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VOICE:松尾 琴美 氏 -食を通じて、皆の幸せを実現する。ワクワクして前に進めるきっかけ作り-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で食のプロとして地域企業の伴走支援を行う松尾 琴美氏のインタビューをお届けします。

都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーを担当。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら、買いつけから商品企画開発までを担う松尾氏。

松尾氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

地方に眠る「日本のものづくりのフィロソフィー」の伝道師 

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、松尾さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

松尾 琴美氏(以下、松尾):はい、よろしくお願いいたします。
現在は、都内を中心に約60店舗展開する外食チェーンにてバイヤーとして働いています。全国の産地を飛び回り、生産者とのコミュニケーションを大事にしながら商品の買いつけを行い、そこからの商品企画、開発と一連の流れを幅広く担っています。

ーーありがとうございます。ご自身で食材の買い付けまで行っていらっしゃるのですね。食品に携わるキャリアはもう長いのでしょうか?

松尾:キャリアとして今は2社目、働き始めてもう10年ほどになります。最初はデザイン業界で働いていて、地方に眠る日本の伝統的な技術を発掘して、日常生活でも使っていただけるような商品に落とし込んだ自社企画品を海外の専門店や美術館、トップブランドなどに販売するという営業の仕事をしていました。ものづくりのフィロソフィーを日本人代表として売っていくこの仕事にはとてもやりがいを感じていました。ただ、会社が大きくなっていくにつれて、品物もニッチなものからよりマス向けになっていったりと、「ものづくりのこだわり」のような面白さが少しずつ薄れていってしまった感じがあったんです。そんな時に、仕事でお世話になっていたデザイナーの方から、今の会社のバイヤーのポジションが空いていて、合うと思うけどどう?と誘っていただいたことがきっかけで転職しました。

食品を扱うようになって感じたこととして、「食品」は人の生活に一番身近なものだなということです。前職で取り扱うものは、どちらかというと「嗜好品」で、より生活を豊かにするためのものでした。でも食品というのは、人の生活から切り離すことはできません。辛い時・悲しい時でも、食べないことには生きていけませんよね。辛い時でも温かいものや美味しいものを食べると、少しでもほっとできる…美味しいものを食べて不幸になる人はいません。そんな食べ物の持つパワーを感じて、この仕事を続けています。

協働パートナー企業の店舗にも足を運び、議論を交わす

ーー続いて、松尾さんが協働プロとして協働日本に参画されたきっかけについて教えていただけますか?

松尾:四十萬谷本舗の専務、四十万谷正和さんから紹介いただいたことがきっかけです。
10年間、バイヤーとして様々な地域を飛び回って色々な地域の資源を見てきました。その中には自社商品との相性などから、直接取り扱うことができない、ビジネスとして形にすることができなかったものもたくさんあったんです。知識やスキルが身についてきた実感がある一方で、それを活かし切れていないという思いがあったので、会社の中ではない別の場所や方法で活かせないか?と考えるようになっていました。

私は、金沢に大学の同級生も多くご縁が深くて、金沢エリアの若手経営者ともよくお会いして食事をすることがあったんです。そんな中でお付き合いのあった四十万谷さんにこの話をしたところ「ドンピシャで思い当たるところがあります」と言われてご紹介いただいたのが協働日本代表の村松さんでした。

ーー初めて協働日本の活動の話を聞いた時はどのように思われましたか?

松尾:率直に言うと、ポジティブさの溢れる会社だなと思いました。とても面白そうだけれど、具体的にどんなことをするのかというイメージは湧いていませんでした。それでも、協働という形で複業人材の活用をされている企業さんは多くなさそうですし、チャレンジしてみたら面白そうだなという思いで参画を決めたというのが正直な所です。

また、協働日本への参画を決めたのと同時期に、他の個人での仕事も受けるようになりました。自分にとって2023年はチャレンジの年でした(笑)。動き出した時には、「こんなことなら自分にできそうだな」となんとなく思っていたのですが、副業や協働日本での活動などの経験を通じて、自分は何者なのか?という輪郭がはっきりしてきたように思います。

自分にとっての「当たり前」が、誰かの気づきになる、複業人材の有効性。

ーー続いて、松尾さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

松尾:現在二社のプロジェクトに参画しています。一社は株式会社味一番フードさん、もう一社は株式会社ネバーランドさんです。

味一番フードさんは、石川・富山で、自家製麺の飲食店を経営されている会社さんです。今回は「新規事業を作りたい」というテーマで協働プロジェクトがスタートしました。協働プロとしては、枦木優希さんと一緒にチームを組んでいます。新規事業を作りたいものの、まずは何をやろうか?というところから皆で考えていく必要があったので、最初は味一番さんの持つ強み、得意とすること、やりたいこと、課題など時間をかけてじっくりヒアリングしていき…実際にお店や、セントラルキッチンの様子を見に視察に伺ったりしながら、できそうなことを3つくらいに絞っていきました。

その過程で、自分がこれまで当たり前に行っていた商品開発のための思考のステップを、パートナー企業の担当の皆さんが初めて経験されていることを目の当たりにしました。確かに、ずっと商品開発に携わってきた私にとって習慣になっていることでも、商品開発を初めて経験される地方の中小企業の方にとっては新鮮な気づきや考え方になるんだと思うと、改めて、地方の企業による外部人材の登用は有効だと感じました。

ーー確かに、誰しも経験の中で知識やノウハウを得ていきますものね。

松尾:そうですね。例えば、商品開発するにあたって「誰のための何なのか」という軸はとても重要です。アイディアベースで、思いついたことをあれもいいね、これもいいねと作っていくと、最終的に目的がブレてしまいます。

確かに大変で面倒な部分もあるのですが、一番最初にこのコンセプトの軸を突き詰めておくと、その後どんな商品の形にするか?などデザインやその後のプロモーションまでの骨格になるのでスムーズです。

これも経験してこそ重要性がわかることですよね。
味一番の皆さんとは温度感も近くて、毎回楽しく進んでいました。今回の伴走で皆さんが実感を持って商品開発の一連の流れを経験してくださったことでスキルが身につき、次回以降に自力で商品開発をする際に活かしていただくことができるのではないかなと思っています。

ーーまさに、最初の経験に伴走して、自立に繋げるという協働日本のスタイルですね。ネバーランドさんのプロジェクトはいかがですか?

松尾:ネバーランドさんは、鹿児島県長島町で養殖されている「茶ぶり」を1つのキーにして「世界に羽ばたく飲食店ブランド」として鹿児島市を中心に活躍されている会社です。今回のプロジェクトは、長島町からの依頼を受け、ネバーランドさんと一緒に地域活性化に繋がる新規事業や商品開発を行っていくというものです。こちらでは、協働日本CSOの藤村昌平さんと枦木さんの3名でチームを組んで伴走支援に当たっています。

現在は長島町に多く群生している国産ハーブ「アオモジ」を活用した商品開発を進めているところです。

ーー「アオモジ」初めて聞きました!

松尾:アオモジは、元々は長島町で街路樹などとしても植えられていたもののですが、一般社団法人和ハーブ協会という団体の方が町に来た時「国内でこんなにアオモジが植っているところはない、とても貴重なものですよ」というお話があったそうなんです。そんなに価値のあるものなら、何か町の特産として使えないか?ということでこのプロジェクトがスタートしています。

はじめは私も、どんなハーブなのかわからなかったんです。商品開発にあたって、どういう料理に使えるんだろう?と色々調べてみると、実は中華料理や台湾料理で使われる「マーガオ」というスパイスの別名だということがわかりました。このマーガオは数年前に流行していて、様々な特集やレシピも見つけることができました。
すでにマーガオを使ったクラフト焼酎を作られている方が鹿児島県内にいることもわかり、皆で試飲してみるなど、商品化に向けて情報を集め検討しています。

長島町に群生する、貴重な国産ハーブの「アオモジ」

複業人材との協働の中で見えた、自分の「プロフェッショナル」

ーー食品系の商品開発をされている松尾さんの強みを活かして活躍いただいていますが、協働の中でご自身の変化を感じることはありますか?

松尾:協働を通じて得た気づきは大きく2つあります。1つは、先ほども少し触れましたが、自分のスキルや強みが明確になってきたことですね。

ベンチャー企業で働いていると、自分の役割はあれこれ多岐に渡るので、自分は何のプロフェッショナルなんだろう?という自覚が湧きにくいんです。

ーー確かに、本業でも買い付けから商品企画・開発まで色々なさっているとおっしゃっていましたね。

松尾:そうなんです。でも、協働を通じて見えてきた自分の得意領域は「商品開発」、そして「食品」のプロフェッショナルなんだということが見えてきました。先ほどのアオモジとマーガオが同じハーブ、という気づきについても、食品目線で調理法などを調べていたことで見えてきた情報でした。こういった「発見」を通じて、「食」に関しては誰よりも強いんだ、という自信につながりました。視点の持ち方、ものへの理解や広げ方…10年間極めてきた「食」についてなら任せてほしいと思えるんです。協働プロのチームはメンバーそれぞれに得意分野があって、役割があります。誰も気づかなかった情報にも、自分の職の切り口からチームに貢献できた。自分もきちんと役割を担うことができるということは嬉しいですね。

味一番さんのプロジェクトでは、マーケターである枦木さんとのチームなので、枦木さんがブランディング、私はもっと商品開発の骨格部分を作るような役割分担。ネバーランドさんのプロジェクトでは、0→1の事業開発を藤村さんが、そしてやっぱりブランディングやマーケティングを枦木さんと私という分担でプロジェクトに当たっています。

普段は会社を超えて誰かとチームを組んで仕事をすることがあまりないので、それぞれのメンバーの得意分野の考え方や仕事の仕方は新鮮で、勉強になるんです!
伴走支援をしているけれど、私にとっても学びになっていて、すごく楽しめています。こういった、他者との協働の中で受ける刺激や学びが、得たものの2つ目ですね。

協働の中で、「あ、自分はこの分野についてはプロなんだ」だったりとか、「本当にこういう仕事が好きなんだな」みたいなところが、浮き出てくる、炙り出されて、自分のスキルが整理されていく感覚があります。こういった自分にとっての気づきがあるからこそ、仕事としてやっているのに勉強にもなっているのだと思います。

地域の魅力を引き出し、人も地域も元気にできるプロフェッショナル集団。

ーー松尾さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

松尾:どこまでいっても私の好きなことや得意なことは「食」に関することです。美味しいものは人を幸せにできる。どんな時でも、美味しいものを食べることが前を向くきっかけになることもある。そういう、食を通じて人の幸せに直結する仕事を続けていきたいなと思っているので、協働日本でもそんな活動をしていきたいなと思っています。

食を通じて人をワクワクさせたり、幸せを実現していくことが自分にとってのやりがいです。

ーー松尾さんにとっての仕事のテーマなんですね。そのように思うようになったきっかけはあるのでしょうか。

松尾:はい。きっかけは、3.11の震災復興支援の一環でずっと携わっている、「女川のさんまのつみれのスープ」です。宮城県女川市は、津波の被害がひどかった地域の1つです。3日間くらい孤立状態にあって、電気もなく、連絡もつかず、食べるものもない、生き残ったわずかな人たちで身を寄せ合っていたと聞きました。そんな時に、ある水産会社の方が自社の倉庫から、加工して保管していた「さんまのつみれ」を見つけたのだそうです。

調味料もなく、ただのお湯にさんまのつみれを入れただけのスープを作って皆で食べて──ほぼ味もないスープでしたが、「あったかい」というだけでほっと心が安らいだんだそうです。

あれだけの極限状態でも、食べ物に人を癒す力があったんだ、と実感しました。それ以来「美味しいものがあれば人は前に進める」と、食を通じた人の幸せの実現に向けて使命を感じるようになりました。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

松尾:協働日本は、柔軟にその地域に入りこみ、寄り添いながらその地域の魅力を引き出し、人も地域も元気に出来るプロフェッショナル集団だと思っています。集まっている協働プロは、経験豊富な方が多いので、パートナー企業からの「困ったこと」の相談があった時、それぞれの分野のプロフェッショナルがすぐにアサインされます。こんな組織、なかなかありません。

私は、地方の方が面白いものがたくさんあると考えているんです。様々な技術や資源が眠っている地方と、東京のスキルが掛け合わされることで、もっと面白いことが生まれるのではないか?それこそが「協働」じゃないかな?と。

これからも協働を通じて、もっと面白く、日本全国の地域が活性化するような取り組みを、皆でできたらいいなとと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

松尾:ありがとうございました!


松尾 琴美 / Kotomi Matsuo

コピーライターの父と、料理好きの母のもとに育つ。幼いころから語学に興味を持ち、高校時代にアメリカへ留学。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、日本のものづくりをベースとした、デザイン雑貨の企画/開発を行うイデアインターナショナルに入社。海外事業の立ち上げに従事し、アメリカ/ヨーロッパを中心としたマーケットの開拓を行う。

その後、新たなもモノ作りの分野に挑戦したいと現職に従事。バイヤーとして全国の産地に足を運びながら「美味しい」にとどまらないストーリーのあるモノづくりを目指し、食材の買いつけから商品企画開発まで幅広く手掛ける。

食のサステナビリティに強い興味を持ち、2023年よりChefs for the blueへ参画。

松尾 琴美氏も参画する協働日本事業については こちら

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STORY:株式会社キラガ 太田 喜貴氏 -「お友達とジュエリーで遊べる宝石店」協働日本との壁打ちで気づいた強みを活かして売上200%に増加-

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社キラガ  常務取締役の太田 喜貴氏にお越しいただきました。

株式会社キラガは、創業40年・宝飾品の製造、加工、卸売、小売を行っている総合宝飾品メーカーです。静岡県の富士山の麓にある豊かな自然に囲まれたエリアに、こだわりのジュエリーと開放的な庭を備えた宝石工房を構えています。

私たちの生活に豊かな彩りを与えてくれる宝飾品ですが、コロナ禍で苦境に立たされることに。そんな中、地元の同友会での講演会をきっかけに、協働日本がマーケティング戦略から、現在では事業全体の方向性策定やIT導入、採用試作まで幅広く伴走させて頂くことになりました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・小田川菜津子)

(左)常務取締役 太田喜貴氏 (右)代表取締役社長 太田喜克氏

コロナ禍の2021年、苦境に立たされたジュエリー業界へ

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

太田 喜貴氏(以下、太田氏):

よろしくお願いします。もともとは長く商社に勤めてIT分野でB to Bビジネスに関わっていたのですが、コロナ禍で人と会う機会が減り宝飾品業界全体が業績不信に苦しんでいる状況を両親から聞き、父が創業した株式会社キラガへ、約2年前の2021年に戻り常務に就任しました。

やはり課題は多く、売上も3割、4割減のような状況が続きどうにか現状を打破しなければという危機感を抱えていました。

そんなある日、地元の同友会の会合で協働日本さんの講演を拝見したことが、協働日本さんとの最初の出会いでした。

講演後にあらためて時間をとって、経営における現状の危機感を伝えつつ、協働日本さんの協働という支援体制を理解しました。現状を打破していくべく、ぜひ協働日本さんと取り組みをしたいと考え、まずは自社の理解とマーケティング面での課題を整理したく、まずはそちらを一緒に進めていくことから、取り組みをスタートさせました。

ーーなるほど。きっかけについてよく分かりました。太田さんは、もともとIT分野でのご経験が長かったとのことで、当時、ジュエリー業界に飛び込んでみて驚いた点や特徴などはありましたか?

太田氏:

まず驚いたのが、お客様も企業側も高齢の方が予想以上に多かったことですね。分かっていたことではあったのですが、お客様は60歳以上の方が多く、関わる取引先企業もメールではなくFAXや手書きの伝票を求められることが多いです。

自分はITの業界でB to Bをやってきた人間なので、最初は勝手の違いに戸惑うことも多かったですが、今は掛け算の発想で前職の経験も活かしてもっとジュエリー業界にITのやり方を持ち込んでいけたらな、と思っています。保守的な部分が多い業界ですが、柔軟な発想で楽しみながら、「高い、ダサい、怪しい」なんて思われがちなジュエリー業界を変えていきたいと思っています。

色々と考えている仕掛けはたくさんあるのですが、今はほんと時間が足りないといった状況ですね。

ーーお話をお聞きしていて、業界を変えていきたいという熱い想いを感じます!続いて現在、協働日本と進めている協働プロジェクトについて、どういったお取り組みをされているのか教えて頂けますか。

太田氏:

2022年4月から協働プロの方々と一緒にプロジェクトを始めさせていただいて、現在は取り組みを始めて2年目になります。

初年度はマーケッターの枦木 優希さんも入ってマーケティング戦略、ブランディング戦略を丁寧に言語化していきました。2年目の現在は向縄さん、和地大和さん、田中紋子さんの3名体制で、当社側は私の1名が参加して4名の協働チームで、マーケティング戦略や事業全体の方向性、人事施策まで含めて週に1回壁打ちをおこなっています。

エンドユーザー様への直販へと事業を拡げるため、自社の強みの整理や競合との比較、どのようにして認知から購入までつなげていくかなどマーケティング戦略から始まり、それがひと段落したタイミングからは、事業全体の方向性やIT、人事施策まで幅広く一緒に考えていただいています。

他の企業様の事例も読ませて頂きましたが、プロジェクト単位でのお取り組みが多い中、当社はかなり広いテーマを一緒に議論させていただいている印象です。

協働プロとのミーティングの様子

試行錯誤の中で磨いた唯一無二の強みで売上高200%ベースへ

ーー協働日本との取り組みの中で、どのような変化が事業(企業)に生まれましたか?

太田氏:

これまで当社は宝飾品の卸売りを主業にやってきたのですが、やはりそれだけだと粗利率が上がらない、コロナ禍の状況もあってこれだけだとこの先やっていけないかもしれないという危機感から、エンドユーザーへの直販に販路を広げていこうと、まずは「いかに直販の売上を上げるか」の壁打ちをとにかくやらせてもらいました。

約半年間をかけて、自社の強みの理解、コンセプトの策定、店づくりの強化など、協働プロの皆さんと一緒に、「ああでもない、こうでもない」ととにかく議論を重ねたことで、当社にしかない強みを言語化することができたと思います。

うちは街中にあるようなショップではなく、豊かな自然に囲まれた富士山の麓に工房を構えているので、まずはどうやって出歩く機会が少なくなったお客様に工房まで足を運んでもらうか、が重要なポイントになります。

人づてで紹介して頂くといった集客施策をやったり、訪問販売を始めてみたり、どれも一定の成果と手ごたえは感じたものの、抜本的に売上を伸ばすことには繋がらなかった。

そこで気づいたのが、「自分たちから見た強みは理解しているけれど、お客様から見たときの当社の魅力をきちんと理解していないのではないか?」ということです。

そこで、お得意様にアンケートを取るなどヒアリングをしたところ、当社の、特に店舗の強みは「お友達と来てジュエリーで遊ぶことができる空間」があるということが分かりました。

ーー凄く魅力的なキャッチコピーですね。それは、お客様や協働日本との対話の中で生まれたのでしょうか。

太田氏:

はい。そもそもうちのお店では、お客様がいらっしゃったらまず靴を脱いでスリッパに履き替えて頂く。そうやってリラックスした状態で、商品に自由に触って、好きなだけ試着をして頂ける。

お買い求めいただく際にもし価格についてのご希望があれば、お客様には「お値段についてもぜひ、ご相談ください」と伝えています。こちらからそのようにお伝えすることで、お客様にとっても安心して商品をお買い求めいただける環境をつくっています。無理なときは無理ですと率直にお伝えしますので(笑)、ぜひお気軽にご相談いただけると嬉しいです。

こうした自由な空間、「ジュエリーで遊ぶ」という体験自体に価値があるのだと、お客様から教えて頂きましたし、そのきっかけが生まれたのはやはり協働日本さんとの議論があったからこそですね。

富士山の麓に構えた店舗。リラックスしてジュエリーを楽しめる空間づくりを心がけているという
ーーその1年目の取り組みを経て、現在売上などの状況はどのように変わりましたでしょうか。

太田氏:

おかげさまで、協働が始まってから売上金額は200%達成ベースで成長しています。

当社の魅力をしっかりと言語化し、店頭でのコミュニケーションを改善したことも成果に繋がっていますが、発見したキラガの強みである「リラックスした状態でお友達とジュエリーを楽しむ」をWeb上でも展開しています。

実は、直販での試行錯誤を経て、現在はSNS経由でのライブコマースでの販売に力を入れており、高額商品もライブで購入していただけるような機会が増えました。

これは当社のスタッフのアイデアで始めてみたのですが、まずはライブコマースを頑張っている他企業様の配信にゲストという形で出演させて頂きノウハウを身に着けさせていただきました。

今では公式LINE、YouTube、Instagramなど各SNSで自社アカウントの運用もおこなっています。どれも私自身が出演しているので、「私の稼働量=売上増」のような状況になっているので、それはこれから打破していかなければと思っていますが。

経営者のメンタリティで伴走してくれる協働日本は、思考と行動の精度を上げてくれる良き相談相手

ーー現在、貴社に関わっている協働プロ協働サポーターの印象をお聞かせください。特に心に残っているエピソードなどがあれば教えてください。

太田氏:

いつも丁寧に率直に疑問点や意見を言ってくださっています。経営をしている中で急いで進めないと成果が出ないと焦ってしまう中、「ここが整理できないと先に進めない」とストップをかけてくれるので、その都度立ち止まってしっかりと考えることができる。

結果として、その後の活動の進み具合が良くなったと思います。経営面も含めて、立場上なかなか社内には相談できる相手がいないので、協働日本の皆さんと話すことで自問自答するきっかけにもなるのが嬉しいです。

あと、実は一番助かっているのは、伴走を経営者のメンタリティをもって柔軟に伴走してくれる姿勢ですね。

先ほど話したライブコマースなどの出演もあり昼間に時間を取るのが難しく、協働プロさんとの打ち合わせが始まるのは大体夜遅くからのスタートになってしまうことも多いです。私が単独でプロジェクトに参加しているのも、この時間がネックとなり当社社員の参加が難しいという点もあるのですが、そんな遅い時間からの打ち合わせでも、複業という形で参画する協働プロの皆さんに柔軟に対応頂けているというのが本当に有難いです。

打ち合わせでは時々、協働プロの皆さんから「太田さんの行動量は凄いですが、一日中働いていたら身体を壊してしまいますよ」とご指摘を頂くことも(笑)

一日中働くようなハードワークの日々の中でも、協働プロのみなさんと話すことで、私自身の行動の結果の精度を上げてもらっている感覚があります。おかげさまで、やるべきことの優先度づけがスムーズにできています。

ーーちなみに、以前から都市人材や複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

太田氏:

複業人材との取り組みには興味があり、SNSの運用などの単発作業で複業人材を活用することはこれまでもありましたが、この取り組みのように複雑な課題に長期に取り組むことは初めてです。

今回しみじみと思うのは、当社のような業界、特に中小企業では、他商材に精通しているマーケティングのプロを自社で採用・育成することが難しく、たとえ採用できたとしてもマーケティング予算などの問題もあり、その方のスペックをフルに活用して頂くことは難しいですよね。

他業界や他製品の事例を踏まえて、議論してくれる人材と出会えるのは複業人材の強みであり、「現実的な費用負担」の面からも企業にとって大きなメリットがあると感じています。

ーーこういった複業人材との取り組みは今後、広がっていくと思いますか?

太田氏:

今後世の中としてもますます広がっていくと思いますね。自社人材やノウハウだけでは時代の流れについていけなくなることに危機感を覚えたとき、現実的な選択肢の一つになってくるのではないでしょうか。

ーーこれから協働日本はどうなっていくと思いますか?エールも兼ねてメッセージをいただけると嬉しいです。

太田氏:

今後、もっと実績が重なることでさらに広がっていくと思います。

一方で、事業の内容は短期成果がでるものではないため、良さを理解してもらうための啓蒙活動や実際に伴走支援を受けた人が、協働日本の良さをうまく説明できるサポートが必要だと思います。

ーーまさにそうで、この記事を通じてぜひ多くの皆様に協働日本の取り組みを知って頂ければと思っております。本日はお時間を頂きありがとうございました!

太田氏:

この協働という形が広がることで地方の中小企業の動きが活発になると嬉しいなと思いますし、私も周りに良さを伝えたいと思えるサービスです。

引き続きよろしくお願いいたします!

 太田 喜貴 / Yoshitaka Ota

株式会社キラガ 常務取締役

2012年、北海道大学工学部を卒業後、豊田通商株式会社に入社。主に自動車業界を担当し、オフィスITシステムの全世界展開や、中国駐在を経験し中国自動車製造ラインのシステム立ち上げなどのプロジェクトに従事。
2021年より、父が創業者である株式会社キラガに入社。常務取締役に就任。管理部門、小売部門の統括を行う。

株式会社キラガ
https://rings-kiraga.com/

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協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、現代の名工、荒木陶窯 第15代玉明山 荒木秀樹氏と、奥様であり同社取締役の荒木亜貴子氏、そして伴走支援を担当した協働プロの田中友惟氏にお越しいただきました。

荒木陶窯は、約425年の歴史ある薩摩焼の窯元です。伝統的な薩摩焼の器を買い求めるお客様が全国から訪れる他、個展の開催を各地で行うなど薩摩焼の制作販売を行っています。薩摩・鹿児島の伝統文化の担い手として、薩摩焼の流派の一つである「苗代川焼」の保存のため、苗代川焼伝統保存会の運営や、次世代に伝統を伝えていく活動も積極的に行っています。

そんな伝統ある窯元も、生活様式や購買行動の変化によって従来の販売形式や作品の見せ方を変える必要に迫られ、顧客へのアプローチに課題を抱えていました。荒木陶窯の魅力をどう表現すれば購買に繋がるのか──協働プロと共に今一度荒木陶窯のありたい姿を考えることに挑戦されました。

今回は協働日本との取り組みのきっかけや、支援を通じて生まれた変化についてお聞きしました。さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についてメッセージもお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

鹿児島県 令和4年度「新産業創出ネットワーク事業」発表会の様子(右:荒木秀樹氏、左:荒木亜貴子氏)

これまでの「当たり前」と向き合い、ありたい姿の徹底的な言語化

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは協働日本との取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

荒木 亜貴子氏(以下、亜貴子):協働がスタートする前年にHPのリニューアルをして、ECサイトについても活用方法を考え直したいと思っていたんです。相談先を探して情報収集をしていたところ、鹿児島県とも事業を進めている協働日本のことを知りました。鹿児島県在住の協働プロである浅井南さんに実際にお会いした際に、「協働日本の伴走支援は荒木陶窯さんに合うんじゃないかな?」と仰っていただいたんです。ちょうどこれからの時代の変化への不安から、チャンスがあれば色んなことにチャレンジしたいと思っていたタイミングだったので、すぐにお願いすることに決めました。

そこから協働がスタートして7ヶ月間、本当にあっという間に過ぎていきました。

ーーなるほど、タイミングがとてもよかったんですね。具体的にどんなお取り組みをされていたのでしょうか。

亜貴子:はい。週に一度、オンラインミーティングをお願いしていました。目先の課題はECサイトの活用についての悩みだったのですが、蓋を開けてみると、さらに大きな2つの課題を抱えていることがわかりました。1つは、購買層の変化や購買チャネルの変化により、顧客への有効的なアプローチ方法がわからなくなっていたこと。そしてもう1つは、荒木陶窯の魅力をどう表現すれば購買に繋がるかわからないという点です。そこで、まずは基本に立ち返るため、オンラインミーティングで「荒木陶窯のありたい姿や価値を言語化」していくことになったんです。

最初は協働プロとして藤村さん、枦木さんを中心にミーティングに入っていただきました。オンラインが中心ではありましたが、時折実際に工房までお越しいただいて、実際に作品を見ていただいたり対面でディスカッションをしたりして、対話を深めていきました。

実際のところ、荒木陶窯のこと、作家の想い、普段の様々な仕事のこと…全てのことについて改めて言語化する作業はなかなか大変でした。毎週のミーティングでは、協働プロから「問い」をいただくんです。自分たちの想いは?製品の良さは?──今まで当たり前のこととしてじっくり考えることのなかったものばかりでした。普段の業務の中ではなかなか時間も取れず考えもまとまらないので、車での移動時間のような隙間時間にずっと考えていました。答えなんて出ないんじゃないか…と思うこともありましたが、不思議なことに考え続けて1週間が経つ頃には「これだ」というものが思い浮かんでくるんです。

浮かんできた答えを持ってミーティングに臨み、それに対してまた新たな「問い」をいただく。この繰り返しでどんどん荒木陶窯業のありたい姿、本質的な価値の解像度を高めていきました。言語化を続けていって最終的に辿り着いた、私たち荒木陶窯のありたい姿、本質的な価値は「作り手も使う人もワクワクする薩摩焼をつくる」ことでした。

左:田中友惟氏、右:荒木亜貴子氏

ーー協働プロである田中さんから見て、亜貴子さんの言語化の過程はどのように映りましたか

田中友惟氏(以下、田中):亜貴子さんのすごいところは、どんどんレベルアップするところなんです。問いに対して深掘りを続けていくと、問いに対する答えの質であったり、表現の仕方が、前の週では絶対に出てこなかっただろうなというものに進化している。本当に事業、そしてご自身と向き合って考え抜いた結果なのだと思います。

ーー協力し合いながら真剣に深掘りをされていったのが伝わってきます。「ワクワクする薩摩焼」というキーワードに到達するまでには、どんな道のりがあったのでしょうか。

亜貴子:ここに至るまでにはまず、作り手である主人が「どんな思いで作品を作っているのか」ということを引き出さなくてはいけなかったんですが、そこに難航しました(笑)そこで、協働プロとのミーティングの中で出てきた主人の言葉を思い出しながら、キーワードをとにかくたくさん書き出してみたんです。「あんなこと言ってたよね」と書き出しては「でもこれが本質的な価値なのかな?違うな」と自省しては全部消して、という作業を繰り返していって……最後にパッと浮かんできたキーワードが「ワクワク」でした。

ーー作り手である秀樹さんの「ワクワク」ということですか?

はい、初めはそういった作り手側の「ワクワク」の意味で思い浮かんだ言葉だったのですが、作り手側の想いを表すのと同時に、作品のプロモーションをしていく私自身の「ワクワク」であったり、手に取ってくださるお客様の「ワクワク」にも繋がっていくんです。
悩んでいた顧客層へのアプローチや作品作りの方向性など、全てを網羅する、軸になる言葉だ!と思いました。

田中:実はこの「ワクワク」というキーワードは、秀樹さんと私たちが個別にお話ししている時にも出てきていたものなんです。とても印象的だったので覚えています。「ワクワクする薩摩焼」が、ご夫婦の共通する秘めた想いだったのかもしれませんね。

荒木 秀樹氏(以下、秀樹):言語化の作業は全て妻に任せていて、その中で自分の想いはなかなか言葉にできなかったですし、自分が過去に「ワクワク」という言葉を使ったことも実はあまり覚えていません(笑)でも、やはり作品を前にすると熱く語れる部分があるので、作品について話をしている時に自然と想いが溢れていたのかもしれませんね。協働プロという外部の人が入ってくれたからこそ、夫婦二人では普段語ることのない部分を引き出してもらえたように思います。

協働プロとのオンラインミーティングの様子

協働を通じて、過去の自分たちにも、この先歩む未来にも、自信を持てるようになった

ーー言語化した後、実際の業務にも変化はありましたか?

亜貴子:はい。ある程度の言語化ができてきたところで、今度はそれをどう活かすか?という議題に変わっていきました。

言語化した荒木陶窯のコンセプトをブランドガイドラインに落とし込み、表現の指針として可視化。それを元に、顧客へのアプローチを変えていったんです。具体的には、ECサイトの写真や、展示会での作品の見せ方を変えています。協働がスタートする前は作品をシンプルに見せるようにしていましたが、荒木陶窯の魅力や商品の「ワクワク感」が顧客に届く設計に変えたんです。例えば食器だけを写した写真ではなく、食べ物を盛り付けした写真を使用することで、利用シーンを想像してお客様に「ワクワク」してもらえるようにしています。写真をリニューアルする際にも、協働プロとして活動されているフードコーディネーターの方にもご協力いただいて撮影しました。おかげさまで、食事風景がリアルに思い浮かぶような「ワクワクする」素敵な写真になりました。

展示会でも、こういった写真をポップとして活用したことでお客様との会話のきっかけにもなり、ただ食器を展示していた時に比べてコミュニケーションの質が向上していきました。

「顧客視点」、「言語化した魅力を伝える」ことを意識するように工夫することで、徐々に売りたい商品が売れるようになっていっている実感があります。

利用シーンを想起して「ワクワク」できる写真へ

ーーなるほど。元々迷っていらっしゃったECサイトの活用や顧客へのアプローチも「荒木陶窯らしい」ものに変化したんですね。作品作りにおいても何か変化はあるのでしょうか?

秀樹:そうですね。実は元々、作品作りの転換期でもあったんです。展覧会に出すような大作はずっと命懸けで作っていましたが、大型の壺などがほとんどで、日常生活にあまり馴染みがなく、気軽に手に取ってもらえるようなものが少なかったんです。もっと多くの人に薩摩焼の良さを知って欲しいと考えていたので、伝統も守りつつも、手に取ってもらえるような新しいものも作りたいという想いを持っていたんです。

亜貴子:主人がぽろっとその想いを口にしたことがあって。伝統ある薩摩焼を、もっと気軽に手に取ってもらえる、使ってもらえる、というアイディアはとてもいいなと思いました。そこで、数年をかけて「テーブルウェアを作ってみない?」と説得したんです。

結果として、できあがった食器はモダンでいいねと選んでもらえるようになったので、挑戦してよかったと思っています。

秀樹:そんな転換期において、ターゲットが定まっていなかったのもあって、なんとなく「綺麗なものや華やかなものが売れるのでは?」と考えて「売れそうなもの」を作ってみたのですが、作り手である私は全然ワクワクできなかったんです。やっぱり作り手自身がワクワクしていないと、良い作品にはならない。「作り手も使う人もワクワクする薩摩焼をつくる」というコンセプトは、作品作りにおいてもすごく腑に落ちる言葉でした。ワクワクしながらより良い作品を作っていこうと自信を持って思えるようになりました。

ーー振り返ってみると、これまでも「ありたい姿」でいたことを実感されたんですね。

亜貴子:そうですね。これまで考えていたことも間違いではなかったんだと思えたんです。また、ターゲティングや顧客へのアプローチについて悩んでいた頃は、あれもこれもと手を出さずに何か一つに絞らなくてはいけないのかな?とも考えていたのですが、ガイドラインを作ったことによって「ワクワクできる」なら、どんなものでも挑戦していいんだ、それが新しい「秀樹の荒木陶窯らしさ」なんだ、と胸を張れるようになりました。

「これまで」と同じように「これから」も、自信を持ってワクワクする作品を作り、ワクワクしながら手に取ってもらえるようにしていきたいと思っています。

伝統的な薩摩焼の一つ「白薩摩」は、白地に絵付けをしたものがメジャー。荒木陶窯では、絵付けではない「彫文」や「波文」という、形で魅せる新しい表現に挑戦している

未知の取り組みだった「複業人材との協働」は、永く繋いでいきたい「人と人」の縁になった

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には、以前から興味はありましたか?

亜貴子:そういった働き方があるということを、実は知らなかったんです。でも実際に取り組みを経験してからは画期的な仕組みだと思っています。田舎にいて、主人としか話さない日々を過ごしていると、世の中から離れていきますし、顧客層の考えからも遠くなってしまいます。ビジネスシーンの第一線で働く人の考えを聞くことができたのは、私にとってとても刺激的でした。他の企業の方に、「どうだった?」と聞かれたら、迷いなくよかったと伝えられます。

秀樹:やっぱりお一人お一人が魅力的だったのが印象に残っています。皆さんとの対話の中でそれぞれのバックグラウンドが見えてくる。そこからも学べることが多かったと感じています。

陶芸という商品の性質上、コストが減った、売上が倍増した、などの具体的な結果をすぐに出すためのものというよりも、この経験がこれからの人生に活きる、自分に対する投資という感覚も大きいです。

ーー最後に、それぞれへのエールも込めてメッセージをお願いします。

亜貴子:これからもどんどん需要が増えていくのではないでしょうか。コロナがあったからこそ、遠方の複業人材ともオンラインで繋がって取り組みを進めるという形も皆抵抗なく受け入れることができると思います。私も受け入れた結果「こんなに便利な世の中になったんだ」と思えましたから。

協働日本の皆さんは、ますます活躍されると思います。 

秀樹:皆さんと知り合うことができて、とても刺激的で楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。半年強という時間は短かった。3年、5年と続けていきたいご縁です。

何年か経ったらまた改めて協働をお願いしたいと思っています。それぞれ更に進化されて、学びも楽しさも、更に大きなものになっているだろうと考えるととても楽しみです。

田中:7ヶ月間本当にありがとうございました。鹿児島県出身である私自身も知らなかった更なる薩摩焼の魅力や歴史を改めて学びながら、鹿児島の伝統工芸と向き合うことができて、とても貴重な機会になりました。知れば知るほど魅力が溢れる荒木陶窯さんの作品、私も一人のファンになりました!

これからも荒木陶窯さんから生み出される「ワクワク」を、私もワクワクしながら楽しみにしております!

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

秀樹・亜貴子:ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

荒木 秀樹 Hideki Araki

荒木陶窯 15代 代表

1959年11月1日生
1983年 日本大学芸術学部美術科彫刻専攻卒
1985年 同大学研究課程修了
2020年 苗代川焼・朴家15代襲名
2020年 「現代の名工」卓越技能者厚生労働大臣表彰
日本工芸会正会員
日本陶芸美術協会会員・日本伝統工芸士会会員
鹿児島県美術協会会員・苗代川焼伝統保存会会長

https://shop.arakitoyo.com/

荒木 亜貴子 Akiko Araki

荒木陶窯 取締役

荒木秀樹の妻。平成18年より取締役として経営に携わる。
ブランディング、マーケティング、作品の販売などの業務を担い、荒木陶窯の作品作りを支える。

「荒木陶窯」様の事例を含む、鹿児島県での地域企業の協働事例はこちら

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら
VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく –

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-


NEWS:鹿児島での荒木陶窯さまとのお取り組みをご紹介いただきました(LOCAL LETTER MEMBERSHIP)

「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」にて荒木陶窯さまとのお取り組みをご紹介いただきました

株式会社WHEREの運営する地域共創コミュニティ「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」にて、荒木陶窯さまとのお取り組みをご紹介いただきました

副業ではなく協働で事業推進。伝統と時代の変化で葛藤した窯元の事例 | LOCAL LETTER

協働日本は、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和4年度の「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、鹿児島県内12社の地域企業様の伴走支援を行っています。

先日2/17(金)には、その報告会を鹿児島県庁にて行い、いくつかの事業者様に発表会へお越しいただき、約半年間の協働の取り組みと成果を発表いただきました。

記事の中で、約425年前から受け継がれてきた薩摩焼を作り続けている由緒ある窯元である荒木陶窯さまの取り組み発表から、「副業ではなく協働で事業推進。伝統と時代の変化で葛藤した窯元の事例」と題し、協働日本が協働で生み出した変化や、実際の伴走支援の雰囲気などをご紹介いただきました。

詳細についてはぜひ、LOCAL LETTERの記事をご参照ください。


荒木秀樹 さん 荒木陶窯代表 / 苗代川焼15代玉明山 / 現代の名工 / 日本工芸会正会員 / 日本伝統工芸士

ご紹介した事業について
協働日本事業

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鹿児島で熱い「協働」が続々誕生中!県庁での発表会の様子をご紹介します|協働日本|協働を通じて、地域の活性化と働く人の活性化を実現する。|note(外部サイト)


株式会社協働日本は株式会社WHEREと業務提携し、同社が立ち上げた、“地域課題” や “社会課題” の解決に取り組む地域共創コミュニティ「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」へパートナー企業として加盟しております。

2022年3月3日|【43団体加盟】SNSでは広く、社内だと狭すぎる。個の時代に“ちょうどいい”繋がりを実現するコミュニティ。|株式会社WHEREのプレスリリース

LOCAL LETTER MEMBERSHIP とは
「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」は、暮らしている場所や個人、企業・行政が持っているスキルや経験に関わらず、地域や社会へ主体的に携わり、変えていく人たちの学びと出会いを提供する場所がつくりたい、という想いで立ち上げた地域共創コミュニティ。
LOCAL LETTER MEMBERSHIP

株式会社協働日本 協働日本事業 の詳細ついては こちら

STORY:山岸製作所 山岸晋作社長 -挑戦する経営者にとって、協働日本は心強い伴走相手になる-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、株式会社山岸製作所 代表取締役社長 山岸晋作氏にお越しいただきました。

山岸製作所は1936年創業の金沢の家具販売会社で、輸入家具やインテリアの販売、内装工事設計・施工のほか、オフィスのトータルプロデュースも手がけています。

暮らし方を提案するインテリアショールーム「リンテルノ」や、働き方の提案を行うオフィスショールーム「リシェーナ」を通じて、新しい「暮らし方」「働き方」を売る会社としても注目を集めています。

孤独な戦いも多い経営者にとって、協働日本は心強い伴走相手だと語る山岸社長。
今回は協働日本との取り組みのきっかけや、支援を通じて生まれた変化についてお聞きしました。

さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についても、経営者の視点からメッセージをお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

必要としていたのは、同じ当事者意識を持って悩んでくれる仲間だった

ーー本日はよろしくお願いします。今日は、進行中のプロジェクトについてだけでなく、お取り組みのきっかけになったエピソードなどもお聞きできればと考えております。

山岸晋作氏(以下、山岸):はい、あらためて本日はよろしくお願いします。

ーー協働日本では、週次の定例ミーティングをはじめ、先日も山岸製作所60周年記念イベントで協働日本代表の村松がモデレーターとして登壇するなど、様々な機会をご一緒させていただいております。
両社の取り組みがスタートしたきっかけとは、どんなものだったのでしょうか?

山岸:きっかけは同じく金沢で事業を展開している、発酵食品の老舗、四十萬谷本舗の四十万谷専務からのご紹介でした。

以前、事業について悩んでいた際、四十万谷さんとの会話の中で「相談相手として、良い人がいるよ」とご紹介してくださったのが協働日本代表の村松さんでした。

四十万谷さんがかねてより、都市圏複業人材と協働をスタートしており、成果を挙げられていたことは聞いていたので、興味を持ちました。

ーー四十萬谷本舗の四十万谷さんからのご紹介でしたか。四十萬谷本舗さまとのお取り組みは協働日本の第一号プロジェクトです。そこからご縁があったのですね。

山岸:ご紹介いただいて、実際に会ってみて驚きました。

こちらの悩みを聞いて一緒に議論をしてくれるなど、楽しくお話をさせていただいた後、てっきり最後は営業されるのかと身構えていたのですが、その後の契約などの話はせずに帰っていったのです。

ーー信頼できる方からのご紹介とはいえ、身構えていた山岸さんからすると、それは驚きでしたね。

山岸:かえって印象的で、気になってしまいました(笑)その後も、村松さんはじめ協働日本の方々は金沢に仕事で来る際に必ず、弊社に立ち寄ってくれるのです。

協働プロのみなさんがこぞって、弊社にお越しになられたこともありました。お会いするたびに、世の中のトレンドをご紹介いただいたり、事業についての壁打ちや、これからの働き方や暮らし方の議論をして帰っていかれました。

村松さんはじめ、協働日本の方々はとても情熱的で、そうして何度もお会いしている内にだんだんと、定期的にこの人たちと話がしたい、悩みを聞いてもらいたいという気持ちが強くなっていきました。

ーーコミュニケーションを重ねていく内に、山岸さんのお気持ちに変化があったんですね。

山岸:最後は私の方から一緒に取り組みをスタートしたいと伝えさせていただきました。

協働日本のみなさんからは、「こういう方向で解決して~」のようなアドバイスは一切なく、いつも「どうすれば眼の前の課題や、世の中の変化に一緒に立ち向かえるか」という視点で議論してくれます。それが本当にありがたかったですね。

当時から正直な話、外部からのコンサル的なアドバイスはあまり求めていませんでした。それは事業に関する課題はとても膨大で、それらは一つ一つが独立したものではなく相関しあっており、一朝一夕に解決の糸口が見つかるようなものではないと感じていたからです。

アドバイスを実践するだけで解決するなら、とっくにやっていますと(笑)

むしろ必要としていたのは、同じように当事者意識を持って、事業の課題に向き合って悩んでくれる仲間でした。そのため、そういった心意気で向き合ってくれようとしていた、協働日本のみなさんと取り組めることは、経営者としてとても心強かったです。

議論を繰り返し、根本の価値観を徹底的に言語化

ーーありがとうございます。続いて、現在どのようなプロジェクト進めているのか具体的に教えていただけますか。

山岸:暮らし方を提案するインテリアショールーム「リンテルノ」 での売上を向上させるための社員教育をお願いしています。

あらためて今、社員教育に向き合っているのは、ブランド代理の物売りになってしまっていることへの危機感そして限界を感じていることが背景にあります

弊社で取り扱っているブランドはどれも魅力的なブランドではありますが、そのブランドの力に頼り切りになってしまっては、これから先ビジネスを続けていけないのではないかという不安感がありました

山岸製作所がこれから売っていかなくてはいけないのは、「暮らし方」そのものと定義しています。

だからこそ、山岸製作所の存在意義や、なぜこのブランドを取り扱うのかということへの言語化を進めておかなければ、その先行き詰ってしまうだろうと思ったのです。

社員だけじゃなく私自身も、その場に参加して議論を進めています。

ーー社員教育として、外部人材である協働プロとの議論の場を設定しているのですね。とてもユニークな取組だと思います。
その議論はどういった形で進めていらっしゃるのですか?

山岸:ショップのリーダーを含めた社員3名と、協働プロの皆さんで、オンライン上で毎週打ち合わせをしています。

議論のイメージを一言で言うならば、魚をもらうのではなく魚の釣り方を教えてもらっている、といった感じでしょうか。考え方のヒントや、議論のサポートは手厚くしてくださいますが、結論はあくまで私達自身が言葉にしなくてはなりません。

 毎回、「お客様はなぜ山岸製作所に家具を買いに来るのだろうか」といった議題や課題を設定してもらい、そこに対する参加者の考えを深めています。

協働プロに壁打ち相手になってもらい、互いに議論を繰り返していくことで、目先のWHAT(何に取り組むか)ではなく、根本にあるWHY(なぜそれが必要か、なぜそれをやるのか)を徹底的に言語化しています。

そうして言語化されたWHYからもう一度、事業を捉え直し、新たなマネタイズモデルや今後の事業の戦略を描いています。

私たち一人ひとりが売っているものは何か、より良い暮らしとは何か。これからの山岸製作所にとって重要な価値観を、自分たちで悩み、意見を交わしながら考えていくことに大きな意義を感じています。

一緒に暗闇を歩いてもらえる勇気こそが一番の価値

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

山岸:それまでは弊社にも実績はなく、実のところ興味もさほどありませんでした。

もちろん、そういった働き方や取り組み自体は、新聞やテレビのニュースでは見聞きしていました。副業人材のジョブマッチングは、ほとんどが課題解決型の人材提供のモデル。それらはきっと、企業の課題や取り組むべき次のアクションがはっきりしている場合は有効だろうなと思っていました。

弊社の場合は、先ほどお伝えしたように課題が複雑で、試行錯誤中の新しい取り組みだったということもあり、そういったジョブマッチング型の副業人材との取り組みでは成果が挙げられないと思っていました。

ーーだからこそ、協働日本の「伴走支援」の形が山岸さんの課題感にフィットしたんですね。

山岸:そうですね。一緒にひとつのチームになって課題に向き合ってくれる協働日本のスタイルであれば、もしかすると上手くいくかもしれないという期待感がありました。

しかしそれでも、正直初めのうちは不安もありました。これまで形のないものにお金を支払っていくという文化も弊社にはなかったですし。

まして、一般的なコンサルティングでも、請負でもない、新しい「協働」という形の支援をどのように社内に展開、定着させていくのか。本当に効果があるのか。社員からの反応もふくめて、はじめは不安だらけでした。

ーーなるほど。取り組んでいくうちにその不安は解消されましたか?

山岸:はい、解消されたと思います。その証拠に、一緒に取り組んでいくうちに社員の自主性が急激に磨かれているのを実感しました。

協働プロの皆さんには、弊社の社員も交えて、一緒にディスカッションをする時間を作ってもらっています。協働プロから一方的に教わるのではなく、フレームワークに落とすような進め方でもないので、議論の中から社員のアイディアや気づきも出てきます。

人から教えられてその通りにやるのではなく、自分たち自身で考えて、自分たちが体験したことを伝えるのが山岸製作所の価値なんだと、参加する社員が強く実感し大きく変化してくれました。

今では社員が週次の議論を楽しみにしてくれています。「次はこのテーマをディスカッションしたいです!」なんて声も(笑)

協働プロの皆さんに頼り切りになったり、判断を委ねないように私達自身も当事者意識を持つことはとても大切です。それを心がけながらも、親身に伴走してくれるのは心強いですね。

ーー企業や社員の挑戦に伴走する、協働日本らしい支援の形ですね。

山岸:支援をする側にとっては、ある程度の答えを持っておき、すでにあるフレームワークに当てはめて議論を進めていく方が絶対楽なはずなのに。あえて協働日本の皆さんは一緒に暗闇を歩いて模索し、時には遠回りもしてくれる。

だからこそ議論に参加している社員の納得感があるんです。こういった変化は、一般的なコンサルティングや請負では生み出すことができないと思います。

一方で、このような進め方は正直、お互いに勇気のいることだと思います。言い換えれば私は一緒に暗闇を歩いてもらえるその勇気を買っていると言い換えてもいいかもしれません。

多くの経営者は暗闇を歩いているようなものでいつも心の中に不安を抱えています。だからこそ私にとっては、私と同じ熱量で、同じように不安感を持って、恐る恐るでも一緒に歩いてくれることが大きな価値なのです。

「協働」という取り組みを選んだことが間違いではなかったと実感しています。

複業人材の拡がりは、地方の企業にとって追い風に

ーー関わっている協働プロ協働サポーターの印象をお聞かせください。

山岸:協働プロの皆さんがそれぞれ山岸製作所の課題に対して、本当に真剣に向き合ってくれており、正直驚いています。

それぞれ皆さん表情や感受性が豊かなので、真面目な議論も固くならずに和やかな雰囲気で進められています。

素直でオープンに意見をぶつけてくれるので、お互いにいい意味で遠慮なく濃い議論ができていると思います。穿った見方や、押さえつけるような言い回しをしないので、弊社の社員との議論も安心しておまかせできます。能力はもちろん、人柄が良い人ばかりですね。協働日本は。

ーーお褒めの言葉ばかりで大変恐縮です。
山岸さんはこういった複業人材との取り組みは今後どうなっていくと思いますか?

山岸:今後、ますます広がっていくと思います。

ただ一方で、複業人材の取扱い方を間違って失敗する事業者も増えそうな気もします。

たとえば弊社の場合は、複業人材をコンサルのように使ったり請負業者のように扱わなかったことが、大きな成功要因だったと思います。弊社の課題が複雑で抽象度も高かったのもありますが、課題解決型の人材マッチングの成功イメージが沸きませんでした。

はじめから、様々な経験や知見を持った複業人材を、一緒に課題に向き合っていく仲間として捉えて、共通の課題に取り組んだことが結果として良かったと思います。部分部分で仕事を振って、パートナーに頼りきりになるのではなく、常に自分たちが主語になるような形で取り組みを進めたことで、主体性を持って結果を取り扱うことができるようになりました。

自社に必要なのは、どんな形で関わってくれるパートナーなのか、しっかりと整理した上で取り組みを進めるべきでしょう。

ーー地域企業にとって、複業人材の広がりはどのように映りますか?

山岸:協働日本の協働プロの力を活用して思ったことですが、これまで地方は吸い取られるばかりだと思っていたけれども、こうした取り組みがもっと広がるということは、場所や時間の制限なく、東京や大阪の人材や情報を活用することができるということです。

日本中どこにいても一緒に仕事をするパートナーを見つけることができるというのは、地方の企業にとってはとても追い風になる時代だと思っています。言い換えれば、我々地域の企業の経営者は現状に甘えていられませんね。

協働日本さんもどんどん、全国でこういった協働事例を作っていってください。応援しています。

ーー弊社へのエールもいただきありがとうございます。今日は色々なお話をお伺いできました。

山岸:本日はありがとうございました。

今後、協働日本により多彩な人材が集い、多くのチームが編成され、多様性を広げていく先に、あっと驚くような事例が日本中で生まれていくと信じています。

山岸 晋作 Shinsaku Yamagishi

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら

VOICE:協働日本CSO 藤村昌平氏 -「事業づくり」と「人づくり」の両輪-

VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく-

VOICE:協働日本 横町暢洋氏 – 二足の草鞋を本気で履いて生み出した変化と自信 – | KYODO NIPPON


VOICE:協働日本 枦木優希氏 -本質的な「価値」を言語化し、歴史ある老舗企業の未来に貢献していく-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本にてマーケティングを通じた企業支援に取り組む枦木 優希(はぜき ゆうき)氏です。

米国の大学を卒業後、大手飲料メーカーのサントリーへ入社し、オールフリーをはじめとする人気ブランドの戦略策定や新製品開発などを経験。その後、外資大手食品メーカーのダノンや、マースジャパンでマーケティング、ブランディングの経験を積み、その後はアマゾンジャパンでAmazon Prime Videoのマーケティング戦略のシニアマネージャーとして活躍。

現在は独立し、フリーランスのマーケターとして企業、NPOなど複数社のクライアントに対しマーケティングプロジェクトのマネジメントや戦略策定、アドバイザリー業務などを行っています。

協働日本でも、全国の様々な業種業態の地域企業と協働に取り組んでいる枦木氏。協働日本に参画したきっかけや、実際の取り組みの様子、これまでのキャリアの軌跡など、今後、協働日本を通じて実現したい想いと共に、インタビューで語りました。

(取材・文=郡司弘明)

枦木優希氏(写真右)と、パートナー企業で400年以上の歴史を持つ「荒木陶窯」15代目 荒木秀樹氏(写真左)

全国各地の地域企業とご一緒できることは、やりがいも学びも多い

ーーよろしくお願いします。枦木さんはこれまで、数々の有名企業でブランド戦略の策定などを推進し、マーケッターとして活躍されてきたと伺っております。現在のお仕事について教えてください。

枦木 優希(はぜき ゆうき)氏(以下、枦木):よろしくお願いします。いまは地域事業者を支援する協働日本での活動のほかに、数社とマーケティング関連のプロジェクトマネジメントや戦略策定、アドバイザリー業務などを行っています。

一社は、デンマークのブランドエージェンシーでブランド戦略の策定を通じて、大企業からスタートアップ、政府機関など幅広く支援をしています。他には、社会的価値とビジネス価値の両立を目指すソーシャルスタートアップでマーケティング戦略のアドバイザーとして働いたり、子どもの放課後をより豊かにすることに取り組むNPOでも活動しており、ここでもマーケティング領域での支援を行っています。

そのほか、都度、様々なマーケティングに関するご相談を企業や個人の方からいただいて、マーケティングに関するアドバイザリーなどをさせていただいています。

ーーまさにプロのマーケッターと呼ぶべきご活躍ですね。現在、協働日本でマーケティング領域のプロフェッショナル(協働プロ)として携わっているプロジェクトはいくつありますか?

枦木:現在、協働日本では5つのプロジェクトを通じて、各地域の企業をご支援しています。それぞれの企業の課題に応じた協働プロによるチームを編成し、その一員として協働型の伴走支援を行っています。

ーー支援先企業は近い業種や業態なのですか?実際に取り組まれていてどのように感じていますか?

枦木:支援先の企業はそれぞれ業種も業態もバラバラです。地域もそれぞれ異なります。しかしどの企業も素晴らしい商品やサービスを持っていて、協働日本との取り組みにも前向きに取り組んでくださっているので、ご一緒している私自身もやりがいがありますし、学ばせていただくことも多いです。

より「人と人との繋がり」が感じられる活動に参加したいという思いが強くなっていた

――枦木さんが協働日本に参画するきっかけはどんなものだったのでしょうか?

枦木:協働日本に参加する前に通っていた「大学院大学至善館」での学びが間違いなくひとつのきっかけです。協働日本代表の村松さんと出会ったのも、その大学院でのご縁でした。

至善館では、哲学、宗教社会学、システム思考、公共政策など幅広い分野をリベラルアーツの一環として学べるカリキュラムだったのですが、そこでの学びを通じて、今まで当然だと思っていて深く考えず前提にしてしまっていた事柄が相対化され、色々な気づきがありました。

その中で資本主義的な物の行き過ぎや、大きなシステムの中に個人の生活が取り込まれてしまうことへの課題意識が自分の中に生まれました。

より人と人との繋がりが見えたり、感じられるコミュニティ起点の活動に参加したいと思っていた中で、卒業生である村松さんが協働日本を立ち上げて独自のスキームで地域企業の伴走支援事業を行っていることを知り、意義に共感して参画を決めました。

――協働日本へ参画したことで枦木さんご自身の変化や、新たに獲得した視点などはありますか?

枦木:今まで複数の企業で働いてきましたが、その中で体験した変化や組織毎の違いと比較しても、協働日本でご一緒する企業が持っている志や背景、課題はより多様で、それぞれがよりユニークだと感じています。

日々のプロジェクトの中で新たな発見があり、自分自身の視野が広がるのがとてもありがたいと思っています。

また、日本のそれぞれの地域が本当に様々な価値を持っていることに気づきます。その多様性が画一的な何かに飲み込まれるのではなく、生き生きと持続していく未来に少しでも貢献できればと思っています。

これまで大切にしてきた強みと、マーケティング思考が組み合わさることで変化が生まれた

ーー枦木さんと地域企業の取り組みについて、全国で素敵な変化が生まれているようですね。いくつか実際の取り組み事例をご紹介ください。

枦木:取り組み先のパートナー企業の一社に「まつさき」という金沢で創業約180年の老舗旅館がいらっしゃいます。こちらとは半年近くプロジェクトで関わらせていただいております。

取り組みのきっかけは、新型コロナウィルスの感染拡大の影響もあり、社会情勢やライフスタイルが大きく変わる中で、旅館業としてのパフォーマンスを改善していきたいという先方の課題感でした。

協働日本と取り組みをスタートさせた直後から、課題となるテーマの洗い出しをしていくと、平日の稼働率の向上が柱になりそうだということが分かってきました。
今はさらに客単価の高いお客様に来ていただくための価値づくりや、情報発信などの戦略も組み合わせ、複合的な課題にチームで向き合っています。

ーー枦木さんの気付きや、「まつさき」さまに生まれた変化はありましたか?

枦木:歴史も伝統もあり、それに裏打ちされた確かなおもてなしがある。これはまつさきさんの一番の強みだと再認識しました。

世の中の動きの中で、価値がうまく伝わらなくなっていたり、昔ながらのやり方を少し工夫するだけで、その本質的な価値が、再びお客様に伝わるようになってくると思っています。

まつさきのみなさんは、マーケティング上、欠かせない「お客様視点」を元々しっかりと持たれていました。
そのため我々が、フレームワークや仮説立て、検証方法など、新たな視点を提供し、一緒に議論を進めるなかでみなさんの中で生まれた気づきが、これまで大切にしてきた強みとうまく組み合わさり、良い方向に変化が生まれ出してきています。

この変化は、週に1回の打合せの中でも日々変化を感じているところです。外部の目を取り入れたことで大小様々な好循環、化学反応が起きはじめています。

ーー老舗企業の経営者にとって、会社の存在意義や理念をあらためて徹底的に議論できる相手がいることはとても心強いですよね。

枦木:我々協働日本が、孤独な戦いも多い、挑戦する経営者にとって心強い伴走相手になれていれば、こんなに嬉しいことはありません。1936年創業の金沢の老舗家具販売会社「山岸製作所」もパートナー企業の1社なのですが、代表取締役の山岸晋作さんの新しい挑戦に我々も伴走させていただいております。

代表の山岸さんはいま、会社を大きく変えようとされています。それは、輸入家具やインテリアの販売、内装工事設計・施工というこれまでの主力事業を強化するだけでなく、「豊かな生活」そのものを提案できる会社への進化です。

そこで重要なのが、ブランディングを強化していくこと。ブランディングを考えるにあたってまず、山岸製作所自体の提供価値を考えることからご一緒しています。日頃の多忙な業務に追われていると、「山岸の提供する価値」はという本質的な問いを深掘りする時間がなかなか持てませんが、週に一回の伴走型支援の場で我々を壁打ち相手として活用いただき、山岸製作所のブランド価値の言語化を進めていただいています。

週に一回の時間を使って、事業開発と並行して、企業価値そのものの言語化を進めてきたことは様々な好循環を生み出しており、お客様に対するエクスターナルなブランディング施策だけてなく、インターナルブランディングも着実に進みだしています。

400年の歴史と持つ伝統事業者とともに次の時代の新しい価値を作る

ーー枦木さんは、400年を超える歴史を持った薩摩焼の伝統事業者である「荒木陶窯」さまとも協働に取り組んでいます。ぜひこちらも取り組みの様子を教えてください。

枦木:先日、鹿児島へ赴き、現代の名工でもあるご主人の荒木秀樹さんと直接お会いしてきました。
取り組み自体はちょうど2ヶ月目を迎えたところなのですが、実際に窯元を見学させていただき、お話をじっくりと伺っていく中で様々な事が見えてきました。

荒木さんご自身も、薩摩焼の伝統窯として伝統的な価値を守りつつも、時代に合った新しい価値を作っていきたいという想いを強く持たれており、このお取り組みからぜひ新しい「荒木陶窯」の価値を作っていけたらと思っています。

ーーそれはどういった背景からでしょうか?

枦木:インターネットの普及などにより、従来の販売チャネルが急速に変化し、自社EC など新たな購買チャネルへの対応も迫られるなか。お客様に対して荒木陶窯の提供する新たな価値や想いをどのように表現していくべきか。歴史ある伝統的な窯元であるがゆえの悩みに直面されていました。

伝統と技術に裏付けされた評価も既にあり、鹿児島の特産品としての人気も高く、「薩摩焼といえば荒木陶窯」という文脈の中でたくさんのお客様がお店を訪れてくれていました。

しかし、先述の変化の中で、長い歴史に裏打ちされた価値、15代目である秀樹さんが新たに創りあげようとされている価値を、新たな受け手を想定しながら言語化し、適切な形で伝えていくことが一層重要になってくると感じました。

いかに荒木陶窯の新しい挑戦の本質的な価値を言語化し、製品を含めた包括的な体験としてお客様に届けるか、マーケッターとしての自身のこれまでの経験を活かしたいと思います。

新しい視点や切り口が化学反応を生む瞬間にワクワクも生まれる

ーーお取り組みを進めていく中で、パートナー企業の変化を感じる瞬間はありますか?

枦木:プロジェクトの初期段階はお互いを理解するフェーズで少し緊張感があったりもしますが、一度一つのチームになると色々なことが有機的に進み始める感覚があります。それが「協働」というアプローチの良いところだと感じています。

プロジェクトでご一緒される経営者の皆さんは、誰よりも事業のことを考え、日々、試行錯誤をされています。事業に対しての志を共有しながらも、協働メンバーが提供する新しい視点や切り口が化学反応を生み、経営者の方がワクワクし始め、チームとして取り組みが進み始める瞬間に立ち会えると嬉しくなります。

国内外の企業で積み重ねてきたマーケッターとしての経験を活かしていきたい

ーーそんな枦木さんはこれまでマーケッターとしてのキャリアをどのように歩んできたのか、これまでのキャリアについてもお聞かせいただけますか。

枦木:大学時代はアメリカで過ごしており、テキサスの大学を出ています。卒業後は日本でサントリーに入社しました。 そこで飲料やビールのブランディング業務に携わることになりました。

ものづくりがしたい、その商品の価値を広めていきたい、という思いで入社した会社でしたので、希望する部署で仕事ができたことは、本当に幸運でした。 

ーーその後、ご転職をされたわけですが、どんなことがきっかけだったのですか?

枦木:沢山のことを学んだ会社で、入社から多様な製品やプロジェクトに関われたことは大きな財産となっています。

6年ほど勤めているなかで、マーケティング、ブランディングの領域を自身のキャリアとして考えるようになりはじめました、「他の会社ではどんなアプローチをとっているのだろう?」などと色々興味が出てきて、まだ、血気盛んな若者だったこともあり(笑)、最初の転職を決意しました。

ーーその後のキャリアについてもぜひお聞かせください。

枦木:転職先のダノンジャパンではブランドマネージャーとして子ども向けのヨーグルトのブランドを担当することになり、より広くマーケティング、ブランディングの経験を積むことができました。自分のアクションやその結果がよりダイレクトな形で自分に戻ってくる、外資系企業ならではの面白さを知ったのもダノンでの経験でした。

そこから、マースジャパンで複数のブランドをマネージメントする役割につき、メンバーの育成や、複数のマーケットで展開するグローバルプロジェクトをリードする経験を得ることもできました。

その後、楽天に転職してマーケティングのキャリアを積む一方で、大学院に通いはじめ様々な学びを得たことも、冒頭でお伝えしたように、その後のキャリアを見つめ直すきっかけになりました。

仕事の方では、アマゾンジャパンの動画サブスクリプションサービス、Amazon Prime Videoのマーケティング戦略のシニアマネージャーとしての仕事を経験し独立、現在という流れです。

いま協働日本での協働を通じて、日本の地域企業や老舗企業の可能性を広げ、価値を最大化していく取り組みをしていますが、これ自体もWHYの部分に共感してスタートした取り組みなので大きなやりがいを感じており、自分自身が求めていた働き方が実現できています。

人や知恵が連携するきっかけになるような組織へ

――それでは、最後の質問です。これから協働日本はどうなっていくと思いますか?

枦木:協働というコンセプトを中心に、日本に存在する色々なモノゴトの間にある様々な垣根をしなやかに越えて、人や知恵が連携するきっかけになるような組織になったら面白いと思います。ちょっと意外な化学反応が日本各地で起こるといいなと思っています。

――インタビューへのご協力ありがとうございました!

枦木:ありがとうございます!私はもちろん、所属するすべての協働プロが、地域企業との取り組みに熱い想いを持っています。協働日本が提供する伴走型支援にご関心ある地域企業様はぜひお声がけください。

枦木 優希
Yuki Hazeki

フリーランスマーケター

大学卒業後、サントリー(株)に入社。飲料事業、酒類事業において複数のブランドのブランド戦略策定や新製品開発などを経験。その後、ダノンジャパン、マースジャパンにおいてグローバルブランドのマネジメントやマーケティングチームの育成などに従事。アマゾンジャパンでは、プライムビデオ・シニアマーケティングストラテジーマネージャーとして課金サービスのマーケティング戦略策定を行う。現在は、フリーランスとして企業、NPOなど複数のクライアントに対してマーケティング関連のプロジェクトマネジメント、戦略策定、アドバイザリー業務などを実施。

専門領域
事業戦略、ブランド戦略、マーケティング戦略、商品開発戦略

人生のWHY
「人間」らしくやりたいナ

枦木優希氏も参画する、協働日本事業については こちら