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STORY:有限会社三吉商店 石橋隆太郎氏 -70年続いた会社を守る、使命と覚悟。もやしの食シーンに新たな付加価値を-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社三吉商店 代表取締役の石橋 隆太郎氏にお越しいただきました。
三吉商店は、1953年創業のもやし製造会社です。

日本の食卓ではお馴染みの「もやし」ですが、人口減少に伴う消費量の低下や原料種子高騰、後継者不足など環境の変化を受け、この30年間でもやし製造会社は300社ほどが廃業に追い込まれています。

今では北陸三県で唯一の「もやし屋さん」となった三吉商店は、もやしだけではなく「もやしを食べるシーンに付加価値をつけたい」という想いで新規事業をスタート。

もやしを美味しく食べるためのドレッシングの製造・販売という、もやし製造会社の新たな挑戦となるプロジェクトに協働プロが伴走しました。

インタビューを通じて、協働プロジェクトに取り組みはじめたことで生まれた変化や得られた学び、これからの期待や想いについて語って頂きました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

もやしを食べるシーンに新しい価値を。事業の黒字化に向けて協働日本の取り組みをスタート。

ーー本日はよろしくお願いいたします。はじめに、これまでの事業の歩みや協働を決めたきっかけを教えていただけますか?

石橋 隆太郎氏(以下、石橋):はい!よろしくお願いいたします。

三吉商店は、私の祖父が創業して70年を迎えた所謂「もやし屋さん」で、私で3代目になります。経営を引き継いでからは、日本の人口減少に伴う消費量の低下により、売上が低下していくリスクに直面。新しい事業に挑戦する必要性がありました。

もやし製造会社でよく行われているのは、もやしの製造販売の傍らカット野菜を販売する事業ですが、これはすでにレッドオーシャンとなっています。
そこで改めて一から「もやしの価値ってなんだろう?」と考えて、ついに至ったのは「もやしを食べる場面自体に付加価値をつけよう」というアイディアでした。

もやしの特徴である「味がないところに味がある」──どんな味にも変化し、食感を加えることができるという点に着目し、その味付けをするための調味料を作ることにしたんです。

そうして出来上がったのが、完全無添加にこだわった「nohea」という調味料ブランド。ドレッシングをはじめ、焼肉のたれやパスタソースなど色々な種類の調味料を作りました。出だしの売れ行きは好調で、大手の高級志向のスーパーにも置いてもらえて毎月の売上も800万円ほどあったのですが・・もやし以外を売るのは初めてだったこともあり、流通の仕組みや売り方などの設計が上手くいかず、その内情としては赤字続きという結果でした。

さっそく営業体制を変えるなど試行錯誤してなんとかやりすごしてきましたが、70年続いた会社の事業が上手く行かなくなっている現実に、先代、先先代に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。協働日本を知ったのはちょうどその頃で、石川県主催の経営塾で同期だった四十萬谷本舗の四十万谷専務からの紹介がきっかけでした。普段から事業のことを話していたので、協働日本の伴走支援について教えていただき、興味を持ちました。

no-heat、no-addedが売りの「nohea」の無添加ドレッシング

ーーそうだったのですね。そこからすぐに伴走を決めたのでしょうか?

石橋:実は、同時期に銀行によるコンサルティング支援の活用も考えていたこともあり、協働日本との取り組みがスタートするまでには実際には1年ほどかかりました。

当初、私は「赤字を黒字に変えたい」ことを念頭に置いており、その目的のため、まずは銀行による財務面のコンサルを受けて、徹底的な原価計算と、採算性を見てたくさんあった商品ラインナップの絞り込みを行いました。

少し財務状況が改善したこともあり、満を持して、事業を伸ばしていくためのオフェンシブな施策を協働日本にお願いすることにしました。

ターゲットとコンセプトを選定し、新たに獲得した販路は「同業者への販売」だった。

ーー実際協働がスタートしてからはどのようなプロジェクトが進んでいるのでしょうか?

石橋:問屋の仕組みなども全くわからないところからのスタートだったので、まずはマーケティングや売り方を学ぶこと、自社の魅力・価値を知ることから取り掛かりました。協働チームは、協働日本CSOの藤村さん田村元彦さん、加藤彩乃さんの3名、三吉商店からは工場長、営業、そして私の3名が入っています。

一番に取り組んだのは自社の価値を知るための仮説を立てることです。その中で、「今、本当は何を一番売りたいのか?」という問いを立ててもらい、一度立ち止まって考えてみました。出てきた答えは「もやし屋のまかないダレ」でした。

「もやし屋のまかないダレ」

ーー「nohea」のドレッシングや各種調味料の改良アイディアではなかったんですね。

石橋:そうなんです。最初にお話しした通り、ドレッシング事業を始めるきっかけとなったのは「もやしにかけたら美味しくなるもの」を作りたいという想いでした。

本当にやりたかったことはもやしにかける美味しいタレを作ることだったのに、気づけば手を広げすぎてしまっていたんですね(笑)。

色々な商品を作るようになった背景には、「もやしダレ」を最初に作った時にあまり売れなかったことがあります。数十円で買える安いもやしに対して300~400円するタレを買うハードルがお客様にあったのですね。「美味しいのかもわからない、そもそも、もやし専用のタレって何?」と思われてしまい、お客様が買う意味を見出せず売れなかったんです。

そこでパッケージを変えて、もやしを一番知っているもやし屋だからこそおすすめできるというストーリー性が伝わるようにしたのですが、協働日本との伴走がスタートしたタイミングではまだ軌道に乗っていませんでした。

そこで、今回の協働取り組みのテーマを「もやし屋のまかないダレ」の販売をいかに拡大していくかに定め、取り組みをスタートさせることにしました。

「nohea」はギフト用の高級ラインナップですが、「もやし屋のまかないダレ」は今後スーパーで重点的に売っていきたい商品でした。

取り組みの中で次に整理したのは、ターゲットと、どこにどんな風に売れば食べてもらえるのか?という点でした。

ーー具体的にはどんな風にターゲットを整理していったのか教えていただけますか?

石橋:はい。この時点でぼんやりと想定していたターゲットは「主婦」や「ファミリー世帯」でした。ただ、利用シーンまでは考えられていなかったので、まずはお客様の声を聞こうと、高校の文化祭でもやしとタレをセット販売してアンケートを実施しました。

実は「もやしダレ」ジャンルの競合商品のほとんどがピリ辛系のものなんですが、「もやし屋のまかないダレ」のメインはうま塩ダレ。子供にも人気でした。

一方、50〜60代以上の方にはニンニクや塩気が強すぎるなど、ターゲットにしたい層への味のマッチ度が見えてきました。また、アンケートの結果から、特に主婦の方達は「子供や家族が好きなもの」を買いがちである傾向も分かりました。

普段はスーパーなどに置いてもらうことがメインなので、もやしを手売りするという機会自体も私たちにとってこれまでにない試みでした。

お客様と直接相対して「普段食卓でもやしをどういう風に使いますか?」「実はこういう栄養素があるんですよ」なんてコミュニケーションをとってみると、私たちにとっては当たり前なことも、お客様からするとそうではないことも多く、今後発信していきたい情報やメッセージにも気づくことができました。

ーー直接お客様の声を聞くことで、ターゲットやコンセプトが絞られてきたのですね。

石橋:はい。ここからは実際にどうやって売っていくかを考えていきました。


協働プロの田村さんと加藤さんは特に、今も現役で食品メーカーで活躍されているプロ。流通についてのアドバイスやアイディアをたくさんいただきました。

どうしても問屋さんを通すと販路の確保までに時間がかかってしまうことや、販路設計が複雑になってしまうというお話を聞き、他の方法はないか?と考えました。

そこでたどり着いたのが「同業のもやし屋さんにまかないダレを買ってもらってはどうか?」というアイディアでした。

全国的にもやし屋さんがどんどん減っていることに対しては、業界の皆が危機感を持っているんです。とはいえ、なかなか打開策が見つからないというのが、今のもやし業界のもつ共通の感覚だと思っています。

単純ですが、もやしの消費量を増やしていくことができれば、お互いのシェアを取り合わなくてもいいじゃないですか。もやしダレをもやしとセットで販売して、ファンになってくださった方がまたもやしを買う───そんなサイクルを作れたら、もやしの消費量を増やすことができるのではないかと思っていたんです。

実際に販売店になってもらうメリットは大きく3つあると考えました。1つはタレと一緒にもやしも売れること。2つ目は、新商品として営業が販売できる商材ができること。そして3つ目は利益率が高く、もやし20〜30パック売れるのと同等の利益を出せることです。

そうして同業のもやし屋さんに「まかないダレ」を仕入れてもらえないか掛け合い始めました。最初に取り扱ってくれたのは西日本で1番大きいもやし屋さんでした。

もやし屋さんはそれぞれスーパーなどの小売のもやし売り場・顧客を持っていますから、もやしの横に「まかないダレ」をセットで置いてもらうと、想定した通り結構売れたんです。

営業マンにとっても新しく売るものができたことでやる気が出たようで、積極的に売ってくれるようになって、今では「まかないダレ」をもやしとセットで売り場に置いてくれるスーパーをどんどん広げていってくれています。

今後は提携してもらえる同業者の開拓、BtoCの小売りはもちろん、外食店などにも置いてもらえるように取り組みを進めていきたいと思っています。

1年ほど取り組みをやってきて、収益が大幅に改善し、来期はいよいよドレッシング事業単体での黒字化を目指せるところまで来ました。

やりたいことをやるためには、やらないことを決める。目的に集中する環境づくりの大切さを実感。

ーー協働日本との取り組みの内容や成果についてお聞きしてきましたが、ご自身や社員の皆様の内面や行動にも変化は生まれましたか?

石橋:まずはシンプルに、私も含め社員皆にとって、とても良い勉強の機会になっています。例えば、弊社営業担当のとある社員は、元々主婦で当社の顧客でもありました。トークセンスがあるので営業や販売自体は上手だけれど、主婦からの抜擢ということもあってどうしてもビジネス経験は浅かった。

それが、協働取り組みを通じてお客様の求めている価値や、それを届けるための行動についての知識が身についており、自身の解釈力や再現性が高まっているのを感じます。

また、途中で「たくさん売りたい気持ちはあるが、生産が間に合わないので難しい」という、製造側と営業側の対立・ジレンマを感じるシーンもありました。でも、協働プロの皆さんはこういったことも経験済みだったので、すぐに的確なアドバイスをいただけたこともありがたかったですね。

実際、協働日本の藤村さんから「自社製造をやめて、製造は外部委託に切り替えれば良いのでは?」と鋭いご指摘と、「やめる勇気」をいただいたことも。

やりたいことをやるのは大切ですが、同時にやらないことを決めないと物事は進みません。「売る」ことに集中できるように環境を整えることで、製造・販売の仲違いもなくなりました。

ーー毎週のセッションの中で、宿題が出ることもあったと思いますが、大変ではなかったですか?

石橋:そうですね、私たちはあまり『宿題』と感じてはいなかったかもしれません。確かに毎週、新しいミッションやテーマで考えること・行動することが必要でしたが、私たちが本来やるべきことそのものだと感じています。

元々もやし以外の製品の販売に関しては素人集団だったので、毎週のセッションの中でデータ分析・数値に基づいた戦略策定の考え方など、様々な事例を交えながらわかりやすく解説していただいて、自社メンバーも腹落ちして進めることができたので、それも大変良かったと思っています。

また、外部の、まして大手企業の方と話す機会も少なかったので、自社のやり方とは違う方法や考え方に触れられたとということも気づきが多かったです。

ある意味で、「大手企業でも同じような問題に直面しているのか」という気づきがあったことも個人的には大きかったです。大手企業でも失敗しながらやってくんだから、私たちみたいな中小企業が一発でできるわけない。色々と試していこう、と奮い立たせられました。

外部のノウハウを取り入れにくい環境にある人こそ、協働を。今後の成長のために今必要なこととは。

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

石橋:当初はこういった取り組みがあること自体を知らなかったのですが、ご縁を通じて協働日本の伴走支援の仕組みの話を聞いて、様々な領域のプロフェッショナルの実践的な経験値を学べることと、学ぶだけではなく、協働を通じて中小企業に体内化していく重要性を感じましたね。

特に、私のように会社を継いで代表となり、経営に携わっている人間は、他社に修行に出ることも簡単にはできません。創業からの流れでやっている企業ほど、考え方ややり方が固まってしまい、変化する世の中で柔軟に戦うための仲間も集まりにくい。外部のノウハウや経験値を社内に取り込んだり活かしにくい環境にあることは大きな課題だと感じています。

だからこそ、こういった機会を活用して、柔軟に外の知見を社内に取り込んでいかないと、継続して成長していくことは難しくなっていくのではないかと思います。

協働プロたちに伴走をお願いすることのコストは、ある程度覚悟のいる出費ではありますが、その価値や生まれる変化を考えた時には、安いくらいに感じます。本当にお願いして良かったと思っていますし、悩んでいる経営者がいれば是非お勧めしたい取り組みです。

ーーありがとうございます。最後に、協働日本へのエールも兼ねて、一言メッセージをお聞かせください!

石橋:協働日本のメンバーに加わる方は、ただ単に副業をしたい・お金儲けしたいという人はいない印象です。

皆さん、協働日本代表の村松さんの理念に共感して、今の自分のノウハウやスキルを中小企業に提供することによってその企業が回復していくことにやりがいを見出してくれる人が多いと思っています。

私たち中小企業側としては、大手のサラリーマンのスキルやノウハウを学べるメリットがありますが、協働プロのみなさんにとっても、対価としてお金を貰えるだけでなく、一緒に課題を克服することで、やりがいや、さらなるスキルを得られる相互にとって良い場になればら良いなと思っています。

また、せっかく色んな企業の方が関わってくださっているので、協働日本のおかげで回復してうまくいくようになった会社同士や、協働プロの皆さんの本業とでタイアップなどもできていくと面白いかもしれませんね。せっかく繋がったご縁でもあるので、新しい事業体が構築されていくといいなとも思います。

アドバイスをもらいながら成功報酬をお支払いするだけではない、発展的なビジネスモデルにつながると、もっと日本の未来にも明るい影響があるのではないでしょうか。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

石橋:ありがとうございました!

石橋 隆太郎 / Ryutaro Ishibashi

大学在学中、20歳で父が始めた飲食FC店舗の店長に就任。5年間の飲食経験の後、有限会社三吉商店に入社し、もやしの製造事業に携わる。29歳で代表取締役に就任し、新事業で調味料製造事業(NOHEA事業部)を立ち上げる。「NOHEAヴィーガンシリーズ」は、令和3年度金沢かがやきブランドに認定される。また「もやし屋のまかないダレ」は、Japan Food Selectionのグランプリを受賞し、もやしと調味料を活用して新たな新境地を開拓している。

協働日本事業については こちら

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VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-


VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

協働日本事業については こちら

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