり方を模索しています。

JUNICHI TAKAHASHI
https://www.junichitakahashi.com/

たかはし じゅんいち氏も参画する協働日本事業については こちら

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協働先企業「丸七製茶」さまから、日本一の抹茶を使ったチョコレートとNFTアートが同時発売発売されました

世界最高の抹茶チョコ

『丸七製茶』(所在地:静岡県藤枝市、代表取締役:鈴木成彦)から、日本一の抹茶を使ったチョコレートとNFTアートが同時発売され大きな反響が寄せられています。
日本一の抹茶を使ったチョコレートとNFTアートを同時発売|丸七製茶株式会社のプレスリリース

丸七製茶さまと協働日本は、長く協働取り組みを実施しており、今回の世界最高品質の茶葉を使用したNFTアートの発表に際しても、世界的なプロフォトグラファーであり、協働プロとして活躍中のたかはしじゅんいち氏に本プロジェクトへ参画頂き、本プロジェクトをご支援させていただきました。

たかはし じゅんいち

JUNICHI TAKAHASHI
https://www.junichitakahashi.com/


今後も協働日本では、日本中の伝統工芸や地域の素晴らしい食文化、老舗企業が培ってきた本質的な地力を活かしていきます。


株式会社協働日本 協働日本事業 の詳細については こちら