投稿

STORY:オメガテクノ株式会社 栃平秀典氏 “事業”と“人”の両輪が進化。品質保証の「最後の砦」をさらに思考する組織へ

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

【記事サマリー】
全国展開する品質保証業務代行会社・オメガテクノが抱えていたのは、経営視点や意思決定が属人的になりやすいという壁でした。協働プロとワンチームで伴走する中で、マネージャー層が自ら考え、提案し、組織を動かす主体へと変化。その成果の一例として、低空飛行だった営業所が全国16拠点のトップへ躍進するなどの変化が生まれます。変わったのは数字だけでなく、品質保証を“作業”ではなく“企業の信頼を支える仕事”として捉え直し、モビリティ産業変革を支える品質インフラ企業へ進化しようとする組織の視座でした。 

今回は、品質保証業務のアウトソーシングを手がけるオメガテクノ株式会社 代表取締役の栃平秀典氏にお話を伺いました。

製造業における品質保証は、単なる工程の一部ではありません。製品が市場に出る直前、あるいは納品後に発覚する不具合にどう向き合うかは、企業の信頼そのものに直結する重要なテーマです。オメガテクノは、そうした品質課題に対して、全国16拠点・対応率98%という高い現場対応力を強みに、製造業の「最後の砦」として存在感を高めてきました。

一方で、創業から成長を重ねる中で見えてきたのが、オーナー社長としての強い意思と引き換えに生まれやすい“視野の偏り”や、組織として深く考える力をどう育てていくかという課題でした。協働日本との取り組みを通じて生まれたのは、単なる業務改善ではなく、「考え方が変わることで、組織が変わり、数字が変わる」という本質的な変化でした。

品質保証業務を「選別」ではなく「信頼を守る仕事」と再定義し、現場力だけでなく思考力と組織力を磨いてきたオメガテクノ。なぜ協働日本と取り組むことを決め、何が変わり、これからどこを目指していくのか。その背景と実感を、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

“選別業者”ではなく、“品質保証業務代行サービス”として業界に切り込んだ

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、オメガテクノさんの沿革と現在の事業について教えてください。

栃平秀典氏(以下、栃平):
よろしくお願いします。私は2014年に同業他社から独立して、オメガテクノを立ち上げました。もともとこの業界には長くいましたが、立ち上げのきっかけになったのは、CS、つまりカスタマーサティスファクションへのこだわりです。

この業界では一般的に「選別業者」と呼ばれることが多いのですが、私はその呼び方に少し違和感がありました。もちろん、検査や選別という機能は担っていますが、本質はそこだけではない。私たちが向き合っているのは、品質そのものに対するお客様の信頼だと思っていたんです。

そこで、自分たちの事業を「品質保証業務代行サービス」と定義しました。製造工程の途中で見つかる不具合ではなく、完成後、納品後に見つかる品質問題に対応する。いわば、最後の局面で品質を守る仕事です。そこに本質的な価値があると思って、この業界に自分なりのやり方で切り込んでみたいと考えたのが独立の出発点でした。

ーー現在は、どのような形で事業を展開されているのでしょうか。

栃平:
主力は品質保証業務の代行です。完成品として納品された後に見つかる不具合に対して、検査や選別、必要に応じた対応を行っています。現在は日本全国に16拠点を展開していて、対応率は98%です。ほぼすべてのお客様のご要望にお応えできている状態だと思っています。

私たちの特徴は、クイックなレスポンスと、マンパワーに対する対応力です。たとえば「この現場に、今すぐこれだけの人数が必要だ」と言われたときに、品質を落とさず、瞬間的に人を出すことができる。これが大きな強みになっています。

ーーその“瞬間的に人を出せる”というのは、この業界ではかなり大きな違いなのでしょうか。

栃平:
大きいと思います。人を出すだけならできる会社もあるかもしれませんが、品質を維持したまま、必要な人数を即座に供給するとなると、簡単ではありません。そこは完全に仕組みで実現している部分です。詳しくは企業秘密ですが、属人的な頑張りではなく、再現性を持った形でオペレーションできるようにしています。

売上の約80%は自動車関連ですが、それ以外にも重機、建機、鉄道、航空、宇宙、医療、食品など、幅広い分野からご依頼をいただいています。製造業の品質課題という意味では、対象はかなり広いですね。

品質は“コスト”ではなく“企業の信頼”。オメガテクノが守ろうとしているもの

ーー品質保証という仕事を、どのように捉えていらっしゃいますか。

栃平:
品質は、単なるコストではないと思っています。企業にとっての信頼そのものです。実際、不具合が市場に出てしまえば、その影響は製品だけに留まりません。ブランド、取引先との関係、将来的な受注、すべてに関わってきます。

だからこそ、私たちの仕事は「検査をすること」だけでは終わりません。お客様が守りたい信頼を、最前線で支えることに意味がある。その意味で、私たちは“最後の砦”だと思っています。

会社としても、費用対効果の追求や、顧客満足と社員満足の両立、人材育成、継続的な改善などを重視してきました。品質に向き合う会社である以上、自分たち自身も改善し続けなければいけない。そういう考え方は、創業時からずっと変わっていません。

世界とつながる品質保証。グローバルネットワークが生む新しい価値

ーーオメガテクノさんの特徴として、グローバルネットワークのお話も印象的でした。そのあたりも教えてください。

栃平:
今の製造業は、部品調達が完全にグローバル化しています。たとえば日本の自動車メーカーであっても、国内だけで部品をまかなっているわけではありません。イタリアやドイツ、中南米やアジアなど、世界中から部品が届いています。

そうした中で、日本国内で不具合が見つかった場合、責任の所在は海外の部品メーカーにあるとしても、現実にはすぐに対応できないケースが多いんです。日本のメーカーからすると、品質問題は今この瞬間に解決しなければいけない。でも、海外のメーカーはすぐには来られないし、現場もわからない。その間を埋める存在が必要になります。

そこで私たちのグローバルネットワークが活きてきます。現地や国内で必要な検査対応を行い、その結果を迅速にフィードバックする。逆に、日本の部品メーカーが海外に輸出した製品に不具合が起きた場合も、現地で検品対応を行い、日本側へ戻すことができます。

ーーそれは、今後の事業にとっても大きな可能性になりそうですね。

栃平:
はい。私はこの分野が今後かなり伸びると思っています。たとえば、日本のメーカーさんがタイやインドネシア、中国に部品を出しているケースでも、現地でトラブルが起きたとき、どこに頼めばいいのか、相場はいくらなのか、どうやって現地とやり取りすればいいのか、わからないことが多いんです。

そのときに、オメガテクノに連絡をいただければ、日本語で一括して対応できる。現地での手配も、品質確認も、フィードバックも含めて対応できる。これは大きな利便性だと思っています。

私たちはTRIGO社との連携も含めて、世界とつながる品質保証体制を構築してきました。業界全体で見ても、本格的なグローバルネットワークを持っている会社は多くありません。今までになかった価値をつくれる可能性があると思っています。

ーー近年は、TRIGO社との提携など、グローバルな品質保証体制に向けた大きな動きもあります。こうした取り組みは、どのように位置づけていますか。

栃平:
TRIGO社との提携は、オメガテクノにとって非常に大きな転機だと思っています。

これまで私たちは、品質問題が起きたときに迅速に対応する、いわば「最後の砦」としての役割を担ってきました。ただ、これからの品質保証は、それだけでは足りないと思っています。自動車産業はCASEや電動化によって大きく変わっていますし、サプライチェーンもさらに複雑になっています。

そうなると、不具合が起きてから対応するだけではなく、品質異常を未然に防ぐこと、データを活用して品質課題を捉えること、国内外の複数拠点で同じ基準の品質対応を実現することが重要になります。

TRIGO社のグローバルネットワークや品質管理の知見と、私たちが日本国内で培ってきた現場対応力を掛け合わせることで、品質保証のあり方そのものを進化させていきたいと考えています。

“独りよがりな経営”に限界を感じていた。協働日本と出会うまで

ーー今回、協働日本と一緒に取り組むことを決めたきっかけを教えてください。

栃平:
知人の紹介がきっかけでした。ただ、タイミングとして非常に良かったんです。ちょうど自社のビジネスモデルをさらに確立させていく前の段階で、新しいアイデアが欲しいと思っていた時期でした。

独立してから、私は自分のアイデアだけで経営してきました。それはそれで必要なことだったと思いますが、どうしても限界がある。オーナー社長というのは、思いが強い分、近視眼的にもなりやすいんです。私自身、振り返れば“独りよがりな経営”になっていた部分があったと思います。

何かアドバイスが欲しい、視野を広げたいという思いはずっとありました。でも、いわゆるコンサルタントや評論家的な関わり方には、あまり魅力を感じていませんでした。表面的に見て評価されるのではなく、こちらの話をちゃんと聞いた上で、一緒に考えてくれる人と出会いたかったんです。

その意味で、協働日本は全く違いました。異業種の人たちが、それぞれの専門性を持って関わってくれる。HR、営業企画、商品企画など、いろんな視点からアイデアをもらえる。しかも一方的ではなく、協働というスタンスで関わってくれる。その点に非常に価値を感じました。

ーー協働日本とは、かなり長く幅広いテーマで議論されてきたのですね。

栃平:
そうですね。協働日本さんとは4年以上に渡って取り組みを継続しておりますが、ずっと一つのテーマだけを相談してきたというより、その時々の会社の状況に合わせて、いろいろなテーマについて話をしてきました。

最初は、事業をどう磨き込んでいくか、ビジネスモデルをどう広げていくかという話が中心でした。そこから、組織をどうつくるか、人をどう育てるか、教育をどう位置づけるか、お客様に対してどのような価値を提供していくかといったテーマにも広がっていきました。

営業や顧客との向き合い方、マネージャー層の成長、現場オペレーション、さらにはグローバル展開や外部企業との提携をどう経営として捉えるか。そういったことまで含めて、かなり幅広く議論してきたと思います。

単発で何かを教えてもらうというより、会社の成長段階に合わせて、一緒に考えるテーマが変わってきた感覚があります。そこが協働日本さんの強みだと思いますね。

最初は厳しいと感じた。でも、回を追うごとに意味がわかった

ーー実際に協働プロの皆さんと関わってみて、印象はいかがでしたか。

栃平:
メインで関わっていただいているのは、藤村昌平さん、芹沢亜衣子さん、三宮大輝さんです。

藤村さんは、かなりはっきり物を言ってくださる方です。正直、初期の頃は厳しいフィードバックだと感じたこともありました。
ただ、回を追うごとに、おっしゃっていることの意味がわかってきたんです。よく話を聞いてくださっているからこそ、そこまで踏み込んで言える。表面的な評論ではなく、こちらを理解した上での指摘なので、とても納得感がありました。

芹沢さんはHRの専門家として、非常に客観的で冷静なコメントをくださいます。藤村さんのコメントを補強したり、噛み砕いて整理してくれたり、時にはエビデンスのような役割を果たしてくれる。人や組織の観点から非常に助けられています。

三宮さんは現場に強い方で、実例をもとに話してくださるのでわかりやすいですね。現場で何が起きるのか、設計したことがどう動くのかという視点でコメントいただけるので、こちらもイメージしやすいんです。

ーーチームとしての良さも感じられたのでしょうか。

栃平:
感じました。3人それぞれ役割が違っていて、非常にバランスがいいと思います。しかも、皆さんいい意味で忖度がないんです。私はそれがよかった。もし忖度をする方々だったら、ここまで一緒にやっていなかったと思います。

もちろん、人としての常識や配慮はあります。でも、ビジネスの話になると、ちゃんと切り込んでくれる。しかも、それが勝手な思い込みから来るものではなく、よく話を聞いた上での意見なんです。だからこちらにも入りやすい。コンサルタントや評論家とは全く違う、“一緒に考えてくれている”感覚がずっとありました。

ーー単なるアドバイスではなく、経営者の悩みにかなり深く寄り添う関わり方だったのでしょうか。

栃平:
そう思います。経営者は、最後は自分で決めなければいけません。ただ、その前段階で、頭の中にある悩みや違和感を言葉にする相手がいるかどうかは、すごく大きいと思っています。

協働日本さんとの時間は、正解を教えてもらう場というより、こちらが抱えている課題を一緒に掘り下げてもらう場でした。事業のこと、組織のこと、人材育成のこと、お客様への向き合い方、外部との提携をどう位置づけるか。そうした経営上の重いテーマについて、忖度なく意見をもらえる。

しかも、ただ厳しいだけではなく、こちらの話をよく聞いた上で切り込んでくれるんです。だから、こちらも受け止められる。経営者として一人で抱え込みがちなテーマを、対話を通じて整理できることは非常に大きかったですね。

ーー協働日本との取り組みの中で、「一緒に戦っている」と感じる瞬間はありましたか。

栃平:
ありますね。協働日本さんは、「こうした方がいい」と外から言うだけではなく、「本当にそこへ向かうのか」と深いところまで一緒に考えてくれる。時には厳しいことも言われますが、それだけ本気で向き合ってくれているんだと思います。

だからこちらも、本音で向き合える。 “伴走”というより、本当に一緒に会社の未来を考えてくれている感覚がありますね。

アイデア出しから人材育成へ。取り組みは“事業”と“人”の両輪に進化した

ーー協働日本とのプロジェクトは、現在どのようなテーマで進んでいるのでしょうか。

栃平:
最初は、ビジネスモデルを広げるためのアイデア出しが大きなテーマでした。自分一人の発想に閉じず、いろんな方向から新しい視点を入れていく。そのフェーズがまずありました。

ただ、今はそこから次の段階に入っています。現在は、人材育成にかなり比重を置いています。むしろ今は100%人材育成に振っていると言ってもいいかもしれません。

私と協働プロの皆さんで面談やミーティングを重ねてきたのですが、今は私の部下たちも巻き込んで、社員主体のチームミーティングを進めてもらっています。節目では私も入りますが、基本的には社員に主導権を渡している形です。

ーー人材育成が中心になっているとはいえ、事業とのつながりも強そうですね。

栃平:
そうですね。単純な人材育成ではありません。中心にあるのは、PDCAを回すことです。深く考え、仮説を立て、検証し、修正していく。その力を組織の中に根づかせることが、結果的に企画にも、営業にも、現場改善にもつながっていくんです。

なので、事業の成長と人の成長は完全に両輪です。人を育てることが、そのままビジネスを太くしていくことにつながっている感覚があります。このあたりの循環は、本当に見事だなと思っています。

“深く考える習慣”が根づき、仕事の質が変わってきた

ーー協働日本との取り組みを通じて、具体的にどのような変化が生まれましたか。

栃平:
一番大きいのは、“深く考える習慣”を与えてもらったことです。

日常業務の中では、どうしても見逃してしまうことがあります。忙しさの中で、表面的に判断してしまうこともある。でも、協働日本の皆さんは、その見逃しそうな部分をちゃんと拾って、そこを深く考えるよう促してくれるんです。

その結果、仕事の質がだいぶ変わってきました。表面的なところではなく、本質に近いところまで踏み込んで物事を考えるようになってきたと思います。

ーー従業員の方々にも、その変化は現れていますか。

栃平:
現れています。たとえば企画ごと一つとっても、以前なら短絡的に取り組んでいたかもしれないものが、今は一歩踏み込んで考えられるようになっています。まだ効果が数字として完全に出切っているわけではありませんが、本質を突いた取り組みになってきているので、成功確度は高くなっていると思っています。

“ひらめいたからやる”ではなく、“よく考え抜かれているからやる”に変わってきた。この違いは大きいですね。

考え方が変わると、数字が変わる。低迷していた営業所がトップへ

ーー成果についても教えてください。定量的にわかるものはありますか。

栃平:
わかりやすい例で言うと、当社のある営業所が、以前はかなり低空飛行だったんです。それが今は、16拠点の中でトップに躍り出ています。

もちろん、すべてが協働日本のおかげだけではないものの、考え方が変わることで、ごく短期間で数字があからさまに変わったのは事実です。そのきっかけを作ってくれた協働日本さんには感謝しています。

トップの考え方、人との接し方、マネージャーの動き方が変わると、組織の動き方が変わる。人がどう動くかが変わる。結果として売上や成果にもはっきり影響してくる。これは非常にわかりやすい成果だと思います。

ーーその背景には、どのような変化があったのでしょうか。

栃平:
ビジネススキームのあり方自体が変わってきたことも大きいですね。もともと絵に描いた餅のように見えていたスキームが、実際にオペレーションできる状態になってきています。それを可能にしたのは、やはりマネージャー層の成長だと思っています。

以前は、“こういうことをやりたい”という話が出てきても、どこか頼りなさがあったんです。でも今は違う。「やってもいいですか」ではなく、「これをやりたい」と言ってくる。しかも、その企画がしっかり作り込まれているんです。

このあたりは、各マネージャーが自信を持って取り組めるようになってきた証拠だと思います。提案の質も上がっていますし、社員の熱量も上がってきています。

Education Firstの考え方と、協働による人材開発がつながっていった

ーーオメガテクノさんとしても、教育を重視されてきた印象があります。

栃平:
そうですね。私たちは「Education First」という考え方を非常に大切にしています。パーパスとして掲げているものでもありますし、会社の運営そのものに深く関わっています。

瞬間的に人を出せるとか、対応率98%とか、そういった強みも、結局は人が育っているからこそ実現できるものです。教育を後回しにして、目先の案件だけ追っていては、今の体制はつくれなかったと思います。

そういう意味では、協働日本との取り組みは、外から何かを与えてもらうというより、もともと自分たちが大事にしてきた教育や成長という軸を、より深く、より実践的な形にしてもらっている感覚があります。

品質トラブル対応会社から、モビリティ産業変革の品質インフラ企業へ

ーー近年は、ミカタプロジェクトのモビリティイノベーションフォーラムで優秀賞を受賞されるなど、新たな挑戦も評価されています。

栃平:
ミカタプロジェクトでの受賞は、私たちにとって非常に励みになる出来事でした。

ただ、これは一つの賞をいただいたということ以上に、オメガテクノがこれからどこへ向かうのかを示す機会になったと思っています。私たちは、単なる検査代行会社で終わるつもりはありません。

品質保証を軸に、自動車産業やモビリティ産業の変革を支える存在になっていきたい。DXやAIの活用、グローバル対応、未然防止型の品質管理など、これから取り組むべきテーマはたくさんあります。

品質トラブルが起きたときに対応する会社から、品質課題を先回りして捉え、産業全体を支える品質インフラ企業へ。そういう方向に進化していきたいと考えています。

そのためには、現場力だけではなく、組織として考える力、人を育てる力、外部と連携する力が必要です。協働日本さんとの取り組みは、そうした変化に向けた土台づくりにもつながっていると思います。

協働という形だからこそ、中小企業にも必要な支援になる

ーーこうした複業人材との取り組みは、今後さらに広がっていくと思われますか。

栃平:
広がっていくと思いますし、広がっていくべきだと思います。特に中小企業は、単独で立ち向かうのがどんどん難しくなっています。倒産件数も増えていますし、事業承継の問題もあります。単純なM&Aだけではなく、複合的に力を合わせて、いろんな強みを組み合わせていくことが必要になっていると感じます。

そういう中で、協働日本のように、各領域のプロ人材と一緒に考え、動いていく仕組みは、非常に有効だと思います。単純に金儲けをするための関係ではなく、志を持って真剣に事業に向き合っている会社にこそ合うんじゃないでしょうか。

私は、そういうところにはおすすめしたいと思います。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

栃平:
社会問題の解決という観点と、それぞれの企業が持っている強みを最大限活かすという観点、その両方において非常に有効な手段だと思っています。

真剣に次のビジネスに臨もうとしているオーナーさんや、スタートアップの社長さん、変わりたいと思っている中小企業には、まだまだ必要とされていくんじゃないでしょうか。私たち自身もその価値を実感していますし、これからも必要とされる取り組みだと思っています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

栃平:
ありがとうございました。


栃平 秀典/Hidenori Tochihira

オメガテクノ株式会社 代表取締役

1969年、大阪府生まれ。大学卒業後、自動車販売業にて営業として実績を積み、マネージャーとして店舗運営に携わる。その後、同業界最大手にて営業所長、営業戦略部長、支店長を歴任し、事業成長と組織運営の両面で実績を築く。
品質保証業務代行サービスの本質的価値に着目し、2014年にオメガテクノ株式会社を創業。
検査・選別にとどまらず、顧客課題に踏み込む経営改善支援へと事業を進化させるとともに、自社の経営改革を通じて持続的成長基盤を確立した。
現在はTRIGO社との連携により、グローバルな品質ソリューションの実現に挑んでいる。
「挑戦・教育・成長」を軸に、人と組織の可能性を最大化し、製造業の競争力向上に貢献することを使命としている。

協働日本事業については こちら

VOICE:藤村昌平×若山幹晴 – 特別対談(前編)『「境界」が溶けた世界で、勝ち抜いていくために必要なこと』 –

STORY:株式会社海連 永井漸氏 – “海外に売りたい”から、“4市場で勝つ”へ。鹿児島のさつまいもを世界に届ける海外戦略とは –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

今回は、鹿児島県阿久根市でさつまいもの生産・加工・販売を手がける株式会社海連 専務取締役の永井漸氏にお話を伺いました。

鹿児島県阿久根市のさつまいも加工会社・株式会社海連が抱えていたのは、“海外に売りたい”という想いはありながらも、輸出戦略がアメリカ中心の一本足打法にとどまり、市場選定や優先順位が定まらないという壁でした。

協働プロとワンチームで伴走する中で、永井氏自身の意思決定の軸が明確になり、仮説検証を重ねながら主体的に次の一手を描けるようになりました。その結果、欧州・中東・アジア・米国の4市場を見据えた展開方針が定まり、2027年中に輸出量50〜70トンを目指す新たな成長戦略が立ち上がっています。

変わったのは数字の見通しだけでなく、“感覚で売る”から“戦略で勝つ”へと、海外展開そのものの捉え方でした。

株式会社海連は、海産物の保管倉庫をルーツに持ちながら、時代の変化に応じて事業を転換し、現在はさつまいもを軸に地域資源を活かした事業展開を進めている企業です。

“海外に売りたい”という想いを、どうすれば具体的な戦略へ変えられるのか。仮説検証を重ねながら見えてきた市場のリアル、地域内外のつながりから生まれた新たな可能性、そして今後の展望について、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

海産物倉庫から、さつまいもの加工会社へ。変化を重ねてきた海連の歩み

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、株式会社海連さんの沿革と現在の事業について教えてください。

永井漸氏(以下、永井):
よろしくお願いします。海連は1999年創業で、今はさつまいもを加工している会社です。ただ、もともとは今のような会社ではなく、海産物を保管する倉庫業から始まっています。

当時は魚を保管する倉庫として動いていたのですが、保管していた魚が獲れなくなってしまい、倉庫が空いてしまったんです。どうしようかと悩んでいた時期に、ちょうど芋焼酎ブームが来て、焼酎用さつまいもを冷凍保管するニーズが出てきました。そこから、魚ではなくさつまいもを扱うようになったのが最初の転機でした。

その後、今後は輸入芋よりも国産のさつまいもの需要が高まるだろうと考え、保管だけではなく加工まで自社でできるようにしていきました。そうして規模を広げていく中で、次に見えてきたのが雇用の課題です。

焼酎用のさつまいもは、どうしても生芋の収穫時期である9月から11月に仕事が集中します。それまではその時期だけ多くの方に来ていただいて、12月以降はほとんど人がいない、という形でも回っていました。ただ、地方では今後ますます人材確保が難しくなる。そう考えたときに、年間を通して働ける仕事をつくる必要がありました。

そこで、紅はるかのように熟成することでより美味しくなる品種を活かし、焼き芋やペーストなどの加工品づくりを進めるようになりました。さらに夏場の仕事として、阿久根市でそうめん流しの店舗を引き継ぎ、7月・8月は飲食事業も行っています。工場だけ、飲食だけではなく、年間を通していろいろな形で仕事をつくっているのが、海連の特徴だと思います。

ーーそうめん流しの店舗でも、海連さんらしさは出ているのでしょうか。

永井:
はい。紅はるかを使った素揚げや、さつまいもを使ったスイーツなど、自社の加工品を食べていただけるようにしています。隣接する売店では、工場で加工したペーストを使ったモンブランソフトのような商品も出しています。単に商品をつくるだけでなく、どう食べてもらうかまで含めて事業にしている感覚ですね。

“海外に売りたい”という想いはあった。だが、戦略は見えていなかった

ーー今回、協働日本と一緒に取り組むことを決めたきっかけを教えてください。

永井:
きっかけは、地元の下園薩男商店の下園さんです。

私が家業に戻り、いわゆる“アトツギ”としてこれからの経営をどう担っていくかを考え始めた頃、会社の今後について相談させていただく機会があって、その中で協働日本さんを紹介していただきました。

鹿児島県と連携した伴走支援の取り組みをされていると聞いて、すごく興味を持ちました。下園さんご自身が、自分の会社だけではなく、地域全体が良くなることを考えている方なんです。そんな下園さんが紹介してくださるものなら間違いないだろう、という信頼も大きかったですね。

自社にとってプラスになるのはもちろんですが、うまくいけば自分たちもまた別の事業者に広げる側に回れるかもしれない。そういう意味でも、やってみたいと思いました。

ーー今回の協働プロジェクトでは、どのようなテーマで取り組まれたのでしょうか。

永井:
テーマはシンプルで、「さつまいも製品をもっと海外に広げたい」ということでした。実際、アメリカには輸出できていました。ただ、実質的にはアメリカ一本足打法で、そこから先の拡大がなかなか見えていなかったんです。

自分の中では、イスラム圏にもさつまいもは刺さるんじゃないか、アジアにも可能性があるんじゃないか、という感覚はありました。でも、それはあくまで感覚でしかなかった。どの市場に、どの商品を、どの順番で持っていくのか。そこがまったく整理できていませんでした。

しかも、社内で海外展開を実質的に見ているのはほぼ私一人です。相談相手も少ない中で、自分だけで考えていても突破口が見えなかった。だからこそ、外部の視点が必要だと思っていました。

感覚ではなく、仮説と検証で進める。判断基準を得た伴走支援

ーー伴走した協働プロの皆さんとは、どのようにプロジェクトを進めていったのでしょうか。

永井:
伴走いただいたのは、向縄さん、般若さん、阿世知さんの3名です。伴走いただいたのは、海外ビジネスを実務レベルで推進してきたプロフェッショナルで、単なる助言ではなく“実行につながる視点”を提供してくださいました。

最初にまず「海連がどうしたいのか」をかなり丁寧に聞いてくださいました。

その上で、私が持っていたぼんやりしたイメージを、そのまま進めるのではなく、「それは本当に市場として成立するのか」「価格帯はどうか」「誰にどう届けるのか」と、一つひとつ具体化していく形でした。

私一人だと、どうしても“売れそう”という感覚で考えてしまうんです。でも、3人とのミーティングでは、その感覚をちゃんとリサーチや仮説に落とし込んで、次回までの宿題にして、また検証していく。そのプロセス自体がとても学びになりました。

自分の中にあった知識や人脈も、単独ではつながっていなかったものが多かったんです。それを「こう使えるのでは」と整理してもらえたことで、プロジェクトの進め方そのものが見えるようになりました。報告会の場でもお話ししたのですが、いろいろなアイデアを受け取る中で、自分の中に「判断する基準」が見えてきたことは、とても大きかったです。

インドネシアで仮説が崩れたことが、戦略転換の起点になった

ーー取り組みの中で、特に印象に残っている出来事はありますか。

永井:
一番大きかったのは、インドネシアに関する仮説が崩れたことです。もともと私は、ムスリム市場に行くならインドネシアが起点になると思っていました。実際、友人のインドネシア人にもオンラインで話を聞きましたし、かなり期待していました。

ただ、その話を受けて、向縄さんが実際にインドネシアに行き、現地で情報を確かめてくださったんです。そこで見えてきたのが、現地には、現地の人の好みに合う、安くて甘くて美味しいさつまいもがすでに多く流通しているということでした。

つまり、日本のさつまいもをそのまま持ち込んで今からその市場で戦うのは、いわばレッドオーシャンに飛び込むようなものだったんです。そこで一度、当初考えていた形でのインドネシア輸出は見直そう、という判断ができました。

これは、自分にとってすごく大きかったですね。今までも仮説と検証が大事だとは分かっていたつもりでしたが、実際にそのサイクルを回し、判断を変えるところまでやる経験はあまりなかった。伴走を通じて、その積み重ねが経営の判断軸を太くしていくのだと実感しました。

今までの自分たちは、「これは売れるだろう」と思ったものを展示会や商談に持っていき、たまたま刺さるかどうかに頼っていた部分もありました。今回の経験を通して、国内外を問わず、まず仮説を立て、確かめ、修正することの重要性を改めて学びました。

抹茶との掛け合わせが、欧州・アジア・地域連携へと広がっていった

ーーそこから、どのように次の打ち手が見えてきたのでしょうか。

永井:
インドネシアの議論をしている中で、現地では抹茶がかなり広がっているという話が出てきました。そこから「抹茶×さつまいも」という仮説が浮上したんです。

実は過去に、アメリカ・ロサンゼルスのレストランで、うちのさつまいもペーストを使った抹茶ティラミスをつくっていただいたことがありました。それをミーティングの中でぽろっと話したら、「それはもっと早く言ってください」と(笑)。そこから一気に、抹茶との掛け合わせを真剣に考えるようになりました。

さらに、鹿児島の輸出商社の方やお茶関係の方々に話を聞く中で、抹茶の販路と一緒にさつまいもパウダーを提案できる可能性も見えてきました。乾燥パウダーなら物流面でも扱いやすいですし、抹茶の緑と紫芋の色の対比も魅力になる。商品そのものだけでなく、見せ方まで含めて勝負できると感じています。

面白かったのは、そこから国内の連携にもつながったことです。協働プロの後押しで、お茶屋さんに話を聞きに行ったことがきっかけで、池田選茶堂さんのカフェメニューに、海連のさつまいもを使ったトッピング商品が採用されました。国外販路の議論から始まったのに、地域内の新しいコラボまで生まれた。これは自分一人では絶対に起きなかったことだと思います。

一本足打法から、4市場同時展開へ。フランスへの受注確定で見えてきた勝ち筋

ーー今回の取り組みを通じて、具体的にはどのような成果が生まれたと感じていますか。

永井:
現時点で、売上として大きく出ているものはまだこれからです。ただ、最も大きな成果は、輸出戦略が明確になったことだと思っています。

今は、欧州・中東・インドネシア・米国の4市場で、それぞれ役割の違う戦略を描いています。欧州はブランド価値を高める拠点。特に紫芋パウダーのような素材系商材で、抹茶ルートとの親和性も活かしながら展開していきたいと考えています。ロンドンでは加工原料としての可能性も見えてきました。

中東は、ハラール市場の成長を見据えた展開です。まずはドバイなどを足がかりにして、周辺地域へ広げていきたい。インドネシアは当初より優先順位は下がりましたが、素材単体ではなく、抹茶と組み合わせた“ジャパニーズカフェメニュー”としてなら可能性があると見ています。

そしてアメリカは、やはり一番売上を伸ばしやすい市場です。すでにレストラン向けやチェーン向けの販路があるので、まずはそこを太く強くしていく。加えて、欧州など他地域での実績がアメリカでの提案にも効いてくる。4市場が相互に補完し合う形が見えてきました。

目標としては、2027年中にさつまいも関連だけで年商1億円を目指しています。輸出量でいうと、現在の10〜15トンから50〜70トンへ。かなり高い目標ではありますが、以前のように“海外に売りたい”という状態ではなく、どう積み上げるかの地図が見えたのは大きいです。

その手ごたえは、すでに少しずつ具体的な反応としても現れ始めています。たとえば、FOODEX JAPAN 2026では、鹿児島県ブースへの出展を通じて多くの来場者との接点が生まれ、フランス向けに紫芋パウダーの受注が確定するなど、戦略で描いた欧州市場への展開が、実際の商流として立ち上がり始めています。

まだ大きな売上として語る段階ではありませんが、欧州向けの新たな可能性を感じられたことは大きな一歩でした。描いてきた戦略が、机上の構想にとどまらず、確かな反応として返ってきた瞬間だったと思います。

主体的に動いてもいい。そう思える空気が社内に生まれ始めた

ーー事業戦略だけでなく、組織の面での変化はありましたか。

永井:
会社全体が大きく変わった、とまではまだ言えません。でも少なくとも、私自身には大きな変化がありましたし、それが社内にも少しずつ波及し始めている感覚はあります。

今回の伴走支援を通じて、自分から主体的に動いてもいいんだ、チャレンジしてもいいんだ、という感覚が強くなりました。毎週のミーティングが本当に楽しみで、ワクワクしながら次の打ち手を考えていました。そういう姿を見せられたこと自体が、今後従業員を巻き込んでいく上でも意味があると思っています。

また、今回の取り組みを通じて、外部の知見を取り入れながら進めることへの社内理解も少しずつ生まれてきました。トップダウンだけではなく、現場から新しい提案や挑戦が出てきてもいい。そう思える環境づくりの第一歩になったと感じています。地方企業ではどうしても社内だけで考えが固まりがちですが、外の視点が入ることで、失敗を恐れずに挑戦する空気が生まれる。その土台づくりになったと思います。

“プロに任せる”価値を知っているからこそ、外部プロ人材の力を実感した

ーー協働プロの皆さんの印象についても教えてください。

永井:
3人とも本当にキャラクターが違っていて、すごくいいチームでした。向縄さんはとにかく前向きで、言葉がいつもポジティブなんです。だからこちらもワクワクしながら進められる。阿世知さんは議論をうまく整理して、まとめてくださる存在。般若さんは冷静に全体を見て、「ここはもっと詰めた方がいいですね」と俯瞰したアドバイスをくださる。そのバランスがとても良かったです。

私は家業に戻る前、産業用ロボットメーカーやゲームメーカーで働いていたのですが、その中で“プロに任せることの価値”をかなり実感してきました。自分が数時間かけてもできないことを、その道のプロは数分で解決してしまう。だったら、任せるべき領域は任せた方がいい。その感覚がもともとあったので、今回の伴走の価値もすごく腹落ちしました。

地方企業こそ、外の知見とつながることで前に進める

ーーこうした外部のプロ人材との取り組みは、今後さらに広がっていくと思われますか。

永井:
広がっていってほしいですし、広がるべきだと思っています。特に地方には、「変わりたい」と思っていても、社内にそのための人材や知見が足りない会社が本当に多いと思うんです。

自分一人でやらなきゃいけないと思っている経営者や後継者は多いですし、実際、私自身もそうでした。でも、少し背中を押してもらうだけで、一気に見える景色が変わることがある。そういう会社にとって、協働日本のように各領域のプロ人材とつながれる存在はすごく大きいと思います。

今後は海外戦略だけでなく、人事や制度設計など、また別のテーマでも相談したいことがあります。

協働日本にはそれぞれの分野を知るプロが揃っているので、テーマが変わってもまた一緒に動けるという安心感があります。

今回つながった皆さんとも、さらなる共創ができたら嬉しいですね。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

永井:
協働日本さんと関わった企業は、いい方向に変わっていくと思っています。今回、自分たちもそれを実感しました。この取り組みを通じて、もっと多くの会社が前向きな変化を経験して、幸せになっていってほしいです。

そしていつか、海連がお願いしたくても「今は手一杯です」と言われるくらい、たくさんの企業が協働日本さんと一緒に動いている状態になったら、それだけ地域で挑戦する会社が増えているということだと思います。そんな未来を、すごく楽しみにしています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

永井:
ありがとうございました。


永井さんも登壇した、【鹿児島県】令和7年度「新産業創出ネットワーク事業」最終報告会の様子は、以下の動画でもご確認いただけます。


永井 漸 / Zen Nagai

株式会社海連 専務取締役

高校時代に中国・北京、大学時代に英国・ロンドンへ留学。大学卒業後は京都市にて産業用ロボットメーカー、ゲームメーカーでの勤務を経て、2018年に家業である株式会社海連に入社。産業用ロボットメーカーでは海外営業として東アジア(中国)および東南アジア(インドネシア、フィリピン)を担当し、ゲームメーカーでは開発部門にてITコンサルティング領域のライセンス管理業務に従事。現在は専務取締役として、事業承継を見据えた経営への参画に加え、地域資源を活かした事業展開を通じて地方創生に取り組んでいる。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 向縄一太氏 – 「浪漫」と「算盤」で地域を変える –

STORY:米田食堂 米田正和氏 – 地獄蒸しから生まれる“次の名物”──別府・鉄輪で三代続く食堂が描く団子汁食堂の未来 –

協働日本で生まれた協働事例を紹介する記事コラム「STORY」。
本連載では、協働日本とプロジェクトに取り組むパートナー企業の方をお招きし、どのように意思決定し、プロジェクトを推進しているのかをインタビューを通じて伺っていきます。

今回は、別府・鉄輪で三代続く大衆食堂「米田食堂」の三代目・米田正和氏、そして協働プロとして伴走する相川知輝氏にお話を伺いました。

米田食堂は、1955年創業。別府の名所「地獄めぐり」の動線上に店を構え、大分の郷土料理・団子汁を看板に、長年地域と観光客に親しまれてきた食堂です。

同店では、米田氏が掲げた「店を目的地化する」という構想のもと、温泉の噴気を活かした“地獄蒸し”の新商品開発と、団子汁を“選ばれる名物”へ進化させる取り組みに協働日本が伴走しています。

プロジェクトを通じて、売上130%を生んだ新商品「極楽 鬼カステラ」が誕生。さらに、現場で継続的に回せるオペレーションを見据えた“次の挑戦”も動き出しています。
協働日本との取り組みで得られた変化、試行錯誤のプロセス、そして地域へ広がり始めた“協働”の輪について、率直に語っていただきました。

(取材・文=郡司弘明)

地獄めぐりの途中にある、三代続く大衆食堂

ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは、米田食堂さんの沿革と、現在の事業について教えてください。

米田正和氏(以下、米田):こちらこそ、よろしくお願いします。

1955年に別府市・鉄輪で初代の米田トリヱが大衆食堂「米田屋」を開店したのが始まりです。温泉地ならではの立地を活かし、だんご汁や地獄蒸し料理を中心に、長年、地元の方と観光客の方の両方に支えられて営業してきました。

祖母から父、そして自分が三代目になります。もともとはいろいろな食事を出す大衆食堂でしたが、今は大分県の名物である「団子汁」を一番の売りにしています。これまでの歴史を大切にしながらも、次の時代に向けた新しい挑戦にも取り組んでいます。

ーー団子汁が看板メニューになっているのですね。加えて、米田食堂さんならではの特徴として“地獄蒸し”もあると伺いました。

米田:店先に「地獄釜」があって、温泉の噴気(蒸気)を使って食材を蒸すことができます。

今は卵やお芋、とうもろこしを蒸して、それを店先で販売しています。

ーー立地も含めて、地域での位置づけはどのようなものなのでしょうか。

米田:うちは観光地のど真ん中で、「別府の地獄めぐり」のコース上にある食堂です。

昔は湯治に来た方や地元の方が多かったですが、今はどちらかというと観光客の方がメインになっています。

ただの郷土料理にしない。団子汁を“選ばれる名物”へ進化させる挑戦

ーー協働日本との取り組みを始められたきっかけを教えてください。

米田:別府市役所の産業政策課の方から案内があり、別府市の外郭団体「B-biz LINK」さんと、「協働日本」さんが共催していた事業支援説明会に参加したのがきっかけです。

気軽に参加した説明会だったのですが、協働日本代表の村松さんのお話を聞いて、とても関心が高まりそのままあれよあれよという間に、面談へと進みました。

そこから支援を受けさせてもらえることになり、今回のご縁に繋がりました。

ーー最初に協働日本の話を聞いた時の印象はいかがでしたか。

米田:まず、とても熱い人たちが集まっている会社なんだなあという印象でしたね。これまでこういったお話を聞いてきた、いわゆるコンサルタントの方々とは全然違って。自分の想いを正直に、やってみたいことを気軽に相談でき、ざっくばらんに話せそうな雰囲気がありました。

経営や商品開発を、自分たちだけで考えていると、どうしても視野が狭くなってしまうと感じていました。お店の強みはあるはずなのに、それをうまく言葉や形にできていない、そんなもどかしさがあったんです。

協働日本さんのお話を聞き、「一緒に考え、伴走してくれる」という姿勢に共感し、思い切って取り組むことを決めました。

ーープロジェクトの出発点として、米田さんが協働日本に伝えた“やりたいこと”は何だったのでしょうか。

米田:「店を目的地化したい」ということです。

今は“ただの団子汁”を売っている。それを“ただじゃない団子汁”にどう昇華させるか。

自分の店を別府、そして「地獄めぐり」に来る人たちの目的地にしたいというのが最初に伝えたことです。

ーー地域内にも団子汁を出すお店が複数ある中で、狙うポジションは明確だったのですね。

米田:そうですね。地域で一番を取って、そこから「大分県の団子汁といえば」というところまで行きたいと思っています。

決まった型がないから、前に進めた。“地獄蒸し”の新展開

ーー協働プロジェクトに参画している協働プロについて教えてください。

米田:相川さん、他数名の協働プロの方々を中心にご支援いただいています。

それぞれ違った視点を持っていて、毎回の打ち合わせで新しい気づきをいただいています。

ーー今回、協働プロ相川さんがインタビュー記事に同席していただいています。相川さんは現地の状況を踏まえて、どこから着手したのでしょうか。

相川知輝氏(以下、相川):鬼山地獄のすぐそばで、人通りはすでに多い場所です。だから最初は、そこで“買ってもらえる”“話題になる”ものをつくる。

SNSでシェアされる状態ができたら、「あれを食べに行こう」に変えていける、と考えました。

ーー人通りの多さを活かし、そこから目的地化へつなぐ設計ですね。

相川:そうです。しかも米田食堂さんは、店先に自販機があって、その後ろに地獄蒸しの設備がある。そこでも売れば、まず手に取ってもらえる確度が高い。卵やとうもろこしはすでに売れている。ただ、100円・200円の世界観に寄ってしまうのがもったいない。価値があるものにすれば、高くても買ってもらえるはずだと。

ーー具体的にはどんな取り組みを進めていますか。

米田:主に、新商品の開発と、観光客へのアプローチ方法の見直しに取り組んでいます。

具体的には、お客様目線の商品づくり、ネーミングやパッケージの検討、看板やPOPなどの販促改善などです。「鉄輪らしさ」「米田食堂らしさ」を改めて整理し、どうすれば伝わるのかを一緒に考えてきました。

ゴール実現に向けたアイデア出しと、“現実化”するための伴走支援の両輪

ーー協働日本の伴走の“進め方”は、米田さんにとってどのような体験でしたか。

米田:決まったフォームがあるわけじゃなくて、打ち合わせをしながらブレストして、どんどん意見が出てくる。会議も硬くならずに、普通の雑談から始まったりして、会議が毎回楽しみでした。

また、一番大きな変化は、「考え方」です。これまでは感覚的にやっていたことを、言語化し、整理しながら進めるようになりました。

「まずやってみて、反応を見て、改善する」という姿勢が身についたと感じていますし、スピード感をもってプロジェクトを進められています。

ーー相川さんから見て、このプロジェクトが前に進む速度が出た要因はどこにありますか。

相川:一つは、米田さんがすぐ試してくれるところです。本当にこれ実現できるっけ?というものが、1〜2週間後にはテストされていて、形をどんどん変えられた。だから比較的早く新商品ができました。

もう一つは役割分担です。協働側は「売れる・見た目・話題化」の設計を考える。ただ、味をどう担保するかは、僕らは触れない。そこは料理人である米田さんに任せられる。だから速い。

ーー根本の方向性は米田さんの想いベースで、それを“できる形”へ一緒に落としていくのが『協働』、という整理ですね。

相川:そうです。ゴールの方向性は米田さんが持っている。そこに向けて、アイデアを出して、現実化していく、という伴走です。

売上130%を生んだ「極楽 鬼カステラ」

ーー取り組みの成果の中で、象徴的なものを教えてください。

米田:創業以来初となる新商品の開発が実現したことです。名付けて、「極楽鬼カステラ」。鉄輪らしさやお店の個性を前面に出したもので、観光客の方に手に取っていただきやすい商品になりました。

相川:地獄蒸しの新商品としてつくったもので、鬼の髪型のような見た目にした「極楽 鬼カステラ」です。地獄蒸しの文脈と、写真を撮りたくなる見た目を掛け合わせました。

米田:中が地獄蒸しでつくったカステラです。

ーー実際の成果として、数字で語れる変化はありましたか。

米田:もともと地獄蒸しで売っていたのは卵や芋、とうもろこしで、“蒸して売る”だけでした。そこに新商品が加わったことで、販売していた期間は、平均で20%くらいは上がっています。

相川:繁忙期に絞れば売上130%増になっていますよね。

「売れる」だけでは終わらせない。老舗だからこそ直面した“続ける”という現実

ーー新商品がヒットした一方で、継続に向けた課題も見えてきたと伺いました。

米田:そうですね。正直に言うと、「売れたからすべて成功!」ではなかったな、というのが率直な感覚です。

極楽 鬼カステラは、見た目のインパクトもあって、観光客の方が写真を撮ってくれたり、SNSに上げてくれたりと、想像以上の反応がありました。実際、売上としても手応えはありましたし、「これはいける」と思った瞬間もありました。

ただ一方で、現場のオペレーションが・・想定以上に大変でした。

ーー具体的には、どのあたりが負担になっていたのでしょうか。

米田:仕込みから提供までに手間がかかるので、どうしても人手が必要になるんです。アルバイトが入れる休日なら回せるけれど、平日は難しい。忙しい時期ほど、現場が回らなくなるというジレンマがありました。

老舗の個人店なので、人員に余裕があるわけではありません。売上が上がっても、現場が疲弊してしまっては意味がない。続けられなければ、名物として根付かせることはできない。そこに、はっきりとした課題を感じました。

ーーその気づき自体が、次の挑戦につながっているのですね。

相川:まさにそうですね。今回のプロジェクトでは、「売れるかどうか」だけでなく、「続けられるか」「現場で回せるか」を、次のテーマとして明確にできたことが大きいと思っています。

最初のチャレンジで成功体験と同時に“反省点”が言語化できた。

これは、単発のヒットで終わらせず、次につなげるうえで非常に重要なプロセスだと考えています。

老舗×観光地だからこそ必要だった「視点の外注」

ーー協働日本が伴走することで、米田さんご自身の視点にも変化はありましたか。

米田:かなりありましたね。自分一人で考えていると、どうしても「料理人として」「店主として」の目線に偏ってしまう。味や品質をどうするか、という発想から抜け出しにくいんです。

でも、協働日本の皆さんと話していると、「お客さんからどう見えるか」「なぜそれを選ぶのか」といった、少し離れた視点で問いを投げてもらえる。自分の中にはなかった角度なので、毎回ハッとさせられました。

ーー相川さんから見て、外部人材が入る価値はどこにあると感じますか。

相川:地域に根付いて長く商売をされている方ほど、自分たちの強みを“当たり前”として捉えてしまいがちです。地獄蒸しも、団子汁も、別府では日常に近い存在。でも、外から見るとそれ自体が強いコンテンツになる。

だからこそ、「これは価値がある」「もっと伝えていい」と、第三者が言語化する意味があると思っています。視点を外注する、という感覚に近いかもしれません。

「目的地化」は、商品だけで完結しない

ーー改めて、「店を目的地化する」という構想について、今はどのように捉えていますか。

米田:商品をつくれば終わり、ではないなと感じています。極端な話、ヒット商品が一つあっても、それだけで“目的地”にはならない。

店に来たときの体験や、ここでしか味わえない空気感、別府・鉄輪という土地とのつながりも含めて、「また来たい」「誰かに勧めたい」と思ってもらえるかどうか。その積み重ねが大事なんだと思います。

だから今は、次の商品開発と並行して、「どう見せるか」「どう体験してもらうか」という部分も、改めて考えています。

ーー協働日本としても、今後はその領域まで踏み込んでいくのでしょうか。

相川:はい。商品開発はあくまで一つの入口です。そこからどう回遊させるか、どうファンになってもらうか。

最終的には、「米田食堂に行くこと」自体が目的になる状態を一緒につくっていきたいと思っています。

“持ち歩きできる郷土料理”という次の挑戦

ーーその学びを踏まえ、次の展開はどのように考えていますか。

相川:次は、オペレーションの負荷を下げた上で、地獄蒸しを使った第二弾を準備しています。ここでしか買えない“映える商品”は出したい。でも手軽に回せないと意味がない。そこで「郷土料理+持ち歩きできるフード」というコンセプトで進めています。見た目にもこだわり、手に取ってもらう仕組みまで考えています。

米田:注文を受けてからのオペレーションが少なくて済む形ですね。事前に作って温めておくだけ、のように無理なく店舗を回せる設計も重要だと感じています。

地域に広がり始めた“協働”の輪

ーー協働日本の支援は、別府の地域にも広がり始めていると伺いました。変化をどう感じていますか。

米田:心強いです。地域全体で盛り上がれば、もっとできることが増える気がしています。個人事業者が多い地域なので、支援を受けることでスキルが底上げされていくと、地域でできることがどんどん広がっていくと思います。

相川:地獄蒸しスタンプラリー、みたいな展開も面白いですよね。

「小回りが利く支援」が、地域の挑戦を前に進める

ーー都市人材や、複業人材との取り組み自体には以前から興味はありましたか?

米田:正直に言うと、興味はありましたが、どう関わればいいのか分からず不安もありました。

今回の取り組みを通じて、「遠い存在」だと思っていた都市人材の方々が、とても身近な存在だと感じるようになりました。

ーー取り組みを振り返ってみていかがでしょうか。

米田:協働日本さんは、専門的な知識や経験を持ちながらも、決して上から意見を押し付けるのではなく、「よね田としてどうしたいか」「無理なく続けられるか」を常に考えてくれました。単なる支援者ではなく、「同じチームの一員」として取り組むことができたと思っています。

また、ピンポイントで支援してくれる人が参画してくれるところがいいと思います。普通のアドバイザーやコンサルとは全然違う。規模が小さくても、やりたいことや夢がある会社には、こういう“小回りが利く支援”の方が合うと思います。そういう人が増えていけば、地域としてももっと前に進めるんじゃないかと感じています。

今後、ますます広がっていくと思いますし、特に、次の一手を考えている事業者さんや、現状を変えたいけれど一人では難しいと感じている方には、ぜひおすすめしたいです。

ーー最後に、協働日本へのメッセージをお願いします。

米田:協働日本さんは、地域と人をつなぐ、とても大切な存在だと思います。これからも多くの地域事業者に寄り添い、それぞれの強みを引き出していくのではないでしょうか。

私たちも、その一事例として、これからの歩みをしっかり形にしていきたいと思います。今後のご活躍を心から応援しています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました!

米田:ありがとうございました!

相川:ありがとうございました!

米田 正和 / Masakazu Yoneda

米田食堂 三代目店主

相川 知輝 / Tomoki Aikawa

協働日本 協働プロ

(株)ひまじん 代表取締役・プランナー

大手広告代理店に勤務時代に、クルマメーカーの日本初Twitterキャンペーンを仕掛ける等、デジタル・イベントを軸としたマーケティング&プロモーションを多く手掛ける(受賞歴複数あり)。
独立後は、大手企業だけでなく、中堅印刷会社における新規事業創出、中堅建設会社の売上向上支援・PR支援(NHK等露出)、ミシュラン店のPR・新商品作り支援、組織コンサルティング会社のマーケティング支援(その後、マザーズ上場)等を行う。

食領域に関心が高く、日本全国の創業100年越えの老舗飲食店を4000店舗以上訪問(日本一の訪問数)。フードアナリスト協会認定アナリスト、東京カレンダー公認インフルエンサー、フジテレビ食番組企画・プロデュース、ラジオ大阪お取り寄せコーナー担当、朝日新聞社での老舗連載等を手掛ける。食関係のXフォロワーは4万人を超える。

協働日本事業については こちら

VOICE:協働日本 相川 知輝氏 – 日本のユニークな「食」の魅力を後世に伝えていきたい –