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STORY:株式会社海連 永井漸氏 – “海外に売りたい”から、“4市場で勝つ”へ。鹿児島のさつまいもを世界に届ける海外戦略とは –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

今回は、鹿児島県阿久根市でさつまいもの生産・加工・販売を手がける株式会社海連 専務取締役の永井漸氏にお話を伺いました。

鹿児島県阿久根市のさつまいも加工会社・株式会社海連が抱えていたのは、“海外に売りたい”という想いはありながらも、輸出戦略がアメリカ中心の一本足打法にとどまり、市場選定や優先順位が定まらないという壁でした。

協働プロとワンチームで伴走する中で、永井氏自身の意思決定の軸が明確になり、仮説検証を重ねながら主体的に次の一手を描けるようになりました。その結果、欧州・中東・アジア・米国の4市場を見据えた展開方針が定まり、2027年中に輸出量50〜70トンを目指す新たな成長戦略が立ち上がっています。

変わったのは数字の見通しだけでなく、“感覚で売る”から“戦略で勝つ”へと、海外展開そのものの捉え方でした。

株式会社海連は、海産物の保管倉庫をルーツに持ちながら、時代の変化に応じて事業を転換し、現在はさつまいもを軸に地域資源を活かした事業展開を進めている企業です。

“海外に売りたい”という想いを、どうすれば具体的な戦略へ変えられるのか。仮説検証を重ねながら見えてきた市場のリアル、地域内外のつながりから生まれた新たな可能性、そして今後の展望について、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

海産物倉庫から、さつまいもの加工会社へ。変化を重ねてきた海連の歩み

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、株式会社海連さんの沿革と現在の事業について教えてください。

永井漸氏(以下、永井):
よろしくお願いします。海連は1999年創業で、今はさつまいもを加工している会社です。ただ、もともとは今のような会社ではなく、海産物を保管する倉庫業から始まっています。

当時は魚を保管する倉庫として動いていたのですが、保管していた魚が獲れなくなってしまい、倉庫が空いてしまったんです。どうしようかと悩んでいた時期に、ちょうど芋焼酎ブームが来て、焼酎用さつまいもを冷凍保管するニーズが出てきました。そこから、魚ではなくさつまいもを扱うようになったのが最初の転機でした。

その後、今後は輸入芋よりも国産のさつまいもの需要が高まるだろうと考え、保管だけではなく加工まで自社でできるようにしていきました。そうして規模を広げていく中で、次に見えてきたのが雇用の課題です。

焼酎用のさつまいもは、どうしても生芋の収穫時期である9月から11月に仕事が集中します。それまではその時期だけ多くの方に来ていただいて、12月以降はほとんど人がいない、という形でも回っていました。ただ、地方では今後ますます人材確保が難しくなる。そう考えたときに、年間を通して働ける仕事をつくる必要がありました。

そこで、紅はるかのように熟成することでより美味しくなる品種を活かし、焼き芋やペーストなどの加工品づくりを進めるようになりました。さらに夏場の仕事として、阿久根市でそうめん流しの店舗を引き継ぎ、7月・8月は飲食事業も行っています。工場だけ、飲食だけではなく、年間を通していろいろな形で仕事をつくっているのが、海連の特徴だと思います。

ーーそうめん流しの店舗でも、海連さんらしさは出ているのでしょうか。

永井:
はい。紅はるかを使った素揚げや、さつまいもを使ったスイーツなど、自社の加工品を食べていただけるようにしています。隣接する売店では、工場で加工したペーストを使ったモンブランソフトのような商品も出しています。単に商品をつくるだけでなく、どう食べてもらうかまで含めて事業にしている感覚ですね。

“海外に売りたい”という想いはあった。だが、戦略は見えていなかった

ーー今回、協働日本と一緒に取り組むことを決めたきっかけを教えてください。

永井:
きっかけは、地元の下園薩男商店の下園さんです。

私が家業に戻り、いわゆる“アトツギ”としてこれからの経営をどう担っていくかを考え始めた頃、会社の今後について相談させていただく機会があって、その中で協働日本さんを紹介していただきました。

鹿児島県と連携した伴走支援の取り組みをされていると聞いて、すごく興味を持ちました。下園さんご自身が、自分の会社だけではなく、地域全体が良くなることを考えている方なんです。そんな下園さんが紹介してくださるものなら間違いないだろう、という信頼も大きかったですね。

自社にとってプラスになるのはもちろんですが、うまくいけば自分たちもまた別の事業者に広げる側に回れるかもしれない。そういう意味でも、やってみたいと思いました。

ーー今回の協働プロジェクトでは、どのようなテーマで取り組まれたのでしょうか。

永井:
テーマはシンプルで、「さつまいも製品をもっと海外に広げたい」ということでした。実際、アメリカには輸出できていました。ただ、実質的にはアメリカ一本足打法で、そこから先の拡大がなかなか見えていなかったんです。

自分の中では、イスラム圏にもさつまいもは刺さるんじゃないか、アジアにも可能性があるんじゃないか、という感覚はありました。でも、それはあくまで感覚でしかなかった。どの市場に、どの商品を、どの順番で持っていくのか。そこがまったく整理できていませんでした。

しかも、社内で海外展開を実質的に見ているのはほぼ私一人です。相談相手も少ない中で、自分だけで考えていても突破口が見えなかった。だからこそ、外部の視点が必要だと思っていました。

感覚ではなく、仮説と検証で進める。判断基準を得た伴走支援

ーー伴走した協働プロの皆さんとは、どのようにプロジェクトを進めていったのでしょうか。

永井:
伴走いただいたのは、向縄さん、般若さん、阿世知さんの3名です。伴走いただいたのは、海外ビジネスを実務レベルで推進してきたプロフェッショナルで、単なる助言ではなく“実行につながる視点”を提供してくださいました。

最初にまず「海連がどうしたいのか」をかなり丁寧に聞いてくださいました。

その上で、私が持っていたぼんやりしたイメージを、そのまま進めるのではなく、「それは本当に市場として成立するのか」「価格帯はどうか」「誰にどう届けるのか」と、一つひとつ具体化していく形でした。

私一人だと、どうしても“売れそう”という感覚で考えてしまうんです。でも、3人とのミーティングでは、その感覚をちゃんとリサーチや仮説に落とし込んで、次回までの宿題にして、また検証していく。そのプロセス自体がとても学びになりました。

自分の中にあった知識や人脈も、単独ではつながっていなかったものが多かったんです。それを「こう使えるのでは」と整理してもらえたことで、プロジェクトの進め方そのものが見えるようになりました。報告会の場でもお話ししたのですが、いろいろなアイデアを受け取る中で、自分の中に「判断する基準」が見えてきたことは、とても大きかったです。

インドネシアで仮説が崩れたことが、戦略転換の起点になった

ーー取り組みの中で、特に印象に残っている出来事はありますか。

永井:
一番大きかったのは、インドネシアに関する仮説が崩れたことです。もともと私は、ムスリム市場に行くならインドネシアが起点になると思っていました。実際、友人のインドネシア人にもオンラインで話を聞きましたし、かなり期待していました。

ただ、その話を受けて、向縄さんが実際にインドネシアに行き、現地で情報を確かめてくださったんです。そこで見えてきたのが、現地には、現地の人の好みに合う、安くて甘くて美味しいさつまいもがすでに多く流通しているということでした。

つまり、日本のさつまいもをそのまま持ち込んで今からその市場で戦うのは、いわばレッドオーシャンに飛び込むようなものだったんです。そこで一度、当初考えていた形でのインドネシア輸出は見直そう、という判断ができました。

これは、自分にとってすごく大きかったですね。今までも仮説と検証が大事だとは分かっていたつもりでしたが、実際にそのサイクルを回し、判断を変えるところまでやる経験はあまりなかった。伴走を通じて、その積み重ねが経営の判断軸を太くしていくのだと実感しました。

今までの自分たちは、「これは売れるだろう」と思ったものを展示会や商談に持っていき、たまたま刺さるかどうかに頼っていた部分もありました。今回の経験を通して、国内外を問わず、まず仮説を立て、確かめ、修正することの重要性を改めて学びました。

抹茶との掛け合わせが、欧州・アジア・地域連携へと広がっていった

ーーそこから、どのように次の打ち手が見えてきたのでしょうか。

永井:
インドネシアの議論をしている中で、現地では抹茶がかなり広がっているという話が出てきました。そこから「抹茶×さつまいも」という仮説が浮上したんです。

実は過去に、アメリカ・ロサンゼルスのレストランで、うちのさつまいもペーストを使った抹茶ティラミスをつくっていただいたことがありました。それをミーティングの中でぽろっと話したら、「それはもっと早く言ってください」と(笑)。そこから一気に、抹茶との掛け合わせを真剣に考えるようになりました。

さらに、鹿児島の輸出商社の方やお茶関係の方々に話を聞く中で、抹茶の販路と一緒にさつまいもパウダーを提案できる可能性も見えてきました。乾燥パウダーなら物流面でも扱いやすいですし、抹茶の緑と紫芋の色の対比も魅力になる。商品そのものだけでなく、見せ方まで含めて勝負できると感じています。

面白かったのは、そこから国内の連携にもつながったことです。協働プロの後押しで、お茶屋さんに話を聞きに行ったことがきっかけで、池田選茶堂さんのカフェメニューに、海連のさつまいもを使ったトッピング商品が採用されました。国外販路の議論から始まったのに、地域内の新しいコラボまで生まれた。これは自分一人では絶対に起きなかったことだと思います。

一本足打法から、4市場同時展開へ。フランスへの受注確定で見えてきた勝ち筋

ーー今回の取り組みを通じて、具体的にはどのような成果が生まれたと感じていますか。

永井:
現時点で、売上として大きく出ているものはまだこれからです。ただ、最も大きな成果は、輸出戦略が明確になったことだと思っています。

今は、欧州・中東・インドネシア・米国の4市場で、それぞれ役割の違う戦略を描いています。欧州はブランド価値を高める拠点。特に紫芋パウダーのような素材系商材で、抹茶ルートとの親和性も活かしながら展開していきたいと考えています。ロンドンでは加工原料としての可能性も見えてきました。

中東は、ハラール市場の成長を見据えた展開です。まずはドバイなどを足がかりにして、周辺地域へ広げていきたい。インドネシアは当初より優先順位は下がりましたが、素材単体ではなく、抹茶と組み合わせた“ジャパニーズカフェメニュー”としてなら可能性があると見ています。

そしてアメリカは、やはり一番売上を伸ばしやすい市場です。すでにレストラン向けやチェーン向けの販路があるので、まずはそこを太く強くしていく。加えて、欧州など他地域での実績がアメリカでの提案にも効いてくる。4市場が相互に補完し合う形が見えてきました。

目標としては、2027年中にさつまいも関連だけで年商1億円を目指しています。輸出量でいうと、現在の10〜15トンから50〜70トンへ。かなり高い目標ではありますが、以前のように“海外に売りたい”という状態ではなく、どう積み上げるかの地図が見えたのは大きいです。

その手ごたえは、すでに少しずつ具体的な反応としても現れ始めています。たとえば、FOODEX JAPAN 2026では、鹿児島県ブースへの出展を通じて多くの来場者との接点が生まれ、フランス向けに紫芋パウダーの受注が確定するなど、戦略で描いた欧州市場への展開が、実際の商流として立ち上がり始めています。

まだ大きな売上として語る段階ではありませんが、欧州向けの新たな可能性を感じられたことは大きな一歩でした。描いてきた戦略が、机上の構想にとどまらず、確かな反応として返ってきた瞬間だったと思います。

主体的に動いてもいい。そう思える空気が社内に生まれ始めた

ーー事業戦略だけでなく、組織の面での変化はありましたか。

永井:
会社全体が大きく変わった、とまではまだ言えません。でも少なくとも、私自身には大きな変化がありましたし、それが社内にも少しずつ波及し始めている感覚はあります。

今回の伴走支援を通じて、自分から主体的に動いてもいいんだ、チャレンジしてもいいんだ、という感覚が強くなりました。毎週のミーティングが本当に楽しみで、ワクワクしながら次の打ち手を考えていました。そういう姿を見せられたこと自体が、今後従業員を巻き込んでいく上でも意味があると思っています。

また、今回の取り組みを通じて、外部の知見を取り入れながら進めることへの社内理解も少しずつ生まれてきました。トップダウンだけではなく、現場から新しい提案や挑戦が出てきてもいい。そう思える環境づくりの第一歩になったと感じています。地方企業ではどうしても社内だけで考えが固まりがちですが、外の視点が入ることで、失敗を恐れずに挑戦する空気が生まれる。その土台づくりになったと思います。

“プロに任せる”価値を知っているからこそ、外部プロ人材の力を実感した

ーー協働プロの皆さんの印象についても教えてください。

永井:
3人とも本当にキャラクターが違っていて、すごくいいチームでした。向縄さんはとにかく前向きで、言葉がいつもポジティブなんです。だからこちらもワクワクしながら進められる。阿世知さんは議論をうまく整理して、まとめてくださる存在。般若さんは冷静に全体を見て、「ここはもっと詰めた方がいいですね」と俯瞰したアドバイスをくださる。そのバランスがとても良かったです。

私は家業に戻る前、産業用ロボットメーカーやゲームメーカーで働いていたのですが、その中で“プロに任せることの価値”をかなり実感してきました。自分が数時間かけてもできないことを、その道のプロは数分で解決してしまう。だったら、任せるべき領域は任せた方がいい。その感覚がもともとあったので、今回の伴走の価値もすごく腹落ちしました。

地方企業こそ、外の知見とつながることで前に進める

ーーこうした外部のプロ人材との取り組みは、今後さらに広がっていくと思われますか。

永井:
広がっていってほしいですし、広がるべきだと思っています。特に地方には、「変わりたい」と思っていても、社内にそのための人材や知見が足りない会社が本当に多いと思うんです。

自分一人でやらなきゃいけないと思っている経営者や後継者は多いですし、実際、私自身もそうでした。でも、少し背中を押してもらうだけで、一気に見える景色が変わることがある。そういう会社にとって、協働日本のように各領域のプロ人材とつながれる存在はすごく大きいと思います。

今後は海外戦略だけでなく、人事や制度設計など、また別のテーマでも相談したいことがあります。

協働日本にはそれぞれの分野を知るプロが揃っているので、テーマが変わってもまた一緒に動けるという安心感があります。

今回つながった皆さんとも、さらなる共創ができたら嬉しいですね。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

永井:
協働日本さんと関わった企業は、いい方向に変わっていくと思っています。今回、自分たちもそれを実感しました。この取り組みを通じて、もっと多くの会社が前向きな変化を経験して、幸せになっていってほしいです。

そしていつか、海連がお願いしたくても「今は手一杯です」と言われるくらい、たくさんの企業が協働日本さんと一緒に動いている状態になったら、それだけ地域で挑戦する会社が増えているということだと思います。そんな未来を、すごく楽しみにしています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

永井:
ありがとうございました。


永井さんも登壇した、【鹿児島県】令和7年度「新産業創出ネットワーク事業」最終報告会の様子は、以下の動画でもご確認いただけます。


永井 漸 / Zen Nagai

株式会社海連 専務取締役

高校時代に中国・北京、大学時代に英国・ロンドンへ留学。大学卒業後は京都市にて産業用ロボットメーカー、ゲームメーカーでの勤務を経て、2018年に家業である株式会社海連に入社。産業用ロボットメーカーでは海外営業として東アジア(中国)および東南アジア(インドネシア、フィリピン)を担当し、ゲームメーカーでは開発部門にてITコンサルティング領域のライセンス管理業務に従事。現在は専務取締役として、事業承継を見据えた経営への参画に加え、地域資源を活かした事業展開を通じて地方創生に取り組んでいる。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 向縄一太氏 – 「浪漫」と「算盤」で地域を変える –

STORY:米田食堂 米田正和氏 – 地獄蒸しから生まれる“次の名物”──別府・鉄輪で三代続く食堂が描く団子汁食堂の未来 –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

今回は、別府・鉄輪で三代続く大衆食堂「米田食堂」の三代目・米田正和氏、そして協働プロとして伴走する相川知輝氏にお話を伺いました。

米田食堂は、1955年創業。別府の名所「地獄めぐり」の動線上に店を構え、大分の郷土料理・団子汁を看板に、長年地域と観光客に親しまれてきた食堂です。

同店では、米田氏が掲げた「店を目的地化する」という構想のもと、温泉の噴気を活かした“地獄蒸し”の新商品開発と、団子汁を“選ばれる名物”へ進化させる取り組みに協働日本が伴走しています。

プロジェクトを通じて、売上130%を生んだ新商品「極楽 鬼カステラ」が誕生。さらに、現場で継続的に回せるオペレーションを見据えた“次の挑戦”も動き出しています。
協働日本との取り組みで得られた変化、試行錯誤のプロセス、そして地域へ広がり始めた“協働”の輪について、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

地獄めぐりの途中にある、三代続く大衆食堂

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、米田食堂さんの沿革と、現在の事業について教えてください。

米田正和氏(以下、米田):こちらこそ、よろしくお願いします。

1955年に別府市・鉄輪で初代の米田トリヱが大衆食堂「米田屋」を開店したのが始まりです。温泉地ならではの立地を活かし、だんご汁や地獄蒸し料理を中心に、長年、地元の方と観光客の方の両方に支えられて営業してきました。

祖母から父、そして自分が三代目になります。もともとはいろいろな食事を出す大衆食堂でしたが、今は大分県の名物である「団子汁」を一番の売りにしています。これまでの歴史を大切にしながらも、次の時代に向けた新しい挑戦にも取り組んでいます。

ーー団子汁が看板メニューになっているのですね。加えて、米田食堂さんならではの特徴として“地獄蒸し”もあると伺いました。

米田:店先に「地獄釜」があって、温泉の噴気(蒸気)を使って食材を蒸すことができます。

今は卵やお芋、とうもろこしを蒸して、それを店先で販売しています。

ーー立地も含めて、地域での位置づけはどのようなものなのでしょうか。

米田:うちは観光地のど真ん中で、「別府の地獄めぐり」のコース上にある食堂です。

昔は湯治に来た方や地元の方が多かったですが、今はどちらかというと観光客の方がメインになっています。

ただの郷土料理にしない。団子汁を“選ばれる名物”へ進化させる挑戦

ーー協働日本との取り組みを始められたきっかけを教えてください。

米田:別府市役所の産業政策課の方から案内があり、別府市の外郭団体「B-biz LINK」さんと、「協働日本」さんが共催していた事業支援説明会に参加したのがきっかけです。

気軽に参加した説明会だったのですが、協働日本代表の村松さんのお話を聞いて、とても関心が高まりそのままあれよあれよという間に、面談へと進みました。

そこから支援を受けさせてもらえることになり、今回のご縁に繋がりました。

ーー最初に協働日本の話を聞いた時の印象はいかがでしたか。

米田:まず、とても熱い人たちが集まっている会社なんだなあという印象でしたね。これまでこういったお話を聞いてきた、いわゆるコンサルタントの方々とは全然違って。自分の想いを正直に、やってみたいことを気軽に相談でき、ざっくばらんに話せそうな雰囲気がありました。

経営や商品開発を、自分たちだけで考えていると、どうしても視野が狭くなってしまうと感じていました。お店の強みはあるはずなのに、それをうまく言葉や形にできていない、そんなもどかしさがあったんです。

協働日本さんのお話を聞き、「一緒に考え、伴走してくれる」という姿勢に共感し、思い切って取り組むことを決めました。

ーープロジェクトの出発点として、米田さんが協働日本に伝えた“やりたいこと”は何だったのでしょうか。

米田:「店を目的地化したい」ということです。

今は“ただの団子汁”を売っている。それを“ただじゃない団子汁”にどう昇華させるか。

自分の店を別府、そして「地獄めぐり」に来る人たちの目的地にしたいというのが最初に伝えたことです。

ーー地域内にも団子汁を出すお店が複数ある中で、狙うポジションは明確だったのですね。

米田:そうですね。地域で一番を取って、そこから「大分県の団子汁といえば」というところまで行きたいと思っています。

決まった型がないから、前に進めた。“地獄蒸し”の新展開

ーー協働プロジェクトに参画している協働プロについて教えてください。

米田:相川さん、他数名の協働プロの方々を中心にご支援いただいています。

それぞれ違った視点を持っていて、毎回の打ち合わせで新しい気づきをいただいています。

ーー今回、協働プロ相川さんがインタビュー記事に同席していただいています。相川さんは現地の状況を踏まえて、どこから着手したのでしょうか。

相川知輝氏(以下、相川):鬼山地獄のすぐそばで、人通りはすでに多い場所です。だから最初は、そこで“買ってもらえる”“話題になる”ものをつくる。

SNSでシェアされる状態ができたら、「あれを食べに行こう」に変えていける、と考えました。

ーー人通りの多さを活かし、そこから目的地化へつなぐ設計ですね。

相川:そうです。しかも米田食堂さんは、店先に自販機があって、その後ろに地獄蒸しの設備がある。そこでも売れば、まず手に取ってもらえる確度が高い。卵やとうもろこしはすでに売れている。ただ、100円・200円の世界観に寄ってしまうのがもったいない。価値があるものにすれば、高くても買ってもらえるはずだと。

ーー具体的にはどんな取り組みを進めていますか。

米田:主に、新商品の開発と、観光客へのアプローチ方法の見直しに取り組んでいます。

具体的には、お客様目線の商品づくり、ネーミングやパッケージの検討、看板やPOPなどの販促改善などです。「鉄輪らしさ」「米田食堂らしさ」を改めて整理し、どうすれば伝わるのかを一緒に考えてきました。

ゴール実現に向けたアイデア出しと、“現実化”するための伴走支援の両輪

ーー協働日本の伴走の“進め方”は、米田さんにとってどのような体験でしたか。

米田:決まったフォームがあるわけじゃなくて、打ち合わせをしながらブレストして、どんどん意見が出てくる。会議も硬くならずに、普通の雑談から始まったりして、会議が毎回楽しみでした。

また、一番大きな変化は、「考え方」です。これまでは感覚的にやっていたことを、言語化し、整理しながら進めるようになりました。

「まずやってみて、反応を見て、改善する」という姿勢が身についたと感じていますし、スピード感をもってプロジェクトを進められています。

ーー相川さんから見て、このプロジェクトが前に進む速度が出た要因はどこにありますか。

相川:一つは、米田さんがすぐ試してくれるところです。本当にこれ実現できるっけ?というものが、1〜2週間後にはテストされていて、形をどんどん変えられた。だから比較的早く新商品ができました。

もう一つは役割分担です。協働側は「売れる・見た目・話題化」の設計を考える。ただ、味をどう担保するかは、僕らは触れない。そこは料理人である米田さんに任せられる。だから速い。

ーー根本の方向性は米田さんの想いベースで、それを“できる形”へ一緒に落としていくのが『協働』、という整理ですね。

相川:そうです。ゴールの方向性は米田さんが持っている。そこに向けて、アイデアを出して、現実化していく、という伴走です。

売上130%を生んだ「極楽 鬼カステラ」

ーー取り組みの成果の中で、象徴的なものを教えてください。

米田:創業以来初となる新商品の開発が実現したことです。名付けて、「極楽鬼カステラ」。鉄輪らしさやお店の個性を前面に出したもので、観光客の方に手に取っていただきやすい商品になりました。

相川:地獄蒸しの新商品としてつくったもので、鬼の髪型のような見た目にした「極楽 鬼カステラ」です。地獄蒸しの文脈と、写真を撮りたくなる見た目を掛け合わせました。

米田:中が地獄蒸しでつくったカステラです。

ーー実際の成果として、数字で語れる変化はありましたか。

米田:もともと地獄蒸しで売っていたのは卵や芋、とうもろこしで、“蒸して売る”だけでした。そこに新商品が加わったことで、販売していた期間は、平均で20%くらいは上がっています。

相川:繁忙期に絞れば売上130%増になっていますよね。

「売れる」だけでは終わらせない。老舗だからこそ直面した“続ける”という現実

ーー新商品がヒットした一方で、継続に向けた課題も見えてきたと伺いました。

米田:そうですね。正直に言うと、「売れたからすべて成功!」ではなかったな、というのが率直な感覚です。

極楽 鬼カステラは、見た目のインパクトもあって、観光客の方が写真を撮ってくれたり、SNSに上げてくれたりと、想像以上の反応がありました。実際、売上としても手応えはありましたし、「これはいける」と思った瞬間もありました。

ただ一方で、現場のオペレーションが・・想定以上に大変でした。

ーー具体的には、どのあたりが負担になっていたのでしょうか。

米田:仕込みから提供までに手間がかかるので、どうしても人手が必要になるんです。アルバイトが入れる休日なら回せるけれど、平日は難しい。忙しい時期ほど、現場が回らなくなるというジレンマがありました。

老舗の個人店なので、人員に余裕があるわけではありません。売上が上がっても、現場が疲弊してしまっては意味がない。続けられなければ、名物として根付かせることはできない。そこに、はっきりとした課題を感じました。

ーーその気づき自体が、次の挑戦につながっているのですね。

相川:まさにそうですね。今回のプロジェクトでは、「売れるかどうか」だけでなく、「続けられるか」「現場で回せるか」を、次のテーマとして明確にできたことが大きいと思っています。

最初のチャレンジで成功体験と同時に“反省点”が言語化できた。

これは、単発のヒットで終わらせず、次につなげるうえで非常に重要なプロセスだと考えています。

老舗×観光地だからこそ必要だった「視点の外注」

ーー協働日本が伴走することで、米田さんご自身の視点にも変化はありましたか。

米田:かなりありましたね。自分一人で考えていると、どうしても「料理人として」「店主として」の目線に偏ってしまう。味や品質をどうするか、という発想から抜け出しにくいんです。

でも、協働日本の皆さんと話していると、「お客さんからどう見えるか」「なぜそれを選ぶのか」といった、少し離れた視点で問いを投げてもらえる。自分の中にはなかった角度なので、毎回ハッとさせられました。

ーー相川さんから見て、外部人材が入る価値はどこにあると感じますか。

相川:地域に根付いて長く商売をされている方ほど、自分たちの強みを“当たり前”として捉えてしまいがちです。地獄蒸しも、団子汁も、別府では日常に近い存在。でも、外から見るとそれ自体が強いコンテンツになる。

だからこそ、「これは価値がある」「もっと伝えていい」と、第三者が言語化する意味があると思っています。視点を外注する、という感覚に近いかもしれません。

「目的地化」は、商品だけで完結しない

ーー改めて、「店を目的地化する」という構想について、今はどのように捉えていますか。

米田:商品をつくれば終わり、ではないなと感じています。極端な話、ヒット商品が一つあっても、それだけで“目的地”にはならない。

店に来たときの体験や、ここでしか味わえない空気感、別府・鉄輪という土地とのつながりも含めて、「また来たい」「誰かに勧めたい」と思ってもらえるかどうか。その積み重ねが大事なんだと思います。

だから今は、次の商品開発と並行して、「どう見せるか」「どう体験してもらうか」という部分も、改めて考えています。

ーー協働日本としても、今後はその領域まで踏み込んでいくのでしょうか。

相川:はい。商品開発はあくまで一つの入口です。そこからどう回遊させるか、どうファンになってもらうか。

最終的には、「米田食堂に行くこと」自体が目的になる状態を一緒につくっていきたいと思っています。

“持ち歩きできる郷土料理”という次の挑戦

ーーその学びを踏まえ、次の展開はどのように考えていますか。

相川:次は、オペレーションの負荷を下げた上で、地獄蒸しを使った第二弾を準備しています。ここでしか買えない“映える商品”は出したい。でも手軽に回せないと意味がない。そこで「郷土料理+持ち歩きできるフード」というコンセプトで進めています。見た目にもこだわり、手に取ってもらう仕組みまで考えています。

米田:注文を受けてからのオペレーションが少なくて済む形ですね。事前に作って温めておくだけ、のように無理なく店舗を回せる設計も重要だと感じています。

地域に広がり始めた“協働”の輪

ーー協働日本の支援は、別府の地域にも広がり始めていると伺いました。変化をどう感じていますか。

米田:心強いです。地域全体で盛り上がれば、もっとできることが増える気がしています。個人事業者が多い地域なので、支援を受けることでスキルが底上げされていくと、地域でできることがどんどん広がっていくと思います。

相川:地獄蒸しスタンプラリー、みたいな展開も面白いですよね。

「小回りが利く支援」が、地域の挑戦を前に進める

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

米田:正直に言うと、興味はありましたが、どう関わればいいのか分からず不安もありました。

今回の取り組みを通じて、「遠い存在」だと思っていた都市人材の方々が、とても身近な存在だと感じるようになりました。

ーー取り組みを振り返ってみていかがでしょうか。

米田:協働日本さんは、専門的な知識や経験を持ちながらも、決して上から意見を押し付けるのではなく、「よね田としてどうしたいか」「無理なく続けられるか」を常に考えてくれました。単なる支援者ではなく、「同じチームの一員」として取り組むことができたと思っています。

また、ピンポイントで支援してくれる人が参画してくれるところがいいと思います。普通のアドバイザーやコンサルとは全然違う。規模が小さくても、やりたいことや夢がある会社には、こういう“小回りが利く支援”の方が合うと思います。そういう人が増えていけば、地域としてももっと前に進めるんじゃないかと感じています。

今後、ますます広がっていくと思いますし、特に、次の一手を考えている事業者さんや、現状を変えたいけれど一人では難しいと感じている方には、ぜひおすすめしたいです。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

米田:協働日本さんは、地域と人をつなぐ、とても大切な存在だと思います。これからも多くの地域事業者に寄り添い、それぞれの強みを引き出していくのではないでしょうか。

私たちも、その一事例として、これからの歩みをしっかり形にしていきたいと思います。今後のご活躍を心から応援しています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

米田:ありがとうございました!

相川:ありがとうございました!

米田 正和 / Masakazu Yoneda

米田食堂 三代目店主

相川 知輝 / Tomoki Aikawa

協働日本 協働プロ

(株)ひまじん 代表取締役・プランナー

大手広告代理店に勤務時代に、クルマメーカーの日本初Twitterキャンペーンを仕掛ける等、デジタル・イベントを軸としたマーケティング&プロモーションを多く手掛ける(受賞歴複数あり)。
独立後は、大手企業だけでなく、中堅印刷会社における新規事業創出、中堅建設会社の売上向上支援・PR支援(NHK等露出)、ミシュラン店のPR・新商品作り支援、組織コンサルティング会社のマーケティング支援(その後、マザーズ上場)等を行う。

食領域に関心が高く、日本全国の創業100年越えの老舗飲食店を4000店舗以上訪問(日本一の訪問数)。フードアナリスト協会認定アナリスト、東京カレンダー公認インフルエンサー、フジテレビ食番組企画・プロデュース、ラジオ大阪お取り寄せコーナー担当、朝日新聞社での老舗連載等を手掛ける。食関係のXフォロワーは4万人を超える。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい –