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VOICE:田村 元彦 氏 -自身を知り、可能性を広げられる人を増やしたい。-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本でマーケティング・事業戦略のプロとして地域企業の伴走支援を行う田村元彦氏のインタビューをお届けします。

オハヨー乳業で牛乳と乳飲料部門の事業責任者として商品企画・研究開発・製造・営業までを一貫して統括。既存販路の再編と新規販路の開拓を同時並行で監修しながら乳業の根幹である牛乳の価値向上に取り組んでいます。

田村氏の協働を通じて生まれた支援先の変化やご自身の変化だけでなく、今後実現していきたいことなどを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明・山根好子)

「自分の看板で勝負してみたい」一歩踏み出すために参画した協働日本。

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、田村さんの普段のお仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

田村 元彦氏(以下、田村):よろしくお願いします!

新卒でオハヨー乳業に入社して以来、営業や商品企画、マーケティングなど社内ではマルチキャリアを経験しています。元々食品業界でマーケティングをやりたいと思って入社したのですが、後世に名の残るヒット食品や世の中の幸せに貢献したい!などの大それた志はあまりなく(笑)

どちらかというと、世にまだ知られていない逸品や、携わっている人の想いがもっと世の中に広がっていくことで、 生産者がやりがいや誇りを感じながら働ける社会を創ることに興味があり、商品の価値や作り手の想いを言語化したり、戦略性をもった事業展開を進められる人材になりたいと思っていました。

入社以来異動が多く、35歳くらいまでは2・3年スパンで目まぐるしく生活環境や業務内容が変わり、いつしか自分自身が本当にやっていきたいことは何なのかを問い続けるようになりました。

キャリアについて悩み、違う道を考えたこともありましたが、オハヨー乳業が持つモノ作りに対してのこだわりや魅力を知る度にその素晴らしさを認識し直し、現在は意欲的に勤めています。

ーーありがとうございます。協働日本に参画されたきっかけはなんだったのでしょうか?

田村:きっかけは、友人を介して協働日本代表の村松さんに出会ったことです。村松さんご自身やその周りには、プロとして熱量が高く様々なプロジェクトに挑戦されている方が沢山いらっしゃるのですが、当時の僕はまだ「自分の人生でこれを成し遂げたい」みたいなものがあまりなくて、出会った皆さんの熱量に驚きました。そして、志高く「これを成し遂げたい」みたいなものを言語化して持っている人に、興味と憧れを強く持つようにもなりました。

そう感じた裏側には、組織に属していると、営業であったり商品企画であったり、全体の中の一機能を役割として担うことになるので、一社会人として「商売をしている」という感覚が僕の中では希薄だったという背景がありました。マーケティング部時代は、お客様調査、市場・競合分析から戦略を立案し、マーケティング施策を立案、それを営業に伝えていきながらお客様ともコミュニケーション取って……と幅広い業務をやっていたんですけど、それもなんだか机上の空論で戦っているなと。もちろん、仕事に対して手を抜くとかは無かったのですが、リアルに自分がその商売に責任を持って、お客様と対峙している感覚が、なかなか見出せないところがあったんです。

ーーなるほど。ご自身のお仕事への向き合い方に変化を求めていたタイミングでもあったのですね。

田村:そうですね。会社ではなく自分の看板で勝負していきながら、自分の存在価値を見出だせるような働き方に興味を持つようになりました。

そんな心境の変化もあったので、このまま組織に属して、一担当みたいな働き方で、将来自分は満足いく生きざまが示せるのかなみたいなことを考え始めた頃に、ちょうど村松さんから協働日本の話を伺ったんです。
その時は、副業として地域企業のみなさんと関わるイメージはまだ全然湧いていなくて。自分が世の中に対して、自分の個の看板だけで 勝負できるものは何か、まさに模索していた段階でしたし。

でも、この機会に挑戦しないと、何も変わらないのではないかと思って、自分の個の看板で勝負してみる環境に身を置いてみよう!と。思い切って参画することにしました。

協働プロと協働先の信頼関係があってこそ、同じ方向を向いて進んでいける。

ーー続いて、田村さんがこれまで参画されてきたプロジェクトについて、詳しく教えてください。

田村:はい。これまで3つのプロジェクトに携わってきました。1つは、一昨年鹿児島県での和牛肥育農家「うしの中山」さんの事業、もう1つも同じく鹿児島県で、肉牛の繁殖活動を検知するITシステムの事業に伴走しました。現在は石川県で三代続くもやし屋さん「三吉商店」さんとの協働チームに入っています。

三吉商店さんでは、新規事業としてドレッシング事業を立上げており、その中の「もやし屋のまかないダレ」を拡販していくという課題に取り組んでいます。既に営業活動も動き始めていましたので、販売戦略の構想・チャネルごとの営業の動き方・商談ノウハウや提案の切り口の整理、そしてバリューチェーンのような生産体制・物流体制の基盤整備などを伴走支援で構築して行っています。

ーー売り方だけでなく、生産体制や物流体制の整備にも取り組まれているんですね。

田村:三吉商店さんがもやし屋さんとして長年展開されている本業のもやし事業は、石川県を中心とした北陸三県を主戦場としていましたが、ドレッシング事業に関しては全国に展開を広げていくという狙いがあります。そのため、生産体制や物流体制も構築していく必要があったんです。販路の開拓と同時進行で、インフラを整備していきながら、利益体質を追求していこうという進め方をしています。

ーーなるほど。最初はどのようなことから整理していったのでしょうか?

田村:はじめは、価値の整理から取り組んでいきましたね。「もやし屋のまかないダレ」はお客様にとってどんな価値があるのか?どんなシーンで誰が手にすると喜ぶのか、実際にお客様にヒアリングやアンケートを行って具体的な部分を洗い出しながら、自分達の事業が世の中にとってどんな価値があるのかを深掘りしつつ、目先の販路拡大のテーマにも取り組んで……と、概念の話と具体施策の話を行ったりきたりしながら進めています。

僕も本業で事業を進めている時に経験があるのでわかるんですが、「何をすればいいのかとにかく早く答えを知りたい、目に見える成果が欲しい!」と思ってしまうんですよね。そういった焦り状態にいる時に、「価値の整理をしましょう!」と言われても、ヤキモキしてしまう。

「手元はどうするんだ?!」と焦る気持ちが出てしまうこともあるんですよね。だからこそ、短期的な営業成果を出しつつ、中長期的な戦略も整理が必要なので、両輪で回していきましょうと説明して、具体施策と概念の整理を同時に進めています。

ーー現実的に向き合わなくてはいけないこともやりながら、価値の整理など本質の部分の理解も深めていっているのですね。協働先の皆さんの変化や実績についてはいかがですか?

田村:営業担当の方がとても行動派で、展示会などにどんどん出展して県外にかなり販路が広がったという実績が出てきています。主戦場である北陸3県の事業基盤を飛び出して、首都圏・近畿圏や全国チェーンでの採用が決まるなど採用実績が伸びています。

これまで取引のなかった量販店がお取引先の中心になるので、どうしても相対する時の相手側の心境を読む知見がほとんどなかったところからスタートしていたのですが、その部分のサポートや、経験者である協働プロが顧客側の心情を読んでさらに上をいく提案をレクチャーしていったことで、提案の幅が広がって営業の引き出しが確実に増えました。

現在進行形で進めていますが、ドレッシングの在庫を抱えていたところから、欠品回避のための増産体制をどうするか?というところまで悩みの質がワンランク上がってきているのが嬉しい変化です。
一緒に取り組んでいるメンバーは、社長、営業担当、生産担当の工場長の3名なのですが、短期成果への焦りを皆が感じていたところから、インフラ整備の重要性やチャネルの狙い方の戦略など腰を据えてじっくり話せるようになってきているのも変化の1つだと思います。

やっぱり我々協働プロと先方との信頼関係があってこそプロジェクトが進むと思っていて、信頼関係が芽生えていって、同じ方向を向けた時に、やっと同じ目線で将来像を語れるようになるなっていうのは、今回の案件を通じて強く感じたところです。
これからは更なる販路の拡大に加え、採用された取引先への商品の納品を持続させていくためにまだまだ考えることが沢山あるので、次のステップに上がって一緒に取り組んでいきたいです。

面白くない人生を作り出してるのは、他ならない自分の行動と認識。


ーー最初は自分の経験でどう貢献できるのか?という想いもありながら参画されたとのことでしたが、協働の中で田村さんご自身の変化を感じることはありますか?

田村:実は僕自身、とても変化を感じています!先ほども、組織の中で一役割を担う働き方について言及したのですが、自分の中での仕事は、決められた部署の決められた役割をどうこなすか・どう捌いていくかっていうことを基本前提に置いた考え方だったと気づいたんです。この考えが自分の可能性を閉ざしてしまっていたなと。

社外の方と同じ目標に向かって、自分が持てる力をフルに発揮していく。それによって、自分の良さ・強みが見えてきた部分があったんです。一歩踏み出すことによってそれを見える化できて、自分の更なる可能性が見えてきたというのが協働日本に参画したことで得られた成長だったと思っています。協働日本の取組みを通じて自分自身が今まで培ってきた経験にも相応の価値があることに改めて知ることができ、面白くない人生を作り出してるのは自分自身の行動と閉塞的な認識によって、他ならぬ自分自身がそのように作っていたのだと気づきました。そこに気づくと、全ての事象を自責で捉えることができるようになり、視野も考え方も大きく変わりました。

ーー「面白くない人生を作り出しているのは自分」……名言ですね。具体的にどんなアプローチをされているのかもお聞きできますか?

田村:人の見方も大きく変わりました。事業責任者という立場で多くのメンバーをマネジメントしていますが、一人一人の性格、強みを言語化してチェックするようになりました。人となりと、スキル・経験の両方を見ることで、その人の可能性を広げるマネジメントをしていきたいと考え、個に踏み込んだ人の見方を実践しています。

そういったパーソナルな部分に注目するようになると、発言の時の表情や、普段仕事してる時の仕草などと、今気持ちが上向いてるのか下向いてるのか、それはなぜ・どういう風なことがあって今この人はこういう状態になってるのかということが全て繋がったように見えるようになってきました。

それに伴って、今のままが良いのか、違う領域にチャレンジさせたほうがいいのかなど次の一手が見えるような感じもして、実際に抜擢してみると思いのほか隠れていた能力が発揮されて、目の色が変わるみたいなメンバーの変化も増えてきたので、とても楽しいなと思えています。

協働日本が、人々の選択肢を増やしていく。

ーー田村さんは、これから協働日本でどんなことを実現して行きたいですか?

田村:鹿児島も石川も、今までの人生で行ったことがない地域でしたが、本当に関われて良かったと思っています。実際にその地域に行き、風土に触れ、その地域の方と繋がれることの素晴らしさを知ってしまったので、死ぬまでに全都道府県の案件を協働させてもらい、全国制覇したいですね。今まで関わることが無かった地域や人、知らなかった逸品と出会い、その魅力を世に広めていくことをやり続けていきたいと思っています。

また多くの方との繋がりによって自身の殻を破った経験を、過去の自分のような人に伝えていき、副業によって自分のキャリアを拡げることにチャレンジする人を増やしていきたいですね。転職せずとも副業でも成し遂げられることを伝えていきたいです。

大手企業は副業解禁もどんどん進んでいると思うのですが、まだまだ社員の副業解禁に手探りな企業もあると思うので、僕みたいな人間が前例を作っていくことでチャレンジするハードルが下がっていけばいいなと。そうすれば、もっと世の中のいろんな方が協働日本に触れる機会も増えていくのかなと思っています。

多くの会社が、自社内だけで事業をなんとかしようともがき苦しんでいると思うんですが、社外の人との伴走で考えが広がったり、携わる人たちの目の色が変わったりと変化に寄与できる。そういった変化を起こせるのは、必ずしも走攻守揃った超一流のプロに限らないと僕は思っていて。自分の経験を一点でも活かせる要素があれば、相手にとって自分はプロであると見られるようになる。より多くの人が協働に参画できれば、助かる支援先も増えるし、挑戦した人自身も変化する、副業人材であれば本業でのエンゲージメントも上がっていく。

そう言った前向きな挑戦ができる人が増えていったらいいなと思っています。

ーー最後に、協働日本が今後どうなっていくと思われるか、協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

田村:協働日本は、眠っている人材を掘り起こして、その可能性を本質的な価値として活かしていく架け橋になっていると思っています。日本のこれからの経済や人口減といった社会的な状況も鑑みると、一人あたりの生産性をいかに上げていくかがとても大切になってくる。

協働日本の伴走支援は、週に1回1時間が基本ですが、この1時間がものすごく凝縮された時間なんです。ものすごく濃い時間を自分の人生の、日々の生活サイクルの中に組み込むことは、同じ時間何か勉強するのとはまた全然違う価値を得られると思うんです。そして伴走支援先にとってもそれは同じ以上の価値を生み出すことができる。

伴走する側にも、支援先にも、大きな価値を生み出すことができることが協働日本の1番の存在意義じゃないかなというのは僕は思っているので、プロとして気概を持ってチャレンジする人たちが世の中にもっと増えて、人材をなかなか確保できないような中小企業でも人をうまく活用できる道筋も増え───と、世の中の色んな人たちにとって選択肢を増やす協働日本であり続けてほしいです。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

田村:ありがとうございました!

田村 元彦  Motohiko Tamura

オハヨー乳業(株) 牛乳・乳飲料ユニット責任者

大学卒業後、オハヨー乳業(株)に入社。営業(量販、CVSチャネル)、商品企画(ヨーグルト、デザート)、営業推進を歴任した後、チルドデザートカテゴリーのマーケティング業務に従事。

現在はユニット責任者として、牛乳・乳飲料事業を統括。商品企画・研究・製造・営業までを一貫して管轄、事業計画・マーケティング戦略を立案・実行し、事業運営を行う。

協働日本事業については こちら

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VOICE:協働日本 近藤 友輝氏 -「“友”を”輝”かせられる人であり続ける」人生のミッションへ、協働を通じて更なる進化を-

協働日本で活躍するプロフェッショナル達に事業に対する想いを聞くインタビュー企画、名付けて「VOICE」。

今回は、協働日本で地域企業に対して、経営戦略、事業戦略、組織開発など幅広い視点から支援を行っている近藤 友輝(こんどう ゆうき)氏です。

大学卒業後、株式会社キーエンスに入社。2015年に退職した後、渡米。シリコンバレーにて大学を作るプロジェクトに携わる。帰国後、複数の新規事業や会社の立ち上げ、社内のDX推進、採用から育成、コーポレートブランディング、コンサルティングなど幅広い領域で活躍。同時並行で自身の会社も立ち上げ、最大11社の業務を並行して行うなど、現在は全ての仕事を個人名義の業務委託で受託するなど『副業人材』としての活動の幅を広げています。

協働日本でも、経営戦略、事業戦略、組織開発の知見を活かし幅広い経営・事業支援を行っている近藤氏。実際の地域企業とのプロジェクトを通じて感じた変化、得られた気づきや学びを語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明、山根好子)

鹿児島での協働の様子

本気の想いを持った人の仲間を集めていきたい。「組織づくりをする人」として多くの事業に携わる日々

ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは近藤さんの普段のお仕事や、取り組まれていることについてぜひ教えてください。

近藤 友輝氏(以下、近藤):よろしくお願いします。現在は経営戦略、事業戦略、組織開発を中心にさまざまな事業に携わっていますが、正社員としてではなく全て業務委託、自分の名前で仕事をしています。

携わっている事業としては、まず一つ目に旅のサブスクをやっている会社のオペレーションまわりに特化した子会社でCOOとして経営と組織開発を行っています。ユーザーを支援するチーム、航空券の手配を行うチーム、登録ホテルを支援するチームなどがあり、現在は既存のオペレーションをすべて見直しを行いながらユーザーの体験をより良くしつつ、働き方や業務内容・マインドもより良いものへと進化させていっているところです。

二つ目は、営業力強化の手法であるセールスイネーブルメント領域のコンサルティングやそのコンサルタントを育てるための育成プログラムやその仕組みづくりを行っています。キーエンスや外資コンサル出身が多いチームで知見を持ち寄りながら再現性のある組織づくり、営業チームづくりを行っています。

4月中旬からは、育った街でもある「兵庫県三田市」の営業アドバイザーに就任することにもなりました。半年間のアドバイザー活動の中で市職員の皆さんの営業レベルを押し上げつつ、街への恩返しをしていきたいと思っています。

ーーかなり幅広く活躍されていますね!もしご自身のお仕事に看板をつけるとすると、どんなお名前、肩書きになるでしょうか?

近藤:難しいですね(笑)平たく言うと「組織づくりをする人」でしょうか。前提として、やはり人の可能性を信じているということが大きいです。何かを成し遂げたいと思った時、絶対に一人では成し得ないですよね。例えばライト兄弟の例で言うと、お金があって優秀な人を集めただけでは飛行機は飛ばせなかったわけです。熱い想いを持った人に賛同して集まり、知見は足りないけれど試行錯誤しながらやっていけるチームが最終的には飛行機を飛ばせたんですよね。

本気の想いを持った人に必要な仲間集めや、その人たちの強みを理解してどう組み合わせて活かしていけば全体総量が最も大きくなるのか?そしてどうすれば皆がそこで働くのが幸せだと感じられるのか?を追求していきたいという想いで組織開発に携わっています。

時代に合ったわかりやすく始めやすい「複業」モデル

ーーここからは、協働日本での活動についてお聞きしたいと思います。近藤さんが協働日本に参画するきっかけはどんなものだったのでしょうか?

近藤:もともと協働日本代表の村松さんとは6〜7年の長い付き合いがあったので、協働日本を立ち上げる時から構想も知っていて、面白そうだと思っていたんです。これからの時代にすごく求められることじゃないかなと。

実際に参画のきっかけになったのは、2022年の6月頃に2人で行ったランチの時間でした。この時に、近々スタートする予定の案件があるという具体的な話を伺い、「面白そうですね!」と言ったら「決まったら一緒にやろう!」とお誘いいただき……二つ返事でお引き受けしました。

7月には案件が決まったと連絡をいただき、取り組みを決意してすぐ、夏頃からはもう協働がスタートしていましたね。

ーーすごいスピード感ですね。構想段階からご興味があったとのことですが、具体的にどんなところを面白そうだと思われていたのでしょうか。

近藤:「複業人材の活用」というモデル自体ですね。時代の流れ的に、コロナ禍で副業が注目されるようになって、首都圏の大手企業に勤めている方が副業先を探すケースも増えたと思うんです。僕も何人もの副業人材の面接をしたことがあるので、実際の話を聞く機会も多いのですが、そもそも副業先をどうやって探せばいいかわからない、応募のハードルが高いという声も少なくないんです。

また実際に副業先が決まっても、自分は仕事ができる!と思っていた方でも、蓋を開けてみるとあまり活躍できなかったということも少なくないんです。そういった方の大半は本業が忙しいと言って辞めていってしまう。実際には、どんなふうに副業を進めていけばいいのか、関わり方がわからないこと自体が理由だったりもするんです。

一方で協働日本での取り組みは、メインとサブという従来の「副業」の考え方ではなく、かける時間のウエイトの大きさは違えど、マルチに仕事に取り組む「複業」という概念がわかりやすく、プロジェクトを通じて個々のバリューを発揮しやすい仕組みになっていると思います。「複業」の最初の一歩として始めやすいし、取り組みの内容に幅と奥行きがあるので、自分に合った関わり方を見つけやすい。もっとディープに関わりたいと思えば関われるところもすごく良いと思います。

事業戦略から営業戦略まで、多面的に地域企業をサポート

ーーありがとうございます。近藤さんは、地域のパートナー企業とはどのようなプロジェクトで協働されているのでしょうか。

近藤:はい。これまで2社と取り組みをしてきました。一社目は鹿児島県の「うしの中山」さんです。先方の担当の荒木専務は、他業界から畜産農家に転職された方で、畜産農家特有の課題や傾向がわかっているものの、進め方に苦慮されていました。社内で一人で動かざるを得ない状況だったので、まずは「仲間になろう」というところから関わりを持つようにしました。「社内外に仲間を増やしてチーム荒木を作る」ため、荒木さんの中にある「こんなことができたら最高かも」という部分を引き出すような本質的な問いかけを心がけていて、彼の想い──概念的な部分を言語化していくサポートをしました。

協働チームの中に、特にマーケティングに強いメンバーもいたので、商品販売のターゲティングやアクションなどの具体的な部分は任せて、僕は土台になる事業戦略の部分を意識して、コミュニケーションを取りながら進めていましたね。

もう一社は「ファーマーズサポート」さんで、こちらは、事業戦略よりも営業戦略の視点でサポートに入っていました。隔週の打ち合わせの中で、どういう営業の行動KPIを持って追いかけて振り返って、どう修正するのか…という進め方です。うしの中山さんのように概念を整理するというよりも、数値で落とし込み、計画を作って進捗管理をする、実務面での動きが多かったですね。

ーーなるほど。これまで幅広い分野、事業に携わってきた近藤さんですが、協働日本としてのお取り組みの中で大企業とは違う、「地域の企業ならでは」と感じた部分はありましたか?

近藤:そうですね。地域あるある、業界あるあるなのかもしれませんが…業界特有の制約、制限は独特だなと感じました。「こう進めたらいいじゃん!」と思ったことも、「実は色んなことの兼ね合いで、そうはいかないんですよ」と言われることもあり、経験したことのないボトルネックだったなと。

ただ、それを前提にして、じゃあどう乗り越えていこうか?という前向きな議論ができた部分はとても良かったと思います。

協働パートナー企業である鹿児島県の畜産農家「うしの中山」の荒木真貴氏(左)と近藤友輝氏(右)

協働を通じて発見した、より多くの視点を持つことの重要性

ーー協働を通じて、協働パートナー企業にも変化を感じることはありましたか?

近藤:はい。例えば「うしの中山」の荒木さんであれば、どこか根拠のない自信に、実績が伴ってきた部分が大きかったと思います。本質的な問いかけを進めることで「本当にやりたかったこと」が形となり、賛同者も増えて行ったという「実」が伴ったことで、元々持たれていたご自身の考えや信念への自信がさらに強くなったなと思いました。

「ファーマーズサポート」さんは、最終的には当初の目的・目標から方針転換をすることになったのですが、その決断自体も半年間の協働があったからこそだと感じました。元々研究開発中心で、営業が得意分野ではなかったところに協働プロとしてサポートに入らせてもらったのですが、ご本人が「これ以上はもう無理かな」という判断ができるところまで営業を共にやり切ったことで、やはり自分の得意な研究開発を主軸に置き直して、そちらからサービスを広げるアプローチをしていこう、という判断に至ったんです。

共通して感じるのは、取り組みが進んでくると、皆さん依頼した宿題を楽しみながらやってくれるようになり、かなり自律的に動いてくださるようになった部分です。ミーティングで決まったことを即座に試し、率先してアクション報告をしてくれたり、社内の他メンバーや繋がりのある企業を自発的に巻き込んでくれたり、アイデアを言語化・資料化して自慢するように話してくれるようになったりと、元々前向きでやる気のある方々でしたが、本当にたくさんの変化がありました。

ーー行動の中で出た結果が、それぞれ自信につながったり、新しい道への決断につながったりしているんですね。協働の中で、近藤さんご自身にも何か変化はありましたか?

近藤:はい。特に大きなものとしては、思考が深化したことかなと思います。これまでのキャリアでもバックグラウンドの違う様々な企業、事業に携わってきて、それぞれの状況に応じた動きをしてはいたのですが、これまでとはまた違う地域の企業に関わることによって、全く異なる環境下においてそれぞれの前提条件を深く理解し、その上で最適な道筋を発見して、パートナー企業にとって心地よくて最も効果的な手法を見出そう、というように、より深く考えるようになったんです。

お互いに初めて顔を合わせた協働プロやサポーター、そしてパートナー企業と共に、お互いの理解をしながらプロジェクトを進めていくという経験自体がこの思考の深化につながったのかもしれません。

未経験の業界や領域で課題に取り組むことで、新しい領域に関する知見を習得することができますし、それによってこれまでの知見も棚卸しして、新しい領域でも活用できるように応用させる、自身の持つスキル自体をもっとブラッシュアップさせることができたのも、協働を通じて生まれた自分自身の変化ですね。

ーー近藤さんの強みが強化されていっているんですね。

近藤:どんな仕事においても、「環境の違い」は1つのキーワードになると思っています。例えば、日本と海外の違い、国内でも地域の違い、それぞれの場所から立って見ると、同じ事象について違う見え方になることがあると思うんです。無重力空間に浮いている物体が、見る角度によって違う形に見えるようなイメージです。だから、自分がどれだけ多くの視点から物事を捉えることができるのかが、地域・業界・領域問わず成功するポイントになるんじゃないかと考えるようになりました。協働日本の活動で得られたこの豊富な視点は、別の仕事にも活かしていけると思っています。

組織で人を「”輝”かせる」。皆の熱い想いを形にしていきたい

ーー近藤さんが、協働日本の活動を通じて実現したいことはなんでしょうか?

近藤:自分自身では関わることがなかったであろう様々な地域で熱い想いをもって活動されている企業やその人たちの想いを共に形にすることですね。

協働プロのチームには各領域のプロフェッショナルがいるので、その企業や組織の目指す理想を具体化し、実現のための課題やステップを整理しながら、必要なリソースをどう組み合わせればより素早く、より確実にそこにたどり着けるのかを紐解いていきたいです。

ーーまさに得意分野の「組織づくり」を活かした活動ですね!

近藤:そうですね。僕は名前が「友が輝く」で「友輝」なんですが、そもそも僕は人生のミッションとして、名前の通り「“友”を”輝”かせられる人であり続ける」というものを掲げているんです。

友達を輝かせるためには自分自信も輝いている必要があるし、色々な武器を持っていないといけない。だからどの領域・業界でも通用するポータブルスキルをたくさん持ちたいというのがベースにあるので、協働日本での活動を通じて、さまざまな地域・環境などの「異なり」の中で「共通」して通用するスキルを見つけて磨いていけると思っています。そうやってさらに周りの仲間たちを輝かせていきたいですね。

「人の活かし方がわからない。自社の可能性を最大化したい」と思っている経営者の方がいらっしゃれば、ぜひ一緒に活動したいです。

働き方の新しいスタンダードのひとつとして、人財が集まる場所へ

ーーそれでは最後に、近藤さんは、協働日本は今後どうなっていくと考えていますか?協働日本へのエールも込めてメッセージをお願いします。

近藤:協働日本の活動は、今後の働き方におけるひとつのスタンダードになるのではないかと思います。特に大企業に勤めている方やひとつの企業で長く勤めている方にとっては、自分自身でいきなりいわゆる”複業/副業”をやるにはハードルが高いですが、今の企業に勤めながら外の環境で自分の実力を試したり、経験を棚卸ししたりして、自分の強みや弱みを理解し、さらに自分を高める有用な機会になると思います。

地域の各企業にとってはこれまでも接点を持つことすらなかった人と繋がることができる上に、ただ知見を伝えるだけのコンサルティングと違い伴走支援という形を取るので共に事業を進めることができるので、一般的なコンサル企業などに依頼するよりも安心して効果的に相談したり任せたりできると思います。

将来的には、協働日本が人財バンクみたいになるんじゃないかな?協働日本がハブとなって、「複業で働きたい人」と「地域の経営者」がそれぞれ集まっていくと思います。そうするとさらに、地域の経営者同士が交流するような横のつながりなんかも生まれて、さらに新しく、面白い取り組みもできるようになるんじゃないかと考えています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

近藤:ありがとうございました。これからもよろしくお願いします!

近藤 友耀 Yuki Kondo

(株)HafH User Success & Communities COO
(株)KabuK Style Strategy Unit サブリーダー
SALESCORE(株)シニアコンサルタント

大学卒業後、㈱キーエンスにて営業職に従事。トップセールスとなるが、人の能力や才能を見出しより輝かせることに人生をかけたいと思い退職。
その後アメリカ、シリコンバレーにて世界最先端のビジネスを学ぶ。
2015年、創業3年目のベンチャーへ。 クリエイターチームのマネジメントを始め、新規事業、営業チームの立ち上げ、補助金を活用したクリエイティブスペースの設立やコミニュティマネジメント、結婚式場建設プロジェクトのプロジェクトマネジメントなどを経験。
2018年、新たな領域と分野にチャレンジすべくavex㈱にて新規事業の企画立案に携わり、事業を推進。
2019年、カフェ・カンパニー㈱に入社。コーポレートブランディング室長として会社全体のブランディング、PR、マーケティング、新制度の策定や協業案件等を推進する。EDUCATION LABOにて新卒採用から研修育成、組織活性化なども行う。
現在は独立し、業務委託として㈱HafH User Success & CommunitiesのCOOとして経営や組織開発、海外業務支援を行う他、複数の企業、事業に携わっている。


近藤氏が伴走支援を行った「うしの中山」様の事例を含む、鹿児島県での地域企業の協働事例はこちら

近藤友輝氏も参画する協働日本事業については こちら

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STORY:うしの中山 荒木真貴氏 -『UshiDGs(牛DGs)』協働により生まれた、鹿児島発サーキュラーエコノミーモデル-

NEWS:鹿児島県庁での新産業創出ネットワーク事業報告会の様子をご紹介いただきました(LOCAL LETTER MEMBERSHIP)


NEWS:鹿児島県庁での新産業創出ネットワーク事業報告会の様子をご紹介いただきました(LOCAL LETTER MEMBERSHIP)

「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」にて、鹿児島県庁で実施した新産業創出ネットワーク事業の最終報告会の様子をご紹介いただきました

2023年2月に鹿児島県庁で実施した新産業創出ネットワーク事業の最終報告会を株式会社WHEREに取材いただき、WHERE社の運営する地域共創コミュニティ「LOCAL LETTER MBERSHIP」にてご紹介いただきました。

副業兼業を越えた“協働”の可能性!外部人材と伴走し事業課題を解決 | LOCAL LETTER

協働日本は、鹿児島県および鹿児島産業支援センターの令和4年度の「新産業創出ネットワーク事業」を受託しており、鹿児島県内12社の地域企業様の伴走支援を行っています。

先日2月17日(金)、事業の報告会を鹿児島県庁にて実施いたしました。
協働日本と約7ヶ月取り組みを行った12社の事業者さまの中から4事業者様に発表会へお越しいただき、約半年間の協働の取り組みと成果を発表いただきました。

記事では、協働日本が協働で生み出した変化や、実際の伴走支援の雰囲気などをご紹介いただいたほか、副業や兼業を超えた「協働」という新たなスタイルについてもご紹介いただいております。

詳細についてはぜひ、LOCAL LETTERの記事をご参照ください。

2022年7月にも「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」にて、協働日本が大切にしている「協働」のプロセスや、実際の取り組み事例について取材いただきました。
NEWS:「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」にて協働日本の取り組みをご紹介いただきました | KYODO NIPPON

各事業者さまごとのご紹介記事

副業ではなく協働で事業推進。伝統と時代の変化で葛藤した窯元の事例 | LOCAL LETTER

副業より協働で自立支援。活用が追いつかない”大量の糞尿”問題に挑む | LOCAL LETTER

副業以上の関わり、協働で成果を出す。長年の課題”産業廃棄物”へ挑戦 | LOCAL LETTER

副業ではなく協働で外部人材登用。飲食店の強みを活かし新事業成功へ | LOCAL LETTER

ご紹介した事業について

協働日本事業

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鹿児島で熱い「協働」が続々誕生中!県庁での発表会の様子をご紹介します|協働日本|協働を通じて、地域の活性化と働く人の活性化を実現する。|note(外部サイト)


株式会社協働日本は株式会社WHEREと業務提携し、同社が立ち上げた、“地域課題” や “社会課題” の解決に取り組む地域共創コミュニティ「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」へパートナー企業として加盟しております。

2022年3月3日|【43団体加盟】SNSでは広く、社内だと狭すぎる。個の時代に“ちょうどいい”繋がりを実現するコミュニティ。|株式会社WHEREのプレスリリース

LOCAL LETTER MEMBERSHIP とは
「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」は、暮らしている場所や個人、企業・行政が持っているスキルや経験に関わらず、地域や社会へ主体的に携わり、変えていく人たちの学びと出会いを提供する場所がつくりたい、という想いで立ち上げた地域共創コミュニティ。
LOCAL LETTER MEMBERSHIP

株式会社協働日本 協働日本事業 の詳細ついては こちら

STORY:うしの中山 荒木真貴氏 -『UshiDGs(牛DGs)』協働により生まれた、鹿児島発サーキュラーエコノミーモデル-

協働日本で生まれた協働事例をご紹介する記事コラム「STORY」。

実際に協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのようにプロジェクトを推進しているのか、インタビューを通じてお話を伺っていきます。

今回は、有限会社「うしの中山」専務 荒木真貴氏にお越しいただきました。

有限会社うしの中山は、1950年創業の和牛肥育農家です。”牛の能力を最大限に引き出す”を使命として牛にとってストレスのない環境にこだわり、現在約5,000頭の牛を飼育しており、A5等級出現率75%を超える肉質が自慢です。2022年には和牛オリンピックの部門で日本一にも輝きました。

そんなブランド牛の飼育・販売が好調な一方で、牛の飼育とは切っても切れない「堆肥」の販路拡大への課題がありました。荒木氏は現在、協働日本との取り組みの中で、堆肥の販路拡大や、堆肥の活用によるGX(グリーントランスフォーメーション)を通じて「UshiDGs(牛DGs)」の活動を行なっておられます。

今回は協働日本との取り組みのきっかけや、支援を通じて生まれた変化についてお聞きしました。さらには今後の複業人材との取り組みの広がりの可能性についてメッセージもお寄せいただきました。

(取材・文=郡司弘明)

畜産農家の抱える「堆肥問題」を、サステナブルな取り組み「UshiDGs」へ

ーー本日はよろしくお願いします。協働日本との出会い、進行中のプロジェクトについてお話を伺っていきたいと思います!

荒木真貴氏(以下、荒木):改めて、よろしくお願いします。

ーー協働日本とは、現在「堆肥事業」についての協働を進めていらっしゃいますが、取り組みがスタートしたきっかけを教えていただけますか?

荒木:農場内の堆肥の問題についての検討を進めていた時、普段からお世話になっていた養豚農家の方や、鹿児島県庁の方に協働日本代表の村松さんをご紹介いただいたのがきっかけでした。農家ではない方々から、自社の課題についての意見を聞ける良い機会であると考えたんです。ちょうど協働日本さんが鹿児島県と事業を進めていたということも、協働の決め手の一つになりました。

実は、「協働日本」という名前を聞いて、初めはどんな組織なのか想像できていなかったのですが(笑)お会いしてみたら、村松さんをはじめ、協働プロの皆さんは本当にお人柄が良くて。あの時お会いできてよかったと思っています。

ーーそう言っていただけるととても嬉しいです。
早速「堆肥問題」の背景と、現在の状況についてもお伺いしてもよろしいでしょうか。

荒木:堆肥は、その特性上、牛の飼育とは切っても切り離せません。約5千頭の牛を飼育する私たちの農場から出る堆肥は、年間3万6千トンにもなります。想像できない量ですよね。牛の糞は毎日どんどん増えていきますから、堆肥化した後もそのまま農場内に置いておくことはできません。堆肥化した後に全て捌かせないと、溜まる一方になってしまうんです。ですから、いかに効率的に早く堆肥を売り切っていくかが、当初の「堆肥問題」という課題でした。

有り余る堆肥をどうするか、が協働のスタート。スタートしてからは、単に堆肥を売ることが目的ではなく、なぜうしの中山が堆肥事業に取り組むかを言語化した上で、新たな販路の開拓やお客様のニーズを考えた堆肥の改善、オーダーメイドによる新しい売り方などについて、協働プロと一緒に検討を進めていきました。

付加価値のある堆肥──つまり使うと作物がよく育ち、収穫の質も量も上がるような堆肥を目指して堆肥の研究をし、こだわりの菌など独自の配合で手間ひまをかけた完全発酵堆肥として販売、現在は売上金額も向上しています。あれだけ有り余っていた堆肥の山が、今は需要が大きすぎて足りない状況になっているのも嬉しい悲鳴です。

また、あまり知られていませんが、堆肥は地球の環境にもすごく良いんです。化学肥料を使いながら作物を繰り返し作ることで、土が硬く締まり、水はけが悪くなったり、植物の根が伸びづらくなったりします。そんな土に堆肥を混ぜ込むと、肥料としての栄養がいきわたるのは勿論、通気性や排水性、保水性を上げる効果があり、作物を作りながらも本来の大地の力を取り戻すことができるんです。

堆肥づくり以外にも畜産農家が普段から行なっている様々な環境保全、サステナブルな取り組みについて、総括して「UshiDGs(牛DGs)」として発信することも始めました。

うまみを追求した技術、ストレスのない環境そだてられたうしの中山の牛肉は、和牛オリンピックの部門で日本一に輝きました

自分よりも自分のことをわかってくれる。自らの足で歩くことを前提とした、自律を前提とした伴走支援

ーー続いて、協働プロと具体的にどのような取り組みをしているかもお聞きしたいと思います。

荒木:はい。弊社からは2名が主となり、協働日本さんには、横町さん、田村さん、近藤さん、西川さんの4名を中心に参加していただいて、1〜2週間に一度のミーティングを行なっています。

このミーティングで、タスクや検討事項を整理、目的や目標などを明確にしており、事業を進めて行くための大きなヒントになっています。思いつくアイディアは色々あっても、言語化や頭の中を整理するのがすごく苦手で…協働プロの皆さんはアイディアを言語化することに本当に長けていらっしゃるので助かっています。

何をどうすればいいのか、頭の中でイメージの輪郭ができていても、うまく整理できていないことは多々ありますし、今取り組んでいることを文章にして改めて見直してみると、なんだか思っていたのと違う方向に進んでいるなということもあるので、皆さんの言語化による整理で、進むべき方向性が定まっていく実感があります。

ーーなるほど。目的や課題の整理を中心に進めていただいているんですね。取り組みの中で感じた協働プロの印象はいかがでしたか?

荒木:皆さん、能力やスキルが高いことはさることながら、お人柄がとにかく良いです。対話の中で「荒木さんが思っているのはこういうことですよね」と、自分より自分の考えを理解してくれていて、その上で「それであれば、こういう風にした方がいいのでは?」という提案をしてくださるんです。進みたい方向性を邪魔せず、嫌な気持ちにもさせず修正してくださるのでいつも納得感を持って受け止められています。お若い方が多いのに、自然で心地よいコミュニケーションを取っていただけるので正直とても感動しました。

すべての会話が非常に建設的で、弊社そして私に今、何が足りていて、何が足りてないかをはっきり明示してくれる存在です。そして何より、あくまでも私たちが「自分の足で歩くこと」を前提として、愛を持って伴走してくださっていることに、いつも感謝しています。

協働の中で見えてきた、「自分が本当にやりたかったこと」

ーー協働日本との取り組みの中で、会社にはどのような変化が生まれましたか?

荒木:堆肥をいかに販売していくかという課題を通じて、本当にやりたかった「環境問題への取り組みの発信」に辿り着いたことが一番の変化かと思います。

いかに堆肥に付加価値をつけるかという検討を重ねていく中で、出来上がったノウハウは必ず他の農家の為になると改めて感じました。栄養価が高く環境に良い堆肥を作って販売すると、堆肥を使った野菜農家は高品質な作物をより多く収穫できるようになり、土壌改良にも役立ちます。その堆肥の作り方を他の畜産農家にも共有できれば、そこでも堆肥が売れるようになり、購入先の作物や土壌改良にもよい影響が広がっていくと思うんです。

堆肥を活用したGX化だけでなく、牛舎と牛舎の間のスペースへの植樹、牛舎の壁面や堆肥舎の壁に蔦の葉を這わせて作ったグリーンカーテン、本来廃棄物になるようなものを飼料に活用するなど、私たちは日頃からサステナブルな取り組みを行っています。昨今では牛のげっぷに含まれるメタンガスが環境問題の一因にあるという説の影響で「牛は環境に悪い」というイメージがついてしまっているのを覆したいという思いもあり、こういった取り組みを総括して「UshiDGs(牛DGs)」として発信するようになりました。

荒木:協働プロとのミーティングを通じて思考の言語化を重ねることで、だんだんと「こういった取り組みを広げたい、知って欲しい」という「Why」が自分の根底にあったことが明確になりました。協働プロの皆さんにも「堆肥の付加価値や販路のことを考えることはすごく大事。でも、荒木さんにとっては売上を上げること自体が大事なわけではないんじゃない?」と背中を押してもらえたことが、自分にとっては大きかったと思います。

ーーただ目の前の課題解決をするだけでなく、想いの根底まで掘り下げていくことができたんですね。

荒木:そうですね。「UshiDGs(牛DGs)」のコンセプトが生まれたことにより、単に堆肥を売ることを超えて、自治体をはじめ、多くのステークホルダーに共感してもらえるようになりました。お茶の生産者や食品会社など、地域の事業者との協業が増え、鹿児島発のサーキュラーエコノミーのモデルとして、自社にとっても意義の大きな事業になってきています。

私が思っていた以上に、「UshiDGs(牛DGs)」は皆さんに共感して頂ける取り組みだったのではないかと思っています。

このように、自社の堆肥問題の解消を通じて社会課題の解消にもインパクトを残せるようになったことは、協働があったからこそ見つけられた「私たちの深層にあった大きな目的」への第一歩になりました。


企業や地域の壁を超えた、複業人材とのノウハウのシェアが日本を変える

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

荒木:私は元々異業種の方と積極的に関わりたいと考えるタイプで、考え方や事業内容が面白いなと感じた方にはSNSなどを通じて個人的に声をかけて話を聞くこともありました。多面的な視点を持つことで、新しいアイディアが生まれたり、物事への理解が深まると考えているからです。

日本社会では一般的に、アドバイスが欲しい時にその道のプロに頼ろうとする人が多いと思います。積み上げてきたものの中から良い知見を得ることはできる一方で、新しい可能性や視点を獲得することはできません。課題に直面した時に多面的な物の見方ができる力は、これからの社会でも必要だと思います。

ーー地域との協働の取り組みは今後どのようになると思いますか?

荒木:もっと広がっていくと思います。

今の若手を見ていると、何か成功を収めたとしても「全部自分の手柄」にしたい人は少ないように思います。関わった皆のお陰としてシェアすることを厭わない、「足るを知る」ような価値観の方が多いのかなと思います。

大きな理念を持つ一つの会社に人が大勢集まって、ずっと勤め続ける終身雇用の社会はもう過去の話です。これからは、こういった価値観を持つ若い世代が、会社という枠に囚われずにノウハウや労働力をシェアして、更には成果や売上もシェアしていこうという社会になっていく。そんな社会に、協働の取り組みはとても親和性が高いと思うんです。

地域と都市部の複業人材の取り組みについても同じ構造で、地域や業界・企業の枠に囚われずにノウハウをシェアしてもらうことで、効率的に成果を上げられるようになります。また、地域の外のプロフェッショナル人材からの客観的な視点と言葉で、自分たちのやっていることや考え方を再確認できるので、協働こそが新しい武器になり得るのではないでしょうか。企業や地域を超えた横の繋がりが、日本をより強くしていくと思います。

ーー嬉しいお言葉、ありがとうございます。
これからの協働日本へのエールを兼ねて、メッセージをお願いします。

荒木:協働日本の強みは、プロフェッショナルは勿論ながら、在籍する方の個々のお人柄の良さと、愛を持って悩みを聞いてくれるところだと思います。これからさらに多様な考えやスキルを持つ協働プロが増えていくことを期待しています。さらに広い範囲・多くの視点が揃うことで協働チームの戦力が突き抜けていき、救われる人が増えるんじゃないかな。

今回の協働で、協働プロの皆さんの頭の中と自分の頭の中が直結しているような、脳みそをお借りしているような感覚でミーティングを重ね、伴走支援を通じて背中を押していただきました。色んなアイディアがあっても、最後に実行するのは自分自身。本当にやりたかったことに向けて、進み出せてよかったと思っています。

ーー本日はインタビューへのご協力、ありがとうございました。

荒木:ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

荒木 真貴 Masataka Araki

有限会社 うしの中山
専務取締役

長崎県諫早市出身
長崎県立諫早高校卒業
社会人になってからは、個人でカイロプラクターを目指し活動~アパレル業界にて8年過ごし、その後、運送業、建築、建設業なども経験し、2019年に『うしの中山』へ入社 販売を担当し、自社の肥育する牛の価値を高め、何より、感動する美味しさを知ってもらい、皆さんに食べていただくため活動してます。

広く海外の方にも、最高の自社の肥育した牛を知ってもらうため、2023年はかなり輸出に力をいれていくところです。

『命に感謝』
という、自社の理念を胸に、日本の農家さんがやってこられた自然と向き合って構築されたシステムや、考え方を先進技術と掛け合わせて、発展していかれる国々にその『ノウハウを輸出』することもビジネスになり、大切な地球の環境維持にもなるはずという信念でUshiDGsも仲間を集いながら展開。

有限会社 うしの中山
https://nakayama-kimotsuki.com/

「うしの中山」様の事例を含む、鹿児島県での地域企業の協働事例はこちら

協働日本事業については こちら

本プロジェクトに参画する協働プロの過去インタビューはこちら

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